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える「古典部の日常」 6


729: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:42:16.23 ID:Z+iO6tmx0

奉太郎「……ふわぁあ」

大きなあくびをしながら起きる。

昨日はここに戻ってきたから、随分とぐっすりと眠れた。

昼間散々寝ていたせいで、少々心配だったが……

恐らく、頭をいつもより働かせたせいだろう。

部屋の時計によると、まだ朝の6時、俺にしては随分早起き出来た物だ……と自分を褒めたい。

奉太郎「とりあえず、寝癖直すか」

毎度毎度、この寝癖は俺を悩ませる。

里志や伊原に相談すれば、短く切ればいい等と言うだろうが、それもまた面倒なのだ。

しかし、結果的に見れば……そうするのが効率良くなるのかもしれない。

そう思う物の、髪を切ろうと思わない辺り、俺はやはりこの髪型が気に入ってるのだろう。


730: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:43:05.56 ID:Z+iO6tmx0

奉太郎「……どうでもいいな」

そんな独り言をしながら、洗面所で寝癖を直していた。

摩耶花「……おはよ」

後ろから声が掛かる。

奉太郎「ああ……おはよう」

伊原の元気の無さから、こいつも多分朝は苦手な方だと予測できる。

丁度寝癖は直し終わったし、伊原にその場所は譲る事にした。

……本当の所は、既に機嫌が悪そうな伊原の機嫌を更に損ねたく無かったからだが。

俺はそのままの足で、一度ベランダへと出た。

外に出ると、朝が早いだけあり、風が涼しい。


731: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:43:31.98 ID:Z+iO6tmx0

える「おはようございます、折木さん」

そしてそこにはどうやら、先客が居た様だ。

奉太郎「……早起きだな」

える「折木さんこそ」

奉太郎「俺は昨日、昼間少し寝ていたしな」

える「そうだったんですか」

奉太郎「ああ」

そこで一度、会話が途切れる。

心なしか、千反田が何か聞きたそうにこちらを見ていた。

奉太郎「……気になる事でもあったか」

える「良く分かりましたね」

……いや、そこまでそわそわしていたら誰でも分かるだろうに。


732: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:43:57.24 ID:Z+iO6tmx0

える「折木さんは何故、お昼に寝ていたのですか?」

これは……朝から、失言だったか。

それに答えるのは、面倒と言うよりは……言いたく無い。

奉太郎「……里志にでも、聞いておけ」

える「福部さんですか……今はまだ、寝ているので」

奉太郎「なら、伊原でもいい」

える「摩耶花さんは、一人の方が楽そうだったので」

奉太郎「じゃあ、入須でもいいだろ」

える「そうですね、そうします」

とりあえずこれで、今の所は回避出来た。

後は入須が俺の気持ちを考えてくれるかどうかだが、どうだろう。


733: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:44:24.86 ID:Z+iO6tmx0

える「何故ですか?」

今、入須に聞くと言ったばかりなのに、何を言っているんだこいつは。

俺が千反田のその質問に口を開こうとした時、後ろから声がした。

入須「うーん、言ってもいいか?」

いつから居たのか、入須の声が後ろからする。

奉太郎「……おはようございます」

入須「ああ、おはよう」

奉太郎「居るなら居ると、言ってくださいよ」

入須「すまんな、千反田は気づいていた様だったが」

える「ええ、すぐに気付きました」

える「入須さんの足音がしたので」

さいで。


734: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:45:02.61 ID:Z+iO6tmx0

える「それより、です」

える「入須さん、何故ですか?」

千反田がそう聞くと、入須は一度俺の方に視線を移す。

奉太郎「そこまで言ったなら、話してもいいんじゃないですか」

入須「君がそう言うなら、いいか」

奉太郎「俺は一足先に中に戻っています」

そう言い残し、俺は部屋の中へと戻る。

……今の最善手は、何だっただろうか。

むしろ、俺が昼間寝ていた原因を隠す必要が……無いな。


735: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:45:28.49 ID:Z+iO6tmx0

客観的に見れば、そんな所か。

そうして俺は一度、自分の部屋へと戻る。

ベッドの上で一時間ほど本を読み、やがて入須に呼び出され、朝飯を食べる事となる。

俺と千反田と伊原と入須。

里志はまあ……まだ寝ているのだろう。

朝はどうやら、千反田達で飯を作った様で、かなり美味しかった。

唯一不満があるとすれば、俺が昼間寝ていた理由を聞いたであろう千反田が、にこにことしながら俺を見ている事だったが。


736: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:46:00.78 ID:Z+iO6tmx0

朝飯を食べ終わり、ゆっくりとした時間が流れる。

奉太郎「そう言えば、伊原は昨日どうだったんだ」

摩耶花「えっと、花火大会?」

奉太郎「それ以外に何かあったか」

摩耶花「一応の確認でしょ、別にいいじゃない」

奉太郎「大会は遅れただろ、花火は見れたか?」

摩耶花「まあ、うん」

摩耶花「見れたよ」

える「どうでした、花火は」

摩耶花「すごく、良かった」

そう言う事に大して感情を抱かない俺が、綺麗な花火だと思ったのだ。

伊原が感じた事は……とても俺には想像できないな。


737: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:46:26.95 ID:Z+iO6tmx0

入須「今年で彼の花火は終わりだが、来年もきっと素晴らしい物が見れるさ」

入須はそう言いながら、人数分のコーヒーを持ってくる。

奉太郎「ありがとうございます」

俺はそれを受け取り、一口飲んだ。

……実に良い、甘すぎないし、丁度良い。

あれ、待てよ。

奉太郎「千反田、それコーヒーだぞ」

える「あ、そうですね」

入須「なんだ、嫌いだったか」

える「嫌い、と言う訳では無いのですが……」

奉太郎「飲ませない方が良いと、言っておきます」


738: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:47:06.27 ID:Z+iO6tmx0

摩耶花「なになに、折木は何か知ってるの?」

える「あの、そのですね」

奉太郎「……性格が変わる」

摩耶花「ちーちゃんの?」

千反田がコーヒーを飲む、そして俺の性格が変わったらどうするんだ、こいつは。

奉太郎「ああ、そうだ」

摩耶花「それ……ちょっと気になるかも」

える「や、やめてください」

入須「ふふ、まあそうならやめておこう」

入須「お茶を淹れて来るよ」

える「すいません、ありがとうございます」

千反田が頭を下げると、入須は軽く手をあげ返事をし、台所へと戻って行った。


739: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:48:16.85 ID:Z+iO6tmx0

摩耶花「それで、どんな風になるの?」

奉太郎「聞きたいか?」

摩耶花「……うん」

える「ふ、二人とも駄目ですよ!」

奉太郎「との事だが」

摩耶花「残念……気になるなぁ」

える「もうこの話は終わりです、違うお話をしましょう」

あからさまに慌てている千反田を眺めるのも、中々面白い物だ。

奉太郎「ま、いつか機会があったらと言う事で」

摩耶花「りょーかい、楽しみにしておくわね」

える「そんな機会、来ませんよ!」


740: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:49:26.86 ID:Z+iO6tmx0

摩耶花「それで、どんな風になるの?」

奉太郎「聞きたいか?」

摩耶花「……うん」

える「ふ、二人とも駄目ですよ!」

奉太郎「との事だが」

摩耶花「残念……気になるなぁ」

える「もうこの話は終わりです、違うお話をしましょう」

あからさまに慌てている千反田を眺めるのも、中々面白い物だ。

奉太郎「ま、いつか機会があったらと言う事で」

摩耶花「りょーかい、楽しみにしておくわね」

える「そんな機会、来ませんよ!」


741: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:49:54.60 ID:Z+iO6tmx0

それから他愛も無い話をし、時を過ごす。

珍しく俺も、その輪の中に入れていた。

そして、里志も起きて来て何十分か過ごした後、俺がこの旅行でもっとも回避したかった出来事が訪れる。

里志「じゃあ、そろそろ海に行こうか」

入須「そうだな、今日は天気も良い」

える「楽しみです!」

摩耶花「折木も来るのよ? もう具合も良くなってるでしょ」

……来てしまった物は仕方ない。

潔く、諦めよう。


742: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:50:49.35 ID:Z+iO6tmx0

~海~

里志「うわ、すごく綺麗な所だね」

摩耶花「そうね……でも人が全然居ないのは何で?」

入須「ああ、プライベートビーチみたいな物だからな」

……何て人だ。

える「海は久しぶりですね、去年の夏は入れなかったので」

千反田はいつかのプールの時と同じ水着を着ていた。

やはり、目のやり場に困ってしまう。

里志「それじゃ、入ろうか」

里志の言葉を受け、俺と入須を除く三人は海へと入って行った。

俺は、まあ……海でわいわい遊ぶと言う性格でも無いので、砂浜に腰を掛ける。


743: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:51:26.62 ID:Z+iO6tmx0

入須「何だ、入らないのか?」

そう言い、入須は俺の横へと腰を掛けた。

奉太郎「入須先輩こそ、入らないんですか」

入須「私は、まあ」

奉太郎「そうですか」

にしても、本当に綺麗な所だな。

空には雲一つ無く、日本の海とは思えない程に透き通った色をしている。

奉太郎「入須先輩は、昨日の事……最初から分かっていたんですか?」

入須「……さあ、どうだろうな」

奉太郎「ま、別にいいですけど」

そんな会話をしながら、海で遊ぶ里志達を眺めていた。

どこから持ってきたのか、ビーチボールで遊んでいる。


744: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:51:52.69 ID:Z+iO6tmx0

奉太郎「……大学は、どうですか」

入須「大学か」

入須「楽しい所だよ」

入須「だがやはり、高校の方が楽しかったかもな」

奉太郎「これから、大学へ行くであろう本人に言う台詞がそれですか」

入須「なんだ、嘘でも高校より楽しいと言えばいいのか?」

奉太郎「……」

奉太郎「先輩は」

奉太郎「後悔していますか、去年の事」

俺が言っているのは、去年俺と入須が……千反田を、傷付けた事だ。

入須「そうだな……どうだろう」

入須「でも結局は、君と千反田の距離は縮まったのでは無いか」


745: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:52:20.86 ID:Z+iO6tmx0

奉太郎「まあ……そうかもしれませんが」

入須「千反田を傷付けてしまった事は、後悔しているよ」

奉太郎「……でしょうね」

入須「ここだけの話だがな」

入須「先輩は、珍しく落ち込んでいたよ」

入須が指す人物とは、俺の姉貴の事だろう。

奉太郎「そうですか」

入須「君が言った通りだった……先輩も、後悔していたんだ」

奉太郎「なら結局、あの計画では……誰が、救われたんでしょうね」

入須「決まっている、誰も救われていない」

……だろうな。


746: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:52:52.26 ID:Z+iO6tmx0

入須「でも、それはあの当時での事だ」

奉太郎「当時の? どういう意味ですか」

入須「……もしかすると、次に繋がっていたのかもしれない」

奉太郎「すいません、少し意味が分かりかねます」

入須「……はっきり言うか」

そう言うと、入須は俺の方に顔を向ける。

入須「あそこで、君と千反田が近づいていなかったらどうなっていたと思う?」

入須「私が計画を拒否し、何も起こらなかったとしたら」

奉太郎「……それは」

恐らく、何も変わらない日々が過ぎていた。


747: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:53:26.96 ID:Z+iO6tmx0

俺と千反田は以前の距離を維持して、その距離を縮める事は……無かったのでは無いだろうか。

あれだけの事が無ければ、俺から千反田に歩み寄る事も無かったし、千反田もそうだろう。

そして多分、千反田の父親の話を聞いた日。

俺が千反田の気持ちを理解しようとしなければ、あの日に公園に行くことも無かったのかもしれない。

それは本当に、何も無い、今まで通りの折木奉太郎だろう。

良く言えば、自分のモットーを貫き通していると言える。

しかし悪く言えば、変わろうとしていないと言う事か。

ああ、なるほど。

……やはり入須は、昨日の事は分かっていたのだ。


748: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:53:53.72 ID:Z+iO6tmx0

奉太郎「苦手です、入須先輩は」

入須「君の言葉を借りると、本人の前で言う事では無い、と言った所だな」

奉太郎「それはすいませんでした、失言ですね」

入須「ふふ、そうだな」

まあ、苦手ではあるが……嫌いでは、無いか。

そんな事を考えながら、顔を再び里志達の方に向けた。

目の前に、誰かが居る。

入須と話し込んでいて全く気付かなかった。

空気で分かる、それは千反田だ。

俺はそいつに目を移す。

……手には、ビーチボール?


749: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:54:45.62 ID:Z+iO6tmx0

瞬間、俺がその状況を理解する前に、千反田によって放たれたボールが顔に命中する。

える「ご、ごめんなさい!」

そう言いながら、逃げていく千反田が見えた。

プールの時も確か、同じ様な事をされた気がする。

あの時は何も考えていなかったせいで受け流してしまったが……今は違う。

奉太郎「……千反田」

俺は逃げる千反田に向かって、聞こえるくらいの声を出した。

える「え、はい!」

千反田は振り返り、俺の話に耳を傾ける。

奉太郎「俺が今、やるべき事は何か分かるか」

える「えっと、それは……どういう事でしょうか」

奉太郎「手短に、終わらせよう」


750: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:55:22.34 ID:Z+iO6tmx0

冷や汗を掻きながら後ずさりする千反田に向かって、ボールを放った。

見事に命中し、倒れる千反田。

摩耶花「うわ、折木ひどーい!」

伊原がそれを見て、声を荒げる。

奉太郎「やり返しただけだ、別に酷くもなんとも無い」

我ながら、その通りである。

里志「まあまあ、手をあげるのは良くないよ、ホータロー」

……そう言いつつも、何故俺を羽交い絞めにする?

摩耶花「ちーちゃん、チャンスチャンス!」

待て待て! 卑怯では無いだろうか。


751: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:55:52.73 ID:Z+iO6tmx0

える「お返しです、折木さん!」

そう言い、俺に向かってボールを投げてきた。

しかしそれは俺の顔の横を通り過ぎ、後ろに居た里志へと当たる。

奉太郎「どうやら良い腕をしている様だ、千反田は」

倒れた里志に向かって、俺はそう言った。

里志「千反田さん」

える「え、ええっと……」

里志「自分がした事は、自分の下へと帰ってくるんだよ」

矛先はどうやら、俺から千反田へと向かった様だ。

これでようやく、俺もゆっくりできると言う物である。

しかし、それを考えられたのも一瞬であった。

里志が投げたボールは、手から滑り、入須へと当たる。


752: ◆Oe72InN3/k 2012/10/26(金) 22:56:22.00 ID:Z+iO6tmx0

入須「福部くん」

入須「……自分が言った言葉は、忘れていないだろうな」

おお、入須の顔が恐ろしい。

もしかすると、伊原のそれよりも怖いかもしれない。

俺は無関係を装い、その場から少し距離を取った。

省エネ省エネ、眺めている方が安全だ。

そして何より、楽だ。

それからボールを投げ合う四人を眺めつつ、俺は夏の日差しを浴びていた。

実に……俺らしい選択である。

第16話
おわり


764: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:19:43.62 ID:MSedhqvo0

奉太郎「いつまで遊んでいるんだ、もう夕方だぞ」

俺は溜息を吐きながら、未だに元気良く遊びまわる奴等に声を掛ける。

と言うか、だ。

……入須までもが一緒にはしゃぐとは、思いも寄らなかった。

える「あ、本当ですね」

そんな俺の声に最初に気付いたのは、やはり千反田であった。

そして千反田の発言を聞き、残った者達も駆け寄ってくる。

里志「ごめんごめん、ついつい」

摩耶花「久しぶりに思いっきり遊べたかも」

里志と伊原はそんな事を呟いていた。


765: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:20:20.32 ID:MSedhqvo0

入須「……そうだな、良い時間になっている」

はて、良い時間とはどういう意味だろうか。

奉太郎「良い時間ですか?」

入須「ああ、一つ計画してある事があるんだよ」

計画していたにしては、随分と夢中で遊んでいた様だが……別にいいか。

える「なんでしょう……私、気になります」

入須「夏と言えば、だ」

里志「最初に思い浮かぶのは、やっぱり海ですね」

里志の言葉に、入須は頷く。

入須「次に何を想像する?」

摩耶花「えっと、花火かな?」

入須「そうだ」


766: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:20:47.54 ID:MSedhqvo0

奉太郎「ですが、花火は昨日見ていますよ」

俺の言葉を聞き、入須はまたしても頷く。

入須「他にもあるだろう?」

他に……?

里志「ああ、そうか!」

里志は気付いたのか、一人満足そうな顔をした。

入須「勿体振る必要も無いな」

入須「バーベキューだ」

確かに、夏と言えばそうか。

奉太郎「でも、材料とかは?」

入須「最初に計画していたと言っただろう、用意してあるよ」

える「さすがです、入須さん」

顔を思いっきり寄せる千反田に、入須は若干身じろぎしていた。

そんな入須の反応が新鮮で、俺はついつい口を開く。


767: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:23:01.37 ID:MSedhqvo0

~砂浜~

先ほど遊んでいた場所から少し離れた所で、バーベキューはする事となった。

今はようやく準備が終わり、休憩している所だ。

入須「すまんな、全部任せるつもりでは無かったのだが」

奉太郎「別に良いですよ、自分で言った事ですし」

入須「そうか」

入須はそれだけ言うと、設置されたグリルの方へと歩いて行った。

その姿を見送ると、俺は空を見上げる。

日は既に大分傾いており、かすかに星が光っているのが見えていた。

そんな空に気を取られて居た所で、ふいに俺に声が掛かった。


768: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:23:28.40 ID:MSedhqvo0

里志「お疲れ様、ホータロー」

奉太郎「里志か」

里志「なんだい、僕じゃ不満かい?」

奉太郎「いいや、そういう訳じゃない」

この時……俺には少しだけ、気になる事があった。

それを里志にぶつける。

奉太郎「昨日は、どうだった?」

里志「昨日と言うと……花火大会かな?」

奉太郎「ああ、伊原と二人で見たんだろう?」

幸い、砂浜から少し離れた場所で話している俺と里志の声は、料理を作っている千反田、伊原、入須には聞こえないだろう。


769: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:24:02.53 ID:MSedhqvo0

里志「僕は皆で見たかったんだけどね」

里志はそう前置きをすると、話し始める。

里志「摩耶花がどうしても二人で見たいって言うからさ」

里志「ホータローには悪いと思っているよ、入須先輩の事は苦手だろう?」

気付いていたのか、まあそれもそうか。

奉太郎「確かに苦手ではあるが……」

奉太郎「それは嫌いという事に繋がる物でもないさ」

里志「それならいいんだけど」

里志「僕は、花火が遅れた事に少しだけ感謝しているんだよ」


770: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:24:31.69 ID:MSedhqvo0

奉太郎「感謝? 何でまた」

里志「色々、摩耶花と話せたからね」

里志「花火が始まってたら、そっちに気を取られてそれ所じゃないよ」

奉太郎「なるほど……そうか」

里志と伊原にも、色々とあるのだろう。

その話の内容まで聞くのは、俺の趣味では無い。

里志「それより、驚いたよ」

奉太郎「驚いた?」

何か驚く様な事でもあっただろうか……?

大会が遅れた理由をしれば、恐らく……驚いた、と言うだろうが。

生憎、里志はその理由を知らない。

そんな俺の考えに答えを出すより、先に里志が口を開く。


771: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:25:03.10 ID:MSedhqvo0

里志「ホータローが、そんな事を聞いた事にさ」

……何か、おかしな事でも聞いたのか。

奉太郎「別に、変な事は聞いていないと思うんだが」

里志「うん、その通りだよ」

何だ、からかっているのか。

奉太郎「からかうのはやめてくれ、疲れているんだ」

里志「そういうつもりでは、無いよ」

奉太郎「……なら、どういうつもりで?」

里志「それを聞いてきたのが、ホータローだったからだよ」

里志「普通の、例えば千反田さんとかが聞いてくるのなら、分かるよ」

里志「でも、それを聞いてきたのがホータローだったってのが、僕にとって意外だったのさ」


772: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:25:29.30 ID:MSedhqvo0

……言われてみれば、そうかもしれない。

奉太郎「少し、気になっただけだ」

奉太郎「深い意味なんて無い」

里志「それだよ、何で深い意味は無いのに聞いたんだい?」

何だ、そんなおかしな事だろうか?

奉太郎「お前は意味の無い質問に、そこまで言うのか」

俺がそう言うと、里志は首を横に振る。

里志「ごめん、言い方が悪かったかもしれない」

里志「手短に言うよ、その方が好みだろう?」

里志「何で君は、しなくてもいい質問をしたんだい?」


773: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:27:54.48 ID:MSedhqvo0

……ああ、そうか。

確かにそうだ、俺がした質問は、完全に意味の無い質問である。

昨日、里志と伊原がどうして居ただなんて、知っても何も起きないじゃないか。

なら、どうして俺はそんな質問を?

奉太郎「……そういう事か」

里志の言っている意味が分かり、口からそう漏れた。

豆鉄砲でも食らったかの様に目を開いている俺に向かって、里志は言う。

里志「ま、ホータローも随分と変わったよ」

里志「それじゃあそろそろ、焼けてきたみたいだし、行くね」

最後にそう言うと、里志は入須達の下へと小走りで向かって行った。

奉太郎「変わったのか、俺が」


774: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:29:11.71 ID:MSedhqvo0

去年も確か、里志とは似たような事を何度か話している。

今改めて聞いて、俺は思った。

変わった、と。

……元を辿れば、最初からだ。

入須の誘いを断固拒否する事だって出来た。

俺は最初、千反田が絡んでくると省エネが出来ないと思っていた。

しかしそれは、多分違う。

別荘に行こうと入須が言った時、あの時は千反田が居た。

だが、花火大会へ行こうと、入須が別荘で寝る俺に言った時、断る事は出来た筈だ。

何故、断らなかったのだろうか。

それがもしかすると、俺が変わったと言う事なのかもしれない。

……なら、そのきっかけは?


775: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:29:44.66 ID:MSedhqvo0

やはり、千反田だろう。

あいつに振り回され、俺は変わったのか。

だがそれでも、そこまで急激な変化がある物だろうか?

……ああ、あれか。

俺の頭に思い出されたのは、去年の暮れの事である。

……あの時程、自分のモットーを呪った事等無かった。

そんな体験が恐らく、俺の中の省エネと言う物を、消そうとしているのかもしれない。

しかしまだ、それに答えは出せそうに無かった。

える「折木さん、食べないんですか?」

急に声が聞こえ、我に帰る。


776: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:30:11.00 ID:MSedhqvo0

奉太郎「千反田か」

える「横、座ってもいいですか?」

奉太郎「ああ」

そう俺が答えると、千反田は嬉しそうに笑い、俺の横に腰を掛けた。

える「はい、どうぞ」

そう言いながら千反田が差し出したのは、肉や野菜が乗っている皿だった。

奉太郎「……ありがとう」

俺はそう言い、その皿を受け取る。

える「どうでした、今回の旅行は」

奉太郎「……」

奉太郎「まあ、楽しかった」


777: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:31:39.21 ID:MSedhqvo0

える「ふふ」

える「私も楽しかったです」

える「花火を最初から見れなかったのは、残念ですが……」

奉太郎「別に、また違う場所で花火はあるだろ」

える「そうですよね、今度もし見る時は、最初から見たいです」

奉太郎「ああ」

える「それで、ですね」

千反田は少し恥ずかしそうに、口を開く。

える「あの、今度見る時は、一緒に見てくれませんか?」

奉太郎「……驚いた」

える「え、驚いたとは?」


778: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:32:21.37 ID:MSedhqvo0

奉太郎「俺も、同じ事を考えていた」

える「そ、そうでしたか! それなら今度、見ましょうね」

奉太郎「……二人でか?」

える「え、ええ。 そのつもり……ですが」

奉太郎「なら、それも俺と同じ考えだ」

える「ふふ、今日の折木さんは、何だか素直ですね」

それではまるで、いつもの俺が素直では無いみたいじゃないか。

奉太郎「冗談だと、言ったらどうする」

える「え、そうだったんですか……?」

本当に心配そうな顔をする千反田を見ていると、これは悪い事をしてしまったと思う。

露ほどにも、冗談だとか等、思っていないのだ。

俺はそんな千反田の視線を避ける為、顔を前に向け、口を開く。


779: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:33:08.22 ID:MSedhqvo0

奉太郎「すまん」

奉太郎「今度、見に行こう」

える「……ふふ、喜んで」

横にちらりと視線を移すと、千反田の笑顔があった。

俺はこの瞬間……千反田の顔を見た瞬間、はっとなる。

気付いたのだ、何故さっき、俺の省エネ主義に答えを出せなかったのかを。

もっと早く、そんな事より優先的に答えを出さなければいけない問題があるからだ。

それはつまり……

える「どこかいい場所とか、ありますか?」

こいつとの、関係である。


780: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:34:28.63 ID:MSedhqvo0

奉太郎「あの公園……あそこなら、確か見れる筈だな」

はっきりさせなければ、駄目だろう。

俺は呑気に、今年中にと考えていたが……これは俺だけの問題では無いのだ。

千反田も多分、考えている問題だろう。

ならばそんなゆっくりと、考えている暇は無さそうだ。

俺はもしかすると、気付かなければ駄目な……一番気付かなければ駄目な事に、気付けたのかもしれない。

それはこの旅行で、一番大きな収穫だった。

奉太郎「……夏か」

える「今日の折木さんは、なんだかおかしいですね」

える「今は夏ですよ」


781: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:35:09.92 ID:MSedhqvo0

奉太郎「何でも無い……そうだな、今は夏だ」

夏が終わる前に、答えを出そう。

それが今考えられる、最短の時間であった。

える「あ、入須さん達が呼んでいますよ」

える「行きましょう、折木さん」

そう言いながら、千反田は立ち上がり、俺に手を差し出す。

奉太郎「……いや、俺は」

もう少し物思いに耽りたかったが、それを許してくれる千反田ではなかった。

える「行きますよ! 折木さん!」

奉太郎「……ああ」

俺はそう言い、差し出される千反田の手を掴んだ。


第17話
おわり


783: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:36:10.64 ID:MSedhqvo0

8月の半ば、俺は今千反田の家へと来ていた。

理由はそう、まだ分からない。

分からないと言うのも変な話だが、千反田から家に来て欲しいと言われ、特にする事も無かったので来ただけの俺に分かる訳も無い。

奉太郎「それで、この暑い中わざわざ来たんだが」

奉太郎「何の用事だったんだ」

える「……ええっと、何でしたっけ」

おいおい、まさか忘れたとでも言うのか。

奉太郎「来て早速だが、帰っていいか」

える「だ、だめです!」

える「あの、ちょっと待っていてください」

そう言うと、千反田はどこかへと小走りで行ってしまった。

……何だ、しっかりと覚えているじゃないか。


784: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:36:41.68 ID:MSedhqvo0

それから数分待たされ、千反田は戻ってくる。

両手には何やら大きなケースの様な物を抱えていた。

える「お待たせしました!」

奉太郎「随分大きな物だな」

える「ええ、中身が気になりますか?」

奉太郎「……いや、別に」

える「気になりますか?」

奉太郎「いや、だから」

そこまで言うと、千反田は俺の肩を掴み、顔をぐいっと近づける。

える「気になりますよね!」

奉太郎「……そ、そうだな」


785: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:37:07.21 ID:MSedhqvo0

える「ふふ、分かりました」

ほぼ強制的に気になる事にされ、千反田はとても満足そうだった。

そしてそんな顔をしたまま、ケースを開く。

える「これです!」

そう言い、千反田が取り出したのは……浴衣?

奉太郎「それは、浴衣か?」

える「はい、そうです」

奉太郎「……えーっと」

俺が呼び出された理由と、今千反田が持っている浴衣、何か繋がりがあるのだろうか?

もしかしたら、突然呼ばれ、浴衣を出されると言う事に、俺が知らない理由があるのかもしれない。


786: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:37:46.74 ID:MSedhqvo0

奉太郎「……」

とりあえず、良く分からないが頭を下げてみた。

える「あの、どうしたんですか?」

あれ、違うか。

奉太郎「……俺が馬鹿なのか分からないが、それと俺が呼び出された理由、どういう意味があるんだ」

える「お祭りに行きましょう!」

……つまりは、この浴衣は特に出した目的は無かったと言う事だろうか。

奉太郎「電話で言えば良かったんじゃないか」

える「まあ、そうなんですが……」

える「……折木さんに、浴衣を見て欲しかったんです」

奉太郎「その……それは祭りの時に見るんだから、今見せる物でも無いだろ」

俺は千反田の事をまともに見る事が出来ず、視線を逸らしながら答えた。


787: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:38:13.42 ID:MSedhqvo0

える「本当ですか!」

奉太郎「え、何が」

える「お祭りに行くと言う事がです」

あれ、俺は祭りに行くなんて言ったっけ。

……ああ、祭りの時に見ると言ったのが、そう解釈されたか。

奉太郎「まあ……構わんが」

しかし、俺には特に断る理由は思い当たらなかった。

える「ふふ、良かったです」

里志や伊原、千反田に何か言われなければ、特にやる事の無い夏休みだ。

別に祭りくらい、行っても大して変わらないだろう。


788: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:38:41.74 ID:MSedhqvo0

奉太郎「それで、祭りはいつ?」

える「明日です」

奉太郎「急だな」

える「私も、知ったのが今日だったので」

奉太郎「千反田が? 珍しいな」

奉太郎「てっきり神山市の行事は、全部知っている物だと思っていた」

える「ええ、知っていますよ」

奉太郎「……えっと」

前にも確か、こんな感じの事があったな。

話が噛み合っていない……俺の言葉から、何か分かる筈だ。

奉太郎「ああ、そうか」

奉太郎「神山市の祭りでは、無いのか」


789: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:39:10.95 ID:MSedhqvo0

える「そうです」

つまりはまた、ここから離れて遠出すると言う事になる。

ま、別にいいか。

奉太郎「遠いのか?」

える「歩いて行ける距離ですよ、安心してください」

……千反田の歩いて行ける距離と言うのが、少し怖いが……いいだろう。

奉太郎「じゃあ、明日は夕方くらいに来ればいいか?」

える「ええ、案内しますので、私の家に一度来てください」

奉太郎「了解、それじゃ今日はこれで」

そう言い、立ち上がる俺の腕を千反田が掴む。


790: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:40:11.74 ID:MSedhqvo0

奉太郎「……まだ何かあるのか」

える「折角来たんです、お話でもしましょう」

奉太郎「いや、今日は用事がだな……」

える「あるんですか?」

奉太郎「……無い」

える「なら、大丈夫ですね」

やはり無理矢理にでも電話で済ませるべきだっただろうか。

える「お昼は私が作るので、心配しなくても良いですよ」

……そうでも無いか。

奉太郎「ああ、分かったよ……」

俺はそう言いながら、再び座る。


791: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:40:47.02 ID:MSedhqvo0

奉太郎「それで、話と言ってもする話はあるのか?」

える「ええ、少し」

何だろうか、千反田としなければいけない話は……

あるにはある、だが多分、その話では無いか。

える「私が、家の仕事を後回しにした理由です」

奉太郎「……そうか」

なるほど……それは俺も気になっており、何度も聞こうとした。

聞こうとしただけで、実際には一度も聞いていなかったのだ。

える「私は、大学に進む事を選びました」

える「何故か、分かりますか?」

奉太郎「……すまんな、分からん」


792: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:42:18.15 ID:MSedhqvo0

える「謝らないでください」

える「私がその道を選んだのは……停滞したかったからです」

停滞……?

える「停滞と言うよりは、回り道と言った方が正しいかもしれません」

える「すぐにでも、家の仕事に就くことは出来ました」

える「父の事も考えると、それが一般的には良い選択なのかもしれません」

える「ですがそれでも、もう少しだけ……外を見たいと思ったんです」

奉太郎「外……か」

える「ええ」

える「今は一度、足を止めたかったんです」

える「そして、思ったんです」

奉太郎「……」

俺は静かに、千反田の話に耳を傾けていた。


793: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:42:45.57 ID:MSedhqvo0

える「足を止めて世界を見れば、折木さんの生き方を学べるかもしれないと」

奉太郎「……俺から学ぶ物なんて、無いだろうに」

える「そんな事ありませんよ」

える「折木さんは、私に無い物を……沢山持っていますから」

そんなのは、俺にとっても同じだ。

千反田は……俺に無い物を、沢山持っている。

奉太郎「それで選んだのが、停滞か」

える「はい、そうです」

える「足を止めたら、折木さんとは少し……距離が開いてしまうかもしれません」

える「ですがそれでも、一度見直したかったんです」

……そう言う事だったか。


794: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:43:13.05 ID:MSedhqvo0

しかし何か、引っ掛かる事がある。

だがそれを考えるのはあれだ、今じゃない。

今するべき事は、千反田の話に耳を傾ける事だろう。

える「間違いだと、思いますか」

奉太郎「……俺からは、何とも言えないって言うのが正直な感想だ」

奉太郎「それが正解だったか、間違いだったか、なんて物は後にならなきゃ分からないからな」

える「……そうですよね」

奉太郎「だがな」

奉太郎「俺は、お前の選択を信じたい」

奉太郎「正解であると、信じたいんだ」

奉太郎「そのくらいなら、別に良いとは思わないか」


795: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:43:38.88 ID:MSedhqvo0

える「……ありがとうございます」

える「やはり、折木さんには何でも話してみるべきですね」

そこまで過大評価されてしまっては、困る。

える「それで、折木さんはどの様な選択をするんですか?」

える「あ、答えたく無ければ、大丈夫です」

奉太郎「……俺か」

俺は、どうしたいのだろうか。

千反田はやはり、俺とは住む世界が全然違う。

まずそもそも、俺にそんな選択をする機会などあるのだろうか。

奉太郎「まだちょっと、分からないな」

奉太郎「……自分の事は難しい」


796: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:44:16.78 ID:MSedhqvo0

える「ええ、そうですよね」

千反田はそう言いながら笑っていたが、ならばお前はどうなんだ。

自分の事を理解して、自分の信じる選択をしたお前は。

……こいつは、凄い奴だな。

それが、俺の感じた正直な感想であった。

奉太郎「……そろそろ昼だな」

える「お腹が減りましたね」

える「ご飯、作ってきますね」

千反田は笑顔で俺にそう言うと、台所へと向かって行った。

さっきの言葉……勿論、千反田の。

奉太郎「俺がどんな選択をするか、か」

俺には別に、先ほども考えた様に、千反田の様な選択が訪れる事は無いだろう。


797: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:44:51.58 ID:MSedhqvo0

それは千反田も良く分かっている筈だ。

なら、さっきの言葉は恐らく……

俺と千反田の、関係の事だろうか。

……それしか、思い付かない。

奉太郎「……悪いな」

聞こえている筈も無く、一人俺は呟いた。

奉太郎「もう少しなんだ」

奉太郎「……待たせてばかりだな、俺は」


798: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:45:21.37 ID:MSedhqvo0

ああ、まずいまずい。

気分が暗くなってきてしまっている。

……家に帰ったら、もう一度ゆっくり考えよう。

千反田の前で、あまり暗い顔はしていたくない。

あいつは多分、それに気付くだろうからな。

里志風に言うと、今を楽しむべき。

……よし、もう大丈夫だ。

俺はそう思い、立ち上がる。

そして、そのまま台所へと向かった。


799: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:45:49.99 ID:MSedhqvo0

~台所~

奉太郎「悪いな、飯まで作ってもらって」

俺は料理を作る千反田の背中に声を掛けた。

える「いえ、いいんですよ」

える「私が最初にお呼びしたので、このくらいやらなければ罰が当たってしまいます」

千反田は俺の方には顔を向けず、料理を作りながら話していた。

奉太郎「……何か手伝う事はあるか」

える「お料理に興味があるんですか?」

奉太郎「……そういう訳では無いが」

える「そうですか、折木さんが作るご飯に、私は少し興味があります」

奉太郎「……機会があればだな」


800: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:46:16.49 ID:MSedhqvo0

とは言って見た物の、料理なんてまともに作った事すらない。

ま、そんな機会は来ないだろう。

える「ええ、楽しみにしておきます」

俺は千反田の言葉に軽く返事を返すと、適当な席に着いた。

……明日は祭りか。

俺は別に……適当な服でも着ていけばいいか。

あれ、そういえば。

奉太郎「なあ」

える「はい、なんでしょう?」

奉太郎「明日、祭りが終わった後に用事とかあるか?」


801: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:47:13.70 ID:MSedhqvo0

える「いえ、特に無いですが」

奉太郎「それなら、公園に行かないか」

俺がそう言うと、今までずっと俺に背中を向けたままだった千反田が振り返った。

急に千反田の顔が見えた事で、俺はつい視線を外す。

える「折木さんからお誘いがあるのは、随分久しぶりな気がします」

奉太郎「……そうだったかな」

える「いいですよ、行きましょう」

える「ですが、何故急に?」

奉太郎「ああ……」

奉太郎「明日、あそこから花火が見れるのを思い出したんだ」

奉太郎「行きたいと言ってただろ、二人で」

俺は結局、千反田に顔を向けられないまま、そう言う。


802: ◆Oe72InN3/k 2012/10/28(日) 19:47:41.36 ID:MSedhqvo0

える「……」

しかし千反田から返事が無かったので、数秒の後そちらに視線を移した。

える「……そ、そうでしたか」

俺の視線を受けた千反田は、再び俺に背を向けると、料理を始めた様だ。

いくらか恥ずかしそうにしている千反田を見て、俺もなんだか恥ずかしくなる。

……調子が狂うな、全く。

それよりも、明日。

俺も少し、頑張らないとな。

……果てして、少しで済むかどうかは分からないが。


第18話
おわり


817: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:35:44.33 ID:KdUl2NLN0

俺は家の窓から、外を眺めていた。

今日は夕方の6時に千反田の家に行かなければならない。

それもそう、千反田と祭りに行く予定となっているからだ。

先ほど見た時計によると、今は5時。

約束の時間までは、もう少しありそうだ。

昨日、寝る前にこれまでの事を振り返り、俺の中で結論は出ていた。

後はそれを千反田に言うだけなのだが……それが随分と、難しそうである。

まあ、なるようになるか。

時間まではまだ少しあるが、行くか。

早く着いて困る事等……無いだろう。


818: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:36:13.37 ID:KdUl2NLN0

~千反田家~

インターホンを鳴らすと、応答する前に玄関から千反田が出てきた。

える「お早いですね」

千反田は俺に昨日見せた浴衣を、しっかりと着こなしている。

前にも何回か、この様な装いは見ているが……

それらよりも幾分か軽い感じの印象を受けた。

そんな姿に、俺は少し見惚れてしまう。

える「あの、折木さん?」

奉太郎「あ、ああ」

奉太郎「……似合ってるな、浴衣」

恐らく……相当、無愛想な感じになってしまっただろう。


819: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:36:47.53 ID:KdUl2NLN0

える「ありがとうございます」

しかし当の本人はそんな事、全く気にしていない様子だった。

える「では、行きましょうか」

奉太郎「そうだな」

そう言い、千反田の少し後ろを歩く。

後ろと言っても、ほとんど横に並んでいる様な感じではあるが。

奉太郎「そこは遠いのか?」

える「いいえ、そうでも無いですよ」

える「ええっと、確か歩いて20分程です」

20分か、確かにそうでも無いかも知れない。

今日、俺が危惧していた事の一つ……

歩いて1時間だとか、2時間だとか、そんな距離では無い様だ。

まあこれで、一つ心配事が消えた訳か。


820: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:38:29.40 ID:KdUl2NLN0


奉太郎「その祭りは人とか結構来るのか?」

える「……どうでしょう、私も始めて行く場所ですので」

そうだったのか。

つまり千反田は、そこまでの道のりを調べていると言う事か。

なんだか悪い事をしてしまった気分になる。

言ってくれれば、少しは手伝えただろうに……多分。

える「神社で開かれているお祭りらしいので、人はそこそこには居ると思います」

奉太郎「なるほど」

まあそうだろう。

神社で折角開かれて閑古鳥が鳴いている様だったら、悲しい物である。


821: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:40:48.12 ID:KdUl2NLN0

える「そう言えば」

ふいに、千反田が前を向きながら呟いた。

える「折木さんと二人でお出かけするのも、随分久しぶりですね」

……そうだな、確かに言われてみればそうだ。

奉太郎「今年は、始めてかもしれないな」

える「ええ、確かその筈です」

奉太郎「最後に二人で遊んだのはいつだっけか」

える「ええっと……」

千反田は少しの間、考える素振りをすると、口を開いた。

える「映画を見た時では無いでしょうか?」

そうだっただろうか……?

二人で遊んだ、と言える事は他にもあったと思うが……


822: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:44:18.83 ID:KdUl2NLN0

奉太郎「水族館に行った時じゃないか?」

奉太郎「ほら、お前が学校ズル休みした時の」

える「……あの時は、具合が悪かったと言う事にしておいてくださいよ」

奉太郎「そんな奴が、水族館に行きたいとか言うのか」

える「……折木さんは意地悪です」

奉太郎「すまんすまん、まあ……今となれば良い思い出かもな」

える「あそこの水族館も、また行きたいですね」

奉太郎「そうだな……皆で行った動物園でも、俺はいいがな」

える「あ、それもいいですね」

なんだか、話が脱線しているが……今思い出した。

最後に千反田と二人で遊んだのは、映画を見に行った時だ。


823: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:44:50.29 ID:KdUl2NLN0

……なんだか負けた気分がするので、言わないが。

そんな事を考え歩いていると、前に沢山の提灯が見えて来る。

奉太郎「あそこか?」

える「ええ、ここですね」

ほお、意外とでかい祭りなのか。

人も結構な量だ。

える「わ、わ、すごいですね!」

千反田もそれに驚いたのか、はしゃいでいる。

正直な所、人混みはあまり好きでは無いのだが……

しかし、そんな事を言っていては祭りなんて楽しめないだろう。


824: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:46:23.00 ID:KdUl2NLN0

奉太郎「迷子になるなよ」

俺がそう言うと、千反田は頬を膨らませながら答える。

える「折木さんの方こそ、迷子にならないでくださいね」

奉太郎「……へいへい」

える「納得出来ない返事ですが、行きましょうか」

奉太郎「ん、そうだな」

何か言い返そうかと思ったが、いつまでもここで漫才をしている訳にもいかないだろう。

千反田もそれが分かったのか、二人で一緒に神社の中へと入って行った。


825: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:46:53.54 ID:KdUl2NLN0

~神社~

える「色々な出店がある様ですね」

奉太郎「みたいだな」

奉太郎「あれか、例の気になりますか?」

える「そうなんですが……色々とありすぎて、どこから気になればいいのか……」

大丈夫か、目が泳いでいるぞ。

奉太郎「時間が無いって訳でも無いだろ、ゆっくり回ればいいさ」

える「は、はい。 そうですね」

える「あ、でも花火は見ますよね?」

奉太郎「ああ、今はまだ18時30分くらいだろう」

奉太郎「21時からの筈だから、時間はあるさ」

える「分かりました、今回は花火が遅れる事も無さそうですしね」

奉太郎「そうだな」

そう話し終わると、早速千反田は出店を回り始める。

俺は特に千反田みたいに気になる物等は無かったので、それに黙って付いて行った。


826: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:47:37.94 ID:KdUl2NLN0

える「折木さん、これをやってみませんか?」

ええっと、何々。

奉太郎「射的か」

える「ええ、どうですか?」

奉太郎「お先にどうぞ」

える「私ですか、分かりました」

そう言い、千反田は店の人に金を渡すと、銃を構えた。

える「……」

狙いはなんだろうか?

奉太郎「何を狙っているんだ?」

える「あのぬいぐるみです……折木さん、お静かに」

……うるさいと言われてしまう、すんません。


827: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:48:05.24 ID:KdUl2NLN0

える「……よいしょ」

となんとも頼り無い掛け声と共に、パコンと言う音がした。

弾はぬいぐるみには当たった物の、落ちはしない。

奉太郎「惜しかったな」

える「残念です……次は折木さん、どうぞ」

ううむ、なら俺もあのぬいぐるみでも狙うか。

そう思い、店の人に俺も金を渡す。

銃を構え、狙いを定める。

奉太郎「……」

える「折木さんはどれを狙うんですか?」


828: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:49:14.27 ID:KdUl2NLN0

奉太郎「お前と同じ奴だ」

える「あ、ほんとですか」

える「頑張ってくださいね」

奉太郎「……ああ」

俺に静かにしろと言った割には、随分と話し掛けてくる奴だな……

奉太郎「……よっ」

結局、俺も随分と頼り無い掛け声であったのだが。

える「あ」

千反田が思わず声を出したのも無理は無い。

弾は的外れの所へと飛んで行ってしまったのだから。


829: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:49:54.84 ID:KdUl2NLN0

奉太郎「……お前の方が向いているな」

える「そうかもしれません」

何かフォローして欲しかったが、仕方ないか。

奉太郎「……次、行くか」

える「は、はい」

千反田はとても名残惜しそうに、ぬいぐるみを見つめていた。

そんな千反田の視線に気付いたのか、店の人が声を掛けてくる。

「なんだ、お嬢ちゃんこのぬいぐるみが欲しいのか?」

「いいよ、二人してやってくれたから」

そう言うと、店の人は俺にぬいぐるみを手渡す。

千反田と俺は最初の方こそ断った物の、結局はそれを受け取った。

なんともいい人である……最後の言葉。


830: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:50:23.49 ID:KdUl2NLN0

「情けない彼氏の面子を守る為にも」

と言う言葉は蛇足だったが。

奉太郎「……それで、次は何か見たい物あるか?」

える「ええっと、そうですね」

える「……お腹が、減りました」

何もそんな恥ずかしそうに言わなくてもいいのに。

俺だって、腹は減っている。

奉太郎「そうか、じゃあ何か食べるか」

える「はい、そうしましょう!」


831: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:50:49.83 ID:KdUl2NLN0

それから俺と千反田は手頃な焼きそば等を買い、備え付けてあるベンチに座る。

える「お祭りで食べる物って、普段買う物よりおいしく感じませんか?」

奉太郎「あ、それはあるな」

える「何故でしょうね」

奉太郎「……さあ」

える「難しい問題です、これは」

える「でも今はそれより、食べましょうか」

助かった。

流石に、俺とて人間がその時々で違う感じ方をする理由など、分かる訳も無い。

気になりますが出たら、どうしようかと思っていた所だった。


832: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:51:28.42 ID:KdUl2NLN0

奉太郎「他にもまだ回りたい所があるのか?」

える「ええ、いくつか」

奉太郎「楽しそうで何よりだ」

える「折木さんは、楽しくないんですか?」

奉太郎「いや、楽しんでいると思うが……何で?」

える「いえ、前の折木さんなら楽しいと思わなかったかもしれないので」

奉太郎「……そうか」

奉太郎「なあ、千反田」

える「はい、何でしょうか」


833: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:52:12.47 ID:KdUl2NLN0

奉太郎「お前から見て、俺は変わったと思うか?」

える「私の中では、折木さんは折木さんですが……」

突然そんな質問をされ、きょとんとした顔をしながら千反田は答えた。

える「前よりも行動的になったと言うか、活発になったと言うか、それを変わったと言うならば、変わったと思います」

奉太郎「だろうな」

える「折木さん自身も、気付いているんですか?」

奉太郎「里志に良く言われるからな、嫌でも気付くさ」

える「ふふ、そうですか」

奉太郎「……それで」

奉太郎「それは、悪い事なのだろうか」

える「何故、そう思うんです?」

奉太郎「……なんとなく」


834: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:53:05.96 ID:KdUl2NLN0

える「折木さんにしては、随分と説得力が無い理由ですね」

える「私は……良い事だと思います」

奉太郎「何故? 千反田の気になる事を解決できるからか?」

俺がそう言うと、千反田はまたしても頬を膨らませながら答えた。

える「そうではありませんよ、今日の折木さんはやはり、意地悪です」

奉太郎「……さいで」

える「私が良い事だと思うのはですね」

える「それは、折木さん自身だからです」

……どういう事だろうか。

そんな考えが顔に出ていたのか、千反田は補足を始める。


835: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:53:59.93 ID:KdUl2NLN0

える「つまりですね、例えばですが」

える「折木さんが、急に非行の道に走ったとしても、それは折木さん自身が選んだ事ですよね」

また随分と、飛んだな。

える「その行為自体は、良い事とは言えないですが」

える「でも、自分で決めた事ならば、それは良い事だと思うんです」

奉太郎「ふむ……つまり」

奉太郎「俺が今から酒や煙草をやっても、良い事なんだな」

える「……止めますよ?」

奉太郎「止めるのか」

える「ええ、止めます」

奉太郎「良い事なのに?」

える「……もしかして、ふざけていますか?」


836: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:54:51.44 ID:KdUl2NLN0

奉太郎「……ばれたか」

える「もう、やはり意地悪です」

奉太郎「すまんすまん」

奉太郎「まあ、でも言いたい事は分かったよ」

える「……そうですか、それならば良かったです」

奉太郎「ああ、なんだ……その」

奉太郎「ありがとうな、千反田」

える「ふふ、どういたしまして」


837: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:55:29.24 ID:KdUl2NLN0

それから、いくつか店を一緒に回る。

金魚すくい、輪投げ等々。

食べ物をやっている店もいくつか回り、時を過ごした。

そして。

奉太郎「そろそろ、時間だな」

える「あ、もうそんな時間ですか」

奉太郎「ああ、行くか?」

える「ええ、そうですね」

える「少し、食べ過ぎてしまった気がします……」

そうは言っていた物の、千反田の様な、生活が真面目な奴ならば大して気にする事でも無いだろうに。


838: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:55:55.14 ID:KdUl2NLN0

奉太郎「なら、走るか」

える「この格好では、無理ですよ」

える「それに折木さんは、絶対に走らないじゃないですか」

奉太郎「……良く分かったな」

える「誰にでも分かる事ですよ、折木さん」

そう言い、笑顔で千反田は俺の顔を覗き込んできた。

なんだ、俺の事を散々意地悪と言っておきながら、こいつも随分意地悪だな。

える「では、行きましょうか」

奉太郎「ああ、そうしよう」

俺はこの時、強く確信する。

……決着を付けるべきは、今日。


839: ◆Oe72InN3/k 2012/10/30(火) 22:56:47.33 ID:KdUl2NLN0

しかし、それを回避する事も俺には出来た。

俺から何も話さなければ、千反田から何か言ってくる事も無いだろう。

それこそが省エネか。

なんて事を考え、一人苦笑いをする。

それだけは絶対にあり得ない。

俺は学んだのだ、あの日、あの公園で。

それならば同じ過ちを踏む必要なんて、無いだろう。

去年出来なかった事をする為に。

千反田との距離は既に正確に測れている筈だ。

なら……後は、俺の口から話すだけ。

なんだ、難しい難しいと思っていたが、簡単な事では無いか。

しかし何故か、俺は今日一番緊張しており、鼓動が早くなっているのを感じていた。


第19話
おわり


853: ◆Oe72InN3/k 2012/11/01(木) 23:54:19.61 ID:5F99acxl0

~公園~

公園に着くとすぐ、千反田はいつもの様にベンチに腰を掛けた。

える「そろそろですかね?」

奉太郎「ああ、もうすぐ始まる筈だ」

俺はそう言い、千反田の横に腰を掛ける。

える「それにしても、ここから花火が見えるなんて」

える「随分といい場所を知っているんですね。 折木さんは」

奉太郎「教えてもらったからな」

える「……あ、福部さんですか」

奉太郎「そうだ」

それもその筈。

里志に教えて貰わなければ、俺がここから花火を見れる事等……知っている訳が無い。


854: ◆Oe72InN3/k 2012/11/01(木) 23:54:53.54 ID:5F99acxl0

奉太郎「今日は楽しかったか」

える「勿論です、楽しくない訳がありませんよ」

奉太郎「なら良かったが」

える「折木さんも楽しめたんですよね」

える「お誘いして、良かったと思っていますよ」

そう言い、千反田は俺の方に笑顔を向けてきた。

いつもなら、多分俺は視線を逸らしていたかもしれない。

だが、今日は……そんな千反田の顔を、正面から見た。


855: ◆Oe72InN3/k 2012/11/01(木) 23:55:24.12 ID:5F99acxl0

える「……?」

顔をずっと見ている俺が不思議だったのか、千反田の顔には困惑の色が浮かんでいる。

奉太郎「……なあ、千反田」

そう声を出した時だった。

空が、光る。

える「あ、始まりましたよ!」

奉太郎「……らしいな」

まあ……いいか。

今は花火を見る事にしよう。

それから何度か上がる花火を、俺は千反田と共にしばらく見ていた。


856: ◆Oe72InN3/k 2012/11/01(木) 23:55:51.98 ID:5F99acxl0

える「あの、折木さん」

奉太郎「ん、どうした」

える「……綺麗ですね」

……何だか、聞き覚えがある台詞だな。

奉太郎「……そうだな」

これはそうか、何回か見た夢……あれと、一緒だ。

だとすると、これもまた夢なのだろうか?

奉太郎「……」

俺は千反田に気付かれない様に、腕を抓って見た。

……痛い。

つまり、夢ではない。


857: ◆Oe72InN3/k 2012/11/01(木) 23:56:38.40 ID:5F99acxl0

える「去年の事は、覚えていますか?」

奉太郎「……この公園での事か」

える「ええ、そうです」

奉太郎「色々あったな……本当に色々」

える「ふふ、私もそう思っていました」

える「……ここで、大泣きしたのも覚えていますよ」

奉太郎「伊原の事を、言った時か」

える「はい、そうです」

あれは、俺が心の底から怒った事でもあった。

……懐かしい。


858: ◆Oe72InN3/k 2012/11/01(木) 23:59:07.12 ID:5F99acxl0

奉太郎「あの時は……そうだ」

奉太郎「お前は随分と泣いていたな」

える「ふふ、迷惑でしたよね」

迷惑、か。

奉太郎「……俺は、お前の事を本当に迷惑だと思った事なんて」

奉太郎「一度も無い」

える「そう言って頂けると、嬉しいです」

千反田は花火を見ながら、そう言った。

える「後は、そうですね」

える「……最初にプレゼントを貰ったのも、あそこでしたね」


859: ◆Oe72InN3/k 2012/11/01(木) 23:59:55.96 ID:5F99acxl0

奉太郎「……あれか」

える「今でも大事にしていますよ、あのぬいぐるみは」

奉太郎「知っているさ」

奉太郎「……里志や伊原の前では、絶対に出して欲しくないがな」

える「す、すいません。 よく覚えておきます」

奉太郎「……ああ、そう言えば」

える「はい?」

奉太郎「お前、俺がぬいぐるみを貸して欲しいと言ったとかなんとか、言っていたっけか」

える「あ、あの……それは、あれです」

える「そう言うしか、無かったというか……」


860: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:00:49.97 ID:X/71y8+d0

奉太郎「……あれはかなり、恥ずかしかったぞ」

える「す、すいません。 今度はぬいぐるみを欲しいと言っていた、と言う事にしておきます」

奉太郎「……本気か?」

える「ふふ、冗談ですよ」

奉太郎「……千反田も、変わったな」

える「私がですか?」

奉太郎「前はそこまで、冗談を言う奴では無かった気がする」

える「……そうでしょうか、私は昔からこの様な感じですが」

奉太郎「そうなのか」

える「ええ、恐らくですが……」


861: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:02:45.19 ID:X/71y8+d0

える「折木さん相手だと、気軽に冗談が言えるので、そのせいかもしれません」

える「仲良くなったのも、あるでしょうね」

える「最初の時より、今は仲が良いと思っていますので」

奉太郎「……そうか」

える「あれ、もしかしてそう思っていたのは、私だけですか?」

奉太郎「……いや」

奉太郎「俺も、そう思っている」

える「その言葉を聞けて、良かったです」


862: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:04:37.90 ID:X/71y8+d0

花火は未だに上がり続けている。

俺と千反田は一度も視線を交えないまま、会話を続けた。

奉太郎「後、そうだな」

奉太郎「やはり……去年の暮れか」

える「……そうですね、あの時が一番、心に残っています」

奉太郎「全く同意見だな」

える「……」

える「私、初めてでした」

奉太郎「……何が」

そこまで言って気付く、これもまた、夢と一緒だ。

次に千反田が言う言葉……恐らく。

える「それを聞くのは、少し意地悪ですよ」


863: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:05:25.78 ID:X/71y8+d0

奉太郎「はは、そうか」

える「何がおかしいんですか、もう」

千反田はそう言うと、俺の方に顔を向けた。

奉太郎「すまんすまん」

俺もまた、千反田に顔を向け、答える。

える「初めての、キスでした」

奉太郎「ああ、俺もだな」

える「……そうでしたか」

奉太郎「嬉しい事が聞けた」

える「え? は、はい……」

千反田が言おうとした事を、俺が先に言ったのだろう。

少しだけ、驚いた顔をしている千反田が面白い。


864: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:08:08.88 ID:X/71y8+d0

そして……次に俺は。

奉太郎「なあ」

える「はい、なんでしょうか」

奉太郎「このままで、いいと思うか」

える「……」

千反田は押し黙る。

奉太郎「俺は」

次に、一際大きな花火があがる。

しかしそれもまた、学んでいた事であった。

俺はいつもより声を大きく、言う。


865: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:08:48.38 ID:X/71y8+d0

奉太郎「このままでは絶対に、駄目だと思うんだ」

その言葉はしっかりと、千反田の耳に届いた様だ。

える「……ふふ、私も一緒ですよ」

える「折木さんと、同じ考えです」

奉太郎「そうか」

奉太郎「……ある意味では、そうだろうな」

える「ある意味、ですか?」

奉太郎「……ああ、そうだ」

奉太郎「俺の話を、聞いてくれるか」

える「はい、勿論です」

える「折木さんの言葉の意味、気になります」

千反田はそう言うと、静かに笑いながら、俺の顔を覗き込む。


866: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:09:33.86 ID:X/71y8+d0

奉太郎「千反田は……俺の事を、どう思っている?」

える「え、そ、それは……」

奉太郎「ああ、いや。 すまん」

奉太郎「言い方が悪かったな」

奉太郎「俺と言う人間を、どう思う?」

える「……それはまた、難しい質問ですね」

奉太郎「分からないなら、分からないでもいいさ」

える「……いえ、答えます」

える「私は、折木さんと言う人を」

える「とても身近な存在ですが、同時にとても遠い存在でもあると思っています」

える「私では思い付かない色々な事を、解決してくれたのも」

える「そして、何度も何度も私の事を助けてくれたのも」

える「それらが全部、私では出来ない事なんですよ」


867: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:10:11.88 ID:X/71y8+d0

奉太郎「……そうか」

……やはり、俺が思っていた通りだった。

奉太郎「詰まる所、自分で言うのもあれだが」

奉太郎「追いかけていたんだな、千反田は……俺の事を」

える「ええ、その通りです」

奉太郎「だから昨日、立ち止まれば俺の生き方を学べると言ったのか」

える「よく、覚えていますね」

奉太郎「……それだけじゃない」

える「と、言いますと?」

奉太郎「いや、それは後で話そう」

奉太郎「とにかく、千反田は俺の事を追いかけていたって事だ」

える「ふふ、さっきもそう言いましたよ」


868: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:10:46.26 ID:X/71y8+d0

奉太郎「……それはな、千反田」

奉太郎「俺も、思っていた事なんだよ」

える「折木さんも、ですか?」

える「つまり、折木さんは後ろに私が居るのを、分かっていたんですか?」

奉太郎「違う」

奉太郎「俺は……千反田の事を追いかけていたんだ」

える「……私の事を?」

奉太郎「ああ、そうだ」

奉太郎「俺とは住んでいる世界が違う、お前の事を」

奉太郎「千反田の言葉を借りると、俺に持っていない物を、千反田は沢山持っていたんだ」

奉太郎「だから……ずっと追いかけていた」


869: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:11:42.09 ID:X/71y8+d0

える「そう、だったんですね」

奉太郎「可笑しな話だろ。 二人して追いかけていたら、追いつける筈が無いからな」

える「ふふ、それもそうですね」

える「ですが、折木さんは気付いてくれました」

える「私が、追いかけて居た事を」

える「普通でしたら、絶対に気付かない事に……気付いてくれたんです」

奉太郎「……いくつかヒントもあったからな、偶然だ」

える「あ、それは少し気になりますね」

える「折木さんが気付くきっかけとなったヒント、教えてください」

奉太郎「ま、最初から教えるつもりだったがな」

俺はそう言い、一度ベンチから立ち上がる。


870: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:15:42.22 ID:X/71y8+d0

奉太郎「何か飲むか?」

える「では、そうですね」

える「コーヒーはどうでしょうか?」

その言葉を無視すると、俺は自分のコーヒーと千反田の紅茶を買った。

そのまま紅茶を千反田に差し出し、俺は言う。

奉太郎「冗談はもう簡便してくれ」

える「ふふ、ありがとうございます」

千反田は嬉しそうに、紅茶を受け取った。

俺は再びベンチに腰を掛け、買ったばかりのコーヒーを一口、飲み込む。

奉太郎「……ふう」


871: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:17:19.65 ID:X/71y8+d0

奉太郎「それで、何だったか」

える「折木さんが気付いた理由、ですよ」

奉太郎「ああ……」

奉太郎「まずはそうだな、今年の生き雛祭りの時だった」

える「生き雛祭りですか」

奉太郎「まあ、あの時は気付かなかったけどな」

奉太郎「昨日の言葉が、全部を繋げてくれたんだ」

える「それで、その時のヒントとは?」

奉太郎「千反田の言葉、歩き終わった後のだったな」

奉太郎「俺と一緒に、歩けている気がした。 と言っただろ」

奉太郎「覚えているか?」


872: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:18:21.56 ID:X/71y8+d0

える「……覚えています。 確かに私はそう言いました」

奉太郎「最初は、俺が千反田に追いつけているのかもと思った」

奉太郎「だが、あの言葉の本当の意味は、違う」

える「そうです、その逆……ですね」

える「私が、折木さんと少しの間でしたが、追いつけたと感じたので……そう言いました」

奉太郎「……そうだ」

奉太郎「昨日の夜に考えて、思い出して……気付いたんだ」

える「そうでしたか……他には、何かあるんですか?」

奉太郎「そうだな……」

奉太郎「何だったっけか、古典部で勉強をしていた時の話だ」

える「ええっと、ペン回しですか?」


873: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:19:14.82 ID:X/71y8+d0

奉太郎「ああ、そうそう」

奉太郎「結局、お前はあの時ペンを回せなかったな」

える「それもしっかりと、覚えていますよ」

奉太郎「あの時も多分、思っていたんだろ?」

える「……さすがにそれは、気付かれないと思っていたのですが」

奉太郎「普段と、違う顔だったからな」

奉太郎「……すぐに分かるさ、そのくらい」

える「あの時、私が思っていた事は」

える「どんなに些細な事でも、折木さんと同じ目線に居たかった、と言えば正しいですね」

奉太郎「それで、あんな悲しい顔をしていたのか」

える「……そんなに普段と違いました?」


874: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:20:26.47 ID:X/71y8+d0

奉太郎「まあ、結構」

える「折木さんを騙すのには、苦労しそうですね……」

奉太郎「……逆を言えば、千反田に騙されるのは苦労しそうだ」

える「えっと、馬鹿にしてます?」

奉太郎「いいや、褒めてる」

える「……本当にそうなら、いいのですが」

参ったな、本当にそうなのだが。

奉太郎「まあそれで、分かっただろう」

奉太郎「俺が気付けた理由を」

える「ええ、そうですね」


875: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:21:29.52 ID:X/71y8+d0

える「でもやはり、凄いと思いますよ」

奉太郎「それは俺も、千反田に感じている事だ」

その時、また一段と派手に花火があがった。

俺と千反田はしばし、そんな花火に目を奪われる。

える「今日は本当にありがとうございました、折木さん」

奉太郎「別に、俺の方こそありがとうな」

そんな会話を聞いていたかの様に、花火は静かに終わりを迎える。

辺りに響いていたのは、虫達の鳴き声だけだった。

俺と千反田はまだ、ベンチに座っている。


876: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:24:08.05 ID:X/71y8+d0

奉太郎「ちょっといいか、千反田」

える「はい、どうぞ」

奉太郎「追いかけあっていた二人が、気付くにはどうすればいいと思う?」

える「気付くには、ですか?」

奉太郎「……分からないか」

える「もう少しだけ、ヒントを頂ければ、分かると思います」

奉太郎「そうか、なら……」

俺はそう言い、一度息を整える。

奉太郎「今回、千反田は足を止めた」

奉太郎「大学に行くという、選択を選ぶ事によって……」

奉太郎「だが」

奉太郎「……俺は、足を止めなかった」


877: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:27:32.65 ID:X/71y8+d0

える「そうですね、それは……」

える「横を見れば、良いのでは無いでしょうか」

奉太郎「……一緒だ、それも俺と同じ考えだ」

える「それは、嬉しいです」

千反田の顔が月明かりで薄っすらと見える。

そんな光景が、俺にはとても美しい物に見えていた。

奉太郎「じゃあ最後にもう一つ」

奉太郎「これは質問と言うより、俺の想いだな」

奉太郎「なんだか長くなってしまったが、俺が言いたいのは一つだ」


878: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:29:10.12 ID:X/71y8+d0

奉太郎「俺は、お前の事が」

える「ちょ、ちょっと待ってください、折木さん」

奉太郎「な、なんだ」

ああくそ、変に止められたせいで恥ずかしくなってきてしまったでは無いか。

える「ええっとですね、折木さんが今から言おうとしているのは」

える「あの、去年の暮れにここで、私に言ってくれた事と同じ事ですよね」

奉太郎「ま、まあ……そうなる」

える「そ、それで……私が、断った事ですよね」

奉太郎「ああ……そうだな」


879: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:29:43.84 ID:X/71y8+d0

恐らく、確認の為に千反田はそう質問したのだろう。

そんな事をせずとも、分かるだろうに。

……もしかすると、千反田も意外と用心深いのかもしれない。

える「では……ですね、今回は私から言わせて貰えませんか」

奉太郎「ち、千反田からか」

える「え、ええ」

奉太郎「まあ……別に、構わんが」

そう言いながらも、千反田の方を向けなかった。

……かなり、恥ずかしい。


880: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:30:39.54 ID:X/71y8+d0

える「では」

そう言い、千反田は短く咳払いをする。

その瞬間、空気が変わるのを俺は感じた。

そんな空気に圧倒され、千反田の方に顔を向ける。

俺は不思議と、その時……落ち着いた気分となっていた。

える「私は、千反田えるは」

える「折木さんの事が、好きです」

える「もし、良ければ私と……お付き合いしてください」

千反田の告白は、とても単純な物であった。

しかしそれは、どんな告白よりも……嬉しかった。


881: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:31:21.14 ID:X/71y8+d0

俺はそのまま、千反田の肩を掴む。

そして顔を近づけ。

千反田に、返事代わりのキスをした。

千反田は一瞬だけ体を強張らせていたが、それもすぐに無くなる。

キス自体は多分、そんな長くは無かったと思う。

それから何分か、もしかすると何時間か。

一緒に、ベンチで夜景を眺めていた。


882: ◆Oe72InN3/k 2012/11/02(金) 00:31:48.83 ID:X/71y8+d0

夏のある日。

少しだけ夜風が涼しい、祭りの終わり。

俺は、薔薇色への道を選んだ。

そういえば、一つ気になる事があったな……

千反田は、どこの大学に行くのだろうか?

……いや、そんな事、今はどうでもいいな。

今は千反田と、ゆっくり話して居たい。



第20話
おわり

第2章
おわり


891: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/11/03(土) 00:50:52.55 ID:uRJk7dC6o


素晴らしい


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