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える「古典部の日常」 7
える「古典部の日常」 7
夏休み前と違うのは朝……家を出ると、千反田が待っている事だ。
それともう一つ、昼は古典部で一緒に弁当を開ける事か。
える「折木さんも、お料理をしてみてはどうでしょうか?」
千反田は突然そう言うと、前に座る俺に視線を向ける。
奉太郎「人にはな、向き不向きがあるんだよ」
える「何事にも取り組んで見るのは、良い事ですよ」
まあ確かに、毎度毎度……姉貴に作って貰うのはあれだが。
奉太郎「……姉貴が外国へ行っている時は、弁当無しだな」
える「ふふ、その時は私が作ります」
奉太郎「本当か?」
える「ええ、勿論です!」
奉太郎「ならそうだな、余計に自分で作る必要は無くなった」
える「……」
俺がそう言うと、千反田は頬を膨らませてこっちを見る。
える「やはりやめました、作りません」
奉太郎「……千反田の料理は美味いんだがなぁ」
える「……そう言われると、作ってあげたくなります」
える「でも、それをすると折木さんは自分で作りませんよね……」
そんな事を言いながら、一人考え込んでいる。
える「何でしょう?」
奉太郎「俺は一人じゃとても作れないから、千反田が教えてくれ」
奉太郎「そうすれば、少しは上達するだろう」
える「……それは良い案ですね!」
千反田はそう言うと、身を乗り出して俺の手を掴む。
……駄目だな、やはりこれはどうにも慣れない。
この千反田の近さに慣れる日は、俺にやって来るのだろうか。
奉太郎「ま、まあ……機会があったらだがな」
える「……意外と早く、来るかもしれませんよ」
ここで俺が、その台詞が気になると言ったら何だか負けた気がするので口には出さなかった。
奉太郎「ん、そろそろ昼休みも終わりだな」
時計を見ながら、俺は千反田にそう伝える。
える「あ、ほんとですね」
える「ではまた放課後に、ここで」
奉太郎「ああ、また後でな」
俺はもう少しだけ残っているのか、千反田に軽く手を挙げると古典部を後にした。
そして、放課後。
俺は昼休みに言っていた千反田の言葉の意味を、理解する事となる。
摩耶花「それで、私もちーちゃんみたいに上手くなれたらなぁ……って思うのよ」
奉太郎「つまり、何が言いたいんだ」
摩耶花「だから、皆でお弁当を自分で作ってきて、食べ比べてみない?」
奉太郎「……何故そうなる?」
里志「僕には分かるよ、自分を知りたければ他人を知れって事だね」
何だろう、ある様な気がするがそんな言葉は無かった気がする。
奉太郎「作ったか」
里志「さあ、先に言っている人が居てもおかしくはないけど、ありそうな言葉だと思うよ」
さいで。
摩耶花「そうそう、そう思うでしょ?」
摩耶花「ちーちゃんには前から相談してたんだけど、言う機会が無くってさぁ」
なるほど、そういう事だったか。
……千反田め。
える「どうでしょう、やってみませんか?」
里志「僕も面白いと思う」
里志「福部流のお弁当を、見せてあげるよ!」
里志は勿論、即答で賛成する。
える「折木さんはどうでしょう?」
俺が何て言うかなんて、分かっているくせに。
奉太郎「ああ、まあ……やってみるか」
摩耶花「よし! じゃあ一週間後でいいかな?」
里志「今日は水曜日だから、次の水曜日って事だね」
摩耶花「私は明日でも良いんだけど、折木がねぇ……」
そう言いながら、伊原は俺に嫌な笑いを向ける。
里志「ホータロー、一週間で何とか頑張ってね」
奉太郎「……それなりにはな」
奉太郎「それはどうも、優しい事で」
俺も勿論、やると言ったからには中途半端にはやりたくなかった。
明らかに手を抜く事も出来たが、そんな気分にはなれない。
える「では、一週間後に!」
随分と張り切っているな、千反田は。
まあ千反田なら、誰も文句を付けない弁当を持ってくるだろう。
俺も、しっかりやらないとな。
俺の想定外は、この日既に一つあった。
それは勿論、千反田の言葉の意味である。
あくまでもそれは、家に帰るまでの話。
学校が終わり、千反田を家まで送って行き、玄関の前に着いたときに本日二つ目の想定外の事が起きたのだ。
奉太郎「それじゃ、また明日」
俺は千反田にそう言うと、体の向きを変え、家路に着こうとする。
える「え、何を言っているんですか。 折木さん」
そう言いながら、俺の腕をしっかりと掴まれる。
奉太郎「何って、帰ろうとしている」
える「駄目ですよ、お料理の練習です」
……ええっと、既に夕焼けが綺麗な程に日が傾いているのだが。
奉太郎「……今からか?」
える「そうですよ、一週間しか無いので……今日から練習しましょう」
いやいや、別に一日遅れた所で大して変わらない……と思う。
そんな思いが顔に出ていたのか、千反田が再び口を開いた。
える「なので、今日からでは無いと駄目です」
える「この後に用事等は、無いですよね」
一言発する度に、顔を近づけ千反田は言って来る。
俺はそんな千反田を手で制しながら答えた。
奉太郎「わ、分かった」
奉太郎「今日からだな、分かった」
える「ふふ、ではさっそく練習しましょう!」
千反田はさっきまでの真剣な表情とは打って変わり、今度は笑顔になっている。
そんな表情を見れただけで、俺は今日、料理の練習をする事になったのを良かったと思った。
色々と教えられながら、料理を作っていく。
千反田はそのままでは邪魔なのか、髪を後ろで縛っていた。
奉太郎「前から何回か思っていたんだが」
える「はい? どうしましたか」
……ああ、俺は今何を言おうとしているんだ。
つい、だったのだが……その後の言葉に詰まってしまう。
奉太郎「い、いや」
奉太郎「何でも無い、料理の続きをしよう」
色々と教えられながら、料理を作っていく。
千反田はそのままでは邪魔なのか、髪を後ろで縛っていた。
奉太郎「前から何回か思っていたんだが」
える「はい? どうしましたか」
……ああ、俺は今何を言おうとしているんだ。
つい、だったのだが……その後の言葉に詰まってしまう。
奉太郎「い、いや」
奉太郎「何でも無い、料理の続きをしよう」
一度外した視線を千反田に戻した所で、俺は気付いた。
やってしまった、と。
える「何でしょう、折木さんは何を仰ろうとしたんでしょうか?」
える「教えてくれますよね、折木さん」
奉太郎「そ、そんな大した事じゃない」
える「では、どうぞ」
奉太郎「……実は、かなり大した事がある」
える「そうなんですか?」
える「それでは、聞かない方がいいですね」
そう言い、千反田は調理をする為、体の向きを変える。
それを見ていた俺は、結局の所……喋る事になる。
奉太郎「……似合うと、思っただけだ」
俺の言葉を聞き、千反田は振り返った。
える「え? 似合うとは……どういう意味ですか?」
奉太郎「だから、それ」
言いながら俺は千反田の頭を指差す。
える「えっと……」
千反田は自分の頭を指されている事に気付いたのか、自分の頭を触っていた。
そしてそれを何度か繰り返し、ようやく気付く。
える「あ、そう言う事でしたか」
奉太郎「……まあ、それだけだ」
そう言い、千反田は俺の手を取った。
奉太郎「……お礼を言う程の事でも無いだろ」
奉太郎「ただ、俺が思った事を言っただけだ」
奉太郎「料理の続き、やるぞ」
俺は千反田にそう言うと、一人食材達と向き合った。
こうでもして話題を切らなければ、どうにも落ち着かない。
える「ふふ、そうですね」
える「続きを教えますね」
それからしばらく、二人で料理を仕上げていく。
正確に言えば、千反田監修の下……だが。
辺りがすっかり暗くなった頃、多分19時とか20時とか、そのくらいだろう。
料理はようやく仕上がった。
奉太郎「ここで食べるのか?」
える「ええ、折木さんに見せたい物があるんです」
見せたい物……また浴衣か?
奉太郎「秋祭りにでも行くのか」
える「……良いですね、今度調べておきます」
はて、祭りでは無いのか。
奉太郎「ううむ」
俺は一つ唸り声をあげ、少し考えてみた。
奉太郎「……そうか」
なんだ、ちょっと真剣に考えようとしていたのだが。
える「とりあえずはご飯を食べましょう」
そう言えば、成り行きで千反田の家でご飯を食べて行く事になったが……
まさかとは思うが、来週の水曜日までこれが続くのだろうか?
悪くは無い、別に嫌でも無いのだが……少し迷惑では。
しかしそんな事を今考えても、答えなんて出ないか。
今はまあ、飯を食べよう。
行儀良く両手を合わせ、千反田はそう言った。
奉太郎「ご馳走様です」
俺もそれに習い、手を合わせる。
える「ふふ」
千反田が突然、こっちを見ながら笑っていた。
奉太郎「何か悪い物でも食べたか」
える「酷いです、材料は全部私の家の物なんですよ」
奉太郎「なら、何で急に笑い出した」
える「……それはですね、思い出していたんです」
える「前に、福部さんに言われた事です」
奉太郎「……里志に?」
奉太郎「くだらない事でも言われたか」
奉太郎「そうでなければ、何かしらの俺の思い出話か」
える「どちらも違いますが、後者のはちょっと気になりますね」
奉太郎「……今度、機会があればな」
奉太郎「それより、何て言われたんだ?」
俺がそう聞くと、千反田は口に手を当て、小さく笑うと答えた。
える「似ていると、言われたんです」
える「ええ、私と折木さんが」
奉太郎「あいつもついに、おかしくなったか」
える「性格等の話では、無いと思いますよ」
奉太郎「……だったら、何が似ているんだ」
える「福部さんの言葉を借りますと」
える「なんだか、千反田さんを見ているとホータローを見ている気分になるよ」
える「その腕を組んだりする癖、そっくりだ」
える「と、仰っていました」
しかし、どうにも里志の言葉だからと言えど……千反田に名前を呼ばれ、ちょっと恥ずかしい。
奉太郎「まあ、結構長い間一緒に居たからな」
奉太郎「そう言う事も、あるのかもな」
俺は恥ずかしさを消す為に素っ気無く言い、お茶を飲み込む。
える「あ!」
突然、千反田が何かを指しながら俺の肩を叩いてくる。
える「見てください、折木さんに見せたかった物です」
ああ、そう言えばそんな話だったっけか。
それを聞き、俺は千反田の指す空へと視線を向ける。
空に走っていたのは、無数の流れ星だった。
える「天気が良いと、見れるとテレビで言っていたので……良かったです」
俺はしばし、その流れ星に目を奪われていた。
える「そう言えば、流れ星は願いを叶えてくれるんですよね」
奉太郎「そんな話もあるな」
奉太郎「千反田は……何か、願いでもあるのか」
える「ありますよ、私にも」
奉太郎「なら、願っておけばいいさ」
える「もう願いました、五回ほど」
五回も願ったのか、欲張りな奴だ。
奉太郎「俺は、こういうのは信じていない性質なんで」
える「ふふ、そうですよね」
奉太郎「何がおかしいんだ」
える「いえ、折木さんが星にお願い事をしている姿が、想像できなかったので……ふふ」
奉太郎「……さいで」
流れ星は、ほんの5分ほどで消えて行った。
もう、流れ星が降る事も無い空を未だに見ながら、千反田は口を開く。
える「そう言えば、先程の事ですが」
える「私、この髪型をそんなにしていましたっけ?」
奉太郎「多分、だが」
奉太郎「……千反田の事は、良く見ていたのかもしれない」
える「そ、それは……あの、その」
える「う、嬉しい言葉です」
あたふたしている千反田を見て、俺は素直に可愛いと感じていた。
その感覚がなんだか自然で、思わず笑いが漏れる。
勿論、千反田に見られないように隠れてだが。
える「でも、逆にもなるんですよ」
奉太郎「逆? どういう事だ」
える「先程、福部さんが私に言った言葉を教えましたよね」
える「そうです、それでですね」
える「それは多分、私が折木さんの癖を、自然と真似しているんだと思います」
奉太郎「俺の癖を?」
える「腕を組んだりするのが、似ているらしいですよ」
奉太郎「と言われても、意識してやっていないから分からないな」
える「私も、福部さんに言われるまで全然気付きませんでした」
える「でもやはり、自然にそうなると言う事は、折木さんの事を自然に見ていたのかもしれません」
俺はその言葉にまた、気恥ずかしい気分になり、頭を掻きながら答える。
奉太郎「すまんな、変な癖を移してしまった様で」
える「だって私は、幸せですから」
そう言い、俺の肩に千反田は頭を預けて来た。
奉太郎「そうか、なら俺も同じ気持ちだな」
える「……それは、良かったです」
それから数分だろうか、俺と千反田はそうしていた。
奉太郎「……じゃ、そろそろ帰るかな」
いつまでも居たら迷惑だろうし、俺もあまり遅くなってしまっては姉貴に何て言われるか分かった物では無い。
奉太郎「おい、千反田?」
える「……んん」
……当の千反田は、気持ち良さそうに寝ていたのだが。
とりあえず、このままにしておいて風邪でも引かれたら後味が悪すぎる、場所を移そう。
そうして千反田を部屋の中へと移し、畳んで置いてあったタオルを一枚、千反田に掛けて置いた。
奉太郎「さて、どうした物か」
このまま帰ってもいいのだが、この家には誰も戸締りをする者が居ない。
千反田の両親が帰ってくれば良いのだが……いや、状況的にはあまり良くないか。
しかしそんな心配も杞憂だろう。
今まで何度も家に来ているが、千反田以外の人物は見た事すら無いのだから。
恐らく千反田は、家事やら何やら一人でしているのだろうな。
それで今日、俺に料理を教え、疲れて寝たと言った所か。
なら、そうだな……
いや、むしろそのくらいしなければ罰が当たるかもしれない。
……違うな、俺はそんな神罰的な事等、信じていない。
それなら、理由としては。
千反田が起きるまでの暇潰し、としておこう。
これなら確かに合理的である。
俺は自分自身にそう、言い訳をすると食器の山へと立ち向かっていく。
奉太郎「ふわぁ……」
何だか俺も眠くなってきたが、こんな所で寝る訳にはいかない。
やはりさっき、俺が自分に言い聞かせたのは建前で、本心は多分。
千反田の手伝いをする為、と言った所か。
まあ、そんな理由なんてどうでもいい。
俺が今一番考えなければいけない事は……姉貴への言い訳と、何時に帰れるか、の二つである。
奉太郎「……眠い」
そして眠気と戦いながら、俺は食器とも戦う事となった。
第21話
おわり
奉太郎「そうか? 自分では全然分からんな」
える「正直、最初はどうしようかと思いました……」
奉太郎「悪かったな、そんなレベルで」
える「ふふ、冗談ですよ」
……こいつの冗談は、どうにも区別が付きにくい。
奉太郎「まあ、それもこれも全部、千反田さんのおかげです」
える「感謝の気持ちが、全く感じられないのですが……」
そうだろうか、こんなにも精一杯の言葉で現していると言うのに。
奉太郎「ありがとうな」
える「いいえ、このくらいならいつでも」
える「それに、私も楽しめましたので」
奉太郎「そうか」
俺と千反田が取り組んでいるのは、料理。
伊原の提案で、古典部全員で何かしら作る事になっていたのだ。
その事に対し、俺は別に……物凄くやる気があった訳では無い。
しかしまあ、やりたく無かった訳でも無かった。
千反田は何かを思い出したのか、人差し指を口に当てながら続ける。
える「作っていくお料理は、皆で揃える事になりました」
奉太郎「同じ物を作れって事か?」
える「ええ、比べるのにその方が良いと思いまして」
なるほど、確かに矛盾は無いな。
奉太郎「それで、作っていく物は何になったんだ?」
える「ええっとですね」
える「卵焼きです!」
卵焼き……卵焼き。
える「あの、折木さんが言いたい事が少し分かる気がします」
奉太郎「ほう、何だと思う?」
える「……今までの練習が、あまり意味の無い物に、と言う事でしょうか」
奉太郎「さすが千反田、その通りだ」
つまり、俺がここ最近千反田の家で練習していたのは、如何にも千反田らしい料理……
噛み砕いて言えば、ちょっと上級者向けの物だろうか。
俺は詳しい訳でも無いので、声を大きくしては言えないが……
卵焼きは恐らく、かなり初心者向けなのでは無いだろうか。
える「いつか役に立つ時が、来る筈です!」
奉太郎「やけに自信たっぷりだな」
える「ええ」
える「努力は必ず、報われますから」
ふむ、今まで大した努力もして来なかったので、俺にはちょっと分からない。
奉太郎「そうだと良いな」
える「絶対にです!」
える「私、努力をしている人は好きなので」
奉太郎「……そうか、それに俺も当てはまると良いんだが」
える「何を言っているんですか、折木さんが努力をしてきたのは、私が一番良く知っています」
奉太郎「……ああ、まあ」
俺も手を抜いて練習していた訳でも無いし、周りから見たらそれは努力をしていると呼べるのかもしれない。
だが何だか、自分で僕は努力をしていますと言うのも違うので言葉を濁してその話は終わらせる事にした。
える「まだ少し時間があるので、練習しましょうか」
奉太郎「そうだな、そうしよう」
……あれ、ちょっと待て。
奉太郎「ちょっといいか、千反田」
える「はい? 何でしょうか」
奉太郎「千反田は、知っていたんだよな」
奉太郎「皆で同じ料理……卵焼きを作ると言う事を」
奉太郎「なら何で、練習をすぐにそれに変えなかった?」
俺がそれを問いただした時、千反田はちょっとだけ焦っていた。
言葉にすれば、多分……しまった。 とかそんな感じの顔をしていた。
える「ええっと……」
える「あの、一緒にお料理をするのが……楽しかったので」
さいですか。
そして、その日がやって来た。
俺はいつもより少しだけ早く起き、それに取り組む。
とは言っても、大して練習する時間も無かったのは事実であり、結果にもそれは出ていた。
奉太郎「……なんと言うか」
卵焼きと言うよりかは、炒り卵と言った感じか。
手を抜いた訳では無いが……まあ、時間も無いし別に大丈夫だろう。
卵を焼いたのは事実なのだし。
俺はそれを小さい容器に入れ、鞄の奥へと仕舞う。
そのまま鞄を背負い、家を出て行った。
奉太郎「おはよう」
家を出るとすぐに、千反田が目に入ってくる。
これにも最近では随分と慣れてきた。
最初来た時は、事前に何も言われていなかったので相当驚いたが。
える「どうでした? 上手く作れましたか?」
学校までの道で、横に並んで歩く千反田が声を掛けてくる。
いつもはまあ、本当に他愛も無い会話をしているのだが、今日は勿論あれの事だろう。
奉太郎「ううむ、上手く……とはとても言えないな」
える「と言いますと、失敗したんですか?」
奉太郎「卵焼きと言うよりは、炒り卵と言った方が近いかもしれない」
える「そうでしたか……でも、焼いた事には変わりは無いので、大丈夫ですよ」
なんだ、俺は随分と投げやりにその結論を出したのだが……
千反田に同じ事を言われると、本当にそれが正しい気がしてくる。
奉太郎「そっちはどうなんだ?」
える「私ですか、私もあまり成功とは言えないかもしれません……」
奉太郎「珍しいな、失敗したのか?」
える「いえ、そう言う訳では無いのですが」
える「あ、それでしたら」
える「お昼に一つ、食べますか?」
える「いいえ、実はですね」
える「最初から、そのつもりだったので」
奉太郎「そうか……なら、貰おうかな」
える「ええ、福部さんや摩耶花さんには内緒ですよ」
奉太郎「分かっているさ」
奉太郎「それより、千反田が成功とは呼べない物には少し興味があるな」
える「気になりますか?」
える「気にならないんですか?」
奉太郎「……それも違うが」
える「どちらですか、それが私、気になってしまいます」
奉太郎「どっちかと言うと……少し、気になるかもしれない」
える「そうですか! それなら折木さんが気になる物、お昼まで楽しみにしておいてくださいね」
千反田はそう言うと、ようやく見えてきた校舎の中へと走って行ってしまう。
奉太郎「……何が満足なんだか」
俺は、聞こえてはいないだろう千反田の背中に向かってそう言うと続いて校舎に入って行った。
午前の授業も終わり、俺は古典部へと足を運んだ。
扉を開けると、すぐに窓際に座っている千反田が目に入ってくる。
一緒に古典部まで行けばいい、とは思うのだが……なんだかそれは、俺も千反田も自然と避けていた。
奉太郎「早いな」
える「そうでもないですよ、折木さんが遅いだけです」
……否定はしないが。
その言葉は軽く流し、千反田の向かいの席へと俺も腰を掛ける。
奉太郎「それで、成功しなかった卵焼きとやらを見せて貰おうか」
える「あの、あまりそればかり言わないでくださいよ」
える「そう言えば、折木さんには一度、卵焼きを作ってましたっけ」
あったっけか、そんな事が……
ああ、映画を一緒に見た時か。
奉太郎「とは言っても、かなり昔だな」
える「ふふ、そうですね」
える「時が経つのは早い物です」
千反田はそう言い、窓の外に視線を移した。
やめてくれ、まだ若いままで居たいから、そんな年老いた雰囲気は出さないで欲しい。
える「あ、そうでしたね」
える「どうぞ」
千反田は容器に手を掛け、開いた。
……なんだ、見た目は全然普通だな。
むしろ、俺のと並べたらそれは多分悲惨な事になるだろう。
奉太郎「じゃあ、いただきます」
俺はそう言うと、一つ卵焼きを口に入れる。
奉太郎「……うまいな」
何故、千反田が成功したと言わなかったのかが分からないくらいに、美味しかった。
奉太郎「ああ、こんな事で嘘は付かない」
える「少々、味付けを失敗したんですが……ちょっと濃くないですか?」
奉太郎「……いや、別に?」
える「そうですか、それなら良いのですが」
ここまで美味しいのに、成功じゃないと言われてしまったら俺はどうすればいいのだろうか……
奉太郎「俺が作った奴も、食べてみるか」
える「良いんですか? 是非!」
そこまで期待されても困るが。
鞄から容器を取り出し、千反田の前で開ける。
える「これは、確かに卵焼きと言うよりは炒り卵と言った方が正しいですね」
奉太郎「だろうな」
える「でも、食べてみなければ分かりませんよ」
そう言うと、千反田は少しだけその卵を取り、口に入れた。
える「おいしいですよ、折木さん」
……何だか、照れるな。
正面から言われると、どうにも目を合わせられない。
奉太郎「……そうか、それなら良かった」
それからは、それぞれの容器を仕舞うと弁当を広げ食べ始める。
まあ、千反田が美味いと言ってくれたから……これで少しは安心できると言う物だ。
味も最悪だったら、伊原に何と言われるか分かった物じゃないからな……
里志「と言う訳で、皆作ってきたかな?」
摩耶花「勿論、作ってきたわよ」
摩耶花「皆に聞くより、一人に聞いた方が良いと思うけど」
伊原はそう言いながら、俺の方に顔を向けてくる。
奉太郎「失礼な、俺もしっかり作ってきたぞ」
摩耶花「へえ、楽しみにしておくわね」
里志「じゃあ、ホータローのは最後のお楽しみにしておくとして、最初は僕でいいかな?」
える「そうですね、ではお願いします」
里志「了解! とは言っても普通のだけどね」
里志が取り出したのは、一見すると言葉通り、普通の卵焼きであった。
伊原の言葉を合図に、里志を除く三人が箸を伸ばす。
奉太郎「……うまいな」
何だろうか、少し辛い? そんな感じの味だ。
える「これは、明太子ですか?」
里志「そう、流石は千反田さん! 食べてからすぐに分かって貰うのは作る側として嬉しいよ」
摩耶花「……確かに、悔しいけど美味しいかも」
里志「ただの卵焼きじゃ、何だかつまらないと思ってね。 一工夫してみたんだ」
……なるほど、里志らしい考え方と言えばそうかもしれない。
える「あ、私でも構いませんよ」
里志「いやいや、次は摩耶花に頼みたいかな」
える「どうしてですか?」
里志「それは勿論、落差を楽しみたいから」
……覚えとけよ、里志め。
千反田は何か言いたそうな顔をしていたが、里志の勢いに流されてしまう。
摩耶花「それじゃあ、私のはこれ」
伊原のも、一見して普通の卵焼きか。
……見た目で違いなど、分かる訳無いか。
卵焼きを一つ箸で掴み、口に入れる。
奉太郎「む……甘いな」
える「みりんとお砂糖ですね、私はこの卵焼きも好きです!」
……さっきから思うが、千反田が料理の先生に見えて仕方ない。
里志「うん、美味しいね」
里志「……これだけ出来るなら、食べ比べる必要も無かったんじゃないかなぁ」
摩耶花「それ、ちーちゃんのを食べてから言って欲しいな」
える「そんな、私のも皆さんと同じくらいですよ」
千反田はそう言いながら、鞄から容器を取り出す。
里志「そうだね……って」
里志「気のせいかな、器に比べて中身が少なくない?」
本当に、小さい事を気にする奴だな。
える「あ、あのですね、器がこれしか無かったので……」
摩耶花「ふうん、まあ一つ貰うわね」
何とか誤魔化せたみたいだが、千反田の慌てっぷりから少々冷や汗を掻いてしまった。
もう少し、上手く誤魔化せない物か……
摩耶花「わ、これ美味しい」
里志「ほんとだ、味付けは普通に醤油かな?」
える「ええ、何か工夫をしようと思ったのですが……色々思いついてしまって」
摩耶花「それで、結局最初に戻ったって訳ね」
える「ふふ、そうです」
里志「まあ、それでも僕達のとはやっぱり比べ物にならないなぁ」
える「そんな事無いですよ、福部さんのも摩耶花さんのも、とても美味しかったですよ」
摩耶花「そうね、ふくちゃんのも美味しかったなぁ」
摩耶花「今度、作り方教えてもらおっと」
里志「うん、何か新しいのにもチャレンジしてみたいし、いいかもね」
里志「それより、一ついいかい?」
える「はい、何でしょうか」
里志「あ、いや。 千反田さんじゃなくて、ホータローに」
俺に? また急に……何だと言うのか。
……さっきは千反田に、心の中でダメ出しをしたが、どうやら俺もやらかしたらしい。
奉太郎「ああ、いや……食べる」
くそ、余計な事を考えすぎていたか。
える「は、はい。 どうぞ」
千反田も慌てながら渡してくる物だから、余計に怪しくなってしまう。
奉太郎「ありがとう、じゃあ貰うか」
俺も千反田の卵焼きを一つ貰い、口に入れる。
奉太郎「……美味いな」
ううむ、里志や伊原のとは違い……いや、二人のも十分に美味かったが。
比べるとやはり、千反田のは美味かった。
奉太郎「……ほら」
そう言い、俺は鞄からそれを取り出し、机の上に置く。
摩耶花「よっ」
勢い良く、伊原がふたを開いた。
里志「ホータロー、今日作ってくる物は何だっけ」
奉太郎「……卵焼きだな」
摩耶花「それで、折木が作ってきたのは何?」
奉太郎「……卵を焼いた物だ」
里志「違うね、これは卵を炒った物だよ」
さいで。
千反田のフォローが、少し辛い。
里志「うーん、まあいいか」
里志「それじゃ、頂きます」
里志と伊原と千反田は、それぞれ箸を伸ばす。
里志「……ちょっとしょっぱいかな?」
奉太郎「……醤油を入れすぎたかもな」
摩耶花「ちょっと、あんた真面目に作ったの?」
失礼な、かなり真面目に取り組んだつもりだと言うのに。
里志「やっぱり、練習した方が良かったかもね」
千反田との毎日の練習を、こいつらに見せてやりたい。
摩耶花「無いって! 絶対適当にやってたでしょ」
里志「そうそう、ホータローが真面目にやるのは、面倒事を避ける時だけだよ」
随分と酷い言われ様である、まあ……今に始まった事では無いので別にいいが。
奉太郎「それじゃ、今日のは終わりでいいか」
摩耶花「なんか納得行かないけど……ふくちゃんとちーちゃんのは、勉強になったしいいかな」
里志「了解、日が落ちると寒くなるから、そろそろ帰ろうか」
そう言い合うと、それぞれ自分の荷物へと手を伸ばした。
える「……待ってください」
何だ、この後に及んでまだ何かあると言うのか……
える「折木さんは、真面目に作っていました」
える「絶対に、適当にやっていた何て事は無いです」
える「……納得、出来ないんです」
別に、俺自身は大して気にしていないのだが……
える「一週間、一緒にお料理の練習をしていたんです」
える「毎日、学校が終わった後に」
える「そんな折木さんが今日、適当に作ってくる事は無いんです」
こうなってしまっては、千反田は結構頑固だ。
珍しく怒っている千反田に、里志は少し慌てていた様子だった。
それが見れただけでも、今日は散々言われた甲斐があったと言う物だ。
摩耶花「ご、ごめん。 知らなくてつい」
える「……すいません、少し言い過ぎました」
える「お二人がそれを知らなかったのも、当たり前の事です」
奉太郎「……まあ、俺は全く構わないんだがな」
奉太郎「今度何か奢って貰う事で、許してやろう」
里志「はは、それは冗談かい?」
奉太郎「それをどっちと取るかは、里志と伊原に任せるさ」
摩耶花「……急に偉そうになったわね」
……冗談のつもりだったが、普段冗談を言わないだけでこうも言われるのか。
える「では! 帰りましょうか」
える「もう少しで日が落ちてしまいますし」
里志「そうだね、また今度……次は何がいいかな?」
摩耶花「そうね、今度はちーちゃんに教えて貰って作りたいかな」
える「私で良ければ、いつでも大丈夫ですよ」
奉太郎「……俺はもう勘弁して貰いたいが」
摩耶花「折角教えて貰ってたのに、そんな事言うんだ」
里志「ホータローは、千反田さんの料理じゃ参考にならないって言いたいのかなぁ」
える「え、そうなんですか……折木さん」
……これは、またしても厄介な事になりそうである。
える「折木さんが、帰りに暖かい飲み物をご馳走してくれるみたいです」
ほら、なった。
奉太郎「却下だ」
里志「ああ、寒くて寒くて僕は倒れそうだ」
奉太郎「……却下だ」
摩耶花「私も……さっきから体の震えが止まらない」
奉太郎「……却下だ」
える「折木さんは、友達を見捨てるんですか!」
千反田、一つ教えてやろう。
その台詞は、笑顔で言う物では無いと。
……いかんいかん、これは年老いてからの駄洒落だろう。
そんな事を思い、かぶりを振りながらどう切り抜けようかと考える。
しかし良い考えが思い浮かばず、それならば別に、飲み物の一本や二本くらい……別に良いか。
……いや、良くはないだろうが。
外を歩き、肌には秋らしい冷たさが感じられる。
だが、不思議と暖かかった。
第22話
おわり
Entry ⇒ 2012.11.13 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
える「古典部の日常」 6
大きなあくびをしながら起きる。
昨日はここに戻ってきたから、随分とぐっすりと眠れた。
昼間散々寝ていたせいで、少々心配だったが……
恐らく、頭をいつもより働かせたせいだろう。
部屋の時計によると、まだ朝の6時、俺にしては随分早起き出来た物だ……と自分を褒めたい。
奉太郎「とりあえず、寝癖直すか」
毎度毎度、この寝癖は俺を悩ませる。
里志や伊原に相談すれば、短く切ればいい等と言うだろうが、それもまた面倒なのだ。
しかし、結果的に見れば……そうするのが効率良くなるのかもしれない。
そう思う物の、髪を切ろうと思わない辺り、俺はやはりこの髪型が気に入ってるのだろう。
そんな独り言をしながら、洗面所で寝癖を直していた。
摩耶花「……おはよ」
後ろから声が掛かる。
奉太郎「ああ……おはよう」
伊原の元気の無さから、こいつも多分朝は苦手な方だと予測できる。
丁度寝癖は直し終わったし、伊原にその場所は譲る事にした。
……本当の所は、既に機嫌が悪そうな伊原の機嫌を更に損ねたく無かったからだが。
俺はそのままの足で、一度ベランダへと出た。
外に出ると、朝が早いだけあり、風が涼しい。
そしてそこにはどうやら、先客が居た様だ。
奉太郎「……早起きだな」
える「折木さんこそ」
奉太郎「俺は昨日、昼間少し寝ていたしな」
える「そうだったんですか」
奉太郎「ああ」
そこで一度、会話が途切れる。
心なしか、千反田が何か聞きたそうにこちらを見ていた。
奉太郎「……気になる事でもあったか」
える「良く分かりましたね」
……いや、そこまでそわそわしていたら誰でも分かるだろうに。
これは……朝から、失言だったか。
それに答えるのは、面倒と言うよりは……言いたく無い。
奉太郎「……里志にでも、聞いておけ」
える「福部さんですか……今はまだ、寝ているので」
奉太郎「なら、伊原でもいい」
える「摩耶花さんは、一人の方が楽そうだったので」
奉太郎「じゃあ、入須でもいいだろ」
える「そうですね、そうします」
とりあえずこれで、今の所は回避出来た。
後は入須が俺の気持ちを考えてくれるかどうかだが、どうだろう。
今、入須に聞くと言ったばかりなのに、何を言っているんだこいつは。
俺が千反田のその質問に口を開こうとした時、後ろから声がした。
入須「うーん、言ってもいいか?」
いつから居たのか、入須の声が後ろからする。
奉太郎「……おはようございます」
入須「ああ、おはよう」
奉太郎「居るなら居ると、言ってくださいよ」
入須「すまんな、千反田は気づいていた様だったが」
える「ええ、すぐに気付きました」
える「入須さんの足音がしたので」
さいで。
える「入須さん、何故ですか?」
千反田がそう聞くと、入須は一度俺の方に視線を移す。
奉太郎「そこまで言ったなら、話してもいいんじゃないですか」
入須「君がそう言うなら、いいか」
奉太郎「俺は一足先に中に戻っています」
そう言い残し、俺は部屋の中へと戻る。
……今の最善手は、何だっただろうか。
むしろ、俺が昼間寝ていた原因を隠す必要が……無いな。
そうして俺は一度、自分の部屋へと戻る。
ベッドの上で一時間ほど本を読み、やがて入須に呼び出され、朝飯を食べる事となる。
俺と千反田と伊原と入須。
里志はまあ……まだ寝ているのだろう。
朝はどうやら、千反田達で飯を作った様で、かなり美味しかった。
唯一不満があるとすれば、俺が昼間寝ていた理由を聞いたであろう千反田が、にこにことしながら俺を見ている事だったが。
奉太郎「そう言えば、伊原は昨日どうだったんだ」
摩耶花「えっと、花火大会?」
奉太郎「それ以外に何かあったか」
摩耶花「一応の確認でしょ、別にいいじゃない」
奉太郎「大会は遅れただろ、花火は見れたか?」
摩耶花「まあ、うん」
摩耶花「見れたよ」
える「どうでした、花火は」
摩耶花「すごく、良かった」
そう言う事に大して感情を抱かない俺が、綺麗な花火だと思ったのだ。
伊原が感じた事は……とても俺には想像できないな。
入須はそう言いながら、人数分のコーヒーを持ってくる。
奉太郎「ありがとうございます」
俺はそれを受け取り、一口飲んだ。
……実に良い、甘すぎないし、丁度良い。
あれ、待てよ。
奉太郎「千反田、それコーヒーだぞ」
える「あ、そうですね」
入須「なんだ、嫌いだったか」
える「嫌い、と言う訳では無いのですが……」
奉太郎「飲ませない方が良いと、言っておきます」
える「あの、そのですね」
奉太郎「……性格が変わる」
摩耶花「ちーちゃんの?」
千反田がコーヒーを飲む、そして俺の性格が変わったらどうするんだ、こいつは。
奉太郎「ああ、そうだ」
摩耶花「それ……ちょっと気になるかも」
える「や、やめてください」
入須「ふふ、まあそうならやめておこう」
入須「お茶を淹れて来るよ」
える「すいません、ありがとうございます」
千反田が頭を下げると、入須は軽く手をあげ返事をし、台所へと戻って行った。
奉太郎「聞きたいか?」
摩耶花「……うん」
える「ふ、二人とも駄目ですよ!」
奉太郎「との事だが」
摩耶花「残念……気になるなぁ」
える「もうこの話は終わりです、違うお話をしましょう」
あからさまに慌てている千反田を眺めるのも、中々面白い物だ。
奉太郎「ま、いつか機会があったらと言う事で」
摩耶花「りょーかい、楽しみにしておくわね」
える「そんな機会、来ませんよ!」
奉太郎「聞きたいか?」
摩耶花「……うん」
える「ふ、二人とも駄目ですよ!」
奉太郎「との事だが」
摩耶花「残念……気になるなぁ」
える「もうこの話は終わりです、違うお話をしましょう」
あからさまに慌てている千反田を眺めるのも、中々面白い物だ。
奉太郎「ま、いつか機会があったらと言う事で」
摩耶花「りょーかい、楽しみにしておくわね」
える「そんな機会、来ませんよ!」
珍しく俺も、その輪の中に入れていた。
そして、里志も起きて来て何十分か過ごした後、俺がこの旅行でもっとも回避したかった出来事が訪れる。
里志「じゃあ、そろそろ海に行こうか」
入須「そうだな、今日は天気も良い」
える「楽しみです!」
摩耶花「折木も来るのよ? もう具合も良くなってるでしょ」
……来てしまった物は仕方ない。
潔く、諦めよう。
里志「うわ、すごく綺麗な所だね」
摩耶花「そうね……でも人が全然居ないのは何で?」
入須「ああ、プライベートビーチみたいな物だからな」
……何て人だ。
える「海は久しぶりですね、去年の夏は入れなかったので」
千反田はいつかのプールの時と同じ水着を着ていた。
やはり、目のやり場に困ってしまう。
里志「それじゃ、入ろうか」
里志の言葉を受け、俺と入須を除く三人は海へと入って行った。
俺は、まあ……海でわいわい遊ぶと言う性格でも無いので、砂浜に腰を掛ける。
そう言い、入須は俺の横へと腰を掛けた。
奉太郎「入須先輩こそ、入らないんですか」
入須「私は、まあ」
奉太郎「そうですか」
にしても、本当に綺麗な所だな。
空には雲一つ無く、日本の海とは思えない程に透き通った色をしている。
奉太郎「入須先輩は、昨日の事……最初から分かっていたんですか?」
入須「……さあ、どうだろうな」
奉太郎「ま、別にいいですけど」
そんな会話をしながら、海で遊ぶ里志達を眺めていた。
どこから持ってきたのか、ビーチボールで遊んでいる。
入須「大学か」
入須「楽しい所だよ」
入須「だがやはり、高校の方が楽しかったかもな」
奉太郎「これから、大学へ行くであろう本人に言う台詞がそれですか」
入須「なんだ、嘘でも高校より楽しいと言えばいいのか?」
奉太郎「……」
奉太郎「先輩は」
奉太郎「後悔していますか、去年の事」
俺が言っているのは、去年俺と入須が……千反田を、傷付けた事だ。
入須「そうだな……どうだろう」
入須「でも結局は、君と千反田の距離は縮まったのでは無いか」
入須「千反田を傷付けてしまった事は、後悔しているよ」
奉太郎「……でしょうね」
入須「ここだけの話だがな」
入須「先輩は、珍しく落ち込んでいたよ」
入須が指す人物とは、俺の姉貴の事だろう。
奉太郎「そうですか」
入須「君が言った通りだった……先輩も、後悔していたんだ」
奉太郎「なら結局、あの計画では……誰が、救われたんでしょうね」
入須「決まっている、誰も救われていない」
……だろうな。
奉太郎「当時の? どういう意味ですか」
入須「……もしかすると、次に繋がっていたのかもしれない」
奉太郎「すいません、少し意味が分かりかねます」
入須「……はっきり言うか」
そう言うと、入須は俺の方に顔を向ける。
入須「あそこで、君と千反田が近づいていなかったらどうなっていたと思う?」
入須「私が計画を拒否し、何も起こらなかったとしたら」
奉太郎「……それは」
恐らく、何も変わらない日々が過ぎていた。
あれだけの事が無ければ、俺から千反田に歩み寄る事も無かったし、千反田もそうだろう。
そして多分、千反田の父親の話を聞いた日。
俺が千反田の気持ちを理解しようとしなければ、あの日に公園に行くことも無かったのかもしれない。
それは本当に、何も無い、今まで通りの折木奉太郎だろう。
良く言えば、自分のモットーを貫き通していると言える。
しかし悪く言えば、変わろうとしていないと言う事か。
ああ、なるほど。
……やはり入須は、昨日の事は分かっていたのだ。
入須「君の言葉を借りると、本人の前で言う事では無い、と言った所だな」
奉太郎「それはすいませんでした、失言ですね」
入須「ふふ、そうだな」
まあ、苦手ではあるが……嫌いでは、無いか。
そんな事を考えながら、顔を再び里志達の方に向けた。
目の前に、誰かが居る。
入須と話し込んでいて全く気付かなかった。
空気で分かる、それは千反田だ。
俺はそいつに目を移す。
……手には、ビーチボール?
える「ご、ごめんなさい!」
そう言いながら、逃げていく千反田が見えた。
プールの時も確か、同じ様な事をされた気がする。
あの時は何も考えていなかったせいで受け流してしまったが……今は違う。
奉太郎「……千反田」
俺は逃げる千反田に向かって、聞こえるくらいの声を出した。
える「え、はい!」
千反田は振り返り、俺の話に耳を傾ける。
奉太郎「俺が今、やるべき事は何か分かるか」
える「えっと、それは……どういう事でしょうか」
奉太郎「手短に、終わらせよう」
見事に命中し、倒れる千反田。
摩耶花「うわ、折木ひどーい!」
伊原がそれを見て、声を荒げる。
奉太郎「やり返しただけだ、別に酷くもなんとも無い」
我ながら、その通りである。
里志「まあまあ、手をあげるのは良くないよ、ホータロー」
……そう言いつつも、何故俺を羽交い絞めにする?
摩耶花「ちーちゃん、チャンスチャンス!」
待て待て! 卑怯では無いだろうか。
そう言い、俺に向かってボールを投げてきた。
しかしそれは俺の顔の横を通り過ぎ、後ろに居た里志へと当たる。
奉太郎「どうやら良い腕をしている様だ、千反田は」
倒れた里志に向かって、俺はそう言った。
里志「千反田さん」
える「え、ええっと……」
里志「自分がした事は、自分の下へと帰ってくるんだよ」
矛先はどうやら、俺から千反田へと向かった様だ。
これでようやく、俺もゆっくりできると言う物である。
しかし、それを考えられたのも一瞬であった。
里志が投げたボールは、手から滑り、入須へと当たる。
入須「……自分が言った言葉は、忘れていないだろうな」
おお、入須の顔が恐ろしい。
もしかすると、伊原のそれよりも怖いかもしれない。
俺は無関係を装い、その場から少し距離を取った。
省エネ省エネ、眺めている方が安全だ。
そして何より、楽だ。
それからボールを投げ合う四人を眺めつつ、俺は夏の日差しを浴びていた。
実に……俺らしい選択である。
第16話
おわり
俺は溜息を吐きながら、未だに元気良く遊びまわる奴等に声を掛ける。
と言うか、だ。
……入須までもが一緒にはしゃぐとは、思いも寄らなかった。
える「あ、本当ですね」
そんな俺の声に最初に気付いたのは、やはり千反田であった。
そして千反田の発言を聞き、残った者達も駆け寄ってくる。
里志「ごめんごめん、ついつい」
摩耶花「久しぶりに思いっきり遊べたかも」
里志と伊原はそんな事を呟いていた。
はて、良い時間とはどういう意味だろうか。
奉太郎「良い時間ですか?」
入須「ああ、一つ計画してある事があるんだよ」
計画していたにしては、随分と夢中で遊んでいた様だが……別にいいか。
える「なんでしょう……私、気になります」
入須「夏と言えば、だ」
里志「最初に思い浮かぶのは、やっぱり海ですね」
里志の言葉に、入須は頷く。
入須「次に何を想像する?」
摩耶花「えっと、花火かな?」
入須「そうだ」
俺の言葉を聞き、入須はまたしても頷く。
入須「他にもあるだろう?」
他に……?
里志「ああ、そうか!」
里志は気付いたのか、一人満足そうな顔をした。
入須「勿体振る必要も無いな」
入須「バーベキューだ」
確かに、夏と言えばそうか。
奉太郎「でも、材料とかは?」
入須「最初に計画していたと言っただろう、用意してあるよ」
える「さすがです、入須さん」
顔を思いっきり寄せる千反田に、入須は若干身じろぎしていた。
そんな入須の反応が新鮮で、俺はついつい口を開く。
先ほど遊んでいた場所から少し離れた所で、バーベキューはする事となった。
今はようやく準備が終わり、休憩している所だ。
入須「すまんな、全部任せるつもりでは無かったのだが」
奉太郎「別に良いですよ、自分で言った事ですし」
入須「そうか」
入須はそれだけ言うと、設置されたグリルの方へと歩いて行った。
その姿を見送ると、俺は空を見上げる。
日は既に大分傾いており、かすかに星が光っているのが見えていた。
そんな空に気を取られて居た所で、ふいに俺に声が掛かった。
奉太郎「里志か」
里志「なんだい、僕じゃ不満かい?」
奉太郎「いいや、そういう訳じゃない」
この時……俺には少しだけ、気になる事があった。
それを里志にぶつける。
奉太郎「昨日は、どうだった?」
里志「昨日と言うと……花火大会かな?」
奉太郎「ああ、伊原と二人で見たんだろう?」
幸い、砂浜から少し離れた場所で話している俺と里志の声は、料理を作っている千反田、伊原、入須には聞こえないだろう。
里志はそう前置きをすると、話し始める。
里志「摩耶花がどうしても二人で見たいって言うからさ」
里志「ホータローには悪いと思っているよ、入須先輩の事は苦手だろう?」
気付いていたのか、まあそれもそうか。
奉太郎「確かに苦手ではあるが……」
奉太郎「それは嫌いという事に繋がる物でもないさ」
里志「それならいいんだけど」
里志「僕は、花火が遅れた事に少しだけ感謝しているんだよ」
里志「色々、摩耶花と話せたからね」
里志「花火が始まってたら、そっちに気を取られてそれ所じゃないよ」
奉太郎「なるほど……そうか」
里志と伊原にも、色々とあるのだろう。
その話の内容まで聞くのは、俺の趣味では無い。
里志「それより、驚いたよ」
奉太郎「驚いた?」
何か驚く様な事でもあっただろうか……?
大会が遅れた理由をしれば、恐らく……驚いた、と言うだろうが。
生憎、里志はその理由を知らない。
そんな俺の考えに答えを出すより、先に里志が口を開く。
……何か、おかしな事でも聞いたのか。
奉太郎「別に、変な事は聞いていないと思うんだが」
里志「うん、その通りだよ」
何だ、からかっているのか。
奉太郎「からかうのはやめてくれ、疲れているんだ」
里志「そういうつもりでは、無いよ」
奉太郎「……なら、どういうつもりで?」
里志「それを聞いてきたのが、ホータローだったからだよ」
里志「普通の、例えば千反田さんとかが聞いてくるのなら、分かるよ」
里志「でも、それを聞いてきたのがホータローだったってのが、僕にとって意外だったのさ」
奉太郎「少し、気になっただけだ」
奉太郎「深い意味なんて無い」
里志「それだよ、何で深い意味は無いのに聞いたんだい?」
何だ、そんなおかしな事だろうか?
奉太郎「お前は意味の無い質問に、そこまで言うのか」
俺がそう言うと、里志は首を横に振る。
里志「ごめん、言い方が悪かったかもしれない」
里志「手短に言うよ、その方が好みだろう?」
里志「何で君は、しなくてもいい質問をしたんだい?」
確かにそうだ、俺がした質問は、完全に意味の無い質問である。
昨日、里志と伊原がどうして居ただなんて、知っても何も起きないじゃないか。
なら、どうして俺はそんな質問を?
奉太郎「……そういう事か」
里志の言っている意味が分かり、口からそう漏れた。
豆鉄砲でも食らったかの様に目を開いている俺に向かって、里志は言う。
里志「ま、ホータローも随分と変わったよ」
里志「それじゃあそろそろ、焼けてきたみたいだし、行くね」
最後にそう言うと、里志は入須達の下へと小走りで向かって行った。
奉太郎「変わったのか、俺が」
今改めて聞いて、俺は思った。
変わった、と。
……元を辿れば、最初からだ。
入須の誘いを断固拒否する事だって出来た。
俺は最初、千反田が絡んでくると省エネが出来ないと思っていた。
しかしそれは、多分違う。
別荘に行こうと入須が言った時、あの時は千反田が居た。
だが、花火大会へ行こうと、入須が別荘で寝る俺に言った時、断る事は出来た筈だ。
何故、断らなかったのだろうか。
それがもしかすると、俺が変わったと言う事なのかもしれない。
……なら、そのきっかけは?
あいつに振り回され、俺は変わったのか。
だがそれでも、そこまで急激な変化がある物だろうか?
……ああ、あれか。
俺の頭に思い出されたのは、去年の暮れの事である。
……あの時程、自分のモットーを呪った事等無かった。
そんな体験が恐らく、俺の中の省エネと言う物を、消そうとしているのかもしれない。
しかしまだ、それに答えは出せそうに無かった。
える「折木さん、食べないんですか?」
急に声が聞こえ、我に帰る。
える「横、座ってもいいですか?」
奉太郎「ああ」
そう俺が答えると、千反田は嬉しそうに笑い、俺の横に腰を掛けた。
える「はい、どうぞ」
そう言いながら千反田が差し出したのは、肉や野菜が乗っている皿だった。
奉太郎「……ありがとう」
俺はそう言い、その皿を受け取る。
える「どうでした、今回の旅行は」
奉太郎「……」
奉太郎「まあ、楽しかった」
える「私も楽しかったです」
える「花火を最初から見れなかったのは、残念ですが……」
奉太郎「別に、また違う場所で花火はあるだろ」
える「そうですよね、今度もし見る時は、最初から見たいです」
奉太郎「ああ」
える「それで、ですね」
千反田は少し恥ずかしそうに、口を開く。
える「あの、今度見る時は、一緒に見てくれませんか?」
奉太郎「……驚いた」
える「え、驚いたとは?」
える「そ、そうでしたか! それなら今度、見ましょうね」
奉太郎「……二人でか?」
える「え、ええ。 そのつもり……ですが」
奉太郎「なら、それも俺と同じ考えだ」
える「ふふ、今日の折木さんは、何だか素直ですね」
それではまるで、いつもの俺が素直では無いみたいじゃないか。
奉太郎「冗談だと、言ったらどうする」
える「え、そうだったんですか……?」
本当に心配そうな顔をする千反田を見ていると、これは悪い事をしてしまったと思う。
露ほどにも、冗談だとか等、思っていないのだ。
俺はそんな千反田の視線を避ける為、顔を前に向け、口を開く。
奉太郎「今度、見に行こう」
える「……ふふ、喜んで」
横にちらりと視線を移すと、千反田の笑顔があった。
俺はこの瞬間……千反田の顔を見た瞬間、はっとなる。
気付いたのだ、何故さっき、俺の省エネ主義に答えを出せなかったのかを。
もっと早く、そんな事より優先的に答えを出さなければいけない問題があるからだ。
それはつまり……
える「どこかいい場所とか、ありますか?」
こいつとの、関係である。
はっきりさせなければ、駄目だろう。
俺は呑気に、今年中にと考えていたが……これは俺だけの問題では無いのだ。
千反田も多分、考えている問題だろう。
ならばそんなゆっくりと、考えている暇は無さそうだ。
俺はもしかすると、気付かなければ駄目な……一番気付かなければ駄目な事に、気付けたのかもしれない。
それはこの旅行で、一番大きな収穫だった。
奉太郎「……夏か」
える「今日の折木さんは、なんだかおかしいですね」
える「今は夏ですよ」
夏が終わる前に、答えを出そう。
それが今考えられる、最短の時間であった。
える「あ、入須さん達が呼んでいますよ」
える「行きましょう、折木さん」
そう言いながら、千反田は立ち上がり、俺に手を差し出す。
奉太郎「……いや、俺は」
もう少し物思いに耽りたかったが、それを許してくれる千反田ではなかった。
える「行きますよ! 折木さん!」
奉太郎「……ああ」
俺はそう言い、差し出される千反田の手を掴んだ。
第17話
おわり
理由はそう、まだ分からない。
分からないと言うのも変な話だが、千反田から家に来て欲しいと言われ、特にする事も無かったので来ただけの俺に分かる訳も無い。
奉太郎「それで、この暑い中わざわざ来たんだが」
奉太郎「何の用事だったんだ」
える「……ええっと、何でしたっけ」
おいおい、まさか忘れたとでも言うのか。
奉太郎「来て早速だが、帰っていいか」
える「だ、だめです!」
える「あの、ちょっと待っていてください」
そう言うと、千反田はどこかへと小走りで行ってしまった。
……何だ、しっかりと覚えているじゃないか。
両手には何やら大きなケースの様な物を抱えていた。
える「お待たせしました!」
奉太郎「随分大きな物だな」
える「ええ、中身が気になりますか?」
奉太郎「……いや、別に」
える「気になりますか?」
奉太郎「いや、だから」
そこまで言うと、千反田は俺の肩を掴み、顔をぐいっと近づける。
える「気になりますよね!」
奉太郎「……そ、そうだな」
ほぼ強制的に気になる事にされ、千反田はとても満足そうだった。
そしてそんな顔をしたまま、ケースを開く。
える「これです!」
そう言い、千反田が取り出したのは……浴衣?
奉太郎「それは、浴衣か?」
える「はい、そうです」
奉太郎「……えーっと」
俺が呼び出された理由と、今千反田が持っている浴衣、何か繋がりがあるのだろうか?
もしかしたら、突然呼ばれ、浴衣を出されると言う事に、俺が知らない理由があるのかもしれない。
とりあえず、良く分からないが頭を下げてみた。
える「あの、どうしたんですか?」
あれ、違うか。
奉太郎「……俺が馬鹿なのか分からないが、それと俺が呼び出された理由、どういう意味があるんだ」
える「お祭りに行きましょう!」
……つまりは、この浴衣は特に出した目的は無かったと言う事だろうか。
奉太郎「電話で言えば良かったんじゃないか」
える「まあ、そうなんですが……」
える「……折木さんに、浴衣を見て欲しかったんです」
奉太郎「その……それは祭りの時に見るんだから、今見せる物でも無いだろ」
俺は千反田の事をまともに見る事が出来ず、視線を逸らしながら答えた。
奉太郎「え、何が」
える「お祭りに行くと言う事がです」
あれ、俺は祭りに行くなんて言ったっけ。
……ああ、祭りの時に見ると言ったのが、そう解釈されたか。
奉太郎「まあ……構わんが」
しかし、俺には特に断る理由は思い当たらなかった。
える「ふふ、良かったです」
里志や伊原、千反田に何か言われなければ、特にやる事の無い夏休みだ。
別に祭りくらい、行っても大して変わらないだろう。
える「明日です」
奉太郎「急だな」
える「私も、知ったのが今日だったので」
奉太郎「千反田が? 珍しいな」
奉太郎「てっきり神山市の行事は、全部知っている物だと思っていた」
える「ええ、知っていますよ」
奉太郎「……えっと」
前にも確か、こんな感じの事があったな。
話が噛み合っていない……俺の言葉から、何か分かる筈だ。
奉太郎「ああ、そうか」
奉太郎「神山市の祭りでは、無いのか」
つまりはまた、ここから離れて遠出すると言う事になる。
ま、別にいいか。
奉太郎「遠いのか?」
える「歩いて行ける距離ですよ、安心してください」
……千反田の歩いて行ける距離と言うのが、少し怖いが……いいだろう。
奉太郎「じゃあ、明日は夕方くらいに来ればいいか?」
える「ええ、案内しますので、私の家に一度来てください」
奉太郎「了解、それじゃ今日はこれで」
そう言い、立ち上がる俺の腕を千反田が掴む。
える「折角来たんです、お話でもしましょう」
奉太郎「いや、今日は用事がだな……」
える「あるんですか?」
奉太郎「……無い」
える「なら、大丈夫ですね」
やはり無理矢理にでも電話で済ませるべきだっただろうか。
える「お昼は私が作るので、心配しなくても良いですよ」
……そうでも無いか。
奉太郎「ああ、分かったよ……」
俺はそう言いながら、再び座る。
える「ええ、少し」
何だろうか、千反田としなければいけない話は……
あるにはある、だが多分、その話では無いか。
える「私が、家の仕事を後回しにした理由です」
奉太郎「……そうか」
なるほど……それは俺も気になっており、何度も聞こうとした。
聞こうとしただけで、実際には一度も聞いていなかったのだ。
える「私は、大学に進む事を選びました」
える「何故か、分かりますか?」
奉太郎「……すまんな、分からん」
える「私がその道を選んだのは……停滞したかったからです」
停滞……?
える「停滞と言うよりは、回り道と言った方が正しいかもしれません」
える「すぐにでも、家の仕事に就くことは出来ました」
える「父の事も考えると、それが一般的には良い選択なのかもしれません」
える「ですがそれでも、もう少しだけ……外を見たいと思ったんです」
奉太郎「外……か」
える「ええ」
える「今は一度、足を止めたかったんです」
える「そして、思ったんです」
奉太郎「……」
俺は静かに、千反田の話に耳を傾けていた。
奉太郎「……俺から学ぶ物なんて、無いだろうに」
える「そんな事ありませんよ」
える「折木さんは、私に無い物を……沢山持っていますから」
そんなのは、俺にとっても同じだ。
千反田は……俺に無い物を、沢山持っている。
奉太郎「それで選んだのが、停滞か」
える「はい、そうです」
える「足を止めたら、折木さんとは少し……距離が開いてしまうかもしれません」
える「ですがそれでも、一度見直したかったんです」
……そう言う事だったか。
だがそれを考えるのはあれだ、今じゃない。
今するべき事は、千反田の話に耳を傾ける事だろう。
える「間違いだと、思いますか」
奉太郎「……俺からは、何とも言えないって言うのが正直な感想だ」
奉太郎「それが正解だったか、間違いだったか、なんて物は後にならなきゃ分からないからな」
える「……そうですよね」
奉太郎「だがな」
奉太郎「俺は、お前の選択を信じたい」
奉太郎「正解であると、信じたいんだ」
奉太郎「そのくらいなら、別に良いとは思わないか」
える「やはり、折木さんには何でも話してみるべきですね」
そこまで過大評価されてしまっては、困る。
える「それで、折木さんはどの様な選択をするんですか?」
える「あ、答えたく無ければ、大丈夫です」
奉太郎「……俺か」
俺は、どうしたいのだろうか。
千反田はやはり、俺とは住む世界が全然違う。
まずそもそも、俺にそんな選択をする機会などあるのだろうか。
奉太郎「まだちょっと、分からないな」
奉太郎「……自分の事は難しい」
千反田はそう言いながら笑っていたが、ならばお前はどうなんだ。
自分の事を理解して、自分の信じる選択をしたお前は。
……こいつは、凄い奴だな。
それが、俺の感じた正直な感想であった。
奉太郎「……そろそろ昼だな」
える「お腹が減りましたね」
える「ご飯、作ってきますね」
千反田は笑顔で俺にそう言うと、台所へと向かって行った。
さっきの言葉……勿論、千反田の。
奉太郎「俺がどんな選択をするか、か」
俺には別に、先ほども考えた様に、千反田の様な選択が訪れる事は無いだろう。
なら、さっきの言葉は恐らく……
俺と千反田の、関係の事だろうか。
……それしか、思い付かない。
奉太郎「……悪いな」
聞こえている筈も無く、一人俺は呟いた。
奉太郎「もう少しなんだ」
奉太郎「……待たせてばかりだな、俺は」
気分が暗くなってきてしまっている。
……家に帰ったら、もう一度ゆっくり考えよう。
千反田の前で、あまり暗い顔はしていたくない。
あいつは多分、それに気付くだろうからな。
里志風に言うと、今を楽しむべき。
……よし、もう大丈夫だ。
俺はそう思い、立ち上がる。
そして、そのまま台所へと向かった。
奉太郎「悪いな、飯まで作ってもらって」
俺は料理を作る千反田の背中に声を掛けた。
える「いえ、いいんですよ」
える「私が最初にお呼びしたので、このくらいやらなければ罰が当たってしまいます」
千反田は俺の方には顔を向けず、料理を作りながら話していた。
奉太郎「……何か手伝う事はあるか」
える「お料理に興味があるんですか?」
奉太郎「……そういう訳では無いが」
える「そうですか、折木さんが作るご飯に、私は少し興味があります」
奉太郎「……機会があればだな」
ま、そんな機会は来ないだろう。
える「ええ、楽しみにしておきます」
俺は千反田の言葉に軽く返事を返すと、適当な席に着いた。
……明日は祭りか。
俺は別に……適当な服でも着ていけばいいか。
あれ、そういえば。
奉太郎「なあ」
える「はい、なんでしょう?」
奉太郎「明日、祭りが終わった後に用事とかあるか?」
奉太郎「それなら、公園に行かないか」
俺がそう言うと、今までずっと俺に背中を向けたままだった千反田が振り返った。
急に千反田の顔が見えた事で、俺はつい視線を外す。
える「折木さんからお誘いがあるのは、随分久しぶりな気がします」
奉太郎「……そうだったかな」
える「いいですよ、行きましょう」
える「ですが、何故急に?」
奉太郎「ああ……」
奉太郎「明日、あそこから花火が見れるのを思い出したんだ」
奉太郎「行きたいと言ってただろ、二人で」
俺は結局、千反田に顔を向けられないまま、そう言う。
しかし千反田から返事が無かったので、数秒の後そちらに視線を移した。
える「……そ、そうでしたか」
俺の視線を受けた千反田は、再び俺に背を向けると、料理を始めた様だ。
いくらか恥ずかしそうにしている千反田を見て、俺もなんだか恥ずかしくなる。
……調子が狂うな、全く。
それよりも、明日。
俺も少し、頑張らないとな。
……果てして、少しで済むかどうかは分からないが。
第18話
おわり
今日は夕方の6時に千反田の家に行かなければならない。
それもそう、千反田と祭りに行く予定となっているからだ。
先ほど見た時計によると、今は5時。
約束の時間までは、もう少しありそうだ。
昨日、寝る前にこれまでの事を振り返り、俺の中で結論は出ていた。
後はそれを千反田に言うだけなのだが……それが随分と、難しそうである。
まあ、なるようになるか。
時間まではまだ少しあるが、行くか。
早く着いて困る事等……無いだろう。
インターホンを鳴らすと、応答する前に玄関から千反田が出てきた。
える「お早いですね」
千反田は俺に昨日見せた浴衣を、しっかりと着こなしている。
前にも何回か、この様な装いは見ているが……
それらよりも幾分か軽い感じの印象を受けた。
そんな姿に、俺は少し見惚れてしまう。
える「あの、折木さん?」
奉太郎「あ、ああ」
奉太郎「……似合ってるな、浴衣」
恐らく……相当、無愛想な感じになってしまっただろう。
しかし当の本人はそんな事、全く気にしていない様子だった。
える「では、行きましょうか」
奉太郎「そうだな」
そう言い、千反田の少し後ろを歩く。
後ろと言っても、ほとんど横に並んでいる様な感じではあるが。
奉太郎「そこは遠いのか?」
える「いいえ、そうでも無いですよ」
える「ええっと、確か歩いて20分程です」
20分か、確かにそうでも無いかも知れない。
今日、俺が危惧していた事の一つ……
歩いて1時間だとか、2時間だとか、そんな距離では無い様だ。
まあこれで、一つ心配事が消えた訳か。
奉太郎「その祭りは人とか結構来るのか?」
える「……どうでしょう、私も始めて行く場所ですので」
そうだったのか。
つまり千反田は、そこまでの道のりを調べていると言う事か。
なんだか悪い事をしてしまった気分になる。
言ってくれれば、少しは手伝えただろうに……多分。
える「神社で開かれているお祭りらしいので、人はそこそこには居ると思います」
奉太郎「なるほど」
まあそうだろう。
神社で折角開かれて閑古鳥が鳴いている様だったら、悲しい物である。
ふいに、千反田が前を向きながら呟いた。
える「折木さんと二人でお出かけするのも、随分久しぶりですね」
……そうだな、確かに言われてみればそうだ。
奉太郎「今年は、始めてかもしれないな」
える「ええ、確かその筈です」
奉太郎「最後に二人で遊んだのはいつだっけか」
える「ええっと……」
千反田は少しの間、考える素振りをすると、口を開いた。
える「映画を見た時では無いでしょうか?」
そうだっただろうか……?
二人で遊んだ、と言える事は他にもあったと思うが……
奉太郎「ほら、お前が学校ズル休みした時の」
える「……あの時は、具合が悪かったと言う事にしておいてくださいよ」
奉太郎「そんな奴が、水族館に行きたいとか言うのか」
える「……折木さんは意地悪です」
奉太郎「すまんすまん、まあ……今となれば良い思い出かもな」
える「あそこの水族館も、また行きたいですね」
奉太郎「そうだな……皆で行った動物園でも、俺はいいがな」
える「あ、それもいいですね」
なんだか、話が脱線しているが……今思い出した。
最後に千反田と二人で遊んだのは、映画を見に行った時だ。
そんな事を考え歩いていると、前に沢山の提灯が見えて来る。
奉太郎「あそこか?」
える「ええ、ここですね」
ほお、意外とでかい祭りなのか。
人も結構な量だ。
える「わ、わ、すごいですね!」
千反田もそれに驚いたのか、はしゃいでいる。
正直な所、人混みはあまり好きでは無いのだが……
しかし、そんな事を言っていては祭りなんて楽しめないだろう。
俺がそう言うと、千反田は頬を膨らませながら答える。
える「折木さんの方こそ、迷子にならないでくださいね」
奉太郎「……へいへい」
える「納得出来ない返事ですが、行きましょうか」
奉太郎「ん、そうだな」
何か言い返そうかと思ったが、いつまでもここで漫才をしている訳にもいかないだろう。
千反田もそれが分かったのか、二人で一緒に神社の中へと入って行った。
える「色々な出店がある様ですね」
奉太郎「みたいだな」
奉太郎「あれか、例の気になりますか?」
える「そうなんですが……色々とありすぎて、どこから気になればいいのか……」
大丈夫か、目が泳いでいるぞ。
奉太郎「時間が無いって訳でも無いだろ、ゆっくり回ればいいさ」
える「は、はい。 そうですね」
える「あ、でも花火は見ますよね?」
奉太郎「ああ、今はまだ18時30分くらいだろう」
奉太郎「21時からの筈だから、時間はあるさ」
える「分かりました、今回は花火が遅れる事も無さそうですしね」
奉太郎「そうだな」
そう話し終わると、早速千反田は出店を回り始める。
俺は特に千反田みたいに気になる物等は無かったので、それに黙って付いて行った。
ええっと、何々。
奉太郎「射的か」
える「ええ、どうですか?」
奉太郎「お先にどうぞ」
える「私ですか、分かりました」
そう言い、千反田は店の人に金を渡すと、銃を構えた。
える「……」
狙いはなんだろうか?
奉太郎「何を狙っているんだ?」
える「あのぬいぐるみです……折木さん、お静かに」
……うるさいと言われてしまう、すんません。
となんとも頼り無い掛け声と共に、パコンと言う音がした。
弾はぬいぐるみには当たった物の、落ちはしない。
奉太郎「惜しかったな」
える「残念です……次は折木さん、どうぞ」
ううむ、なら俺もあのぬいぐるみでも狙うか。
そう思い、店の人に俺も金を渡す。
銃を構え、狙いを定める。
奉太郎「……」
える「折木さんはどれを狙うんですか?」
える「あ、ほんとですか」
える「頑張ってくださいね」
奉太郎「……ああ」
俺に静かにしろと言った割には、随分と話し掛けてくる奴だな……
奉太郎「……よっ」
結局、俺も随分と頼り無い掛け声であったのだが。
える「あ」
千反田が思わず声を出したのも無理は無い。
弾は的外れの所へと飛んで行ってしまったのだから。
える「そうかもしれません」
何かフォローして欲しかったが、仕方ないか。
奉太郎「……次、行くか」
える「は、はい」
千反田はとても名残惜しそうに、ぬいぐるみを見つめていた。
そんな千反田の視線に気付いたのか、店の人が声を掛けてくる。
「なんだ、お嬢ちゃんこのぬいぐるみが欲しいのか?」
「いいよ、二人してやってくれたから」
そう言うと、店の人は俺にぬいぐるみを手渡す。
千反田と俺は最初の方こそ断った物の、結局はそれを受け取った。
なんともいい人である……最後の言葉。
と言う言葉は蛇足だったが。
奉太郎「……それで、次は何か見たい物あるか?」
える「ええっと、そうですね」
える「……お腹が、減りました」
何もそんな恥ずかしそうに言わなくてもいいのに。
俺だって、腹は減っている。
奉太郎「そうか、じゃあ何か食べるか」
える「はい、そうしましょう!」
える「お祭りで食べる物って、普段買う物よりおいしく感じませんか?」
奉太郎「あ、それはあるな」
える「何故でしょうね」
奉太郎「……さあ」
える「難しい問題です、これは」
える「でも今はそれより、食べましょうか」
助かった。
流石に、俺とて人間がその時々で違う感じ方をする理由など、分かる訳も無い。
気になりますが出たら、どうしようかと思っていた所だった。
える「ええ、いくつか」
奉太郎「楽しそうで何よりだ」
える「折木さんは、楽しくないんですか?」
奉太郎「いや、楽しんでいると思うが……何で?」
える「いえ、前の折木さんなら楽しいと思わなかったかもしれないので」
奉太郎「……そうか」
奉太郎「なあ、千反田」
える「はい、何でしょうか」
える「私の中では、折木さんは折木さんですが……」
突然そんな質問をされ、きょとんとした顔をしながら千反田は答えた。
える「前よりも行動的になったと言うか、活発になったと言うか、それを変わったと言うならば、変わったと思います」
奉太郎「だろうな」
える「折木さん自身も、気付いているんですか?」
奉太郎「里志に良く言われるからな、嫌でも気付くさ」
える「ふふ、そうですか」
奉太郎「……それで」
奉太郎「それは、悪い事なのだろうか」
える「何故、そう思うんです?」
奉太郎「……なんとなく」
える「私は……良い事だと思います」
奉太郎「何故? 千反田の気になる事を解決できるからか?」
俺がそう言うと、千反田はまたしても頬を膨らませながら答えた。
える「そうではありませんよ、今日の折木さんはやはり、意地悪です」
奉太郎「……さいで」
える「私が良い事だと思うのはですね」
える「それは、折木さん自身だからです」
……どういう事だろうか。
そんな考えが顔に出ていたのか、千反田は補足を始める。
える「折木さんが、急に非行の道に走ったとしても、それは折木さん自身が選んだ事ですよね」
また随分と、飛んだな。
える「その行為自体は、良い事とは言えないですが」
える「でも、自分で決めた事ならば、それは良い事だと思うんです」
奉太郎「ふむ……つまり」
奉太郎「俺が今から酒や煙草をやっても、良い事なんだな」
える「……止めますよ?」
奉太郎「止めるのか」
える「ええ、止めます」
奉太郎「良い事なのに?」
える「……もしかして、ふざけていますか?」
える「もう、やはり意地悪です」
奉太郎「すまんすまん」
奉太郎「まあ、でも言いたい事は分かったよ」
える「……そうですか、それならば良かったです」
奉太郎「ああ、なんだ……その」
奉太郎「ありがとうな、千反田」
える「ふふ、どういたしまして」
金魚すくい、輪投げ等々。
食べ物をやっている店もいくつか回り、時を過ごした。
そして。
奉太郎「そろそろ、時間だな」
える「あ、もうそんな時間ですか」
奉太郎「ああ、行くか?」
える「ええ、そうですね」
える「少し、食べ過ぎてしまった気がします……」
そうは言っていた物の、千反田の様な、生活が真面目な奴ならば大して気にする事でも無いだろうに。
える「この格好では、無理ですよ」
える「それに折木さんは、絶対に走らないじゃないですか」
奉太郎「……良く分かったな」
える「誰にでも分かる事ですよ、折木さん」
そう言い、笑顔で千反田は俺の顔を覗き込んできた。
なんだ、俺の事を散々意地悪と言っておきながら、こいつも随分意地悪だな。
える「では、行きましょうか」
奉太郎「ああ、そうしよう」
俺はこの時、強く確信する。
……決着を付けるべきは、今日。
俺から何も話さなければ、千反田から何か言ってくる事も無いだろう。
それこそが省エネか。
なんて事を考え、一人苦笑いをする。
それだけは絶対にあり得ない。
俺は学んだのだ、あの日、あの公園で。
それならば同じ過ちを踏む必要なんて、無いだろう。
去年出来なかった事をする為に。
千反田との距離は既に正確に測れている筈だ。
なら……後は、俺の口から話すだけ。
なんだ、難しい難しいと思っていたが、簡単な事では無いか。
しかし何故か、俺は今日一番緊張しており、鼓動が早くなっているのを感じていた。
第19話
おわり
公園に着くとすぐ、千反田はいつもの様にベンチに腰を掛けた。
える「そろそろですかね?」
奉太郎「ああ、もうすぐ始まる筈だ」
俺はそう言い、千反田の横に腰を掛ける。
える「それにしても、ここから花火が見えるなんて」
える「随分といい場所を知っているんですね。 折木さんは」
奉太郎「教えてもらったからな」
える「……あ、福部さんですか」
奉太郎「そうだ」
それもその筈。
里志に教えて貰わなければ、俺がここから花火を見れる事等……知っている訳が無い。
える「勿論です、楽しくない訳がありませんよ」
奉太郎「なら良かったが」
える「折木さんも楽しめたんですよね」
える「お誘いして、良かったと思っていますよ」
そう言い、千反田は俺の方に笑顔を向けてきた。
いつもなら、多分俺は視線を逸らしていたかもしれない。
だが、今日は……そんな千反田の顔を、正面から見た。
顔をずっと見ている俺が不思議だったのか、千反田の顔には困惑の色が浮かんでいる。
奉太郎「……なあ、千反田」
そう声を出した時だった。
空が、光る。
える「あ、始まりましたよ!」
奉太郎「……らしいな」
まあ……いいか。
今は花火を見る事にしよう。
それから何度か上がる花火を、俺は千反田と共にしばらく見ていた。
奉太郎「ん、どうした」
える「……綺麗ですね」
……何だか、聞き覚えがある台詞だな。
奉太郎「……そうだな」
これはそうか、何回か見た夢……あれと、一緒だ。
だとすると、これもまた夢なのだろうか?
奉太郎「……」
俺は千反田に気付かれない様に、腕を抓って見た。
……痛い。
つまり、夢ではない。
奉太郎「……この公園での事か」
える「ええ、そうです」
奉太郎「色々あったな……本当に色々」
える「ふふ、私もそう思っていました」
える「……ここで、大泣きしたのも覚えていますよ」
奉太郎「伊原の事を、言った時か」
える「はい、そうです」
あれは、俺が心の底から怒った事でもあった。
……懐かしい。
奉太郎「お前は随分と泣いていたな」
える「ふふ、迷惑でしたよね」
迷惑、か。
奉太郎「……俺は、お前の事を本当に迷惑だと思った事なんて」
奉太郎「一度も無い」
える「そう言って頂けると、嬉しいです」
千反田は花火を見ながら、そう言った。
える「後は、そうですね」
える「……最初にプレゼントを貰ったのも、あそこでしたね」
える「今でも大事にしていますよ、あのぬいぐるみは」
奉太郎「知っているさ」
奉太郎「……里志や伊原の前では、絶対に出して欲しくないがな」
える「す、すいません。 よく覚えておきます」
奉太郎「……ああ、そう言えば」
える「はい?」
奉太郎「お前、俺がぬいぐるみを貸して欲しいと言ったとかなんとか、言っていたっけか」
える「あ、あの……それは、あれです」
える「そう言うしか、無かったというか……」
える「す、すいません。 今度はぬいぐるみを欲しいと言っていた、と言う事にしておきます」
奉太郎「……本気か?」
える「ふふ、冗談ですよ」
奉太郎「……千反田も、変わったな」
える「私がですか?」
奉太郎「前はそこまで、冗談を言う奴では無かった気がする」
える「……そうでしょうか、私は昔からこの様な感じですが」
奉太郎「そうなのか」
える「ええ、恐らくですが……」
える「仲良くなったのも、あるでしょうね」
える「最初の時より、今は仲が良いと思っていますので」
奉太郎「……そうか」
える「あれ、もしかしてそう思っていたのは、私だけですか?」
奉太郎「……いや」
奉太郎「俺も、そう思っている」
える「その言葉を聞けて、良かったです」
俺と千反田は一度も視線を交えないまま、会話を続けた。
奉太郎「後、そうだな」
奉太郎「やはり……去年の暮れか」
える「……そうですね、あの時が一番、心に残っています」
奉太郎「全く同意見だな」
える「……」
える「私、初めてでした」
奉太郎「……何が」
そこまで言って気付く、これもまた、夢と一緒だ。
次に千反田が言う言葉……恐らく。
える「それを聞くのは、少し意地悪ですよ」
える「何がおかしいんですか、もう」
千反田はそう言うと、俺の方に顔を向けた。
奉太郎「すまんすまん」
俺もまた、千反田に顔を向け、答える。
える「初めての、キスでした」
奉太郎「ああ、俺もだな」
える「……そうでしたか」
奉太郎「嬉しい事が聞けた」
える「え? は、はい……」
千反田が言おうとした事を、俺が先に言ったのだろう。
少しだけ、驚いた顔をしている千反田が面白い。
奉太郎「なあ」
える「はい、なんでしょうか」
奉太郎「このままで、いいと思うか」
える「……」
千反田は押し黙る。
奉太郎「俺は」
次に、一際大きな花火があがる。
しかしそれもまた、学んでいた事であった。
俺はいつもより声を大きく、言う。
その言葉はしっかりと、千反田の耳に届いた様だ。
える「……ふふ、私も一緒ですよ」
える「折木さんと、同じ考えです」
奉太郎「そうか」
奉太郎「……ある意味では、そうだろうな」
える「ある意味、ですか?」
奉太郎「……ああ、そうだ」
奉太郎「俺の話を、聞いてくれるか」
える「はい、勿論です」
える「折木さんの言葉の意味、気になります」
千反田はそう言うと、静かに笑いながら、俺の顔を覗き込む。
える「え、そ、それは……」
奉太郎「ああ、いや。 すまん」
奉太郎「言い方が悪かったな」
奉太郎「俺と言う人間を、どう思う?」
える「……それはまた、難しい質問ですね」
奉太郎「分からないなら、分からないでもいいさ」
える「……いえ、答えます」
える「私は、折木さんと言う人を」
える「とても身近な存在ですが、同時にとても遠い存在でもあると思っています」
える「私では思い付かない色々な事を、解決してくれたのも」
える「そして、何度も何度も私の事を助けてくれたのも」
える「それらが全部、私では出来ない事なんですよ」
……やはり、俺が思っていた通りだった。
奉太郎「詰まる所、自分で言うのもあれだが」
奉太郎「追いかけていたんだな、千反田は……俺の事を」
える「ええ、その通りです」
奉太郎「だから昨日、立ち止まれば俺の生き方を学べると言ったのか」
える「よく、覚えていますね」
奉太郎「……それだけじゃない」
える「と、言いますと?」
奉太郎「いや、それは後で話そう」
奉太郎「とにかく、千反田は俺の事を追いかけていたって事だ」
える「ふふ、さっきもそう言いましたよ」
奉太郎「俺も、思っていた事なんだよ」
える「折木さんも、ですか?」
える「つまり、折木さんは後ろに私が居るのを、分かっていたんですか?」
奉太郎「違う」
奉太郎「俺は……千反田の事を追いかけていたんだ」
える「……私の事を?」
奉太郎「ああ、そうだ」
奉太郎「俺とは住んでいる世界が違う、お前の事を」
奉太郎「千反田の言葉を借りると、俺に持っていない物を、千反田は沢山持っていたんだ」
奉太郎「だから……ずっと追いかけていた」
奉太郎「可笑しな話だろ。 二人して追いかけていたら、追いつける筈が無いからな」
える「ふふ、それもそうですね」
える「ですが、折木さんは気付いてくれました」
える「私が、追いかけて居た事を」
える「普通でしたら、絶対に気付かない事に……気付いてくれたんです」
奉太郎「……いくつかヒントもあったからな、偶然だ」
える「あ、それは少し気になりますね」
える「折木さんが気付くきっかけとなったヒント、教えてください」
奉太郎「ま、最初から教えるつもりだったがな」
俺はそう言い、一度ベンチから立ち上がる。
える「では、そうですね」
える「コーヒーはどうでしょうか?」
その言葉を無視すると、俺は自分のコーヒーと千反田の紅茶を買った。
そのまま紅茶を千反田に差し出し、俺は言う。
奉太郎「冗談はもう簡便してくれ」
える「ふふ、ありがとうございます」
千反田は嬉しそうに、紅茶を受け取った。
俺は再びベンチに腰を掛け、買ったばかりのコーヒーを一口、飲み込む。
奉太郎「……ふう」
える「折木さんが気付いた理由、ですよ」
奉太郎「ああ……」
奉太郎「まずはそうだな、今年の生き雛祭りの時だった」
える「生き雛祭りですか」
奉太郎「まあ、あの時は気付かなかったけどな」
奉太郎「昨日の言葉が、全部を繋げてくれたんだ」
える「それで、その時のヒントとは?」
奉太郎「千反田の言葉、歩き終わった後のだったな」
奉太郎「俺と一緒に、歩けている気がした。 と言っただろ」
奉太郎「覚えているか?」
奉太郎「最初は、俺が千反田に追いつけているのかもと思った」
奉太郎「だが、あの言葉の本当の意味は、違う」
える「そうです、その逆……ですね」
える「私が、折木さんと少しの間でしたが、追いつけたと感じたので……そう言いました」
奉太郎「……そうだ」
奉太郎「昨日の夜に考えて、思い出して……気付いたんだ」
える「そうでしたか……他には、何かあるんですか?」
奉太郎「そうだな……」
奉太郎「何だったっけか、古典部で勉強をしていた時の話だ」
える「ええっと、ペン回しですか?」
奉太郎「結局、お前はあの時ペンを回せなかったな」
える「それもしっかりと、覚えていますよ」
奉太郎「あの時も多分、思っていたんだろ?」
える「……さすがにそれは、気付かれないと思っていたのですが」
奉太郎「普段と、違う顔だったからな」
奉太郎「……すぐに分かるさ、そのくらい」
える「あの時、私が思っていた事は」
える「どんなに些細な事でも、折木さんと同じ目線に居たかった、と言えば正しいですね」
奉太郎「それで、あんな悲しい顔をしていたのか」
える「……そんなに普段と違いました?」
える「折木さんを騙すのには、苦労しそうですね……」
奉太郎「……逆を言えば、千反田に騙されるのは苦労しそうだ」
える「えっと、馬鹿にしてます?」
奉太郎「いいや、褒めてる」
える「……本当にそうなら、いいのですが」
参ったな、本当にそうなのだが。
奉太郎「まあそれで、分かっただろう」
奉太郎「俺が気付けた理由を」
える「ええ、そうですね」
奉太郎「それは俺も、千反田に感じている事だ」
その時、また一段と派手に花火があがった。
俺と千反田はしばし、そんな花火に目を奪われる。
える「今日は本当にありがとうございました、折木さん」
奉太郎「別に、俺の方こそありがとうな」
そんな会話を聞いていたかの様に、花火は静かに終わりを迎える。
辺りに響いていたのは、虫達の鳴き声だけだった。
俺と千反田はまだ、ベンチに座っている。
える「はい、どうぞ」
奉太郎「追いかけあっていた二人が、気付くにはどうすればいいと思う?」
える「気付くには、ですか?」
奉太郎「……分からないか」
える「もう少しだけ、ヒントを頂ければ、分かると思います」
奉太郎「そうか、なら……」
俺はそう言い、一度息を整える。
奉太郎「今回、千反田は足を止めた」
奉太郎「大学に行くという、選択を選ぶ事によって……」
奉太郎「だが」
奉太郎「……俺は、足を止めなかった」
える「横を見れば、良いのでは無いでしょうか」
奉太郎「……一緒だ、それも俺と同じ考えだ」
える「それは、嬉しいです」
千反田の顔が月明かりで薄っすらと見える。
そんな光景が、俺にはとても美しい物に見えていた。
奉太郎「じゃあ最後にもう一つ」
奉太郎「これは質問と言うより、俺の想いだな」
奉太郎「なんだか長くなってしまったが、俺が言いたいのは一つだ」
える「ちょ、ちょっと待ってください、折木さん」
奉太郎「な、なんだ」
ああくそ、変に止められたせいで恥ずかしくなってきてしまったでは無いか。
える「ええっとですね、折木さんが今から言おうとしているのは」
える「あの、去年の暮れにここで、私に言ってくれた事と同じ事ですよね」
奉太郎「ま、まあ……そうなる」
える「そ、それで……私が、断った事ですよね」
奉太郎「ああ……そうだな」
そんな事をせずとも、分かるだろうに。
……もしかすると、千反田も意外と用心深いのかもしれない。
える「では……ですね、今回は私から言わせて貰えませんか」
奉太郎「ち、千反田からか」
える「え、ええ」
奉太郎「まあ……別に、構わんが」
そう言いながらも、千反田の方を向けなかった。
……かなり、恥ずかしい。
そう言い、千反田は短く咳払いをする。
その瞬間、空気が変わるのを俺は感じた。
そんな空気に圧倒され、千反田の方に顔を向ける。
俺は不思議と、その時……落ち着いた気分となっていた。
える「私は、千反田えるは」
える「折木さんの事が、好きです」
える「もし、良ければ私と……お付き合いしてください」
千反田の告白は、とても単純な物であった。
しかしそれは、どんな告白よりも……嬉しかった。
そして顔を近づけ。
千反田に、返事代わりのキスをした。
千反田は一瞬だけ体を強張らせていたが、それもすぐに無くなる。
キス自体は多分、そんな長くは無かったと思う。
それから何分か、もしかすると何時間か。
一緒に、ベンチで夜景を眺めていた。
少しだけ夜風が涼しい、祭りの終わり。
俺は、薔薇色への道を選んだ。
そういえば、一つ気になる事があったな……
千反田は、どこの大学に行くのだろうか?
……いや、そんな事、今はどうでもいいな。
今は千反田と、ゆっくり話して居たい。
第20話
おわり
第2章
おわり
素晴らしい
Entry ⇒ 2012.11.05 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
える「古典部の日常」 5
俺は今、神山市から少し離れた所に来ていた。
話せば長くなるが……
面倒だな、話すのは今度にでもしよう。
入須「どうだ、中々に良い場所だろう」
奉太郎「そうですね」
俺と入須が居たのは、高台であった。
町並みを一望でき、キラキラと光る町の奥には海が見える。
奉太郎「入須先輩がこんな場所を知っているなんて、少し驚きです」
俺がそう言うと、入須はムッとした顔を俺に向けながら言った。
奉太郎「……先輩でしたね」
入須「そうとも」
入須「なら穴場の一つや二つ、押さえてあるさ」
奉太郎「それはそれは、失礼な事を言ってすいません」
入須「分かればいいんだが……」
入須はそう言い、手すりから町並みを眺める。
その時だった。
空がまばゆく光る。
遅れて……ドン、と言う音が耳に届いた。
入須「ああ、そうみたいだな」
ここに来ていたのには理由があった。
年に一度の花火大会、それを見るためにわざわざ神山市を離れ、こんな所まで来ているのだ。
最初は間隔をゆっくりと、花火達が上がっていく。
それを見ながら、入須は口を開いた。
入須「私ももう、大学生か」
入須「思えば随分と年を取ったものだ」
奉太郎「まだ、18か19でしょう」
奉太郎「年寄りみたいな台詞は、似合いませんよ」
入須「あっと言う間さ」
入須「青春なんてすぐに終わる」
入須「ああ」
思えば、俺も既に三年生か。
後一年も経たない内に、神山高校を去ることになるのか。
その後は……俺は一応、大学へと行く予定になっている。
里志や伊原もそうだろう。
だが、千反田は前に聞いた時、少しだけ悩んでいる様子だったのを覚えている。
また父親に何かあった時、何も知らなくていいのかと……千反田は言っていた。
もしかすると、千反田は大学には行かず、家の仕事に就くのかもしれない。
そして、それを俺に決める権利は無い。
恐らくそうなれば、段々と疎遠になって行くのだろう。
中学の時も一応、俺にも友達くらいは居た。
そいつらとは高校へ行っても遊ぼうな、等と言っていた物だが……
いざ高校生になってからは、ほとんど連絡なんて取っていなかった。
……そんな、物だろう。
入須「そうか、君の誕生日は確か……」
奉太郎「四月です」
入須「なるほど、君が一番早く年を取っているのか」
奉太郎「そう言う言い方は、出来ればやめて欲しいですね」
入須「ふふ、すまんすまん」
そこで俺は一度、空を見上げた。
花火が一つ……散っていく。
そんな光景を見ながら、一つの事を思い出す。
あれは確か……俺の誕生日の日だったか。
~折木家~
休みなだけあって、俺は随分と遅く、目を覚ました。
供恵「あんた、やっと起きたの?」
奉太郎「いいだろう、別に」
供恵「だらしないわねぇ」
奉太郎「休みくらいゆっくりさせてくれ」
供恵「あんたがそれを言うか」
朝から……いや、昼から姉貴との言い合いは、どうにも気が進まない。
最後の姉貴の言葉を無視すると、俺はとてもゆったりとした動作でコーヒーを淹れた。
供恵「私の分もよろしくねー」
奉太郎「……ああ」
それは少し違うか、おまけで作るのだし。
まあ……どの道、気が進まない事には代わり無いのだが。
供恵「あーそういえば」
供恵「誕生日お・め・で・と・う!」
奉太郎「……どうも」
姉貴の精一杯の笑顔に俺は精一杯無愛想に返す。
供恵「確か、去年はお友達が来てたけど」
供恵「今年はどうなんだろうねぇ」
奉太郎「さあな、分からん」
去年は確かに、俺の家で誕生日を祝われた。
しかし、あれは大日向が居たからだ。
あいつが居なければ、俺の誕生日を祝おうなんて、他に誰も思わないかもしれない。
別に俺も、祝って欲しいなんて事は無いし、構わないが。
供恵「ありがと」
姉貴のその言葉を流し、俺もソファーに座る。
腰を下ろし、背もたれに背中を預けようとした時だった。
俺に反抗するように、家の電話が鳴り響いた。
俺はなんとも中途半端な姿勢で止まる事となり、そこで止まったが最後……電話に出る役目は俺に回ってくる。
供恵「ほらほら、友達かもしれないでしょ」
奉太郎「……くそ」
コーヒーをテーブルに置くと、俺は電話機の前に移動し、受話器を取った。
奉太郎「もしもし、折木です」
える「折木さんですか? 千反田です!」
える「えっとですね、今日は何の日かご存知ですか!?」
なんだ、やけにテンションが高いな……
奉太郎「一週間に二度ある休みの内の、一日だな」
える「そうではないです!」
える「い、いえ……確かにそうかもしれませんが」
える「違います!」
千反田が言っている事は大体分かる、俺の誕生日の事だろう。
だが自分から言うのも、少しあれなので敢えてそうは言わない。
奉太郎「じゃあ、なんの日なんだ」
える「もしかして、忘れてしまったんですか?」
える「今日は、折木さんのお誕生日ですよ!」
奉太郎「それで、それがどうかしたのか」
える「お祝いをしようと思って、お電話しました」
奉太郎「ああ、そうか」
える「はい! お誕生日おめでとうございます」
奉太郎「ありがとう」
奉太郎「それで、用事は終わりか?」
える「ち、違いますよ……それだけではないです」
まだ何かあるのだろうか?
える「実はですね、誕生日会を開こうと計画していまして」
奉太郎「また、急だな」
える「そうでもないですよ、予め決めていましたので」
える「当たり前じゃないですか、福部さんと摩耶花さんと、秘密に計画していたんです」
奉太郎「……まあいい」
奉太郎「また俺の家でやるのか?」
える「いいえ、何度もお邪魔しては迷惑だと思いますので……」
える「今年は、私の家で開くことにしているんです」
待て待て、俺の家で開くのなんて全然迷惑じゃない。
わざわざ主役の俺を、遠い千反田の家まで足を運ばせると言うのか!
奉太郎「お前の家まで行けって事か」
える「はい!」
奉太郎「俺の誕生日を、お前の家で開く為に」
える「はい!」
奉太郎「わざわざお前の家まで、休みを堪能している俺が」
える「勿論です!」
奉太郎「……分かった、行けばいいんだろ」
える「ふふ、お待ちしてますね」
える「福部さんも伊原さんも今から来るそうなので、楽しみにしておきます」
奉太郎「そうか、じゃあ準備が終わったらそのまま行く」
える「ええ、宜しくお願いします」
そして話が終わり、俺は受話器を置く。
供恵「行ってらっしゃーい」
奉太郎「……はあ」
姉貴の満面の笑みを見て、溜息を吐くと俺は準備に取り掛かった。
と言っても、大した準備等は無いが。
ともかく、俺はこうして千反田の家での誕生日会をする為、わざわざ休日に出かける事となったのだ。
インターホンを鳴らすと、扉の前で待っていたのか、すぐに千反田は出てきた。
える「わざわざありがとうございます」
える「上がってください」
そう言われ、千反田の家へと上がっていく。
いつもの居間に通され、変わらぬ千反田の家でゆっくりとくつろいでいた。
奉太郎「そう言えば、里志と伊原はまだなのか?」
える「もう少しで来ると思うのですが……」
その時、インターホンが鳴り響く。
える「来た様ですね、私行ってきますね」
奉太郎「ああ」
何回来ても、まずその広さに驚かされる。
俺の家の何個分に当たるのだろうか……
とても比べ物には、ならないか。
多分、この家の広さが……千反田という名家を表しているのかもしれない。
そんな事を考えながら、里志達がやってくるのを待っていた。
出されたお茶を飲みながら、俺は考える。
……去年、俺はあいつの事を追い掛けていたのかもしれない。
社会的にも、俺の前を行く千反田の事を。
最終的に、それは不釣合いだったのだろう。
片や、神山市には知らぬ者等居ないほどの名家のお嬢様。
片や、ただの一般人。
それは多分、いくら追いかけても追いつけないのかもしれない。
あの日に起きた事は、起こるべくして起きたのかもしれない。
だが、だがもう少しだけ。
俺が高校を卒業するまで、追いかけてみよう。
それでも駄目なら、そこまでだったと言う事だ。
里志「お、ホータローはもう来ていたんだね」
奉太郎「……里志か」
里志「なんだい、随分と暗い顔をして」
奉太郎「いや、何でも無い」
奉太郎「それより、伊原と千反田は?」
奉太郎「手伝いに行かなくていいのか」
里志「何言ってるんだい、僕達が行っても足手まといになるだけさ」
奉太郎「まあ、間違ってはいないが」
里志「それより、何か考え事でも?」
奉太郎「……ちょっとな」
里志「僕には何を考えている何て事は、分からないけど」
里志「あまり、思い詰めないで今を楽しもうよ」
今を楽しむ、か。
それも……悪くないかもしれない。
里志「それに今日はホータローが主役だよ」
里志「さあさあ、笑って笑って」
いや、いきなり笑えと言われてもだな……
奉太郎「……それは難しい」
里志「釣れないなぁ」
奉太郎「いつも笑顔のお前が羨ましいな」
里志「何事も、楽しまなくちゃね」
里志「じゃないと時間が勿体無い」
奉太郎「ああ……それもそうだ」
そこまで話し、俺と里志は互いに外を眺める。
そのまま数分経ち、やがて伊原と千反田が部屋へと来た。
摩耶花「私も作ろうと思ったんだけど……ほとんどもう作ってあった」
里志「はは、さすが千反田さん、準備がいいね」
える「い、いえ……それほどでもないです」
そして並べられる料理、それらは実に美味しそうであった。
結構な量の料理を、全員で食べ、気付けばあっと言う間に無くなってしまっている。
奉太郎「悪いな、わざわざ」
える「いいえ、いいんですよ」
える「一年に一回なのですから、このくらいはいつでもしますよ」
里志「うーん、千反田さんは間違いなく良いお嫁さんになれるよ」
える「そ、そうでしょうか」
里志「僕が言うんだ、間違い無い!」
摩耶花「私はどうなの?」
里志「ま、摩耶花は……もうちょっと、優しくなった方が」
摩耶花「それ、どういう意味よ」
里志「いやいや、今でも十分に優しいけどね」
里志「もうちょっと、なんて言うのかな」
える「つまりは、今の摩耶花さんは優しく無いと言う事でしょうか……」
里志「ち、千反田さん?」
千反田も始めの頃から比べると、随分とこう言う流れが分かってきている。
それを見るのも、また楽しい。
奉太郎「そうだな、里志の言葉からすると……千反田が言っている事で間違いは無さそうだ」
里志「ホ、ホータローまで」
摩耶花「ふくちゃん、ちょっとお話しようか」
そう言い、引き摺られながら里志は部屋の外へと出て行った。
哀れ里志、また会おう。
千反田はそう俺に言い、部屋から駆け足で出て行った。
何かを思い出した様だが……何だろうか。
5分ほど待っていると、千反田は部屋へと戻ってくる。
その後ろから里志と伊原も入ってきた、どうやら話し合いは終わったらしい。
里志「……口は災いの元だ、ホータロー」
俺の隣に腰を掛けながら、里志はそう言った。
里志「ホータローも気をつけたほうがいいよ」
奉太郎「俺は災いになるような事は言わんからな」
里志「……羨ましいよ、それ」
奉太郎「お前が思った事を喋りすぎなだけだろ」
里志「ううん……今後気をつける」
ま、絶対に直らないだろうけどな。
奉太郎「どうしたんだ」
える「ふふ、これです!」
そう言いながら、千反田が出したのは、ぬいぐるみだった。
摩耶花「ちーちゃん、そのぬいぐるみがどうかしたの?」
える「私の宝物なんです!」
里志「へえ、随分と可愛いぬいぐるみだね」
える「そうですよね、私もそう思います」
……ここまで、千反田が考え無しに動くのは想定外だった。
つまり、千反田が持ってきたぬいぐるみと言うのは、以前俺がプレゼントした物。
それを里志や伊原には、絶対に知られたく無かったのだ。
奉太郎「ほ、ほう。 千反田らしいな」
冷や汗を掻きながら、俺は続ける。
摩耶花「ええ、いいと思うけどなぁ」
える「で、でもですよ」
える「このぬいぐるみをくれたのは……」
俺は多分、今日一番素早い動きをしたと思う。
千反田の首に腕を回し、そのまま引っ張る。
里志や伊原は不審がっていたが、このままではどうせばれてしまう。
ならこれしかないだろう。
える「あ、あの、どうしたんですか」
奉太郎「言うなって言ったのを覚えて無いのか」
える「お、覚えていますが」
奉太郎「なら何で言おうとした……!」
える「それは、その」
える「……自慢したくて」
える「は、はい……」
そこまで話、千反田を解放する。
摩耶花「ちょっと、二人で何話してたの?」
里志「気になるねぇ」
奉太郎「……何でも無い」
俺はそう言い、二人の視線を正面から受け止める。
俺から聞き出すのは無理と悟ったのか、里志達は千反田の方に視線を向けていた。
える「あ、えっと……」
える「その……」
える「言わなくては、駄目ですか」
摩耶花「駄目って訳じゃないけど、気になるかな」
える「わ、分かりました」
つい、30秒ほど前に言うなと言ったばかりなのだから、流石に言わない筈だ。
える「あのですね」
える「……折木さんが、ぬいぐるみを貸して欲しいと」
……帰りたい。
千反田は確かに、本当の所は言わなかった。
言わなかったのだが……もっと他に言い訳はあるだろうが!
摩耶花「お、折木が?」
里志「あ、あははは、本当かい、ホータロー」
くそ、こうなってしまっては千反田の言い訳に乗るしかないではないか。
全く持って納得行かないが、仕方あるまい。
奉太郎「別に、いいだろ」
里志「まさか、あはは」
里志「ホータローにそんな趣味があったなんてね」
摩耶花「……気持ちわる」
伊原の言葉がいつにも増して、辛い。
だが、それでもやはり……本当の事を言う気にはなれなかった。
俺があの日……わざわざ帰るのを放棄し、千反田のプレゼントを買いに行ったのを知られたく無かったのは勿論の事。
……千反田が宝物と言っていたそれを、俺がプレゼントした物だと言う事は、何故か人に知られたくは無かったのだ。
える「も、もうこの話は終わりにしましょう!」
里志「そ、そうだね」
里志「どんな趣味を持とうと、僕はホータローの友達だよ」
里志の何とも言えない表情が、やはり辛い。
千反田が一度、話題を切ってくれたお陰で、話の方向を変える事が出来た。
奉太郎「今日は俺の誕生日だろ、何か言う事とか無いのか」
里志「お、ホータローにしては随分と急かすね」
奉太郎「……まだしっかりと言われていないからな」
摩耶花「うーん、まあいっか」
える「そうですね、では」
里志「僕はもうちょっと、タイミングを見たかったんだけどなぁ」
そして。
里志・える・摩耶花「誕生日おめでとう!」
その言葉と共に、クラッカーの音が鳴り響いた。
ああ……また片付けが面倒な事になりそうだ。
まあ、それでも……今日くらい、別にいいか。
何と言っても一年に一度の、日なのだから。
第12話
おわり
一際大きな花火が上がり、その音で俺は意識を過去から引き戻した。
入須「そういえば」
入須はまだ、手すりから夜景を眺めていた。
俺は視線をそちらに移しながら、入須の次の言葉を待つ。
入須「答えは、出たか」
奉太郎「答え……ですか?」
入須「まさか、もう忘れたのか」
入須「先程、私が提示した問いに対する……答えだ」
奉太郎「……まだ、出そうに無いですね」
入須「……そうか」
入須「だが、あまり時間は無いぞ」
奉太郎「そうなんですか」
入須「今、決めた」
入須「この花火大会が終わる前に、答えを出してもらう」
……また急な。
そんなすぐに答えが出る問題でも無いだろうに。
入須「まあな」
入須「どの道、いつかは答えなければいけないんだ」
入須「それなら今でも、構わないだろう」
奉太郎「……分からない、というのは答えになりますか」
入須「それは、無理だな」
入須「もし……千反田に聞かれたら、君はどうするんだ」
入須「その時もまた、分からないと言うのか?」
奉太郎「それは……」
入須「答えを出すのは、この花火大会が終わるまで」
入須「それでいいな」
奉太郎「……分かりました」
俺はそれを、断れなかった。
……まあ、時間はまだある。
時刻は21時30分、か。
ゆっくりと、思い出して行けば十分に間に合うだろう。
何しろ花火大会は、まだ始まったばかりだ。
~古典部~
俺は、部室で勉強をしていた。
と言っても、一人で静かに……とは行かない。
える「折木さん、分からない所があれば言ってくださいね」
奉太郎「……ああ」
一人の方が集中出来るのだが、別に千反田が居る事に特別不快感などは無かった。
それにしても、何故放課後の部室で勉強をしなければならないかと言うと……
五月の中間テスト、それの対策の為である。
俺はまあ……熱心にと言う程でも無いが、ある程度は勉強をしなければならない程の成績だ。
対する千反田は、成績優秀者。
そいつに教えて貰うと言うのは、一般的に考えればそれはそれは良い事なのだろう。
例えば、俺が式の組み立て方……答えが出る経緯を忘れ、悩んでいた時。
俺の目の前に座るこいつは、答えをざっくりと言い、途中の経過は全く教えてくれない。
多分、千反田にも悪気がある訳では無いだろう。
だが、答えを言った後も悩んでいる俺を見る目は、何故答えが出たのに悩んでいるんですか? とでも言いだけで、なんだか虚しくなってくる。
そして今も、俺は目の前の問題に悩まされていた。
何度かペンをくるくると回し、考える。
……駄目だ、全く持って分からない。
える「……」
奉太郎「……」
ふと、千反田の方にちらりと視線を移す。
自分の問題を解いていて、静かなのだと思ったが……
奉太郎「……あまりじろじろ見ないでくれないか」
千反田は、俺の方をジッと見つめていた。
える「あ、ごめんなさい」
奉太郎「……まあいい」
そう言い、再度問題に目を移す。
それから5分程経ったが、結局何度考えても分からない。
またしても千反田に視線を移すと、やはりと言うか……千反田はまた、俺の方を見ていた。
俺は回していたペンを置き、千反田に向け口を開く。
奉太郎「何か、言いたい事でもあるのか」
える「……いえ、別に、大丈夫です」
何が大丈夫なのか分からないが。
奉太郎「なら、俺の方を見るのをやめてくれないか」
奉太郎「……集中できん」
える「そ、そうですよね」
少しくらい言っておかないと、こいつは多分また俺の方を見るだろう。
人に文句を付けるのは好きでは無いが……
それもまた、仕方の無い事だろう。
俺は一度置いたペンを取り、再び問題に取り組む。
える「だ、駄目です!」
奉太郎「な、なにが」
急に大きな声をあげる物だから、回している途中だったペンを落としてしまう。
える「折木さんが熱心に勉強していたので……我慢していたのですが」
える「やはり、我慢できません!」
える「折木さん!」
矢継ぎ早にそう言いながら、俺の方にぐいっと顔を寄せる。
……この感じ、あれか。
える「私、気になります!」
しかしまあ……その気になる事を解決出来たなら、千反田も幾分か落ち着くだろう。
なら、俺がやるべき事は一つ。
奉太郎「……何が気になってるんだ」
える「ええ、私」
える「そのペンが、気になるんです」
……ペンが?
まさか、俺が知らないだけで、千反田はシャーペンが大好きな奴だったのかもしれない。
ありとあらゆるシャーペンを集めていて、それで今日俺が持っていたシャーペンが千反田の持っていなかったペンだったのだ。
奉太郎「そうか、なら今度買った場所を教えよう」
える「……ええっと」
あれ、違うのか。
える「どちらかと言うと、筆の方が好みです」
える「いえ、そうでは無くてですね」
える「折木さんが持った時の、シャーペンが気になるんです」
奉太郎「……すまん、もっと分かりやすく説明できないか」
える「は、はい」
える「ええっと、折木さんはいつもこんな感じでペンを持ちますよね」
奉太郎「ああ、そうだな」
正直、自分がどんな感じでペンを持っているかなんて分からなかったが、ここで話の腰を折るような事はしない。
える「それでですね、時々こういう風に」
そこまで言うと、千反田は指をピクピクとさせている。
える「う、うまくできません」
ああ……そういう事か。
奉太郎「貸してみろ、そのペン」
える「あ、はい……どうぞ」
奉太郎「千反田が気になっているというのは、これだろ」
俺はそう言い、手の上でペンをくるりと回す。
そしてそのペンを、うまく掴むと、千反田は声を大きくしながら言った。
える「な、何が起きたんですか!」
奉太郎「ペンを回しただけだが……」
える「何故、その様な事が出来るのか……気になります」
何でだろうか、逆に聞きたい。
える「でも、私には全然出来そうに無いですよ」
奉太郎「うーん……」
奉太郎「授業中に、練習してみたらどうだ」
える「折木さんは授業中にやっているんですか?」
奉太郎「まあ、暇だしな」
える「いけません! しっかりと聞かないと駄目ですよ」
なるほど、確かに正論である。
だが俺にも言い分はあった。
奉太郎「それで、それを補う為にわざわざ放課後、部室に残って勉強しているのだが」
奉太郎「俺が集中出来ないのは何故か、分かるか千反田」
える「あ、そ、それとこれとは別です」
える「そんな事より、私にも教えてください」
俺の言い分は……そんな事と言う一言で片付けられてしまった。
奉太郎「しかし、教えると言ってもだな」
える「そこを何とか、お願いします」
奉太郎「ううむ……」
奉太郎「……まず、ペンを持ってみろ」
える「はい! こんな感じですかね?」
奉太郎「ああ、まあそれでいいんじゃないか」
奉太郎「で、その後はだな」
奉太郎「こうやって、こうだ」
そう言い、俺は自分が持っていたペンをくるりと回す。
何だろう、わざわざ失礼な事と前置きしてまで聞くと言う事は、大分失礼な事なのだろうか。
える「折木さんって、教え方が上手い方では無いのでしょうか」
奉太郎「……お前がそれを言うか」
える「す、すいません」
える「でも、全然分からなかったので……」
と言われても、俺も困ってしまう。
奉太郎「とりあえず、練習しておけばいいさ」
奉太郎「その内出来る様になるだろ」
俺は千反田にそう告げ、勉強を再開する。
える「……よいしょ」
奉太郎「……」
える「……あ!」
奉太郎「……」
える「……うまく行きませんね」
先程から、ペンの落ちる音が鳴り響いている。
その音が聞こえた後、千反田の独り言が聞こえてくる。
こんなんじゃ、勉強所では無いな……全く。
奉太郎「ああ、もう」
未だにペンを回そうと奮闘している千反田を見て、俺は席を立つ。
そのまま千反田の後ろに回り、ペンを持つ手を上から掴む。
奉太郎「こうだ」
俺はそう言い、いつもの要領で千反田の手を動かした。
うまく行くとは思わなかったが……ペンはうまい具合に一回転し、千反田の手に収まった。
える「すごいです、折木さん!」
奉太郎「別に凄くは無いだろ……」
奉太郎「もう一回、やってみろ」
俺は千反田後ろに立ったまま、手を離す。
える「はい、やってみますね」
える「……よいしょ」
……ああ、違う。
後ろから見ているとなんとなく分かる……こいつはペンを、指で追いかけ過ぎだ。
そう言い、俺は再び千反田の手を掴む。
その時、ふと千反田が俺の方に顔を向けた。
俺はこの時、まずいと感じた。
予想以上に、千反田の顔が近かったのだ。
そのまま数秒間、千反田と見つめ合う。
そんな沈黙に耐え切れず、俺は顔を逸らした。
千反田も顔を逸らし、口を開く。
える「あ、あの……」
える「少し……は、恥ずかしいです」
あえて言わなくてもいいだろうに、そんなの俺だって感じている。
そして千反田の手を離し、俺は自分の席へと腰を掛けた。
空気を変えるため、咳払いを一つすると、俺は千反田に話しかける。
奉太郎「……えっとだな、千反田はペンを追いかけ過ぎだ」
える「追いかけ過ぎ……ですか」
奉太郎「ああ」
奉太郎「ペンを押し出したら、そのまま戻ってくるのを待つんだ」
奉太郎「それで、タイミング良く掴む、それだけだ」
える「分かりました……もう一度、やってみますね」
える「ええっと、こんな感じで持って」
える「……えい!」
まあでも、さっきよりかは大分マシになっていた様に見える。
える「やはり、難しいですね」
奉太郎「その内出来るようになるさ、さっきも言ったけどな」
える「はい……頑張ってみます」
える「でも、折木さんは簡単そうに回して、凄いです」
奉太郎「そ、そうか」
える「折木さんの特技はペン回しだったんですね」
……なんか、とても情けない特技では無いだろうか。
奉太郎「そこまで大袈裟に言う程の物でもないだろ」
俺はそう言うと、千反田はやはりと言うべきか、顔を近づけ、言ってきた。
える「どんな些細な事でも、皆さんそれぞれ、得意な物や苦手な物があるんです」
奉太郎「……まあ、そうだな」
奉太郎「それは分かる」
える「ふふ、そうですか」
える「例えば折木さんは物事を組み立てるのが、得意ですよね」
そうなのだろうか、自分では良く分からないが……
える「でも、私は物事を組み立てるのが苦手です」
奉太郎「ああ、それは何となく分かる」
千反田に向けそう言うと、少しむくれながら続けた。
える「どんな些細な事でも、それらはその人と言う物を表していると、私は思います」
える「誰しも、これだけは負けられない、と言うのがあると思うんです」
奉太郎「俺にそれがあると思うか」
える「折木さんは……そうですね」
える「面倒くさがりな所は、誰にも負けませんよ」
さっきの仕返しと言わんばかりに、千反田はにこにこしながら俺に言ってくる。
奉太郎「……お前も随分言う様になったな」
える「でも、それもまた……折木さんという方を表しているんです」
える「写真を撮るのが得意な方、絵を描くのが得意な方、物を作るのが得意な方、ゲームが得意な方」
える「どれだけ小さい事でも、それらは立派な物だと……私は思うんです」
奉太郎「つまり、お前の好奇心も……千反田と言う人間を表しているのか」
える「ええ、そうなりますね」
える「それで、私も折木さんの様にペンを回せるのか……と感じまして」
奉太郎「ああ、それでペンが気になる、と言ったのか」
える「はい、そうです」
える「でも、私には少し難しいみたいです」
そう言いながら、笑う千反田の顔は……
どこか、寂しげだったのを俺はしっかりと記憶していた。
第13話
おわり
入須「千反田も、聞くだろうな」
入須はこちらに振り向きながら、続けた。
入須「必ず、聞くと私は思う」
奉太郎「……そうですか」
奉太郎「奇遇ですね、俺も丁度、同じ事を思っていました」
奉太郎「俺は……間違いなく、聞かれるでしょう」
入須「ふふ、君は千反田の事を一番理解しているからな」
奉太郎「……それは、過大評価って奴ですよ」
入須「……果たしてそうかな」
入須「それより、答えはまだなのか」
奉太郎「……今、考えている最中です」
入須「そうか、なら私は少し黙るよ」
奉太郎「ええ」
まあ、黙ってくれるなら有難い、今は考える事に集中したかったのだ。
俺は入須の横まで歩き、高台から下を見下ろす。
海の匂いが、少しだけした。
ふと、時計に目を移す。
時刻は丁度、22時を指している所だ。
そして視線を、高台から見える町並みより更に下に落とした。
……ああ、くそ。
まずいな、これは非常にまずい事になった。
俺がまずいと思ったのは、時刻のせいでは無い。
この高台に向かって、走ってくる人影が下に見えたのだ。
走り方や、外見の特徴。
そしてここからでも感じる、そいつの纏っている雰囲気。
間違いない、あれは千反田だ。
~折木家~
7月に入り、気温も大分上がってきた。
俺は勿論、この土日を満喫するつもりだ。
……満喫と言っても、外に出るつもりなんて一切無い。
家の中でぐだぐだと、ただ時を過ごすだけ。
まあ、そんな理想を抱いていたのもつい10分程前の事なのだが。
奉太郎「……わざわざ暑い中ご苦労様」
里志「うわ、嫌そうな顔だね」
摩耶花「暑いって言っても、今日は涼しい方よ」
える「そうですよ、折木さんも外に出てみたらどうですか?」
何の連絡も無しに、突然こいつらが家へ押し掛けてきたのだ。
奉太郎「それで、今日の用件は何だ」
里志「うーん、そう言われると困っちゃうな」
困る? つまりこいつらは用も無く俺の休日を妨害しに来たと言うのか。
俺がそれを言おうとした所で、千反田が割って入る。
える「ええっとですね」
える「今日は、折木さんのお姉さんに呼ばれて来たんです」
……俺の姉貴に?
姉貴がどうやってこいつらと連絡を取ったのも気になるが……それより今は。
俺はその言葉を聞くと同時に、玄関からリビングへと向かう。
供恵「あ、友達来たんだ」
供恵「暇そうなあんたの為に呼んだってのじゃ、駄目かな」
奉太郎「……」
供恵「嘘嘘、冗談よ」
供恵「じゃあ一回、リビングに集まって貰おうかな」
奉太郎「理由が分からんぞ」
供恵「いいからいいから、早く早く」
何だと言うのだ……
しかしそんな会話が聞こえたのか、玄関から里志の声が聞こえてきた。
里志「お姉さんもそう言ってる事だし、お邪魔しますー」
こうしてまたしても、俺の休日は浪費されていく。
……もう、慣れた。
奉太郎「それで、何故……里志達を呼び出したりしたんだ」
供恵「んー、もうそろそろ来ると思うんだけど」
丁度その時、チャイムが鳴り響く。
供恵「来たみたいね、ちょっと行って来るわね」
そう言い、姉貴は玄関へと向かう。
俺はそれを見送り、里志達の方へと顔を向けた。
奉太郎「大体、俺に一言くらい言ってくれれば良かったのに」
里志「いいじゃないか、驚かせたかったし」
奉太郎「……良くないんだが」
まあ、なってしまった物は仕方ないか。
過去を悔いるより、次に起こるべく問題の片付け方を考えた方が、効率的と呼べるだろう。
そう言いながら、姉貴はリビングへと戻ってきた。
……その後ろには、見覚えがある人物。
入須「お邪魔させて貰うよ」
入須冬実が居た。
それを見て、一番早く口を開いたのは千反田であった。
える「入須さん! お久しぶりです」
入須「ああ、久しぶり」
里志「驚いた、逆に驚かされる事になるとはね」
そんな里志の言葉に、入須は顔をしかめている。
無理も無い、さすがの入須でも里志が俺を驚かせようとしてた事なんて分かる訳が無い。
摩耶花「私もちょっと気になる、だって私達は折木のお姉さんから呼ばれたのに」
……そうか、こいつらは俺の姉貴と入須が知り合いだと言う事を知らないのか。
入須「私が来たのは用事があったからだ」
入須「君達、全員にね」
入須「この人が呼び出したのにも理由がある、私とこの人は知り合いなんだよ」
供恵「何よ、いつもみたいに先輩って呼んでよね」
入須「そ、それは」
珍しい、入須が口篭ってしまった。
やはり、姉貴の方が一枚上手と見える。
我ながら……末恐ろしい姉貴を持ってしまった物だ。
里志は何が満足なのか、とても嬉しそうな顔をしている。
える「それよりです!」
える「用事とは、何でしょうか?」
奉太郎「まあ、そうだな」
奉太郎「わざわざ集めてまでの用事は、俺も少し気になる」
入須「ま、隠す事も無いか」
入須「君達を、私の別荘に招待しようと思ってな」
える「別荘、ですか?」
入須「ああ、そうだ」
入須「私も小さい頃は良く行っていた」
やはり侮れない、別荘を持っている人は始めて見た。
里志「行きます!」
一番早く賛同を示したのは、俺の予想通り、里志であった。
摩耶花「私も行きたい!」
伊原は珍しく、自分の意見に素直になっている様子。
こいつも多分、別荘と言う響きにやられたのかもしれない。
える「入須さんのご招待を、断る理由はありませんね」
……こうなってしまっては、俺もやはり断れないか。
奉太郎「じゃあ俺も、行きます」
入須「実はね、その別荘の近くでは、一年に一回の花火大会があるんだよ」
える「わあ……素敵ですね」
入須「私とその花火師とは知り合いでね」
入須「今年が、最後の仕事だそうだ」
入須「それで、是非……彼が最後にあげる花火を見て欲しいんだ」
奉太郎「なるほど」
奉太郎「そう言われてしまったら、尚更行くしか無さそうですね」
える「最後の花火ですか、楽しみですね」
そう言いながら、千反田は俺の方に笑顔を向ける。
入須「次は彼の子供が受け継ぐそうだ」
ん、その入須が言う彼とは……一体何歳なのだろうか。
里志「その花火師の人は、おいくつなんですか?」
そんな俺の心の中の疑問を、里志が口に出す。
入須「今は確か……四十、だったかな」
入須「次の仕事は、ちゃんと決まっているみたいだよ」
奉太郎「随分、若く引退するんですね」
入須「まあ、そうだな」
入須「彼が仕事を始めたのは20歳と聞いている」
入須「仕事一筋な人でね、今まで失敗した事が無いそうだ」
ほう、それはいい花火が期待できそうだ。
入須「そうそう、彼の奥さんはこの神山市で働いているぞ」
……ま、それにはあまり興味が無かったので俺は受け流す。
入須「8月に入ってすぐだ」
える「……あ」
入須がそう言った後、千反田は何かを思い出したかの様に口に手を当てた。
える「実は、その日は家の用事がありまして……」
大変だな、こいつも。
える「でも、夕方には終わると思うので、それからでもいいですか?」
入須「そうだな……じゃあ先に私達で行って、千反田は後ほど合流という感じで、いいかな」
入須「地図は後で渡しておく」
える「ええ、分かりました」
8月の頭か……俺にも何か用事は。
……ある訳が無いな。
奉太郎「それで、花火大会は何時からですか?」
入須「午後の8時だ、これは毎年変わらない」
奉太郎「えっと、花火大会はどのくらいやっているんですか?」
入須「1時間半程だな」
奉太郎「……帰るのは大分遅くなりそうですね」
入須「何を言っている? 泊まりだぞ」
……予想はしていたが、いざ言われると、簡単に行くと言った事を後悔する。
奉太郎「……分かりました」
里志「はは、嫌そうな顔だ」
える「折木さんも行けばきっと、楽しくなりますよ!」
……どうだかな。
入須「それもそうだな」
入須「また、連絡するよ」
里志「予定は決まったね」
里志「宜しくお願いします、先輩」
入須「堅苦しいのは無しにしよう、折角の休みだろう」
摩耶花「楽しみだなぁ……花火大会」
入須「彼があげる花火は綺麗だよ、私も好きだ」
それより、いつまで話しているんだ、こいつらは。
奉太郎「じゃあ計画は決まった事だし、解散するか」
入須はそう言うと、席を立つ。
よし、これで残りの時間はぐだぐだとできる。
里志「何言ってるんですか、入須先輩」
里志「大学の話とか、参考までに聞かせてください」
なんの参考にするのかは分からない。
いや、待て待て、そうでは無いだろ。
入須「だが、迷惑では……」
ほら、入須はそう言ってるぞ。
える「いえ、大丈夫ですよ、お話しましょう」
千反田が大丈夫と言うと、俺も何だかそんな気が……する訳が無い。
摩耶花「それで、大学はどうなんですか?」
入須「まあ、特にこれと言って感想は無いが……」
入須「高校よりは、自由と言った感じかな」
里志「いいなぁ……憧れますね」
える「そうですね、楽しみです」
駄目だ……聞いちゃ居ない。
くそ、またしても俺の休日は消費されていく。
ああ、さようなら。
そうだった、こうして俺達はここへ来ているのだった。
思えばあの時、千反田は既に大学へ行く事を決めていたのだ。
真意は分からないが……あいつの決めた事だ、間違いは無いだろう。
それにしても、あれから何分経った?
時計に目を移すと、22時5分。
千反田がここへ来るまでは、もう少し時間がありそうだ。
ならそうだ、何故こうなってしまったのかを思い出そう。
全部繋がる筈だ、答えを出せば……まだ間に合う。
俺はそう思い、意識をまた、記憶を掘り起こす作業に向けた。
~別荘~
里志「うへぇ、これはまた随分と、立派だね」
摩耶花「すごい……」
今、俺達の目の前にあるのは……千反田の家までとは言わないが、立派な別荘であった。
入須「見ていても何も起こらんぞ、中に荷物を置こう」
呆気に取られる俺達に、苦笑いしながら入須が声を掛けた。
奉太郎「そうですね、電車が遅れていたせいで……いつにも増して疲れました」
里志「はは、ホータローらしい」
無理も無い、電車は何かしらの大きな工事があるらしく、一時間も遅れていたのだ。
本数も減っていたせいで、ホームでかなりの時間待たされた。
明日には通常に戻るらしいが……いや、今日いっぱいの工事が明日に延期されてしまっては、俺にはとても神山市まで帰れる気がしない。
そんな事を思いながら、別荘の中へと入る。
中は洋風な感じで、しっかりと掃除されているそれは、なんだか居心地が良かった。
入須「そう言ってくれると嬉しいな」
奉太郎「ミステリー映画の撮影に、良さそうです」
俺はふと思いついた冗談を口にすると、入須は困った様な顔をしながら言う。
入須「……君は本当に、執念深いな」
奉太郎「冗談ですよ」
入須「ならいいが……」
そんな会話をしながら、部屋を案内される。
どうやら一人一部屋あるらしく、入須家の恐ろしさを身を持って知る事となった。
その後、全員が荷物を置き、リビングへと集まる。
里志「海に行きたいですね」
入須「……それは明日にしないか?」
摩耶花「何か、理由があるんですか?」
入須「理由と言うほどの事でも無いが……どうせなら」
入須「全員で、行こう」
そうか、千反田がこの場には居ないのか。
それをちゃんと考える辺り、入須はただの冷血な奴では無いのだろう。
まあそれは、去年の事でも分かっていたが。
奉太郎「じゃあ、どうするんですか」
入須「そうだな……」
入須「この辺りの町を、紹介するよ」
入須「一緒に行こうか」
つまりは、歩くと言う事か。
だが……今は簡便してほしい。
摩耶花「何よ、また面倒とか言う気?」
奉太郎「いや……面倒なのは面倒なんだが」
摩耶花「……?」
里志「はは、ホータローはここで寝ていた方が良さそうだ」
入須「なんだ、来ないのか?」
里志「いやいや、ホータローも来たい気持ちはあるみたいですよ」
摩耶花「なら、なんで?」
里志「今の顔、酔ってる顔だから」
その通り、電車の酔いが、俺にはまだ残っていたのだ。
立ち止まったり、座っている分には平気だが……歩くとなると、ちと辛い。
入須「なら折木君はここで休んでいると良い」
入須「夜には花火大会が始まるしな」
入須「それまでには、体調を治してくれよ」
奉太郎「……すいませんね」
俺は入須にそう言い、先程荷物を置いた部屋へと向かった。
……やはり俺は、前に伊原が言っていた様に、イベントを楽しめないのかもしれない。
そんな事を考え、扉を開ける。
明日は、海か。
里志に事前に言われ、一応は水着は持ってきて居たのだが……まあ見ているだけでもいいか。
そして俺は、ベッドへと横たわる。
……ああ、待てよ。
と言う事は……千反田も、水着を着るのか。
見ているだけでは駄目だ、いやむしろ……見るのすら駄目だ。
違う違う、今はそんな事を考える時では無いだろう。
……体調が悪くなるのは、明日の方が良かったかもしれない。
そう俺は結論を付けると、ゆっくりと目を閉じた。
第14話
おわり
そろそろ……千反田がここに来る。
入須「……まだかな?」
奉太郎「黙っていてくれるんじゃ、無かったんですか」
入須「すまんな、私もあまり……気が長い方では無いんだ」
奉太郎「そうですか」
入須「それに、そろそろ千反田が来るぞ?」
そう言い、入須が指を指す。
ああ、くそ。
もう一度、後一回だけ意識を過去に向けよう。
そうすれば、きっと答えが出る筈だ。
花火大会もいよいよ、終盤へと向かっている。
一際派手にあがる花火を一度見て、視線を地面へと向ける。
あの後だ……俺が目を覚ましたら、確か。
~別荘~
入須「折木君、まだ寝ているのか」
奉太郎「……ん」
その言葉で、俺はゆっくりと目を開けた。
奉太郎「……勝手に、部屋に入らないでくださいよ」
入須「ここは私の別荘だぞ、つまりこの部屋も私のだ」
奉太郎「……さいですか」
寝起きは最悪だった、そんな気分を表す様に、部屋が随分と暗い。
奉太郎「あれ、もう夜ですか」
入須「ああ、私はついさっき戻ってきた所だよ」
入須「今は19時くらい、かな」
奉太郎「花火大会って、何時からでしたっけ」
入須「20時からだ、だからなるべく急いでくれるとありがたいな」
それは最初に言うべき事では無いのだろうか。
まあいい、準備をするか。
俺は適当に返事をした後、身支度を整える。
そして入須と一緒に別荘を出た時、ある事に気付いた。
奉太郎「そういえば」
奉太郎「里志と、伊原は?」
入須「ああ、彼らなら二人で花火を見ると言っていた」
入須「まあ、恋人同士なら、そうしたいのが本音だったんだろうな」
奉太郎「……そうですか」
入須「まだ来ていないよ」
入須「電話はあったが、電車が遅れているせいで……もしかしたら間に合わないかもな」
奉太郎「なるほど」
奉太郎「つまりは入須先輩と二人っきりって事ですか」
入須「何だ、やはり私と二人は嫌か」
奉太郎「……別に、そういう訳では無いです」
入須「また、千反田に勘違いされたらと考えているのか」
入須「私と折木君が、特別な関係の様に」
奉太郎「入須先輩」
奉太郎「……いくら俺でも、それ以上言うなら怒りますよ」
入須「……すまんな、冗談だ」
入須「千反田がそんな勘違いをもう起こさない事等、私は分かっているさ」
入須「あいつは、賢いからな」
奉太郎「……すみません」
奉太郎「それじゃ、行きますか」
入須「まだ時間はありそうだな」
入須「何か、話でもしながら歩くか」
奉太郎「話、ですか」
奉太郎「……俺が気になるのは、花火師の人の事ですね」
入須「花火師の?」
奉太郎「はい」
奉太郎「その人は、どんな人ですか?」
入須「そうだな……」
入須「一言で言うなら……やはり、仕事一筋、と言った所だ」
入須「自分の仕事に誇りを持っていて、何より信念を持っていた」
入須「そんな人だよ」
奉太郎「なるほど、やはり」
奉太郎「素晴らしい花火が、期待できそうですね」
入須「そうとも、私が一番好きな花火だ」
入須がここまで言い切ると言う事は、多分誰から見ても……素晴らしい物なのだろう。
入須「私が思ったのは……」
奉太郎「何ですか」
はあ、俺とその花火師が似ている……か。
奉太郎「あり得ませんよ」
奉太郎「第一、俺はそんな面倒な事はしません」
奉太郎「仕事で選ぶとしたら、絶対に無いですね」
奉太郎「それにその仕事に、信念やプライドを持つ事も、無いと思いますよ」
入須「きっぱりと言い切るのだな」
入須「観点を、変えてみたらどうだろうか」
奉太郎「観点を?」
入須「ああ」
また姉貴か、余計な事を。
入須「それを花火師の仕事と置き換えるんだ」
入須「君はそのモットーに感じているのは、信念だろう」
奉太郎「……どうでしょうかね」
入須「私から見たら、似ているよ」
やはり……俺にはとても、そうは思えない。
入須は時計に目をやっていた。
入須「そろそろ20時か」
俺は設置されていたベンチに腰を掛け、その時を待っている。
入須「君は、花火は好きか?」
奉太郎「どちらでも無い、と言ったほうが本当でしょうね」
入須「そうか」
入須は手すりに背中を預けながら、腕を組んでいた。
奉太郎「不満ですか?」
入須「不満……とはどう言う事かな」
入須「ふふ」
入須「……君の事は少しは分かっているつもりだ」
入須「だから別に、不満と言う事も無いかな」
入須「ある程度は予想できていたと言う事だ」
奉太郎「それなら……いいですが」
入須「君は、おかしな奴だな」
真顔で言われると、なんだか嫌だな。
奉太郎「そう言う事を、単刀直入に言うのはやめた方がいいと思います」
入須「それなら良い、と言うくらいなら……最初から、どちらでも無いなんて言わなければいいじゃないか」
奉太郎「……俺は」
奉太郎「嘘はあまり、好きでは無いので」
入須「……ふふ、そうか」
入須「そう言えば」
入須「千反田も、嘘はあまり好きでは無かったな」
その時の入須の顔は、本当に嫌な笑い方をしていた。
奉太郎「……それは、初耳です」
俺がそう言うと、入須は眉を吊り上げながら、口を開いた。
奉太郎「……全く」
奉太郎「嘘よりも、あなたの事が嫌いになりそうですよ」
入須「……それもまた、嘘だと良いのだがな」
奉太郎「さあ、どうでしょうね」
その時、夜風が一際強く吹く。
夏はまだ始まったばかりなのに、その風はとても冷たく、俺は少しだけ身震いをした。
入須「……おかしいな」
奉太郎「おかしいとは、俺の事ですか?」
入須「いいや、違う」
何だ、さっきまでの空気とは変わって……入須は少し、いや、いつも通り真面目な顔をしていた。
入須「あれだよ」
そう言いながら、入須が指を指したのは時計。
俺は促されるまま時計に目を移す。
奉太郎「20時10分ですね」
奉太郎「別に、おかしい所はありませんが」
入須「はあ……」
入須「君は何の為にここまで来たのか、忘れたと言うのか」
何の為だったか……
ああ、そうだ、花火だ。
入須「いいや、それはあり得ない」
入須「私は今日、一度彼に会っているんだ」
彼……とは、花火師の事だろう。
入須「準備は完璧だった」
奉太郎「なら、その後に何か予想外の事が起きて」
入須「それも無いな」
入須「彼はこの仕事に……大袈裟に言えば、命を賭けていた」
入須「そのくらい、誇りに思っていたんだ」
入須「それはさっきも言っただろう」
入須「1分くらいの前後なら、時計のずれとも言えるがな」
入須「ここまで遅れた事は……今まで無かった」
ふむ……つまり、よく分からん。
奉太郎「まあ、その内始まるでしょう」
入須「だと良いんだが」
入須「……少し、心配だな」
そう言う入須の顔は、どこか寂しげで……
気付いたら俺は、顔を入須から背けていた。
多分、いつもの入須らしくない入須を、見たくなかったのだろう。
入須「……ああ」
それから5分、10分と経つが、花火大会は始まらない。
入須はどこか、そわそわしている様子だった。
奉太郎「先輩らしく無いですね」
入須「ふふ、君が私の何を知っているんだ」
奉太郎「……何も」
入須「本当に、おかしな奴だな……君は」
入須はそう言い、俺の隣に腰を掛けた。
奉太郎「結構です」
入須「聞くだけでも聞け」
入須「君なら多分、分かるしな。 私も解決して欲しい問題だ」
……ううむ、どうしようか。
まあ、何もしないで待っているよりは、いくらかマシか。
それに……俺が今日ここに居るのも、入須の招待あってこそだしな。
考えても、罰は当たらないか。
奉太郎「分かりましたよ、何ですか?」
入須「君ならそう言ってくれると思ってた」
入須「私が提示する問題は一つ」
……また無茶な。
奉太郎「それが俺に分かる訳が無いでしょう」
入須「どうだろうな」
入須は何がおかしいのか、笑っていた。
奉太郎「まあ、頭の隅には、一応置いておきます」
入須「ああ」
ああ、そうだった。
そうして俺は入須の問題へと取り組む事になったのだ。
そう思い、顔を上に戻した。
える「私、気になります!」
奉太郎「うわっ!」
勢い余って、ベンチから落ちそうになる。
奉太郎「ち、千反田か」
奉太郎「いきなり声を出すな、びっくりするだろ」
える「いえ、何度か声を掛けましたよ」
える「でも、考えている様子だったので……」
俺はそれほどまでに、しっかりと考えていたのか。
える「入須さんと同じ事です!」
それを聞き、視線を入須に移す。
入須「暇だったからな、全て説明しておいた」
くそ、最初からこれが狙いだったのでは無いだろうか。
まあでも、千反田が見えた時点でこの展開は予想できていた。
える「それで、何か分かりましたか?」
奉太郎「花火大会が遅れた理由、か」
える「勿論です!」
える「何故、失敗をする事になったのか」
える「万全の準備が出来ていたにも関わらず、何故それが起きてしまったのか」
える「私、気になります」
俺は千反田の言葉をしっかりと聞き、返す。
奉太郎「……失敗とは、少し違うかもしれない」
える「それは……どういう事ですか?」
過去を遡ったおかげで、大体の答えは出ていた。
確認するべき事は、あと一つ。
奉太郎「入須先輩」
入須「ん、どうした?」
入須「ええっと、どうだったかな」
入須「昼間、挨拶した時は見えなかったから、恐らくそうだろう」
奉太郎「そうですか、ありがとうございます」
やはり、そうか。
ならもう、答えは出た。
なんとか間に合ったと言う所だが……間に合った物は間に合ったのだ。
奉太郎「じゃあ、何故……花火大会が遅れたのか、説明するか」
える「はい!」
奉太郎「まず第一に、今日の花火大会は20時に予定されていた」
奉太郎「それにも関わらず、始まったのは21時だ」
奉太郎「一時間のずれ……千反田は何を予想する?」
える「ええっと、そうですね」
える「準備不足、花火の設置ミスが考えられます」
える「後は……あまり言いたくないですが、急病なども」
奉太郎「大体、そうだろうな」
奉太郎「入須先輩、急病は考えられますか?」
入須「……無いと思うな」
入須「風邪にも滅多に掛からない人だ、考えられない」
入須「勿論、断言はできないが」
奉太郎「それだけ聞ければ十分です」
入須「いいや、それもあり得ない」
奉太郎「そう、入須先輩が昼間に確認した時は、完璧に準備は出来ていたんだ」
奉太郎「つまり、先程、千反田があげた理由は全てが違う」
える「それなら、何故?」
奉太郎「……」
らしくないな、俺がこれを言うのはらしくない。
だが、それしか……そう答えを出すしか無かった。
……
いや、違う。
俺は、期待していたのか。
そうあって欲しいと。
俺がそう言うと、未だにあがり続ける花火に一度目を移し、千反田は口を開く。
える「ええっと? 今現在、見れていますよ」
奉太郎「そうだ」
奉太郎「だが、通常通りの時間……20時に始まっていたらどうだ?」
える「……恐らく、見れなかったでしょうね」
入須「……そう言う事か」
どうやら、入須は分かった様だ。
さすがと言うべきか、だが少し……気付くのが早すぎでは無いだろうか?
ま、そんな事今はどうでもいいか。
俺はそう結論付け、話を再開する。
奉太郎「今は22時を過ぎた所、通常通り行われていたら」
奉太郎「もう、終わっている時間なんだよ」
える「でも、それとどう関係が?」
える「まさか、私の為に大会が遅れた等は、言いませんよね」
奉太郎「……俺が、花火師だったとしたら」
奉太郎「その可能性もあったな」
そう俺が言った言葉は、花火の音に掻き消され、千反田には届いていなかった。
える「あの、今何て言いました?」
奉太郎「花火師は……奥さんの為に、大会を遅らせたんだろうな」
える「奥さんの、為ですか」
奉太郎「千反田がここに来るのに遅れた理由は、何だ」
える「ええっと、電車が遅れていたせい、ですね」
奉太郎「その通り」
奉太郎「それに巻き込まれたのは、花火師の奥さんも同じだったんだよ」
える「……と言う事は」
奉太郎「……自分があげる最後の花火」
奉太郎「それを、自分が一番好きな人に」
奉太郎「見て欲しかったんだと思う」
える「……」
入須が提示した問題、千反田が俺の目の前に出した問題。
その問題の答えを千反田に教えると、しばらく千反田は黙って花火を見ていた。
それを見ながら、千反田はようやく口を開いた。
える「素敵、ですね」
奉太郎「……意外だな」
える「私が、大会が遅れた理由を素敵と言った事がですか?」
奉太郎「ああ」
える「……誰でも、そう思うのでは無いでしょうか」
奉太郎「……そうかもしれないな」
える「折木さんは、どう思いました?」
俺か、俺は。
奉太郎「……自分の信念を曲げ、最後は愛する人の為になる事をした」
奉太郎「それを悪い事とは、言えないさ」
える「ふふ、そうですよね」
そうして、俺と千反田、入須は最後の花火があがり、夜空に消えるまで、口を開く事は無かった。
入須「やはり、折木君に答えを求めたのは正解だったな」
奉太郎「……それが合ってるかも分からないのにですか?」
入須「間違ってはいないだろう」
入須「この中で一番、花火師と付き合いが長い私が言うんだ」
入須「君の答えは、正解だよ」
奉太郎「……そりゃどうも」
そう言い、自然と入須は俺と千反田の前を歩く。
千反田と横に並び、帰るまでの道を歩く事となった。
奉太郎「さっき、俺が言った事だが」
える「えっと」
える「折木さんが意外と言った事ですか?」
奉太郎「千反田は、今回の事……見覚えが無いか?」
える「見覚え……」
える「すいません、無いですね」
奉太郎「俺は、似たような事が前に合ったのを覚えている」
える「それは、私も知っている事でしょうか」
奉太郎「勿論」
奉太郎「そうじゃなきゃ、聞かないさ」
千反田は腕を組みながら、しばらく考えた後に、口を開く。
える「ごめんなさい、私にはやはり……」
そうだろうな。
千反田には、分からない事だろうから。
える「今年の、ですか?」
奉太郎「いや……去年のだ」
える「去年の……」
奉太郎「その時、通常とは違うルートを通った筈だ」
える「あ、そんな事もありましたね」
奉太郎「ええっと、誰だったか」
奉太郎「あの、茶髪のせいで」
える「ふふ、小成さんの息子さんですね」
奉太郎「そうそう」
える「もう少し、人の名前を覚えた方が良いですよ」
奉太郎「……努力はするさ」
奉太郎「ああ、それで」
奉太郎「あの時、俺は言ったよな」
奉太郎「茶髪が違うルートにしたかった理由を」
える「ええ、覚えています」
える「その……行列が、桜の下を通る姿を」
その行列のメインは勿論、雛である千反田だ。
それを分かっていてか、少しだけ恥ずかしそうに千反田は言った。
奉太郎「それで、それに千反田は何て答えたか覚えているか?」
える「……確か、そんな事のために、と」
える「えっと、それと今回の事に、何の関係が?」
奉太郎「……俺は、あの時、千反田がそう言った時」
奉太郎「そんな事とは、全然思えなかった」
える「……それは、どういう意味でしょうか」
奉太郎「あの茶髪は、自分が良い写真を撮りたい為に、ルートを外させた」
奉太郎「花火師は、奥さんの為に、花火大会を遅らせた」
奉太郎「そのどちらも、極端に言えば自分の為だろう」
える「……そうなりますね」
奉太郎「でも、それでも」
奉太郎「他にも、救われた人が居るんだ」
奉太郎「そして、行列が桜の下を通ることで」
奉太郎「……俺は、今までで一番綺麗な景色を見れた」
える「あ、あの……それって、折木さん」
奉太郎「後ろから見ていても、綺麗だった」
奉太郎「どんな景色よりも……いい物だったよ」
える「……は、恥ずかしいです」
奉太郎「……すまん」
奉太郎「俺らしく、無かったな」
える「い、いえ……良いんです」
しかし、口をモゴモゴさせながら、ありがとうございますと言う千反田を見たら、どうしても言葉には出来なかった。
……多分、恥ずかしかったんだと思う。
どうにも自分の事は、分かり辛い。
入須「そろそろ着くぞ」
ふいに入須が、声を掛けてきた。
気付けばもう、別荘が見えている。
……なんだか今日一日で、物凄いエネルギーを使った気がするな。
あいつは、最初から全て分かっていたのでは無いだろうか。
花火大会が遅れた理由を。
奉太郎「……やはり、苦手だ」
そんな俺の呟きが聞こえたのか、入須は振り向きながら、口を開く。
入須「結論が出た所で、もう一度言うが」
入須「似ているよ、君は」
ああくそ、まんまと嵌められたって訳だ。
……今度誘われたとしても、断る方向にしよう。
次に花火を見る時は、そうだな。
千反田と二人でと言うのも、悪くないな。
第15話
おわり
Entry ⇒ 2012.11.01 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
える「古典部の日常」 4
だからと言って、どうなると言う訳でもないが。
そして、俺たち古典部は相変わらず何の目的も無しに部室へと集まっている。
える「今日は何をしましょうか」
奉太郎「いつも何かしている訳では無いだろ」
摩耶花「でも、折角集まってもする事が無いんじゃねぇ……」
里志「と言うか、全員のクラスが一緒になったせいで、集まる意味も……」
える「駄目です! 何か活動をしなければいけないんです!」
千反田の言う事も、もっとではあるのだが……如何せん、する事が無い。
奉太郎「……何だ」
里志の良い事と言うのは、基本的に俺にとっては悪い事である。
それはもう、嫌と言うほど経験していた。
里志「ちょっと待っててね、すぐに戻ってくる」
里志はそう言うと、駆け足で部室から出て行く。
それを見送った後、席を立つ。
奉太郎「さて、帰るか」
える「え、何故ですか」
奉太郎「決まっているだろ、ろくな事にならないからだ」
逃げるとはまた……随分と人聞きが悪い。
奉太郎「面倒な事を避けているだけだ」
摩耶花「……ふうん」
いかんいかん、伊原の挑発に乗ってしまっては思う壺だ。
える「駄目ですよ!」
しかしこっちの奴は、実力行使で俺を押さえに来る。
簡単に言うと、俺の腕を掴んで離さない。
奉太郎「何が、駄目、なんだ!」
える「福部さんは待っていてと言ったのです! 帰ったら駄目です!」
俺はグイグイと引っ張るが、千反田の方も負けじとグイグイ引っ張る。
える「諦めてください!」
今こいつ、諦めてと言ったか。
それはあれか、これから俺にとって良くない事が起きるだろうと言う事を、千反田も予想しているのだろうか。
奉太郎「い、や、だ!」
少しずつ、少しずつだが出口に近づく。
摩耶花「何してるの、二人とも」
そんな必死の戦いを繰り広げている俺と千反田を見て、伊原が冷静な一言を放つ。
しかしここで退いては駄目だ、千反田が持ってくる面倒事ならまだしも……里志が持ってくる物にまで巻き込まれる道理なんて無い。
もう少しで辿り着ける!
俺がそう思ったとき、静かに閉まっていた扉が開く。
里志「って、何してるの?」
ああくそ、タイムアップになってしまったではないか。
俺はようやく千反田を引っ張るのを辞め、若干上がった息を整えながら答える。
奉太郎「いや、まあ」
奉太郎「体を温めていた」
里志「それはちょっと、無理があると思うけど……」
える「あ、福部さん! お帰りなさい」
後ろから声が聞こえた、是非ともその勢いで俺に「行ってらっしゃい」と言って欲しい物である。
そうすればすぐに帰れるのに。
里志「ただいま、千反田さん」
里志は俺の後ろに居る千反田に向け、顔をずらしながら言った。
摩耶花「それで、どうして急に飛び出して行ったの?」
里志「よくぞ聞いてくれた!」
里志「実はね、ちょっと手芸部に行っていたんだ」
奉太郎「手芸部? 何でまた」
里志と千反田は席に着く。
俺もそれに習い、席に着いた。
待てよ……結局、流されてしまっているではないか。
くそ、今から扉まで走っていけば……逃げられなくも無いが。
なんだかそれすら面倒になってきてしまった。
そう言い、制服とワイシャツの間から何やら随分とでかい物を取り出す。
える「何故、そこから出てきたのか……気になります」
その疑問を解決できるのだろうか、俺にはとても解決できそうにない。
奉太郎「それで、それは何だ?」
摩耶花「ええっと……何々」
摩耶花「人生ゲーム、再現度70%! リアルな人生ゲームをあなたに!」
摩耶花「って書いてあるわね」
何だそれは……70%とは、また微妙な。
奉太郎「何でそんな物が手芸部にあるんだ?」
まあ、前に天文学部を訪れた時は何やらボードゲームらしき物をやっていたし、そういう部活は多いのかもしれない。
里志「それで、皆でやらないかい?」
える「是非!!」
摩耶花「いいね、やろうやろう」
奉太郎「……ちょっと気になるんだが、いいか」
俺がそう言うと、三人ともが俺の方を見る。
奉太郎「これって、古典部と関係あるのか?」
里志「じゃあまずは駒である車とお金を分けるね」
摩耶花「うん、よろしく」
える「福部さんが銀行役ですね、宜しくお願いします」
……今、無視されたか?
奉太郎「おい、聞いてるか」
里志「摩耶花は水色でいいかな?」
摩耶花「おっけー、ありがとう」
里志「千反田さんは……白って感じかな」
える「ふふ、ありがとうございます」
里志「僕は黄色を貰うとして……ホータローはどれがいい?」
奉太郎「いや、俺はだな」
里志「仕方ないなぁ、じゃあホータローはこれで」
……まあ、俺らしいと言えばそうかもしれない。
いや、違うだろ。
そんな車なんてどうでもいいだろうが。
奉太郎「おい、これって古典部と」
里志「じゃあお金を配るね」
駄目だ、明らかに俺が出す話題は無視されている。
奉太郎「……分かった、やればいいんだろ」
里志「はは、やりたいならそう言えばいいのに」
……やはりあそこで千反田を振り切れなかったのは手痛いミスだ。
だがまあ、俺のミスか。
える「私も、頑張ります!」
何やら女子達は盛り上がっている、ただのゲームだと言うのに、元気なこった。
そんなこんなで最初の持ち金、1500万円が配られる。
こうなってしまっては仕方ない……やるか。
里志「ホータローには前の豆まきでの借りがあるからね、しっかりと返させて貰うよ」
える「そう言えばそうでした! 負けませんよ」
随分と根に持つ奴等だな……
摩耶花「私も、今回はちょっと負けたくないかな」
そう言い、俺の方を伊原は睨んでいた。
……何故、俺なのだろうか。
順番を整理すると。
1番、伊原
2番、千反田
3番、俺
4番、里志
と言う事か。
まあ、たかがゲームだ、気楽にやろう。
摩耶花「じゃあ、回すね」
そう言い、伊原は数が10まであるルーレットを回す。
【5】
摩耶花「えっと、5かぁ」
里志「最初は職業決めだろうね、定番だ」
【あなたは漫画を描くのが大好き! そんなあなたには漫画家の職業を差し上げます!】
摩耶花「漫画家かぁ、ちょっと嬉しいかも」
里志「はい、職業カードを渡すね」
摩耶花「給料は……600万ね」
里志「職業が決まったら最初の給料日マスまで移動みたいだね」
摩耶花「うん、りょーかい」
それにしても伊原が漫画家とは、確かにリアルな人生ゲームである。
そう言うと、千反田はルーレットを回した。
【7】
里志「お、ラッキーセブンって奴かな」
える「ふふ、何の職業になるのでしょうか……気になります」
【あなたはどこにでも居る一般人! そんなあなたにはサラリーマンの職業を差し上げます!】
える「サラリーマンですか、いいですね」
何が良いのか俺には分からないが……本人がそう言っているなら良いのだろう。
里志「給料は300万だね」
える「そうですか……摩耶花さんよりは少ないんですね」
摩耶花「私の漫画もそこそこ売れてるみたいね」
よし、最初の職業が重要だと言う事は分かった。
なら良い職業を引く事が出来れば、それはかなり楽な人生となるだろう。
そんな事を思いながら、ルーレットを回した。
【10】
里志「10か、最初から飛ばすねぇ」
奉太郎「飛ばそうと思って飛ばしている訳では無いがな」
ええっと、それより職業だ。
【あなたは何事にもやる気無し! そんなあなたはフリーター! 頑張ってください】
……
える「……ふふ」
える「え、いえ……」
摩耶花「ちーちゃんが笑うのも無理ないって、だって似合いすぎてるもん」
里志「ぴったしだよ、ホータロー」
里志「見事だ!」
そう言われても、いい気は全くしないのだが。
える「あ、あの!」
える「私、良いと思いますよ!」
える「自由に生きる人生! 素敵です!」
千反田の必死のフォローが俺の心をきつく締め付ける。
奉太郎「……まあいい」
里志「給料は100万だね」
里志「フリーターにしては、頑張ってる方じゃないかな」
さいで。
里志「よっ」
【6】
里志「6は……お」
奉太郎「劇団員、となっているな」
里志「いいんじゃないかな、気に入ったよ」
里志「給料は……1500万! ホータローの15倍だね」
摩耶花「いいなぁ、私なんて6倍よ?」
える「私は3倍です……」
何故、俺を基準にするんだ、こいつらは。
里志「それじゃあ皆の職業も決まったし、ここからが本番だね」
奉太郎「保険?」
里志「生命保険と車両保険があるね」
里志「他にもあるんだけど、最初に入るか入らないか決めるのは、どうやらこの二つみたいだ」
……念の為、入っておいた方がいいだろう。
里志「どちらも500万、両方入るなら1000万だね」
奉太郎「随分と高い保険だな」
里志「まあ、ゲームだしね」
ふむ、ならば仕方ない。
どうやらそんな俺の考えと全員一緒の様で、それぞれが1000万を里志に手渡す。
里志「うん、この後はルーレットを順番に回して進むだけさ」
摩耶花「じゃあ」
摩耶花「負けないわよ!」
伊原はそう意気込み、ルーレットを回した。
【1】
摩耶花「うう……」
里志「はは、力みすぎだよ、摩耶花は」
里志「えーっと」
【宝くじにチャレンジ! 偶数なら500万、奇数なら-500万】
摩耶花「ギャンブルは苦手なんだけど……」
里志「そう言わずにさ、50%の確率で当たるんだし」
今度はあまり力を入れず、伊原はゆっくりとルーレットを回していた。
【4】
摩耶花「やった!」
える「おめでとうございます!」
里志「さすが摩耶花だ、500万だね」
それにしても、やたらと色々とイベントがある様だな……
ええっと、次は確か千反田か。
える「私の番ですね、よいしょ」
【1】
える「あ、摩耶花さんと一緒ですね」
摩耶花「ほんとだ、ってことはちーちゃんも宝くじにチャレンジかぁ……」
える「では、回しますね」
える「外れてしまいました……」
摩耶花「……ごめんね、私が当たっちゃったから」
える「いいえ、気にしないでください」
える「一緒にゴールを目指しましょう!」
仲がいいのは結構だが……何やら里志が言いたそうな顔をしているぞ。
里志「えっと、話中で悪いんだけど……」
里志「同じマスに止まるとね、追突扱いになるんだよ」
える「追突、ですか?」
里志「うん、追突したら相手に1000万の罰金……となっているね」
える「い、1000万ですか?」
おお、千反田が動揺している。
里志「車両保険の方は、回収されてしまうけどね」
える「は、はい……」
渋々、千反田は車両保険のカードを里志に手渡す。
える「……酷いです、摩耶花さん」
摩耶花「わ、私はそんなつもりじゃ!」
里志「はは、気を付けないと、千反田さんに追突した時が怖そうだ」
まあ、千反田も本気で酷いと言っている訳では無いのが俺なら分かるが。
里志も恐らく分かっているだろう、しかし伊原は全く気付いていない様子だった。
える「負けません!」
こいつもこいつなりに、楽しんでいると言う事か。
そのとばっちりが回り回って俺の方に向いてくるのは納得できんが。
奉太郎「言われなくても、回すさ」
【9】
里志「好調じゃないか、先行するのはホータローになりそうだね」
奉太郎「フリーターだがな」
える「それでもゴールまで辿り着けば億万長者ですよ!」
奉太郎「……そうか」
奉太郎「じゃあ、それなりに頑張るかな」
ええっと、それでマスは何だろうか。
摩耶花「フリーターからフリーターになったわね」
里志「職業に付いてないのにリストラされるなんて、どんだけやる気が無いんだい……ホータローは」
……俺に言わないで欲しい。
える「……将来が大変そうですね」
さっきゴールまで辿り着けば億万長者だと言ったのはどこの誰だったか。
ああ、そうそう。
この俺の将来を心配してくれている方では無いか。 ありがとうございます。
【6】
里志「6だね、良いとは言えないけど9よりはマシかな」
【仕事中に腰を痛めてしまいました、一回休み】
里志「開始早々これかぁ……」
奉太郎「腰を痛めるとは、もうお前も年だな」
俺がそう言うと、里志はいつもの笑顔のままこう返した。
里志「はは、クビにならないだけマシだよ」
……どう足掻いても、里志にだけは負けたくないな。
摩耶花「これから何が起こるか分からないし、仲良くやろう?」
える「そうですよ、私だって追突しても頑張っているんですから」
摩耶花「ち、ちーちゃん」
える「頑張りましょうね、摩耶花さん」
千反田はいつもの感じではあったが、何やら今日のこいつは随分と怖い気がする。
まあ……結局俺もこうして人生ゲームへと参加する事となったのだが。
なんだか出鼻を挫かれた感が否めない。
所持金 保険
摩耶花 2600万 生/車
奉太郎 600万 生/車
える 300万 生
里志 2000万 生/車
第9話
おわり
摩耶花「うん、回すね」
カラカラと音を立てながらルーレットは回る。
【3】
摩耶花「中々進まないなぁ」
摩耶花「えっと」
【特急券購入のチャンス! 100万を払えばルーレットをもう一度回す事が出来ます】
摩耶花「お、買う買う」
里志「100万くらいなら、摩耶花にとっては安い物だからね」
……俺にとって、給料一回分とは悲しい物だ。
【10】
摩耶花「やった! 買った甲斐があった!」
里志「10は……ここだね」
里志「あ、それと給料日を通過したから給料を渡すよ」
ふむ、どうやら10マス毎に給料日は設置されている様だ。
摩耶花「ありがと、ええっと……このマスは」
【ジェット機購入のチャンス! 500万を払えばルーレットをもう一度回す事が出来ます】
摩耶花「どうしよう……まあ、払おうかな」
奉太郎「随分と優雅な人生だな」
摩耶花「お金はあるしね」
える「……」
伊原は気付いていない様だが、現在所持金がもっとも少ないのは千反田なのだ。
摩耶花「じゃ、回すよ」
【4】
摩耶花「今回だけで17マスも進めたのは良かったなぁ」
摩耶花「何々」
【母親の危篤! 10マス戻る】
摩耶花「……」
奉太郎「7マス進めたの間違いじゃないのか?」
摩耶花「……っ!」
あまり無用心な発言は避けた方がいいかもしれない。
明日は我が身と言う言葉があるからな。
里志「と言う訳で、次は千反田さんの番だよ」
える「はい!」
える「では、行きますね」
【5】
える「ええっと、5ですね」
奉太郎「あ」
える「……?」
思わず声が出てしまった。
まあ、でもすぐに分かる事だし、いいか。
里志「ええっと……僕と一緒のマスだね」
える「え、と言う事はですよ」
える「追突、ですか?」
奉太郎「それに加えて一回休みだな」
える「……そうですか」
える「で、でも……私もう、お金ありませんよ」
里志「その点は大丈夫かな、借金が出来るから」
える「借金ですか……」
なんとも、現実とは非情な物だ。
……ゲームだが。
里志「千反田さんの手持ちは300万だから、足りないのは700万だね」
里志「約束手形が一枚1000万、これを一枚と現金300万を渡すよ」
える「はい、ありがとうございます」
……ううむ、千反田がとても物悲しそうな表情をしている。
それを見ていると、なんだが少し……こう、胸に込み上げてくるものがあるな。
……いかんいかん、さっきも思ったが、明日は我が身、忘れる所だった。
なんだか空気が若干重くなった中、俺はルーレットを回す。
【7】
奉太郎「7か」
奉太郎「ええっと」
【おめでとうございます、あなたはめでたく結婚しました。 他のプレイヤーから祝儀として300万ずつ貰えます。 結婚相手としてピンを一つ車に乗せましょう】
奉太郎「おお、結婚か」
里志「……おめでとう、頑張って稼がないとね」
摩耶花「フリーターで結婚なんて、いい身分ね」
そう言われながら、300万ずつ受け取る。
える「ど、どうぞ」
千反田からなけなしの300万を渡された時は、なんだかとても悪い事をしている気がした。
奉太郎「ん? そうだが」
える「い、いえ。 おめでとうございます」
奉太郎「ああ」
変な奴だな、まあいいか。
とりあえずこれで、一回100万の給料も貰い、ある程度手持ちは増えてきた。
次は里志の番だが、一回休みなので伊原か。
所持金 保険 マス
摩耶花 2300万 生/車 8マス目
奉太郎 1600万 生/車 16マス目
える -1000万 生 6マス目
里志 2700万 生/車 6マス目
里志「ううん……中々進めないなぁ」
奉太郎「腰を痛めているからな、安静にしとけ」
里志「……そうだね、それがいい」
摩耶花「それで、回すけど……いいかな?」
える「どうぞ」
摩耶花「……よっ」
【7】
摩耶花「あぶな、折木に追突する所だった……」
奉太郎「人が二人乗っているから、罰金も二倍だぞ」
摩耶花「え? そうなの?」
奉太郎「……さあ」
里志「安心して、何人乗っていても罰金は1000万だよ」
摩耶花「まあ、当り屋みたいな事しないと、生活厳しいもんね」
奉太郎「……むう」
何も言い返せない、確かに給料が100万ではその内底を尽きてしまうのは火を見るより明らかだろう。
奉太郎「それで、マスにはなんて書いてあるんだ」
摩耶花「はいはい、今見るわよ」
【一発逆転のチャンス! ルーレットに一つピンを指し、当たれば10倍! 3000万まで賭ける事が出来ます。 そしてこの賭けに勝てば、もう一度ルーレットを回せます】
摩耶花「またギャンブルかぁ……」
奉太郎「なんだ、負けるのが怖いのか」
摩耶花「……折木に言われたら、賭けない訳にはいかないわね……」
ここまで単純に引っ掛かってくれるなら、挑発し甲斐がある。
摩耶花「いいわ、1000万賭ける」
里志「いいのかい、本当に」
摩耶花「言ったからにはやるわ」
摩耶花「私が選ぶのは……3!」
里志「……仕方ないなぁ、それじゃあ1000万、受け取るよ」
そう言い、摩耶花は1000万を里志に手渡した、千反田の目の前で。
千反田が先程から、何かを願っている様な眼差しでルーレットを見ていた。
……何を願っているかは、聞かないでおこう。
しかし現実はやはり、非情な物。
主に、俺や千反田にとってと言うのが皮肉な物であるが。
【3】
摩耶花「うそ、やった……当たった!」
摩耶花「1000万の十倍だから……1億!?」
里志「はは、おめでとう」
……まさか当たるとは、とんだ強運だ。
千反田の顔は見ないでおこう、とても悲しそうな顔をしているだろうから。
【2】
摩耶花「2だと、ここかぁ」
摩耶花「あれ? 何も書いてない」
里志「そういうマスもあるみたいだね、じゃあ次は」
奉太郎「俺か」
里志「千反田さんは一回休みだから、そうなるよ」
奉太郎「んじゃ、回す」
【10】
奉太郎「また10か」
摩耶花「またってなんか、感じわる」
奉太郎「ゆっくり進むのも良い人生だと思うぞ」
摩耶花「……ふん」
奉太郎「ま、早く終わるに越した事は無いからな」
奉太郎「それよりマスだ、えっと」
【おめでとうございます。 結婚している場合、子供が一人生まれました。 そうで無い場合は、結婚する事ができます】
【お祝いとして、他のプレイヤーから100万を受け取ります。 結婚の場合、祝儀はありません】
奉太郎「悪いな、何回も貰って」
里志「まあまあ、祝い事だからね」
摩耶花「100万と言わず、500万くらいならあげてもいいんだけどなぁ」
是非欲しいが、俺のプライドが許さない。
……いや、貰っておこうかな。
駄目だ駄目だ、弱気になってしまっては勝ち目が無いではないか。
える「あ、すいません。 細かいのが無いです」
そう言い、千反田は里志から約束手形を更に一枚と、現金900万を受け取る。
いつもの元気は既に、どこか遠くへと行ってしまった様子だ。
える「はい、どうぞ」
奉太郎「あ、ああ……悪いな」
える「……いえ、いいんですよ」
頼むから、次のマスでは千反田から金を受け取る事が無いよう、お願いしたい。
里志「それと、また給料日を通過したから給料だ」
奉太郎「ああ、すまんな」
100万ずつだが、貰える物は貰っておこう。
里志「ホータローとは随分と離れちゃったからなぁ、頑張らないと」
【4】
里志「4かぁ」
里志「どれどれ」
【落し物を届けたあなた。なんとビックリ! その持ち主は大金持ち! 1000万を受け取ります】
里志「落し物を届けただけで1000万とは、随分と凄い落とし主だね」
奉太郎「俺が届けられたとしても、せいぜい飲み物一杯が良い所だな」
里志「そりゃ、僕だって一緒だよ」
そんな会話をしながら、里志は自分の給料と合わせて、2500万を自分の手元へと置く。
さて、次はまた伊原か。
所持金 保険 マス
摩耶花 1億600万 生/車 17マス目
奉太郎 1900万 生/車 26マス目
える -1100万 生 6マス目
里志 6100万 生/車 10マス目
奉太郎「9が出れば追いつけるぞ」
摩耶花「……追突するじゃない」
摩耶花「9だけは出ません様に……」
【10】
摩耶花「あっぶない」
摩耶花「さっきから、ひやひやしっぱなしなんだけど……」
奉太郎「惜しいな」
摩耶花「何がよ、えっと」
【突然の災害! そのせいで車はボロボロに……修理費として、500万を支払います】
摩耶花「車の修理に500万って……どんな車なんだろ」
奉太郎「いいんじゃないか? 金持ちなんだし」
摩耶花「そうね……別にいいけど」
摩耶花「それより、他人事みたいな言い方ね」
……おかしな事を言う奴だ、実質、他人事なのだし。
里志「ホータロー、ちゃんとこのマス、読んだ方がいいよ」
そう里志に言われ、目を通す。
先程の文の下に、小さくこう書かれていた。
【前後5マスの方も被害に遭います、同額の修理費を支払います】
しかしまあ、そう書かれているなら仕方ない。
巻き込まれる前に逃げろと言いたいが、それはもう手遅れか。
俺は手持ちから500万を里志へと渡す。
摩耶花「フリーターの癖に、随分と良い車に乗ってるのね」
摩耶花「生活をもっと見直した方がいいと私は思うかなぁ」
奉太郎「……さいで」
里志「まあまあ、二人とも仲良く仲良く」
里志「ホータロー、確かに受け取ったよ」
奉太郎「……他には何も書いてないな、次だ」
える「私の番ですね!」
奉太郎「……大丈夫か」
える「え? 私は大丈夫ですよ」
奉太郎「ならいいが」
える「では、回します」
【9】
える「ええっと、9ですか」
9……確か、あのマスか。
える「ギャンブルですね、先程、摩耶花さんがやっていた」
奉太郎「まあ、手持ちが無いなら関係は無さそうだな」
里志「……いや、ちょっと待って」
里志「ギャンブル系は、どうやら手持ちが無くても賭けられるみたいだよ」
里志「せめてもの救済なのかもしれないけど……これは随分と酷いルールだ」
奉太郎「借金まみれでギャンブルとはな」
やけにここだけ、現実じみている……恐ろしい。
える「ええっと、では何番にしましょうか」
奉太郎「おい、ギャンブルはしなくてもいいんだぞ」
える「ええ、分かっていますよ」
奉太郎「ならやめた方がいいと思うが」
える「……もう、今更いくら増えても一緒だとは思いませんか?」
何という事だ、千反田がギャンブラーとなってしまった。
……止めはしないでおく、外れて借金が増えれば、正気に戻るかもしれない。
里志「確かに難しい選択だ、何しろ1/10だからね」
里志「ならさ、まずは賭ける金額を決めたらどうかな?」
里志「千反田さんは1100万の借金があるから……200万なら負けてもそこまで大した損はしないよ」
える「そうですね、では3000万で」
駄目だ、もう手遅れかもしれない。
摩耶花「ちーちゃんが壊れた……」
里志「は、はは」
里志「まあ、僕はただの銀行員だからね……千反田さんの決定を止める事はしないよ」
そして千反田に渡される3枚の約束手形。
ふと、千反田と目が合った。
える「あ!」
……本日二度目の、嫌な予感がする。
える「折木さんに決めてもらいましょう!」
奉太郎「な、なんで俺なんだ!」
える「折木さんは結婚もして、子供も産まれて、幸せそうなので……」
える「そんな折木さんが選べば、当たる様な気がするんです」
か、簡便してくれ……
しかし、ここに俺の味方など居る訳が無い。
摩耶花「そうよ、選んであげなさいよ」
奉太郎「……外れても俺は知らんぞ」
える「大丈夫ですって、お願いします!」
参ったな……外れた時、俺はどうすればいいんだ。
さっきまでは外れて、千反田がギャンブルをしなくなる事を願ったが……今は逆。
ううむ……
単純に、行くか。
奉太郎「……そうだな」
奉太郎「じゃあ、6で」
える「6ですね、分かりました!」
里志「7を選ぶと思ったんだけど、何で6を?」
摩耶花「気になるけど……今はルーレットの結果の方が気になるわね」
奉太郎「外れても恨まないでくれよ、千反田」
える「ええ、分かっています」
える「それでは……回しますね」
そう言うと、勢いよく千反田はルーレットを回した。
クルクルと回り、その時間は少しだけ長くも感じた。
やがて、針が止まる。
える「……」
良かった……本当に良かった。
千反田は6を指して止まるルーレットをしばし、見つめていた。
そして数秒それを続けた後、隣に座る俺の方を見る。
える「す、すごいです! 当たりました!」
奉太郎「あ、ああ。 そうだな」
なんだか恥ずかしくなり、視線を千反田から逸らした。
える「ありがとうございます! 折木さん!」
横からそんな声が聞こえたが、俺は頬杖を付きながら反応を返す事はしなかった。
しかし、何かが近づいてくる。
気付いた時には遅く、近づいてきていた物は千反田本人であった。
奉太郎「わ、分かったから離れろ! 抱きつくな!」
奉太郎「里志も伊原も、見てるだけじゃなくて千反田をどうにかしてくれ!」
里志「いいんじゃない? 別に」
摩耶花「そうそう、折木が選んだ数字なんだしねぇ」
こいつら、他人事だと思いやがって。
それから数分、千反田を引き剥がすのに必死になり、随分と体力を使ってしまった。
ようやく千反田が落ち着きを取り戻したところで、千反田はマスの通り、もう一度ルーレットを回す。
える「3ですね」
える「少しだけ、私にもツキが回ってきたかもしれません」
千反田のその発言を受け、マスに目をやる。
【ランプの魔人が現れ、あなたにもう一度ルーレットを回すチャンスをくれました。 ルーレットを回せます】
ほう、まあ今まで散々な人生だったし、いいのではないだろうか。
える「では、もう一度回しますね」
【8】
える「……あ」
ああ、そこは俺が居るマスではないか。
しかし1000万くらい、今の千反田なら安い物か。
里志「この色のマスでは、追突は発生しないみたいだね」
摩耶花「え? じゃあさっきまで私がひやひやしてたのって……」
奉太郎「無意味って事だな」
摩耶花「ちょっとふくちゃん、次からもっと早く言ってよね」
里志「ご、ごめんごめん」
える「良かったです……追突してばかりでしたので」
それで確かマスは……結婚か。
える「結婚ですね、お祝いは貰えないみたいですが」
里志「とは言っても祝い事さ、おめでとう」
摩耶花「そうそう、おめでとう、ちーちゃん」
える「あ、ありがとうございます」
何故か、と言われると分からないが……何故かそんな気分だったのだ。
ようやく、次は俺の番か。
千反田もいつもの調子に戻ったようだし、良かった。
……にしても、もう半分は通過している。
どうやら全部で50マス、そんな所だろう。
奉太郎「さてと」
【2】
奉太郎「極端だな……」
【あなたの出した漫画作品が認められました。 漫画家の職業に就くことができます】
【現在、漫画家の職業に就いている方が居る場合、その方はフリーターとなります】
奉太郎「だそうだ、伊原」
摩耶花「……絶対に許さない」
……最悪のマスだったのかもしれない。
とにかく、これでようやく俺も職業に就けた。
伊原から奪った形にはなってしまったがな。
まあ、散々俺を馬鹿にしていた罰が当たったのかもしれない……でも少し、悪い事をしてしまったか。
里志「次は僕だね」
【10】
里志「お、良い数字だ」
里志「いいね、これで一気に進める」
そう言い、里志はテンポ良くルーレットを回す。
【7】 【4】 【10】
里志「21だ、一気にゴールまで近づけたよ」
里志「このマスには何も書いてないけど……次でゴールの可能性も出てきた」
里志「うん、満足だね」
奉太郎「そういえば、最初にゴールすれば何かあるのか?」
里志「ええっと、このルールブックによると……」
里志「現金1億円、生命保険に入っていれば更に1億円」
里志「これは1位だけが貰えるみたいだね」
里志「他の順位については特に書いてないから、1位だけの特典って訳だ」
ならば俺でも最初にゴールに到達できれば、まだトップになれる可能性がある。
……いよいよ勝負も終盤だ。
なんだかんだで俺が最下位だが……最後まで何が起きるか分からない。
ま、なるようになるだろう。
所持金 保険 マス
摩耶花 1億700万 生/車 27マス目
奉太郎 1400万 生/車 28マス目
える 2億8900万 生 27マス目
里志 1億600万 生/車 41マス目
第10話
おわり
里志「どうかな、何が起こるか分からないからね」
える「諦めませんよ!」
借金まみれから登り詰めた千反田は力強くそう言った。
奉太郎「そうだな……俺もギャンブルでもするか」
える「駄目ですよ、堅実に行くのが大事です」
……お前が言うのか、それを。
摩耶花「そろそろ回してもいいかな」
える「あ、どうぞ」
伊原はそれを聞き、ルーレットを回す。
【1】
摩耶花「1かぁ……って」
……ああ、そういう事か。
摩耶花「はい」
そう言い、伊原はこれでもかと言うほどの笑顔を俺に向け、手を差し伸べる。
漫画家の職業カードを渡せ、と。
奉太郎「短い職だった」
摩耶花「似合わないから、仕方ないわよ」
摩耶花「自分に合った職業も大事よ」
……それがフリーターと言う事なのか。
奉太郎「まあ、忘れては居ないと思うが追突だぞ」
摩耶花「分かってるわよ、でも私、保険があるしね」
摩耶花「ここまで終盤になってきたら保険も意味無くなる可能性もあるし……丁度良かった」
里志「このマスは追突無効だよ? さっきも言ったじゃないか」
……あまり、記憶に無いな。
摩耶花「えー……じゃあ保険に入らなくても良かったなぁ」
里志「そうでもないさ、最後まで持っていれば資産として計算されるみたいだしね」
里志「まあ、払った額と同額だけど」
ならやはり、1回以上の追突は避けた方がいいだろう。
される分には構わないが。
ともあれ、これで俺はまたしてもフリーターへと逆戻り。
次は……千反田か。
先程のギャンブルで大分勢いが付いている、一番危険なのはこっちかもしれんな。
【10】
える「10ですね」
える「ええっと」
【不思議な妖精が現れました。 願いを一つ叶えてくれます】
【全プレイヤーの中から一人を選び、その人の資産を10倍へとします】
える「10倍……ですか」
なんと言う事だ、こんなマスを考えた奴は碌な奴では無いな……
ええっと、今の千反田の手持ちは確か、3億くらいあった筈。
それが10倍になると……30億!?
摩耶花「2位争い、頑張ろうかな」
勿論、里志や伊原もその事実に気付く。
える「えっと、では折木さんの資産を10倍にしましょう」
奉太郎「え?」
思わず間抜けな声が出る、そしてその後に気付く。
これがもし、千反田の性質の悪い冗談だったとしたら……とんだ赤っ恥だ。
でも、俺は知っていたのかもしれない。
千反田はそんな冗談を言わない、と。
える「折木さんの資産を10倍に、と言ったんです」
える「先程のお礼です」
いや、女神か。
女神、チタンダエル……いい響きである。
摩耶花「ちょっと、優しすぎない?」
える「いいえ、折木さんが数字を当ててくれなければ、私は今も借金があった筈です」
える「それに、折木さんはそこまで資産を持っていないので……勝負が決まるという事も無くて、面白いと思いませんか?」
……最後の言葉は余計だ。
里志「あはは、ホータローのヒモ生活の始まりって所かな」
奉太郎「俺だって一応働いているぞ」
里志「ま、これで千反田さんには逆らえないね」
奉太郎「……」
確かに、里志の言う通り。
これで何かしらのマスを俺が踏み、千反田を蹴落としたらそれは酷い事になるだろう。
多分、人生ゲーム所では無くなるかもしれない。
そう言い、里志から金を受け取る。
今までの手持ちと合わせ、1億4千万。
最下位から一気に2位へと登り詰めた、なんとも大逆転の人生である。
そして回ってくる俺の順番。
奉太郎「よし、回すぞ」
【10】
里志「さっきから、10出すぎじゃない?」
奉太郎「1回、2が出たろ」
里志「それでもすごい確率だね……ホータローの早く終わらせたいって思いが届いてるのかもしれない」
奉太郎「それは嬉しい知らせだな」
奉太郎「えっと、マスは……」
奉太郎「外れたら旅行なのか? 意味が分からんな……」
里志「これ、ちゃんと最後まで読んだ方がいいよ」
【世界一周へと旅立ったあなたは、5回休み】
奉太郎「……くだらん」
里志「当てるしかないね」
里志「大丈夫さ、さっきも当てたじゃないか」
とは言っても……他人のだったから気軽に選べた、と言うのもあった。
それとは違い、今回は自分のである。
……それなら、そうか。
奉太郎「千反田、数字を選んでくれ」
奉太郎「さっきは俺が選んで当たったんだ、次は千反田が選べば当たる気がする」
える「大丈夫でしょうか……」
まあ、別に外れても千反田を責める事なんてしない。
える「では……7でお願いします」
里志「いいね、ラッキーセブンだ」
奉太郎「分かった、じゃあ回すぞ」
そして、俺はルーレットを回す。
出た数字は……
【1】
ううむ、やはり10%の確率と言うのは中々に手強い物だ。
奉太郎「いいさ、気にするな」
奉太郎「後は結果を見守るだけと言うのも、悪くないしな」
える「で、ですが……」
奉太郎「千反田、ルーレットを回したのは俺だ」
奉太郎「それに、お前に数字を選んでもらったのも俺だ」
奉太郎「お前は悪くない」
える「は、はい……」
俺がそう言うと、千反田は渋々と言った感じで頷いた。
これで俺のゴールは無くなったが……まあ、疲れていたし丁度良かったのかもしれない。
色々と頭を使うのは、もう終わりにしたかった。
里志「ホータローも動けない事だし、一発ゴールを狙いたいなぁ」
里志「……よし!」
【7】
里志「……ここで7とは、さっき出るべきだったのかもね」
奉太郎「いいじゃないか、マスには何て書いてあるんだ?」
里志「ちょっと待ってね、ええっと」
【本日は2倍デー! プレイヤー全員の資産はなんと、2倍となります!】
里志「うへ……厳しいなぁ」
里志「ちょっと千反田さんに追いつくのは無理かもね、これは」
摩耶花「ちーちゃんは無理にしても、ふくちゃんには負けないからね」
奉太郎「俺はここに居るだけで2位になれる可能性が上がっただけで満足だな」
俺がそう言うと、またしても伊原に睨まれる。
何もしていないのに、本当にただこのマスに留まっているだけなのに。
所持金 保険 マス
摩耶花 2億1400万 生 28マス目
奉太郎 2億8000万 生/車 38マス目
える 5億8400万 生 37マス目
里志 3億1200万 生/車 48マス目
【2】
摩耶花「……全然良いのがでないなぁ」
摩耶花「マス頼みね、これは」
【台風に巻き込まれる、しかし幸いな事に追い風となった! 1マス進みます】
摩耶花「たった1マスって……それに次のマスには何も無いし……」
里志「まあまあ、そんな事もあるさ」
摩耶花「ふくちゃんはいいかもね、次でほぼゴールできるから」
里志「あ、あはは」
怖い怖い、人生ゲームで仲違いとは……恐ろしいゲームだ。
える「次は私ですね」
【8】
える「ふふ、私にもゴールが見えてきました」
える「このマスも、何も無い様ですね」
える「ええっと、次は折木さんですが……お休みなので、福部さんですね」
里志「よし、流石にここでゴールしたい所だよ」
里志「後ろから千反田さんも追い上げてるしね」
里志「行くよ……!」
【1】
里志「……ちょっと酷いね、これは」
里志「自分の運の無さに驚きかな」
奉太郎「一つ一つ踏んで、人生を楽しんでいるって所が……里志らしいな」
里志「……それはどうも」
【一発逆転の大チャンス! ルーレットから数字を3つ選ぶ事ができます、当たれば資産が2倍になります!】
【しかし外れた場合、残念……資産は全て、消えて無くなります】
里志「ギャンブルマスかぁ……」
奉太郎「でも、今までのより確率的には良さそうだな」
里志「ううん、そうなんだけどねぇ」
奉太郎「なんだ、当たれば1位だぞ」
里志「……いいや、パス」
里志「僕にはギャンブルは向いてないからね、外れる気しかしないよ」
里志らしいと言えば、里志らしい選択だろう。
里志「ま、そういう事で次は摩耶花の番だよ」
摩耶花「私はもうゴールできる気がしないんだけど……まあいっか」
【9】
摩耶花「9だね、もっと早く出てくれればいいのに!」
【あなたは決闘をする事になりました! 一人を選び、ルーレットで勝負をします】
【数字が大きい方の勝利、勝てば相手から1億円を受け取ります】
【負けた場合、あなたは相手に1億円を支払います】
摩耶花「嫌なマスだなぁ……」
伊原は確か……今の資産は2億程だろうか?
なんだか途中から計算が面倒になってきて、数えるのをやめてしまったが……恐らくその程度だろう。
2位を狙うなら相手は里志、可能性は限りなく薄いが1位を狙うなら千反田、と言った所か。
俺も選ばれる可能性はあったが……勝ったとしても始めにゴールするだろう里志には勝てなくなってしまう。
だとすると、選ばれるのは先程挙げた2名の内どちらかだ。
ふむ……伊原も中々に勝負師だな。
える「受けて立ちます!」
千反田はそう言い、ルーレットに手を伸ばす。
える「最初は私でいいでしょうか?」
摩耶花「うん、いいよ」
える「では、回します」
そう言うと、ルーレットをゆっくりと回した。
【2】
なんと、ここで2を出すのか……
さっきのギャンブルやイベントマスで、運を使い果たしたのかもしれない。
える「2ですか……」
摩耶花「ごめんね」
そう言うと、伊原も続いてルーレットを回す。
【1】
摩耶花「……」
前言撤回、こいつの方が運は無いようだ。
える「……勝っちゃいました」
摩耶花「うう……ちーちゃん強すぎる」
奉太郎「千反田が強いと言うよりは、お前が弱いと言う方が正しいと思う」
摩耶花「なによ、じゃあ私と勝負する?」
奉太郎「お前がまたそのマスを踏めたなら、受けて立つさ」
摩耶花「……ふん」
俺がここまで挑戦的なのにも、理由がある。
里志は次でゴールするからである。
それならばもう、伊原に何を言っても俺に災いは降りかからない。
える「では」
【2】
える「やはり、ゴールは厳しかった様です……」
里志「はは、それだけは譲れないよ」
奉太郎「どの道、千反田の勝ちだろうけどな」
奉太郎「それより、マスには何て?」
える「ええっとですね」
【流れ星が降り注ぐ中、あなたはお願いをしました】
【そんな願いを星達は叶えてくれます、プレイヤーを一人選び、選ばれた方の資産を0にします】
いや、それは分かるが。
千反田がそんな願いをしない事くらい、ここに居る全員が分かっているだろう。
奉太郎「里志を選べば俺が2位」
里志「摩耶花かホータローを選べば僕が2位って事だね」
える「選べませんよ……そんなの」
難しい選択かもしれないが、選ばないとこのゲームは終わらない。
奉太郎「俺を選んで終わらせよう、別に俺は順位等気にしない」
える「それは……それは分かりますが」
……分かるのか。
える「でも、それでも出来ません」
俺はこの時、千反田が誰を選ぶのかが分かった。
それはもう、ほとんど確信と言っていいかもしれない。
そう言うと、千反田は何かを思いついた様に目を見開く。
える「プレイヤーと言う事は、人生ゲームをやっている人達ですよね」
える「それではですね、私は」
える「私を選びます」
……やはり、そうなるか。
奉太郎「お前ならそう言うと思った」
える「え、どうしてですか」
奉太郎「そういう奴だから……って思っただけさ」
える「ふふ、そうですか」
里志「やっぱり、千反田さんには適わないなぁ」
摩耶花「そうね、順位なんてどうでもよかったのかも」
える「駄目ですよ、ちゃんとゴールしてください」
里志「了解、じゃあ最後に……回すね」
里志「最後にようやく10とはね、僕も運が悪い」
える「そうでもないですよ、福部さんが1位です」
奉太郎「ま、あって無い様な物だろう」
里志「ホータローの言う通りさ、今回のは引き分けって所かな」
摩耶花「そうね、また今度……やろっか」
奉太郎「却下で」
摩耶花「何よ、もう」
とにかく、物凄く長い人生ゲームはこれにて終わり。
後は片付けて……帰るだけだ。
奉太郎「じゃあ、片付けるか」
奉太郎「手短に終わらせて、真っ直ぐ帰ろう」
里志「まー、結果よりは過程が楽しかったかな、僕は」
摩耶花「あ、それちょっと分かるかも」
える「ふふ、私もですよ」
奉太郎「俺は……ちょっと違うな」
摩耶花「違うって、楽しくなかったの?」
奉太郎「……そう言う訳では無いが」
奉太郎「どちらかと言うと……」
里志「ホータローは、結果も過程もどっちでも良い、ってタイプだから」
奉太郎「……そういう事だろうな」
奉太郎「付け加えると、とっとと片付けて真っ直ぐ家に帰りたいタイプだ」
摩耶花「じゃ、そんな折木の意見を尊重して片付けようよ」
摩耶花「私もなんだか疲れちゃった」
これにて一件落着……とは行かない。
里志「ちょっと待って」
里志「人生ゲームと言ったらさ、あれがあるじゃないか」
……あれ、とは何だろうか。
いやむしろ、まだやる事があるのか?
俺のした考えは、千反田や伊原もしていた様で、顔に困惑が浮かんでいる。
そう言いながら、里志が指を指すのは自分の手元にある紙。
正確に言うと、銀行の役目を担った里志が持っている金。
……まさか。
奉太郎「おい! やめろ馬鹿!」
どうやら千反田と伊原はまだ気付いていない。
それが手遅れとなってしまった。
里志は……そこにあった大量のお金を、宙へとばら撒いた。
奉太郎「とんだ災難だった……」
える「私も最初はびっくりしましたよ」
奉太郎「最初だけだろ、最後はお前も笑ってばら撒いてたぞ」
える「は、恥ずかしいのであまり言わないでください」
さいで。
奉太郎「にしても、本当に余計な時間を食ってしまった……」
える「たまにはいいじゃないですか」
奉太郎「ほとんど毎日の様な気がするんだが」
える「それでもいいじゃないですか」
奉太郎「……はあ」
そんな事を話しながら、千反田の家へと向かっていた。
何故かは分からないが、今年に入ってからと言う物、千反田を家まで送っていくのが習慣となっていたのだ。
真っ直ぐ帰る事が出来るのは……いつになるのだろうか。
突然、何かを思い出したかの様に千反田が口を開く。
える「少し、気になる事があるんです」
奉太郎「今からか? 明日にしてくれ」
える「いいえ、折木さんはもう答えを知っている事ですよ」
何だろうか……まあそれなら、いいか。
奉太郎「……何だ?」
える「私が、ギャンブルに勝った時……」
える「折木さんは何故、6を選んだんですか?」
える「何か、理由があった様ですが」
奉太郎「ああ、あれか」
奉太郎「……言わなきゃ駄目か」
える「はい、気になります」
……本当に単純に、浮かんできた数字なんだが。
まあでも、千反田に嘘を付く理由も……無いか。
奉太郎「千反田える」
える「え?」
奉太郎「それで、6文字だ」
奉太郎「だから6を選んだ」
える「ふ、ふふ」
える「そうでしたか……なるほどです」
奉太郎「単純な理由さ、特に意味も無い」
える「でも私は、他にも良い数字はあると思いますよ」
奉太郎「他にも良い数字?」
俺はしばし、腕を組みながら考える。
しかし答えは出ず、千反田に答えを求めた。
奉太郎「教えてくれるか」
える「ええ、勿論」
える「えっとですね……」
える「9や、5も良かったと思います」
9に……5?
千反田が言った数字の意味が俺には分からなかったが、わざわざ聞くのもあれだな。
家も見えてきた事だし、時間がある時にでも考えればいいか。
える「ふふ、折木さんには分かると思いますよ」
奉太郎「……そうだな、考えておく」
える「ええ、宜しくお願いします」
それから千反田と別れ、俺は家に帰る。
その数字の事を思い出したのは、風呂に入り……布団の中で目を瞑っていた時だ。
奉太郎「……9と5」
……まさか。
……いや、それしか無い。
俺はその数字の意味に気付き、顔に熱が篭るのを感じながら、目を閉じた。
第11話
おわり
第1章
おわり
Entry ⇒ 2012.10.30 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
える「古典部の日常」 3
俺はつい一週間程前に知ったのだが、どうやら二年生も参加しなければいけないらしい。
なんでも、次期最高学年として、とか。 三年生を一番知っているであろう君達に見送られ、とか。
そんな大層ご立派な理由があったからである。
勿論、それは今年から始まった事では無かった。
もっと言えば、つい一週間程前に決まった事でも無い。
ただ、俺が知らなかっただけだ。
そういう理由で、俺達二年生は学校へと来ている。
奉太郎「三年になったからと言って、何かある訳でも無いだろ」
里志「……もっとこうさ、何か思う事とかないのかい?」
奉太郎「無いな」
里志「はは、随分ときっぱり言う物だね」
……里志にはそう言ったが、俺にも少しくらい思う所はある。
しかしそれは三年生になるからでは無い。
……今日の事だ。
準備は全部終わっている、後はどう入須と話す機会を得るか、だ。
そこら辺を千反田は全く考えていなかった様で、仕方なく俺が入須に話しかける作戦を考える事になった。
える「おはようございます、今日はお二人とも早いですね」
噂をすればなんとやら、か。
奉太郎「俺はいつも早いつもりだが」
里志「そんな、僕だってそのつもりだよ」
俺と里志が千反田の言葉に待ったを掛けた所で、伊原が顔を見せた。
摩耶花「よく言えたわね、二人共」
摩耶花「それにふくちゃん、昨日も時間ギリギリだったよね」
里志「あ、あれは不可抗力だよ」
摩耶花「ふうん……」
える「あ、あの!」
そんな里志と伊原の口論を千反田が止めた。
える「お話、してもいいでしょうか?」
摩耶花「あ、ごめんね」
里志「そう言えば、今日一度集まろうって言ったのは千反田さんだったね」
える「ええ、少し大事なお話があるんです」
俺は内容を知っていたが、もう一度整理する意味も含めて耳を傾ける事にした。
える「実はですね」
える「入須さんに、プレゼントを用意しているんです」
里志「卒業祝いって奴かな?」
える「勿論、その意味もあります」
える「他にも、入須さんには色々とお世話になったので……」
摩耶花「いいんじゃない? 入須先輩も喜ぶと思うよ」
える「……はい」
える「それでですね、なんとか入須さんとお話する機会を得たいのですが……」
奉太郎「ああ、大体は考えている」
俺がそう言うと、里志と伊原はこちらに顔を向けた。
摩耶花「あれ、折木は知ってたの?」
奉太郎「……まあな」
里志「知っていて黙っているなんて、何か言ってくれれば良かったのに」
奉太郎「ただ言いそびれただけだ」
える「あのですね、プレゼントはこれです」
千反田はそう言うと、持ってきていた小さな袋から手袋とマフラーを取り出した。
摩耶花「うわっ! すごい」
摩耶花「これ、手作りでしょ?」
える「ええ、まあ……」
里志「へえ、さすが千反田さんって言った所だね」
里志「見事な出来栄えだよ」
える「……季節外れかもしれませんが」
摩耶花「そんな事ないでしょ、また寒くなったら使えるんだし」
える「……実は、折木さんと一緒に作ったんですよ」
言うとは思ったが、やっぱり言って欲しくなかった。
摩耶花「え、折木も作ったって事?」
える「今、そう言いましたが……」
里志「横で文句言ってただけとかじゃなくて?」
える「しっかり作っていましたよ……」
こうなるからだ。
摩耶花「……意外と、やれば出来るんだね」
里志「……そうだね、なんでもやってみる物だ」
奉太郎「俺をやれば出来る子みたいに言うな」
奉太郎「それよりも、入須と話す機会の話だったろ」
当の本人が忘れているとは、全く。
奉太郎「卒業式が始まる前は、流石に駄目だろうな」
里志「まあ、そうだろうね」
奉太郎「なら、終わった後だ」
摩耶花「でもさ、終わった後もクラスの人と話したり、どこかに遊びに行ったりあるんじゃない?」
奉太郎「……入須がわいわい皆とやると思うか?」
里志「……それは少し、想像し辛いね」
奉太郎「ならどうせ、終わったらさっさと帰るだろ、その時に声を掛ければいい」
える「入須さんはそこまで寂しい人じゃないと思いますが……」
だが、あくまでその前に声を掛ければ済む話だ。
それに俺達の用事と言う物はさほど時間を取らないだろうし、入須には少し悪いがクラスの用件を後回しにしてもらえばいい。
奉太郎「ま、とにかく終わった後に声を掛けよう」
奉太郎「誰も行かないなら俺が行くが、どうする?」
える「あ、私が呼びに行ってもいいでしょうか?」
恐らく千反田もどこか、入須と話す機会が欲しかったのかもしれない。
なら俺に、それを却下する理由は無かった。
奉太郎「じゃあそれは任せる、俺は部室で待っているよ」
里志「そりゃそうだ、ホータローが自ら動くのは似合わないよ」
里志「僕と摩耶花は、居てもいいのかな?」
える「ええ、お二人にも是非来て頂きたいです」
摩耶花「うん、分かった」
摩耶花「一緒にお祝いしよう、入須先輩を」
里志「あ、僕は委員会の関係でちょっと遅れちゃうから、もしかしたら居合わせられないかもしれない」
える「そうですか……」
里志「もし間に合いそうなら、すぐに行くよ」
える「はい! お待ちしていますね」
俺は卒業式が終わったら真っ直ぐ部室に行き、千反田が入須を連れて来るのを待っていればいい。
簡単な仕事である。
伊原もすぐに部室には来るだろうし、退屈はしないかもしれないな。
奉太郎「……そろそろ時間か」
里志「そうみたいだね、まずは卒業式」
里志「しっかりと、見送ろうか」
体育館にはかなりの人数が集まっていた。
二年生全員、三年生全員、三年の保護者達、それに教師、来賓の人ら。
数えたら切りが無いだろう。
一番前は三年、次に二年、そして保護者達、と言った並び方になっていた。
右から順番に、クラス毎に用意された椅子に着く。
こんなにも人が居なかったら本でも読みたい気分だが……さすがにここまで人が居るとそんな気にもなれない。
俺は仕方なく、行儀良く式が始まるのを待っていた。
思わずあくびが出てしまう、ばれないだろうし……いいか。
あくびが数回出た所で、校長と思われる人物が入ってきた。
辺りが静まり返る、ようやく始まるのか。
なんとも長ったらしい挨拶が終わると、中学生でもやっていた様な一連の流れが始まる。
まずは卒業生達が入場してきた。
うむ、ほとんど面識が無い。
入須は見当たらなかったが、多分群れの中にいるのだろう。
三年全員が席に着くと、早速卒業証書の授与が始まった。
その後は何やら、色々な代表達の挨拶が始まり、俺は特に誰かも分からなかったので聞き流す。
そして、在校生代表の挨拶がやってきた。
俺はこの時、多分誰とも知らない奴が挨拶するのかと思っていたが……代表として立ったのは、俺が見知った人物だった。
あいつ、在校生代表だったとは……全く知らなかったな。
まあでも、総務委員会に勤めているだけあって適任なのかもしれない。
そう、福部里志である。
少し遠かったが、いつもより幾分か緊張している様子だった。
里志『まずは、卒業生の皆様、おめでとうございます』
それが少しだけ面白く、俺は今日始めてその挨拶に耳を傾けていた。
里志はそのまま思い出等を語っていて、喋りだしてからは大分落ち着いている様に見えた。
あれは俺には出来ない、里志の持っている物だろう。
そして5分ほどで、里志の挨拶は終わった。
次いで、卒業生の挨拶が始まる。
呼ばれた名前は、入須。
……確かに入須なら、似合っているかもしれないな。
周りが一段と静まり返り、挨拶が始まった。
入須『そして、この様な盛大な卒業式を開いて頂き、ありがとうございます』
……さすがは女帝と言った所か。
緊張している様子も無く、しっかりと言葉を発していた。
まあ、いつもの口調とは違い、大分堅い感じがしていたが。
入須『思えば、私達が神山高校で過ごした三年間は、色々な方に支えられていました』
入須『文化祭、星ヶ谷杯、体育祭、球技大会』
入須『私達がこれらの行事に励めたのも、ここに居る皆様のお陰です』
入須『私達は今日、この学校で学んだことを胸に、それぞれの進路へと旅立ちます』
入須『卒業生を代表し、答辞とさせて頂きます』
入須『本当にありがとうございました』
中学の時なんかは、卒業生代表は最後まで言葉を言うのも辛そうな程、泣きそうだったが。
入須は違った、しっかりと最後まで、言葉を述べていた。
……しかし、何やら様子がおかしい。
答辞は終わった筈なのに、入須がそこを動こうとしなかったのだ。
それに先生や生徒も気付き始め、僅かに場がざわつく。
少しだけ、口が動いているのが見えた。
多分だが、私は。 と言ったのかもしれない。
入須『私には、謝らなければならない人が居る』
さっきまでの堅い感じは消えており、いつもの入須の口調へとなっていた。
それより、なんて事だ。
あの入須が、こんな形で俺と千反田に言葉を向けるとは。
入須『この場を借りる形になってすまない』
入須『ここで名前を呼ぶ訳にもいかない、だから』
入須『私の独り言だと思って、聞いてくれ』
しかし、ここに居る人全員が入須の意思を汲んだのか、やがて場が静かになった。
入須『私は間違いを犯した』
入須『あの時は、それしか無いと思っていたんだ』
入須『だがそれは違うと教えてくれたのは、二年生の子であった』
言わずもがな、俺の事か。
入須『……そして私のした事は、一人の人間を酷く傷付けた』
入須『本当に、申し訳ない事をした』
そう言うと、入須は深々と頭を下げた。
こんな大勢の中で、まさか謝られるとは……全く予想外であった。
俺はつい、そのまま入須は壇上から降りて、式は予定通り進む物かと思ったが……
どっからともなく、聞きなれた声が聞こえてきた。
あの馬鹿、そんなの後で言えばいいだろう!
「入須さんも、あなたも傷付いたではないですか!」
「顔を……顔を上げてください」
最後の言葉は消え入りそうな物だったが、辺りは静まり返っていた為か、入須までしっかりと届いていた。
入須『君も、彼と同じ事を言うのだな』
入須『……ありがとう』
そして、周囲の視線にやっと気付いたのか、千反田が慌てて席に着いているのがこちらからでも見えた。
入須『二年生諸君、時間を取らせてすまなかった』
入須『先生方、予定外の行動を取り、申し訳ありませんでした』
そう言い、二度頭を下げると、入須は壇上から降りた。
次に巻き起こったのは、盛大な拍手であった。
事情を知っているのは恐らく、俺と千反田に里志と伊原だけだろう。
しかしそれでも、入須の挨拶には人を惹きつける物があったのかもしれない。
……あいつは、最後の最後まで女帝だった。
奉太郎「あれには驚いたな」
える「入須さんの挨拶ですか?」
奉太郎「なんとなく、いつかしっかりと話してくるだろうとは思っていたが」
奉太郎「まさかあの場面でするとはな」
える「私も驚きましたよ」
える「つい、返してしまいました」
奉太郎「俺はそれにも驚いたぞ」
奉太郎「確かあの時、後で言えば良いだろって思った」
える「気付いたときには、言葉が出ていて」
える「そして、次に気付いたときには、周りの方が私の方を見ていて……」
える「……どういう意味ですか?」
奉太郎「千反田らしくて、いいんじゃないか」
える「あ、え、えっと。 ありがとうございます」
奉太郎「いや、別に褒めてはいないが」
える「……そうでしたか」
奉太郎「悪い事とも言ってないがな」
える「もう、はっきり言って欲しいです」
奉太郎「どっちかと言えば、良い方なんじゃないか」
奉太郎「俺からの視点だがな」
える「それだけ聞ければ、十分です」
それにしても、日が大分落ちてきている。
温度が少しだけ下がっているように感じた。
念のため何枚もシャツを重ねて、厚手の上着を着て来たのは正解か。
しかし千反田は簡単な物しか着ておらず、幾分か寒そうに見えた。
俺は本当にまだ寒いとは思っていない訳だし、上着を貸してやるのが普通だ。
奉太郎「……ほら」
える「え、悪いですよ」
奉太郎「去年は俺が風邪を引いて、今年はお前とかになったら笑い話にもならんだろ」
奉太郎「俺は大分暖かい格好をして来ているから、大丈夫だよ」
える「そうですか、ではお言葉に甘えて」
卒業式が終わった後の事。
終わり良ければ全て良しとは、いい言葉だと思う。
過程が悪くても、最後に笑っていられればいいのだから。
しかしそれも、今だから言える事か。
あの後、確か千反田はそのまま入須の教室へと向かったんだったな。
俺は古典部で、入須と千反田を待っていたんだ。
……少しだけ、悪い事をしてしまった。
第7話
おわり
思わず大声をあげてしまい、恥ずかしい限りです。
でも……とても、嬉しかったです。
入須さんも最後は笑っていましたし、これにて一件落着……
ではありません!
私にはまだ、役目があるのでした。
危うくそのまま帰ってしまう所でした……
える「入須さんは教室でしょうか」
卒業式が終わって、三年生の方達が退場した後に、私達は教室へと戻ったのですが。
時間的にはそこまで経っていない筈です。
それならばまだ、入須さんは教室に居るでしょう。
私はそう思い、三年生の教室へと少しだけ急ぎながら向かいました。
ええっと、入須さんは……
その時、後ろから声を掛けられます。
沢木口「あれ、君は確か……古典部の子だっけ?」
える「あ、ご無沙汰しています」
沢木口「それで、何か用事でもあったの?」
える「ええ、実は……」
私の用事をお話すると、沢木口さんは早速入須さんを呼び出してくれました。
……一年生の終わりに、迷惑を掛けてしまったというのに。
沢木口さんはそんな事は無かったかの様に、私に笑顔を向けています。
沢木口「いいって、気にしないで」
そう言うと、沢木口さんは友達の所へと向かっていきました。
その後、数分待った後、入須さんがやって来ます。
入須「千反田か、さっきはすまなかったな」
える「びっくりしましたよ」
入須「……そうだな」
入須「あの場面で、あの様に呼び掛けるのが一番効果的だと思ったから」
入須「と言うのはどうだろうか」
える「え、そうだったんですか」
入須「あれは私の言葉だ」
える「……そうですか、良かったです」
入須「にしても、千反田はもう少し人を疑った方がいいと思うぞ」
える「入須さんの言っている意味は、分かります」
える「でも、それでも」
える「私は、人を信じる方が好きですから」
入須「……そうだったな」
そこで一度会話が途切れ、示し合わせた訳でも無く、私と入須さんは教室内の喧騒を眺めていました。
入須「それで、用事とは何だ?」
顔をそのまま動かさないで、入須さんは言いました。
える「お時間は取らせませんので、付いて来て欲しい場所があるんです」
私がそう言うと入須さんは少しだけ困った顔をします。
入須「……実は、クラスの奴等と予定があってな」
える「……わ、分かりました」
だ、駄目です。
このままでは古典部の皆さんに合わせる顔がありません……
入須「申し訳ないが、別の日でもいいか」
える「え、えっと……」
それは、入須さんに向かって発せられていた声でした。
内容は、こっちを後回しにすればいい、との物で……
私はやはり、人に助けられていてばかりの様な気がします。
入須「……との事だ」
入須「なら断る理由が無くなったな、行こうか」
える「は、はい! ありがとうございます」
私は入須さんに頭を下げ、教室内に居る方達にも頭を下げました。
……良かったです、これで入須さんを驚かせる事が出来ます!
私の足取りは軽く、入須さんとお話をしながら古典部へと向かいました。
える「着きました、入須さん」
入須「ここは、古典部か」
える「はい、とりあえず中に入りましょうか」
入須「ふむ、そうだな」
古典部の前でそう話をし、私は扉を開けます。
中には既に、折木さんと摩耶花さんが居ました。
福部さんはまだ、来ていない様です。
……でも、何か変です。
……福部さんが来ていないからでしょうか?
いいえ、それは違う筈です。
摩耶花さんは分かりませんが、折木さんは例え福部さんが居ないとしても、ここまで分かりやすく暗い顔はしない筈です。
あくまでも、私の経験上……ですが。
える「あ、あの」
奉太郎「千反田か」
私が声を掛けた事でようやく、折木さんはこちらに顔を向けました。
……やはり、いつもと少し違う様な。
入須さんも異変には気付いた様で、扉の近くで待っていてくれました。
奉太郎「……ちょっとな」
摩耶花「ち、ちーちゃん」
摩耶花「そ、その……ごめん」
何故、摩耶花さんは私に謝るのでしょうか?
える「ええっと……」
私がそう言い、考えていると、折木さんが口を開きます。
摩耶花さんはまだ何か言いたい様な顔をしていましたが、それを遮るように折木さんは言ったのです。
奉太郎「手袋に穴が開いた」
える「……どういう意味ですか?」
奉太郎「聞くより、見たほうが早いだろ」
そう言い、折木さんは私に手袋を差し出します。
……それは確かに、少しだけですが、穴が開いています。
摩耶花「……それ、その」
奉太郎「部室の鍵が開いていたんだ」
奉太郎「それで、俺と伊原が来た時には既にこうなっていた」
奉太郎「そうだろ?」
折木さんはそう言い、摩耶花さんの方に顔を向けます。
摩耶花さんはその言葉に答えませんでしたが、折木さんが言うからにはそうなんでしょう。
なるほど、摩耶花さんが先程、私に謝ったのは恐らく……しっかりと見張っていられなかったからでしょう。
でも、一体誰が……
える「……酷いです、こんなのって」
える「あんまりです」
そこで、後ろで待っていた入須さんが声を掛けてきます。
入須「大体の事情は分かった」
える「……はい」
入須「だが、何者かによって手袋には穴が開けられた」
入須「そうだな?」
奉太郎「……ええ」
入須「それが何だ、縫えばすぐに治るだろ」
える「で、ですが!」
入須「もしかして」
入須「私に裁縫は無理だと言いたいのか?」
える「そ、そういうつもりではないです」
入須「ならいいじゃないか、是非渡してくれ」
その言葉を聞き、私は一度、折木さんの方へと顔を向けます。
える「……分かりました」
こんな形になってしまいましたが……入須さんは、喜んでくれるのでしょうか。
それだけが少し、心配です。
私はそんな事を思いながら、手袋とマフラーを入須さんに渡しました。
入須さんはそれを受け取ると、とても優しそうな笑顔で、こう言いました。
入須「最高のプレゼントだよ、ありがとう」
える「は、はい!」
える「あの、それは折木さんも作ったので……」
入須「そうなのか、ありがとうな」
入須さんはそう言うと、折木さんに頭を下げました。
口ではそう言っていましたが、照れているのはすぐに分かります。
そしてその後、入須さんはクラスの方達との用事もあり、教室へと戻っていきました。
なんだか、今日別れても、また入須さんとは会えるような……私にはその様に感じられました。
……それより!
える「折木さん」
える「私、気になります!」
奉太郎「……何がだ」
折木さんも、私が何に対して気になるのかは分かっていた様で、暗い顔をしながら答えました。
奉太郎「駄目だ」
える「何故ですか、私……どうしても」
そこまで言った時、古典部にまた一人、やってくる人物が居ました。
このタイミングで来るのは恐らく、福部さんでしょう。
里志「ごめんね、遅れちゃった」
える「お疲れ様です、福部さん」
里志「うん、疲れたよ……って」
里志「何かあったのかい? 皆」
やはり福部さんも、部室の空気に気付いたのでしょう。
……説明するのには、あまり慣れていないせいもあって、随分と回りくどい説明になっていまいましたが。
里志「なるほど、そういう事か」
里志「それで、ホータローは何か分かったのかい?」
奉太郎「……何も」
里志「本当かい? 僕が見た限り、何か分かっている顔だけど」
える「そうなんですか? 折木さん!」
やはり、折木さんは分かっていたのでしょう。
それならば、聞かない以外の選択はありません。
ですが……
奉太郎「……帰る」
そう言い、折木さんは鞄を手に取ると、部室を後にしようとします。
える「ま、待ってください」
私はそれを見て、付いて行きます。
一度、福部さんと摩耶花さんの方に振り返り、顔を見ました。
福部さんは困ったような顔をしていて、摩耶花さんは未だに暗い顔をしています。
福部さんと摩耶花さんを残して帰るのは気が引けますが……
折木さんがここまで答えない理由が、少し気になってしまうのです。
そして私は、折木さんの後に続きました。
学校から出て、前を歩いている折木さんを見つけます。
私は駆け足で近寄り、横に並んで歩き始めました。
奉太郎「悪いな、さっきは」
える「……いえ、気にしないでください」
奉太郎「いつも自分は気になると言うのに、気にしないでと来たか」
える「……あの」
奉太郎「気になるか、さっきの事」
える「気にならないと言えば、嘘になってしまいます」
える「……やはり、気になります」
える「折木さんには、嘘を付きたく無いんです」
える「どんなに小さくても嫌なんです」
奉太郎「……」
その後、私と折木さんの間を少しの沈黙が包みます。
奉太郎「……はあ」
奉太郎「……お前には、話しておくべきか」
える「えっと……」
奉太郎「さっきの事だよ、他言無用で頼むぞ」
える「それを決めるのは、聞いた後がいいです」
奉太郎「……ああ、分かった」
奉太郎「まず、俺と伊原が部室に行った時、鍵は閉まっていた」
える「でも、さっきは開いていたと……」
奉太郎「あれは嘘だ、すまんな」
える「では、一体何故?」
奉太郎「つまり……」
奉太郎「今日、古典部の部室を訪れたのは……卒業式が終わった後は俺と伊原だけになる」
える「……そうなりますね」
奉太郎「そして、俺と伊原は部室でお前が来るのを待っていたんだ」
奉太郎「いつもみたいに席に着いて、な」
奉太郎「その時、入須へのプレゼントは部室に置いていただろう?」
える「ええ、あれを持ち歩くのは少し、大変そうだったので」
奉太郎「それを断る理由なんて無い、俺は見ていいぞと言った」
える「……はい」
なんとなく、私にも分かってきました。
奉太郎「机は木で出来ているからな」
奉太郎「しかも結構古い、ささくれている部分がいくつかあった」
奉太郎「それにあいつは、伊原は手袋を引っ掛けてしまった」
える「……」
奉太郎「気付いた時には、あの状態になっていた」
奉太郎「……そういう事だ」
える「……そうでしたか」
奉太郎「結果的にお前には話してしまったが、まあ」
奉太郎「一番悪いのは、俺だろうな」
える「何故、そう思うんですか」
奉太郎「さっきも言っただろ、話すという選択もあったんだ」
える「違います、そんな選択はありませんでした」
奉太郎「……どういう意味だ」
える「私は、少なからず、折木さんについては知っているつもりです」
える「他の人なら分かりません、ですが」
える「折木さんにとっては、摩耶花さんを庇う以外に選択は無かった筈です」
奉太郎「……どうだかな」
える「ですが、今……この場なら、選択は他にもあります」
奉太郎「何が言いたい」
える「戻って、福部さんにも話すんです」
奉太郎「……それをしたら意味が無いだろ、元々千反田にも言うつもりは無かったんだ」
奉太郎「結果的に話してしまったが、お前が黙っていればそれで終わる」
える「……折木さんは、摩耶花さんの顔を見ましたか?」
奉太郎「……顔?」
える「何故、あんな顔をしていたのか……さっきまで分かりませんでした」
える「ですが、折木さんの話を聞いて、全て分かりました」
える「……皆で、話し合うべきです」
奉太郎「……そうだったのか」
奉太郎「余計な事をしてしまったのかもな、俺は」
える「だから、今ならまだ間に合うんです」
奉太郎「……まだ学校に居るとも限らないだろ」
える「いいから、行きますよ!」
私はそう言い、折木さんの手を掴みます。
そのまま後ろに向き直り、走りました。
奉太郎「お、おい!」
後ろで折木さんの声が聞こえましたが、気にしないで私は走ります。
……なんだかちょっとだけ、折木さんの前を行っている自分が嬉しかったのを覚えています。
似たような事が前に、あの時は逆でしたが。
いえ、状況も違いました……ですが。
それでも嬉しかったんです、折木さんの手を引いて走れたのが。
廊下を駆けて、古典部の前へとやってきました。
そのままの勢いで扉を開けます。
摩耶花「ちーちゃん?」
摩耶花「それに、折木も」
良かった……摩耶花さん達はまだ部室に居てくれました。
える「あ、あの!」
える「摩耶花さんは悪くないです!」
摩耶花「え、えっと?」
奉太郎「千反田、落ち着け」
奉太郎「俺が説明する」
しかし、摩耶花さんは先程の私の言葉をゆっくりと理解し、折木さんの言葉を遮りました。
摩耶花「……今日の事ね」
摩耶花「実は、それなんだけど」
里志「全部聞いたよ、摩耶花から」
摩耶花「……ごめんね、ちーちゃん」
摩耶花「折木も、ごめん」
奉太郎「なんだ……千反田の言う通りだったって訳か」
える「ふふ、だから言ったでは無いですか」
える「摩耶花さんは悪く無いですよ」
える「入須さんにも今度、お話しましょう」
そこで折木さんが、扉の傍に立ったままで言いました。
奉太郎「あー、それなんだが」
奉太郎「多分、入須は全部分かっていたんだろうな」
里志「入須先輩が? どうしてさ」
奉太郎「……あいつは場を収めようとしていた」
奉太郎「自分がそのままプレゼントを貰う事によって、これ以上話を掘り下げられない様にしたんだ」
奉太郎「だからあいつには、言う必要は無いだろう」
える「そうだったんですか、私は全然気付きませんでした……」
つまり入須さんは、全て気付いていて……
最後の最後まで、ご迷惑を掛けてしまった様ですね。
奉太郎「お前の考えている事が、俺には分からなかった」
摩耶花「別に、折木が謝る事は無いでしょ」
奉太郎「……少し、外の空気を浴びてくる」
折木さんはそう言うと、部屋の外に出て、どこか風に当たれる場所へと行ってしまいます。
える「……そう言えば」
える「私、まだ少しだけ気になる事があるんです」
里志「はは、ホータローが居ないとどうにもならないかもね」
摩耶花「私達で良ければ聞くけど……」
える「あのですね」
える「摩耶花さんは何故、そのお話を福部さんにしたのでしょうか?」
摩耶花「それはさっきも言ったよ、元から私は……話すつもりだった」
える「ええ、それは分かります」
える「ですが、皆さんが揃っていた場面でも言えた筈なんです」
摩耶花「……やっぱり、ちーちゃんには分かっちゃうのかな」
える「すいません、失礼な事を言っているのは分かっています……」
摩耶花「思い出したんだ」
摩耶花「ちーちゃんと入須先輩が来る少し前に、折木が言った事を」
える「……折木さんは何と言ったんですか?」
摩耶花「折木はね」
摩耶花さんはそう言うと、私の耳に口を近づけ、福部さんに聞こえないように教えてくれました。
その言葉を聞いた私は、やはり折木さんは折木さんだと感じる事になります。
折木さんの言葉を借りるなら、あくまでも私からの視線、ですが。
でもやはり、折木さんという方は……そういう方なのでしょう。
里志「千反田さんの気持ちが良く分かるよ、とても気になる」
摩耶花「……だめ、私とちーちゃんの秘密だから」
える「ふふ、そうですね。 秘密です」
そうでしょうか?
私にはとても似合っている台詞の様に思えますが……
える「私は、折木さんらしいと思いますよ」
摩耶花「ふうん、なるほどねぇ」
摩耶花さんは何故かニヤニヤとしていましたが……それよりも私には、行きたい場所がありました。
える「私……折木さんの所に行ってきますね」
私はそう告げ、部室を後にします。
える「見つけました」
奉太郎「千反田か、何でここに居ると思った?」
える「なんとなくです」
奉太郎「……そうか」
折木さんは屋上から景色を眺めていて、私も横に並び、一緒に景色を眺めました。
える「もう、日が暮れてきていますね」
奉太郎「結局、卒業生達より長く居残ってしまったな」
える「そうみたいです」
奉太郎「それで、どうして急に来た」
える「……折木さんの顔を、見たかったので」
える「あの、折木さん」
奉太郎「ん?」
える「……いえ、何でも無いです」
奉太郎「変な奴だな」
える「ふふ、帰りましょうか」
奉太郎「……ああ、そうだな」
私は先程、摩耶花さんから聞いた折木さんの言葉について、何か言おうと思っていましたが……
この事は、私の胸の内に、閉まっておく事にしました。
その言葉はとても優しい物で、きっと折木さんは……あまり人に知られたく無いと思っているでしょう。
奉太郎「あの時は……お前に助けられたな」
える「そうでしょうか?」
奉太郎「ああ」
える「お礼をまだ聞いていない様な気がするんですが……」
千反田はそう言い、自分の口元に指を当てた。
奉太郎「お前はそんな奴だったか」
える「いつも通りですよ?」
奉太郎「……ありがとうな」
える「ふふ」
なんだ、様子がおかしいぞ。
……まさか、コーヒーのせいなのだろうか。
千反田はただ、眠れなくなるだけと言っていたが……とんでもない。
恐らく自分では分かっていないのだろう、今度教えねば。
える「どうしたんですか? 折木さん」
とりあえず、今は千反田の言う通りにしておくのが無難か。
奉太郎「ありがとう、千反田」
える「そんな、見つめないでください」
……面倒だ。
奉太郎「そろそろ帰るか」
える「もっと一緒に居たいです」
奉太郎「い、いいから……帰るぞ」
える「……そうですか、残念です」
今後一切、コーヒーは飲ませない様にしようと強く誓った。
誰に誓った訳でもないが。
える「ふふ」
横を歩いている千反田が急に笑い出すのが少し怖い。
奉太郎「何がそんなに楽しいんだ」
える「折木さんの横を歩ける事です」
奉太郎「それはありがたいお言葉で」
える「では、お礼を言ってください」
奉太郎「……」
える「私たちも、もう三年生ですね」
える「皆さんと一緒に居られるのも、後一年ですか」
える「……寂しいです」
なんだ、さっきまでニコニコしていたと思ったら……今度は泣きそうになっている。
だがまあ……その千反田の気持ちも、分からなくは無かった。
奉太郎「なあ、千反田」
える「はい? どうしました?」
俺はそんな千反田を見ていると、こいつがどこかに行ってしまいそうな気持ちになって、それを振り払うために、言った。
奉太郎「手、繋ぐか」
える「……はい!」
多分いつも通りの千反田なら、俺はこんな事は言えなかったかもしれない。
それはまあ……コーヒーに少しだけ感謝と言う事で。
千反田の家までの時間、短い時間ではあったが……千反田と手を繋ぎ、歩いて行った。
第8話
おわり
Entry ⇒ 2012.10.28 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
える「古典部の日常」 2
俺達が逃げ込んだのは、一番奥の物置小屋だった。
薄暗く、あまり広いとは言えない。
しかし幸いにも、引き戸であった。
少しだけ扉を開き、外の様子を伺う。
奉太郎「……何か、話し合っているな」
摩耶花「多分、二手に分かれようとかそんな感じでしょうね」
奉太郎「だろうな」
さて、どうするか。
このままではいずれ、俺と伊原は見つかってそのまま負けてしまう。
……今のこの状況を、どうにか打破しなければいけないのだ。
奉太郎「俺達も、二手に分かれよう」
摩耶花「でもそれは、最初に駄目って言ってなかった?」
奉太郎「状況が変わった、そうしなければ負けるぞ」
摩耶花「って言っても、どうやって分かれるの?」
伊原の疑問はもっともだった。
確かにこの物置部屋の中だけで、分かれるとはいかないだろうから。
奉太郎「恐らく片方……里志が部屋の捜索に刈り出るだろう」
奉太郎「この物置から一番近い部屋に入った瞬間、俺が外に出る」
摩耶花「……なるほど」
摩耶花「それで、ふくちゃんを挟み撃ちって事ね」
奉太郎「それは俺が千反田を倒せた時、だな」
奉太郎「しかし俺が考えているのは少し違う」
摩耶花「……つまり?」
奉太郎「そうした方が、勝算はあるだろ」
奉太郎「豆のぶつけ合いになってしまっては、俺達の体力は少し心許ない」
摩耶花「確かにそれはそうだけど……うまくいくの?」
奉太郎「さあな、やってみなければ分からん」
成功率は五分と言った所か。
奉太郎「ああ、それと」
俺は伊原に少しばかりの作戦を提案した。
摩耶花「……おっけー」
それに伊原は乗る、奥の手もあるが……まだ使う時では無いか。
外の様子を見ると、里志は丁度一番近い部屋に入る所だった。
……よし、行くか。
千反田は一瞬驚いた顔をしていたが、すぐに俺に向かって豆を1つ投げてきた。
それを避けつつ、千反田に迫る。
近づく前に、千反田に向かって豆を5個同時に投げる。
える「きゃ!」
千反田の短い悲鳴は、俺の豆のいくつかが命中した事を告げていた。
1……2……2個か。
さっきの対峙で、俺は1つぶつけている……つまり。
千反田の体力は、残り2か。
俺はすぐに千反田を倒すべく、投げる構えをした。
ここで千反田を倒せれば、里志を挟み撃ちにできる……それは多分、最善の成功例だろう。
しかし、その直後……俺の動きを止める出来事が起きてしまった。
千反田が……しゃがみ込んでしまったのだ。
える「わ、私……折木さんと敵は、嫌なんです」
える「もう、やめてください……」
奉太郎「……わ、悪い」
える「……いえ、大丈夫ですよ」
奉太郎「……すまなかったな」
える「あ、あの」
える「ちょっと、いいですか」
そう言い、千反田は俺の顔を見てくる。
……少しだけ違和感を感じたが、特に気にする事も無くそのまま千反田へと近づいて行った。
える「ごめんなさい!」
千反田はそう言い、俺に豆を3つ放ってきた。
……くそ、やられた。
まさか千反田がこんな行動をするとは、全く予想していなかった。
近づきすぎていた俺に、その豆を避ける暇は無く、全てが命中する。
奉太郎「……」
える「こ、これは福部さんに教えてもらった事なので……」
若干の冷や汗を流しながら、千反田は必死に言い訳をしていた。
そんな千反田に向かって、俺は片手に持っていた約10個の豆を全て千反田に投げつける。
投げつけると言っても、さすがに本気でぶつけたりはしないが。
無音で豆達が千反田にぶつかり、床へと落ちて行った。
奉太郎「……そうでもないな」
なんにせよ、これで千反田の体力は0となった筈。
奉太郎「さて、手持ちの豆を渡してもらおうか」
える「えっと、それなんですが」
その時、俺の後ろから声が掛かる。
里志「どうやら、同じ事を考えていたみたいだね」
奉太郎「……そういう事か」
里志「千反田さんはもう、豆を持っていないよ」
里志「4つを残して、僕に全て渡していたからね」
里志「丁度ホータローを倒せる数、渡していたんだけどね」
里志「そこまでうまくはいかなかったみたいだ」
奉太郎「……なるほど」
奉太郎「それに同じ事、と言うと」
その俺の言葉を聞いていたのか、伊原が里志の後ろから顔を出した。
奉太郎「気にするな、こうなるかもしれないとは思っていた」
里志「……さすがだね」
里志「でもまさか、摩耶花の手持ちを全部ホータローが持っていたのは予想できなかったなぁ」
そう、俺は伊原の豆全てを渡してもらっていたのだ。
奉太郎「このまま一騎打ちと行きたい所だが……」
奉太郎「一旦退かせて貰おう」
俺はそう告げると、その場を走り去る。
……少し、面倒な事になってしまったな。
残り体力/所持豆数
奉太郎:残り体力1/豆の数4
摩耶花:残り体力0/豆の数0
里志:残り体力5/豆の数8
える:残り体力0/豆の数0
折木さんにまたしても、やられてしまいました。
それに結局、逃げられてしまいます。
える「ふ、福部さん! 早く追いかけないと!」
私がそう言うと、福部さんはいつもの笑顔からもう少しだけ笑い、答えました。
里志「まあまあ、慌てないで」
里志「……落ちてる豆を、数えよう」
える「そんな事してどうするんですか?」
里志「ホータローの手持ちの豆の数が分かる」
里志「場合によっちゃ、わざわざ見つけ出さなくても僕達の勝ちさ」
そう言うと、福部さんは廊下に散らばった豆を数え始めました。
5分ほど豆を数え、私の方に向き直り、口を開きます。
里志「僕達の勝ちだ」
える「……どういう意味ですか?」
里志「千反田さんの周りに落ちている豆は15個」
里志「今まで投げられた豆を計算すると……」
里志「ホータローの手持ちは4個なんだよ」
える「ええっと……あ!」
える「福部さんの体力は5、ですよね」
里志「そういう事さ」
里志「全ての豆をぶつけられても、負けはありえない」
なるほど……確かに、豆の数を数えたのは正解でした。
やはり、福部さんも中々に手強い方です。
味方となれたのは、良かったかもしれません。
里志「それと、一つお願いがあるんだけど……いいかな」
里志「最後は一対一で、話がしたいんだ」
里志「だから、千反田さんはそのまま豆を持たなくてもいいかな」
える「……ええ、勿論いいですよ」
える「ここまで追い詰められたのも、福部さんのおかげですから」
里志「はは、千反田さんも中々の名演技だったよ」
える「え、ええと」
える「……実は少し、本心でした」
里志「……やっぱり、千反田さんは千反田さんだ」
里志「さて、と」
里志「そろそろ決着を、付けにいこうか」
える「ええ、そうですね」
そういえば、先ほどから摩耶花さんの姿が見えません。
……ですが、合流されても問題は無いでしょう。
折木さん達が持っている豆を全て、福部さんに当てたとしても……福部さんが全て外さない限り、私達の勝ちです。
……折木さんに勝負事で勝てると言うのは、少し気分がいいかもしれません。
さて、向こうも気付いた頃か。
だが全ての豆を避けるのは中々難しい、それに加えうまくやったとしても引き分けがいい所だろう。
……まあそれも、俺は分かっていた事なのだが。
奉太郎「どうするか」
摩耶花「どうするかじゃないでしょ、あんたがあんなに豆を使わなければこんな事にはならなかったのに」
奉太郎「ま、そうだな」
摩耶花「それで、どうするのよ」
奉太郎「……伊原」
奉太郎「お前はこの勝負、どうなると思う?」
摩耶花「どうって言われても」
摩耶花「負けか、あるいは引き分け」
摩耶花「……それと」
そこで伊原は一旦言葉を区切り、いかにも悪そうな笑顔をする。
摩耶花「私達の勝ち、かな」
奉太郎「そうだな、それしかない」
奉太郎「……準備は、出来てるか」
摩耶花「勿論、その為にわざわざここまで来たのよ」
奉太郎「なら、そろそろ行くか」
摩耶花「……そうね」
タイミング良く、居間の外から里志の声が聞こえてきた。
それはどうやら、俺に諦めろと説くような内容であった。
……あいつらしいと言えば、そうかもしれない。
里志「ホータロー、そろそろ諦めたらどうだいー?」
声が近くなる。
恐らくもう、目と鼻の先に里志と千反田は居るだろう。
俺はゆっくりと立ち上がり、廊下へと続く扉を開く。
そのまま廊下に出て、声の方を見据える。
里志「自分で気付いていなかったのかい?」
里志「……少し気になるけど、まあいっか」
里志「僕はまだ、体力が5あるんだよ」
里志「豆の数は8個、言ってる意味は分かるよね」
奉太郎「……はあ」
奉太郎「それに気付かない事を祈っていたんだがな」
奉太郎「……くそ」
俺は右の拳を握り締める。
里志「何年友達をやっていると思っているんだい」
里志「そのくらい、すぐに気付くよ」
奉太郎「そうか、どうやらこの勝負」
奉太郎「俺達の負けみたいだな」
里志「……うん、そうみたいだ」
里志にはそのまま俺に、豆をぶつけると言う手段も取れただろう。
しかし、里志は手に持っていた豆を一つ……廊下に落とす。
里志「無理にホータローに豆をぶつける趣味は無いんだ」
奉太郎「……なるほど」
奉太郎「つまりお互い豆を落として、終わりにしようと言う事か」
里志「察しが良くて助かるよ、その通りだ」
……悪い案では無い、俺も別に豆をぶつけられたい訳じゃないしな。
俺は言葉を返す変わりに、一つ豆を捨てる。
それを見た里志は、いつもより更に口角を引き上げて、もう一つ豆を落とす。
一回、二回、三回。
里志「それでホータローは手持ちの豆が無くなった訳だ」
里志「僕も、全部落とすよ」
そう言い、里志は全ての豆を廊下に落とす動作を取った。
……これで、終わりだな。
私は後ろから、その光景を眺めていました。
お二人が一つずつ、豆を廊下に落として行きます。
……少し勿体無い気もしますが、捨てる訳では無いので我慢です。
そして折木さんが豆を4つ落とした後、続いて福部さんも豆を落とし……
ちょっと待ってください。
私が知っている折木さんは、こう言っては何ですが、たかが遊びであそこまで悔しがるでしょうか?
……拳を握り締める程、悔しそうにしている折木さんはなんだが不自然なんです。
何故かは分かりませんが、嫌な予感がします。
える「ふ、福部さん!」
私は福部さんに声を掛けますが、時既に遅し……全ての豆は廊下へと落ちました。
折木さんは……小さく、笑っていたのです。
……もっと考えるべきでした。
える「何故、笑っているんですか」
奉太郎「分かるだろ、俺達の勝ちだからだ」
える「もう豆は無い筈です、それはしっかりと確認しているんですよ」
奉太郎「なら確認が甘かったって所だな」
そう言い、折木さんは握ったままの拳を私達の方に差し出します。
そのまま手の平を上に向けて、開きました。
……そこには、大量の豆が……あったのです。
里志「……どういう事だい」
何故あんなに豆を……もしかして、拾ったのでしょうか?
える「豆を拾ったのですか?」
私はそのままの疑問をぶつけます。
しかし。
奉太郎「拾ってはいない」
える「……なら、何故豆を持っているんですか」
奉太郎「分けたんだよ、皿に乗っていた豆を」
分けた……とは、どういう意味でしょうか。
それを聞く前に、折木さんは再び口を開きます。
奉太郎「俺達はな、豆を持ち込んでいたんだ」
奉太郎「そして始まってからその豆を皿に乗せ、半分にした」
奉太郎「しっかりお前らの分もまだ皿に乗っているぞ」
……卑怯じゃないですか!
奉太郎「……なんだか言いたそうな顔だな」
奉太郎「だがルール違反ではない」
奉太郎「皿に乗せた後で分けたなら、そうだろ?」
なら、なら今の内にお皿の所まで行き、私たちも豆を補充すれば……!
そう思い、振り返ると……
摩耶花「ごめんね、ちーちゃん」
摩耶花さんが、立ち塞がっていました。
奉太郎「だから言っただろ、俺達の勝ちだって」
里志「はは」
里志「参ったよ、僕達の負けみたいだ」
里志「でも一つだけ、教えて欲しい事がある」
奉太郎「なんだ」
里志「どうして僕が、自らの豆を捨てると思ったんだい?」
確かに、福部さんがこの案を出さなければ……折木さん達にはいくら豆があっても確実に勝てはしなかったでしょう。
奉太郎「俺はお前がどの様に行動するかくらい、分かるさ」
奉太郎「さっき自分で言ってただろ」
奉太郎「何年友達をやっていると思っているんだ、とな」
里志「……そうだった、すっかり忘れてたよ」
福部さんはそう言い、両手を挙げます。
私もそれに習い、両手を挙げ、降参の意を示しました。
里志「一思いにやってくれると、助かるね」
奉太郎「……ああ、そのつもりだ」
この豆まきで、私が最後に見た光景は……私達に降りかかる、大量の豆でした。
える「それにしても、なんで私も巻き込まれなくてはいけなかったんですか」
奉太郎「仕方ないだろ、位置が悪かったと思え」
える「それでも納得できません」
まあ確かに、投げすぎた感はあったが。
里志「いやあ、見事にやられちゃったね」
里志「やっぱりホータロー相手だと、分が悪すぎる」
摩耶花「ちょっと、私は居ても居なくても変わらないって言いたいの?」
里志「そ、そういう訳じゃないよ」
あれだけ動き回ったのに、こいつらは良くこんな元気がある物だ。
……ああ、そういえば。
奉太郎「豆がまだ残っているんだが、食べるか」
どうやら意見は同じだった様で、全員の手が袋に伸びる。
俺も豆を数粒取り出し、口の中に放る。
ポリポリとそれを咀嚼し、飲み込む。
……うまいな。
奉太郎「今日はちょっと、動きすぎた」
摩耶花「いつも動かない分、動いたって考えればいいんじゃない?」
える「たまにはいい物ですよ、体を動かすのも」
里志「そうだね」
……俺はそこまで動かない奴だっただろうか。
奉太郎「帰ってゆっくり風呂にでも入りたい気分だ」
里志「お、それには同意するよ」
摩耶花「……私も」
奉太郎「一致したな、帰るか」
その俺の言葉を聞き、千反田を除く三人は立ち上がる。
帰って風呂に入り、コーヒーでも飲んで残りの時間はゴロゴロしてよう。
本来休みとは、そういう物だから。
今日、色々と作戦を練ったが……これだけは予想外だった。
と言うのも……
える「駄目ですよ、まだ帰っては駄目です」
奉太郎「なんだ、また豆まきでもするのか」
える「いえ、そういう訳では無いです」
奉太郎「なら」
える「私の家を、汚したままにするつもりですか」
ええっと……何個投げたっけか。
最初に配られたのは全員合わせて40個か。
それは全員使った筈。
だがその後に俺と伊原は豆を補充している。
あれは何個だったっけか。
確か……
いや、考えるのはやめよう。
俺と伊原が持ち込んだ袋には豆が100個入っている。
それを半分に分けて俺達が使ったのは50個。
25個ずつ伊原と分け、俺はその25個全てを千反田と里志に投げつけた。
そして、何故か終わった後に伊原が喜びのあまり豆を上に向かって投げたのだ。
つまり拾わなければいけない豆の数は……90個。
あ、しまった……結局考えてしまったではないか。
……もういい、無駄な事は考えずに豆を拾おう。
える「皆さん、全部しっかりと拾ってくださいね」
そうしなければ、俺達はいつまで経っても家に帰れないからである。
結局家に着いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
そんな俺を待っていたのは、鳴り響く電話だったが……
誰も居ない様で、仕方なくそのまま俺は電話を取る。
奉太郎「折木です」
える「あ、折木さんですか?」
奉太郎「今、そう言った筈だが」
える「あ、いえ……私が言いたかったのはですね」
える「私が知っている折木さんか、そうではない折木さんか、という事でですね」
える「それはつまり、折木さんのご家族の方の可能性もあったので……」
奉太郎「やめてくれ、用件はなんだ」
放っておいたらいつまでも続きそうで、俺は手短に用件だけを聞くことにした。
える「実はですね、少し……やってみたい事があるんです」
奉太郎「やってみたい事? 気になる事では無くてか」
える「今回は少し、違います」
える「私がやってみたい事と言うのは……」
その内容を聞いた俺は、とても驚いたのを覚えている。
千反田からそんな提案があるとは、露ほども思わなかったからである。
それが面白くて、俺は珍しくその提案に乗ることにした。
奉太郎「……分かった、乗ろう」
える「ほんとですか、ありがとうございます」
……明らかに俺向きでは無いが、それもまた意外性があってこの提案にはいいかも知れない。
ゆっくり、進めていけばいいだろう。
とりあえず今日は風呂に入ろう。
奉太郎「じゃあ、またな」
える「ええ、また明日」
……さて、今日は豆の夢を見そうになりそうだ。
来年は普通の豆まきがしたい、切実に。
そんな事を思いながら、俺は風呂場へと向かった。
第4話
おわり
>>199
古典部の日常が終わったら、書いてみましょうか。
アイデア頂く感じで申し訳ないですが。
どの道、このお話が終わっても何かしら氷菓のSSは書くつもりでしたので。
次回投下ですが、本日の夜に投下致します。
える「難しいですね」
える「こっちのは、どうでしょう?」
摩耶花「それもちょっと、私には出来なさそうかな」
える「そうですか……」
似たような光景は去年も見ていた。
場所も同じ、古典部で。
奉太郎「今年もやるのか」
摩耶花「当たり前でしょ」
奉太郎「……ご苦労様」
去年は結局、里志はちゃんとチョコを受け取らなかった。
しかし今年なら……しっかり受け取るであろう。
それなのに何故、こんなにも悩んでいるのだろうか。
……俺には到底理解できない事だな。
える「折木さんはどう思いますか?」
不意に声を掛けられ、千反田の方に顔を向ける。
千反田の顔の距離には……未だに慣れない。
奉太郎「お、俺に聞いてもどうしようもないだろ」
わずかに身じろぎしながら俺は答えた。
摩耶花「……そうだ」
伊原は何やら思いついた様で、それに対して興味も無い俺は読んでいた小説に視線を戻す。
摩耶花「折木」
奉太郎「なんだ」
視線はそのままで、声だけを返す。
摩耶花「あんた、チョコ食べたくない?」
奉太郎「俺にくれるのか」
摩耶花「そんな訳無いでしょ」
摩耶花「毒見してみる気は無いかって聞いてるのよ」
つまり、里志に喜んで貰える様なチョコを俺が食べて、それを評価しろという事か。
……しかし自ら毒見と言うとは、ちと怖い。
いや、全く良くは無いだろう。
える「折木さん! 是非お願いします!」
奉太郎「いや……俺は」
える「折木さん!」
こうなってしまっては、もう俺に逃げ場は無い。
まだ日曜日にやった豆まきの疲れが残っていると言うのに、更に働けと言うのか。
でもまあ……他にする事も無いし、いいか。
奉太郎「……分かったよ、やろう」
摩耶花「じゃー日曜日に集まろうか」
える「ええ、私の家でやりましょう」
こうして俺は里志にあげるのに相応しいチョコを選ぶ為、日曜日の予定を埋められた。
摩耶花「……ありがとね」
しかし、まあ……悪い気は、しないか。
甘い。
まだチョコを食べている訳では無いが……匂いが甘すぎる。
俺は甘い物が好きと言う訳でも無い、どちらかと言うと逆だろう。
しかし当の千反田と伊原はとても楽しそうにチョコを作っている。
俺はそれからしばらく、その匂いと戦いながらチョコを待つ。
える「出来ました!」
そう言いながら、一つ目のチョコが運ばれてきた。
奉太郎「ほう」
とは言ったが、正直何の種類なのか見当も付かなかった。
える「本来は、トリュフ等に付けられるのですが」
える「これのみでも十分においしいので、どうぞ」
そうなのか。
まあ、食べない事には分からない。
そう思い、俺はチョコを一つ口に放る。
奉太郎「……甘いな」
える「ええっと……」
いや、旨いと言えば旨かった。
だがちょっと、くどい様な感じの……そんな甘さだった。
台所で未だに作業をしている千反田と伊原に、風を浴びてくるとの事を伝え、廊下に出る。
……しかし、本当に俺がこの役目で良かったのだろうか。
里志とは食べ物の好き嫌いも違うだろうし、それに対して感じる事も違うと思う。
なら、そうか。
あくまでも一般的な意見を出せばいいのかもしれない。
主観的な意見では無く、客観的な意見か。
……ううむ、難しいな。
やはり俺には、この役目は少し向いていないだろう。
そんな俺の考えを遮る様に、後ろから声が掛かった。
奉太郎「ああ、そうか」
その言葉を聞き、俺は再び部屋に戻る。
える「どうぞ、これはおいしいですよ」
そう言い、差し出されたのは……
奉太郎「これ、チョコなのか?」
える「マカロンです」
俺はチョコなのかどうなのか聞いたのだが、千反田の答えは俺の疑問を解決してくれなかった。
もしかすると、単純にマカロンという言葉を俺が知らないだけで、何かの種類なのかもしれない。
しかし……見た目的にはどうみてもチョコでは無い。
だとすると、やはり。
える「ええ、そうです」
奉太郎「……そういう種類のチョコなのか」
俺がそう言うと、千反田は首を傾げながら答える。
える「ええと、マカロンをご存知無いんですか?」
奉太郎「と言う事は、これはチョコでは無いのか」
える「チョコレートマカロンなので、チョコは入っていますよ」
なんとなく分かった。
つまり、マカロンにはいくつか種類があり、今俺の目の前にあるのはチョコが入っているマカロン……と言う事だろう。
奉太郎「そうか」
考え込むより、食べた方が早いだろう。
そう思い、俺はマカロンを口に入れる。
える「あ、えっと……」
さっきと同じ感想だったのがあれだったのかもしれない。
千反田は言葉に詰まってしまっていた。
奉太郎「まあ……さっきのよりは、好きかな」
える「そうですか、では次のチョコを準備しますね」
まだやるのか。
俺は去る千反田の後ろ姿に心の中で呟き、天井を眺めた。
……
何か、おかしくないだろうか。
つまり……俺が好きなチョコを作っても、里志は喜ばないかもしれない。
今、千反田と伊原がやっているのは、俺の感想を参考にチョコを作る……という作業である。
と言う事は、だ。
完成したチョコは多分、俺好みのチョコであって決して里志好みのチョコでは無いだろう。
似たような事をさっきも考えたな……結論は何だったか。
ああ、客観的な意見か。
さっきはすっかりと忘れていた、次は気をつけよう。
俺が再び結論を出した所で、丁度よく千反田がやってくる。
える「チョコレートタルトです」
何だかさっきから、千反田がウェイトレスに見えて仕方ない。
口には出さないが。
奉太郎「そういえば伊原は何をしているんだ」
える「摩耶花さんですか、先ほどからずっと頑張っていますよ」
奉太郎「……そうか」
奉太郎「って事は、これも伊原が作ったのか」
える「ええ、勿論です」
える「今までのも全部、摩耶花さんが作ったんですよ」
……あいつは見た目や性格に反して料理が出来るのか。
奉太郎「主に千反田が作ってる物だと思っていたよ」
える「ふふ、私は横で少しお手伝いしていただけですよ」
どうやら俺が考えていた事とは逆だったらしい。
そのお手伝いがどの程度なのかは分からないが、伊原も伊原なりに努力していると言う事だろう。
そう考えると、さっきまで適当な感想しか出さなかった自分に後悔してしまう。
奉太郎「ま、頂くか」
える「はい、どうぞ」
千反田の言葉を聞き、口に入れる。
さっきまでと同じ味だとしても、違う事を言おうとは思っていたが……今回のは素直に美味しかった。
える「本当ですか!」
奉太郎「あ、いや……あくもでも、俺からしたらだぞ」
奉太郎「俺は里志じゃないから、あいつの好みは分からん」
摩耶花「やっぱり、そうよね」
俺の言葉を聞いていたのか、台所から伊原がやって来た。
摩耶花「折木には折木の好みがあるし、それはふくちゃんも一緒だよね」
奉太郎「まあ、そうだろうな」
ううむ、やはりもう少しちゃんとした感想を言えば良かったか。
奉太郎「でも、その……おいしかったぞ」
摩耶花「……そっか、ありがとね」
奉太郎「それに」
える「気持ちが大事、ですからね」
える「折木さんが前に仰っていたので」
摩耶花「折木が? へえ、折木がねぇ……」
そんな事、俺は以前言っただろうか?
える「前に、部室でお弁当を一緒に食べた時、言っていましたよ」
そんな疑問にすぐに千反田が答える、今の疑問は口に出していなかった筈だが……顔に出ていたのかもしれない。
奉太郎「あったっけか、そんな事」
える「ええ」
こいつがここまで言うからには、あったのだろう。
奉太郎「ま、そういう事だ」
摩耶花「分かった」
摩耶花「やっぱり私が作れる様な奴じゃないと、難しいしね」
摩耶花「違うわよ、今日のはちゃんと私が作ったのよ」
摩耶花「本当よ?」
奉太郎「……分かったよ」
摩耶花「簡単に、って意味だからね」
摩耶花「ちゃんと分かってる?」
奉太郎「ああ、よく分かりました」
摩耶花「ならいいけど」
奉太郎「それで、もう今日はお開きでいいか」
摩耶花「うーん、そうね」
摩耶花「色々聞けて、いい物が作れそうだし……今日はお開きにしようか」
える「分かりました」
える「では私達は片付けがあるので、折木さんは先に帰りますか?」
奉太郎「あー、いや」
奉太郎「俺も手伝う」
える「そうですか、ではお願いします」
食べるだけ食べて、先に帰るのは流石にちょっと気が引ける。
二週連続で日曜日が使われてしまったのはいただけないが、仕方ないか。
食器の場所は千反田が把握しているだろうし、俺は皿洗いへと興じる事になった。
奉太郎「今年は多分、里志もちゃんと受け取ってくれるだろうな」
摩耶花「そうだといいんだけどねぇ」
える「大丈夫ですよ!」
縁側に腰を掛ける、ふと後ろを見ると俺たちの影が部屋の奥へと伸びていた。
摩耶花「あ、そういえばさ」
奉太郎「ん?」
摩耶花「ちょっとチョコ余っちゃったから、折木も持って帰ってよ」
奉太郎「別にいいが、そんなに作ったのか?」
摩耶花「うん、まあね」
そう言い、伊原から渡されたチョコはしっかりとラッピングがしてあった。
摩耶花「まあまあ、そう言わずに」
何故か千反田がもじもじしているのが気になったが……
ま、いいか。
奉太郎「分かったよ、ありがとうな」
摩耶花「折木って、最近ちょっと素直になったよね」
奉太郎「最近は余計だ」
摩耶花「それと、ちーちゃんにもしっかりお礼言っておきなさいよ」
奉太郎「千反田に?」
摩耶花「いいから早く」
さっきまで普通の伊原だったが、凄むと怖い。
奉太郎「ありがとうな、千反田」
える「あ、い、いえ」
える「あの、それは余っただけですので、贈り物の内には入らないですよね」
奉太郎「ん? 何を言っているんだ」
える「な、なんでもないです!」
……よく分からんが。
気付けば影は消え、辺りは暗くなっていた。
奉太郎「……さて、帰るか」
摩耶花「そだね」
える「はい、お疲れ様でした」
俺と伊原は千反田の家を後にする。
さすがに2月と言った所か、日が短い。
夏ならば多分、まだ薄暗い程度だろうが……既に周囲は真っ暗となっていた。
帰ってる途中、伊原と少し話をした。
摩耶花「それで、付き合ってるの?」
奉太郎「何が」
摩耶花「あんたとちーちゃん」
奉太郎「……そんな訳無いだろ」
摩耶花「いやいや、逆にびっくりなんだけど」
摩耶花「だって、ちーちゃんが戻って来た時、その」
摩耶花「……抱きついてたし」
奉太郎「……ああ、まあ」
摩耶花「もうてっきり、折木が告白したのかと思ったよ」
奉太郎「……したさ」
摩耶花「え? ならもしかして」
摩耶花「振られたとか?」
奉太郎「どうだろうな」
摩耶花「何よそれ」
奉太郎「……いや、そうだな」
奉太郎「振られたというのが、一番近いかもな」
本当の所は、色々あって有耶無耶になっているだけであったが……
あれから千反田も特にその事については言わなかったし、俺も別段言う気は無かった。
摩耶花「有耶無耶になったとか?」
奉太郎「……千反田に聞いたのか」
摩耶花「違うわよ」
奉太郎「じゃあ、なんで」
摩耶花「勘」
さいで。
摩耶花「なるほどねぇ」
奉太郎「……何か言いたそうだな」
摩耶花「そりゃね」
摩耶花「でもまあ、ゆっくり考えればいいと思うよ」
摩耶花「まだ1年あるんだし、ね」
奉太郎「ああ、そうだな」
確かに伊原の考えている通り、このままでは駄目だろう。
千反田との今の距離感は好きだったが……
このままで卒業したら、どうなるのだろうか。
俺には少し、難しい話か。
そういえば、先週の日曜日も千反田の家から帰った時は暗くなっていたな。
あそこに行くと、どうやら暗くなるまで帰れないのかもしれない……気を付けねば。
そんな事を考えながら、俺はベッドに横たわる。
去年は確か、姉貴に貰った一つを同じように部屋で食べたな。
今年はちょっと早く、一つだけチョコを貰えた。
貰えたと言っても、余り物だが。
ま、それでも貰えたには違いないだろう。
ラッピングを解くと、何の変哲も無い、普通のチョコがそこにあった。
俺はそのチョコをひとかじりする。
何故かそれは、とても俺好みの味だった。
第5話
おわり
奉太郎「ん、どうした」
える「……綺麗ですね」
奉太郎「そうだな」
俺はあの公園で、千反田と一緒に花火を見ていた。
遠くであがる花火を見る場所としては、この公園は意外と侮れない。
える「もう、夏ですね」
奉太郎「ああ」
える「早い物です」
える「ふふ、そうでしょうね」
える「……ここに来ると」
える「どうしても、去年の冬を思い出してしまいます」
奉太郎「……俺もだ」
える「私、初めてでした」
そう言い、千反田は俺の手をゆっくりと握った。
奉太郎「……何が」
える「それを聞くのは、少し意地悪ですよ」
奉太郎「……すまんな」
千反田が言っているのは、恐らく。
える「初めての、キスでした」
奉太郎「……俺もだよ」
える「……そうでしたか」
える「それはとても、嬉しいです」
奉太郎「……そうか」
夜になり、セミは昼間よりも大人しい。
辺りには、遠くであがる花火の音だけが響いている。
える「はい、なんでしょうか」
奉太郎「このままで、いいと思うか」
える「……」
奉太郎「俺は」
一際大きな花火があがった。
そして丁度、音が届く頃に……俺は次の言葉を心から紡ぎだす。
奉太郎「……夢か」
伊原と前に……確かバレンタイのチョコ作りの帰り道だったか。
あの時、千反田の事を話してからと言うもの、俺は今回の様な夢を何回か見ていた。
オチは必ず同じ。
俺が最後の言葉を言う前に、目が覚めてしまう。
全てが同じオチとは、大分つまらない夢である。
ああ、それよりもこんな朝っぱらからなんの電話だろうか。
そんな事を思いながら、時計に目を移した。
春休みに入ってからと言う物、なんだか起きるのが遅くなって仕方ない。
今日はたまたま電話によって目が覚めたが……もし電話が来ていなかったらもう少し寝ていただろう。
まあそれも、この前の卒業式で大分疲れたからかもしれない。
卒業式と言っても、俺たちが卒業するのはまだ先だ。 およそ一年後か。
……これは今考える事では無いか、それよりもまずは電話に出よう。
俺はようやく部屋から出ると、リビングにある電話機へと向かった。
姉貴はどうやらまたしても居ない様で、他に電話に出てくれる人は居ない。
まだ完全に目が覚めていない中、受話器を取った。
える「あ、千反田です」
奉太郎「……なんだ、千反田か」
える「あの、もしかして寝ていました?」
奉太郎「ああ……まあ」
える「駄目ですよ、休みだからと言って」
奉太郎「……気をつける」
奉太郎「それで、用事はなんだ」
える「あのですね」
える「去年と同じ頼みなんです」
俺はそう言い、カレンダーに目を移す。
今は四月……去年のこの時期は。
奉太郎「もしかして、雛祭りか」
える「はい、正解です」
……朝からクイズか。
奉太郎「……ああ、行くよ」
奉太郎「今年は見ているだけでもいいんだろ?」
える「あ、それは不正解です」
さいで。
える「いえ、そういう訳では無いんです」
つまり、どういう事だ。
える「私が、お願いしちゃったんです」
奉太郎「何を」
える「傘を持ってくれる人を、です」
奉太郎「……ええっと」
奉太郎「また俺に傘を持てって事か」
える「はい!」
奉太郎「……いいのか、毎年持っている人が居るんだろ」
える「それで私も、折木さんに傘を持って欲しかったので……」
える「少し、無理を頼んじゃったんです」
そういう事か……
それで、俺が断ったら千反田はどうしたのだろうか。
奉太郎「俺が嫌だって言ったら、どうするんだ」
える「え? 駄目ですか?」
奉太郎「……いや、駄目ではないが」
える「ふふ、なら良かったです」
まあ、確かにそこまでやられてしまっては断れない。
俺も外から一度、見ては見たかったが……貴重な体験としては雛に傘を差す方が当てはまるだろう。
奉太郎「時間と場所は、去年と同じでいいのか?」
える「はい、宜しくお願いしますね」
奉太郎「ああ」
千反田はそれ以上言う事は無かった様で、簡単な挨拶をすると電話を切る。
……前の雛祭りの後、確か風邪を引いたな。
今年も同じ様にならなければいいが、大丈夫だろう。
例年よりも暖かい地球に感謝し、俺はカレンダーに予定を入れた。
四月×日
生き雛祭り
去年と似たような慌しさの中、準備が行われている。
俺はやはり、一人ストーブで温まりながらその時を待っていた。
今年は橋の工事も無く、行列は例年と同じルートを通るだろう。
……その事は少しだけ、俺を安心させた。
狂い咲きの下を通る千反田は、多分とても美しいだろうから。
それを見れないのは、ちょっと辛い物がある。
だがそれを見てしまえば、俺はまた……
なので今年は、少しだけ安心していた。
どうやら時間が来た様だ、段取りは一緒の筈なので、俺はそのまま外に出る。
俺も傘を持ち、行列の中へと加わった。
やがて、人々が集まり、行列の形が彩られる。
そして……
ゆっくりと、去年と同じ様に。
最初に入須が出てくる、そしてその後に千反田。
俺が感じた事は、去年とほぼ同じだったと思う。
十二単を着た千反田はとても綺麗で、いつもの雰囲気は微塵も感じさせなかった。
なんだか、何時間も見ていたい気がしたが……そんな俺の思いを無視し、行列は歩き出す。
いかんいかん、しっかりと役目をこなさねば。
ルートこそ去年とは違うが、要領は同じだろう。
沢山の見物人が居て、その間をゆっくりと進む。
やはり今年は去年よりも暖かく、風邪を引くことは無さそうだ。
いや、俺も別にある程度の気温まで下がったら風邪を引く……なんて分かりやすい体をしている訳では無いが。
とにかく、その後の心配はしないで済むだろう。
そこまで考え、ふと気付く。
……あれ、去年よりも大分落ち着いているな。
里志や伊原にも声を掛けられるまで気付かなかった。
しかし今年は、俺の方が多分、先に気付いたくらいの感じがした。
終わった後も、しばらく俺はぼーっとしていたし、色々と思う事もあった。
だが、まあ。
それに比べれば、今年は幾分かしっかりと歩けている。
そして、少しだけ……少しだけだが。
千反田と同じ場所を、歩けている気がした。
える「お疲れ様でした」
奉太郎「そこまでの事じゃないさ」
俺と千反田は去年同様、縁側に座っていた。
今年は特に、千反田の気になる事が起きなかったので、こいつも大分楽に取り組めたのかもしれない。
える「どうでしたか、今年は」
奉太郎「どう、と言われてもな」
奉太郎「去年よりはしっかり出来たと思うが……」
俺がそう言うと、千反田は口に手を当てながら答えた。
奉太郎「なんだ、去年はそこまで駄目だったのか」
える「あ、いえ。 そういう事では無いですよ」
える「えっとですね、今年は少し」
える「折木さんと一緒に、歩けている気がしたので」
春を感じさせる陽光が、千反田の顔を照らしていた。
奉太郎「……そうか」
奉太郎「俺も、少しだけそう思ったな」
える「そうでしたか……一緒ですね」
何がそんなに嬉しいのか、千反田はやたらとにこにこしている。
今日初めて見せた千反田の笑顔に、なんだか照れて、俺は話題を逸らす事にした。
奉太郎「この後も、用事はあるのか?」
える「あ、大丈夫ですよ」
える「今年は父が、ほとんど引き受けてくれています」
奉太郎「……病み上がりだろ、大丈夫なのか」
える「私もそう思ったんですが」
える「迷惑を掛けてしまったから、その分やらせてくれ、と」
奉太郎「なるほど、お前の父親らしいな」
える「立派ですよ、私なんか全然です」
える「そうでしたっけ? それなら是非、今度会いませんか?」
千反田の父親か……いきなり男を紹介されて、例えそれが友達なだけでも大丈夫なのだろうか。
俺にはよく分からないが、あまりいい予感は出来ない。
奉太郎「千反田の父親って、どんな人なんだ?」
える「ええっと」
える「良く言われるのが、似ていると」
奉太郎「似ているのか」
える「らしいです」
える「私はそうは思わないんですけどね」
……想像するだけでも、恐ろしい。
奉太郎「さっきの話だが、遠慮させてもらう」
える「そうですか、ではまた次の機会と言う事で」
奉太郎「ああ、そうだな」
そこで千反田が首を傾げながら口を開いた。
える「ええと、それで折木さんは用事があるんですか?」
奉太郎「特には無いな」
える「そうですか、なら」
奉太郎「少し、散歩するか」
える「……はい!」
奉太郎「結局ここか」
える「私の家から、結構近いですからね」
そう言うと、千反田はいつものベンチに腰を掛けた。
奉太郎「何か飲むか」
える「……いつもいつも、悪いですよ」
奉太郎「今度何か奢ってもらえればいいさ」
える「なら、そうですね」
える「コーヒーを貰いましょうか」
奉太郎「お前、駄目じゃなかったか」
える「そうなんですが、そういう気分なんです」
える「大丈夫ですよ」
俺は渋々、コーヒーを二つ買う。
そして一つを千反田に差し伸べると、声を掛けた。
奉太郎「渡す前に一つ聞きたいんだが」
奉太郎「……酔った時と一緒には、ならないよな?」
える「ええ、ただちょっと寝れなくなってしまうだけなので」
奉太郎「それもあれだがな……」
まあ、酔った時みたいにならないのなら……いいか。
あれは本当に、なんというか、面倒だから。
そう言い、千反田はコーヒーを受け取った。
俺はそのまま千反田の横に腰を下ろす。
奉太郎「傘持ちも、慣れてきたのかもな」
える「ええっと、何故そう思ったんですか?」
奉太郎「去年より疲れてないから」
える「ふふ、それは良い事ですね」
える「なので来年も、お願いするかもしれません」
奉太郎「……いや」
奉太郎「1回くらい、外から見てみたい」
奉太郎「行列を……」
奉太郎「雛を、外から見てみたい」
える「……そ、そうですか」
奉太郎「ま、どうしても傘を持ってくれって言うのなら、別にいいけどな」
える「……考えておきます」
そう言うや否や、千反田は早速考え込んでいた。
何やら難しい問題だとか、どっちにすればいいのかだとか言っていた様だが、俺の耳にはあまり聞こえてこない。
奉太郎「ああ、そう言えば」
奉太郎「入須は、何か言っていたか?」
える「ありがとう、と言っていましたよ」
奉太郎「それは俺になのか」
える「ええ、そうです」
奉太郎「俺が思うに」
奉太郎「お前自身に言ったのが、一番大きいと思うけどな」
える「え? 何故ですか?」
奉太郎「決まってる、卒業式の事だ」
える「……ふふ、あれですか」
える「正解でしたね、あれは」
える「そんな事、ないですよ」
奉太郎「いや、正直驚いたぞ」
奉太郎「去年の秋以来、距離感みたいなのがあったからな」
える「え? 私と入須さんにですか?」
奉太郎「ああ」
える「でも、私が戻って来た時……入須さんは一緒に来てくれましたし」
奉太郎「……それは、千反田から見たらって事だろ」
奉太郎「俺には少し、入須から距離を取っている様に感じた」
奉太郎「それを気付いていて提案したんだと思っていたが……まあ、いいか」
える「……えっと、今はどうなんですか?」
奉太郎「今は、そうだな」
あれは確か……卒業式の少し前。
提案されたのは豆まきが終わった後だったか。
内容は確か、その時はとても単純な物だった。
千反田は
える「入須さんを驚かせませんか?」
と言ったのだ。
しかし卒業式の日、俺たちも多少驚かされる事があったな……
あの日はとても寒かったのを覚えている。
三月の卒業式。
入須がこの神山高校を、去る日の出来事だ。
第6話
おわり
Entry ⇒ 2012.10.26 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
える「古典部の日常」
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本スレは
奉太郎「古典部の日常」
の続編となります。
前作から読む事をおすすめします。
今の所、話数は未定となっております。
前作にあまり無かっただらだらとした日常を書ければ良いと思っているので、宜しくお願いします。
そして、ゆっくりと扉は開かれ……
俺は多分、いや……俺だけではない。
里志や伊原も、千反田が現れる事を望んでいたのかもしれない。
……そうであって欲しかった。
何しろ、古典部を訪れる変わり者など……今ここに居る三人を除けば千反田以外あり得ないからだ。
これが新入生が入ってくる時期、4月頃なら俺達はここまで期待はしなかったと思う。
だが今は1月、冬休みが明けてすぐの事だ。
それなら……もしかすると。
早く、早く開けないか、何をもったいぶっているんだ。
驚くほど、扉が開くのは遅かった。
……いや、俺が時間を長く感じているだけか。
だって俺がここまでの考えをするのに、多分まだ3秒程しか経っていないからだ。
里志や伊原の動きも、扉同様遅かったのでそういう事なのだろう。
しかし、時間は確実に刻まれている。
ようやく、そいつの体が隙間から見える。
制服は……女子の物だった。
つまり、それは……!
なんという事だ、ここまで必死に考えていたのに……この野郎。
奉太郎「……なんだ入須か」
入須「おい、今何て言った」
……つい言葉が漏れてしまったのだ、それを聞いていたとは嫌な奴だ。
里志「入須先輩、こんにちは」
里志「にしても……ホータロー、今のは流石にどうかと思うよ」
摩耶花「今の折木の顔、少し面白かった」
摩耶花「しかも、先輩の事呼び捨てにするなんて考えられないわ」
……いや、俺一人を犠牲にすればそれでこの二人は助かるんだ。
なるほど、これが生存本能と言う奴だろうか。
……少し違うか。
奉太郎「いや、あの」
奉太郎「……すいませんでした」
俺が取ったのは最善の選択だった。
とりあえず謝っておけば、入須もそこまで気にしないと思う。
入須「全く、君は普段からそんな風に思っていたのか」
奉太郎「……そんな訳、無いじゃないですか」
俺はこれでもかと言うほどの爽やかな笑顔を入須に向ける。
当の入須はそれを爽やかな笑顔だな、とは思わなかったが。
入須「……まあいい」
入須「君達、全員が残念そうな顔をしたのには見当が付く」
里志や伊原も顔に出していたらしい、それなのに俺だけに物を言うとは……やはり、嫌な奴だな。
入須「……千反田が来たと、思ったんだろう」
その入須の予想は、素晴らしくも当たっていた。
里志「……はい、入須先輩の言う通りです」
里志「間違いなく、僕達はそれに期待していました」
摩耶花「……」
里志は大体いつもの調子で、伊原は黙って首を縦に振り、それぞれ入須の質問に答えた。
奉太郎「あなたが古典部に来るとは、珍しい」
里志や伊原に反し、俺は悪態を付き入須に返答を促す。
入須「君は変わらないな」
入須「古典部へ来た理由か……」
入須「……そうだな、折木君が」
入須『入須先輩、わざわざ足を運んでくれるなんて光栄です』
入須「とでも言ったら教えようかな」
……絶対に言ってやるもんか。
入須「いや、思わんよ」
奉太郎「……」
こいつは、何を考えているんだ。
俺には見当が全く付かない。
入須「でもな、私がある一言を言えば」
入須「君は間違いなく、さっきの台詞を言うだろうな」
ある一言……?
奉太郎「言わせてみてくださいよ、俺に」
そう入須を挑発すると、入須は若干もったいぶりながら口を開く。
入須「……千反田の事だ」
俺は少し考える。
確かにその入須の言葉が本当なら、俺は間違い無くさっきの台詞を言うだろう。
しかし……しかしだ。
入須は本当に、千反田の話で来たのだろうか?
……俺には分からないが、多分。
入須はそんな冗談を言う奴では無いと言う事くらいは、俺にも分かった。
奉太郎「……分かりました」
奉太郎「入須先輩、わざわざ足を運んでくれるなんて光栄です」
今こいつ、笑ったよな。
俺はバツが悪そうに、視線を入須から逸らす。
里志「……」
摩耶花「……」
里志と伊原は、何か笑いを必死に堪えている様な表情をしていた。
……揃いも揃って、こいつら。
入須「……まさか本当に言うとは思わなかったよ」
入須「言わなくても、話はする予定だったんだがな」
……やはり苦手だ。
奉太郎「それで、その千反田の話、してもらいますよ」
入須「ああ、そうだな」
入須「……私から聞くよりも」
何を言っているんだ、こいつは。
しかし俺の思考は止まっても、入須の動きは止まらない。
入り口の扉から少し離れ、何やら顔だけを廊下に出して合図をしている様に見えた。
そして、次にその扉から現れたのは……
える「……あの、こんにちは」
俺が、俺が一番会いたかった人だった。
……あの日、千反田は確かに言った。
さようなら、と。
そして俺は結局、最後まで言葉を掛けられなかった。
足があんだけ動かなかったのは初めての経験だった。
しかし今も、足が勝手にこんだけ動くと言うのも、初めての経験だった。
俺はそのまま、千反田の近くまで行き、千反田を抱きしめる。
奉太郎「本当に、千反田なんだな」
奉太郎「いつもの、お前なんだな」
える「え、あ、は、はい」
その返答は、確かにいつもの千反田だった。
える「あ、あの!」
そして千反田は声を強くして、俺に申したい事がある様子だった。
える「……えっと、少し、恥ずかしいんですが……」
俺はその言葉で我に帰る。
入須は眉をひそめ、首を横に振っている。
これに台詞を加えるなら、やれやれとか、全く君はとか、そんな所だろう。
伊原はと言うと、顔を手で覆ってしまっている。
俺はそんな周りの奴らの反応を見て、初めて自分が千反田を抱きしめている事を恥ずかしく思った。
奉太郎「……す、すまん」
える「ふふ、いいですよ」
千反田は本当に、千反田だった。
いつもの笑顔が、それを俺に教えてくれる。
そしてゆっくりと千反田は部室の中に入っていく。
える「……ありがとうございます」
俺の横を通り過ぎるときに、確かに千反田はそう言っていた。
そのまま自分の席、いつもの席に千反田は座る。
える「ええ、ありがとうございました」
……結局、入須は何をしに来たのだろうか?
いや、そんな事はどうでもいい、今は……!
奉太郎「聞いても、いいか」
える「……ええ」
奉太郎「何故、学校に居る?」
える「……ふふ、私でも予想できました」
える「折木さんの言う事を予想できたのは、少し嬉しいです」
奉太郎「……そりゃ、どうも」
里志「……うん、僕も気になるな」
里志「なんで千反田さんが今日、学校に来たのか」
摩耶花「私も、今思っている事が当たって欲しい」
摩耶花「……会いたかったよ、ちーちゃん」
こういう時、里志は結構凄いと思う。
全くもって、動揺している様子には見えなかったからだ。
伊原はそれとは逆で、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
伊原が言いたかった事は恐らく、千反田が本当に戻ってきたのか、という事だろう。
……俺は、どんな顔をしていたのかは分からない。
自分の事は難しいからな、仕方ない。
える「入須さんと一緒に来た理由から、お話した方がいいかもしれません」
意味があったのか、入須が同行していたのには。
える「実はですね……少し、一人で来るのが気まずくて」
奉太郎「……」
える「え、ええっと」
奉太郎「なんだ、気まずくて……の後は?」
える「い、いえ。 それだけです」
奉太郎「……はあ」
こいつは本当に変わらないな。
奉太郎「……それよりも、なんで今日来たんだ」
える「……やはり、言い辛いですね」
そう言い、千反田は顔を伏せる。
千反田を除く三人は、黙って千反田の言葉を待っていた。
やがて、顔を上げると……千反田は再び口を開く。
える「実は……」
える「その、父の容態が戻りまして」
里志「ええっと……」
摩耶花「……つまり、どういう事?」
える「あの、私も驚いたんですよ」
える「……結論から言いますと」
える「えっと……高校を辞める必要が、無くなりました」
摩耶花「……えっと」
える「あの、ですから」
える「皆さんとまた一緒に、居られます」
摩耶花「つまり……」
里志「ううん……」
える「あ、あの!」
駄目だ、こいつらに任せていては多分……日が暮れてしまう。
かくいう俺も、状況をうまく飲み込めては居なかったが……まとめるくらいの事はできるだろう。
奉太郎「千反田の父親は無事に千反田家を収める役目に戻り」
奉太郎「そしてそのおかげで、千反田も学校を辞める必要が無くなった」
奉太郎「また一緒に、古典部で活動できる」
奉太郎「……って事か?」
なんだ、俺も結局最後は本人に答えを促しているではないか。
……それより俺がまとめた事、合っているのだろうか。
える「ええ、そうです!」
える「……折木さんが居て、助かりました」
える「私本当に、父親の体調が直ったときですが」
える「あまりこう思ってはいけないのは分かりますが」
える「どうしようかと、思っちゃいまして」
える「折木さんにあれだけ言っておきながら、どうしようかと……」
奉太郎「そう、か」
くそ、千反田に俺の冬休みを無駄にされてしまったではないか。
里志「……僕は、なんとなくこうなるかと思っていたよ」
それに加え、新年の気分も最悪だったではないか。
摩耶花「本当に! 本当に良かったよ、ちーちゃん」
そしてついさっきまでも、最悪の気分だったではないか。
だが。
今は、とても良い、心地良い気持ちだった。
える「ええ、私一人では、とてもここまで来れなかったですよ」
える「……皆さんに、どんな顔をしていいか分からず……」
奉太郎「そんな事、どうだっていいさ」
える「そう、ですよね」
なんだか俺が随分悩まされていた時間が全て無駄になってしまったが、まあいいか。
とにかく、これでまた……古典部四人が揃った。
今年は絶対に、いい年になるだろう。
春は出会いと別れがあり、夏にはまた多分……どこかに出かけるだろう。
秋は文化祭、去年楽しめなかった分、今年は楽しみたい。
そして冬には……今年の冬は、暖かく過ごせるかもしれない。
俺はこの一年に、今までに無い期待を寄せながら、ゆっくりと千反田に向け言った。
奉太郎「……さようならでは、無かったな」
える「……ええ、私の間違いでした」
える「また、お会いできましたね」
える「折木さん」
第1話
おわり
1月のとある日、俺は早朝から家を出ていた。
それも昨日、千反田から電話があり……内容は朝早くに会えないか、と言ったものだった。
俺は別にそれ自体が嫌では無かったし、二人きりで話す事もあったので気が進まないなんて事は全然なかった。
なかった……のだが。
まだ起きて1時間も経っておらず、完全に目が覚めている訳では無い。
それに加え外のこの寒さ……足が鈍るのは仕方ない事だ。
夜に少し雨が降っていた様で、道端にある水溜りには氷が張っていた。
それらをバリバリと割りながら、俺はあの公園へと向かっている。
そんな馬鹿みたいな事を考えながら、途中にある自販機でコーヒーを買う。
奉太郎「……ふう」
冷え切った体に染み渡る、自販機に感謝しておこう。
しかし最後まで飲みきる前に、具体的には半分程飲んだ所でどんどんと冷めていってしまう。
この理不尽な現実に、俺は特になんとも思わず最後の一口を体に取り入れた。
そのまま自販機の横に設置されていたゴミ箱に空き缶を放り込み、再び俺は歩き出した。
体がぶるぶると震える。
……確かこの現象には名前があったはずだ、ええっと。
なんとかリングとか、そんな感じだったと思う。
体温調整をする為らしいが……これで暖かくなるとは到底思えない。
……まだ走ったほうがマシだと思う。
だが俺は走る気もせず、再び体をぶるぶると震わせながら公園へと向かった。
俺が公園に着くと、千反田は既にベンチに座っていた。
奉太郎「おはよう」
そう声を掛けると、千反田はすぐに振り返り俺に挨拶をしてきた。
える「おはようございます、今日も冷えますね」
える「これ、どうぞ」
そう言いながら千反田が渡してきたのは缶コーヒーだった。
俺はそれを受け取り、違和感に気付く。
確かに今日は寒いが……冷めすぎではないだろうか?
俺はほんの少しだけ考えると、一つの質問を千反田に向けた。
える「ええっと……間違えてしまいまして」
この馬鹿みたいな寒さの中、冷たい缶コーヒーを飲むことになるとは。
える「大丈夫ですよ、私のも冷たいので」
千反田はそう言うと、俺の手に自分の持っていた紅茶を当てる。
……確かに冷たいが、大丈夫という意味が分からない。
奉太郎「……ありがたく受け取っておく」
える「はい、どうぞ」
える「いつも奢ってもらってばかりな気がしたので……私の奢りです」
奉太郎「今度飯か何か奢ってもらわないと、割りに合わないな」
俺がそう言うと、千反田はムッとした顔をして、俺に向け口を開いた。
える「酷いですよ」
える「折角、折木さんが寒い思いをしていると思って……」
える「買って待っていたんですよ」
奉太郎「……」
奉太郎「……このコーヒー、冷たいけどな」
える「……そうでした」
これは冗談だろうと思って、反応を返すと本気で言っていたり……
かと思えば……本気で言っていると思って返すと、冗談で言っていたり、といった事が多々ある。
そして今回は本気で言っていた方か。
奉太郎「それで、朝から漫才をやる為に呼んだのか」
える「それもいいかも知れませんが……違います」
える「えっと……」
える「色々と、ご迷惑をお掛けしてしまってすいませんでした」
……やっぱりか。
える「……そんな事って、私はそうは思いません」
奉太郎「……もう終わった事だろ」
奉太郎「俺は別に気にしてないさ」
その俺の言葉は、今の俺の本心でもあった。
しかしそれは今だから言えるのだろう、冬休みは本当に最悪の気分だったし、前に千反田とこの公園で話した後の数日間はろくに飯も食えなかった。
……だけどそれも、終わった事だ。
える「で、ですが!」
多分、俺がいくら言ってもこいつは心のどこかでそれを思い続けるのかもしれない。
なら、口で言っても駄目なら。
パチン、と小気味いい音が乾いた空気に響いた。
える「……い、痛いですよ」
える「……折木さんのデコピンは、ちょっと痛すぎると思うんです」
奉太郎「なら丁度いい」
奉太郎「それで全部チャラだ、それでいいだろ」
俺がそう言うと、千反田は自分の頬を両手で叩く。
える「……分かりました」
える「もう、気にしない事にします」
奉太郎「ああ」
ふと、千反田が指を口に当てながら、思い出したかの様に言った。
える「新年のご挨拶がまだでしたね」
える「あけましておめでとうございます」
少し遅い新年の挨拶を、丁寧にお辞儀をしながら千反田は告げた。
そういえば……確かに、まだしていなかった気がする。
もしかしたらしたのかもしれないが、千反田がまだと言うからにはやっぱりしていないのだろう。
奉太郎「すっかり忘れてたな」
奉太郎「あけましておめでとう」
今日は朝が早かったせいもあり、若干眠い。
その眠気から来る機嫌の悪さを俺は里志に向けていた。
奉太郎「それで、用事は何だ」
里志「まあまあ、皆集まってからにしよう」
里志の呼び出しで集められる時はあまり良い予感がしない。
それは俺がここ2年近く、古典部で活動する事で学んだ事の一つだ。
える「すいません、遅れてしまいまして」
里志「お、来たね」
摩耶花「これで揃ったけど……どうして急に皆を集めたの?」
里志「そうだね……」
里志「もうすぐで2月になるよね」
待てよ……どこか辺境の地に住む人らは、日付の概念が無い可能性もある。
なら俺の言葉は訂正しなければならないな。
正しくは、カレンダーを見れば……日付の概念が無い人以外は誰にだって分かるだろう、か。
なんだか長くなってしまったので、やはり訂正しなくてもいいか。
える「あの、折木さん?」
奉太郎「……ん」
摩耶花「またくだらない事でも考えていたんでしょ、そんな顔してた」
どんな顔だろうか。
……私、気になります。 と言おうかと思ったが、部室に変な空気は流したく無いのでやめておいた。
里志「もうすぐで2月になるよね」
いや、そんな事……カレンダーを見れば誰にだって分かるだろう。
摩耶花「……ちょっと、聞いてるの?」
奉太郎「あ、ああ」
奉太郎「勿論」
釘を刺されてしまっては仕方ない、里志の話に耳を傾けよう。
里志「2月と言えばなんだと思う?」
奉太郎「……2月か」
奉太郎「寒いな」
里志「いや、そういう感想的な物じゃなくてもっとイベント的な奴だよ」
里志「……ホータローも少し意地悪になったね」
里志「確かにそれもそうだけど、その少し前の事さ」
少し前……何か、あっただろうか。
……ああ、あれか。
奉太郎「節分か?」
里志「そう! それだよ!」
里志がいきなり大声を出したせいで、俺と千反田が一瞬怯む。
伊原は……慣れているのかもしれない、いつも通りだった。
里志「節分と言ったら、何を想像する?」
える「ええっと、2月の節分ですよね?」
奉太郎「2月の? 他に節分など無いだろ」
里志「いいや、節分は元々季節の分け目の事を言うんだよ」
える「ええ」
える「立春、立夏、立秋、立冬の前日を節分と指すんです」
奉太郎「……ほお」
える「ですが、一般的には立春の前日の事を言うので、福部さんが仰っているのも2月のですよね?」
える「なら……」
摩耶花「豆まき、って事?」
里志「そう、それだよ摩耶花」
何がどう、それなのか分からないが……
やはり、良い予感はしない。
里志「……古典部で豆まきをしないかい?」
える「良い考えです!」
その里志の提案に、即座に反応したのは千反田だった。
摩耶花「楽しそうね、私もやりたい」
そしてやはり、伊原もそれに続く。
奉太郎「ここでするのか?」
俺も別に、絶対にやりたくないと言う訳でも無かったし、このくらいならいいだろう。
嫌な予感と言うのも、外れてくれると有難い物だ。
奉太郎「……いつも通り、本を読んでいたら駄目か」
今の言葉は試しに言ってみたのだが、里志はそれを冗談だとは思わなかったらしい。
里志「別にいいけど、豆を当てられながら本を読むのは……僕だったら嫌かな」
奉太郎「……ならやめておく」
部室で静かに本を読む俺、そこに現れる里志、千反田、伊原。
そして本を読みながら豆を顔にぺちぺちと当てられる。
……何か、おかしいだろ。
里志「ちょっと提案なんだけどさ、豆まき自体は皆賛成なんだよね?」
える「ええ、そうです」
俺は別に賛成とは一言も言った気はしないが……反対と言う訳でもなかったので、特に何も言わず続きを聞く。
奉太郎「……何故、俺の家なんだ」
里志「僕の家でもいいんだけどさ、妹がちょっとね」
そういえば、里志には妹が居るんだった。
……随分と、変わり者の。
奉太郎「……ああ、そうだった」
奉太郎「なら、伊原の家は駄目なのか」
摩耶花「私の家も、ちょっと」
摩耶花「その……都合が悪いかな」
何か隠しているような顔をしていたが、そこには突っ込まない。
……俺だって、部屋はしっかりと片付けてからで無いと人を上げるのは少し気が引けてしまう。
俺でさえそう思うのだから、他の奴は更にそう思っている事だろう。
える「私の家ですか……大丈夫ですよ」
里志「本当かい? 実はそっちが本命だったんだよ」
里志「千反田さんの家は広いからね、豆まきのやりがいがあるよ」
……悪かったな、俺の家は狭くて。
それにそっちが本命とは、俺は随分と失礼な奴を友達に持ってしまった。
結果的には俺の家でやる事は無くなり、良かったのかもしれないが……なんか納得がいかない。
しかし、それよりさっきから気になる事がある。
千反田ではないから、気になりますとまでは行かないが……少しだけ引っ掛かる事だ。
里志「ん? なんだい」
奉太郎「お前がやろうとしているのは、普通の豆まきか」
摩耶花「折木何言ってるの? 普通じゃない豆まきってどんなよ」
える「今の言葉、何か意味があるんですよね」
える「……私、気になります!」
ここで来たか、いや……少しだけ予想は付いていたが。
里志「……まあ、普通ではないかな」
……嫌な予感が当たってしまっただろう。
なんという事だ、今年初めの失敗はこれになりそうだな。
奉太郎「……予想と言う程の事でもないが」
奉太郎「まず最初、古典部で豆まきをするのか、と俺が聞いたときだ」
奉太郎「その後、俺は本を読んでいて良いかと聞いたな」
里志「うん、それに僕は」
里志「顔に豆を当てられながら読むのは嫌だな、みたいに答えたね」
奉太郎「……普通、豆は人にぶつけないだろ」
摩耶花「ええっと、つまり?」
奉太郎「それに里志は広い場所を探していた」
奉太郎「千反田の家が本命だったと、言った様にな」
える「……と言う事は」
奉太郎「お前がやろうとしているのは」
奉太郎「……豆の、ぶつけ合いか」
……反対しておけばよかった。
節分で豆をぶつけ合う馬鹿が、どこにいるのだろうか。
摩耶花「わ、私は別にいいけど……」
摩耶花「そんな野蛮な事、ちーちゃんは」
える「私、やりたいです!」
里志「……決定だね、ホータロー」
奉太郎「……はあ」
ここに居た。
日本の、神山市の、神山高校に四人ほど。
俺は是非ともその馬鹿達の顔を見てみたい。
……帰ったら、一度鏡でも見てみる事にしよう。
里志が言うにはチーム分けをするらしく、なんだかこういう遊びがあった気がする。
ええっと、サバイバルゲームか。
決戦は確か、2月3日。
節分の日と覚えておけばいいだろう。
曜日は日曜日か、昼に集合と言うのも問題は無い。
ただ一つ、問題があるとするならそれは。
摩耶花「また、一緒になったわね」
伊原と同じチームになってしまった事だった。
第2話
おわり
……とても面倒くさかったが、始まってしまった物は仕方ないか。
まあ、それはそうと里志のルール説明を理解しなければ。
里志「じゃあチーム毎に分かれて、10分後に始めよう」
奉太郎「ああ」
摩耶花「そうね、分かった」
える「ええ……! 負けませんよ!」
千反田はやけに張り切っている様だったが、今は敵だ……倒さねばなるまい。
というか、こいつは前に食べ物を粗末にするなという様な事を言っていた気がする。
える「へ? は、はい」
気合を入れていた所に、唐突に俺が話しかけたせいで変な声が出ていた。
奉太郎「この豆まきは、食べ物を粗末の内に入らないのか」
える「まさか、捨てる筈ありません」
奉太郎「……食べるのか」
える「いえ、それはちょっと、衛生上あれなので」
える「私の家には鳩がよく来るので、あげようかと思っています」
奉太郎「なるほど、それなら問題無いか」
える「心置きなく、投げてくださいね」
そして俺達は二つに分かれる。
俺は伊原と共に、台所へと向かった。
千反田と里志は恐らく、あの氷菓の時に使った部屋に行っただろう。
奉太郎「お前と一緒のチームになったのは不服だが」
奉太郎「やるからには負けたくないな」
摩耶花「ちょっと、もうちょっとやる気が出そうな台詞とか無いの?」
やる気が出そうな台詞……
奉太郎「……頑張ろう」
摩耶花「……はぁ」
それよりルールを確認しよう。
確か、里志の説明によると……
里志『一人に割り与えられる体力は5』
里志『そして、一人の弾の数……ここだと豆の数だね』
里志『それはこの皿に乗っているのを半分にしよう』
里志『一度使った豆を拾って再利用は認めない』
里志『場所は千反田邸、全て』
里志『体力が無くなったら自己申告で頼むよ』
里志『それと、自分を倒した相手に手持ちの豆は全て渡す事』
里志『そうしないと、全部使い切ってしまう場合もあるからね』
里志『どちらか片方のチームが全滅したら残った片方のチームが勝ち』
里志『景品とかは無いけど……楽しんでやろうか』
との事らしい。
そして俺達に割り当てられた豆の数は20。
一人当たり10個と言った所だ。
奉太郎「伊原、準備はいいか」
摩耶花「抜かり無いわ」
摩耶花「……それにしても、ありなのかなぁ」
奉太郎「ルール違反ではないさ、そうだろ?」
摩耶花「まあ……そうだけど」
奉太郎「なら問題無い」
奉太郎「里志は俺達を甘く見過ぎていただけって事だ」
里志「と、ホータロー達は考えている頃だろうね」
える「ええと……つまり、どういう事ですか?」
里志「このルールにはね、穴があるんだよ」
える「……折木さん達は、それに気付いていると言う事ですか」
里志「その通り、摩耶花だけならまだしも……ホータローが居るとなるとね」
里志「まず、間違いなく気付いていると思う」
福部さんが発表したルールの抜け穴……なんでしょうか?
える「す、すいません」
える「その抜け道を、教えて欲しいです」
える「私、さっきから気になってしまって」
える「ええ、その通りです」
私がそう伝えると、福部さんは特に焦らす事も無く、教えてくれました。
里志「……体力が0になった人の扱いさ」
える「え? それはつまり……どういう事でしょうか」
里志「このルールだとね」
里志「体力が0になった人はどうなるか……と言うのを決めていないんだよ」
里志「つまり……体力が無くなっても、離脱はしなくてもいいんだ」
里志「体力は無くなっても、攻撃が出来る」
里志「勿論それは、相方から豆を分けて貰ってからだけどね」
里志「はは、そう思うのも仕方ない」
里志「でもね」
里志「ルールで縛られていない以上、可能なのさ」
……納得、できませんが。
それでも確かに、ルールを決めた福部さんが言うのなら……そうなのかもしれません。
でも。
える「……ずるいですよ、福部さん」
える「そんなルールでやるなんて、ずるいです」
里志「でもさ、ホータロー達もこれには気付いているんだよ?」
里志「なら別に、フェアじゃないって事は無いと思うけどな」
……それもまた、言えているかもしれません。
える「……分かりました、ですが」
える「折木さん達も気づいているのなら、私達が有利という事も無いですよね」
里志「果たしてそうかな」
何やら、考えがあるのでしょうか。
里志「例え体力が0になっても動けると言っても……二人同時に倒されてしまっては意味がないんだよ」
あ、それには気付きませんでした。
える「なるほど……」
そう言い、私が腕を組んでいると……福部さんが再び口を開きました。
える「え? どういう意味でしょうか」
里志「その腕を組んだりする癖、そっくりだ」
わ、私はそんなつもりは無かったのですが……
少し、恥ずかしくなり腕を組むのをやめました。
える「そ、そんな事は無いですよ」
える「それより、作戦を考えましょう!」
里志「はは、分かった」
里志「あまり時間も無いし、簡単に伝えるよ」
里志「実はもう、大体考えてあるんだ」
福部さんはそう言うと、少し声を小さくして作戦を私に教えてくれました。
なるほど、確かに理に適っています。
~奉太郎/摩耶花~
奉太郎「さて、どう出るか」
摩耶花「ふくちゃんの性格だと……様子見、かな」
奉太郎「……俺もそう思う」
開始までは後5分も無い、俺達が取るべき行動は……
奉太郎「なるべく二人で一緒に行動は避けたいが……そうもいかないな」
摩耶花「どうして?」
奉太郎「俺達はこの家の構造を把握していないからだ」
奉太郎「向こうには千反田が居るんだぞ」
摩耶花「あ、そっか」
摩耶花「ばらばらに行動したら、ちーちゃんの攻撃を避けられないって事ね」
奉太郎「そう言う事だ」
しかし、全ての構造が分かっていない場所では話が少し変わる。
更には敵側には一人、構造を完璧に把握している人物がいるのだ。
なら行動を共にして、視野を広く持った方が安全だろう。
奉太郎「まずは様子を見よう、あいつらは多分……ばらばらで来るからな」
摩耶花「分かったわ」
奉太郎「危険なのは里志だ、あいつの考えている事は時々わからん」
摩耶花「でも、ちーちゃんも結構危険よね」
奉太郎「……ああ」
摩耶花「……勝てる見込みが、無いんだけど」
摩耶花「あんた、珍しくやる気ね」
……確かに、言われてみればこの豆合戦を楽しんでいる俺がいた。
まあ、やらなくても良かった事なのは事実だが……やるからには、やはり負けたくは無い。
奉太郎「かもな、だが」
奉太郎「勝算は、あるだろ」
摩耶花「……そうね」
作戦は大体さっき話してある。
うまく行けば、負ける事は無いだろう。
さてと、そろそろスタートか。
まずは、廊下の様子を見る事にしよう。
える「先手必勝、ですか」
福部さんが考えた作戦は、意外な物でした。
里志「そう、別に始まるまでここに居なきゃいけない理由は無いからね」
里志「ホータロー達が行ったのは台所だから、そのすぐ傍で待ち構える」
里志「僕が最初に突っ込むから、千反田さんは裏に回ってくれないかな?」
える「分かりました、挟み撃ちですね」
里志「うん、その通りだ」
里志「と言っても、中々相手も手強いからね」
里志「いきなり倒されたら豆が一気に10個も減ってしまう」
里志「それだけは気をつけてね」
単純に考えれば、私達の手持ちの豆が半分になってしまうと言う事です。
それに加えて、折木さん達の豆が増えるという事にも繋がります。
……気をつけましょう。
える「分かりました、任せてください」
える「この家は、私の家なので」
里志「頼もしい言葉だね」
里志「さて、そろそろ始まるから移動しようか」
里志「先手必勝、ホータロー達には悪いけど」
える「勝たせてもらう、という奴ですね」
里志「はは、本当に頼もしい」
私は反対側に行き、台所の裏手へと回りこみました。
こちら側の廊下からは、少し中が覗ける様になっています。
折木さんと摩耶花さんは何やら話している様子でしたが……しっかりとは聞こえませんでした。
そして時計に目を移すと、間もなく始まる時間を指す所です。
時計が……12を指し、豆まきがスタートしました。
……折木さん達はどうやら、最初は慎重に行く様ですね。
あ、折木さんが廊下に繋がる扉に手を掛けました。
駄目です!
そちらには、福部さんが!
……い、いえ。
今は敵なのでした、折木さんは倒さなければいけないんです。
私は、私のすべき事をするのです!
廊下に顔だけを出した俺に、最初に目に映ったのは里志の姿だった。
直後、飛んでくる豆。
その豆は見事に俺の額へと命中した。
奉太郎「いてっ!」
あいつ、全力で投げやがった。
豆もここまで本気で投げられると随分と痛い。
しかし、それに怯んでいては第二、第三の攻撃が来るのは想像に難くないだろう。
奉太郎「伊原! 逃げろ!」
台所の中に居た伊原に向け、声を発する。
その直後に、再び飛んでくる豆をなんとか避ける。
それと同時に俺も台所の中に避難し、伊原と一緒に裏手の扉から廊下に飛び出た。
……だが。
それすらも読まれていた。
前には千反田、後ろは行き止まり。
そして俺達が来た方向からは里志が追っかけてきているだろう。
千反田はそのまま投げる格好をし、豆を投げてきた……と言うよりは、放ってきた。
俺はそれをなんなく避ける、避けたはいいが……
放られた豆は、一つではなかった。
千反田は豆を3つ、投げていたのだ。
1個は床に落ち、2個は伊原へと命中する。
そう謝っているこいつは、とても申し訳無さそうな顔をしていた。
隙だらけではあるが……片方だけ倒してしまっても仕方ない。
いや、むしろ片方だけ倒してしまったらそれこそ不利になってしまう。
……そのルールの穴に、里志と千反田も気付いていての別行動だろう。
だが削っておく分には問題無いだろう……とりあえず一つ、千反田の頭へ向かって投げた。
俺が投げた豆は、千反田の頭に当たり跳ね返る。
える「い、痛いです……」
しまった、俺もつい謝ってしまった。
なんだこれは、謝りながら相手に豆をぶつけるゲームだったか。
摩耶花「何謝ってるのよ! 行くわよ!」
伊原はそう言うと、頭を抑えている千反田の横を通り抜ける。
俺は少しの後ろめたさを感じながら、それに付いて行った。
や、やられてしまいました。
つい謝ってしまったせいで、お二人とも逃がしてしまいました。
福部さんに何と言えばいいのか……分かりません。
で、ですが! まだ勝負は始まったばかりです!
里志「はは、やっぱり逃がしちゃったか」
福部さんはそう言いながら、台所から出てきました。
える「……ごめんなさい、摩耶花さんに二つ当てたのですが、つい謝ってしまいまして」
里志「いいさ、千反田さんらしいじゃないか」
里志「それに、計算外って訳でもないしね」
える「では、次の作戦があるんですね?」
里志「勿論」
里志「千反田さん、ホータロー達が逃げて行った先には何があるんだい?」
える「ええっと」
える「まず最初にあるのがお風呂ですね」
える「次にそのまま真っ直ぐ進めば客室が左右にあります」
える「突き当たりには物置部屋もありますね」
里志「ず、随分と部屋が多いんだね」
そうでしょうか? 確かに少し多いのかもしれませんが……そこまで驚く事でも無いと思います。
里志「好都合だよ」
える「……どういう意味ですか?」
里志「つまりホータロー達はその部屋の内のどれかに居るって事でしょ?」
里志「なら、ここより前の部屋に行くにはここを通るしかない」
里志「……分かるかな」
える「なるほど、と言う事は」
える「袋の鼠、と言う訳ですね」
里志「そう、ホータロー達はもう逃げ場が無い」
里志「片方はここで待機して、もう片方はしらみ潰しに部屋を探す」
里志「それで僕達の勝ちさ」
里志「部屋を探すのは僕がやるよ」
里志「千反田さんは今度こそ、宜しくね」
える「はい、任せてください」
今度は絶対に、逃がしません!
里志「はは、張り切ってるね」
里志「じゃあそんな千反田さんに取って置きの技を教えておくよ」
取って置きの技……なんでしょうか?
福部さんは少し声のトーンを落とし、私にその技を教えてくれました。
……やっぱり福部さんは少し、ずるいです。
でも、これを使えば確かになんとかなるかもです。
……私、頑張ります!
奉太郎:残り体力4/豆の数9
摩耶花:残り体力3/豆の数10
里志:残り体力5/豆の数8
える:残り体力4/豆の数7
第3話
おわり
乙ありがとうございました。
書きながらになるので少し、投下遅いですが……良ければお付き合いください。
*古典部の日常とは無関係となります。
タイトル
える「お久しぶりです」
える「一年ぶりですからね」
奉太郎「大人になったしな、仕事がどうにも忙しい」
える「ふふ、高校の時からは考えられない台詞ですね」
奉太郎「……だな」
える「この縁側でお話をしていると、丁度10年前を思い出します」
奉太郎「……10年前となると、高校三年の時か」
奉太郎「秋で縁側……あれか」
える「思い出しましたか?」
奉太郎「……いい思い出では無い、かな」
える「……そうですか」
える「あの日は確か、私に用があると言って家まで来てくれたんでしたよね」
奉太郎「そうだったかな」
奉太郎「……お前がそう言うなら、そうなんだろうな」
える「ふふ」
える「用事は確か、告白でしたね」
奉太郎「……そうだな」
える「この縁側で、私は好きだと言われました」
奉太郎「……ああ」
奉太郎「なあ、もうやめないか」
える「いいえ、思い出に浸りたい気分なんですよ」
奉太郎「……」
奉太郎「お前の返事は……」
奉太郎「許婚が居る、って返事だったな」
奉太郎「……そうだな」
右後ろから、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
奉太郎「呼ばれているぞ」
える「……その様ですね」
える「では少し、席を外しますね」
奉太郎「……ああ」
奉太郎「早いな……って」
奉太郎「連れてきたのか、その子」
える「ええ、月を少しみせたくて」
奉太郎「……そうか」
える「……私には」
奉太郎「……そうだろうな」
える「……一人で子育ては、中々大変ですよ」
奉太郎「……そう、だろうな」
える「辛い時も、ありますよ」
奉太郎「……そうか」
奉太郎「……悪かったな」
える「今日の月は、今までの中で一番綺麗かもですね」
奉太郎「ああ」
奉太郎「っと、もうこんな時間か」
える「また、お仕事ですか」
奉太郎「まあ、忙しいからな」
奉太郎「多分また、一年後だろう」
える「そうですか、ではまた一年後に会いましょうか」
奉太郎「……俺は」
奉太郎「俺は、いいのかな」
える「何がですか?」
奉太郎「お前に顔を合わせる権利が、俺にあるのか」
奉太郎「悪い事をしているようで、気が気じゃないんだよ」
える「そんな事……無いです」
奉太郎「……そうか」
奉太郎「……すまんな、そろそろ行くよ」
える「ええ、お仕事頑張ってくださいね」
奉太郎「ぼちぼちな」
次に会うのは一年後か。
そういえば今年は、里志と伊原……今は二人とも福部か。
あいつらに挨拶をできなかったな。
……まあ、来年でいいか。
まあそれも、全て俺への罰なのかもしれないが。
怠惰が過ぎると、随分と痛い目を見る事になると今更ながら理解する。
とにかく、これで神山市にはしばらく帰って来れない。
また昔みたいに、四人で遊びたいが……そうもいかないな。
俺は少々の名残惜しさを残し、神山市を後にする。
今まで怠けていた分、体を動かさないとどうにかなってしまいそうだ。
車で何日か掛けて、遠い地へと向かう。
今日は本当に、月が綺麗だ。
あいつと、その子供の為にも……頑張るか。
大好きな嫁と、俺の子供の為にも。
おわり
ありがとうございます。
Entry ⇒ 2012.10.25 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
奉太郎「古典部の日常」 6
奉太郎「古典部の日常」 2 (5,6,7,8話)
奉太郎「古典部の日常」 3 (9,10,11,12,13話)
奉太郎「古典部の日常」 4 (14,15,16,17,18,19,20話)
奉太郎「古典部の日常」 5 (21,22,23,24,25話)
ここはどうも、一対一の場面に恵まれている様だ。
ドアの左右には植木鉢が設置されており、前までこんな物は無かった気がしたが……文化祭の関係かもしれない。
そして、入須はゆっくりと俺の方に振り返る。
そんな入須の動作と一緒に、学校のチャイムが鳴った。
入須「授業が始まってしまったか」
入須「先輩にサボりを付き合わせるとは、褒められた事ではないな」
奉太郎「……すいません」
奉太郎「でも、あなたとは話をしなくてはならないんです」
奉太郎「……それは、あなたも分かっているでしょう。 入須先輩」
入須「……さあな」
……そうだな、始まりの時から、話をしよう。
奉太郎「最初から、振り返りましょうか」
奉太郎「……あなたは、何故こんな事をしたんですか」
入須「千反田にサプライズをしよう、と言った事か」
奉太郎「ええ、そうです」
入須「それは始めに言っただろう、君と千反田には恩があったと」
奉太郎「無いですね、もしあなたが千反田に恩を感じていたなら」
奉太郎「さっきの部室前での態度、あれは明らかにおかしい」
入須「あれの事か、君には言いふらす趣味は無かった様だが……盗み聞きする趣味はあったのは迂闊だった」
奉太郎「……気付いていたんでしょう、あなたは」
奉太郎「……果たして、そうでしょうかね」
奉太郎「だけど、今はその事についてはいいです」
奉太郎「何故、あんな態度を取ったんですか。 入須先輩」
入須「……確かに、あれは千反田に恩を感じている人の態度ではないかもしれない」
奉太郎「なら……」
入須「だが」
入須「それも状況によって、だ」
入須「私があそこで引いていたとしよう」
入須「そうしたらその後どうなる? 間違いなく彼女は君に、何故入須と居たのか聞きに来るぞ?」
入須「……君はそれを、千反田のその好奇心を拒絶する事ができるのか?」
入須「計画がばれてしまっては、元も子も無いんだぞ」
奉太郎「さすがは、女帝さんだ」
奉太郎「……そうですね、それは反論としてはもっともだ」
奉太郎「この事に関しては、俺が引きましょう」
入須「……何を考えている」
奉太郎「話を変える、と言う事です」
奉太郎「あなたは一つ、不自然な事を言っていたんですよ」
入須「……聞こうか」
奉太郎「喫茶店に行った時、あなたはこう言った」
奉太郎「私は人の心を覗きたくない、とね」
入須「人の心を覗くのは好きではない、と言ったんだ」
奉太郎「……一緒でしょう」
奉太郎「それより、これは本当にあなたの本心ですか? 入須先輩」
入須「……ああ、紛れも無く、私の本心だ」
奉太郎「……なら、随分とおかしな話になるんですよ」
入須「どういう事か教えてもらおう」
奉太郎「あなたは最初、この計画を始めるときにこう言った」
奉太郎「俺が千反田の事を好きという事を、誰から聞いたのか教えてくれた時です」
奉太郎「私にそれを教えてくれたのは、総務委員会の奴だ」
奉太郎「ま、最初そいつに問いただしたのは私だがね。 傍目から見て、もしかしたらと思ったら案の定って訳だ」
入須「……そんな事を、言ったかな」
奉太郎「惚けないでくださいよ、確かに言いました」
奉太郎「……もう、分かるでしょう? あなた程の人なら」
奉太郎「人の心を覗く様な真似が好きじゃない人が、どうして人の恋路を第三者に聞きだしたんですか?」
初めて、入須が押し黙った。
奉太郎「だがそれは違う、あなたはさっきそれが本心だと言った」
奉太郎「俺はその言葉を信じましょう」
奉太郎「だからこう考えます……あなたにそれを教えてくれたのは里志では無かった、と」
入須「……面白い意見だな、非常に」
入須「だが……事実でもある」
入須「認めるよ、私は彼に聞いたのでは無い」
奉太郎「意外とあっさりと認めるんですね」
入須「くどいのは嫌いだからな」
少しずつ、少しずつだが……入須に詰め寄っている気がする。
大丈夫だ、これで大丈夫な筈。
入須「話をコロコロ変えるのは、嫌われてしまうよ」
その言葉に返す気は、無かった。
奉太郎「俺が次にする話、それは」
奉太郎「今回の事、全てについてです」
入須「……随分と飛躍した物だ」
奉太郎「そうでもないですよ、これが核心でもあるんですから」
奉太郎「俺は、こう考えています」
奉太郎「……今回の計画、入須先輩にとっては」
奉太郎「千反田にばれてでも押し通す必要があった。 とね」
入須「そんな訳、ある筈が無いだろう」
奉太郎「正確に言うと、俺と入須先輩が遊んでいる……具体的には違いますが」
奉太郎「それを見られ、仲良くする二人の事がばれても押し通す必要があった」
入須「……ふむ」
入須「つまり、こう言いたい訳か」
入須「私が最初から、千反田にデート現場を見られる事を予測していた、と」
奉太郎「端的に言えば、その通りですね」
奉太郎「違いますか?」
入須「違うな、それは完全に計画外だった」
奉太郎「……そうですか」
奉太郎「それなら俺のこの推測は、外れてしまいました」
入須「どういうつもりだ」
入須「さっきから君は、何を考えている?」
奉太郎「俺が思っている様な人では、あなたは無かった」
入須「くどいのは嫌いだとさっきも言った、単刀直入に言ってくれ」
なら……終わらせよう。
全部、繋がっている。
奉太郎「あなたは、千反田に幸せになってもらう為に、敢えて千反田に嫌われる様な言動をした」
入須「……何故、そう思った」
奉太郎「最初に言ってたではないですか、計画がばれてしまったら元も子も無い……とね」
奉太郎「だからあなたは千反田を拒絶した、この計画を成功させる為に」
入須「意味が分からないな」
入須「私が本当に、千反田に幸せになって欲しいと思っていたとしたら、だ」
入須「幸せになってもらう前に、辛い思いをさせてしまったら……それこそ本末転倒だろう?」
入須「そして現に、千反田は今……辛い思いをしている」
入須「と言う事は、君の推理は外れているよ」
奉太郎「そう考えると、どうでしょうか」
奉太郎「それなら自分が憎まれる役を演じるのが最善、そうなりませんか?」
入須「……」
奉太郎「そして……次に俺が言う事、それを俺は真実だと思っています」
奉太郎「あなたは、入須先輩は」
奉太郎「俺の姉貴と、面識がありますね?」
入須「……どこで、それを知った」
初めて、入須の顔から余裕が消えた様な気がした。
俺はそのまま……言葉を続ける。
奉太郎「知った、というのとは少し違います」
奉太郎「あなたが与えてくれた情報から考えただけです」
奉太郎「それと、姉貴の言葉からも推測を組み立てられました」
奉太郎「そして、この事実はこうも言えます」
奉太郎「俺が千反田を好きだという事を、あなたは俺の姉貴から聞いた」
奉太郎「あいつはどうにも自分の事が分かって無さ過ぎる、少し……協力して貰えないか」
奉太郎「大体はこんな感じだと思っています」
入須「……なるほど」
入須「つまり私の裏には、君の姉貴が居るという事だな?」
奉太郎「ええ、そう考えています」
入須「……驚いたな、そこまで推理するとは」
入須「君を少し、甘く見ていた」
奉太郎「事実、なんですね」
入須「……私は、あの人にも恩があった」
入須「とても、君と千反田とは比べ物にならないほどの、な」
入須「計画は私に任されたよ」
入須「全部……話そうか」
空を見上げながら、ゆっくりと口を開いた。
入須「始めは本当に、君と千反田を幸せにしたかった」
入須「いや、それは今もだな。 結果は最悪になってしまったが」
入須「……プレゼントを決める為に、駅前に行った日」
入須「見られていたんだよ、千反田に」
入須「君は気付いていなかった様だがね」
奉太郎「……確かに、全く知りませんでした」
入須「そして、そこからどう持ち直すか必死に考えたさ」
入須「これから千反田はどう動く? 私はどう動けばいい? とね」
入須「私が出した結論は……」
俺の言葉を聞き、入須は柔らかく笑うと頷いた。
入須「そうだ、それが最善だった」
入須「私が憎まれ役になり、君と千反田は更に距離を縮める」
入須「君と千反田にとってはいい迷惑だっただろうな、悪いことをしてしまった」
入須「配慮が足らない先輩で、すまなかった」
入須はそう言うと……俺に頭を下げた。
その姿は、どうにも女帝という肩書きは似合いそうには無い。
奉太郎「確かに千反田を傷つけたのは……俺としては許せません」
奉太郎「ですが、あなたも……傷付いてしまった筈だ」
入須「私が? 面白いことを言うね、君は」
入須「本当にそう思うのかい? 私が望んでした事だと言うのに」
入須「君に見破られさえしなければ、君と千反田は私を憎んで丸く収まった」
入須「そして私はそれを気にしない、全てがハッピーエンドさ」
そんな、悲しそうな顔で言われても説得力と言う物に掛けるだろ、この先輩は。
奉太郎「まだ、おかしな点があるんですよ」
奉太郎「ですが、あたなはくどいのが嫌いと言っていましたね」
奉太郎「なので、一つだけ言わせて貰います」
奉太郎「あなたの言葉を借りましょう、入須先輩」
奉太郎「だから俺はこう返す」
奉太郎「あなたは俺に全てを見破られる事さえ、予想していたのではないですか?」
入須「ふふ、ふふふ」
入須「ふふ……君は本当に、あの人の弟なんだな」
入須「……そうだ」
入須「この状況も、私は計算していた」
入須「しかし、その計算していた事さえ見破られるのは……予想外だった」
奉太郎「……あなたも、傷付いているではないですか」
奉太郎「あなたは俺に気付いて欲しかった、自分を守る為に」
奉太郎「俺はそんな優しすぎる人を、責める事は出来ませんよ」
入須「……そう言ってもらえると、少しばかり気が楽になるよ」
入須「千反田にはどうしても、幸せになってもらいたかったんだ」
入須「理由は……私からは言わない方が良い」
それは、千反田が話そうとして……未だに決心が付いていない、あれの事だろう。
入須「……家の関係上な、知りたくなくても耳に入ってきてしまうのだよ」
それは……その入須の心までは、俺には分からなかった。
何故こいつは……ここまで自分を責めているのだろうか。
入須「……ここは中々良い場所だな、風が気持ち良い」
奉太郎「……俺も、嫌いな場所では無いですね」
入須「ここに来た時ね、少しだけ私にも希望があったんだよ」
入須「君はもしかしたら……と言う、小さな希望さ」
入須「それを見事に君は成就させてくれた、感謝している」
奉太郎「つまり、ここまで全てあなたの計画の内と言える訳ですか?」
入須「そんな事は無い」
入須「あそこの植木鉢にある花、名前は知っているか」
あれは……なんだったかな。
俺は元より花の種類についてはあまり詳しく無い。
奉太郎「……すいません、あまり詳しく無い物で」
入須「あれはね、ガーベラと言う花なんだ」
入須「花言葉は、辛抱強さ」
入須「そしてもう一つは」
入須「希望」
奉太郎「……そうでしたか」
奉太郎「俺はどうやら、この先あなたを恨めそうには無いです」
入須「……ありがとう」
入須「一応言っておくが、君のお姉さんを恨むなよ」
入須「この計画を考えたのは私だ、あの人は私にアイデアをくれたに過ぎない」
奉太郎「……分かっていますよ、あれでも姉貴は随分と優しい奴なんですから」
奉太郎「だから、多分後悔していると思います」
入須「……後悔? 何故だ」
奉太郎「あなたを傷付けてしまった事を、です」
入須「……それはどうかな」
奉太郎「俺はあなたより、姉貴の事を知っている」
奉太郎「なので断言できます」
奉太郎「姉貴に取って、あなたは大切な友達なんですよ」
入須「……そうか」
入須はそう呟くと、一度空を見上げた。
俺にはそれが、涙を零さない様に……している様に見えた。
入須「さて、それより」
次にそう言い、俺の方を向いたときには、先ほどまでの悲しげな表情は消えていた。
入須「君にはまだやる事があるだろう? 私と話すより大事な事が」
奉太郎「……そうですね、時間を取らせてすいませんでした」
入須「ふふ、いいさ」
入須「私はもう少し、ここで風を浴びているよ」
奉太郎「……あなたも随分と、後輩に無理をさせる人だ」
俺が最後にそう言うと、入須は小さく笑い……屋上の柵から景色を眺める。
奉太郎「入須先輩」
入須「まだ、何かあるのか?」
奉太郎「これ、お返ししますよ」
奉太郎「あなたの知り合いの、物でしょう」
俺はそう言い、先ほど古典部に落ちていたシャーペンを入須へと手渡す。
入須「……受け取っておくよ、確かに」
奉太郎「それでは、失礼します」
入須「……ああ」
授業中なだけあって、校舎の中は大分静かだった。
俺はそれをお構いなしに走る、屋上から廊下に降り、目的地は一番端っこだ。
走っている時は、とても長い時間だった気がする。
……もっと、早く。
そんな俺の願いが通じたのか、二年H組の札が見えてきた。
確か、千反田は一番後ろの席の筈だ。
後ろの扉から、入ろう。
俺はそう決めると、教室の後部に設置された扉の前で一度息を整える。
奉太郎(一つも俺は、気付いていなかった)
奉太郎(他の事に関しては気付けたが、お前の事になると少し感覚が鈍ってしまう)
奉太郎(お前は多分、俺が謝れば許してくれるだろう)
奉太郎(……そういう、奴だから)
奉太郎(俺は千反田に許してもらえないほうが、幸せなのかもしれないな)
奉太郎(……行くか)
心の中で、決意を固める。
扉に手を掛け……開いた。
奉太郎「千反田!」
教室中の視線が俺に集まる。
無理も無い、授業中なのだから。
千反田は教室の隅で、真面目に授業を聞いていた様だった。
俺に気付き、少しの間……目を丸くしていた。
そして俺はそのまま千反田の席まで駆け寄る。
奉太郎「……とにかく、来てくれ」
える「え、お、折木さん?」
奉太郎「早く!」
俺はそう言うと、千反田の手を取り、走り出す。
廊下に出た所で教室の中から教師の怒号が響いてきた。
……だが、関係ない。
奉太郎「走るぞ!」
える「え、は、はい!」
未だに千反田は状況を飲み込めていない様だったが……後でゆっくりと話せばいい。
とりあえず今は、ここから離れなくては。
久しぶりに握った千反田の手は、柔らかくて、しかし冷たくて。
どこか、暖かい気がした。
第26話
おわり
昇降口から出て、校門へ。
ふと、屋上に目を移した。
入須「……」
そこにはまだ入須が居て、遠くからだったのでよく分からなかったが……笑っていた気がした。
える「……あ、あの……! おれ……き、さん!」
途切れ途切れに、千反田が口を動かしていた。
その言葉で俺は前に向き直り、千反田に言葉を返す。
奉太郎「あとで……話す!」
奉太郎「今は……とりあえず……付いてきてくれ!」
千反田は返事をしなかったが、少しだけ強く握られた手に意思を感じる。
俺が向かった場所は、自分でも良く分かっていなかった。
目的地を決めていた訳では無かったので、当たり前と言えば当たり前かもしれない。
……どこか、静かに話せる場所がいい。
なら、あそこか。
奉太郎「……はあ……はあ……」
える「だ、大丈夫ですか?」
千反田は確か前に、長距離が得意とか言っていた。
なるほど、息が余り切れていないのはそういう事だろう。
奉太郎「……すまない、ちょっと……休ませてくれ」
える「……私は、もっと走れますが」
奉太郎「……簡便してくれ」
俺はそう言い、座り込む。
える「では、ここでお話……しましょうか」
千反田は俺の右隣に腰を掛けた。
える「……授業中だったのですが、用件はなんでしょうか?」
える「……」
奉太郎「全部、話す」
奉太郎「それからどうするか、決めてくれ」
える「……分かりました、聞きます」
それから何分も掛けて、俺がした事……入須がした事を話す。
計画は台無しになってしまったが、そんな事は言っていられないだろう。
……結局、一番傷付いてしまったのは……千反田だったか。
俺が話をしている時、千反田はずっと俺の目を見つめていた。
俺にはそれが辛く、だが目を逸らす事もしない。
そうしなければ、全てが本当に……終わってしまう気さえしていた。
話している最中でも、千反田の表情には何も変化が無かった。
……いつもの千反田では、無いか。
俺はここまで、こいつを傷付けていたのか。
奉太郎「本当に、すまなかった」
俺は語彙が少ないとは自分でも思っていない、しかし。
そう言うしか、無かった。
える「……顔を上げてください」
千反田の言葉を受け、俺はゆっくりと下げた顔を上げる。
パチン、と乾いた音が響く。
ああ、俺は。
叩かれたのか、千反田に。
える「……終わりです」
それも、そうか。
千反田が手をあげる等、ほとんどありえない。
いや、ほとんどと言うか……今、初めて人の事を叩く千反田を見た。
当然だ、このくらい……当然だろう、俺。
たった一つの言葉が、ここまで人を苦しくできるとは知らなかった。
だが、千反田は……もっと苦しかったのだろうか。
部活にも、文化祭にも来れない程に……苦しかったのだろうか。
……出来ることなら時間を巻き戻したい。
でもそれは、都合が良いにも程があるって物だ。
俺は、罰を受けなければならない。
それもまた、仕方の無い事だろう。
……だがやはり、辛いな、本当に……苦しいな。
ふと、頬に水が垂れてきた。
雨、か?
いや……空は晴れている。
と言う事は、俺は。
そういう事か。
奉太郎「……」
千反田の方を、向けなかった。
今あいつの顔を見たら、俺は自分が情けなさ過ぎて……どうしようも無くなってしまう。
千反田の顔を見たら、俺は多分、もっと泣いてしまうから。
える「……あの」
奉太郎「……」
言葉は返せなかった。
える「あの、勘違いしていませんか?」
える「私は、今回の事は終わりと言ったのですが……」
今回の、事?
それはつまり、どういう意味だ。
……くそ、頭が上手く回らない。
俺はようやく、千反田の方に顔を向ける事ができた。
奉太郎「……うっ」
だがやはり、俺の予想以上に千反田の顔が近く、思わず後ずさりしてしまう。
える「……すいません、私の言い方が悪かった様です」
える「それと、頬……大丈夫ですか?」
える「勢いで、思わず……」
える「……このくらいは、許してくれますよね」
奉太郎「あ、ああ」
それはつまり、終わりという事だろうか、今回の事については。
……良かった、良かった。
思わず、体から力が抜ける。
える「……私、本当に辛かったです」
える「折木さんの顔を見たら、おかしくなってしまいそうで」
える「あの様な気持ちは、初めてでした」
える「だから、部活にも……文化祭にも、行けませんでした」
える「……でも」
える「最後には、こうなりました」
千反田はそう言うと、優しく笑った。
奉太郎「本当に、悪かった」
奉太郎「お前の気持ちに気付けなくて、俺は」
える「最後にはちゃんと、こうなりましたから」
える「そ、それとですね。 一つ質問です」
える「さっきの話を聞いた限りだと……その」
える「私が入須さんとお話していたのも……聞いていたんですよね?」
奉太郎「まあ……そうだが」
える「なら、その……私が、折木さんの事を」
える「あの、ああ言ったのも、聞いていたんですか」
奉太郎「……そうなる」
える「……そうでしたか」
える「一緒、ですね」
その千反田の言葉の意味が、俺には分からなかったが……言う、しかないだろうなぁ。
える「……はい」
千反田も俺の言おうとしている事に気付いたのか、俺の顔を正面から見つめる。
奉太郎「俺は、大好きな人に……酷い事をしてしまった」
奉太郎「だが、それでも伝えずにはいられない」
奉太郎「……それを言うのは、俺には許される事では無いかもしれないが」
奉太郎「けど、俺は言う」
奉太郎「その大好きな人は、お前だ……千反田」
奉太郎「俺は、千反田えるの事が」
奉太郎「好きだ」
……これは本当に、省エネでは無い。
たったこれだけの言葉を言うのにも、俺の想定を遥かに上回る量のエネルギーが必要だった。
……だが、気分は良かった。
気持ちを伝えるのは、気分がいい物だった。
える「……気持ちは、私の心にしっかりと届きました」
える「ありがとうございます、折木さん」
える「でも私には、まだ答えを出せ無いんです」
える「……もう少し、もう少しだけ」
える「待って貰えますか?」
奉太郎「……ああ」
える「ありがとうございます」
綺麗で。
可愛くて。
愛おしくて。
俺は心底、こいつの事が好きなんだなと、実感した。
それから少しの間、千反田と一緒に話をしていた。
他愛の無い会話でも、嬉しかった。
千反田の一挙一動全てが、好きになれそうで。
俺は自然に笑い、千反田も笑い。
幸せとは、こういう事を言うのだろうか。
奉太郎「ん?」
える「喫茶店に、行きませんか?」
える「少し……喉が渇いてしまって」
奉太郎「ああ、そうだな」
奉太郎「じゃあ、行こうか」
える「はい! 今日は折木さんの奢りですね」
奉太郎「そうだな……好きなだけ頼めばいい」
える「ふふ、お言葉に甘えさせてもらいますね」
喫茶店に入ると、いつもの店主が軽く会釈をしてきた。
俺と千反田はそれに軽く返すと、カウンター席に着く。
俺はブレンドを頼み、千反田はココアを頼んでいた。
いや、ココアとスコーンと、サンドウィッチ……それに
奉太郎「おい」
える「え? 何でしょうか」
奉太郎「いくら俺の奢りとは言っても……持ち合わせが足りなかったらどうするんだ」
える「ここで、お皿を洗えば……」
奉太郎「……」
える「冗談ですよ、その時は私も出します」
える「でも、折木さんのお金が無くなるまでは、私は出しません!」
える「ふふ、私もそう思います」
ま、いいか。
今日くらいは、いい。
奉太郎「……そうだ、これ」
奉太郎「千反田にあげる予定だった、プレゼント」
奉太郎「受け取ってくれ」
える「これは、ネックレスですか」
える「ふふ、嬉しいです」
える「折木さんから貰ったのは、ぬいぐるみ以来かもしれません」
奉太郎「……そういえばそんな事もあったな」
える「今でもちゃんと、私の部屋にありますよ」
える「今度、来ますか?」
奉太郎「い、いや! いい!」
奉太郎「それはいい、やめておく」
える「あのぬいぐるみ、どこか折木さんに似ている様な気がして、可愛いんですよ」
える「どこと無くやる気無さそうな感じが、とても」
さいで。
奉太郎「……にしても、さっきの授業だが」
奉太郎「何の授業だった?」
奉太郎「あの怒号、余り良い予想ができないんだが」
える「ふふ、数学ですよ」
える「尾道先生の授業でした」
奉太郎「……明日は、大変だな」
える「……一緒に、怒られましょう」
奉太郎「……だな」
奉太郎「……ああ、そうだな」
える「私は勘違いして……お二人に、謝らなければなりませんね」
奉太郎「違う、悪いのはお前じゃない」
奉太郎「全部、俺が悪いから」
える「終わりだと、さっき言った筈ですよ。 折木さん」
える「一緒に、謝りましょう」
える「半分こ、です」
奉太郎「……分かった、そうしよう」
奉太郎「今年は、文化祭……楽しめなかったな」
える「ええ、でも……それより嬉しいことが、ありましたから」
える「……そうですね……来年も……」
気のせい、か?
一瞬悲しい顔をした気がしたが、違う……気がしたんじゃない、確かにした。
もしかすると……いや、今はやめておこう。
奉太郎「外も、暗くなってきたな」
える「……もうこんな時間ですか」
える「そろそろ、帰りましょうか」
奉太郎「ああ、家まで送っていくよ」
える「あの、折木さんは何故……あの時間に来たんですか?」
奉太郎「今日の事か?」
える「ええ、そうです」
奉太郎「居ても立ってもいられなくてって言った感じでな……悪いことをしたよ」
える「……今日の折木さん、謝ってばかりです」
える「私、折木さんが教室に入って来たとき」
える「……本当に嬉しかったんですよ」
える「今までの事が無かった様になる気がして、私……」
える「それで本当に、何も無かったかの様になっちゃいました」
奉太郎「……そうか」
える「何も無かった、とは違いますね」
える「折木さんの言葉が、聞けましたから」
奉太郎「千反田が話をしてくれる時って約束だったけどな」
える「いいえ、私は幸せですよ」
える「……かっこ良かったです、折木さん」
奉太郎「そ、そうか」
奉太郎「……照れるな、少し」
える「家まで送ってくれる折木さんも、かっこいいです」
奉太郎「……やめよう、恥ずかしい」
える「……そうですか、では」
える「手、繋ぎましょうか」
奉太郎「……ああ」
千反田は答えてくれなかったが……それでも、俺には勿体無いくらいの幸せな時間だった。
いや……その日だけでは無い。
それから毎日、一週間、一ヶ月。
里志と伊原にはしっかりと頭を下げた。
里志は「やはりホータローは、力だね」等と言っていた。
伊原は「今度何かしたら許さないから!」と言いながら俺の脛を蹴って来た。
……あれは結構、痛い。
まあそれほど伊原も怒っていたのだろう。 それもまた……仕方の無い事だ。
それから毎日、いつも通りで……毎日、千反田と一緒に帰った。
段々と寒くなっていったけど、千反田と居る時は不思議と暖かかった気がする。
そして、十二月のある日。
つい、昨日の事。
冬休みまで後、一週間。
そんなある日、千反田が
学校に、来なくなった。
第27話
おわり
普通に考えれば……一日休んでも、風邪か何かを引いたのだろうと思う所だ。
しかし、どうにも嫌な感じが拭えない。
何か、何かあったのではないだろうか?
それに今日も、どうやら千反田は休んでいる様だった。
前日までの千反田は……特に変わった様子等、無かった気がする。
なんとも無い会話を四人でしていたし、具合が悪そうという事も無かった。
普通の、本当にいつも通りの千反田だった。
それが昨日と今日、学校に来ていない。
とりあえずは帰ったら、電話をしてみよう。
それで千反田に何故休んでいるのか聞けば……体調を崩したというありきたりな返事が聞けるだろう。
……そうだ、そうに違いない。
里志「ホータロー、やけに考え込んでいるね」
奉太郎「ん、ああ……ちょっとな」
そうか、俺は部室に居たんだった。
それで……里志から聞いたんだった。
千反田が学校に来ていないと言う事を。
昨日は部室に行ったが誰もおらず、今日来たら里志が居て……その事実を聞かされたんだった。
里志「でもそこまで考え込む事も無いんじゃないかな?」
奉太郎「……そう、だよな」
里志「……とは言っても、僕にも少しだけ引っ掛かる事があるんだよ」
奉太郎「引っ掛かる事? 言ってくれ」
里志の情報網は意外と侮れない、俺は今……少しでも情報が欲しかった。
里志「うん、内容は勿論千反田さんの事なんだけど」
里志「どうやら、休むという事を学校側に伝えていない様なんだよ」
つまり、無断で休んでいるという事だろうか?
あの千反田が……確かにそれは、何かおかしい。
奉太郎「……そうか」
奉太郎「やはり今日、電話してみる」
里志「そうだね、それが一番手っ取り早い」
その時、部室の扉が開かれた。
俺は一瞬、千反田が来たのかと思い……顔をそっちに向ける。
摩耶花「……やっぱり、ふくちゃんと折木だけかぁ……」
なんだ、伊原か……紛らわしいな。
摩耶花「……折木、その見るからに残念そうな顔、やめてくれない?」
摩耶花「ちーちゃんが来なくて残念なのは分かるけどねぇ」
昨日もこうだった。
当の本人が居ないからといって、伊原はこの様な事を俺に言ってくる。
だが、間違っていないのがなんとも……
摩耶花「……きっぱり言われると少しムカツクわね」
奉太郎「……すまんすまん」
伊原は本当にムッとした顔を俺に向けながら、席に着いた。
里志「まぁまぁ、二人とも仲が良いのは分かるけど……少し落ち着こうよ」
奉太郎「……誰の事を言ってるんだ」
里志「え? それは勿論、ホータローと摩耶花の事さ」
摩耶花「ふくちゃん、冗談でも言って良い事と悪い事があるって教えてもらわなかった?」
……冗談でも駄目だったのか、ちと悲しい。
里志「あはは、悪かったよ摩耶花」
里志「それと、ホータローもね」
奉太郎「別に、お前の冗談には慣れているからな」
里志「そうかい」
さて、三人集まった所でどうしたものか。
いや、三人寄れば文殊の知恵という言葉がある。
何か……良い案が出るかもしれない。
奉太郎「……それで、二人は何か思い当たる事とか無いのか?」
里志「僕は、さっき言った事が引っ掛かるくらいかな」
摩耶花「それって、あれ?」
摩耶花「ちーちゃんが学校に無断で休んでるっていう」
里志「そうそう、情報が早いね」
なるほど……女子と言うのは噂話が好きとは聞いた事があるが……それも少しは役に立つと言う事かもしれない。
摩耶花「……教えてくれたのふくちゃんだけどね」
そうでもないかもしれない、やっぱり。
奉太郎「伊原は、何か思い当たる事とか……無いか?」
摩耶花「うーん……」
伊原はそう言うと、腕を組み、視線を落とし、しばし考え込む。
やがて、伊原は顔を上げた。
摩耶花「関係あるかは分からないけど……」
摩耶花「昨日は、入須先輩も学校を休んだとは聞いたわね」
入須が? それは関係あるのだろうか? 俺にはどうにも……分からない。
里志「関係あるかどうかは、何とも言えないね」
奉太郎「……ふむ」
摩耶花「でも、入須先輩って学校を休む事は滅多に無いらしいわよ?」
……確か、入須は千反田が抱えている事情を知っていた筈だ。
それはつまり、そういう事なのか?
なら千反田は体調不良などで休んだのでは、無い。
明確な、何かしらの事情があって休んだのだ。
奉太郎「考えても、拉致が明かないな」
里志「やっぱり、直接電話するのが早いかな」
奉太郎「……ああ、今日の夜電話してみる」
俺がそう言うと、伊原が少し言い辛そうに口を開いた。
摩耶花「……実は昨日、私電話したんだ」
奉太郎「千反田にか?」
摩耶花「それ以外誰が居るって言うのよ」
ごもっとも。
摩耶花「……駄目だった」
奉太郎「駄目だったとは、どういう意味だ」
摩耶花「繋がらなかったのよ、誰も電話に出なかった」
誰も?
……電話に出れない状態だったのか?
奉太郎「……そうか」
里志「何だろうね、あまりいい予感は出来ないかな」
確かに、それはそうだが……口にはあまり出して欲しくなかった。
奉太郎「やはり、千反田と話すのが一番手っ取り早いな」
奉太郎「伊原は電話したのは昨日だろ? なら今日は俺が掛けてみる」
奉太郎「それでもし繋がれば、全部分かるだろ」
摩耶花「……うん、そだね」
里志「了解、任せたよ……ホータロー」
奉太郎「……ああ」
もし、出なかったらどうしようという考えは俺の中に不思議と無かった。
……その時は、そうなってしまったら……その時に考えればいいだけの事だ。
とりあえずは今日の夜、一度電話してみよう。
それで何とも無い会話をして、明日千反田は学校に来る。
それを俺は望んでいた。
そろそろ、電話を掛けよう。
あまり遅くなってしまっては向こうが迷惑だろうし、今は夕飯時……居る可能性も高い。
受話器を取り、千反田の家の番号を押す。
一回……二回……
コール音が十回程鳴ったところで、俺は受話器を置いた。
駄目だ、やはり伊原の言うとおり……電話は繋がらない。
しかし……これで、諦めていいのだろうか。
明日、里志と伊原と会い、やはり電話は繋がらなかったと……言って終わりでいいのだろうか?
それでは、今までの俺の繰り返しでは無いか。
少し前に千反田を酷く傷付けた俺と、一緒ではないか。
なら……俺が取る行動は、一つしか無い。
奉太郎「……少し、出かけてくる」
供恵「最近夜遊びが多いわね、お姉さん心配よ」
奉太郎「……すぐに戻るから、ごめんな」
供恵「……あんたが素直だと少し気持ち悪いわね」
奉太郎「じゃあ、行って来る」
これなら、千反田の家まではすぐだ。
風呂にはもう入っていたが……必死で漕いだせいか、冬だと言うのに汗が気持ち悪い。
……そうか、もう冬になっていたのか。
冬休みまでは後少し……俺は何故か、今年が終わる前までに……何か大きな事が起きそうだと思っていた。
いや、思っていたというのは訂正しよう。 確信していた。
今までの事を繋げれば……俺には何が起きているのか、分かっていたのだ。
だが、まだだ。
何故、それが今起きているのかが……俺には分からなかった。
千反田が無断で休んだと言う事は、それが始まった事を意味する。
……何故、このタイミングだったのか。
恐らく、多分。
千反田は近い内に俺に例の話をしてくれるだろう。
しかしそれが分からない。
俺の予測が当たっていれば、それは今で無くても良かったのだ。
いや、むしろ……もっと早く、千反田は言うべきだったのだ。
考えろ、千反田の家まではもう少し。
それまでに、答えが出るかは分からないが……思い出すんだ。
やがて、長い下り坂に差し掛かる。
俺は漕ぐのを止め、今までの事を考える方に集中した。
奉太郎「考えろ、思い出せ……一字一句、繋がる筈だ」
……俺は、答えを出せなかった。
こんな感じは初めてだった。
ヒントは確実に揃っている、しかし……いくら考えても答えが出る気がしなかったのだ。
それはもう……直接、聞くしか無いのかもしれない。
しかし俺はある事に気付いた。
結局、俺は千反田がただの病気では無いと……感じている事に気付いたのだ。
千反田の家が段々とでかくなっていく。
俺はそこで違和感を覚える。
通常なら……この時間、家族で夕飯を食べているか、談笑しているか。
あるいはそれが無い家庭でも、家の明かりはついている。
誰かしらが家には居る筈だ。 そうでは無い家も確かにあるかもしれないが……千反田の家はそういう家の筈。
しかし俺が今見た千反田の家には、それが無かった。
俺はようやく千反田の家の門前に着くと、どこか人気のある場所は無いか探す。
だが、いくら見回してもそれを見つけられない。
奉太郎「……誰も、居ないのか」
そんな、何故誰も居ないんだ。
……俺はあの日、里志にある事を聞いた。
沖縄に行き、三日目の夜。
千反田と伊原が花火をしていた時の事だ。
俺は里志にこう聞いたのだった。
それに対し、里志はこう答えた。
里志「色々あるよ、でも一番有名なのは【別離】かな。 別れの花として有名だね」
そう、里志はそう言ったのだ。
その時だった、俺が嫌な推測を立ててしまったのは。
千反田は時間が無いと言っていた。
そしてスイートピー。
あの日、映画館に二人で行った日……千反田は俺に花言葉は知っているかと聞いてきた。
その二つを繋げると、千反田に待っているのは……別れ。
何故そんな事を千反田が言ったのかは分からない。
だが、それが今だとしたら?
千反田の家がもぬけの殻と言うのも……納得が行ってしまう。
これで終わりなのだろうか。
これで……俺と千反田は、終わってしまうのだろうか。
……いや。
そんな事はありえない。
絶対にありえないんだ。
千反田はこうも言っていた。
必ず、俺にその話をしてくれると。
……俺はその千反田の言葉を信じる。
誰が何と言おうと、例え俺の姉貴に言われても。
里志や伊原に言われても。
あの入須に言われても。
もう、終わりだと告げられても……
俺は、千反田の言葉を信じる事にした。
あれから一度も、千反田は学校に来なかった。
毎日電話をしたが……とうとう繋がることは無かった。
古典部の空気は大分暗く、気安い場所では無くなってしまっている。
だが俺は、毎日古典部へと足を運んでいた。
前触れも無く、千反田が来ると思っていたから。
そして今日も……俺は古典部へと足を向けていた。
すれ違う生徒の声が、ふと耳に入ってくる。
「そういえば、今日来てたらしいよ」
「え? 来てたって誰が?」
「H組のあの子、名前はなんだっけかな」
「あ、もしかしてあの有名な子?」
「そうそう、その子」
……
……
それは、千反田の事だろうか?
俺はそいつらにそれを聞こうと振り返るが、既に姿は無かった。
どこかの教室に入ったのかもしれないし、階段を使ったのかもしれない。
くそ、呆けていたのが失敗だった。
気付くのがもう少し早ければ、聞き出せていたのに。
それより! あいつが来ているのか?
なら、今は放課後……来るとしたら、あそこしかない。
そう思い俺は古典部へと向け、進む速度を上げる。
扉を開けると、里志と伊原が居た。
俺が一番居て欲しかった千反田は……居なかった。
奉太郎「……よう」
里志「ホータローも、噂を聞いたのかい?」
噂……それは、つまりあの事か?
奉太郎「千反田が、来ていたという奴か」
里志「そう、それだよ」
里志「僕と摩耶花もね、それを聞いて急いで来たんだけど……どうやら遅かったみたいだ」
奉太郎「……元々、ただの噂だろ」
奉太郎「最初から来ていない可能性だって、ある」
そうだ、俺は多分……良い様に解釈して、里志や伊原も俺と同じように噂話に流されていたんだ。
摩耶花「……それは無いわ」
……伊原がここまで言い切るのは、少し珍しい。
奉太郎「何故、そう思う」
摩耶花「これよ」
そう言い、伊原が手に取り俺に見せたのは……一枚の手紙だった。
いや、手紙と言うには少し文字の量が少なすぎる。
メモ、と言った所だろう。
奉太郎「……それは、千反田が書いたのか?」
摩耶花「間違いないわ、私……ちーちゃんの字は良く覚えているから」
摩耶花「私とふくちゃんもう読んだ、次は折木の番」
摩耶花「……はい」
奉太郎「……」
俺は黙ってそれを受け取った。
そこに、書いてあった内容は……
第28話
おわり
そこにはいかにも千反田らしい、達筆な字でこう書いてあった。
『すいません、この様な形での挨拶となってしまいまして。』
『私は、本当に感謝しています』
『何度も私の気になる事を解決してくれて』
『私の事を、助けてくれて』
『今日の夜22時、約束のお話をします』
『あの場所で、待っています』
誰に宛てた物なのか、誰が書いた物なのか書いていないのは……多分、あいつが純粋に忘れていただけだろう。
……そういう奴だ、千反田は。
そして俺は……認めたくなかった。
こんなの、今日で終わりと言っている様で、認めたくなかった。
里志「どうするんだい、ホータロー」
奉太郎「……どうするって、何がだ」
摩耶花「あんたね、これちーちゃんが折木に宛てた物よ」
摩耶花「あの場所ってのは私達には分からないけど、あんたには分かるんでしょ」
奉太郎「……宛名が書いていない以上、決められんだろ」
里志「はは、ホータロー」
里志「いくら君でもね、それは少し……ね」
里志「僕も、さすがに怒るよ。 それは」
そう言われても、俺は……俺は!
摩耶花「……本気で言ってるの、折木」
……くそ。
摩耶花「あんた……!」
里志「摩耶花、いいよ。 続きを聞こう」
奉太郎「……それは、俺が考える事だろ」
奉太郎「お前らには……関係無い」
本当にそんな事、思っている訳ではなかった。
……それは言い訳か、どこかで少しでも思っていたから……口に出てしまったのだろう。
里志はもう言う事が無いと思ったのか、視線を俺から外し、外を見ていた。
摩耶花「……折木」
摩耶花「これだけは言って置くわ」
摩耶花「……ちーちゃんは」
摩耶花「ちーちゃんは……私の友達だ!」
摩耶花「お前に……! お前に関係無いなんて言われる筋合いは無い!」
奉太郎「……」
こんな、こんな伊原を見るのは初めてだった。
ここまで感情を昂ぶらせ、激昂している伊原を見たのは……
摩耶花「悔しいけど、あんたしか居ないのよ」
摩耶花「ちーちゃんを幸せにできるのは、折木だけなんだよ」
奉太郎「……まだ、千反田が不幸になるとは決まった訳じゃない!」
摩耶花「……っ!」
里志「ホータロー」
ふいに里志が、視線を変えず俺に声を掛けてきた。
里志「君も分かっているだろう?」
里志「千反田さんが学校を休み」
里志「そして今日、部室にメモを置いて行った」
里志「……何かが、何か良くない事が起きている事くらいは」
里志「僕や摩耶花にも分かる事なんだよ」
奉太郎「……そうか」
里志「今日はもう、帰ってくれないか」
里志「これ以上、今は君の顔を見たく無い」
奉太郎「……すまなかったな」
里志は明らかに怒っていた。
……それも、無理は無いか。
俺は最後にそう言い、部室を去る。
今日の、夜22時か。
……どうするか、だな。
時刻は既に、20時を回っている。
だがどうにも俺は、行く決心が付いていなかった。
……会えば、そこで終わってしまう。
なら会わなければ?
それもまた、終わってしまうだろう。
なら……なら俺はどうするべきなのか。
そして果たして、俺が千反田に会いに行く事で……あいつは幸せになれるのだろうか。
その事が一番、俺を引き止めていた。
俺が最後の約束を破り、千反田に嫌われてしまえば……そっちの方が、あいつにとっては良い事なのかもしれない。
……ああ、そうか。
あの時の千反田は、こういう気持ちだったのか。
あいつは俺に嫌われたかったと言った事があった。
その気持ちは、今の俺には痛いほど良く分かる。
……理解するのが、遅すぎた感は拭えないが。
そんな事を自室のベッドの上で考えていたとき、急に扉が開いた。
供恵「電話よ、里志君から」
奉太郎「……せめてノックしてから開けろ」
供恵「それはそれは、申し訳ございませんでした」
そんな冗談を言っている姉貴から受話器を奪い取り、耳に当てた。
里志「……やっぱりね、まだ家に居ると思ったよ」
里志「ホータロー、少し話をしようか」
奉太郎「……ああ、分かった」
里志「君は、今日行かないつもりなのかい?」
奉太郎「……まだ、分からない」
里志「いつまで決めあぐねているんだい?」
里志「君を待ってくれる程、時間はゆっくり動きやしないよ」
奉太郎「分かってる!」
奉太郎「……俺にもそのくらいは、分かっている。 だが……」
里志「……はあ」
里志「ホータローはさ、こう考えているんじゃないかな」
里志「今行ったとして、それは千反田さんにとって幸せなのか? とね」
奉太郎「……」
里志「沈黙は肯定と受け取るよ」
里志「やっぱりホータローは、優しすぎる」
やっぱり、とはどういう意味だろうか。
前に里志が言っていたの確か。
奉太郎「前と言っている事が違うぞ」
奉太郎「お前は俺を優しく無い、と言っていた気がするが」
里志「ああ、沖縄の時に言った事かな?」
奉太郎「そうだ、お前は確かに俺の事を優しく無いと言っていた」
里志「それは違う、僕が言いたかったのはね」
里志「自分に関して、だよ」
奉太郎「……自分に、関して?」
里志「そうさ、君は自分に対して優しく無さ過ぎる」
里志「それはつまりね、周りの人に対して優しいって事だよ」
奉太郎「……そんな事は」
里志「今ホータローはさ、千反田さんにとって一番幸せになれる事は何か、って考えているね」
里志「そして今ホータローが取ろうとしている行動さえも間違いだけど……」
里志「それはね、ホータロー自身に厳しすぎる選択だよ」
里志「……少しはさ、優しくなった方が良いと思うよ」
奉太郎「……本当に、そう思うか」
里志「ああ、断言できる」
里志「君は今日、会いに行くべきだ」
里志「僕から言えるのはこれだけだね、後はホータロー自身が決める事」
里志「でも今日、もし行かなかったら……」
里志「その先は、やめておこうか」
奉太郎「……そうか」
奉太郎「伊原には、悪いことをしてしまったな……」
奉太郎「今度ちゃんと、謝るよ」
里志「それは今日、ホータローの行動によるね」
里志「君が片方の選択を取れば、謝る必要は無い」
里志「だがもう一つの選択を取れば、しっかり摩耶花には謝って、仲直りして欲しいかな」
奉太郎「……ああ、分かった」
奉太郎「里志」
里志「ん? まだ何かあるのかい」
奉太郎「その、ありがとな」
里志「はは、ホータローから素直にお礼を言われるとは、僕もまだまだ捨てた物では無いかもしれない」
里志「それじゃあ、そろそろ失礼するよ」
奉太郎「……またな」
……俺は、自分に甘えていいのだろうか。
今すぐ、会いたい。
千反田の顔が見たい、手を繋ぎたい。
声が聞きたい、笑顔が見たい。
そんな感情に、甘えていいのだろうか。
俺は一度、リビングへ行きコーヒーを飲む。
そして、ソファーに寝そべる姉貴に向け、一つの質問をした。
奉太郎「なあ」
奉太郎「例えばの話だが」
奉太郎「一人は会いたいと思っていて、もう一人にとっては……会わない方が幸せかもしれない事があったとする」
奉太郎「そんな時の事なんだが、会いたいと思っている人間が姉貴だった場合……どうする?」
供恵「何それ、何かの心理テスト?」
奉太郎「真面目に答えてくれ」
供恵「はいはい、可愛い弟の頼みだからね」
供恵「私だったら、会いに行くよ」
奉太郎「何故? もう片方はそれで不幸になるんだぞ」
供恵「それはさ、片方が勝手に思っている事じゃない?」
勝手に、思っている?
供恵「だったら会うまで分からないじゃない、それが良い方に出るか悪い方に出るかなんて」
供恵「それにね、片方にとっては会わない方が確実に不幸になるんでしょ?」
供恵「そしてその行動は、相手にとって不幸になる事かもしれない」
供恵「ならさ、会うしかないでしょ」
……はは、これはおかしい。
俺は勝手に、千反田が不幸になると思っていたのか。
全部、俺が勝手に思っていた事。
随分と俺は……俺と言う人間を過大評価していたのかもしれない。
……馬鹿なのは、俺だったか。
供恵「……なら良かった」
供恵「外は寒いからね、暖かくして行きなさい」
奉太郎「……全く、どこまで分かってるんだよ」
供恵「なあにー? 何か言った?」
奉太郎「いいや、なんでもない」
奉太郎「……行って来るよ、俺」
供恵「ふふ……良い選択よ、奉太郎」
時間は……21時。
まだ、間に合う。
約束の時間は22時……大分早いが、行こう。
それは多分、少なくとも俺にとっては幸せな選択だ。
……最後くらい、自分に甘えてもいいよな。
姉貴の言う通りにシャツを何枚か重ねて着る、上からコートを羽織り、俺は外に出た。
……うう、確かにこれは寒い。
雪でも、降るのでは無いだろうか。
時間はまだあるな、歩いて向かおう。
あの場所というのは……まあ、あそこだろうな。
俺は千反田との約束の場所に着き、缶コーヒーを一本買う。
そしてベンチに座り、それをゆっくりと口の中に入れた。
冬の空気と言うのは、少し好きだ。
どこか新鮮な感じがして、心が透き通る感じがするからだ。
コーヒーをもう一度口の中に入れ、ゆっくりと飲み込む。
缶コーヒーはあまり好きでは無いが……今日のは少し、美味しかった。
10分……程だろうか。
約束の時間まではまだ結構あったが、足音が一つ近づいてくるのが分かった。
それは俺が一番会いたかった人で、一番会いたくなかった人なのかもしれない。
……これもまた、千反田の気持ちと一緒か。
こんな、最後の最後になってようやくあいつの気持ちが分かるなんて、やはり俺は馬鹿だった。
だがまだ、まだ終わった訳じゃない。
俺の選択が良い方に出るか、悪い方に出るか、それはまだ決まった訳じゃないんだ。
だから、俺は足音の方へと顔を向ける。
……予想通りの人物が、そこに居た。
奉太郎「……久しぶりだな」
える「……そうですね、随分と長い間、会っていなかった気がします」
第29話
おわり
奉太郎「ああ」
千反田はそう言い、俺の隣に腰を掛けた。
奉太郎「……今日は、寒いな」
える「そうですね、今日はこの冬で一番の冷え込みらしいですよ」
奉太郎「なるほどな、それなら納得だ」
える「……あの」
える「もう少し、そちらに行ってもいいですか?」
奉太郎「……ああ」
すると、すぐ横に千反田を感じた。
本当に、すぐ近くに……
える「これで少しは、暖かいです」
奉太郎「……それは良い案だ」
える「……ふふ」
俺と千反田は本当に自然と、どちらからと言う事も無く、手を繋いでいた。
千反田の手はとても、暖かかった。
奉太郎「もうすぐで今年も終わりだな」
える「ええ、早い物です」
える「ついこの間、折木さんに会ったばかりの様な気がします」
奉太郎「……そうだな、俺もそう思う」
辺りは静かだった。
車や人通りはほとんど無く、時折……公園の周りに植えられている木が風に吹かれ、ざわざわと音を立てているだけだった。
える「あの時は本当に、びっくりしました」
奉太郎「……閉じ込められていた奴か?」
える「ええ、そうです」
える「思えばあれが、最初でしたね」
千反田の気になる事を解決した……最初の事件。
……事件と言うには少し大袈裟か。
奉太郎「半ば無理やりだったけどな」
える「そんな、酷いですよ……私、とても気になって仕方なかったんですから」
奉太郎「……まあ、それだけじゃ終わらなかったけどな」
える「ふふ、そうですね」
える「本当に色々ありましたからね、沢山……」
える「全部、折木さんが解決してくれました」
奉太郎「解決って程の事でも、無いだろ」
える「折木さんにとってそうでなくても、私にとってはそうなんですよ」
そういうもんか、解決という言葉の方こそ……大袈裟かもしれない。
える「いっぱい、お話しましたね」
奉太郎「そうだな、本当にいっぱい話した」
奉太郎「……これからも、だろ」
える「……」
俺のその言葉に、千反田は答えない。
える「……私の事、お話しましょうか」
奉太郎「……」
今度は俺が、答えられなかった。
その話を避けようと、俺はベンチを立つ。
奉太郎「何か、飲むか」
える「折木さんの奢りですか? それなら是非」
そう言い、千反田は笑った。
……ああ、こいつの笑顔を見るのは随分と久しぶりな気がする。
理由になっていない理由を述べると、俺は自販機で紅茶を二本買った。
コーヒーでも良かったが、何故か少し……紅茶を飲みたくなった。
奉太郎「熱いから、気を付けろよ」
える「はい、ありがとうございます」
千反田に紅茶を一本手渡し、再びベンチに腰を掛ける。
俺が座り直すことで、千反田との間に少しの距離が出来ていた。
える「では、頂きますね」
それをこいつは、構う事無く再び埋める。
奉太郎「……ああ」
横から缶を開ける音がして、俺もそれに合わせて缶を開けた。
ゆっくりと、紅茶を口に入れる。
……やはり、俺にはコーヒーの方が向いているかもな……と思わせる味だった。
える「おいしいです、寒いから尚更、ですね」
奉太郎「……俺にはやはり、紅茶は向いていないかもしれない」
える「……私にコーヒーが向いていないのと、同じですね」
奉太郎「ある意味では、そうかもな」
える「……ふふ」
そのままゆっくりと、時間は過ぎて行く。
俺はずっと、永遠にこのまま一緒に居たかった。
……だが、さすがにそうはいかない。
ああ、とか、分かった、とか……肯定をとにかくしたくなかった。
しかし、それでも……聞かなくては、ならないだろう。
……そうだ、聞いてから答えればいい。
答えを、出せばいいだけの話じゃないだろうか?
ならまずは、聞かなければ。
奉太郎「……話してくれ」
俺がそう言うと、千反田はゆっくりと口を開いた。
える「まず、どこからお話すればいいんでしょう……」
それを俺に聞くか、全く本当に、千反田はどこまでも千反田だ。
奉太郎「最初からでいい、時間はあるだろ?」
える「ええ、大丈夫です。 最初からお話します」
そして千反田は一つ咳払いをし、再び口を開く。
える「まず、春の事です」
える「皆で遊園地に行った時……その時の事は覚えていますか?」
奉太郎「ああ、覚えている」
奉太郎「確か……泊まりで行ったな」
える「ええ、そうです」
える「そして私は、途中で帰ったのを覚えていますか」
奉太郎「……ああ」
あの時はそう、千反田が家の事情とやらで……一足先に帰った筈だ。
……そうか、あの時が始まりだったのか。
える「そして私は、家に帰り……病院へと向かいました」
える「お医者さんが言うには……」
える「もう、目を覚ますことが無いかもしれない、との事でした」
……そんな、そんな事があったのか。
奉太郎「あの日の夜、確か俺はお前を呼び出したな」
奉太郎「……すまなかった」
える「いえ、折木さんが来てくれて、嬉しかったですよ」
奉太郎「そう言って貰えると助かる」
奉太郎「……それと最近、学校を休んでいたのは何があったんだ?」
える「……父の容態が急変したんです」
える「それで、病院にずっと居ました」
える「折木さんにはお伝えしようか、悩んでいたんです」
える「でも、やはり言えなくて……すいませんでした」
奉太郎「……そういう事だったのか」
奉太郎「お前が最近学校を休んでいた理由は分かった」
奉太郎「……それで、その後は」
える「……ええ」
える「何ヶ月経っても、父は目を覚ましませんでした」
える「その間、千反田の家には家を纏める者が居なかったのです」
える「そして、やがて親戚同士で話し合いが行われました」
える「……内容は、噛み砕いて説明しますね」
奉太郎「……少し、予想は付くかな」
える「次の千反田家の頭首は、という物でした」
える「ええ、私です」
える「……当然と言えば、当然だったのかもしれません」
奉太郎「……だが、その話は何故ここまで黙っていた?」
奉太郎「確かにお前の父親が倒れたのは……あまり、言いたくは無かったと思うが」
奉太郎「そこまで黙秘する理由が、あったのか」
千反田は再度、咳払いをした。
繋がっていた手が、少し……強く握られていた気がする。
える「……はい、ありました」
える「折木さんは、回りくどいのは好きでは無かったですよね」
える「ですので、簡単に伝えます」
える「私は、父の後継者として学ぶ事が沢山あるんです」
える「学校では習えない、事です」
奉太郎「……どういう事だ」
千反田は、少し間を置き……口を開く。
える「私は今年いっぱいで、神山高校を辞めます」
何を言っているのかが、理解できなかった。
単語の一つ一つさえ、組み立てられず……文にならない。
ゆっくり、ゆっくりと単語同士を繋ぎ合わせる。
そして、俺は全て理解した。
千反田が時間が無いと言っていたのも、意味深に花言葉の話を出したのも。
スイートピーの花言葉は、別離。
……なんだ、笑えるくらいそのままではないか。
しかしそれを、すぐに受け入れろと言うには……ちょっと今の俺には無理かもしれない。
奉太郎「……お前には、母親も居るだろう」
奉太郎「それでは、駄目なのか」
千反田は首を振り、答えた。
える「駄目なんです」
える「こう言ってはあれですが……母親は純粋な千反田家の者ではありません」
える「余所者に任せる訳には……いかないんです」
はは、やはり……住む世界が違うな。
俺には到底、理解が出来ない世界だろう。
奉太郎「……そういう事だったのか」
奉太郎「だが、何故それを今になって言ったのか……その答えにはなっていないぞ」
える「……それは」
える「私が、高校を辞めると言ったら……自惚れかもしれませんが、皆さんは悲しんでくれると思うんです」
える「そんな顔は、見たくありませんでした」
える「最後まで、最後までいっぱい遊ぼうと思っていました」
える「でも……気付いてしまったんです」
える「私は、折木さんの事を好きなんだな、と」
千反田は、ちょくちょく俺の方を向くと笑顔になっていた。
それがどうしようも無く辛く見え、しかし俺には声を掛ける事さえできなかった。
そんな俺の思いには気づかず、千反田は続ける。
える「そして、思ったんです」
える「……折木さんに嫌われれば、後を濁さずに去れるのでは無いかと」
奉太郎「……それで、あんな事をしたのか」
える「はい、そうです」
える「でもそれは、間違いでした」
える「……私は弱いですから、意志の強さが」
える「折木さんの顔を見たら、嫌われるのが嫌になっちゃったんです」
とても、とても悲しそうに笑っていた。
俺は……俺には。
何も、出来ないのだろうか。
奉太郎「俺は!」
奉太郎「お前の事を嫌いになんて、絶対にならない!」
奉太郎「だから、だから……もっと楽しそうに、笑ってくれ」
える「……ふふ、ありがとうございます」
千反田は一度、紅茶を口に含んだ。
それをゆっくりと飲み込むと、話を続ける。
える「この間の、お返事がまだでしたね」
える「折木さんの事が、好きです」
える「他の女性の方と遊んでいるのを見るだけで嫉妬しちゃうくらいに、好きです」
える「折木さんと夜に会ったり、電話でお話した次の日も気分が良い位に、好きです」
える「折木さんの全てが、好きなんです」
える「……でも」
える「ごめんなさい」
何もかも、元通りにならないだろうか。
全て、無かった事に。
俺はゆっくりと夜空を仰ぐ。
冬の風が、痛い。
空を見上げると、ゆっくりと……何かが舞い落ちてきた。
……雪、か。
今日は寒かったからな。
それが俺の顔に辺り、溶けて行った。
える「……ええ、そうですね」
奉太郎「……寒いな」
える「……はい」
奉太郎「……千反田と居る時は、暖かかった」
奉太郎「……でも今は、少し寒いな」
える「……泣いているんですか」
……どうやら俺も、大分涙脆くなってしまったのかもしれない。
俺は自分が泣いているなんて事は思わなかった、雪が溶け、そう見えるだけなのだろうと。
……でも、千反田が言うからには……俺は泣いているのだろうな。
える「……折木さん」
千反田の声は、今までに無いほど弱々しかった。
その声は確かに俺の耳に届き、ゆっくりと千反田の方に顔を向ける。
振り向くと、やはり千反田の顔は俺のすぐ傍にあり。
そのまま……千反田は俺の唇に、自分の唇を重ねていた。
実際にはとても短い間だったのかもしれないが、俺にはそれがとても長く感じた。
やがて、千反田は離れていく。
える「……お別れのキスは、少ししょっぱいんですね」
奉太郎「……そうか」
これで本当に、終わりか。
本当に、全部。
……いや、まだだろう。
まだ、まだだろう、俺。
お前には、言うべき事がまだあるだろう。
全部、全部を良い方向に向ける、一言が。
千反田の顔を見て、言えばいいんだ。
後、一年待ってくれるか、と。
千反田の人生に、俺を巻き込んではくれないか、と。
お前の人生を、俺に手伝わせてくれないか、と。
……一緒に、一緒にずっと歩こう、と。
そう言えば、全てが良い方向に行くだろ、俺。
何が最悪なのかと言うと……
俺はここ数年、自分でもいつからかは分からないが、モットーを掲げてきていた。
そのモットーとはつまり、やらなくてもいいことなら、やらない。 やらなければいけないことなら手短に。
そんな、そんなモットーが俺に一つの考えをよぎらせてしまった。
それはつまり。
これは、本当にやらなければいけない事なのだろうか?
その考えがもたらすのは、最悪だった。
口を開いて、言葉を言おうにも……口が開かない。
言おうとしても、邪魔されて言えない。
たった……たった一言、一緒に居ようと言うだけで、全部良くなると言うのに。
どうにも、どうにも俺は言えなかった。
そして……
える「……そろそろ、行きますね」
俺もそれにつられ、腰を上げた。
公園を出て、千反田は再び俺の方に振り向く。
える「本当に、今までありがとうございました」
える「私はとても、幸せでしたよ」
える「大好きです、折木さん」
える「それでは」
える「……さようなら、折木さん」
奉太郎「……ああ」
千反田は、また……とは言わなかった。
明確に、さようならと……別れの言葉を俺に告げた。
段々、段々と千反田の姿が小さくなっていく。
道路の脇に植えられた木の枝に雪が付き、その間を歩く千反田の後姿はとても、綺麗だった。
まるで桜道を歩いているような、そんな錯覚さえも覚えた。
千反田の姿はどんどんと小さくなり、もう少しで見えなくなってしまいそうな時に。
ふと、千反田が振り返った。
なんで、なんでそんな簡単な事も分からなかったのだろう。
俺は今まで、何をしてきたんだ。
自分を思いっきり、殴り倒してしまいたい。
千反田の顔は、はっきりと見えた。
その、今にも泣き出しそうな顔を見て、俺は全てに気付いたのだ。
……千反田は、待っていた。
俺が、さっき言おうとして言えなかった言葉を言ってくれるのを。
ずっと、待っていたんだ。
しかし、もう俺の声は千反田には届かない。
走って行くにしても、どうにも足が動かない。
やがて……千反田は再び歩き出し、俺の視界から……居なくなっていた。
……全部、終わったんだ。
泣くなよ、全部終わっただけではないか。
そうだ、これこそが省エネではないか。
俺が、折木奉太郎が望んでいた事ではないか。
……全部、最初に戻っただけだ。
千反田の笑顔も、泣き顔も、悲しんだ顔も、全部。
今まであいつと話した時間も、手を繋いだ時間も、一緒に遊んでいた時間も、全部。
俺があいつに好きだと言った事も、あいつが俺に好きだと言ってくれた事も、全部。
全部……
全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部
全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部
全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部
全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部
全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部
全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部
全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部
全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部
そう思い、瞼を一瞬強く下ろした。
再び目を開けた俺に見えたのは、どこまでも灰色で……地球の果てまで行っても灰色しかなさそうな、世界だった。
なんだ、こんな事か。
……なんだよ、たったこれだけの事、今までずっと見ていたじゃないか。
見慣れた、光景ではないか。
……駄目だ。
いくらそう考えようとしても、駄目なんだ。
……俺には、千反田が必要だ。
しかし、それはもう遅すぎる……手遅れだ。
省エネ主義なんてくだらない事さえしていなければ、こんな大きなツケが回って来る事も無かった。
……帰るか。
俺はそう思い、ベンチから腰を上げた。
公園を出て、家に向かう。
……これから一年、いや……死ぬまで。
随分と、長い時間となりそうだな。
……希望と言うには少し大袈裟かもしれないが、確かに希望があったのだ。
それは、公園の周りに植えられた木や、雑草の中で。
一輪だけ植えられた、ガーベラの花だった。
それはもしかすると、ただの夢だったかもしれない。
俺が物事を前向きに捕らえようとして、勝手に見た妄想だったのかもしれない。
だが、俺はそれでも確かに見たんだ。
しっかりと、綺麗に咲いているガーベラの花を。
第30話
おわり
最終章
おわり
俺はついに……全てを終わらせてしまったのだ。
冬休みが明け、今日は登校日。
歩く学生達は皆、新年を迎えたという事で爽やかな顔をしていた。
それに俺は何も感じない、ただ、元気な奴らだな……と思うだけだった。
教室に行き、先生の話を聞く。
里志と伊原には既に説明をしてあった。
伊原は泣きじゃくっていたし、里志にしても俺が今までほとんど見たことの無い、泣き顔を見せていた。
始業式が終わり、午前中の内に放課後となった。
……H組には一通り目を通したが、当然、千反田の姿は無かった。
俺は結局、する事も無く古典部へと足を向ける。
そして、古典部の扉に手を掛けると、ゆっくりと開く。
黒髪は背中まで伸びていて、体の線は細い。
そいつはゆっくりと振り返る。
イメージに反して、目は大きかった。
それは……そいつは。
奉太郎「……千反田?」
しかし、その言葉を発したのと同時に……全てが泡のように消えた。
窓際になんて誰も居ないし、俺に振り向く人も居ない。
奉太郎「……そうか、そうだよな」
俺はそのまま、ゆっくりといつもの席に着いた。
やがて……伊原と里志も部室に顔を出し、いつもの席に着く。
里志「……なんだか、少し広く感じるね」
奉太郎「……そうかもな」
摩耶花「……それに、なんか静かすぎ」
奉太郎「……そう、だよな」
奉太郎「……席、一つ空いちゃったな」
里志「……うん、そうだね」
摩耶花「……今年の古典部、何すればいいのか分からないよ」
……くそ、また俺は泣いてしまいそうになっている。
この涙脆さは、あいつから移ってしまったのだろうか。
……最悪の、プレゼントだな、全く。
そんな事を思っていた時だった。
……ふと、気配を感じる。
それは伊原や里志も一緒の様で、全員が扉に視線を釘付けにしていた。
薄っすらとだが……人影が見える。
俺はこの時、何故かこう思った。
あの時咲いていたガーベラは、俺の妄想ではなく……実際に咲いていたんだ。
力強く、咲いていたんだ。
何故そう思ったのかが分からない程急に浮かんできた考えだった。
そして、古典部の扉はゆっくりと、少しずつ、開かれて行った。
第30.5話
おわり
そして本日を持ちまして
奉太郎「古典部の日常」
は完結となります。
皆さんの乙や感想の一言がとても励みになりました。
長いような短い間でしたが、お付き合い頂きありがとうございます。
残りがまだ少しだけあるので……少し本編に関係あるお話を投下します。
最後の最後、える視点からの物となります。
本編終わってからの補足話で申し訳ありませんが、もう少しだけお付き合いください。
それでは5分ほど時間置きまして、投下致します。
折木さんの言葉を、優しい言葉を。
左右に植えられている木は、雪が積もり……まるで、桜の様でした。
……これからは、私は一人で歩かなければなりません。
どんなに気になる事があっても、自分でなんとかしなければならないのです。
最後に一度だけ、私は振り返りました。
折木さんは未だに、私の事を見ていて……
私もそれに気付き、できるだけ楽しそうに、折木さんに笑顔を向けます。
……そして、前に向き直り、私は一歩一歩進みます。
折木さんは最後まで、私の望んでいた言葉を言ってくれる事はありませんでした。
ですが、それもまた……折木さんらしくて、素敵です。
今日は、泣かないと決めたのに。
最後の別れくらいは、元気な千反田えるで居ようと思っていたのに。
でもそれも、ばれなければ問題ありません。
今振り返ってしまったら、全部、折木さんには分かってしまうでしょう。
なので私は振り返りません。
……やっぱり、しょっぱいですよ。 折木さん。
……そうでした、私は何故、言葉を待っていたのでしょうか。
自分から、私から言えば、それで良かったのでは……無いでしょうか。
でも、もう遅いです。
私はもう、歩いてしまっているから。
振り返る事も、立ち止まる事も、もうできないかもしれないです。
それでもやっぱり私は、折木さんの事が大好きです。
例え何年経っても、何十年経っても、私の心の中で生き続けます。
……それくらいなら、許されてもいいですよね。
その思い出は、足枷なんかではなく、私を強くしてくれる、立派な力なのですから。
ふと、風が後ろから強く吹いてきました。
私はそれに、自然と振り返ってしまいます。
そして、私の視界には既に……折木さんの姿はありませんでした。
私は再び前に向き直り、まだ雪が舞い落ちて来ている空を眺めます。
真っ暗な空から、白い雪がチラチラと散っていて、とても幻想的な光景でした。
私は独り、そう呟くと足を再び動かします。
ゆっくり、ゆっくりと。
……さあ、これからは忙しくなりそうです。
気持ちを、どうにか切り替えましょう!
……私、頑張りますよ。 折木さん。
なのでどうか、折木さんも頑張ってください。
いつか、いつかもう一度……会えると信じて。
今度こそ、奉太郎「古典部の日常」は完結となります。
本当に、本当にありがとうございました。
Entry ⇒ 2012.10.23 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (3) | Trackbacks (0)
奉太郎「古典部の日常」 5
奉太郎「古典部の日常」 2 (5,6,7,8話)
奉太郎「古典部の日常」 3 (9,10,11,12,13話)
奉太郎「古典部の日常」 4 (14,15,16,17,18,19,20話)
しかし、夏の名残と言えばいいのか、置き土産と言えばいいのか。 俺の体はちくちくと蚊によって攻撃されている。
山が近いせいで、生き残りが多いのかもしれない。
そんなある日、珍しく一人だけの古典部で俺は小説を読むことで時を過ごしていた。
一ページ、また一ページ捲っていき、やがて章の終わりが見える。
そこで一度本から視線を外し、外の景色を眺めた。
グラウンドでは運動系の部活が精を出し、校舎には音楽系の部活らしき音が響いている。
奉太郎(里志は今日も委員会か)
奉太郎(最近忙しそうだな)
原因はまあ、文化祭だろう。
伊原は漫研をやめたので時間は増えた筈だが……この時間まで来ないとなれば、今日は来ないかもしれない。
千反田は恐らく来ると思うが、来たとしても文集の話をされると思う。
俺としては内容には拘りなんて無いし、任せっきりにしたいのだが……一応は古典部に所属しているのである程度はやらなければならない。
確かもう大体の内容は決まっているとか、前に集まったとき言っていた気がする。
それも千反田が来たら聞けばいい事だ。 とりあえずはもう一度小説にでも目を落とすか。
しかし、タイミングを狙ったかの様に部室の扉が開いた。
える「お、折木さん!!」
いつもと少し様子が違う、何か厄介な事でも起きたのだろうか。
奉太郎「なんだ、何かあったのか?」
える「あ、あのですね……大変なんです!」
奉太郎「それだけ言われても、何がどう大変なのか分からない」
える「ご、ごめんなさい。 最初から説明しますね」
える「今日の事なんですが……放課後、今から少し前です……」
な、何をしに行ったかですか? ……あの、お恥ずかしながら少し、お腹が空いてしまって……
あ、あの! それよりですね。
そこで食べ物を買って、部室に行こうとしたんです。
……この私が持っているパンですか? これ、とてもおいしいんですよ。
……お話、続けてもいいですか?
それでですね、部室へ向かっている途中で見てしまったんです。
その……喧嘩している福部さんと、摩耶花さんを。
遠くだったので会話はしっかりとは聞こえなかったんですが、最初は普通にお話をしている物だと思いました。
それが突然……摩耶花さんが、福部さんの顔を……パチン、と。
私は急いで部室へ来ました、見てはいけない物を見てしまった気がして……
福部さんですか? とても、びっくりした様な顔をしていました。
……あ、そういえばですね。 最後の一言だけ、聞こえたんです。
摩耶花さんが「ごめん」と言っていました。
……折木さん、どう思います?
奉太郎「そのパンを今度買ってみようと思った」
える「……」
奉太郎「……」
える「おれきさん、真面目にやってください」
奉太郎「う……分かったよ」
と言ったはいいが……ただの喧嘩をどう思う、と言われてもな……
奉太郎「ただの喧嘩じゃあないのか?」
える「私も、そう思いました」
える「でも摩耶花さんは、簡単に人を叩く人では無いと思うんです」
える「感情的にも、人を叩く人では無い筈です」
……確かに、一理あるな。
伊原は刺々しい所があるが、直接的に人を傷つけたりはしない。
そんな伊原が里志を叩いた……よっぽどの事情があったのだろうか?
える「それも……少し、考えづらいんです」
える「福部さんは摩耶花さんの事をよく知っていると思います」
える「そんな福部さんが、それをするでしょうか?」
……しそうだが、千反田はそれでは納得しないだろう。
何かこう、もっともらしい理由を付けなければならない。
奉太郎「……これだったらどうだ」
奉太郎「伊原が少し腕を振りたい気分になっていて、腕を振った」
奉太郎「そうしたら偶然にも里志が居て、里志の顔に当たった」
奉太郎「叩く気は無かったのに、叩いてしまって謝った」
奉太郎「……どうだ」
える「摩耶花さんが腕を振りたい気分になったのは何故ですか?」
奉太郎「伊原が腕を振りたくなった理由か……」
奉太郎「……そういう気分だったから」
ううむ、なんだか予想より面倒くさくなってきてしまったな。
える「第一に、ですね」
える「私が見たとき、福部さんと摩耶花さんは既にお話をしていたんです」
える「と言う事は……偶然当たったっていうのは少し、難しいと思います」
……そういえばそうだったか。
奉太郎「視点を変えるか」
奉太郎「伊原は何故、里志を叩かなくてはならなかったのか」
える「同じ視点じゃないですか? それだと」
奉太郎「いや、違う」
奉太郎「里志を叩かなければいけない理由があったと考えるんだ」
奉太郎「そして、伊原には叩いたことへの罪悪感があったんだ」
奉太郎「伊原は謝っていたんだろ? 叩いた後に」
える「ええ、そうです」
奉太郎「それなら罪悪感があったと思うのが普通だ」
える「でも、ついカッとなってしまってという可能性もあると思います」
える「それで、その後に謝った……って事ではないんですか?」
奉太郎「さっき自分が言った言葉を忘れたのか」
奉太郎「感情的に叩く事なんて無い、と」
える「あ、そういえば……そうでしたね」
える「では何故、叩いたのでしょうか?」
奉太郎「恐らく……さっきも言ったが、叩かなくてはいけない理由があった」
える「叩かなくてはいけない理由ですか……気になりますね」
伊原は何故謝ったのか。
そしてそれが起こる前まで、普通に話していた。
奉太郎「一つ、推測ができた」
える「え? なんでしょうか」
奉太郎「それだ」
俺はそう言い、千反田を指差す。
える「え、私ですか」
える「私……何かしたのでしょうか」
奉太郎「……違う、お前の腕に居るそいつだ」
える「腕……あ!」
える「……蚊、ですね」
千反田はそう言い、腕に止まっていた蚊を手で払う。
奉太郎「伊原と里志は放課後、二人で話していた」
奉太郎「そう、なんとも無い普通の会話だ」
奉太郎「そこで伊原はある物に気付く」
奉太郎「それは……里志の頬に止まっている、蚊」
奉太郎「ついつい伊原はその蚊を叩く」
奉太郎「里志の頬に止まっている蚊をな」
奉太郎「そして丁度、その場面をお前が見ていたんだ」
奉太郎「それを見たお前は俺にこう言った」
奉太郎「里志と伊原が喧嘩をしていた、と」
奉太郎「……どうだ?」
える「……なるほど、です」
える「確かにそれなら、納得がいきます」
える「摩耶花さんが謝っていた理由にも、繋がりますしね」
える「私、ちょっと確認してきますね!」
そう言い、千反田は部室を出ようとする。
奉太郎「お、おい! ちょっと待て」
える「はい? どうかしましたか?」
奉太郎「あくまで推測だと言っただろ、外れていたらどうするんだ」
える「大丈夫ですよ、折木さんの推理は外れません」
どこからそんな自信が出てくるのだろうか……
丁度、その時だった。
摩耶花「あれ、ちーちゃん帰る所だった?」
伊原が、部室へとやってきた。
える「摩耶花さん! 丁度いい所でした!」
千反田はそのまま伊原を席まで引っ張っていくと、隣同士で腰を掛ける。
奉太郎「……おい、違っても俺は知らんぞ」
える「摩耶花さんに、聞きたい事があったんです!」
俺の声は既に千反田には届いていない様子だった。
える「あの、実はですね……」
俺は千反田の説明を聞きながら、外に視線を移す。
少し、日が傾いてきただろうか?
まだ17時にもなっていないが……日が短くなっているのだろう。
所々、帰る生徒達が見える。
この一件が終わったら、俺も帰る事にしよう。
摩耶花「……なるほど、ね」
……どうやら、千反田の説明が終わったらしい。
える「それで、どうですか?」
摩耶花「折木あんた、どっかから見てたんじゃないの?」
奉太郎「……俺にそんなストーカー的な趣味は無い」
える「……本当ですか?」
千反田が小さく、伊原には聞こえないように俺に言ってきた。
チャットルームでの事を、まだ根に持たれているのかもしれない。
それに俺が反論をする前に、千反田は再び口を開く。
える「ふふ、やはり当たりましたね」
千反田がそう言い、俺の方を向く。
なんだかそんな視線が恥ずかしく、俺は視線を逸らした。
奉太郎「……そろそろ帰るか」
摩耶花「ええ、来たばっかりなのに」
える「あ、じゃあ少しお話しましょう。 摩耶花さん」
どうやら伊原と千反田は残って話でもするらしい。 俺はお先に失礼させてもらおう。
奉太郎「そうか、じゃあまた明日」
える「はい、また明日です」
摩耶花「うん、じゃあね」
しかし、あの推測が外れていたら千反田はどうしたのだろうか。
本当に喧嘩だった可能性も、あっただろうに。
だがその可能性より、俺の推測を信じてくれた事は少し嬉しかった。
別に、だからどうとか言う訳でもないが。
ただちょっと、嬉しかっただけの話。
辺りは少しだけ、薄暗くなっている。
もうすぐで文化祭が始まる、とりあえずはそちらに力を入れなければ。
後……二週間くらいだったか。
ああ、そういえば文集がどうなっているのか聞くのをすっかり忘れていたな。
ま、家に帰ったら里志にでも電話して聞いてみるか。
本を刷るのは伊原に任せる事になるだろう、去年は大変な思いをしてしまったが……
だが伊原も同じ失敗を二度繰り返すような奴では無い、今年は安心できると思う。
まあ、結局は俺が店番をする事になるのだろうが。
暇を潰すためにも、何か新しい小説でも今度買おう。 あれがあれば店番はとても楽だ。
そんな今後の予定を頭の中で組み立てていると、やがて家が見えてきた。
奉太郎「ただいま」
供恵「おかえりー」
奉太郎「最近家に居ることが多いな」
供恵「なによ、いちゃ悪いの?」
奉太郎「……別に、そういう訳じゃない」
奉太郎「風呂に入ってくる」
供恵「あー、まだダメかな」
奉太郎「ん? どういう意味だ」
供恵「お客さん、来てるの」
この家に客とは珍しい。
また姉貴の知り合いだろうか?
奉太郎「姉貴の客か?」
供恵「あんたの客よ」
奉太郎「……俺に?」
一体誰が、里志か?
いや、でも里志ならば姉貴は里志が来ていると言うだろう。
他に思い当たる奴なんて……居ないな。
供恵「え? あんたの部屋よ」
……客を勝手に俺の部屋に通すな、バカ姉貴が。
奉太郎「……はぁ」
小さく溜息をつき、自室へと向かう。
全く、誰だこんな時間に。
そして、自室の扉を開いた。
そこには俺の予想外の人物が居て、俺の顔は多分、だいぶおかしなことになっていただろう。
奉太郎「何か、俺に用ですか」
奉太郎「入須先輩」
入須「ふふ、そう露骨に嫌そうな顔をするな」
入須「今日はちょっと話があって来たんだ、折木君」
第21話
おわり
折木さんはいつも、自分の推理に自信を持っていない様に見えますが……もっと自信を持ってもいいと私は思います。
でも、そんな折木さんも……その、少し格好いいと思う自分もいます。
える「あ、もうこんな時間ですね」
摩耶花「ほんとだ! そろそろ帰らなきゃ」
える「そうですね、また明日お話しましょう」
える「では、帰りましょうか」
摩耶花さんとのお話を止め、帰り支度をしていきます。
そこでふと、ある物に気付きました。
える「あれ? これは……」
摩耶花「あー、あいつ忘れていったのかな」
折木さんの小説でしょうか? 机の上に一つだけ、置いてありました。
える「そうですか……」
える「いえ……やはり私、家に届けてきます」
私がそう言うと、摩耶花さんはにっこりと笑い
摩耶花「そか、うん。 分かった」
と言いました。
その後は学校を出て、摩耶花さんとは別々に帰ります。
折木さんの家は学校からそれほど離れていません、歩いていっても意外とすぐに着きます。
先ほどまではまだ、そこまで暗くないと思ったのですが……気付けば辺りは大分、暗くなっていました。
本当は、明日にでも渡せば良かったのです。 摩耶花さんが言った様に。
でも、折木さんの顔が見たかったんです。
さっきまで二人でお話をしていたのに、変ですよね。
少しでも多くの時間を一緒に過ごしたかったのかもしれません。 ちょっと恥ずかしいですが。
ですがまた、もう一度折木さんに会えると思ったら……足取りが軽くなりました。
折木さんの家には何度も行った事があったので、道はしっかりと覚えています。
もう学校から大分歩いた様で、そろそろ折木さんの家が見えてくる筈です。
この角を曲がれば……
そのまま向かっている途中で、違和感を感じます。
える(ドアが開いている? 誰か居るのでしょうか)
そしてそーっと、覗き込みます。
折木さんの家のドアには、入須さん?
……どういう事でしょう?
あくまでも私が感じた事ですが……折木さんと入須さんは、そこまで仲が良かった様に思えません。
盗み見るのは良い事とは言えませんが……少し、気になります。
奉太郎「ありがとうございます、入須先輩」
入須「構わないさ、それより明日、いいか?」
奉太郎「ええ、分かってます」
そしてそのまま、入須さんは私が居る方に向かってきます。
咄嗟に、隠れてしまいました。
外壁の角に隠れていた私の前を入須さんが通っていきます。
今こちら側を向かれたら見つかってしまいますが……偶然と言う事にすれば大丈夫でしょう。
でも、私は見てしまったんです。
入須さんが、とても幸せそうな顔をしていたのを。
昨日は結局、そのまま帰ってしまいました。
何故か、会う気分にはならなくなってしまって……結局本は渡せませんでした。
奉太郎「千反田だけか」
折木さんがそう言い、部室へと入ってきます。
える「こんにちは、折木さん」
える「あの、これ……」
私はそう言い、鞄から折木さんの小説を取り出します。
える「昨日、忘れていましたよ」
奉太郎「おお、ありがとう」
奉太郎「……でも、なんで千反田がこれを持っていたんだ?」
あ、これはうっかりしていました……
える「……今日、折木さんが来なかったら届けようかと思っていたので」
つい、口から嘘が出てしまいます。
折木さんはいつも、私を真面目な人だと言ってくれますが、そんな事は無いです。
……私は結構、卑怯なのかもしれません。
奉太郎「そうだったのか、わざわざそこまでしてくれなくてもいいのに」
える「……ふふ、そうですか」
昨日何があったのかと聞きたかったです、ですが……
それは折木さんのプライベートな事になるかもしれないです、ですので私は聞けませんでした。
奉太郎「ああ、そうだ」
折木さんが思い出したかの様に、口を開きます。
える「はい、なんでしょう」
奉太郎「明日からその、バイトをする事になった」
……昨日の事と、何か関係がありそうです。
でも、入須さんに頼まれたからといって……折木さんがバイトをするとは思えません。
何でしょうか……こんな時、折木さんに相談すればすぐに解決するのですが……
その気になる事が折木さん自身の事ですので、さすがに相談できません。
奉太郎「……おい、聞いてるか?」
える「え、は、はい」
つい、私は考え込んでしまってました。
える「……頑張ってください」
としか、私には言えませんでした。
奉太郎「まあ、そんな訳でちょっと部活に出れる時間が少なくなる」
える「……そうですよね、分かりました」
5分ほど経ったころ、折木さんが口を開きます。
奉太郎「今日もちょっと用事があるから……悪いな」
える「いえ、構いませんよ」
える「頑張ってくださいね、折木さん」
昨日聞こえた会話からすると、また入須さんと会うのでしょうか。
私に何か言えた事では無いですが……何でしょうか、この気持ちは。
奉太郎「ああ、またな」
最後にそう言うと、折木さんは帰っていきました。
やっぱり、ちょっと寂しいです。
私はその後、一人で本を読んでいました。
今日は多分、福部さんも摩耶花さんも部室に来ると思います。
折木さんがあまり来れなくなると言う事も伝えなくてはなりません。
摩耶花「あれ、ちーちゃんだけ?」
里志「こんにちは、千反田さん」
える「お二人とも、こんにちは」
挨拶をしながら福部さんと摩耶花さんは席に着きます。
える「折木さんは今日用事があるみたいで、帰りました」
摩耶花「……折木に用事って、そんな事あるんだ」
里志「珍しい事もあるね、まあ文集の内容はほとんど決まってるし、別にいいんじゃないかな」
える「それとですね」
える「折木さん、バイトを始めたみたいです」
私がそう言うと、福部さんと摩耶花さんは口をぽかんと開いて、次に驚きの声をあげました。
摩耶花「え、ち、ちーちゃん……今、なんて?」
里志「……ホータローがバイトを始めたとか、そんな風に聞こえたんだけど」
える「え、ええ。 バイトを始めたと言っていましたよ」
里志「そうだよ千反田さん! 何かの聞き間違いだよ!!」
二人とも物凄い剣幕で私に迫ってきます。 少し、怖いです……
える「あ、あの! 本当ですよ!」
摩耶花「お、折木がバイトをするなんて……」
える「お二人とも、折木さんに失礼ですよ……」
里志「……あはは、あまりにもびっくりしちゃって」
私は小さく咳払いをして、口を開きます。
える「それで少しの間部活に来る時間が少なくなると、言っていました」
摩耶花「なるほどねぇ……何か、ありそうね」
何か、とは何でしょうか……
里志「うん、僕もそう思うな」
どうやら摩耶花さんも福部さんも、何か訳があってバイトを始めたと思っているみたいです。
斯く言う私も、ですが。
里志「じゃあ皆、一緒の意見って言う訳だね」
摩耶花「気になるわね……少し」
里志「探りでも入れてみようか」
里志「今日の夜、ホータローに電話をしてみるよ」
摩耶花「それで、折木が理由を言うと思うの?」
里志「いいや? でもバイトの予定くらいは聞くことができると思うよ」
える「……ごめんなさい、話が見えないのですが……」
里志「つまり……ホータローを尾行するんだよ!」
そ、それは……褒められた事では無いですよ、福部さん。
摩耶花「ちょっと面白そうね、やってみたい」
える「わ、私は……」
ですが……気になるのも事実です。
……こうして悩んでいる時点で、答えは出ていたのかもしれません。
える「……気になります」
里志「決まりだね! じゃあ予定が分かったら連絡するよ」
摩耶花「うん、よろしくね」
える「は、はい」
そうして決まったのはいいですが……本当に、これで良かったのでしょうか?
える「もしもし、千反田です」
里志「あ、千反田さん? 予定が分かったよ」
える「福部さんですか、例の事ですね」
里志「そうそう、次の土曜日に入ってるらしい」
える「土曜日ですか……分かりました」
里志「13時からって言ってたから、昼前には一回集まろうか」
える「はい、場所は学校の前がいいですか?」
里志「うん、そうだね」
里志「じゃあ11時くらいに一度学校で集まろう。 摩耶花にも連絡しておくね」
える「分かりました、宜しくお願いします」
土曜日に、全部分かるのでしょうか……
入須さんはあの日、何をしていたのかという事も。
折木さんがバイトを何故、始めたのかという事も分かるのでしょうか。
なんだか慣れない事をしたせいで、少し今日は眠いです。
土曜日までまだ三日あります。 今日はゆっくりと休みましょう。
ベッドに横になり、目を閉じながらふと思います。
……もしかしたら、この選択は間違いだったのかもしれない、と。
あっという間に三日が過ぎ、今日は折木さんを尾行する日となっています。
……緊張します。
ですが、今日全部分かると思うと……少しだけ、楽しみなのかもしれません。
結局あれから、折木さんは部活には来ませんでした。
もう文集は完成していると言っても、やはり文化祭前は部活に顔を出して欲しかったです。
文化祭まで後一週間と少し……それまでにすっきりした気持ちになりたいという思いが、私の中にはありました。
この良く分からない気持ちを、何とかしたいと。
ふと時計を見ると、約束の時間が迫ってきています。
そろそろ、行きましょう。
里志「皆、おはよう」
摩耶花「おはよ、ふくちゃん」
える「おはようございます」
私と摩耶花さんが校門の前でお話をしていたら、最後に福部さんがやってきました。
皆さんには言っていませんが……実は、昨日の夜に折木さんと電話をしていました。
私は土曜日にバイトが入っているのを知っていて、明日遊べませんかと聞きました。
ですがやはり、13時からバイトが入っていると言われ、安心できたのを覚えています。
福部さんには冗談で嘘を付く可能性があったと思ったから聞いたのですが、どうやら私の思い違いの様でした。
……悪いことをしたとは、思っています。
える「あ、ごめんなさい。 行きましょうか」
歩きながら、今日の計画について話し合いをします。
摩耶花「まずは折木の家の前で出てくるのを待つのよね」
里志「その後はホータローがどこに行くのかを尾行しながら確認する」
える「あの、これってストーカーと言う物では……」
摩耶花「……違うと思いたい」
里志「まあ、大丈夫だよ」
福部さんが何に対して大丈夫と言ったのか分かりませんが……大丈夫なのでしょう。
里志「とりあえずはばれない様にしないとね、ばれたら全部終わりさ」
摩耶花「そうね。 でも折木が気付くとも思えないけどね」
里志「はは、確かに言えてるかもしれない。 多分横に並んでも気付かないんじゃないかな」
摩耶花「そう、かも。 もしかしたら目の前に出ても気付かないかもね」
里志「叩いてようやく気付く、みたいなね」
里志「ご、ごめんごめん」
摩耶花「ち、ちーちゃん怒ってる?」
あれ、私は……怒っているのでしょうか。
折木さんを悪く言われて? 分かりません。
える「かもしれないです」
摩耶花「そ、そんなつもりじゃなかったの。 ごめんねちーちゃん」
える「ふふ、大丈夫ですよ」
里志「あ、あそこだね。 ホータローの家は」
気付けば折木さんの家の前でした。
える「今は何時でしょう?」
里志「ええっと……12時だね」
摩耶花「え、それって……まずくない?」
える「え? 何故ですか?」
摩耶花「だって、バイトに行くまでの時間もあるでしょ」
摩耶花「そろそろ出てくるんじゃないかなって」
あ! ドアが開きました!
福部さんのその声に体を動かされ、物陰へと身を潜めます。
摩耶花「……本当に行くみたいね、折木」
里志「……みたいだね」
折木さんは幸い、歩いて向かう様でした。 自転車を使われてしまったら……その時点で尾行は終わりです。
える「……駅の方に向かっていますね、バイトがそっちなんでしょうか?」
里志「……だと思うよ。 あっちにはお店がいっぱいあるし」
摩耶花「……そろそろ動こう、見失う前に」
える「……ええ、そうですね」
私達は顔を見合わせると、ゆっくりと歩く折木さんと結構な距離を置き、付いて行きます。
そして10分程歩いたところで、折木さんは一度立ち止まりました。
喫茶店の前で腕を組み、空を見上げています。
喫茶店の名前は、一二三。
摩耶花「……誰か、人を待っているとか?」
える「……同じバイトのお友達、とかでしょうか?」
里志「……うーん、どうだろう」
それから更に10分程時間を置いて、人が一人やってきました。
里志「……あれは、はは」
摩耶花「……うっそ、なんで?」
える「……入須さん……」
折木さんが待っていた人は、入須さんでした。
何か、私の心の中でぐるぐると回る嫌な感じを必死に抑え、口を開きます。
える「……あの、どういう事なんでしょうか」
摩耶花「……あいつ、私達に嘘付いてたの?」
える「……ま、まだそうと決まった訳じゃないです」
える「……移動しますよ、付いて行きましょう」
摩耶花「……うん、そだね」
それからしばらくの間付いて行き、様子を見ていました。
最初に服屋へ入り、次にアクセサリーショップに入り、それはまるで。
デートの様に私には見えました。
里志「……もう、いいんじゃないかな」
里志「……ホータローは僕達に嘘を付いていた、入須先輩と遊ぶために」
里志「……それが事実だと思うよ」
摩耶花「……だって、あいつは」
里志「……摩耶花、その先は」
摩耶花「……ご、ごめん」
える「……まだ、です」
私も、分かっていました。
入須さんと遊ぶために、折木さんが私達に嘘を付いていた事を。
でも、それでも。
える「……まだ、13時まで10分あります」
摩耶花「……ちーちゃん……」
里志「……分かったよ、続けよう」
それからまた少し、後を付けます。
1分、また1分と時間が経って行き……やがて。
える「……」
摩耶花「……もう、やめよう」
里志「……もういいかな、千反田さん」
える「……はい」
本当は、分かっていたんです。
入須さんと会ったときから、分かっていたんです。
尾行を終え、歩いていく二人を私は見ていました。
折木さんと入須さんはやがて、遠くの人ごみへと消えていきます。
える「すいません、私……分かっていたんです」
える「昨日、折木さんの所へ電話したんです」
える「明日、遊べないかと」
摩耶花「それって、ちーちゃん……」
える「でも、バイトがあると言われて……」
里志「……そうかい」
える「入須さんと会った時から、分かっていたんです」
える「折木さんが私に、嘘を付いたんだって」
摩耶花「あいつ! なんでそんな事……」
える「……ごめんなさい、私、帰りますね」
そう言い残し、私は小走りで家へと帰ります。
後ろから摩耶花さんの声が聞こえましたが、振り返る事は出来ませんでした。
里志「摩耶花、放って置いてあげよう」
摩耶花「で、でも!」
里志「……いいから」
お二人の会話が後ろから聞こえて、少し福部さんに感謝します。
……泣いている顔は、あまり人に見られたくありません。
第22話
おわり
どうして、何故、と言った感情が私の心を埋め尽くしていました。
でも、私は聞いて居たから。
折木さんが前に、私の事が好きだと言っていたのを、聞いてしまったから。
あれは……私の勘違いだったのでしょうか。
それとも、折木さんは自分では気付いていませんが……意外と鋭い人です。
あの時、私が居るのを知っていてそう言ったのでしょうか。
そして、あの言葉も嘘だったのでしょうか。
私は見事に、今までずっと……騙されていたのでしょうか。
そんな事を思ってしまう自分は、最低なのかもしれません。
私は、もっと折木さんと一緒に居たかった。
残りの時間を少しでも、一緒に過ごしたかった。
それすらも、叶わぬ望みと言うのでしょうか。
今頃、お二人は何をしているのでしょう。
一緒に笑っているのでしょうか。
それとも、どこかのお店でお茶をしているのでしょうか。
気になります、気になりますが。
……私にはもう、解決してくれる人はいないのかもしれないです。
布団の中でうずくまっていると、全てを忘れられそうで……ちょっぴり、本当にちょっぴりですけど、心が安らぎました。
いつまでも泣いていてはいけません。
文化祭も……あるんです。
私は部長なんです、少しでもしっかりとしないと。
この気持ちを引き摺っていては……ダメです。
でも今日は、今日だけは……
少しだけ、泣かさせてください。
える「うっ……おれ……き、さぁん!……」
今まで、感じていた事が無いと言えば嘘になります。
私は、好きでした。 折木さんの事が。
でも……入須さんと仲良くしている折木さんを見て、ここまで胸が苦しくなるとは思いもしませんでした。
私の中で、折木さんという方がどれほどの存在だったのか、今になって良く分かります。
摩耶花さんを傷つけた私を、助けてくれました。
時間が遅くなると、家まで私を送ってくれました。
風邪が治った次の日に、我侭を言う私に付き合って水族館へ連れて行ってくれました。
お弁当を一緒に食べたりも、しました。
動物園にも行きました。
私が部室を荒らした時も、私を信じて私の計画を台無しにしてくれました。
映画を見に行きました。
沖縄にも、旅行に行きました。
そして私の持ってくる気になる事を、見事に全て解決してくれました。
他にも、いっぱい……思い出があります。
……全て、私が勝手に思っていた事なのでしょうか。
入須さんは、いい人です。
私にも、返せない程の恩があります。
でも……入須さんさえ、居なければ。
ふとそんな考えが浮かんできて、すぐに頭から振り払います。
……私って、最低です。
折木さんが入須さんと仲良くするのも、少し納得しました。
多分、嫌気が差したのかもしれません。
……なんだか泣き疲れてしまいました。
……少し、少しだけ……寝ましょう。
起きたらきっと……いつも通りに戻っている事を願って。
気付けばもう、金曜日……新たな一週間が終わりそうになっていました。
あの日から毎日、夢であればと思いましたが……そんな事はありませんでした。
折木さんとは一度も会っていません。
会えばまた……少しだけ落ち着いた気持ちが崩れてしまいそうで、会えませんでした。
それはつまり……
校門から出ようとした所で、私に声が掛かります。
里志「今日も部活に来ないのかい、千反田さん」
私が、あれから一度も部室に足を運んでいない事となります。
自分では、決めたつもりでした。
私がしっかりしないと、と。
ですが、私の決心という物は随分と脆い様で、部室に足が向かうことはありませんでした。
分かりやす過ぎる嘘だと、自分でも思います。
里志「……そうかい、なら仕方がないかな」
里志「でもね、千反田さん」
里志「待ってるよ、皆」
里志「勿論、ホータローもね」
える「……やめてください」
里志「今日が文化祭前、最後の部活だよ」
里志「それは千反田さんも分かっているだろう?」
里志「来るつもりはないのかい?」
里志「後、文化祭にも来ないつもりかな……千反田さんは」
里志「……分かったよ、それなら僕からはもう何も言わない」
里志「けどね……まあ、これは言わなくていいかな」
つい、声を荒げてしまいました。
福部さんには謝らなければなりません、ですが……私がそう思った頃には既に、福部さんの姿はありませんでした。
私はやはり、ダメな人なのでしょう。
心配してきてくれた人を退け、私の感情だけで怒鳴ってしまいました。
今日もやはり、部室へと足は向いてくれそうにありません。
今日は何も予定がありません、家から出る必要も……ないです。
パソコンを立ち上げ、神山高校のホームページを開きました。
そこには文化祭を目前にして、色々な工夫がこなされているのが良く分かるページとなっていました。
その華やかなホームページと違い、私の心は酷く沈んでいます。
以前、折木さんに文化祭の前には顔を出して欲しいなんて思いましたが、そんな言葉は見事に自分へと戻ってきています。
私は、どうすればいいのでしょうか。
そんな事を思っていた時、家の電話が鳴り響きました。
今日は家に私一人しかおらず、他に取る人は居ません。
私は電話機の前に立ち、電話を取ります。
摩耶花「あ、ちーちゃん?」
える「摩耶花さん、ですか?」
摩耶花「うん、そうそう」
このタイミングで掛けて来ると言う事は、恐らく部活の事でしょう。
摩耶花「昨日のさ、テレビ見た?」
える「え? 昨日の、テレビですか?」
摩耶花「うん、20時くらいにやってた奴かな?」
える「……いえ、見ていませんが」
摩耶花「ええ! そりゃあちょっと勿体無い事をしたね」
摩耶花「ちーちゃんが好きそうな内容だったんだけどなぁ」
える「……少し、気になります」
摩耶花「そう来ると思った! あはは」
える「ふふ、教えてくれます?」
摩耶花「勿論!」
私が思っていた事を摩耶花さんが切り出す事はとうとう無く、私は受話器を静かに置きました。
摩耶花さんは恐らく、私を気遣ってくれたのでしょう。
敢えて、私が部活に行っていない事を話さなかったのでしょう。
……私は本当に、いい友達を持ちました。
私には少し、勿体無いかもしれません。
福部さんや、摩耶花さんに言われた事によって、気分はかなり落ち着いていました。
……やはり、文化祭には行きましょう。
大丈夫、私は大丈夫です。
最近はほとんど家に篭っていたので、外の空気もたまには吸いたい気分です。
ちょっとだけ、お散歩でもしましょうか。
そう思い、身支度を済ませると家から外に出ます。
場所は……どこにしましょうか。
前の駅前には……ちょっと、行ける気分では無いです。
少し町外れでも、お散歩しましょう。
そう決めた私は、駅とは反対側に足を向けます。
所々で見える紅葉がとても綺麗で、思わず目を奪われてしまいました。
空気は新鮮で、気持ちがいいです。
そうやって30分程歩き回った所で、少し足が痛んでいる事に気付きました。
最近ほとんど家に篭っていた事が、悪い様に回って来たのかもしれません。
私は辺りを見回し、偶然にも近くにあった喫茶店へと向かいます。
看板には歩恋兎と書いてあり、私は春に入部してくれそうになった一人の子を思い出しました。
える「ここは……懐かしいですね」
意外と、家から近いところにあった様で……今度からちょっと通ってみようと思いました。
そして店の正面に着いたとき、窓際に座る二人の男女が見えました。
……私は本当に、つくづく運が悪いのかもしれません。
神様という者が居たら、私はさぞかし恨まれているのでしょう。
ああ、もう……嫌になってしまいます。
何もかも。
この一週間、必死で頭から消し去ろうとしました。
摩耶花さんと福部さんが、声を掛けてくれました。
そんな全ての事を無駄にする物が、私の目に入ってしまいました。
私が見たのは、
楽しそうに笑う入須さんと。
いつも通りの顔をしている、折木さんの姿でした。
える「……いや、です」
必死にそこから逃げました。
何回か転び、足はどんどん痛みます。
気付けば、雨が降ってきていました。
摩耶花さんも福部さんも、ごめんなさい。
える「……こんなの、もういやです」
私は再び転び、そこから立ち上がる気力も、無くなってしまいました。
える「……こんな世界、もういやです」
今までの全ての記憶を、消して欲しいと願いました。
高校で過ごした記憶を全て。
降り注ぐ雨が私を打ちつけ、雨音は私をあざ笑っている様に聞こえます。
える「……皆さん、ごめんなさい」
える「……私はそこまで、強くないんです」
本当に、何故こんな事になったのでしょうか。
私がもっとしっかりしていれば、折木さんは私のそばに居てくれたのでしょうか。
分かりません。
ああ……私はどうやら、随分と折木さんに依存していたのでしょう。
あの日、一番最初の日。
折木さんと会わなければ、こんな事にはならなかったんです。
時期が少し、早まっただけだと思えば……
……ダメです。 それでも、無理な様です。
胸が張り裂けそうになるというのは、こういう事でしょうか。
……入須さんさえ、現れなければ。
これが、嫉妬という物でしょうか。
今日は少し……良い勉強になった日だったのかもしれません。
授業料は、ちょっと高すぎる気がしますが。
える「ごめんなさい、皆さん」
える「私は、行けそうに無いです」
そんな思いを、聞いてはいないだろう空に向けて放ちました。
……帰りましょう。
走ったせいで、足はズキズキと痛みます。
ですが、家まで着けば……しばらくは、お休みです。
そう思うと、足取りは軽くなると思ったんです。
しかし、逆に何故か……私の足は鉛の様に重くなっていきます。
家に着く頃には流す涙も流しつくし、気分は不思議と落ち着いていました。
……格好は酷いですが。
そのままお風呂を浴び、縁側に座ります。
雨は止んだようで、雲から差し込む日差しがとても綺麗でした。
える「……私は本当に、弱いですね」
じゃないと……この先、どうすればいいのか分からなくなってしまいます。
える「もう、泣くのはやめましょう」
える「笑って、過ごすんです」
える「……ですがもうちょっとだけ、休ませてください」
私は最後に涙を一筋流し、泣くのを止めました。
いつまでも……泣いていられません。
文化祭には行けそうにないですが……それが終われば、後は心配事は無い筈です。
……折木さんには、あのお話をできそうには無いですね。
折木さんも望んではいないのかもしれないです。
……いけません、また泣きそうになってしまいました。
最近の私は、随分と涙脆くなった様で困ったものです。
……次に皆さんと会うときは、笑顔で会いましょう。
きっと、できる筈です。
そして、一つ……決めました。
あの人と……入須さんと一度、正面からお話をする事にしました。
そうすれば多分、私も踏ん切りが付けられるかもしれないです。
私も仏ではありません、なので思いっきりこの気持ちをぶつけないと、どうにもなりません。
私の勝手な我侭だという事は分かっています。
ですがそれでも、入須さんには悪いですが……付き合ってもらう事にします。
入須さん、ごめんなさい。
私はこれでも、言う時は言うんです。
ですのでどうか、宜しくお願いします。
文化祭が終わった後、お話をしましょう。
……どうぞお手柔らかに、お願いします。
第23話
おわり
もう空は暗くなっていて、縁側に座る私には夜風が少し冷たく感じられます。
庭からは鈴虫の声が聞こえて、月がとても綺麗な夜でした。
福部さんと摩耶花さん……それに折木さんからも、連絡はありませんでした。
それも、そうかもしれません。
私は差し伸べられていた手を振り払い、自分の気持ちを優先したのですから。
える「……今年の文集は、どうなっているのでしょうか」
それを古典部の方達に聞く権利は、私には無いでしょう。
そして、私はもう……古典部に顔を出すつもりも、ありませんでした。
行けばきっと、あの人に会ってしまうから。
会えばきっと、私は泣いてしまうから。
泣けばきっと、またあの人は優しい言葉を掛けてくれるから。
しかし、それは……私が学校にも行けなくなってしまいそうで。
……怖かったです。
……ふふ、前の雛祭りの時に自分でここはつまらなくは無いと言って置きながら、こう思ってしまうので可笑しな物です。
これが、私の本心でしょうか。
駄目です……前向きに考えましょう。
この約二年間、本当に楽しかったです。
……出来れば忘れてしまいたいけど、楽しかった物は楽しかったんです。
氷菓の時もそうです。
あれは折木さんが居なければ、解決は出来なかったでしょう。
たったあれだけの事から、見事な推理を組み立ててくれたのは本当に心の底からすごいと思います。
2年F組の映画の時も、折木さんが作ったお話は……本郷さんの意思ではありませんでした。
ですが、最後には本郷さんの意思に気付き、私にチャットで教えてくれました。
……あの時確か、私は本当の事を知っていたのでは無いかと言われました。
勿論、私は知りませんでしたが……人が死ぬお話は好きでは無いと言ったときに、お前らしいと言ってくれました。
去年の文化祭の時は、私は結局……十文字事件の真相を知る事は出来ませんでした。
ですが、折木さんの意外な一面を見れた気もします。
お料理対決の時に、私のミスを助け、摩耶花さんを助ける為に大声を出していたのは今でも心に残っています。
そして、生き雛祭り。
私はてっきり、断られるかと思っていました。
しかし、折木さんはすぐに、手伝うと言ってくれて……とても嬉しかったのは記憶に新しいです。
私の学校生活は、大分折木さんとの思い出しか無いみたいです。
……私が、忘れたいと思うのも無理はないかもしれませんね。
その時でした。
家のチャイムが鳴り、私は縁側からお客が誰か確かめます。
時刻は22時近く、普通のお客とは思えません。
こんな時間に来るなんて、誰でしょうか。
サンダルを履き、縁側から少し離れ、玄関の方を覗き込みます。
……そこに居たのは、私が一番、会いたく無かった人でした。
折木さんはこちらに気付いていない様で、私も敢えて気付かれる様な事はしません。
今は、話したくないからです。
……家に、戻りましょう。
折木さんが来たのには少し驚きましたが……こうして遠くから見ているだけでも、胸がチクチクと何かに突かれるような感じがします。
縁側に戻り、家の中に入ります。
折角来ていただいたのに、申し訳ありませんが……
縁側から部屋へと入り、障子に手を掛けます。
……? 何か、遠くから聞こえてきました。
外、でしょうか。
私は、半分ほど閉めた障子を再び開きます。
奉太郎「千……田……おい!」
それからは体が勝手に、縁側から外へと動いていました。
奉太郎「千反田! 居るんだろ!」
……こんな、夜遅くに、非常識です!
迷惑です、近所迷惑です!
もう少し、マナーという物を弁えた方が良いと私は思います!
でも、でもでもでも。
える「……夜遅くに、人の家の前で叫ばないでください」
私の気持ちが、こんなに高ぶっているのは何故でしょうか。
奉太郎「……インターホンという物がお前の家では機能していなかったみたいだからな」
そんな事、ある訳無いじゃないですか、折木さん。
える「……何か、私に用でしょうか」
奉太郎「明日、最終日だぞ」
奉太郎「お前が何故来なくなったのかは……俺には分からないが」
胸からズキリと、音が聞こえた気がします。
奉太郎「俺はお前程……繊細じゃないしな」
奉太郎「でも、やっぱりお前が居ないと……その」
奉太郎「退屈なんだよ、面倒な事が無くて」
える「……そうですか」
える「でも、それで折木さんは良かったのでは無いですか」
える「私が居なければ、折木さんは自分のモットーを貫けるのでは無いですか」
える「ふふ、違いますか?」
そうです、そうでなければ……何故あなたは入須さんと、あそこまで仲良くしているのですか。
える「……はい」
奉太郎「……そんな事、ある訳ないだろ」
える「……そうでしょうか?」
奉太郎「俺が、信じられないのか」
える「……」
折木さんのその言葉に、私は返事が出来ませんでした。
奉太郎「……分かった、俺はもう帰る」
奉太郎「だが」
奉太郎「明日は、来いよ」
奉太郎「来なかったら俺は、お前を許せなくなる」
奉太郎「今年は予定に変更があって午前で文化祭は終わり、午後からは通常授業だ」
奉太郎「だから、朝から必ず来い」
奉太郎「いいさ、それはお前が決める事だ」
奉太郎「だが、さっきも言ったが」
奉太郎「俺はお前を許さない、古典部の部長を」
奉太郎「……そんな事には、なりたくないんだ」
……折木さんのせいで、行けないのに。
でも、折木さんに許されなくなってしまうのは、少し……
奉太郎「時間取らせて悪かったな、じゃあまた明日」
える「……わざわざすいませんでした、また明日」
折木さんはそう言うと、ご自宅へと帰っていきました。
でも、折木さんと少しお話をしたら……今まで必死に落ち着かせようとしていた気持ちが、不思議と落ち着いていました。
……私には、やっぱり。
ですが、また前みたいな光景を見てしまったら?
また、私は苦しくなってしまうのかもしれません。
一度落ち着いた気持ちを、また崩されると言うのは……とても、辛いです。
それはもう、あの喫茶店で経験していた事でした。
でも!
また私の気持ちを崩されても、一度経験した事です……人間いつかは慣れるのではないでしょうか?
それが無理でも、あと……
あと、1回だけ。
これが最後です、これが駄目だったら……私は、もう。
……明日は、学校に行きましょう。
だって、つい私は言ってしまったのですから。
折木さんに、また明日と。
私は、翌日文化祭へと行きました。
久しぶりの部室はどこか懐かしい感じがして……つい、顔が綻んでしまいました。
迎えてくれたのは、福部さんに摩耶花さん……そして、折木さん。
三人とも、いつも通りに接してくれて、まるでこの一週間の事は無かったかの様でした。
文集の売れ行きも、去年の成果があったからでしょう。 今年も好調でした。
福部さんは委員会のお仕事で忙しそうに走り回り、摩耶花さんは折木さんと店番をしていました。
午前だけとの事は本当だった様で、ほんの二時間ほどの私の文化祭はすぐに終わってしまいます。
そして……
私は扉の前に立ち、深呼吸をします。
大丈夫、大丈夫です。
ゆっくりと扉を開きました。
丁度教室から出ようとしていたのか、目的の人物は目の前に居ました。
える「……こんにちは、入須さん」
入須「千反田か、どうした急に」
える「お話があります。 お時間は大丈夫でしょうか」
入須「構わんが、ここでは出来ないのか?」
える「……ええ、付いて来てください」
私はそう告げ、古典部の部室へと向かいました。
文化祭が終わり、午後の授業に移り変わる前の休憩時間……あそこなら、既に誰も居ません。
私は古典部の教室前の廊下で立ち止まり、後ろから付いて来ていた入須さんの方へと振り返りました。
入須「ここまで来なければいけなかったのか、話とは何だ?」
入須さんは私が振り向くと、目的の場所に着いたと理解したのか、話の内容を聞いてきます。
える「……折木さんの事です」
私の話の主旨を聞き、入須さんは口に指を当てると……口を開きました。
入須「彼の事か、悪いな……特にこれと言って話せる事は無い」
える「……そんな訳、無いじゃないですか」
入須「……ふむ、と言うと?」
える「私は、見ていたんです」
える「入須さんと、折木さんが一緒に遊んでいるのを」
入須「……それで?」
える「……何故、何故ですか」
える「何故、折木さんなんですか」
入須「……それは返答に困る」
そんな訳、無いじゃないですか。 だって……あんな楽しそうに、笑っていたじゃないですか。
える「そう、ですか」
える「では、質問を変えます」
える「……急に折木さんと仲良くした理由はなんですか」
入須「君は、面白いことを言うね」
入須「私が一人の人と仲良くするのに、理由がいるのか?」
える「あまり、仲が良い様には今まで見えなかったからです」
入須「……なるほどな」
入須「確かに、その通りだ」
える「なら、理由はなんですか」
入須「それに答える義務が、私にあると思うか?」
ある程度、予想は元からできていました。
私なんかではとても、入須さんと口論になったとして勝てる見込みなんて無い事を。
ですが、これだけは……この事だけは。
える「……私は」
える「……私は!」
える「折木さんの事が、好きなんです!」
私がそう言ったとき、入須さんは何故か笑った様に見えました。
私にはそれが嘲笑っているかの様に見えて……
える「もう、折木さんと一緒に居るのを……やめてください」
辛くて、ここに居るのが、辛くて。
える「……お願いです」
自分でも、とても変なお願いをしているのは分かっていました。
入須さんが、折木さんの事をもし好きだったら、私は入須さんの気持ちを踏み躙っている事となります。
それでも、私は。
入須「君は、折木君と恋仲なのか?」
その質問に、私は……答えられません。
える「……」
入須「違うようだな」
入須「だから私はこう返す」
入須「君に、それを言う権利があるのかな?」
入須さんは私にそう告げると、私の返事を待っている様でした。
私にその質問はあまりにも重く、この場に……足で立っているのも、無理なくらいに。
最後の悪あがきに、入須さんの事を睨み、私は走って自分の教室へと向かいました。
あまり、人が居るところには行きたくない気分でした。
人気が無い階段で、壁に寄りかかります。
える「……私では、無理でした」
入須さんは、私から話があると聞いた時点で……どんな内容か分かっていたのかもしれません。
とうとう入須さんは最後まで涼しげな表情を崩さず、私の前に立っていました。
対する私は……今にも泣き出しそうな顔をしていたのかもしれません。
なんて、惨めなんでしょうか。
それでも入須さんには言いたい事を伝えました。
そして、入須さんの言葉は……折木さんとの関係を認める物でした。
もしかしたら、折木さんは入須さんと付き合っているのかもしれません。
それを私に伝えなかったのは、入須さんの最後の情けでしょうか。
ああ……やっぱり、私は惨めです。
だって、もう泣かないと決めたのに。
何回も、何回も何回も!
泣くつもりなんて、無かったんですよ。
本当です。
……少しの希望なんて持って、学校に来るべきでは無かったです。
そんな事を思い、涙を拭いながら階段の途中にあった窓から外を眺めました。
丁度、窓の外には一輪の花が咲いており、確か名前は……ガーベラ。
その花言葉は、辛抱強さ。
……なんて、皮肉なんでしょう。
私がどれだけ、辛抱して居たと思っているのでしょうか。 この花は。
あの花は私を貶める為に、咲いていたのかもしれませんね。
ついに私は、花にすら……嫉妬していたのでしょうか。
もう、どうでもいいです。
そんな自分が……なんだかちょっと、おかしくて。
える「ふふ」
える「……ふふ」
える「……う、うう…」
える「……うっ…ううう……!」
可笑しくて、涙が、出てきてしまいました。
一回止まったのに、可笑しなものです。
……色々と、吹っ切れました。
とりあえずは午後の授業に出ましょう。
後の事は、それから考えれば良い事です。
……そうです、そうしましょう。
それが、今私の選べる最善の選択だと……思います。
第24話
おわり
俺は、古典部の部室で一つの事を考えていた。
ここへ来た理由はなんとも情けなく、三年の先輩による使いっぱしりである。
なんでも……シャーペンを忘れたらしい。
断ろうかと思ったが、古典部の部員である俺はその先輩よりは確かに部室には入りやすい。
その先輩とは面識が無かったとは言え……仮にも先輩だ。 断るのも若干気が引けてしまったのだ。
そうして部室に来たのはいいが、半ば強制的に俺は思考する事となってしまった。
……まあ、いいが。
そして、その俺が考えている事に結論を出すには……少し、俺の記憶を巻き戻さなければならない。
あれは……確か、千反田と部室で話した後の事だった。
話の内容は、なんだっけか。 伊原と里志が揉めていたとか、そんな感じだった気がする。
だが今大事なのはそれではない、その後、俺が家に帰った後に起こった事だ。
奉太郎「……そりゃ、そういう顔にもなりますよ」
奉太郎「先輩が何故ここに来たのか、俺には検討も付きませんからね」
入須「ふふ、それも無理はないだろう」
入須「今日はね、一つ君に協力をしてあげようと思って来たんだよ」
怪しいな、これは……露骨に怪しい。
奉太郎「協力? また俺に探偵役でもやらせるつもりですか?」
入須「……君は随分と根に持つタイプの様だな」
そりゃ、どうも。
入須「少し、噂話を聞いてな」
入須「君の相談に乗ろうと、わざわざ足を運んだんだよ」
奉太郎「相談、ですか」
入須「ああ」
苦手な先輩が来て、非常に迷惑しています。 とでも相談してみようか。
……いや、やめておこう。
入須「そうか、なら私の勘違いだったかな」
入須「……千反田」
入須「千反田えるの事なのだが」
……こいつは、どこまで知っているんだ?
一つ、鎌でもかけてみるか。
奉太郎「ああ、あいつの事ですか」
奉太郎「確かに、それなら相談する事がありますね」
入須「……ほう、言ってみてくれ」
奉太郎「……あいつの好奇心を、どうにかする方法を教えてください」
入須「……く、あっはっは」
こうまで笑われると、俺の発言が馬鹿みたいで少し居づらいではないか。
入須「そんな事では無いだろう、君の相談は」
奉太郎「……言って貰ってもいいですか、俺はこれでも自分の事には疎いもので」
入須「……まあ、いいか」
入須「君は、千反田の事が好きなんだろう?」
……誰から、聞いたんだ。 一体こいつはどこまで知っているんだ。
入須「誰から聞いた、と言いたそうな顔だな」
入須「だが私は口を割る気は無い」
入須「まあ、少しだけヒントをやるか……君の家に押し掛けた様な物だしな」
入須「私にそれを教えてくれたのは、総務委員会の奴だ」
入須「ま、最初そいつに問いただしたのは私だがね。 傍目から見て、もしかしたらと思ったら案の定って訳だ」
入須「そいつはいつも、巾着袋を持っていたな」
……口が軽いにも、程があるのではないか。
よりにもよって俺が苦手な入須に、その事を言うとは。
今度、喫茶店でコーヒーを俺が飽きるまで奢ってもらおう。
奉太郎「あなたがどこから情報を得たかは分かりました」
奉太郎「それで、何を協力するって言うんですか」
入須「ほお、たったあれだけの情報で分かったのか」
奉太郎「……茶化すのはやめてもらえますか」
やはりこいつは、苦手だな。
入須「そうだな、本題に入るとするか」
入須「私は、女だ」
俺がそう言うと、入須は少し困ったような顔をした。
入須「千反田と同じ女だ」
奉太郎「だから、見れば分かりますよ」
入須「……君には回りくどく言っても、無駄か」
入須「女の私が、君と一緒に出かけてやろう」
……頭をどこかに、ぶつけてきたのだろうか。
奉太郎「言っている意味がよく分かりませんが……俺とデートでもするつもりですか」
入須「……デートか、それとは少し違うな」
奉太郎「もっと、分かりやすく話してください」
入須「そうだな……女という物は、サプライズに弱いんだよ」
奉太郎「そうですか、それで?」
入須「君が千反田に何かサプライズをすれば、彼女は大いに喜ぶとは思わないか」
ああ……そういう事か。
奉太郎「話の内容が見えてきました」
奉太郎「つまり、あなたはこう言いたいんですね」
奉太郎「千反田に何かプレゼントをあげ、千反田を喜ばせろ」
奉太郎「そして、そのプレゼントを女である私が選ぶのを手伝ってやる」
奉太郎「そういう事でしょうか?」
入須「……ある程度の情報が出れば、飲み込みが良くて助かるよ」
入須「そう、つまりはそういう事だ」
だが、何故急に……?
奉太郎「それをしようと思った理由は、何ですか」
奉太郎「俺にはどこかの総務委員見たいな趣味は持ち合わせていません」
入須「ふふ、そうか」
入須「……君と、千反田には恩があるんだよ」
奉太郎「恩、ですか?」
入須「……ああ、去年の映画の事は、覚えているだろう?」
奉太郎「ええ、勿論」
入須「……私には、ああするしかなかったんだ」
入須「と言っても、信じてくれるとは思っていない」
入須「その事への、せめてもの恩返しだと思ってくれればいい」
何か少し引っかかるな……
いや、俺は入須という人物を……少し大きく見すぎていたのだろうか?
そして俺は、女帝の……入須の笑顔を見てしまった。
それはいつもの入須からはとても想像ができない表情で、そんな入須をきっぱりと拒否するのも、なんだかあれだ。
最終的に千反田が喜ぶなら、まあ……いいか。
奉太郎「……分かりました」
奉太郎「入須先輩の恩返し、受け取る事にします」
入須「そうか、なら早速……明日、一度喫茶店で打ち合わせをしよう」
奉太郎「……はい」
入須「長居してすまなかったな、私はこれで帰るよ」
奉太郎「玄関くらいまでなら、送っていきますよ」
そうだ、あの日俺は……入須に協力して貰う事にしたんだった。
そして次の日には喫茶店で打ち合わせをして……土曜日に駅前で何が良いか話しながら店を巡っていた。
……千反田達には、バイトを始めたと嘘を言ったんだっけか。
あの入須と二人で出かけるなんて……絶対に言える訳が無い。
ましてや里志の奴、簡単に口を割りやがって。
勿論、千反田本人には当然言えなかった。
あいつの事だ、変に気になりますを出されたらアウトだからな。
次に思い出すべき事は……なんだ。
時間が無いな、急がねば。
ああ、あれだ。 その土曜日だ。
あの日は確か……喫茶店の前で、待ち合わせをしていた。
遅いな、遅いと言ってもまだ時間まで少しあるが。
それにしても……指定してきた場所が一二三とは、嫌な奴だ。
……いつまで待たせるつもりだ、そろそろ帰ろうか。
そんな事を考えながら、空を見上げた時だった。
入須「やあ、ちゃんと来たんだな」
突然、後ろから声が掛かる。
奉太郎「そりゃ、先輩にお呼ばれしたのに断る事なんて出来ませんよ」
入須「どうだかな、さて行くか」
俺はそのまま入須に付いて行き、駅前へと向かった。
道中は特にこれと言って会話は無かった、話す内容もある訳ではないのでそっちの方が俺には心地がいい。
意外と駅前から近かった様で、すぐに目的地へと到着する。
奉太郎「今日は、プレゼント選びでしたね」
入須「そうだ、まずはあそこへ行こうか」
そう言い、入須が指を指したのは服屋だった。
俺は特に意見も無かったので、黙ってそれに付いて行く。
入須「早速だが、君はどれが良いと思う?」
奉太郎「……と言われましても」
入須「ふふ、そうだな」
入須「これなんか、どうだろうか」
入須が手に取ったのはボーイッシュな服だった、ジーパンとシャツとパーカージャケット。
悪くは無いが……千反田のイメージでは無いだろう。
入須「……そうか? 私は良いと思うんだが」
奉太郎「あの、自分の服を選んでいる訳じゃないですよね」
入須「ああ、そうか。 今日は千反田の服だったな」
……大丈夫か、こいつに任せて。
入須「それならやはり、こっちだろうな」
次に入須が手に取ったのはワンピース。
ううむ、やはり千反田にはこっちの方が似合いそうである。
奉太郎「……やはり、そっちですよね」
入須「イメージ的にな、良く似合うと思う」
だが、待てよ。
奉太郎「今更なんですが、ちょっといいですか」
入須「ん? どうした」
奉太郎「……俺、あいつの服のサイズとか知りませんよ」
入須「君は、時々どこか抜けている所がある様だな」
入須「……場所を変えよう、頼むからしっかりしてくれ」
へいへい、すいませんでした。
心の中でしっかりと入須に謝り、俺は再びその後を付いて行く。
入須「次は、アクセサリーでも見てみるか」
そう言うや入須は既に、店の中へと入っている。
少し小走りになりながら、俺はそれに付いて行った。
入須「ふむ、色々とある様だな」
奉太郎「そうですね、どういうのがいいんですかね」
入須「基本的にはどれも嬉しい物だが……あまり重過ぎる物は駄目だな」
奉太郎「気持ち的にって事ですか」
入須「ああ、そうだ」
入須「例えば……この指輪とか」
確かにそれをプレゼントしたら、重いな。
入須「そんな物をプレゼントして、相手が喜ぶと君は思っているのか」
奉太郎「……いえ」
入須「なら口に出すな」
伊原よ、招き猫はプレゼントには向いてないらしいぞ。
入須「まあ、ここにある物ならどれでも嬉しいかな……私としてはだが」
入須「しかし、何より大切なのは気持ちだよ。 折木君」
奉太郎「……あなたからそんな言葉が聞けるとは思いませんでした」
入須「君は随分と私の事を勘違いしてないだろうか」
奉太郎「無いと思いますが」
入須「ここは候補としては、中々良さそうだな」
奉太郎「ええ、そうですね」
入須「さて、次はどこに行こうかな」
入須「適当に、周ってみる事にしよう」
その後、俺は結局夕方まで一緒に店巡りをした。
なんだかんだでプレゼントはその日、決まらなかった。
そう、土曜日は千反田のプレゼントを探しに行ってたんだ。
入須の意見は中々俺の参考になった。 なんと言っても俺は人の気持ちを考えない事が多々ある気がするから。
そんな俺にとって、入須の手助けは結構有難かった気がする。
……さて、まだ思い出さなければならない事はある。
あまり、思い出したく無いが……あれは。
水曜日、くらいだっただろうか。
記憶としてはこちらの方が新しいし、思い出すのに苦労はしないかもしれない。
あの日は確か……千反田が部活に来なくなって、三日目の事だったか。
……そう、あの日も千反田は部活に来なかったんだ。
にしても、なんだか今週に入ってからあいつらの様子がおかしい。
あいつらというのは勿論、古典部の部員達。
里志に関してはいつも通りに見えたが……どこか余所余所しい感じがしていた。
伊原は一向に俺と口を聞こうとしない。 全く、意味が分からない。
そして千反田……あいつが一番異常だ。
ほとんど毎日部活に出ていたのに、今週は一回たりとも来ていない。
何があったのかは分からないが、廊下等で時々……後姿は見ていた。
学校まで休んでいないと言う事は、何か忙しいのだろう。
それに口を出して問いただすことは、俺にはできない。
……家の事となってしまっては、俺にはどうしようもないからだ。
結局俺は一人で、古典部の部室で本を読むことになる。
先週は随分と入須に呼び出され、中々部活に来れなかったが……来てみればこれだ。
奉太郎「それにしても、誰も来ないとはな……」
思わず独り言が漏れてしまう。
今はまだ16時、今日は入須と予定が入っていた。
土曜日振りだったが、なんだか段々と面倒になってきてしまった。
もう俺一人でも決められる様な気がするが……折角手伝ってくれた人に対して、もういいですとは中々言えない物だ。
……最初から、自分でやればよかったか。
それにしても、する事が本当に無い。
千反田が来さえすれば、またあいつの話に付き合って時間を潰せたと言うのに。
……少し早いが、行くか。 ああ、面倒だな。
入須に場所はどこにするか聞かれ、俺が指定したのはここだった。
ここの喫茶店には少し、思い入れがある。
……あいつとは色々あったが……今考える事でもないか。
それより今は、入須との話し合いをどうするか、だ。
俺は手短なテーブル席に着き、入須を待つ。
約束の時間まではまだ時間があったが、俺が席に着いて少し経った頃、入須がやってきた。
奉太郎「どうも」
入須「待たせてしまったかな」
奉太郎「いえ、俺も丁度来たところです」
入須「そうか、なら良かった」
入須「にしても、いい店だな」
入須「次の日曜日は、ここで会おう」
。
奉太郎「それで、今日はなんのお話ですか」
入須「特にこれと言って、内容は考えていない」
奉太郎「……帰ってもいいでしょうか」
入須「まあそう言うな、たまには少し他愛の無い会話をしたい物だ」
奉太郎「友達とでは駄目なんですか」
入須「私の心の内を話すのには、友達では少し嫌なんでな」
奉太郎「そう、ですか」
俺はそう言い、頼んでおいたブレンドに口を付ける。
結構久しぶりに飲んだが、やはりうまい。
入須「……私はね」
入須「あまり、人の心を覗くのが好きではない」
奉太郎「試写会の時だって、俺の事を良い様に使ったじゃないですか」
入須「前にも言っただろう、あれは仕方なかったんだ」
入須「私は自分の意思で動いたのかもしれないが」
入須「同時に周りの意思でもあったのだよ」
入須「好き好んで人の心を……見たくはないさ」
その時の入須の表情は初めて見る物で、とても嘘を付いている様には見えなかった。
奉太郎「……すいません、俺は少し」
奉太郎「入須先輩の事を、勘違いしていたのかもしれません」
奉太郎「……そうですか」
そして入須も、店に入ったときに頼んだのだろうブレンドに口を付けていた。
入須「これは、美味しいな」
奉太郎「ええ、ここのブレンドは美味しいですよ」
入須「中々に気に入ったよ」
俺からは特に話す事も無く、少しの間の沈黙。
そんな沈黙が居づらく、俺は適当に言葉を繋ぐ。
奉太郎「俺が今思っている事は、分かりますか」
入須「……そうだな、恐らく」
入須「なんでこんな面倒な事をしなければいけないのか」
入須「と言った所か?」
入須「……あくまで推論さ」
入須「君の今までの言動や行動から、導き出しただけの事」
入須「さっきの私の言葉は、本心だ」
奉太郎「……では、俺の本心が分かった所でどうします?」
入須「ふむ、そうだな」
入須「あまり長居する必要も無い、帰ろうか」
奉太郎「……それは、非常にいい案だと思いますよ。 先輩」
入須「つれない奴だ、全く」
あの時、話した喫茶店はあそこだったか。
この今考えている事が終わったら、あの喫茶店に行こう。
だがまずは、このやらなければいけないことを片付けなければ。
俺は今、この大量の記憶をひっくり返して見直す事を面倒だとは思っていなかった。
理由は……なんだろうか。
いや、それよりもまだ思い出さなければいけない事はある。
時間があまり無くなって来た様だ、次に思い出すべき事……それは。
文化祭の二日目、か。
これを思い出さない限り、俺は結論へと辿り着けないだろう。
よし、やるか。
昨日は結局、千反田は来なかった。
予想が出来ていなかったと言えば嘘になるが……
もう既に時刻は昼、今日もあいつは来ないだろう。
本当に、家の用事なのだろうか?
あいつはとても文化祭を楽しみにしていたし、文集にも一番力を入れていた。
そんなあいつが参加を諦めるほどの事、そんな事があったのだろうか?
一度、会う必要があるかもしれない。
まあそれは後回しにするとして、今はこの状況が気まずくて仕方が無い。
部室で一人店番、と言う訳に今年はいかず……横には伊原が居た。
奉太郎「……何か俺がしたか」
摩耶花「……」
奉太郎「……はあ」
入須よりこいつの方がよっぽど面倒かもしれないな……
奉太郎「ま、いいさ」
奉太郎「どうせ話してもろくな事にはならないからな」
つい、毒づいてしまった。
それにようやく伊原が反応を示したのは……少し良い事だったかもしれない。
摩耶花「……折木は」
摩耶花「折木は、何を考えているの」
俺が、何を考えているか?
奉太郎「質問の意図が分からないんだが」
摩耶花「……そう、ならいいわ」
摩耶花「もうあんたと話す事は無い」
なんなんだこいつは、意味が分からない。
だが話す事は無いと言われてしまった以上、俺も話しかける気にはならなかった。
今日も最後まで、千反田は来なかった。
俺は今ベッドに横たわっているが……もう少しすれば、動かなければならないだろう。
千反田の家に行き、状況を知らなければ。
……一度リビングに行き、水を飲もう。
俺はそう思い、リビングに行くと姉貴と鉢合わせになった。
供恵「あら、あんたまだ制服のままだったの?」
奉太郎「ちょっと出かけるからな」
供恵「そ」
供恵「それより、最近元気がないねー」
奉太郎「別に、普通だ」
供恵「そうかしら?」
奉太郎「……何が言いたい」
奉太郎「全く、どっから聞いたんだ……そんな話」
供恵「私にはお友達がいっぱい居るのよ、沢山」
また里志か、そういえばあいつには入須に口を割ったことを問い詰めていなかったな。
まあ、文化祭が終わってからでいいか。 何かと忙しそうだしな。
奉太郎「付き合ってる暇は無い、ちょっと出かけてくる」
供恵「はいはい、気をつけてねー」
そして俺は、千反田の家へと向かった。
結果的に、あいつが出てきたから良かったが……
しかし、どうにも様子がいつもと違っていた。
何か、あったのかもしれないが……
家から出てきたと言う事は、出れなかった訳では無い。
つまり、あいつは自分の意思で出てこなかったのだろう。
そんな事実にまた、イラついてしまい……千反田にきつい言葉を浴びせてしまった。
帰り道は酷く後悔していたのを覚えている。
繋がった、な。
そして今も刻まれているこの記憶、これを合わせれば答えは出る。
しかし……俺は随分と馬鹿をしてしまったみたいだ。
ああ、くそ。
悩んでいても仕方が無い。 決着をつけなければ。
外の会話も、どうやら終わったらしい。
一人の廊下を走る足音が、俺の耳へと入ってくる。
それを聞いた俺は扉に手を掛けた。
その扉を開けようとした所で、向こう側から扉が開かれる。
入須「……盗み聞きとは、関心しないな」
奉太郎「……それはどうも」
奉太郎「入須先輩、少し時間を貰います」
奉太郎「終わりにしましょう、話があります」
入須「ああ、予想は出来ていた」
入須「場所を、変えようか」
第25話
おわり
うわぁぁ
わたし気になります!!!
Entry ⇒ 2012.10.22 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
奉太郎「古典部の日常」 4
折木さんの推理は間違っていますよ、と。
しかし。
える「さすがです、折木さん」
千反田が発した言葉は、自分のした事……千反田がした事を認める物だった。
奉太郎「……どうして、こんな事をしたんだ」
える「動機、ですか」
える「それを言う前に、ちょっと気になる事があるんです」
える「どうして折木さんは、私が犯人だと思ったんですか?」
奉太郎「どうでもいいだろ……そんな事」
これ以上、言いたく無かった。
理由は確かにある。
だがそれを言えば千反田が犯人だと言うような物で……言えなかった。
える「私、気になるんです」
いつもより弱々しく、千反田はそう言った。
える「正直に言います、ここまで早く見抜かれるとは思っていませんでした」
える「理由を、教えてください」
言うしか、ないのだろうか。
奉太郎「……分かった、だが」
奉太郎「説明が終わったら動機を話してもらうぞ」
える「ええ、分かりました」
……仕方ない、やるか。
える「時間? 10分のですか?」
奉太郎「ああ、まずはそこが間違いだった」
奉太郎「古典部の部室から男子トイレまで行くのに掛かる時間は、古典部の部員ならまず知っている」
奉太郎「ゆっくり行けば15分……【急いでいけば10分】ってな」
える「ええ、そうですね」
奉太郎「犯人側の視点に立ってみろ、わざわざ時間を多く見積もって犯行をする奴がいるか?」
奉太郎「そんな事をするのは余程呑気な奴くらいだろう」
奉太郎「つまり、犯人が実際に犯行を行えた時間は【5分】だ」
える「……5分、ですか」
奉太郎「とても短すぎる、見つかるリスクも高すぎるんだ」
奉太郎「そんな中、犯行を行う奴は居ない」
奉太郎「時間が5分、余分にあったお前以外にはな」
える「でも私は福部さんの証言によってアリバイがあるんです」
える「それはどうお考えで?」
奉太郎「里志の事か、あれはお前にとって予想外だったんじゃないか?」
奉太郎「10分の時間があったお前にも、里志が来るという予期せぬ事態によって犯行時間は5分となってしまった」
奉太郎「そして、里志は見てしまったんだよ。 お前が部室を荒らす姿を」
える「……」
奉太郎「これはお前にとって不運な出来事だった、しかし同時にアリバイを作る事ができるチャンスでもあった」
奉太郎「里志を共犯にする事によって、な」
える「……福部さんはそれを認めないと思いますよ、証拠がありません」
奉太郎「あいつはこう言った」
【それでホータローがトイレに行っている間に千反田さんを連れて行ったって訳だね】
奉太郎「ってな、俺が特別棟の1Fに行ってお前らに状況を知らせた時だ」
奉太郎「何故、里志は俺がトイレに行っていた事を知っていたんだ?」
奉太郎「ただ部室から千反田を連れて行っただけなのに、お前はわざわざそんな会話をしたのか?」
える「……」
奉太郎「恐らく、こんな会話があったんだろう」
える「ふく……べさん……?」
里志「ち、千反田さん? 何をしているんだい!? ……何か、あったの?」
える「……すいません、理由は言えないんです」
える「本当に申し訳ありません、少し……協力して頂けませんか」
える「折木さんは今お手洗いに行っています、今ならまだ、大丈夫です」
~~~
奉太郎「大雑把にだが、この様な会話があったと俺は推測している」
奉太郎「……何故、里志が協力したのかは分からないがな」
える「……分かりました、それは認めます」
当らない方が、よかった。
える「でも、ですよ」
える「それだけで私が犯人、というのは少し難しいと思うんです」
える「今のは全て折木さんの推測、あくまでも確実な証拠とは言えません」
える「他に、理由はあったんですか?」
これ以上、お前が犯人だなんて真似……くそ。
奉太郎「……分かった、話を続ける」
奉太郎「次に不審な点は、部室を片付け終わった後だ」
奉太郎「具体的には、お前から貰ったペンダントを俺が見つけた時だな」
える「あの時、ですか」
奉太郎「千反田は記憶力が良かったな、会話を思い出してみろ」
える「……」
千反田は首を傾げ、回想をしている様子に見えた。
える「特に変な所は無いと思いますが……」
奉太郎「あるんだよ、少し待ってろ」
そう言うと、俺は覚えている限りの会話をメモに取り、机の上に置いた。
奉太郎「……くそ」
里志「……ホータロー」
える「人の物をここまでするなんて……酷すぎます」
える「折木さん、見つけましょう」
える「ペンダントを割った犯人を……部室をこんな事にした犯人を!」
~~~
奉太郎「ああ、そうかもしれない」
える「……真面目にやってます?」
奉太郎「ふざけてこんな真似……俺はしない」
える「……そうですか、ではどの様な不審な点が?」
奉太郎「確かに会話だけでは不審ではない」
える「会話だけでは? どういう意味でしょうか」
奉太郎「状況によって、変わるんだよ」
える「状況……ですか」
奉太郎「つまり、俺とお前の位置関係だ」
奉太郎「あの時俺は【千反田の正面に座っていた】そして【ペンダントは胸の辺りで開いた】んだ」
奉太郎「千反田の視点からでは、見える訳が無いんだよ」
奉太郎「ペンダントがどういう状態になっていた、なんてな」
える「……!」
奉太郎「それが分かるのは、お前がペンダントを割ったからだ」
奉太郎「……間違いないな?」
える「ですが、ですがですね」
える「……ペンダントに被害を受けたんですよね?」
える「それがどのような状態かは、ある程度予想はできる筈です」
える「その証拠も、決定的とは言えませんよ」
奉太郎「……もう、やめにしないか」
なんで……
俺は友達を。
好きな奴を犯人にしなければいけないのか。
……
える「まだ、ダメです」
える「納得させてください、折木さん」
える「気になるんです、私」
奉太郎「……」
奉太郎「推理に、感情は入れてはいけない」
奉太郎「けど、俺にはどうしても引っ掛かる事があったんだ」
奉太郎「……無事だった氷菓と、伊原の絵だ」
える「……氷菓と、絵」
奉太郎「氷菓は窓際に飾ってある、とても大切な物のようにな」
奉太郎「ただ荒らすのが目的の犯人だったとしたら、氷菓が無事というのはあり得ない事なんだ」
奉太郎「仮に俺が【自分とは全く無関係の場所】で部屋を荒らすとしよう」
奉太郎「そこにはとても大切そうに飾ってある文集が置いてあった」
奉太郎「……当然、その文集は破り捨てるなり……する筈だ」
奉太郎「犯人には手を出せない理由があった、それは自分にとっても大切な物だったからなんだ」
奉太郎「伊原の絵も同様、大切な物だったんだよ」
奉太郎「……お前にとってな、千反田」
奉太郎「俺は、それに気付いたとき少しだけ安心した」
奉太郎「千反田はやっぱり、千反田なんだなってな」
奉太郎「お前自信の優しさは、隠せなかった」
える「……お見事です、折木さん」
える「もう一度、認めます」
える「今回の部室荒らし、犯人は私です」
える「大正解……ですね」
なんで、こんな事になってしまったんだ。
どうして千反田を責めなければ、いけないんだ。
奉太郎「答えてくれるんだろうな、部室を荒らした理由」
える「ええ、約束ですからね」
える「……お話します、理由は一つです」
える「私は、折木さんに嫌われたかったんです」
奉太郎「……俺に、嫌われたかった?」
える「ええ、折木さんならきっと……私が犯人だと気付いてくれると思っていました」
える「福部さんを巻き込んでしまったのは申し訳ありません、福部さんは責めないでください」
つまり、ここまで千反田の予想通り……という訳なのか。
奉太郎「……俺に嫌われたかった理由は、なんだ」
える「……それは、お答えできません」
える「でもいつか、話せる時が来るかもしれないです」
お前の言葉を聞いて、俺は確信した。
お前は俺に嫌われたくなんて、無かったんだなって。
だって、そうじゃなければ【いつか話せる時が】なんて言う訳ないじゃないか。
俺に嫌われてしまえば、その機会さえ無くなるのだから。
奉太郎「……そうか、一つ聞きたい事がある」
える「はい? なんでしょうか」
奉太郎「お前は本当に、心の底から俺に嫌われたいと思っていたのか?」
える「っ!……」
明らかに、千反田がうろたえた。
それは既に、俺の質問に対する答えであったのだろう。
奉太郎「……俺がお前の事を嫌うなんて事は、絶対に無い」
奉太郎「例えその嫌われたくなった理由を教えてもらってもな」
える「それは、残念です」
える「……私の作戦は最初から失敗だったって事ですね」
千反田は笑いながら、俺に言ってきた。
える「……折木さん」
える「まだ、ありますね……何か」
……こいつは、どこまで鋭いんだ?
奉太郎「お前は、やっぱり千反田なんだな」
こいつの観察力は、俺もよく知っている。
それが……千反田えるという奴だ。
奉太郎「……もう一つだけ、理由がある」
える「教えてください、全部」
奉太郎「これが本当に最後だ、お前が俺に嫌われたいと思っていなかった理由、だな」
奉太郎「俺の割られたペンダント、濡れていたんだよ」
える「……濡れていた?」
える「違うんですか?」
奉太郎「違う、一度拭いたらもう濡れたりはしなかった」
奉太郎「俺は、人の変化に気付きづらい」
奉太郎「だから特別棟の1Fでお前に会ったときも、気付かなかった」
奉太郎「こうして正面から話し合って、ようやく気付いたよ」
奉太郎「……お前の眼が、赤くなってることにな」
奉太郎「ペンダントが濡れた原因は、千反田が泣いていたからだ」
える「……やっぱり、私には完全犯罪は無理みたいです」
える「折木さんに探られては、どうしてもばれてしまいます」
える「……すごいですよ、本当に」
える「なんでも分かっちゃうんですね、折木さんには」
奉太郎「今回は、今回ばかりは」
奉太郎「知りたくなかった、けどな」
える「そうです……か。 本当に、私の心の中まで推理されるとは思っていませんでしたよ」
奉太郎「……一年も一緒に居たんだ、そのくらい分かって当然だ」
下唇を噛み、何かを堪えていた。
える「わたし……やっぱり、だめですね」
える「決めたのに、自分で決めたのに」
える「やっぱり……おれきさんには……」
える「さっきまで、おれきさんと……話す前まで、決めていたのに……」
える「おれきさんと、話していたら、……揺らいでしまいます」
える「……わたし、きらわれたく、ない……です」
3度目、くらいだろうか。
千反田の泣き顔を見たのは。
俺は、千反田に近づき、肩を掴み。
奉太郎「前にも言っただろ、俺はお前の味方だ……嫌いになんて、ならない」
千反田を、抱きしめた。
える「おれきさんに……ううっ……嫌われたほうが……よかったかもしれません……っ」
える「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
奉太郎「すまんな、お前の気持ちに気付けなくて」
奉太郎「今回の事は伊原には黙っておく、それがあいつの為にもいいだろ」
奉太郎「もし、さっき言ってた理由を俺に話せるときが来たら、絶対に話してくれ」
奉太郎「俺は、千反田の味方だから」
小さく、千反田が頷いた。
……里志の方にも、聞きたい事がある。
奉太郎(まあ、とりあえずは後回しだ)
どうなるかと思ったが……千反田の優しさが行動に出ていた事もあり、俺はそこまで危惧していなかったのかもしれない。
、、、それから1時間程、千反田を抱きしめていたのだが……
える「あの、折木さん……ちょっと恥ずかしいです」
奉太郎「う……あ、す、すまん」
急いで千反田から俺は離れた。
える「ふふ……冗談です、ありがとうございます」
奉太郎「あ、ああ」
千反田は元気が戻った様だ。
奉太郎「……そうだな、家まで送って行く」
える「い、いえ。 大丈夫ですよ」
奉太郎「いや、送って行くよ……心配だからな」
える「……では、お願いします」
本音を言うと、もう少し……千反田と一緒に居たかった。
勿論口には出せないが。
える「……やはり、今回の事は私が馬鹿でした」
える「もっと他に、方法があったと思います……」
奉太郎「その話はもう終わりだ。 それとな」
奉太郎「他の方法は絶対にやめてくれ、疲れる」
える「……そうですね、ふふ」
える「折木さんの頼みなら、もうしません」
える「折木さんには、どう頑張っても嫌われないと……分かっちゃいましたから」
奉太郎「……ああ」
える「あ、後ですね」
える「その……一つだけ、いいでしょうか?」
奉太郎「ん、どうした」
える「折木さんは……私の事、どう思っていますか?」
それはつまり、そういう事なのか。
なんて答えればいい? というか答えていいのか、これ。
というか急だな、どうすればいいんだ。
まずいな、焦ってるぞ俺。
奉太郎「ち、千反田の、事か」
落ち着けよ、落ち着け。
奉太郎「凄く、真面目な奴だと思う」
別に変な事を言う訳じゃない。
奉太郎「優しい奴だし、純粋でもある」
ただ思っている事を、言えばいいだけ。
奉太郎「それに、その……可愛い」
奉太郎「じゃなくて、綺麗」
奉太郎「……いや、すまん」
これが、穴でもあったら入りたいという状況か。
……あまり嬉しくは無い、学習の仕方だったな。
える「え、え、あの……それって、折木さん……」
奉太郎「いや、いやなんでもない。 忘れてくれると……助かる」
俺がそう伝えると千反田はニコッと笑い、答えた。
える「だ、だめです。 忘れられません」
える「私も、折木さんの事は……その」
える「……すいません、まだ、ダメみたいです」
奉太郎「べ、別に……いいさ」
内心ちょっと、悲しかったが……まあ、仕方ないのか。 でもなぁ……。
える「あの、今度……今度はちゃんと、言ってくれると嬉しい……かもです」
える「今は、まだダメなんです。 でもいつか、お願いします」
奉太郎「……却下だな」
奉太郎「……冗談だ」
える「酷いです! 折木さん!」
千反田が膨れ顔で数歩先に進んで行く。
奉太郎「すまんすまん、分かった。 その時まで……待ってる」
その時というのは、千反田が俺に嫌われたかった理由を話してくれる時、だろう。
える「……はい、お願いします」
振り返り、そう言う千反田の笑顔は……とても綺麗だった。
そしてまた、千反田の家に向かい歩き出す。
奉太郎(しかし、意識し出すと妙に恥ずかしいな……それは千反田も一緒か)
える「お、折木さん。 何か喋ってくださいよ」
奉太郎「……喋ることが特に無い、無駄な事はしたくないんだ」
える「それと、私を家まで送ってくれたのも、ですね」
奉太郎「そ、それは」
やはり、駄目だ。
千反田と居るとどうにも調子が狂ってしまう。
奉太郎「まあ……そうなるな」
える「ふふ、ありがとうございます」
奉太郎「千反田と居ると、省エネが捗らん……」
える「もう、折木さんそればっかりじゃないですか」
奉太郎「ううむ……たまには、そう思う事もある」
える「なら良かったです」
える「ではまた、気になる事があったら折木さんに相談させてもらいますね!」
奉太郎「……ああ、引き受けてやる」
える「え、あ、ありがとうございます」
俺が素直に言ったのが、そんなに意外だったのだろうか……
奉太郎(ま、いいか。 やらなければいけないことなら手短に、だ)
奉太郎(今日はもう一つ、やらなくてはいけないことがあるけどな……面倒だ)
第14話
おわり
里志「……もしもし、ホータローかい?」
奉太郎「ああ、用事は……言わなくても分かるか」
里志「うん、今日の部室荒らしの事だよね」
奉太郎「そうだ、単刀直入に聞くぞ」
奉太郎「何故、千反田に協力した?」
そう、里志は千反田の部室荒らしに協力をしていた。
里志とは長い間付き合いがあるが……今回、何故千反田に協力をしたのか? それは俺にも分からなかった。
こいつは適当にやっている様に見えて、根は真面目でもある。
そんな里志が部室の物を散乱させている千反田を見て、何を言ったのか? 何を思ったのか? それを聞かずには今回の事を終わらせたく無かった。
里志「今日、僕がどんな風に動いたか……初めから説明した方がよさそうだね」
里志「言いたい事はあると思うけど、最後まで聞いてくれると助かるよ」
里志「僕は……委員会の事で千反田さんに用があったんだ。 そこはホータローも知っているね」
里志「今日、僕は……」
さて、厄介な事になってしまったよ……なんでわざわざ部長達に呼びかけをしにいかなければならないのか。
初めから書類を回しておけばこんな事にはならなかったのに、まあ……他の人を責める訳にもいかないかな。 この件は他人任せにしていた僕の責任でもあるしね。
里志「と言っても、部活の数が半端じゃないからなぁ……」
里志「とりあえずは、古典部から行こうかな」
今日は確か、文集の事で集まる予定になっていた。
昼休みに委員会の仕事があった事をホータロー達に伝えておきたかったんだけど……急な事だったせいで伝える暇が無かった。
過ぎたことは仕方ない、部室に行けば二人は居るだろうし……その時にでも説明しよう。
特別棟に入り、僕は古典部の部室へと向かった。
丁度、4Fの廊下に着いたところで何やら危なげな音が聞こえてくる。
里志「古典部の方から聞こえてくる? 何の音だろう?」
古典部の前に着き、音がやはりこの中から聞こえてきているのをしっかりと確認した。
ドアをゆっくりと開ける、何をしているんだろう?
僕がその時見たのは、確かホータローがいつの間にか着ける様になっていたペンダントを……
床に叩き付けている、千反田さんの姿だった。
える「ふ、福部さん? どうしてここに……」
どうして、という事は……千反田さんは今日、僕が委員会で遅れるのを知っていたのだろう。
つまり、千反田さんにとってこれは見られてはいけない事だ。
里志「なんでそんな事をしているんだ! 何か……ホータローとあったのかい?」
える「……いえ、そういう訳では無いです」
里志「じゃあ、なんで……」
える「……折木さんに、嫌われなければ……ならないんです」
里志「……全く言ってる意味が分からないよ、千反田さん」
える「すいません、でも……どうしてもなんです」
ホータローに嫌われたかった……?
僕から見たら、千反田さんとホータローはとても仲が良い様に見えていた。
ひょっとしたら付き合ってるんじゃないか? とも思った程に。
そんな千反田さんが、どうして? 分からない、僕はホータローほど頭の回転は良くは無い。
それでも……ホータローが何かした。 という事では無いらしい。 千反田さんの言葉からそれは分かった。
える「……福部さん、これを皆さんに言うのは……福部さんの自由です」
える「でも私は、私にはこの方法しかなかったんです」
える「これが……一番良い方法だったんです」
里志「さっぱり分からないね、これが良い方法だなんて……とても思えないよ」
える「そう……ですよね。 すいません」
とても悲しそうに見えた、千反田さんは自分でも……こんな方法は取りたく無かったのかもしれない。
これでは駄目だ、なんとか……うまく終わらせたい。
千反田さんは何か考えがあり、こんな事をしたのだろう。 つまり……今のままホータローにばれるよりかはマシかもしれない。
それに僕はホータローを信じている、きっと千反田さんを助けてくれる。 僕には考え付かないけど……ホータローならもしかすると。
里志「……分かったよ、千反田さん」
里志「委員会の仕事でね、各部長達に用事があって来たんだ」
里志「悪いけど、付いて来て貰えるかな? 総務委員会の仕事なんだ」
える「……すいません、福部さん。 ありがとうございます」
僕が協力するのを、千反田さんは理解したのだろう。 礼儀正しく頭を下げると真っ直ぐと僕の方を見ていた。
やっぱり、とても普通の理由ではこんな事をする人ではない。 何か……あったのかな。
える「行きましょう、福部さん」
える「あまり、時間もありません」
~~~
要するに……里志は今、この状況を分かっていたのか。
俺が千反田をなんとかして、里志に連絡を取るまでの事を。
千反田といい、里志といい、予測されるのはあまり良い気分では無いぞ……
奉太郎「……そうか」
里志「何か言いたい事があったら、好きなだけ言ってくれると助かるよ」
里志「言うだけで満足できないなら、好きなだけ殴るといい」
奉太郎「……いや、やめておく」
奉太郎「面倒なのは嫌いだ、特に言う事はない」
里志「……そうかい、悪かったね。 ホータロー」
奉太郎「終わり良ければ全て良しって事だ。 まだ終わりが良かったのかは分からんがな……」
里志「うん、そうだね。 ああ、それとホータロー」
里志「一つ千反田さんは、嘘を付いていたよ」
里志「千反田さんは、僕が来たのをホータローがトイレに行ってから5分と言っていたよね」
里志「それが嘘なんだよ、本当に僕が来た時間は」
里志「ホータローがトイレに行ってから【1分後】だったんだ」
奉太郎「1分後? その嘘に意味があるようには思えないんだが……」
里志「僕もそう思ったさ、まあ自分の感情を必死に抑えて部室を荒らしていたのだろうし……時間感覚が狂っていたのかもね」
そう、だろうか? あの千反田がそんなミスをするとは思えない。
千反田が部室を荒らしている最中に俺が戻ってきてしまったら全て終わってしまうのだから、時間を気にしていなかった筈が無い。
千反田の目的は……今日の放課後、俺と二人で話す事だった筈だ。 もっとも最初の予定では俺がどこかに呼び出すというのを予想していただろう。
それは千反田の「ここまで早く気付かれるとは思わなかった」という言葉に繋がる。
つまり……どういう事だ。 どうも引っかかる、何故そこで嘘を付く必要があった?
里志と千反田の会話を思い出せ、そこに何かある筈だ……
不自然な点が……
そういう事か、だとすると……あの言葉の真意は何だったのか。
それはつまり……俺に嫌われたかった理由と直結する物だろう。 という事はだな、もしかすると。
……可能性の一つではあるな。
里志「ホータロー? どうかしたのかい?」
里志の呼び掛けによって、我に帰る。 少し、考え込みすぎていた。
奉太郎「ああ、いや。 なんでもない」
奉太郎「すまなかったな、長々と」
里志「気にしないでくれよ、僕が面倒な事にしたのは間違いないんだからさ」
奉太郎「……まあ、そうだな。 今度何か奢って貰う事にする」
里志「はは、お安い御用さ。 じゃあ、そろそろいいかな?」
奉太郎「ああ。 また明日」
里志との会話は、俺にとって得るものがあった。
一つの可能性が……できれば外れて欲しい物ではあるが。
悩んでいても仕方ない、俺にこれは……解決できるのだろうか? 答えは、出そうに無かった。
しかしだ、可能性がゼロでは無い限り……やってみる価値はあるかもしれない。
それは省エネとは程遠い、成功する訳でも無いし、俺の予想が当たっているとも言えない。 だけどこれは、やらなくてはいけないことの様な気がした。
季節は夏、時刻は19時、場所は家のリビング……俺は、折木奉太郎は、決意を固めた。
ドアをいつも通り開けると、全員が揃っていた。
里志「相変わらず来るのが遅いね、ホータローは」
える「こんにちは、折木さん」
ここまでは普通、悪く言えば予想通り。 しかし一つ誤算があった。
摩耶花「……話してよね、昨日の事」
しまった、伊原の事を忘れていた。 非常にまずいぞ……
どうする? 諦めて話すか?
論外だ、他に方法は……
摩耶花「ちょっと、折木聞いてる?」
千反田と里志がいかにも気まずそうな顔をしている、一番気まずいのは俺だというのに。
あまり人に罪を被せるのは好きではないが……仕方ないか。
奉太郎「……犯人は、C組の奴だった」
あれだけの事を少し前にしたんだ、多少は目を瞑ってもらうしかない。
摩耶花「……また、あいつか」
摩耶花「私ちょっと行って来る!!」
える「ま、待ってください! 摩耶花さん」
俺や里志が止めていたら、間違いなく振り切られていただろう。 その点、千反田が声を掛け静止させたのは正解だったかもしれない。
しかし、ここからどう切り返すか。 当の千反田もその後の言葉が続いていない。 伊原が痺れを切らすのも時間の問題だ。
奉太郎「……あいつには、昨日きつく言っておいた」
奉太郎「……千反田がな」
すまん、千反田。 許してくれ。
伊原が疑うのも無理はない、千反田は人を厳しく罵る等の事を全くしない。 少なくとも俺は一度も見たことが無い。
奉太郎「ああ、とても口には出来ない言葉を使っていた」
える「……」
千反田の視線がちょっと怖い、後で呪われないか少し心配になる。
摩耶花「……そう、ちーちゃんが……」
奉太郎「そうだ、C組の奴もかなりショックを受けていた。 もう関わっては来ないだろう」
奉太郎「俺ももし言われたとしたら、立ち直れそうに無い……そのくらい酷かった」
える「……」
やめてくれ、そんな視線を向けないでくれ。 悪いのはそう、伊原だ。 伊原が気にしなければこんな事にはならなかったんだ。 だから俺は悪くない。
と必死で心の中で言い訳をするが、千反田には通じていない様子だった。
摩耶花「……うん、分かった。 でも、ちーちゃんがそこまで言うなんて……想像できないな」
そりゃそうだ、俺も想像できない。
里志「まあ、さ。 皆無事だったし、結果オーライだよ」
里志「って事で文集について話し合おうよ! 当初の目的はそれだった訳だしね」
える「え、ええ。 そうですね」
里志のナイスフォローもあり、この場はどうやら収まった。 しかし千反田から放たれている正体不明の圧力は俺に圧し掛かっていた。
……とりあえず、後で謝ろう。
摩耶花「おっけー、気持ち切り替えていこ!」
伊原もどうやら納得した様子だ。 それならばそれに乗るしかない。
伊原の発言で、文集についての会議が始まる。 あれをこうしたらいいとか、内容の順番はこうしたらいいとか。
俺は合間合間で「ああ」とか「それがいいな」とか適当に口を挟むだけだったが。
そして、珍しくこの会議をいつまでも続けていたいと願っていた。 これが終われば勿論帰る事になるだろう。
伊原と里志は付き合っている、それは周知の事実である。 つまりは一緒に帰るのが普通……いつも通りだ。
となると、残るのは俺と千反田。 俺は今更になって先ほど伊原にした言い訳を後悔し始めている。
……手遅れだが。
嫌な事を待つ時間という物は、とても早く過ぎ去ってしまう。
以前里志と会話をした時は楽しい事はすぐに終わる……みたいな事を言っていた気がしたが、それに一つ付け加えたい。
回避したい事を待つ時間は、すぐに来る。 という事を。
そんな訳で今は千反田と二人で歩いている。 無言で。
奉太郎(気まずいな……)
何か話そう、とりあえずは。
奉太郎「その、悪かった」
える「……酷いです、折木さん」
奉太郎「すまん、あれしか思いつかなくて」
える「でも、あそこまで言う必要も無かったと思います!」
それは確かに、その通り。 現に俺は少しだけあの状況を楽しんでいたのだから。
える「折木さん、少しだけ楽しんでいましたよね」
奉太郎「い、いや……そんな事はない」
傍目から見たら俺はさぞかし怪しかった事だろう。 苦笑いをしながら顔を千反田とは反対側に動かしていたから更に怪しい。
える「……やっぱり、楽しんでいたんですね」
奉太郎「……少し、少しだけ」
える「折木さん、私はこれでも知り合いが多くいます」
突然何を言っているんだ? と思った。 会話の繋がりが俺には全く分からなかった。
える「……折木さんは人の悪口を言うのが大好きな人です」
える「……折木さんは人使いがとても荒い人です」
える「……折木さんは人の事を貶めるのが楽しくてたまらない人です」
える「私も少し……楽しめるかもしれません」
まさか千反田も本気で言ってる訳ではないだろうが……そうだよな? 本気ではないよな?
でもとりあえずは、なんとかせねば。 俺はゆったりと暮らして行きたい。
奉太郎「……すいませんでした」
える「……嘘ですよ、冗談です」
える「折木さんには感謝しています、そんな事はとても出来ません」
良かった、やはり本気では無かった。
える「ですが、私も恥ずかしいので……あまり、言わないでくださいね」
奉太郎「あ、ああ。 分かった」
こうして普通に話していると、千反田が何に悩んでいるのかなんて全く分からなくなってくる。 とても悩みがありそうには見えない。
少しだけ……聞いてみるか。
奉太郎「その、昨日言っていた理由なんだが」
千反田は動じることも無く、俺の話しに耳を傾けていた。
奉太郎「……いつ頃になりそうだ?」
える「話せる時、の事ですね」
える「遅くても……3年生になる前に、早くても今年の終わりくらいには」
予想以上に、時間はある様だ。
奉太郎「……そうか、分かった」
俺は一つ、里志との会話から抱いていた疑問に答えを得た。
千反田はあの時一つ嘘を付いていた。 単純に考えてしまえば別にどうでもない嘘である。
しかし、俺には引っかかる事がある……それは。
里志と千反田の会話、最後に千反田が言った言葉だ。
里志の記憶が正しければ千反田は最後にこう言った。
「あまり、時間もありません」と。 それはどういう事か?
最初は俺が戻るまで時間が無いと言っているのだと思った。 しかしそれは違う。
里志が来る時間を入れても4分、この時点で最低でも俺が戻るまで6分の時間があった。
その状況で、あまり時間が無いと言うであろうか? 答えは否。
つまり千反田が言った言葉は、その状況から出た言葉では無い。
それはもっと大きな、いわばタイムリミット……
先ほど千反田が言った話せる時までの時間、それまでの時間があまり無い、と言う事なのだろう。
そしてその話せる時が来る時に、千反田の身に何かが起こる。 それが俺の出した答えだった。
だが、今の俺にはどうしようもない。 千反田の悩みが何かなんて皆目検討も付かない。
けど俺にとって有利な事はある。 予想以上にあった時間だ。
その時までに、俺は答えを見つければいい。 千反田に対する答えを。
今はまだ夏、冬とは程遠い。 セミの鳴き声がやかましい程だ。
しかし、懸念しなければいけない事もある。
時間が流れるのは俺の予想以上に、早いという事だ。
第15話
おわり
日にちは7月30日、丁度夏休みに入ってちょっと経ったくらいだ。
そして俺は今、神山市の郊外にある神社に来ている。
月は頭上からは少し外れており、神社の奥からこちらを照らしている。
その神社というのもただの神社では無い、倒産してしまった神社である。
これは里志に聞いた話なのだが、最初は神社が倒産? そんな馬鹿な事がある物か。 と思っていた。
しかしどうやら、神社は倒産する物らしい。 現に俺が今いるこの神社は倒産しているのだから。
勿論入るのには許可が必要だと思う。 だが里志に言わせれば「問題ないよ、ばれなければね」だそうだ。 間違ってはいないかもしれない。
そして何故、ここに俺が居るのか? ちなみに一人では無い、横にはもう一人居る。
正確に言えば、神社の入り口にはもう二人程居る。
この状況を説明するには少し、記憶を掘り返さなければならない。
一週間ほど前だっただろうか? 夏休み前の最終登校日だったのは覚えている。
~古典部~
普通、一学期の終業式が終わってしまえばそのまま家に帰る者や、友達と遊びに行く者が大多数だろう。
だが、この部活動が活発な神山高校では家に帰れば夏休みだというのに未だに残って部活動に励む者の方が多い。
それに対し俺は「頑張れ」とか「お疲れ様」等とは思わない、なんせ俺もその励む者の中の一人なのである。
そんな事を考えながら小説のページを捲る、やはり頑張れくらいは思った方がいいかもしれない。
奉太郎「……」
周りが静かなら、それは心地よい物なのだろうが……生憎先ほどから3人ばかし、何やら盛り上がっている様子だ。
「静かにしてくれ」と言いたいが、俺もそこまで傲慢ではない。
里志「それでさ、丁度夏休みに入ることだし……行ってみない?」
摩耶花「ええ……ちょっと嫌だな……」
える「でも……ちょっと、気になるかもしれないです」
その言葉のせいで小説に集中するのもできず、顔を里志達の方に向ける。
奉太郎「……何の話だ?」
里志「お、ホータローが食いついてくるとは思わなかったかな」
摩耶花「と言うか……話聞いてなかったの?」
奉太郎「いや、聞いてはいた。 覚えていないだけで」
軽い冗談のつもりだったが、伊原の目つきを悪くさせるには十分だった様だ。
里志「30日辺りにね、やろうと思っているんだ」
奉太郎「何を?」
里志「肝試し」
自分で言って、あそこは中々肝試しに向いているかもしれないと思う。 夜は真っ暗になるし、何より広い。
える「酷いですよ折木さん、私の家にはお化けなんて出ません!」
奉太郎「じゃあ伊原の家か」
摩耶花「折木の家でいいんじゃない? 怠け者のお化けとか出そう」
これは失敗、伊原を突くとどうにも手痛いしっぺ返しを食らってしまう。
里志「冗談も程々にさ、うってつけの場所があるんだよ」
里志「随分前に倒産した神社があるんだけど、最近では誰も寄らなくなってるんだ」
里志「そこなら丁度いいと思うんだけど、どうかな」
それはまた……つまりは廃墟、という事か。
しかしそれは千反田が納得するのか? そういうのは厳しそうなイメージがあるのだが。
える「そうですね、本当にお化けが出るのか気になります」
奉太郎「いいのか? 千反田はそういうのはしないと思ったんだが」
える「ええ、倒産してしまった神社なら問題は無いです」
さいで。
摩耶花「み、皆で行くならいいかな……」
える「私も、30日ならば大丈夫です」
奉太郎「……今回は断っていいのか」
里志「いや、駄目だね」
奉太郎(なら何故確認するんだ……)
里志「じゃ、全員参加って事で」
里志「ああ、それと」
里志はそう言うと、巾着袋から割り箸を4本取り出した。
里志「二人一組で一周しよう。 そっちの方が盛り上がる」
その為の割り箸か、準備がいい奴だな。 この状況にならなかった時、里志はどんな顔をして割り箸を取り出すのか少し興味があるが。
いや、もしかすると取り出さずに持ち帰って一人でくじ引きをするかもしれない。 寂しい奴だ。
える「楽しそうですね、やりましょう!」
伊原はやはり、こういうのが苦手なのかもしれない。
それにしてもくじ引きか……
心の中でしか言えないが、順位をつけるとしたら1位が千反田。 次に里志。 はずれは伊原。 心の中では遠慮は必要無い筈だ。
奉太郎「よし、引くか」
とても口にしたらただでは済まない事を思いながら、俺はくじ引きに挑む。
里志「皆掴んだね。 せーの!」
全員が割り箸を引き抜く、俺の割り箸には……
奉太郎「赤い印が付いているな」
里志「僕のは無印だね、という事はホータローとは一緒に周れない」
今更思うが、男二人で肝試しはちょっと嫌だ。 なのでこれはこれで良かったのかもしれない。
える「私は無印です、福部さんと一緒ですね」
つまり?
摩耶花「……」
奉太郎「良かったな、一緒に周れるぞ」
俺がそう言うと、伊原は持っていた割り箸を真っ二つに折った。
~~~
奉太郎「……はぁ」
摩耶花「悪かったわね、私で」
奉太郎「いやこっちこそ、俺で悪かった」
摩耶花「……ふん」
全く、もう1/3程は周っているのに会話は今のが最初だ。
特に何事も無く周る。 そして丁度裏手に周った時、道が無い事に気付いた。 裏には山がそびえ立っており、木で埋め尽くされている。
奉太郎「ん、通れないぞ……これ」
摩耶花「ええ? ふくちゃんはちゃんと下調べはしたって言ってたんだけどな……」
奉太郎「ふむ、ってことは」
奉太郎「この神社の中を通れって事か」
摩耶花「確かに廊下はあるけど……屋根は無いし、大丈夫なのかな」
奉太郎「下調べは済んでいるんだろう? なら大丈夫だろ」
摩耶花「そ、そうね。 行こう」
と言いつつ、伊原は先に行こうとはしない。 目で俺に「行け」と合図はしている。
それに逆らっても良い事なんてのは無い、仕方なく伊原の指示に従うことにした。
床はとても弱そうで、ギシギシと木が軋んでいるのが伝わってくる。
それに加え、所々穴が開いている。 本当に里志は下調べをしたのだろうか?
最初の一歩を踏み出したときは少し穴に足を取られてしまった。 しっかりチェックはしてもらいたい物だ。
摩耶花「ちょ、ちょっと折木」
奉太郎「ん、なんだ」
摩耶花「……手、繋いで」
俺は一瞬自分の耳はついにおかしくなってしまったのかと思った。 それを確認する為に再度聞く。
奉太郎「え? なんて言った今」
やはり俺の耳はおかしくなってしまったのか。 お化けが出るより余程怖い。
そんな事を考え、ぼーっとしている俺の手を伊原が掴む。
摩耶花「……歩き、にくいから」
奉太郎「……そうか、まあいいが」
良かった、俺の耳はおかしくなんてなってなかった。
伊原と手を繋ぎ、ゆっくりと廊下を進む。 しかし暗くて下がよく見えない。
足を先に出し、ここは大丈夫か確認しながら進む。
そんな事をしばらくしている間に廊下の終わりが見えてきた。
砂利の地面に足を付けると、伊原はすぐに手を離す。
摩耶花「……行こ、もうすぐでしょ」
奉太郎「ああ、そうだな」
なんとも……何も無い肝試しであった。 強いて言えば伊原と手を繋いだ事くらいか。 確かにこれは貴重な体験である。
そして神社の階段を降り、下で待つ里志と千反田の元に到着した。
える「どうでした? 何か出ました?」
奉太郎「いや、なんにも出なかったぞ」
奉太郎「それより里志、ここは下調べしたのか?」
里志「勿論さ、裏に廊下があっただろう?」
奉太郎「あるにはあったが、穴は開いているし暗くて床は見えないしで危なかったんだが……」
里志「あれ? おかしいなぁ……穴は開いてなかったと思ったんだけど」
里志「まあ、僕達は灯りを持っていくよ。 念のためにね」
……俺たちにも灯りくらい寄越せ。
里志「じゃ、行って来るね」
える「行ってきます! また後ほど」
そう言い、里志と千反田は出発して行った。
摩耶花「……さっきはありがとね」
奉太郎「ん? 何の事だ」
摩耶花「手、繋いでくれたこと」
奉太郎「ああ、別に構わんさ」
摩耶花「……そっか」
しばらくの沈黙、そして再び伊原が口を開く。
摩耶花「折木ってさ」
摩耶花「ちーちゃんと私に対する態度、違うよね」
奉太郎「……一緒だと思うが」
摩耶花「それ……本気で言ってるの?」
摩耶花「仮にさ、ちーちゃんが手を繋いでくれって言ったらどう思う?」
奉太郎(千反田が手を繋いでと言ったら、か)
奉太郎「いや、まあ……繋ぐ、かな」
摩耶花「……やっぱり違う」
そうなのだろうか? 確かに、千反田に言われたら少し恥ずかしいかもしれない。
ああ、そういう事か。
摩耶花「それでさ」
摩耶花「何か進展はあった? ちーちゃんと」
あると言えばある、無いと言えば無い。 どちらにでも当てはまる物だと思う。
奉太郎「さあな、俺にもわからん」
摩耶花「……ふうん」
奉太郎「……どうして急に?」
摩耶花「……最近、折木とちーちゃん前より仲が良さそうに見えたから」
摩耶花「何か進展あったのかな、って思っただけ」
奉太郎「……そうか」
俺としては、前とは何も変わらず千反田との距離はあるつもりだった。
しかし伊原が言うからには、そうなっているのかもしれない。
摩耶花「応援、してるから」
奉太郎「応援? 何を?」
摩耶花「……折木の事」
奉太郎「てっきり逆かと思っていた」
摩耶花「そんな訳ないでしょ、正直に言うと」
摩耶花「ちーちゃんと折木、お似合いだと思ってるんだ」
奉太郎「……」
第三者から言われると、ちょっと恥ずかしい。
奉太郎「それは、どうも」
奉太郎「……ありがとな」
摩耶花「……くっ……あはは」
何を急に笑っているんだ、こいつは。
摩耶花「ご、ごめんごめん」
摩耶花「折木が素直にお礼を言うのが面白くって」
俺はそこまで礼儀を軽んじていただろうか? やはり伊原は何か悪霊に……
摩耶花「……あんた、なんか失礼な事考えてない?」
いや、取り憑かれていなかった。 いつもの伊原だ。
奉太郎「い、いや」
これから伊原になんと言われるか、どうしようかと思っていた所に里志達が戻ってくる。
里志「たっだいまー」
える「戻りました……」
意外と早かったな、月は丁度頭上まで動いてきている。 そこまで時間は経っていないだろう。
そして千反田が何故か元気が無い、何かあったのだろうか?
奉太郎「元気が無いな、何かあったのか?」
える「いえ、何もありませんでした……」
それで元気が無かったのか、分かり辛い。
奉太郎「ん? どうした」
里志「嘘は良くないな、ジョークならまだしも嘘は良くない」
奉太郎「……言っている意味がわからんのだが」
える「確かに廊下はあったんですが、穴なんて開いてなかったですよ?」
摩耶花「え? 嘘だ、開いてたよ?」
奉太郎「俺も確かに見たぞ、だから慎重に進んだんだ」
里志「……それは妙だね、違うルートでも通ったのかな?」
奉太郎「ま、そうだろうな」
える「……確認しに行きましょう!」
摩耶花「うん、気になる」
おいおい、またこの階段を上れと言うのか。 冗談じゃないぞ。
里志「……そうだね、確認すれば終わる事だよ」
奉太郎「……分かった、行くか」
毎度毎度このパターンだ。 結局は強制されてしまう、断るのもできるが省エネにはならないだろう。 千反田がいる限り。
そして俺達4人は再び階段を上る。
里志「僕達が通ったのはこの廊下だけど……ホータロー達は?」
奉太郎「俺達が通ったのもこの廊下だ、なあ伊原?」
摩耶花「うん、この廊下だよ」
里志がその廊下を灯りで照らす。
える「ほら、穴なんてありませんよ?」
千反田がそう言い、俺と伊原で廊下を覗き込む。 そこには確かに穴は……開いていなかった。
摩耶花「……うそ、なんで……?」
奉太郎「……本当だ、確かに穴なんて開いていないな」
里志「ってことは……考えられるのは一つだね」
える「な、なんでしょうか!? 気になります!!」
いつになく千反田のテンションが高い。 夜中と言うものは人のテンションを上げるらしい。
里志「つまり……ホータロー達はどこか異次元に行っていたんだよ!!」
摩耶花「い、いやあああああああ!!」
伊原はそう叫ぶと、しゃがみ込んでしまう。 俺には異次元へ行った事よりその叫び声が怖かった。
里志「あはは、ジョークだよ」
里志「でもさ、可能性も無くはないよね?」
奉太郎「まあ、少し妙ではあるな」
える「折木さん、私……気になります!」
まあ、ここまで来たんだ。 別にいいか。
奉太郎「……分かったよ、考えよう」
と言う訳で考える事となったのだが、大体の見当は既に付いている。
奉太郎「里志、一度灯りを消してくれないか」
里志「灯りを? 分かった」
里志が灯りを消すと、辺りは真っ暗となる。
かろうじで……月の光によって俺達の影は見える。
奉太郎「原因はこれだな。 温泉に行ったときに見た首吊りと似たような物だ」
える「でも、ですね」
える「この廊下には天井なんてありません。 一体どんな影が穴を見せたのですか?」
千反田の言葉を聞き、俺は近くに落ちている葉っぱを一枚拾った。
それを廊下の方に手を伸ばし、かざす。
奉太郎「これだ、この神社の裏は山となっている」
奉太郎「俺と伊原が通ったときは丁度山から月が見えていた」
奉太郎「そして、その木の葉っぱが穴を見せていたって所だな」
える「……なるほど、それで私達が行ったときは穴が無かったんですね」
里志「僕達の時は光源もあったしね、それが余計に影を消したのかも」
奉太郎「ま、実際はこんなもんさ……異次元とか馬鹿な事を行ってないでそろそろ帰るぞ」
里志「ま、摩耶花ー。 帰るよ?」
摩耶花「……ふくちゃんの、ばか」
これはどうやら、里志は埋め合わせをしなくてはいけなくなりそうだ。 穴だけに。
そんなつまらない事を考えながら、前を行く里志と伊原の後に続く。
える「やはり、なんでも分かっちゃうんですね。 折木さんには」
奉太郎「何でもって訳でもないさ、分からない事だってある」
える「……そうですか。 あの」
える「手、繋ぎましょうか」
奉太郎「あ、ああ。 ほら」
俺と千反田は、里志達には見えないように……そっと手を繋いだ。
奉太郎(確かに、伊原とだった場合……接し方は変わるな)
奉太郎(どうにもこれは……心臓に悪い)
そして俺は一つの事を思い出す。
廊下を歩いたときに、最初は確かに穴につまづいた。
あれは……何だったのだろうか?
第16話
おわり
姉貴に顔をぺちぺちと叩かれ、目が覚める。
奉太郎「……どこ、って……」
頭の回転はまだ良くない、姉貴の言葉をゆっくりと飲み込む。
昨日は確か、里志の発案で肝試しに行った。
その後に千反田を家まで送って行った、歩きながら寝そうなくらい眠そうな千反田を。
そして俺が家に着いたときには1時を回っていた気がする。
そのまま俺はソファーに横になって……そうか。
奉太郎「……あのまま寝ていたか」
供恵「昨日は夜遅かったみたいね、何をしていたの?」
奉太郎「別に、里志と遊んでいただけだ」
供恵「奉太郎が不良になっちゃうなんて……お姉さん悲しいなー」
供恵「もうあんたに構ってあげられないなんて……」
供恵「あら、ごめんなさい」
そう言うとようやく姉貴は俺の顔を叩く手の動きを止めた。
奉太郎「……ふぁぁ」
でかいあくびをしながら起き上がる、ソファーにしてはよく寝れた方だろう。
供恵「そんなあんたに朗報ー」
奉太郎「なんだ」
姉貴がこう言う時は、大していい事でもない……むしろその逆の方が多いと思う。
供恵「これ、映画のチケットなんだけどね」
供恵「2枚あるからあげる」
そう言い、チケットを渡される。
奉太郎「ほう、中々気が利くな」
供恵「照れるなぁ。 有効期限明日までだけどね」
奉太郎「おい」
それに加え、生憎外は雨模様。 今日は外に出る気がしない。 ……いや、いつもか。
奉太郎(里志でも誘って明日、行くか)
そう思い、電話機を取る。 俺のモットーは思い立ったらすぐ行動なのだ。 嘘だが。
たまたま近くにあった電話機に感謝をしつつ、里志の携帯の番号を押す。
家でも良かったが、外出している可能性も考えると携帯に掛けた方が手短に済むという物だ。
珍しく30秒ほどかかっても里志には繋がらず、諦めかけた所で電話は繋がった。
奉太郎「ああ、忙しかったか?」
里志「いや、そういう訳じゃないんだけど」
摩耶花「……、………」
電話の奥から伊原の声が聞こえた、恐らく「折木って本当に空気が読めない」とか「タイミングが悪い奴」とか言ってるのだろう。
いや……決め付けは良くないな。
里志「ご、ごめんね。 摩耶花がホータローに怒ってる」
そうでもないか。
奉太郎「あー、そうか。 明日は空いているか?」
里志「明日もちょっと……ごめん」
奉太郎「分かった、それなら仕方ない」
奉太郎「頑張れよ」
里志「まあ、うん。 そうだね」
奉太郎「じゃ、また今度」
と言い、電話を切る。
その様子を見ていた姉貴が口を出してくる。
供恵「かわいそーに、お姉さんと一緒に行く?」
奉太郎「遠慮しておく」
供恵「それは残念、でもあんたの友達は里志君だけじゃないでしょ」
供恵「前に家に来た子、あの子でも誘ってみたら?」
奉太郎「……千反田か、ううむ」
別に気が進まないって訳ではない。 だが……あいつはどうにも休みの日は忙しそうだ。
奉太郎「ま、するだけしてみるか」
姉貴が後ろで嫌な笑い方をしているのが分かった。 何だというのだ、全く。
再び電話機を取り、千反田の家の番号を押す。 できれば携帯に掛けた方が無駄が無くていいのだが……あいつは携帯を持っていない。
2回ほどコール音が鳴ったところで、電話は繋がった。
奉太郎「千反田か、折木だ」
える「あ、折木さんですか。 どうされました?」
奉太郎「姉貴から映画のチケットを貰ったんだが、明日どうだ?」
それをどこで入手したか。 そして目的は何か。 それをする日はいつか。 これを完璧に一文で伝えた、省エネとはこういうことだ。
える「え、あ……明日、ですか」
奉太郎「あー、何か予定があるならいい。 すまなかったな」
える「い、いえ。 そういう訳ではないんです」
奉太郎「ん、じゃあどういう訳で?」
える「……折木さんから遊びの誘いがある事が、とても意外だったもので」
さいで。
奉太郎「……まあ、じゃあ明日行くか」
える「分かりました! 朝からにします?」
奉太郎「そうだな、夕方からは雨らしいからそうしよう」
える「では、明日の朝……一度、折木さんの家に伺いますね」
奉太郎「分かった、じゃあまた明日」
奉太郎「……なんだ、どうした」
える「え? 何もないですが……」
奉太郎「……そうか」
える「はい、ではまた明日」
……またしても。
奉太郎「何か用でもあるのか」
える「そういう訳では無いですが、折木さんが電話を切ると思ったので」
奉太郎「……俺はそっちから切ると思っていた」
える「……すいません、では切りますね」
奉太郎「ああ、またな」
奉太郎「あ、そうだ」
切れた。
何時に来るのか聞くのを忘れていた。 わざとでは無いが長引いて、結局は聞けなかったとはなんとも情けない話である。
後ろを振り向くと、姉貴は未だに嫌な笑いを俺に向けている。 余程、暇なのだろう。
とにかく、明日の予定は決まった。 それにしても俺から遊びに誘うのが意外だと言っていたが、そうだろうか?
里志はたまに遊びに誘う事もあるし、俺が今日は何処に行こう。 と決める事だって無かった訳では無い。
だが言われてみれば……千反田を誘った事は無かったかもしれない。 当たり前と言えば当たり前だが……
千反田がそう思ったのも、仕方ない事だ。
奉太郎「……さて、今日はゆっくりするか」
ま、特にする事も無い。 ましてや里志や伊原、千反田によって俺の休日の一日が消費される事も無い。
供恵「あー私ちょっと出るから、留守番よろしくね」
奉太郎「そうか、気をつけてな」
そう言いながらも姉貴は、既に家から出ていた。 その行動の早さだけは俺には真似できそうにない。
奉太郎「……ニュースでもチェックしよう」
特に他にする事もない。 小説を読む気分でも無かった俺は、情報収集という画期的な事を思いつく。
ゆっくりとパソコンの前まで移動し、電源を付けた。
起動までには少し掛かることを俺は知っている、その間にコーヒーでも淹れよう。
台所へ行き、コーヒーを淹れる。
パソコンの前に戻ると、既にデスクトップが映し出されていた。
しばらくの間、ニュースに目を通す。
やがてそれにも飽き、パソコンを落とそうとするが……落としたとして、何をしようか。
奉太郎「……そういえば、前に千反田がチャットをやっているとか言っていたな」
俺もそれは一度使ったことがある。 あの時はただ単に、千反田に事情を説明する為だった。
……少し、暇つぶしでもしよう。
チャットルームまで行くのにそこまで苦労はしない。 なんと言っても指を動かすだけだから。
やがてチャットルームの入り口が目に入る。
そのままチャットルームのロビーに入ると、何個か部屋があり、少し目を引く名前の部屋があった。
2013/7/31 11:04【気になります】
おい、なんだこれは。 千反田が作ったのだろうか? それにしても……もっとこう、入る人が目的は何なのか分かるように立てろ。
この部屋の名前が俺には気になって仕方ない。 しかし閲覧者として入るのも……気が引ける。
奉太郎「……入室してみるか」
名前を打つ。 前回は打ち間違えた結果、ハンドルネームが「ほうたる」となってしまった。 俺は同じ過ちを二度は繰り返さない。
丁寧に「ほうたろう」と打ち、それを変換。
「法田労」
どこかのお坊さんみたいな名前になってしまった。 しかし確定してしまったのを消すのは面倒だ。 同じ過ちでは無いし別にいいか。
そして入室をクリックする。
L:こんにちは
L:代わったお名前ですね
L:変わった、です
法田労:千反田か?
L:え?なんで解ったんですか?
L:分かった、です
法田労:いつも見ているからな、お前の事は
奉太郎(少し、暇つぶしにからかってみるか)
法田労:言葉通りだ。 たまに朝、昼はあまり見ていないが……放課後なんかはほとんど毎日見ている。
法田労:休みの日なんかも、たまに見ている
L:あの、すいません
L:まちがっていたら、ごめんなさい
L:ストーカーさんですか?
法田労:千反田がそう思えば、そうかもな
L:ふしぎな人ですね、それよりわたしの話、きいてくれますか?
法田労:構わないが、この部屋名だと人は余り寄ってこないと思う
L:それはすこし、思っていました
L:法田労さんが、初めてでしたから
法田労:まあ、そうだろうな
法田労:それで、気になるってのは何だ?
L:気になると言っても、ちょっとちがうかもしれません
L:じつは、ですね
L:明日、その
L:友達と映画にいくのですが、時間を決めるのを忘れてしまったんです
法田労:それで?
L:どうすればいいのか、おしえてください
奉太郎「……単純に電話をすればいいだけだろう」
奉太郎「しかしなんか、悪いことをしている気分だな」
奉太郎「言い出すタイミングも……失ってしまった」
奉太郎「……ま、いいか」
L:ええっとですね、そのお友達は、とても面倒くさがりな人でして
悪かったな……
L:いちど終わった話をまたしても、迷惑かとおもうんです
法田労:なるほど、面倒な友達だな、それは
L:ええ、そうなんです
こいつ、俺が聞いていないのを良い事に。
法田労:大体の時間も決めていないのか?
L:あ、それはきめています
L:朝に、そのお友達の家にうかがうことになっているんです
法田労:そうか、なら適当な時間に行けばいいんじゃないか?
法田労:あくまでも、迷惑ではない時間に
法田労:大体、そうだな……10時くらいなら迷惑ではないと思う
L:ありがとうございます、たすかりました
法田労:いいさ、暇だったしな
L:変わったストーカーさんですね、ふしぎなひとです
法田労:まあ、そうだな
L:あ、そうです
L:もうひとつ、聞いてもいいですか?
法田労:ああ、いいぞ
L:えっと、ですね
L:あした、お洒落して行こうとおもっているんです
L:あまり派手なのも、どうかとおもうんです
L:どのくらいが、いいんでしょうか?
チャットを打つ手が止まる、続ける言葉が思いつかない。
「別にしてこなくていいさ」と打ちそうになり、ある程度消した所で誤ってエンターを押してしまった。
L:別に、なんですか?
L:あれ、います?
法田労:ああ、すまない
法田労:別に、普通でいいんじゃないか?
法田労:いつも通りで、いいと思う
L:そうですか、ではそうする事にします
法田労:ああ、それがいい
L:やはり、ふしぎな人ですね
L:わたしは、法田労さんの正体が、少し気になります
L:そうなんですか、それなら仕方ないですね
法田労:ああ
そこで一度、チャットが止まる。
千反田もこれ以上聞きたい事は無いだろう。
とうとう最後まで言い出すことができなかったが……まあ、いいか。
法田労:それじゃ、俺は出る
L:はい、ありがとうございました
L:明日、楽しみにしていますね、おれきさん
L:あ
《Lさんが退室しました》
奉太郎(あいつ、分かっていたのか……)
まあ、良くは無いが……明日の時間を決められたのは悪く無い事だ。
しかし、千反田にまんまと騙された。 俺が騙していたと思ったが、騙されていたのは俺の方だった。
電話をしてやろうかと思ったが、そこまでしなくていいだろう。 どうせ明日会う事になる。
パソコンの前からソファーに移動する。
俺は倒れこむように、ソファーに横になった。
奉太郎「……あいつは将来、入須みたいになるのではないだろうか」
奉太郎「……やっぱり、納得いかん」
もっと早く、気付くべきだった。
そうすれば俺は今日失敗をせずに済んだだろう。
俺が確か「面倒な友達だな」 と言った時。
あいつは「ええ、そうなんです」 と言った。
俺の正体に気付いていないからあんな事を言ったのかと思ったが、その逆だろう。
千反田は俺に気付いていたから、敢えてそう言ったのだ。
いつもの千反田なら、あそこで同意は絶対にしない。 そう……絶対に。
違和感は今思い出すと他にもあった。
千反田は人を疑うことはあまりしない。 だがそれにも限度と言うものはあるだろう。
例えば見ず知らずの人間に「今日は学校、お昼からだよ」と言われても、確認くらいはするだろう。
それを今日の千反田はしなかった。 俺という見ず知らずの人間に言われているのにも関わらず。
今日初めて会った人間をそこまで信用するのも、千反田は絶対にしないだろう。
その点C組の奴は案外うまい事、千反田をはめる事ができたのかもしれない。
それらを思い出すと、やはり気付ける要素はあったのだ。 俺が千反田は気付いていないと思い込みさえしなければ。
まあそんな失敗に頭を悩ませても仕方がない。
明日は映画を見に行く事になっている、昼寝でもして体力を温存しておかなければ。
そう理由をこじ付け、俺はソファーに横になりながら瞼を閉じる。
外から聞こえてくる雨音は、俺に眠りをもたらすには十分だった。
第17話
おわり
窓から差し込んできた日差しによって、目が覚める。
時計に目をやると、今は9時を少し回った所だった。
奉太郎(……なんだか、目覚めがいいな)
多分、昨日は早く寝ていた事もあり俺にしては随分とすっきりした気分で起きれたのかもしれない。
俺は今日、映画を見に行くことになっていた。 千反田が家に来るのは確か11時……それまである程度は時間がある様だ。
そのまま起き上がると、俺はリビングへ向かう。
姉貴はまだ……起きていない様だった。
早々に、着替えを済ませてしまおう。 その後にゆっくりしていればいい。
一度リビングから離れ、身支度を済ませる。
再びリビングに戻り、パンを一枚食べた後にコーヒーを淹れる。
そのまま新聞を手に取り、内容を頭に適当に流し込む。
奉太郎(こうして俺は年を取って行くのか)
等と、少々悲しい現実を思いながら約束の時間まで過ごした。
そう思ったのを狙ったかの様に、インターホンが鳴った。
奉太郎(10分前行動とは、俺も見習いたい物だ)
インターホンに出る必要は……ないか。 千反田以外に、この時間来客は無い。
そのまま玄関に行き、靴を履く。
ゆっくりとドアを開けると、やはりそこには千反田が居た。
奉太郎「……おはよう」
える「折木さん、おはようございます」
夏の日差しが丁度良く千反田を照らしていて、ワンピースがとても似合っている。
俺に笑顔を向ける千反田に……少し、見とれてしまった。
える「あの、折木さん?」
気付くと千反田は俺のすぐ目の前まで来ていて、いつもの顔の近さにハッとする。
奉太郎「あ、ああ」
奉太郎「……すまん、まだ寝ぼけているかもしれない」
そう言い訳をすると、千反田は俺の顔を覗き込みながら言った。
える「もう、駄目ですよ。 昨日決めたじゃないですか」
……ああ、チャットの事か。
奉太郎「悪いな、面倒くさい奴で」
える「ふふ、折木さんが自分の事を話さないので、ちょっと嘘ついちゃいました」
その事をすぐに嘘という辺り、やはり千反田はそんな事を本気で思っている訳ではないだろう。
奉太郎「じゃ、行くか」
える「はい、歩いて行きますよね?」
奉太郎「ああ、そんな遠くないしな」
そして俺と千反田は映画館に向かい、歩き始める。
奉太郎「そういえば」
える「なんでしょう?」
奉太郎「……服、似合ってるな」
える「あ、は、はい。 ……ありがとうございます」
千反田は顔を少しだけ赤くし、そう言った。
俺も少し、顔が熱いのに気付いていたが。
そこまで混雑はしていない様子だった。 むしろ映画館にしては人が少ない方だと思う。
受付に行く前に、俺は持ってきていたチケットを2枚取り出す。
奉太郎「千反田、チケットだ」
える「はい、ありがとうございます」
チケットを渡し、受付を済ませようとする俺の肩を千反田に掴まれる。
奉太郎「ん? どうした」
える「あ、あの……折木さん」
える「このチケットって、その、しっかり読みました?」
しっかり読んだ? 軽く目を流して読んだには読んだが、しっかりとは呼べないか。
奉太郎「軽く目を通しただけだが……何かあったか」
える「い、いえ。 あの、ちょっと……ですね」
える「……チケット、読んでみてください」
仕方ない、見れば何か分かるか。
そして俺は、チケットに目を落とす。
【カップル様限定、映画ご招待】
やはり、やはりやはりやはり。 姉貴が持ってきたものにはろくな物が無い。 くそ姉貴め!
しかしいくら悪態をついてもこの状況は変わらない。 ……もう映画館に来てしまっているのだから。
未だに顔を背けている千反田に向け、言う。
奉太郎「……俺のミスだ、謝る」
える「あ、い、いえ」
千反田は俺の方に向き直り、右手で左腕を掴みながら続ける。
える「……別に、カップルだと思われるのは嫌では無い、です」
える「その、でも……ちょっと恥ずかしくて」
そんな事を言われてしまい、なんだか逆に恥ずかしくなってきてしまった。
奉太郎「……ま、まあ。 行くか」
える「は、はい。 そうですね、行きましょう」
ぎこちない会話をしながら受付へと向かう。
受付に居た人にチケットを2枚渡し、代わりに入場券を貰った。
受付の人が俺たちに向けニコッと笑いを向けたが、悪いのはこの人じゃない、姉貴だ。 恨むのなら姉貴を恨むべき。 そんな事を思いつつ、一応は愛想笑いを返す。
その後は上映まで少し時間があったので、近くにあった椅子に千反田と共に腰を掛けた。
える「そういえば、ちょっと気になったんですが」
奉太郎「ん、なんだ」
える「どうして折木さんは映画に行こうと思ったんですか?」
奉太郎「どうしてって言われてもな……他にする事も無かったから」
奉太郎「……その笑いが若干気になるな」
える「なんでもないですよ、気にしないでください」
奉太郎「いつも自分だけ気になると言って置いて、俺には気にするなと言うのか」
える「じゃあ、聞いてもいいですよ。 気になりますって」
奉太郎「……言わないからな」
える「……そうですか、少し残念です」
奉太郎「……はあ」
奉太郎「分かったよ、言えばいいんだろ」
える「ほんとですか。 是非お願いします!」
奉太郎「……私、気になります」
自分で言うのもなんだが、かなりやる気の無い気になりますだったと思う。 それに加え棒読み。
千反田はそう言うと、右手で前髪を触る。
奉太郎「……何をしている?」
える「……折木さんの真似です」
える「折木さんが考えるときって、いつもこうしているので」
そうなのだろうか? 自分では記憶にはあまり無い。
奉太郎「そうなのか、知らなかった」
える「いつもやっていますよ? ですので私も」
奉太郎「……それで、何か分かったか」
える「ええ、分かりました!」
奉太郎「その心は」
える「なんだかこうしていたら、面倒くさくなってきてしまいました」
える「え、だめですよ。 ちゃんと気になってください」
奉太郎「……なんでそこまで気にしなければいけないんだ」
える「今は私が折木さんの真似をしているので、折木さんは私の真似をしなきゃだめなんです」
奉太郎「千反田の真似……か」
奉太郎「ええっと、そうだな」
奉太郎「ちたんださん、かんがえてください、いっしょにかんがえましょう」
える「あの、私はもっと元気が良いと思いますけど……」
奉太郎「そうか? 周りから見たらこんな感じだぞ」
える「え? そうなんですか?」
奉太郎「ああ」
える「……もうちょっと、愛想を良くしないといけませんね」
奉太郎「……」
える「……」
える「え、じゃあ私は元気良いですか?」
奉太郎「ああ、さっきの10倍程には」
える「それは良かったです……どうしようかと思いました」
奉太郎「それも冗談だと言ったら?」
える「おーれーきーさーん! もう冗談はやめてください!」
奉太郎「分かったよ、それで話の続きをしよう」
奉太郎「ええっと、なんだっけか」
える「私が笑った事についてですね」
奉太郎「そうだった……ってまだ俺の真似をするのか」
える「はい、こうして折木さんが考える時の真似をしていると何か浮かんで来そうなんです」
奉太郎「ふむ、そうか」
える「あ、そういえばそうでしたね」
える「では、お話しましょう」
える「つまりですね、私が笑ったのは」
える「折木さんが自主的に動くと言うのが、面白かったんです」
……さいで。
奉太郎「……言っとくがな、そこまで俺は動かない訳ではないぞ」
える「……そうなんですか?」
奉太郎「そうだ。 俺だって動くときはある」
える「例えば、どんな時でしょうか」
奉太郎「……そうだな、例えば」
奉太郎「今この時だ。 俺が自主的に映画館に行こうと言った」
える「無かったんじゃないですか」
える「私の、勝ちですね」
何を持って勝ちとするのかは不明だが、そういう事にしておこう。
奉太郎「ああ、千反田の勝ちだ。 すまなかった」
える「えへへ」
俺に勝ったのがそんな嬉しいのかと思うほど、千反田は気分が良さそうにしている。
奉太郎「そこまで嬉しいのか、俺に勝てて」
える「勿論です! いつも折木さん頼みでしたので」
奉太郎「ま、千反田がそれでいいならいいか」
える「その言い方ですと、折木さんに勝ちを譲ってもらったみたいで納得できません」
奉太郎「……どういう言い方ならいいんだ」
える「さすがは折木さんです! ありがとうございます」
える「こんな感じでお願いします」
奉太郎「そうか」
える「では、どうぞ」
奉太郎「……ん、それ言わないと駄目なのか?」
える「駄目ですよ」
奉太郎「……さすがはちたんださんです、ありがとうございます」
える「やっぱり折木さんの言い方だと納得できません……」
奉太郎「じゃあやらせるな、それより」
奉太郎「そろそろ時間じゃないか?」
える「あ、そうですね。 行きましょうか」
そして、俺達は向かう。 何が上映するのか未だに知らない映画を見に。
そう、知らなかったのだ。 映画の内容が何かを。
しかし……姉貴がそんなロマンチックな物を用意している訳が無かった。
映画のタイトルは
「農家よ、今こそ立ち上がれ」
千反田はそのタイトルを見ると、とても嬉しそうにしていた。
何かの参考になるのだろう。 なんの参考になるのか知らないが。
俺は映画が始まってから5分ほどで、眠くなってきた。
……それにしてもこの映画、観客が驚くほど少ない。
俺と千反田は真ん中くらいに座っていたのだが、その列には他に客は居なかった。
少し顔を上げると前の方に人影が見えることから、数人は客が居るのだろう。
恐らく多分……居ても10人ほど。 勿論俺達を含めて。
映画の内容は田を耕す人々や、現在の農家の在り方。 誰が楽しくて見るのだろうか?
える「……折木さん、すごいですね」
少なくとも一人は居た。 良かったな監督。
俺は非常に寝たかった、しかしそれを隣に座っているこいつは許してくれない。
見る人が見れば盛り上がるのかもしれない場面で、小声で俺に話しかけてくるからだ。
俺はそれに「ああ」とか「うん」とか「ほう」とか適当に返しているのだが、当の千反田は全く気にしていない。
そして2時間程その苦行をこなし、ようやく映画が終わる。
千反田は終始楽しんでいた様子で、良かった良かった……
える「面白かったですね、折木さん」
奉太郎「ん、ああ……そうだな」
える「……本当ですか? とても眠そうにしていましたが」
気付いていたのか、ならなぜ話しかけた。
奉太郎「正直な、眠かった」
奉太郎「……気付いていたなら寝かせてくれ」
える「確かに、何も知らない人が見たら退屈な映画だったかもしれませんね」
える「でも少し……折木さんにも興味を持って欲しかったです」
興味、ねえ。 まあ人生何があるか分からないしな。 万が一にでも興味が向いてしまう可能性が無きにしも非ず。
奉太郎「……興味が向けば楽しくはなるのかもしれないな」
える「ええ、そうですね」
奉太郎「丁度昼くらいか」
える「丁度お昼くらいですね」
千反田と同時に言い、つい顔を見合わせる。
奉太郎「……何か飯でも食っていくか」
える「あ、それなんですけど」
える「私のと折木さんのお弁当、作ってきちゃいました」
奉太郎「おお、本当か」
千反田の料理の腕は前に食べたことがあったので知っている。 これはとても嬉しい。
える「はい、どこか公園で食べましょう」
奉太郎「分かった」
タイミング良く、近くにあった公園に俺と千反田は入る。
ベンチに腰掛けると、千反田はカバンから弁当箱を二つ取り出した。
奉太郎「そうか、ありがとう」
そう言い、千反田が両手に持っている弁当箱を右手と左手に分けて掴んだ。
える「……あの」
奉太郎「……冗談だ」
千反田から右手に持っていた弁当箱を貰う。
える「少し、驚きました」
奉太郎「俺が大食いだったことか?」
える「……折木さんがそんな冗談をした事に、です」
奉太郎「ああ、俺には人を笑わせる事は向いていないかもな」
える「あ、そんな事はないですよ。 とても面白かったです」
やめてくれ、そんな目だけ笑っていない笑顔を向けられては惨めな気分になってしまう。
奉太郎「あ、ああ……そうか」
俺にはとても名前が分からない食べ物が、野菜を中心に入っていた。
奉太郎「うまそうだな」
える「ふふ、そう言って貰えると嬉しいです」
える「新鮮な野菜等を使っているので、とてもおいしいと思いますよ」
える「お肉とかも入れたかったのですが、時間があまりなくて……すいません」
奉太郎「いやいや、作ってきてくれただけでありがたい。 文句なんて一つもない」
奉太郎「……では、千反田先生の料理解説を聞きながら食べるとするか」
える「あ、任せてください!」
まずは一つ目……これは何かの野菜、だろうか。
える「それは菜の花のお浸しです、結構有名ですよ」
奉太郎「確かに結構見ている気がするが……これって菜の花だったのか」
ふむ、確かに。 春の香りがする。 夏だが。
奉太郎「おいしい、なんかもっと気の利いた事が言えればいいのだが……おいしいな」
える「ふふふ、それだけで十分ですよ。 ありがとうございます」
それはそうと、この隅のほうに可愛く飾られているのは何だろうか。
える「あ、それはペチュニアです。 一応食べられますね」
奉太郎「そうなのか? 生のままに見えるが」
える「あくまでも飾りだったので、そのまま置いといてもいいですよ」
ふむ、最後にちょっと食べてみるか。
える「それはですね、中に桜えびが入っています」
奉太郎「ほう、どれどれ」
うまい、これは何個でもいけそうだ。
える「どうですか?」
奉太郎「これは是非、また作って欲しい」
える「えへへ」
える「折木さんさえよければ、いつでも!」
それからいくつかの解説をしてもらい、弁当を食べ終わる。
千反田も食べ終わったところで、千反田がカバンからタッパーを取り出した。
える「これ、デザートにどうぞ」
奉太郎「イチゴか、ありがとうな」
千反田が持ってきたイチゴはとても甘く、疲れた体に染み渡った。
それもすぐに食べ終わり、さてどうしようかと話していた時だった。
奉太郎「予報より、早かったみたいだな」
まだ弱いが、雨が降ってきた。 ここまで早く降るとは思っていなかったので傘は持ってきていない。
える「強くなりそうですね、その前に帰りましょうか」
奉太郎「ああ、そうだな」
そして俺と千反田は公園から出る、雨はまだ……降ったり止んだりでそこまで気にする必要はないだろう。
ここから家までは歩いて20分程くらいかかる、それまで持ち堪えてくれればいいのだが。
える「あの、今日はありがとうございました」
奉太郎「俺は暇だったからな、別にいいさ」
える「また今度、遊びましょうね」
奉太郎「……ああ、そうだな」
それから5分程歩いたところで、千反田がふと何かに気づいた様子で立ち止まった。
える「これ、スイートピーですね」
そう言い、千反田が指を指したのは人の家に飾ってあった花だった。
奉太郎「ん? ああ、花か」
える「夏咲きのスイートピー、素敵です」
奉太郎「人の物だからな、持って帰るなよ?」
える「……私がそんな事をすると思います?」
奉太郎「さあな、もしかしたらするかもしれない」
える「酷いですよ。 ただ……好きなんです、このお花」
奉太郎「……そうか」
える「ごめんなさい、行きましょう」
花、か。 俺には全く持って分からない感情だ。
える「今度は私が誘いますね?」
千反田が少しだけ俺の前に出て、振り返りながらそう言った。
奉太郎「……楽しみにしておく」
奉太郎「それより、前を見ないと危ないぞ」
その言葉を最後まで言ったか言わないかくらいの時だった。
える「きゃあ!」
予想通りと言ったらあれだが……千反田が転んだ。
奉太郎「……言わんこっちゃない」
奉太郎「大丈夫か?」
える「ご、ごめんなさい。 大丈夫です」
奉太郎「とてもそうは見えないんだが」
える「このくらいなら、大丈夫ですよ」
しかし膝の辺りを擦りむいており、転んだにしては結構な血が出ていた。
……仕方ない、とりあえずは血を止めよう。
俺はそう言い、近くにあったコンビニで水を買ってくる。
奉太郎「これで洗い流せ、見てるだけでも痛々しいぞ」
える「わざわざすいません、ありがとうございます」
そして千反田の傷口を綺麗にし、ついでに買っておいた絆創膏を貼り付ける。
奉太郎「大丈夫か?」
える「は、はい。 大丈夫です」
える「あの……折木さんって、意外と優しいんですね」
意外は余計だろ、気にしないが。
奉太郎「意外にな、そんな事より」
奉太郎「雨が少し強くなってきたな」
空を見上げると、大分薄暗い雲が敷き詰めていた。
える「みたいですね、段々と」
気付けばポツポツからサーと言った感じになっている。 ……分かりづらいか。
奉太郎「ああ、いや。 今から段々強くなってくるだろうし。 帰った方がよさそうだ」
える「あ、は、はい」
そして俺と千反田は再び歩き出したのだが、どうにも千反田は足を痛めてるらしい。
足を庇う歩き方をして、無理をして俺に付いて来ている様子だった。
奉太郎「……足が痛かったなら、そう言ってくれ」
奉太郎「さっきのコンビニで休んでもいけただろ」
える「ご、ごめんなさい。 あまり迷惑を掛けたくなかったので……」
全く、今まで1年と半年程も俺に迷惑を掛け続けよく言えた物だ。
奉太郎「今更一個増えた所で何も思わない」
える「……はい」
奉太郎「……はぁ」
俺は千反田の前に行くと、しゃがみ込む。
奉太郎「乗れ」
える「え、え、でも」
奉太郎「いいから、そっちの方が手短に済む」
える「……迷惑ですし」
奉太郎「今更一個増えても何も思わないってさっき言っただろ、逆にそっちの方が俺は助かる」
える「で、では……失礼します」
人に負ぶさるのに、その挨拶はどうかと思うが……別にいいか。
奉太郎「じゃ、いくか」
える「は、はい……ありがとうございます」
千反田はそう言い、どこか恥ずかしそうにしていた。 確かに俺も少し、恥ずかしい。
会話は自然と無くなり、道をゆっくりと進む。
奉太郎「足はまだ痛むか」
える「……」
返答が無かった。 俺はそのまま頭だけを後ろに向ける。
千反田は小さく寝息を立てながら、俺の背中で寝ていた。
別段、会話をしたい訳ではなかったし、構わないのだが……少し重い。
だが重いから起きてくれとは俺でも口にはできない、仕方あるまいと無言で歩くことにした。
30分程だろうか、ようやく千反田の家が視界に入ってくる。
奉太郎「……おい、起きろ」
える「……あ」
える「……お、おれきさん」
える「……すいません、寝てしまってました」
奉太郎「いいさ、それよりそろそろ着くぞ」
える「……ありがとうございます」
千反田はそう言い、俺の背中から降りる。
える「ええ、おかげさまで……もう大丈夫です」
その言葉は嘘ではなかったらしく、見た限り普通に歩いている。
える「今日は本当にありがとうございました」
奉太郎「……えらくエネルギー消費が激しかった一日だ」
える「次は、私が負ぶりますね」
いや、それはなんか違うだろう。
奉太郎「遠慮しておく、ここら辺でいいか?」
える「あ、はい! また遊びましょうね」
奉太郎「……そうだな」
俺は千反田に軽く手を挙げると、振り返り自分の家へと向かう。
える「……折木さん!」
一度千反田の方に振り向く、声を掛けずとも千反田は口を開き言葉を続けた。
奉太郎「花言葉? 知らないが」
単語自体は聞いた事がある、しかし内容まで知っている訳ではない。
える「そうですか、それではまた」
何だったのだろう? 深い意味があったのだろうか。
……考えるのはちょっと面倒だな。 いくら普段エネルギーを使っていないからといっても今日は疲れた。
奉太郎「ああ、またな」
雨は既に上がっていた、神山連峰から差し込む夕日に夏の一日を感じながら、俺は帰路につく事にした。
第18話
おわり
外で喚いてるセミ達も、この暑さでは焼かれるのでは無いだろうかと俺が心配するほど……今日は暑い。
しかし俺は出かけなければいけない。 昨日の夜、悪魔の電話があったせいで。
あれは確か、俺が風呂を出た後だった。 姉貴が「千反田さんから電話きてたわよ」と言うので渋々掛けたまでは良かった。
……あいつはこんな事を言っていた。
「明日古典部で集まる事になりました」
「折木さんも勿論来ますよね」
「福部さんが何やら話したい事があるらしいです」
との事らしい。
姉貴から電話が来たと聞いたときは、またどうせくだらない事だろうとは思ったが……里志が俺たちを集めるとは少し珍しい。
それに興味もあったせいか、俺は特に考えもせず行く旨を伝えてしまった。
……今日のこの気温を知っていれば、快諾は絶対にしなかっただろう。
だが、快諾をしなかったと行っても結局は行くことになっていたのかもしれない。
ああ……この思考をする時間……それこそ無駄かもしれない。 それに行かなければあいつは……千反田えるは家まで迎えに来てしまう可能性もある。
奉太郎「……面倒だ」
夏の気温と言う物に少しの悪態を着きながら俺は外へと繋がる扉を開けた。
ようこそ夏へ! と言わんばかりの湿気と温度。 学校へ着く前に行き倒れしてしまうかもしれない。
倒れればそのまま病院へと運ばれるだろう。 そして涼しい病室で俺は夏を過ごす。 案外良い物かもしれない。
奉太郎「……暑い」
だが意外と人間は丈夫にできている、案外倒れない物だ。
自転車で来ればある程度は快適に学校まで行けたかもしれないが、自転車は姉貴が使用中なのでそれも叶わなかった。
今決めた、里志に何かアイスでも奢って貰おう。 そのくらいの権利は俺にあるだろう。
奉太郎「……暑いな」
摩耶花「分かってるわよ、一々言わないで」
奉太郎「……寒いな」
摩耶花「気休めにもならないから、やめてくれない?」
奉太郎「……」
摩耶花「気まずいから何か喋ってよ」
理不尽だろ、これは。
奉太郎「……それで、後の二人はどうした」
摩耶花「さあ、まだ時間まで少しあるし……そろそろ来るんじゃない?」
千反田は百歩譲って許すとして、里志は集めた側……俺に言わせれば加害者だ。 何故あいつが居ない。
奉太郎「帰ってもいいか」
摩耶花「良いわけないでしょ」
奉太郎「……はぁ」
約束の時間まではもう少しある、もし5分過ぎても来なかったら帰ろう。 家でアイスでも食べたい。
摩耶花「……」
奉太郎「来ないな」
摩耶花「見れば分かるわよ」
奉太郎「じゃ、またな」
摩耶花「ちょっと、あんた本当に帰るの?」
奉太郎「俺はそこまで気が長くないからな、時間は無駄にしたくない」
摩耶花「よく言うわ……ほんと」
伊原を無視し、ドアに手を掛け開く。
える「おはようござい-----ひゃ!」
奉太郎「うわっ!」
丁度ドアを開けたところで、千反田が飛び込んできて俺とぶつかる。 千反田は見事に後ろへと倒れていた。
奉太郎「……大丈夫か」
える「あ、はい。 なんとか」
そのまま千反田に挨拶をして帰るわけにもいかず、仕方なく俺は再び席に着いた。
伊原は少し声を大きくし、俺に向け言ってくる。
える「え、駄目ですよ。 福部さんが来るまで待ちましょう」
狙って言ったな、伊原め。
奉太郎「……分かったよ、だがあまりにも来なかったら帰るからな」
すると伊原が俺の耳に顔を近づけ、小さく言葉を発した。
摩耶花「……ちーちゃんには甘いんだね」
奉太郎「……俺は酷く後悔している」
摩耶花「……何を?」
奉太郎「……お前に話したことを」
摩耶花「……誰にも話さないわよ」
奉太郎「……そうか、あまり期待はしないでおく」
える「あれ? 何を話しているんですか?」
摩耶花「え、ああっと……」
奉太郎「な、何でもない」
える「なんでしょう……気になります」
さあて、どう回避しようか。 伊原のせいで全く持って面倒な事になってきたぞ。
える「あ、福部さん。 お待ちしてました」
たまにはタイミングがいい事もあるな、里志は。 アイスを奢って貰うのは簡便してあげよう。
奉太郎「遅いぞ、何をしていた」
里志「色々あってね、僕も大変なんだよ」
摩耶花「何かあったの?」
里志「いや……ちょっと、ね」
える「なんでしょう……もし私達に相談できることでしたら……」
奉太郎「どうせくだらない事だろ」
える「酷いです! 折木さん!」
える「もし、福部さんが思い悩んでいたら助けてあげるのが仲間という物ですよ!」
これが友情と言う物なのか、なるほど。
摩耶花「それで、ふくちゃんどうしたの?」
里志「え? 寝坊した」
奉太郎「……里志、今日俺たちを集めた用事はなんだったんだ」
里志「あ、そうそう。 実はね」
里志「皆で旅行にいかないかな?」
奉太郎「行かない」
里志「……千反田さんはどうかな?」
える「旅行、ですか?」
里志「そそ、折角の夏休みだしね」
摩耶花「いいとは思うけど、どこに行くの?」
里志「夏と言ったら海! 沖縄に行こう!」
える「沖縄ですね! 行ってみたいです!」
摩耶花「沖縄って言っても……そんなお金無いわよ」
奉太郎「そうだそうだ、お金なんて無いぞ」
やはり、里志にはあげるべきではなかった。 回りまわって結局は俺が被害を受けることになるとは想像もできなかった。
える「え、そうなんですか?」
奉太郎「さあな、検討もつかん」
里志「おっかしいなぁ、ホータローが居なければ行けなかった筈なんだけど……」
摩耶花「ちょっとふくちゃん、早く説明してよ」
里志「チケットさ」
里志「もう大分前だけどね、ホータローに貰ったんだ」
里志「それもぴったし4枚! 僕はこれをメッセージだと思ったよ」
奉太郎「……どんなメッセージだと思ったんだ」
里志「皆で旅行に行きたいっていう、ホータローのメッセージさ」
奉太郎「やっぱりそれ返せ」
里志「人に一度あげたものを返せって言うのはどうかと思うよ? ホータロー」
摩耶花「折木もたまにはいい所あるじゃん。 行こう、皆で」
奉太郎「俺はこの為に渡した訳では無い、返せ」
える「福部さんの言うとおりです! 一度あげた物を返せというのはあまり良くないと思いますよ。 折木さん」
える「そ、そんな事はないですよ!」
える「別に沖縄に行きたいとは……思っていないです」
奉太郎「そうか、残念だったな」
奉太郎「里志、千反田は沖縄に行きたくないそうだ」
奉太郎「とても心苦しいが、3人で行こう」
俺がそう言い、里志の方に顔を向けると里志は何故か全てを悟った様な顔を俺に向ける。
里志「そうなの? 千反田さん」
える「い、いえ! 私は……」
える「……行きたいです」
里志「らしいよ、ホータロー」
里志「……良かった、これで全員参加だね」
ああ、俺は嵌められたのか。
この古典部には俺の味方など最初から居なかったのだ。
里志「え? なんの話しだい?」
奉太郎「気にするな、その内分かるから」
里志「なんか、嫌な感じだね。 とても嫌な感じがする」
摩耶花「そ、れ、で!」
摩耶花「いつ行くの?」
里志「うん、それも決めないとね」
里志「三泊四日あるから、満喫できそうだよ」
里志「じゃあ、予定を決めていこうか」
結局は、こうなる。
里志「着いたね! 沖縄!」
奉太郎「まずは旅館に行こう、荷物を置きたい」
沖縄までは飛行機で来たのだが、あの乗り物は俺を苦しめる為に存在しているのかもしれない。
あれに年がら年中乗っている姉貴を少し、尊敬する。
摩耶花「それにしても、旅館もちゃんと付いてるチケットなんてすごいね」
摩耶花「ほんのちょっとだけ、折木に感謝しておくわね」
奉太郎「形のある物をくれ」
里志「まあまあ、とりあえずは旅館に行こうか」
里志「それから観光でもゆっくりすればいいしさ」
奉太郎「ああ、そうだな……それより」
奉太郎「あいつは何をしているんだ」
俺はそう言い、首で千反田を指す。
里志「千反田さんは、多分……興味を惹かれる物があるのかもね」
確かに、さっきから静かに周りをくるくると見回している。 目を輝かせながら。
奉太郎「おい、千反田」
える「え? あ、はい」
奉太郎「行くぞ、観光なら後でゆっくりすればいい」
える「あ、そうですね。 分かりました」
俺達が泊まる事となっている旅館は、高校生が旅行で泊まるにはとても豪華すぎる程だった。
える「わあ、素敵な旅館ですね」
千反田がそう言い、俺に笑顔を向けてくる。
奉太郎「そ、そうだな」
不意打ちの笑顔に、少し動揺してしまった。
里志「僕達の部屋は……ここだね」
里志「二部屋あるから、僕とホータローは左の部屋で、千反田さんと摩耶花は右の部屋でいいかな?」
摩耶花「うん、じゃあ一回荷物置いてくるね」
える「また後で」
伊原と千反田はそう言うと、自分達の部屋へと入って行った。
俺と里志はそれを見て、同じく自分達の部屋へと入る。
里志「それにしても、随分と立派な所だね」
奉太郎「そうだな、一応姉貴にも何かお土産買って行ってやるか」
里志「うん、それがいい」
俺と里志は荷物を置くと、その場に座り込む。
里志が思い出したかの様に、口を開いた。
里志「この旅行が終われば、すぐに秋が来そうな気がするよ」
奉太郎「そうか? まだ結構時間があるだろ」
里志「あっという間さ、ついこないだまで中学生だったんだ」
里志「それが今は高校生、この分だと大人になるのもすぐかもね」
奉太郎「……そう、かもな」
少しの沈黙、窓から吹き込んでくる風が俺の髪を揺らしている。
里志「そうそう、それよりさ」
里志「ホータロー、千反田さんと何かあった?」
奉太郎「……お前もか」
里志「お前も? って事は摩耶花に何か言われたね」
奉太郎「ああ、最近仲が良くなった様に見えるとかなんとか」
里志「はは、それじゃあ僕と摩耶花は一緒の意見だ」
奉太郎「……時間が経てば、自然とそうなるだろ」
奉太郎「俺とお前だって最初から仲が良かった訳ではないしな」
里志「でも、ちょっと違うと言うか……うーん、なんて言えばいいのかな」
そして、次に里志が口を開こうとした時に扉越しから声が掛かる。
摩耶花「ちょっと、いつまで休んでいるのよ」
摩耶花「まだ夜まで時間あるしどっか行かない?」
里志「……この話は、また今度にしようか」
奉太郎「……分かった」
里志「ごめんごめん! 一回中に入って計画立てようか?」
里志はそう言うと、扉を開け中に伊原と千反田を入れる。
二人が中に入り座ると、そこを中心として里志が持ってきた地図を開いた。
里志「やっぱりさ、沖縄と言ったら首里城じゃない?」
摩耶花「あ、ちょっと行って見たいかも」
える「私は水族館に行ってみたいです! 色々と周る所が多そうですね」
三人がそんな事を話しながら、盛り上がっていた。
こんな感じは前にもあった、いつだったっけか。
……図書室で話した時か、あの時は確か……本の謎で盛り上がる三人を眺めていたんだった。
俺がこいつらの様に他愛の無い事で楽しめる様には多分、ならないだろう。
特に行きたい場所等があった訳でも無く、今回の旅行もただの成り行きだったのだ。
少しだけ自分は薔薇色なのだろうか? と前に思った事があった。
けどやはり、本質的な部分は変わらない。
俺には、灰色の方が似合っているという物だ。
摩耶花「ちょっと、折木?」
奉太郎「……ん、すまない」
その思考を、伊原によって遮られた。
摩耶花「またあんた、くだらない事考えてたんじゃないの?」
奉太郎「……ああ、そうだな」
摩耶花「……? ま、いいわ」
摩耶花「とりあえず行く場所は決まったから、準備したら外でいいかな?」
里志「うん、了解」
える「分かりました、では一度戻りますね」
奉太郎「ああ、また後でな」
……そんな事を考えていても仕方ないか。
折角の旅行だ。 少しは楽しもう。
夏の日差しは神山よりも随分と乾いていて、大分爽やかだったと思う。
沖縄特産の物を食べたり、所々にある観光名所を回っていたらあっという間に辺りは暗くなっていた。
里志「早いなぁ、もう暗くなってるよ」
摩耶花「明日もあるんだし、まだ時間はたっぷりあるでしょ」
える「そうですね。 明日は是非、水族館へ行きたいです」
奉太郎「よっぽど気に入ったのか、水族館が」
える「はい!」
里志「はは、じゃあ明日は水族館でいいかな?」
摩耶花「うん、異論無し!」
そんなこんなで早くも明日の予定は決まった様だ。
奉太郎「分かった、じゃあそろそろ戻るか」
俺の言葉を聞き、三人は旅館に向かって歩き始める。
前を歩く三人はどうやら、今日の事で話をしている様だった。
奉太郎(……疲れたな)
少し、歩きすぎた。 旅館に着いたらすぐにでも寝たい気分だ。
そんな風が一際強く吹いたとき、俺の少し前を歩く千反田が振り返る。
にこりと笑い、歩みを止め、俺の横に並んで歩き始めた。
奉太郎「……どうした」
える「いえ、折木さんが少し疲れている様子だったので」
奉太郎「そうか? いつも通りだが」
える「それならいいんですが」
える「どうですか? 沖縄は」
奉太郎「……いい所だとは、思うかな」
える「何か意味がありそうな言い方ですね」
奉太郎「まあな」
える「それはどういう意味でしょうか?」
奉太郎「敢えて言うなら、地元の人が何を言っているのか分からないって事だ」
える「……ふふ、確かにそうですね」
える「暮らすのは少し、苦労しそうです」
奉太郎「千反田は沖縄に住みたいのか?」
ああ、そうだった。 これは、しまったな。
奉太郎「……すまん」
える「何故、謝るんですか?」
える「前にも言いましたが、私は自分の場所をつまらない所だとは思っていませんよ」
える「楽しい場所、という訳でもないですが……」
だったら、だったらなんで。
何でそんな悲しそうに言うんだ。 お前は外を見たいんじゃないのか? と言おうとする。
だがそれは、言葉には出せなかった。
俺はとても、千反田の人生に口を出せるほどの人間ではない。
人から尊敬される程の人間でもない。 だから言葉に出せなかった。
奉太郎「……旅館、見えてきたぞ」
える「あ、ほんとですね。 明日は水族館、楽しみです!」
伊原と千反田と別れ、俺と里志は自分達の部屋へと戻ってきた。
奉太郎「……ふう」
里志「よっぽど疲れたみたいだね、まあ……それもそうか」
俺は窓際に置かれていた椅子に腰を掛ける。
吹き込んでくる夜風が俺の心を安らがせる。
里志「それで」
もう片方の椅子に里志が座り、話しかけてきた。
里志「ホータローはさ」
里志「自分が優しいと思った事はあるかい?」
さっきの話の続きではないらしい、また別の話だろう。
それより……俺が、優しいと思った事?
奉太郎「無いな」
里志「確かにそうだね、ホータローは優しくない」
無いと言ったが、改めてはっきり言われると少しムッとするな……
奉太郎「そう言うお前は自分が優しいと思うのか?」
里志「勿論! 甘すぎるくらいに優しいさ」
言葉からしてふざけている物と思っていたが、里志の真剣な顔を見て少し驚かされた。
奉太郎「随分と自信があるな、今度伊原に聞いてみよう」
里志「はは、摩耶花に聞いたら絶対に優しくないって返って来ると思うよ」
奉太郎「……それなら優しくはないんじゃないか」
里志「うーん、どうだろうね」
奉太郎「今日のお前は、話していると疲れるな……」
里志「それは悪いことをしてしまった、じゃあ僕はお風呂に入ってくるよ」
奉太郎「ああ、俺は後で入ることにする」
里志が居なくなった後、窓から外を眺めた。
海の匂いが少しだけして、新鮮な気分になる。
奉太郎「俺が優しいか……」
奉太郎「やはり、ないな」
まだまだ先は長い、明日は水族館か。
朝が、早そうだな……
第19話
おわり
頭を掻きながら起き上がる。
奉太郎(こいつは……寝相が悪すぎるな)
蹴った犯人はすぐに分かる、この部屋には俺と里志しか居ないのだから。
奉太郎(まだ4時か、少し距離を置いて寝よう)
里志と距離を置き、再び寝ようとしたのだが……
寝言がどうにもうるさい。 どんな夢を見ているのだろうか。
奉太郎(……少し、外の空気でも吸ってくるか)
眠いが、仕方ない。
戻ってもまだ里志がうるさいようだったら押入れに突っ込んでおこう。
そう思いながら扉を開け、廊下に出る。
ふと左から物音がし、そちらに視線を向けた
奉太郎「おはよう、伊原の寝相は悪いのか」
える「え?」
奉太郎「……いや、なんでもない」
お互いどこに行くかを言う訳でも無く、外に出た。
旅館の裏手に回ると、海が見渡せるベンチが何台か設置されており、そこに俺と千反田は腰を掛けた。
える「折木さんって、意外と朝が早いんですね」
奉太郎「本当にそう思うか?」
える「……違うんですか?」
奉太郎「俺が起きたのは、顔を蹴られたからだ」
える「顔を? ええっと……」
奉太郎「……里志は寝相が悪すぎる」
える「あ、そういう事でしたか」
える「少し、想像できますね」
奉太郎「俺はてっきりお前も同じ様に起きたと思ったんだが」
える「私はいつも朝が早いので、自然と目が覚めました」
奉太郎「ふむ、伊原も随分と寝相が悪そうだけどな」
える「その……可愛く寝ていました」
俺は寝相が悪そうだな、と言った。
対する千反田は可愛く寝ていたと言った。
千反田はうまく否定する言葉が出なかったのだろう。 千反田も中々に苦労している様だな。
奉太郎「……少し、つまらない話をしてもいいか」
える「はい、いいですよ」
奉太郎「あの話は、まだ話せそうに無いか」
これは確認だった。 後どのくらいの時間があるのか、と。
だが、話の内容を聞きたいという気持ちも少しあったのかもしれない。
える「……すいません、まだ……できません」
える「もう少し、もう少しなんです」
千反田はそう言いながら、俺の顔を見ながら話している。
そう言う千反田の顔は、とても申し訳無さそうにしていた。
そして最後の言葉を言うときには、俺から顔を逸らしていた。
そこまで申し訳無さそうにされてしまうと、なんだか悪いことをした気分になってしまう。
奉太郎「……変な事を聞いてすまなかった」
える「い、いえ」
奉太郎「少し眠いな、俺はもうちょっと寝る事にする」
える「そうですか、私もそろそろ戻ります」
それから会話は無かった。
終始申し訳無さそうにしている千反田を見ていると、やはりこの会話はするべきでは無かったのかもしれない。
える「では、また後で」
奉太郎「ああ」
最後に挨拶を軽くすると、俺は再び部屋へと入る。
奉太郎(……押入れに押し込むか、こいつ)
俺の布団を巻き込み、とても幸せそうに里志は寝ていた。
……その後、何度か里志を押入れに入れようとするが中々うまく行かない。
仕方がないので俺が押入れで寝る事にした。
気分はどこかの青い狸である。
意外にも寝心地が良く、すぐに夢の中へと俺は入って行った。
朝は少し面倒くさい事になってしまった。
起きたら押入れの扉は開いていて、里志と伊原が俺の事を携帯のカメラで撮っているのが最初に見た光景だ。
……携帯ではなく、スマホか。
まあそんな事はどうでもいい。 その写真を消すのに大変な労力を使ってしまったのだ。
しかし……中途半端に寝て起きたせいで、若干頭が痛い。
だが折角来ているんだ、少しくらいは我慢しよう。
あまりこいつらに、迷惑は掛けたくはない。
そして今は水族館へと来ている。
里志「この水族館は結構有名だね」
里志「大きく分けて、3つのエリアがあるみたいだよ」
摩耶花「へぇー。 どんなのがあるの?」
里志「まずは一つ目、サンゴ礁」
奉太郎「サンゴ礁? それって見ていて楽しいのか」
里志「ただサンゴを見るだけじゃないさ、そこに住んでいる魚達も一緒に見れるみたいだね」
える「は、早く行きましょう!」
里志「あはは、落ち着いて千反田さん」
里志「ここが多分、一番迫力があるんじゃないかな?」
摩耶花「黒潮って言うと……サメとかかな?」
里志「そう、その通り!」
奉太郎「ほお、それはちょっと見てみたいな」
える「そうですよね! あの、早く行きましょう」
奉太郎「少しは里志の説明に耳を傾けろ……時間はあるんだし」
える「あ、す、すいません……」
里志「じゃあそんな千反田さんの為に、手っ取り早く説明を終わらせちゃうね」
里志「もう一つは深海」
える「深海……ですか」
里志「深海は面白いよ、普段見れない魚がいっぱいいる」
奉太郎「ま、暇はしそうにないな」
摩耶花「そうね、じゃあ行こうか?」
摩耶花「ちーちゃんも早く行きたそうだし」
える「ご、ごめんなさい。 私、楽しみで」
里志「良い事さ、ホータローにもこのくらい興味を持って欲しい物だね」
奉太郎「ふん、いいから行くぞ」
奉太郎「まずはどこから周るんだ?」
里志「そうだね……どうしようか?」
摩耶花「あ、じゃあサンゴから見たいかな」
える「はい! 行きましょう」
奉太郎「特に決まっていないなら、そこから周るか」
それにしても、随分と広いな。
前に千反田と行った所よりも2、3回り大きいのではないだろうか?
俺は少し、楽しんでいるのかもしれない。
水族館に行きたいと言った千反田には感謝しておこう。
奉太郎(千反田よ、ありがとう)
摩耶花「折木何やってるの? 置いて行くわよ」
奉太郎「ちょっとくだらない事を考えていた、行くか」
摩耶花「ここは、ヒトデとかが居るのかな?」
里志「うん、そうみたいだね」
える「あ、あの。 これって触ってもいいんでしょうか?」
奉太郎「いいんじゃないか? 他の人も触っているし」
える「で、ではちょっと失礼して……」
そう言い、千反田は水槽の中に手を入れた。
える「か、可愛いですね。 」
てっきりヒトデを触るのかと思ったが、千反田はナマコを触りながらそう言っていた。
奉太郎「それが……可愛いのか?」
える「え? 可愛いと思いますが……」
里志「僕はこっちの方が好みかな」
そう言う里志が手に持つのはウニ。
摩耶花「な、なに」
奉太郎「お前はあいつらが持っている物が可愛いと思うか?」
摩耶花「なんか嫌だけど、折木と思っている事は一緒だと思う」
奉太郎「そうか、少し安心した」
しかし放って置いたらいつまでも里志と千反田は夢中になって、他の所に回れなくなってしまう。
奉太郎「おい、そろそろ行くぞ」
二名とも、渋々と言った感じで水槽から離れて行った。
でも確かに、あのウニやナマコの水の中で優雅に暮らしている生き方は学べる所が大いにあるだろう。
省エネに終わりはないのだ。
奉太郎「みたいだな」
少し大きめの水槽には、色々な種類の熱帯魚達が居た。
摩耶花「……かわいいなぁ」
そう呟く伊原の顔は、とても子供っぽく見えた。
伊原は元々童顔であるが……この時は本当に中学生……ひょっとしたら小学生にも見えた。
える「本当ですね、可愛いです」
える「で、でも。 この大きなお魚は小さなお魚を食べてしまわないのでしょうか?」
奉太郎「……」
想像してみた。
客がたくさん見ている中で、食べられていく小さな魚達。
奉太郎「いや、ないだろ」
摩耶花「わぁ……」
……今度は伊原か。
奉太郎「いつまで見ている、次に行くぞ」
俺がそう言うと、伊原は俺の方を睨み付ける。
なんというか、この態度こそが里志と千反田とは違うのだろう。
そして俺はふと思う。
何故、憎まれ役が俺なのだろうか。
里志「まだ他にも小さなエリアがあるみたいだけど、違う所に移ろうか?」
える「ええ、そうですね。 他のエリアも気になります!」
摩耶花「うん、どうせ来たならざっとでも全部見たいもんね」
奉太郎「んじゃ、最初の場所に一回戻るか」
摩耶花「次はどこに行こうか?」
奉太郎「旅館に行こう」
摩耶花「……ちょっと黙っててね」
奉太郎「……ああ」
これが多分、気のいい奴だったら「そうだ! 旅館に行こう!」となるのだろうが、伊原相手では絶対にならない。
里志「あ、じゃあ次は黒潮の所に行かない?」
える「大きなお魚がいる所ですね! 行きましょう!」
ま、否定する理由も無い。 流れに乗って行くか。
摩耶花「おっけー!」
奉太郎「……すごいな」
とても巨大な水槽の中に、サメやマンタが居る。
迫力は物凄い物がある、これは……
える「……すごいですね」
千反田も思わず声を漏らしていた。
摩耶花「うう……ちょっと怖いね」
える「……可愛いです」
え? これも可愛いに入るのか?
里志「やっぱりこうでなくちゃね! 水族館に来たからには!」
里志「このでっかい水槽を見ていると、自分達が水槽の中にいるんじゃないかって錯覚しちゃうよ」
える「……来て良かったです、本当に」
奉太郎「そうだな、これは来て良かったと思う」
摩耶花「折木がそんな事言うのって、珍しいね」
奉太郎「……俺も普通に感動とかするからな、言っておくが」
里志「え、そうだったの?」
奉太郎「それは冗談なのか? 本気で言っているのか?」
里志「いや……割と本気だったけど……」
さいで。
える「このガラスが割れたら……すごい事になりそうですね」
突然割れるガラス、逃げ惑う人々。
そしてサメは人々を食らい尽くすのだ。
いや、確かこのサメは人にあまり危害を加えないとか言っていた気がする。
奉太郎「まあ、割れないだろ」
える「……そうですか、それなら良かったです」
摩耶花「ちーちゃん、折木ー! 次行くわよ」
俺は渋々、巨大な水槽から離れる。
あ、伊原や千反田や里志はこういう気持ちだったのか。
さっきは悪いことをしてしまったな……
奉太郎「次はどうする?」
里志「うーん、僕と摩耶花は行きたい所に行っちゃったしね」
摩耶花「ちーちゃんに決めてもらおうか? 折木に聞いてもろくな事無いし」
悪かったな、ろくな事しか言えないで。
奉太郎「でも行ってない所はあと一つだろ? なら別に決めなくてもいいんじゃないか」
里志「あ、確かにそうだね。 じゃあ行こうか?」
える「あ、あの」
千反田が何かを言いたそうに、既に次に向かい歩いている俺達に声を掛ける。
摩耶花「どうしたの? ちーちゃん」
える「……すいません、少しはしゃぎすぎたみたいで……疲れてしまいました」
える「旅館に、戻りませんか?」
里志「意外だな、千反田さんがそんな事を言うなんて」
摩耶花「でも確かにちーちゃん、すごく楽しんでたもんね」
奉太郎「……」
里志「ま、じゃあ戻ろうか?」
摩耶花「うん、大分時間も経っていたみたいだしね」
俺が言った時と変わった事は……無い。
ここまで来ると自分自身が少し、かわいそうに思えて仕方ない。
だが、旅館に戻れるならまあ……いいか。
そして俺たちは、旅館へと戻って行った。
伊原と里志は少し買い物をすると言って、二人で出て行った。
一度は俺と里志の部屋に集まった四人だったが、今は俺と千反田しか居ない。
奉太郎「それにしても、珍しいな」
える「何がです?」
奉太郎「お前が疲れたって言った事だ」
える「あ」
える「あれはですね、少しだけ……嘘だったんです」
奉太郎「ん? どういう意味か教えてくれ」
える「疲れたというのは本当です。 ほんの少しだけでしたけど」
える「本当はですね、少し、その」
える「折木さんが辛そうに見えた物で」
える「どこか、具合が悪かったんですか?」
奉太郎「いや……少し頭が痛かっただけだ」
奉太郎「別にそこまでしてくれなくても……良かったんだがな」
素直にお礼を言えない自分に少し、腹が立ってしまった。
える「そうでしたか、では余計なお世話でしたね……すいません」
奉太郎「なんでだ」
える「え?」
奉太郎「悪いのは俺だ、何で俺を責めない?」
える「何故、ですか……自分でもちょっと、分かりません」
える「でも、折木さんは悪くないですよ」
奉太郎「少し、一人にしてくれるか」
俺が変な事を言ってしまうのは、頭が痛むからだろう。
そう思わないと、どうしようもなかった。
える「はい、分かりました」
える「それでは折木さん、お大事に」
千反田はそう言うと、俺の部屋の扉を閉めようとする。
奉太郎「……千反田」
聞こえるか聞こえないかくらいの声だったが、しっかりと聞こえていた様だった。
える「はい? どうかされましたか?」
奉太郎「その、ありがとな」
える「……はい!」
俺は千反田のその声を聞くと、ゆっくりと瞼を下ろす。
ああ、やはり頭が痛む。
旅館まで戻ってきたのは、正解だった。
少し、寝よう……
その日が確か二日目だったから、今日が終わればもう帰らなければならない。
飛行機は朝の予約となっている、実質的には今日が最終日か。
今日は朝から沖縄市内を全員で周り、お土産やら特産品等を食べ歩いたりした。
そして夕方になって日が傾き始めたところで里志が思い出した様に言った。
里志「そういえば……海に行って無くない?」
俺達はその言葉でようやく、気付けたというのがあれだが……
だがもう夜になる、諦めるしかないだろうと俺が言ったのだが千反田が納得しなかった。
える「では、海辺で花火はどうでしょうか?」
との提案を出してきたのだ。
勿論これには里志と伊原は大賛成。
俺も否定する必要も無いので賛成し、今は海へと来ている。
買いすぎた。
何を買いすぎたかと言うと……無論、花火をだ。
これがいい、これもいい、とやっている内に、とても四人で使うには多すぎる量の花火となっていた。
かれこれ一時間もやっているのに終わりがまだ見えない。
俺はそれに飽き、少し離れた所で座り込む。
10分ほどそうやって眺めていたら、里志も花火に飽きたのかこちらにやってきた。
里志「隣、いいかい?」
奉太郎「ああ」
そう返事をすると、里志は俺の隣に腰を掛ける。
里志「この前の話の続きでもしようか」
この前の話……ああ。
奉太郎「俺と千反田が仲良くなったとか、そんな話だったか」
里志「それで、どうなんだい?」
奉太郎「どう、と言われてもな」
奉太郎「まあ、お前達から見ればそう見えるのかもな」
里志「ホータロー自身はそれを感じているんだろ?」
奉太郎「どうだろうな、自分の変化は良く分からんからな」
里志「……僕は回りくどいのは嫌いだからね、単刀直入に聞くよ」
里志「ホータローは、千反田さんの事をどう思っているんだい?」
伊原はどうやら、本当に誰にも言っていない様だった。
里志が知らないという事はそうなのだろう。
奉太郎「前に、伊原にも同じ様な事を聞かれたな」
里志「はは、摩耶花は結構勘が鋭いからね。 僕は常日頃から用心しているよ」
里志「……それで、ホータローは摩耶花の質問になんて答えたのかな?」
奉太郎「千反田の事が、好きだと」
里志「……やっぱりそうか」
里志「僕はさ、意外性がある人間が好きなんだ」
奉太郎「つまり、普通に人を好きになった俺は好きになれないって事か」
里志「……まさか、逆だよ」
奉太郎「……逆?」
里志「僕にとってはね、何事にも興味を示さないホータローこそが普通なんだ」
里志「だからそんなホータローが、人を好きになったって事が意外な事なんだよ」
里志「違うかい?」
奉太郎「灰色の俺が普通だって言うなら、そうかもな」
奉太郎「そんなつもりは無いが」
里志「……いや、そうだね」
里志「確かに今のホータローは灰色だよ、間違い無い」
奉太郎「なら、少し安心した」
里志「少なくとも今は、だけどね」
里志「それを決めるのはホータロー自身さ、周りから見たらどうこうって話じゃない」
奉太郎「なら俺が自分は薔薇色だと思えば、そうなるのか?」
里志「それも少し違うね、その内分かると思うよ」
奉太郎「今のままで十分だ、変化なんて……いらない」
里志「……それは、千反田さんに関しても?」
奉太郎「分からん、まだ答えが出ていないんだ」
里志「そうか……まあゆっくりと決めなよ、時間は沢山あるんだからさ」
そうだろうか。
奉太郎「いや……あまり、無いかもしれない」
里志「どういう事だい?」
里志「前にした話だね、それは」
里志「確かにそれなら、少し焦らないといけないかもしれない」
奉太郎「ああ、そうだな」
奉太郎「……少なくとも、今年が終わる前に……答えを出さないといけない気がするんだ」
里志「はは、応援しているよ。 ホータロー」
奉太郎「ああ、そうだ。 一つ聞きたい事があるんだった」
その時、波が強く打ち付けられた。
奉太郎「-------、-------、---?」
里志「-------、---、----------」
俺と里志の声は、波の音に掻き消された。
だが里志の返答はしっかりと聞こえていた、少し、少しだけだが。
……夜も遅い時間になってきたな、風は大分冷たい。
そうか、もう……夏も終わりか。
若干の肌寒さを覚え、一つの夏が終わるのを俺は感じていた。
第20話
二章
おわり
乙ありがとうございます。
しかし、そこには彼等を待ち受ける4人の刺客が!!
遠垣内「俺が司るのは統率……この部屋に来たのが運の尽きだったな」
目的の文集を無事、奪えるか!?
沢木口「ちゃお! それじゃあ早速、死んでもらうね」
無事に姉の供恵を救うことができるのか!?
羽場「ここまで来たのは認めてやろう、だがここを簡単に突破できると思うなよ?」
彼等は、えるが掛けられてしまった呪いを解くことができるのか!?
中城「わはは、久しぶりだな! お前らとは一度戦って見たかった!!」
そして最後に待ち受ける人物とは!?
入須「ご苦労、よくここまできたな」
入須「早速ですまないが……」
入須「入須の名の元に命ずる」
入須「------------地に這え!!」
える「っ! ……この、能力は!?
里志「まさか、重力を!?」
入須「違うな、私の能力は……」
入須「絶対命令--------それが私の力だ」
奉太郎「そ、そんな無茶苦茶な……!」
入須「くくく……私は女帝だぞ? 貴様らに勝ち目等無い」
その先に……ある物とは!?
夏が終わり、季節は秋へと移り変わる。
奉太郎は、答えを出すことができるのだろうか?
入須「君に、それを言う権利があるのかな?」
日常は日々消費されて行く。
摩耶花「ちーちゃんは……私の友達だ!!」
行き着く先には、何があるのか。
里志「それは違う、僕が言いたかったのはね」
それは幸せか、或いは……
奉太郎「考えろ、思い出せ……一字一句、繋がる筈だ」
時間は無い、結末は……
える「……さようなら、折木さん」
古典部の物語は、最終章へと……
ちーちゃん…
Entry ⇒ 2012.10.21 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
奉太郎「古典部の日常」 3
それで水族館から1時間程自転車を漕いで帰ったのだが……
里志「おかえり、ホータロー」
なんで、家の前にこいつが居るのだろうか。
いや、里志だけではない。
摩耶花「どこに行ってたのよ」
伊原もだ。
える「え、ええっと」
奉太郎「なんでお前らが俺の家の前に居るんだ」
すると伊原が盛大な溜息をつき、ひと言。
摩耶花「ちーちゃんが休みって聞いたから、折木の風邪が移ったと思って来たんじゃない!」
摩耶花「ちーちゃんの家に行っても居ないし……」
摩耶花「折木の家に来ても誰も居ないし!」
摩耶花「一体どこに行ってたのよ」
あ、ひと言ではなかった。
というか、なるほど。
千反田が心配でまずは千反田の家に行ったが誰もおらず。
その後、俺の家に里志と伊原で来たが……そこにも誰も居なかった。
どうしようかと呆然としているところに俺と千反田が戻ってきたと言う訳だ。
解決解決。
える「今度、動物園に行きましょう!」
いや、解決する訳がなかった。
摩耶花「え? 動物園?」
摩耶花「ごめん、ちょっと意味が……」
ま、そうだろうな。
そして里志が少し考える素振りをしてから、口を開く。
里志「大体分かったかな」
里志「つまりホータローと千反田さんは遊びに行ってたって訳だ」
里志「二人とも学校を休んでね」
こいつも随分と勘が冴えるようになってきたな……
悔しいが、当たっている。
奉太郎「まあ……そうなるな」
摩耶花「折木が無理やり連れ出したんじゃないの?」
こいつは、よくもこう失礼な事を言える物だ。
える「ち、ちがいます! 私が水族館に行きたいと言ってですね……」
里志「あのホータローがよく一緒に行ってくれたね」
里志「僕はどっちかというと、そっちの方が驚きかな」
奉太郎「ずっと寝てたからな、体を動かしたくなったんだ」
摩耶花「折木、やっぱりまだ熱あるでしょ……あんたが自分で動きたいなんておかしいよ」
……そこまで俺は動かない奴だっただろうか?
里志「まあまあ」
里志「確かにそれは気になるけどね……でも千反田さんも風邪じゃ無かったし」
里志「ホータローも元気になったってことでよかったんじゃないかな?」
そう言うと、里志は俺の方を向き、いたずらに笑った。
……里志、少し感謝しておくぞ。
とりあえずこれで一安心といった所か。
摩耶花「まあ……ちーちゃんが無事ならいっか」
いや、まだだ。
こいつが居た。
摩耶花「ちーちゃん、どういうこと?」
える「今日、水族館に行ってですね」
える「是非、動物園にも行ってみたいと思ったんです!」
さいで。
里志「ははは、いいんじゃないかな?」
える「そう思いますか、福部さん! 」
摩耶花「そうね、私もちょっと行ってみたいかな」
える「摩耶花さん!」
里志と伊原は承諾してしまった。
……俺の方を見ないで欲しい。
奉太郎「……分かった、今度行こう」
最近ではほとんど諦めに近い感じとなってきているが……ま、いいか。
える「良かったです、楽しみにしていますね」
最悪の展開は避けられたし、良しとしよう。
つまり、俺が言う最悪の展開とは、千反田が俺の家に泊まったという事が伊原と里志にばれると言う事だ。
そんな事がばれてしまったら、俺はこれからずっと風邪で学校を休むことになりそうである。
奉太郎「よし、じゃあ今日は帰るか」
里志「そうだね、そろそろ日が落ちて来ているし」
摩耶花「うん、じゃあ予定とかは明日の放課後に決めようか?」
える「はい! では明日の放課後に部室に集合で」
奉太郎「ああ、それじゃあまたな」
油断していた。
釘を……刺しておくべきだった。
俺は振り返り、手を挙げ別れの挨拶をした。
千反田の口が動いているのが分かった、何を言おうとしている?
さようなら? とは違う。
口が「お」の形になる。
お……お……
これは、風邪を引くことになりそうだ。
える「折木さん! また泊まりに行きますね!」
伊原と里志が千反田の方を向く、ついで伊原の叫び声。
摩耶花「お!れ!きー!」
ドアを閉めよう、俺は知らん。
鍵を掛け、チェーンを掛けると俺は外から聞こえる叫び声に震えながら、静かにコーヒーを淹れるのであった。
そして、ようやく外が静かになった頃、家の電話が鳴り響いた。
奉太郎「里志か、どうした」
里志「いきなりそれかい? ホータロー」
里志「僕が摩耶花をなだめるのに使った労力をなんだと思っているんだ」
奉太郎「おー、それはすまなかったな」
里志「……ま、いいさ」
里志「それより少しは説明してくれると思って電話したんだけど」
里志「どうかな?」
奉太郎「今、近くにあいつらは?」
里志「んや、いないよ」
里志「家の方向が違うからね、なだめた後は別れた」
奉太郎「そうか」
里志「それで、話してくれるのかい?」
奉太郎「……少しだけな」
こうなってしまっては仕方ない、別にやましい事をした訳でもあるまいし。
里志「だろうね、ホータローがそんな事をするとは思えない」
里志「何か、理由があったのかい?」
奉太郎「理由、か」
奉太郎「あるにはあった」
里志「へえ、どんな?」
奉太郎「色々世話になってな、夜遅くになってしまっていたんだ」
奉太郎「そんな中、帰す訳にはいかなかった」
奉太郎「かと言って、無理に泊まれって言った訳じゃないからな」
里志「ふうん、それは意外だなぁ」
奉太郎「意外? 無理に泊まらせなかったのがか?」
里志「あのホータローがそれだけの理由で泊まらせたってのが意外だと思ったんだ」
奉太郎「……何が言いたい」
里志「やっぱり変わったよ、ホータローは」
奉太郎「それは……少し自分でも分かっている」
里志「自覚があったのか、前のホータローなら」
奉太郎「絶対に千反田を泊めていなかった、だろうな」
里志「そう、その通りだよ」
奉太郎「それで、結局お前は何が言いたいんだ」
奉太郎「前の俺の方が良かった、か?」
里志「いや? 今のホータローも充分良いと思うよ」
里志「ただ、ね」
里志「今のホータローは、ちょっと見ていて辛いんだ」
奉太郎「は? 意味が分からんぞ」
里志「……いや、なんでもない」
里志「まあ、事情が聞けて安心したよ! それじゃあ僕はこれで」
奉太郎「お、おい!」
……切られた。
客観的に見ても、昔の俺よりは幾分かマシだろう。
そのマシの判断基準になる物はなんなのかは分からないが、一般的に見て、という事にしておく。
あいつの言っている事は、時々意味が無いこともあるし、大して相手にしないのだが……少し気になるな。
気になる、か。
俺にも千反田が乗り移り始めているのかも知れない。
あまり頭を使うと、熱がぶり返して来そうだ。
明日は……行くしかないだろうなぁ。
里志がなだめたと言っていたので、多少は安心できるが……
ううむ、今から寒気がするぞ。
いや、決めた。
男には腹を括らねばならない時がある物だ。
それが今なのか? という疑問は置いといて、とりあえず頑張ろう。
さて、明日はなんて言い訳をしようか、と思いながら残りの時間は消費されていった。
今日の作戦はこうだ。
まず、朝は伊原をなんとか回避する。
できれば千反田も回避した方がいいだろう。
なんせ、セットでいる可能性が高い。
そして放課後は、里志と一緒に部室に行く。
以上、作戦終わり。
奉太郎(はあ……行くか)
朝から気分が悪いな、全く。
放課後までは生きていたい、俺にも生存本能はある。
いつもの場所で、里志を見つけた。
奉太郎「おはよう」
里志「おはよ、ホータロー」
奉太郎「昨日はすまんな、伊原の事」
里志「なんだい、そんな事か」
里志「構わないさ、摩耶花をなだめるのも慣れてきたしね」
奉太郎「そうか、じゃあ一つ頼みがあるんだが」
里志「ホータローが? 珍しいね」
里志「うーん、生憎そういう趣味はないんだけどね」
奉太郎「……里志」
里志「ジョークだよ、でも一緒にはいけないかなぁ」
里志「今日は委員会があるからちょっと遅れそうなんだ」
早くも、作戦は失敗に終わってしまった。
奉太郎(仕方ない、千反田と行くしかないか)
奉太郎(伊原と二人っきりだけは、避けたいしな)
まずは、千反田と合流しよう。
ちなみに、俺はA組で千反田はH組である。
奉太郎(遠いな……)
しかし、ここで省エネしていては後が怖い、なんとかH組まで到達し、扉を開ける。
人は結構居たが、千反田が見当たらない。
奉太郎(もう部室に行ったのだろうか?)
ならば仕方ない、部室の様子をちょっと覗いて、居なかったら帰ろう。
ドアを、そっと開ける。
奉太郎(静かに開けよ……)
少しだけ開いた隙間から、中を覗いた。
見えるのは……伊原。
千反田は見当たらない。
奉太郎(さて、帰るか)
誰も俺を責める事はできない。
考えてみろ、わざわざ牙を向いて待っているライオンに飛び込んで行く餌などは居るはずがない。
という訳で、俺の行動も別段普通の事である。
教室のドアを閉めて変な音が出ても困る、そのままにして帰る事にした。
足音を立てないように、そっと階段まで戻る。
ここまで来れば、もう安全だろう。
摩耶花「あれ、折木じゃん」
摩耶花「どこに行くの?」
奉太郎「い、いや……ちょっと散歩を」
摩耶花「あんたが散歩? 珍しいわね」
摩耶花「でも疲れたでしょ、部室で休んでいきなさいよ」
奉太郎「あ、ああ。 そうしようかな」
会話だけ見れば、普通の会話だろう。
だが、伊原の手は俺の肩を掴み、骨でも砕く勢いで力を入れている。
渋々、伊原の後に付いて行く。
付いて行くという表現は正しくないだろう。
正しくは、連れて行かれてる。
摩耶花「よいしょ」
そう言うと、伊原は席に着く。
ここで小さくなっていてもどうしようもない。
いつも通りにしておこう。
そう思い、席に着き本を開く。
やはりというか、部室には俺と伊原だけだった。
3分ほどだろうか? 突然伊原が机を叩く。
奉太郎(言ってから叩いてくれよ……)
寿命が縮まることこの上ない。
奉太郎「ど、どうした」
摩耶花「昨日の事、話してくれるんでしょうね」
奉太郎「……やはりそれか」
摩耶花「まあね、ちーちゃんに聞いても答えてくれないし……あんたに聞くしかないじゃん」
奉太郎「ちょ、ちょっと待て」
奉太郎「伊原は関係無いだろう、今回の事は」
摩耶花「私の友達に何をしたか聞いてるのよ!!」
奉太郎(千反田とは違う形で後ずさるな、これは)
奉太郎「わ、わかった」
摩耶花「ま、そうだとは思ったわ」
摩耶花「折木に何かする度胸なんてあるわけないしね」
奉太郎(……ひと言余計だ、こいつは)
奉太郎「それで、千反田が飯を作ってくれたのは知ってるだろ」
奉太郎「それを食べて少し話をしていたら、すっかり辺りが暗くなっていて」
奉太郎「そのまま帰す訳にもいかないから、泊まるか? と聞いたんだ」
摩耶花「ふうん」
奉太郎「別に強制した訳じゃないぞ」
摩耶花「そうなんだ、分かったわ」
なんだ、意外と素直だな……
奉太郎「……まだ何かあるのか」
摩耶花「前からすこーしだけね、気になってたんだけど」
摩耶花「折木って、ちーちゃんの事好きなの?」
奉太郎「は、はあ!?」
やられた、こいつの目的はこれか。
摩耶花「別に嫌なら言わなくてもいいよ、少し気になっただけだし」
奉太郎「……前から、って言ったな」
奉太郎「いつぐらいからそう思っていたんだ」
摩耶花「もう大分前、去年の文化祭の時くらいだったかな?」
そ、そんな前から?
奉太郎「……そうか」
摩耶花「で、どうなの?」
伊原には、話しておくべきなのだろうか?
いや、むしろこれは隠すことなのか?
伊原がそう思っていると知った以上、隠すのにも労力が必要になるだろう。
ならば、話は早い。
否定する必要も、無い。
俺がつい最近気付いた事を、伊原は去年から知っていたと言うのだ。
それを聞いた俺が無理に隠しても、どうせいずればれてしまう。
摩耶花「へええ、あの折木がねぇ……」
奉太郎「……悪かったか」
摩耶花「ううん、折木も一緒なんだなって思ってね」
奉太郎「一緒?」
摩耶花「私たちとって事」
摩耶花「あんた、何事にもやる気出さなかったじゃない」
奉太郎「まあ、否定はしない」
摩耶花「そんな折木でも恋とかするんだなぁって思っただけ」
奉太郎「……俺も確信したのは最近だったがな」
摩耶花「そうだろうね、あんたって自分の変化には疎そうだし」
奉太郎「……悪かったな」
しかし周りから見たらそれほどまでに分かりやすかったのだろうか……
まあ、もう10年近い付き合いになる、気付かない方がおかしいのかもしれない。
摩耶花「ところでさ、あんたは私に聞かないの?」
奉太郎「……何を?」
摩耶花「ちーちゃんが折木の事をどう思っているか」
摩耶花「私がちーちゃんに聞けば、答えてくれると思うよ」
奉太郎「それはいい」
摩耶花「即答、ね」
奉太郎「知りたくないと言えば嘘になるが、それは千反田の口から直接聞くべきだろ」
奉太郎「面倒くさいのは嫌いなんだ」
摩耶花「やっぱり、折木は折木ね」
奉太郎「それはどうも、話は終わりでいいか?」
摩耶花「うん、ごめんね引き止めちゃって」
奉太郎「別に、いいさ」
摩耶花「ちーちゃんは今日部活に来れないってさ、さっき廊下で会った時に言ってた」
奉太郎「じゃあ、話し合いは明日だな。 俺は帰る」
奉太郎「ああ、じゃあな」
全く、なんという余計な行動だったのだろうか。
だが、別に話したからと言って何も変わる事ではないだろう。
気楽に、考えるか。
それにしても伊原とあんな感じで話したのは初めてじゃないか?
根はいい奴と言うのも、間違いではないな。
今日は帰ろう、風呂に入りたい気分だ。
第9話
おわり
私は、聞いてしまいました。
聞いてはいけない事だったでしょう。
ですが、私に聞きたいという感情さえ無ければ……聞かずに済んでいました。
つまり私は、折木さんの気持ちを一方的に知ってしまったという事です。
何故こんな事になったかというと、少しだけ時間を遡らないといけません。
私はいつも通り、部室に入ろうとしました。
そこで、丁度階段を上ってきた摩耶花さんと鉢合わせとなります。
える「摩耶花さん、こんにちは」
える「他の方は、まだみたいですね」
摩耶花「あ、ちーちゃん」
摩耶花「後で皆も来ると思うよ」
える「えっと、それなんですが……」
える「すいません、今日はちょっと用事が入ってしまいまして」
折角の話し合いだったのに、少し残念です。
ですが、家の用事は絶対に外せないので仕方がありません。
摩耶花「あー、そうだったんだ」
摩耶花「じゃあ私が皆に伝えておくよ」
える「そうですか、では宜しくお願いします」
私は頭を下げると、摩耶花さんが部室に入るのを見てから、ドアを閉めました。
そう思いながら階段に差し掛かった時です、聞き覚えのある足音がしました。
える(これは、折木さんのでしょうか?)
今でも、何故こんな行動を取ったのか分かりません。
私は咄嗟に部室の前まで戻り、更に奥の物陰に隠れました。
と言っても、大して隠れられていません。
恐らく、見つかるでしょう。
ですが、折木さんは何かに怯えている様な顔をし、視線が泳いでいます。
そして私に気付かないまま、部室の扉を少し開けると、中を覗いていました。
える(何をしているのでしょうか?)
そして覗いた後にすぐ、部室から去ろうとします。
折木さんが去ってからほんの数秒後に、ドアを開けて摩耶花さんが出てきました。
摩耶花さんは階段の方まで走って行くと、折木さんと会った様です、話し声が聞こえてきました。
える(折木さんは、どこか落ち着きがなかったのでばれなかったみたいですが……)
える(摩耶花さんが来たら、ばれてしまうかもしれません)
そう考えた私は、一度部室の中へと入ります。
こんな事さえしなければ……
そして、やはり摩耶花さんと折木さんは部室に向かってきました。
える(どこかに、隠れないと……)
私が隠れた場所は、部屋の隅にあるロッカーの中でした。
える(……私は一体何をしているのでしょうか)
そして、少し時間を置いて会話が始まります。
どうやら昨日の事の様です。
何度か迷いました、ここから出て行こうかと。
ですがタイミングを失ってしまい、次に始まった会話で更に失ってしまいます。
「折木って、ちーちゃんの事好きなの?」
摩耶花さんが言う、ちーちゃんとは私の事です。
つまり私の事を好きなのか? と折木さんに聞いている事になります。
私はこの先を聞いてもいいのでしょうか?
ダメです、聞いてはダメな内容です。
そして、聞いてしまいました。
「……そうだ、俺は千反田の事が好きだ」
その言葉を、聞いてしまいました。
私は、どんな顔をしていたのでしょうか。
嬉しいという感情が溢れていたのは分かります。
ですが、何故……私の目からは涙が落ちているのでしょうか?
折木さんの気持ちに、私は答えていいのでしょうか?
その資格が、私にあるのでしょうか?
考えれば考えるほど、涙が溢れてきます。
そして、ある事に気付きます。
える(これが、私が自分で答えを出さないといけない問題なのでしょう)
える(折木さんの事ばかり考えてしまうのは、そういう事だったんですね)
える(私は……折木さんに)
える(答えていいのでしょうか)
える(好きです、と……答えていいのでしょうか)
そう考えながら、やがて誰も居なくなった部室に出ると、静かに外に出ます。
今回は、少し卑怯でした。
私は自分の行動を後悔しながら、帰路につきました。
第9.5話
一章
おわり
里志「ホータロー、どうしたんだい?」
そして、何故か里志と二人っきりだ。
奉太郎「この状況をうまく言葉にできないものか考えていた」
里志「それはまた、難しい事を考えているね」
里志「だって僕でさえ、この状況は理解に苦しむよ」
そう言う里志の顔はいつも通りの笑顔。
俺は小さく息を吐くと、一度整理することにした。
俺たち4人は、動物園に来ていた。
と言うのも千反田がどうしても行きたいらしく、特にすることが無い暇な高校生の俺たちは行くことになったのだが。
最初は4人で行動していた筈だ、だったら何故里志と居るのか?
確か、伊原と千反田が一回別行動をしようと言って……どこかに行ってしまったから。
確かというのは、俺が単純に話をちゃんと聞いていなかったからである。
すると里志は……
里志「え? てっきりホータローが聞いていると思ったんだけど」
と答えた。
俺と里志は数秒間、顔を見合わせるとお互いに溜息を吐く。
里志「うーん、じゃあ動物でも見ながら探そうか」
と里志は意見を述べた。
無闇に探すよりは、確かに効率がいいかもしれない。
そう思った俺は渋々承諾したのだが……
園内をほとんど見終わっても、伊原と千反田は見つからなかった。
そして成り行きでウサギ小屋で休憩を取っている所である。
なんといっても男二人だ。
奉太郎「それで、大体見回ったと思うが」
奉太郎「どうするんだ、これから」
里志「僕は別にホータローと二人でも構わないんだけどね」
里志「一生に一度、あるかないかだよ」
里志「ホータローと二人で見る動物園、なんてさ」
……こいつはどうにも前向きすぎる。
奉太郎「俺が嫌なんだよ、何が楽しくてお前と二人で周らないといけないんだ」
里志「はは、そう言われると困るね」
しかし、本当に困ったな。
動物園はそこまで広くはないが、迷路みたいに入り組んでいる。
全部周ったとしても、すれ違いになる可能性が高い。
ん? 待てよ。
連絡を取る方法……あるじゃないか。
里志「前にも言ったけどね、携帯じゃなくてスマホだよ」
さいで。
奉太郎「んで、そのスマホで伊原に連絡は取れないのか?」
里志「さすがホータローだよ! その考えは無かった!」
どこか演技っぽく言うと、里志は続けた。
里志「ってなると思うかい? 今日は忘れてきたんだ」
肝心な時に……
奉太郎「……帰って明日謝るか」
里志「それはダメだよホータロー」
里志「だって、来る時は摩耶花と千反田さんに道を任せていただろう?」
里志「僕たちだけじゃ、家に帰り着く事は不可能だね」
奉太郎(よくそんな情けない事を自信満々に言えるな)
奉太郎「……そういえばそうだったな」
奉太郎「それじゃあ、どうするか……このままここに住むか?」
里志「悪い案では無いね、でもそれだと学校に行けなくなってしまう」
里志「動物に囲まれて朝を過ごす、一度はやってみたいけどね」
里志「でもやっぱり……もう一回、周ってみるのが最善かな?」
奉太郎「……分かった、もう一度周ろう」
そう言い、ウサギ小屋から出ようとした時に、視線を感じた。
なんかこう……獰猛な動物に睨まれるような。
里志「タイミング、完璧じゃないか!」
里志「摩耶花! 助かったよ」
檻に入っているのは俺、里志、そしてウサギ達。
それを外から不審者を見る目で見ているのが伊原。
奉太郎(ウサギ達の気持ちが、少し分かった)
摩耶花「時間も場所も言ったはずよね、なんでこんな所にいるのよ」
里志「ご、ごめんごめん。 ホータローと周っていたらついつい忘れちゃって」
摩耶花「ふーん、折木と回った方が楽しいんだ。 ふくちゃんは」
奉太郎(1/100で悪かったな)
摩耶花「ま、いいわ」
摩耶花「鍵閉めておくから、またね」
摩耶花「ちーちゃん、行こ?」
これからの人生、ウサギと共に過ごすことになるのだろうか。
える「え、ええっと……私は……」
里志「千反田さん! 開けて!」
摩耶花「ちーちゃんに頼るんだ? へえ」
奉太郎「……はぁ」
奉太郎「そろそろ行くぞ、時間が勿体無い」
そう言うと伊原もようやくふざけるのを止め、俺たちが檻から出るのを待つ。
奉太郎「それで、お前たちは何をしていたんだ」
摩耶花「ちょっと、買い物をね」
買い物? 何かお土産でも買っていたのか?
える「これです!」
そう言いながら千反田が取り出したのは、ウサギの置物?
奉太郎「これを? 部屋にでも置くのか?」
える「部屋と言えばそうです、部室に置こうと思って……」
なるほど。
確かにあの部室は簡素すぎる。
伊原が描いた絵は映えているが、どうにも寂しい。
摩耶花「そ、それは」
伊原の態度を見て、察した。
大方、何か里志に買ったのだろう。
奉太郎「ま、いいさ」
奉太郎「それより一度、飯にしよう」
里志「うん、ウサギと遊んでいたらお腹が減っちゃったよ」
その言い方だと、俺もウサギと遊んでいたみたいに聞こえるのでやめてほしい。
える「ウサギさんと遊ぶ折木さん……ちょっと気になります」
ほら、こうなるだろ。
奉太郎「俺は遊んでないぞ、見ていただけだ」
里志「そうそう、ホータローがウサギと遊ぶところはちょっと見たくないかな」
える「……そうですか、残念です」
動物を見てから肉を食べる気は、あまりしなかった。
伊原と千反田も同じ考えのようで、麺類を頼んでいる。
だが、里志は肉を食べていた。
人それぞれなのだろうか、あまり気にする様な奴には見えないし。
摩耶花「ふくちゃん、よくお肉食べられるね」
里志「それはそれ、これはこれだよ」
里志「一々気にしていられないさ」
ふむ、こういう考えもありなのかもしれない。
等と、少し哲学的な事を考えながら昼飯を済ませる。
どうやらプレゼントでも渡すつもりなのだろう。
それに着いて行く様な真似はさすがの俺でもできない。
える「あ、あの。 折木さん」
対面に座る千反田が話しかけてきた。
える「これ、プレゼントです」
これは意外。
俺にもプレゼントをくれる人が居たとは……
奉太郎「おお、ありがとう」
千反田がくれたのは、ペンダントだった。
中に写真が入っており、その写真には綺麗な鳥が写っていた。
しばらくペンダントに見とれていた。
気付くと、千反田が俺の方をじーっと見つめている。
奉太郎「……今は付けないからな」
える「え、はい……そうですか」
奉太郎「……恥ずかしいだろ」
える「そ、そうですよね。 分かりました」
そんな会話をしている内に、伊原と里志が戻ってきた。
慌ててペンダントを隠す、なんとなく。
奉太郎「さて、これからどうする?」
里志「僕とホータローは大体見て周っちゃったからなぁ」
里志「二人で周ってきたらどうだい? 僕達はここで待ってるよ」
える「いいんですか? じゃあ摩耶花さん、行きましょう」
摩耶花「今度はフラフラしないでここに居てね、二人とも」
はいはい、分かりました。
女二人で話したい事もあるだろうし、これでいいか。
何より座っている方が楽だ。
と言っても里志と二人で話す事も無いのだがな……
それは俺だけの話であって、こいつはあるみたいだ。
奉太郎「なんだ」
里志「僕が摩耶花に貰ったもの、分かるかい?」
奉太郎「さあな、見当もつかん」
里志「これだよ」
そう言って、里志はテーブルの上にそれを置いた。
ゴトン、という大きな音をたてて。
置かれたのはかなり重そうな招き猫だった。
奉太郎「これは……」
里志「正直な話、最初はまだ怒っているのかと思ったよ」
里志「でもそんな感じじゃなかったんだ、それで仕方なく受け取った」
奉太郎「気持ちが大切って奴じゃないのか」
里志「でもこの気持ちはちょっと重すぎる」
奉太郎「確かにな、随分重そうだ」
里志「かなり、ね」
里志「僕の巾着袋が破けないかが、今一番心配な事だよ」
にしても。
奉太郎(でかいな……)
テーブルの上に置かれた招き猫は、とても大きな威圧感を放っていた。
里志「それより、だ」
里志「ホータローは何を貰ったんだい?」
見られていたか? いや、そんな筈は無い。
奉太郎「何も貰ってないぞ」
里志「嘘はよくないなぁ、友達じゃないか僕達」
奉太郎「……」
最近になって、里志はやたら勘が鋭くなってきている。
俺にとっては迷惑な事この上ない。
里志「何年友達やってると思っているんだい? 顔を見ればすぐに分かるさ」
奉太郎「なるほど、まあいい、確かに貰った」
里志「何を?」
奉太郎「それは言わない」
里志「残念だなぁ」
奉太郎「一つだけ言えるのは、その招き猫より小さいって事くらいだな」
里志「はは、いい例えだ」
そう言うと、里志は窓から外を眺めた。
奉太郎「そうか? いつも通りだろ」
里志「いいや、違うね」
里志「ホータローとこういうちょっと離れた場所に来るっていうのは、新鮮だよ」
里志「最近はホータローも活発的とは程遠いけど、動くようにはなってきたしね」
里志「そんな毎日が、少し新しくて楽しいのかもしれない」
奉太郎「ふうん、そんなもんか」
里志が楽しいと自分で言うのも、結構珍しいな。
里志「それと、こういう突発的な災難ってのもね」
そう言い、外を指差す。
なるほど、これは確かに災難だな。
空は、どんよりとした色をしていた。
そんな会話を聞いていたのか、やがて雨は降り出した。
里志「こりゃ、二人とも雨に降られたね」
奉太郎「だろうな、一緒に行ってなくて良かった」
だが俺達は二人とも傘なんぞ持っていない。
ならば諦めて降り注ぐ雨を眺めているのが効率的と呼べる。
それに伊原にはフラフラするなと言われている、これならば仕方ない。
奉太郎「いつまで降るんだろうな」
里志「うーん、すぐに上がりそうだけど、どうだろうね」
里志も俺と同じ考えなのか、探しに行こうとは言わなかった。
奉太郎「いよいよする事が無くなったな」
里志「そうだね、こうしてみると男二人ってのは寂しいもんだ」
奉太郎(さっきまで、ウサギ小屋ではしゃいでたのはどこのどいつだ)
俺は未だに上がりそうに無い雨を見ながら、コーヒーを一杯頼む。
里志「それにしても、後2年かぁ」
奉太郎「2年? 何が」
里志「僕達が高校を卒業するまでだよ」
奉太郎(卒業か、考えたことも無かったな)
奉太郎「まだ2年もある」
里志「ホータローにとってはそうかもしれないけど、僕にとっちゃ後2年なんだよ」
それもまた、感じ方の違いと言うものだろう。
奉太郎「楽しい時間はすぐに過ぎる、か」
里志「……ホータローがそれを言うとは思わなかったかな」
奉太郎「俺にもそれを感じる事くらいはあるさ」
里志「ふうん、ホータローがねぇ」
奉太郎「……里志は毎日が楽しそうだな」
奉太郎「それもそうだな」
里志「でも、たまには楽しくない日も欲しいとは思うけどね」
奉太郎「……なんで、そう思う?」
里志「さっきホータローが言ったじゃないか、楽しい時間はすぐに過ぎるって」
里志「つまり楽しくない時間なら、長く感じるって事さ」
里志「そうやって、一日を大切にしたいって思うこともある」
里志「それだけの話だよ」
奉太郎「そうか、じゃあ俺は随分と長い高校生活を送れそうだ」
里志「それはどうかな? 終わってみると案外早い物だよ」
現に既に高校生活の1年は過ぎている……少し納得できるかもしれない。
里志「それとね、終わってから気付くこともあるんだ」
奉太郎「終わってから?」
里志「うん、その時はつまらないって思ってた日々も、終わってから振り返ると楽しかった日々に思える」
里志「つまり結局は、時間が過ぎるのは早いんだよ」
里志「楽しくない日が欲しいって言うのは、無理な話かもね」
奉太郎「現に今も退屈で仕方ない」
里志「ははは、それには同意するよ」
そう里志が言うと、少しの沈黙が訪れた。
ふと窓の外に視線を流すと、どうやら雨が上がったようで、雲の隙間から陽が差し込んでいる。
里志「ホータロー」
里志に呼ばれ、顔を向けると店内の入り口を指差していた。
そのままそっちに顔を向けると、雨に降られた千反田と伊原の姿見える。
伊原は俺たちを見つけると、どこか不服そうに、睨んでいた。
奉太郎「千反田はともかく、伊原になんと言われるかって所か」
里志「そうそう、よく分かってるよホータローは」
奉太郎「フラフラするなと言ったのは、伊原だったと思うがな……」
里志「それを摩耶花の前で言ってごらん、摩耶花は絶対にこう言うね」
里志「折木は臨機応変って言葉の意味、知ってる?」
里志「ってね」
奉太郎「里志がそこまで断言するなら、言わない事にしよう」
里志「懸命な判断だよ、ホータロー」
そう言い笑う親友と共に、腕を組み、待ち構えるライオンの元へと食われに行くのであった。
第10話
おわり
里志とはあんな事を話していたが、時が経つのはやはり早い。
少し前まで、やっと高校生かー等と思っていた物だ。
気付けば進級していて、そして気付けばすぐ目の前に夏がやってきている。
初夏と言うのだろうか、セミが鳴いていてもなんもおかしくない暑さ。
そんな暑さに叩き起こされ、俺は不快な朝を迎えた。
奉太郎(暑いな……)
唯一幸いな事は……今日は日曜日、学生身分の俺は休みである。
しかしとりあえずは水を飲もう、このままでは家の中で死んでしまう。
寝癖も中々に鬱陶しいが、まずは喉を潤さなければ。
そんな事を思い、リビングに赴く。
リビングに着くと、いつ帰ったのだろうか……姉貴が居た。
供恵「おはよ、奉太郎」
奉太郎「帰ってたのか、おはよう」
確かこの前海外へ行ったのが2ヶ月くらい前か?
いや、1ヶ月前くらいか。
奉太郎「今回は随分と早かったな」
供恵「そう? 外国に行ってると感覚が狂うのよねー」
そんなもんか。
そう言いながら、姉貴はバッグから物を探す素振りをする。
俺は姉貴に視線を向け、水を飲みながら姉貴の話に耳を傾けた。
供恵「お土産、買ってきたわよ」
供恵「買ってきたってのは変ね、貰ってきたが正しいかしら」
そう言い、手渡されたのは4枚のチケットだった。
奉太郎「沖縄旅行、3泊4日?」
供恵「そそ」
供恵「この前の友達らと行って来なさい」
沖縄か、確かにありがたいが……
しかし、そんな時間は無いだろう。
奉太郎「あのなぁ、俺たちは高校生だぞ」
奉太郎「1週間近くも離れるなんてできない、学校があるしな」
供恵「ふうん、そっか」
姉貴は素っ気無く言うと、それ以降は口を開こうとしなかった。
話はどうやら終わったらしい。
奉太郎(里志は確か妹がいたな、あいつにあげるか)
チケットを渡すついでに里志と遊ぼうかと思ったが、外の暑そうな空気にその気は無くなる。
奉太郎「一応礼は言っておく、ありがとう」
供恵「可愛い弟の為だからねー」
奉太郎「それと、一ついいか?」
供恵「ん? なに?」
奉太郎「このチケットって、海外のお土産では無いだろ……」
供恵「そりゃーそうよ、商店街の人に貰ったんだもん」
さいで。
ま、とにかくこのチケットは次に会った時にでも渡すとして……
今日は何をしようか?
奉太郎(あれ、俺ってこんな行動的だったか?)
いや、違う。
別にする事なんて求めていない。
ただ、ごろごろとしていればいいだけだ。
そう思うと、寝癖を直すのもなんだか面倒になってきた。
その結論に至ってから、俺の行動はとても単純な物になる。
30分……1時間……クーラーが効いたリビングで過ごす。
やはり、こうしているのが俺らしいという事だ。
そんな事を考え、しかし部屋まで戻るのも面倒だな、など考えているときにインターホンが鳴った。
……リビングには姉貴もいる、任せよう。
供恵「はーい」
供恵「あ、久しぶりね」
供恵「ちょっと待っててねー」
姉貴が転がる俺の頭を足で小突く。
もっと呼び方という物があるだろう……全く。
奉太郎「……なんだ」
供恵「と・も・だ・ち」
供恵「来てるわよ」
その時の姉貴の嬉しそうな顔と言ったら……省エネモードに入った俺には起き上がるのも辛い。
しかし、尚も頭を蹴り続ける姉貴に負け、今日一番嫌そうな顔をしながら起き上がる事にした。
無視し続けては後が怖い、これが本音というのが悲しい。
奉太郎(寝癖直すのも面倒だな……このままでいいか、とりあえずは)
伊原や千反田まで居たら、とても面倒な事になって仕方ない。
しかし、悪い予感というのは良く当たる物で、玄関のドアを開けると見事に全員が揃っていた。
奉太郎(暑いな……)
顔だけを出し、問う。
奉太郎「日曜日にわざわざ何をしに来た」
里志「古典部としての活動だよ」
休日に? 馬鹿じゃないのかこいつらは。
奉太郎「明日でいいだろ……」
摩耶花「あんた今何時だと思ってんの? 寝癖も直さないで……」
奉太郎「今日は家でごろごろすると決めたんだ、帰ってくれ」
える「今日でないとダメなんです!」
迫る千反田に咄嗟に後ろに引くと、頭だけを出していた俺は当然の様に挟まる。
幸い、その失敗に気付いた者は居なかった。
里志「千反田さんもこう言ってるし、折角来たんだからさ、いいじゃないか」
奉太郎「……今日は暑すぎる、今度にしないか」
暑い、休日、面倒くさいの三拍子、断る理由としては結構な物だろう……多分。
里志「だってさ、どう思う? 二人とも」
里志はそう言うと、二人の方に振り返り答えを促した。
摩耶花「いいから来なさいよ、暑いのは皆一緒でしょ」
える「アイスあげますから、はい!」
奉太郎(アイス……? 物凄く子供扱いされているな、俺)
当然、他二名は来い、と言うだろう……だがここで引くほど俺も甘くは無い。
里志「はあ、仕方ないなぁ」
少しだけ残念そうな顔を里志がしたせいで、やっと帰ってくれるのかと思ったが……里志が無理やりドアを開いてきた事で若干だが焦った。
奉太郎「お、おい」
里志は大きく息を吸うと、ひと言。
里志「おねえさーん!」
この馬鹿野郎。
それを予想していたかの様に、直後に姉貴が現れる。
供恵「里志くん、お久しぶり」
供恵「どしたの?」
くそ、最近は里志も俺の使い方を分かってきたのか……やり辛い。
姉貴に苦笑いを向けながら、俺は言う。
奉太郎「今から、皆で遊びに行くところだ。 ははは」
供恵「ふ~ん、行ってらっしゃい」
姉貴は物凄く嬉しそうに笑うと、リビングに戻っていった。
それを見届けた後、満足気に笑う里志に向け、ひと言伝える。
奉太郎「……覚えとけよ、里志」
里志「はは、夜道には気をつけておくよ」
こんな感じで、俺は折角の休みだと言うのに古典部の部室まで足を運ぶはめになった。
全員が席に着き、話を始める。
摩耶花「そうそう、この前ふくちゃんと遊んだときなんだけどね」
摩耶花「30分も遅れてきて、笑いながら謝ってきたの」
摩耶花「少し遅れちゃったね、ごめんねーって」
摩耶花「酷いと思わない!?」
える「そうですね……福部さん、それは少し酷いと思いますよ」
里志「千反田さんに言われちゃうと、参っちゃうなぁ」
これが古典部としての活動か、なるほど納得! ……帰ってもいいだろうか。
頬杖を突きながら俺は異論を唱える、当然だ。
奉太郎「そ、れ、で」
奉太郎「古典部の活動ってのはこの事か?」
数秒の間の後、千反田が思い出したように手を口に当てた。
える「……そうでした! 今日は目的があって集まったんでした!」
奉太郎(おいおい……)
溜息を吐きながら、新しく設置されたウサギの物置に目をやった。
窓際に置かれたそれは日光に当てられ見るからに暑そうだ、可愛そうに。
える「それでですね、今日集まったのは……」
える「今年の氷菓の事についてです!」
里志「ああ、文化祭に出す奴だね」
摩耶花「でも今年って文集にするような事……ある?」
奉太郎「あれって毎年出すのか?」
摩耶花「当たり前でしょ、3年に1回とかどんだけする事のない部活なのよ」
奉太郎「……ごもっとも」
里志「ホータローにとっては3年に1回でも随分な労力に違いないけどね」
俺は里志を一睨みすると、少し気になった事を千反田に訪ねる事にした。
える「はい、どうぞ」
千反田はそう言うと手を俺に向けた、司会はどうやら千反田努めてくれるらしい。
奉太郎「それが、今日じゃないとダメな事か?」
千反田は人差し指を口に当てながら、答える。
える「いえ、今日じゃないとダメという事は無いですね」
つい、頬杖で支えていた頭が少しずれる。
奉太郎「……さっき言っていたのはなんだったんだ」
奉太郎「俺の家の前で、今日じゃないとダメとかなんとか」
える「ああ、あれですか」
える「えへへ、そう言わないと、折木さんが来ないと思いまして」
奉太郎「……」
千反田は、こういう奴だっただろうか……?
どうにも最近は、里志やら千反田やら、俺を使うのに慣れてきているのだろうか。
そうだとしたら……俺の想像以上に面倒な事になってしまう。
奉太郎「……帰っていいか」
える「それはダメです! 氷菓の内容を決めないといけないです!」
一応持ってきていた鞄を掴む俺の手を、千反田が掴む。
奉太郎「……分かったよ、手短に終わらせよう」
渋々承諾するも、一刻も早く家に帰り休日を満喫したい。
里志「と言っても、内容が無いよね」
摩耶花「そうね、去年は色々とあったから良かったけど……」
里志「今年は内容がないよね」
える「困りましたね……」
里志「内容がないと困るね……」
奉太郎「別に何でもいいだろ、今日の朝は何食べたとかで」
里志「内容がないよう!」
里志が席を立ち、一際声を大きくし、嬉しそうな顔で言う。
どっちかというと……叫んでいた。
摩耶花「ふくちゃん、少しうるさいよ」
奉太郎「黙っててくれるとありがたいな」
える「福部さん、お静かに」
流石に3人に言われると、里志はようやく静かになった。
まさか千反田までもが言うとは思っていなかったが……
一旦静まった部屋の空気を変えるように、千反田が口を開く。
える「ではこういうのはどうでしょう? これから文化祭までに何かネタを見つける、というのは」
摩耶花「……それしか無さそうね」
悪い案ではない、が。
奉太郎「見つからなかったらどうするんだ? 今年は何か芸でもやるか?」
える「私、何もできそうな事が無いです……すいません」
摩耶花「ちーちゃん、本気にしないで」
える「あ、冗談でしたか」
こいつは本気で何か芸でもするつもりだったのだろうか。
少しだけ見たい気はするが……
俺は机を指でトントンと叩きながら言う。
奉太郎「後4ヶ月で何か見つけろというのは……難しいと思うぞ」
里志「あ、いい事思い出したよ」
またどうでもいい事を言うんじゃないだろうな、こいつは。
摩耶花「くだらない事言わないでね」
伊原もどうやら同じ意見の様だ。
しかし……伊原の視線が恐ろしいな、俺に向けられてないのが幸いだが。
里志「千反田さん、一つ気になることあったんじゃなかったっけ?」
奉太郎「ばっ……!」
える「あ、そうでした!!」
くそ、やられた。
今日は里志が口を開くとろくな事が無い。
える「折木さんに是非相談しようと思っていたんです!」
俺の返答を聞く前に、千反田は続ける。
える「実はですね、DVDの内容が気になるんです!」
える「す、すいません」
える「お話しても、いいでしょうか?」
奉太郎「……それと文集とどう関係があるんだ、里志」
里志「特にはないね、でも新しい発見ってのは重要な物だよ。 ホータロー」
奉太郎「……はぁ、分かった」
奉太郎「千反田、話してみてくれ」
える「ありがとうございます」
える「それでは最初から、お話しますね」
コホン、と小さく咳払いをすると話が始まった。
える「私は摩耶花さんが見終わった後に、お借りしました」
える「一つはコメディ物のお話で、もう一つはホラー物でした」
奉太郎(ホラーとコメディが同じDVDに入っているのか……少し見て見たいな)
摩耶花「それよ!」
伊原が机を叩き、声を挙げる。
こいつは俺の寿命を縮める為にやっているのではないだろうか? 等疑ってしまうのは仕方ない。
それと……急に大声を出すのは、本当にやめてほしい。
奉太郎「それって、何が?」
摩耶花「……もう片方は感動系だった!」
つまり二人が見ていた話の系統が違う……と言う事か?
える「そうなんです! 変ではないですか?」
一つ案が浮かんだ、成功すれば見事に手短に終わらせられるいい方法。
奉太郎「普通だろう、伊原がホラーを感動して見ていただけの話だ」
摩耶花「おーれーきー!」
おお、怖い。
仕方ない、逆転させよう。
奉太郎「じゃあこうだ、千反田が感動物を怯えながら見ていた、これで終わり」
える「お・れ・き・さ・ん! 真面目に考えてください」
……どっちに転んでも怖い思いをするのは俺の様だ。
なんで休日にこうも頭を使わなければいけないんだ……
全ての元凶の里志を見ると、それはもう楽しそうに笑っていた、あの野郎。
奉太郎「まず、DVDを見た日は同じ日か?」
える「はい、そうです」
奉太郎「ふむ」
可能性としては、あるにはあるな。
順番としては……
コメディをA、ホラーor感動物をBとして考えよう。
恐らく順番はA→Bに間違いは無い。
問題はそのBがホラーか感動物か、ということだ。
もう少し、情報が必要だな……
奉太郎「そのDVDはどこで見たんだ?」
える「場所……ですか?」
える「神山高校の、視聴覚室です」
奉太郎「視聴覚室? 学校まで来たのか?」
える「ええ、昨日は摩耶花さんと遊んでいまして……DVDを見ようって事になったんです」
える「それで、私の家には機材がありませんし……摩耶花さんの家は用事があり、お邪魔する事ができなかったので」
える「私たちは、学校で見ることにしたんです」
奉太郎(……学校の物を私物化する奴は初めて見たな)
ん? それはおかしくないか。
奉太郎「なんで一緒に見なかったんだ?」
える「見終わった後に、感想をお互いで交換しようと思っていたからです」
奉太郎(随分と暇な奴らだな……)
まあそれならば一緒に見なかったのは納得がいってしまう。
える「摩耶花さんが見終わった後は、今度は私が見させて頂きました」
える「私が終わった後、感想を交換しているときにお互いの意見が違う事に気付いたんです」
奉太郎「なるほど、な」
それならば話は早い、条件は揃っている。
深く考える必要も無かったな。
里志「……さすが、ホータロー」
里志「何か分かったみたいだね」
摩耶花「え? もう分かったの?」
奉太郎「まあな、でも一つ確認したい事がある」
える「確認、ですか?」
奉太郎「俺が聞きたいのは、何故もう一度二人で見ようとしなかったのか、だ」
奉太郎「意見が違った時点でそうするのが手っ取り早いだろ」
える「あ、そ、それでしたら……」
何故か千反田が言い淀む。
摩耶花「先生にね、ばれそうになっちゃって」
何をしているんだか、こいつらは。
奉太郎「……許可くらい取っておけ、次から」
奉太郎「だがそれのせいで、お前らも気付かなかったんだろうな」
える「は、早く教えてください! 気になって仕方がありません!」
奉太郎「わ、分かったから落ち着け、それと少し離れろ」
千反田が少し距離を取るのを見て、俺が話を始める。
奉太郎「結論から言うぞ」
奉太郎「そのDVDには、話が3本入っていたんだ」
奉太郎「そうだ、だから千反田達が見た内容が違っていた」
える「でも、でもですよ」
える「3本話があったとしますね」
える「わかり辛いのでA,B,Cとしますと」
奉太郎「千反田が言いたいのはこういう事だな」
千反田 A→B→?
伊原 A→B→?
える「そうです!」
える「でもこれですと、私と摩耶花さんが見ているお話が違うのはおかしくないですか?」
奉太郎「ああ、そうだな」
摩耶花「……そうだなって、まさかまた私とちーちゃんが見たものは受け取り方が違ったとか言うんじゃないでしょうね」
奉太郎「それを言うと後が怖い、だからさっき確認しただろ」
奉太郎「DVDを見た場所について、だ」
千反田 C→A→?
摩耶花 A→B→?
える「この場合なら、見た内容が違うと言うのも分かります……ですが」
える「どうして話の始まる場所が違っていたんですか?」
奉太郎「同じ場所で見た、というのが原因だ」
奉太郎「一度DVDを抜いていれば、こんな事は起こり得ない」
奉太郎「伊原がA→Bと見た後に巻戻しが行われないまま、千反田がC→Aと見たんだ」
奉太郎「伊原は元から2本しか入っていないと思っていたんだろう? なら巻戻しをしなかったのは説明が付く」
摩耶花「……なるほど!」
える「確かにそれなら……納得です」
える「私の、言い方ですか?」
奉太郎「さっきこう言っただろう」
奉太郎「一つはコメディ物のお話で、もう一つはホラー物でしたってな」
奉太郎「一瞬、千反田が最初に見たのがコメディ……つまりAだと思った」
奉太郎「だがそうすると伊原と合わなくなるからな」
奉太郎「最初に見たCがコメディとは考え辛い」
える「なるほど、つまり……」
私 ?→?→?(コメディとホラーは見ている)
摩耶花さん A→B→?(コメディと感動物を見ている)
える「この時点で、Aはコメディだという事が分かるんですね」
奉太郎「そうだ、Bがコメディだと言う事もありえない」
奉太郎「そこから考えられるのは一つしかない」
奉太郎「伊原がまず最初の二つを見て、その後千反田が最後の話と最初の話を見た」
奉太郎「そのせいで、意見に違いが出たんだろう」
奉太郎「考えれば分かるだろ……DVDのパッケージでも見れば書いてあるだろうしな」
摩耶花「あー、これ……もらい物なんだよね。 中身だけの」
奉太郎(DVDをあげた奴に俺が被害を受けているのを伝えたい)
える「そういう事でしたか、すっきりしました」
える「では、今度は全部見て感想を交換しましょう! 摩耶花さん」
摩耶花「うん、また持ってくるね」
奉太郎「暇な奴らだな、全く」
摩耶花「折木にだけは、それ言われたくない」
奉太郎(その通り、としか言えんな)
すると、ずっとニヤニヤしていた里志が口を開いた。
里志「確かに、分かってみれば簡単な事だったかもね」
里志「それに良かったじゃないか、文集のネタが一つ増えた」
……こんな事を文集にするのか、勘弁して頂きたい。
里志「そうかな? 僕は結構楽しめたけど」
える「私も良いと思いました、ありがとうございます」
そんな改まって頭を下げることでも無いだろうに……少し、照れる。
奉太郎(それはそうと)
奉太郎(16時……俺の休みが……)
明日からは、また学校が始まってしまう。
何が楽しくて休日の学校に来なければいけなかったのか……くそ。
それからまた関係の無い話を始める3人を眺め、やはりこれは放課後に済ませられた会話だったと俺は思った。
……やはり、納得がいかんぞ。
第11話
おわり
里志「いやあ流石だね、ホータロー」
里志「DVDの謎は無事に解決! お見事だったよ」
奉太郎「何がだ、あんなのは誰にでも思い付くだろ」
奉太郎「あれを謎と言ったら、全国のミステリー好きに失礼って物だ」
里志「いやいや、僕なんかじゃとても思いつかないよ」
あ、この感じ……次に恐らく。
里志「データーベースは結論を出せないんだ」
ほら言った。 へえ、そうなんだ。
そんな里志を軽く流すと、朝に姉貴から貰った物を思い出す。
奉太郎「ああ、そういえば」
奉太郎「これ、やるよ」
里志「ん? これは……沖縄旅行?」
奉太郎「姉貴に貰った奴だが、使ってる時間なんて無いだろ、家族とでも行ってくればいい」
里志「気が効くねぇ、ありがたく貰っておくよ」
千反田か伊原にあげてもよかったんだが、高校を一週間近く休むのは結構でかい物があるだろう。
その点、里志は大して気にしなさそうだし、まあ……いいんじゃないだろうか。
奉太郎「よくそんな物を持ち歩いているな」
里志「さっき買ったんだけどね、せめてものお礼だよ」
そう言うと、里志は缶コーヒーを投げ渡してくる。
銘柄を見ると、微糖の文字が見えた。
奉太郎(甘いのは好きじゃないんだがな……)
フタを開け、口に含んだ。
やはり甘い。
奉太郎(不味くは無いし、まあいいか)
そしていつもの交差点に差し掛かった。
ここで里志とは別々の道となる。
そのまま今日は別れると思ったが、里志は立ち止まると俺に顔を向け話しかけてきた。
奉太郎「どうって、何が」
里志「前に話した事だよ、楽しい日だったかっていう奴さ」
ああ、あの時の話か。
奉太郎「全く楽しくは無かった、気付けば休日が終わってしまったからな……勿体無いという感情はあるぞ」
里志「あはは、気付けば終わったって事は楽しかったんじゃないのかな?」
奉太郎「俺はとても、そうとは思えん……」
里志「ホータローにもいつか分かる時が来るさ、それじゃあまた明日」
奉太郎「ああ、また明日」
奉太郎(俺にも分かる時が来る、か)
奉太郎(楽しいと思う日もあるにはあるが)
奉太郎(今日は確実に無駄な日だったな……)
そいつは目の前で止まり、自転車を降りる。
奉太郎「……まだ何か用か、千反田」
える「用事、という程の事ではありません」
える「今日の、お礼を言いに来たんです」
奉太郎(お礼? DVDの事か?)
える「ありがとうございました、折木さん」
奉太郎「なんだ改まって、言いにきたのはそれだけか?」
える「もう一つあります」
える「ペンダント、着けて来てくれたんですね」
奉太郎「ああ、まあな。 折角貰った物だから」
少し恥ずかしくなり、顔を千反田から逸らす。
える「嬉しいです、ありがとうございます」
奉太郎(それだけを言いに来たのか? でも何か、言われるのを待っている?)
これでも一応1年間、千反田えるという人物と過ごしている。
そんな経験が、俺に違和感を与えていた。
何か、何かあったのか? と聞こうとする。
だがそれを聞いたら、今の仲が良い友達という関係が壊れてしまうような、そんな気も同時にする。
それを今やっているという事は、つまりは普通では無いのだ。
千反田はもう言う事が無い筈なのに、俺の方を見つめていた。
奉太郎「……千反田」
俺は、聞いてもいいのだろうか?
しかし、やはり嫌な予感がする。
える「はい」
言わなければ、何があったんだ? と。
だが……
奉太郎「……また明日、学校で」
俺は、口にできなかった。
える「はい、また明日、ですね」
千反田の顔は一瞬悲しそうな表情になったが、すぐにいつも通りに戻っていた。
奉太郎(俺は、間違えたのだろうか? 聞くべきだったんじゃないのか……?)
リビングには、俺と姉貴が居る。
姉貴なら、分かるかもしれない。
奉太郎「なあ、姉貴」
供恵「んー?」
煎餅をぼりぼりと食べながら、反応があった。
奉太郎「千反田……友達の女子なんだが」
奉太郎「今日帰り道であってな、何か言って欲しそうな雰囲気だったんだ」
奉太郎「なんだと思う?」
供恵「そりゃー、告白じゃないの?」
奉太郎「……真面目に考えてくれ」
供恵「うーん、ふざけているつもりは無かったんだけど」
供恵「それじゃないとなると……何か悩みでもあったんじゃないかな」
とてもそうは見えなかったが……
奉太郎「悩み、か」
供恵「そうそう、人間誰しも悩みの一つや二つ、あるもんよ」
奉太郎「そんな物か、そういう姉貴にはあるのか?」
供恵「ないね」
奉太郎(一つや二つあるんじゃなかったのかよ……)
奉太郎「俺は、そいつにそれを聞いてやれなかったんだ」
奉太郎「聞いたとして、今の関係が壊れそうな気がして……」
供恵「あんま思い悩む事もないでしょ」
奉太郎「……友達、だぞ」
供恵「ほんっと、あんたは無愛想な癖に愛想がいいんだから」
供恵「悩みっていうのはね」
供恵「自分からどうにかしようとしないと、どうにもならないのよ」
供恵「これあたしの経験談ね」
供恵「それで、今あんたが言ってたその子は」
供恵「心のどこかで、自分の抱えている悩みをあんたに聞いて欲しいと思ってたんだと思う」
供恵「でも向こうから言って来なかったって事は、まだ自分から解決しようとしてないのかもね」
奉太郎「だからこそ、言わなかったんじゃないのか」
供恵「その場合もあるわ、だけど今日……その子はあんたに聞いて欲しそうにしてたんでしょ?」
奉太郎「まあ、そうだな」
供恵「だったら簡単じゃない、あんたに頼ろうとしてたのよ」
供恵「奉太郎だったら解決してくれるかもしれない、とか思ってね」
奉太郎「それなら尚更……」
奉太郎「手を差し伸べるべきじゃなかったのか?」
供恵「それは違うね、ちょっと悪い言い方になっちゃうけど」
見事に即答、だな。
供恵「その子は、奉太郎に甘えようとしてたんじゃないかな」
甘えようと?
確か前に、千反田はその様なことを言っていた気がする。
……そういう事か。
供恵「それはダメ」
供恵「それはその子にとっても、奉太郎にとっても決していい方には転ばない」
供恵「あんた、意外と優しいからね」
供恵「でも向こうが相談してくるまで待つって言うのも大事よ」
奉太郎「……そんなもんか」
供恵「深くは考えないで、ゆっくり待っていればいいのよ」
そう、か。
そうだな、そうするか。
奉太郎「……分かった、助かったよ」
供恵「じゃあ、はい」
奉太郎「ん? なんだその手は」
供恵「コーヒー淹れて来て。 相談料」
やはり姉貴は、苦手だ。
今日はいつもより少しだけ、快適な朝を迎えられた。
昨日の千反田の顔を思い出すと、少し引っかかる物があるが……
ま、爽やかな朝だろう。
姉貴はどうやらまだ寝ている様で、姿が見えない。
一人準備を済ませ、家を出ようとした所で一度振り返る。
奉太郎(ありがとうな、姉貴)
姉貴の部屋に向け、一度頭を下げた。
見られていないから、できる事だ。
奉太郎(さて、行くか)
俺は、この時……また何も変わらない一日が始まると思っていた。
退屈な授業が一つ、また一つと過ぎて行く。
奉太郎(今日は確か、文集の事で集まる予定だったな)
奉太郎(昨日で全部終わったと思っていたが……流石にそんな事はないか)
そんな事を思いながら、午前の授業は終わった。
昼休みになり、他の生徒が思い思いに弁当を広げている時に、意外な奴が教室にやってきた。
摩耶花「折木、ちょっといいかな」
伊原か、一体なんだというのだ。
奉太郎「珍しいな、何か用事か?」
摩耶花「今日の放課後、ちょっと委員会の仕事が入っちゃってね」
なるほど、つまり。
奉太郎「遅れるって事か、俺に言わんでもいいだろう」
摩耶花「ふくちゃんもちーちゃんも見当たらないから、仕方なくあんたの所に来てるのよ」
摩耶花「それくらい察してよね」
奉太郎「そうかそうか、まあ分かった」
という事は、今日の放課後は俺も少し遅れてもいいか。
摩耶花「あんたは遅れないで行きなさいよ、いつも適当なんだから」
と、うまく物事は進まない様だ。
心を見透かされているようで気分が悪いな。
奉太郎「……分かってる、始めからそのつもりだ」
摩耶花「なんか怪しいなぁ、まあそれならいいわ」
摩耶花「しっかりと伝えておいてね」
そう言い残すと、別れの挨拶も満足にしないまま伊原は自分の教室へ帰っていった。
釘を刺されてしまっては仕方ない、放課後は素直に部室に行くことにしよう。
最初は、俺と里志と千反田で話し合うことになりそうだな。
ま、適当にネタを出しておけば問題ないだろう。
さて……そろそろ午後の授業が始まるか。
ようやく授業が終わった。
この後にもやらなければいけない事があると思うと……憂鬱だ。
だが、遅刻したら後で伊原になんと言われるか……分かった物じゃない。
俺はゆっくりと、部室に向かった。
ゆっくりゆっくりと古典部へ向かっていたら、途中で一度伊原に会い早く歩けと言われてしまう。
全く、今後の学校生活は是非とも伊原を避ける事に力を入れて行きたい物だ。
そんな事を思いながら古典部に着き、部室に入る。
どうやらまだ里志は来ていない様だった。
える「こんにちは、折木さん」
える「摩耶花さんも福部さんもまだ来ていませんね」
奉太郎「ああ、伊原は委員会で少し遅れるとさ」
える「そうですか、では福部さんが来たら文集について始めましょう」
奉太郎「そうだな」
そう言うと会話は終わり、俺は千反田の正面に座ると本を開き目を通す。
10分……20分……30分と時間が過ぎていった。
奉太郎「……遅いな」
える「そうですね……私、探してきましょうか?」
奉太郎「いや、もうちょっと待とう」
しかし、あいつは何をやっているんだか……
える「分かりました、もう少し待ちましょう」
再び俺は本に視線を戻す、だが千反田が何故か俺の方をちらちらと見てきて集中ができない。
える「え……あ、まあ……はい、そうです」
える「少し、お話しませんか?」
奉太郎「……なんの話だ」
える「文集の事です!」
奉太郎「却下だ、里志を待つ」
える「いいじゃないですか、二人でも話は進められます!」
奉太郎「二人より三人の方が効率がいい」
える「……」
静かになったか、やっと。
ちらっと、千反田の方を見た。
奉太郎「うわっ!」
びっくりした。
机から身を乗り出し、俺のすぐ目の前にまで千反田の顔がきていた。
える「真面目にやりましょう、折木さん!」
える「はい!」
満足したのか、笑顔の千反田が居る。
やはりこいつと二人は疲れてしまうな。
奉太郎「それで、文集についてだったか?」
える「ええ、そうです」
える「確かに去年より文集にする様な事が無いのは確かです……」
える「ですがそれでも! 書くことはあると思うんです!」
奉太郎「ほう、じゃあその書くことを教えてもらおうか」
える「ええ、昨日の夜考えていたんですが」
える「私達一人一人の視点で、古典部について書くというのはどうでしょう?」
ふむ、少し面白そうではあるな。
一人一人、つまり4人の視点からの古典部という事か。
合間合間に、物凄く不服だが……前のDVDの件等を挟めば読む方も退屈しないかもしれない。
奉太郎「ページ数も稼げそうだな」
える「本当ですか、良かったです」
える「……真面目に書いてくださいね、折木さん」
奉太郎「……分かってる、真面目にやるさ」
奉太郎「後は里志と伊原にも話して、最終決定って言った所だな」
える「分かりました、他にもいくつか考えないといけませんが……」
える「それはお二人が来てから、決めましょう」
奉太郎「そうだな」
意外にも話はすぐに終わった。
少し拍子抜けしたが……千反田が出した案が良かったのだから仕方無い。
える「はい、分かりました」
俺は首に掛けていたペンダントを机の上に置くと、部屋を出た。
部室から男子トイレは意外と遠く、急げば10分ほどで往復できるが……
俺は生憎急いでいない、15分ほど掛かるだろう。
トイレを済ませ、手を洗っていると何やら遠くから物音が聞こえてきた。
奉太郎(何の音だろうか、何か倒れた音か?)
奉太郎(まあいいか)
手をハンカチで拭きながら、部室へと戻る。
変わり果てた姿だった。
部屋中の物が散乱している。
奉太郎(さっきの音は……これか?)
椅子は倒れているし、机の周りは足の踏み場もない程だ。
奉太郎(それより、千反田は!?)
部屋の中を見回すが、いない。
襲われて、逃げたのか?
それともどこかに連れて行かれた?
奉太郎(くそっ!)
現在いる場所は特別棟の4F。
このフロアには階段が2つある。
俺はトイレに行っている間、一人も会わなかった。
犯人が使った階段は……恐らく古典部側だろう。
部屋から去り、階段を駆け下りる。
奉太郎(どこだ……!)
そんな事を3回繰り返し、見つけた。
特別棟の1Fに、千反田が居た。
奉太郎「千反田!」
える「あれ? 折木さん、どうしたんですか?」
横には里志も居て、状況がうまく飲み込めない。
里志「ホータロー? どうしたんだいそんな慌てて」
奉太郎「……なんで、ここに、いるんだ……千反田」
途切れ途切れに、聞いた。
える「ええっとですね、福部さんが委員会の仕事で各部長達に用事があったみたいなんです」
える「折木さんが部室から出て行った後に、すぐ福部さんが来られまして」
里志「それでホータローがトイレに行っている間に千反田さんを連れて行ったって訳だね」
俺は一度息を整えると、部室で見た光景を告げた。
奉太郎「……部室が、滅茶苦茶な事になっている」
える「滅茶苦茶とは……?」
奉太郎「見れば分かる、千反田は何か違和感……変な奴をみたりとか、なかったか?」
える「いえ、特には……」
里志「とりあえず、さ」
里志「その滅茶苦茶にされた部室に行ってみよう、じゃないと何が何だか分からないよ」
そう里志の言葉を聞くと、俺を先頭に3人で部室へと向かった。
第12話
おわり
改めて見ると、部室は酷い有様だ。
里志「これは……酷いね」
える「そんな、こんな事をするなんて……」
二人とも、結構なショックを受けている様だった。
それもそうだ、いつも4人で使っている部屋なのだから……俺が受けたショックも結構な物である。
奉太郎(一体誰がこんな事を……)
しかし、いつまでも呆然とはしていられない。
奉太郎「とりあえず、元に戻そう」
奉太郎「これはあまり見ていたくない」
二人も納得したのか、俺の意見に賛同する。
里志「そうだね、片付けよう」
える「……はい、分かりました」
この前買ったばかりのウサギの置物は耳の辺りが折れていて、見ていて辛い。
える「……」
やはり一番ショックを受けているのは千反田で、無言でそれらを片付けていた。
しかし、不幸中の幸い、とでも言えばいいのだろうか?
1冊だけ飾ってあった【氷菓】は無事だった。
他にはガラス等は割られていなく、壊して周った……と言うよりは散らかした、と言った感じだろう。
それでも、見つけ出してやる。
古典部の部室をこんな事にした、犯人を。
ある程度片付けが終わり、全員が席についた。
千反田はさっきまで座っていた席に着き、俺はその正面に座る。
里志は俺の横に座り、顔から笑顔は消えていた。
部室が滅茶苦茶だ、と俺が伝えた時から……里志には元気が無かった。
奉太郎「誰か、怪しい奴を見たのはいないのか?」
空気は辛いものがあるが……なんとか見つけなくてはいけない。
……古典部の為にも。
それを分かってくれたのか、千反田がゆっくりと口を開いた。
える「……いえ、福部さんと一緒になってから1Fまで歩きましたが……その様な人は居ませんでした」
里志「僕も、この部屋に来るまでに誰にも会ってはいないね」
里志「降りるときは勿論、千反田さんが気付かないで僕が気付くってのは考え辛いよ」
奉太郎「そうか……」
ふと、ある事に気付く。
……俺のペンダントは、どこにいった?
辺りを見回すが、見当たらない。
椅子の下、ポケットの中、机の中……
あった。
それは机の中に、置いてあった。
それを取り出し、胸の前でペンダントを開く。
少しの希望を持っていたが……
中身は無惨にも、割られていた。
奉太郎「……くそ」
思わず口から言葉が漏れる。
里志「……ホータロー」
える「人の物をここまでするなんて……酷すぎます」
しかし前ほど、俺は怒ってはいなかった。
何故かは分からないが……前の時は恐らく、千反田が傷付けられた事に怒っていたのだろう。
だが間接的に千反田も、傷付いているかもしれないが。
未だにペンダントを見つめる俺に向け、千反田が言った。
える「折木さん、見つけましょう」
える「ペンダントを割った犯人を……部室をこんな事にした犯人を!」
怒って、いるのだろうか?
少し違う……
悲しんでいる?
俺には複雑な感情は分からないが……千反田の意見には同意だ。
こいつがここまで言うのも珍しい。
奉太郎「ああ、そうだな」
奉太郎「何故こんな事をしたのか……理由を聞かなきゃ、気が済まん」
里志「うん……そうだね」
里志「僕も、気になるかな」
3人でそれぞれ顔を見合わせ、決意を固めた。
だが、どこから手をつけていいのか……分からない。
片付けをした、と言っても壊れた物は戻りはしない。
それは伊原も気付いたのか、口を開く。
摩耶花「皆、どうしたの? 何かあったの?」
奉太郎「……ああ、説明する」
事情を説明すると、伊原は怒って犯人を捜しに行くかと思ったが……落ち着いていた。
摩耶花「そう、そんな事が……」
摩耶花「でも、良かったよ……ちーちゃんが無事で」
摩耶花「それと氷菓も、無事だったみたいだね」
本当に、全くその通り。
犯人にとっては恐らく、たかが文集程度の認識だったのだろう。
える「摩耶花さんがくれた絵も……無事です」
それは気付かなかったな、と思い絵の方に顔を向ける。
あれは、まあそこそこ高い位置に飾られている。
犯人もわざわざ何かしようとは思わなかったのだろう。
それでも、破かれなかったのは良かったが。
里志「この状態で一つや二つ無事な物があってもね……」
奉太郎「それでも、全部壊されるよりはマシだ」
伊原も千反田も何か言いたそうにしていたが、俺は少し声を大きくし、言った。
奉太郎「一度、状況を整理しよう」
奉太郎「伊原もまだ理解していない部分もあるだろうしな」
続けて俺は、話をまとめる。
奉太郎「里志と伊原は委員会の仕事で遅れていた」
奉太郎「そして、文集について俺と千反田は少し話をしていたんだ」
奉太郎「区切りが良い所になった時、俺はトイレに行った」
奉太郎「急げば10分ほどで戻れたが……暇だったからな、ゆっくり歩いて15分ほどは掛かったと思う」
摩耶花「あんたゆっくり歩くの好きね……」
奉太郎「好きって訳じゃない、ゆっくり歩いた方が楽だからだ」
伊原の突っ込みに、少しだけ空気が和らいだのを感じた。 感謝しておこう……
こういう時の伊原の存在は意外と侮れない。 空気を変えてくれるのはとてもありがたいものだ。
奉太郎「俺が知ってるのはここまでだ。 千反田、説明頼めるか?」
そこまでしか俺は知らない、千反田に補足を促すとすぐに説明を始めた。
える「ええ、分かりました」
える「恐らく4分か5分程……だったと思います」
奉太郎「多く見ておこう、そっちの方がやりやすい」
奉太郎「俺が部屋を出てから里志が来たのは……5分としておく」
奉太郎「すると犯人は、10分の間に犯行を行ったって事か」
10分……意外にも長い。
部屋を荒らし、その場から去る時間を入れても……大丈夫だろう。
える「分かりました。 そしてその後は、福部さんと必要な書類を取りに行く為に特別棟の1Fまで降りて行きました」
摩耶花「その間に変な人は見なかったの?」
それは一度俺が聞いたことだが……一から見直すのもあるし、まあいいだろう。
える「……見かけませんでした、見逃していると考えると……すいません」
奉太郎「お前が謝ることではない。 里志、続き頼めるか?」
そう言うと、里志もすぐに口を開いた。
里志「その書類を持ってくれば良かったんだけど……委員室に忘れちゃったんだ」
里志「ちゃんとしていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない」
里志「ごめんね、皆」
そう言う里志の顔は、笑顔だったが……とても辛そうに見えた。
こいつは、自分を責めているのだろう。
奉太郎「お前も謝るな。 悪いのは部室を荒らした犯人だろ」
里志「……うん、そうだね」
里志はそう言い、俯く。
その後、流れを分かったのか伊原が自分の行動を口にした。
摩耶花「私はずっと図書室にいたわ」
摩耶花「来る途中にも、怪しい人は居なかった……と思う」
摩耶花「……ちょっと、難しいかもね」
伊原は笑っていたが、里志同様、悲しそうに笑っていた。
奉太郎「……かもな、高校の生徒全員が容疑者となってはな」
何か新しい情報でもあれば、ある程度絞り込めるかもしれないが……
そして再び、伊原が口を開く。
摩耶花「一回帰ってさ、また明日仕切りなおさない?」
その言葉に、里志が同意を示す。
里志「僕もそれが良いと思うな」
里志「……ホータローにも期待してるしね」
これは、やらなくてはいけない事だ。
それも……手短に等とは言っていられない程の。
……少し、引っかかることもあるしな。
奉太郎「ああ、何か……思いつきそうなんだ」
嘘ではない、だがすぐに答えがでそうではなかった。
える「分かりました、では今日は解散しましょうか」
それを聞き、里志と伊原が帰り支度を始める。
俺も鞄を持ち、教室を出ようとした所で千反田がまだ座っているのに気付いた。
奉太郎「千反田、帰るぞ」
える「……ええ、分かってます」
える「……すいません、もうちょっとだけ……残ることにします」
千反田は俺の方を見ず、教室全体を見ているよな眼差しでそう言った。
それもそうか、千反田も何か……思う所があるのだろう。
無理やり引っぱって行く事もできたが……そんな気にはなれなかった。
俺にはそんな権利は、ありはしない。
里志「にしても、一体誰がやったんだか……」
摩耶花「そんなに酷い状態だったの?」
里志「そりゃ、ね」
里志「滅茶苦茶にされてたよ、氷菓と摩耶花の絵が無事だったのが不思議なくらいだ」
里志と伊原が会話をしている、だが少し……考えるのには邪魔だった。
悪いと思いつつ、俺は里志と伊原に向け静かにして貰えるよう頼む。
奉太郎「すまん、ちょっと静かにしてもらってもいいか」
奉太郎「少し、考えたいんだ」
それを聞いた里志と伊原は、文句をひと言も言わず口を閉じた。
こいつらのこういう所は、嫌いにはなれない。
奉太郎(荒らされた部室、割られたペンダント)
奉太郎(10分の時間、部屋に散乱していた物)
奉太郎(千反田の証言、里志の証言)
ダメだ、情報が繋がらない。
奉太郎(くそ、何か足りないのか?)
奉太郎(集められる物は集めた筈だ……何かがおかしい?)
考え方が違うのだろうか。
少し、視点をずらそう。
奉太郎(動機は一体何だったんだ……恨みがある人物?)
奉太郎(そんな奴、居るのだろうか……)
古典部に、恨みがある人物。
つまるところ、俺と千反田と里志と伊原に恨みがある奴……
居るじゃないか、一人。
かつて、千反田を騙した奴だ。
奉太郎(そういう、事なのだろうか)
奉太郎「なあ」
里志「ん? 何か思いついたかい?」
奉太郎「今回の、動機はなんだと思う? 犯人の」
里志「動機、ねえ」
摩耶花「決まってるでしょ、何か恨みでもあったんじゃないの?」
やはり、そうか。
里志「うーん、それにしてはぬるかった様な気がするんだけどなぁ」
ぬるかった……氷菓や絵の事を言っているのだろう。
奉太郎「時間がなかったんだ、それは仕方ないだろう」
里志「ま、そうだね」
恨み……か。
奉太郎(まずは最初、俺がトイレに行った)
奉太郎(所要時間は10~15分、まあゆっくり行ったから15分掛かったが)
奉太郎(俺が出て5分後に里志が部室を訪ねてきた)
奉太郎(そしてそこから千反田を連れ出す)
奉太郎(この時点で残り時間は10分)
奉太郎(その間に犯行を行ったって事だが……)
奉太郎(犯人はどうやって俺達を監視していたのだろう?)
奉太郎(どこか階段から見ていた……いや、千反田は怪しい人物は見ていないと言っていたな)
奉太郎(廊下の物陰……? これは無いだろう、隠れられる場所が無い)
奉太郎(後は……部室の、中?)
俺が一度出した答えは、恐ろしいものだった。
奉太郎(部室を思い出せ……)
奉太郎(あそこには、何があった……?)
奉太郎(まさか)
奉太郎(俺と千反田が部屋から出て行った後に、犯人は部屋に入ってきた)
奉太郎(そして次に、部屋を荒らした後……ロッカーに隠れた)
これが、答えなのか?
そして、思い出す。 千反田の居場所を。
そいつが部室にまだいる可能性は? ありえなくは、無い。
奉太郎(待てよ、千反田はまだ部室にいる筈だ)
奉太郎(だとすると------)
奉太郎「里志! 伊原! 忘れ物をした!」
奉太郎「先に帰っててくれ!」
里志「……ホータロー、何かに気付いたみたいだね」
摩耶花「私達も行った方がいいんじゃない? 本当にそうだとしたら危ないわよ」
奉太郎「いや、大丈夫だ」
奉太郎「後で連絡はする、頼むから帰ってくれ」
里志「……分かった、後で連絡待ってるよ」
奉太郎「ああ、すまんな」
大分歩いてきてしまった……学校までは、20分程か?
奉太郎(20分……もう一度、整理しよう)
奉太郎(犯人はC組の奴なのか……?)
俺は走りながら、必死に頭を働かせる。
全ての視点から物事を見直す。
おかしな所は無いか?
全て、筋が通っているか?
走りながら、必死に考える。
……学校が見えてきた。
俺は、学校に着くのとほぼ同時に……
一つの結論に辿り着いた。
奉太郎「……はぁ……はぁ」
こんなに全力で走ったのはいつくらいだろうか。
マラソンの時は大分手を抜いて走っていたからな……生まれて初めてかもしれない。
奉太郎(間に合った……だろうか?)
ドアをゆっくりと開ける。
……間違いない、大丈夫だ。
奉太郎「……今回の事を全ての視点から見つめなおした」
奉太郎「そして、全ての証拠に繋がる奴が一人、居る」
奉太郎「今回の部室荒らし、それはお前にしかできなかったんだよ」
奉太郎「いや……お前で無ければ矛盾が出るんだ」
奉太郎「お前以外には、ありえない」
「そうだな? 千反田」
第13話
おわり
Entry ⇒ 2012.10.20 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (2) | Trackbacks (0)
奉太郎「古典部の日常」 2
寝付こうとしても、中々寝付けず、睡眠時間は3時間程だろうか。
奉太郎(学校に着く前にぶっ倒れるかもしれんな、これは)
しかしそうは言ってもられない。
今日は、やるべき事があるからだ。
時刻は7時、準備をしなければ。
寝癖がほとんどついていない、それもそうか……まともに寝ていないのだから。
朝食を済ませ、コーヒーを一杯飲む。
奉太郎(今日で……終わらせる)
奉太郎(少し早いが、行くか)
カバンを背負い、玄関のドアに手を掛けた。
奉太郎「ん、なんだ」
供恵「……寝間着で学校に行くの?」
ああくそ、俺はどうやら……すっかり頭の回転が落ちている。
姉貴の横を無言で通り過ぎ、制服に着替える。
供恵「それもそれでありだとは思うわよー面白いし」
後ろから何やら声がかかるが、無視。
しかし、こんな状態で本当に大丈夫だろうか。
いや、駄目だ、これは絶対に……解決せねば。
洗面所で服装の確認をし、再び玄関に手を掛ける。
奉太郎「……今度はなんだ」
供恵「別に、ただ言ってみただけ」
奉太郎「行くぞ、構ってられん」
やはりどうにも、姉貴は苦手だ。
供恵「頑張りなさいよ」
考えを見透かされてる様で、苦手だ。
姉貴に返事代わりに手を挙げ、玄関のドアを開いた。
供恵「ま、私の弟だし余裕だとは思うけどねー!」
供恵「そ、れ、と! あんま無理はしないようにね」
朝から元気なこった、だが少し、元気は出たか。
摩耶花「……おはよ」
こいつが俺の家に来るなんて、今日は雪だろうか?
奉太郎「珍しいな、今日は良くない事が起きそうだ」
摩耶花「……そうかもね」
摩耶花「折木、ちょっといいかな」
伊原の威勢がいい反論も聞けない、無理もないか。
奉太郎「ああ、少し頭を回さないといけないしな」
摩耶花「?」
摩耶花「まあいいわ」
伊原は少し疑問に思ったみたいだが、そこまでは気にしていない様子だった。
並んで学校へ向かう。
摩耶花「まさか、折木と学校へ一緒に行くことがあるなんて夢にも思わなかったわ」
全くの同意見。
摩耶花「昨日の、事なんだけどね」
伊原はそう、前置きをした。
やはりそうか、むしろそれ以外だったら俺はどんな顔をしていただろう。
奉太郎「あれか」
摩耶花「……うん」
摩耶花「私、少し邪魔だったかな。 やっぱり」
摩耶花「ふくちゃんから昨日、電話がきてね」
摩耶花「私は悪くない、安心してって」
摩耶花「でもやっぱり……迷惑だったのかな」
なんでだろう……千反田といい、伊原といい、どうして自分を責めるのだろうか?
摩耶花「……ふくちゃんにこんな話、できる訳ないじゃない」
摩耶花「ちーちゃんは、あんな事言わないと思っていたのに」
摩耶花「……それだけ」
奉太郎「ま、余り深く考えるな」
奉太郎「千反田は今日、話があるみたいだぞ」
俺が事情を説明してもいいのだが、本人同士で話すのが一番いいだろう。
摩耶花「そう、ちーちゃんが」
摩耶花「……分かった、少し腹を割って、話そうかな」
奉太郎「ああ、それがいい」
奉太郎「だけど、そんなに気を病むなよ」
奉太郎「言い返してこないお前と話していても、つまらん」
摩耶花「でも、ありがとね」
摩耶花「けど……やっぱり折木に励まされるのって、なんかムカツク」
おいおい、随分と酷いなこいつは。
今の一瞬で、俺の株は下がって上がって下がったのだろうか。
摩耶花「ちょっと元気出たし、私先に行くね」
そう言うと伊原は走り、学校へ向かっていった。
奉太郎(元気が出たらなによりだ)
奉太郎(けど、今のままの伊原の方が……大人しくていいかもしれない)
伊原に聞かれたら、それこそ俺は生きて帰れる気がしない。
まあ、少しは頭の回転になったか。
あくびをしながら、学校へと向かう。
1……2……3……4……あ、学校が見えた。
あくびを4回したところで、ようやく学校が見えてきた。
校門の前で一度止まり、深呼吸。
奉太郎(今日は少し、気合いを入れんとな)
柄にも無く「おし、行くぞ!」と意気込んでいたところで、背中に衝撃が走った。
里志「おっはよー! ホータロー!」
奉太郎「……いって!」
奉太郎「朝から元気だな、お前」
少々目つきを悪くして、里志を睨む。
里志「そういうホータローは随分とだるそうだね、はは」
奉太郎「昨日は少ししか眠れなかったんだ、寝つきが悪くてな」
里志「そんな日もあるさ! でもね、今日は期待してるよ? ホータロー」
里志「あんまり無理はしないようにね、大丈夫だとは思うけど」
奉太郎「分かってる、大丈夫だ」
里志「そうかい、じゃあ僕は総務委員の仕事があるから、これで」
そう言うと、里志は俺に手を振りながら昇降口へと走っていった。
下駄箱で靴を履き替える。
階段を上がろうとしたところで、後ろから声が掛かった。
伊原、里志ときたら……あいつだろう。
える「おはようございます、折木さん」
奉太郎「やはり千反田か、おはよう」
える「やはり? ちょっと気になりますが……今はやめましょう」
俺の第六感まで気になられては、対処のしようが無い。
える「部室でお話をしようと思っていて、申し訳ないんですが」
用は、放課後は部室を空けてくれないか、ということだろう。
丁度いい、今日はどうも部活に出れそうになかった。
奉太郎「ああ、空けて置く、今日は部活は休ませて貰う事にする」
える「そうですか、ありがとうございます」
える「それと、ですね」
まだ何かあるのだろうか?
える「少し顔色が優れないようですが……大丈夫ですか?」
奉太郎「だ、大丈夫だ。 気にするな」
周りの人間がこっちを見ている、何もこんな人が多いところでやることはないだろうが!
える「ならいいのですが、それでは!」
そう言うと、千反田は自分の教室へと向かって行った。
奉太郎(いつも通りの、千反田だっただろうか)
奉太郎(少しは元気が出たみたいだな、あいつも)
そのまま教室へ向かい、自分の席に着く。
奉太郎(にしても、眠いな)
少し寝よう、少しだけ。
俺はそう考えると同時に、眠った。
奉太郎「ん……」
目が覚めた、クラスは賑やかな様子だ。
「おう、折木」
突然、名前もまともに覚えていないクラスメイトに声を掛けられた。
「お前、中々やるじゃねーか」
奉太郎「ん、なにが」
「昼までずっと寝てるなんて、そうそうできないぞ?」
昼まで……?
時計に視線を移す。
時刻は12時を少し回った所。
「先生達、震えてたぞ。 見てる分には面白かった」
それだけ言うとそいつは満足したのか、いつもつるんでいるらしき奴等の元へ向かって行った。
奉太郎(後で呼び出されそうだな、めんどうくさい)
奉太郎(しかし、少しは頭が冴えたか……まだ少しだるいが)
昼休みか、教室は少し気まずい。
朝から昼まで寝ていた奴をちらちらと見る連中がいるからだ。
奉太郎(部室で飯を食うか)
省エネでは無いが、俺にも一応気まずさを避けたいって気持ちはある。
弁当を持ち、部室へ向かった。
あくびを一つつきながら、扉を開ける。
誰も居ないと思ったが……どうやら先客が居た様だ。
える「あ、折木さん、こんにちは」
奉太郎「なんだ、誰も居ないと思ったのだが」
える「たまに、ここで食べているんです」
える「陽が暖かくて、気持ちいいので」
奉太郎「そうか、邪魔してもいいか?」
える「ええ、勿論です」
千反田の前の席に腰を掛け、弁当を開く。
奉太郎「いや、姉貴が作ってくれている」
える「そうですか、お姉さん優しいんですね」
奉太郎「……本気か?」
える「え? はい、そうですけど……」
奉太郎「何も知らないからそんな事が言えるんだ……」
える「でも、これだけの物って中々作れる物ではないですよ」
そうなのだろうか?
姉貴が家に居るときはほとんど作ってくれるし、そんな事は思った事がなかった。
奉太郎「そうなのか? 普通の弁当だと思うが」
える「いえいえ、折木さんの事を想っている、いいお姉さんだと分かるお弁当です!」
ふうむ……少しは姉貴にも感謝しておくか。
こんなもんでいいだろう。
奉太郎「少し感謝しておいた、心の中で」
える「ちゃんと直接言った方がいいと思いますが……」
奉太郎「気持ちが一番大事なんだ」
える「そ、そうですか」
千反田の苦笑いが、少し辛い。
奉太郎「それはそうと、千反田の弁当も中々すごいな」
える「そ、そうでしょうか? 私のこそ普通、ですよ」
奉太郎「そんなことはないだろう、とても旨そうだぞ」
える「……少し、食べます?」
そう言うと、千反田はおかずを一つ、俺の弁当に移す。
奉太郎(貰ったままでも、なんか悪いな)
奉太郎「俺のも一つやろう」
える「はい! ありがとうございます」
千反田の弁当に、おかずを一つ移した。
そこでふと、本当にどうでもいい考えが浮かんできた。
奉太郎(今千反田に貰ったおかずを、そのまま返していたらどんな反応をするのだろうか)
奉太郎(……なんて無駄な事を考えているんだ、俺は)
勿論そんな事はしない。
奉太郎(う、うまい)
奉太郎「これは……うまいな、こんな料理を作れるなんて、なんでもできるんじゃないか? 作った人」
える「ええっと……」
える「これ、作ったの私なんです」
千反田は恥ずかしそうに笑いながら、そう言った。
奉太郎「そ、そうか」
何故か、嵌められた気分に俺はなる。
そんな風に若干気まずい空気が流れた時、ドアが勢い良く開く。
前にも、似たような光景があったような……
里志「あれ、ホータローに千反田さん?」
里志「ご、ごめん! 邪魔しちゃったみたいだね!」
待て、里志よ。
奉太郎「おい、里志」
里志「え、なんだい?」
奉太郎「お前、いつから居た?」
里志「えっと……最初から、かな」
くそ、全然気づかなかった。
そう言うと里志は手短な席に腰を掛ける。
里志「ごめんごめん、盗み聞きするつもりはなかったんだよ」
里志「でも二人がカップルみたいにしてるのをみたら、ついね」
える「カ、カップルだなんてそんな」
える「たまたま、会っただけですよ! 本当に!」
える「折木さんと私は、その……仲はいいですけど、まだそんな仲では無いというか……」
千反田の焦っている所を見るのは、少し楽しいかもしれない。
だが、こいつは一言言わないといつまでも続けるだろう。
里志「あはは、ジョークだよ、千反田さん」
える「じょ、じょーく……ですか」
千反田は胸を撫で下ろし、ハッとする。
える「あ、あの」
える「福部さん」
里志「あー、例の事かい?」
里志はこう見えても、勘は冴えるほうだと思う。
千反田の微妙におどおどした様子を見て、なんの話か分かったのだろう。
える「知ってたんですか、この度は……」
だが千反田が最後まで言う前に、里志は口を開いた。
里志「これでも僕は、人間観察をしている方だと思うんだ」
里志「それでね、人を見る目も結構あると思っている」
里志「だから、千反田さんの事は信じているよ」
里志「ホータローの事は、どうかな?」
奉太郎「おい」
里志「うそうそ、信じてるよ。 ホータロー」
そう言うと、里志は俺に抱きつこうとしてくる。
やめろ、気持ち悪い。
える「やはり、折木さんの言うとおりでした」
里志「ん? ホータローが何か言ったのかい?」
奉太郎「……なんでもない、気にするな」
える「なんでもない、です」
里志「うーん、気になるなぁ」
俺が最近、非省エネ的な行動をしているのを里志に知られたら……どんな風にいじられるか分かった物じゃない。
どうはぐらかそうか考えていたとき、里志は何かを思い出した様に拳と手の平を合わせた。
里志「あ! 委員会の仕事の途中だったよ、すっかり忘れてた」
奉太郎(この動作を本当にやってる奴は始めてみたぞ……)
しかし、こいつも色々と大変だな。
里志「じゃ、そういう訳で! またね~」
奉太郎「そういう訳だ、伊原も必ず話せば分かってくれる」
える「はい……そうですよね!」
さて、と。
そろそろ昼休みも終わりか。
奉太郎「じゃあ俺は教室に戻るとする」
える「はい、私はもうちょっとここでゆっくりしてから戻ります」
奉太郎「そうか、じゃあまた」
える「はい」
俺が部室から出ようとした所で、思い出したように千反田が言った。
える「あ、そういえば」
える「午後の授業は、寝ないで頑張ってくださいね」
……どこまで噂が広まっているんだ、全く。
軽く手を挙げ、千反田に挨拶をすると俺は教室に戻って行った。
教室に入り、10分ほど経っただろうか。
授業開始のチャイムが鳴り響いた。
奉太郎(状況の整理を……するか)
まず一つ目。
・千反田を騙した奴は誰か?
C組の女子、名前は里志から聞いている。
二つ目。
・そして、そいつは何をしたか?
千反田に嘘を吹き込み、使わせた。
恐らく、千反田と伊原が仲が良いのを知っていて嘘を吹き込んだのだろう。
目的は漫研絡みと考えるのが妥当。
・そいつの目的はなんだったのか?
千反田と伊原の仲違い。
多分だが、千反田は伊原を傷つける為に利用されたという考えが有力。
つまる所、伊原を追い込むのが目的という事か。
最後に、四つ目。
・そいつに何を話すか?
これには少し考えがある。
正面から言って、千反田と伊原に土下座でもするのなら苦労はしないが……
それをすぐにする奴なら、初めからこんな事はしないだろう。
里志にも協力をしてもらい、手は打ってある。
しかし、里志に話していない事もある。
少し懲らしめないと、駄目だろう。
話をする場も、既に打ってある。
里志からそいつに「今日の放課後、話があるから屋上でいいかな?」と言って貰った。
俺が言ってもいいのだが……直接会ってしまったら何をするか自分でも分からない。
どうせなら人目に付かない所の方が、勿論いいだろう。
奉太郎(ここまで動き、頭を使ったのは随分と久しぶりだな)
奉太郎(たまにはいいか、熱くなるのも)
そして、放課後はやってきた。
第五話
おわり
大丈夫だ、意外にも冷静になっている。
今は16時、1時間もあれば……終わるだろう。
奉太郎(行くか)
そう思い、教室を出る。
向かう先は、屋上。
屋上に繋がる扉を躊躇せず開く。
空は曇っていた、風は無い。
視線を流すと、そいつが目に入ってきた。
「あれ、福部君に呼ばれて来たんだけど」
「アンタ誰?」
初対面の人間にこの対応とは、なるほど納得だ。
奉太郎「A組の折木奉太郎だ」
「折木? 聞いたことないなー」
「それで、アタシに何か用?」
「まさか、告白とかするつもり? ムリムリ」
そいつは笑っていた、俺にはどうも……汚らしく見えて仕方ない。
「ちたんだ……ちたんだ、ああ、アイツね」
「知ってるけど、それがどうしたの?」
奉太郎「それと伊原摩耶花、勿論知っているだろう」
「あー、あのウザイ奴ね。 勿論知ってる」
やはり、駄目だ。
なんとか抑えようと思ったが、里志には穏便に済ませようと言われたが……
俺はどうやら、そこまで人間が出来ていない様だ。
奉太郎「……自分のした事は、分かっているんだろ」
奉太郎「千反田に嘘を吹き込み、伊原に向かって言わせた」
奉太郎「覚えて無いなんて、言わせないぞ」
「思い出したらおかしくなってきちゃう」
良かった。
正直な話、これを否定されたら俺には手は無かった。
千反田は誰に言われた等……あいつの性格だ、言わないだろう。
それをコイツは自分で認めてくれた、良かった。
奉太郎「お前は、なんとも思っていないのか」
奉太郎「千反田を傷付け、伊原も傷付け、なんとも思わないのか」
「別に? 騙される方が悪いんじゃない?」
奉太郎「それを、お前はなんとも思わないのか!」
奉太郎「千反田は人を疑わないし、嘘なんて付かない」
奉太郎「どこまでも……正直な奴なんだぞ」
「ふーん、あっそ」
「アタシも知ってるよ、あいつが馬鹿正直な所」
「それで教えてあげたんだもん」
「こいつなら絶対に騙されるなーって思ってね」
自分でも、驚くほどに大きな声で叫んでいた。
言われたそいつは、少し身を引きながら再び口を開く。
「な、なに熱くなってんの? ほっときゃいいじゃん」
奉太郎「あいつはな、千反田は伊原にその言葉を言った後……!」
思いとどまる、こいつに……千反田の泣いていた所なんて、教えたくない。
奉太郎「お前に千反田と話す権利なんて無い!」
「それは残念だなぁ、もうちょっと使おうと思ってたのに」
「ていうかさ、たかが友達の事で本気になってて恥ずかしくないの?」
確かに、俺も昔は少しそうだったのかもしれない。
氷菓事件の時、千反田の家で話し合いをした時。
俺は流そうとした、それが俺らしいと思い。
たかが一人の女子生徒の悩み。
たかが高校の部活動。
だけど、俺とこいつは……絶対に同類なんかじゃない。
不思議と、今の言葉で俺は落ち着けた。
奉太郎「……もういい」
「あっそ、じゃあ帰っていいかな」
奉太郎「違う、お前に普通の話し合いなんて、通じないからもういい」
「言ってる意味が分からないんだけど?」
「……それが何?」
奉太郎「その部室から少し離れた場所」
奉太郎「女子トイレが無く、男子トイレしかない場所があるのも知ってるな」
「それが……なんだよ」
奉太郎「以前俺は、お前がトイレから出てくるのを見かけている」
奉太郎「男子トイレ、からな」
「アンタ、ストーカー?」
もう、くだらない挑発は無視をする。
奉太郎「昨日、その男子トイレを少し調べた」
奉太郎「見つかったのはこれだ」
奉太郎「これは、お前の物だろ?」
「っ! んな訳ないでしょ!」
やはり、認めないか。
奉太郎「そうか、余りこういう事はしたくないんだが」
そう言い、俺はポケットから一つの写真を取り出した。
そこには、金髪の女子が男子トイレで煙草を吸っている光景が写し出されている。
奉太郎「こいつは、俺の友達が撮ってくれた写真だ」
奉太郎「知ってるか? 図書室のとある場所から丸見えなんだぞ」
「……アタシを脅してるつもり?」
奉太郎「これを学校側に提出されたくなかったら、今後一切」
奉太郎「千反田と伊原に関わるな」
「……そんな物、出されたら……」
小さいが、俺には確かに聞こえていた。
しかし、すぐに元の調子に戻る。
「おもしろいね、アンタ」
「じゃあ、こういうのはどうかな?」
「アタシが捏造写真で盾にされてる、捏造写真を仕組んだのは伊原摩耶花」
「面白そうじゃない?」
奉太郎「そんなので、先生達が信じる訳ないだろう」
「確かにね、でも」
「お互いの言い分を尊重し、退学は無し」
「両名にしばらくの停学を言い渡す」
「こうなると思うんだけど?」
「それで停学が明けたら、無事にアタシはまた千反田ちゃんと伊原ちゃんと仲良しこよし」
「いいと思わない?」
「もっちろん」
奉太郎(これは本当に、使いたく無かったが)
奉太郎(仕方ないか)
奉太郎「俺が、どんな友達を持っているかお前は知らないのか」
「はあ? アンタの友達になんて興味ないし」
奉太郎「そうか」
奉太郎「お前を呼び出した奴、覚えているか」
「福部の事?」
奉太郎「そうだ、あいつがどこに所属しているか知っているか」
「言ってる意味がわからないんだけど、何を言いたいのよアンタは!」
奉太郎「副委員長としてな」
「総務……委員会?」
奉太郎「俺が持っているこの写真、あいつも既に持っている」
奉太郎「そして、少なからず学校の上層部に影響力のある立場だ」
奉太郎「そんな奴がこの写真を提出したら、どうなるかお前でも分かるだろ」
「や、やめてよ」
急に弱気、か。
「そんな事されたら、アタシは」
奉太郎「お前の意見なんか聞いていない!!」
「ひっ……」
奉太郎「俺が譲歩してやっているんだ、お前が……」
奉太郎「それに俺と、一切関わらないならこいつは提出しない」
奉太郎「だがこいつは保管させてもらう、いつでも提出出来る様にな」
奉太郎「お前がもし、俺たちに関わってきたらすぐに退学にしてやる」
奉太郎「分かったか?」
「……」
奉太郎(仕上げだな)
奉太郎「お前も退学になったら困るだろう? 親がどこかしらの学校のお偉いさん、だからな」
「っ! ……わ、分かった」
その情報は、誰に聞いた物でもなかった。
今の会話から、こいつの言葉が小さくなる部分、表情の変化。
それらを繋げて、得た情報であった。
奉太郎「俺もそこまで鬼じゃない、お前が変な事をしなければ何もしない」
「ご、ごめんなさい」
奉太郎「別に謝らなくていい、俺にも、千反田にも伊原にも、里志にも」
奉太郎「お前の謝罪なんて、何も響かない」
奉太郎「……もし今度何かあったら、話し合いだけでは済むとは思うなよ」
それ以降、そいつはうなだれて口を開こうとしなかった。
階段を降り、一度自分の教室へ向かった。
椅子に座り、大きく深呼吸をする。
奉太郎(5回、くらいか?)
思考を放棄して、殴りかかりそうになった回数。
だが、もし殴ったとしてだ。
千反田はそれで喜ぶだろうか?
伊原は? 里志は?
間違いなく、喜びはしない。
それがなんとか俺を留まらせた。
奉太郎(全く、今日は本当に疲れた)
時刻は……17時30分、か。
少し、長引いてしまったな。
さて、と。
千反田と伊原の方は、無事に終わっただろうか?
摩耶花さんは少し、私を怖がっていた様で胸が痛みます。
しかし、伝えなくてはいけません。
える「あの、摩耶花さん」
摩耶花「ちーちゃんか……何か、用事?」
える「……はい、今日の放課後に少し話せますか?」
摩耶花「……うん、いいよ」
一瞬だけ、摩耶花さんが嫌そうな表情をしました。
それだけで、私はもう……
摩耶花「でも委員会の仕事があるから、終わってからでいいかな」
そして、摩耶花さんは私の顔を見てくれませんでした。
える「はい、では部室で待っていますね」
そう伝えると摩耶花さんは軽く頷き、それ以降は喋ろうとはしません。
私は教室を出ると、自分の教室に向かいます。
また少し、泣きそうになってしまいます。
える(涙脆くなったのでしょうか、私は)
教室に戻るとすぐに午後の授業が始まりました。
あっという間に授業は終わり、放課後となります。
それまで少し、時間が余っています。
一度部室に行き、座って外を眺めていましたが……校内でもお散歩しましょう。
そう思い、人が少なくなった校内を歩きました。
気付けば自然と、折木さんのクラスへ。
教室を覗くと、まばらには人が居ましたが折木さんの姿は見当たりません。
える(そうでした、折木さんはもう帰っているのでしょう)
朝の事を思い出し、教室を去ろうとした所で不自然な物を見つけます。
える(あれは、折木さんのカバン?)
える(忘れていったのでしょうか……でも、おかしいです)
折木さんは意外と言ったら失礼ですが……忘れ物は滅多にしません。
そんな折木さんが忘れ物? それかまだ学校にいるのでしょうか?
5分ほどそこで待ちましたが、戻ってくる気配はありません。
そして階段まで差し掛かったとき、何やら声が聞こえてきます。
あれは……屋上から?
声の抑揚が、折木さんの物と一緒です。
間違いありません……折木さんです。
える(誰かと話しているのでしょうか? 少しだけ……行ってみましょう)
私は、屋上の扉まで辿り着きました。
これでも意外と耳はいい方だとは思っています。
内容はしっかりと聞こえました。
その内容は、どうやら私の事の様で。
昨日の事のようです。
える(もしや折木さんは、昨日私と話していた方とお話を?)
折木さんの方は、とても真剣に。
もう片方の方は、どこかふざけている感じ……でしょうか。
える(折木さんが、あんなに大きな声で……)
少なくとも、一年間一緒に居ましたが……ここまで大声を出しているのは聞いたことがありません。
自分で言うのもあれですが、その内容は……私の事を大切に思ってくださっている物です。
ここまで……ここまで折木さんは、していてくれたのですか。
私は本当に、折木さんに頼りっぱなしです。
扉越しに、折木さんに頭を下げその場を去ります。
あまり、聞いてはいけない内容でしょう。
折木さんがその話をしてくれなかったのも、私に知られたくなかったからでしょう。
ならば、聞いては駄目です。
私はゆっくりと部室に戻り、決意を固めます。
える(私は、摩耶花さんにしっかりと気持ちを伝えます)
える(友達を失うのは……耐えられません)
える(絶対に、仲直りします!)
その時、扉が開きました。
摩耶花さんが来たようです。
やっぱり、帰ろうかな。
ちーちゃんには悪いけど……
いや、駄目だ。
朝、折木にも相談に乗ってもらったし、ここで逃げちゃ駄目だ。
でも扉は、とても重い。
なんて言われようとも、私はちーちゃんと話さなきゃいけない。
そうしないと、いつまでも弱いままだ。
胸に手を置き、息を整える。
摩耶花(よし!)
扉を、開けた。
そこには、いつも通りのちーちゃんが居た。
なんて、暗い声なんだろう。
える「摩耶花さん、わざわざすいません」
摩耶花「話って、何かな」
分かってるだろう、自分でも。
性格悪いのかな、私。
える「昨日の、事です」
摩耶花「……そう」
ちーちゃんは、ゆっくりと語り始めた。
その内容を頭に入れる。
そして5分ほどで、話は終わった。
える「摩耶花さん、本当に申し訳ありません」
える「合わせる顔も無いと思いましたが、話さずにはいられませんでした」
える「すいませんでした」
そう話を締めると、ちーちゃんは頭を下げた。
ほんっとに。
ほんとーに! 私って、馬鹿だ。
ちーちゃんが、そんな事……昨日言った事を本気でする訳ないじゃんか。
私は昨日まで、ちーちゃんの事を疑っていたのをすごく後悔した。
ああもう! 最低じゃないか私。
謝るのは、こっちの方だ。
摩耶花「……ちーちゃん」
摩耶花「謝るのは、私の方だよ」
摩耶花「ちーちゃん! ごめん!」
するとちーちゃんはキョトンとした顔をこっちに向け、少し困惑していた。
摩耶花「私、ちーちゃんの事疑ってた」
摩耶花「もしかしたら、そういう事を言う人なんじゃないかって」
摩耶花「でも、普通に考えたらありえないよね」
摩耶花「ごめんね、ちーちゃん」
える「あ、あの」
える「……許して、くれるんですか」
何を言ってるんだこの子は!
摩耶花「友達、でしょ」
今年一番の、いい笑顔だったと思う。
良かった、本当に。
胸の痛みは、とても自然に……心地よく消えていた。
える「……はい! 友達、ですよね」
ちーちゃんの笑顔も、今年で一番可愛らしかった。
える「良かったです、本当に……良かったです」
ちーちゃんの瞳から、綺麗な涙が落ちるのを見た。
摩耶花「良かったよ、私もほんっとに」
摩耶花「……良かったよ」
今回の事で、お互いが思っていた事。
その間何回か泣き、笑った。
やっぱり、ちーちゃんはちーちゃんだ。
私の大切な、友達。
そうだ、あれをあげよう。
元からあげる予定だったんだけど、ね。
摩耶花「そだ、ちーちゃん……」
える「はい? なんでしょうか」
摩耶花「これ、あげる」
える「……これは、すごく綺麗ですね」
摩耶花「なら良かった、喜んで貰えるなら私もうれしい」
える「私のお部屋に飾りたいですが……この部屋に飾ってもいいですか?」
摩耶花「ちょっと恥ずかしいけど……うん、いいよ」
摩耶花「ちーちゃんのお部屋用のも、今度あげるね」
える「はい! ありがとうございます、摩耶花さん」
少し休んでいたつもりだったが、もう18時か……
ふと窓から外を眺めると、千反田と伊原の姿が目に入ってきた。
お互いに笑顔で、とても仲が良さそうに見える。
奉太郎(向こうも、うまくいったようだな)
奉太郎(俺も帰るか、体が重すぎるぞ……)
教室を出た所で、少しだけ黄昏れたい気分になった。
奉太郎(部室に寄って行くか)
そう思い、普段より重く感じる体を引き摺りながら目的地へ向かう。
古典部の前に着き、ゆっくりと扉を開けた。
夕日が差し込み、中々に趣がある光景となっている。
近くの席に腰掛け、溜息を一つついた。
奉太郎(最近は本当に、体を動かしっぱなしだな)
奉太郎(俺は、今薔薇色なのだろうか?)
奉太郎(わからん……)
奉太郎(まあ、どっちでもいいか)
奉太郎(しかし……何も灰色に、拘る必要もないかもしれない)
奉太郎(もう少し居たかったが……仕方ない、帰るか)
部室を出ようとしたところで、見慣れない物が視界に入ってきた。
奉太郎(……全く、周りから見たら薔薇色の一員か、俺も)
そして俺は、家へと帰る。
部室には--------
俺、里志、伊原、千反田。
全員が笑顔の、綺麗な色使いの絵が飾ってあった。
今日もまた、高校生活は浪費されていく。
それは灰色か、薔薇色か。
こいつはどうやら、自分で決める事ではないらしい。
今日もまた灰色の……いや、どちらかは分からない高校生活は浪費されていく。
第六話
おわり
今日はとても長く感じる。
色々あったが……無事に終わった。
ま、終わりよければ全て良しと言った所か。
家に入り、自室へ向かう。
姉貴がリビングに居るが、疲れていて姉貴の話に付き合う体力は無い。
奉太郎(やはり少し、体が重いな)
朝からだったが、今がピークだろうか……どうにもふらふらする。
ああ、もう少しで、部屋に着く。
奉太郎(なんか、視界が揺れているぞ)
奉太郎(ま、ずいな)
そこで、俺の意識は途絶えた。
里志(ホータローの方もうまくいってるだろうし、これで一件落着って所かな)
けど、ホータローには随分と任せっぱなしにしてしまったなぁ。
僕の立場を使うってのは良いと思ったけどね。
とりあえず明日、部室でゆっくり皆で話そう。
里志(にしても、疲れたなぁ)
突然、部屋の電話が鳴り響いた。
里志(誰だろう? 摩耶花なら携帯に掛けて来る筈だし……ホータローかな?)
電話機の前まで行き、映し出されている番号はホータローの家の物だった。
里志(やっぱりか、今日の結果報告と言った所かな?)
そう思い、電話を取る。
里志「もしもし、ホータローかい?」
供恵「ごめんねー。 奉太郎じゃなくて」
里志「あれ、ホータローのお姉さんですか?」
供恵「そっそ、里志君お久しぶり」
里志「どうも! それで、何か用でしょうか?」
供恵「うん、実はね」
摩耶花(本当によかった、仲直りできて)
一応、敵を作りやすい性格だとは自分でも分かっている。
でも、ちーちゃんに嫌われたと思ったときは本当に辛かった。
しかしそれも思い過ごしで……なんだか思い出したら泣けてきちゃう。
摩耶花(やっぱりちーちゃんとは、友達続けていたいな)
明日は、またいっぱい話をしよう。
今度、どこかへ遊びに行こうかな。
ちーちゃんは遊ぶ場所知らなさそうだし、私が案内しなくちゃ。
そうだ、どうせならふくちゃんも、折木も呼んでどこかへ行こう。
そう思い携帯を手に取る。
電話番号を押そうとした所で、着信。
摩耶花(ふくちゃんから? 何か用なのかな)
摩耶花「もしもし、ふくちゃん?」
里志「摩耶花! ちょっと今から出れる!?」
焦っている感じ……何かあったのかな?
摩耶花「う、うん」
摩耶花「……一体どうしたの?」
私は……とても友達に恵まれています。
折木さんも、福部さんも、それに摩耶花さんも。
皆さん、とてもいい方達です。
私には少し勿体無いくらいの、そんな人たちです。
でもやはり、最後にはまた……折木さんに助けられました。
いつか、私が折木さんを助ける事はできるのでしょうか?
える(何か、恩返しはできないでしょうか……)
える(折木さんにも、福部さんにも、摩耶花さんにも)
最初に古典部に入った目的は、氷菓の件です。
しかし私しか部員がおらず、どうしようかと思っていたときに現れたのは折木さんでした。
そして私が長い間、考えていた問題も解決してくれました。
他にも色々と、今回の事だってそうです。
える(とても返しきれそうな恩では……ないですね)
気温も大分、気持ちいいくらいになってきます。
もうすぐ夏も、やってきます。
える(後、2年も……ないですね)
考えると寂しい気持ちになってしまうので、気持ちを切り替える為に冷たい水でも飲みましょう。
そう思い、台所へと向かいました。
丁度台所に入ろうとしたとき、家のインターホンがなります。
える(お客さんでしょうか?)
える(こんな時間に、珍しいですね)
私は台所へ向かっていた足を玄関に向けると、扉を開きました。
摩耶花「ちーちゃん!」
える「ま、摩耶花さん?」
摩耶花さんから私の家までは大分距離があるのに……どうしたのでしょう?
える「どうしたんですか? 随分と慌てている様ですが……」
摩耶花「折木が、折木が倒れた!」
6.5話
おわり
今考えると、朝からどこか……具合の悪そうな顔をしていました。
思い出されるのは、今日の屋上で聞いた話。
える(……私のせいです)
私がもっとしっかりしていれば、折木さんに頼らずに済んでいたのに。
なのに折木さんに無理をしてもらって……
える(考えていても、仕方ありません)
える「折木さんはどこに?」
摩耶花「私もふくちゃんから聞いただけなんだけど……今は家に居るみたい」
える「では、行きましょう!」
そう言うと、私は制服のまま自転車を取り出します。
摩耶花さんも自転車で来ていた様です。
精一杯漕いで……15分ほどでしょうか。
それらを計算する時間も勿体無く、私は摩耶花さんと一緒に折木さんの家に向かいました。
少しだけ見慣れた光景なのに……とても長く感じました。
える(早く……まだでしょうか)
たった15分の道のりが、30分にも1時間にも感じます。
摩耶花「ちーちゃん! 道はあってるの?」
える「はい! 何度か行った事があるので大丈夫です!」
自転車を漕ぎながらも、必死で会話をします。
摩耶花「え? ちーちゃん折木の家に行った事あるの!?」
ああ、失念していました。
別段、秘密にしようとは思っていなかったのですが……
なんとなく、隠していたんです。
でも、今は答えている余裕はありません。
える「もう少しで着きます!」
やっと……やっと見えてきました。
える「福部さん! 折木さんは!?」
里志「ち、千反田さん。 落ち着いて」
里志「ホータローなら家に居るよ、お姉さんもね」
福部さんは、どうしてここまで落ち着いているのでしょう?
摩耶花「ふくちゃん! 早く折木の所へ行こう!」
そうです、折木さんは大丈夫なのでしょうか……
里志「うん、じゃあ行こうか」
福部さんの後ろについて行く形で、折木さんの家に入ります。
玄関を開けると、折木さんのお姉さんが居ました。
供恵「にしてもあいつ、意外と友達に恵まれてるなー」
この方……もしかして。
摩耶花「こんにちは、伊原摩耶花といいます」
える「千反田えると申します」
摩耶花さんに続き、軽い挨拶をしました。
そこでふと、少し気になっていた疑問をぶつけてみます。
える「あの、すいません……以前お会いしましたよね?」
供恵「前に? うーん」
供恵「覚えてないなぁ……どこで会ったの?」
確かに、会った筈です。
える「神山高校の文化祭の時にお会いしたかと……」
える「いえ、一目見ただけです。 その時はなんとなく、以前どこかでお会いした気がしていたんですが……」
える「折木さんのお姉さんだったんですね!」
供恵「すごい記憶力ねぇ」
供恵「ま、それにしても」
供恵「私とあいつが似てるー? 勘弁してよ!」
里志「あはは、ホータローもそれは違うって言ってたね」
供恵「あいつがねぇ……」
供恵「と言うか、千反田さん?だっけ」
える「は、はい」
供恵「なるほどねぇ、可能性の一つって所かしら」
供恵「ううん、なんでもない」
少し、気になりますが……
いけません!
今はもっと、しなければいけない事があるんでした!
える「それより!」
供恵「な、なに?」
里志「ち、千反田さん落ち着いて。 お姉さんびっくりしてるよ」
いけません、また近づきすぎてしまいました……
える「す、すいません。 で、でもですね」
供恵「あいつも大切にしてもらってるのねぇ、勿体無い!」
供恵「あ、奉太郎ね」
供恵「今は自分の部屋で寝ているよ、顔だけでも出してあげて」
える「ありがとうございます」
える「行きましょう。 福部さん、摩耶花さん」
摩耶花「うん、そうだね」
里志「りょーかい」
私たちは、3人で折木さんのお部屋に向かいました。
ドアはすんなりと開きます。
目に入ってきたのは、ベッドに横になっている折木さんでした。
える(私が、私のせいで……)
える「折木さん!」
摩耶花「折木! 大丈夫?」
あれ? 福部さんも一緒に来たと思ったのですが……
お手洗いにでも行っているのでしょうか? 見当たりません。
で、でも今はそれよりも!
える「折木さん! 折木さん!」
何度か呼びかけると、折木さんは返事をしました。
奉太郎「……おい」
そう言うと、折木さんはゆっくりと体を起こします。
奉太郎「里志だな……こんな大事にしたのは」
大事……とはどういう意味でしょうか?
里志「い、いやあ……僕もここまで大事になるとは思わなかったんだよ」
える(福部さん、いつの間に戻ったのでしょうか……)
える「え、ええっと?」
摩耶花「……ふくちゃん、説明してね」
つまりは、どういう事でしょう?
摩耶花さんは何か分かった様な顔をしていますが……
里志「えっとね、ホータローはただの風邪なんだ」
里志「最初に聞いたのは僕なんだけど……ホータローのお姉さんからね」
里志「それを拡大解釈して、摩耶花に連絡をしたんだよ」
里志「ホータローが倒れた! ってね」
里志「そうしたら摩耶花は千反田さんに連絡を入れて……今に至るって所かな」
そ、そうでしたか……
でも、危ない状態ではなくて良かったです。
いえ、一度倒れているんです……良かった事はないでしょう。
える「……そうですか、少しだけ安心しました」
そう言うと、私は床に座り込んでしまいます。
全身から、一気に力が抜けたのでしょうか。
摩耶花「あんな慌てて連絡してくるから、一大事だと思ったじゃない!」
里志「い、いやあ……まあ皆集まってホータローも嬉しいんじゃない?」
里志「結果オーライって奴かな?」
摩耶花「ふーくーちゃーんー?」
二人は、口喧嘩を始めてしまいます。
と言っても、摩耶花さんが一方的に責めているだけですが……
える(こ、ここで喧嘩はダメですよ! 二人とも!)
そんな動作を身振り手振りで伝えていたら、折木さんから声が掛かります。
奉太郎「いいんだ、千反田」
奉太郎「今となっちゃ、こっちの方がいつも通りだからな」
える「そう、ですか」
える「あの、折木さん」
える「すいませんでした……折木さんがこんな状態なんて知らずに、私」
奉太郎「別に、俺が好きでやったことだ」
奉太郎「お前が気に病むことなんてないだろ、ただの風邪だしな」
える「そう言って頂けると、ありがたいです……」
本当に、折木さんは心優しい方です。
折木さんが好きでやったことでは無い事なんて……私でも分かります。
もう少し、もう少しだけ……私も強くならないと。
いつまでも頼ってばかりでは、ダメです。
える「折木さん、ありがとうございます」
そう笑顔を向けると、折木さんも少しだけ……笑った気がしました。
すると突然、ドアが開きます。
福部さんと摩耶花さんはそれを期に、口喧嘩を止めました。
供恵「ご飯作っちゃったけど、食べてく?」
里志「おお! ホータローのお姉さんの手作り! 是非!!」
摩耶花「私も、いただこうかな……」
摩耶花さんが、少しだけムッとした顔を福部さんに向けています。
える「では、私も……」
供恵「そっ、下に置いてあるから勝手に食べちゃってねー」
里志「あれ、お姉さんは一緒に食べないんですか?」
摩耶花さんが、さっきより更に鋭い視線を福部さんに向けています。
少し、怖いです。
供恵「あー、私はね」
供恵「今夜から旅行!」
確か前に、折木さんが「姉貴は世界が好きなんだ」って言っていましたが……
なるほど、と思いました。
供恵「うんうん、何かお土産皆に買ってくるね」
供恵「それじゃあまたねー」
そう言うと、さっそく折木さんのお姉さんは家を出て行きました。
行動が……早い人です。
里志「もう行っちゃったね」
里志「ご飯、食べようか」
福部さんの言葉を皮切りに、私たちはリビングへと向かいます。
それにしても何か忘れている様な……
そんな考えも、おいしいご飯を食べている時は忘れてしまいます。
30分ほど3人でご飯を食べ、また少しお話をします。
里志「あっははは、それはまた、ははは。 面白いね」
摩耶花「でしょ? 私はいい迷惑だったけどね!」
える「そうですね……あ、もうこんな時間ですか」
時計を見ると、時刻は20時となっています。
随分と、長居をしてしまいました……
里志「そうだね、そろそろ帰ろうか」
あ、思い出しました……!
摩耶花「うん、明日も学校だしね」
える「あ、あの」
える「少し、言い辛いんですが……」
摩耶花「どしたの? ちーちゃん」
える「折木さんは……?」
私がそう言うと、二人も思い出したのか焦りが顔に出ています。
里志「す、すっかり忘れてた」
摩耶花「物凄くリラックスしてたね、私たち……」
える「ちょ、ちょっと折木さんの部屋に行きましょう」
里志「そ、そうだね、そうしよう」
少々皆さんの顔が引き攣っていますが……戸惑ってはダメです!
奉太郎「楽しかったか?」
里志「ま、まあ……」
奉太郎「……随分と、盛り上がっていたなぁ?」
摩耶花「う、うん……」
奉太郎「飯はうまかったか?」
える「折木さんごめんなさい!!」
急いで、頭を下げます。
折木さんは、一つ溜息をつくと、ゆっくりと口を開きました。
奉太郎「ま、いいさ」
奉太郎「それより悪いんだが、俺の飯を運んできてくれないか?」
える「は、はい!」
折木さんのご飯……ご飯。
里志「ほ、ホータロー」
奉太郎「……ん」
里志「とても言い辛いんだけど、ホータローの分、皆で分けちゃったんだ」
奉太郎「……」
奉太郎「お前ら、一応ここ俺の家だからな?」
摩耶花「ご、ごめん折木……」
どうしましょう、どうしましょう……
すると突然、誰かの携帯が鳴りました。
摩耶花「私のだ、誰だろ」
摩耶花さんは廊下に出ると、電話でどなたかとお話をしています。
続いてまた、携帯が鳴ります。
今度は……福部さんでしょう。
部屋に二人っきりになりました。
える「すいません、本当に……」
奉太郎「……はあ」
奉太郎「いいんだ、別に」
奉太郎「そこまで腹が減ってた訳じゃないしな、構わないさ」
える「い、いえ! でも……」
そうは言っても、折木さんのとても悲しそうな顔ときたら……
やはり、申し訳ないです。
するとどうやら、話し終わった福部さんと摩耶花さんが部屋に戻ってきます。
摩耶花「お母さんからだった、何してんのーって」
里志「はは、僕も一緒だ」
お二人はどうやら、そろそろ帰らないとまずいようです。
える「そうなんですか、折木さんのご飯……どうしましょう」
奉太郎「気にするな、明日も学校だろ。 お前ら」
ですが、ですが。
福部さんも、摩耶花さんも、やはり少し後ろめたさがあるようです。
える「私が何か作ります!」
奉太郎「た、確かにそれは有難いが……時間、大丈夫なのか?」
える「はい、今日は大丈夫です」
える「両親は今日、挨拶でとなりの県まで行っているので」
える「戻ってくるのは明日のお昼の予定です、問題はありません」
里志「うーん、じゃあちょっと悪いんだけど……千反田さんに任せようかな」
摩耶花「そだね……ごめんね? ちーちゃん」
える「いえいえ、構いませんよ」
そう言い、二人は帰り仕度を始めます。
奉太郎「ありがとな、里志も伊原も……千反田も」
里志「気にしない気にしない、どうせ暇だったしね」
摩耶花「別にあんたの為に来た訳じゃないし……ふくちゃんが行くって言うから……」
摩耶花「でも、早く元気になってよ。 病気のあんたと話しててもつまらないし」
奉太郎「……ま、すぐに治るだろう」
そして、摩耶花さんと福部さんは自分の家へと帰って行きました。
える「とりあえず、ご飯作りますね!」
奉太郎「ああ、悪いな千反田」
える「いえいえ、折木さんは寝ていてください」
そう言い残し、私は台所へと向かいました。
える(何を作りましょうか……)
える(お米は、御粥にしましょう)
える(生姜粥がいいですね)
える(後は……ネギを炒めましょう)
える(少ないですけど……風邪ですからね、仕方ないです)
私はお粥を作り、ネギを醤油で炒め、折木さんの部屋へと持って行きました。
える「折木さん、できましたよ」
える「ちょっと見た目も良いとは言えませんし、量も少ないですが……風邪に良いと思いまして」
える「そう言って頂けると、うれしいです」
折木さんは食べ始めると、ひと言も喋らず食べ続けます。
そんな様子を見ていたら、なんだか顔が綻んでしまいます。
奉太郎「あ、あんまジロジロ見ないでくれ」
える「あ、す、すいません」
慌てて視線を泳がせますが……やはり気になってちらちらと見てしまいます。
える(どうでしょうか……)
奉太郎「……ふう」
折木さんは食べ終わると、箸を置き、息を吐きました。
奉太郎「……うまかった、ご馳走様」
ああ、良かったです。
える「そうですか、お粗末様です」
える「い、いえ……元を辿れば私のせいですので」
やはり、申し訳ない事をしてしまいました。
私がもっとちゃんとしていれば。
そこで気付くと、折木さんが私の顔の前に手を持ってきていて……
える「いっ…」
デコピン、してきました。
奉太郎「何回言ったら分かるんだ、お前のせいじゃない」
奉太郎「もう自分を責めるのはやめろ」
える「は、はい。 でも……」
奉太郎「ん?」
える「デコピンは、ちょっと酷いです……」
そう言い、私が俯き悲しそうな顔をしていると折木さんが口を開きます。
折木さんは、顔を私から逸らします。
今です!
奉太郎「悪かったよ、千反田……いてっ」
やり返しちゃいました。
える「ふふ、お返しです、折木さん」
奉太郎「……全く、俺はもう寝るぞ」
える「そうですか」
奉太郎「それより、お前は帰らなくてもいいのか」
……すっかり忘れていました。
える「あ、もう22時ですね」
える「……通りで眠いと思う訳です」
もう外は、真っ暗です。
でも余り折木さんの家に長く居ても迷惑ですし……そろそろ帰らなければ。
奉太郎「なあ……」
える「はい? なんでしょうか?」
奉太郎「今日、泊まっていかないか」
と、泊まり!?
お、折木さんの家に!?
そ、それはつまり……どういう事でしょう?
える「え、えっと、そ、そのですね」
奉太郎「べ、別に嫌ならいいんだ」
奉太郎「その、なんだ」
奉太郎「今から一人で帰すってのも、ちょっとあれだしな」
奉太郎「夜遅くに、女子を一人で帰すのは……ちょっと気が引けるってだけだ」
奉太郎「……千反田が嫌ならいいんだがな、無理にとは言わん」
ど、どど、どうしましょう。
嫌って訳ではないんです、ないんですが……
なんで、私はここまで緊張しているのでしょうか……?
折木さんが言っているのは、帰っても帰らなくてもって事ですよね。
……どうしましょう?
える「お、折木さん、あの」
える「……泊まらせて、もらいます」
自然と、口から出てしまっていました。
折木「……そうか」
折木「……風呂も一応沸いてるから、使っていいぞ」
える「は、はい」
える「では、頂きますね」
そう言い、ちょっと恥ずかしいのもあり、私は一度リビングへと行きました。
える(びっくりしました)
える(まさか、泊まる事になるなんて……)
ふと、思い出します。
える(着替え……どうしましょう)
そんな事を思いつつ、ソファーの隅に一枚の紙切れが落ちているのに気付きます。
その紙には【これ私の服ね、使っていいわよ、千反田さん。 折木 供恵】と書いてありました。
える(全部、全部予想されていたって事ですか……)
折木さんのお姉さんは、随分と勘が鋭い方だとは聞いていましたが……ここまでとは。
でも、助かりました。
そう思い、その紙と一緒に置いてあったパジャマを手に取り、私はお風呂場へと足を向けます。
第七話
おわり
そこで、盛大な勘違いをしたことを知ったんだけど……
お姉さん曰く、ただの風邪らしい。
それでも無理に動いていたから、倒れたとの事だ。
まあ、普段から体を動かしてないからってのもあると思うけどね。
とにかく、摩耶花と千反田さんになんて言い訳しようかな。
里志(うーん、参ったなぁ)
里志(あれ? もう来てるし!)
予想以上に千反田さんと摩耶花が来るのは早かった。
二人に軽く挨拶をして、ホータローの家に入る。
ここまできたら、どうにでもなれ!
里志(これほどまでとは、ね)
そんなこんなで、ホータローに会おうという流れになってしまう。
うう、参ったなぁ。
お姉さんの横を通り過ぎようとした所で、呼び止められた。
供恵「里志くん、ちょっといいかな」
なんだろうか? まあこのまま行っても気まずいし、少し道草をしよう。
里志「なんですか?」
供恵「奉太郎の事なんだけど、さ」
供恵「最近学校で何かあったの?」
里志「うーん、確かにあるっちゃありましたね」
里志「ま、そんな所です」
里志「すいません、いくらお姉さんでも言う訳には行かないんです」
供恵「……それってあの千反田さんに関係してるのね」
里志「……違うといえば、嘘になります」
うひぃ、やっぱり鋭いなぁ。
ホータローが苦手になるのも、少し分かる気がする。
供恵「そう、それだけ分かれば充分だわ」
供恵「にしても、あのホータローがねぇ」
供恵「その内分かるわよ」
なんだろうか……
やはりこの人は、何か知っているのか?
ううん、僕には思いつきそうにないや。
そして、そう言うとお姉さんはリビングへと戻っていった。
供恵「里志くん、ごめんね呼び止めちゃって」
供恵「奉太郎に会いにいってあげて」
そう言い残し、扉を閉めようとする。
そして、これは僕が聞いていなかった言葉、聞けなかった言葉。
供恵「あの奉太郎が飛び出して行ったと思ったら、なるほどね」
供恵「中々青春してるじゃない、あいつも」
第7.5話
おわり
勢いで千反田に泊まっていけ等と言った物の、どうにも落ち着かない。
奉太郎(何をやってるんだか……)
第一に、風邪を移してしまう可能性もあるだろう。
そんな事をしてしまったら本末転倒ではないか。
あいつは、あいつの性格からしたら……
これでも1年と少しの間、千反田と過ごしている。
一緒に居た時間もそれなりにはある。
そこから予想できる、次の千反田の行動は。
恐らく、風呂を出た後はこの部屋に一度やってくるだろう。
その時、俺はどんな顔をすればいいのだろうか。
全くもって、面倒な事になってしまった。
普段の俺なら、絶対に泊まっていけ等と言う筈が無いのに。
どうやら大分、風邪のせいで思考は弱くなっているらしい。
しかし今考えなければいけないのは、次に千反田が部屋に来た時どうするか? だ。
生憎だが、眠気は吹っ飛んでしまっている。
振りならば可能と言えば可能だが、そこまでする必要はあるのか……?
奉太郎(普通に接するか)
普通に接する……?
普通とは、どんな感じだったっけか。
ううん……
奉太郎(千反田、お風呂出たんだ。 じゃあ次は僕が入ろうかな?)
あれ、俺ってこんなキャラだっけ?
違う違う。
奉太郎(ちーちゃん、お風呂気持ちよかった? 私も入って来ようかな)
これは伊原だろう!
奉太郎(千反田さん、お風呂あがったんだね。 そう言えば、人間の体を温めた時に起きる作用なんだけど)
これは里志。
半ば半分ふざけて思考遊びをしていた時に、来てしまった……奴が。
える「お風呂、ありがとうございます」
奉太郎「あ、ああ」
そう言いながら、千反田に目を向け、ぎょっとする。
この服は、姉貴のだろうか。
姉貴は意外にも身長があるし、体格も女の割りには結構がっちりとしている。
かと言ってスタイルが悪いと言う訳でもない。
そんな姉貴の服を千反田が着ると、どうなるかというと……
ぶかぶかだ。
それだけなら、まだいい。
余りこういうのは言いたくは無いのだが……
つまり、胸元が、見える。
える「折木さん、大丈夫ですか?」
える「顔が真っ赤ですけど……また熱でも上がったのでしょうか……」
それをこいつは自覚しないから始末に終えない。
本当に、言いたくないが……このままでは風邪どころか神経を使いすぎて倒れかねない。
奉太郎「ち、千反田」
える「はい、どうかしましたか?」
奉太郎「その、その服だと、目のやり場に困るから、何か下に一枚着てくれると助かる」
える「え、あ! す、すいません!!」
がばっ!と胸元を隠す。
この際なら、なんでもいいだろう。
部屋にある引き出しから、手頃なシャツを一枚千反田に渡す。
奉太郎「これは俺のだが、着てくれると助かる」
える「は、はい! ありがとうございます!」
千反田もようやく気付いた様で、慌てっぷりは中々の見物だ。
そしてそのまま姉貴の服に手を掛けると……
全く、全く全く。
千反田は顔を真っ赤にして、部屋から出て行った。
奉太郎(疲れる……本当に疲れるぞ、これ)
どうにも千反田は、天然と言えばいいのだろうか?
所々抜けており、言われるまで分かっていない節がある。
それを一個一個指摘するのは、大変な労力なのだ。
ほんの2、3分だろうか、千反田が再び部屋に戻ってきた。
える「あ、折木さん、本当にす、すいません」
奉太郎「……もういい」
話を変えよう、気まず過ぎて窓から飛び出したい気分になってしまう。
奉太郎「それより、布団を出しに行こう」
奉太郎「さすがにソファーで寝ろとは言えんからな」
そして、再びこのお嬢様は俺に疲れをもたらせる。
える「あれ、一緒のベッドで寝ないんですか?」
奉太郎「寝る訳あるか!」
泊まっていけなど、口が裂けても言うべきでは無かった。
奉太郎「……大体、俺は風邪を引いてるんだぞ」
奉太郎「移ったらどうするんだ」
える「私は大丈夫ですよ! うがいと手洗いには気を使って居ますので」
奉太郎(そういう問題では無いだろ)
しかし、飛びっきりの笑顔で言われては俺も参ってしまう。
奉太郎「そうか、でもとりあえずは別々で寝よう」
手段は、強行突破。
える「……そうですか、少し残念ですが、分かりました」
奉太郎(はぁぁ)
どうにも熱が上がってしまいそうで、本当に千反田はお見舞いに来たのだろうか? 等と思ってしまう。
だが納得してくれたのなら引っ張る必要も無いだろう。
そのまま別の部屋に移り、布団を引っ張り出す。
える「あの、折木さんの部屋に敷かないのですか?」
こいつはそろそろわざとやっているんじゃないか? と疑ってしまう。
仕方ない、はっきりと言おう。
奉太郎「あのな、千反田」
える「はい、なんでしょう」
奉太郎「俺は男で、お前は女だ」
える「ええ、そうですね」
奉太郎「男と女が一緒の部屋で寝るのは……その、余り良くないだろう」
える「確かに、分かります」
ん? 分かるのか。
奉太郎「だったら」
える「でも私、折木さんの事を信用していますから」
ああ、そう言う事か。
こいつは俺の事を信じているから、一緒のベッドで寝てもいいし、一緒の部屋で寝てもいい、というのか。
今までのこいつの態度の原因が、少しだけ分かった気がした。
信じていなかったのは、俺の方なのだろうか。
ここまで言われては、無下にするのも気が引けてしまう。
奉太郎「……分かった」
奉太郎「俺の部屋に布団は敷く、だけど風邪が移っても知らんぞ」
やっぱり、泊めるべきでは無かった。
どうやら今年一番の失敗は、これになりそうだな。
渋々布団を抱え、自室に戻る。
床に落ちている物を適当に足でどけると、そこに布団を敷いた。
すると千反田はとても満足そうな顔をしていた。
俺は、とても不満足な顔をした。
える「ふふ、折木さんと、お話したかったんです」
奉太郎(一応病人だぞ、俺)
でも、千反田と話していると何故か元気が出てくるのは自分でも分かっていた。
奉太郎(ま、少しくらい付き合ってやるか)
える「今日の事で、お話しようと思っていて」
今までの少し楽しんでいた千反田とは違い、一転空気が引き締まるのを感じた。
今日の事か、どうせ後で話すことになるんだ、今でもいいだろう。
奉太郎「俺も、その事は話さないといけないと思っていた」
千反田は一呼吸置くと、続けた。
える「本当に、折木さんには感謝しています」
える「私一人では多分、摩耶花さんと話し合いをしていたのかも分かりません」
える「福部さんとも、お話はとても出来ると思っていませんでした」
える「正直に、言いますね」
また一段と、空気が重くなる。
える「最初、摩耶花さんが帰った後」
える「一番怖かったのは、折木さんに嫌われるという事でした」
える「今まで少し、頼り過ぎていたのでしょう」
える「折木さんがすぐに戻ると言ってくれた時、ちょっとだけ安心できたのも覚えています」
覚えていたのか、俺は……くそ。
える「外が暗くなってきて、ようやく立てる様になったんです」
える「今までで一番、体が重く感じました」
える「家に帰る道も、とても長く感じました」
俺がもし覚えていたら、千反田はこんな思いをしないで済んだのでは?
一緒に帰っていれば、そんな思いをさせずに済んだかもしれない。
える「それでようやく家に着いて、これからどうしようか考えていたんです」
える「気付くと電話機の前に居て、掛けようとした先は……折木さんの所です」
える「ですが、電話を取れませんでした」
える「……また、折木さんに甘えていると思ったからです」
たまたま前に居たんじゃない、俺に電話を掛けようとしていて……電話機の前に居たんだ。
える「しかし、そんな時に電話が鳴ったんです」
える「お相手は、折木さんでした」
える「私は、その時とても嬉しくて、嬉しくて」
える「そこからは、折木さんの知っている通りです」
える「これは私の気持ちですが、知って貰いたかったんです」
さっき、俺はこう言った。
どうやら今年一番の失敗は、これになりそうだな。と。
そんな事は無い。
さっきまでの俺は……とんだ馬鹿野郎だ。
奉太郎「俺の話を、聞いてくれるか」
千反田の方に顔を向けると、返事代わりに笑顔を一つ、俺の方へ向けた。
奉太郎「俺は、最初の一瞬……お前が言ったのかと思った」
奉太郎「けど、すぐにそれは違う事が分かった」
奉太郎「まずは謝る、ごめん」
千反田は何か言うかと思ったが、どうやら俺の話が終わるまでは話す気はないらしい。
奉太郎「自分で言うのもなんだが」
奉太郎「俺は怒るって事や、他の事もだが……あまりしない」
奉太郎「疲れるし、な」
少し、少しだけ千反田が笑った気がする。
奉太郎「だが千反田に経緯を教えてもらったとき」
奉太郎「俺は多分、怒っていた」
奉太郎「多分って言うのも変だがな、あんな感情は初めてだった」
奉太郎「怒りを通り越していたのかも知れない」
奉太郎「勿論、千反田に対してじゃない」
奉太郎「千反田に嘘……その言葉の意味を教えた奴に、だ」
奉太郎「里志に少し、事情を話して……大分落ち着いたのを覚えている」
奉太郎「そして次に、俺は」
言っていいのか? 俺のした事を。
本当に、言っていいのだろうか?
それは千反田には、言ってはいけない内容だ。
けど、俺は……千反田の気持ちを全然理解していなかった。
もしかすると、自分の為に動いていたのかもしれない。
正体不明の感情を、消す為に。
奉太郎「……俺は!」
える「折木さん」
える「もう、いいですよ」
える「折木さんの気持ちは、私に伝わりました」
奉太郎「そう、か」
える「先ほど、こう言いましたよね」
える「自分を責めるのはやめろ、と」
える「それは、折木さんにも言える事ですよ」
そう、だろうか?
俺は……自分を責めているのだろうか?
……そうかもしれない。
える「私は、何回も救われています」
える「氷菓の時も、入須先輩の時も、文化祭の時も、生き雛祭りの時も、今回の事も」
える「だから、たまには……折木さんの事を、助けたいんです」
える「でもやっぱり、私じゃとても力不足みたいです、ね」
える「今日も、迷惑を掛けてしまいましたし……」
少しでも俺の、手助けになれるようにと。
俺は天井を見つめながら、言った。
奉太郎「今日は、随分と楽をできたな」
奉太郎「具合が悪い所に友達がお見舞いに来てくれたし」
奉太郎「うまい飯も食えた」
奉太郎「お陰で大分、楽になってきたな」
自分でも、演技っぽいのは分かっていた。
だが、言わずにはいられなかった。
奉太郎「そういう訳だ、千反田、ありがとう」
える「で、ですが」
奉太郎「ありがとう、千反田」
強引だっただろうか?
しかし俺には、これしか思いつかなかった。
える「……はい」
える「どういたしまして、折木さん」
ま、少しは分かってくれたか。
える「そうですね、電気消しますね」
そう言い、千反田が電気を消した。
える「おやすみなさい」
小さいが、俺の耳には確かに聞こえていた。
奉太郎「ああ、おやすみ」
今日は多分、長い夢を見る事になりそうだ。
雀だろうか、鳴き声が騒がしい。
風邪は大分良くなったようだ。
千反田のおかげ、と言うのも勿論あるだろう。
奉太郎(喉が渇いたな)
部屋ではまだ千反田が寝息を立てている。
どうやらこいつも、昨日は随分と疲れた様子だ。
起こさない様に、そっと部屋を出た。
部屋を出たところで、一度立ち止まる。
部屋の中には千反田、ドアは開いているが不思議と少しの距離感を感じた。
奉太郎「……お疲れ様、ゆっくり休め」
聞こえては、いないだろう。
俺はゆっくりとドアを閉めた。
朝飯は……いいか、面倒だし。
奉太郎(コーヒーでも飲むか)
コーヒーを一杯淹れ、ソファーに座る。
テレビをつけると、丁度昼前のバラエティ番組がやっていた。
頭に入れることは無く、ただ画面を見つめる。
奉太郎(この分なら学校に行けたかもな)
嘘ではない。
昨日までのダルさは無く、ほとんどいつもの調子だ。
奉太郎(ん?)
奉太郎(テレビ……)
神山高校は、普通の学校である。
普通と言うのはつまり、平日は普通に授業を行っている。
俺は今日休みだが、昨日の内に連絡は入れてあった。
しかし、部屋にはあいつがいるではないか。
奉太郎(あいつ学校は!?)
ドアを開けると、そこには相変わらず熟睡している千反田の姿がある。
える「……すぅ……すぅ」
呑気に寝息を立てている千反田を見て、ちょっと起こす気が引けるが仕方ない。
奉太郎「おい、千反田」
奉太郎「起きろ」
そこまで声は出していないつもりだったが、千反田はすぐに起きた。
える「……折木さんですか? おはようございます」
目を擦りながら、朝の挨拶をしている。
奉太郎「ああ、おはよう」
奉太郎「今何時だと思う?」
える「……えっと、今? でしょうか」
える「時計が無いので、わからないです」
奉太郎「12時前だ、学校大丈夫なのか?」
える「あ、学校?」
える「ええっと、折木さん」
える「今は、何時でしょうか?」
俺は大きく溜息を吐きながら、もう一度時間を教えた。
奉太郎「正確に言うと、11時ちょっとだ、昼のな」
える「ち、遅刻です!!」
もはや遅刻という問題では無い気がするが……
がばっと起きるというのは、こういう事を言うのだろう。
千反田はがばっと起きると、何からしたらいいのか分からないのか、部屋の中をぐるぐると回っている。
奉太郎「とりあえず、学校に連絡だ」
やらなければいけない事なら、手短に。
携帯は俺も千反田も持っていないのだ、仕方あるまい。
える「あ、ありがとうございます!」
そう言うと千反田は暗記しているのか、迷い無くボタンを押し、電話を掛けた。
える「もしもし、2年H組の千反田えるです」
える「連絡が遅くなり申し訳ありません」
える「ええ、少し……」
俺はこいつの事は真面目な奴だとは思っていた。
少なくとも、この時までは。
える「体調が悪くて……休ませて頂いてもよろしいですか?」
奉太郎「お、おい!」
そう声を発したか発する前か、千反田は空いている手で俺の口を塞いできた。
える「ええ、それでは」
ようやく、俺の口から手が離される。
奉太郎「どういうつもりだ」
える「えへへ、ずる休みしちゃいました」
とんだ優等生が居た物だ、本当に。
える「そんな事よりですね」
奉太郎(そんな事で終わらせていいのか?)
える「折木さん、具合は大丈夫ですか?」
奉太郎「まあ、かなり良くなったな」
える「そうですか、それならよかったです」
える「本当に、無理はしていませんよね?」
なんだろう、くどいな。
奉太郎「少し体を動かしたいくらい元気だが……」
える「そうですか!」
える「それなら、ですね!」
奉太郎「な、なんだ」
千反田がこういう雰囲気になる時は、何か嫌な予感しかしない。
奉太郎「どこに? と言うかだな」
奉太郎「学校、休んで行くのか」
える「見つからなければ大丈夫です!」
いつもの千反田とは、ちょっと違うか?
ま、いいか。
どうせする事も無い。
奉太郎「分かった、見つからない様にな」
奉太郎「それで、どこに行くんだ?」
える「水族館です!!」
何故、平日の昼過ぎに俺は水族館に居るのだろうか?
勿論客はまばらにしかいない、平日だから。
受付の人は少しばかり不審がっていた、平日だから。
俺たちと同年代の人は周りにほとんどいない、無論……平日だから。
奉太郎「それで、なんで水族館なんだ」
える「神山市の水族館は日本でもかなりの大きさと聞いていたので」
える「来てみたかったんですよ……わぁ、かわいいですね」
小さな魚を見て、千反田が言った。
いや、むしろだな。
奉太郎(なんでこいつは制服で来ているんだ)
それがより一層、不審人物を見るような目を集めていることは言うまでもない。
える「あ、折木さん」
奉太郎「ん、なんだ」
える「イルカのショーがあるみたいですよ、気になります!」
千反田の気になりますも、随分と久しぶりに聞いた気がした。
最近は何かと忙しかったからな、仕方無いだろう。
そして、イルカのショーを見に来た訳だが……
隣同士で座っているのに、イルカはどうやら俺の方に恨みでもあるらしい。
さっきから俺だけ何度も水を掛けられている。
奉太郎(冷たい……)
入り口で雨具を貸し出していたので、服は濡れなくて済むのだが。
える「わ、わ、可愛いですねぇ」
どうやら千反田はかなりの上機嫌の様だった。
しかし何故、俺だけこうも水を掛けられるのだろうか?
数えているだけで5回。
あ、丁度6回目。
さいで。
回数が10回を越えた辺りで、ようやくショーは終わった。
千反田はと言うと、イルカを触りに行っている。
える「おーれーきーさーんー!」
こっちに手を振っている、周りの視線が痛い。
える「かわいいですよー!」
分かった、分かったからやめてくれ。
える「おーれーきーさーんー!」
イルカは恐ろしいと思った、狙って俺に水を掛けてくるから。
だが千反田も狙って俺に手を振ってくる。
奉太郎(恐ろしい所だ、水族館)
エスカレーターに乗ったとき、全面ガラスで魚が泳いでいたのには驚いたが……
千反田はその光景に、言葉を失っていた。
目がいつもより一段と大きくなっていたので、すぐに分かる。
そして今は水族館内で、昼飯と言った所だ。
える「すごいですねぇ、来て良かったです」
奉太郎「ま、そうだな……イルカは納得できんが」
える「折木さん、随分気に入られていたみたいでしたね」
奉太郎「イルカに気に入られてもなんも嬉しくは無い」
える「そうですか……少し、羨ましかったです」
奉太郎「俺は千反田が羨ましかったけどな」
える「ふふ、あ、今度は小さいお魚が居る所に行きませんか?」
しかし、元気だなぁ。
奉太郎「そうだな、行くか」
える「はい! テレビ等で見て行きたいと思っていたんです」
やっぱりか、通りで見るもの全てに目を輝かせている訳だ。
そろそろ帰ろうか、と切り出そうとしていたが……もう少し居てもバチは当たらないだろう。
奉太郎「じゃ、あっち側だな、小さい魚は」
える「はい、次はどんなお魚が居るんでしょうか……気になります!」
通路の脇に設置されている水槽には、ヒトデが何匹も入っていた。
える「可愛いですねぇ……」
奉太郎(可愛い? これがか……?)
える「あ! あっちにはクラゲも居るみたいですよ」
クラゲの水槽までとことこと小走りで行くと、千反田はクラゲを見つめながら言った。
える「知っていますか、折木さん」
奉太郎「ん?」
える「酢の物にすると、おつまみにいいんですよ」
奉太郎(今その話をするのか……クラゲの目の前で)
奉太郎(哀れ、クラゲ達)
える「どうしたんですか? そんな悲しそうな目をして」
奉太郎「いや、なんでもない」
千反田はと言うと、相変わらず見る度に感動している。
える「タコもいるんですね! すごいです!」
……やはり俺と千反田では、受け取り方が違う。
確かに面白いが……ここまでの感動は俺には無い。
千反田は何にでも興味を示す、それは恐らく……家の事が関係しているのであろう。
外の世界を知識として蓄えたい、そう言った物が千反田にはあるのかもしれない。
水族館を出た頃には、すっかり夕方となっていた。
帰り道、千反田と会話をしながら自転車を漕ぐ。
奉太郎「家に居ても暇だったしな、これくらいならいつでもいいぞ」
える「はい……ありがとうございます」
える「今度は皆さんで、どこかに行きたいですね」
える「行きたい場所が、沢山あります……」
ふいに、千反田が自転車を止めた。
奉太郎「どうした?」
える「あの、折木さん」
千反田の顔はいつに無く真剣で、真っ直ぐに俺を見ていた。
える「私、今日はとても嬉しかったです」
える「やっぱり、折木さんといると楽しいです」
える「すいません急に、行きましょうか」
ふむ、千反田も色々と思うところがあるのだろうか?
える「……時間も、無いので」
その最後の言葉は、急に強くなった風に消され、俺には届いていなかった。
第8話
おわり
Entry ⇒ 2012.10.19 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
奉太郎「古典部の日常」 1
古今東西どこへ行っても、入学式や卒業式、俗に言う出会いと別れの季節である。
しかし、進級しただけの俺、折木奉太郎には特に関係が無い事であった。
つまり、高校二年生になった俺には。
そんな事を思いながら、部室に行く。
俺が属する部活は古典部、部員は四人ほどいる。
【省エネ】をモットーとする俺が何故、古典部にいるかと言うと……それすら説明するのが億劫になってしまう。
まあ、何はともあれ、俺の日常はこんな感じだ。
そんな誰に話しかけているのかも分からない内容を頭の中で回転させ、扉を開ける。
奉太郎「なんだ、千反田、もう居たのか」
える「はい! こんにちは、折木さん」
こいつは千反田える。
里志に言わせれば、結構な有名人らしい。
ああ、里志というのは……
里志「お、今日はホータローも来てたんだね」
こいつの事だ。
名前は福部里志。
これでも俺とは結構な付き合いで、世間一般で言う友人、という物だろう。
奉太郎「ああ、少し気が向いてな」
摩耶花「ふくちゃん、ちーちゃん、お疲れ様ー」
摩耶花「あ、なんだ、折木も居たんだ」
俺の事をおまけみたいな扱いをしてくるこいつは、伊原摩耶花。
小学校からの付き合いで、腐れ縁という奴だろう。
奉太郎「居て悪かったな」
ふう、とにもかくにも、これで古典部は勢ぞろい、という訳で。
える「皆さん揃いましたね」
奉太郎「揃ったとしても、やることなんてないだろう」
我ながらその通り、何しろ目的不明の部活である。
摩耶花「やる事があっても、どうせ折木はやらないじゃん」
奉太郎(間違ってはいない)
里志「それがね、やる事があるんだよ、実は」
里志がこういう顔をする時は、大体よくない事が起こる、主に、俺にとって。
奉太郎「はあ」
それを短い溜息として表す。
える「福部さん、やる事とはなんでしょうか?」
摩耶花「あー、もしかして……あれ?」
伊原はどうやら、既に話を聞いてるらしい。
里志「そ、さすが摩耶花は勘がいいね!」
奉太郎(気になりません)
千反田の気になりますにも、大分早く突っ込みをできるようになってきた気がする。
里志「これだよ、遊園地のチケット!」
里志「親がくじ引きで当てたんだけど、忙しくて行けないから友達と行ってこいって、渡してくれたんだよね」
える「遊園地ですか! 行ったことなかったんですよ」
まあ、そうだろう、千反田が行った事が無くても不思議では無い。
奉太郎(しかし、俺もあんま記憶に無いな……最後に行ったのは幼稚園の時だったか)
摩耶花「え? ちーちゃん、遊園地に行ったことないの?」
える「はい! 一度行ってみたかったんです!」
あー、まずいな、と思う。
これは断るのが難しい……かもしれない。
里志「それなら良かった、行くのは今度の日曜日でいいかな?」
える「日曜日でしたら大丈夫です、行きましょう!」
摩耶花「うん、私も日曜日は空いてる」
奉太郎「残念だ、日曜日はとても忙しい」
主に、家でごろごろするのに。
える「そうなんですか? 折木さん」
える「日曜日は忙しいんですか?」
千反田が顔を近づけ、聞いてくる。
すると横から伊原が口を挟む、いつもの光景だ。
摩耶花「ちーちゃん、折木に予定が入ってる日なんてある訳無いでしょ」
里志「まあホータローにも色々事情があるんじゃない? 行けないなら行けないで仕方ないよ」
奉太郎(なんだ、珍しく里志が引いてるな)
そう、いつもなら何かと理由を付け、結局は俺も参加……という流れなのだが、今日は少し違った。
える「そうですか……残念ですが、仕方ないですね」
里志「今度機会があったらって事で、残念だけどね」
摩耶花「いいよいいよ、三人でも楽しいでしょ」
何か気になるが、いいだろう。
奉太郎(行かなくていいならなによりだ)
結果に少々満足し、本に目を移す。
里志「あー、それはそうとさ、ホータロー」
それを狙ったかの様に、里志が話しかけてきた。
奉太郎「なんだ」
里志「今日さ、僕たちは別々に来ただろ? 学校に」
奉太郎「そうだな、お前が朝、委員会の仕事があるとかなんとか」
里志「うんうん、それでね、朝会ったんだよ」
奉太郎「会ったって、誰に」
里志「……ホータローの、お姉さん」
奉太郎(まずいことになった、さては里志の奴……)
なるほど、里志は最初からこれを知ってた訳だ、それを踏まえて俺に言ってきた、という事か。
嫌な奴。
里志「それでね、遊園地の事を話したんだけど」
里志「そうしたら、さ」
里志「「あいつはどうせ暇だから、居ても家でごろごろしてるだけだから、連れていってあげてー」ってね」
里志「だけど、そんなホータローに予定が入っていたなんて残念だよ」
里志「後でお姉さんにも報告をしておかないとね」
奉太郎「待て」
奉太郎「今思い出したが、予定なんて入ってなかった」
奉太郎(そんな事が姉貴の耳に入ったら、何をさせられるか分かったもんじゃない)
里志「え? そうなの? 無理をしなくていいんだよ?」
わざとらしい里志。
摩耶花「そうそう、折木の「用事」の方が大事でしょ」
ニヤニヤしながら言うな、こいつめ。
える「そうですね……無理をなさらないでください、折木さん」
何か最近、千反田もこういう流れが分かってきているような気がする。
勿論、思い過ごしだと思いたいが。
奉太郎「いやー、日付を一週間勘違いしていた。 次の日曜日は暇でしょうがない」
いつの日曜日も暇だが、それに突っ込みを入れる奴もいないだろう。
里志「そうかい、じゃあホータローも参加、という事で」
える「それは良かったです! 楽しみですね、折木さん!」
摩耶花「……強がり」
伊原が何か最後に言っていた気がするが、気にしないでおく。
里志「これで全員参加だね。 よかったよかった」
奉太郎(全く良くは無い)
里志「それで、ね」
里志「今日は、その日の準備や計画をしようと思ってるんだ」
奉太郎「たかが、遊園地だろ」
奉太郎「適当でいいんじゃないか?」
そう、たかが遊園地、予定なんて。特にいらないと思う。
摩耶花「はぁ、折木なんも分かってないね」
摩耶花「行くとしたら、バスか電車でしょ? それの時刻も調べなきゃだし」
摩耶花「遊園地が開く時間とか、閉まる時間も調べないといけないでしょ」
奉太郎(さいで)
える「でも、確かに何時からやっているんでしょう」
える「思いっきり楽しむ為にも、朝は早くなりそうですね!」
すると里志が、巾着から携帯を取り出す。
里志「ちょっと待っててね、今調べちゃうから」
奉太郎「ん、携帯でそこまで調べられるのか」
里志「これは携帯じゃなくてスマホだよ、ホータロー」
奉太郎「似たようなもんだろ」
持ってない奴からしたら同じだろう、しかし、持って無い奴の方が珍しいかも知れない。
える「営業時間は何時までやっているんでしょうか?」
里志「うん、えーっと」
里志「夜の10時って書いてあるかな」
摩耶花「12時間かぁ、大分楽しめそうだね」
奉太郎(正気か!? 12時間いるつもりか!?)
える「今からとても楽しみです! そこの場所でしたら、バスで1時間程でしょうか?」
里志「そうだね、丁度、僕たちの最寄駅から直行のバスが出てるみたい」
摩耶花「それなら朝は8時30分くらいに学校の前! でいいかな?」
と、ここで水を差す。
奉太郎「各自、別々に行って、遊園地前で集合でいいんじゃないか」
摩耶花「そんな事したら、あんた何時に来るか分かったもんじゃないでしょ」
奉太郎(確かに、ごもっとも)
里志「はは、じゃあ集合時間は8時30分! 場所は学校の前って事で!」
える「了解です! 後は、他に決めることはありますか?」
里志「そうだねぇ」
すると里志は、何か含んだ言い方で続けた。
里志「……そういえばさ」
里志「次の月曜日って休みじゃない?」
える「次の月曜日……そうですね、祝日ですので」
里志「じゃあ泊まりで行こうか!」
おい、ふざけるな。
冗談じゃない。
とは言えず、もっともらしい意見を述べてみる。
奉太郎「おいおい、泊まるにしてもホテルとかどうするんだ」
里志「その辺は抜かり無し! 」
里志「どうやら、このチケットにはホテルも付いているんだよ」
里志「日帰りでもいいらしいけど、皆はどっちがいいかな?」
なんと言うことだ、全く。
摩耶花「じゃあ、泊まりで行きたい人!」
える「はい!」
里志「はーい」
奉太郎「……」
伊原の何か悲しい物を見る眼で見られると、さすがの俺も、ちと悲しい。
摩耶花「……日帰りで行きたい人」
奉太郎「はい」
即答、だがそれに返す伊原も即答。
摩耶花「じゃあ、泊まりでいこうか」
奉太郎(はあ……)
える「そうですね! 今日の夜、寝れるか心配です」
奉太郎(まだ木曜日だぞ!? 行く頃には千反田、倒れているのではないだろうか)
里志「じゃ、準備とかは各自で済ませておくとして……今日は解散しようか?」
える「分かりました、もう大分日も暮れてきてますしね」
千反田の言葉を聞き、腕時計に目をやる。
奉太郎(いつの間にか、もう17時か)
奉太郎「よし、帰ろう」
摩耶花「あんた、今の一瞬だけやる気出てたわね……」
奉太郎「気のせいだ」
確かにそれは気のせいだ、日帰りがいい人の挙手の時だってやる気はあった。
里志「あはは。 じゃあ僕は摩耶花とこの後、買い物に行かないといけないんだ」
里志「という訳で、お先に帰らせてもらうね」
と言いながら、既にドアに手を掛けている。
奉太郎「じゃあなー」
止める必要も特にないし、友人を見送る。
摩耶花「折木、あんた日曜日ちゃんと来なさいよ、遅刻しないでね」
おまけで、伊原も。
奉太郎(親にしつけられる小学生の気分が少し分かった気がする)
える「はい、では、また明日!」
残された部室には、俺と千反田。
奉太郎(千反田と二人っきりになってしまった)
奉太郎(と言っても、もう生徒はほとんど帰っている)
奉太郎(今から、例の気になりますが出たとしても、明日には持ち越せそうだな)
える「はい!」
える「……あ」
千反田が口に手を当て、何かを思い出した仕草を取る。
奉太郎「ん? どうした」
える「鞄を教室に置いたままでした」
こいつはしっかりしているが、どこか抜けている所もある、そんな奴だ。
える「取ってくるので、折木さんはお先に帰っていてください。 すいません」
奉太郎「いや、昇降口で待ってるよ」
奉太郎(待ってる分には無駄なエネルギーを抑えられるしな)
える「そうですか、では私は一旦教室まで行くので、また後で」
奉太郎「ああ」
~階段~
奉太郎「今日は疲れたな」
奉太郎「座っているだけだったが……」
「……でさー」
奉太郎(あれは、漫研の部員達か?)
奉太郎(男子トイレから出てきた? 何をやってたんだか)
奉太郎(まあ、どうでもいいか)
千反田が居たら、ほぼ、気になりますと言っていたであろう。
だが幸い、今は千反田が居ない。
今日はつくづく運が悪いと思っていたが、そうでもないかもしれない。
奉太郎(遅いな、あいつ)
える「折木さーん!」
奉太郎(優等生が廊下を走っている、中々に面白い)
える「すいません、教室に鍵が掛かっていまして、職員室まで取りに行っていたら遅れてしまいました」
奉太郎「いや、気にするな」
奉太郎「待ってる分には、疲れないしな」
と伝えると、千反田は幾分か嬉しそうな顔をした。
える「……はい!」
える「では、帰りましょうか」
~帰り道~
える「……折木さんは」
若干言いづらそうに、俺の方に顔を向けてきた。
奉太郎「ん?」
える「折木さんは、遊園地は楽しみではないのですか?」
そういう事か、まあ内心、ほんの少しでは楽しみでは……あるかもしれない。
奉太郎「……疲れる事はしたくないからな」
える「そう、ですか……」
千反田は悲しそうにそう言うと、黙りこくってしまう。
奉太郎「でも、まあ」
える「?」
奉太郎「たまには、悪くないかもしれない」
奉太郎「良くはないが……」
ああ、全くもって良くはない。
良くも悪くも無い、つまり普通。
える「……ふふ」
お嬢様らしく、上品に笑うと、千反田は嬉しそうに前を向いた。
奉太郎(……ま、別にいいか)
える「あ、折木さんの家はあちらでしたよね」
いつの間にか、家の近くまで来ていた様だ。
奉太郎「ああ、そうだな」
える「では、ここで失礼します」
える「また明日、学校で」
奉太郎「ん、気をつけてな」
える「……はい!」
奉太郎(一々、ニコニコしながらこっちを見るな……全く)
.............
時が経つのは早いとは言うが、あっという間に金曜日が終わり、既に土曜日の夜になっていた。
楽しい時間はすぐに過ぎるとはよく言ったものだ。
俺は、楽しい等と思ってはいないと思うが……
とにもかくにも、現在は土曜日の夜7時。
準備が丁度終わり、リビングでゆっくりと無為な時間を過ごしている所だ。
見ていた時代劇も終わり、CMに入ったところで電源を切る。
奉太郎(コーヒーでも飲むか)
と思い、台所へ足を向ける。
すると突然、電話が鳴り響いた。
周りを見渡すが、他に出てくれる人など居ない。
奉太郎(にしても、誰だ、こんな時間に)
傍から見たら、面倒くさそうに受話器を取る。
奉太郎「折木ですが」
向こうから聞こえてきた声は、俺の見知った人物の物であった。
える「折木さんですか? こんばんは」
奉太郎「あ、こんばんは」
急に挨拶をされ、思わず挨拶を返してしまう。
奉太郎「千反田か、何か用か?」
える「えっと、今からお会いできますか?」
奉太郎(今から? 外に出るのは御免こうむりたい……)
奉太郎「えーっと、用件が全く飲み込めないんだが」
える「あ、すいません! お渡ししたい物があるんです」
奉太郎「明日どうせ会うだろう、その時でいいんじゃないか?」
える「いえ、今でないとダメなんです!」
こうなってしまうと、断るのにも中々エネルギー消費が著しい。
仕方ない……が、家から出るのは如何せん回避したい。
奉太郎「……分かった、だが家から出るのが非常に面倒くさい」
える「それなら丁度よかったです、今から折木さんの家に行くつもりでしたので」
さいで。
える「はい!」
そう言うと千反田は電話を切った。
自転車で来れば、結構すぐに着くだろう。
と言っても20分、30分程は掛かるだろうが。
そして俺は元々の目的のコーヒーを淹れ、再びテレビを付ける。
テレビでは「移り変わる景色」等といって、世界の情景等を流していた。
それを見ながらコーヒーを啜る。
そうして又も無為な時間を過ごす。
奉太郎(幸せだ)
最後の景色が映し終わり、番組は終了した。
ふと、時計に目をやると、時刻は20時30分。
奉太郎(電話したのが、確か19時くらいだったか……?)
奉太郎(ってことは、1時間30分経っているのか?)
奉太郎(何をしているんだ、あいつは)
と思った所で、狙い済まされたかの様にインターホンが鳴る。
俺は若干固まった体を動かし、玄関のドアからのそのそと顔を出す。
そこには、予想通りの人物が顔を覗かせていた。
える「あ、折木さん! こんばんは」
奉太郎「随分と遅かったな、何かあったのか?」
える「何か……という程の事ではないのですが、自転車がパンクしてしまいまして」
自転車がパンク? それは不幸な事で……というか。
奉太郎「お前、歩いてきたのか?」
える「ええ、体力には自信があるんです!」
いやいや、体力に自信があっても、結構な距離、ましてや夜だ。
奉太郎「用件ってのは、なんだったんだ」
える「そうでした、えっと」
おもむろに、バッグに手を入れ、物を取り出した。
える「これです!」
これは……
奉太郎「お守り?」
える「はい!」
奉太郎「これを届けに、わざわざきたのか」
える「ええ、今日の内に渡したかったんです」
える「遠くに出かけるので、是非!」
遠くと言うほどの遠くではないだろう。
いや、こいつにとっては遠くなのかもしれないか。
というか、だ。
これなら別に明日でも構わなかったんじゃないだろうか。
その疑問を、言葉にする。
奉太郎「明日でも良かったんじゃないか? これなら」
える「いえ、その」
える「福部さんと摩耶花さんには、秘密で……内緒で渡したかったんです」
千反田は少し恥ずかしそうにそう告げると、口を閉じた。
ああ、こいつはそんな事の為にわざわざ家まで来たというのか、歩いて、一時間半も。
顔が少し熱くなるのを俺は感じた。
える「いえ、本当は金曜日に渡せればよかったんですが」
える「ご利益があるお守りも、手に入れるのは難しいんですよ」
奉太郎「すまないな、わざわざ」
える「気にしないでください、私が急に押しかけた様な物ですから」
全く、なんだと思えばお守り一個とは。
まあ、嬉しくないと言えば嘘になる。
える「では、私はこれで帰りますね、また明日、お会いしましょう」
と言い、千反田は再び歩き出そうとする。
奉太郎(これは俺のモットーには反しない……やらなくてはいけない事、だ)
奉太郎「千反田」
後ろ姿に声を掛けると、すぐに千反田は振り返った。
奉太郎「その、送って行く、家まで」
千反田から見たら、俺は随分と変な顔になっていただろう、多分。
える「え、悪いですよ、そんな」
奉太郎「今から歩いて帰ったら大分遅い時間になるだろ、危ないしな」
頭をボリボリと掻きながら、そう告げる。
千反田は少し考えると、笑顔になり、答えた。
える「……では、お願いします」
奉太郎「……ああ」
さすがに、歩いて行くのは遠すぎる。
そう思い、自転車を出し、千反田に後ろに乗るように促した。
奉太郎(なんにでも好奇心があるのか、こいつは)
千反田を後ろに乗せ、家に向かう。
道中は特にこれと言って、会話という会話は無かった気がする。
気がする、というのも変な言い方だが、俺もどうやら緊張していた様だ。
覚えていないのは、仕方ない。
楽しい時間はすぐに過ぎる……等言ったが、あの言葉は概ね正しいのかもしれない。
千反田の家には、思いのほか早く着いた。
える「折木さん、ありがとうございました」
奉太郎「いや、こっちこそ、お守りありがとな」
千反田は優しそうに笑うと「では、また明日」と言い、家の中に入っていった。
俺はそのまま、まっすぐ家に帰るつもり……だったのだが、どうにも気分が乗らず公園に寄る。
この公園というのも、神山市では随分と高い位置に設置されており、景色は結構な物だ。
滑り台に座り溜息を付くと、神山市の夜景を眺めた。
先ほど家で見た「移り変わる景色」程では無いが、中々に美しかった。
俺は、何故か心に少し残るモヤモヤを洗い流せないかとここに来たのだが……どうやら数十分経っても、消えそうには無かった。
第一話
おわり
どうにも寝心地が悪く、目が覚めた。
時計に目をやると、時刻は5時。
奉太郎「なんだ、まだ5時か……」
今日は8時30分に、学校の前で集合の予定となっている。
それもそう、遊園地に古典部で遊びに行く、という里志の粋な計らいによって、だ。
奉太郎(二度寝したら、寝過ごしそうだな)
そう思い、ベッドからのそのそと這い出る。
奉太郎(少し早い気もするが、仕度するか)
洗面所に行き、寝癖を流し、歯を磨き、顔を洗う。
朝飯にパンを一枚食べ、コーヒーを飲む。
大分時間を使ったと思ったが、時刻はまだ5時30分であった。
奉太郎(後3時間もあるな……どうしたものか)
着替えを済ませると、外に出た。
柄にも無く、少し散歩でもしようと思い至ったからである。
奉太郎(さすがに、まだ朝は寒い)
まだ薄っすらと暗い空の下、目的地も無く歩いた。
20分ほどだろうか、神社が視界に入ってくる。
奉太郎(特に頼む事など無いが、寄ってみるか)
長い階段を半ば程まで上ったところで、若干後悔したが。
一番上まで到達し、息が少し上がる。
ふと、人が居るのに気付いた。
奉太郎(あれは……)
すると、そいつがこちらに振り向く。
千反田はどうやら、少し驚いた様子。
無論、俺も多少驚いた。
一呼吸程の間を置くと、こちらに向かってきた。
える「折木さん、おはようございます。 どうしたんですか?」
奉太郎「少し早く起きすぎてしまってな、ちょっと、散歩を」
える「ふふ、珍しいですね」
奉太郎「里志風に言うと、世にも珍しい散歩する奉太郎って所か」
える「い、いえ! 折木さんも、お参りとかするんだな、と思っただけです」
奉太郎「いや、たまたま寄っただけだ」
奉太郎「お参りって程でも無い」
える「そうですか、では少し、お話しませんか?」
特にこれといってする事が無かったので、丁度いい。
奉太郎「ああ、じゃあ公園にでも行くか」
える「はい!」
~公園~
公園に入ったところで、千反田が口を開いた。
える「ここの公園、私……好きなんですよ」
奉太郎「そうなのか、俺も別に嫌いではないな」
そう言いながら、自販機に小銭を入れる。
温かいコーヒーを買い、続いて紅茶を買う。
奉太郎「お礼といっちゃなんだが、おごりだ」
える「ええっと、お礼……というのは?」
奉太郎「昨日のお守り、飲み物一本で釣り合うとは思えんがな」
奉太郎「また今度、何か渡すよ」
そう言うと千反田はベンチに座りながら、答えた。
える「いえ、大丈夫ですよ。 お気持ちだけで」
俺は「そうか」と言い、千反田の横に座る。
公園の時計によると、現在は6時を少しまわった所だ。
ところで、この公園というのも随分と辺境な場所にあり、知っているのは好奇心旺盛な小学生くらいだろう。
……無論、俺が知っているのは里志に教えてもらったからだが。
神山市を朝日が照らす。
千反田がこちらを向き、嬉しそうに言う。
える「私、この景色が好きなんです」
える「朝早く起きたときは、いつもここに来ているんですよ」
そう言う千反田の瞳は、太陽の光が反射し、眩しかった。
奉太郎「そうか、俺は夜景が好きだな」
もっとも、朝日を見るのにここまでわざわざ来ることが無いというのが1番の理由だ。
奉太郎「でも、綺麗だなぁ」
える「はい、今度、夜景も見に来てみますね」
その後は少しだけ雑談をして、千反田は仕度があるので、と言って帰っていった。
まあ、女子ならば色々と準備に時間がかかるのだろう、良くは分からん。
俺もそのまま家に戻り、後は時間が来るまで、ぼーっとしていた。
ぼーっとしすぎて、集合時間に遅れそうになったのは笑えなかったが。
そんなこんなで、今はバスに揺られている。
横で里志が、外に見える景色について様々な雑学を披露しているのを聞き、目を瞑る。
そうやって何も考えずにしているだけで俺は充分に幸せなのだが、里志が唐突に声を掛けてきた。
里志「そういえば、ホータロー」
奉太郎「……ん」
里志「ホータローってさ、遊園地の乗り物、楽しめるのかなって思ったんだけど」
里志「どうなのかな?」
奉太郎「まあ、それなりには楽しめるんじゃないか」
奉太郎(俺も人並みには楽しめるだろう、恐らく)
すると伊原が、後ろから突然話しかけてくる。
摩耶花「折木って、アトラクションを楽しめそうにないよね」
失礼な奴だ、全く。
それを口に出して反論しようとしたが……
える「折木さん!」
今にも食ってかからん、といった距離まで千反田が顔を近づけてきた。
奉太郎「な、なんだ」
俺が若干引くも、千反田は更に距離を詰め、パンフレットを指差しながら言う。
える「私、このジェットコースターという乗り物が……」
える「気になります!」
さいで。
里志「はは、確かにそうだね、じゃあ最初に行こうか?」
摩耶花「私はちょっと怖いけど……いいよ、賛成」
える「ありがとうございます。 折木さんも行きますよね?」
ああ、参ったな。
俺は乗らないつもりだったんだが、どうやらこの流れだと全員で乗ることになりそうだ。
別に俺は、絶叫系という奴が苦手という訳ではない。
だけど、ジェットコースターは如何せん……
~遊園地~
里志「うわあ、さすが、すごかったね」
える「わ、わたし、ちょっと怖かったです」
摩耶花「私も怖かった……でも、すごかったね」
里志「あれ、ホータローは?」
奉太郎「すまん、ちょっと気持ちが悪い」
如何せん俺は、酔うのだ。
摩耶花「ええ、あんたジェットコースターでも酔うの?」
奉太郎「わ、悪かったな」
里志「ホータロー……」
哀れみの目で俺を見るな。
える「折木さん、大丈夫ですか?」
摩耶花「もー、しょうがないわね」
なんとも情けない。
俺が既に帰りたくなっていると、遠くからパレードらしき音が聞こえて来る。
里志「おわっ! なんだあれ? ちょっと行ってくる!」
里志はどうやら、そっちに更なる興味を惹かれ、パレードへ向かって走っていった。
摩耶花「ちょ、ちょっとふくちゃん!」
伊原もそれを呼び止めようとし、無理だと悟ると追いかけようとするが、俺と千反田を見て一瞬躊躇う。
その一部始終を見ていた千反田は言った。
える「大丈夫ですよ、摩耶花さん、折木さんは私が見ていますので」
摩耶花「う、うん……ごめんね、ちーちゃん、折木」
奉太郎「……いいから早く行って来い、里志が迷子になる前に」
それを聞くと、伊原は申し訳なさそうな顔を再度こちらに向け、里志の後を追って行った。
奉太郎「すまんな、千反田」
える「いえ、私の方こそ、無理やり乗せてしまったみたいで……」
こいつは、人を責めると言う事をしない。
だからたまにそれが、辛く感じてしまう。
しかし、それもこいつのいい所ではあるのだろう。
それからはしばらく木陰で休み、千反田が飲み物やらを用意してくれたお陰で、すっかりと体調はよくなった。
起き上がり、礼を言う。
える「いえいえ、とんでもないです」
える「それより、福部さんと摩耶花さんと、合流しましょう」
ふむ、そうだな、合流しよう。
どうやって?
奉太郎「そうだな、じゃあどうやって合流しようか」
千反田もようやく合流する方法がない事に気付いたのか、若干気まずそうに言う。
える「ええっと……探しましょう!」
という訳で、俺と千反田は里志と伊原を探すことになった訳だが……
える「折木さん! あの乗り物に乗ってみたいです! 私、気になります!」
える「折木さん! あのぐるぐる回っている物はなんでしょうか? 私、気になります!」
える「折木さん! あそこは何を売っているのでしょうか? 私、気になります!」
える「折木さん!」
こんな具合で、目的はすっかりと入れ替ってしまっていた。
だが、千反田もいざ乗る前となると「折木さん、大丈夫ですか?」と聞いてくるので、かなり断り辛い。
まあ、酔うのはジェットコースターくらいで、問題はないのだが。
奉太郎(しかし)
奉太郎(これはもしかして、デートという奴になるのか)
それを意識しだすと、なんだか妙に恥ずかしい。
千反田は全く気付いていない様子だ。
ま、別にいいか。
ただ、二人でコーヒーカップに乗ったときは、かなり恥ずかしかった。
奉太郎「それにしても」
奉太郎「本当に初めてだったんだな、遊園地」
える「ええ、見るもの全てが気になってしまいます!」
奉太郎(それは、良かったです)
散々動いたせいか、少し腹が減ってきた。
気付けば太陽は頂上を通り越している。
なるほど、腹が減る訳だ。
奉太郎「千反田、どこかで飯を食べないか?」
える「そう、ですね。 私もお腹が減ってきてしまいました」
奉太郎「決定だな、どこか近くの店に入ろう」
える「はい!」
俺は辺りを見回し、ファミレスらしき建物を見つけた。
奉太郎「あそこにするか」
ファミレスに入ると、店内は結構な賑わいをかもしだしている。
席に案内され、千反田と一緒に腰を掛ける。
奉太郎(何を食べようか)
メニューを見ながらどれにするか悩む。
千反田はというと、とても真剣にメニューを見ていた。
奉太郎(そこまで必死に見なくても、メニューは逃げないぞ)
奉太郎(に、しても)
「それでさ、あれはそう言う訳であそこにあるんだよ! 分かった?」
「へえ、そうなんだ。 じゃあ、あれは?」
奉太郎(後ろがやけに騒がしいな)
そしてその、後頭部を持った人物の向かいに座っている奴が声をあげた。
摩耶花「あれ? 折木?」
後頭部も気付いたのか、こちらを振り向く。
里志「ホータローじゃないか! こんな所で何をしているんだい」
あのなぁ。
える「あれ? 福部さんに、摩耶花さん!」
摩耶花「ちーちゃんも! 変な事されなかった?」
最初に聞くのがそれなのか、納得できん。
里志「あはは、ごめんね。 ついつい見たいものがありすぎて」
奉太郎「千反田が乗り移りでもしたか」
奉太郎「ま、別にいいさ、俺のせいで回れないって方が嫌だからな」
摩耶花「ちーちゃんは折木のせいで回れなかったんじゃないー?」
失礼な、しっかり回った……もとい、振り回された。
える「そんな事ないですよ! 色々な乗り物に乗ってきました!」
と、ここで里志は余計なひと言。
里志「色々、ね。 デートみたいに楽しめた訳だ」
一瞬の沈黙。
千反田はそれを聞くと、顔を真っ赤にして必死の言い訳を始める。
える「そ、そんなんじゃないです! ただ、折木さんと一緒に観覧車やコーヒーカップに乗っただけで……」
ああ、そこまで詳細に言う必要は無いだろう。
里志「千反田さん! 世間一般ではね、それをデートっていうんだよ」
こいつはまた、余計な事を。
そう言うと、千反田は顔を伏せてしまった。
奉太郎「はあ」
摩耶花「やっぱりしてたんじゃない、ヘンな事」
おい、それだけで変な事扱いとは、世の中の男はどうなる。
奉太郎「大体だな、本当にただ一緒に回っていただけだぞ」
奉太郎「お前らだって、気になる物があったら見て回るだろ、里志もさっきそうだったように」
そこまで言って、これは俺のモットーに反する事ではないか、と思い始めた。
しなくてもいい事。だったのでは、と。
里志「はは、ジョークだよ。 ごめんね、千反田さん、ホータローも」
奉太郎「俺は、別にいい」
える「い、いえ、大丈夫です。 気にしないでください」
そう言うと、千反田はようやく顔をあげた。
それからは、席を4人の所に移してもらい、談笑しながら飯を食べる。
一通り食べ終わり、会計を済ませ、店を出ようとした所で、千反田がなにやら言いたそうにこちらを見ていた。
奉太郎「千反田、どうかしたのか」
千反田は、伊原と里志に聞こえてないのを確認し、こう言った。
える「あの、折木さん、さっきはありがとうございました」
なんだ、そんな事か。
軽く返事をし、行こうとすると。
える「でも、勘違いされたままでも、私は気にしませんよ」
言われたこっちが恥ずかしくなる。
別に俺も、そのままでも良かったんだが……疲れるしな。
しかし「俺もそのままでも良かった」とは、いくら言おうとしても、何故か言葉にできなかった。
出てきたのは「ああ、そうか」という無愛想な返事。
……お化け屋敷に行ったときの伊原の怖がりっぷりは、是非とも永久保存しておきたかった。
……夜のパレードを見て、千反田は目をキラキラと輝かせていた。
……里志はと言うと、相変わらずすぐにどこかえ消え、気付いたら戻ってきてる、と言った感じだ。
やはり、楽しい時間はすぐに過ぎるのだろうか。
俺も別段、人が楽しめる事を楽しめない……と言った訳でもない。
人並みには、楽しめる。
間もなく閉園時間となり、朝の内にチェックインしてあったホテルへと帰って行く。
俺はすぐにでも寝たかったのだが、里志のくだらない与太話を聞かされ、寝たのは大分遅い時間になってしまった。
翌朝、目を覚まし、里志と共に伊原、千反田と合流する。
すると何やら千反田は申し訳なさそうに、頭を下げてきた。
える「すいません、実は家の事情で……」
要約すると、どうやら千反田は家の事情で一足先に帰らなくてはいけなくなったらしい。
携帯を持っていない千反田にどうやって連絡を取ったのかは謎だが……恐らくホテルへ電話が入ったのだろう。
里志と伊原は残念そうにしていたし、俺も少ないよりは多いほうがいい、程には思うので多少は残念だったと思う。
そして千反田を見送り、3人でどうするか話を始める、つまりこれが現在。
里志「さて、と。 どうしようか」
奉太郎「と言われてもな」
摩耶花「うーん、ここにずっと居てもあれだし……とりあえず遊園地に行かない?」
里志「そうだね、折角きたんだし、楽しまなくちゃ!」
奉太郎「……」
里志がまず「ホータローも来るよね?」といい、伊原までもが「折木も来なさいよ?」等というので、仕方なく、参加する。
二人とも、千反田が帰ったことによって多少は寂しかったのかもしれない。
だがやはり、3人で回った所で何か物足りない気分となってしまう。
それは俺以外の二人も感じていた事の様で、昼過ぎ頃には「帰ろうか」という雰囲気になっていた。
荷物を持ち、バスの停留所まで歩く。
伊原と里志がバスに乗り込んだ後で、あることを思い出した。
里志「ホータロー、もう出発しちゃうよ」
里志が未だバスに乗らない俺に向けて言う。
摩耶花「これ逃したら次は1時間後よ? もしかして遊園地が恋しくなった?」
と続けて伊原も言ってくる。
奉太郎「……すまん、ちとホテルに忘れ物をした」
二人とも、呆れた様な顔をし、続ける。
里志「うーん、ま、仕方ないよ、降りよう摩耶花」
里志「それにしても、省エネの奉太郎が忘れ物をするなんて、入学して間もなくを思い出すよ」
摩耶花「もう、しっかりしてよね、折木」
そう言ってくれたが、二人を連れて行くわけには……ダメだ、連れて行くわけにはいかない。
奉太郎「いや、俺だけ次のバスで帰る。 すまないが先に帰っていてくれ」
二人もそれなら……と言った感じで、納得した様子ではあった。
バスを見送り、遊園地に向かう。
ホテルへ忘れ物をした、というのは嘘。
だからといって、一人で遊園地を楽しむぞ! という訳でもない。
一つ、目的があった。
今日の出来事を振り返り、俺は少し眠くなってきた。
奉太郎(もう夕方か)
奉太郎(少し、寝るか)
夢は、特に見なかった。
次に起きた時には、最寄の駅の停留所に居て、バスの乗務員によって起こされた。
奉太郎(体が重い)
奉太郎(帰るか)
辺りは既に暗くなっていて、仕事帰りのサラリーマンが群れをなしている。
奉太郎(祝日まで働いて、大変だなぁ)
それを見て「この二日は、意外と面白かったかもしれない」等、柄にも無いことを考えてしまう。
奉太郎(一週間分くらいは動いたな、この二日で)
奉太郎(いや、二週間か?)
そこまで考え、ああ、これは無駄な事だと思い、放棄する。
俺の視界に我が家が見えてくる、長い二日間も、ようやく終わり。
思えば、省エネとはかけ離れた二日になってしまった。
そんな事を考えながら、重い荷物を背負い、家の扉を開けた。
第二話
おわり
折角皆さんと、遊園地に遊びに行っていたのに、途中で用事が入るなんて……
今日皆さんに会ったら、謝りましょう。
私は、いつもより少し早く目が覚めました。
時刻はまだ、朝の5時。
少しどうするか悩みましたが……決めました!
える(いつもの公園に行きましょう)
そう思い、公園に向かいます。
まだ外は少し暗く、日が昇るのにはちょっとだけ時間がありそうです。
公園の入り口に着き、いつものベンチに座ろうとしたところで、人影があるのに気付きました。
える(あれは……折木さんでしょうか?)
近づいて見たら、すぐに分かりました、やはり折木さんです。
える「おはようございます、折木さん」
える「昨日はその……すいませんでした」
奉太郎「千反田か」
奉太郎「別に気にするほどの事でもないだろう」
える「そうですか、ありがとうございます」
える「今日もお散歩ですか?」
奉太郎「いや、今日はちょっと、用があった」
奉太郎「ここで待ってれば、千反田が来ると思ってな」
はて、私に用事とはなんでしょうか……気になります。
奉太郎「ああ」
すると折木さんは、持っていた袋を私に渡してきました。
可愛らしくラッピングされたそれは、何かのプレゼントの様な……
える「これは、プレゼントでしょうか?」
奉太郎「まあ、そうだ」
どうしてでしょう……何か、今日は記念日なのか……気になります!
える(もしかして、私の誕生日だと思って……?)
える「すいません、私の誕生日はまだ先なんですが」
奉太郎「いや、違う」
奉太郎「それに俺はお前の誕生日を知らん」
える「そ、そうですか。 では、これは?」
奉太郎「この前のお礼だよ、お守りの」
える「あ! そうでしたか。 わざわざありがとうございます」
折木さんがしっかりと覚えていてくれたのは、意外でした。
でも、嬉しかったです。
すると、折木さんはまだ薄っすらと暗い街並みを見ながら答えました。
奉太郎「その、なんだ。 伊原と里志には言わないでくれよ」
える「えっと、でも一緒に買ったのではないんですか?」
奉太郎「いや……あいつらには先に帰ってもらって、後から買って帰ったんだよ」
正直、折木さんがそこまでしてプレゼントを買ってきてくれたと聞いたときは、ちょっと泣きそうになってしまいましたが……
我が子の成長を見守る母親……とはちょっと違います、なんでしょうか。
える「あ、そ、その、ありがとうございます。 とても嬉しいです」
少し、顔が熱いです。
折木さんは「袋は帰ってから開けてくれ」と言うと、帰ってしまわれました。
嬉しくて、上手くお礼を言えなかったのが残念ですが。
私はプレゼントを抱くと、今日が昇ってきた朝日に向かい、頭を下げ、言いました。
える「折木さん、ありがとうございます」
~部室~
里志「いやあ、二日間、お疲れ様」
摩耶花「ちーちゃんも残念だったね、今度また行こうね」
える「いえ、初日で充分に楽しめたので」
える「でも、また機会があったら行きたいです」
える「二日目は急用が入ってしまい、すいませんでした」
里志「千反田さんが謝る事でもないよ。 家の事情なら仕方ないしね」
摩耶花「そうそう、ちーちゃんは忙しいんだから、一々謝らなくてもいいのに」
奉太郎「……そうだな、人間誰しも急な用事はあるものだ」
摩耶花「折木がそれを言うの? あんたに急用入ってる所なんて見たことないんだけど?」
奉太郎「うぐ……」
そう言われ、折木さんは苦笑いをしていました。
摩耶花さんも心の底から言っている言葉ではないみたいですし。
これはこれで、いいコンビなのかもしれません。
摩耶花「あ、そうだちーちゃん」
える「はい?」
摩耶花「昨日の帰りの事なんだけどさ」
摩耶花「ふくちゃん、話してあげて」
昨日の帰りの事……なんでしょうか?
……気になります。
里志「じゃあ聞いてもらおうかな」
里志「ホータローの忘れ物事件、をね!」
それを聞いた折木さんは、少し顔を歪めていました。
里志「前に話した【愛無き愛読書】は覚えているかな?」
里志「あれで分かったこと、事件の内容は勿論だけど……もう一つ」
里志「ホータローは意外と抜けているって事が分かったよね」
里志「それでね、昨日の帰りなんだけど……」
そう言うと、福部さんは昨日の帰り、バスに乗る時にあったことを話してくれました。
それを聞いた私は、ちょっといたずら心を突付かれてしまいます。
える「そんな事が……」
える「折木さん!」
奉太郎「な、なんだ」
える「折木さんが何故、忘れ物をしたのか」
える「何を忘れたのか」
える「そして、それを見つける事が出来たのか」
える「私、気になります!」
折木さんはというと。
奉太郎「い、いや……それは」
と口篭ってしまいました。
少々やりすぎてしまったかもしれません。
その光景を見ていた福部さん、摩耶花さんの方を向き、私は言いました。
える「でも、やっぱり気にならないかもしれません……」
福部さんと摩耶花さんは少し……かなり残念そうな顔をした後に、興味がなくなったのか二人で話し始めました。
える「折木さん」
える「……冗談、ですよ」
える「折木さんがその時に何をしていたか、私、知っていますから」
奉太郎「み、妙な冗談を急に言うな……」
折木さんはそう言うと、手に持っていた小説に再び目を落とします。
なんだか、不思議と気分がよくなります。
部室に集まり、なんでもない会話をする。
これが、私たちの「古典部」です。
2.5話
おわり
後ろから、里志が声を掛けてくる。
奉太郎「里志か」
今は帰り道、時刻は恐らく17時くらいだろう。
里志「いやあ、お見事だったよ」
奉太郎「そんな事は無い。 ただ、集まった物を繋げただけだ」
里志「そうは言ってもね、あれだけの物から結論を導き出すって事は中々容易じゃないと思うなー」
すると里志は、暗い声に反して空を見上げながら言った。
里志「……ホータローも、随分と変わったよね」
俺が? 変わった?
奉太郎「何を見て、お前が変わったと言うのかわからんが」
奉太郎「俺は変わってない」
里志「ふうん」
簡単に説明すると、今日もまた、あいつ……千反田の気になりますをなんとか終わらせた所である。
里志が言っているのは、恐らくその事だろう。
里志「今日の件もそうだけど、今までの事件もね」
奉太郎「それはだな、あいつの事を拒否したらもっと厄介な事になるだろ」
里志「あはは、確かに、間違いない」
里志「でもね、ホータロー」
里志「その厄介な事も、拒否することはできるんじゃないかな?」
奉太郎「お前は何を見て言っているんだ……」
里志「全部、だよ」
里志「僕から見たらね、千反田さんのそれも、今までホータローが拒否してきた人達も、同じに見えるんだよ」
里志「ホータロー、君は自分では気付いていないのかもしれないね」
里志はそう言うと、何か含みのある笑い方をした。
奉太郎「自分の事は、よく分かってるつもりだがな」
里志「……そうかい」
里志「じゃあ、話はここで終わりだね」
里志の話は半分程度しか聞いていなかった気がするが、どうやら案外耳に入っていたらしい。
里志「じゃあね、ホータロー。 また明日」
奉太郎「……じゃあな」
~奉太郎家~
俺は湯船に入り、気持ちを整理した。
里志に今日言われた事について、何故か心が落ち着かない。
奉太郎(俺が変わった、ね)
奉太郎(何を見てるんだか……)
確かに、確かにだ。
高校に入ってから、動く事は多くなったのかもしれない。
それくらいは俺にだって分かる。
いや、高校に入ってからではない。
千反田と、出会ってからだ。
あいつの「気になります」は、何故か有無を言わせず俺を動かす。
それは、今まであいつのようなタイプが居なかっただけで、俺はそのせいで動かされているのだろう。
仮に、里志や伊原の頼み等が来たら……俺はどうするのだろうか。
俺にも人情という物はある。
だがひと言断れば、あいつらは引いていく。
里志は恐らく「そうかい、じゃあ他の人に聞いてみるよ」と。
伊原は恐らく「折木に頼んだのが間違いだった」と。
あいつの「気になります」も、人の秘密やプライベートの事になると、さすがに聞いてはこない。
しかし、最終的に俺は頼みごとを引き受けるだろう。
その原因は、あいつがひと言断っても引かないから。 である。
奉太郎(やはり俺は、変わっていない)
結論は出た、風呂場を出よう。
リビングへ行き、テレビを付ける。
目ぼしい番組がやっておらず、若干テンションが下がる。
あ、テンションは元々低かった。
する事もないので、自室に向かった。
本でも読もうかと思ったが、ベッドに入りぼーっとしていたら、眠気が襲ってくる。
奉太郎(今日は、寝るか)
明日は土曜日、ゆっくりと本を読もう。
こうしてまた、高校生活の一日は消えてゆく。
姉貴によって、起こされた。
奉太郎(今は……10時か、大分寝ていたな)
俺はまだ目覚めていない体を引き起こし、リビングへ向かう。
寝癖が大分酷いが、今日は外には出ない、何があっても。
それにしても騒がしい、テレビでも付いているのだろうか。
リビングと廊下を遮るドアに手を掛け、開ける。
里志「おはよう、ホータロー」
える「おはようございます。 折木さん」
摩耶花「あんたいつまで寝てるのよ」
大分寝ぼけているようだ。
俺はその幻影達に、少し頭を下げると台所へ向かった。
すると、玄関の方から声があがる。
供恵「あー、言い忘れてたけど、友達きてるから」
そうかそうか。
言葉の意味を飲み込み、状況を理解した。
後ろを振り向き、確認する。
変わらずそこには、里志・伊原・千反田。
それと同時に、玄関から出る音がした。
摩耶花「朝から大変ねえ、あんたも」
誰のせいだ、誰の。
里志「それより、ホータロー」
里志「寝癖、直した方がいいんじゃないかな」
ああ、確かにそうだな、ごもっとも。
そして、気のせいかもしれないが、千反田が少しソワソワしながら言った。
える「折木さんの寝癖……少し、気になるかもしれません」
勘弁してくれ。
むすっとした顔を3人に向けると、洗面所へ向かった。
寝癖をしっかりと直し、3人に問う。
奉太郎「それで、なんで俺の家にいるんだ」
里志「えっと、ホータロー、覚えてないの?」
覚えてない、という事は……何か約束していたのだろうか。
摩耶花「3日前に4人で決めたでしょ、ほんとに覚えてないの? アンタ」
3日前……3日前。
4人で話したってことは、放課後だろう。
場所は古典部部室で間違いは無さそうだ。
なんか、思い出してきたぞ……
俺はその日、なんとなくで古典部へと向かった。
部室に入ると、既に俺以外は集まっていた。
何やら3人で盛り上がっているが……ま、いつもの事か。
奉太郎(よいしょ)
いつもの席に着き、小説を開く。
所々で俺に話しかけている気がするが、適当に相槌を打って流していた。
あ、ダメだ。
ここまでしか覚えていない。
~折木家~
奉太郎「なんだっけ?」
溜息が二つ。
里志「覚えてないのかい……」
摩耶花「やっぱり、折木は折木ね」
里志「仕方ない、千反田さん、奉太郎に教えてやってくれないかな」
なんで千反田が。
里志「一字一句、千反田さんなら覚えているでしょ?」
そこまでする必要もないだろう。
える「はい! 分かりました」
える「では、少し演技も入りますが……やらせて頂きます」
そう言うと、一つ咳払いをすると千反田は口を開いた。
里志(える)「うーん、確かにそうだね」
里志(える)「千反田さんの言葉を借りると、目的無き日々は生産的じゃないよ」
摩耶花(える)「まあ、確かにそうだけど……」
える「何かしましょう!」
おお、これは中々に演技力があるぞ。
里志(える)「何か……と言っても、何をしようか」
摩耶花(える)「話し合う必要がありそうね、こいつも入れて」
こいつ……というのは恐らく俺の事だろう。
える「折木さん! 何かしましょう!」
奉太郎(える)「……そうだな」
ああ、空返事していたのか、俺は。
える「折木さんもオッケーらしいです、では一度、どこかに集まって話し合いをしませんか?」
摩耶花(える)「どこに集まろうか?」
里志(える)「ホータローの家でいいんじゃない?」
こいつ、俺が空返事しているのを分かってて言いやがったな。
える「折木さん! 折木さんの家で話し合いをしたいのですが……いいですか?」
奉太郎(える)「……そうだな」
える「大丈夫らしいです!」
摩耶花「なによ」
奉太郎「俺はここまで無愛想じゃないだろう」
里志「ちょっとホータローが何を言ってるのかわからないよ」
摩耶花「いつもあんたこんな感じだけど……」
大分酷い言われようだな。
奉太郎「千反田、もっと俺は愛想がいいだろ」
える「えっと……いつも折木さんはこうですよ」
そうなのか、少しは愛想良くするか。
える「では、続けますね」
里志(える)「そうか、それは良かった!」
里志(える)「じゃあ今度の土曜日、でいいかな?」
える「折木さん、今度の土曜日でいいですか?」
奉太郎(える)「……そうだな」
える「決まりです!」
後半はどうやら、千反田も分かっててやってはいないか?
える「といった感じでした、思い出しましたか?」
里志は苦笑いをし、言った。
里志「まあ、ホータローがちゃんと聞いていなかったのがいけないかな」
里志「流れは分かっただろう? じゃあ何をするか決めようか」
流れは分かったが……納得できん。
しかし、異論を唱えた所で聞いてはもらえないのは明白だった。
える「そうですね、まずは意見交換から始めましょうか」
奉太郎「今のままでいいと思います」
摩耶花「折木、少し黙っててくれない?」
視線が痛い、仮にもここは俺の家だぞ。
里志「千反田さんは、何か意見あるのかな?」
える「そうですね……やはり古典部らしく」
そこで一呼吸置くと、千反田はもっともな意見を述べる。
える「図書館に行きましょう!」
里志「いい意見だね、確かに古典部らしい」
摩耶花「うん、私もいいと思う」
ダメだ、これだけはなんとか回避せねば。
奉太郎「ちょっといいか」
伊原からの視線が痛い、まだ意見も言っていないのに。
奉太郎「千反田が言っているのは、当面の目的という事だろう」
える「はい、そうですね」
奉太郎「これから毎日図書館に行くのか? そこで本を読むだけか?」
える「そう言われますと……確かに少し、違いますね」
伊原は尚も何か言いたそうに見てくるが、反論する言葉が出てこないのだろう、口を噤んでいた。
里志「ホータローの言う事にも一理あるね、確かにそれじゃあただの読書好きの集まりだ」
そのあとの「読書研究会って名前に変えないかい?」というのは無視する。
摩耶花「じゃあ、折木は他に目的あるの?」
これには困った。
奉太郎「と言われてもな……ううむ」
里志「あ、こういうのはどうかな」
里志「一人一つの古典にまつわる事を考え、まとめ、月1で発表するっていうのは」
中々にいい意見だ。
だが、月1? 冗談じゃない、頻度が多すぎる。
奉太郎「ちょっといいか」
……伊原の視線がやはり痛い。
奉太郎「最初の内はいいかもしれない、だがその内、発表の内容が同じ内容になってくるぞ」
奉太郎「同じ奴が考える事だしな」
伊原は又しても何か言いたそうだが、反論は出てこない、なんかデジャヴ。
里志「そう言われると、困ったね」
里志「僕じゃあ結論を出せそうにないや、それに」
里志「データベースは 摩耶花「ちょっといいかな?」
あ、里志がちょっとムスッとしている。
摩耶花「文集を1冊作るっていうのは」
なるほど、4人で一つを作れば内容は変化していく、確かにこれなら同じような内容にはならないかもしれない。
だけど、やはり却下。
奉太郎「確かに、それなら問題ないな」
摩耶花「じゃあ!」
奉太郎「だが、文集にするほどネタがあるか? 第一に、誰が読むんだ? それ」
摩耶花「……確かに、そうだけど」
おし、やったぞ、全部却下できた。
摩耶花「じゃあさ、折木は何か意見あるの? さっきから反論してばっかじゃない」
里志「それは僕にも気になるとこだね」
える「私も少し、折木さんの意見に興味があります」
ここまでは、予想通り。
問題はこれから。
奉太郎「こういうのはどうだろう」
奉太郎「今までのままで行く」
伊原が今にも殴りかかってきそうな顔をする。
奉太郎「だが」
奉太郎「何か古典に関係しそうな事……それがあったら、皆で話し合う」
奉太郎「そうすればネタも尽きる事はないし、同じ内容になることもないだろ」
俺の今年一番の強い願いはこれになりそうだ。
そんな願いが通ったのか、3人が口を開いた。
里志「ホータローが言うと、説得力に欠けるけど……言ってる事は正しいね」
える「私は、それでいいと思います。 いい意見です」
摩耶花「なんか納得できないけど……言い返す言葉も出てこないし、それでいい、かな」
ガッツポーズ、心の中で。
奉太郎「おし、それじゃあ今日は解散しようか」
これで、俺の休日は守られる。
里志「いや、そうはいかないんだよ」
まだのようだ。
里志「千反田さんが、何か気になる事があるみたいなんだよね」
千反田がソワソワしていたのは、それが原因か。
える「そうなんです! 私、気になる事があるんです!」
さいで。
える「折木さんにお話しようかと思っていて、聞いてくれますか?」
俺が断る前に、千反田は続けた。
える「私、いつも22時頃には寝ているのですが」
奉太郎(早いな)
える「今日は8時に学校の前に集合でした、折木さんのお家に皆で行くことになっていたので」
える「ですが私、少し寝坊してしまったんです、お恥ずかしながら」
える「何故、寝坊したのか……気になります!」
奉太郎(知りません)
奉太郎「と言われてもだな、誰しも寝坊くらいはするだろう」
里志「ホータロー、寝坊したのは千反田さんだよ?」
里志「僕やホータローが寝坊するのならまだ分かるけど……千反田さんが予定のある日に寝坊するって事は」
里志「少し、考えづらいかな」
確かに、あの千反田が寝坊というのはちょっと引っかかる。
奉太郎「だが情報が少なすぎる、考える事もできんぞ、これは」
今ある情報といえば
・千反田が寝坊した
・普段は22時に寝て、6時に起きている
・予定がある日に寝坊するのは、千反田なら普通あり得ない
この3つだけ。
奉太郎「何か他にないのか?」
える「他に、ですか……」
える「そういえば、お休みの日はいつも目覚まし時計で起きているんです、今日も勿論そうです」
える「確かに目覚ましで起きたはずなんです、ですが、居間の時計を見たら既に約束の時間が近かったんです」
奉太郎(目覚ましで起きている、か)
える「それはありえません。 いつも21時のテレビ番組に合わせて直しているんです」
テレビに合わせている、となればまず狂っていないだろう。
奉太郎「その時計が壊れていた、というのは?」
える「それもあり得ません、先月に買ったばかりなんです」
思ったより、厄介な事になってきた。
奉太郎「目覚ましで起きたのは確かなんだな?」
える「ええ、それは間違いありません」
奉太郎「という事は、やはり目覚ましがずれていたのは間違いなさそうだな」
える「えっ、なんでそうなるんですか」
奉太郎「千反田は寝坊したんだろう? それで遅刻したと」
える「私、遅刻していませんよ?」
ん? なんだか話が噛み合っていない。
奉太郎「お前は寝坊して、遅刻したんじゃないのか?」
える「ええ、確かに寝坊はしました、ですが集合時間には間に合いました」
さいですか。
奉太郎「じゃあ、寝坊して遅刻しそうになった。 これでいいか」
える「はい、そうですね」
奉太郎「……続けるぞ、少し考えれば分かる」
奉太郎「遅刻しそうになったってことは、正しかったのは居間の時計だ」
奉太郎「目覚ましが正しかったら、遅刻しそうにはならないだろう」
える「あ、なるほどです!」
こいつは、頭がいいのか悪いのか、時々分からなくなる。
一般的にはいい方だろうけど。
奉太郎(少し、考えるか)
……21時に合わせている時計
……22時に寝て、6時に起きる千反田
……ずれていた目覚ましと、居間の時計
なるほど、簡単な事だ。
里志「ホータロー、何か分かったね」
奉太郎「まあな」
える「なんですか? 教えてください!」
摩耶花「全然わからないんだけど……なんで?」
一呼吸置き、まとめた考えに間違いは無いか確認し、口を開く。
奉太郎(これで、大丈夫だ)
奉太郎「千反田はいつも目覚ましを21時に合わせて寝ている」
奉太郎「次に、その目覚ましで起きている」
奉太郎「そして何故、今日は遅刻したか」
える「私、遅刻していませんよ」
……どっちでもいい。
奉太郎「遅刻しそうになったか」
と言い直すと、千反田は少し満足気だ。
奉太郎「考えられるのは目覚ましの故障、または時間を間違えて設定した。 これのどちらかだ」
奉太郎「故障は考えから外そう、これを考えたらキリが無い」
摩耶花「でも、時間を間違えて設定したってありえるの?」
摩耶花「テレビが間違えているとは思えないんだけど」
奉太郎「確かにその通り、テレビはまず、正確に放送をしている」
摩耶花「だったら……」
奉太郎「だが、例外もある」
える「例外……ですか?」
奉太郎「里志、この時期にテレビ番組をずらす例外といったらなんだ?」
里志「プロ野球、だね」
奉太郎「そう、俺は野球に詳しくないからしらんが、何回か影響でテレビ放送を繰り下げているのは見ている」
奉太郎「つまりこういう事だ」
える(奉太郎)「あー今日も動いたなぁ、寝よう寝よう」
える(奉太郎)「あ、目覚まし時計を設定しないと、めんどうだな」
える(奉太郎)「テレビ、テレビっと」
える(奉太郎)「丁度21時の番組がやっている。 よし、ぴったし」
える(奉太郎)「さてと、今日は寝よう、おやすみなさい」
奉太郎「で翌朝起きたら寝坊していた、ってとこだろう」
何か、空気が冷たい。
里志「ホータローは、演劇とかをやらない方がいいかもね」
摩耶花「……同意」
える「……私って、そんな無愛想ですか?」
奉太郎「……」
少し、恥ずかしいじゃないか。
える「なるほどです!」
える「今度から違う番組も、チェックしないとダメですね……」
むしろ居間の時計に合わせればいいと思うのだが、習慣というものがあるのだろう。
奉太郎「でも、なんでいつもは起きている時間に自然に起きなかったってのが分からないけどな」
奉太郎「体内時計というのもあるだろう」
える「実は、昨日は少し寝るのが遅くなってしまったんです」
夜更かしか、そういうタイプには見えなかったが。
里志「なるほどね、それで自然に起きる時間も来なかったっていう訳だ」
奉太郎「それなら納得だな、なんか気になる物でも見つけたのか?」
える「気になる、と言えばそうかもしれないですけど」
折角終わりそうになったのに、また始まるのか?
今日はもう疲れたぞ、一日一回という制限でも付けておこうか。
える「少し、折木さんの家に行くのが楽しみで……寝れなかったんです」
さいで。
第三話
おわり
奉太郎(折角の休みがあいつらのせいで一日潰れてしまった)
奉太郎(そしてもう日曜日も終わり……か)
明日からまた1週間、学校に行き、古典部の仲間と会う。
最近では、意外と馴染んでいると思う。
薔薇色に俺もなっているのだろうか。
だけど、だ。
省エネは維持しているし、頼みなんて物は滅多に聞かない(あくまで千反田を除いて、あいつのは断ると余計に面倒なことになる)
ああ、少し安心する。
俺は……まだ灰色だ。
少しの安心感が得られた。
何故? 慣れた環境の方がいいだろう、誰だって。
そんな事を考えている間にも、時はどんどんと進む。
そして気付けば月曜日、1週間が始まった。
今日も、【灰色】の高校生活は浪費されていく。
今日は登校中里志に会わなかった、委員会か何かがあるのだろう。
奉太郎(ご苦労なこった)
昇降口に入り、下駄箱で靴を履き替える。
階段を上り、教室まで向かった。
途中、何やら話し声が聞こえてきた。
一つは見知った者の声、もう一つは……分からない。
恐らく女子だろう。
恐らくというのも、女声の男子も少なからず居るからである。
える「そう……すね、今……、って……ます!」
途切れ途切れで千反田の声が聞こえた。
盗み聞きをする趣味もないので、そのまま教室へと向かう。
千反田が話している相手は、どうやら漫研の部員であった。
奉太郎(何か、嫌な事でもあったのだろうか)
奉太郎(まあ、どうでもいいか)
一瞬見た顔は、どうにも俺とは相性が悪そうだ。
俗に言う派手な女子、といった所だろう。
髪を金髪に染めていて、スカートはやけに短い。
そいつと千反田が話していたのは少々意外ではあった。
しかし、俺も人の交友関係にまで口を出すつもりなんてない。
千反田が誰と話そうとあいつの勝手だし、何よりめんどうだ。
少々気にはなったが、そのまま通り過ぎた。
教室に入り、いつもの席に着く。
いつも通り、いつもの風景。
やがて担任が入ってき、退屈な授業が始まる。
俺は、これといって成績が優秀って訳でもない。
なので授業は一応必死に聞いている。
人間必死になっていれば、時間はすぐに終わる物だ。
あっという間に昼になり、弁当を広げた。
姉貴が作ってくれる弁当は、いつも購買で済ませている俺にとってはありがたい。
突然、教室の後ろのドアが勢いよく開き、俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
里志「ホータロー! ちょっといいかい」
俺は無言で弁当を指す。
これを食ってからにしろ、と。
苦笑いしつつ、里志はそのまま教室に入ってくると俺の目の前の席に腰掛けた。
里志「つれないねぇ、ホータロー」
奉太郎「やらなくてもいいことはやらない」
里志「はは、久しぶりに聞いた気がするよ」
奉太郎「それで、用件はなんだ?」
里志「今日、帰りにゲームセンターでも行こうかなって思っててね」
里志「ホータローも一緒にどうだい?」
ゲーセンか、悪くはないな。
奉太郎「別にいいが、委員会の仕事とかはないのか?」
里志「総務委員会は無いんだけど、図書委員会の方をちょっと手伝わないといけなくてね」
伊原の関係か、それくらいしか思いつかない。
奉太郎「伊原になんか言われたのか、ご苦労様」
里志「ご名答! さすがだよ」
さすがという程の事でもないだろうに……
里志「摩耶花は少し描きたい物があるみたいでね、僕はそれで利用されてる訳だ」
奉太郎「なるほどな、って」
奉太郎「あいつは漫研やめたんじゃなかったか?」
里志「ホータローでもそれくらいは知ってるか、なんでも個人的に描きたい物があるみたいだよ」
奉太郎「個人的、ねえ」
どうせ、同人誌かなんかの物だろう。
奉太郎「それで、図書委員の仕事はすぐに終わるのか?」
里志「うん、まあね」
奉太郎「そうか、なら俺は部室で待ってる」
里志「了解、多分摩耶花も居ると思うから、気をつけてね」
伊原が聞いたら、ただでは済みそうにない台詞だな。
奉太郎「ああ、用心しておく。 じゃあ放課後にまた」
里志「いやいや、僕が言ってるのはね、ホータロー」
里志「君が摩耶花に手を出さないでねって事なんだよ」
こいつはまた、くだらん事を。
奉太郎「本気で俺が伊原に手を出すと思っているのか?」
里志「まさか、ジョークだよ」
里志「灰色のホータローが、そんな事をする訳ないじゃないか」
里志「それに、摩耶花の可愛さはホータローには絶対分からないしね」
さいで。
里志「じゃ、また後で」
そう言うと、里志は自分の教室へと戻っていった。
俺は小説を開くと、ゆっくりと文字を頭に入れる。
物語がいい所に差し掛かった時、チャイムが鳴り響いた。
やがて教師が入って来て、授業が始まる。
途中で何回か、夢の世界に旅立ちそうになったが、なんとか乗り切る。
そして気付けば既に放課後。
終わってみればなんて事は無い、短い時間だった。
ぼーっとする頭をなんとか働かせ、部室に向かう。
奉太郎(着いたら、少し寝よう)
土曜日のアレが、まだ響いてるのだろうか?
等、本気で思う自分に少し情けなくなる。
扉を開けると、千反田、伊原が居た。
奉太郎(里志の予想通りって所か、まあ寝てる分には問題ないだろ)
そう思い、席に着くと腕を枕にし目を瞑る。
千反田は何故かソワソワしていたが、気になりますとは少し違った様子だ。
伊原はと言うと、絵を描くのに夢中で俺には興味も示さなかった。
あ、気づいていないだけか……気づいていても無視されるだろうけど。
これならば問題あるまい。
そう思い、夢の世界へと旅立つ。
すると伊原が立ち上がっていて、千反田の方を見つめていた。
少し、嫌な空気……? 何かピリピリとした感じだ。
摩耶花「えっと、ちーちゃん……今なんて?」
千反田はニコニコしながら、言った。
える「ですから、摩耶花さんは少しうざい所があると……」
眠気は一瞬で吹き飛んだ。
違う世界に迷い込んだんじゃないかと錯覚するほどの衝撃を受ける。
あの千反田が「うざい」なんて言葉を使うのかと。
その衝撃も引く前に、伊原は部室を飛び出て行った。
残されたのは、俺と千反田。
それと描きかけの絵。
俺は千反田に向けて言った。
奉太郎「……お前、何いってるんだ」
える「ええっと、摩耶花さんはうざいと言ったのですが……」
不思議そうに、そう言うこいつには悪気は無さそうに見えた。
あり得ない、俺が知っている千反田ではないのだろうか?
いつの間にか、千反田が誰かと入れ替わって……ないだろう。
奉太郎「千反田、その言葉の意味は、知っているか」
千反田は首を傾げると「今日教えてもらったんです」と言い、続けた。
千反田から説明される内容は、まるで褒め言葉のような意味を持った言葉である。
俺は、この時はまだ落ち着いていた。
未だにニコニコしている千反田に本当の意味を教える。
次に起こった事は、俺の予想外であったが。
千反田はそう言いながら、伊原が去って行ったドアを見つめる。
える「わたし……」
俺は見た、千反田の目から、涙が落ちるのを。
どんどん涙は溢れていたが、千反田は拭おうとしなかった。
自分でも気づいていないのかもしれない。
奉太郎「千反田……」
える「すいません、私、謝らなければ」
小さく、本当に小さく、千反田が言った。
この感情は、なんと言うのだろうか?
腸が煮えくり返る?
いや、ちょっと違うな。
それを通り越したのは、なんと呼べばいいのだろうか。
俺は、ああ、怒っているのか。
もしかしたら、初めてかもしれない。
勿論、千反田に対してじゃない。
その意味を教えたクソ野郎に、俺は怒っているのだ。
どうにも、冷静な判断はできそうにない。
今からそいつを探し出して、殴ろうか。
そうしよう。
そのまま部室を出ようとすると、千反田が声を掛けてきた。
える「折木さん、わたし……」
千反田は、まだ泣いていた。
奉太郎「ちょっと用事が出来た、すぐに戻る」
奉太郎「お前は悪くない、気にするな」
すると千反田は、泣き笑いというのだろうか。 「はい」と言い、顔を俺に向けていた。
どうにも、どうにもだ。
この怒りは収まりそうに無い。
俺は、千反田の事はよく知っているとは思う。
あいつは何事にも純粋だし、人を疑うという事をあまりしない。
そんなあいつを騙した人間には、なんとなく、当てはあった。
まずは、里志に会おう。
摩耶花に仕事を押し付けられて、僕はここに居る訳だけど。
里志「なんともやりがいが無い仕事だなぁ」
そんな事をぼやきながら、本を片付ける。
突然、ドアが思いっきり開かれた。
誰だい全く、図書室ではお静かにって相場が決まっているのに。
そっちに顔を向けたら、これはびっくり、ホータローじゃないか。
にしても随分と、あれは怒っているのか? ホータローが?
僕はそそくさと近づき、声を掛けた。
里志「ホータロー、どうしたんだい?」
聞きながらも、ちょっと焦る。
里志(僕、なんかしたかなぁ)
里志(というか、これほどまでに怒ってる? ホータローを見るのは初めてかも)
奉太郎「里志か」
奉太郎「少し、聞きたい事がある」
里志「なんだい? というか、何かあったの?」
奉太郎「俺たちと同級生で、漫研にいる、金髪の女子って誰だ」
人探し? それにしてはやけに怒っているみたいだけど……というか僕の質問、片方無視された?もしかして。
里志「うん、分かるよ」
里志「でも、何が起きたのか教えてくれないかい?」
里志「ホータローをそこまで怒らせる事、少し興味があるよ」
奉太郎「いいから、誰だ」
おや、こいつは随分とご立腹だなぁ。
ううん、ま、いいか。
里志「それはC組みの人だよ。 名前は……」
そう言って名前を教えると、ホータローはすぐに図書室を出て行こうとした。
里志「ちょっと待ってホータロー」
どうやらホータローは、状況判断ができない程、怒っているらしい。
クラスに居るなんて保証は無いのに。
里志「とりあえず落ち着こうよ、らしくないよ」
奉太郎「落ち着いてる、いつも通りだ」
里志「そんな、今にも殴りそうな顔をしているのに?」
里志「ホータローが怒る程の事だ、よっぽどの事だとは思うよ。 でもさ」
里志「事情くらいは話してくれてもいいんじゃない?」
そう言うと、ホータローは一つ溜息を付いて、話してくれた。
朝、そいつと千反田さんが話していた事。
部室であった事。
僕も勿論、腹が立ったさ。
でもこういう時、落ち着かせるのはホータローの筈なんだけどなぁ。
さあて、どうしたものか。
信じられなかった。
最初聞いた時もそうだけど、2回目を聞いた時。
私はその場に居るのも、辛かった。
ちーちゃんの事は、そんなに知っているつもりはない。
だけど、あんな言葉を使うなんて、とても信じられなかった。
でもそれは、私の勝手な想像かもしれない。
もしかしたら、そういう事を言う人だったのかもしれない。
そう思ってしまう私にも、嫌気がさしてきた。
摩耶花(明日から、どうしようかな)
古典部になんて、顔を出せる訳もない。
私が泣いていたの、折木に見られたかなぁ、悔しい。
ふくちゃんに会いに行こうと思ったけど、そんな気分にもなれなかった。
ずっと、友達だと思っていたのに。
ちーちゃんは「うざい」って、ずっと思っていたのかもしれない。
なんで今日言葉にしたのか分からないけど……部室で自分の絵を描いていたからかな。
確かに、あそこは古典部の部室だし。
居やすい場所だと、思ってたけど。
摩耶花(それは、私の気持ち)
摩耶花(ちーちゃんやふくちゃん、折木がどう思っていたなんて、考えた事もなかった)
摩耶花(やっぱり私、馬鹿だ)
胸がぎゅっと、締め付けられる気がした。
摩耶花(今日は、ご飯食べられそうにないや)
私は、なんて事をしてしまったのでしょうか。
摩耶花さんには会わせる顔がありません。
しばらく、部室でぼーっとしてしまいました。
茫然自失とは、こういう事を言うのでしょうか。
折木さんも、部室を出て行ってしまいました。
恐らく、怒っているのでしょう。
最後に「気にするな」と言ってくれましたが、顔からは怒っているのがすぐに見て取れました。
勿論、私に怒っているのでしょう。
福部さんも、聞いたら恐らく私に怒りを感じると思います。
帰る気分には、今はなれません。
足に力が入らない、というもありますが。
折木さんは、私に言葉の意味を教えてくれました。
もしかすると……折木さんとは、少し話ができるかもしれません。
摩耶花さんとも勿論、話さなくてはいけないのは分かっています。
ただ少し、時間が必要です。
私はそこまで、強くないんです。
ですが、どんな言葉で罵倒されても仕方ないです。
私が……愚かだったんです。
俺は、里志に話をして、少し気持ちが落ち着いたのだろうか。
自分では部室を出た後は落ち着いているつもりだったのだが、里志には違うように見えていたらしい。
里志は「どうするつもりだい?」と言って来たのに対し「そいつを殴る」と言っただけなのだが。
里志は苦笑いをしながら「それはホータロー、落ち着いてないよ」と言って来た。
まあ、そうかもしれない。
里志には全てを話した訳ではなかった。
千反田が涙を流していたのを話しては駄目な気がしたからだ。
里志も勿論怒っているだろう、そいつに対して。
しかしどうやら、俺を落ち着かせる為に堪えているらしい。
ああ、やっぱり俺は落ち着いてなんかいなかったか。
一度、深呼吸をする。
里志「別に、気にしなくていいよ」
里志「まあ、怒ってるホータローも珍しいから悪くはないけどね」
奉太郎「それはよかったな」
里志はいつも通りの顔を俺に向けていた。
さてと、だ。
まずは状況整理。
千反田に嘘を吹き込んだのはC組みの奴らしい。
朝見かけた奴だろう、千反田と話していたし。
少し、考えようか。
5分ほど、頭を働かせてみた。
漫画研究会、千反田に嘘を吹き込んだ、そして……あの時。
ああ、そうか。
ならば話は早い、意外と簡単に終わるかもしれない。
後は、揃えるだけで大丈夫だ。
ホータローも大分落ち着いたようで、安心だ。
それにしても今回は僕も全面協力させてもらったよ、ホータロー。
後はホータローが終わらせる、明日には終わるかな。
摩耶花と千反田さんは一度、話し合う必要があると思うけどね。
摩耶花はああ見えて、随分と自分を責めるからなぁ。
今夜、電話してみよう。
える「私は、どうすればいいのでしょうか……」
つい、独り言が出てしまいます。
折木さんに貰ったプレゼント、どこか折木さんに似ているようなぬいぐるみを抱きしめます。
える「折木さんに、電話してみましょうか……」
そう思い、電話機の前まで来ましたが……どうにも電話が取れません。
折木さんになんと言えばいいのでしょうか。
私は騙されていたんです?
言い訳です。
皆さんには申し訳ない事をしました?
謝って済む問題でしょうか、これは。
折木さんに相談すれば、なんとかなるでしょうか。
予想外の回答で、私を驚かせてくれるのでしょうか。
また、折木さんに頼ろうとしてしまっています。
これは甘えです、甘えてはいけません。
それに折木さんは、今回の件は無関係です。
巻き込むような事は、できません。
もう、大分遅い時間になってきました。
夜の21時。
少し思い出します、折木さんの家で、私はまたしても気になる事を解決してもらいました。
折木さんの寝癖を見て、少し気になったのも思い出しました。
思わず笑みが零れます。
やはり、皆さんとまた、一緒に仲良くしたいです。
これは、我侭なのでしょうか?
その時、突然電話が鳴り響いて、思わず受話器を取ってしまいました。
える「は、はい! 千反田です」
大体の構図は出来た。
後は俺がこれをどうするか、だけか。
まあ、どうにかなるだろう。
だけどまあ、少しは許してくれよ、里志。
……そういえば。
奉太郎(千反田にすぐ戻るとか言って、すっかり忘れてたな)
千反田は結構ショックを受けていたみたいだし、聞こえていなかったかもしれない。
だけど、まあ……
ああ、仕方ない。
やはり千反田が関係することだと、どうにもうまく省エネができない。
自室から出て、リビングへ向かう。
奉太郎「姉貴、携帯借りていいか」
俺はソファーに座る姉貴に話しかけた。
供恵「はあ? あんたが携帯!?」
供恵「……なんかあったんでしょ」
やはり鋭い、ニヤニヤしながらこっちを見るな。
奉太郎「ダメならダメで、いいんだが」
供恵「いいわよ、貸したげる」
意外にも姉貴は快く貸してくれた。
供恵「変わりに洗い物やっておいてね」
指差す先には大量の食器。
前言撤回、快くは間違いだ。
正しくは、エサにかかった獲物をなめまわすような視線を向けながら。 としておこう。
奉太郎「……分かったよ」
奉太郎「ありがとうな、姉貴」
供恵「あんたにしては随分と素直ね、どこか出かけるの?」
奉太郎「俺はいつも素直だ。 少しな、すぐに戻ると思う」
供恵「ふうん、気をつけて行ってきなさいよ」
姉貴が珍しく真面目な顔をしていた、あいつはどうにも勘が良すぎる。
少し前まで寒かったが、今は夜も涼しいくらいになってきた。
自転車に跨り、千反田の家に向かう。
以前はそこまで長くない距離だと思ったが、今は自然と長く感じた。
やがて見えてくる、大きな家。
門の前に自転車を止めると、携帯を取り出した。
千反田の家の番号を押し、コールボタンを押す。
近くにでも居たのだろうか、1回目のコールで繋がった。
える「は、はい! 千反田です」
奉太郎「千反田か、遅くにすまない」
える「え、えっと、折木さんですか……?」
奉太郎「ああ、今千反田の家の前にいるんだが……少し話せるか?」
える「……はい、分かりました」
千反田は、いつもより少しだけ暗かった気がする。
だがその中にも少しだけ嬉しそうな感情、そんな感じの声に聞こえた。
5分ほど待ち、千反田が出てきた。
奉太郎「夜遅くに悪いな、どこか話せる場所に」
そこまで言った所で、千反田が俺の声に被せてくる。
える「あの公園に、行きましょうか」
奉太郎「……そうだな」
公園に向かう途中は、お互いに無言だった。
千反田の様子は、やはり暗く、ショックが大きいのが見て取れる。
そんな千反田を見ていると、また怒りが湧いてきそうで、俺は敢えて千反田の方を見ずに、歩いた。
やがて、公園が見えてくる。
自販機に向かい、コーヒーと紅茶を買った。
千反田に紅茶を渡し、ベンチに腰掛ける。
それを見て千反田は俺の横に座った。
奉太郎(さて、何から話そうか)
える「折木さん、すいませんでした」
える「私があんなことを言ったせいで、古典部に影響を与えてしまって……」
える「折木さんが怒るのも……仕方がない事です」
える「私が馬鹿でした、許してもらえるとは思っていません」
える「でもやっぱり、また皆さんで仲良くしたいんです」
える「……すいません、折木さんに相談する話では、ないですよね」
千反田は泣きそうな声で最後の言葉を告げると、俯いてしまった。
俺は、一瞬何を言っているのか分からなかった。
何故、千反田が謝る?
俺が千反田に怒っている?
また仲良くしたい?
許してもらえない?
それらを並べると、俺は理解した。
今回の事も、人のせいにしないで、全て自分で背負っているんだ。
怒りが湧いてくると思ったが、俺の心に湧いたのは、落ち着いた物だった。
奉太郎「千反田」
奉太郎「お前は、そういう奴なんだよな。 やっぱり」
奉太郎「俺はお前には怒っていない」
奉太郎「千反田を騙した奴に、俺は怒っているんだ」
奉太郎「伊原も、ああいう性格だが捻くれた奴ではない」
奉太郎「少し話せば、すぐに終わる」
奉太郎「皆は許してくれない? それはちょっと不服だな」
奉太郎「少なくとも俺は、お前の味方だぞ」
奉太郎「第一に、俺は省エネ主義者だ」
奉太郎「それがわざわざ千反田の家に来ているんだ」
奉太郎「それだけで、俺がお前の味方ってのは、分かるだろ」
奉太郎(なんか、俺らしくないな)
奉太郎(まあ、いいか)
える「……折木さん、私」
える「ずっと、ずっと、どうしようかと思っていました」
える「……でも、でもですね」
千反田は今にも泣きそうに、続けた。
える「折木さんが……いえにきたとき……わたし、うれしかったんです……っ」
否、千反田は泣いていた。
える「ずっと……ずっと相談じようどおもっでいて……っ…」
涙を拭い、千反田は自分の胸に手を置いた。
小さく「すいません」と言い、一呼吸置き、再び話し始める。
える「でも、折木さんの、今の言葉を聞いて、私、安心できました」
次に出てきた言葉は、いつもの千反田らしく、しっかりとした物だった。
える「……少しだけ、すいません」
そう言うと、千反田は俺の肩に頭を預けてきた。
奉太郎(暖かいな)
俺はこの時、強く確信した。
奉太郎(なんだ、随分と悩まされていたが)
今まで何回か、友人が言っていた言葉。
奉太郎(分かってみれば、大した事はなかったか)
千反田が来て変わったと、里志は言った。
俺はずっと、そんなことは無いと、思っていた。
だが今、確信した。
千反田の頼みを断れないのも。
千反田が関係することだと省エネできないのも。
千反田に振り回され、満更ではなかったのも。
千反田が泣いたとき、俺は酷く怒ったのも。
全ての疑問に、答えを見つけた。
言おうとした、好きだと。
だが……だが。
どうにもうまく言葉にできない。
前にも、似たような経験はあった。
前の時も、言おうとしたが、少しめんどうくさいというのがあったと思う。
だが、今回ばかりは。
いくら言おうとしても、できなかった。
そのまま、5分ほどが立った。
奉太郎「寝る時間、過ぎてるな」
時刻は23時近く、千反田が寝る時間は過ぎている。
える「そうですね」
える「でも今日は、ちょっと夜更かししたい気分です」
奉太郎「そうか」
奉太郎「夜景が、綺麗だな」
そう言うと、千反田は
える「……はい、折木さんと一緒に見れて、良かったです」
俺は……笑っていた、と思う。
第四話
おわり
折木さんと一緒に夜景を見ていた時間は、とても短く感じました。
気持ちも、軽くなっています。
やはり、折木さんに相談したのは間違いではありませんでした。
……これは、甘えではないですよね。
明日は、しっかりと摩耶花さんとお話をするつもりです。
私が言った、許してくれないと言う言葉。
それは反対の意味にすると、私は古典部の皆さんを信じていないという事になります。
そんなのでは、ダメです。
私は皆さんを信じています。
摩耶花さんもきっと、分かってくれる筈です。
もし、万が一にでも、想像したくはないですが。
福部さんも、摩耶花さんも許してくれなかったら……
そうしたら、味方だと言ってくれた折木さんと、どこか遠くへ行きましょう。
折木さんならきっと、私の思いもよらない場所へ連れて行ってくれる……そんな気がします。
そんな事を考えながら、折木さんが以前くれたぬいぐるみを抱きしめます。
でも、まずは摩耶花さんと話さなければ。
える(明日、明日です)
える(うまく、話せるでしょうか……)
後ろ向きになってはダメです。
ちゃんと、伝えましょう。
折木さんがわざわざ家まで来てくれたんです。
折木さんを裏切らない為にも、また皆で仲良くする為にも。
……また、一緒にあの公園で夜景を見る為にも。
何故でしょうか?
私にはまだ、分かりません。
折木さんに聞けば答えてくれるでしょうか?
しかし、何故か聞いてはいけない気がします。
これは、自分で答えを出さないといけない問題……
える(折木さんが家に来てくれて、本当に良かったです)
える(もし来なかったら……考えたくもありません)
える(……今夜は、いい夢が見れそうですね)
奉太郎(はあ)
何度、溜息をついただろうか。
どうにも気持ちが落ち着かない。
千反田は別れる時には、いつも通りの顔だったと思う。
しかし、俺はどうだっただろう。
なんとも言えない気分である。
奉太郎(今まで避けてきたが……)
奉太郎(確かに、これはエネルギー消費が激しそうだ)
まあ、いい。
問題は明日だ。
準備は問題無いはず、後は俺次第。
千反田には、話せる内容ではない……か。
落ち着け、落ち着け。
とりあえずは、目の前のを片付けなければいけない。
奉太郎(今日は、もう寝るか)
自室へ向かった俺に、後ろから声が掛かる。
供恵「ちょっと、携帯返してよね」
ああ、すっかり忘れていた。
奉太郎「ありがとな」
再び、自室へ向かう。
しかし再度声が掛かる。
供恵「ちょっと、アンタ寝ぼけてるの?」
奉太郎「……なにが?」
姉貴はニヤリと嫌な笑顔を浮かべる。
供恵「あれ、約束でしょ」
指差す先には食器の山。
奉太郎(どうやら)
奉太郎(もっと先に片付けなければいけない問題があったな)
数えるのも嫌になる程の溜息をもう一つつき、俺は食器の山へと向かうのであった。
4.5話
おわり
Entry ⇒ 2012.10.18 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
入須「来たぞ、折木君」
・古典部部室
奉太郎(千反田は図書館、里志は総務委員の会議、伊原は図書委員の仕事…)
奉太郎(三度目の奇跡だ。今日の奇跡を信じて、この問題を終わらせる)
奉太郎「こんにちは、先輩」
入須「あぁ」
奉太郎「お久しぶりですね」
入須「…そうだな、一週間ぶりだ」
奉太郎「はい」
入須「…早くないか?」
奉太郎「そうですか?」
入須「…まぁ、元々私から言い出したことだ。君が気にする必要は無いんだが」
奉太郎「えぇ」
入須「手紙で呼び出されたのは初めてだ」ガタッ
奉太郎(…先輩はいつも目の前に座るな)
奉太郎「俺も下駄箱に手紙を入れたのは初めてです」
入須「それで、これはどういう事だ?」パサッ
『本日放課後、古典部部室にて。 折木奉太郎』
奉太郎「そのままの意味ですよ」
入須「…と言われてもな」
奉太郎「部室なので、抹茶が無くて申し訳ないんですが」
入須「それは構わないが」
奉太郎「安心しました」
入須「…それで、なんだ?」
奉太郎「…実は、特に大した用事は無かったんですが」
入須「……帰る」スッ
奉太郎「冗談です」
入須「………」トスッ
奉太郎「…入須先輩、お話があります。聞いてもらえますか?」
入須「…あぁ」
奉太郎「……以前、先輩が俺に相談した事を覚えていますか?」
入須「さて、なんだったか」
奉太郎「恋の相談ですよ。先輩に好きな人がいると」
入須「……それは、忘れてくれ。終わった事だ」
奉太郎「…その次に先輩が俺に話した事は、覚えていますか?」
入須「…高校生活についてだ。主に、朝と放課後のな」
奉太郎「えぇ。そして休みの日に先輩の髪の話、文化祭で先輩が怒っていた理由の話」
入須「随分ピンポイントだな」
奉太郎「共通点があります」
入須「…一体なんだ?」
奉太郎「わかりませんか?」
入須「……あぁ」
奉太郎「…先輩、前に俺の事をこう言ってましたね。よく理解してくれて、特別だと」
入須「そうだな」
奉太郎「特別な事、それは人それぞれあります。勿論俺にも」
入須「君にとって特別な事?」
奉太郎「先輩、例えば自分の前を歩く人が居たとしたら、それはどの様な人でしょうか?」
入須「…急になんだ」
奉太郎「答えてください」
入須「……目上の人だろう。上司、先輩」
奉太郎「では、自分の後ろを歩く人は?」
入須「単純に逆にすれば、部下、後輩。目下の者だ」
奉太郎「それなら、隣は?」
入須「同期、同級生。対等な関係の者だ」
奉太郎「…では、その隣を歩く人が先輩の後ろに下がっていくとして、その理由はなんでしょうか?」
入須「…折木君、なぞなぞをする為に私を呼んだのか?」
奉太郎「先輩、答えてください」
入須「……わかった。そうだな…本質的に、立場が下なんじゃないか?」
奉太郎「と言うと」
入須「人を避けるにしろ狭い道を歩くにしろ、自分が動く事で相手を引き立たせている」
奉太郎「では逆に、前に出て行く場合の理由はなんでしょうか?」
入須「…自ら引き立つ為に動く。リーダーたる者、若しくは相手を守る為」
奉太郎「……ありがとうございます。参考になりました」
入須「意図を教えてはくれないのか?」
奉太郎「…先輩、今の話、俺は抜けている事があると思います」
入須「なんだ?」
奉太郎「隣を歩く人は同級生だけではありません。年上の友達や親、年下の知り合いや兄弟」
入須「…確かに」
奉太郎「そして、隣に歩く人が前に出る。 …導いているんじゃないでしょうか?」
入須「隣の者をか?」
奉太郎「えぇ、例えば、俺の様な何もできない省エネ人間をね」
入須「…君は何もできなくないよ」
奉太郎「…そう言って貰えると嬉しいです」
入須「本当だ」
奉太郎「……本題に入りましょうか、先輩」
入須「…待て」
奉太郎「はい」
入須「聞きたくない」
奉太郎「聞いてもらいます」
入須「嫌だ」
奉太郎「先輩」
入須「………」
奉太郎「…知る事の出来る者が、知らないフリをする事はできない」
入須「…どういうことだ?」
奉太郎「先輩、人の気も知らないで、勝手に結論を出すのは良くありませんよ」
入須「………」
奉太郎「………」
入須「……わかった、聞かせてくれ」
奉太郎「はい」
奉太郎(布石は打った。ここからだ…!)
奉太郎「…先日言ってましたね、昔の関係に戻るのは嫌だと」
入須「あぁ」
奉太郎「それは、俺と先輩の距離が離れてしまうからですか?」
入須「…そうだ」
奉太郎「なら、それはありえません」
入須「なぜだ。君は私に騙され、苦手意識を覚えたはずだ。そうなれば…」
奉太郎「先輩、俺はどうやら省エネはやめられません。そしてあなたは女帝と呼ばれている」
入須「…あぁ、変わらない」
奉太郎「それで良いんです。見方を変えましょう」
入須「見方を…?」
奉太郎「先輩は、隣に歩きながら俺を導いてくれていると」
入須「…私が、君を」
奉太郎「えぇ。先ほどの共通点の話ですが、あれは全て先輩の問いに俺が考え、答えを示した話です。正答は少ないですが」
入須「…なるほど、確かに」
奉太郎「最初は嫌でしたが、今はそこまで嫌ではありません。まぁ、余り多いと困りますけど」
入須「…そんなに言わないよ」
奉太郎「悪い気はしませんけどね」
入須「……だが、私はまた君を騙そうとするかもしれない。導くと嘘をついてな」
奉太郎「その時は、また先輩の真意を俺が解きます」
入須「………」
奉太郎「先輩、あなたは俺に道を示してくれた。そして、これからも変わらないでしょう」
入須「あぁ」
奉太郎「これがこの間の答えです。 …先輩は特別です。俺には、あなたが必要な理由がある」
入須「!」
奉太郎「俺達は二人で歩いていく。そして先輩は時々前に出て、俺を導いてください」
入須「…それなら君は、時々後ろに下がって私を見守ってくれるのか?」
奉太郎「そうですね、後ろに下がって、俯瞰で先輩の気持ちを理解しましょう」
入須「…そうか」
奉太郎「お互いが特別であれば、対等じゃないですか?」
入須「……そうかもしれない。だが、私は君を束縛してしまう。嫉妬心も強い。君はこんな女、嫌だろう?」
奉太郎「先輩、俺は先輩を信頼します。だから先輩も俺を信じてください」
入須「だが…」
奉太郎「………」
奉太郎(ここか…)
奉太郎(姉貴が言っていたな。わかっている事実を検討し、わからない事に上書きしろと)
奉太郎(姉貴…信じるからな。失敗したら、一生恨むぞ)
奉太郎「…あの時、俺の事を変わっていないと言いましたね、先輩」
入須「…あぁ」
奉太郎「そんな事はありません。変わっていますよ、俺は」
奉太郎(………)ドク…ドク…
奉太郎(胸が痛い…勇気を出せ、俺!)
奉太郎(…事実はある。全てを伝えるんだ、先輩に!)
入須「…折木君?」
奉太郎「俺は…俺は!」
奉太郎「入須先輩の事が、どうしようもなく好きになりました!」
入須「!!」
奉太郎「変わっていないなんて、言わせません」
入須「………」
奉太郎「………」ガタッ
入須「お、折木君
ギュッ
入須「!」
奉太郎「束縛してください。嫉妬してください。騙してください」
奉太郎「そのままの先輩で良いんです。俺は、そんな先輩が堪らなく好きなんですから」
入須「………」
奉太郎「………」
入須「………」ポロ…ポロ…
奉太郎「! 先輩…?」
入須「折木君…折木君…」
奉太郎「…泣かないで下さい、先輩」
入須「うるさい…」
奉太郎「…調子が戻ってきましたね?」
入須「……この一週間、とても辛かった。そして今、とても幸せだ」
奉太郎「はい」
入須「想いが込み上げて、止まらない…嬉しくて、悲しくて…」ポロ…ポロ…
奉太郎「はい」
入須「君がこんな…私を抱きしめるからだ。 …暖かくて、優しくて」
奉太郎「………」
入須「今、私も変わった。君の事が…大好きになったよ」
奉太郎「はい」
入須「こんな私でいいのか…?」
奉太郎「…先輩以外、いません」
入須「…嬉しい」ギュッ
奉太郎「………」ギュッ
入須「………」
奉太郎「……入須先輩」
入須「……折木君」
奉太郎「………」
入須「……ん」
奉太郎「………」チュッ
入須「んっ…」
奉太郎「……ふぅ」
入須「………」
奉太郎「………」
入須「……もう一度」
奉太郎「…おあずけです」
入須「…バカ」
奉太郎「これでも、恥ずかしいんですよ」
入須「気にしなくて良いよ」
奉太郎「俺が気にします」
入須「………」ギュッ
奉太郎「……先輩、好きです。この気持ちは、忘れません」
入須「…忘れたら、怒るからな」
奉太郎「手帳に書いておきますよ」
入須「ふふっ。あぁ、頼む」
奉太郎(…入須先輩、出会った当初はこんな関係になるとは思って居なかったが)
奉太郎(こんなにもかけがえのない人が出来て、俺も、幸せだ)
・10分後
入須「これで…正式に恋人同士、だな」
奉太郎「そうですね」
入須「お互いに好きだと確認しあったし」
奉太郎「えぇ」
入須「……キスもしたし」
奉太郎「…はい」
入須「君と将来どういう家族になるのか、今から楽しみだな」
奉太郎「……え?」
入須「折木君、私は婚前交渉は構わないけど、子供は結婚後だからな」
奉太郎「……結婚?」
入須「…君の為なら、痛みも我慢するよ」
奉太郎「ちょっと待ってください」
入須「…なんだ?」
奉太郎「……いや、急に話が飛躍したような気がするんですが」
入須「どこがだ?」
奉太郎「結婚って…」
入須「先ほどキスをしたじゃないか」
奉太郎「はい」
入須「結婚と言う事になるだろう?」
奉太郎「……いや、なんでですか。なる訳ないでしょう」
入須「何故だ、なるだろ?」
奉太郎「なりませんよ」
入須「なる」
奉太郎「なりません」
入須「………」
奉太郎「………」
入須「…まぁ、前提と言う事にしておくよ」
奉太郎「…もうそれでいいです」
入須「結婚はするけどな」
奉太郎「…もうなんでもいいです」
入須「そうか。まぁ、学生結婚は何かと大変だからな、すぐの話じゃないよ」
奉太郎「…はい」
入須「元気が無いぞ」
奉太郎「…疲れが一気に来ました」
入須「私の為に考えていてくれたんだな…ありがとう」
奉太郎「…これは五限の体育ですね。体が痛い」
入須「………」ペシッ
奉太郎「痛っ! 何するんですか…」
入須「君にはデリカシーが足りないな。それに鈍感だ」
奉太郎「酷い言われようですね」
入須「…そして、女に警戒心が足りない」
奉太郎「うっ…もう良いじゃないですか、それは」
入須「ヘラヘラしてた」
奉太郎「してませんよ。笑顔の練習です」
入須「なら、私にも見せてみろ」
奉太郎「…嫌です」
入須「あの女性に出来て、私には出来ないと」
奉太郎「…そういうわけじゃ
入須「なら見せてみろ」
奉太郎「………」
入須「早く」
奉太郎「………」ニコッ
入須「!」カーッ
奉太郎「…これでいいですか」プイッ
入須「あ、あぁ…」ドキドキ
奉太郎「……恥ずかしいんですから」
入須「…余り、やらなくていいよ」
奉太郎「…はぁ」
入須「目に毒だ…」
奉太郎「失礼な」
入須「年上の女性には絶対に見せない様にな」
奉太郎「…はぁ」
入須「わかったな?」
奉太郎「まぁ、はい」
入須「今日から君には首輪を付けさせてもらうからな」
奉太郎「……え?」
入須「しっかり面倒を見てやろう」
奉太郎「先輩、自由とは」
入須「有って無い様な物だ」
奉太郎「独裁者じゃないですか…」
入須「ふふっ、冗談だよ。 …監視はするが」
奉太郎「…先輩」
入須「しばらく我慢しろ。一週間分、君に甘えたい」
奉太郎「…仕方ないですね」
入須「ふふっ、楽しみだ」
奉太郎「それじゃ、そろそろ帰りましょうか」
入須「あぁ、腕を組んでな」
奉太郎「早速ですか」
入須「…私は容赦しないからな。覚悟しろよ」
奉太郎「…はい」
奉太郎(腕を組んで、隣同士で歩いていく…)
奉太郎(道に迷ったら、先輩が前に出て正しい道を探す。俺はその後ろで考えて、先輩に助言をする)
奉太郎(二人で協力して、この先を歩いていく)
奉太郎(隣同士、対等に…どこまでも…歩いていこう)
奉太郎(かけがえのない、特別な人と一緒に)
奉太郎「行きましょうか、冬実先輩」
入須「! あぁ…そうだな、奉太郎」
おまけ
奉太郎(……ん?)
奉太郎「先輩、少しここに」コソコソ
入須「ん? あぁ…」
奉太郎「………」コソコソ
ガラッ
里志「うわっ!」
伊原「えぇっ!」
千反田「きゃあっ!」
奉太郎「………」
里志「…ばれたね」
伊原「だからやめようって言ったのに!」
千反田「あ、あの、その、これは…」
奉太郎「………」
里志「……逃げろっ!」
伊原「あ! ちょっと待ってよ!」
千反田「え? あ、待ってください! 私、気になりますーっ!」
奉太郎「………」
入須「…見られてたな」
奉太郎「その様ですね」
入須「…まぁ、私は見られていても構わないがな」
奉太郎「俺は嫌ですっ!」
エピローグ
奉太郎「おはようございます。先輩」
入須「おはよう。時間通りだな」
奉太郎「はい。それじゃ、行きましょう」
入須「あぁ」
奉太郎「……大分寒くなってきましたね」
入須「冬も近いからな」ギュッ
奉太郎「…暖かいですね、先輩」
入須「ふふっ、君もな」
奉太郎「昨日はお邪魔しました」
入須「あぁ、気にするな」
奉太郎「…予想通り先輩の父親には睨まれてしまいましたが」
入須「…それも気にするな。まぁ、なんとか説得しよう」
奉太郎「先輩が結婚を考えている、なんて言うからですよ」
入須「本心だ」
奉太郎「空気で死ぬかと思いました」
入須「…まぁ、ゆっくり行こう」
奉太郎「…そうですね」
入須「時間はある。君にも、私にも」
奉太郎「はい」
入須「いつか、二人で一番幸せになろう」
奉太郎「えぇ、必ず」
??「おおーい!」
奉太郎「…里志だ」
里志「奉太郎! 入須先輩!」
奉太郎「随分早いな」
入須「おはよう、福部君」
里志「おはようございます。奉太郎達の姿が見えたから追ってきたんだよ」
奉太郎「朝から元気だな、お前は」
里志「そりゃそうだよ! なんせ神高の女帝を落とした帝王、折木奉太郎とその女帝が腕を組んで歩いているんだからね」
入須「…そんな話になっているのか」
奉太郎「話半分に聞いておいてください」
里志「嘘じゃないよ、奉太郎」
奉太郎「……嘘だと言ってくれ」
里志「大体、こんな露骨にアピールすれば誰だって気づくさ」
入須「…奉太郎、堂々としろ」
奉太郎「ですが、先輩…」
入須「私は気にしない」
奉太郎「俺が気にするんですっ!」
里志「その内新聞部や放送部が来るかもね」
奉太郎「勘弁してくれ…」
里志「女帝、入須冬実を手に入れた帝王、果たしてどの様な人物かっ! ってね」
奉太郎「…お、俺の省エネ生活を返してください、先輩」
入須「…まぁ、頑張ってくれ」
奉太郎「先輩!」
入須「知らん」
里志「…まったく、諦めなよ、奉太郎」
奉太郎「………」ガクッ
入須「歩け」
奉太郎「……はい」
奉太郎(好きだけど…好きだけど…!)
奉太郎(別れようかな…)
入須「…今、何を考えていた?」
奉太郎「い、いえ、何も!」
おわり
これで、とりあえずこのSSシリーズは終わりです。
入須先輩に惚れて自家発電として書いたSSでしたが、
色々な方にお読みいただきまして、ありがとうございました。
それでは、また次の機会がありましたら、宜しくお願いします。
いりすたそ~
Entry ⇒ 2012.09.23 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (2) | Trackbacks (0)
伏羲「のう、そこのお主」 折木「」
伏羲「のう、そこの眠そうな目をしたお主だ」
折木「………」
折木(ありのまま起こったことを話そう)
折木(学校の帰りに妙なヤツに絡まれた)
伏羲「分かっておるのだろう?無視するでない!」
折木(見た目の割に爺くさい話し方……何だあの格好?)
折木(怪しすぎる………)
伏羲「のう!」
折木(………見なかったことにしよう)スタスタ
伏羲「待てと言っておるだろうがボケ!」ビシュッ
ビュオォォォウッ!!
折木「…………っ!」ビクッ
ハラッ
折木(……髪が一房持って行かれた)
折木(つむじ風……?いや、『かまいたち』か?)
伏羲「すこーし頼みたいことがあるのだが、協力してくれんかのう?」シレッ
折木「…………」
どこか桃を売っているところを教えてくれぬか?」
折木「今時旅の者って………」
伏羲「まぁそう言うな!どうだ、案内してくれんかのう?それ相応の礼はさせてもらうぞ?」
折木(…………正直死ぬほど面倒だ。だが………)
折木(ここで嫌だと言っても恐らくコイツはどこまでもついて来るだろう)
折木「…………はぁ。分かったよ」
折木「そんなんじゃない。面倒事はさっさと片付けたいだけだ。
………『やらなくてはいけないことは手短に』、だ」
伏羲「何だそれは?」
折木「何でもない。行くぞ」
折木「………福部里志」
伏羲「言っておくがわしに偽名は通用せんぞ」
折木「……………………折木奉太郎」
伏羲「やはり偽名だったか」
折木「!!」
伏羲「かっかっか。青いのう」ケケケ
伏羲「奉太郎、か。わしは………あー、望とでも呼んでくれ」
…………
…………………
…………………………
折木「…………」スタスタ
伏羲「うーん、のどかなところだのう。西岐を思い出す」
伏羲「田舎も捨てたものではないぞ?こういうところで日がな一日寝てくらせたら最高だのう」
折木「…………まぁ、それについては否定しない」
伏羲「おお、お主話が分かるな」
折木「俺も、やらなくていいことならやりたくないからな」
伏羲「ふむ?」
伏羲「………若いくせに、老子のようなことを言うガキだのう」ボソッ
折木「何か言ったか?」
伏羲「いや、何でもないぞ?」
折木「……もうすぐ商店街だから、桃ならそこの八百屋に売ってるだろ」
伏羲「おおそうか!この国の桃は最高だからのう!いやー楽しみ楽しみ!」
折木(……………この国?)
折木(本当に何なんだ………?)
…………
…………………
…………………………
折木「……………」
伏羲「うーん美味い!!やはり白○は最高だのう!」モシャモシャ
折木「……………」
伏羲「品種改良もここまでくるとは、人の知恵も侮れぬものだ」モッシャモッシャ
伏羲「ん?おお奉太郎、お主もどうだ?一つくらいなら分けてやるぞ?」
折木「それは俺が買った桃だ」
伏羲「むぅ、細かい奴め」
折木「いや細かくない………はぁ。もういい」
伏羲「む?」
伏羲「うむうむ。物わかりのいい人間は嫌いではないぞ。食べ物を恵んでくれる人間はもっと好きだがな」モシャモシャ
折木「そんなんじゃない。ただ疲れるのが嫌いなだけだ」
伏羲「ふむ……さっきもそんなことを言っておったのう?」
折木「そう。『やらなくてもいいことならやらない、やらなくてはいけないことは手短に』
『省エネ』が俺のモットーだからな」
伏羲「本当に老子のようなことを……いや、ナマケという意味では老子の方が上か」
折木「老子?道家の老子か?」
伏羲「何!?お主知っておるのか!?」
折木「いや、高校生なら誰でも知ってるだろ。世界史や倫理の教科書に載ってるからな」
伏羲「何ですと!?ちょ、ちょっと見してみ!」
折木「はぁ………?ええと………あった。ほら」ゴソゴソ
伏羲「ふおおおお本当に載っておる………」シゲシゲ
折木「…………?」
折木(まるで知り合いみたいな口ぶりだな……まさかな)
伏羲「許せーーーーん!!!」
グシャッ
折木「あ」
伏羲「あ」
伏羲「す、すまぬっ!……ついカッとなって」
折木「…………………はぁ。まぁ、1ページや2ページ破れたくらいなら平気か」
伏羲「まぁ待て!そのくらいわしが何とかしてやる!」
折木「弁償ってことか?桃一個買えないヤツが何を……」
伏羲「まあ見ておれ!
むむむむ……………ハッ!!」
ビカッ
折木「っ…………!」
マッサラァァァァァ……
折木「…………本当に直ってる。新品みたいだ」
伏羲「だから言ったであろう?」フフン
折木「望、アンタ一体………」
伏羲「これで桃の礼はチャラだな。それでは奉太郎、達者でのう」テクテク
折木「ちょっと待て」ガシッ
伏羲「グエッ!?」
伏羲「ググッ……疲れるのはイヤと言っておったクセに細かいヤツだ……」ギリギリ
折木「だいたいどうやったんだ?どういうトリックなんだ」
伏羲「わ、分かった………分かったからフードを掴むのはやめてくれ………」ギリギリ
…………
…………………
…………………………
折木「それで?さっきのは一体何なんだ?」
伏羲「一体も全体も、破れた本を元通りにしただけだ」
折木「そんなことできるわけないだろ」
伏羲「フフーン、そう思うであろう?」
折木「は?」
伏羲「実はな奉太郎。
……………わしは道士なのだ」
折木「……………道士?」
無理もない。今時人間界に来る道士はおらんからのう」
折木「…………それで結局何だ、道士って」
伏羲「うん?まぁ、お主らの馴染みのある言葉で言うと『仙人』ということになるな」
折木「はぁ?仙人?」
伏羲「正式には、わしは弟子を取っておらんので道士と名乗っておる」
折木「………………」シラーッ
伏羲「むっ、その眼、信じておらぬな?」
懐から破れた俺の教科書が出てきた方がまだ納得できる」
伏羲「やーれやれやれ。若いくせに頭が固いのー」フイー
折木「む」
伏羲「よっしゃ。そこまで言うのなら証拠を見せてやろう」スクッ
折木「証拠?」
伏羲「うむ。………これが何か分かるか?」スッ
折木「さっきアンタがしこたま食べた桃の種だろ」
伏羲「うむ。美味かったぞ」
伏羲「それをそこの土に埋めよ」
折木「はぁ?」
伏羲「ホレ、スコップだ」キコキコキコーン
折木「何処から出した」
伏羲「いいからさっさと掘って埋めるのだ。『やるべきことは手短に』、であろう?」ニヨニヨ
折木「」イラァ
ザックザック
ポイポイ
ペタペタ
折木「…………これでいいのか」
伏羲「上出来だ。これに……」ゴソゴソ
折木「………まだ何か出てくるのか」
伏羲「コレを使うのだっ!」テレレッテレー
折木「…………それは?」
伏羲「桃の成長に効くハゲの薬だ!」
折木(どう見てもリ○ップだが)
伏羲「じぇいっ!」ピチョピチョ
シーン……………
折木「………何も起きないが」
ムクッ
折木「ん?」
伏羲「」ニヤッ
ムクムクムクッ
折木「嘘だろ……」
ムクムクムクズドドドドドドォーーーーーー!!
折木「い、一瞬で実がなった……」
伏羲「はーーーーっはっはっはっは!!!」
伏羲「見たか奉太郎!これがわしの力よ!」カッカッカ
折木「い、いや、ひょっとしたらその薬に仕掛けが…」
伏羲「疑り深いヤツだのー。……ならば周りを見るがよい」
折木「周り?」キョロキョロ
主婦「………丁目のスーパーで卵が……」
学生「……マジで?どんだけーww………」
老人「………今日こそは須藤さんから一局……」
折木「………だれもこっちに気づいてない…」
……そういう空間を作った」
折木「望……アンタまさか本当に……」
伏羲「やーっと信じたのか?」
折木「…………これだけ証拠を見せられたら、な」
…………………
…………………………
伏羲「さて、ようやくお主が信じたところで商談に移ろうかのう」
折木「商談?」
伏羲「桃の礼だ。お主の望みを言うてみい」
折木「俺の……望み?」
伏羲「たいていのことなら叶えてやるぞ?ホレホレ、言うてみい」ホレホレ
折木「望み………」
あ、思春期ならば女かのう?」
折木「アンタ、仙人とか言ってた割に世俗の臭いが半端じゃないな」
伏羲「わしは昔からそうでのう!修行を面倒くさがって居眠りばかりしておった」
折木「……………」
伏羲「それよりも早よう望みを言うてみよ」
折木(……………)
折木「……………………ない」
伏羲「む?」
折木「俺に望みなんて、ない」
折木「…………べつに聖人君子を気どってるわけじゃない」
伏羲「ふうむ」
折木「分からないんだ………本当に、自分が何がほしいのか。何がしたいのか」
伏羲「……………」
伏羲「………わしの知り合いにも、『究極のナマケ』を開発した極度の面倒くさがりがおるが」
折木「そんなものに興味はない。ただ、『不必要なこと』が煩わしいだけだ。
そうやって俺は、必要最低限のことを、必要最低限の労力でこなしてきた」
伏羲「それが、さっき言うておった『省エネ』ということだな?」
折木「ああ、だけど………」
全てを『やらなくてもいいこと』と『やらなくてはいけないこと』に分けていくうちに…………」
折木「俺は、『やりたいこと』が分からなくなってしまったんだ」
伏羲「…………プッ」
折木「!?」
伏羲「あーーーーーーーーーーっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」ゲラゲラ
折木「お、おい」
伏羲「こ、行動原理…やりたいこととか…ブフッ!!プーップップップップ!」クスクス
折木「」
伏羲「ブッ!バァーッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!」ゲラゲラ
伏羲「ハハハハハハハハハハハッ!!!」
…………
…………………
…………………………
伏羲「あー笑った笑った。このわしを笑い死にさせる気か奉太郎」プププッ
折木「…………」
伏羲「年の割に達観しておると思っておったが。なかなかどうして、青臭いことを言うではないか、
え?奉太郎」
伏羲「違う違う逆だ。お主が余りに月並みなことを言うのでのう」
折木「月並み?」
伏羲「おのれのアイデンティティに悩む思春期が月並みでなくて何だというのだ?」
折木「!」
伏羲「お主に限らず、お主ぐらいの歳の子どもは皆そういった悩みを抱えておるものよ。
程度の差はあれど、な」
折木「…………」
そう言ってきたのは『悟りに近づきたい』と言っておった坊主を除けば随分と久しぶりだのう」ウーン
折木「…………これ以上何もないなら、俺はこれで」
伏羲「おおそうだ!お主、わしと一緒に来ぬか?」
折木「…………は?」
折木「」
伏羲「長いこと一人で旅をしてきたが退屈でのう。そろそろ道連れがほしいと思うておったのだ。
お主はどうやら、気が合いそうだからのう」
折木「それが、俺に何の得があるんだ?仙人にでもしてくれるのか?」
伏羲「いや、悪いがそれは無理だ。仙人になるには生まれつきの『素質』が必要なのでな。
まぁ、占いくらいなら教えてやれるがのう」
伏羲「そのかわり、浮世の煩わしさからは解放されるぞ?」
折木「!!!」
伏羲「さっき自分で言うておったではないか。『面倒は嫌いだ』、
『やらなくてもいいことはやりたくない』と」
折木「それは…………そうだが」
伏羲「それらぜーーーーんぶから解放されるのだ。割と最高の気分だぞ?」
折木「…………………」
伏羲「要するにお主、人と関わるのが疲れるのであろう?
ならば社会のしがらみから抜け出してしまうのが手っ取り早いと思わぬか?」
伏羲「親、友達、学校…………全部鬱陶しいのであろう?
ならばそんなものは捨ててしまえばよいのではないか?」
伏羲「おおそうだ、そういう世捨て人が集う集落にも心当たりがある」
折木「…………世捨て人が、集落?」
伏羲「個を消す仮面付きの、だがのう」
折木「……………」
伏羲「お主の言うそこでの『やらなくてはいけないこと』とは、自分の食うものを育てることだけだ」
伏羲「最高の省エネ生活だと思うのだがのう」
伏羲「さぁ、どうする?」
折木(どうする………)
折木(そもそもこんな荒唐無稽な話を信用してもいいのか?新手の詐欺か何かじゃないのか?)
折木(……………いや、無駄だな。既に十分すぎるほどの証拠を見せられた)
折木(そもそも詐欺ならもっと単純に金を巻き上げようとするはずだ)
折木(俗世を捨てる………俺が?)
折木(それが…………俺の望み?)
折木(全部、『やらなくてもよく』なる……)
折木(……………そうだ)
折木(俺はずっとそれを望んでいたじゃないか)
折木(世捨て人?上等じゃないか)
折木(もとから『感情が死んでいる』と言われて久しいこの俺だ)
折木(いい機会だ。この際全部捨ててしまおうじゃないか)
折木(それで俺の省エネは完成する!)
折木(そうだ、それが俺の………………)
―――――私、気になります!折木さん!
折木「!!!!」
伏羲「……………今、お主の胸に思い浮かんだものは何だ?」
折木「あ………」
伏羲「誰の顔だった?」
折木「それは…………」
伏羲「まぁよい。のう奉太郎。人というのはな、そう簡単に何かを捨てることなど出来んのだ」
折木「…………」
時にはおとし、そのたびに傷つきながらまた背負いこむ」
伏羲「闘いの中にあってもそうだ」
折木「闘い?」
伏羲「頭の中の自分が言うのだ。
『賢くなれ。面倒なものは切り捨てろ。そうすれば勝てる』とのう」
折木「……………」
伏羲「だが、捨てられんのだ」
折木「!」
わしの心が、魂魄が、『それ』を捨てたくないと聞かんのだ」
折木「…………俺には分からんが、それが、アンタの『やるべきこと』だったんじゃないのか?」
伏羲「そうだ……と言いたいが、違うな。単なるわしのわがままだ」
折木「わがまま?」
伏羲「そう。『誰も死ななければいい』『わしがまもればいい』、という、傲慢で自己中心的な願いだ」
折木「…………」
傲慢で何が悪い、とな」
折木「?」
伏羲「自分の大切なものを背負いこんで何が悪いのだ。守りたいものを守って何が悪いのだ」
伏羲「それを決めるのは他の誰でもない、自分自身ではないか」
伏羲「それに口出しできるほどお前は偉いのか!………そう言ってやったことがある」
折木「…………何の話だ?」
伏羲「おお、何でもない。話がそれてしまったのう」
折木「傲慢な……願い………」
伏羲「む?どうした奉太郎?」
折木「いや、別に……」
伏羲「………奉太郎」
折木「何だ?」
伏羲「悩むことをやめてはならぬぞ」
折木「…………どういうことだ?」
悩むことから逃げてはならんのだ」
伏羲「悩んで悩んで悩み抜いて、最後に自分の中に残ったものを、大切にするがよい」
折木「悩み抜く………」
伏羲「そうだ。大切なものは自分で決めるのだ」
伏羲「それが、お主の『導』となる」
伏羲「………説教くさくなってしまったかのう」
折木「………なぁ、望」
伏羲「何だ、奉太郎」
折木「さっきも言ったけど、俺は面倒ごとが嫌いだ」
伏羲「うむ」
折木「そんな俺にも見つけられるだろうか。
抱え込みたいものが。大切な―――『道導』が」
伏羲「………知らんわそんなもん」
折木「は!?」
伏羲「だーかーらー、何度も言うておるではないか。お主のことはお主しか決められんと」
折木「おい、じゃあ今までの話は…」
伏羲「現にお主はさっき自分で決めたではないか。
『行かん』、とな」
折木「…………あ」
折木「自分の心……ねぇ」
伏羲「…………顔がニヤけておるぞ、ムッツリめ」
折木「なっ!?」
伏羲「カカカっ。ダアホめ、男子高校生の考えておることなどお見通しだ」カカカ
折木「ぐっ」
伏羲「初めて会ったときからそのスカした態度が若干気に入らんかったのだ。
いーい気味だのう!」
伏羲「何だ、かかってこんのか?」ホレホレ
折木「……言っただろ、疲れるのは嫌いなんだ」
伏羲「………まあよい。それも『選択』だ。
…………さて、と。そろそろ行くかのう」
折木「えっ?」
伏羲「つかの間のよい退屈しのぎになった。感謝するぞ、奉太郎」
折木「そうか……今度は何処に行くんだ」
伏羲「もともと行くあてのないぶらり旅だからのう……
そうだ、美味いもののあるところに心当たりはないか。ナマグサ以外がよいのだが」
折木「………リンゴなら、隣の県の名産だが」
伏羲「リンゴか!たまにはそれもよいな。桃も最近飽き気味だしのう」
折木「桃…………あっ」
伏羲「あっ」
伏羲「ち、馳走になったのう!美味かったぞ!ではさらばだ!!」ダッシュ!
折木「待てこのっ」
伏羲「疾っ!!!」ビシュッ
ギュオォォォォォゥゥッ!!!
『じゃあな奉太郎!達者でな!!』
折木「くっ、待て!望!」
『ん?ああ、まだちゃんと名乗っておらんかったな!』
折木「何だって!?」
『わしの名は太公望!』
『またの名を伏羲!!始まりの人が一人である!!!』
ギュオォォォォォ…………ッ
折木「消えた………」
折木「何だったんだアイツは…………」
折木「夢……じゃないよな。目の前に桃の木があるし」
伏羲『自分の大切なものを背負いこんで何が悪いのだ。守りたいものを守って何が悪いのだ』
伏羲『悩んで悩んで悩み抜いて、最後に自分の中に残ったものを、大切にするがよい』
伏羲『それが、お主の『導』となる』
折木「導……か…」
「折木さん?こんなところでどうされたのですか?」
折木「!」
える「何かあったのですか?」
折木「ち、千反田………」
折木「え、あぁ、これか?………さぁ、もとから生えてただけだと思うが」
える「いいえ、昨日ここを通った時にこんな立派な木はありませんでした」
折木「そうか………お前が言うんなら間違いないんだろうな」
える「ええ、間違いありません!」
折木「そうか………」
える「ひょっとして、何か御存じなんですか?」
折木「!」ギクッ
える「やっぱり御存じなんですね?」
折木「あのな、千反d(ry」
える「どうして一夜でこんなに大きな木が生えたのですか?」
折木(一夜どころか一瞬だけどな)
える「一体ここで何があったのですか!?」
える「私、気になります!」
折木「……………ハァ」
…………
…………………
…………………………
―――――夜
折木「…………疲れた」ドサッ
折木(下校早々ヘンなのに捕まるわ、千反田には見つかるわ)
折木(千反田は何とか誤魔化してきたが……)
折木(………なぁ、望)
折木(俺の選択は、本当に正しかったのか?)
折木(これからも面倒ごとを背負い続ける、この選択が………)
折木「……………違うな。
『正しさ』なんて何の意味もない」
折木(正しいかどうかよりも、俺自身が選んだこと自体に意味がある。
その選択の積み重ねが、俺の『導』になる、ってことか…………)
バサッ
折木(本当に新品同然だな……それでいて、俺の名前や書き込みはそのまま……ん?)
折木「ここだけ折り目がついてるぞ……?」
パサッ
折木「……………」
折木「やれやれ、口ではああ言ってたくせに」
折木「負けず嫌いにもほどがあるだろ」クスッ
ポイッ
バサッ
~~~~~こうして周の軍師・呂尚(太公望)の活躍で…………
わしの名前は呂望だ!間違えるな↑
おしまい
今日引越しの準備しなきゃなのに何やってんだ……
じゃあの。
>>111
こ・・・これが・・・現実逃避・・・ッ!
Entry ⇒ 2012.09.20 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (1) | Trackbacks (0)
入須「もしもし、入須です」
・10/3 折木家
供恵「あら、どしたの?」
入須『…先輩ですか?』
供恵「うん」
入須『あの、明日の事を話したくてお電話したのですが…』
供恵「明日? 私は暇だけど」
入須『…私は忙しいんです。文化祭なので』
供恵「あー、そういや文化祭だったねー」
入須『…あの、先輩』
供恵「んー?」
入須『わざとですね?』
供恵「ほーたろー! 愛しのイリスちゃんよー!」
入須『せ、先輩っ!』
ダンダンダンダン ガラッ
奉太郎「バカ姉貴!!」
供恵「はい」スッ
奉太郎「………」ガシッ
入須『…折木君?』
奉太郎「なんですか? 先輩」
供恵「おとなのかいだんのーぼるー♪」
奉太郎「部屋に行け! バカ!」
供恵「はいはい。ちゃんと電気消すのよー」
タンタンタン
奉太郎「…ったく」
入須『ふふっ、先輩はいつも面白いな』
奉太郎「どこがですか…」
入須『…まぁ、からかうのは控えて貰いたいが』
奉太郎「あれにそんな事言っても無駄ですよ」
入須『…そうだな』
奉太郎「それで、どうしたんですか?」
入須『あぁ、明日の事を話そうと思ってな』
奉太郎「文化祭ですか?」
入須『そうだ。君の予定を教えて貰おうと思って』
奉太郎「……先輩、俺には恐らく暇はなさそうです」
入須『…何かあったのか?』
奉太郎「…いえ、特には無いんですが」
入須『どういう事だ?』
奉太郎「…すいません、先輩。状況が不透明過ぎて説明できません」
入須『気になるよ。相談にのれると思うんだが』
奉太郎「必要なら千反田が行くと思います」
入須『……君じゃなくてか?』
奉太郎「…えぇ、確証は有りませんが」
入須『そういう事を聞いている訳じゃないんだが…』
奉太郎「先輩。もしあいつが来たら、何も言わずに受け止めてやって下さい」
入須『…事情は話してくれないんだな?』
奉太郎「…明日の夜にもう一度話しましょう。その時には予定を話せると思います」
入須『…わかった』
奉太郎「すいません」
入須『信じてるから』
奉太郎「はい」
入須『…まぁ、私も初日はあまり抜けられそうになかったから』
奉太郎「そうですか」
入須『明日の朝も少し早くてな。君は遅くて大丈夫だよ』
奉太郎「本当ですか!?」
入須『…随分嬉しそうだな』
奉太郎「そんな事ありません」
入須『…まぁ、いい。 …放課後も予定が合わなさそうなんだ。文化祭の期間は別々に行動しよう』
奉太郎「上映会、忙しいんですか?」
入須『ふふっ、それこそ不透明だ。明日はその流れを見る為に常駐しようと思ってな』
奉太郎「女帝の腕の見せ所ですね」
入須『……ふん』
奉太郎「…見えない所で不貞腐れないで下さい」
入須『君には女帝と呼ばれたくない』
奉太郎「みんな呼んでるんじゃないんですか?」
入須『呼ばれる事もあるが、君は駄目だ』
奉太郎「…女帝さん?」
入須『さんを付けても駄目だ』
奉太郎「…女帝様?」
入須『そういう意味じゃない』
奉太郎「じゃあなんて呼べばいいんですか?」
入須『………』
奉太郎「…先輩?」
入須『……名前で、呼んで欲しい』
奉太郎「…え?」
入須『聞こえただろ』
奉太郎「…いや、いつも呼んでるじゃないですか。入須先輩って」
入須『……もう知らん。バカ』
奉太郎「え?」
入須『また明日』ガチャッ
ツー ツー ツー
奉太郎「………」
奉太郎(暴言を吐かれて切られてしまった…)
奉太郎「…まぁ、いいか」
奉太郎(…そういえば、高校のホームページに特設ページがあったんだったな)
奉太郎(手芸部と奇術部…一応見ておくか)
・10/4 通学路
入須(設営は完了、パンフは沢木口に確認済み、釣り銭は担任が朝持ってくる)
入須(配置スケジュールは江波に確認、フィルムの管理は中城に確認、フィルムのコピーは完了)
入須(機器のチェックは羽場に確認…後は私が視聴覚室の鍵を借りてくれば、終わりか)
入須(とりあえず、問題は無さそうだな)
入須(………)
入須(折木君、昨日はどうしたんだろうな…)
入須(何も無いと言いながら、明らかに何かがあった声色だった)
入須(…いや、妙な勘ぐりはよそう。信じると言ったんだから)
入須(………)
入須(…もうすぐ商店街か)
入須(今日は折木君は居ないんだな…)
入須(………)
入須(ふふっ。随分弱くなったな、私も)
入須(全部折木君のせいだ。まったく…)
入須(…だが、昨日の折木君は酷かったぞ!)
入須(私の言っている事を全く理解してなかったし、的外れな事を言うし)
入須(いくら私でも怒る事はあるんだぞ。鈍感…)
入須(先輩でも入須でもなく、本当は…)
入須「…ほ、ほうたろう」ボソッ
入須(………)
入須(…無理だな、これは)
入須(………)
入須(か、顔が焼けそうだ…)
・体育館 開会後
ズン ズン ズン ズン
奉太郎「……あれがダンサーか」
トントン
奉太郎「?」
入須「折木君」
奉太郎「…先輩?」
ズン ズン ズン ズン
入須(…音が凄い)
入須「…ここでは話し辛いな。折木君」
奉太郎「はい」
入須「ちょっと来てくれ」
奉太郎「…はぁ」
・廊下
入須「…すまないな、歩きながらで」スタスタ
奉太郎「いえ。それで、何ですか?」
入須「…まぁ、特に何がある訳でもないんだが」
奉太郎「………」
入須「こら、止まるな。一緒に来い」
奉太郎「部室に行きます」
入須「上がる階段が違うだけだ。距離は変わらないだろ?」
奉太郎「…まったく」スタスタ
入須「…少しだけ君の顔を見ようかと思ってな」
奉太郎「部室に来て下さい。ずっと居ますから」
入須「ずっと?」
奉太郎「三日間古典部で店番なんですよ」
入須「そうか。だが今日は予定が詰まっているんだ」
奉太郎「忙しいんですか?」
入須「そうだな」
奉太郎「頑張ってくださいねぇ」
入須「…気持ちが一ミリも入ってないだろ?」
奉太郎「…そんな事ありません」
入須「嘘をつくな」
奉太郎「……あ、もうすぐ視聴覚室ですよ」
入須「話を逸らすな」
奉太郎「ほら、みんないますよ」
入須「……夜、電話するんだぞ」
奉太郎「じゃあ俺は部室に
ガシッ
入須「電話、するんだぞ」
奉太郎「…わかりました」
入須「頼むぞ。九時には自室にいるから」
奉太郎「では、また」
入須「あぁ」
入須(…この分だとまた忘れそうだな)
入須(いや、信じる事も大切だ)
入須(信頼してこそ、対等だからな)
・視聴覚室 午後
入須(大きなトラブルも無く、パンフの売れ行きも上々)
入須(順調だな。明日は見て回る事もできそうだ)
入須(…奇術部、楽しみだな)
入須(手芸部のぬいぐるみ、カワイイだろうな)
入須(折木君はどちらが好きなんだろうか)
入須(…いや、どちらも興味がないだろうな)
入須(私が手芸部でぬいぐるみを選んでいたら)
入須(先輩、長いです。帰ってもいいですか? とか)
入須(私が二つのぬいぐるみで迷って、どちらが良いか聞いたとしたら)
入須(どっちでもいいんじゃないですか? とか)
入須(……腹が立ってきた)
江波「入須さん」
入須「! …なんだ?」
江波「受付の隣にそんな顔で立たないで下さい」
入須「…酷いか?」
江波「お客が帰ります」
入須「……中に入っていよう」
江波「はい」
入須(…折木君のせいだ!)
入須(……ふん)
入須(………)
入須(……反省しよう)
・折木家 夜
奉太郎(明日も店番、明後日も店番…素晴らしいじゃないか)
奉太郎(…あの文集がなければだが)
奉太郎「………」ハァ
供恵「ため息つくな」パシッ
奉太郎「痛っ! なんだよ姉貴」
供恵「私の幸せが逃げる」
奉太郎「姉貴のは逃げねぇよ」
供恵「婚期が遅れたらあんたのせいよ」
奉太郎「姉貴が結婚? …諦めろ、無理だ」
供恵「なんだってー?」
奉太郎「……へ、部屋に戻る!」ダッ
供恵「待てコラ!」
プルルルルル…プルルルルル…
奉太郎「…こんな時間に電話?」
供恵「誰だろ?」
奉太郎「とりあえず取れよ」
供恵「はいはい」
ガチャ
供恵「はい、折木ですけど」
入須『もしもし、入須です』
供恵「…ただいま留守にしております。御用の方は
入須『…先輩』
供恵「ん? どした?」
入須『折木君はいますか?』
供恵「後ろにいるよ」
入須『代わってください』
供恵「なんか声怖いねー」
入須『…代・わ・っ・て・く・だ・さ・い』
供恵「は、はーい」
入須『………』
供恵「…奉太郎、またあの子に余計な事いったでしょ?」
奉太郎「あの子?」
供恵「はい」スッ
奉太郎「…なんだよ?」ガシッ
入須『…折木君?』
奉太郎「あぁ、先輩ですか。どうしたんですか?」
入須『待っていたんだが』
奉太郎「何をですか?」
入須『………』
奉太郎「…先輩?」
入須『折木君』
奉太郎「はい」
入須『バカ!!』ガチャッ
奉太郎「うぉわっ」
ツー ツー ツー
奉太郎「………」
供恵「なんだって?」
奉太郎「…わからん」
供恵「とりあえず会ったら謝っときなよ」
奉太郎「…その方が良さそうだ」
・10/5 通学路
入須(………)
入須(………)
入須(………)
入須(……絶対に許さん)
入須(土下座しても許さん)
入須(強い気持ちを持って、折木君に憤慨しよう)
入須(昨日のは酷過ぎる!)
入須(………)
入須(…とはいえ、釈明の機会を与えなくては可愛そうだろう)
入須(今日は部室に行ってやるか)
入須(………)
入須(…まぁ、許さないがな)
入須(………)
入須(…内容によっては考えてやるか)
入須(………)
入須(…正直に頭を下げたら、許してやろう)
入須(私も鬼ではないからな)
入須(…感謝しろよ、折木君)
・古典部 午前
奉太郎「…ふぁいやー」
入須(………)コソコソ
奉太郎「………」
入須(…折木君一人か)
入須「…失礼する」
奉太郎「! せ、先輩」
入須「休みが取れてな。来たよ」
奉太郎「そ、そうですか」
入須「…どうした?」
奉太郎「いや、あのー…」
入須「なんだ?」
奉太郎「…怒ってないんですか?」
入須「…そう聞く前に言う事はないのか?」
奉太郎「……すいませんでした」
入須「なにがだ?」
奉太郎「…なにがでしょう?」
入須「………」ペシッ
奉太郎「痛っ!」
入須「…まったく。もういいよ」
奉太郎「…寝る前に考えてはいたんですけど」
入須「あぁ」
奉太郎「ひょっとして何もしていないんじゃないかと」
入須「………」
奉太郎「すいません、冗談です」
入須(………)ハァ
入須「……いいか、例えば、君がどうしても読みたい本が発売するとしよう」
奉太郎「はい」
入須「書店の開店は十時だ。君はどうしても読みたくて九時からその書店の前で待っていた」
奉太郎「絶対しませんけどね」
入須「まぁ君はそうだろう。続けるが、十時になってもその書店は開かない。十時半、十一時、十一時半」
奉太郎「他の店に行きましょう」
入須「近場にはその書店しかないと考えろ。十二時になってようやく店主が表に現れ、シャッターを開けた。そこで散々待たされていた君は店主に聞くんだ、待っていたんですけど、と」
奉太郎「はぁ」
入須「そこで店主はこう言った。あぁ、待ってらっしゃったんですか。何故ですか? と」
奉太郎「…それがオチですか?」
入須「違う、笑い話じゃないよ。君はこの店主をどう思う?」
奉太郎「……二時間待たされて何故ですか、ですか。とりあえず腹が立つと思います」
入須「そうだろう」
奉太郎「……え?」
入須「………」
奉太郎「……考えます」
入須「あぁ、頼む。そろそろ休みも終わる、私は戻るぞ」
奉太郎「お気をつけて」
入須「午後にまた来るから」
奉太郎「来なくていいです」
入須「それまでに考えておくんだぞ?」
奉太郎「明日まで待って
入須「考えろ」
奉太郎「…はい」
入須「ではな」
奉太郎「………」
スタスタ
入須(…わかってなさそうだったな)
入須(…いや、腐っても折木君だ。期待しておこう)
・古典部 午後
入須(………)
入須(…凄かった! 奇術!)
入須(お椀と玉がまさかあんな事になるとは!)
入須(…はぁ、不思議だ)
入須(折木君も誘えばよかったな)
入須(福部君が居たから折木君も居るかと思ったんだが)
入須(…まぁ、居たら何故私と来なかったのかを問い詰めるが)
入須(…そろそろ着くな)
入須(………)コソコソ
奉太郎「………」ボーッ
入須(………)
入須「…折木君」
奉太郎「…先輩」
入須「どうしたんだ、ボーっとして」
奉太郎「そう見えます?」
入須「あぁ」
奉太郎「色々考えていたつもりなんですけど」
入須「色々?」
奉太郎「先輩の件以外にも色々ありまして」
入須「…この文集か?」
奉太郎「それもあります。先輩、ありがとうございました」
入須「千反田の事か。君たちには世話になったしな」
奉太郎「すいません」
入須「…流石にこの量は驚いたが」
奉太郎「止むに止まれぬ事情がありまして」
入須「まぁ、出来る限り協力はするよ。こちらの売れ行きは上々だ」
奉太郎「助かります」
入須「…そういえば、千反田が妙な事を聞いてきたんだが」
奉太郎「はぁ」
入須「人への頼み方を教えてくれと」
奉太郎「……あぁ」
入須「なんなんだ一体?」
奉太郎「あいつなりに努力しているんでしょう」
入須「………?」
奉太郎「で、なんて言ってやったんですか?」
入須「……まぁ、私の思う所をな」
奉太郎「…先輩」
入須「…なんだ」
奉太郎「俺にやった事、そのまま言ったんじゃないでしょうね?」
入須「……そんなことはないぞ」
奉太郎「目を逸らさないでください」
入須「…似た様な事は言ったかもな」
奉太郎「言いましたね」
入須「言ってない」
奉太郎「………」
入須「……ところで、君が私にした酷い事がなにかはわかったのか?」
奉太郎「なんですかその表現は」
入須「そのままの意味だ。鈍感鬼畜の折木君」
奉太郎「とんでもない二つ名ですね…でも、わかりましたよ」
入須「本当か?」
奉太郎「流石にこれだけ時間があれば」
入須「では聞かせて貰おうか」
奉太郎「ずばり、一言で当てましょう」
入須「あぁ」
奉太郎「放課後、俺が待ち合わせせずに帰ったからです」
入須「……ん?」
奉太郎「約束の話をしてましたけど、先輩、文化祭中はその約束は無かった筈ですよ」
入須「………」
奉太郎「前もありましたよね。俺に朝五分遅れたって怒った事」
入須「あぁ」
奉太郎「自分で言った事ですよ、先輩。俺の手帳に予定を書くんですから、先輩も気をつけてくださいよ」
入須「………」
奉太郎「……どうですか、先輩?」
入須「………」
奉太郎「………」
入須「………!!」ペシッペシッ
奉太郎「痛っ!」
入須「バカ!」ペシッ
奉太郎「痛っ! せ、先輩!」
入須「…明日まで君とは話さない」
奉太郎「…え?」
入須「反省しろ」
奉太郎「違うんですか?」
入須「一晩考えろ、バカ」スタスタ
奉太郎「………」
スタスタ
入須(……! ……!!)
入須(信じられない!)
入須(好きじゃなかったら絶交だ!)
入須(……!!!)
入須(………)ハァ
入須(…もう知らん)
・折木家 夜
奉太郎(………)
奉太郎(一体なんなんだ、先輩が怒っている事…)
奉太郎(…俺が忘れている事があるはずだ)
奉太郎(………)
供恵「風呂上がったよ」
奉太郎「…あぁ」
供恵「…なにしてんの?」
奉太郎「少し考え事だ」
供恵「入須ちゃん?」
奉太郎「…なぜわかる」
供恵「まぁねぇ」
奉太郎「……女心はわからん」
供恵「あんたがんな事言う日が来るとはねぇ」
奉太郎「…割と真剣なんだ」
供恵「ふーん」
奉太郎「…興味なさそうだな」
供恵「無いよ」
奉太郎「なら絡んでくるな、バカ」
供恵「いいのかなー? そんな事言って」
奉太郎「………?」
供恵「折角アドバイスしてあげようと思ったのに」
奉太郎「…なんだよ」
供恵「わからない事に頭を使ってもしょうがないわよ」
奉太郎「どういう事だよ」
供恵「わかる事に目を向けて考えれば、わからない事にも答えは出るって事よ」
奉太郎「…よくわからないんだが」
供恵「あんた、テストでわからない問題が出たらどうする?」
奉太郎「飛ばして先にいく」
供恵「それでわかる問題を解いている内に思い出す事もあるでしょ? もしかしたらその先に答えのヒントがあるかもしれない」
奉太郎「だが、数学の公式なんかは頭から抜けていたら無理じゃないか?」
供恵「それなら終わった後に教科書を見ればいいじゃない」
奉太郎「手遅れだ」
供恵「次につながるでしょ」
奉太郎「…詭弁じゃないか、それは」
供恵「ようは、解決方法なんていくらでもあるって事」
奉太郎「あぁ」
供恵「今回の場合、事実を検討すればわからない事に上書きできるはずよ」
奉太郎「上書き?」
供恵「入須ちゃんが今必要としているエックス。それより必要なワイを示せれば、この問題は解決」
奉太郎「だが、今以上に悩んでいる問題は無いぞ」
供恵「それをあんたが検討して考えるのよ」
奉太郎「…難しいな」
供恵「それ以上は知らない。じゃ、私は寝るから」
奉太郎「助かったよ、姉貴」
供恵「尊敬したでしょ?」グリグリ
奉太郎「…頭から手を離せ」
供恵「ふふーん。おやすみー」
奉太郎「あぁ」
奉太郎(…とはいえ、入須先輩が今必要としている答え以上の答えか)
奉太郎(…また明日、考えてみよう)
・10/6 折木家 朝
奉太郎(………)
奉太郎(…姉貴の言っていた事はなんとなくわかったが)
奉太郎(この答えを出すのは、勇気がいるな)
奉太郎(だが、先輩の事を考えれば…)
奉太郎(そろそろ、決着をつけないといけないな)
プルルルルル… プルルルルル…
供恵「出てー」
奉太郎「おー」
ガチャッ
奉太郎「はい、折木です」
入須『…折木君か?』
奉太郎(!)
奉太郎「入須先輩…」
入須『…昨日の事はひとまず保留にして、要件だけ伝えよう』
奉太郎「はい」
入須『十二時に手芸部でデートする、以上』
奉太郎「…わかりました、昼ですね」
入須『約束したからな』
奉太郎「はい」
入須『では、後で』ガチャッ
ツー ツー ツー
奉太郎「……ふぅ」
供恵「なんだって?」
奉太郎「昼に会おうとさ」
供恵「ふーん」
奉太郎(……先輩)
・古典部 午前
入須(…と、言いながら来てしまった)
入須(少し顔を見るだけだ)
入須(まだ許してないしな)
入須(いや、謝ったから許したが、折木君が私を否定するのがいけないんだ)
入須(………)ハァ
入須(もっと私に興味を持ってくれ、折木君)
入須(…待ち続けるのも、辛いよ)
入須(……そろそろ古典部か)
入須(………)コソコソ
入須(…ん? 声がするな)
奉太郎「二百円です」ニコォ
女「はい」
奉太郎「ありがとうございます」
女「…君、笑顔がぎこちないね」
奉太郎「…そうですか?」
女「ほら、こうやって口角上げて」
奉太郎「はぁ」
女「少しだけ口を開けて」ニコー
奉太郎「なるほど」
女「ほらっ、やってみて」
奉太郎「………」ニコォ
女「んー…」グイッ
奉太郎「!」
入須(! あの女性、折木君の顔を…)
女「ちょっと口を開けて」
奉太郎「………」ニコー
女「…ま、こんなもんか」
奉太郎「…離ひて貰ってひひでふか」
女「おっと、ごめん」
奉太郎「…ぎこちなくなりましたかね?」
女「ギリギリオッケーかな」
奉太郎「ありがとうございます」ニコー
女「!」ズイ
入須(あの女、折木君に顔を…!)
奉太郎「…な、なんでしょうか?」
女「あなた名前は?」
奉太郎「お、折木です」
女「折木君、ね。覚えとく」
奉太郎「…はぁ」
女「なかなか可愛い笑顔ね」
奉太郎「それ、言われて嬉しくないですよ」
女「そう?」
入須(……今は、やめておこう)
スタスタ
入須(………)
入須(折木君、楽しそうだったな)
入須(私以外の女性と楽しそうに)
入須(………)
入須(…私の前で、笑った事はあっただろうか)
入須(………)
入須(…辛いな、とても)
・手芸部 昼
入須(可愛いカエルのぬいぐるみだ!)
入須(カエル先生と名付けよう!)
手芸部員「ありがとうございます」
入須(しかし、千反田える…)
入須(…後で、言っておかないとな)
奉太郎「先輩」
入須「!」
奉太郎「もう見てたんですか」
入須「…折木君」
奉太郎「…そのかえる、買ったんですか?」
入須「あ、あぁ」
奉太郎「可愛いですね」
入須「…そう言われて、君は嬉しいのか?」
奉太郎「え?」
入須「…いや、なんでもないよ」
奉太郎「…はぁ」
入須「その荷物はどうした?」
奉太郎「諸事情です」
入須「店番はいいのか?」
奉太郎「伊原に頼みました」
入須「そうか…」
入須(できれば、会いたくなかったな)
奉太郎「…先輩、もう全部見ましたか?」
入須「…いや、まだだ」
奉太郎「それなら、軽く見て回りましょう」
入須「…そうだな」
スタスタ
奉太郎「…おぉ、でかいクマがいますよ、先輩」
入須「…そうだな」
奉太郎「売ってたら姉貴が買いそうですね」
入須「…そうだな」
奉太郎「…あ、里志の展示品がありますね」
入須「…あぁ」
奉太郎「……キャンディーに、歯…何を作ってるんだアイツは」
入須「………」
奉太郎「…先輩」
入須「…なんだ?」
奉太郎「どうかしましたか?」
入須「………」
奉太郎「先輩?」
入須「…来てくれ、折木君」
奉太郎「…はぁ」
・3F連絡路
入須「………」
奉太郎「………」
入須「……折木君」
奉太郎「はい」
入須「…夏に君と出会ってから今まで、色々あったな」
奉太郎「そうですね」
入須「…楽しかったか? 私と居て」
奉太郎「…まぁ、それなりに」
入須「…嘘をつくな」
奉太郎「嘘じゃありませんよ」
入須「…誰でも自分を自覚するべきだ、折木君」
奉太郎「…どこかで聞いた台詞ですね」
入須「自分がそう認識していなくても、心の底で思っている事は表面化する」
奉太郎「………」
入須「夏から今まで、君は何も変わっていない」
奉太郎「変わってますよ、多少は」
入須「…折木君、変わったのは私だ。夏の一件以来、私は君に変えられた」
奉太郎「…はぁ」
入須「一人の人間を変える力が君にはある。私が保証する」
奉太郎「…ありがとうございます」
入須「…君は私にとって、特別な存在よ。だからこそ、君は私の前では変わらない」
奉太郎「どういう事ですか?」
入須「変わる必要が無い。私が折木君に位置を合わせようと上下左右に動いているから、君はそれを待っているだけで良い」
奉太郎「………」
入須「そう、君は根本的には私と相対し真実を突き止め、苦手意識を宿したあの頃と何も変わっていない」
奉太郎「…それは間違っています、先輩」
入須「なら一つ聞こう。君は私が居なくてはいけない理由があるか?」
奉太郎「……それは」
入須「君は私に何も話さない」
入須「君は私に笑顔を見せない」
入須「君は私に興味を持たない」
入須「君は…
入須(何を言うんだ、私は…)
入須「私の事が嫌いなんだろう。私だけが楽しかった。朝君と会う時も、昼食も、放課後も」
奉太郎「先輩…」
入須「君は苦痛に感じていたんだろ? 束縛されて、今も嫉妬に狂っている私の事を」
奉太郎「…嫉妬?」
入須「君が知らない女性と話しているだけで、私は辛い」
奉太郎「…もしかして午前中、部室に来ましたか?」
入須「君が楽しそうに話しているのを見たよ。そして自身の浅ましさを知った」
奉太郎「誤解ですよ、先輩…」
入須「…折木君、私は君が必要だが、君は私が必要ではないんだろう」
奉太郎「そんな事ありません!」
入須「…君は、その理由を話す事は出来ない」
奉太郎「………」
入須(……! 折木君、なぜ、そんなにも悲しそうに私を見るんだ…)
入須(私は、間違っていたのか…?)
奉太郎「先輩…?」
入須(…もしかしたら、私が)
入須「…私が、変わっていなかったのか?」
奉太郎「…え?」
入須(私は昔のまま、折木君に尽くさせようと、決定的な言葉を無理矢理言わせようと…)
入須「違うんだ、折木君。私にそんなつもりは…」
奉太郎「…落ち着いてください、先輩!」ガシッ
入須「! お、折木君…」
奉太郎「入須先輩…」
入須「………」
奉太郎「………」
入須「……私に、触れてくれたな」
奉太郎「はい」
入須「…君の事になると、冷静で居られなくなってしまう」
奉太郎「…俺が悪いんです。態度が曖昧だから」
入須「君じゃない、私だ」
奉太郎「………」
入須「…しばらく、会わない方が良いかもしれない」
奉太郎「!」
入須「昔の、あの夏の終わりには戻りたくない。それだけは、嫌なんだ」
奉太郎「…俺も、嫌ですよ」
入須「……今日はここで別れよう。その内また顔を合わせた時は…」
奉太郎「………」
入須「…笑って話せる様に、頑張るよ」
奉太郎「先輩…」
入須「…またな」スッ
スタスタ
入須(汚い、醜い…私はなんて女なんだ…)
入須(折木君が好きだ、偽りは無い)
入須(折木君も、同じ気持ちだと信じている)
入須(…だが私がこのまま変わらなければ、いずれまた、元に戻ってしまう)
入須(…私では、折木君に相応しくないのかもしれないな)
入須(辛いよ、折木君…)
・奉太郎の自室 夜
奉太郎(…あの時俺が理由を話せていれば、こうはならなかっただろう)
奉太郎(先輩の気持ちは理解していたはずだ)
奉太郎(俺自身にも自覚している心がある)
奉太郎(だが、それを言葉で、体で、相手に伝わらなければ意味が無い)
奉太郎(…変わっていない、か。確かにその通りかもしれないな)
奉太郎(無意識の内に俺は先輩に頼りきって、全てを放置していたんだ)
奉太郎(最初の告白、朝と放課後の約束、先日の休日の事、全て先輩がしてくれた事だ)
奉太郎(………)
奉太郎(……それなら、今度は俺が)
奉太郎(俺が、先輩に示す番だ)
奉太郎(全てに理由をつけて、答えを出して)
奉太郎(先輩を納得させるしかない!)
奉太郎(……考えますよ、先輩。省エネはしばらくやめましょう)
奉太郎(しばらくなんて言わせない。すぐにでも、二人で笑って話せるように…)
奉太郎(待っていろ、入須冬実…!)
次回に続く
おまけ
・入須の自室 夜
入須「カエル先生…」
入須「………」ギューッ
入須「可愛い…」
入須「………」
入須「先生、折木君にしばらく会えないんだ…」
入須「………」
入須「いや、もしかしたら、ずっと…」
入須「………」ギューッ
入須「ふわふわだ…」
入須「…先生、折木君に二度と会えないとわかった時は」
入須「先生と結婚するよ…」
入須「………」ギューッ
入須「…もこもこ」
入須「折木君…」
入須「………」
入須「……今日は先生と寝よう」
パチッ
入須「…おやすみ、カエル先生」
入須「………」ギューッ
おわり
次回で延々まわりくどくやってきたこのSSも終わりです。
できれば土曜日にあげたい所ですが…頑張ります。
お付き合いいただいた方、ありがとうございました。
やっぱ入須先輩可愛い
アニメでも普通に先輩とほうたろ話しててびっくりした
Entry ⇒ 2012.09.17 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (2) | Trackbacks (0)
摩耶花「はあ、なんで折木なんかと同棲してるんだろ」
摩耶花「だいたいあんたはぁ」ヒック
折木(この酔っぱらいめ)
折木(言い返したら長いからな)
折木(省エネのためには黙って聞くしかない)
折木「…」
摩耶花「いい感じ見えたのに…」
摩耶花「私なんかさ…ふくちゃんに返事を延々とはぐらかされてさ」
摩耶花「そうやって返事を伸ばすだけ伸ばされて、結局ふられたのよ…?」ヒック
折木(確かにあれはさすがの俺でも酷いと思ったが…)
摩耶花「振るにしてもさすがに高校卒業するまでには返事くれると思ったのに…」グスッ
摩耶花「大学も卒業間際になって突然言われてもさぁ…」
摩耶花「こっちはもうその気だったのよ…ふくちゃんがはっきり言わないだけでほとんど付き合っている状態だと思ってた」
折木「」ビクッ
折木「き、聞いてるよ…」
摩耶花「あんたからはどう見えた?」ヒック
折木「どうって何が…」
折木「」ビクッ
折木(テーブルを叩くなテーブルを…テーブルさんと空き缶さんが怖がるだろうが…)
折木「あ、ああ…すまん…そうだな…少なくとも大学に入ってからのほうがより親密に見えたな…」
折木「いろいろ旅行とかにも行ったりしたんだろ」
折木「…確かにただの友達というには仲が良すぎるように見えたかな…俺は事情を知っているからあれだが」
折木「何も知らない人から見るとふたりは付き合ってる…と見えてもおかしくないな。うん。そうに違いない」
折木(そう答えないと俺の身が危ない)
折木「…」
摩耶花「それなのに…そっ、それなのに…」ジワッ
摩耶花「うっ…うう…」グスグス
折木「おい…泣くなよ…」
摩耶花「うるさいっ…!」グスッ
摩耶花「…」カシュ ゴクゴク
折木「その辺にしておけよ…」
摩耶花「ふう…もう、諦めはついたわ。ふくちゃんに恨みはない。今の涙は自分の不甲斐なさに対してよ…結局私には魅力がなかったのよね…」ヒック
折木「…」
摩耶花「そりゃ振られてから何週間かはご飯も喉を通らないくらいショックだったし…何もしたくなかった」
摩耶花「ダメだね私…ダメダメだ」
折木「…そ…んなことはない、と思うがな俺は…」
摩耶花「…」ヒック
折木「俺は部外者だから、里志がどうとか、お前がどうとか、何も言う資格はないがな…」
折木「高校に入ってからは少しはお前のことも知ることができた、気がする」
折木「お前は…十分に魅力のある女だと思う」
摩耶花「…それよ」
折木「えっ」
折木「訳の分からないって…」
折木(そういえばあの時も何故かうちに乗り込んできてヤケ酒を飲んでいたな…散々部屋を散らかして帰って行ったっけな)
摩耶花「それから少し経ってからよ、私がよくここに来るようになったのは…」
摩耶花「何考えてるの折木」
折木「」
折木(…酷い言われようだ)
摩耶花「私をどうする気なの」ヒック
摩耶花「今あんたは傷心の女に優しい言葉をかければホイホイ付いてきてヤれるとか考えてるんでしょ」
摩耶花「あんたがちーちゃんと付き合ってればこんなことにならなかったのよ」ヒック
摩耶花「さすがの私もあんたに彼女が居れば乗り込んだりしなかったわよ」
摩耶花「全部あんたが悪いのよ。なんで追い出さないのよ」ヒック
折木「…」
摩耶花「…」
折木「…知ってるよ。何度睨まれたことか」
摩耶花「でも高校に入ってから少しは見直すようになった」
摩耶花「高校に入ってからは折木変わったよね。ちーちゃんのおかげかな?」ヒック
折木「…」
摩耶花「あんた、なんだかんだ言いながら、そんな私にも良くしてくれたし…」
摩耶花「まぁそれでもふくちゃんには全然敵わなかったけど」ヒック
折木「…」
摩耶花「ふふっ」ゴクゴク
摩耶花「だからさ…早く、追い出してよ」ヒック
摩耶花「そうやってまたここに泊まるのよ…」
摩耶花「いい加減こんなことしてちゃいけないってわかってる」グスッ
摩耶花「でも…今は折木に背中を押してもらわないと前に進めそうにないの」
折木「…」
摩耶花「それに…早く追い出してもらわないと…好き、になっちゃいそうだから…」グスッ
摩耶花「…」
折木「俺は…今、お前を外に放り出すことはしたくない」
折木「それは面倒だからとかじゃなく、お前を見ているととてもそんな気にならない」
折木「いくらお前に頼まれても、な…」
摩耶花「うう…追い出して…追い出してよぉ…」グス
折木「…いいから今日はもう寝ろ…」
折木「…」
折木(本当にこいつは小さいな…こんなの、追い出せるわけないだろう…)
摩耶花「うぅっ…うぅ…」グスグス
摩耶花「すぅ…すぅ…」
折木「寝たか…」
折木(…)
折木(こんなことを思うなんて、伊原の言った通り俺も変わったんだろうか)
折木(伊原の寝顔はかわいい、なんて言ったら)
折木(昔の自分が聞いたら全力で否定するかもしれないな)
折木(…俺も寝よう)
チュン…チュチュン…サンワソロエバ…
折木(ううん…朝か…)
折木(頭が重い…俺も少し飲みすぎたかな…)
折木(…腕も重い、なんだ)
折木(伊原が腕に絡みついている…だと)
摩耶花「…」
摩耶花(昨日はあれから飲んで…あっ)
摩耶花「…お、おはよう」
折木「…ああ、おはよう」
折木「ところで伊原、俺の腕を開放してほしいんだが」
折木「そう、頼む」
摩耶花「…」
摩耶花「…」ぎゅっ
折木「…おい」
摩耶花「このままがいい」
折木「…」
折木「ちょ…こっちへ寄ってくるな」
摩耶花「ひどい」
摩耶花「やっぱり私には魅力がないのね…」
折木「ばっ…そういう話じゃなくてだな…」
摩耶花「折木…やっぱり私のことは嫌い?」
摩耶花「…そっか」
折木「だからもう起きよう。朝飯を買ってくるよ、作るのは面倒だしな」
摩耶花「…」
摩耶花「んしょ」
折木「お、覆いかぶさるなっ!」
折木「あのなぁ…じゃあ俺の上からどいてください」
摩耶花「いやー♪」ぎゅっ
折木「はぁ…どうするつもりだ」
摩耶花「…」
折木「…」
摩耶花「ねぇ…折木はキスしたことある?」
折木「はあ?」
摩耶花「…」
折木「…無いよ。俺には彼女が出来たことがないって知ってるだろ?」
摩耶花「そっか。実は私もないんだ」
摩耶花「無いわよ。わかるでしょ?」
折木「里志ならそうだろうな…」
摩耶花「…」
折木「…」
摩耶花「ねぇ…キス…していい?」
折木「!?」
摩耶花「…」
折木「お前…それでいいのか」
摩耶花「折木がいいなら…」
折木「…」
折木(俺はどうすれば…)
折木(俺が拒めばこいつは里志ではない俺の知らない男のところへ行ってしまうのだろうか)
折木(想像するだけで非常にエネルギーを消費しそうだな、これは…)
折木(こいつを泊め始めた時からもう答えは出ていたのかもしれない)
摩耶花「!」
折木「伊原…」
摩耶花「…んっ」チュッ
折木「ん…」
折木(唇が…やわらかい)
折木「…」
摩耶花「…もういっかい」
折木「ああ…」
摩耶花「んっ…んぁ…」チュ
折木(し、舌!?)
摩耶花「ふぁ…」ピチャ
折木「んっ…はぁはぁ…」
摩耶花「ぷはっ…はぁはぁ…」
折木「お、お前…」
折木「全部って…」
摩耶花「…」ゴソゴソ
折木「やっやめろ!脱がすな!」
摩耶花「ふふっ…観念しなさいっ!」
折木「うわぁあ~っ」スッポポーン
摩耶花「どうせこういうことを期待していたんでしょ?いやらしい!」
折木「待て、誤解だ!それは朝になったら若い男は誰もがなる生理現象で…」
摩耶花「?いいから、さっさと脱がせなさいよ」
折木「…へっ?」
折木「…いいんだな」ゴクリ
折木「…」プチッ プチッ
摩耶花「…」
折木「…」スルスル
摩耶花「あっ…」
摩耶花「あんまり見ないで…」
折木「伊原…んっ」チュッ
摩耶花「んんっ……」
摩耶花「…ぷはぁっ…はぁはぁ」
摩耶花「うん…」
折木「胸、触るぞ…」
摩耶花「優しくね…」
折木「ああ」
折木「…」モミ
折木「…」コリコリ
摩耶花「あっ…うぁっ…ん…」
折木「…」ペロ
摩耶花「ひゃぅっ…」
折木「大丈夫か伊原ぁ」チロチロ
俺は千反田えるの豪農ファックがみたいんだよ!
青姦か?
えるたそ「はぃ…折木さん…!今年も…んっ…立派な…ぁう…お米がっ…収穫…できますっ…!」
わろた
折木「気持ちいいのか」クリクリ
摩耶花「んっ…うん…」
折木「…」チュパ
折木(次はどうするか…)
折木(耳、か…)
摩耶花「ぅあっ…!み、みみ…」
折木「嫌か?」
摩耶花「い…やじゃない…んっ」
折木「…」ペロ
摩耶花「んぅ…!」
折木(次は…へそか)
折木「…」ペロッ
摩耶花「ちょっ!…あっ」
折木「…」チュパチュパ
摩耶花「折木ぃ…」
折木(まさか俺の下で乱れる日が来ようとは…)
摩耶花「はぁっ…」
折木(さて…)
折木「脚…開くぞ」
折木「じゃあやめるか」
摩耶花「えっ…それはダメ…」
折木「…」グイッ
摩耶花「ぁ…」
折木「…濡れてるな」
折木(確か…もっと濡らさないといけないんだろう)
折木「さわるぞ」クチュ
摩耶花「ひゃっ…」ビクッ
折木「…」クチュクチュッ
摩耶花「ぅあっ…んっ…くぅ…」
摩耶花「はぁっ…あぁっ…ふぁ…」
折木(…舐めてみたらどうなるかな)
折木「…」ペロ…
摩耶花「ぁんっ…お、折木っ…なぁっ…何を…」ビクン…
折木「何って…気持ちよくないか。俺も初めてだからな…」チロチロ
折木(この突起がいいんだったかな…)ペロ
摩耶花「っやぁ!…そ、そこは…だっだめ…」
折木(今更ダメと言われても…もう止まらん)ピチャピチャ
摩耶花「ぁ…はぁっ…」
摩耶花「お…折木っ…ゃ…激し…って…ばぁっ…んっ」
折木「…」グチュグチュ
摩耶花「も…もダメ…ぅあ…ぃ…いっちゃ……」
折木「はぁっ…はぁっ…」グチュグチュグチュグチュ
摩耶花「ひゃぅ…あっんっ…ふぁっ……~~っ!!」ビクビクン
折木「ふぅ…伊原…大丈夫か…」
摩耶花「…ぅん………」
折木「…その…ここまでやっておいてあれなんだが…本当にいいのか」
摩耶花「…い、いまさら聞かないでよ…」
折木「すまん…」
摩耶花「折木は…だれでもいいの」
摩耶花「たまたまこういう状況になったのが私ってだけで…」
折木「…心配するな。伊原じゃなきゃこんなことはしないよ。お前がいいんだ」
摩耶花「折木ぃ…」
摩耶花「そ、そんな大きい…の…入る、かな…」ドキドキ
折木「ゆっくりやる…痛かったら言ってくれ」
摩耶花「や、優しくねっ…」ドキドキ
折木「ああ…んっ」
ズッ…
折木「大丈夫か…」ズチュ
摩耶花「い…っ…」ジワ…
折木「いったんとめるか…?」
摩耶花「いっ、いい…私は…大丈夫…だからっ…」
折木「もう少しだ…奥まで入れたらとめる」ズブ…
折木「頑張ったな…奥まで入ったぞ…少し休もう」
摩耶花「…」ぎゅっ
折木「お前の中…温かいぞ」
摩耶花「うん…」
折木(マズい…少し動いただけで発射してしまいそうだ…ここはしっかり鎮めなければ…)
折木「いいのか?無理はしなくていいんだぞ」
折木(鎮まれ…俺の燃料棒…!)
摩耶花「ううん…大丈夫…」
折木「そ、そうか。じゃあ動くぞ…」ズッ
摩耶花「んっ…」
摩耶花「はぁっ…ふぁ…んぅっ…!」
折木「んっ…」ズッチュズッチュ
摩耶花「は、あっ、んっ…」
折木「伊原…腰が止まらない…」ズッズッズッ
摩耶花「ふぁ…きっ…もちいい…よっ…おれ…きっ…」
摩耶花「やっ、あっ、あぁん…」
折木(今はただ…こいつが愛おしくて仕方がない…)
摩耶花「うぁ、んっ…はぁっ…」
折木「伊原…俺もう…そろそろ…」ズッズッ
折木「うぁ…はぁっ…伊原っ…」ズチュズチュ
摩耶花「んっ…折木…す、好きっ…」ぎゅっ
折木「…っ…俺も…好き…だ…伊原っ…」ズッズッ
摩耶花「うん…はぁっ、あっ…」
折木「あぁ、もう…でっ…いくっ…うぅっ」ドクンドクン
折木(ヤバいぞこれは…自分でするのとは比べ物にならんほどの量じゃないか…?)
折木(女って…すごいな…)
摩耶花「はぁっ…はぁっ…折木…」
折木「ああ…」
摩耶花「たくさん…出した、みたいね…な・か・に」
折木「!!?」
仕方ないね
折木「い、い、伊原、その…あの…」
摩耶花「ふふっ、ばーか。私は気づいていたけどね」ぎゅっ
折木「んっ、な、ならどうして…」
摩耶花「折木だから…かな」ニコ
折木「伊原ぁ…」ぎゅっ…
折木「じゃあ…抜くぞ」ヌプ
摩耶花「…うん…んっ…」
折木「ははっ…す、すまん…どろどろだ…」
摩耶花「…」
折木「ちょっとティッシュ持ってくるよ…」
摩耶花「ま、待ってっ」
折木「ん?」
折木「!?おっお前何くわえてっ…」
摩耶花「むぐ…」ジュブジュブ
折木「お、おい…あっ…」
摩耶花「…ぉ掃除……ぇら…」ジュブ…
折木「そんなの、どこで…はぁっ」
摩耶花「…結局、今日まで役に立たなかったけど」
折木「…変な漫画でも読んだか」
摩耶花「っるっさい!」ジュブジュブジュブ
折木「ぅあっ…はぁっ…」
折木(なんか地味に上手いぞこいつ…)
摩耶花「ふふっ…なんかまたおっきくなってきたよ?」ペロ
摩耶花「…」ングング
折木「…はぁっ…んっ…」
摩耶花「…」ジュブ
折木「あぁ…はぁ…」
摩耶花「…」ヌチュヌチュ
摩耶花「…」チュパチュパ
折木「おいっ…」グイ
摩耶花「…いいよ我慢しないで」
折木「し、しかし…」
摩耶花「んぐ…」ジュブジュブ
摩耶花「ぅあ…」
折木「はぁ…はぁ…わ、悪い…顔に…」
摩耶花「ううん…いいの」
摩耶花「…飲んじゃった」コクン
折木「伊原…」
折木「先にシャワー浴びてこいよ」
摩耶花「ありがと。そうする」
折木(それにしても)
折木(やってしまったな…)
折木(これからどうなるんだろう、俺達は…)
摩耶花「折木、あがったからシャワーいいよ」
折木「ああ」
ジャー
折木(だが…あんなことまでしてしまったら)
折木(小学校からの付き合いが)
折木(死ぬまで続くことになるのは間違いなさそうだな)
折木「ふぅ…」
摩耶花「あ、折木、あがった?」
折木「ああ。どうした?」
摩耶花「朝食…って言ってもたいぶ遅いけど」
摩耶花「買ってくるのもいいけど、なんか自分で作りたくなっちゃったのよね」
折木「…」
折木(でも…こいつとなら、何も心配することは無いのかもな)
折木「ああ、ぜひ頼むよ」
お わ り
Entry ⇒ 2012.09.14 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (1) | Trackbacks (0)
折木「千反田が事あるごとに腕に抱き着いてくる」
千反田「おーれっきさんっ」キュッ
折木「…なんだ」
千反田「今日はとてもいい天気ですねっ」
折木「そうだな」
千反田「ここのところいっつもいいお天気ですねっ」
折木「…そうだな」
千反田「ふふふっ」スリスリ
折木「実は俺は今読書をしているんだ」
千反田「はい、そのようですね!」ギュー
折木「…この体勢は読書には向かないと思わないか?」
千反田「私のことはお気になさらず、どうぞ続けてください!」ニギニギ
折木「腕をニギニギされると落ち着かないんだが…」
千反田「すみません…」スリスリ
折木「顔をこすりつけるのもやめなさい」
千反田「折木さんはいつも片手で本を支えて同じ手でページをめくっています!
折木「…よく見てらっしゃるこって」
千反田「ふふっ、つまり読書の間は片手が自由…ですよね」
折木「…まあ…そうなんだが…」
千反田「ふふふっ」ギュッ
折木「……………」ペラッ
千反田「……………」
千反田「………………」ポスッポスッ ←頭を肩近くにぶつけている
千反田「………………」スリスリ ←顔を二の腕にこすりつけている
千反田「…………………………」 ←ちょうどいいポジションが見つかったらしい
折木「」パタン
千反田「まだ章の途中ですよ?」
折木「いや、いいんだ」
千反田「そうですか…」ニギニギ
折木「さて、千反田」
千反田「ふぁい…」
折木「そこに座りなさい」
千反田「もう椅子に座ってます…」
折木「…じゃあそのままでいいが、一先ず腕を離せ」
千反田「いやです」
折木「……………………」
千反田「いやです」
折木「ここは学校だ」
千反田「はい」
折木「さらにここは部室だ」
千反田「そのようですね」
折木「そして俺達は男女だ」
千反田「よかったです」
折木「ん?」
千反田「私、女でよかったです…こんな心地好さを味わえたのですから…」スリスリ
折木「……いや…そうじゃない…そうじゃないんだ千反田…」
折木「…とりあえず腕から離れてくれ、もう下校時間だ」
千反田「もうそんな時間でしたか…」
折木「(やっと自由になった…)」プラプラ
千反田「では折木さん、戸締まりをして帰りましょうか」
折木「ああ…」
千反田「ではまた明日、折木さん」
折木「…ああ」
折木「…部室から出るといつもと同じなんだよな…」
折木「…ただいま」
折木「日に日に千反田の距離が狭まっている」
折木「…まあ普段からして接近しすぎというのはあったんだが」
折木「先週辺りから部室での定位置が変わりだしてだな」
折木「三日前ついに距離がなくなってしまったわけだ」
折木「その日は肩に頭を乗っける程度だったんだが」
折木「今日は一度も腕を離して貰えなかった」
折木「明日はどうなると思う…里志よ」
福部「ゴメンちょっと近所の犬がうるさいから切るね」
供恵「最近弟が女の匂いをさせて帰ってきます…お姉ちゃんは悲しいですなう…」カタカタ
次の日
千反田「んっふっふー♪」ギュゥゥゥゥゥ
折木「…ご機嫌だな」
千反田「とてもとてもいい気持ちですっ」
折木「…さいで」ペラッ
千反田「んふふー♪」スンスン
摩耶花「ねぇ待って待って待って待って、ちょっと待って」
摩耶花「なんでちーちゃんは折木に後ろから抱き着いてるの?首に手回して、ねぇ」
折木「久しぶり部室に来たところでいい質問だ伊原」
千反田「摩耶花さんはしちゃダメですよ?」ギュゥゥゥ
折木「っ、おい、首絞まってる」
千反田「あっ…すみませ……んぅ……」スリスリ
摩耶花「幻覚じゃないのね…えー…なにこれ……」
千反田「んー♪」スリスリ
折木「まぁ入口なんぞに突っ立ってないで座ったらどうだ」
摩耶花「…言われなくても座るわよ…」
摩耶花「…………………」
折木「……………」ペラッ
千反田「……………」ゴロゴロ
摩耶花「…………………)」
折木「(まさか今日は後ろに回り込んでくるとは…)」
折木「(はっきりいってこの体勢は今までで一番まずい…)」
折木「(明言はしないがとにかく柔らかい)」
折木「(しかもポジション確保の為にしょっちゅう動いては押し付けてこすりつけてくる)」
折木「(全身に力が入らん…)」
摩耶花「えと…ふくちゃんね、今日も来れないって」
千反田「そうですか…」
摩耶花「うん…」
折木「…………………」ペラッ
千反田「……………………」ネジネジ ←襟足の毛をいじって遊んでいる
摩耶花「………………」
摩耶花「えと…じゃあ私…漫研に顔出してくるねっ!」
折木「(逃げられた…)」
千反田「はぁ…♪」 ←首筋の匂いを堪能している
折木「…立ちっぱなしで疲れないか」
千反田「へっちゃらです」
折木「椅子に座ったらどうだ」
千反田「それでは首に上手く手を回せません!」
折木「…さいで」
千反田「です♪」ギュッギュッ
千反田「…折木さん、今日体育はありましたか?」スンスン
折木「いや、今日はずっと室内にいたが…まさか匂うか?」
千反田「…ということはこれは、100%折木さんの香りなんですね…」
折木「お前は何を言ってるんだ…」
千反田「はあぁ…」ポフポフ ←髪に口と鼻を埋めている
千反田「♪」スーハースーハー
折木「(読書ができん…)」
千反田「…………」
千反田「えいっ」ハムッ
折木「んうぃ!??」
千反田「んむぅー…」ハムハム ←耳をはむはむしている
折木「っ!千反田!それ止め!!くっ、ぁ!?」ゾクゾクゾク
折木「っくぁ…ほんと…ゃめ…ぁぃぁぁ」ゾクゾクプルプル
千反田「おれきさん…ここがお好きなんですね……」ハムハム
折木「っ…………………ッ!!」ビクン
折木「っぅだぁ!!!」バッ
千反田「ひゃっ!」
折木「いい加減にしろ!悪ふざけにも限度があ…………」
千反田「………お、おれき………さん……」
折木「(とにかく逃れつもりで体を後ろに向けたのだが…)」
折木「(千反田が手を回したままだったから…その…)」
折木「(手を回したまま顔が向かい合って…)」
折木「(この体勢は…)」
折木「…………………」
千反田「…………………」
折木「……」
折木「……………」
千反田「……ん………」
折木「……柔らかいな」
千反田「…折木さんもです……」
折木「…………」
千反田「…………はぁ…」ギュゥゥゥゥゥ
折木「立ってるの辛いだろ、座れ」
千反田「では…失礼しますね」
折木「…俺は椅子じゃな…」
千反田「んもう…これくらいいいじゃないですかもう」ギュッ
折木「……それもそうだな」ギュッ
翌日
摩耶花「」
里志「」
千反田「おーれっきさんっ」チュゥゥ
折木「んむっ…………ぷは………ちょっとは休まないか……んむ!……」
千反田「……はぁ……!もう!おれきさんかわいい!もっとします!んー♪」チュッチュッチュッ
折木「(もうどうにでもなれ…)」
終われ
後のスレはもう好きにやってください
ほうたるかわいい!
おうかけよ
奉太郎「…わかった、わかったから…」
摩耶花「……」
摩耶花「(ちーちゃん…あんな近づいちゃって…)」
奉太郎「それは…~であるからして…」
える「なるほど、さすが折木さんっ」
摩耶花「(……)」
摩耶花「(…いいな)」
里志「やぁ、遅れてごめん」
奉太郎「遅いぞ、里志」
奉太郎「ん…」
摩耶花「……」ブツブツ
奉太郎「どうした伊原」
摩耶花「へ…」
奉太郎「さっきから俺の顔ばかり見て」
摩耶花「え…!?えと…その…」
奉太郎「?」
奉太郎「まぁいい、図書室行くぞ」
摩耶花「う、うん…」
奉太郎「えと…」
摩耶花「……」
摩耶花「あ…これ」
摩耶花「(この前読んだ、推理小説だ…なかなか面白かったのよね)」
奉太郎「…何見てるんだ?」
奉太郎「これは面白いよな」
摩耶花「あ…折木も?私もこの間読んだの、これ」
摩耶花「けどラストがよくわからなくて…」
摩耶花「(あれ…?もしかして…)」
摩耶花「(気になりますチャンス…?!)」
摩耶花「あっ…ぅ…」
摩耶花「(ここを逃したら…だめっ!)」
摩耶花「(誰も見てないよね…)」キョロキョロ
摩耶花「おっ、折木!」
奉太郎「うおっ」ビクッ
摩耶花「この小説のことなんだけど…」
奉太郎「どうした?」
摩耶花「結局、ラストで主人公は何を思ったの…?」ドキドキ
摩耶花「わ、私も…」
ギュ
奉太郎「え」
摩耶花「……」
摩耶花「……???」
摩耶花「(何してるの私…/?//)」
奉太郎「伊原…、落ち着け」
摩耶花「(勢い余って…抱き着いちゃった…///)」
奉太郎「離してくれるか…誰か来たらまずいだろ」
摩耶花「いや…」
摩耶花「教えてくれるまで離さないんだから…」
奉太郎「(久しぶりのデレ)」
摩耶花「(もっ…もうやけくそよ!)」ドキドキ
摩耶花「…本当?」
奉太郎「えぇと、ラストの主人公の心境だったか…」
摩耶花「う、うんっ」
奉太郎「この時、主人公は…」
摩耶花「ふむふむ…♪」
奉太郎「…と、こんな感じに解釈している」
摩耶花「…ありがと、やっぱり折木はすごいのね」
奉太郎「褒めても何も出ないぞ」
摩耶花「ま、待って…!じゃあここは?」
摩耶花「ここの中盤なんだけどさっ」
奉太郎「ん…」
奉太郎「文集見てからにしよう、ほら」
摩耶花「むぅ…」ムスッ
摩耶花「……」キョロキョロ
ギュッー
奉太郎「ぬ」
摩耶花「き、気になるからっ…」
摩耶花「…教えて?」
奉太郎「(伊原に何が起きた)」
摩耶花「うんうんっ」
奉太郎「(嬉しそうだなー)」
奉太郎「おっと…こんな時間か」
摩耶花「……」
奉太郎「そろそろ戻らなきゃだ、急ぐぞ」
摩耶花「……」キョロキョロ
奉太郎「?」
摩耶花「折木、変な事するけど…いい?」
奉太郎「…なんだ」
摩耶花「んっ」パッ
摩耶花「んー!」
奉太郎「な、なんだよ」
摩耶花「ぎゅーって…ね…折木から」
奉太郎「」
奉太郎「(伊原のツンはどこにいった)」
奉太郎「落ち着け、今日のお前はおかしい」
摩耶花「おかしくないわよ」
奉太郎「なんだって…抱き着いてきたんだ?」
摩耶花「そ、それは…そにょ…」
奉太郎「言ってみろ、言ったら抱きしめる」
摩耶花「…ずるいっ」
奉太郎「ふふ…」
摩耶花「…から」
奉太郎「え?」
摩耶花「ちーちゃんと楽しそうで…羨ましかったから…//」
奉太郎「(嫉妬たそ~)」
奉太郎「わ…わかったよ」
ギュッ
奉太郎「こうでいいのか…」
摩耶花「うん…///」ギュ
摩耶花「もっと強く…」
奉太郎「ほら」ギュム
摩耶花「…ふふっ、」
摩耶花「じゃあ、部室に戻りましょ♪」
奉太郎「おう」
おしまい
誰かイリス先輩編よろしくお願いします
でも俺はやっぱえるたそが好きたそ~
Entry ⇒ 2012.09.11 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
ホータロー「最近の千反田が、はしたないように思える」
ホータロー「おい、そこなる千反田」
千反田「はい、なんでしょうか、折木さん」
ホータロー「あのだな、最近のお前についてなんだが」
千反田「何かわたしがしましたでしょうか?」
ホータロー「そのな、最近のお前が、少々はしたなく思えるのだが」
ホータロー「いや、そういう意味ではないんだ」
千反田「では、どういう意味でしょう?」
千反田「端金、端女といいますし、あまり快い言葉ではないと思いますが…」
ホータロー「いや、そういう感じの意味ではないんだが…」
ホータロー「てんで的外れ、という訳でもないんだろうが」
ホータロー(なんだろう、言葉にして伝えると情けないような気がしてくる)
ホータロー「そのな、なんだろう」
千反田「はい」
ホータロー「語弊があるかもしれないが、外国語に直すとセクシャルに過ぎるというか」
ホータロー「…なんというか、そういう感じだ」
ホータロー(うまく伝わったろうか?)
千反田「つまりは、慎みが足りないと。そういうことですね、折木さん」
ホータロー「ああ」
ホータロー(なんだか一言で綺麗にまとめられてしまうと、負けた気持ちになるな)
千反田「よかった、間違っていませんでした」
千反田「ですが、わたしそんなに慎み深くないでしょうか?」
千反田「折木さんがおっしゃるなら、多分理由はあるのでしょうけど」
千反田「あいにく、全くと言っていいほど自覚がありませんので」
ホータロー「なんというか、お前は警戒心が足りないというか」
千反田「そうでもありませんよ」
ホータロー「そうなのか?」
千反田「ええ」
千反田「はい」
ホータロー「もう少しで、その、なんだ。胸元が見えそうだったぞ」
千反田「そうだったかもしれません」
ホータロー「ほら、警戒心が足りてないだろ?」
千反田「警戒心を緩める相手を選んでいるからです」
千反田「さすがにわたしも、どこでもああではないですよ、折木さん」
千反田「ええ」
千反田「これで納得していただけたでしょうか、折木さん」
ホータロー「…だが、」
千反田「はい」
ホータロー「千反田。お前、自転車通学だろう」
千反田「そうですが」
千反田「ええ。確かに、そうしています」
ホータロー
千反田「ええ。確かに、そうしています」
ホータロー「その時に、時々、稀になんだが」
千反田「何があるのでしょう」
ホータロー「そのだな、スカートがはためいて」
千反田「下着が見えたと?」
ホータロー「いや!! まだパンツが見えたことはないぞ!!1」
ホータロー「…少なくとも俺は、だが」
千反田「わたしも、下着を衆目に晒すのは恥ずかしいですから避けたいですが」
千反田「今のところはそのようなことがないのでしたら」
ホータロー「だけど、結構ふとももの奥まで見えてるぞ」
千反田「よく見てますね」
ホータロー「…たまたまだ」
千反田「ええ。実際、見えていないのでしたら、特に必要を感じませんから」
ホータロー「…そうか」
千反田「はい」
ホータロー「お前が言うなら仕方ないな」
千反田「ええ」
ホータロー「…」
ホータロー「なんだ」
千反田「わたし、少々ですね気にかかることが」
ホータロー「いつものあれか」
千反田「ええ、私気になります! です」
ホータロー「今回はどうしたんだ」
ホータロー「俺も、まあ、今は暇だから付き合ってやる」
千反田「では、お付き合いお願いします」
ホータロー「…おう」
千反田「と言っても、今回のことは状況説明が不要かもしれません」
ホータロー「どういうことだ」
千反田「今まさにここで起きたことだからです」
ホータロー「そうか」
ホータロー「あのな、千反田。そんな言い方をされても、察しの良くない俺にはわからん」
ホータロー「もっとわかりやすく言ってくれ」
千反田「わたしが慎み深くしないことに対して不満を感じているのか、ということです」
ホータロー「…ほう」
千反田「不満を感じていらっしゃることは認めてくださるのですね」
ホータロー「同意はできんが、お前が確信めいて言うからな」
ホータロー「そういう部分はあるんだろう」
千反田「では、不満であるのは前提ということで、お話を進めましょう」
千反田「今まで折木さんは、極力他人と関わることを避けていらっしゃったと聞いてます」
千反田「現在の折木さんしか存じないわたしは、それは多分に言いすぎだとは思うのですが」
ホータロー「そうでもないと思うがな」
千反田「いけません、脱線してしまいました」
千反田「他人に何かを強制したり、何かを要求する方ではない、というのは間違いないと思います」
千反田「であるのにもかかわらず、なぜ折木さんはわたしにあんなことを仰ったのでしょうか」
千反田「それも、常にないほどの執心であったように思います」
ホータロー「なるほどな」
ホータロー「なあ、千反田」
千反田「なんでしょうか、折木さん」
千反田「と、おっしゃいますと」
ホータロー「これは間違いなく、『尋問』という単語で表されるものだ」
千反田「そうですね」
ホータロー「何故こんなことをするんだ」
千反田「今の、この話が終わりましたらお答えします」
千反田「ともかくは、わたしの疑問を晴らさせてください」
ホータロー「なあ、千反田」
ホータロー「お前にも、見当はついているだろう」
千反田「ええ。…いいえ、何のことでしょう」
ホータロー「俺の情けない姿を見て楽しむ気か」
千反田「あいにく、わたしは、そういう被虐的趣味は持ち合わせていません」
ホータロー「あのな、千反田」
ホータロー「俺は誰かが、お前の下着を見ることに対して嫌悪感があったんだろう」
千反田「そうなのですか」
ホータロー「ああ」
千反田「普段は感情を露わにしない折木さんがわざわざおっしゃたということは」
千反田「なかなか耐え切れないことである、というように思いますが」
千反田「ではなぜ、簡単にわたしへの慎み深くしろという要望を取り下げられたのですか?」
ホータロー「言えるような関係でもないからな」
千反田「そうですか」
千反田「では、その資格を得てしまえばよろしいのではないでしょうか」
千反田「…」
ホータロー「なあ、千反田」
ホータロー「それはつまり」
千反田「なんでしょう」
ホータロー「…」
ホータロー「ひとつ意見を聞きたいのだが」
千反田「なんでしょう」
ホータロー「二人の、そうだな男女がいるとして」
ホータロー「その二人がお互いを好ましく思っている場合、」
ホータロー「二人が恋仲になるのは普通のことだと思うか?」
千反田「どうでしょう」
ホータロー「…そうか」
千反田「そういう場合に、先に思いを伝えるのは男性であるべきだと」
千反田「わたしはそう思います」
ホータロー「…」
ホータロー「なあ、千反田、そのだな、」
千反田「…はい」
ホータロー「俺のか…
ガラガラドッガラシャーン
里志「ヤー、ホータロー!千反田さん!!遅れてごめんね!!」
千反田「…」
ホータロー「…」
里志「あれ、僕なにかしちゃった…?」
ホータロー「…いや、何でもない。気にするな」
千反田「では、そろそろ分かれ道ですので、失礼します」
里志「じゃあね千反田さん」
ホータロー「じゃあな」
千反田「ええっと、よいっしょっと」
里志「あれ、千反田さん、自転車の押しがけ乗りやめたの?」
千反田「ええ、やめました」
里志「へえ、そうなんだ」
千反田「はい。故あって、です」
千反田「では、折木さん、福部さん。また明日」
里志「なんで千反田さん、押しがけやめたんだろうね」
ホータロー「さあな」
里志「あ、ホータロー何か知ってるなー」
ホータロー「知らない」
里志「ずるいぞ、ホータロー」
ホータロー「さあな、お前には関係の無い話だ」
――end――
ホータロー「なあ、千反田」
千反田「なんでしょうか、折木さん」
ホータロー「お前は、フェミニズムとか、行き過ぎた男女同権運動とか」
ホータロー「そういうものに傾倒するタイプには思えないのだが」
千反田「ええ、おそらくそう思います」
千反田「それはですね、折木さん」
千反田「自分から想いを伝えるのは、やっぱり恥ずかしいじゃないですか」
ホータロー「…」
ホータロー「それだけか?」
千反田「ええ」
ホータロー「そうか」
千反田「でも、良いじゃないですか。両想いだったんですから」
今度こそおしまい
小説みたいな掛け合いで好きだった。よかったよ
Entry ⇒ 2012.09.10 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (1) | Trackbacks (0)
える「折木さん!私、気になr…」折木「(チュッ)」える「!?///」
折木「…しまった…千反田の唇を塞ぐためについキスしてしまった…」
える「///」
みたいなの下さい
きになりまチュッきになチュッきになりまチュッきチュッ
えるたそもうキスしたいだけだろうな
折木(始まった。千反田は知識欲が暴走してしまうこの瞬間が)
える「やっぱり気になるんです……ダメですか?」
折木(今度は引き気味に聞いてくる。このまま放っておくと、うるさくてせっかくの読書も台無しになる)
折木「……」
……チュッ//
折木(振り向きざまに答えてやろうと思った矢先であった)
折木(あまりにも千反田の顔が近く、顔の一部に俺の口元が触れてしまった)
折木(いや……違う、顔の一部なんかじゃない)
千反田はその瞬間の出来事に動揺し、後ろへ仰け反って倒れてしまった
折木(明らかに……キスだな、それもマウストゥ……)
折木「……」
える「……」
える「すみません、折木さんどうぞ」
折木「その……さっきのは……」
折木「……事故だ」
える「そ、そうですよね、すみませんでした」
える「……」
える「そ、それじゃまた明日……」
折木(あれは事故だ)
そう自分に言い聞かせる。千反田もそうであることを望んだじゃないか。なら別にどうと言うことではない。
折木(しかし「また明日」とは……気まずい)
える(折木さんは「事故」だって言ったし……元々私が悪いので、何か言える立場じゃないのですが……)
える「……折木さん//」
?「あ!千反田さん帰るの? 今日は古典部じゃ?」
える「きょ、今日は、さっき私は行ってて……あ、その用事があって……」
里志「用事?」
える「はい。あ、じゃあこれで……」ノシ
里志「それじゃね」ノシ
里志(これは何かあったね奉太郎)
里志「やぁ奉太郎、千反田さんがどうしたんだい?」
折木「さ、里志!! いつからいたんだ?」
里志「今来たばかりだけど、千反田さんがどうかしたの?」
折木「……どうもしないさ」
里志「絶対に何かあったね、私気になります」
折木「千反田のマネをするな、気持ち悪い」
里志「なんだい?」
折木「千反田はどこまで……処女だと思う?」
里志「処女?」
折木「ああ、処女だ」
里志(絶対に何かあったね奉太郎)
里志「データベースには結論が出せないけど……」
折木「とりあえず一般論を出して欲しい」
里志「彼女は多分キスもした事の無いような、とてもウブな箱入り娘だと思うね」
里志「奉太郎、やっぱり何かあったんじゃない?」
折木「仕方ない、ただし口外はするなよ」
カクカクシカジカ……
里志「なんだwwwwwキスねwwww」
折木「大声で笑うな、誰かに聞こえるだろ」
里志「謝るの?」
折木「誠意を見せないと……一応」
里志「すまないが、謝ったとしても、千反田さんの動揺は取り除け無いと思う」
折木「ならどうしろと?」
里志「キス以上の事を千反田さんとすればいいじゃないか」
折木「何を言ってるんだ?バカか」
折木「……」
里志「あー、明日は楽しみだな、摩耶花にも言っておこう」
折木「こ、口外するなと!」
里志「摩耶花も何かあったら協力してくれるはずさ」
折木「……知らないからな」
里志「じゃあ明日、折木ファイトだよ」
地学準備室にはだれも来ていなかった
しんと静まり返った部室に注ぎ込む風に揺られるカーテンが
千反田に見える俺は、相当あいつを意識してしまってた
もちろんあれは事故だ。
だが俺は嫌な気持ちにはならなかった。
ため息がよく響く
ガラガラ
える「こんにちは、あ、折木さん居たんですね」
折木「ああ、ちょっとな」
える「折木さん!」
千反田は昨日のあの時同様、キラキラとした無垢な瞳を向けてきた
あのキスがまるで嘘のように
える「折木さんは、キスしたことありますか?」
折木「……は?」
える「キス……したことありますか?」
目の前に立つ千反田は、何一つ表情を変えずに訊いてきた
折木「正直にいえばいいのか?」
こくりと頷く千反田
折木「俺は……ない、した事がなかった。昨日のが最初だから……」
える「私も昨日が最初でした」
折木「何を言って……」
える「折木さん!!」
折木「はいっ!!」
思わず裏声が出てしまった
千反田の柄にも無い威勢のある呼びかけに
える「ファーストキス……折木さんで良かったです」
える「折木さん……私折木さんの事が!!」
折木「待て!」
える「はい?」
折木(これでは……終わってしまうじゃないか)
折木(確かに俺は千反田の事を気になってた。もちろん『昨日の事故』は嬉しくもあった)
折木(しかし……これでは里志に笑われてしまうじゃないか)
折木(いや、俺でさえ笑ってしまう。このまま終わるのでは)
折木「千反田……」
える「はい」
える「はい……」
折木「だがな……それは千反田、お前のセリフじゃない」
折木「千反田、俺は千反田えるが好きだ、ずっと好きだった」
える「お、折木さん……」
千反田は目に涙を浮かべながら俺にしがみついてきた。
折木(これでよかったんだ……)
こもった声が俺のすぐ下から聞こえた
折木「もう一度……キスしても、いいか?」
える「……今はムリです」
折木「やっぱり……嫌だったか……」
える「そうじゃないんです。今泣いている汚い顔を……見られたくないんです」
千反田はそう言い力強く抱きしめてくる
折木「なら俺が眼を瞑っておく。そしたら見えない……早くしろ」
千反田は言うとおりに唇を合わせてきた
すすり泣く声と荒い呼吸が真近から聴こえる
える「昨日摩耶花さんに相談したんです」
千反田はキスをした後耳元でそう囁いた
える「摩耶花さんは気付いてました。私が折木さんの事好きだって事。そしたら摩耶花さんは構わずに攻めろと」
折木「だからあれ程千反田らしくない、いつもとは違う強引さが出てたのか」
える「はい……やはり折木さんは折木さんでした」
折木「何が?」
える「ああ言う事女の子に言わせないとするところです」
折木「さあな」
える「私もです……」
千反田のすすり泣きはまだ止まない
折木「キス……もう一回してもいいか?」
END
Entry ⇒ 2012.09.06 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (2) | Trackbacks (0)
入須「折木君、忘れてないだろうな?」
・平日 AM7:45
入須「………」
奉太郎「おはようございます、先輩」
入須「…遅い」
奉太郎「……時間通りですが」
入須「先輩を待たせるな」
奉太郎「先輩が早すぎるんですよ」
入須「君が遅いんだ」
奉太郎「…二人で決めた時間ですよね?」
入須「うるさい」
奉太郎「………」
入須「…時間も惜しい。ほら、行こう」
奉太郎(…この人は俺の事が嫌いな気がする)
ザワザワ
奉太郎(…そして注目を浴びてしまった)
入須「どうした? 早くしろ」ギュッ
奉太郎「! え? 先輩?」
入須「行くぞ」
奉太郎(頼むから、見せびらかすように手を握らないでくれ…)
・平日 PM17:45
入須「………」
奉太郎「…すいません。お待たせしました」
入須「…遅い」
奉太郎「……今回はすいません」
入須「そうだろ?」
奉太郎「…先輩、先に帰っていても良かったんですが」
入須「……何故だ?」
奉太郎「余り待たせるのも悪いですし」
入須「…私はそうは思わない」
奉太郎「…はぁ」
入須「今の季節は夏だ。この時間だから外も明るいしこの辺りの治安は決して悪くない」
奉太郎「はい」
入須「ただし、やはり万が一の可能性と言うものを否定はできない。私は女だ。例えばそうだな、変質者が出たと仮定しよう。ギラギラと目の血走った男だ。そこに女の私が一人通りかかったらどうだ?」
奉太郎「…大変ですね」
入須「そうだ。例えば急に野犬が飛び出して来たとしよう。ギラギラと目の血走った雄犬だ。治安が良いとはいえここは山も近い、可能性の無い話とは言えないはずだ。そこに女の私が通りかかり、ビーフジャーキーを手に持っていたとしたらどうだ?」
奉太郎「…とても危険ですね」
入須「例えば
奉太郎「先輩」
入須「…なんだ?」
奉太郎「次から必ず連絡しますから」
入須「……守れよ」
奉太郎「はい」
入須「…心配するだろ」
奉太郎「すいません」
入須「わかればいいよ」
奉太郎(…俺もそろそろ携帯ぐらい持つか)
入須(折木君、忘れてないだろうな?)
・土曜日 秋分の日 AM10:00 折木家
入須「………」
ピンポーン
入須「………」
ピンポーン
入須「………」
ピッ プルルルルル…
入須「………」
ガチャッ
奉太郎「……………はい、おれきです」
入須「…折木君か? 来たよ」
奉太郎「……だれですか?」
入須「入須だ」
奉太郎「……先輩?」
入須「約束したはずだが」
奉太郎「…はぁ」
入須「…まさか、忘れていたのか?」
奉太郎「………」
奉太郎(………何のことだ…?)
入須「……顔が見たい。とりあえず入るよ」
奉太郎「…鍵は開いてます」
入須「わかった」
ガチャッ
奉太郎「………」
入須「……おはよう」
奉太郎「……おはようございます」
入須「…忘れていたようだな」
奉太郎「……はぁ」
入須「……洗面所はどこだ?」
奉太郎「……えー、一番奥の扉
入須「来い。君の頭の中身を全部洗い流してやる」ギュッ
奉太郎「! 先輩! 手が! 手が取れます!」
入須「うるさい」
奉太郎(勘弁してくれ…)
ガチャッ
入須「ほらっ」
奉太郎「痛っ! まったく…」
入須「顔を洗え」
奉太郎「まだいいんじゃ
入須「なんだ?」
奉太郎「わかりましたやりますよ。 …だからその顔で見ないで下さい」
奉太郎(…もはやトラウマだ)
入須「早くやれ」
奉太郎「はいはい」
入須「…頭を梳いてやろう」
奉太郎「ふーっ…自分でやります」
入須「いいから任せろ」
奉太郎「………」
入須「………」ガチッ
奉太郎「痛っ! 先輩…」
入須「髪が硬いな」
奉太郎「…先輩、意外と雑ですね」
入須「………」ガチッ
奉太郎「痛っ! …わざとですよね」
入須「そんなことはないよ」
奉太郎(…嘘だ)
入須「……ふぅ、いつも通りにはなったが」
奉太郎「これでいいんです」
入須「ボサボサだよ」
奉太郎「見慣れているでしょう?」
入須「…今日は休日だ」
奉太郎「そうですね、朝からエネルギーを消費しない日です」
入須「…君は休日に外に出ないのか?」
奉太郎「休むから休日って言うんですよ」
入須「…外に出る時は着替えるな」
奉太郎「そうですね」
入須「髪も整えるな」
奉太郎「はい」
入須「例えば恋人の家に行く時は、君ならどうする?」
奉太郎「…行った事が無いので」
入須「…まぁ、そうだな」
奉太郎(…また何か意味があるのか?)
奉太郎「………」
入須「………」
奉太郎(……あぁ、先輩、ポニーテールだな)
奉太郎(…それに肩開きのシャツ、七部丈のパンツ)
奉太郎「……ほんのり」
入須「ん?」
奉太郎「艶やか?」
入須「! …そうか?」
奉太郎「まぁ、はい」
入須「ふふっ」
奉太郎(喜んでくれているようだ)
入須「それで、君は?」
奉太郎「自分の家なので」
・AM10:15 リビング
奉太郎「…それで、何時帰るんですか?」
入須「いきなり失礼だな」
奉太郎「今日は土曜日で祝日です」
入須「そうだな」
奉太郎「明日は日曜日です」
入須「あぁ」
奉太郎「貴重な二連休です」
入須「余りある事ではないな」
奉太郎「…一時まで寝る予定でした」
入須「そうか」
奉太郎「……では、また今度」スッ
入須「待て」
奉太郎「…なんですか?」
入須「座れ」
奉太郎「………」
入須「早くしろ」
奉太郎(帰る気は無いようだ…)
入須「……休みの日に君の家に行くと言ったはずだが」
奉太郎「…そうでしたか?」
入須「言った」
奉太郎「覚えてませんでした」
入須「…君は手帳を持っているか?」
奉太郎「はい」
入須「どこにある?」
奉太郎「部屋に」
入須「後で書いておく」
奉太郎「…今更いいです」
入須「一週間分の予定をだ」
奉太郎「やめてください」
入須「君が忘れるのが悪いんだ」
奉太郎(手錠を掛けられた気分だ…)
奉太郎「……今日はどうしたんですか?」
入須「君の省エネ生活の指導だ」
奉太郎「…え?」
入須「確かに今の時代は省エネだろう、それは悪くない。電力削減、ガス削減、重要な事だ。エネルギーには限りがあるからな」
奉太郎「そうでしょう。その通りです」
入須「だが君の場合は省エネではなく零エネだ。限りなく零に近づける事を良しとするのではなく、零である事が通常なんだろう?」
奉太郎「…良い響きですねぇ、零エネ」
入須「やらなければならない事を零にするんじゃない」
奉太郎「安請け合いをしすぎるのもどうかと思いますけど」
入須「そうではない。人間は消費をするものだと言っている」
奉太郎「…わかってますよ。最近は万人の死角の件でエネルギーを消費しすぎてしまったので、確かに零エネだったかもしれません」
入須「…一ヶ月以上経っているが」
奉太郎「それなりに衝撃的だったんですよ」
入須「まぁ、その件に関してはいい。目的はわかったな? 今日は一日私と過ごして貰う」
奉太郎「…はぁ」
奉太郎(…これで、帰る確率が零だと証明されたな。きゅーいーでぃー)
入須「ところで君は朝食は済ませたのか?」
奉太郎「俺はついさっき起きましたので」
入須「なら私が作ってやろう」
奉太郎「…まだいいですよ」
入須「食材を買ってきたんだ」
奉太郎「いらないです」
入須「キッチンを借りるぞ」スッ
奉太郎「………」
奉太郎(…仕方ない、今日はいいだろう。明日も休みだしな)
・AM10:30 台所
入須「………」ガタッ
奉太郎(さつまいも、ベーコン、チーズ、凍ったブルーベリー、ヨーグルト、牛乳、はちみつ)
奉太郎(随分大きい鞄だと思ったが)
入須「私も朝食はまだなんだが、昼食もあるしな。軽く済ませよう」
奉太郎「…兼用じゃないんですか?」
入須「私なりに考えてきたんだ。少し家の物を借りてもいいか?」
奉太郎「えぇ」
入須「では、少し待っていろ。 …あぁ、エプロンはあるかな?」
奉太郎「そこに掛かってますよ」
入須「助かる」
奉太郎「………」
入須「……~♪」
奉太郎(…鼻歌がカノンだ)
トン…トン…
ガチャガチャ
ジュー
奉太郎(…眠い)
入須「ミキサーを借りるぞ」
奉太郎「…どうぞ」
入須「寝るなよ?」
奉太郎「…がんばります」
トクトクトク
パシャ
ウィーン
奉太郎「………」
カタンッ
入須「できたぞ」
奉太郎「………」
入須「………」ペシッ
奉太郎「痛っ」
入須「起きろ」
奉太郎「…寝てませんよ」
入須「嘘をつくな」
奉太郎「…なんですかこれ? さつまいもを焼いた物と、シェイク?」
入須「ガレットだ。あと、正確にはスムージーだな」
奉太郎「…はぁ」
入須「気に入って貰えると良いんだが」
奉太郎「朝は洋食なんですね」
入須「君がそうだろうと思ってな」
奉太郎(パン一枚で洋食といっていいのだろうか…)
入須「さぁ、頂こう」
奉太郎「はい」
入須「………」
奉太郎(…見られている)
奉太郎「………」パリッ
入須「……どうだ?」
奉太郎「……ん。 …美味い」
入須「! そうか!」
奉太郎「美味しいですね、このガレット」
入須「ありがとう。では私も」
奉太郎(先輩、料理上手かったんだな)
入須「……なんだ?」
奉太郎「いえ、何も」
入須「…ふふっ、私は料理ができないと思ってたんじゃないか?」
奉太郎「思ってました」
入須「イメージで?」
奉太郎「はい」
入須「心外だな。 …まぁ、勉強してきたのは確かだが」
奉太郎「そうですか」
入須「……勉強とは何の為にするものだ?」
奉太郎「卒業する為ですか?」
入須「それは一部分に過ぎない。自分の為だ」
奉太郎「…確かに」
入須「だが料理の勉強に関しては一概にそうとは言えないと私は考えている」
奉太郎「…はぁ」
入須「…考えを放棄するな」
奉太郎「………」
奉太郎(あぁ、今日の消費エネルギーは過去に無い量になりそうだ…)
入須「………」
奉太郎「……自分の為ではないなら、他人の為ですか?」
入須「そうだ。自分の腹を満たす為、美を味わう為、そして他人に喜んで貰う為」
奉太郎「はい」
入須「作った人に美味しいといって貰う為」
奉太郎「……俺の為に、勉強してきてくれたんですか?」
入須「…そうだ」
奉太郎(頼んでません、なんて、今のこの人の前では冗談でも言えないな)
奉太郎「嬉しいです」
入須「そうか?」
奉太郎「ありがとうございます」
入須「…ふふっ」
奉太郎(…まぁ、確かに美味いな、コレは)
・AM11:00 リビング
タンタンタン
供恵「…あれ? あんた今日は早いね」
奉太郎「…誰かのせいでな」
入須「先輩、おはようございます。お邪魔しています」
供恵「おはよ、後輩」ドスッ
奉太郎「隣に座るな」
供恵「ここしか空いてないでしょーが」
奉太郎「立ってろ」
供恵「あんたが立ちな」
入須「先輩、私が」
供恵「あーいーって、冗談だから」
奉太郎「冗談じゃない」
奉太郎(……ん?)
奉太郎「姉貴、入須先輩の事知ってるのか?」
供恵「そりゃ一年同じ高校に居れば知ってるよ」
奉太郎(んな事あるか)
入須「先輩にはお世話になってな」
供恵「そーそー」
奉太郎「コイツに他人の世話をする甲斐性があったんですね」
供恵「あんたよりはね」
奉太郎(…反論できない)
入須「…ふふっ、君と先輩は仲が良いんだな」
奉太郎「…先輩、大いなる誤解です」
供恵「今日は一日こいつと?」
入須「はい」
供恵「つまらないと思うよー。何も起きない、零だね」
入須「そんな事は
供恵「あるって。喋らない動かない何も無い、どーしようもないヤツだから」
奉太郎(…ムカつくがその調子だ、姉貴)
入須「…私は折木君と居るだけで楽しいですよ、先輩」
供恵「へー、変わってるねー」
入須「ふふっ、そうかもしれませんね」
供恵「…本気?」
入須「私はそのつもりです」
供恵「ふーん」
奉太郎「………」
入須「折木君がどうかは、わかりませんが」
供恵「え? 返事貰ってないの?」
入須「はい」
供恵「最悪だねー」
入須「いいんです、私は急いでませんので」
供恵「無理矢理言わせてやろうか?」
入須「先輩…」
供恵「冗談よ、じょーだん」
奉太郎「………」
奉太郎(…あぁ、逃げたい)
・AM11:15 リビング
供恵「それじゃ、私出掛けるわ」
奉太郎「おぉ」
供恵「夜には帰るから」
奉太郎「あぁ」
入須「先輩、また夜に」
供恵「可愛い弟を宜しくねー、可愛い後輩」
入須「ふふっ、はい」
奉太郎「…早く行け」
供恵「はいはい、じゃーいってきまーす」
ガチャッ バタン
奉太郎(嵐が過ぎ去った…)
入須「…どうした、折木君?」
奉太郎「…いえ、なんでも」
入須「久々に先輩と直接話せて嬉しかったよ」
奉太郎「物好きですね」
入須「そうか?」
奉太郎「初めて聞きましたよ」
入須「君が聞かないだけだろ? 思い返せば、先輩の話を君から聞いた事は無かったな」
奉太郎「これから一生無いですね」
入須「私は尊敬しているのだが」
奉太郎「姉貴を?」
入須「あぁ。私がどう足掻いてもあの人には敵わないだろう」
奉太郎「…まぁ、確かに」
入須「凄い人だよ」
奉太郎「…先輩も行動力は余り無さそうですね」
入須「失礼だな」
奉太郎「省エネですか?」
入須「君と一緒にするな。それに、私は動くぞ」
奉太郎「…へぇ」
入須「君を茶に誘っただろ」
奉太郎「…はぁ」
入須「クラスの作品も完成させた」
奉太郎「撮影に参加したんですか?」
入須「…今日も君の家に来たし」
奉太郎「…そうですか」
入須「…なんだ」
奉太郎「いえ、何も」
入須「馬鹿にしてるだろ」
奉太郎「してませんよ」
入須「してる」
奉太郎「してません」
入須「………」
奉太郎「………」
入須「…まぁ、君と一緒と言うのも悪くはないか」
奉太郎「…そうきますか」
入須「嬉しいか?」
奉太郎「嬉しくないですよ。省エネは俺のです。返して下さい」
入須「貰った覚えは無いんだが」
奉太郎「…先輩は自ら動かなくても、周りが動いてくれるんじゃないんですか?」
入須「そうだな」
奉太郎「ありがたい事ですね」
入須「君も尽くしてくれると嬉しいんだが」
奉太郎「…もう二度としません」
入須「…そういう意味ではないよ」
奉太郎「………?」
入須「…なんでもないよ」
・AM11:30 リビング
入須「朝は本を読まないんだな」
奉太郎「頭に入らないので」
入須「そろそろ冴えて来ただろ?」
奉太郎「今日は先輩もいますから」
入須「…そ、そうか」
奉太郎「冗談ですよ」
入須「…私も怒るぞ」ガシッ
奉太郎「痛っ! …すいません、謝りますから腕を掴まないでください」
入須「全く…」
奉太郎「結構力強いですね、先輩」
入須「君は弱そうだな」
奉太郎「そんな事ありません」
入須「そうか?」
奉太郎「…ある程度はあります」
入須「…随分濁したな」
奉太郎「自慢できる程はありませんから」
入須「ふむ、ちょっと見せてみろ」
奉太郎「…いやです」
入須「ほら腕を」
奉太郎「………」グッ
入須「…中々良いじゃないか」ペタペタ
奉太郎「お世辞はいいですよ」
入須「男の腕だ」ペタペタ
奉太郎「…あの、そろそろ」
入須「………」ペタペタ
奉太郎「…顔、近いです、先輩」
入須「…! あぁ、すまない」
奉太郎「…ふぅ」
入須「夢中になってしまった」
奉太郎(どこにそんな要素があるんだ…)
入須「部活もやっていないのに逞しいな」
奉太郎「…部活はやってますけど」
入須「…あぁ、そうじゃない。運動部に、という意味だ」
奉太郎「わかってますよ。まぁ、授業で体育はありますから」
入須「…授業だけでそうはならないだろ」
奉太郎「そもそもの話、そう言うほど有りませんから」
入須「そうか?」ペタペタ
奉太郎「もう勘弁してください…」
入須「ふふっ。 …ところで、古典部はどうだ?」
奉太郎「いつも通りですよ」
入須「違う。文化祭の事を聞いているんだ」
奉太郎「あぁ。俺の作業は終わりましたよ」
入須「…君に担当が割り振られていたとは」
奉太郎「遠慮と言う言葉を知らない奴らなので。 …まぁ、何も手伝わない訳にもいかないですし」
入須「…君も成長したんだな」ナデナデ
奉太郎「っ! …失礼ですね。やるべき事は手短に、ですよ」
入須「ふふっ」ナデナデ
奉太郎「………」
奉太郎(今日はスキンシップが過剰すぎるぞ、先輩…)
・AM11:45 リビング
奉太郎「先輩の方はどうなんですか?」
入須「……ん?」ナデナデ
奉太郎「長いです先輩」
入須「……準備なら君達のおかげで滞りなく終わったよ。後は前日に設営をするだけだ」
奉太郎「…思ってないでしょうに」
入須「そんな事は無い。完成したのは間違いなく、君のおかげだ」
奉太郎「…そうですか」
入須「設営で何かトラブルでも起こらない限りは問題ないだろう」
奉太郎「先輩が居るなら起きそうにないですけど」
入須「勿論、そうなるように努力はするよ」
奉太郎「…でも先輩、見てるだけですよね?」
入須「基本はな」
奉太郎「基本?」
入須「後は指示をしたり、当日の段取りを組んだり」
奉太郎「…まぁ、そうですよね」
入須「なんだ?」
奉太郎「先輩が金槌持って看板作っている姿は想像出来ないなと」
入須「…否定したい所だが、それには私も反論できないな」
奉太郎「今日の服装ならアクティブに動けそうですが」
入須「肩と足の紐が邪魔じゃないか?」
奉太郎「あぁ、何かに引っ掛かりそうですね」
入須「だろう?」
奉太郎「でも髪を括っている姿も中々様になってますし」
入須「この纏め方ではできないよ。ただ垂らしているだけだからな」
奉太郎「確かに、長くて邪魔ですね」
入須「……君は半ズボンを履くのか?」
奉太郎「…いえ、あまり履きませんね」
入須「…確かに、そこまで似合いそうにはないな」
奉太郎「否定はしませんよ」
入須「では、長ズボンが好きと言う事でいいのかな?」
奉太郎「そうなりますかね」
入須「………」
奉太郎「……先輩、なんとなく俺に求めている事はわかりました」
入須「そうか」
奉太郎「ですが、流石に今の情報だけでは分かりません」
入須「君が言った事を思い出せ」
奉太郎「…はぁ」
入須「私は少し不機嫌だよ」
奉太郎(俺の知らない所で勝手にならないでくれ…)
入須「君が自分を見つめ直し、私の望む言葉を言うまで機嫌は直らないからな」
奉太郎「………」
奉太郎(この人も、千反田達に負けず劣らず厄介だな…)
入須「……ふん」
奉太郎「………」
入須「……早く考えろ」
奉太郎「……分かりましたよ」
・PM12:00 リビング
入須「……長い」
奉太郎「すいませんね」
入須「……ふん」
奉太郎「………」
奉太郎(設営の話、ズボンの話)
奉太郎(その話の中の俺の言葉に先輩が不機嫌になる要素があり、それの解決方法は俺が先輩に何かを言うと)
奉太郎「………!」
奉太郎(……考えさせられる事に慣れてきている!)
入須「……まだか?」
奉太郎「……わがまま女帝」ボソッ
入須「なんだ?」
奉太郎「なんでもありません。 …先程二つの話をしましたね」
入須「あぁ」
奉太郎「先輩が言いたい事が含まれているのは後者でしょう。では前者に問題点があり、後者にヒントが隠されている」
入須「まぁ、そうだな」
奉太郎「その二つの話の中に共通点が有り、先輩はその点に関して俺に何かを言って欲しい」
入須「そうだ」
奉太郎「人に言葉を望む、勿論否定的な言葉ではなく肯定的な言葉でしょう」
入須「あぁ」
奉太郎「…共通点は服装です。確か肩と足の紐の話しをしましたね? その上でズボンの話しを先輩はした」
入須「……続けて」
奉太郎「…では、一度だけ言います」
入須「あぁ」
奉太郎「……紐のリボンが付いてて可愛いズボンですね、先輩」
入須「! ………」
奉太郎「………」
入須「……違うんだが」
奉太郎「……えぇ?」
入須「…随分間抜けな声を出したな」
奉太郎「ち、違うんですか?」
入須「私の求めていた言葉ではない。 …だが、嬉しいよ」
奉太郎「…はぁ」
入須「…長い髪が邪魔ではないかと言ったな?」
奉太郎「…あぁ、言いましたね」
入須「自分で言うのも何だが、私は気に入っている」
奉太郎(……そういう事か)
奉太郎「…先輩、ズボンの話ではそれはわかりません」
入須「長い短いの話をしたじゃないか」
奉太郎「それに、俺は嫌いなんていってませんよ」
入須「邪魔と言ったろ」
奉太郎「………」
入須「………」
奉太郎「………」サラッ
入須「!」
奉太郎「…こんな綺麗な髪、嫌いなんて言いません」
入須「そ、そうか」
奉太郎「はい」
入須「……ありがとう」
奉太郎「いえ」
入須「…好き、とは言ってくれないのか?」
奉太郎「その言葉、今はまだいらないんじゃないんですか?」
入須「……機嫌が悪くなった」
奉太郎「えぇー…」
入須「…ふふっ、冗談だよ」
奉太郎「まったく…」
・PM12:15 リビング
入須「君は文化祭当日はどうするんだ?」
奉太郎「さぁ、特に何も決めていません」
入須「…まぁ、そうか」
奉太郎「ずっと店番でも良い位ですよ」
入須「君が文化祭をアクティブに楽しんでる姿こそ、想像できないな」
奉太郎「先輩はどうするんですか?」
入須「私は視聴覚室に詰める事になるだろうな」
奉太郎「三日間ともですか?」
入須「あぁ。合間合間で休みは貰うが」
奉太郎「大変ですねぇ」
入須「…心底興味がなさそうだな」
奉太郎「はい」
入須「誰かと共に回ろうと、少しでも思ったりはしないか?」
奉太郎「…先輩、古典部まで遊びに来て下さいよ」
入須「……先手を打ったな」
奉太郎「そう何度もやられませんよ」
入須「少しくらい時間を貰えないか?」
奉太郎「…考えておきます」
入須「君と行く所を考えておくから」
奉太郎「後顧を断たないで下さい」
入須「君はしおりを見たか?」
奉太郎「見てません」
入須「…奇術部と手芸部が気になるんだ」
奉太郎「そうですか」
入須「……ふん」
奉太郎「…一回だけなら付き合いますから」
入須「二回だ」
奉太郎「どちらかにして下さい」
入須「……考えておく」
奉太郎「お願いします」
入須「…デートだな」
奉太郎「違います」
入須「二人で一緒に行くだろ」
奉太郎「それだけです」
入須「……ふん」
奉太郎「…先輩」
入須「なんだ?」
奉太郎「慣れました」
入須「なら、新しい方法を考えないとな」
奉太郎「…やめて下さい」
入須「次は怒る」
奉太郎「やめて下さい」
入須「…君は後輩なのに私の扱いが酷いな」
奉太郎「敬語じゃないですか」
入須「呼び捨てでもいいんだぞ?」
奉太郎「…どうすればいいんですか、それ」
入須「……ふん」
奉太郎(な、なんなんだこれは…)
・PM12:30 リビング
奉太郎「……ん?」
入須「…どうした?」
奉太郎「もう十二時半ですね」
入須「そうだな。 …そろそろ昼食にしようか」
奉太郎「そうですね」
入須「では」ゴソゴソ
奉太郎「………?」
ゴトッ
入須「弁当を持ってきた」
奉太郎「おぉ」
奉太郎(かなり大きな鞄だと思ったが、朝の材料以外に弁当も入っていたのか)
入須「手作りだ」
奉太郎「先輩のお母さんのですか?」
入須「………」ペシッ
奉太郎「痛っ。言葉で言って下さい…」
入須「私のだ」
奉太郎(遂に暴力に訴えだした…)
奉太郎「全く、冗談ですよ。 …開けても良いですか?」
入須「あぁ」
パカッ
奉太郎「おぉ」
入須「…どうかな?」
奉太郎「美味そうですね」
入須「そ、そうか?」
奉太郎(俵おにぎり、卵焼き、竜田揚げ、シイタケと筍、ニンジン、さやえんどう、レンコン、ゴボウの筑前煮、そしてポテトサラダ)
入須「デザートもあるよ。フルーツを切っただけだが」
奉太郎(…これはシンプルで美味そうだ!)
奉太郎「それではいただきます」
入須「あぁ、召し上がれ」
奉太郎「………」パクッ
入須「……どうだ?」
奉太郎「…美味い」
入須「本当か?」
奉太郎「美味いです」パクッ
入須「良かった…」
奉太郎「味が染みてますね、筑前煮」パクッ
入須「それは意外に簡単に作れたよ」
奉太郎「竜田揚げもサクッとしてますね」パクッ
入須「少し揚げすぎてしまったんだが…」
奉太郎「イケますよ。卵焼きも柔らかくて美味しいです」
入須「それはとても上手く巻けたんだ。醤油味だが大丈夫だったか?」
奉太郎「俺もそちらの方が好きですよ」
入須「そうか。では私も頂こう」パクッ
奉太郎「このおにぎりも先輩が?」
入須「……ん。 …そうだが?」
奉太郎「………」パクッ
入須「…どうした?」
奉太郎「いえ、なんでも」
奉太郎(少し恥ずかしくなってしまうのは、俺が邪な人間だからなんだろうな…)
入須「…私の手が気になるのか?」
奉太郎「! …いえ、そんな事は」
入須「だが先ほどからずっと
奉太郎「料理が初めてなのに失敗はしなかったのかなと思っただけです!」
入須「失礼だな、初めてではないよ。 …三回目くらいだ」
奉太郎「…余りやらないのは確かですね」
入須「うるさい。レシピを見ながら作ったから問題ないはずよ」
奉太郎「美味いのは本当ですよ」
入須「…まぁ、包丁に慣れていないのは認めるわ」
奉太郎「怪我はしなかったみたいですね」
入須「幸いな。慎重にやった分時間は掛かってしまったけど」
奉太郎「始めたばかりでこれなら、少しやればすぐにコツを掴むんじゃないですか?」
入須「…君は作って欲しいのか?」
奉太郎「いえ、別に」
入須「………」
奉太郎「…だからその顔はやめて下さい。冗談ですよ」
入須「…まぁ、毎日作る事は出来ないが」
奉太郎「作ってくれるなら、嬉しいですよ」
入須「…そ、そうか。 …なら、作る時は言うようにするよ」
奉太郎「お願いします」
入須「リクエストがあれば言ってくれ」
奉太郎「はい」
入須「…君が良ければ、長い間作ろうかと思うんだが」
奉太郎「…はぁ」
入須「長い間、作ろうかと思うんだが?」
奉太郎「…まぁ、ありがとうございます」
入須「! あぁ、頑張るよ」
奉太郎(…先輩が卒業するまで作ってくれるんだろうか?)
入須「ふふっ」
奉太郎(まぁ、喜んでいるなら良いだろう。わざわざ藪をつつくとまた不機嫌になるしな…)
入須「さぁ、残りを頂いてしまおう」
奉太郎「はい」
・PM1:25 リビング
奉太郎「先輩、ご馳走様でした」
入須「お粗末様。綺麗に食べてくれたな」
奉太郎「残すのも悪いですし」
入須「そう言って貰えると甲斐があるよ」
奉太郎「…ところで、この後はどうするんですか?」
入須「あぁ、実は君にお願いしたい事が一つあってな」
奉太郎「……なんですか?」
入須「そう警戒するな。君の部屋を見せて欲しいんだ」
奉太郎「…はぁ」
入須「どうだろうか?」
奉太郎「まぁ、いいですけど」
入須「そうか。では早速行こう」
奉太郎「二階ですよ。来て下さい」
・PM1:30 奉太郎の部屋
ガチャ
奉太郎「ここです」
入須「お邪魔します」
奉太郎「何もありませんけど」
入須「……確かに」
奉太郎「基本的に俺しか使いませんから」
入須「スペースは広く見えるな。布団くらいなら敷けそうだ」
奉太郎「机があるのでテーブルを置いてないんです」
入須「…後はクローゼットと本棚か」
奉太郎「見て面白い物は有りませんよ」
入須「…ふむ」スッ
奉太郎「先輩、何屈んでるんですか?」
入須「………」
奉太郎「! 先輩!」ガシッ
入須「なんだ?」
奉太郎「…なぜベッドの下を除くんですか」
入須「気にするな」
奉太郎「気になりますって」
入須「…君の嗜好を理解しておこうと思ってな」
奉太郎「…しこう?」
入須「私は先輩だ」
奉太郎「そうですね」
入須「胸もある程度はある」
奉太郎「…な、何の話をしてるんですかっ」
入須「君のベッドの下に後輩、スレンダーと書いてある本があったら処分しようと思う」
奉太郎「有りません!」
入須「…まぁ、それ以外が有っても処分するが」
奉太郎「だから有りませんから…」
入須「チェックするから少し待て」
奉太郎「やめて下さい」
入須「………」
奉太郎「っ! 先輩!」
入須「…なんだ?」
奉太郎「俺の事を随分信用していないようですね」
入須「そんな事はないぞ」
奉太郎「いいです。わかりました」
入須「…折木君?」
奉太郎「……ふん」ドスッ
入須「…冗談だよ」
奉太郎「………」ペラッ
入須「……折木君?」
奉太郎「………」ペラッ
入須「折木君…」
・PM2:00 奉太郎の部屋
奉太郎「………」ペラッ
入須「…私も本を読んでいいかな?」
奉太郎「………」ペラッ
入須「…借りるよ」
奉太郎「………」ペラッ
入須「……タロットか」
奉太郎「………」ペラッ
入須「君がこんな本を持っているとは意外だな」
奉太郎「………」ペラッ
入須「……少し、読ませてもらうから」
奉太郎「………」ペラッ
入須「………」
・PM2:30 奉太郎の部屋
奉太郎「………」ペラッ
入須「………」ペラッ
奉太郎「………」ペラッ
入須「………」パタン
奉太郎「………」ペラッ
入須「………」
奉太郎「……ふぅ」
入須「!」ビクッ
奉太郎「…疲れましたね、先輩」
入須「……そ、そうだな」
奉太郎「なんて顔してるんですか」
入須「……君のせいだ」
奉太郎「もう怒ってませんよ」
入須「…本当か?」
奉太郎「はい」
入須「そうか…」
奉太郎「このままだと折角の休日が無駄になってしまいますし」
入須「…あぁ、そうだな」
奉太郎「もうやめて下さいよ」
入須「勿論だ。 …君に無視されるのは辛いよ」
奉太郎「…すいません」
入須「…謝るな。悪いのは私だ」
奉太郎「…ですが」
入須「…なら、隣に来てくれないか?」
奉太郎「……? はい」スッ
入須「ありがとう」
コツッ
奉太郎「!」
奉太郎(先輩の頭が俺の肩に…)
入須「少し、甘えたい気分だ」
奉太郎「…そうですか」
入須「しばらく…良いか?」
奉太郎「はい」
入須「……折木君」
奉太郎「はい」
入須「……折木君」
奉太郎「なんですか?」
入須「……呼んだだけだ」
奉太郎「…可愛いですね、先輩」
入須「…君に言われると、嬉しいよ」
奉太郎「…そうですか」
入須「………」
奉太郎「………」
奉太郎(こういう時間の使い方も、悪くないかもな…)
・PM3:00 奉太郎の部屋
入須「―――省エネが過ぎるぞ折木君。大体君は
奉太郎(どうしてこうなった…)
入須「私に全く興味を持ってくれないじゃないか。君が言ったんだぞ、興味を持ちあえと」
奉太郎「それとその…え、エッチな本は全く関係がな
入須「今は私の話をしているんだ」
奉太郎「………」
入須「…変態」
奉太郎「違います! ただのグラビア雑誌じゃないですか…」
入須「うるさい、ケダモノ」
奉太郎「ケダモノ…」
入須「結局君はこういうスレンダーな女性が好きなんだろ?」
奉太郎「いや、だから違いますって…」
入須「…まぁ、私も体の話をしたい訳じゃない。気持ちの話だ」
奉太郎「…はぁ」
入須「私の一方通行じゃないか」
奉太郎「……まぁ、はい」
入須「はい、と言ったか?」
奉太郎「! いや、言葉を選び間違えました」
入須「まだ私の事が嫌いなのか?」
奉太郎「…嫌いじゃありませんよ」
入須「なら好きと言う事になるだろう」
奉太郎「なりません」
入須「言葉遊びをするつもりはないよ」
奉太郎「……専売特許の癖に」ボソッ
入須「なんだ?」
奉太郎「……先輩」
入須「だからなんだ?」
奉太郎「疲れませんか?」
入須「……疲れた」
奉太郎「ちょっと休みましょう」
入須「あぁ」
奉太郎「…今度から改めますから」
入須「…今日からだ」
奉太郎「わかりましたよ」
入須「まったく…少しは自信があったんだがな」
奉太郎「…はぁ」
入須「自信を無くすよ」
奉太郎「…何がです?」
入須「小さくはないだろう?」ポヨン
奉太郎「!!!」
入須「…顔が赤いぞ、折木君」ニヤ
奉太郎「せ、先輩が
入須「私が、どうした?」ポヨンポヨン
奉太郎「!!!」
入須「手に乗るんだ」ユサユサ
奉太郎「!!!」
入須「……んっ」クニッ
奉太郎「せ、先輩!」
入須「…なんだ?」
奉太郎「出掛けましょう」
入須「……まさか君からその言葉を聞くとは思わなかった」
だけどそんなほうたるも可愛い
奉太郎「着替えますから下で待っていて下さい」
入須「ここでもいいよ」
奉太郎「俺が嫌です。さぁ、早く」グイッ
入須「わかったから押さないでくれ」
奉太郎「大人しくしていて下さいよ」
入須「私は子供か。早くしろよ」
奉太郎「頑張ります」
ガチャ
入須「……折木君」
奉太郎「…なんですか?」
入須「君は言葉であれこれ言うよりは、体を使った方がよく動くようだな」
奉太郎「!」
入須「理解しておくよ」ニヤ
バタン
奉太郎「………」
奉太郎(猫に睨まれたネズミの気分だ…)
・PM3:15 奉太郎の部屋
ガチャ
入須「折木君」
奉太郎「うぇっ!」
入須「…随分素っ頓狂な声を出したね」
奉太郎「…着替えてる最中なんですが」
入須「パソコンを借りていいかな?」
奉太郎「…どうぞ」
入須「ありがとう」
バタン
奉太郎「………」
ガチャ
奉太郎「えぇっ!」
入須「私は気にしないから」
バタン
奉太郎「………」
奉太郎(俺が主導権を握る事はこれから先、一生無さそうだな…)
・PM3:25 リビング
カチッカチッ
タンタンタン
奉太郎「お待たせしました」
入須「あぁ」
奉太郎「…何を見ているんですか?」
入須「…わからないか?」
奉太郎「はい」
入須「高校のホームページだぞ?」
奉太郎「…初めて見ました」
入須「……まぁ、良い」
奉太郎「…文化祭特設ページ?」
入須「あぁ、これか」カチッ
奉太郎「カウントダウンしてますね」
入須「内容の紹介もあるよ」
奉太郎「…へぇ」
入須「…まぁ、後で見ておくといい」
奉太郎「そうします」
入須「それで、どこに行くんだ?」
奉太郎「前に俺の知っている喫茶店に行こうと言ってましたよね」
入須「覚えていてくれたのか?」
奉太郎「さっき思い出しました」
入須「……まぁ、進歩はしたか」
奉太郎「折角ですし行きましょう」
入須「あぁ、わかった」
奉太郎「少し歩きますよ?」
入須「構わないよ。どれくらいだ?」
奉太郎「十五分くらいですね。川を越えた所です」
入須「それなら、少し川沿いを歩いて行かないか?」
奉太郎「わかりました」
・PM3:30 折木家前
バタン カチャ
奉太郎「行きましょう」
入須「あぁ」
奉太郎「まず左に真っ直ぐです」
入須「…折木君」
奉太郎「なんですか?」
入須「…察してくれ」
奉太郎「ノーヒントですか…」
入須「二人で外を歩くんだ。わかるだろ?」
奉太郎「………」ギュッ
入須「…成長したね」ギュッ
奉太郎「正解できて良かったですよ」
入須「ふふっ」
奉太郎(手を握るのも大分慣れてきたが…それでもやはり恥ずかしいな)
入須「ゆっくり行こうか」
奉太郎「そうですね」
・PM3:50 川沿いの道
奉太郎「この先を少し歩くと着きますよ」
入須「なんと言う所だ?」
奉太郎「パイナップルサンドです」
入須「…それが美味いのか?」
奉太郎「……メニューに無かったと思います」
入須「パイナップルサンドなのに?」
奉太郎「はい」
入須「……んん?」
奉太郎「ケーキが美味しいと思いますよ」
入須「…食べた事がないだろ」
奉太郎「はい」
入須「おすすめと言ったな?」
奉太郎「…ブレンドは美味いですよ」
入須「……まぁ、良い」
奉太郎「それにしても、大分涼しくなりましたね」
入須「そうだな、この様な服も今週で終わりだ」
奉太郎「肩の所、寒くないですか?」
入須「…少しな」
奉太郎「…半袖ですけどこの上着、着ます?」
入須「いいのか?」
奉太郎「はい」サッ
入須「…ありがとう」
奉太郎「もうすぐ着きますよ」
入須「………」
奉太郎「先輩?」
入須「…手を握ってくれ」
奉太郎「…はい」ギュッ
入須「………」ギュッ
奉太郎「…なんだかしおらしいですね」
入須「…似合わないか?」
奉太郎「意外です」
入須「…君だけよ」
奉太郎「………?」
入須「君の前だけだ」
奉太郎「…そ、そうですか」
入須「…そうだ」
奉太郎「………」
奉太郎(…この空気に当てられたんだろうか)
・PM4:00 パイナップルサンド
マスター「いらっしゃい」
奉太郎「どうも。 …先輩、奥に行きましょう」
入須「あぁ」
ガタッ
奉太郎「…どうします? 先輩」
入須「……そうだな。折角だ、セットにしよう」
奉太郎「ケーキセットですか?」
入須「あぁ……ん、抹茶のケーキか。これにしよう」
奉太郎「わかりました。マスター、ブレンド一つ」
入須「私はブレンドと抹茶のケーキを」
マスター「はい」
入須「…素敵な店だな」
奉太郎「静かで良い所です」
入須「君の注目点はそこだけなのか?」
奉太郎「…それ以外にありますか?」
入須「…あるよ」
奉太郎「何ですか?」
入須「抹茶が美味しい事だ」
奉太郎「…その注目点も先輩だけだと思いますけど」
・PM4:05 パイナップルサンド
マスター「お待たせ」カタッ
奉太郎「どうも」
入須「ありがとうございます」
マスター「ごゆっくり」
入須「…うむ、美味そうだ」
奉太郎「そうですね」カチャ ゴクッ
入須「頂きます」パクッ
奉太郎「………」
入須「…美味いな」
奉太郎「…そうですか」
入須「抹茶の風味がよく出ているよ」
奉太郎「先ほどまでの先輩の気持ちがようやくわかりましたよ」
入須「緊張するだろ?」
奉太郎「はい、とても」
入須「君の特別な店だ。例え不味くても美味いと言うけど」
奉太郎「…え?」
入須「あぁ、勘違いしないでくれ。本当に美味いよ」
奉太郎「…余りドキドキさせないで下さい」
入須「ふふっ、すまないな」
奉太郎「心臓に悪いです」
入須「君も食べればよかったのに」
奉太郎「甘い物にはそこまで熱心じゃないんですよ」
入須「というより、君は食べ物に執着心が無さそうだな」
奉太郎「…そんな事ありませんよ」
入須「まぁ、それはそれで私も助かるが」
奉太郎「…何の話ですか?」
入須「将来の話だ」
奉太郎「…将来?」
入須「…なんでもないよ」
奉太郎「…はぁ」
・PM4:30 パイナップルサンド
入須「…はぁ、美味かった」
奉太郎「なによりです」
入須「コーヒーもケーキも堪能させてもらったよ」
奉太郎「そうですか」
入須「また二人で来よう」
奉太郎「そうですね、機会があれば」
入須「…機会とは作るものだ、折木君」
奉太郎「…はぁ」
入須「来週の水曜日、手帳に書き込んでおけ」
奉太郎「………」
入須「わかったな?」
奉太郎「……黙秘し
入須「わ・か・っ・た・な?」
奉太郎「…はい」
入須「この後は何か考えているか?」
奉太郎「いえ、何も」
入須「そうか。 …なら、夕飯の買い物に行こう」
奉太郎「…いやで
入須「買い物に行こう」
奉太郎「いやです」
入須「後輩らしくない態度だな、折木君」
奉太郎「いやなものはいやです」
入須「…それでは、私一人で商店街まで出向き、重たい買い物袋を手に提げて一人で帰らなければ行けないな」
奉太郎「…そうですね」
入須「…重たい買い物袋だ。私の足取りはフラフラしてしまうだろう。もしかしたらそこに車が衝突してくるかもしれないな」
奉太郎「…可能性がないとは言えませんね」
入須「…食材を買えば両手が塞がってしまう。何も出来ない私を突然暴漢が襲ってくるかもしれないな」
奉太郎「…まぁ、無いとは言えませんね」
入須「…丁度夕飯時だ。腹を空かせた私は重たい買い物袋を持ち歩いている途中に体力が尽きて行き倒れてしまうかもしれないな」
奉太郎「…そんなに空いてるんですか?」
入須「そこを暴漢に襲われてしまうかもしれないな」
奉太郎「……まぁ、嫌なものは嫌なので」
入須「………」ペシッ
奉太郎「痛っ!」
入須「無理矢理連れて行く」ガシッ
奉太郎「痛い痛い! 行きますから!」
入須「なら早くしろ」
奉太郎(強引な怪力女帝だ……ん? おぉ!)
奉太郎「アマゾネスか!」
入須「…なんだって」
奉太郎「…すいません、口が滑りました」
入須「………」ペシッ
奉太郎「痛っ!」
入須「外で待ってる。払っておけ」
ガチャ バタン
奉太郎「………」
マスター「…甲斐性ないねぇ」
奉太郎「…ほっといて下さい」
・PM4:40 パイナップルサンド前
入須「ほら、行くぞ」
奉太郎「はいはい」
入須「…はいは一回だ」
奉太郎「…すいません。謝りますから睨まないで下さい」
入須「早く来い」
奉太郎「…はい」
・PM5:00 商店街
入須「野菜はこんなものか。では折木君、頼む」
奉太郎「はいはい」
入須「………」
奉太郎「…はい」
・PM5:05
入須「折木君、これも頼むよ」
奉太郎「…もう何でも持ちますよ」
・PM5:10
入須「折木君、これもだ」
奉太郎「はい」
・PM5:15
入須「これも」
奉太郎「…はい」
・PM5:20
入須「ほら」
奉太郎「………」
・PM5:25
ドサッ
奉太郎「せめて何か言って下さい…」
・PM5:30
入須「歩いて少し温まったな。君の上着も返すよ」
奉太郎「今ですか!?」
入須「それでは帰るよ」
奉太郎「…はい」
・PM6:00 折木家
ガチャッ
奉太郎「はぁ…はぁ…」
奉太郎(人使いが荒すぎる!)
入須「台所に頼む」
奉太郎「っはぁ…わ、わかりました」
入須「君は体力が無いな」
奉太郎「………」
入須「それが終わったら手を洗うんだぞ」
奉太郎「…はい」
入須「その後は風呂を洗っておけ」
奉太郎「…はい」
入須「それが終わったら食卓の準備だ」
奉太郎「…は、はい」
入須「…必ずやるんだぞ?」
奉太郎「…頑張ります」
入須「やるんだぞ?」
奉太郎「…はい」
入須「では頼む」
奉太郎(母親に怒られているかの様だ…)
・PM6:30 台所
奉太郎(ようやく終わったか…)
トントントン
奉太郎(頑張ってください。先輩)
入須「折木君、終わったようだな」
奉太郎「……えぇ、まぁ」
入須「君は料理は出来るか?」
奉太郎「出来ません」
入須「ならこの鍋を見ていてくれ」
奉太郎「………」
入須「なんだ?」
奉太郎「逃げても
入須「なんだ?」
奉太郎「……てつだいます」
入須「そうか。では頼むよ」
奉太郎(あぁ、俺は今日、死ぬんだろうな…)
・PM7:00 台所
供恵「たーだーいまー!」
奉太郎「! あ、姉貴!」
供恵「おー、どうした?」
奉太郎「助けてくれ!」
供恵「んんー?」
入須「お帰りなさい。先輩」
供恵「ただいまー。どしたのこいつ?」
入須「折木君は生活指導中です」
奉太郎「強制のスパルタ指導ですけど」
入須「………」
奉太郎「……睨まないで下さい」
供恵「ふーん。まぁ頑張りなさい、奉太郎」
奉太郎「おい、弟を見捨てるな」
供恵「おっ、美味そうじゃーん。人参いただきー」
入須「先輩」
供恵「んー? …!」
入須「手を洗って来て下さい、先輩」
供恵「は、はーい…」
入須「お願いします」
供恵「………」ドゴッ
奉太郎「痛っ! 何すんだ!」
供恵「あんたあの子に何言った?」
奉太郎「……うっかりしてたんだ」
供恵「早く仲直りしな!」ドゴッ
奉太郎「痛っ! 二回も叩くな!」
入須「折木君」
奉太郎「……はい」
入須「皿を出してくれないか?」
奉太郎「…はい」
奉太郎(自分の家なのに逃げ場が無い!)
・PM7:05
奉太郎「…先輩」
入須「なんだ?」
奉太郎「……すいませんでした」
入須「………」
奉太郎「何故あんな事を口走ってしまったのかは自分でもよく分からないんですが」
入須「……もう怒ってないよ」
奉太郎「…そうですか」
入須「…実はな、正直に話すと最初からそんなに怒ってはいなかったよ」
奉太郎「…え?」
入須「ただ、ものぐさな君を動かすには丁度良いと思ってな。 ふふっ、きびきびと動いてくれて助かったよ」
奉太郎「…先輩」
入須「ん? なんだ?」
奉太郎「…いや、今日はもういいです」
入須「懸命だ。今日は疲れただろ?」
奉太郎「そうですね」
入須「風呂に入るといつも以上に気持ち良いはずよ。それまで頑張ろう」
奉太郎「…はい、お互いに」
入須「あぁ」
供恵(へー、ふーん)
・PM7:40 台所
供恵「ごちそーさま」
入須「お粗末様でした、先輩」
供恵「ハンバーグ美味かったよ」
入須「ふふっ、ありがとうございます」
供恵「じゃー私風呂入ってくるから」ガタッ
入須「はい」
供恵「…あ、今日これから帰るの? 泊まってけば?」
入須「…いいんですか?」
供恵「いいよ」
奉太郎「…何で姉貴が決めるんだよ」
供恵「あんたが決められると思ってるの?」
奉太郎(ぐうの音も出ない…)
入須「…それでは、甘えさせて貰います」
供恵「そーしな、もう遅いし。寝床はどーしようかね?」
入須「…実は、考えていた所があるんです」
供恵「ん?」
奉太郎「?」
入須「あの…折木君の部屋で寝ようかと」
供恵「……え?」
奉太郎「……え?」
入須「布団を敷いて寝るスペースは十分有りますし」
供恵「んー、今日の家主として余り手放しで賛成はできないんだけど…」
奉太郎(そうだ姉貴、いいぞ)
入須「何も起きませんよ、先輩。私と折木君ですから」
供恵「あー…確かにこのヘタレじゃ無理か」
奉太郎「おい」
供恵「布団出すの手伝うのよ、奉太郎。じゃっ」
奉太郎「ちょ、ちょっと待て」
バタン
奉太郎「………」
入須「食べ終わったらお願いするよ、折木君」
奉太郎「…はい」
・PM8:00 リビング
供恵「あがったよー」
奉太郎「おぉー」
供恵「先入りなよ。コイツの後だとなんだしさ」
入須「いえ、そんな事は有りませんよ」
奉太郎「いいですよ先輩。 …でも、着替えはあるんですか?」
供恵「私の貸そうか?」
入須「…すいません、先輩」
供恵「ん?」
入須「実は持って来ているんです、着替え」
供恵「…へぇー、中々やる様になったねぇ」
入須「すいません、騙してしまって」
供恵「いーよ、今回は私の負け。狭い部屋だけどゆっくりしていきな」
入須「はい」
奉太郎「…先輩、もしかして」
入須「…すまないな、最初から君の部屋に泊まろうと思っていたんだ」
奉太郎「………」
供恵「ま、後は好きにやりなさい。一線越えなきゃ怒らないから」
奉太郎「越えねぇよ」
供恵「じゃ、おやすみー」
入須「おやすみなさい、先輩」
奉太郎「……先輩」
入須「過ぎた事よ。それじゃ、私も風呂を貰うとするよ」スッ
バタン
奉太郎「………」
奉太郎(…先輩と同室で一晩を過ごすのか)
奉太郎(一晩…)
奉太郎(………)
奉太郎(…ひ、一晩!?)
・PM8:30 リビング
奉太郎「………」
ガチャッ
入須「すまない、待たせたな」ホッコリ
奉太郎「…あ、いえ」
入須「…どうした?」
奉太郎(先輩の顔を直視できない…)
奉太郎「…風呂、行ってきます」
入須「あぁ……あ、折木君」
奉太郎「なんですか?」
入須「先に君の部屋に行っているよ。今日は早く寝るとしよう」
奉太郎「わかりました」
入須「戸締り、しっかりやるんだぞ」
奉太郎「はい」
入須「それじゃ、後でな」
タンタンタン
奉太郎「………」
・PM8:40 バスルーム
チャポン
奉太郎(…先輩、俺の部屋に泊まるつもりで今日、ここにやって来たのか)
奉太郎(今週の頭に告白されて、今日のこの状況…)
奉太郎(早いんじゃないのか? いや、今はこれが普通なのかもしれないな)
奉太郎(いやいや! 状況がこうなっているだけで、そういうつもりは俺も先輩も…)
奉太郎(…そういやこの風呂、先輩が浸かったんだよな)
奉太郎(………)
奉太郎(だぁぁ! 何を考えているんだ俺は!)
奉太郎(…今日は省エネとは程遠い生活をしてしまったな)
奉太郎(明日は先輩、どうするんだろうな)
奉太郎(何時に帰るんだろうか…)
奉太郎(次の日は月曜だ、今のような状況にはならないだろ…)
奉太郎(それがわかっているだけでも…)
奉太郎(だいじょう……)
奉太郎(………)
奉太郎(………)
奉太郎(………)
奉太郎「!」
バシャッ
奉太郎「死ぬ! 本当に死ぬ!」
・PM9:00
ガチャッ
入須「あぁ、折木く
バタッ
入須「折木君!?」
奉太郎「………」
入須「大丈夫か!? 折木君!」
奉太郎「……平気です。少しのぼせただけなので」
入須「何をしているんだ君は…」
奉太郎「…すいません」
入須「…ほら、頭を乗せろ」
奉太郎「! い、いや、いいですから…」
入須「……早くしろ」グイッ
奉太郎「うわっ」
入須「……こうして目を覆えば、少しは楽になるだろう」
奉太郎(膝枕の上、顔に手を当てられて…情けなくて嫌になるな)
奉太郎(だが何故だろうな…凄く安心する…)
入須「………」
奉太郎「………」
・PM9:20
奉太郎「…先輩」
入須「あぁ、なんだ?」
奉太郎「んっ…」スッ
入須「もう大丈夫なのか?」
奉太郎「はい、大分楽になりました。ありがとうございます」
入須「気をつけろよ? 風呂場で溺死なんて洒落じゃ済まないぞ」
奉太郎「…十分気をつけます」
奉太郎(前科もあるしな…)
入須「君はベッドだな?」
奉太郎「はい、すいませんけど」
入須「いいよ。それじゃ、電気を消すぞ?」
奉太郎「まだ十時にもなってないですけど、先輩は良いんですか?」
入須「あぁ、私も今日は少し疲れた」
カチッ
奉太郎「それでは先輩、おやすみなさい」
入須「おやすみ、折木君…」
・PM10:00
奉太郎(まだ顔が熱いな…)
ゴソッ
奉太郎(……ん?)
ピトッ
奉太郎「!」
奉太郎(背中に、先輩が…)
入須「……折木君」
奉太郎「……先輩?」
入須「! 起きていたのか…」
奉太郎「…どうしたんですか」
入須「…今日は楽しかったよ」
奉太郎「……はい」
入須「一日中君と共に居れて、嬉しかった」
奉太郎「…はい」
入須「…君が怒った時は、少し悲しかったけど」
奉太郎「…俺も、先輩が怒っていた時は怖かったですよ」
入須「…お互い様だな」
奉太郎「…ですね」
入須「……最近、君の事ばかり考えてしまうんだ」
奉太郎「………」
入須「君とどこに行きたい、何をしたい、こう言う話をしたい」
奉太郎「………」
入須「…例えば、君と結婚をしたらどんなに幸せだろうか。子供が出来たらどんな家庭になるだろうか」
奉太郎「………」
入須「…大人になった君は、どうなるだろうか。私は君に相応しい女だろうか」
奉太郎「………」
入須「……そんな事、ばかりだ」
奉太郎「……俺に、勇気が足りないせいです」
入須「…折木君に?」
奉太郎「…省エネ生活に於いて、変化は必要ないんです」
入須「………」
奉太郎「…でも、そんなもの俺が一歩を踏み出せばいいだけ」
入須「………」
奉太郎「…ようは、怖いんです。ビビリ、ヘタレ。そんな奴なんですよ、俺は」
入須「そんな事」
奉太郎「ありますよ。嫌いじゃないと言って言葉を濁したり、冗談を言って真意を避けている。先輩の好意から悉く目を背けてます」
入須「…折木君」
奉太郎「先輩、ありがとうございます、勇気を出してくれて」
入須「………」
奉太郎「最初は確かに苦手でした、先輩の事。でも、今は違うと断言できます」
入須「…そう、か」
奉太郎「次は俺の番です、先輩」
入須「……あぁ」
奉太郎「……俺は先輩の事を…特別な、かけがえのない人だと、想ってます」
入須「! ………」
奉太郎「………」
ギュッ
奉太郎「!」
入須「嬉しい…」
奉太郎「……すいません、結局濁してますけど」
入須「いいよ、嬉しい」
奉太郎「……そう言って貰えると」
チュッ
奉太郎「! …せ、先輩?」
入須「…首筋はノーカウント?」
奉太郎「何が、ですか…」
入須「……ファーストキス」
奉太郎「! ………」
入須「…すまない。 …君への気持ちが、溢れてしまった」
奉太郎「…いえ」
入須「…折木君が好きで、愛しくて…ふふっ、その内、爆発してしまうかもしれないな」
奉太郎「…そうなる前に、何とかしましょう」
入須「…ふふっ」ギュウッ
奉太郎「…先輩」
入須「私は幸せだ、折木君」
奉太郎「…俺も、同じ気持ちですよ」
入須「ふふっ」
奉太郎(…可愛くて綺麗で茶目っ気もある、魅力的な先輩。 …たまにわがままで怒るけど)
奉太郎(…俺だってこんな人、絶対に手放したくない)
奉太郎(…そう言える日が来る様に、俺も頑張らないとな)
おまけ
・AM12:00
入須「……ん…折木君…」ギュッ
奉太郎「………」
入須「折木…君…」
奉太郎「………」
入須「すぅー…すぅー…」
奉太郎(…こんなの寝られるか!)
おわり
さるさんの猛威に心が折れる所でしたが、長い時間ありがとうございました。
システムをよく理解しておらずすいませんでした。
次回があるとすれば、アニメ氷菓が終わる前に書ければいいなと思います。
では、限界なので寝る事にします。ありがとうございました。
入須先輩可愛い
1おつ
入須先輩最高!
よかったよ
Entry ⇒ 2012.08.30 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (5) | Trackbacks (0)
える「ほうたる一週間」
える「最近折木さんが部活に来ません」
える(文化祭も終わりましたし、活動内容が内容なので強制はできませんが……)
える(そういえば部活の外で折木さんとお話したことはあまりありませんね)
える(部活に来ないときは何をなさって……)
「えっさ、ほいさ」ザックザック
える「………?」
える「グラウンドの方から聞き覚えのある声が……」
折木「えっさ、ほいさ」ザックザック
える(って折木さん!?一体何を……)
える(と、とりあえず物陰に隠れて様子を……)
折木「ふぅ、ほぼ完成したな。対里志用落とし穴」
える(落とし穴!?)
折木「いい汗かいたー」フキフキ
える(折木さんの口からそんなセリフが出てくるなんて……!)
折木「里志のヤツ、データベースのくせに最近伊原とイチャイチャして調子こいてるからな」
える(調子はこいてないと思います!)
える(逆恨みですか!?)
折木「有刺鉄線も仕込んだし」
える(からかいの限度を超えていますよ!)
折木「こんなところに落ちたらさすがの里志も『オアまァッ!!』とか叫んでのたうちまわりそうだな」
える(本当ですか!?私、気になります!!)
折木「まぁ、確実に激怒するだろうな。
里志が怒った時のために、便座カバー入れておくか」
える(それで本当に機嫌が直るんですか!?)
折木「便座大好き、福部里志」
える(何ですかそれ!??)
える(落ちないと思います!!)
折木「三日間部活にも行かずに掘った穴だからな。絶対うまく落ちてもらうぞ」
える(三日?折木さん、部活に来ないで落とし穴を掘っていたんですか?)
える(……折木さん、部活に来ないときはいつもこんなエキセントリックなことをしているのでしょうか?)
折木「さとしーのデコにねらーいをきーめて、便座カバー」ピンポン
える(その歌は何ですか!?)
える(とにかく、)
える(私、気になります!)
【月曜日】
える(というわけで)
える(私は一週間、折木さんの様子を影から観察することにしたのです)
折木「結局里志のヤツ来なかったな」
折木「せっかく伊原の筆跡に似せたラブレターまで用意して呼び出したのに」
折木「たかがデータベースの分際で」
折木「逆から読んだらスペースインベーダーじゃないか」
える(全然違いますよ!)
折木「………飽きた。里志のことなんかどうでもいいか。
というわけで今日は『こんな入須はいやだ』について考えよう」
える(それが今日の活動ですか!?)
―――― 一時間後
折木「たくさんできたな」
≪こんな入須冬実は清教徒革命で国外逃亡しろ!≫
・前髪が本体だ
・森に生えている
・シリコンだ(胸が)
・『そうとも。何故なら私は入須冬実だからな』とよく言う
・↓こんなだ
ちょっと意味がわからない
(例)「それを嘘と呼ぶかは、君の自由よ。童貞坊や」
・ネット上だとテンションが高い
・本当は出須夏実だ
折木「よし、今日の可処分エネルギー終了。帰るか」
える(読み上げてください!気になります!!)
【火曜日】
折木「よし、今日は遠垣内のモノマネをしよう」
える(それが今日の活動ですか!?)
折木『ぐへへへ~オイラ遠垣内って言いますぅ~。好物はヤニとニコチンですぅ~』
える(遠垣内さんってそんな方なんですか!?)
折木「うーん、ちょっとしか似てない」
える(すこしは似ているんですか!?)
折木「遠垣内のヘタレ不良っぷりがあんまり出てないな。
もっと普段着の遠垣内に挑戦しよう」
折木『その腕、よほど要らぬと見える』
える(怖い!怖いです折木さん!)
折木「お。今のはちょっと似てたな」
える(これは自信を持って言えます!似てません!!)
折木「さて、今日の可処分エネルギー終了。帰ろ」
える(えぇーっ!)
【水曜日】
折木「よし、一発ギャグでも考えるか」
える(いい加減に部活に来てください!)
折木「伊原摩耶花っ!!」ガッ
える(一発ギャグって、摩耶花さんのネタなんですか!?)
折木「………違うな。伊原のキモオタっぷりがうまく出てない」
える(『きもおた』って何でしょう?私、気になります!!)
折木「いはらーー……マヤカ!!」パカッ
える(何ですかそれ!?)
【木曜日】
折木「今日は何をして暇をつぶそうか……」
える(暇なら部活に来てください!)
折木「あ、そうだ。久しぶりに彼女に会いに行くか」
える(…………え……?)
折木「まあいないけどな、彼女」
える(…………っ)ホッ
える(………?……「ホッ」?)
【金曜日】
える「折木さん、今日は部活にいらっしゃるでしょうか」
折木「はははははー」ビュオンビュオン
える(無表情で笑いながらブランコにー!?)
える(といういか、この神山高校にブランコなんてあったんですか!?)
折木「さとしーのデコにねらーいをきーめて、便座カバー」
える(またその歌なんですか!?)
える(それは個人の自由ではないでしょうか?)
福部「あっ、いたいた!ホータロー!」ダダダッ
折木「ん?」
福部「今日は壁新聞部の取材の日なんだよ?こんなところで何油売ってるのさ」
折木「そんなもの千反田に代表して行かせればいいだろう。部長はアイツなんだし」
福部「その千反田さんが捕まらないからホータローを代役に立てたんだよ」
える(何だか、すみません……)
折木「ちっ、面倒くさいが仕方がない。面倒くさいが」
福部「二回言わなくてもいいよ。ほら、遠垣内先輩待たせてるんだから、早く早く!」ドッコイショ
折木「運ぶな運ぶな」
える(…………行ってしまいました)
―――地学準備室
遠垣内「あの一年生、俺を待たせるとはどこまでバカにしてるんだ……」イライラ
コンコンッ
福部「遠垣内先輩、ホータロ……折木を連れてきました」
遠垣内「やっと来たか」
ガラッ
折木「よーし今日の活動終了」ダッシュ!
折木「よーし今日の活動終了」ダッシュ!
福部「待ってよホータロー!そんなんじゃ取材にならないだろ!!」ダッシュ
福部「遠垣内先輩キョトンとしてたよ!!」
遠垣内『』キョトン
折木「あはははー」ダッシュ!
える(あっ、戻ってきました)
福部「アハハじゃないよ!先っちょだけ見せて何がしたかったんだよ!!」ダッシュ!
える(さきっちょ!?何の先っちょですか!??)
【金曜日】
える「今週折木さんを観察して分かったことは、折木さんが分からないということだけです……」
オーイ、ホータロー
ドコニインノヨー、オレキー!!
える「福部さんに、摩耶花さん?折木さんがどうかしたんですか?」
福部「あっ、千反田さん」
伊原「聞いてよちーちゃん!今日改めて壁新聞部の取材が来たんだけど、
折木のヤツ、おでこを手でパカッとして
『いはらーー……マヤカっ!!』って言ったかと思うと急に出て行っちゃってさ!!」
える(アレをやったんですか!?しかも摩耶花さんの前で!?)
福部「そーなんだ。遠垣内先輩もぽかんとしちゃってさ」
遠垣内『』ポカン
伊原「おまけに人のこと馬鹿にして……八つ裂きにしてやらないと腹の虫が収まらないわ!!」
福部「というわけで、ホータローを見かけたら教えてよ」
伊原「というか、キャメルクラッチで絞め落とした後大声で呼んで!!」
える「か、かめ………?」
福部伊原「じゃ!」ダッシュ!
アノテンパーカナラズブッコロス!!
マァマァマヤカ……
える「行ってしまいました……」
える(とりあえず、私も探してみましょう)
える(多分いつものブランコのあたりに……)
折木「あはははー」ビュオンビュオン
える(いました……)
折木「とう」タンッ
える(跳びました!)
折木「オアまぁー」ゴシャァー
える(転びました……)
折木「あー、駄目だ。何やっても退屈が晴れん。
なぜかは分からんが多分里志のせいだ」
える(それはもう逆恨みどころか八つ当たりです!)
折木「こうなったらあることないこと言いふらして、里志を社会的に抹殺するしかないな」
える(何を言っているんですか!?)
折木「人のバレンタインチョコとタニシをすり替えたことがある、とかどうだろうか」
える(折木さん………)
折木「うん、これは中々面白いな。でも何か物足りん………」
折木「ああ、そういえば」
折木「今週千反田の顔を見ていないな」
える(!!!)
える(……………!)
折木「千反田に振り回されるのも終わりかな。はははー」
える「…………折木さん!!!」ダダダッ
折木「おー、千反田。久しぶりだな」
える「久しぶりじゃありません!」
折木「どうしたそんなにいきり立って」
える「この一週間、折木さんのことが気になって気になって仕方なかったんです!!」
折木「は?」
える「対福部さん用の落とし穴とか、摩耶花さんの一発ギャグとか!」
折木「見てたのか。恥ずかしいな」
える「『こんな入須さんはいやだ』の内容も、遠垣内さんのモノマネも、」
える「わたし、気になります!!!」キラーン
折木「うーむ」
伊原「それは」
遠垣内「俺たちも」
入須「気になるな」
折木「」
入須「折木君。このメモについて聞きたいことが二、三あるのだが」ヒラッ
折木(おお、無くしたと思ったらそんなところにあったのか)
遠垣内「返答次第では………斬って捨てる」チキチキ
折木(わー、よく切れそうなカッターナイフだな)
伊原「覚悟はできてるんでしょうね………」ゴゴゴゴゴ
える「あ、あの、三人とも落ち着いてください」オロオロ
折木「そうそう」
三人『オマエが言うな!!』
福部「あっ、ホータロー!こんなところに居たん」
ズボッ
折木「異端?」
………
………………
………………………
折木「おーい大丈夫か里志ー」
<大丈夫じゃねぇーーーーー!!
折木「ほら、そこ、便座カバーあるぞ、便座カバー」
<いらねーーーーーー!!!!
える「え、えと……」
える「次回をお楽しみに!」
おしまい
スレタイの語感とドラマCDのノリだけで書いた。今では反省している。
じゃあの。
ドラマCDの中身、気になります!
Entry ⇒ 2012.08.26 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (2) | Trackbacks (0)
十文字かほ「ようこそ、占い研究会へ」
十文字「これで……よしっと」ゴトン
HRが終了すると、私はすぐに自分の机を廊下に出した。
机の前には、
「占い・相談 一件20分」
というはり紙をさげてある。
伊達や酔狂でこんなものを掲げているわけじゃない。
これが私の『部活』だ。
「あのー……」
十文字「はい?」
ほら、今日もお客さんがやってきた。
「占い研って、ここですか?」
十文字「――ええ」
自己紹介がまだだったかな。
私の名前は、十文字かほ。
十文字「ようこそ、占い研究会へ」
占い研究会の部長にして、唯一の部員だ。
――――
普段の部活は一人で占いの勉強をするくらいなのだけれど、
週に一回ほど、こうやってブースを出して他の生徒を占ったりしている。
フィールドワークというやつだ。
ちなみにお金は取っていない。
私の研究を手伝ってくれる人からお金なんて取れないから。
というのは建前で、校内で金銭のやり取りはいろいろとまずい。
??「あの……」
ほら、噂をすればお客さんだ。
十文字「いらっしゃい」
伊原「占い研って、ここでいいのよね……?」
ああ、この人は……知ってる。
同じ学年の伊原摩耶花さんだ。
えると同じ古典部で、図書委員もしていたはずだ。
そして……、
十文字「ええ。何か占ってほしいの?」
伊原「う、うん」
伊原「―――恋愛運を、占ってほしいんだけど」
彼女には、好きな人がいる。
………
………………
………………………
占いをしていると、自然に校内の噂は集まってくる。
特に、色恋沙汰に関しては必要以上に。
伊原「……中学の時から好きな人がいて。あ、その人も神高なんだけど」
十文字「うん」
彼女の好きな人というのは、福部君のことだろう。
福部里志君。私と同じ1年d組の男の子だ。
にぎやかなイメージだけれど、あまり話したことはない。
伊原「ずっとアタックしてるんだけど、手ごたえがないっていうか、誤魔化されてるっていうか……」
十文字「うんうん」
そして、この伊原さんが彼に対して熱烈なアプローチを続けているというのも有名な話だ。
伊原「それでも好きなことには変わりないけど、
このままじゃ埒が開かないと思うのよ」
十文字「……なるほど。それで恋愛運を占ってほしいってこと?」
伊原「う、うん……」
伊原さんが小さくうなずいた。
なるほど、恋愛運。
占いのジャンルとしてこれほどポピュラーなものもないだろう。
十文字「うん、わかった。じゃあ、名前と生年月日、あと血液型をこの紙に書いてくれる?」
私は伊原さんに小さなメモ用紙を手渡した。
伊原「ええ、わかったわ」
伊原さんが必要事項を記入している間に、私は占う対象――つまり彼女を眺める。
十文字(伊原さんが心配するようなことはないと思うんだけどな……)
ここだけの話、福部君の方も伊原さんを憎からず思っているのはほぼ確定事項だ。
これはいろんな方面から入ってきた情報で裏も取れている。
占いにあたって、こういう事前情報はノイズにしかならないという意見も根強いが、
私はそうは思わない。
占いは学問だ。
ならば、検証できるデータは多い方がいいに決まっている。
………
………………
………………………
伊原「書けました」
十文字「ありがとう。じゃあ占いに入りたいんだけど、どれにする?」
伊原「え?どれって……?」
十文字「タロット、手相、易、大体何でもできるけど」
伊原「ホント!?」
十文字「うん。太占とかは無理だけど」
伊原「太占!?」
廊下で火を使う占いは、さすがにまずい。
伊原「えっと、じゃあ手相でお願いします」
十文字「はい。ちょっと待ってね」ゴソゴソ
私は鞄から手相見用の虫眼鏡を取り出す。
まぁ、普通の虫眼鏡なんだけど。
十文字「はい、左手出して」
伊原「う、うん……」
伊原さんはこわごわと左手を差し出した。
十文字「………ふむふむ……へぇー……」
伊原「あ、あの……」
綺麗な手だ。小さくて白い、女の子の手だ。
ん?親指と中指の先に固いものがある。
……ペンだこ?
伊原「あ、あんまり見ないで!………はずかしいから」
伊原さんが真っ赤になって抗議してきた。
十文字「ごめんごめん。でも見ないと占えないから」
伊原「うぅ……」
伊原さんの手ばかりに没頭してはいられない。
彼女の手の線をじっくりと観察する。
うん、悪くない手相だ。
だけど………
十文字「うん、大体分かった」
伊原「本当に!?」
十文字「ええ」
伊原「それで、どう?私とふく……彼は上手くいきそう?」
十文字「………うーん、そうね。悪い方向にはいかないと思う」
伊原「ホント!?」
十文字「でも、すぐにってワケじゃない」
伊原「……えっ」
私の言葉に、伊原さんは露骨にがっかりした表情を見せた。
十文字「確かにいい線――幸運の兆しは見えるんだけど、事態はすぐには好転しない……
でも、それはあなたの力不足のせいじゃない」
伊原「どういうこと?」
十文字「これは私の勝手な憶測なんだけど……
多分、相手に原因があるんじゃないかな」
伊原「…………」
占った私にはさっぱりわからないけど、
どうやら彼女には心当たりがあるようだ。
十文字「その結果を踏まえて私が言えるのは……
『あきらめずにがんばれ』ってことくらいかな」
伊原「………それじゃ、今までと………」
私のアドバイスはあまりに月並みだったようで、
伊原さんはすっかりうつむいてしまった。
確かにこれが結果なのだが、依頼人が満足できなければ占いとは呼べない。
というより、ちょっぴり悔しい。
―――よし。
十文字「伊原さん、お役にたてなかったお詫びと言ってはなんだけど、
いいこと教えてあげる」
伊原「へ?」
十文字「ここを見て。線が入ってるのが分かる?」
伊原「………うん」
十文字「これは向上線と言って、目標に向かって絶えず努力できる人に出る線なの」
伊原「目標に向かって……」
十文字「だから、伊原さんの努力が報われる日は必ず来る」
伊原「…………っ」グスッ
十文字「それに、こんな可愛い女の子にアタックされて振り向かない男の子なんていないよ。
自信を持って。応援してるから」
伊原「………うぅ~~~~っ!!」グスグス
それから時間になるまで、伊原さんは机に突っ伏して泣き続けた。
………
………………
………………………
伊原さんは、落ち着くとすぐにお礼を言って帰って行った。
目は腫れてしまったけど、なんだか憑き物が落ちたような顔をしていた。
あの表情を見ることができただけで、今日のフィールドワークは成功と言ってもいい。
十文字(いいデータも取れたし、今日はおしまいにしようかな)
??「失礼。占い研究会の十文字さんかな?」
十文字「?」
お客さんかな?
遠垣内「壁新聞部の遠垣内だけど、すこし話を聞かせてくれないか?」
壁新聞部……ああ、『神高月報』の。
遠垣内「来月の部活紹介に載せる記事が欲しくてね。
今年新設された部に協力してもらってるんだ」
十文字「部と言っても、部員は私だけですけど」
遠垣内「事情はどこも似たようなものさ。部員の勧誘にもなると思うんだけど、
だめかな?」
……あんまり人が増えても仕方がないんだけどな。
十文字「……わかりました」
遠垣内「本当かい?いやあ助かるよ」
十文字「いえ。それで、聞きたいことというのは?」
………
………………
………………………
遠垣内「………こんなものでいいかな。十文字さん、ありがとう」
十文字「いえ」
遠垣内「それにしても占い研はずいぶんオープンに活動しているんだねえ」
十文字「フィールドワークですから」
遠垣内「フィールド?」
十文字「そうだ、せっかくですから、遠垣内先輩も何か占っていきますか?」
遠垣内「俺?いやいいよ。占ってほしいこともないし」
十文字「何でもいいですよ。将来のこととか、現在進行形の悩みとか」
遠垣内「……悩み?」
あ、食いついた。
十文字「まあ、無理にとは言いませんが」
遠垣内「待て、いや待ってくれ。
……何でも占えるのか?」
十文字「アマチュアですので、結果に責任は持てませんが」
遠垣内「いや……それでもいい。
聞いてほしいことがあるんだ」
………
………………
………………………
十文字「一年生から脅されている……」
遠垣内「そう」
先輩の口から語られた悩みというのはヘビィかつ何とも情けない話だった。
遠垣内「あのクソ生意気な一年坊主、この俺を顎で使いやがって……」
十文字「あの、そういうお話だとちょっと私の手には……
親御さんか先生方に相談された方が」
遠垣内「ダメだ!!!」ダンッ
十文字「」ビクッ
遠垣内「あ、いや……すまない。
だけどそれはダメだ。大人には相談できない」
十文字「はぁ……それで、私に何を占えと?」
遠垣内「そうだな。そんな感じで春からこっちツイてないからさ。
アレにこれ以上弱みを握られないように、何に気を付ければいいか占ってくれないか」
十文字「なるほど。厄除けですね?」
遠垣内「そういうことだ」
十文字「そういうことなら家でお御籤引いた方がいいと思うけど……
わかりました。やってみます」
遠垣内「そうか、助かるよ」
十文字「じゃあ、準備しますから」
………
………………
………………………
十文字「…………」
遠垣内「どうだ?」
十文字「……出ましたよ。ハッキリと」
遠垣内「本当か!」
十文字「ええ。こんなにはっきり出るのは珍しいんですけど」
遠垣内「……そんなに、はっきり出たのかい?」
十文字「ええ。
――――火難の相がクッキリと」
遠垣内「!!!」
遠垣内「!!!」
十文字「命の危険があるわけではないようです。
でも当分火の気には近づかない方がいいみたいですね」
遠垣内「………そ、そうか。気を付けるよ」
十文字「特に……火種には注意を払うべし、と出ています」
遠垣内「火種?」
十文字「ええ。ガスコンロとかバーナーとか、ライターとか」
遠垣内「ふざけるな!!」
十文字「………」
遠垣内「まさか……君まで俺を……」
十文字「あっ先輩、もう一つあります」
遠垣内「…………何だ」
十文字「ラッキーアイテムは消臭剤とブレス●アだそうです」
遠垣内「もういい!!!」
………
………………
………………………
十文字「あんなに怒る事ないのにな……」
十文字(何か疲れたし、今度こそ終わりにしようかな)
??「すまない」
十文字「はい?……ああ入須さん」
入須「久しぶりだな、十文字」
十文字「今日はどうしたんですか?父に伝言なら……」
入須「いや、今日は私用だ」
十文字「私用?」
入須「その………わかるだろう?」
十文字「……まさか」
入須「………わ、私も、占ってほしいんだ」
十文字「」
………
………………
………………………
十文字「自分のキャラ付けに悩んでいる……」
入須「……………そうだ」
十文字(めんどくさ……)
入須「お前も思っただろう?私に占いなんて似合わない、と」
十文字「いえ、別に……」
入須「私が悩んでいるのはそこなんだ」
十文字「……ああ、なるほど」
入須「私はこの神山高校で『女帝』というありがたくもない称号を頂戴している」
十文字(ピッタリだと思うけど)
入須「むろん、呼び名だけならさして問題はない。
そんなものは記号に過ぎないからな」
十文字「はぁ」
入須「問題は……その言葉のイメージが独り歩きしてしまった場合だ」
次の次辺りに正月の回があれば出ると思う
マジかよかった
十文字「独り歩き……?」
入須「そうだ。たとえば……私が可愛いぬいぐるみを抱えてスキップしていたらどう思う?」
十文字「…………」
入須「笑うか?」
十文字「………いいえ」
入須「無理はしなくていい」
十文字「…………」
入須「たとえば、私がマジックショーに目を奪われてはしゃいでいたらどう思う?」
十文字「………………」
入須「可笑しいだろう?」
十文字「………………い、いいえ」プルプル
入須「無理はしないでくれ。本当に」
十文字「………そ、それが悩み、ですか?」
入須「そうだ。私は常に求められたところを為してきた。
その上でたまわった名なら甘んじて受けよう。だが……
今ではその名に縛られている」
十文字「名前に縛られる……」
入須「期待、と言い換えてもいいな。
ふっ。期待を操ってきた私が期待にからめ捕られるとは、皮肉なものだな
自業自得だと笑ってくれ」
十文字「…………」
入須「だが………最近それがひどく煩わしいと思うことがある」
十文字「……それで、占ってほしいことというのは何ですか?」
入須「そうだな。私はどうすれば周囲の期待という名の誤解を解くことができるのか。
それが知りたい」
………
………………
………………………
十文字(正直占うまでもないなぁ……やることは明らかだし)
十文字(………占ったフリして言いたいこと言ってしまおう)
十文字「…………出ました」
入須「そうか」
十文字「うーん………」
入須「ど、どうだ?」ソワソワ
十文字「カードの導きによると……」ウムム
入須「よると……?」ソワソワ
十文字「『自分に素直になる事』、これです」
入須「自分に素直に……?」
十文字「そうです」
入須「………それができたら苦労はない」
十文字「そんなことはないですよ。試してみましょうか」
入須「試す?」
十文字「ここにさっき書いてもらったプロフィール表があります」
入須「それがどうしかしたのか?」
十文字「『好きな音楽:シューベルト』……見栄はりましたね?」
入須「う」
十文字「本当は?」
入須「…………松田〇子」
十文字「『好きな本:『正義論』』………ダウト」
入須「あう」
十文字「本当は?」
入須「………『夕べには骸に』」
十文字「これで最後です。
『欲しいもの:万年筆』………御冗談でしょう」
入須「ううぅ……」
十文字「ほ・ん・と・う・は?」
入須「…………大きなくまちゃんのぬいぐるみ」
十文字「………やればできるじゃないですか」
入須「うああああああ!!!」
十文字「何というか、周囲の期待とか関係なく見栄っ張りすぎますよ」
入須「フリで続けていたことが本心にすり替わる……ふん、皮肉なものだな」
十文字「いや、だからさっきのが本心でしょう?」
入須「今更そんなこと言えるわけがないだろう!
このキャラで2年弱やってきたのに急にかわいいもの好きをカミングアウトなんて出来る訳がない!!」
十文字「ふりだしですね」
入須「結局、私は孤独な玉座を守り続けていくほかないのか……」
十文字(玉座……)
十文字「あっ、じゃあこうしましょう」
入須「?」キョトン
十文字「入須さんが今一番したいことを言ってみてください。
私もそれに付き合います」
入須「したいこと……」
十文字「みんなに打ち明けるのがこわいなら、私で少しずつ慣らしていきましょう」
入須「しかしだな………」
十文字「私なら、だれにも言いませんから」
入須「!」
十文字「それに、今日はどうせこれでお終いにしようと思っていたんです」
入須「ほ、本当に?本当に誰にも言わない?」
十文字「入須さん、口調口調」
入須「はっ!……ご、ゴホン……本当に誰にも言わないな?」
十文字「はい、誰にも」
入須「…………」
十文字「入須さん?」
入須「………………ち」
十文字「ち?」
入須「……千反田と、もっと仲良く、したい」カァァァ
十文字「」
十文字「いえ、言いましたけど………さすがにちょっと予想外で」
入須「仕方がないだろう!
昔はあんなに一緒に遊んだというのに、私が受験生になったころからウチに寄り付かなくなって……」
十文字「えるもきっと気を使ったんですよ。そういう子だって知ってるでしょう?」
入須「うるさい!お前もだ!」
十文字「わ、私も?」
入須「そうだ!」
十文字「ええと………」
入須「私は老け顔かもしれないけど、お前たちと一つしか違わないんだぞ!
ずっと一緒にいた妹分が二人とも急に疎遠になってなぁ……」
入須「さびしかったんだぞ!!」
入須「うぅー………」ポロポロ
十文字「ああ、入須さん泣かないで。
そうだ、いいこと思いつきました!」
入須「う?」
十文字「えると入須さんと、それに私で、帰りにどこか遊びに行きましょう!」
入須「さ、三人で?」グスグス
十文字「ええ。久しぶりに、三人で」
入須「………………いく」
十文字「じゃあ、今すぐえるを迎えに行きましょう!
きっと古典部の部室にいますから」
入須「………う」コクッ
十文字(あ、かわいい)
………
………………
………………………
―――地学準備室(古典部・部室)
コンコンッ
える「はい」
十文字「える、私。かほだけど」
える「あっ、はーい」トテトテ
ガラガラッ
える「いらっしゃい、かほさん……と、入須さん?」
入須「」ビクッ
える「どうかされたんですか?」
入須「う、うん、まぁそうだな」
十文字(入須さん)
入須(わ、分かっている)
入須「あ、あのな千反田」
える「はい、何ですか?」ニコニコ
入須「えーと、その……なんだ」
える「はい」ニコニコ
入須「………今日の放課後は空いているか?」
入須「さっきそこで十文字に会ってな、久しぶりに旧交を温めようかという話になったんだが」
える「まあ」
入須「今からどこかへ出かけようと思うのだが、お前も一緒にどうだ?」
十文字(よし)
える「ええと………ごめんなさい!」
入須「!!」
十文字「!」
える「今日はどうしても外せない用事が入っていて………
申し訳ありません」
入須「そう、か」フルフル
十文字「入須さん………」
入須「いや、いい。………邪魔をしたな、千反田」
える「……あの、入須さん」
入須「何だ?」
える「今週の土日は空いてますか?」
入須「………へ?」
十文字(うん?)
える「えっと、ですね。
再来週から定期考査が始まりますよね」
入須「そう、だな」
える「今度のテストは少し自信がないので、よろしかったら入須さんに勉強を見てほしいんですが」
入須「………お前なら心配ないと思うが」
える「いいえ!」ズイッ
入須「うっ」
える「今度のテストは本当に心配で!これはもう徹夜で勉強しないと間に合わないと思うんです!」
入須「そ、そうか」
える「だから、入須さんにみっちり鍛えてほしいんです!
その………泊まり込みで」
入須「!!!!」
十文字(おお)
える「――――いえ、違いますね。
入須さん、
今度の週末、久しぶりに泊りに行ってもよろしいですか!」
入須「……………十文字」チョイチョイ
十文字「はい」
入須「私のほほを思い切りひっぱたけ」
十文字「心配しなくても夢じゃないですよ」
える「えと……駄目、でしょうか?」
入須「そ、そんなことはない!
ぜひ来てくれ!私と母でごちそうを作って待っている!!」
える「い、いえ!そんなお構いなく!」
入須「気にするな!
そうだ、十文字!お前も来い!」
十文字「えっ、私も?」
入須(私のしたいことにつきあってくれるんだろう?)ヒソヒソ
十文字(ああ、そんなこと言いましたね)ヒソヒソ
入須「そうか、お前も来てくれるか!
じゃあ千反田、十文字。土曜日に待ってるからな」
える「はいっ!」ニコニコ
十文字「」
………
………………
………………………
十文字「疲れたな……」
今日はいつもよりお客さんも少なかったのに、いつもの倍疲れた気がする。
私は今日やってきたお客さんのことを思い出しながら家路を歩いていた。
停滞した恋に悩む女の子。
脛に傷のありそうな先輩。
そして、意地っ張りな姉のような人。
全員を笑顔にすることはできなかったけど、
……最後の一人はあんまり占いも関係なかったけど、
伊原『十文字さん、ありがとう!』
遠垣内『………協力、ありがとう』
入須『感謝するぞ、十文字』
みんな最後は、お礼を言ってくれた。
これだから、占い面白い。
だから私は明日も明後日も、
十文字「占い研で、お待ちしています」
おしまい
眠いからここまで。
百合とかじゃなくて女の子が仲良くしているのがすきです。
じゃあの。
面白かった
Entry ⇒ 2012.08.24 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
折木「(千反田が部活に来ない…)」
場所は我らが古典部の部室。
摩耶花「ちょっとふくちゃん!まだ話は終わってないんだから!」
里志「摩耶花、ちょっと落ち着いて。」
摩耶花「誰のせいで怒ってると思ってるの!」
里志と伊原が猛烈な言い合いをしている。発端は何だったか…忘れたけどまぁ、些細な事だろう。
ふと気になって時計を見ると、下校時刻が迫っていた。俺は読んでいた本に栞を挟み、席を立とうとする。
さぁ、帰るか。
…。
隣から視線を感じる。
ち、近い。
隣どころじゃない。
めちゃくちゃ近い。
いつからその体勢だったんだ。
俺は一歩下がって言う。
折木「…何だ千反田。」
千反田は一歩足を踏み出して言う。おい。折角俺が一歩引いたのに。
千反田「折木さん、あの2人のケンカ、止めなくて大丈夫でしょうか…。」
千反田の視線が近すぎて目のやり場に困る。さりげなく里志たちに視線を移しつつ、言う。
折木「何だ、そんな事か。あいつらは仲がいいから喧嘩をしてる訳だし、放っといて大丈夫だろう。」
千反田「そ、そうでしょうか…。」
折木「ケンカするほど仲がいい、って言うだろ」
千反田「言われてみれば、あの2人はいつもきちんと話をしてケンカしますよね。」
折木「冷戦状態とは無縁だな。」
千反田「素敵ですよね…あの2人のケンカは、きちんと、次に繋がるケンカです。」
折木「しないにこした事はないがな」
千反田「まぁ、そうですね…。」
千反田はそう言って再び、不安そうな顔で2人の様子を見守り始める。
…。
さて、帰るか。
俺は再度決意をする。
鞄を手に、起立!立席!前へ進め!
千反田「…おれきさん…。」
後ろで千反田が泣きそうな顔をしている。何もそこまでお前が気にする事はないだろう。そんな顔でこっちを見るな。
折木「千反田。こういうのは思い切りが肝心だ。見るから気になる。見なければ気にならない。」
千反田「ええ…まぁそうなんでしょうが」
折木「帰るぞ」
千反田「えっ」
回答を待たずに千反田の手と鞄を掴んで部室を出る。
千反田に、あいつらの喧嘩を見て見ぬふりする事が出来ない以上、さっさと帰るのが一番手っ取り早い。
これは俺の掲げる「省エネ主義」の信条に合っている。恐らく。
どっちにしろ下校時刻はもうすぐなんだ。
校務員が来て喧嘩は強制終了させられる事だろう。
校内は無音。
昼間の喧騒はどこへやら、静寂の中に居ると不思議な気持ちになる。昼の学校と夜の学校は、どうしてこんなにも雰囲気に差があるのか。
窓から外を見下ろす。夕暮れも近い。
下駄箱まで降りてきて千反田と一度別れる。
俺はA組、千反田はH組。2年に進級して、クラスが遠くなった。
教室や下駄箱の地理的条件から考えれば最も遠い事になる。
靴を履き替えて、玄関付近でしばし待つ。
…来ない。
…来ない。
まさか、あまりにも完璧な俺の棒立ちっぷりに、人体模型や彫像の類と勘違いをして横を通り抜けてもう帰宅したか?
いや、それなら俺が気付くか。
…もしかしてあいつ、里志と伊原の様子が気になって再び部室に戻ったのか?
などと思慮を巡らせつつ、H組の下駄箱に歩を進める。
千反田発見。自分の下駄箱の前で、立ち尽くしている。
折木「千反田?」
千反田「っ!!!」
俺が声を掛けると、千反田は靴箱の扉を壮絶な勢いで閉めながら、どこかぎこちない笑顔で言う。
千反田「お、お待たせしてすみませんでした。暗くなってしまう前に、帰りましょう。」
折木「…ああ。」
ここまでが、1週間前の話。
俺が所属する古典部は、4階の地学準備室を部室として活動する文化部だ。
と言っても、何をする部活なのか定かではない。
俺にも分からん。誰にも分からん。
古典部は俺達の入学と入れ違いに部員が全員卒業してしまった為、廃部の危機だった。
だが俺や千反田、里志や伊原が入部した事で古典部は無事に存続できる事になり、千反田を部長に、部員は一丸となって部活動に励んできた。
ただ、一度部員がいなくなっているので、何をする部活なのかがいまいち定かではないのが玉にきずではある。
多くの場合、千反田は彫像を掘り、伊原はシャドーボクシングをし、里志は1人で組体操の特訓をして時間を潰している。
てんでバラバラだ。
ちなみに嘘だ。
要は…古典部は集まっても特にやる事がない。
部室にはそれぞれが行きたい時に行き、行きたくなければ行かない。行けば誰かがいるかも知れないし、いないかも知れない。活動内容が定かではないのだからそれは当然の事なのかも知れないが。参加に強制力は無い。
とにかく、古典部は俺にとってそこそこ、居心地が良かった。行きたい時に行き、誰かが居れば少し話したりもする。積極的に約束されないが連綿と続くもの、それがあの場所にはあるのかもしれないと。俺は、知らず知らずのうちにそう思っていたのかもしれない。
長々と説明を挟んだが、要するに何が言いたいかというと、
この1週間、千反田は古典部に姿を見せていないという事だ。
普通に学校生活を送る上では、なかなか偶然会う事も無い配置だ。
俺はあの放課後以来、千反田の姿を見ていない。
部活動の参加に何の強制力も無い以上、何も言えないとはいえ、気にはなる。
…何か、あったんだろうか?
摩耶花「ここ1週間、ちーちゃんを見ないんだけど…」
里志「僕も全く会わないや。」
摩耶花「何かあったのかな…」
俺は小説のページをめくる。
里志「部活にも全然来ないしね」
摩耶花「いつもはちーちゃんが一番部室に顔出すのにね…」
俺は更にページをめくる。
摩耶花「逆に、折木がここ1週間毎日部室に居るのも何か違和感あるけどね。」
俺は更に更にページをめくる。
里志「ホータローは週2か週3が基本形だもんね。何で居るの?」
居たら悪いみたいな言い方はよせ。
摩耶花「まさかちーちゃんに会いに来てるとか?」
おい。
里志「あー、ホータロー。どうなの?そこんとこ。」
俺は居た堪れず個人的に貫いていた沈黙を破る。
折木「偶然だ偶然。ここは静かで読書に最適だからな。」
言い切ってから不安になる。
…俺、仏頂面、保ててるか?
摩耶花「ふーん。まぁどうでもいいけど」
おい。
折木「ああ。お前らが喧嘩してた日の放課後以来会っていない。」
里志「僕はその翌日の早朝、下駄箱で会ったっきりだなー」
摩耶花「下駄箱?」
そいつは初耳だ。
里志「うん。顔面蒼白っていうか…あんまり顔色良くなかった。」
摩耶花「早朝って…どのくらい早朝?」
里志「まだ教務室が開いてないくらい早朝。」
摩耶花「総務委員も大変ね…でも、ちーちゃんはそんなに朝早くに学校に来て何してたんだろ?」
里志「うーん、何か用事でもあったのかな?」
ふむ。
折木「千反田」
千反田「お、折木さん?」
俺と向かい合った千反田は、どうしてここに?と言いたげな目をしている。
ここはH組。やぁ偶然、という言い訳はなかなか通りにくい場所だ。敢えて言ってみるのも面白そうだが。脳内再生してみる。「やぁ偶然!」…無理だ。キャラ的に。
だが会いに来たのだとは尚更言いにくい。俺の心理的に。
なので要件だけ手短に。
折木「何かあったのか?」
千反田「え?」
折木「最近部室に顔を出さないから」
千反田「え、ええと…なかなか顔を出せなくて本当に申し訳ないです。」
…そんな事じゃなく。
謝る事はない。お前は悪い事など何一つしてないではないか。
部室に顔を出して欲しいのは俺………達が勝手に思ってる事なのに。
まずこの行動は俺の信条に合っていない。
次に、この行動は余りにも自分本位すぎた。
一瞬の葛藤の間に、俺はさぞ微妙な顔をしたのだろう。
千反田は俺の表情に、理由を求められてると感じたようだ。
違うのに。
俺ってそんなに顔に出るのか?
千反田「…探し物を、しているんです。大切な物をなくしてしまって。」
…探し物?
正直に言って、千反田が部室に来ないのは俺….……達が知らず知らずのうちに何かをしでかしてしまった為ではないかと思っていた。
だから部室に顔を出さないんじゃないのかと。
…良かったー。…のか?
というか、それならそうと言ってくれよ。
探し物なら俺達にも手伝えるだろうに。
思ったままを口にしてみる。
折木「なら尚更だ。里志や伊原はお前の為なら喜んで協力するだろ」
俺も、とは言わない。敢えて。特別な理由は無い。無いったら無い。
千反田は俺から目を逸らす。
千反田「いえ…これは、私がやらなくてはいけない事だと思うので。心配してくださって、ありがとうございます。」
…。
そうまで言われたら何もできないだろ。
里志「何だか寂しいね」
摩耶花「頼って欲しいな…」
俺が千反田の様子を告げると、即座にそんな感想が帰ってきた。
俺の抱いた感想と大体同じなのは置いておこう。
銀河系の隅辺りに放置。ぽーい。
里志「省エネ主義のホータローが、わざわざ千反田さんの教室まで行くなんて驚いたよ。」
折木「さっさと解決しないとエネルギーの浪費に繋がりかねんからな」
里志「それって噛み砕いて言えば、心配しすぎて気になっちゃうからさっさと解決したいって事だよね?」
折木「噛み砕くな。そのまま飲み込め」
俺達に協力を頼めないもの。
里志が見た『下駄箱で顔面蒼白になっていた千反田』の様子から考えて…何が思い付くだろうか?
里志「不幸の手紙が靴箱に入っていたとか?」
里志がぼそりと言う。
里志「うちの学校の靴箱は下方に若干の隙間がある。手紙程度なら入れられなくもないよね?」
…ありうる。
摩耶花「じゃあ探してるっていうのは…不幸の手紙を無くしちゃったって事?」
それもありうる。
里志「あれって確か、人の手を借りずに、手書きで○日位内に○枚書いて誰かに渡さないと不幸になる、みたいな内容だよね?」
摩耶花「ちーちゃんの場合、渡す人に申し訳なくて次の人に回せなさそうだけどね」
…不幸の手紙説、一理ある。
が、何か違うような。
靴箱で起こる事なんてたかが知れている。
「それによって顔色が悪くなるような出来事」なら尚更限定されるだろう。
不幸の手紙。確かに一理あるが…
例えば、「靴を隠された」としたらどうだろう。
見た瞬間失われた靴を見て顔面蒼白になる。
俺達に言えない理由としてもそれなりに筋は通りそうだ。
待てよ。
この学校の下駄箱は、個人に鍵が与えられている。
鍵は個人に1つずつと、忘れた時の為に教務室に全ての鍵が1つずつ。
普段なら教務室に行けば借りられなくもないだろうが…里志が千反田を見た時、時刻は早朝。
教務室は開いていなかったと言っていた。
つまり予備の鍵を借りる事もできなかった筈だ。
その前日、俺と千反田が帰宅した時刻も下校時刻ギリギリだった。
教務室で鍵を借りる事はできなかっただろう。
という事は、……なんてこった。
千反田の下駄箱は、少なくともあの日の放課後から翌日の早朝までは『千反田にしか開けられなかった』という事になる。
使えるのは靴箱の下方、僅かな隙間のみ。
なら、やはり不幸の手紙?
手紙なら僅かな隙間ながら、入れる事は可能だろう。
だが…いくら千反田と言えど、不幸の手紙を恐れるか?
俺は先週の千反田を思い出す。
あの日も、靴箱の前で…
俺の姿に驚いて靴箱を閉めた。
…靴箱?
里志が見たのはその翌朝。
再び靴箱。
今度は顔面蒼白で。
そうか。逆転の発想か。
おそらく千反田は、靴箱の中に「あるはずのないものが入っていた」から苦しんでいるのではなく「あるはずのものが無かった」から苦しんでいる。
そして俺が見た時には靴箱にはまだそれが「入っていた」
原因は、分かった。
解決する手立ても、恐らくは。
だがしかし。
俺が踏み入っていいものなのか…
少なくとも千反田は探し物が何であるのかを隠そうとしていた。…無理もない。
…どうする?
折木「千反田」
翌日、俺は再びH組の前で千反田に声を掛けた。
千反田「折木さん」
折木「千反田が探してる物は、恐らくこの学校にはもう、無いんじゃないかと思う。」
千反田「…」
折木「千反田?」
千反田「折木さんは何でもお見通しなんですね…」
折木「そんな訳ないだろ。俺なりに必死に考えた」
千反田「…ありがとうございます」
豪農千反田家の御令嬢で、眉目秀麗頭脳明晰、その上料理の腕も立つ。まぁ、もてるだろうな。
ただ、あまり知られていないが千反田は好奇心の申し子で、気になる事があればなりふり構わずにそれを追求してしまう傾向にある。それに振り回されるのは大抵俺、折木奉太郎である訳だが。
俺は千反田に振り回されながらも、俺自身、考え方や身の振り方に変化が現れてきたように思う。
例えば今回の件も。
今までの俺なら、ここまで積極的に千反田の問題に干渉しようとは思わなかっただろう。
俺はしばしば、俺の中の省エネ主義が致命的に脅かされているような感覚を感じる事がある。
それがいい変化なのか悪い変化なのか…変化を望まない俺にとって、この事象自体、どう受け止めていいか分からない…が。
折木「…千反田は、手紙を無くしたんだな?」
千反田「…はい。そうです。」
折木「1週間前の放課後、千反田は鍵を開け、靴箱を開いた。すると、見慣れない手紙が入っていた。その手紙の内容はまぁ………その、省くとして…それを読んでいたら、俺が千反田の様子を見に行ってしまった」
千反田「…はい。」
折木「その様子を見られたくなかった千反田は慌てて隠した。急いで手紙を靴箱に戻して、鍵を掛け、俺と共に下校した。」
千反田「そうです。」
折木「翌朝、千反田は靴箱を開け、手紙を回収しようとした。だが」
千反田「手紙は、入っていませんでした。」
折木「…里志が千反田を見たのは、その時なんだな」
千反田「そうです。私があんまり血の気の失せた顔をしていた為か、随分心配してくださいました」
折木「そして、千反田は手紙を探し始めた。」
千反田「…はい。先週、折木さんと別れた後、学校まで取りに戻ろうとしたんですが…下校時刻が過ぎていて、玄関も閉められた後で…。」
千反田は更に続ける。
「私にしか鍵は開けられないから、翌朝でも大丈夫だと、思って…でも翌日、靴箱を開けたら手紙が見当たらなくて。」
「きっと、折木さんと別れる前に、靴箱に入れたつもりになっていただけで本当は入れてなくて、どこかに紛れてしまったんだと思って…散々探しました。だけど見つからないんです。」
言いながら千反田は目に涙を浮かべる。いかん。俺が泣かせてるみたいじゃないか。
ええと…何と言えばいい?「泣かないでくれ」「お前は悪くない」違う、ええと…どうしたらいいんだ?
折木「…お前は手紙をなくしてはいない。」
…悩んだ割に簡素な言い方になってしまった。
千反田「なぜそう言い切れるんですか」
千反田が俺を見つめる。
涙は零れない。とりあえず安堵。
折木「靴箱の鍵は教務室に1つずつ予備がある。あの鍵を使えば、手紙を盗む事は可能だろう」
千反田「で、でも。鍵を借りれば分かるはずです!教務室の先生に声を掛けなくてはなりませんし、名前を書かないと借りられません!それに、あの時は時間的に、恐らく借りる事すら出来なかったと思います。」
千反田「なぜ知っているんです」
折木「俺も何度か世話になった」
千反田「そうなんですか」
千反田「….だとしたら、一体どなたが…わざわざ手紙を持って行ったんでしょう…?」
折木「…いや、そもそも俺達は前提から間違っていた。俺は手口に検討が付いてから、自分の靴箱に行き、検証してみた。そしたら…手紙は、入れられなかったよ。靴箱の隙間からは、手紙を入れるのは無理だった。」
千反田「え!?」
折木「靴箱の隙間は下方しか空いてない。手紙を入れるには、どうしたって靴が邪魔だ。」
千反田「言われてみればそう…ですね」
折木「第一、あの日の放課後、千反田は俺が行くとすぐに靴箱の扉を閉めて俺と一緒に帰った。つまり、お前は手紙を発見する前に、既に靴を履き変えていたことになる。もしかして、手紙は『靴の下に』置かれていたんじゃないのか?」
千反田「!そ、その通りです…私、確かに…靴を履き替えようとして、靴を持ち上げて…それで手紙に気が付きました…」
折木「手紙を靴の下に滑り込ませるなんて芸当は到底不可能だ。なら、手紙を抜く時だけでなく、入れる時にも鍵が必要になる。」
千反田「…ではもしかして」
折木「そうだ。手紙を入れた人物と、手紙を抜いた人物は、同一人物だ。」
千反田「…!…で、でも…先程も言いましたが、あの時は時間的に、教務室は開いてませんでした。鍵を借りる事はできなかったと思います。」
折木「事前に借りて、そのまま返さなければいい。」
千反田「それは無理です。鍵は使ったらすぐに教務室に戻す事になっていますから」
折木「千反田の靴箱の鍵を借りて、自分の靴箱の鍵を千反田の靴箱の鍵の代わりに教務室に返せばいい。そうすれば鍵の数は合う。実際に使用するまで鍵が合わない事に気付く者はいないだろう。」
千反田「そんな…」
折木「これなら鍵を借りる動作は1回で済む。その代わり、自分の靴箱は開けっ放しか閉めっぱなしの二択になるがな」
千反田「…」
折木「手紙を入れた人物は、おそらく下校時刻直前に手紙を入れた。翌朝千反田が見る事を想定して。しかし翌日になって、手紙を渡すべきか思い直して回収しに行ったんだろう。その人物にとっては、千反田が手紙を既に読んでいたことは誤算だった」
折木「…それは……」
千反田「…。いえ、そもそも、あの手紙を下さった方が誰だか分からないんです。無記名でした。だから尚更…どうしていいか分からなくて。」
折木「…」
折木「朔太郎だな」
千反田「ええ。萩原朔太郎さんの詩の一節ですね。」
折木「お前のクラスに、最近転校した奴はいるか?」
千反田「え?は、はい。います。数日前に引っ越してしまいましたが…」
折木「その詩は新天地への期待の詩だ。手紙を渡すか渡すまいか悩んでいた事や、自分の靴箱の鍵の開閉状態に無頓着だった事から考えると…まぁ、差出人はその転校した奴、だろう。」
千反田「え?」
折木「詩を引用した意味は、『さよなら、ありがとう。元気でやって行きます。あなたも元気で。』くらいのものだろうな」
千反田「そう、なんですか…」
ふと、千反田の顔を見る。
普段は近すぎて色々な意味で直視しにくいのだが…今は普通の距離感。
なんとなく、ほっとしたような顔をしている。
俺はというと、最後の最後まで千反田の問題に…特にこの問題には、踏み込んでいいものか悩むところがあった。
故に、俺も、ほっとしていた。
折木「千反田」
千反田「はい」
意を決して、俺は言う。
折木「部活行くぞ」
ええい、二度言わすな。
唐突過ぎた感は否めんが。
折木「皆待ってる」
千反田「…はい!」
かくして、『千反田部長、部活に不登校』事件(里志命名)は終わりを告げた。
例え差出人が分からずとも、そこに込められたものは本物。それを紛失してしまった事に対して、千反田は自らを責めた。取り戻さなければならないと考えた。
俺達に頼れなかったのも、おそらくはその為。
今回の件に関して、俺が思った事はただ一つ。
恋文とは、これまた古風な。
それに尽きる。
だが、千反田が恋文を受け取った事に気付いた時、どうにも動揺してしまった自分が居たのは事実だったと思う。
ふと思い立ってあの詩の一部を吟じてみる。
折木「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し…」
里志「朔太郎?」
里志が口を挟む。
折木「ああ」
里志「その詩、ホータローらしくないね。」
折木「なぜだ」
摩耶花「折木は自発的に、わざわざ遠くへ行こうだなんて思わなさそうね」
好き勝手言うな。
…だがその通りか。反論のしようもない。全面降伏。
里志「ホータローときたら、隣の町に行く事すら億劫そうだもんね」
摩耶花「勤労感謝へのアンチテーゼも大概にしてほしいわ」
なんだそれは。
千反田「『せめては新しき背広をきて きままなる旅にいでてみん。』です。この詩は、遠い場所へ向かう事だけではなく、むしろ旅路の経過を楽しむ事の重要さを言っているように、私は思います。」
折木「新しい背広で、気ままなる旅に、か。」
俺にとっての背広は、俺の生き方をほんの少しだけ、変える事なのかもしれない。
そうして、気ままなる旅へ。
行く先は遠い遠い新天地。
経過を楽しめ、か。
俺は千反田の横顔に、そっと目をやる。
俺にとっての新天地は、地理的な場所とは違う。
こちらに向かって来てくれているのかもしれない。
思うほど、遠くはない。それなら。
もしかしたら、俺も向かえるのかもしれない。新天地へ。
…と、そこで。
千反田がこちらに振り返った。
あ、目が、
合った。
長い長い時間のように感じた。
でもそれは俺達……いや、俺、にとってそう感じられただけで、他の人にとってはごく一瞬だったのかもしれない。
沈黙を破ったのは千反田。
千反田「そうだ!折木さん」
言いながら、俺の方へと歩いてくる。歩いてくる。まだまだ歩いてくる。
…おい。近いぞ。これは対話をする距離じゃない。背比べをする距離だ。接近しすぎなんだよお前は。
折木「…な、何だ?千反田」
…動揺が、顔に出てないといいが。
千反田「私、学校に来る途中で、気になる物を目にしたんです!どうか、どうか、あの謎を解いては貰えませんか?私ではいくら考えても、分からなかったんです…」
千反田の好奇心に振り回されるのも久しぶりだ。なんとなく新鮮な気持ちで、答える。
千反田「ありがとうございます!ぜひ、お願いします!」
感極まった千反田が更に一歩前に身を乗り出す。
おい、まだ近付く気か。
既に…なんというか、人肌を感じてしまう距離なんだが。
暖かい。
俺は精一杯の仏頂面を作り、精一杯のぶっきらぼうな言い方で、言った。
「行くぞ」
end
なかなかであった
支援ありがとでした
最後まで貼れるとは思いませんでした
以下、後日談貼っていきます
短めです
摩耶花「どういう事?」
里志「いや、だってさ。さっきの話はホータロー目線で書かれたものだったろう?」
摩耶花「それがどうかしたの?」
里志「僕はホータローが信用できないっ!」
摩耶花「親友に向けて何言い放っちゃってるの!?」
里志「あっ、いやそういう意味じゃなく。全面的には信用してる。信頼してる。…でもこれ本人には内緒ね。さすがに僕にも少々の羞恥心が」
摩耶花「言わないわよ。あいつと話す事、そもそもそんなに無いし」
里志「それもどうなんだろう…あ、でね。話を戻すけど、僕はホータローの目線で語られる物語が信用できないんだ。」
摩耶花「つまり?」
里志「そうだねー。例を出すとね、ホータローが
俺は今、部室で読書をして優雅なひと時を満喫している。
なんと満たされている事か。
…そこに、勢いよく扉を開けて我らが部長が部室に駆け込んで来る。
「折木さんっ!力を貸して下さいっ!気になる事があるんです」
身を乗り出して俺に迫る。
おい。俺から穏やかな時間を奪う気か…。
好奇心に満ちた目が、真っ直ぐに俺を見る。
こうなったら仕方ない。
「分かったよ。何が気になるんだ?」
「はいっ!あちらです!」
千反田は俺の手を掴んで駆け出す。
俺は大きなため息をついた。
…みたいな事を書いたとするじゃん?」
里志「でもそれは、ホータロー目線の話だから。ホータローが本当の事を書くとは限らない。ていうか、ホータローすら自分が嘘を書いてる事に気付いてないのかも」
摩耶花「ああ、なんとなく分かって来たわ。ふくちゃんの言いたい事が」
里志「なんせホータローは、ああ見えて意外と顔に出る。」
摩耶花「そうかも」
里志「ホータロー自身は気付いてないっぽいけどね」
摩耶花「そこがまたおかしいわよね」
里志「つまり、さっきの文章を僕目線から書くと、結果は全然違うって訳さ!」
摩耶花「書いてみて」
ホータローは今、部室で読書をしている。向かいには僕。いつも通りの仏頂面。
…もうちょっとなんとかならないもんなの?僕は親しい友人として、それなりに心配だよホータロー!
そこに、勢いよく扉を開けて我らが部長が部室に駆け込んで来る。
千反田部長のおなーりー!!
彼女は、開口一番こう言った。
「折木さんっ!力を貸して下さいっ!気になる事があるんです」
ホータローに向かって身を乗り出す。…あれ?今一瞬、ホータローが赤くなった?
…と思ったらまた仏頂面に戻った。えっ、何なの今の。見間違い?白昼夢?蜃気楼?幻覚の類?
えーと、巾着に目薬入ってたっけ?
千反田さんの好奇心に満ちた目が、真っ直ぐにホータローを捉える。
あ、ホータローが降参した。そっぽ向いた。てか顔赤くない?
「分かったよ。何が気になるんだ?」
「はいっ!あちらです!」
千反田さんがホータローの手を掴んで駆け出す。
手を掴まれた瞬間のホータローの顔と言ったら!すぐにまた仏頂面に戻ったけど。
行ってらっしゃいホータロー!僕は隠れて見てるからね!
さぁ2人を追いかけなくちゃ!
摩耶花「あー…なるほどね」
里志「ホータローは、千反田さんを前にした時に、自分がどれだけ優しい表情をしているのかに気付いてない訳だよ」
摩耶花「なるほど…折木目線で書かれた物は、少なくとも折木の心理描写に関しては結構、語られない部分も多いのかもね」
里志「だと思う」
摩耶花「じゃあもう全部ふくちゃん目線で書けば?」
里志「そうすると頻繁に嘘とか余談とか織り交ぜちゃうよ?」
摩耶花「うーん…そっか…」
里志「摩耶花が書けば?」
摩耶花「そしたら登場人物から折木はいなくなるかな」
里志「ええー…じゃあ千反田さんに書いてもらうとか」
摩耶花「色々なものに興味を持っちゃうから話がなかなか展開しなさそうね」
里志「まぁ、誰が書いても結果的には一長一短になっちゃうかな」
摩耶花「となるとやっぱり折木目線で書かれたものを読んで、語られない折木の心理描写を想像すればそれなりに補填できるって事かな」
里志「脳内補填しなければならない部分を僕は一番知りたいんだけどねー」
end
折木「」
千反田「あの、これ」
折木「これは何だ」
千反田「えっと…手紙、です」
折木「」
千反田「私の思いの丈を込めました」
折木「」
千反田「ちょっと恥ずかしいので、1人で読んでくださいね」
折木「」
里志「で?何が書いてあったの?」
折木「不幸の手紙だった」
里志「えっ」
折木「不幸の手紙だった」
里志「二回言った!」
折木「…」
里志「ちょ、ふて寝しないで」
千反田「あっ…あれ?何でさっき渡した筈の手紙がまだ鞄の中にあるんでしょう…。折木さんは、面と向かって感謝の意を伝えると顔をしかめてしまいますので…今回は手紙で感謝を伝えようと思ったのに…。ど、どうしましょう。さっき渡したのは何だったのでしょうか…。」
end
俺が向かうは古典部部室。
相変わらず辺境の地にある。
扉を開ける。
…誰も居ない。
俺が一番乗りか。
椅子に腰を落とし、読みかけの本を開く。
さて。次に部室に来るのは誰だろう?
掃除当番のせいで遅れてしまいました…。もうどなたか、部室に来てらっしゃるでしょうか。
扉を開けます。
あっ、いました。折木さん。
折木さんこんにちはー…って、…あれ?寝てらっしゃいます。
起こしたら申し訳ないですね。
しーっ!です。
私、初めて知りました。
寝てる時の折木さんは、なんだか幼い顔をしてらっしゃるんですね。うーん、かわいいです。意外な一面です。それにしてもとっても気持ち良さそうに眠っていますね。なんだか私も眠くなってきました。
…ん?いつの間にか寝てたか。
っておい!?
千反田!?な、何で俺に寄りかかって寝てるんだ!?
え、ええと、、、、、、
な、何だこの状況!?
動くと千反田を起こしてしまうし…
ええと、ええと…。
あれ?ここは…
あ、そうでした。部室です。部室で寝てしまったんですね。
…!えっ
私、いつの間にか折木さんに寄りかかってしまってました。
ああ、ごめんなさい折木さん。
…でも折木さんはまだ寝てますね。
ああよかった。
…さっきも思いましたが、やっぱり寝てる折木さんはとても幼い表情で…かわいいです。もっと間近で見たいです。
…折木さん、寝てますよね?
もうちょっと、近づいても大丈夫でしょうか?
千反田、起きたのはいいが、なんで俺の顔を覗き込んでるんだ!?
ち、ちたんだ!!!近いっ!
正直言って俺はもう顔から火が出そうなんだが…!!!
…むー。
折木さんの寝顔、写真に収めたいです。
…っ、いけません!いけません!
…いけないのはわかってますが…写真、欲しいです…
むー。
目に、焼き付けておきます。
じーーーーーー。
里志「やぁ!皆居るかい?」
千反田「えっ」
里志「あっ」
折木「あ…」
千反田が、里志を見て…次に俺を見て…この世の終わりみたいな顔をした。
千反田「え…あっ…お、折木さん起きてたんですか!?あ、あの…ご、ごめんなさい…っ」
千反田が真っ赤になる。
だが、負けず劣らず俺も動揺していたと思う。ああ、もう。こいつといるとペースを乱されっぱなしだ。
里志が扉を閉めようとする。
ていうか閉めやがった。
ご丁寧に鍵まで掛けて。
しーーーーん。
おい。どうしてくれるんだこの微妙な空気。
しかも廊下を駆けていく音がする。おい。鍵掛けたまま走り去るな。この部屋は内側からは鍵を開けられないのに。
千反田がこちらに向き直る。
千反田「起きてたのに寝てるフリしてたんですか…っ」
千反田「うぅ…恥ずかしいです。ごめんなさい…。折木さんの寝顔が見たくて、ついつい覗き込んでしまいました…」
折木「寝顔!?」
千反田「寝てる時の折木さんの顔はちょっと幼く見えたので。…私は昔の折木さんを知りませんので…ちょっと気になってしまいました」
折木「…俺も、気になるな。どんな感じだったんだ?昔の千反田は」
千反田「私、ですか?」
折木「ああ」
千反田「じゃあ、順番です。お互いに、教え合うというのはどうでしょう?」
折木「そうするか」
千反田「」
折木「どうした」
千反田「いえ…その…」
心なしか千反田の顔が赤い。
折木「体調でも悪いのか」
千反田「いえ…そうではなくて…今、折木さんが…とても優しい表情をなさっていたので。ちょっと、驚いてしまいました。」
…そんなに見るに耐えない表情だったのだろうか。
一応謝っておくか。
折木「悪かったな」
千反田「いえ、いえあのそんな!むしろいつもその表情でいてください」
折木「はぁ?」
千反田「あっ、でも秘密にしておきたい気もします…ああ、、どうしましょう。これは困りました」
言いつつますます赤くなる。
何だこの可愛い生き物は。
そういえば、里志はどこへ行ったのだろうか。相当な勢いで駆けて行ったが…。
もう暫く、こうしていたい気もする。心の底で里志に感謝する。
…と。
部室の外から声が聞こえる。
「あれ?ふくちゃん、何してるのそんな所で」
「あー!!し、静かに!今いい所なんだから!!」
どこかへ行ったんじゃなかったのかよ。
前言撤回。俺は執拗に里志のつま先を踏みつけてやりたい衝動に駆られた。
ガラガラ
扉を開けて伊原と里志が入ってくる。古典部員全員集合。
摩耶花「…どういう状況?」
里志は盗み聞きに失敗し、悲しげな表情をしている。
千反田はどういう訳か顔が真っ赤。
俺は…どんな顔をしていたのだろうか。自分では分からなかった。
摩耶花「ちーちゃん、何で顔赤いの?折木に何かされた?」
折木「何でそうなる」
摩耶花「あんたも顔赤いから」
…えっ。
自覚症状が無かった。
里志「あーあ…いい所だったのに」
里志がぼそりと言う。
折木「俺も聞いた」
千反田「いつの間に戻ってきてたんでしょう…私、気になります」
里志「そりゃ2人が会話に夢中になってる間に決まってるじゃないか。」
…。気づかなかった。
里志「まぁ何はともあれ部員全員集合という事で。部活でも始めようか。」
摩耶花「特にする事も無いけどね」
それを言うか。
千反田が何か言いたげな目でこちらを見ている。
何だ?
俺が千反田に向き直ると、そっと耳打ちされた。
ほんの、小さな声で。
耳に吐息がかかる。何だか落ち着かない。
千反田「今度改めて、聞かせて下さいね。折木さんの子供の頃の話を。」
…こちらこそ。
2人きりの時にでも。
end
ほんとありがとうございました
乙
Entry ⇒ 2012.08.22 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
里志「昨日部室で何が起こったのか」 摩耶花「気になるわね」
わたしは、花瓶に花を活けていました。
昨日、部室を整理していると、可愛らしい花瓶が出てきたので、ちょっと思い立ったのです。
花は、今朝家から持ってきたものです。これで部室も華やぐでしょう。
える「フ~ンフフ~ン♪ フフフフフ~ンフフ~ン♪ フフ~ン♪」
気付けば、鼻歌まで口ずさんでいました。
なにしろ今日のわたしは、ご機嫌なんです。
だって昨日は……、昨日は……。
いけませんいけません! 自分でも、顔がだらしなくにやけているのがわかります。
こんなところ、とても他人様にはお見せ出来ません。
でも……、でも……。
……今日は一日、これを抑えるので精一杯でした。
花が形になったので一息吐き、窓の方へ向かいます。
窓を開けると、爽やかな春の風が舞い込んできました。
あまりの心地よさに、しばらく身を任せていると、突然部室のドアが開きました。
摩耶花「おーす、ちーちゃん。元気~?」
える「あ、摩耶花さん。こんにちは。はい、元気ですよ」
そして机の上の花に気付くと、言いました。
摩耶花「わぁ~、綺麗。ねぇねぇ、どうしたの?」
える「はい、昨日部室の整理をしていたら、この花瓶が出てきたんです。
それで、花でも飾ろうかってことになったんです」
摩耶花「そっかそっか。うんうん、やっぱこういうのがあると、部室も華やぐってものよね」
やがて、指先で花びらを突付きながら、いたずらっぽく笑ってこう言いました。
摩耶花「ま、いくら綺麗な花を飾っても、あの朴念仁には猫に小判よね」
朴念仁。言うまでもなく、折木さんのことです。
摩耶花さんや福部さんは、時折こうして折木さんのことを、悪し様に言うのです。
える「ふふっ。いいえ、摩耶花さん。最初に花を飾ろうって言い出したのは、折木さんなんですよ」
摩耶花「ええ~~~っ!? あの折木が!? あ、あり得ないわまさかそんな……。
ねぇ、冗談なんでしょ? 冗談って言ってよちーちゃん!」
摩耶花さん、いくらなんでもうろたえ過ぎです。
摩耶花「! まさかこの花も折木が!?」
える「いえ、それは今朝、わたしが……」
摩耶花「そ、そうよね。流石にそれは冗談が過ぎるってもんだわ……」
流石は摩耶花さん。もう落ち着きを取り戻した様子で、続けます。
摩耶花「これは天変地異の前触れに違いないわっ!」
える「そんな……、大げさですよ。花瓶を見たら、花を活けようと思うのは、ある種当然の成り行きです」
摩耶花「そりゃそうなんだけど……。な~んか、腑に落ちないのよねえ」
そこで会話は途切れ、しばしの沈黙が訪れました。
沈黙を破ったのは、摩耶花さんでした。
摩耶花「ねえ、ちーちゃん」
える「はい」
摩耶花「昨日さ、何かあった? ……その、折木の奴と」
今度はわたしが驚く番でした。
声が裏返ってしまいました。
でもでも、摩耶花さんが来てからは、ニヤニヤしたりしてませんでしたし、気取られるようなことはしてないはずですっ!
そういえば以前、折木さんに言われたことがあります。
『お前は、思ってることがすぐ態度に出やすい』
昨日のことも、全部わたしの顔に書いてあったりしたんでしょうか?
摩耶花「やっぱり。て言うか落ち着いて! ちーちゃん」
摩耶花さんは、慌てふためくわたしを、必死になだめようとしてくれます。
そうです。とにかく落ち着かないと。
こういうときは、深呼吸です。
すぅーーー、はぁーーー、すぅーーー、はぁーーー、すぅーーー、はぁーーー。
摩耶花「どう? 落ち着いた?」
はい、何とか。
それでも、その言葉は声にはなりませんでした。
摩耶花「ん?」
える「どうして……、わかったんですか? わたし、そんなにわかりやすい性格してるでしょうか……」
摩耶花さんはニヤリと笑うと、うーん、と唸って天井を見上げました。
摩耶花「……何となく、ね」
える「え?」
摩耶花「ほんとに何となくなんだけどね。今日のちーちゃん、折木のことを話すとき、何だか熱の篭ったしゃべり方だったから」
える「……」
摩耶花「あとは、折木が『花を飾ろう』って言ったってのも、ポイントかな?
わたしには、折木が花瓶を見ただけで、『花を飾ろう』なんて言う奴には思えないんだ。
ここは折木の奴にも、何らかの心境の変化があったと見たわけね。
例えばだけど、照れ隠しに言った、とかいうなら、わからなくはないから」
……そう、そうです。確かに昨日、折木さんが花を飾ろうと言ったのは、その……、事後、でした。
流石は摩耶花さんです。よく人を見ています。
……いやそれはないか。あの省エネ主義者が進んで色恋沙汰に精を出すわけないもんね。
え? 何? じゃあちーちゃんの方から迫ったの!? きゃーーー!!」
あの……。
摩耶花「……あ。ゴ、ゴメンね。何か白熱しちゃって。ちーちゃんが言いたくないなら、言わなくていいのよ。
無理には、訊かない」
そう言って摩耶花さんは、バツが悪そうに笑います。
わたしは、昨日のことを、摩耶花さんに話そうと思いました。
昨日、折木さんとしてから、わたしの胸の中に、かすかな“痛み”が同居を始めました。
嬉しくて、幸せで仕方ないのに、痛いんです。
放っておけば、忘れてしまいそうなくらい、小さなものでしたが、わたしはそれが、気になりました。
摩耶花さんに話すことで、少しは和らぐかもしれない。そんな期待がありました。
それに、摩耶花さんは自分の好奇心より、わたしの気持ちを優先してくれました。
『この人に話したいな』そう思わせてくれたんです。
える「昨日の放課後は、部室にはわたしと折木さんの二人だけでした。
わたしが来たときは、既に折木さんがいて、いつも通り折木さんは、椅子に座って本を読んでいました」
摩耶花「いつもの光景ね」
える「はい。それでわたしが、たまには部室の整理をしようと言い出したんです。
折木さんは、最初は嫌がっていましたが、最終的には渋々ながらも、手伝ってくれたんです」
摩耶花「あいつもものぐさだからねー。ま、腰を上げただけでも上出来ね」
える「そのときに、この花瓶も出てきたんですよ。折木さんが見付けたんです。
そして整理整頓が終わって……。実は恥ずかしながら、そのあと何を話したのか、詳しくは覚えていないんです。
他愛のない、とりとめのない話をしました」
摩耶花「ふふっ。わかる。ちーちゃんたち、いつもそんな感じだもん」
える「そ、そうでしょうか。それで例によって、何か気になることがあったんでしょうね。
わたしが折木さんに、詰め寄ったんです。顔をこう、近づけて……。
最初折木さんは、文庫本に目を落としたまま、気のない返事をするばかりでした。
でもやがて、わたしのしつこさに観念した様子で、やっとこちらを向いてくれたんです」
摩耶花さんは何がおかしいのか、笑いを噛み殺した様子で、わたしの話を聴いています。
そうです。折木さん、いつもはわたしの方を見ても、チラチラと視線を外すことが多いんですが、そのときは……」
摩耶花「?」
える「その、真っ直ぐわたしの眼を見つめて、話をしてきました。よっぽど自信があったんでしょうか。
とにかく、わたしも負けじと、折木さんの眼を見つめ返しました。気迫だけでも、負けてはいけないと思ったんです。
やがて折木さんの話は終わりましたが、わたしたちは、見つめ合ったままでした。
いえ、にらみ合っていた、といった方が正しいかもしれません。そうしてしばらく経ちました」
わたしは、話のラストスパートに向けて、ほうっ、と息を吐きました。
摩耶花さんも、もう笑うこともなく、真剣に話を聴いてくれています。
える「だんだん頭がぼうっとしてきました。多分折木さんもそうだったと思います。眼が虚ろでしたから。
何分くらい、そうしていたでしょうか。5分? 10分?
もっと長かったような気もしますし、本当はもっと短かったのかも知れません。
そして、わたし達は……」
摩耶花「ゴクッ……」
える「どちらからともなく、顔を寄せ合って、そ、その……。くち、唇と唇を、重ね合わせたんです……」
える「その後は至って普通でした。そんなことがあったのに、わたしも折木さんも、何事もなかったかのように振舞いました。
帰り際、折木さんが言いました。そのときの会話だけは、何故だかよく憶えています。
『なあ、さっき花瓶が出てきただろ。あれに花でも活けたらどうだ?』
『いいですね。折木さん、どんなお花がいいですか?』
『千反田に任せる。俺は花に詳しいわけじゃないからな』
『わかりました。明日早速持ってきます。楽しみにしててくださいね』」
以上です。小さく言うと、摩耶花さんは。
摩耶花「そっか」
同じく小さく呟きました。
摩耶花「ちーちゃんは、折木のことが好きなのね」
える「……」
……そう、なんでしょうか。いえ、そうなんでしょうね。
折木さんとキスをしたことが嬉しくて、舞い上がってしまったわたし。
もとより客観的に見れば、明らかなことでした。
摩耶花さんにお話ししたことで、わたしの、折木さんへの気持ちが、はっきりと、形を成していくようです。
と、同時に、胸の痛みが大きくなっていって……、わたしは……。
摩耶花「ちーちゃん? 泣いてるの?」
泣いてません。返事は、嗚咽で言葉になりませんでした。
える「ふっ、ふえええぇぇっ、うわあああぁん」
摩耶花さんは、黙って肩を抱いていてくれました。
える「おっ、お見苦じいところを、ひくっ、お見せしましたぁ」
摩耶花「ううん。ほら、涙拭いて」
そう言って、摩耶花さんは、ハンカチを差し出してくれました。
ありがとうございます。―――――ちーーーん。
える「………………、ふぅ」
泣いたことで、わたしの心は晴れやかでした。いつの間にか、胸の痛みも消えていました。
える「すみません、摩耶花さん……。ハンカチ、洗ってお返ししますね」
摩耶花「落ち着いたみたいで、よかった。どう? スッキリしたでしょ」
える「はい、とても」
摩耶花さんは、優しい笑顔を向けてきました。わたしも、笑顔で応えました。
昨日のことは、わたし、一生忘れないでしょう。そして、今日のことも。
摩耶花「……さてと、それじゃ、わたしそろそろ」
える「え、もうお帰りですか?」
摩耶花「うん。このまま折木が来たら、なんか色々言いたくなっちゃいそうだし。それに……」
える「?」
摩耶花「ううん、何でもない。それじゃあね、ちーちゃん!」
える「さようなら、摩耶花さん」
そうして摩耶花さんは、元気よく部室を出て行きました。
……と思ったら、ヒョイと顔だけ覗かせて。
摩耶花「……あいつも、ちーちゃんのこと、好きだと思うな。言っとくけど、気休めじゃないから。じゃ、頑張ってね」
わたしは、自分の頬が染まるのがわかりました。
といっても、特に用があったわけではない。何となく、古典部には足が向かなかったのだ。
……いや、何となくではないな。俺は自嘲気味に笑う。
決まっている。原因は昨日の千反田とのことだ。
バカなことをした、とは思わないが、何であんなことをしたのか、とは思う。
俺は百科事典のページを繰った。
……昨日。俺は、二人きりの部室で、千反田とキスをした。
千反田が迫ってきたわけではない。かといって、俺から求めたわけでもない。
何故だかそんな雰囲気になったので、どちらからともなく、というのが正しい。
昨日の、その後の様子から察するに、千反田は別に怒ったり、悲しんだりはしていないだろう。
というか、いつも通りだった。まったくいつもと変わることなく、俺と接していたのだ。
そのことが、今になって、俺の心をざわつかせている。
今どき、キスひとつで、惚れた腫れたでもあるまい。
何より俺は、自分の信条として、省エネ主義を掲げている。その心は。
『やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に』
キスしたからといって、何か変わらなきゃいけないことも、しなけりゃならないことも、ないのだ。
それは千反田だって同じだ。千反田は俺のように、省エネ主義を信奉しているわけではない。
だが、世間一般的に言っても、それは同じことだろう。
人は、変わりたければ変えようとするものだし、きっかけがあれば、変わっていくものだろう。
同じように、きっかけがあっても変わらないことも、いくらでもあるのだ。
千反田の態度は、そのことを雄弁に物語っている。
俺は変わりたいのか? 何かを変えたかったのだろうか?
神山高校に入学して、俺は古典部に入り、千反田と出会った。
それ以来、いくつかの事件に遭遇し、自分で言うのもなんだが、俺はそれらの事件の解決に、主導的な役割を果たした。
それらは、まったく、やらなくてもいいことに違いなかった。
結果だけ見れば、俺は自分の主義に、大いに反し続けている。
だが事件の陰には、いつも千反田がいた。
不思議なことだが、千反田がいたから、もっと言えば、千反田の為に俺は事件に挑み続けたのだろうか。
奴は、頭を掻き、ニコニコ笑みを浮かべて、近づいてくる。
こいつ、さては今まで、俺を観察していたな?
里志「やあ、ホータロー。辞典を眺めながら、独りでニヤニヤするのは、いい趣味とは言えないね」
奉太郎「やっぱり見ていたのか……。お前こそ、趣味が悪いな」
里志「ゴメンゴメン。悪いとは思ったんだけどね、面白かったんで、つい、ね」
まったく、見世物じゃないぞ、と呟きながら、ふと、さっき思ったことを訊いてみる気になった。
奉太郎「なあ、里志。お前はこの一年で、俺が何か変わったと思うか?」
里志は、一瞬きょとんとしたが、すぐに元の顔に戻って言った。
里志「う~ん、正直ね、この一年で、ホータローに意外と思わされたことは何度かあったよ。
でもホータローはやっぱりホータローだよ。基本的には変わってないね」
奉太郎「そうか……」
ぐっ、鋭い奴め。
奉太郎「いや、何かってわけじゃない……」
あいまいな返事をする。
奉太郎「お前はこれから古典部に?」
里志「いや、今日は別の用事があるんだ。と言っても、急ぎじゃないから、親友の生態観察に勤しんでいたわけさ」
奉太郎「お前は、伊原の観察でもしてろよ」
里志「ハハハ、それは勘弁。そう言うホータローこそ、部活には行かないのかい。
外はこんなに晴れてるのに、帰りもせず、部活にも行かないなんて、ホータローらしくないじゃないか」
奉太郎「たまには、蓄えられた知を取り込む行為も、悪くないと思ってな」
里志「そうかい。ま、したいことをするのが、一番いいよ。
それじゃ、僕はそろそろ行こうかな……」
見送ろうと、手を上げようとすると、思い出したように里志が言った。
あれ、どうしたんだろう」
ああ、それはな、と言いかけたところで言葉を飲み込む。
本当に持ってきたのか。確かに、今日持ってくると言っていたが……。
いや、千反田はちょっとしたことでも、いい加減なことを言う奴ではない。
今日持ってくると言ったら、最初からそのつもりだったのだろう。
里志は、そんな俺の様子を見ていたが、やがて言った。
里志「じゃ、行こうかな。ホータロー、考え事もいいけど、たまには自分の思う様生きてみるのもいいんじゃないかな。
それじゃあね!」
奉太郎「ああ、じゃあな」
どうやらお見通しだったようだ。俺も、人のことは言えないかも知れないな。
とは言ったが、答えはもう、決まっているようなものだった。
古典部に行こう。
……もう少し、自分の考えをまとめてから。
里志はさっき、『自分のやりたいことをやれ』というような意味のことを、言った。
やりたいこと。
俺の生活信条には、登場しない言葉だ。
しかしだからといって、俺は全ての事柄を、やらなくていいことか、やらなければいけないことか、で処理してきたわけではない。
伊原や里志が、よく俺のことを、『何の趣味も目的もない、つまらない男』のように言うことがあるが、それは全面的には正しくない。
ちなみに里志の場合は、半分冗談だが、伊原は本気で言っているかも知れない。
だが俺とて、人生に何の楽しみも感じていないかといえば、そうではない。
テレビや映画は観るし、音楽だって聴く。
それに学校で、部活動にも入っている。
美味いものを食べれば、美味いなと思うし、四季の移り変わりや、風景に趣を見出したりもする。
この一年で関わった事件だって、千反田のせいにするのは簡単だが、最終的には俺がそうしようと思ったから、関わったのだ。
昨日のことだってそうだ。多少雰囲気に流された感はあるが、俺は千反田と、キスがしたいと思ったから、した。
そう。やりたいことだったから、やったのだ。
そして今、俺は千反田に会いたいと思っている。千反田は、まず部室にいるだろう。ならば俺も、部室に行けばよい。
しかしそこで、俺の心は再びざわついた。
その正体に、俺はもう気付いていた。
昨日は偶然そうなっただけだ。現に昨日の、その後の千反田の態度は、芳しいものではなかった。
あれは、俺と気まずくなるのを避けていたのだろうと思える。
俺はみたび笑った。
ここまで来ると、もう認めざるを得ないだろう。
俺は、千反田えるのことが、異性として気になっているようだ。好きと言っても、いいかも知れない。
だから千反田に、そのことで拒絶されるのが、怖かったのだ。
けど、別にそれでいいじゃないか。
千反田が、俺のことをどう思っていようと、俺が千反田に会いたいと思うことには、何の関係もない。
もちろん、千反田の意思を無視してまで、自分を押し通すことはしないが。
千反田は、いつものように、接してくれるだろう。
確かに、千反田が俺の気持ちを受け入れてくれるなら、それはどんなにか嬉しいことだろう。
しかしそのためには、兎にも角にも、千反田に会わなければ始まらない。
幸い俺は、千反田に会いたいと思っている。ならばもう、迷うことは何もない。
自分のしたいことを、するだけだ。
そうして俺は、この後千反田に会ったときの会話を、頭の中でシミュレートするのだった。
部室のドアを開けると、千反田はそこにいた。
少しホッとする。
だが千反田は、俺がドアを開けると同時に、顔を背けて窓辺の方に行ってしまった
奉太郎「へえ、いいじゃないか」
える「えっ?」
奉太郎「花、飾ったんだな」
える「あ、ああ、そうですね。ありがとうございます」
なんだ? やっぱり様子がおかしい。
……昨日のことを、気にしてるのか?
奉太郎「なあ、千反田」
える「はい」
……何てこった。
昨日あの後普通だったから、大丈夫だと思ってたのに。
千反田は明らかに機嫌を損ねている。
おれは、暗澹たる気分になった。
正直、どうしていいものか、分からなかった。
それにしても、千反田に冷たくされるのが、こんなに堪えるとは思わなかった。
謝るべきだろうか?
ダメだ! 声が震えているのが自分でも分かる。
だが言わねば。
奉太郎「昨日は、その、なんと言うか、す、すまなかった」
える「……」
俺がバカだったんだ。こんなこと言うのはムシが良すぎると、自分でも思う。
昨日のことは忘れて、その、今まで通りに振舞ってくれないか?
もうあんなことはしない。約束する」
える「!」
言ったぞ。これで許してくれるかは、千反田次第だが……
何だ? 笑っているのか?
と、突然千反田は、振り向きざま俺の横を、走ってすり抜けようとする。
奉太郎「まっ、待ってくれ!」
俺は反射的に、千反田の手首を掴んだ。
違う
今分かったが、千反田は笑っていたのではなかった。
千反田は泣いていた。
奉太郎「な、何で泣くんだ」
える「……折木さんには関係のないことです」
千反田は俯いたまま、かぶりを振る。
える「それ以上言わないでください……」
奉太郎「と、とにかく俺の話を聴いてくれ!」
える「ごめんなさい、ダメなんです」
それと、頼むから逃げないでくれ。
お前が俺の話を聴きたくないっていうなら、俺がお前の話を聴くから」
える「うっ、うっ、うわあああん」
千反田はその場に泣き崩れてしまった。
俺はその様子をただ呆然と、見ていることしか出来なかった。
それにしても、この場に里志や伊原がいないで良かったと思った
まるで痴話喧嘩だ。何を言われるかたまったもんじゃない。
える「……その、ごめんなさい。取り乱してしまって」
奉太郎「いや……、いいんだ。悪いのは俺だからな」
全てわたしの問題ですから」
そういうと、千反田は、今日初めての笑顔を俺に向けた。
だが、その表情は相当無理をしているのがありありだった。
そしてそのまま、しばしの沈黙が訪れた。
える「その、どこから話したものか……」
奉太郎「なあ、千反田。俺にはよく分からないんだが、お前の問題とはどういうことだ?
お前は、昨日のことで怒ってたんじゃないのか?」
千反田は一瞬きょとんとして、言った
える「いいえ、怒っていませんよ。そもそもあれは、折木さんが一方的に、無理やりしたことではないですから」
奉太郎「じゃ、じゃあ何でさっき俺が部室に入ってきたとき、俺にそっぽを向いてたんだ?
俺は、てっきり……」
そう言うと、千反田は俯いた。
える「……わたしの身勝手で、折木さんを傷つけてしまっていたんですね。
本当に、ごめんなさい」
千反田はかすかに頬を染めて言った。
える「その、さっき折木さんの方を向かなかったのは、な、泣きあとを見られたくなかったからです!
どうして泣いていたかについては、すみません、黙秘させてください」
ペコリと頭を下げる千反田。
奉太郎「え? 泣いていたのは、今だろう?」
える「いえ、その、さっき折木さんが来る前に少し泣いていたんです……
あの、これ以上は……」
ああ、そういうことか。千反田は俺が来る前に泣いていて、俺が来たときにはまだ腫れていた泣き顔を見られたくなかったということか。
それで俺の方を向かなかったのか。
やっと得心する。
奉太郎「それじゃあ、最後の質問だ。
どうして俺が昨日のことを謝ったら泣き出したんだ?
正直わけが分からなくて、戸惑ってるんだ」
いつの間にか、俺が千反田を問い詰める形になっているが、気にしない
俺は真実が気になるのだ。
胸が少し、チクリと痛んだ。
える「それは……。
あの、どうしても言わなきゃダメですか?」
俺は黙って頷く。千反田には酷な話なのかもしれないが、このままにはしておけない。
千反田は諦めたように溜め息を吐くと、言った。
える「わかりました。お話します」
える「わたしが泣いたのは……、わたしが折木さんのことを好きだからです。
折木さんの言葉が、悲しかったからです!」
千反田はまた泣いていた。
える「……バカなことじゃ、ないです。わたし、折木さんとキスしたことが嬉しくて、
ひくっ、それなのにもうしないって言われて、悲しくて、我慢できなくて、
うううっ」
俺は今度こそ自分の愚かさを呪った。
決して望んだことではなかったのに。
俺がしたことは、目の前の少女を泣かせ、あまつさえ、秘めていた心の内を白日の下に曝け出すことだった。
なんて馬鹿野郎なんだ、なんて……。
俺は泣きじゃくる千反田と向き合って、呆然とすることしか出来なかった。
俺はまだ呆けていた。
千反田は既に泣き止み、今は鼻をかんでいた。
その表情がどこか晴れやかだったのがせめてもの救いだろうか。
千反田は俺に向き直ると、今度は明るい笑みを浮かべて言った。
える「あの、折木さん。本当に折木さんが気にすることはないんですよ。
最初からわたしの心の問題なんですから。
ちょっと悲しかったけど、もう大丈夫です。
ですから、その、わたしと今までと変わらず接してくれませんか。
この上他人行儀になられては、それこそわたし、立ち直れなくなっちゃいますから」
あくまで冗談めかして言う千反田。
俺は……。
える「折木さん、それは……」
奉太郎「いや、言わせてくれ。本当に自分でも呆れるくらいなんだ。
折木奉太郎は大馬鹿野郎だ。それこそ里志なんか足下にも及ばないほどだな」
おどけて言ったので、千反田はクスリと笑う。
える「はい、そういうことにしといてあげます」
あれは無しだ」
途端千反田の顔が曇る。
ここからが肝要だ。
奉太郎「いや、そんな顔をするな。今までの付き合いを基に、新しい関係を築こうって言ってるんだ」
千反田が首を傾げる。
える「あの、それはどういう……?」
奉太郎「本当はお前に言わせるつもりはなかったんだけどな。
俺の話も聴いて欲しい。
千反田、俺はお前が好きだ。よかったら俺の彼女になってくれないか」
千反田は首を傾げたまま固まった。
奉太郎「その、な。俺のような馬鹿な男に愛想が尽きていなければ、の話だが」
何やってるんだ、と言おうと思ったら千反田が先に口を開いた。
える「本気、ですか?」
奉太郎「冗談でこんなことは言わない」
すると千反田の瞳が見る間に潤んで……。
困った。千反田は目の前で泣いている。
これは嬉しくて泣いているんだよな?
そう訊くこともできず、俺はオロオロする。
ええい。俺は千反田の両肩を掴んだ。
奉太郎「ちっ、千反田! その、俺は……」
千反田は泣きながら、何度も頷く。
よかった。拒絶されてるわけではないようだ。
そう思うと肩の力が抜け、俺はごく自然に千反田の肩を抱いた。
このまま放してしまうのは、何だかもったいない気がする。
俺は少し千反田を抱く腕に力を込める。
すると千反田もその腕を俺の胴に回してきた。
ううっ。女の子と抱き合うってのはこんなにゾクゾクするものなのか。
俺達はしばらくそのままで、夕暮れの部室に佇んでいた。
える「ねえ、折木さん。キス、しませんか?」
奉太郎「はあっ!?」
思わず声が上ずってしまった。いきなり何を言い出すんだ、こいつは。
える「いやですか?わたしは、したいです」
いやではない。決していやではないのだが。
奉太郎「夕日が綺麗だな」
える「折木さんっ!」
千反田が上目づかいで睨んでくる。
奉太郎「分かった、分かったよ。じゃあしようか」
千反田が嬉しそうに忍び寄ってくる。
俺はエネルギー消費の少ない人生に心の中で敬礼した。
二度目のキスは、涙の味がした。
稚拙な文章に付き合ってくれた方々に、敬礼!
即興で文章書くのって大変ですね
壁殴ってくる
乙!
Entry ⇒ 2012.08.21 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
摩耶花「折木と二人で肝試しなんて冗談じゃないわよ。」
摩耶花「ちーちゃんは怖いものなさそうよね。
昨日の首吊りの影も怖がってなかったし」
える「そんなことありません。わたしにだって怖いものはあります。
映画のスクリームやアナコンダは幼い時に見てとても怖かったんですよ」
摩耶花「また、懐かしい洋物ホラーね」アハハ
里志「もちろん、この辺りでは出ないから大丈夫だよ。タヌキはいるらしいけど」
奉太郎「道はちゃんと整備されてるのか」
里志「舗装はされてないけど、ちゃんと整備されてるから安心して。
険しい道はない普通の散歩コースだから」
奉太郎(さすが、データベースを自称しているだけあって下調べは完璧…か。
なんとかして中止に持ち込みたいが…)チラ
えるはハイキングコース案内板と銘打った地図の描かれた看板を興味深そうに眺め、
目を輝かせている。肝試しを楽しみにしているのは傍目からでもわかる。
奉太郎(千反田があの様子じゃあ、難しそうだ)
この林道をまっすぐ500メートルほど行った先に神社がある。
その神社のわきの階段を上って、そこにある小さな祠にお参りをしてから折り返す。
どうだい単純だろ」
奉太郎(まあ、大した距離はないか。さっさと行って帰ってこよう)
奉太郎「ってことは、里志と伊原。おれと千反田ってことか」
里志「ホータローが自分から言い出すなんて珍しいね。そんなに千反田さんと行きた――」
奉太郎「違う。伊原は里志と行くだろ。そうなれば、自然とそうなるだろうが」
里志「そんなムキにならなくてもいいじゃないか」ニヤニヤ
える「でも、わたしも折木さんと同じように考えていました」ニコ
奉太郎(うっ////)
摩耶花「・・・・」
ちーちゃん、私たちと一緒に3人で行こ!」
里志「まあまあ、ホータローの言う通りでもいいんだけど、
今日はあえて趣向を変えてみようと思うんだ」
奉太郎(嫌な予感しかせん)
里志「今回は僕と千反田さん。摩耶花とホータロー。これで行くよ」
える「確かにあるようでなかった組み合わせですね」コクコク
摩耶花「折木とふたりで肝試しなんて冗談じゃないわよ」
奉太郎「そー言ってるぞ」
里志「摩耶花、わがまま言ってせっかくのイベントに水を差したらだめだよ」
摩耶花「で、でもふくちゃん!」
奉太郎「ブッ」
奉太郎(さ、里志のやつ。また、急に意味のわからん質問をしおって。
それじゃあ伊原に反対する材料をやるようなもんだぞ。いや、それが目的か?)
摩耶花「べ、別に嫌いなわけじゃないけど…」
奉太郎「は!?」
里志「なら、もう文句はなし。さっき言った通り、
僕と千反田さん。摩耶花とホータロー。それでいいね?」
奉太郎「待て、伊原。本当にそれでいいのか?」
摩耶花「うるさいわね!仕方ないでしょ!」
奉太郎(仕方ないって…。いつもならもっと反論してるだろうが)
える「決まり…でいいんでしょうか?」
里志「もちろん。たまにはこういうのもいいよ。千反田さんよろしくね」
里志「月が雲で隠れてるからね。まさに絶好の肝試し日和ってやつさ」
摩耶花「むりむり!やっぱりこんなのぜったいむり!
やっぱやめよ。ほ、ほら、折木だってさ、めんどくさいでしょ?」
奉太郎「まぁ、おれもやらないで済むならそうしたいが」
摩耶花「折木もそう言ってるし、ちーちゃんと、ふくちゃんで行ってきたら?ね?ね?
私たちはここで待ってるから。ふくちゃん、それでもいいんじゃないの?」
える「摩耶花さん。折木さんがついていますから、大丈夫です」
摩耶花「折木じゃ頼りにならないわよぉ」
里志「それじゃあ、ホータロー摩耶花チームスタート!」
摩耶花「ちょっ、まだ心の準備が…」
奉太郎「というわけだ、さっさと行って終わらすぞ」
摩耶花「まっ、待ちなさいよ!バカ折木!」
奉太郎「伊原」
摩耶花「……な、なによ」
奉太郎「おれの服を持つのをやめてほしいんだが」
摩耶花「持ちたくて持ってるんじゃないわよ。怖いから仕方なしよ」
奉太郎(昨日に引き続き、こんなうろたえる伊原が見れるとは…)
摩耶花「言っとくけど、変な誤解しないでよね」
摩耶花「なに気持ち悪い想像してるのよ」ジト
奉太郎「別に想像はしてない」
摩耶花「仮にも何もそんなことありえないから」
奉太郎「へーへー。さいで」
奉太郎「気味が悪いとは思うが、そこまで怖がるほどじゃあない。伊原は怖がりすぎだ」
摩耶花「そんなことないわよ。折木の感受性が乏しいだけじゃないの?」
奉太郎(一言多いやつだ)
奉太郎「もしそうだとしても、ここでおれが怯えてたら伊原も嫌だろうが」
摩耶花「まあ、それもそうね」
なんだかんだで、歩幅も合わせてくれてるし……)
奉太郎(伊原と一緒だと全然進まんな。
まあ千反田と一緒だといろいろと興味を持たれてもっと進まないか。
今回は伊原で良かったかもしれん)
奉太郎(里志のやつ。これだけ暗いのにこの階段はないだろう)
折り返し地点の祠に、人生の安寧を祈願したばかりの奉太郎は、
それをさっそく妨げんと言わんばかりの急階段に狼狽していた。
奉太郎(手すりはあるが、急すぎるな。上ってきた時はそれほどとは思わなかったが。
あとで里志に抗議しておくか…。いや適当にごまかされそうだな)
奉太郎が黙って階段を降りていると、前を歩く摩耶花が振り返ることもなく言った。
先ほどまで奉太郎の後ろをぴったりとついていたのだが、
不気味すぎた祠を直に背にしたくないらしく、前を歩かせてほしいと言いだしたのだ。
摩耶花「黙らないでよ…」
奉太郎(このまま黙っていたらどうなるんだろうな)
と言っても、伊原とは最近まともな会話をしてないからな。
何を話せばいいかわからん。えー、伊原の趣味は…。漫画か)
奉太郎「そうだな。最近面白い漫画はなんかあるのか?」
摩耶花「あんた、それ本当に知りたいの?」
奉太郎(正直ことさら興味があるわけではないが…。そう言うと怒るだろうからな)
奉太郎「ああ。知りたいね」
摩耶花「わかった。ちょっと考えさせて」
奉太郎(……真剣に考えてるな。相変わらず真面目なやつだ。
申し訳ない気もするが、少しは緊張も解けたみたいだし、いいだろう)
奉太郎(帰ったらすぐ寝よう)
そう奉太郎が考えた時、階段沿いの草むらから小さな影が飛び出してきた。
その影は一瞬で摩耶花と奉太郎の間を器用に駆け抜けていく。
奉太郎は手すりを持って体を支えたが、考え込んでいた摩耶花はバランスを崩して足を滑らしてしまった。
そのまま滑るように残りの数段を転げ落ちた。
奉太郎「伊原!大丈夫か!?」
摩耶花「っ……」
奉太郎「そうだ、救急車っ。伊原、携帯!」
摩耶花「…だい…じょうぶ。そこまではいい…から」
奉太郎「じゃあ、里志を呼ぶからとりあえず貸してくれ」
奉太郎「伊原。悪いが携帯がさっきの衝撃か何かで電源が入らん。
すぐに里志たちを呼んでくるから」
摩耶花「・・・・・・」
奉太郎「伊原、なぜ服をつかむ」
摩耶花「・・・・・・」
奉太郎「離してくれ」
摩耶花「・・・・・・」
摩耶花「最悪よ。携帯、この前買ったばっかりなのに」
奉太郎「ま、まあ、事情を話せば親も新しいものを買ってくれるんじゃあないか。
データだっていまは移せるんだろ?」
摩耶花「服もやぶけちゃったし。これお気に入りだったのよ」
奉太郎「まあ、伊原に似合う服ならいくらでもある。気にするな」
奉太郎「それぐらいじゃあ痕は残らないだろ。手当をすればすぐ治る」
摩耶花「……」
奉太郎(そう泣きそうな顔をしないでくれ。こういうとき里志ならきっと伊原を慰める
気のきいた言葉のひとつやふたつ出てくるんだろうが…。すまんな伊原)
摩耶花「ごめん折木。泣き言言っても仕方ないよね。
もう少し座ってたら、立てるぐらいになりそうだから。ちょっと待って」
奉太郎「やっぱり、無理するな。じっとしてれば耐えられるかも知れんが、
負担がかかればそうもいかないだろ。里志たちを呼んでくるから待ってろ」
摩耶花「そっ、それはだめっ!」
奉太郎「は?」
奉太郎「骨折してるかもしれないだろ。おとなしくしてろ」
摩耶花「もうちょっとしたら歩けるようになるわよ」
奉太郎「さっきから言ってるが、なってないだろ。それ以上悪くなったら―――――」
摩耶花「一人は怖いから嫌なの!わかりなさいよバカ折木!」
奉太郎(いや、まあそんなところだとは思ったが、それどころじゃあないだろう)
奉太郎「じゃあ、おぶってやるから」
摩耶花「へっ?」
奉太郎「おんぶだよ。ここでじっとしていたくないからな。
おかげですでに蚊に3か所刺された」
摩耶花「なっ、何言ってんのよ!」
奉太郎「なら、素直にここで里志たちを待て。来るまで10分もかからんだろう」
奉太郎(そしておれが楽だ)
奉太郎「おれと伊原じゃあ身長差がありすぎる。逆に足に負担がかかるだろ」
摩耶花「それはあんたがかがめばいいでしょ」
奉太郎「俺はお前に恭順した覚えは一切ない。それにかがんで歩くなんて俺の脚が持たん」
摩耶花「なによ使えないわね」
奉太郎「お前の言いたいことはわかった、里志呼んでくる」
奉太郎が立ち上がった瞬間、摩耶花がすぐさま奉太郎の腕をつかむ。
振り返ると、若干うるんだじと目で摩耶花が見つめていた。
奉太郎(どこまでも口が減らんやつだ)
奉太郎「ほら。座るから手を首にまわせ。まあ言わんでもわかるか」
摩耶花「こ…こう?」
奉太郎「よし、背中に体重掛けていいぞ。じゃあ立ち上がるからな」
さっき、絶対に抱きつかないって言った手前…悔しい上に恥ずかしい)
奉太郎(あいかわらず華奢で助かった。これなら、最後までおぶっていけそうだな)
奉太郎「歩くぞ」
摩耶花「……うん」
蝉と鈴虫の鳴き声の中に、奉太郎の足音が混ざっている。
摩耶花・奉太郎「」シーン
摩耶花「折木?」
奉太郎「ん?」
摩耶花「…………ごめん」
奉太郎「……気にするな。あれは仕方ない」
摩耶花・奉太郎「……」
摩耶花(どうしよう。ドキドキしてるの折木に伝わってないわよね……)
摩耶花「ねっねえ!」
奉太郎「うっ。急に大声出すなよ。びっくりするだろうが」
摩耶花「あっ、ご、ごめん」
奉太郎「」
摩耶花「」
奉太郎「なんだ、言わないのか?」
奉太郎「は?」
摩耶花「折木のこと、ほんの少し見直したって言ってんの!
あんた、今日に限っては頼りになる奴だったわ。むかつくけど」
奉太郎「さいで。そんなお言葉がもらえるなんて光栄だ」
摩耶花「なによ」
奉太郎「口さえ開かなければ、伊原は案外可愛らしい」
奉太郎(まあ、それじゃあ伊原らしくはないが)
摩耶花「懐中電灯で思いっきりぶん殴ってもいいかしら?」
摩耶花「それ褒めてないわよ。
それに、あんたの言い方じゃ私がみんなに嫌味言ってるみたいじゃない。
言うのはあんたに対してだけだし」
奉太郎「それなんだが、伊原に恨まれるようなことをした覚えはないぞ」
摩耶花「胸に手を当てて考えてみたら」
奉太郎「いや、考えてもわからんだろう。やめておく」
摩耶花「あんたね、ちょっとは、考えなさいよ」
頭にまわす可処分エネルギーはどこにもない。
おれのエネルギーが尽きたら、その場に置いていくかもしれん」
摩耶花「ちょっ、あんたさっきからそれずるいのよ!
お、置いていったら、ほんと一生恨んでやるんだから」
奉太郎(一生か…。そりゃあ、かなわんな)
奉太郎(疲れた)
500mの片道は意外にも往路より早く過ぎてしまった。
摩耶花はすぐさま青山荘に運ばれて、応急措置を受けたが大事にはならずに済みそうだ。
奉太郎(里志に見られたくないから降ろせとでも言われるかと思ったが、
伊原のやつ、最後までおとなしかったな。
それにしても、貴重な夏休みの数日間を怪我の治療で費やすなど伊原もかわいそうだ)
と、奉太郎が考えながら部屋の畳の上に寝転んでいると、
摩耶花の見舞いに行っていた里志が部屋に戻ってきた。
奉太郎「当然だ」
奉太郎(とはいえ、あそこでタヌキが飛び出してくるなんて里志も知るわけがないか…。
しかし、里志のやつなんでまたあの祠をコースに入れたんだ?)
奉太郎「ひとつだけ聞いていいか?」
里志「いいよ」
奉太郎「どうして神社で折り返すようにしなかったんだ?」
奉太郎「一応聞いておく」
里志「仕掛けも何もない肝試しだからね。
神社までだと変哲もない田舎道と、通り一遍の社殿しかない」
奉太郎「確かに神社までの道は意外に広かったしな。
肝試しと銘打ってなければ単なる夜道の散歩だ」
祠の寂れ具合とか、根元から折れた灯篭とか、
正直なところ、急な階段があるっていうのも一因だった。
まるで俗世から隔離されているような気がしたんだ」
奉太郎「なるほど里志の気持ちもわからんではない」
里志「仮に一人で、あの階段を上って祠へ行けと言われたら、
僕なら間違いなく躊躇する。僕の中ではあの祠あっての肝試しだったんだ」
奉太郎(筋は通ってるな…)ウーン
奉太郎「おいおい、こんな時に風呂に行くのか?」
里志「こんな時だからだよ。すこし落ち着きたいしね。
ところで、ホータローは摩耶花のお見舞いにはいかないのかい」
奉太郎「ここまでおぶってきたんだ。別に見舞う事もないさ。
それに、今日は伊原も俺の顔なんて見飽きただろうしな」
奉太郎「……まあ、考えとく」
里志「じゃあ、行ってくる」
奉太郎「ああ、あまり考え込みすぎて湯あたりするなよ」ニヤリ
里志「ははっ。肝に銘じておくよ」
奉太郎(見舞いねえ…。まあ、少しぐらい様子を見ておくか)
奉太郎「入っていいか?」
一瞬その場が静まりかえる。えるが出てこないので、おそらく部屋を空けているのだろう。
摩耶花「いいわよ」
奉太郎が入ると、布団を口もとまでかぶった摩耶花がいた。
奉太郎は摩耶花の枕もとに胡坐をかいて座る。
奉太郎「様子を見に来ただけだ」
摩耶花「ふーん。そうなんだ…」
奉太郎「足のけが、ひどくなさそうで良かったな」
摩耶花「まだわかんないけどね」
摩耶花「なによ、気持ち悪いわね。折木らしくない」
奉太郎「失礼なやつだな。俺だって心配ぐらいはする」
摩耶花「心配ねえ。折木にも人並みの感情が備わっているってことね」
奉太郎「お前は俺を何だと思ってるんだ」
摩耶花「そうだ、折木の服さ、私おぶったときに汚しちゃったでしょ。ごめん」
奉太郎「なんだよ急に、お前も十分気持ち悪い」
摩耶花「らしくない返しよ」
静寂が訪れて、二人の目がしばらく合った。気づけばどちらともなく笑いだしていた。
奉太郎はすっと立ち上がる。
摩耶花「あっ」
奉太郎「ん?」
摩耶花「ううん。なんでもないわ。折木……ありがとね」
奉太郎は振り返ることなく、手を挙げて答えた。
まだ畳にはわずかに温かみが残っている。
摩耶花(もう少し話がしたいなんて、言ったら折木どんな顔したんだろう)
摩耶花は目を閉じてそれ以上の思考をストップする。
それより先は考えてはいけないことだと思ったからだ。
鈴虫の音を聞きながら摩耶花は眠りについた。その顔には笑顔がうかんでいた。
間にちょいちょい、えると里志の会話が20レス分ぐらいあったんですが、がっつり削りましたw
それでところどころ、つぎはぎみたいになってるかも……。さーせん!
それでは、それでは、みなさまありがとうございました!
えるサイドも読みたい
摩耶花可愛いよ摩耶花
Entry ⇒ 2012.08.15 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
入須「折木君、居るか?」
・古典部部室
奉太郎(二日続けて部室に誰も居ないと言う類稀な奇跡が起きたと思ったんだが…)
奉太郎「…またですか、先輩」
入須「随分不服そうだな」ガタッ
奉太郎(またしれっと座ったな、この人)
奉太郎(そういえば昨日も、この人のおかげで奇跡が泡と消えたんだったな)
奉太郎「不服そうに見えますか?」
入須「見えるな」
奉太郎「…それなら、次からは気をつける様にしますよ」
入須「そうしてくれ」
奉太郎「………」
入須「………」
奉太郎「………」パラッ
入須「……目の前に先輩が居るのに本を読むとは良い度胸だ」
奉太郎「…用事があるなら言って下さい」
入須「君から聞くと言う発想は無いのか?」
奉太郎「俺は進んで面倒事に首を突っ込みませんので」
入須「…その考え方は好きよ。だが、私の前ではやめて貰おう」
奉太郎「できません」
入須「やれ」
奉太郎「嫌です」
入須「…お願いしても、駄目か?」
奉太郎「……考えておきます」
入須「…頼む」
奉太郎(…随分変わったな、この人も)
奉太郎「それで、なんなんですか?」
入須「実は、特に大した用事があった訳ではないんだが」
奉太郎「………」パラッ
入須「………」バッ
奉太郎「…取らないで下さい」
入須「読むな」
奉太郎「…用事が無いって、一体何をしに来たんですか」
入須「…まず、一つ話をしよう」
奉太郎「…はぁ」
入須「学校生活とは、この場合高等学校を指すが、どの様なものだ?」
奉太郎「…なぞなぞですか?」
入須「違う。君の思う事を教えて欲しい」
奉太郎「そうですね…入学、単位を取得し、進級、卒業。枝分かれはありますが、流れていく一本の川の様ですね」
入須「ふむ、大まかに言えばそうだな」
奉太郎「…何かあるんですか?」
入須「今のは三年と言う単位での話だ。では、一日と言う単位で見るとどうだ?」
奉太郎「一日…ですか。 …川の例えを出しましたから、その一部を切り取ったもの…」
入須「………」
奉太郎「そう、一つの点から撮影した写真です。見た目は対して変わり無いですが、それでも微妙に変化している」
入須「………」
奉太郎「そして進級する毎にその点が変わっていく、枝分かれも含めて。 …大まかには変化が無い過ぎていく現在、ですね」
入須「……長いな」
奉太郎「…先輩が話せと言ったんでしょう」
入須「似てはいるが、私はもう少しシンプルに考えていた」
奉太郎「…なら、聞かせていただけますか?」
入須「トラブルが起きる繰り返し、だ」
奉太郎「あまり変わらない様に聞こえますけど」
入須「少し違う。君は変化を常としているが、私は変化が異常だと言っている」
奉太郎「…なるほど」
入須「学校生活に於いて一日とは、登校、授業を受ける、昼食、授業を受ける、部活、下校。こうではないか?」
奉太郎「…先輩はいいんですか? 部活にいかなくて」
入須「うるさい」
奉太郎「………」
入須「では次に、今私が上げた中で、集団に於いて必ず共有する部分はどこだ?」
奉太郎「……授業…と、部活ですか?」
入須「そうだ。登校、昼食、下校は一人でも可能だ」
奉太郎「集団でも出来ますが、必ずではないですね」
入須「二人でもできるよ」
奉太郎「…それがどうしたんですか?」
入須「…次に行こう。その三つの行動、君自身が一番自然だと思う人数はなんだ?」
奉太郎「俺自身でいいんですか?」
入須「あぁ」
奉太郎「…そうですね、朝は一人、昼は一人又は二人、放課後は一人、ですね」
入須「…君は友達が少ないんだな」
奉太郎「…自慢じゃありませんが」
入須「自慢されても困るよ」
奉太郎「…でしたら、先輩はどうなんですか?」
入須「私か? そうだな、朝二人、昼二人、放課後二人…だな」
奉太郎「そうですか」
入須「……今日の昼は、君と二人だったな」
奉太郎「そうですね」
入須「弁当の時は教室だったな?」
奉太郎「…はい」
入須「私は中庭だが」
奉太郎「昨日聞きましたね」
入須「……朝の登校はいつも一人か?」
奉太郎「そうですね、基本的には」
入須「普段家を出る時間は何時ぐらいだ?」
奉太郎「……七時半、ですかね。七時に起きるので」
入須「五十分位に、あの商店街か」
奉太郎「そうですね、それぐらいじゃないですか」
入須「私より十分遅いようだ」
奉太郎「…早起きですね、先輩」
入須「朝に弱そうだな、君は」
奉太郎「…頭を見ながら言わないで下さい」
入須「…あと五分早く出れば、目覚めが良いと思うよ」
奉太郎「…はぁ」
入須「……放課後も、一人だったか」
奉太郎「そうですね、部活がなければ」
入須「あると、どうなんだ?」
奉太郎「…? 誰かと帰りますが」
入須「千反田えるか?」
奉太郎「里志ですよ、福部里志。千反田とも、たまにはありますけど」
入須「…一人と言ったろ」
奉太郎「…いや、例外はありますよ」
入須「…君は、皆より五分早く出たほうが良いんじゃないか?」
奉太郎「…はぁ」
入須「寝付きが良いと思うよ」
奉太郎(…初めて聞くな)
入須「…ところで、君は生徒手帳を読んだ事があるかな?」
奉太郎「…一応は、渡された日の夜に一度だけ」
入須「良い心掛けだ。渡されたはいいが、一度も目を通したことの無い者の方が多いからな」
奉太郎「詳しい内容まで覚えている訳ではありませんが」
入須「大まかには覚えているだろ」
奉太郎「そうですね。良識を持って生活せよ、と言う所でしょうか」
入須「…大変大雑把だが、まぁ、そう言う事だ」
奉太郎「締め付けの強い校風ではないですから」
入須「そうだな。 …君はそう言った所に惹かれて、ここに入ったのか?」
奉太郎「…いえ、家が近いんです」
入須「……まぁ、そうか」
奉太郎「…そこで微妙な顔をしないで下さい」
入須「ふふっ、悪かったな」
奉太郎「…それで、その内容が何か?」
入須「うむ、登下校に関しては何が書かれていた?」
奉太郎「……時間に留意せよ、ぐらいでした」
入須「そうだな。始業五分前までに登校、終業前一時間以内に下校と書いてあった」
奉太郎「俺は問題無いと思いますが」
入須「…ここには、人間に関しては何も書かれていない」
奉太郎「………?」
入須「…つまり、部外者は除き誰が誰と登校し下校しても自由だと言う事だ」
奉太郎「…部外者は所定の手続きを取れば校内に入れますが」
入須「それは例外だろ?」
奉太郎「まぁ、はい」
入須「揚げ足を取るな」
奉太郎(…対等と言う言葉はこの人から消えたようだ)
入須「…つまり、例え男女二人でいても、それはこの学園では自然だと言う事になる」
奉太郎「今の時代それを規制する所の方が少ないと思いますけど」
入須「あまり無いだろうな。それはこの学園でも同じだと言う事はわかったか?」
奉太郎「長々とお話し頂いたおかげで」
入須「イヤミを言うなよ」
奉太郎(…この人は俺と話した事を全て忘れているようだな)
入須「…君は先ほど千反田えるとよく下校すると言っていたが」
奉太郎「たまにですよ」
入須「校則に於いては問題は無い」
奉太郎「そうですね」
入須「……例えば、私と帰ったとしても問題は無い。そうだな?」
奉太郎「伊原と帰っても、問題はありません」
入須「……私と帰っても問題は無いな?」
奉太郎「…まぁ、そうですね」
入須「昨日の様に下校後の茶についても問題は無いだろう?」
奉太郎「学外での問題行動には当たらないと思います」
入須「そうか」
奉太郎「…俺は先輩に誘われただけですので」
入須「責任逃れか?」
奉太郎「そう聞こえますか?」
入須「質問で返すな、バカ」
奉太郎「…冗談ですよ」
入須「まったく…君は私が嫌いなのか?」
奉太郎「……嫌いではないですよ」
入須「含みがありそうだな」
奉太郎「本心を言わないのは先輩と同じです」
入須「……バカだな、君も」
奉太郎「………?」
入須「…朝は七時に起きるんだったな」
奉太郎「そうですね」
入須「六時五十五分に目覚ましをセットすれば、その時間に起きるか?」
奉太郎「…起きるんじゃないでしょうか」
入須「寝ぼけていても理性は働くようだな」
奉太郎「…まぁ、それなりに」
入須「その時間に起きれば、七時四十五分には商店街に着くな」
奉太郎「何も無ければ、着きますね」
入須「…登校に関しても、校則には特別な記載は無かった」
奉太郎「はい」
入須「つまり、君が千反田えると登校しても問題無いと言う事だ」
奉太郎「あいつは自転車ですよ」
入須「なら、朝は誰とも会わないんだな」
奉太郎「そうですね。…里志ぐらいです」
入須「会うじゃないか」
奉太郎「会わないとは言ってませんよ」
入須「……例えば、私と会っても問題は無いな?」
奉太郎「…そうですね」
入須「私は四十分には商店街に居る」
奉太郎「聞きましたね、先ほど」
入須「だが、それは想定外の事柄を考慮しての時間だ」
奉太郎「…はぁ」
入須「五分程度の時間の余裕を持って登校している」
奉太郎「十分早いですが」
入須「君が考えているよりは、私も忙しい」
奉太郎「…放課後は忙しくないんですか?」
入須「うるさい」
奉太郎「………」
入須「…つまり、五分程商店街に居ても問題は無いと言う事だ」
奉太郎「少し休まれてから登校されても問題ないと」
入須「そうだ」
奉太郎「そうですか」
入須「………」
奉太郎「………」
入須「……君は、ここぞと言う時にしか頭が働かない様だな」
奉太郎「…そんなことはありません」
入須「いや、そうだ」
奉太郎「何故断言できるんですか?」
入須「…それこそ、考えてみろ」
奉太郎「…はぁ」
奉太郎(…考える? 何をだ?)
奉太郎(先輩が今まで話してきた事、そこに何か意味があると、そういう事なのか?)
奉太郎(……まずは、情報を整理しよう)
・10分後
奉太郎「…ふぅ」
入須「……何か、気づいたか?」
奉太郎「……先輩は俺に会いに来た、そうでしたね」
入須「あぁ」
奉太郎「しかしその直後、大した用事は無いと言っていた」
入須「そうだな」
奉太郎「だがそれはおかしい。先ほど先輩は自ら忙しいと言った。昨日の様な相談事でも無い限りここに来る筈が無い」
入須「………」
奉太郎「となれば、先ほどから話していた内容は全て何らかの問題を孕んでいる。違いますか?」
入須「……続けて」
奉太郎「注目するべき点の一つは朝と放課後です。とりわけて先輩は重視していた」
入須「…あぁ」
奉太郎「次に時間。始業の五分前、終業前の一時間以内…でしたか? 正直俺はそこまで詳しい時間は知りませんでした」
入須「………」
奉太郎「最後に、俺の朝と放課後の行動です。こんなに自分の行動を俯瞰で見たのは初めてですよ」
入須「………」
奉太郎「忙しい先輩が時間を割いてまで俺の朝と放課後の予定を聞きに来た。用事が無い訳は無い、だとしたらまた相談事だ」
入須「…結論は?」
奉太郎「適材適所。つまり、朝と放課後に先輩の手が回らなくなった事が有り、それが大変俺に適した事だった」
入須「あぁ」
奉太郎「俺にそれを手伝う様、言いに来たんでしょう。いや、俺自ら手伝うと言わせる為に。違いますか?」
入須「………」
奉太郎「………」
入須「……昨日話したな、私に好きな人がいたと」
奉太郎「…はい」
入須「私の考えを気にも留めない、やり方が通用しない人だと」
奉太郎「そうですね」
入須「…君は気にも留めない所か、最初から無かったかの様に扱うな」
奉太郎「それは、どういう…」
入須「この期に及んで君を責めないよ。私も悪かったと今気づいた」
奉太郎「………」
入須「君はとてもよく理解してくれると思っていたし、それが特別だとも思う。 …だが適材適所、こう言った部分に於いて、その力は発揮されないようだな」
奉太郎「…よく意味が分かりません」
入須「…君の結論は違う」
奉太郎「! そんなことは…」
入須「違うんだ。 …今から正直に真意を話すよ。聞いてくれるか?」
奉太郎「…それは、勿論」
入須「……今日の昼食は君と共に居たな。私は大変満足していたよ」
奉太郎「…中庭は人が少なくて良かったです」
入須「そうだろ? 続けるが、人間と言うものは欲に塗れている。すべからく、私も含めてな」
奉太郎「先輩も、ですか?」
入須「そうだ。 ……朝も、昼も、放課後も…君と…共に、居たいと」
奉太郎「!」
入須「支配欲…いや、独占欲だ。一緒に居たいんだ、君と」
奉太郎「……俺に朝や放課後の予定を聞いてきたのは」
入須「君が五分前に起きてくれれば共に登校できる。放課後も予定を合わせれば、共に下校できるだろ?」
奉太郎「…あの、自然だと思う人数とは、つまり」
入須「そう。私と君だ。注目するべき点が一つ抜けていたな」
奉太郎「……なるほど」
入須「…君は昨日の言葉…私の告白、忘れてしまったのか?」
奉太郎「…いえ、そういう訳では」
入須「放課後に、用事も無く好いた者に会いに来てはいけないのか?」
奉太郎「………」
入須「君に隣を歩いて欲しいと、伝えたはずよ」
奉太郎「……そう、でしたね」
入須「…その返事はまだ望まない。だが、今日の願いは聞いてもらえるか?」
奉太郎「……朝は努力しましょう。放課後は、確かに予定が合えば」
入須「…今は、それで良い」
奉太郎「…すいません」
入須「謝るな。君は、よく考えて結論を出さないといけない」
奉太郎「…そうですね」
入須「ふふっ、また間違ってしまうと大変だからな」
奉太郎「…もうやめて下さい、その話」
入須「対等な関係だろ?」
奉太郎「一方的になじられてるだけですが」
入須「そんなことはないよ。君だってイヤミを言うじゃないか」
奉太郎「…覚えていたんですね」
入須「あぁ、文句は言ってしまうが」
奉太郎「構いませんよ、別に」
入須「…長々と話してしまったな。今日はもう帰ろう」
奉太郎「わかりました」
入須「茶は…また今度だな」
奉太郎「そうですね」
入須「今度は君の知っている店に行こう」
奉太郎「俺のですか?」
入須「あぁ、静かに本が読めるような、素敵な店を教えてくれ」
奉太郎「…そうですね。是非、行きましょう」
入須「楽しみだ」
奉太郎(…といっても、木出珈琲しか知らんが)
・下校
入須「…明日は四十五分だ。忘れるなよ」
奉太郎「わかってますよ」
入須「その次の日も、四十五分だ」
奉太郎「……たまに五十分でも」
入須「駄目だ、心配するだろ。そうなるなら事前に連絡しろ」
奉太郎「…連絡先知りませんし」
入須「私は携帯を持ってる。番号は090…
奉太郎「ちょ、待って下さい! 今メモしますから…」
入須「早くしろ」
奉太郎「まったく…」
入須「……休みの日でも、電話をしてくれていいよ」
奉太郎「…まぁ、気が向いたら」
入須「しろ」
奉太郎「…俺の生活に受話器を取るという習慣が無いもので」
入須「取るんだ」
奉太郎「……いやです」
入須「私の声が聞きたくないか?」
奉太郎「…別に」
入須「…省エネはやめろと言ったろ」
奉太郎「…すぐに生活改善はできませんよ」
入須「なら、次の休みは生活指導をする」
奉太郎「結構です」
入須「十時に君の家に行くから」
奉太郎「……本当に来ます?」
入須「本当に行くよ」
奉太郎(…この話は忘れておこう)
入須「……君に、もう一つ聞こう」
奉太郎「はい」
入須「…今度の結論には期待しているよ」
奉太郎「…善処しますよ」
入須「頼む。 …今、君の両手はどうなっている?」
奉太郎「両方ともポケットに」
入須「そうだな。では私の両手はどうなっている?」
奉太郎「…左手は肩の鞄を抑えて、右手はブラブラしてますね」
入須「そうだ。右手が手持ち無沙汰だな」
奉太郎「そうですね」
入須「……君はよくポケットに手を入れているな。歩く時は大体そうだ」
奉太郎「…よく見ていただけている様ですね」
入須「左手も右手も、今は私に見えない所にある」
奉太郎「はい」
入須「…左手をポケットから出すと、どうなる?」
奉太郎「………」スッ
入須「………」
奉太郎「……ブラブラ、します」
入須「そうだな。手持ち無沙汰だ」
奉太郎「……結論、は」
入須「あぁ」
奉太郎「……出しても、いいんですか?」
入須「勿論だ」
奉太郎「………」
入須「………」
奉太郎「………」ギュッ
入須「! ……ふふっ、正解」ギュッ
奉太郎「……恥ずかしいです」
入須「…私も、恥ずかしいよ」
奉太郎「…離していいですか?」
入須「駄目だ」
奉太郎「殺生です、先輩」
入須「…恥ずかしいけど、嬉しいよ」
奉太郎「………」
入須「…正解してくれて、勇気を出してくれて、嬉しい」
奉太郎「………」
入須「君は特別で、とても素敵よ」
奉太郎「…イヤミっぽいですね」
入須「ふふっ、対等だろう?」
奉太郎「…そうですね」
奉太郎(…冷たいな、先輩の手)
奉太郎(…迷信かもしれないが、信じてみるのも悪くないかもな)
おまけ
ピンポーン
奉太郎「……………はい」
入須「来たよ」
奉太郎「……………どうしたんですか?」
入須「言ったじゃないか。入るよ」
奉太郎「……………」
入須「……まずその頭をセットする」
奉太郎「……じぶんでできます」
入須「いいから来い」
奉太郎(……地獄が玄関からやってきたぞ…)
おわり
自家発電その2でした。入須先輩可愛いです。
支援してくださった方、ありがとうございました。
乙~
とは言わない
続きはよ
読んで欲しいんですが
入須「…今日は私の家に来るか?」
奉太郎「…いえ、結構です」
入須「何故だ?」
奉太郎「方向違いますし」
入須「来い」
奉太郎「嫌です」
入須「…君に遊びに来て欲しいんだ」
奉太郎(…その目はやめてくれ)
入須「すまんな、何もない部屋で」
奉太郎「…綺麗に片付いてますね」
入須「掃除はしっかりしてるよ」
奉太郎「…座っていいですか?」
入須「あぁ、好きな所に構わない。今飲み物を取ってくるよ」
奉太郎「………!」
奉太郎(……可愛いぬいぐるみがある…)
奉太郎(四つ可愛く並んでいるな…)
入須「…どうした? それが気になるか?」
奉太郎「! …いえ、そういうわけでは」
入須「…似合わないと、思ったか?」
奉太郎「…まぁ、意外だな、とは」
入須「…捨ててくるよ」
奉太郎「いや! 待って下さい!」
入須「…なんだ」
奉太郎「似合わないとは言ってませんよ」
入須「目がそう言っているぞ」
奉太郎「……言ってません」
入須「……捨ててくる」
奉太郎「だから待って下さい!」
入須「…しつこいな」
奉太郎「…いいじゃないですか、ぬいぐるみ」
入須「思ってないだろ」
奉太郎「…俺にその趣味はありませんが」
入須「…捨てて
奉太郎「でも! その…先輩がぬいぐるみを持っている姿は、その…」
入須「………」
奉太郎「……可愛いと思いますよ」
入須「! ……そうか」
奉太郎「……はい」
入須「………」
奉太郎「………」
入須「……目をつぶれ」
奉太郎「……え?」
入須「早くしろ」
奉太郎「…いや、何故ですか?」
入須「…女性の部屋、男女二人きり、だ」
奉太郎「…はぁ」
入須「…目をつぶれ」
奉太郎「…いやです」
入須「何故だ」
奉太郎「なんとなく想像ですが…」
入須「あぁ」
奉太郎「……キス、しようとしてますか」
入須「そうだ」
奉太郎「いやです」
入須「ふざけるな」
奉太郎「先輩でしょそれは…」
入須「…まだ、早いか?」
奉太郎「そうですね、そう思います」
入須「…そうか」
奉太郎「……そんな顔しないで下さい」
入須「…すまない」
奉太郎「………」
入須「………」
奉太郎「………」ギュッ
入須「!」
奉太郎「………」
入須「………」ギュッ
奉太郎「……今は、これが…限界です」
入須「…いいよ。 …君の温もりが全身に伝わっていくようだ」
奉太郎「…ハグぐらいで、大げさですね」
入須「…嬉しいな、とても」
奉太郎「…そう言って貰えると、したかいがありますよ」
入須「……ふふっ」ギュッ
奉太郎「……強いです、先輩」
入須「良いじゃないか。 …しばらくこのままでいよう」
奉太郎「……わかりました」
奉太郎(…あまりない俺の勇気、出して良かった…のかな)
夏の休暇が終わるのでしばらく書かないとは思いますが、
次の機会があれば、またよろしくお願いします。
読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
楽しみにしとくよ
Entry ⇒ 2012.08.15 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
奉太郎「千反田がラブレターをもらった?」
一人で部室にいるのは特に珍しいことでもない。
その内誰かが来るだろうし、来ないなら来ないでゆっくり読書ができる。
これ幸いと俺はいつもの席に座り、読みかけのペーパーバックを開いた。
最近はすっかり夏らしくなり、容赦ない日差しが外で部活動に勤しむ生徒たちを苦しめている。
できることなら太陽が高いうちは外を出歩きたくないので、
俺の古典部への出席率が高くなったのも当然の帰結だ。
しかしその日の放課後の安寧は、千反田えるの来襲によりあっさりと崩壊してしまったのだった。
俺が読書を始めて少し経った頃、見るからに挙動不審な様子で千反田は部室にやってきた。
える「あ、こ、こんにちは。あの、折木さんだけですか?」
奉太郎「ああ。今のところはな」
える「そうですか」
これは珍しい。
こんなふうに動揺している姿はほとんど見たことがない。
さてどうしたものか。
千反田は何か俺に話したいことがあるのだろう、何度も不自然に俺の方をちらちらと盗み見ている。
話を聞いてしまえば十中八九面倒なことになる。
しかし千反田のこの様子だと遅かれ早かれ俺は千反田の話を聞いてやることになるに決まっている。
やるべきことは手短に、だ。
える「折木さん、あの、今日はどんな本を読んでいらっしゃるんですか?」
千反田が遠慮がちに声をかけてくる。
だが俺はそのどうでもいい世間話には答えない。早く済ませて読書に戻りたいのだ。
奉太郎「千反田。何か俺に用があるならさっさと言ってくれ。まどろっこしい」
える「え?な、なんで分かったんですか折木さん?」
奉太郎「お前を見てれば様子がおかしいことくらいすぐに分かる。
で、どうしたんだ?いつもの気になりますとも違うようだが」
える「気になることといえば気になることがあったんですが……」
奉太郎「何なんだ一体。さっさと言ってくれ」
える「は、はい。実は、あの、今日の朝下駄箱にこんなものが入っていて……」
想像もしていなかったが、考えてみればおかしな話でもない。
あの異常な好奇心さえ表に出さなければ容姿にも成績にも優れた奴だ。
惚れる男がいるのも無理からぬことだろう。
むしろこれまでそんな話が耳に入って来なかったことが不自然だったのかもしれない。
しかし、だ。
える「はい、あの、中身も読んでいただけないでしょうか」
奉太郎「いいのか?お前宛てのラブレターなんじゃないのか?」
える「どうして分かったんですか折木さん?
わたし、まだ何も言っていないのに」
やはりそうか。
昔から下駄箱に入れられる手紙はラブレターだと相場が決まっている。
自慢じゃないが俺は今まで色恋沙汰とは無縁で生きてきたんだ。
伊原あたりにでも聞いてもらえばいいじゃないか。
それにそのラブレターを寄越した男にも悪い。
どこの誰だかは知らんが、他の男に愛の告白の手紙を読まれたくはないだろう」
惚れた腫れたといった話は非常にエネルギーのいるものらしい。
相手の一挙手一投足が気になり、そのひとつひとつに一喜一憂する。
夜は眠れず、飯は喉を通らない。
そんなに大変なら恋などしなければいいと思うのだが、そうもいかないらしい。
曰く「恋はするものではない、落ちるものだ」とかなんとか。
自分の恋だけでも十分に大変そうなのにどうして他人の分まで引き受けられよう。
俺はどうにか話を誤魔化してしまおうと試みた。
だが、それに対する千反田の態度は俺の予想とは違っていた。
える「それなんです!」
奉太郎「それなんです?」
える「この手紙を書いてくれた方が、どこの誰なのか分からないんです!」
朝学校に来たらラブレターがあった。
それには差出人の名前が書いていなかった。
誰が書いたのか、わたし気になります。
奉太郎「おいおい、俺は筆跡鑑定はできんぞ」
える「そうじゃないんです。
手紙の内容に気になるところがあって……。
ですから、一度これを読んでみてください!」
近い。いつもとは違って顔ではなく便箋だからいくらかましではあるが。
しかしこうなってしまった以上、千反田の頼みを聞かずに済ますのは難しい。
なにせ目の前に例の物が突き付けられている。
奉太郎「分かったよ、読めばいいんだろう。
だが、読むだけだ。
答えは期待するなよ」
える「はい!ありがとうございます!」
まったく忙しいやつだ。
俺は千反田から受け取った便箋を開き、中身を見た。
そこにはこうあった。
『千反田える様
突然このような手紙を書く無礼をお許しください。
どうしても伝えたいことがあるのですが、一身上の都合で直接伝えることができないためこうして手紙を書きました。
私は千反田さんのことが好きです。初めて目にしたときからずっと好きでした。
私は千反田さんに思いを伝えることを許される人間ではありません。
しかしこの思いを抑えることができなかったのです。
悪戯だと思われても構いません。
思いを伝えることができるだけでいいのです。
無垢で、偽ることのできないあなたへ。』
当然一般的なラブレターの文例も知らない。
そのせいだろうか、少しばかり変わっているというか、気障な文章だという印象は受けたが、
そこまでおかしな部分はないように思う。
奉太郎「すまんが、俺はお前がどの部分に気になっているのか分からん。
直接言えないから手紙を書いた。
思いを伝えるだけでいいから名前は書かなかった。
それだけのことじゃないのか?」
この手紙は、わたしが今まで頂いたものとは全然……」
そこまで言って千反田は、しまった、といった顔で口を閉じた。
そして慌てて言い訳を始める。
える「いえ、あの、違うんです。
わたしは、その……」
奉太郎「お前は男子に人気があるんだな」
よほど知られたくなかったのか、千反田は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
千反田は携帯電話を持っていない。
メール機能という便利なものが使えない以上、
千反田とお近づきになりたい者は直接会いに行くしかない。
それが出来ない奴はこうして手紙を書くことになるわけか。
奉太郎「まあ、お前が何通ラブレターをもらってきたかは聞かんさ。
それで、これはお前が今までもらってきた数々のラブレターと比べてどう違うっていうんだ?」
える「で、でも、ちゃんとお断りしています!」
える「あまりからかわないでください……」
奉太郎「ああ、悪かった。
それで、ラブレターなどには縁のないこの俺にこれがどういう風に気になるのか教えてくれないか。
それを聞かないとどうにもならん」
なおも続く俺の軽口に、千反田は顔を赤くしたまま俺を恨めしそうに見てきたが、
自分の好奇心には勝てないと見えて、静かに話し始めた。
なんだか、ラブレターにしては少々ものものしいような気がしませんか?
戦争に行く兵隊さんのような、そんな鬼気迫るものがあります。
わたし、この人のことが少し心配です!もしこの人の身に何かあったら!」
戦争へ赴く前に書いた恋文とでも言いたいのか。
戦時中はこんなこともあったかもしれないが、今は現代だ。
確かにあの古風なお屋敷に住んでいると自分がいつの時代に生きているのか分からなくなる気もするが。
それだけお前を強く想って書いたっていうことなんだろう。
まったく羨ましいもんだ」
また余計な軽口を叩いてしまう。
自分の言葉に棘が混じるのを感じる。
千反田が少ししゅんとした顔になる。
だが、本当に気になるところが分からないんだ。
参考までにお前が今までもらった他のラブレターはどんな感じだったのかも知りたいんだが」
俺の軽口が止まったのにほっとしたのか、
一度知られてしまったからもう隠す気がなくなったのか、
意外にも千反田はこの質問に快く答えてくれた。
える「そうですね、やっぱりわたしが一番気になるのは、
『思いを伝えることを許される人間でない』というところです。
こういった手紙をくださる方々は『直接言う勇気がないから』
と書いてくることが多いのですが……」
える「わたしは、思いを伝えることを許されない人なんていないと思います。
誰にだって権利はあるはずです」
奉太郎「しかし、相手の方はそう思ってなかったんじゃないか。
事実お前は旧家の娘だし、そこに向こうが引け目を感じたとか。
それに、文字どおりの意味が込められているかも分からん。
全体的に気取っているような文の書き方だし、
『面と向かって話もできない自分のような人間は、
本当なら思いを伝える権利はない』
というようなことでも言いたかったのかもしれない」
奉太郎「どっちにしろ、これっぽっちの手掛かりじゃ答えは出せん。
悪いが、お手上げだ」
える「そうですか……」
千反田はまだ納得できないといった様子だが、
こればっかりはどうしようもできない。
奉太郎「さすがにこの手紙しかないんじゃあな。
ふう。しかしこいつは読めば読むほど気取った文章だな。
毎回こんなのに対応するのは大変だろう」
特にこういった手紙をくださる方は大抵が知らない方ですので、
放課後呼び出されてしまったときなどはきちんと会ってお断りしなければいけないんですが、
一人で初対面の男の人に会うのはとても緊張してしまいます」
奉太郎「確かに気の進まん話だな。
いつもそんな風に断っているのか?」
える「はい。でも、何も知らずに会いに行くのは怖いので、
福部さんに相手はどういった方か聞いてから呼び出された場所に行きますね」
える「わたしの知り合いの中では福部さんが一番お顔が広いですから」
確かにそう、まったく自然なことだ。
ラブレターをもらったが相手の人となりは分からない。
そんなときに古典部の友人にしてデータベースを自認する里志にそいつがどういう奴かを尋ねてみるのも当然だろう。
冷静に考えれば当たり前のことだ。
だが俺は冷静ではいられなかった。
千反田がこんなにも他の男子生徒から人気があるという事実を突き付けられて動揺していたのかもしれない。
そしてその動揺の矛先を、あろうことか俺は千反田に向けてしまった。
こういう時だけ俺に相談してきたわけか」
自分でも驚くほどの冷たい声だった。
千反田がびくりと怯える。
える「い、いえ、わたし、そんなつもりは」
奉太郎「そんなつもりも何も、そういうことだろう。
俺を便利屋か何かとでも思ってるんじゃないのか」
える「そ、そんなこと……」
奉太郎「今回もいつも通り里志に相談してみろよ。
あいつならこの差出人の筆跡も分かるかもしれないぜ」
千反田は俯いたまま何も言わなかった。
俺もこれ以上は何も言わずに無言のまま部室を出た。
奉太郎「どうしてあんなことを言ってしまったんだ……」
その夜、俺は自室のベッドの上で激しい自己嫌悪に陥っていた。
本当にどうしてあんなことを。いや、理由など知れている。
勝手に動揺し、里志に嫉妬し、それを目の前にいた千反田にぶつけてしまった。
ここまで感情のコントロールが出来なくなってしまうことがあるとは。
やはり認めざるを得ないのかもしれない。
俺は千反田に他の奴とは違う特別な感情を抱き始めていることを。
奉太郎「……明日ちゃんと謝ろう」
そう決めたものの、一体今までどんな男が千反田に告白してきたのか、
今回は誰が差出人なのかをずっと考え続け、その日はなかなか寝付けなかったのだった。
そもそも千反田は昨日あんなことがあったのに部室に来るだろうか、
とぐずぐず悩んでいると、ふいに後ろから声をかけられた。
摩耶花「折木、ちょっと来なさい」
さすがの俺も見たことのないほどの怒りを体中に漲らせている伊原と、
いつも通り困ったようににやついている里志がそこにいた。
まあ、大方千反田のことだろうと思い、おとなしく伊原について教室を出る。
もっとも逆らえるような雰囲気でもなかったわけなのだが。
人気の少ない階段の踊り場まで来ると伊原は俺の方へ向き直り、口を開いた。
思いのほか静かな声だ。
いきなり怒鳴られることも覚悟していたのでひとまず安心する。
奉太郎「千反田から何か聞いたのか?」
摩耶花「何よ、しらばっくれるつもり!?」
摩耶花、と里志が伊原を諌める。
珍しい光景だ。
感謝の意を里志に目で伝える。
そのときの千反田さんの様子がちょっと変でさ、もしかしたらホータローと何かあったのかと思ってさ」
摩耶花「ちょっとなんてもんじゃなかったわよ!」
里志「摩耶花、落ち着いて。
どうかなホータロー、何か心当たりはないかい?」
心当たりも何も、ほぼ間違いなく原因は俺だろう。
こいつらにはちゃんと説明をしておかなければ。
つい昨日自分勝手にあれだけの嫉妬心を向けた里志にも面と向かって説明しなければいけないのは
少々、いやかなり辛いところではあったが、俺は正直に部室で起こったことを話した。
里志「ホータロー……。うん、まあホータローらしいと言えばらしいのかな」
確かに自分でもどうかと思う話だが、
こうもはっきり第三者に言われるとさすがにダメージがある。
摩耶花「ちーちゃんがラブレターもらったことをふくちゃんには相談して、
折木には隠した理由、本当に分からないの?」
伊原がため息交じりに言う。
奉太郎「だからそれは、里志のほうが顔が広いから……」
摩耶花と千反田さんだったらどっちに相談しようと思う?」
奉太郎「その二人だったら、まあ、伊原だろうな」
里志「うん。それはどうしてだい?」
奉太郎「別に大した理由はないが、ただ、なんとなく……」
里志「なんとなく、千反田さんには言いたくないよね。
ホータローがなんとなく普段から意識している千反田さんには、ね」
里志「そうだろ?普段ちょっと意識している異性にはあんまりこういうことは知られたくないよね。
こういう言い方はよくないけど、どうも思っていない相手の方が言いやすい。
その相手が、ホータローは摩耶花で、千反田さんは僕だった」
奉太郎「おい、どうしてそういう話になるんだ。
お前はどうなんだ、里志。
お前がラブレターをもらったらまず彼女の伊原に言うんじゃないのか?」
あんたとちーちゃんの関係とは違うに決まってるじゃない。
それに、あんたのその理屈で言うとあんたはわたしの彼氏かなんかみたいになっちゃうわ。
気持ち悪いから、やめて」
奉太郎「ぐっ……」
里志「ちょっとは素直になりなよホータロー。
ま、それは千反田さんにも言えることなんだけど」
摩耶花「ちーちゃんももうちょっと自分の気持ちを自覚してたらこんなことは起きなかったのにねー」
俺の千反田への感情はそんなにも分かりやすかったのだろうか。
自分でも昨日ようやく自覚ができたくらいだというのに。
だがこうもはっきり言われてしまったからには、もう誤魔化すこともできないだろう。
奉太郎「ん、まあ俺は、千反田のことが、気になってはいる。
……だが、俺が千反田のことを、っていうのは、
お前たちいつごろからそう思っていたんだ?」
すると、またしても二人は呆れたような目をこちらに向けた。
いや、哀れみすら感じる。
なんだなんだ。せっかく勇気を出して自分の気持ちを認めようとしたというのに。
里志「まあ、いつからって聞かれたら、ずっと前から、っていうのが答えになるのかな。
千反田さんに対するホータローの態度は僕らに向けるものとは全然違っていたよ。
自分では気付いてなかったのかもしれないけどね」
奉太郎「そ、そうか……」
里志「ま、それもホータローらしいといえばらしいと言えるよ。
こういったことにはそれぞれ自分のペースがあるからね。
ホータローと千反田さんはそのペースが合ってると思うよ」
なんでこんな奴なんか……。
とにかく!ちゃんとちーちゃんには謝って許してもらいなさいよ!」
奉太郎「ああ。分かってる。これから部室に行くつもりだ。
千反田がいるかは分からんが」
そう。伊原の怒りは収まったが、千反田とのことは何一つ解決していないのだ。
伊原と里志にせっつかれながら、俺は祈るような気持ちで特別棟四階地学講義室の戸に手をかけた。
最悪のケースも想像していたが、あっけないほどすんなりと戸は開き、
ひとりぽつねんと窓際の席に座る千反田の姿が見えた。
すでに半分泣いているような顔で俺を見る。
いかん。早く何か言わなければ。
伊原が後ろから俺を小突く。
奉太郎「あー、千反田、昨日は悪かった。
昨日はちょっと気が動転してて……」
える「はあ……」
千反田は俺が何を言っているのかよく分かっていないようだ。
無理もない。千反田にしてみれば俺がなぜ昨日いきなり怒り出したのかも分からないのだから。
摩耶花「ああもう!はっきりしないわね!
あのねちーちゃん、こいつは昨日、
ちーちゃんはいつもラブレターもらったときにふくちゃんに相談してたって知って、
それでふくちゃんにやきもち妬いてちーちゃんに八つ当たりしたの!
だからちーちゃんが気に病む必要はまったくないのよ。
全部このバカのせいなんだから!」
奉太郎「まあ、その通りだ。
昨日はひどいことを言った。悪かった」
再度、頭を下げる。
伊原はそんな俺を見てふんと鼻を鳴らしたが、千反田の表情は暗いままだ。
やはり謝っただけで簡単に関係は修復できないのか。
俺が改めて前日の過ちを悔いていると、千反田が意を決したように口を開いた。
える「でも、確かに折木さんのお気持ちも理解できます」
俺はまた、今日何度目かもはや分からないのだが、ひどく動揺する。
俺の千反田に抱いている感情は伊原や里志だけでなく千反田本人にさえ筒抜けだったのだろうか。
動揺して声も出せない俺の心中を察してくれたのか、里志が千反田に話しかける。
里志「千反田さん、ホータローの気持ちが理解できるって……?
それって……」
やっぱり同じ古典部員である折木さんからしてみると、
自分だけ信用されていないようでとても不愉快なことだと思います。
相談するのであれば、最初から古典部の皆さんに聞いて頂くべきでした。
今回のことは、わたしが軽率でした。
折木さん、不愉快な思いをさせて申し訳ありません。
でも、決して折木さんのことを信用してなかったわけではないんです。
ただ、折木さんに話すのはなんとなく恥ずかしくて……」
そう言って千反田は恥ずかしそうに俯いた。
ほっとして里志を見ると、里志も同じようにこちらを見た。
『僕の言った通りだろう?』その得意げな目は俺にそう語りかけてきた。
俺は鼻を鳴らしてそれに応える。
里志「なんにせよ、これで一件落着かな?
そうだ千反田さん、せっかくだし例のラブレターをちょっと僕にも見せてくれないかな?」
える「そうでした!
もとはと言えばわたし、どうしても気になることがあったから恥ずかしいのを我慢して折木さんに
相談していたんでした。
皆さんもぜひ一緒に考えてもらえないでしょうか?」
そういうわけにもいくまい。
千反田が鞄から取り出した例のものを里志が受け取る。
その脇から伊原も覗き込む。
里志「うーん。確かにこれは今までのとはちょっと違った感じだね。
でも、やっぱりこれだけでどんな人が書いたのかは特定できないな。
僕が分かることと言えば、最後の一文がユリの花言葉になってるってことくらいだよ」
奉太郎「そうなのか?」
『あなたは偽ることができない』なんだ。
二つも一文の中で使われているんだからこれは間違いなくユリを指していると思う」
える「そうだったんですか。わたし、全然知りませんでした」
奉太郎「だがなぜこの差出人はユリの花言葉なんか書いたんだ?」
里志「それは分からないな。
千反田さんをユリにでも見立ててみたってところじゃないかな
他に意味が込められているかどうかは僕には判断がつかないね」
立てば芍薬云々といった言葉もあることだしな。
言葉には出せないが。
やっぱりこれは単なるちょっと気取ったラブレターだったのだろうかと俺が思い始めた時、
伊原が口を開いた。
マンガの用語なんだけど、百合っていうのは女の子同士の恋愛を指す言葉なの。
だからわたし思ったんだけど、この手紙を出した人は女の人だったんじゃないかなって。
女だから直接告白するわけにいかないし、
女同士の恋愛なんて現実ではまだまだ認められてないから、
自分は思いを伝えるのを許される人間じゃないって書いたんじゃない?
でも自分が女だって気付いてほしい気持ちもあったから、
最後にユリの花言葉を添えた。
どうかしら?ちょっとこじつけって感じもするけど」
みんな伊原の言ったことを踏まえ、ラブレターの内容を考えているようだ。
最初にその沈黙を破ったのはやはり千反田だった。
える「すごいです摩耶花さん!どうして気付いたんですか!?」
摩耶花「いや、わたし漫研に入ってたし、ただ知ってただけっていうか……」
里志「僕も摩耶花の言った通りだと思うよ。
矛盾がないし、ただの気取ったラブレターですってよりも説得力がある」
奉太郎「なんだ、二人に話したらこんなに簡単に答えが出ることだったのか」
里志「どうやらホータローは千反田さんのことになると頭がうまく働かないみたいだね」
摩耶花「そうね。省エネとかはどこに行ったんだか」
里志「まあそうなんだけどね。
でも冷静さを失ったのは本当だろう?」
それを言われると何も言い返せない。
千反田の方を見ると、なんだか千反田も照れくさそうにしている。
里志「さーて、これで本当に一件落着だね。
じゃ、僕はこの辺で帰るよ。
総務委員でやらなきゃいけないことがあるんだ」
摩耶花「わたしもちょっと用事があるから帰るわ。
ふくちゃん、途中まで一緒に行こ」
古典部とはなかなかにドライな連中の集まりなのだと再認識する。
まあ、今日はただ俺たちに気を遣ってくれたのだろうが。
ちらりと千反田の方を盗み見る。
千反田もこちらの様子を伺っているようだ。
……こういうときは男から話しかけるものだろう。
奉太郎「悪かったな、昨日のこと」
える「いえ、わたしにも非がありますから」
奉太郎「お前、一人で知らない男のところに断りを言いに行くのは大変だと言っていたよな」
える「はい。やっぱり何度やっても慣れないものはあります」
俺が付き添って行っても、いいぞ。
お前がどうしても一人で行くのが嫌なら」
千反田は少し驚いたように目を見開いた。
さてどう出る。
これで結構ですなどと言われたら俺はもう本当に古典部に顔を出せなくなるかもしれない。
自分の顔が赤くなるのを感じつつ、千反田の方を見る。
える「そうですね。一人で行くのはどうしても嫌です。
折木さんが一緒にいてくださったら安心できるのですが」
千反田はそう、とびきりの笑顔で言ってくれた。
奉太郎「まあ、お前がどうしてもというなら」
える「はい。ありがとうございます」
千反田は笑顔のまま深々と頭を下げた。
雨降って地固まる、というにはあまりにも俺の非が大きすぎた一件だが、
里志と伊原のお陰もあって無事解決となった。
入須にしてやられたときもだが、一人で先走ると碌なことにならない。
慎むべし慎むべし、と俺は自らの行いを反省するとともに、
誰かまた千反田にラブレターを渡してくれないものかとあまりよくない期待
を胸に抱くのだった。
END
駄文に付き合ってくれた方々に敬礼
こういう直接言わない感じがいい!
Entry ⇒ 2012.08.14 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)
入須「すまない、失礼する」
古典部部室
奉太郎(千反田は家の用事、里志は手芸部、伊原は漫研)
奉太郎(校舎内に於いて奇跡とも言える空間を確保できたと思ったんだが…)
奉太郎「…何の用ですか、先輩」
入須「用事がなくては来てはいけないのかな?」
奉太郎「…いえ、そう言ったルールはありませんが…」
入須「…悪かった。勿論、言いたい事は分かっているよ」
奉太郎「そうですか」
入須「そうだ」
奉太郎「………」
入須「………」ガタッ
奉太郎(しれっと座ったな、この人)
入須「……」
奉太郎「………」
入須「…昼間、屋上に登っていたな」
奉太郎「昼食が購買のパンだったんですよ」
入須「そうか、今日は暑かったが」
奉太郎「日陰で」
入須「…そうか」
入須「……ふぅ。君と懐の探り合いをするのも楽しいんだが、時間を無駄にするのも惜しい」
奉太郎「そうですか」
入須「…案外根に持つタイプかな?」
奉太郎「いえ、そんなことは」
入須「だろう? 省エネ主義者はそんなにもエネルギーを消費する事はしないはずだ」
奉太郎「…主義主張を先輩の前で口にした覚えはないんですが」
入須「聞いたんだ」
奉太郎「誰に…は、もういいです」
入須「あっさりとした引き際も、君らしさかな」
奉太郎「……ここは古典部の部室ですが?」
入須「だろうな」
奉太郎「先輩の部活は知りませんが、少なくとも古典部では無い事は分かります」
入須「そうね」
奉太郎「…いや、やめましょう。確かに時間が惜しい」
入須「気づいてくれて助かるよ」
奉太郎「で、なんなんです?」
入須「不躾だな。確かに、最初に君が言った様に用事があったんだ」
奉太郎「千反田は今日は来ませんよ」
入須「彼女じゃない、君にだよ」
奉太郎「…俺にですか?」
入須「そうだ」
奉太郎「…この間の一件で役割は終わったと思っていましたが」
入須「役者の君ではなく、君自身に用がある」
奉太郎「…役者、ですか」
入須「語弊は無いわ。確かにこの間の時点で君は役者だった」
奉太郎「……それで」
入須「そうね、まずは話しを聞いて貰いましょう」
奉太郎「あまり聞きたくないんですが」
入須「先輩の頼みよ」
奉太郎「…こういう所でそう言うんですね」
入須「言うわ。言わないタイプに見える?」
奉太郎「どちらとも。そもそも俺は先輩にそこまで詳しくないですし」
入須「そうはなってくれないのか?」
奉太郎「…何故、そう聞くんですか?」
入須「……本題を話すとしよう」
奉太郎(なんなんだこの人は…)
入須「君は以前、私の考えを言い当てたことがあったな」
奉太郎「つい最近ですが」
入須「忘れもしない。誰に見られていた訳でも無いからな、羞恥も屈辱も無いが」
奉太郎「俺は先輩に見られてましたけど」
入須「…あるいは、君はそうかもしれないな」
奉太郎(…嫌いじゃない。だが、苦手だ)
入須「言い方が悪かったか?」
奉太郎「…いえ、気にしないで下さい」
入須「そうか。 …だが、私も一つ思った事はある」
奉太郎「…はぁ」
入須「……後悔だ」
奉太郎「…あなたが?」
入須「意外そうな顔だな?」
奉太郎「それは、そうでしょう?」
入須「…私は結論の為に全ての過程を気にしないと」
奉太郎「そう肯定したじゃないですか」
入須「いいえ、否定をしていないだけよ」
奉太郎「…同義じゃないんですか」
入須「それは捉え方次第よ。少なくとも、確固たる結論ではない」
奉太郎「……それで、その内容はなんなんです?」
入須「君に悪い事をした、謝りたい…とは思っていない」
奉太郎「そうでしょうね」
入須「それでも、この関係で終わらせるのは惜しいと思ったんだ」
奉太郎「…先刻言ってましたよね? 役者は終わったと」
入須「あぁ、一つ聞いてくれ」
奉太郎「はい」
入須「私には…好きな人がいるんだ」
奉太郎「…はぁ」
入須「随分気のない返事だな」
奉太郎「基本的に聞く事も話す事も無い内容だったもので」
入須「ふふっ、そうかそうか」
奉太郎「そう言った事なら千反田辺りに話した方が…」
入須「君に話したいんだ」
奉太郎「…門外漢にも程がありますけど」
入須「感情に疎いが論理に秀でる者、今回の場合はこちらが当て嵌まる」
奉太郎「……その手は通用しませんよ」
入須「そうだろうね。だが、私だって常にそうあるわけじゃない」
奉太郎「…次にいきましょう」
入須「懸命だ。君も知っての通り私はこの性格だが、通用しない事は勿論ある」
奉太郎「少なそうですがね」
入須「そうでもないさ。ただの小娘の言う事だ」
奉太郎「そうは思いませんけど」
入須「…それは、褒めてくれているのかな?」
奉太郎「…捉え方、ではないですね。実際に俺は先輩に一度尽くした事がありますし」
入須「ふふっ、認めてくれてはいるようだ」
奉太郎「…それは、まぁ」
入須「…例えば、この手法が通用しない相手に対して君ならどう思う?」
奉太郎「……そうですね、すぐに出る結論ではないですが…」
入須「焦らなくていい」
奉太郎「………」
入須「………」
奉太郎「……避ける、若しくは、興味を持つ、か」
入須「随分結論めいた言い方だな」
奉太郎「もし俺だったら避けますよ。今まで思い通りに進んでいた所に、急にイレギュラーの発生です」
入須「では後者は?」
奉太郎「それが、先輩の結論だからです」
入須「…ふふっ、先に答えを言ってしまっていたか」
奉太郎「興味を持った末、ですか?」
入須「そう、憧れになった」
奉太郎「…それで、俺に何を」
入須「好きな人、と言ったと思うが」
奉太郎「はい」
入須「この言い方が孕んでいる事、分かるか?」
奉太郎「………?」
入須「ふふっ、疑問符が目に見えるようだ」
奉太郎「…全てが分かるわけではありませんので」
入須「機嫌を直せ。 …片想いなんだ、私の」
奉太郎「…なるほど」
入須「…では、この問題を解決する為にはどうすればいい?」
奉太郎「! 俺にその結論を出せと!?」
入須「そうよ、私の考えをよく理解している君に相談したい」
奉太郎「出来ませんよ! 最初に言った通り俺は先輩に詳しくないですから! パーソナルなデータも足りませんし…」
入須「詳しくなってはくれないのか?」
奉太郎「だから、何故そう聞くんですか…」
入須「問題解決の為だ」
奉太郎「…あまり納得が」
入須「先輩の頼みよ」
奉太郎「……分かりました。少し考えますよ」
入須「相手の事は、あまり話したくない」
奉太郎「なら、先輩に詳しくなりましょうか?」
入須「いいよ。 …スリーサイズは必要か?」
奉太郎「いりませんっ!」
入須「先輩の頼みよ」
奉太郎「……分かりました。少し考えますよ」
入須「相手の事は、あまり話したくない」
奉太郎「なら、先輩に詳しくなりましょうか?」
入須「いいよ。 …スリーサイズは必要か?」
奉太郎「いりませんっ!」
・10分後
奉太郎(血液型、誕生日、趣味、特技、長所、短所、好きな物、嫌いな物)
奉太郎(色々聞かされたが…)
入須「スリーサイズは?」
奉太郎「だからいりませんっ!」
奉太郎(何故それを聞かせたがるんだ…)
・また10分後
奉太郎(考えても、結論が出ないな…)
奉太郎(そもそも先輩やその相手じゃなくて、俺自身に一番の問題があるように思えるぞ…)
入須「ふむ…時に、君に好きな子はいないのか?」
奉太郎「……いませんよ」
入須「そうか……では君に、そう言った者が現れると思うか?」
奉太郎「そりゃ…その内、あるんじゃないですかね?」
入須「それは、いつ位に?」
奉太郎「分かりませんよ。それこそ、先輩の様に自分のやり方が通用しない相手が現れたら、憧れてしまうかもしれませんね」
入須「…逆に、通用する…した相手だと、どうだ?」
奉太郎「…どういう意図ですか?」
入須「何、ただの雑談だよ。考えも纏まっていないんだろう?」
奉太郎「……それはそれで、互いに興味が持てれば十分じゃないですか」
入須「…そうだな、それは重要だ」
奉太郎「…! 出そうですね、結論」
入須「……?」
奉太郎「考える考えない、通用するしない。そうではなくて、興味を持つ」
入須「ふむ」
奉太郎「互いに興味を持ち合う事で対等になり、想い合う事が出来る」
入須「では、その互いにする為には」
奉太郎「先輩のやり方に於いて、ですが…」
入須「続けて」
奉太郎「利害を捨て、尚且つ全てを曝け出す」
入須「…どういう事だ?」
奉太郎「色々考えましたが、俺はそもそも恋愛経験がありません」
入須「そう聞いたな」
奉太郎「ですが結局の所、そういった駆け引きの通用しない相手と言う部分が今回の場合重要じゃないですか?」
入須「…駆け引きの通用しない相手には、正面からぶつかれと」
奉太郎「成功の保証はありません。ですが、少なくとも無意味な駆け引きは時間の無駄になるんじゃないですか?」
入須「…保証は無し、か」
奉太郎「俺の中に成功例がありませんから」
入須「ふむ…」
奉太郎「この問題には俺たちでは結論は出せません。最終的な部分に感情が入ってしまう」
入須「…そうだな」
奉太郎「ですが、より良い方法を考える事は出来そうです。こう言った結論は、どうでしょう?」
入須「ふふっ、それは結論ではなく過程を導いただけだ。だが、納得はできたよ」
奉太郎「…そうですか」
入須「…やはり、君は特別だな」
奉太郎「またですか? もう効かないですよ、それは」
入須「本心よ。君に、嘘はもう言えないだろ?」
奉太郎「…ありがとう、ございます」
入須「…この後、空いてるか?」
奉太郎「部室で静かに本を読む時間も無くなりましたし、空いてますよ」
入須「イヤミだな。それでは、お茶に行こうか」
奉太郎「……できれば、帰りたいんですが」
入須「お茶に行こうか」
奉太郎「……あの店は避けたいのですが」
入須「私との思い出の場所だろう? ふふっ、ではご希望通り、今回は別の店にしようか」
・喫茶“四五六”
奉太郎(別の店って言っても、雰囲気は何も変わってない!)
入須「ここの抹茶も美味いんだ」
店員「いらっしゃいませ。ご注文は如何致しましょうか?」
奉太郎「…雲南茶をひと
入須「抹茶が美味いんだ」
奉太郎「…抹茶をください。一つ」
入須「二つだ。お揃いの器でな」
店員「畏まりました。少々お待ち下さい」
入須「…待っている間、想像するんだ。どのような茶を使い、どのように点てられ、どのような器で、どのような味で」
奉太郎「馳せ過ぎると、差異があった場合はガッカリするんじゃないですか?」
入須「それも含めて楽しむんだ」
奉太郎「…そうですか」
入須「ところで、君は私に何も教えてくれないのか?」
奉太郎「……教えるって、何を…?」
入須「血液型、誕生日、私は色々教えたよ。スリーサイズも」
奉太郎「最後のは違いますっ!」
入須「知りたいんだ。教えてくれないか?」
奉太郎「…はぁ。まぁ、いいですけど…」
入須「そうか。では、聞かせてくれ」
奉太郎(能力の無い人間に興味は無いんじゃなかったのか…?)
・5分後
店員「では、ごゆっくり」
入須「………」
奉太郎「………」ズズーッ
入須「…音はたてない」
奉太郎「…はぁ」
入須「見た目通り、ずぼらだね、君は」
奉太郎「すいませんね。ごく一般的な出自ですので」
入須「イヤミも言われなれたよ。君は仲の良い友人にもそう言った話し方なのか?」
奉太郎「…まぁ、たまに。冗談めいて言う事はありますが」
入須「なら、明日からは私だけにしておくんだ」
奉太郎「…どういう事です?」
入須「二人だけのやり取りにしたいんだ」
奉太郎「………? これを、ですか?」
入須「あぁ。君も言うし、私も言う。互いに対等な関係だよ」
奉太郎「…はぁ」
奉太郎(何を言ってるんだ? この人は?)
入須「…昼食は、いつもどうしてる?」
奉太郎「…弁当なら教室で食べてますけど」
入須「私は中庭だ」
奉太郎「……はぁ、そうですか」
入須「…明日は待っているから、来るのよ」
奉太郎「……え?」
入須「来れない場合は事前に連絡を。携帯は?」
奉太郎「あ、いや、持ってないんですが」
入須「では2-Fまで口頭で」
奉太郎「…あのー、今断っても
入須「明日は待っているから」
奉太郎「………」
奉太郎(なんなんだ、この人は…)
・20分後
店員「ありがとうございましたー!」
入須「今日はありがとう。助かったよ」
奉太郎「…いえ、別に」
入須「……利害を捨て、曝け出す。そうだったな?」
奉太郎「…そう、言いましたね」
入須「ふふっ、結論からして、イヤミだな」
奉太郎「…そうですね」
入須「……君は、私の物になれ」
奉太郎「……え?」
入須「いや…違うな。互いに対等に…」
奉太郎「………」
入須「君は、私の隣を歩くんだ。明日から」
奉太郎「……あの、よく意味が」
入須「…ずぼらで鈍感では、良い所が無いよ」
奉太郎「……上手く整理できません」
入須「なら、明日まで良く考えることだ。 …またな」
奉太郎「………」
奉太郎(………何を、言われたんだ?)
あ・た・し♪さんがログインしました
名前を入れて下さいさんがログインしました
名前を入れて下さい:こんにちは
あ・た・し♪:やほー♪
あ・た・し♪:うまくいったみたいね
名前を入れて下さい:先輩のおかげです
やはり黒幕はほうたる姉…
名前を入れて下さい:ただ彼には
名前を入れて下さい:上手く伝わったかどうか
あ・た・し♪:二人きりではっきりした言葉を伝えたなら
あ・た・し♪:あのバカでも気づくでしょ
名前を入れて下さい:私は彼に嫌われています
名前を入れて下さい:言葉を伝えて逃げ帰ってしまいました
名前を入れて下さい:不安です
名前を入れて下さい:私の考えを気にも留めない人は何人かいましたが
名前を入れて下さい:私の考えを解いた
名前を入れて下さい:理解してくれた人は、初めてなんです
あ・た・し♪:じゃあ、ひとつイイ事教えようか?
名前を入れて下さい:なんですか?
あ・た・し♪:あした弁当いらないってさ
おまけ
入須「来たか」
奉太郎「まぁ、言われましたので」
入須「そうか……嬉しいな」
奉太郎「! ……そういう顔も、できるんですね」
入須「? どういう顔だ?」
奉太郎「……いえ、なんでもありません」
入須「…? そうか」
奉太郎(可愛いじゃないか、ちくしょう)
おわり
入須先輩のssが少なかったので自家発電させて貰いました。
原作はだいぶ前に読んだきりなのでおかしい部分があるかもしれませんが
無視していただけると嬉しいです。
支援してくださった方、ありがとうございました。
奉太郎「…どちらとも」
入須「そうか」
奉太郎「…好きなんですか?」
入須「意外か?」
奉太郎「そうですね、イメージには」
奉太郎「……指を見ててください」
入須「…なんだ?」
奉太郎(大変古典的だが…)スッ
入須「指が動いた!」
奉太郎「うっ……先輩、近いです」
入須「すごいな!」キラキラ
奉太郎(……恥ずかしいな、これは)
入須「君を動かす事はできるんだ」
奉太郎「もう、嘘は聞きたくないんですが」
入須「言わないよ。 …それに、言ったとしても、君は気づいてしまうだろう?」
奉太郎「…あまり自信はありませんが」
入須「能力の有る人間は」
奉太郎「それもいいです」
入須「君の心は、どうやれば手に入るんだろうな?」
奉太郎「……は?」
入須「渡せ」
奉太郎「いや…無理ですよ」
入須「何故だ?」
奉太郎「…それより、対等になるんじゃなかったんですか?」
入須「! …そう、だったな」シュン
奉太郎(……駄目だ。可愛いと思ってしまう…)
入須「なら、どうすればいい」
奉太郎「自分で考えてください。女帝さん」
入須「イヤミを言うな」
奉太郎「……いや、それも先輩が…」
入須「……うるさいな、君も」プクー
奉太郎「…だいぶ参ってますよ、俺も」ボソッ
入須「…なんだ?」
奉太郎「なんでもありませんっ!」
入須先輩が増える事を祈って…
それでは、おやすみなさい。
いりほーいりほーおやすみー
Entry ⇒ 2012.08.13 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (1) | Trackbacks (0)
摩耶花「夏祭りに行くわよ!」奉太郎「勝手にしろ」
里志「やあ奉太郎! 今日も息災そうで何よりだよ」
奉太郎「それで? 俺のいえに古典部員を集めてどうするつもりだ」
摩耶花「夏祭りに行くわよ!」
奉太郎「勝手にしろ」
える「折木さん、いっしょに行きましょう!」
奉太郎「………」
里志「そりゃあ夏祭りの格好といえばこれでしょ!」
摩耶花「な、なによ。似合ってないとでもいうわけ」
奉太郎「そうじゃない」
える「どうですか? 私、おかしくありませんか?」
奉太郎「………。いや、いいんじゃないか」
里志「さあさあ奉太郎もさっさと着替えて着替えて」
摩耶花「だから言ったでしょふくちゃん! 折木は小学生のときから夏祭りを楽しめないつまらない男なのよ!」
里志「まぁ、わかっていたことではあるけどさ」
奉太郎「いや小学生のときはいったことある……、まぁいい。楽しんできてくれ」
える「みんなで行きましょう、折木さん! それがいいです」
奉太郎「服を掴むな……」
里志「早く着替えて来なよホータロー。早く行かないとひとでいっぱいになっちゃうよ」
摩耶花「あたしは折木がこなくてもかまわないけど」
奉太郎「だそうだ」
里志「だいじょぶさ千反田さん。ホータロー、真に受けてないんだろ?」
奉太郎「まあな。長い付き合いだからな、あしらい方くらい心得るさ」
摩耶花「なによその言い方! それにたいして長くもないでしょ」
里志「9年間同じクラスってのはじゅうぶん長いと思うけどね」
える「いいですねぇ子供のときから仲が良い方がいるというのは」
摩耶花「ち、違うよちーちゃん! 仲良くないから!」
里志「鏑矢中ベストカップルがなにいってるんだか」
摩耶花「だから違うっていってるでしょおっ!?」
奉太郎「ひとんちの玄関でやかましいやつだ」
里志「それじゃあさっさと支度することだね、ホータロー」
奉太郎「……わかったよ」
…
里志「さて、出発といこうか!」
える「みなさんと夏祭り、とても楽しみです!」
摩耶花「折木がいなければもっと楽しめたんだろうけどねー」
奉太郎「じゃあ俺は里志と回るとするかな」
摩耶花「それはだめ」
える「一番くじの景品……、私、気になります!」
摩耶花「ふくちゃん、あたしお腹すいちゃった」
里志「いいにおいがするからね。なにか食べるとしようか!」
摩耶花「あたしベビーカステラが食べたい!」
える「あっちにありますね」
里志「すごい! どうしてわかったんだい千反田さん」
える「い、いえ。香りが向こうからしていたもので……」
摩耶花「相変わらずすごいわねちーちゃん」
里志「それじゃあたい焼きは?」
える「ええっと……、少し遠いですね」
奉太郎(ひとが多い……)
里志「やっぱり祭りの醍醐味といえば出店だよね」
える「この味付けは……むむむ……」
奉太郎「千反田。まずければムリして食べなくて良いんだぞ」
える「いえ! 大丈夫です!」
奉太郎「そうか。……そんならちょっとその焼きそばくれないか」
える「いいですよ! はい、あーん」
奉太郎「いや、それはやめてくれ」
える「?」
里志「ほらホータロー、この割り箸を使いなよ」
摩耶花「ふくちゃんどうしてそんなもの持ち歩いてるの……」
摩耶花「そう? こんなもんじゃないの」
える「うちの近くでやっているお祭りは毎年ささやかなものだったので、少し驚きました」
里志「あぁ。そっちが元々のお祭りだよ、千反田さん」
奉太郎「またわけのわからんことを言い出したか」
里志「このお祭りはいちおう奥にある神社が主体になるんだけど、その神社は千反田さんちの近くの神社が遷宮されたものなんだ」
里志「こっちの人の多いところになって規模が拡大したみたいだね」
摩耶花「そんなことあるんだ」
里志「千反田さんのところのお祭りは、神社がなくなっても続けられたんだね。まぁ、土地に根付いたものはそうそう無くならないってことかな」
える「じゃあ、ふたつのお祭りは兄弟ってことですね!」
奉太郎(のど乾いたな……)
える「すみません! 少し、父を手伝うようにいわれていたんでした」
奉太郎「それはしかたないな」
える「このお祭りにはいますし、また会えるようなら……」
摩耶花「うん! 花火を見る頃には合流できると良いわね」
える「本当にすみません。それでは、失礼します」
里志「なるほどなるほど」
摩耶花「どうしたのよふくちゃん」
里志「さすが豪農千反田家。このお祭りのメインスポンサーのひとつなわけだよ」
奉太郎「前の神社のときから、そうだったのかもな」
奉太郎「とりあえずもなにも散々遊んだろ」
摩耶花「うわあホントにすごいひとね」
里志「当然! このお祭りの主役であり、お祭りのときに2人で参拝すればその絆は永遠になるといわれるこの神社は若者に大人気さ!」
摩耶花「ふ、ふくちゃん、いっしょにいこ?」
奉太郎「またそうやってすぐでっちあげる」
里志「さっすが奉太郎、見破るのが早いね!」
摩耶花「えっ嘘なの?」
里志「冗句といってほしいね!」
奉太郎「詭弁だ」
摩耶花「あっそ! じゃあそこで待ってなさいよ!」
里志「ここまで来て参拝しないのかい? あとで千反田さんと来たいということなのかな」
奉太郎「違う。……わかった、行こう。手短にな」
里志「その希望が叶えられるかは神のみぞ知るってところだね!」
摩耶花「ふくちゃん……」
里志「そうと決まれば賽銭箱まで突撃ーっ!」
奉太郎「楽しそうだな」
奉太郎「さあな。この人混みだ、どこにいるのかさっぱりわからん」
摩耶花「ケータイに……あぁもう電波通じないし!」
奉太郎「とにかく参拝だけでもしとくか」
摩耶花「ふくちゃんはどうするのよ!」
奉太郎「子供じゃないんだ、下で待ってれば降りてくるだろ」
摩耶花「それは、そうかもしれないけど……」
奉太郎「さっさと済ませてここから離れたい」
摩耶花「もう! ふくちゃんのばか!」
奉太郎「ほら、前向け伊原」
「えーっなんかイイねーそういうのーっ」
「はじめて聞いたー」
「なんかさっき誰か言ってたの聞いたよー」
摩耶花「なんかふくちゃんの嘘が広まってるんだけど……」
奉太郎「どうせすぐ忘れられる」
摩耶花「人の噂も、ってこと?」
奉太郎「ああ」
摩耶花(こいつ、なにも意識してないのね……)
摩耶花(そりゃ嘘だってわかってるけど、あたしは……なんか悔しいっ!)
奉太郎「伊原?」
摩耶花「な、なんでもない!」
摩耶花(漫研の4人だ……)
奉太郎「伊原? なんで手を握っ――おい」
摩耶花(なんであたし、逃げてるの……情けない……!)
奉太郎「ちょっと待て、いてっ、すみません、おい伊原!」
…
奉太郎「どこだここ……」
摩耶花「………」
奉太郎「伊原」
摩耶花「ごめん……」
奉太郎「………」
摩耶花「………」
奉太郎「……伊原」ポン
摩耶花「………ぐすっ」
奉太郎「………」ナデナデ
摩耶花「折木……」
摩耶花(慰めて、くれてるのかな)
奉太郎(子供の頃のまんまだな伊原は)
摩耶花「う、うん」
奉太郎「………。あのな、伊原」
摩耶花「な、なによ」
奉太郎「……手、そろそろ離してくれ」
摩耶花「ち、違っ! こ、これはっ!」
奉太郎「なに慌ててるんだ。よし、行くぞ」
摩耶花「まっ待ちなさいよ折木!」
…
奉太郎「ん」カラン
摩耶花「ラムネ? あ、ありがと」
奉太郎(さて、はぐれた里志を探さないとな)
摩耶花(ちょっと、どうしてこんなに優しいのよ……! と、ときめいてない! 断じて!)
摩耶花「そ、それはちょっと……」
奉太郎「里志が待ってるかもしれないだろ」
摩耶花「それはそうなんだけど」
奉太郎「まぁいい。もしかしたらここを通るかもしれないしな」
摩耶花「そうそう!」
…
摩耶花「……ねぇ折木」
奉太郎「どうした」
摩耶花「覚えてる? 小学生のとき、いっしょに夏祭りに行ったこと」
摩耶花「あの頃は折木もふつうに夏祭りとかに出かけてたのに」
奉太郎「伊原が上級生に絡まれたりしてたな。お前、祭りのときくらい奇行を見逃してやれ」
摩耶花「よ、よく覚えてるわね」
摩耶花(あたしも、そのとき折木が助けてくれたこと覚えてるけど……)
奉太郎「姉貴も痴漢やらスリやらぼこぼこにするし……」
奉太郎「それ以来、夏祭りにはいってなかった。けっきょく伊原といくことになるとはな」
摩耶花「中学生のときも誘ったのに!」
奉太郎「そうだったか? お前、夏祭り好きだな」
摩耶花「あ」
奉太郎「……げ」
入須「やあ、折木くん。と……」
摩耶花「伊原です。入須先輩」
入須「二人だけか。君たちの部長は?」
奉太郎「………」
摩耶花「ちー……、千反田さんは、親の手伝いだそうです」
入須「あぁ。なるほど」
奉太郎「……行くぞ、伊原」
奉太郎「すいません、友人を捜してますんで」
入須「そうは見えなかった」
奉太郎「見えなかっただけです」
摩耶花「お、折木?」
入須「……ふう。君、すこし彼を借りるよ」
摩耶花「え、あ、はい? いや彼氏とかじゃないですけど……」
奉太郎「おい伊原。なぜお前が許可する」
入須「こっちだ、折木くん」
奉太郎「ちょっ、伊原! そこで待ってろ!」
入須「なんのことかな。私は君に対して悪い印象を持ってなどいないよ」
奉太郎「先輩のなかの印象は関係ありません」
入須「君が私のことを嫌っていると? それこそ無関係だ」
奉太郎「……俺は、」
入須「彼女を待たせるのも酷だ。手短に行こう」
奉太郎「なんのはなしです」
入須「簡単なアドヴァイスさ。そのまえに、私の格好をどう思う?」
奉太郎「………。浴衣ですね」
入須「……間違ってはいない」
奉太郎「それがなにか?」
入須「君は本当に私のことが嫌いなのか?」
奉太郎「別に嫌いだとは言ってないと思いますけど」
奉太郎「伊原ですか。浴衣ですけど」
入須「そうだな。で? なにかそれについて言ってあげたか?」
奉太郎「意味が分かりません。もう戻りますよ」
入須「簡単なことよ。関係を円滑にして自分の思ったように事を進めるのに、言葉ほど容易く相手を変えることができる方法はないわ」
奉太郎「……そうですね」
入須「つまり、まず相手を褒めて、それから要求を通せばいい」
奉太郎「……先輩」
入須「なにか?」
奉太郎「浴衣、すごく似合ってますよ」
入須「!?」
入須「あっ……」
入須「折木くん……」
…
摩耶花「あ、折木!」
奉太郎「そこにいたのか伊原。というかその手に持ってるのなんだ」
摩耶花「いか焼きとリンゴ飴とわたあめだけど」
摩耶花「あ、ちょっと持っててよ折木! あたし射的やってくるから。はい!」
奉太郎「おい、待て、伊原!」
摩耶花「射的いっかい! 折木、それ食べといていいから」
奉太郎「………」
奉太郎「そりゃあそんな簡単にとれたら儲からないだろ」
摩耶花「そうだけどさ……。あれ? いか焼きは?」
奉太郎「うまかった」
摩耶花「い、いか焼き食べたの!?」
奉太郎「な、なんだ。食べていいといっただろう」
摩耶花「そうだけど……」
摩耶花(あたしの食べかけだったんだけど……折木は気にしてないのかな)
奉太郎「悪かったな。買ってくる」
摩耶花「い、いいってば! 持っててくれてありがと」
摩耶花「うん」
摩耶花(もう、いないだろうし)
摩耶花「そういえば、入須先輩は何の用事だったの?」
奉太郎「たいしたことじゃない」
摩耶花「? な、なによじろじろ見ないで」
奉太郎「………。伊原」
摩耶花「なに」
奉太郎「似合ってるな、浴衣」
摩耶花「ふえっ!?」
奉太郎「さぁいくぞー」
奉太郎「関係を円滑にして……とかなんとか」
摩耶花「はぁ?」
奉太郎「つまり、そういうことだ」
沢木口「なるほどねー」
摩耶花「いやわけわかんないわよ」
奉太郎「えっ?」
沢木口「やっ怪盗くんに探偵ちゃん」
奉太郎「沢木口、先輩」
摩耶花「なんですそれ」
沢木口「やつは大変なものを盗んでいきました……あなたの心ですビシィッ」
奉太郎「擬音をわざわざ言わないでください」
沢木口「いやーみんながはぐれちゃってさ! ちゃんとついてこいっての」
摩耶花「それって先輩が……」
沢木口「あ、牛串いる? あげるあげる」
奉太郎「いえ別に……」
沢木口「あっもしかしてあーんってしてほしい? いけないなぁ少年、キレイな先輩だからってそういうのはちょっとねー」
沢木口「ま、君がどーしてもっていうならしてあげないこともないけどね! ほらっ、あーん」
奉太郎「話を……」
沢木口「と見せかけてあげないっ! 牛串うまーっ」
豚汁とかどうかな!」
奉太郎「いやあの」
沢木口「なんちゃって夏に豚汁はないよね! 暑いよね! それにアタシの料理誰も食べてくれないしね!
そうだ、今度なにかごちそうしようか、腕によりをかけちゃうぞーっ」
奉太郎「遠慮しま――」
沢木口「ほかにもなんか怪しい屋台とかいいよね! へんなものしか並んでない輪投げとかくじ屋とか」
摩耶花「あ、あの」
沢木口「さあってそろそろみんなを探しにいかなきゃね! まったくアタシがいないとみんなだめなんだからなーしかたないなーそれじゃねっ! 末永くお幸せに!」
奉太郎「………」
摩耶花「………」
奉太郎「まぁ、だろうな。人がずいぶん減ったから、いれば簡単に見つかるはずなんだが」
摩耶花「それにしてもどうしてこんなに減ったのかしら」
どおん!
奉太郎「もう花火の始まる時間だからな」
摩耶花「も、もう? ちょっと折木、会場まで急がないと」
奉太郎「俺は疲れた。ここからでも見えるし、移動する必要はないだろ」
摩耶花「またそんなふうに言って!」
奉太郎「お前もちょっと休んだらどうだ」
摩耶花「しかたないわね……」
奉太郎「ああ」
摩耶花「………」
奉太郎「………」
摩耶花「……折木」
奉太郎「どうした」
摩耶花「今日はありがとね」
奉太郎「なんのことだ」
摩耶花「何も聞かないでくれて」
奉太郎「………」
摩耶花「そっか」
奉太郎「お前はいつもエネルギー消費の高い生き方をしてる。だから疲れるんだ」
奉太郎「時々は休んでもいいと思うぞ」
摩耶花「……そ、その、ときは、」
摩耶花「そのときはっ、……となりにいて、くれる?」
奉太郎「ああ。いつだって」
摩耶花「そ、そうよねッ折木はいつも休んでるもんね!」
奉太郎「そうだな。そうやって伊原を待ってるよ」
摩耶花「~~~っ!」
奉太郎「……きれいだな」
摩耶花「うん」
える「折木さん、摩耶花さん!」
摩耶花「!」
奉太郎「おお、よくここがわかったな」
里志「入須先輩と沢木口先輩に聞いたんだよ」
える「ここからでも、花火が見えたんですか?」
摩耶花「う、うん、そうなの!」
里志「最後のあの連発はすごかったね」
える「もしかして終わらないんじゃないかって、わたし思ってしまいました」
奉太郎「さて、帰るか」
里志「そうだね!」
里志「2人をいくら捜しても見当たらないから、居場所が確実な千反田さんと合流することにしたんだよ」
える「かほさんの神楽奉納をいっしょに見たんですよ!」
里志「あれは感動したよ」
摩耶花「なんか満喫してるじゃない」
里志「はは、それは摩耶花もだろ?」
摩耶花「なっ!?」
える「そういえば折木さん、入須さんが『浴衣が似合っていると言ってくれて嬉しい』と言っていましたよ」
奉太郎「!?」
摩耶花「! ……おーれーきー?」
奉太郎「ち、違う!」
摩耶花「待ちなさいっどういうことよ!」
おしまい
よかったよ
まやほーもいいねえ
でもえるほーも見たい
やっぱりまやほーが至高
Entry ⇒ 2012.08.03 | Category ⇒ 氷菓SS | Comments (0) | Trackbacks (0)