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結衣「ちなつちゃんに笑ってほしい」

1 SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) 2011/12/21(水) 22:13:12.54 ID:EN9JwbNT0

VIPより
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1324434714/l50

何度も落としてすみません
完結させたいので、こちらに移動します
短い間になるとは思いますがよければお付き合い下さい

2 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:14:08.74 ID:EN9JwbNT0

いつもの放課後。
京子が先生に呼び出しを食らい、廊下で掃除をしているあかりともすれ違ったから
部室にはちなつちゃんしかいないはずだ。

急ぐ理由なんて無いけど、この季節、廊下はひどく冷えていて、
自然と足早になってしまう。
早く中に――
あっという間に辿り着いた部室の前。ドアに手をかけて、それから私は。
そのドアを開くことが出来なかった。

結衣「……ちなつちゃん?」

薄く開いたドアの隙間。
こちらに背を向けて座っているちなつちゃんは。

なんだか、泣いているみたいだった。


3 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:15:11.81 ID:EN9JwbNT0


結衣「……」

バクバクと鳴っている心臓を落ち着けようと、私は大きく深呼吸した。
思わず戻ってきてしまった教室には誰もいない。
おかげで声を出して息を吐き出すことが出来た。自分の声で、少し頭が
冷静になってくれる。

結衣「……なにやってんだ私」

冷静になった頭で、私はどうして逃げてしまったのだと後悔した。
ちなつちゃんはいつも明るくて、泣いているところなんて見たことなかったから。
一人で泣いてるなんて、見られたくないだろうし。
なにより、私なんかが声をかけていいのかわからなかったから、どうしても部室に
入れなかったのだ。

京子「あれ、結衣?」

自分の対応に頭をかきむしりたくなったとき、のんびりとした声が
私を教室へと引き戻した。

結衣「京子……」

京子「先部室行ったんじゃないのー?さては私を待っててくれたか!」

結衣「ちげーよ」

えぇと口を尖らせながら、京子は自分の机に駆け寄って置いてあった鞄を肩に
かけた。
どうやら今の今まで先生にこってり絞られていたのだろう。


4 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:15:44.95 ID:EN9JwbNT0

京子「よし、そんじゃ行くか!」

けれどそんな様子は微塵も見せずに京子はそう言って私に寄って来た。
ちょっと待ってと言う暇もなく、京子が私の背を押して教室を出ようとする。

京子「今日はなにする?」

結衣「なにするって……」

なんとか鞄を持ち出しながら、私は返答に詰まった。
京子はちなつちゃんが泣いていたことを知らない、当たり前だけど。
それに私だってちなつちゃんがどうして泣いていたのかなんてわからないし。

京子「結衣?」

結衣「……っ」

立ち止まった私を、京子が「なんだよー」というように振り返った。
行きたくないわけではないけど、今ちなつちゃんと顔を合わせるのは
正直きつい。


5 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:16:22.44 ID:EN9JwbNT0

京子「おーい」

結衣「ごめん、今日は」

そう言い掛けたとき、京子が「どうした?」と首を傾げた。
「なにが」と問い返すと、「なにかあったのかなって」

結衣「……そういうわけじゃ、ないけど」

こういうときの京子はへんに鋭い。
それでも私は、京子から目を逸らして首を振った。
なんとなく、ちなつちゃんのことは言い辛かった。京子のことだからちなつちゃんに
真正面切って何か言いそうだし。

京子「ふーん?」

結衣「と、とりあえず今日は私」

けれど、京子は「大丈夫だって」と笑った。
そのまま、私の後ろに回ると教室を出たときのようにぐいぐいと私の背中を
押して行く。

結衣「ちょ、京子」

京子「あかりもちなつちゃんも待ってるしさ」

ちなつちゃんも。
私は何も言えなくなって、結局部室の前まで来てしまった。


6 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:38:58.78 ID:EN9JwbNT0

京子「よ」

けれど、ここまで来てなお京子がドアに手をかけようとしたのをつい止めて
しまっていた。

京子「なに?」

結衣「いや……」

京子「結衣の手邪魔なんだけど」

結衣「う、うん……」

無理矢理私の手をどかそうとする京子と、なんとか中に入るのを阻止しようとする私。
結局押し問答になってしまったとき、中からこちらへ走り寄って来る音が聞こえた。

結衣「あっ……」

そして、あっけなく開いてしまったドアから顔を覗かせたのは。
きょとんとした表情のちなつちゃんだった。

ちなつ「……な、なにやってるんですか」

京子が「結衣のやつが」と文句を言い始めるのを口に手を当てて阻みながら、
私は苦笑して「なにも」と答えた。

結衣「……えっと、遅くなってごめんね?」

ちなつちゃんは一瞬何か言いたそうな顔をしたあと、すぐに首を振って
笑ってくれた。

ちなつ「結衣先輩が来てくれただけで嬉しいですっ」

その笑顔を見て、私はようやくほっとした。


7 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:39:55.71 ID:EN9JwbNT0

―――――
 ―――――

その日はそれ以上なにも変わったことなんてなくって、いつものとおりの部活
(というかただの遊び)が始まって。ちなつちゃんも変わった様子はなく、けれど
私はちなつちゃんの小刻みに震えた背中が忘れられなかった。

結衣「……」

ちなつ「……」

結衣「……」

ちなつ「……あのっ、結衣先輩っ?」

だから次の日からも、ついちなつちゃんの顔をじっと観察してしまっていた。
ちなつちゃんが少し赤くなって「どうしたんですか?」と慌てるのを、私は
「いやなんでも……」と同じく慌てながら目を逸らした。

あかり「えへへ、結衣ちゃんさっきからちなつちゃんのほう見てばっかりだよぉ」

ちなつ「キャー、やっぱりそう!?」

京子「結衣にちなつちゃんは渡さんぞ!」

結衣「何言ってんだよ」

とりあえず京子に突っ込みながら、私はお茶に手を伸ばした。
ちなつちゃんの淹れてくれたお茶はすっかりぬるくなってしまっていた。

あかり「京子ちゃん、あかりは?」

京子「あかりはどうでもいい!」

あかり「そんなっ!?」


8 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:43:44.93 ID:EN9JwbNT0

ぼんやりそんな声を聞きつつ、ぬるいお茶に口をつける。
今日は少し、いつもより苦い気がした。
それでもごくんとそれを身体に流し込むと、私はコップ越しにまた、ちなつちゃんの
横顔をじっと見詰めて。

結衣「……」

変わったことはない、たぶん。
ただ、時々ふとした瞬間に見える翳りがどうしても気になってしまった。
たとえば京子が私になにか言ってきたときとか、京子がちなつちゃんに何かしている
ときとか。

結衣「……ん?」

ってことは、ちなつちゃんが泣いていたのは京子のせいってこと?
私はわからなくなってぐびっとお茶を飲み干して首を傾げた。


9 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:46:31.34 ID:EN9JwbNT0

――――― ――

帰り道。
後ろを歩く一年生組を気にしながら、私はこそっと京子に話しかけた。

京子「うん?」

結衣「だから、お前、ちなつちゃんになんかした?」

京子「うん、してるよ!」

えっ、と言いかけてすぐに思い直す。
確かに京子はちなつちゃんに毎回なにかしているわけだし。

結衣「……じゃなくて、ちなつちゃんを、泣かせるようなことっていうか」

今度は京子が「えっ」という番だった。
「はあ?」というように首を捻る京子。

京子「いくら私でも大事なちなつちゃんを泣かせるわけなんてない!」

結衣「……うん、そうだよな」

本当に、そうなのだ。
京子は人に迷惑をかけてばかりだけど、誰かを泣かせるなんてことはするわけないし、
京子ができるはずなんてない。

ちなつ「先輩、私がどうかしました?」

声が大きかったのか、ちなつちゃんが後ろから不思議そうに声をかけてきて
私は慌てて「なんでもない!」と答え返して、京子の手を引いて少しだけ足早に
なった。

京子「えっ、なに?ちなつちゃん泣いてたの?」

結衣「いや……」


10 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:48:42.66 ID:EN9JwbNT0

私はこの期に及んでも、京子に本当のことを言えなかった。
京子は「なんだよー」と突いてくるけれど、それ以上なにかを聞いて来ようとは
しなかった。無理矢理聞いてくるような奴じゃなくて良かったとこういうときになって
思う。

だからそんな京子に、私はぽつりと訊ねてみた。

結衣「もし、泣いてたとしたら京子ならどうする?」

京子「笑わせる」

結衣「即行だな」

京子「ちょっとかっこよくない?」

結衣「……まあ」

笑わせる、か。
あの時逃げてしまったこともあって、京子の言ったことなのに、
その言葉はずしりと重く聞こえてしまった。


11 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:49:22.60 ID:EN9JwbNT0

―――――
 ―――――

結衣「……んー」

その夜、私は薄暗い部屋でテレビを垂れ流しながら、クッションを胸に抱えて
ごろりと後ろに倒れこんだ。
カーペットの上だとしても、床だから少し頭が痛い。

こういうとき、ごらく部の部室はいいよなあ、なんて思ってしまう。
畳は過ごしやすいのだ。

そんなことよりも。

結衣「……」

テレビから聞こえる笑い声をBGMに、私はちなつちゃんのことを考えていた。
泣いているところを見てしまったからには、やっぱりそのままにしておくわけには
いかないと思ったのだ。先輩としても、同じ部活の仲間としても。

今さらかもしれないし、あの時なにかあっただけであの後すぐにあかりが行っているはず
だから解決してるかもしれないけど。
時々見える翳りだって、もしかするとまだなにかあるのかもしれないわけで。

私なんかが、なにかできるかはわからないけど、それでもやっぱり
考えずにはいられない。

昔から、誰かの涙には弱いのだ。
京子のやつも、あかりのやつも小さい頃はすぐに泣いちゃって。

私がずっと二人のお守り。
ちなつちゃんのことも、何からかはわからないけど守ってあげなきゃ。

結衣「……」

とは思いつつ、逃げちゃったものだから本人を前にしては聞きにくい。
突然「どうして泣いてたの」と訊ねるわけにもいかないし。
そんなふうに思考がぐちゃぐちゃになって、私はテレビも消さずに目を閉じた。

ちなつちゃんの背中が、ずっと目蓋の裏に映ったまま。


12 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:49:50.06 ID:EN9JwbNT0


翌日の放課後、まるで図ったかのように部室にはちなつちゃんしかいなかった。
ドアを開きかけて思わず止めてしまったのは、またちなつちゃんの後姿が
見えたから。

けれど今日は、泣いているわけではないみたいだった。

結衣「……」

そっと部室に入ると、ちなつちゃんは小さく身動ぎ。
眠っているみたいだった。

私は今朝あかりに聞いた話を思い出しながら、ちなつちゃんの隣に腰を下ろす。

あかり『え、ちなつちゃん?』

京子にちなつちゃんを任せながら、私はあかりにこっそり訊ねていた。
最近、元気なかったりとかするかな。
するとあかりは「うーん」と首を傾げたのだ。

あかり『そんなことはないと思うけどなぁ』

ちなつちゃんはいつも通りだよ、とあかりは確かにそう言って。
あかりは嘘をつけるような子ではないし、第一ちなつちゃんが元気ないみたいなのなら
すぐに私達に言ってくるだろう。

うん、そうだよねと私は苦笑して。
代わりに、「それなら」と言った。


13 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:51:47.90 ID:EN9JwbNT0

それならちなつちゃんが元気ないとすれば、どんなことをしてあげるのが一番かな。

あかり『……えーっとね』

きょとんとしながらもあかりは、「なんでも」と答えた。
問い返すと、今度はいつものあかりの笑顔で。

あかり『結衣ちゃんのすることなら、ちなつちゃんはきっとなんでも嬉しいだろうし
    どんなことでも元気になると思うなぁ』

――なんでも、ね。

結衣「……はあ」

私は溜息をついて、机に頬杖。
なんでもと言われたって、具体的にどんなことをすればいいのかわからない。
あかりもちなつちゃんはいつも通りだといっていたから、どうして泣いていたのかも
聞けなかったし。

ちなつちゃんのことは気になりながらも、中々前へ進めない自分がひどく
もどかしかった。泣いていた理由もわからないのにちなつちゃんを元気にできるわけ
なんてないわけで。

私って案外へたれなのかもな、なんてことを思いながら。


14 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:52:20.67 ID:EN9JwbNT0

ちなつ「……えへへ、結衣先輩」

びくっとした。
突然名前を呼ばれて、ちなつちゃんが起きてるのかと思ったけれど、
覗き込んだ横顔はちゃんと眠っている。

結衣「……なんだ」

ほっと安堵の息をつきながらも、どんな夢見てるんだろうなあ、と考える。
私の名前を呼ぶってことは、私のことを見てくれているのだろうか。
少し、嬉しくなる。

最初は茶道部志望で、無理矢理京子に入らされたこのごらく部に今でも律儀に
居続けてくれているちなつちゃん。
ちょっと黒いところもある気がするけれど、本当にいい子だと思う。

私と京子、そしてあかりの幼馴染三人しかいなかったこの部活に、ちなつちゃんが
入ってきてくれて本当に良かったと思うし、最初は少し浮き気味かななんて思っても
いたけれど、今となっては手の掛かる可愛い妹が増えた感じだ。

そんなちなつちゃんだけど。
やっぱり私はまだまだちなつちゃんのことをわかっていないんだなとも思って。


15 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:53:19.47 ID:EN9JwbNT0

結衣「……もふもふ」

ちなつちゃんの柔らかい髪に埋もれる、そっと伸ばした手。
あたたかいし、気持ちいい。
ちなつちゃんの温かさだな、なんて柄にもないことを思って赤面したくなる。

結衣「……」

ちなつ「……ふふっ」

気持ち良さそうなちなつちゃんの寝顔に、
けれどそんなことまでどうでもよくなってきてしまった。

少しあどけないくらいの子供っぽい横顔。
こんな顔を見るのも、今までなかったような気がする。

ふと、ちなつちゃんはどんな顔をして泣いていたんだろうと思った。
背中しか見えなかった、あの時。
もちろん、見たかったわけではないけれど。

ちなつちゃんの頭をゆっくりと撫でながら、私は首をふるふると振って。


16 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:55:00.23 ID:EN9JwbNT0

なに考えてんだろ、自分。

ぼんやりそう思った。
いつのまにか、ちなつちゃんの寝顔を見詰めていると自分まで眠くなってきてしまい、
うとうとと頭が傾き始める。

やばいかな。
ちょうどそう思った時「結衣先輩……?」と寝ぼけたちなつちゃんの声が
聞こえ、眠かった頭が一気に覚めた。

結衣「あ、ちなつちゃん……!」

慌ててちなつちゃんの頭に置いていた自分の手を引っ込めた。
ちなつちゃんは気付いていなかったのか、こしこしと目を擦りながら「なにか
しましたか?」と。

結衣「いや、なにも」

私は苦笑して、微妙に熱くなった手をそっと背後に隠した。
見えていたってなんの問題もないわけだけど。

ちなつ「そうですか?」

結衣「うん」

ちなつ「……そっかあ」

身体を起こして、ちなつちゃんは少し残念そうにそう言った。
一瞬、その表情に落ちた影に、ドキッとした。


17 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:58:11.27 ID:EN9JwbNT0

ちなつ「えへへ……すみません、寝ちゃってて」

それからすぐに、ちなつちゃんは恥ずかしそうにはにかんで。
私は「ううん」と首を振りながらそっとちなつちゃんから目を逸らした。

『結衣ちゃんのすることなら、ちなつちゃんはきっとなんでも嬉しいだろうし
 どんなことでも元気になると思うなぁ』

あかりの言葉を思い出す。
私は迷いながらも、ちなつちゃんと目を合わせないようにしながら「ちなつちゃん」と
名前を呼んでみた。

ちなつ「へっ!?」

結衣「えっ」

ちなつ「ななな、なんですか結衣先輩!?」

あまりにもいきなりだったからだろう、ちなつちゃんは噛み噛みになりながら
私を見詰めてきた。

結衣「う、うん……」

ちなつ「あ、お茶ですか?それなら私、すぐに――」

結衣「いや、そうじゃなくって!」


18 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:58:45.07 ID:EN9JwbNT0

慌てたように立ち上がったちなつちゃんの手を掴んで、引きとめた。
見上げたちなつちゃんは、困惑したように私を見返してくる。
その視線を、今度ははっきり受け止めて私は言った。

結衣「私になにかしてほしいこととかある、かな」

ちなつ「……結衣先輩に、してほしいこと……ですか?」

うん、と私は真剣な顔をして頷いた。
ちなつちゃんは「そんなの、そんなのそんなのそんなの……!」と今にも叫びだしそうな
くらいぱたぱたとして――脱力したようにその場に座り込んだ。


19 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 22:59:21.00 ID:EN9JwbNT0

結衣「ちょっ、ちなつちゃん!?」

ちなつ「……そ、そんなのたくさんありすぎて」

あぁ、たくさんあるんじゃなくってその……!
ちなつちゃんは「もう私ったらなに言ってるのよ」と頭をふるふる縦に横に振って。
それからぺたんと座り込んだまま。

ちなつ「私、結衣先輩と一緒にいられるだけで、その……」

時々ちらちらと私に視線を向けながら、今にも沸騰しそうなくらい真っ赤になった
ちなつちゃんが小さな声でそう言った。

ちなつ「……だから、これからも一緒にいて、ほしいなあ、なんて」

ちなつちゃんの様子を見ているうちに、私まで落ち着かなくなってきてしまった。
熱くなってきた頬をなんとか冷めさせる方法はないかと考えあぐねながら、
私は「そんなの当たり前だろ」と。

少しだけ、言葉遣いが荒々しくなってしまったかもしれない。
ちなつちゃんの「えっ……」という小さな声。

結衣「いや、だから……一緒にいられない理由なんてないんだし」

ちなつ「……先輩」

結衣「だからね、私、その他にちなつちゃんにしてあげられること、ない?」


20 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 23:00:38.56 ID:EN9JwbNT0

ちなつちゃんはじっと私を見たまま、固まってしまった。
言い方がまずかっただろうか、そう考えていると、ふいに再起動したちなつちゃんが
「そ、それじゃあ!」と。

結衣「うん、なに?」

ちなつ「今だけで、いいんですけど……」

――ちなつ、って呼んでくれませんか?

ちなつちゃんは、不安そうな瞳で私を見上げてきて。
そんな目で見られて、断れるはずなんてなかった。
第一自分がちなつちゃんのためになにかしたいと言ったのだから。

結衣「……ほんとに、そんなことでいいの?」

そんなことで、ちなつちゃんが元気になるとは思わないけど。
それでもちなつちゃんがこくんと頷いた。
私はかりかりと頬をかいて、ちなつちゃんの不安そうな瞳から視線を逸らした。

結衣「……ちな、つ」


21 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 23:01:23.13 ID:EN9JwbNT0

正直なことを言えば、いきなり呼び方を変えるなんてこと、照れ臭くって
しかたがない。
せっかく冷め始めていた熱がまたぶり返してくるのがわかった。

結衣「……」

ちなつ「……」

結衣「……ちなつちゃん?」

中々反応のないちなつちゃんのほうを見ると、ちなつちゃんは放心状態のように
ただ一心に私を見ていた。

真正面からそんなふうに見られると、恥ずかしいどころじゃない。
「ちなつちゃん、あの……」ともう一度声をかけると、ちなつちゃんはようやく
はっとしたようにこちらへ戻ってきた。

ちなつ「す、すみません私……!」

結衣「いや、いいけど……」

とりあえず視線を逸らされてほっとする。
本当にこんなことでいいのだろうか。ちなつちゃんがこれで元気になってくれるのなら、
いくらでも呼べる気がするけど。


22 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 23:02:08.67 ID:EN9JwbNT0

ちなつ「私、びっくりしちゃってつい……」

結衣「びっくりって、ちなつちゃんが呼んでほしいって言ったのに」

ちなつ「そ、そうなんですけど……」

あたふたとしながら私になにかを伝えてこようとするちなつちゃんが、
すごく可愛く見えた。
「嬉しかったかな……?」と訊ねてみると、ちなつちゃんは「それこそ当たり前です!」と。

ちなつ「う、嬉しくて、ほんとに……!」

結衣「……ち、ちなつちゃん!?」

今度は私が驚く番だった。
思わず膝を立てると、ちなつちゃんは自分でもきょとんとした顔で。

ちなつ「や、やだ私ったら……!すみません……!」

私が慌てる訳に気付いたのか、ちなつちゃんは俯いて目許を拭った。
それでも止まらないのか、ぽたぽたとちなつちゃんの膝に涙が零れ落ちる。
どうしてちなつちゃんが泣いているのかわからなくて、だから私は。

ちなつ「……ゆいせんぱい?」

ちなつちゃんが、はっとしたように息を呑んだのがわかった。
私は照れや戸惑いを押し殺して、ちなつちゃんをぎゅっとする。


23 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 23:03:23.16 ID:EN9JwbNT0

お願いだから、泣かないで。
声にできない言葉の代わりに。

結衣「……ちなつちゃん、どうしたの?私に言えないようなこと?」

ちなつ「へ……?」

結衣「教えて欲しいんだ、ちなつちゃんが泣いちゃう理由」

お互いの顔は見えない。
今、ちなつちゃんがどんな顔をしているかもわからないし、私がどんな顔をしているかも
わかるはずない。

私ね、前にちなつちゃんが泣いてるとこ、見ちゃったんだ。
だから、正直に私はそう言った。それからそっとちなつちゃんを離すと、
今度はきちんと目を合わせた。

結衣「だから、教えてほしい」

私はちなつちゃんの力になりたい。
ちなつちゃんが泣いているなら、私はちなつちゃんの涙を止めてあげたいと思う。
京子やあかりのときみたいに。

ちなつ「……結衣先輩」


24 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 23:04:39.68 ID:EN9JwbNT0

そうしてる間にも、ちなつちゃんの目からはぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。
ああ、もうどうすればいいんだ。
そう思った瞬間。

ちなつ「……好きなんです」

なんの声も出なかった。
ただ、ちなつちゃんは他の誰にでもなく、私にその言葉を言っていることだけは
はっきりとわかって。

ちなつ「結衣先輩のことが、好きなんです」

一度言ってしまったことで吹っ切れてしまったのだろう。
今度は本当に、私のことが好きなのだと、そう言った。
やっと出てくれた声は「えっ」という間抜けなものだった。

結衣「……ちなつちゃん」

ちなつ「私、本気なんです」

潤んだ瞳で怖いくらいに真剣な顔をして私を見詰めてくるちなつちゃんに、
冗談だろと笑い飛ばせるはずもない。


25 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 23:05:13.16 ID:EN9JwbNT0

突然のことに、ただ戸惑うことしかできなくて。
ちなつちゃんの涙が、肩に置いた私の手を伝って畳の上に落ちた。
なんだか生ぬるいのか冷たいのか、わからなかった。

ちなつ「……なんて」

結衣「え?」

ふと、ちなつちゃんは目を伏せて小さく笑った。
なんて、こんなこと言っちゃったらさすがの結衣先輩も引いちゃいますよね。

ちなつ「……結衣先輩が優しくしてくれて、私本当に嬉しかったです!」

結衣「ちなつちゃん……あの」

ちなつ「私、今日はもう帰りますね!」

俯いたままでちなつちゃんはそう言うと、ばっと私から離れて鞄を持つと、
ぺこっと私に頭を下げて部室を飛び出して行った。
ちなつちゃんが頭を下げたとき、また一粒、ちなつちゃんの涙が畳を湿らせたのが見えて。


26 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 23:05:43.90 ID:EN9JwbNT0

ちなつちゃんが泣いていたのは、きっと私のせいだったのだ。
守ってあげなきゃなんて考えてたくせに。
ようやくわかった理由に、私は打ちのめされそうになる。

ちなつちゃんの「結衣先輩のことが、好きなんです」という真剣な声が
何度もリピートされて、今さらになって頭がぼんっと熱くなってきて。

結衣「……」

追いかけられなかった。
追いかけられるはずなんてなかった。
私はただ呆然と、ちなつちゃんが出て行ったほうに背を向けていた。


27 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 23:06:52.53 ID:EN9JwbNT0

―――――
 ―――――

あかり「結衣ちゃん、今日はあんまり元気ないね」

結衣「……えっ」

あかりに声をかけられて、私ははっと顔を上げた。
あかりだけじゃなく、京子も怪訝そうな顔で私を見ている。
あれからすぐに京子とあかりが来て、ちなつちゃんのいないまま、ごらく部の
活動が始まった。

結衣「そ、そんなことないよ」

京子「そうか?最近の結衣、ちょっと変」

結衣「京子には言われたくない」

京子「んなっ!別に私は変じゃないもんねー!」

ね、ちなつちゃん、と京子はいつものように言いかけて、「あっ、いないのか」と。
あかりが「なんだか一人いないだけでも変な感じだよねぇ」と苦笑する。

その言葉通り、たった四人の部活で一人でも欠けると、ただでさえ無駄に広い茶室を
占拠してしまっているのだ、途端に物寂しくなってしまう。
ちなつちゃんが入る前は三人だけだったけれど、ちなつちゃんが入ってからは四人の居場所として
定着してしまっていたから、次第に落ち着かなくなってしまう。

京子「あー、ちなつちゃんのお茶が飲みてー」

あかり「あかり淹れようか?」


28 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 23:07:49.59 ID:EN9JwbNT0

京子「ちなつちゃんがいい!」

あかり「そんなっ!?」

あんまりあかりをいじめんなと京子をどつこうとしたけれど、なんだか今日は
そんなことすらできる気がしなかった。
ちなつちゃんのことがずっと、頭から離れない。

あかり「あっ、そういえば……」

なんだかんだ言いながらも京子のためにお茶を準備するあかりが、ふと気付いたように
私を見た。

あかり「ちなつちゃん、今日先に部室に来てたはずなんだけど……」

結衣「えっ、あ、うん……」

帰っちゃったのかなぁと首を傾げるあかりに、私は曖昧に頷いた。
「一緒に遊びたかったのになぁ」とあかりが頬を膨らませるのを見て、
あかりが私たち以外で誰かに執着するのは珍しいなとぼんやり思った。

結衣「……」

あかりにとっても、もちろん京子にとっても、ちなつちゃんは大切なごらく部の
仲間で友達で後輩で。
私だけが大切に思っているわけじゃないのだ、そんなのわかっていて。

きっと、ちなつちゃんだって。
――『結衣先輩のことが、好きなんです』
ただ、私たちとは違う種類の好意を私に寄せてくれているだけで。


29 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/21(水) 23:08:25.46 ID:EN9JwbNT0

私は、そんなちなつちゃんになにを返せばいいというのだろう。
なにを、返せるのだろう。

京子「あーっ、ちなつちゃんをもふりたい!」

あかり「えへへ、そんなこと言ったらまたちなつちゃんに怒られちゃうよぉ」

賑やかでもなんだか少し足りない気のする会話を聞きながら、
私はあかりの淹れた薄いお茶を、こぼれそうになる溜息を押し込むために
こくんと喉の奥に流し込んだ。


35 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 12:20:51.11 ID:6yvjOkBr0


突然着信が鳴り響いて、私は読んでいた本を思わず投げ出しそうになった。
読んでいたとはいっても内容はまったく頭に入っていなかったから、眺めていただけ
というほうがきっと正しいのだろうけど。

結衣「……ちなつちゃんからだ」

声に出して呟いたのは、騒ぐ心を落ち着かせるためだ。
一件のメール。
いつもちなつちゃんからメールをもらっているはずなのに、告白(だと思っていいだろう)されて
からのメールを見るのは、なんだか色々ときつかった。

内容は、やっぱり今日のことだった。

『件名:放課後のこと』

突然変なこと言っちゃってごめんなさい。
気にしないで下さいね。
あとそれから、しばらく部活には行けないかもです。

変わらない、絵文字がいっぱいのちなつちゃんらしいメール。
それなのになんだか私は怖かった。
怖いというよりも、きっと不安だ。

ちなつちゃんがいなくなってしまうかもしれないという不安が、私をとらえて離さなかった。





36 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 12:23:02.11 ID:6yvjOkBr0

結衣「……」

しばらく部活には行けないかもです。
ごめんなさい、という絵文字つきのその一文だけ、私は何度も何度も読み返した。
今日最後に見たちなつちゃんの涙を思い出す。

私は、なにも言えなかった。
好きですと言われたとき、なにも言ってあげることができなくて。

気まずくないはずなんてないのだ、いくらちなつちゃんでも。
退部という二文字が、私の頭の中でちらつきだす。
そんなはずはないし、京子が許すはずないと思いながらも。

一人、欠けてしまった放課後の茶室。
少し前の風景に戻っただけのはずなのに、随分とよそよそしく思えた。
それがもしかしたら現実になってしまうかもしれないと思うと、怖くて仕方がなかった。

いつのまにか四人でのごらく部が私の生活の一部になってしまっていた。
それくらい、大切だって思えるのに。

一人でも欠けてしまったら、きっともうだめになってしまう。

そうならないために、だったら私は――


37 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 12:24:00.84 ID:6yvjOkBr0

―――――
 ―――――

京子「ちなつちゃん、今日は部活来るかなー」

呑気な声でそう言う京子の隣で、私は「来るよ」と固い声で答えた。
「はあ?」と京子が怪訝そうに断言した私を見る。
私が、来させるから。
声には出さずに、私は自分に言い聞かせるためにも心に言い放って。

昨日の夜、結局メールは返せなかった。
それでもずっと悶々とちなつちゃんのことを考え続けていたのは本当だ。
そして私が出した答え。

結衣「ごめん、ちなつちゃん連れて来るから京子は先に部室行ってて」

茶室の前まで来ると、私はくるりと踵をかえした。
さすがの京子も「ちょっ、結衣!?」と慌てた声を上げる。
そんな京子に自分の鞄を押し付けて、私は一年生の教室の方へ歩き出した。

緊張、しているのかもしれない。
外のひんやりとした空気を胸いっぱい吸い込んでも、今から既に頭が熱かった。
手もすっかり汗ばんでしまっている。

やっぱり私は俗にいうへたれというやつなのだろう。
だとしても、とりあえず言わなきゃいけないことは言わなきゃ。


38 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 12:24:31.06 ID:6yvjOkBr0

ちょうどどのクラスも帰りのホームルームが終わったばかりなのだろう、
私は一年生の波に紛れて、ちなつちゃんを探した。

結衣「あっ……」

ここ数日、ずっと頭の中にちなつちゃんの後姿があったから、
見つけることは容易だった。
きっと友達だろう、数人の女の子たちに囲まれているちなつちゃんの背中。
遠くたって、間違えるはずはない。

部活へ、家へ急ぐ一年生たちをすり抜けて、私はちなつちゃんに近付いた。
一人の女の子が私に気付いたようにちなつちゃんに何かを耳打ちした。
振り返ったちなつちゃんは、驚いたみたいな顔をして。

結衣「ちなつちゃん」

私が名前を呼ぶと、今度はまた、昨日みたいに泣き出しそうな顔をした。


39 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 12:25:04.80 ID:6yvjOkBr0

――――― ―― 

結衣先輩、どうして。
私の数歩後ろを歩きながら、ちなつちゃんが言った。

迎えに来たんだ。
そう答えると、ちなつちゃんは「へ?」と声を上げて立ち止まった。
ようやく自分が茶室へ向かっていたことに気付いたのだろう。

ちなつ「……結衣先輩」

結衣「ちなつちゃん、あのさ」

私は立ち止まったちなつちゃんと向き合って。
ちなつちゃんが、逃げ出そうとしたのか一歩後ろに退がったのを、無防備な手を
掴んで引き止めた。

ちなつ「な、なんですか」

掴んだ手から、一瞬ちなつちゃんが驚いたように震えたのが伝わってきた。
そんなにびっくりさせるつもりはなかったのにと苦笑したのも、きっと
私自身を落ち着かせるためだ。

結衣「私のこと、好きだって言ってくれただろ?」

ちなつ「……い、言いましたけど」

結衣「本気だって、言ってくれたよね?」

だんだんと、こくんと頷いたちなつちゃんの頬が赤く染まっていく。
自分だって、鏡を見なくてもそうだということはわかっている。


40 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 12:25:45.70 ID:6yvjOkBr0

結衣「だったらさ」

私はそれでも言った。
ちなつちゃんが、はっとしたように私を見る。

だったら。
私たち、付き合おうか。

ちなつちゃんが、これからもなんの気負いもなしにごらく部にいられること。
あかりも京子も私も、ちなつちゃんがごらく部に来られなくなるのは嫌だから。
私が昨日、出した答えはそれだった。

結衣「付き合おうよ」

ちなつ「……結衣先輩……っ?」

結衣「それで、ちゃんと部活に来て」


41 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 12:26:12.00 ID:6yvjOkBr0

私が言うと、ちなつちゃんは。
赤い顔のまま、こくんと頷いてくれた。
「これから先輩と私、恋人同士なんですね」と笑うその一瞬の間、ちなつちゃんの
表情が翳ったことに私は気付かない振りをして。

結衣「……うん、そうだね」

そう言って微笑みかけて。
ちなつちゃんは、今度こそ本当に、嬉しそうな笑顔を見せてくれた。


42 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 12:26:57.12 ID:6yvjOkBr0

―――――
 ―――――

京子「あ、ちなつちゃん!」

二人で部室に戻ると、京子が待っていたかのように立ち上がった。
それからいつものようにちなつちゃんに抱きつこうとするのを、私はがしっと
止めた。

結衣「ちなつちゃんが嫌がるからやめろ」

京子「ええー、久し振りにちなつちゃんに抱きつけるのにー!」

ちなつ「久し振りって、昨日会わなかっただけじゃないですか」

私の後ろに隠れながら、ちなつちゃんが言う。
いつもより、私の制服の裾を掴むちなつちゃんの力が強いような気がした。

京子「ちぇー別にいいじゃん」

結衣「だめ」

ぐぐぐと京子を押し留めていると、あかりが流しから顔を覗かせた。
「あー、ちなつちゃん!」と嬉しそうに名前を呼ぶ。
ちなつちゃんは、あかりがお茶を持っているのを見ると、「私やるよ!」と
駆け寄っていった。

それをほっとして見送って、京子の頭から手を離した。
京子もようやく楽に息が出来るようになったのだろう、大きく息を吐いて。


43 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 12:27:38.97 ID:6yvjOkBr0

京子「まさかほんとに来るとは思わなかった、ちなつちゃん」

ぼそりと呟いた。
「え?」と聞き返すと、京子はちなつちゃんに触れられなくて手持ち無沙汰に
なったのであろう手をぶらぶらさせながら「だってさー」と言った。

京子「あかりが結衣たち来る前に、今日はずっとちなつちゃんの様子が変だったって
   言ってたから。何かあったのかなって思って」

そっとあかりたちの消えた流しのほうに目をやった。
なにやら賑やかな音と声が聞こえてくる。
「なんでもないよ」と私は言った。

京子「結衣の話してないんだけど……」

結衣「私がなんでもないって言うんだからなんでもない」

なんだそれと言うように京子が頬を膨らませる。
なんでもないんだ、と私はもう一度心の中で呟いた。
ただ、私とちなつちゃんが付き合い始めただけで。

今日はずっとちなつちゃんの様子が変だったって。
その言葉に少しだけ、ずしりと心が重くなったけれど。


44 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 12:28:04.48 ID:6yvjOkBr0

――――― ――

その夜届いたメール。
『件名:Re:
 本文:先輩に付き合おうよと言われたとき、嬉しくて死ぬかと思いました。
    本当に嬉しくてしかたなかったです!キャー!
    これからもよろしくおねがいしますね♪大好きです!       』

私はうん、と一言だけ返そうとして。
これはメールなのだと気付いた。頭の中で思い切りちなつちゃんの声で再生されて
しまっていたから、思わず「うん」と声に出していた自分に苦笑する。

一人暮らしでよかったな。
そんなことを思いながら、私は返信した。

『件名:こちらこそよろしく
 本文:昨日は何も言えずにいてごめんね。
    ちなつちゃんの気持ち嬉しかったよ。』




45 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 12:28:56.73 ID:6yvjOkBr0


家を出ると、ちなつちゃんがいた。
翌朝のことだった。

結衣「え、ちなつちゃん?」

ちなつ「えへへ、来ちゃいました」

私の反応に嬉しそうにはにかみながら、ちなつちゃんが腕にぎゅっと抱きついてきた。
ちなつちゃんとこんなふうになる前からもよくされていたけれど、その前でも
ちなつちゃんが私のことを好きだと思ってこうしてくれていたのなら、私は随分と
ひどかったんだなと少し落ち込みそうになってしまった。

今度こそ、ちなつちゃんを泣かせないようにしなきゃ。
心の中で私ははっきりそう自分に刻み付けた。


46 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 12:29:37.73 ID:6yvjOkBr0

結衣「いつもの待ち合わせ場所で待ってれば良かったのに」

ちなつ「少しでも結衣先輩と二人きりになりたいんですっ」

結衣「そ、そっか……」

これまではこんな言葉も本気には捉えていなかったけれど、今こうしてはっきり
言われてみると、私はこんなにも真直ぐ好意を寄せられていたんだなあと思う。
そしてそう思うと、なんだかすごくこそばくて、照れ臭くなってしまった。

ちなつ「朝からこんなふうに結衣先輩に抱きつけるなんて、すっごく幸せです」

結衣「うん……」

ちなつ「結衣先輩は」

ふと、ちなつちゃんがそう言って立ち止まった。
私は家の鍵を閉めながら、「え?」とちなつちゃんを見た。
ちなつちゃんは私を見上げるわけでもなく、むしろ私からの視線を避けるかのように
俯いていた。

結衣「私が、なに?」

ちなつ「……」

結衣「……ちなつちゃん?」

しばらくの間、お互いの呼吸を探るかのような沈黙。
それから立ち止まったときと同じようにふと、ちなつちゃんは顔を上げて
「すみません」と笑った。


47 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 12:30:06.88 ID:6yvjOkBr0

ちなつ「やっぱり、なんでもないです」

そう言って、私の腕に絡めた腕の力をこれでもかっていうくらい強くして、
「行きましょう」と元気に歩き始める。
半ば引っ張られる形になりながらも、私は「そんなに強くしなくても離れないよ」
そう言おうとして。

言えなかった。



50 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 22:13:11.73 ID:MPNLDAnI0

―――――
 ―――――
どうやら私は、またちなつちゃんを泣かせてしまったらしい。
「らしい」というか、実際そうなのだけど。

結衣「……」

京子「おーい、結衣さーん?」

結衣「うっさい」

軽く頭を叩くと、ごふっとわざとらしく私の机に倒れこんできた京子が、
倒れこんだまま恨めしそうな顔をして私の顔を覗きこんできた。
京子は本当に、お節介というかなんというか。

今朝のちなつちゃんのことを思い出す。
いつもの待ち合わせ場所に着く前には、もうすっかり普段のちなつちゃんに
戻っていたけれど、確かにちなつちゃんの横顔は泣いているように見えた。
もしかしたら、私がちなつちゃんの一挙一動に敏感になりすぎているだけなのかも
知れないけれど。

泣かせないと決めたはずなのに、やっぱり朝の私の反応がまずかったのだろうか。
もう溜息さえ出てこない。
ちなつちゃんを泣かせないために、私はどうすればいいんだ。


51 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 22:40:45.72 ID:MPNLDAnI0


ちなつ「結衣先輩」

放課後、ごらく部がいつものように何事もなく活動を終了した直後、
控えめなちなつちゃんの声がして私は「うん?」と振り向いた。
それからすぐに、「どうしたの」と出来るだけ優しい声になるよう気をつけて、
私は訊ねなおした。

ちなつ「あ、はい……」

京子たちはまだテーブルの周りでぐだぐだしている。
ちなつちゃんは、流しの前に立つ私の隣に立つと、「今度の日曜日、どこか行きませんか」

結衣「え?」

ちなつ「……先輩と、デートしたいです」

思いつめたような声に聞こえた。
そっとちなつちゃんの様子を伺うと、ちなつちゃんは俯きながらじっと、冷たい水の
溢れ出す蛇口を見詰めていた。


52 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 22:41:11.74 ID:MPNLDAnI0

結衣「で、でーと?」

いやまあそういう言い方になるんだろうけど。
ちなつちゃんが、「だめですか?」というように顔を上げて私を見た。
少しドキッとした。大丈夫、ちなつちゃんは泣いてない。

ちなつ「結衣先輩と恋人らしいこと、したいんです」

ちなつちゃんの瞳は、希望というよりも不安に揺らいでいた。
恋人らしいことの、その意味も考えずに私はこくんと頷いた。
「しよう、デート」
これが今の私にできる精一杯だ。


53 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/22(木) 22:41:40.81 ID:MPNLDAnI0

―――――
 ―――――

結衣「どこに行きたい?」

ちなつ「結衣先輩はどこがいいですか?」

結衣「私はどこでもいいよ」

日曜日。
可愛い服に身を包んだちなつちゃんが、うきうきしたように「それじゃあ!」と言った。
私たち中学生でも、少し無理をすれば十分に行ける範囲の、すっかり廃れ始めた遊園地。
ちなつちゃんはそこに行きたいと言った。

今日は少し混んでるかも。
そうは思ったけれど、ちなつちゃんのいる手前、そんなことを言い出すのもよくないと
思って「わかった」と頷いた。
お金ならなんとかなるはずだし、ちなつちゃんを楽しませてあげたい。


56 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/23(金) 21:12:34.21 ID:bBZmje+L0

ちなつ「いいんですか!?」

もしかすると、ダメ元で言っただけなのかもしれない。
だとしても、少しでもいいとこを見せなきゃ。
私は「いいよ、行こう」ともう一度。

ちなつ「わあ……!一度好きな人と二人で行ってみたかったんです!」

結衣「……そっか」

好きな人という言葉に、少しだけ痛みが混じった。
乗っていたバスを降りて、遊園地行きのものに乗り換える。
予想通り、いくら廃れ始めたとはいっても日曜日だから、それなりに
人の数はあった。親子連れだったり家族の波に揉まれて、正直車酔いしそうになる。


57 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/23(金) 21:56:58.83 ID:bBZmje+L0

結衣「ちなつちゃん、だいじょう……」

言いかけて、突然身体が傾いた。少し前に立っていたちなつちゃんの身体も、
私のほうへ倒れこんでくる。
慌てて踏ん張って、ちなつちゃんの身体を受け止めた。

ちなつ「は、はい……」

前の車が急停止したらしい。バスの中が少しだけ騒然とするが、
すぐに元通りの雰囲気になる。
ただ、私たちだけはそうもいかなかった。

ちなつ「……」

結衣「……」

こんなこと、別に大したことじゃないのに。
私のほうに倒れ掛かってきたちなつちゃんの身体をなんとなく離せなくて、
ちなつちゃんも恥ずかしそうに俯いたまま、そのまま。


62 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/28(水) 00:19:42.00 ID:KqNWs9d70

ちなつちゃんの好きだっていう言葉を意識しすぎているのだ。
あんなふうに、誰かに気持ちをぶつけられることなんてめったになかったのだから。

結衣「……大丈夫?」

やっとのことで搾り出した声に、ちなつちゃんはハッと顔を上げた。さっきも同じようなことを
聞いたはずなのに、頭がまわらないから気の利いた言葉もかけられない。
大丈夫です、と答えたちなつちゃんの声も、いつものちなつちゃんからは考えられないくらい
か細いものだった。

結衣「そっか、良かった」

ちなつ「すみません、結衣先輩に掴まっちゃって」

ようやくの会話が私たちを冷静にしてくれたのか、私たちの間に
それ相応の距離ができる。
これまでの私たちの関係にふさわしい、距離。

ただ、今の私たちはこれまでの私たちではなくて。


63 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/28(水) 00:20:22.17 ID:KqNWs9d70

恋人らしいこと、というちなつちゃんの言葉をふと思い出した。
この距離はそれ相応の、と言えるのだろうか。
私にはよくわからないけれど。
ちなつちゃんの表情を見れば、なんとなく違うんだろうなとは思う。

恋人らしいことって、たとえばどんなだろう。
今さらになって、考える。

『まもなく、七森遊園地に――』

車内アナウンスが聞こえて、人でいっぱいのバスが、今度はゆっくりと
小刻みに揺れながら停車した。
立ったままだったこともあって、早く着いてほしいと思っていたから
「あ、着いたみたいだね」と言った私の声は弾んでいたのかもしれない。
ちなつちゃんは少し意外そうな顔をしたものの、「私、だんだんわくわくしてきました……!」と
ぱあっと顔を輝かせた。


64 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/28(水) 00:21:07.99 ID:KqNWs9d70

結衣「ちなつちゃん、来るの初めてなのかな」

ちなつ「いえ、昔はよく来たんですけど……」

結衣「今はあんまり?」

ちなつ「だって、ここって結構子供っぽいじゃないですか」

バスを降りる人の流れに身を任せ、私たちも外へ出る。
子供っぽい?と訊ね返すと、ちなつちゃんはバスを飛び降りて、
私を振り返った。

ちなつ「子供っぽくないですか?乗り物とかもぜんぶ」

まあ、それはそうかもしれないけど。
確かにちなつちゃんの言う通り、この辺りを少し出たところにある大型テーマパークに
比べたら面積も小さいし、なにより子供だましのアトラクションばかりだ。
廃れ始めているのもそのせいで、私たちよりうんと小さい子なんかは喜んでくるだろうが、
小学校の高学年になればみんなここよりも大型テーマパークに行きたいと言うに決まっている。



65 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/28(水) 00:22:15.61 ID:KqNWs9d70

ちなつ「あの乗り物だって外から塗装してあるの見え見えだし、あれだって」

結衣「ちなつちゃん、それを平気で言っちゃうのはどうかと思うよ……」

一応、周りには夢の国だと信じて疑わない無垢な子供だっているんだし。
「よっ」と駐車場の砂利道に足をつけ、私は苦笑する。

ちなつちゃんは、少し遠くのほうに見える入口と、その向こうにある乗り物を
指差しながら、「でも」と。
上がっていた腕が、力なく下ろされた。

ちなつ「でも、そういうのって嫌いじゃないです」

だって、嘘の世界で、ちゃんとそれもわかるんだけど一生懸命な感じがして許しちゃえるじゃないですか。
ちなつちゃんはそう言って。
そんなふうには考えたことなかったし考えることもなかったから、そんなちなつちゃんの横顔が
大人びて見えた。



66 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/28(水) 00:23:07.05 ID:KqNWs9d70


ちなつ「結衣先輩、次あれいきましょう、あれ!」

結衣「え、ちょっと待って……」

中へ入ってからのちなつちゃんのはしゃぎっぷりは凄かった。
あっちへ行ったりこっちへ行ったり、さっきの大人びた雰囲気とはうって変わって歳相応の顔を見せる。
楽しそうなちなつちゃんに手を引かれながら、ほんとにころころ表情変わるよなあと思う。
京子やあかりもそうなんだけど、ちなつちゃんも。もしかしたらあの二人以上かもしれない。
だからなのだろうか、どうしても、ちなつちゃんから目が離せない。
ここ最近はずっとそうだったわけだが、今はなんというか、泣きそうな顔を探しているわけではなくて。
単純に、ちなつちゃんの色々な表情が見たくて。

結衣「あれって、お化け屋敷……?」

ちなつ「はいっ」

結衣「ちなつちゃん、怖いのだめなんじゃなかったっけ?」

全力で頷いたちなつちゃんに問うたものの、ちなつちゃんは「結衣先輩がいるなら大丈夫です!」の
一点張り。

ちなつ「心配しすぎですよー」

と嬉しそうにちなつちゃんが言うのは私にとっても嬉しいから、ちなつちゃんの心配というより
自分の身を案じていることなんて言えるはずもない。
(ちなつちゃんの怖がり様はホラー映画やお化け屋敷なんかよりも遥かに怖いと思う)


67 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/28(水) 00:23:46.00 ID:KqNWs9d70

小さい子にも人気なようで、この遊園地には珍しくある程度の列があった。
その列を並んで、私たちは中へ入る。
ちなつちゃんが早速というように私の片腕に抱きついてきた。
うっ、痛くない痛くない――

さすがに小さい子が多いからか、中の造りはそこまで本格的なお化け屋敷ではない。
されどお化け屋敷。あっちからこっちから叫び声やら泣き声が聞こえてきて、ちなつちゃんがその度
びくっとするのが伝わってくる。

ちなつ「こ、こ、怖くなんか、全然、ないですね……!」

結衣「……そうかな」

言葉とは裏腹に、ちなつちゃんの声はがたがたに震えてるんだけど。
まだ入口付近。不気味な声や生ぬるい風がくるだけで、私はなんともないものの、
ちなつちゃんには少し厳しいのかも。

しかし入ってしまったからには引き返すわけにもいかなくて。
ちなつちゃん自身が嫌がるだろうし。

ほら、さっさと歩いてさっさと出ちゃおう――

そう言い掛けて。
目の前に血だらけの女の顔が。


68 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/28(水) 00:24:29.36 ID:KqNWs9d70

声にならない悲鳴。
いや、私は少し出てしまったかもしれない。何も声が出ずに、息を呑んだのはきっとちなつちゃんだ。
ちなつちゃんはぱっと私の腕を離すと、目の前のお化け役の人を蹴散らして一目散に逃げ出した。

結衣「ちょっ!?」

ちなつちゃんがお化け屋敷を一人で出られるはずなんてない。
それに暗闇で走ったら危険だ。頭の中、冷静にちなつちゃんを追いかける理由を並べ立てながらも、
私の身体はそれより先にちなつちゃんを追っていた。
あかりや京子がいないからかもしれないけど、いつもなら少し考える暇を作ってしまうのに。

ごめんなさい、とちなつちゃんに一蹴されてきょとんと座り込んだお化けの人に頭を下げ、
ちなつちゃんを追う。
けれど他のお客さんもいて、脅かしてくるお化けもいるからそう簡単には追いつけなかった。

ちなつちゃん、どうやって潜り抜けたんだろうと思うくらいのゾーン(たぶんこのお化け屋敷の山場だろう)を
くぐりぬけて、一息吐いたとき。
ふと顔を上げて、ぎょっとした。お化け屋敷のセットの隅に、震える背中。暗い中、一瞬驚いてしまったが
それでもすぐにちなつちゃんだと気付いた。

結衣「……やっと見つけた」

こんなに時間がかかるとは思わなかった。
外から見れば、そこまで大きいお化け屋敷には思えなかったのに。
私の声に気付いたちなつちゃんが、「ゆいせんぱい……?」とそっと私を振り返った。



69 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/28(水) 00:25:07.94 ID:KqNWs9d70

結衣「怖かった?」

ちなつ「……す、すごく」

手を差し出しながら訊ねると、ちなつちゃんはそう気まずそうに目を伏せた。
さすがに大丈夫だと言いながら、あの勢いで一人逃げたことを気にしているのだろう。
背後を親子連れが通って、それでもまだ目を伏せ耳を軽く塞いだままのちなつちゃんに、
私は「ほら、出よう」ともう一度声をかけた。

ちなつ「……うぅ」

だけどまだ迷っているらしいちなつちゃんに、私は自然としかたないなあ、と漏らしていた。
そのまま、ちなつちゃんの手を掴んで引っ張って。
驚いたようなちなつちゃんに、「もう大丈夫だから」

結衣「私から離れないで」

ちなつ「結衣先輩……」



70 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/28(水) 00:25:47.19 ID:KqNWs9d70

って、なに気障なことを。
でもまた離れられると困ってしまうし。
自分の中で言い訳しているうちに、震えていたちなつちゃんの身体が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
そんなちなつちゃんの手を引いて、残りの道を辿っていった。

あとはもうたいした仕掛けもなく、私たちは無事に外に出て。
なんてことはない明るさが眩しかった。

結衣「……はあ、やっと出れた」

ほっと一息。
ちなつちゃんも「良かったです……」と息を吐いて。
それから、顔を見合わせた。繋いだ手。

ぱっと離そうとして。
「このままでいてください」
ちなつちゃんが、真剣な顔で私を見ながらそう言った。

ちなつ「ま、まだ怖いから……」

そんなふうな目をして言われて、断れるはずなんて無い。
少しは恋人らしいこと、できているのかもしれないし。
離しかけた手を、私は握りなおして「うん」と頷いた。気恥ずかしかったけど、
この手が離れなくて少しだけ嬉しかった、というか。



71 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/28(水) 00:26:43.63 ID:KqNWs9d70

いつのまにかもう夕方で、日は沈みかけている。
そろそろ帰らなきゃいけない時間だ。
そんなこと言い出せるはずもないんだけど。
ちらりと時計に向けた視線にちなつちゃんは気付かなかったのか、それとも
気付かない振りをしたのかはわからない。だけど、「結衣先輩、観覧車」と。

結衣「へ?」

ちなつ「私、次は観覧車乗りたいです」

目の前を見上げたちなつちゃんに釣られて、私も観覧車を見上げた。
今日遊園地に着いたときは随分小さいと思っていたけれど実際近くで見てみると
やっぱり大きいものは大きい。

ちなつ「乗りましょう」

結衣「えっ……」

ちなつちゃんは私の返事も聞かず、強い口調でそう言って先に歩き出した。
手は繋がったままだから、自然と足はちなつちゃんの後ろをついていってしまう。
帰りたくないような、このまま帰ってしまいたいような、微妙な気分。



72 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/28(水) 00:27:34.02 ID:KqNWs9d70

夕方だというのに、寒いせいか観覧車に並ぶ列はなかった。
ぽつりぽつりと人が乗っている程度。
他のカップルがいても、ちなつちゃんは繋いだ手を離そうとはしなかった。
むしろ、握る手の力を強くして。

楽しんできてくださいねーという声に見送られて、乗り込んだ観覧車が動き出した。
それまで私たちの周囲を包んでいた喧騒が、高いところへ上がるにつれて消えていってしまう。
うるさかったはずなのに、今はそれが恋しく思えるほど不自然な沈黙の空間が出来上がって。

ちなつ「……」

結衣「……」

二人きり。
デートの定番中の定番、たぶん。
向かい合った椅子に座って、私は必死に考えをめぐらせた。

ちなつちゃんを泣かせてしまった私が、そんなちなつちゃんにできること。
私のことを好きだって言ってくれたちなつちゃんに、できること。
きっとたくさんあって、あるんだけど。



73 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/28(水) 00:28:22.68 ID:KqNWs9d70

ちなつ「……結衣先輩」

今日一日、私に付き合ってくれてありがとうございました。
ぽつり、とちなつちゃんが言った。
観覧車が、ちょうど一番高い部分に来たときだった。

結衣「えっ、うん」

ちなつ「私、ほんとにすごく楽しかったです」

ちなつちゃんの顔が、うまく見られなかった。
なにを言い出すのかまったくわからなかったから。

ちなつ「やっぱり結衣先輩、すごく優しくてかっこよくって」

結衣「……そんなこと」

ちなつ「私、やっぱり大好きなんだなあって思っちゃいました」

夕日に照らされた頬が、よけいに熱くなる。
本気で告白されてるのだとわかっているから、話を逸らすことだって
できなくて。


78 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/29(木) 11:49:36.18 ID:UsJNqY+20

ちなつ「結衣先輩のこと、好きです」

結衣「……うん」

結衣先輩は、私のこと、どう思ってますか?
意外にも静かな声で、ちなつちゃんはそう言った。
答えるべき言葉が見付からず、好きだよ、そう答えようとして。うまく言葉にできないことに
気が付いてしまった。

好きなのに、私だって。
もちろん、ちなつちゃんの好きとはきっと違うのだとはわかっていたけれど。
言葉にしてしまえばいいのだと思っていた。言葉にして伝えてしまえば。

それなのに、声に出せない。

顔を上げて、目が合ったちなつちゃんは、案の定泣いていたから。


79 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/29(木) 11:50:24.84 ID:UsJNqY+20

結衣「……私は」

観覧車は、急降下していくみたいにあっという間に地上へと私たちを
運んでいく。
降りる前に、なにか言わなきゃ。

でも、なにを?
どうすればちなつちゃんを傷付けずに済む?
そもそも、傷付けたくないからこうやって――

自分の考え方に嫌になる。

傷付けたくないから。
ちなつちゃんを、じゃない。きっと私を、だ。
私が傷付きたくないから、ちなつちゃんの泣いている姿を見たくないから。

全部全部、ほんとのところは私自身のためでもあって。

結衣「……っ」

ガタンッ
私たちの乗っていた箱が僅かに揺れ、さっきとは違うスタッフの人が
早く降りるようにと急かすみたいに扉を開けた。


80 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/29(木) 11:51:06.19 ID:UsJNqY+20

ちなつ「結衣先輩、帰りましょう」

すくっと立ち上がったちなつちゃんは、まだ泣いていたけれど。
いつもの調子で私の手を引いて、観覧車を降りた。

ずっと揺れていたから、やっと地上に足がついて少しくらっとした。

結衣「ちなつちゃん……」

手は、すぐに離された。
そして言葉通り、ちなつちゃんは先に立って出口へと進んでいく。
隣には並べないから、私はその後ろを追って。

外に出ると、一気にひんやりした空気が私たちを包んだ。
もう真っ暗だ。
お化け屋敷の暗闇のときとはまた別の恐怖が襲ってくる。

駅まで乗せてくれるバスは、今さっき出て行ったばかりらしく
バス停には誰の姿もなく、そこまでくると、ちなつちゃんはぱっと私を振り向いた。



81 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/29(木) 11:51:40.54 ID:UsJNqY+20

暗闇に慣れた目が、ちなつちゃんの濡れた瞳を映した。
思わず手を伸ばしかけて。
「すみませんでした」
ちなつちゃんの声に、中途半端なまま。

ちなつ「……私、ちゃんとわかってたんです」

結衣先輩が、私のこと好きじゃないってこと。
私が気まずくならないように、付き合おうって言ってくれたこと。

そう言って、ちなつちゃんは笑った。
泣いたまま、きれいな笑顔。

ちなつ「ちょっとの間だけでも、結衣先輩と過ごせて良かったです」


82 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/29(木) 12:00:50.86 ID:UsJNqY+20

―――――
 ―――――
結衣「……」

深夜の1時を過ぎている。
それでも眠れずに、私はごそごそと布団の中で寝返りを打った。

最後のちなつちゃんの声と表情が、頭から離れなかった。
ずっとずっと、頭の中で同じ場面が繰り返される。

笑うちなつちゃん。
立ち尽くす自分に、過ぎてくバス。

結衣「……っ」

自分のどうしようもなさ。
ちなつちゃんへの気持ち。
全てに整理がつかない。


83 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/29(木) 12:01:25.14 ID:UsJNqY+20

「大丈夫です、私ごらく部辞めるつもりありませんから」
別れ際、ちなつちゃんはそう言っていたけれど。

私は、ちなつちゃんのいないごらく部は考えられなかった。
京子やあかりのためにも、私がごらく部を守らなきゃなんてへんなこと。
だから、あの言葉に安堵したことは事実だ。

それならもう、ちなつちゃんと付き合う理由なんてなくて。
ちなつちゃんが私のことを忘れてくれるのなら、ちなつちゃんが泣いてしまう
ことだってなくなるだろう。
そんなずるいことも、考えるのだけど。

今はどうしても、それじゃいけない気がした。

暗い中、私は枕もとの携帯を手にとった。
ぼんやりした光が私の目を刺す。
着信0件。
メールは1件。

まだ開けられない、ちなつちゃんからの。


84 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/29(木) 12:42:56.79 ID:UsJNqY+20

結衣「……」

だけど。
開けなきゃ。

私はすっと息を吸い込んで、吐き出すのと同時にメールを開封。
いつものちなつちゃんのメール。
私たちが、こうなる前に普段からしていたような、そんな内容の。

だけど、メールを打ちながら泣いてたのかもしれない。
ところどころにおかしな誤字。
その姿が目に浮かぶようで。

突然、ちなつちゃんを抱き締めたいような衝動に駆られた。
本当になんてことはない内容なのに。
だからこそ、それが少し悲しくて、寂しくて。

ちなつちゃんのことを思うと、苦しくなってくる。
『……好きなんです』
そう言ったちなつちゃんが、泣いていた理由が少し、わかった気がした。

言葉に出来ない気持ちが、代わりに涙となって現れてしまう。
だけどきっと、私が泣くわけにはいかないから。
こんなにも、ちゃんと想いを示してくれる人がいるのだ。

私がしなきゃいけないのは、きっとそれに応えること。


85 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/29(木) 12:59:33.50 ID:UsJNqY+20


翌朝、目を覚ました私は真っ先に顔を洗って制服に着替え、
朝ごはんもそこそこに家を飛び出した。

待ち合わせ場所。
ちなつちゃんの姿を見つけ、私は止まりそうになる足を必死に前へ
押し出した。

ちなつ「あ……」

結衣「……おはよ」

ちなつ「……おはようございます」

『明日も一番に結衣先輩待ってますから♪』
そう締めくくられていたメールを思い出す。明るい内容とは裏腹に、
ちなつちゃんはもう既に泣き出しそう。


86 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/29(木) 13:00:11.93 ID:UsJNqY+20

ちなつ「結衣先輩、早いですね」

結衣「……うん」

昔から、誰かの涙に弱かった。
あかりでも京子でも、誰かが泣くたびに私は決まって正義面。

だけど。
ちなつちゃんの前じゃ、私はそれもできないらしい。ちなつちゃんを
泣かせることはできても、笑ってはくれない。
だからただ、笑ってほしいと思う。
きっとこれもまた、私自身のためなのかもしれないけれど。

結衣「あのね、ちなつちゃん」

ちなつ「はい?」

きょとんとちなつちゃんが見上げてくる。
その目にはきっと、少しだけ期待が混じっているだろう。
それ以上の不安も、絶対に。


87 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/29(木) 13:00:34.97 ID:UsJNqY+20

結衣「私、まだちなつちゃんのことが好きかどうかはよくわからないんだ」

昨日からずっと、考えていた言葉。
ちなつちゃんが「そう、ですよね」と。
きっと泣くのを必死に堪えながら。

結衣「でも、ちなつちゃんに笑ってほしい」

ちなつ「……え?」

結衣「どうしたら笑ってくれるかはわからないけど、でも私はちなつちゃんの笑顔が見たいよ」

だからもう少し、私の近くにいてくれないかな。

顔を上げたちなつちゃんの瞳から、ぽろっと一粒大きな涙。
それから堰をきったように次々とあふれ出していく。

恋人っていう関係には少し違うかもしれないけど。
それでも、このまま離れてしまうのは、私自身が嫌で、まだぼんやりしているこの気持ちが
なんなのかを確かめてみたい。


88 ◆qvIZyIvV7w 2011/12/29(木) 13:07:37.19 ID:UsJNqY+20

ちなつ「結衣先輩……」

結衣「……って、やっぱり私がいたら泣いちゃうかな」

じっと私を見上げたまま泣いているちなつちゃんに、私はおろおろと。
けれど、ちなつちゃんが首を振ってくれたので少しほっとした。

ちなつ「……結衣先輩が、もう少しだけじゃなくってずっと傍にいてくれるなら」

結衣「……いるよ」

嘘なんかじゃなくって、私だってずっと、ちなつちゃんの近くにいたいと、思うから。
言葉に出来ない気持ちだけど、きっとこれだけは本当。

ちなつ「……」

私の声に、ちなつちゃんは。
ごしごしと涙を拭って、「なら笑います」

得意げな、いつもの笑顔。

終わり


91 SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) 2011/12/29(木) 15:15:10.03 ID:eR4HoLvko


また書いてくれ楽しみにしてる



96 SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) 2011/12/29(木) 22:54:45.16 ID:QoKUaZst0



結衣が自分に向き合ったラストでよかった
次も期待してる



98 SS寄稿募集中 SS速報でコミケ本が出るよ(三日土曜東R24b) 2011/12/30(金) 16:00:40.82 ID:qLxnSB9oo


すごくよかったよ


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