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エルフ「見ないで……」
引用元: http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1350994639/
「お願いだから……」
屋敷の地下牢に繋がれた彼女は、目を伏せてそう懇願した。
信じられないくらい悲痛な声で、少年の心まで潰してしまいそうな程だったけれど、それでも彼は目をそらせなかった。
とても綺麗だったからだ。
薄暗がりで薄く発光しているようにも錯覚する白い肌が何より目を引いた。
白磁のように滑らかで冷たい、そんな肌。
纏っているのは元は上等だったようにも見えるが、今はぼろきれとなった布の残骸なので、いたるところからその透き通った白が覗いていた。
光っているのは肌だけではない。白光を縁取るのは金色。
おとぎ話の不死鳥が本当にこの世界にいるとしたら、こんな色だろうなあと思う、そんな髪の色。
柔らかい上質な絹糸がさらりと音を立てるのを思い浮かべた。
涙のたまった瞳は、名前も知らない宝石のような輝きを湛えてただ悲しい。
息をするのも忘れて見入る。
花をそのまま結晶にしてしまったらこんなふうになるだろうか。
時が止めてしまったような、泣きたくなるような美しさ。
泣きたい? 少年は戸惑う。
美しいってのはもっと、こう、違うものだ。
美しいというのはもっと誇り高くて、豪華で、太陽のようで。じゃあこれは間違ったものなのか?
それは違う、と胸の内から囁きかける声がある。
月だ、とその声は言う。
自分では輝けない、自分では飛べない、自分では歌えない。これはそういう美しさだ。
悲しいがゆえに美しい。
欠けているがゆえに満ちている。
矛盾をはらんだ合理だ。
その日、少年は初めてエルフというものに出会ったのだった。
・
・
・
屋敷の敷地に大きな馬車が入ってきた。
みんなからねずみと呼ばれる少年は、その屋敷の二階、自分の部屋からそれをこっそり見ていた。
街で買いこんだ食料品や貴重品を運びこむいつもの馬車より大きい。何だろう、と少年は思った。
やがて停まった馬車から毛布が歩いて出てきた。変な言い方だけど、少年にはそう見えた。
毛布から足が生えて歩いていたのだ。すぐに毛布をかぶせられた人が歩いているのだと気づいたけれど。
毛布からはみ出す足にはなにも履いていない。裸足だ。石とか痛くないのかな、と奇妙に思った。
ただそれよりも、なんで毛布をかぶっているのかの方がずっと気になった。
毛布たちはひどく頼りない足取りで、いかめしい男の後を歩いている。
毛布の歩みが少しでも鈍ると男は大声をあげた。毛布はもちろん、二階にいる少年をも震わせる怖い声だった。
と、その時一人の毛布が転んで倒れた。足元がおぼつかなかったせいだろう。
毛布が落ちて、その下にあったものが明らかになった。
それは白かった。
少年は驚いて身を乗り出した。あんなに白いものは見たことがなかったのだ。
それは人の形をしていた。裸の人だった。女の人。どきりとした。
いかめしい男が一際大きく怒鳴って、その人は慌てて毛布にもぐりこんだ。
彼らは屋敷の裏に回って消えた。
あれはなんだったのだろう、と少年は考えた。まだ胸がどきどきしていた。
「汚れた血脈だよ」
夕食の席で父親に聞くと、彼はそう吐き捨てた。
一流の調理師に作らせた食事なのだけれど、そのときは心底不味そうな顔をした。
といっても父親はいつだって難しい顔をしている。
汚れた血脈。そう呼ばれるものを少年は知っていた。
森の種族、古木に集う子供、汚れた血脈、頭の固いクソども。それは色々な名前で呼ばれている。
だが、多くの人はエルフと呼ぶ。
「あれがエルフなの?」
「関わるな」
ぴしゃりと父親は告げた。少年の声に好奇心の片鱗を見つけたからだろう。
少年は黙り込んだ。父親の言うことは絶対だ。
逆らうことは許されない。疑問を持つことすら。
それがこの屋敷の、いや少年の絶対的なルールだ。
だから。
それは絶対に起こらなかったはずだった。
その日、少年が夜中に起きだして地下牢に行くことなど。
夜の空気は冷えていた。月の光も同じように冷たい。
まだ冬にはなっていない。それでもどこか凍える心地で、屋敷の裏の地下牢の入り口に回った。
見張り役は眠っていた。
地下牢は当たり前だけれど暗闇に沈んでいた。
ひっそりとしていて、それでも何かが潜んでいる気配。
息づく何かに怯えそうになるが、もう自分は十四歳なんだと言い聞かせて階段を下りた。
ただ、手に持つ明かりはあまりにも小さくて頼りない。
地下牢には初めて下りた。
そこは思ったよりは広かった。
水音が遠くから聞こえる。
鉄格子がいくつか見える。
一つ一つ覗くが、エルフは隅にうずくまってこちらに怯える目を向けるだけだった。
その目は今にも狂って叫び出しそうで、少年は目をそらした。見続けるのは少し苦しかった。
ここにはなにもなかった。怯えたエルフ以外は。
少年は好奇心を裏切られた心地で、階段を振り返った。部屋に戻るつもりだった。
その時気付いた。階段の陰にもう一つ牢がある。
それだけ他の牢とは区切られているように見えた。
明確に何かが違うわけではないのだけれど、何か線が引いてあるように思えたのだ。
覗きこんで。はっと息を呑んだ。
「見ないで……お願いだから」
少年をちらりと見て、それから目を伏せ、彼女は言った。
彼女は牢の真ん中に座りこんでいた。
他のエルフと違って、怯えなかった。ただただ悲しそうだった。
まるで身を切り刻まれてそれを堪えるのように唇をかみしめ、目には涙を浮かべていた。
少年はぼうっと、それを見ていた。
水音がぴちゃり、ぴちゃりと遠くで鳴っている。
はっと、少年は我に返った。
ずいぶんと時間が経ったように感じた。
エルフはなにも言わず俯いていて、少年はただ立ち尽くしていて。
立ち去らなければ、と感じた。自分はここにいてはいけない、と。
この場に自分は不似合いだ。
足早に階段を引き返し、部屋に戻った。
少年はねずみと呼ばれている。
いつもびくびくと臆病で、人の顔色をうかがい隠れてばかりいるからだ。
少年を知る者は面と向かってかどうかは別としてそう呼ぶし、使用人たちも陰でそのように呼んでいることを彼は知っている。
父親すらたまに彼のことをねずみのような面をするなと叱る。
そんな自分が言いつけを破ってまで地下牢に向かったのはなぜなのだろうか。
あの夜のあと、彼はそのことについて考える。
「呆けてないで勉強に集中しなさい」
その日も家庭教師に怒られた。
慌てて姿勢を正す。そうしないと叩かれることを彼は知っている。
「旦那さまのように立派な方にならなければいけないのですよ。しっかりしなさい」
そう言われると、少年は心がきゅっと痛くなる。
自分はいつかはこの屋敷を継がなければならない。
この家の全てを背負って立たなければならないのだ。そう言い聞かされて育った。
それはとても誇りに思うべきことなのだけれど、少年は時々不安になる。
ぼくにはその資格があるのだろうか。
「……ごめんなさい」
「よろしい。では次のページを読み上げなさい」
家庭教師の言いつけにしたがって音読する。
そういえばこの人も例の陰口をたたいていたな、と彼は思い出した。
だからどうということもないけれど。
「見ないで」
あの夜以来、実はたびたび地下牢を訪れていた。
あのエルフを眺めるためだ。
そのたびに彼女はそれを拒絶する。とはいえ見ることをやめさせることなどできないのだけれど。
彼女を見ていると不思議と心が落ちつく。
泣いているところを見ているのに落ちつくというのも変かな、とは思った。
この場に彼は不似合いでもある。でも落ちつく。
ただ、いつも泣いてばかりというのは、と少し思うところがあった。
「ぼくはねずみって呼ばれてるんだ」
牢屋の前に座って膝を抱える。視線の高さが一緒になった。
「いつもびくびくしているから」
お尻がひんやりと冷たかった。地面は少し湿っている。
「ねずみの方がぼくよりずっと勇敢だと思うけどね」
言って、苦笑する。ねずみが蛇を噛み殺すのを見たことがある、と。
エルフは何の反応も示さなかった。たださめざめと泣いていた。
泣き続けて身体の水分がなくならないのかなと思った。
食事はもらっているだろうけれど、その分を全て涙に使っているのだろうか。
「君の名前は?」
エルフは答えなかった。
当たり前といえ、少し残念だった。
少年は立ち上がって階段に向かった。
後ろからは静かな嗚咽が聞こえていた。
そういえば、自分から誰かに話しかけるのなんて久しぶりかもしれないなと彼は思い出した。
いつもは事務的な何かを告げられてそれに対して必要最小限を答えるだけだ。
後は叱られて謝るとき。それが彼の周りとの交流のほぼ全てだった。
この時期は大体週に一、二回、公爵らの屋敷でパーティーが行なわれる。
少年の父親はそれに呼ばれる。少年はそれについていくことになっていた。
おめかしするのは面倒だし大勢の人がいるところは緊張するけれど、パーティーの華やかさは好きだ。
そこにいると小さな自分も大きくなったような気分になる。認められていると思う。
父親の後をついて(というか背中に隠れながら)色々な「偉い人」に挨拶して、食事をとって。とても気持ちいい。
パーティーも後半になると、会場が少し退屈な空気になる。
みんな腹が膨れて、話の種も尽きてくるからだ。
そんな空気を盛り上げるために、公爵は「目玉」を用意している。
公爵の声に従って、この屋敷の使用人たちが奥の部屋から出てきた。
使用人たちはそれぞれ紐を手にしている。その紐の先には首輪。首輪にはエルフ。
彫刻のような美しさを持つ彼らに人々は視線を集める。
来客の一人一人にエルフがあてがわれ、彼らは食事を再開する。
エルフの匂いを嗅ぐ者がいる。エルフに触れる者、舐める者。もちろん気にせずなにもしない者も。
しばらくするとちらほらと来客が会場をエルフと共に出ていく。
少年は父親に聞いて知っている。彼らは屋敷の奥に用意された部屋を借りてエルフと過ごすそうだ。
少年は父親が奥の部屋に行っている間は待たされる。所在なく会場の隅でぼんやりしている。
だいぶ経って戻ってきた父親はいつもの通りしかめっ面だ。
その服にかすかに血が付いている。
美しいものほど壊したくなる。
こびりついた血を見るたびにそんな言葉が頭をよぎる。
父親は大人だからそういうことが許される。大人になるってそういうことなんだ、と少年は思っている。
早く大人になりたい。
エルフは今夜も泣いている。
少年は思い付く限りの色々な話しを聞かせてみた。
ねずみという名前についての補足、家庭教師が厳しいこと、使用人たちがする世間話、庭の木に花が咲いたこと。
最後の話にエルフは反応した。ように見えた。
尖った耳がわずかに動いた様子だった。
少年は何気なく庭の木について話の重点を置いた。
その木は秋になると花を咲かせる。黄色い小さな花で、色合いの関係から金色にも見える。
「ちょうど君の髪みたいにね」
反応を待つが、エルフはなにも言わなかった。
仕方なく続ける。
その木は少年が生まれる前からそこにある。
母が植えたのだそうだ。母は植物が好きだったらしい。
らしい、というのは、今はもういないからだ。死んでしまった。
「ぼくがまだ物心つく前だったんだ。母さんは流行り病で死んじゃった。これ、母さんの形見」
胸元のペンダントをたぐって、見せる。
エルフはちらりとそれを見たようだった。
それでもなにも答えなかった。
またパーティーの日がやってきた。
父親は服に血をつけて戻ってくる。
夜になる。エルフに話しかける。
エルフは相変わらず泣いたまま。
ある夜は見張りが起きていて地下牢に行けなかった。
その日は諦めて部屋に戻った。
そしてベッドに寝転びながら考えた。どうしたらあのエルフの名前を聞きだせるだろうか、と。
次に牢屋を訪れた時、少年は木の枝を手にしていた。
例のエルフの牢屋、その前に立ち、明かりをかざした。
「これ。この前話した花なんだけど」
鉄格子の隙間から差し伸べる。
同時に光をかざすと、花が鮮やかにそれを照り返した。
「綺麗でしょ?」
エルフはそれをじっと見ていた。
「あげるよ」
地下牢で明かりなしじゃ、対して楽しめないと思うけど、と付け加えた。
エルフは恐る恐るといった様子で近付いてきた。
そっと出してきた手に木の枝を押し付ける。
同時にもう一つ押し付けた。
「あげる」
「え……?」
エルフの手に、木の枝とペンダントが乗っている。
母親の形見だ。
「これは……」
エルフがうめく。
少年は、あげるよ、と繰り返した。
「もらえない、こんなの」
返そうと伸ばしてくる手から逃げる心地で身を引いた。
「駄目だよ。いったん渡したものは受け取れない」
「でも」
「気になるなら、お返しをもらおうかな。君の名前を教えてよ」
エルフは戸惑ったようだった。
しばらく手の上のものをぼうっと眺めていた。
それから口を開いた。
「――」
「え?」
よく聞き取れなかった。
彼女はもう一度それを繰り返したが、少年にはよく理解できなかった。
「エルフの古い言葉で、月という意味」
ふうん、と少年は頷いた。
「じゃあ、月って呼ぶよ」
それからまた少年が喋るのが続いた。
でも、少し変化があったとすれば、エルフが少年の話を聞くようになった。
またパーティーの日が来た。
くしくも少年が十五歳になった翌日のことだった。
いつもと少し違うことがあった。
エルフが来客たちにあてがわれ(よくエルフが尽きないものだと不思議に思う)、それぞれ奥の部屋にひっこんでいく頃合い。
父親が少年に声をかけた。
「お前も行くか?」
少年は驚いて父親を見上げた。
ベッドに腰掛けたその女エルフは、何の表情も浮かべていなかった。
無表情でうつむき、少年らが存在していないかのようにそこにいる。
少年は途方に暮れて父親を見た。
父親は椅子に座って腕組みしていた。
目で問うと、
「好きにしろ」
と言われた。
好きにしろと言われても、と改めて途方に暮れる。
とりあえずエルフの隣に座ってみた。いい匂いがする。
自分の中からむくむくと何かがわき起こってくるのが分かる。
そのエルフを優しく撫でたいような、しかし反対に荒々しく引き裂きたいような、矛盾した何か。
エルフに手が伸びる。エルフはなにも答えない。
柔らかい肌に指先が触れる。
さらに身体の中で何かが首をもたげる。
けれど。
触れた感触から思い出すことがある。
月の指先。触れ合う手と手。
「ぼくはねずみって呼ばれてるんだ」
思わず呟いてしまっていた。
次の瞬間視界が反転し、少年は床に倒れこんだ。
「馬鹿者が!」
大声が遠くで響いた。父親の声だ。
「この馬鹿者が! 家の恥さらしが!」
ぐるぐる回る視界を持ちあげると、父親がエルフを押し倒していた。
「エルフはこう扱うんだ」
そう唸るように言って、父親はエルフのわずかな衣服を引き裂いていった。
父親に殴られたんだ。
少年はようやく気づいた。
素肌をいっぱいに晒したエルフの唇に、荒々しく父親が吸いつく。
エルフは初めて声らしい声を上げた。
少年はへたり込んだままなにもできなかった。
父親は乱暴にエルフを扱う。
ありとあらゆる暴力をそのまま叩きつけているように見えた。
動けなかった。
恐ろしかったし、腰が抜けていたし、何より目の前の光景に目を奪われていた。
何よりも美しいものが何よりも猛るものに犯されている。
震えがこみあげてきた。快感にも似ていた。
でも。やっぱり重なってしまうのだ。月が犯されている、そう錯覚した。
それなのに、自分は動けない。
きらりと何かが光った。
次の瞬間には熱いものが顔に降りかかってきた。
口に流れてわずかに下に触れる。苦い。血だ。
いつの間にか父親が立ち上がっていた。何事もなかったかのように服も来ている。
ただ、顔だけが血まみれだった。
帰り道で父親に訊ねた。
屋敷のエルフたちもいつか……ああいうふうにするの?
殺す、とは恐ろしくて口に出せなかった。
父親は黙って歩き続けたが、少年には分かっていた。
そうしない理由がない。
やだな。とは口に出せなかった。そうすればまた殴られる。殺されるかもしれない。
これも分かっていることだ。
ねずみ! ねずみ!
みんなが周りで囃したてている。
ねずみ! ねずみ!
みんなが自分を馬鹿にしている。
みんなって誰だろう。
みんなってどんな奴だろう。
そいつらを見上げると、少年自身の顔がそこにあった。
「行こう」
牢の鍵を開けて少年は手を伸ばした。月は訳が分からずに少年を見返した。
「もう、自由だ。行こう」
「……なんで?」
彼女はようやくそれだけ言った。
そして気づいたようだった。
少年の手は血まみれだ。少年自身の血ではない。でも近しい者の血だ。
気づいて、月は口をきゅっと閉じた。
少年の血まみれの手をとった。
夜明けには城門を出ていた。
朝早く門を出る商隊に混じって、外に飛び出した。
門番の止まれという声に構わず走り続けた。
泣きたいほど風が気持ちよかった。
持ち出せたものは少なかった。
旅するために必要な量の半分にも満たないようだ。
月の導きで森に入った。
森の中は暗く、進むのに苦労したが、それでも月の先導には迷いがなかった。
歩き続けて歩き続けて。
開けた場所に出た。
密集していた木々が、そこだけない。
代わりに石造りの古城がそびえていた。
月に問うと、エルフたちの最後の砦だったとのことだ。
古城の中には、誰もいなかった。
巨大な空隙がそこにあった。もう何年もずっとそのままだったようだ。
古城を真っ直ぐ抜けて、広いバルコニーに出た。
崖の上に造られていて、そこから広がる壮大な景色が見えた。
連なる山々とそれにかかる雲。広大な森の緑。崖下に流れる谷川。
あらゆる素晴らしいものがそこにあって、でも何もなかった。
「エルフは滅んだんだね」
少年は崩れ落ちていた石材の一つに腰掛けた。月もその隣に腰を下ろした。
「そっか。そっか……」
ここは月の故郷だったんじゃないか。そう思った。
そう思ったらなぜだか視界が滲んできた。
「……なんであなたが泣くの?」
優しい顔で月が問う。
分からない。少年は答えた。でも、月が泣かないから代わりにぼくが泣くんだ。
月は手を伸ばして少年の背中を撫でた。
優しく優しく撫で続けて、それから立ち上がった。
「見ていて」
月は夕焼けの中で数歩を踏み出した。
それからゆっくりと歩をゆるめ、そう思った次の瞬間また足を踏み出す。
不思議な足取りで、バルコニーを踏んで行く。
そうか。踊っているのか。と少年は気づいた。
帰る場所を失ったエルフが、夕日の中を静かに舞う。
涙は止まっていた。
「見ていて」
月が言う。
これからのことは分からない。帰る地を失った者たちが生きられる場所がどこにある?
そんなことは知らない。ただ、少年はいつまでもいつまでも月の舞を眺めていた。
1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:17:19.59 ID:9e5fPOZm0
「お願いだから……」
屋敷の地下牢に繋がれた彼女は、目を伏せてそう懇願した。
信じられないくらい悲痛な声で、少年の心まで潰してしまいそうな程だったけれど、それでも彼は目をそらせなかった。
とても綺麗だったからだ。
3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:19:02.92 ID:9e5fPOZm0
薄暗がりで薄く発光しているようにも錯覚する白い肌が何より目を引いた。
白磁のように滑らかで冷たい、そんな肌。
纏っているのは元は上等だったようにも見えるが、今はぼろきれとなった布の残骸なので、いたるところからその透き通った白が覗いていた。
光っているのは肌だけではない。白光を縁取るのは金色。
おとぎ話の不死鳥が本当にこの世界にいるとしたら、こんな色だろうなあと思う、そんな髪の色。
柔らかい上質な絹糸がさらりと音を立てるのを思い浮かべた。
涙のたまった瞳は、名前も知らない宝石のような輝きを湛えてただ悲しい。
4: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:22:04.44 ID:9e5fPOZm0
息をするのも忘れて見入る。
花をそのまま結晶にしてしまったらこんなふうになるだろうか。
時が止めてしまったような、泣きたくなるような美しさ。
泣きたい? 少年は戸惑う。
美しいってのはもっと、こう、違うものだ。
美しいというのはもっと誇り高くて、豪華で、太陽のようで。じゃあこれは間違ったものなのか?
5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:25:11.99 ID:9e5fPOZm0
それは違う、と胸の内から囁きかける声がある。
月だ、とその声は言う。
自分では輝けない、自分では飛べない、自分では歌えない。これはそういう美しさだ。
悲しいがゆえに美しい。
欠けているがゆえに満ちている。
矛盾をはらんだ合理だ。
その日、少年は初めてエルフというものに出会ったのだった。
・
・
・
7: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:27:28.78 ID:9e5fPOZm0
屋敷の敷地に大きな馬車が入ってきた。
みんなからねずみと呼ばれる少年は、その屋敷の二階、自分の部屋からそれをこっそり見ていた。
街で買いこんだ食料品や貴重品を運びこむいつもの馬車より大きい。何だろう、と少年は思った。
やがて停まった馬車から毛布が歩いて出てきた。変な言い方だけど、少年にはそう見えた。
毛布から足が生えて歩いていたのだ。すぐに毛布をかぶせられた人が歩いているのだと気づいたけれど。
毛布からはみ出す足にはなにも履いていない。裸足だ。石とか痛くないのかな、と奇妙に思った。
ただそれよりも、なんで毛布をかぶっているのかの方がずっと気になった。
8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:30:27.28 ID:9e5fPOZm0
毛布たちはひどく頼りない足取りで、いかめしい男の後を歩いている。
毛布の歩みが少しでも鈍ると男は大声をあげた。毛布はもちろん、二階にいる少年をも震わせる怖い声だった。
と、その時一人の毛布が転んで倒れた。足元がおぼつかなかったせいだろう。
毛布が落ちて、その下にあったものが明らかになった。
それは白かった。
少年は驚いて身を乗り出した。あんなに白いものは見たことがなかったのだ。
それは人の形をしていた。裸の人だった。女の人。どきりとした。
いかめしい男が一際大きく怒鳴って、その人は慌てて毛布にもぐりこんだ。
彼らは屋敷の裏に回って消えた。
あれはなんだったのだろう、と少年は考えた。まだ胸がどきどきしていた。
9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:32:30.85 ID:9e5fPOZm0
「汚れた血脈だよ」
夕食の席で父親に聞くと、彼はそう吐き捨てた。
一流の調理師に作らせた食事なのだけれど、そのときは心底不味そうな顔をした。
といっても父親はいつだって難しい顔をしている。
汚れた血脈。そう呼ばれるものを少年は知っていた。
森の種族、古木に集う子供、汚れた血脈、頭の固いクソども。それは色々な名前で呼ばれている。
だが、多くの人はエルフと呼ぶ。
10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:35:00.86 ID:9e5fPOZm0
「あれがエルフなの?」
「関わるな」
ぴしゃりと父親は告げた。少年の声に好奇心の片鱗を見つけたからだろう。
少年は黙り込んだ。父親の言うことは絶対だ。
逆らうことは許されない。疑問を持つことすら。
それがこの屋敷の、いや少年の絶対的なルールだ。
11: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:38:02.36 ID:9e5fPOZm0
だから。
それは絶対に起こらなかったはずだった。
その日、少年が夜中に起きだして地下牢に行くことなど。
夜の空気は冷えていた。月の光も同じように冷たい。
まだ冬にはなっていない。それでもどこか凍える心地で、屋敷の裏の地下牢の入り口に回った。
見張り役は眠っていた。
12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:40:48.48 ID:9e5fPOZm0
地下牢は当たり前だけれど暗闇に沈んでいた。
ひっそりとしていて、それでも何かが潜んでいる気配。
息づく何かに怯えそうになるが、もう自分は十四歳なんだと言い聞かせて階段を下りた。
ただ、手に持つ明かりはあまりにも小さくて頼りない。
地下牢には初めて下りた。
そこは思ったよりは広かった。
水音が遠くから聞こえる。
13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:43:48.43 ID:9e5fPOZm0
鉄格子がいくつか見える。
一つ一つ覗くが、エルフは隅にうずくまってこちらに怯える目を向けるだけだった。
その目は今にも狂って叫び出しそうで、少年は目をそらした。見続けるのは少し苦しかった。
ここにはなにもなかった。怯えたエルフ以外は。
少年は好奇心を裏切られた心地で、階段を振り返った。部屋に戻るつもりだった。
その時気付いた。階段の陰にもう一つ牢がある。
それだけ他の牢とは区切られているように見えた。
明確に何かが違うわけではないのだけれど、何か線が引いてあるように思えたのだ。
覗きこんで。はっと息を呑んだ。
14: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:46:47.50 ID:9e5fPOZm0
「見ないで……お願いだから」
少年をちらりと見て、それから目を伏せ、彼女は言った。
彼女は牢の真ん中に座りこんでいた。
他のエルフと違って、怯えなかった。ただただ悲しそうだった。
まるで身を切り刻まれてそれを堪えるのように唇をかみしめ、目には涙を浮かべていた。
少年はぼうっと、それを見ていた。
水音がぴちゃり、ぴちゃりと遠くで鳴っている。
15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:49:16.17 ID:9e5fPOZm0
はっと、少年は我に返った。
ずいぶんと時間が経ったように感じた。
エルフはなにも言わず俯いていて、少年はただ立ち尽くしていて。
立ち去らなければ、と感じた。自分はここにいてはいけない、と。
この場に自分は不似合いだ。
足早に階段を引き返し、部屋に戻った。
16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:50:29.15 ID:9e5fPOZm0
少年はねずみと呼ばれている。
いつもびくびくと臆病で、人の顔色をうかがい隠れてばかりいるからだ。
少年を知る者は面と向かってかどうかは別としてそう呼ぶし、使用人たちも陰でそのように呼んでいることを彼は知っている。
父親すらたまに彼のことをねずみのような面をするなと叱る。
そんな自分が言いつけを破ってまで地下牢に向かったのはなぜなのだろうか。
あの夜のあと、彼はそのことについて考える。
17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:52:56.65 ID:9e5fPOZm0
「呆けてないで勉強に集中しなさい」
その日も家庭教師に怒られた。
慌てて姿勢を正す。そうしないと叩かれることを彼は知っている。
「旦那さまのように立派な方にならなければいけないのですよ。しっかりしなさい」
そう言われると、少年は心がきゅっと痛くなる。
自分はいつかはこの屋敷を継がなければならない。
この家の全てを背負って立たなければならないのだ。そう言い聞かされて育った。
それはとても誇りに思うべきことなのだけれど、少年は時々不安になる。
ぼくにはその資格があるのだろうか。
19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:54:30.21 ID:9e5fPOZm0
「……ごめんなさい」
「よろしい。では次のページを読み上げなさい」
家庭教師の言いつけにしたがって音読する。
そういえばこの人も例の陰口をたたいていたな、と彼は思い出した。
だからどうということもないけれど。
20: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:55:53.70 ID:9e5fPOZm0
「見ないで」
あの夜以来、実はたびたび地下牢を訪れていた。
あのエルフを眺めるためだ。
そのたびに彼女はそれを拒絶する。とはいえ見ることをやめさせることなどできないのだけれど。
彼女を見ていると不思議と心が落ちつく。
泣いているところを見ているのに落ちつくというのも変かな、とは思った。
この場に彼は不似合いでもある。でも落ちつく。
21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:56:40.62 ID:9e5fPOZm0
ただ、いつも泣いてばかりというのは、と少し思うところがあった。
「ぼくはねずみって呼ばれてるんだ」
牢屋の前に座って膝を抱える。視線の高さが一緒になった。
「いつもびくびくしているから」
お尻がひんやりと冷たかった。地面は少し湿っている。
「ねずみの方がぼくよりずっと勇敢だと思うけどね」
言って、苦笑する。ねずみが蛇を噛み殺すのを見たことがある、と。
エルフは何の反応も示さなかった。たださめざめと泣いていた。
泣き続けて身体の水分がなくならないのかなと思った。
食事はもらっているだろうけれど、その分を全て涙に使っているのだろうか。
22: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:57:19.38 ID:9e5fPOZm0
「君の名前は?」
エルフは答えなかった。
当たり前といえ、少し残念だった。
少年は立ち上がって階段に向かった。
後ろからは静かな嗚咽が聞こえていた。
そういえば、自分から誰かに話しかけるのなんて久しぶりかもしれないなと彼は思い出した。
いつもは事務的な何かを告げられてそれに対して必要最小限を答えるだけだ。
後は叱られて謝るとき。それが彼の周りとの交流のほぼ全てだった。
24: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 21:58:40.30 ID:9e5fPOZm0
この時期は大体週に一、二回、公爵らの屋敷でパーティーが行なわれる。
少年の父親はそれに呼ばれる。少年はそれについていくことになっていた。
おめかしするのは面倒だし大勢の人がいるところは緊張するけれど、パーティーの華やかさは好きだ。
そこにいると小さな自分も大きくなったような気分になる。認められていると思う。
父親の後をついて(というか背中に隠れながら)色々な「偉い人」に挨拶して、食事をとって。とても気持ちいい。
28: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:03:44.32 ID:9e5fPOZm0
パーティーも後半になると、会場が少し退屈な空気になる。
みんな腹が膨れて、話の種も尽きてくるからだ。
そんな空気を盛り上げるために、公爵は「目玉」を用意している。
公爵の声に従って、この屋敷の使用人たちが奥の部屋から出てきた。
使用人たちはそれぞれ紐を手にしている。その紐の先には首輪。首輪にはエルフ。
彫刻のような美しさを持つ彼らに人々は視線を集める。
来客の一人一人にエルフがあてがわれ、彼らは食事を再開する。
31: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:09:22.84 ID:9e5fPOZm0
エルフの匂いを嗅ぐ者がいる。エルフに触れる者、舐める者。もちろん気にせずなにもしない者も。
しばらくするとちらほらと来客が会場をエルフと共に出ていく。
少年は父親に聞いて知っている。彼らは屋敷の奥に用意された部屋を借りてエルフと過ごすそうだ。
少年は父親が奥の部屋に行っている間は待たされる。所在なく会場の隅でぼんやりしている。
だいぶ経って戻ってきた父親はいつもの通りしかめっ面だ。
その服にかすかに血が付いている。
美しいものほど壊したくなる。
こびりついた血を見るたびにそんな言葉が頭をよぎる。
父親は大人だからそういうことが許される。大人になるってそういうことなんだ、と少年は思っている。
早く大人になりたい。
32: >>29残り20~30 >>30感化された 2012/10/23(火) 22:15:13.75 ID:9e5fPOZm0
エルフは今夜も泣いている。
少年は思い付く限りの色々な話しを聞かせてみた。
ねずみという名前についての補足、家庭教師が厳しいこと、使用人たちがする世間話、庭の木に花が咲いたこと。
最後の話にエルフは反応した。ように見えた。
尖った耳がわずかに動いた様子だった。
少年は何気なく庭の木について話の重点を置いた。
その木は秋になると花を咲かせる。黄色い小さな花で、色合いの関係から金色にも見える。
34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:22:41.94 ID:9e5fPOZm0
「ちょうど君の髪みたいにね」
反応を待つが、エルフはなにも言わなかった。
仕方なく続ける。
その木は少年が生まれる前からそこにある。
母が植えたのだそうだ。母は植物が好きだったらしい。
らしい、というのは、今はもういないからだ。死んでしまった。
「ぼくがまだ物心つく前だったんだ。母さんは流行り病で死んじゃった。これ、母さんの形見」
胸元のペンダントをたぐって、見せる。
エルフはちらりとそれを見たようだった。
それでもなにも答えなかった。
35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:29:13.72 ID:9e5fPOZm0
またパーティーの日がやってきた。
父親は服に血をつけて戻ってくる。
夜になる。エルフに話しかける。
エルフは相変わらず泣いたまま。
ある夜は見張りが起きていて地下牢に行けなかった。
その日は諦めて部屋に戻った。
そしてベッドに寝転びながら考えた。どうしたらあのエルフの名前を聞きだせるだろうか、と。
37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:35:35.51 ID:9e5fPOZm0
次に牢屋を訪れた時、少年は木の枝を手にしていた。
例のエルフの牢屋、その前に立ち、明かりをかざした。
「これ。この前話した花なんだけど」
鉄格子の隙間から差し伸べる。
同時に光をかざすと、花が鮮やかにそれを照り返した。
「綺麗でしょ?」
エルフはそれをじっと見ていた。
「あげるよ」
地下牢で明かりなしじゃ、対して楽しめないと思うけど、と付け加えた。
38: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:40:06.79 ID:9e5fPOZm0
エルフは恐る恐るといった様子で近付いてきた。
そっと出してきた手に木の枝を押し付ける。
同時にもう一つ押し付けた。
「あげる」
「え……?」
エルフの手に、木の枝とペンダントが乗っている。
母親の形見だ。
41: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:45:30.77 ID:9e5fPOZm0
「これは……」
エルフがうめく。
少年は、あげるよ、と繰り返した。
「もらえない、こんなの」
返そうと伸ばしてくる手から逃げる心地で身を引いた。
「駄目だよ。いったん渡したものは受け取れない」
「でも」
「気になるなら、お返しをもらおうかな。君の名前を教えてよ」
42: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:49:37.72 ID:9e5fPOZm0
エルフは戸惑ったようだった。
しばらく手の上のものをぼうっと眺めていた。
それから口を開いた。
「――」
「え?」
よく聞き取れなかった。
彼女はもう一度それを繰り返したが、少年にはよく理解できなかった。
43: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:52:47.82 ID:9e5fPOZm0
「エルフの古い言葉で、月という意味」
ふうん、と少年は頷いた。
「じゃあ、月って呼ぶよ」
それからまた少年が喋るのが続いた。
でも、少し変化があったとすれば、エルフが少年の話を聞くようになった。
44: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:54:57.13 ID:9e5fPOZm0
またパーティーの日が来た。
くしくも少年が十五歳になった翌日のことだった。
いつもと少し違うことがあった。
エルフが来客たちにあてがわれ(よくエルフが尽きないものだと不思議に思う)、それぞれ奥の部屋にひっこんでいく頃合い。
父親が少年に声をかけた。
「お前も行くか?」
少年は驚いて父親を見上げた。
45: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:56:56.27 ID:9e5fPOZm0
ベッドに腰掛けたその女エルフは、何の表情も浮かべていなかった。
無表情でうつむき、少年らが存在していないかのようにそこにいる。
少年は途方に暮れて父親を見た。
父親は椅子に座って腕組みしていた。
目で問うと、
「好きにしろ」
と言われた。
47: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:57:38.14 ID:9e5fPOZm0
好きにしろと言われても、と改めて途方に暮れる。
とりあえずエルフの隣に座ってみた。いい匂いがする。
自分の中からむくむくと何かがわき起こってくるのが分かる。
そのエルフを優しく撫でたいような、しかし反対に荒々しく引き裂きたいような、矛盾した何か。
エルフに手が伸びる。エルフはなにも答えない。
柔らかい肌に指先が触れる。
さらに身体の中で何かが首をもたげる。
48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:58:10.31 ID:9e5fPOZm0
けれど。
触れた感触から思い出すことがある。
月の指先。触れ合う手と手。
「ぼくはねずみって呼ばれてるんだ」
思わず呟いてしまっていた。
次の瞬間視界が反転し、少年は床に倒れこんだ。
49: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:58:47.05 ID:9e5fPOZm0
「馬鹿者が!」
大声が遠くで響いた。父親の声だ。
「この馬鹿者が! 家の恥さらしが!」
ぐるぐる回る視界を持ちあげると、父親がエルフを押し倒していた。
「エルフはこう扱うんだ」
そう唸るように言って、父親はエルフのわずかな衣服を引き裂いていった。
父親に殴られたんだ。
少年はようやく気づいた。
50: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 22:59:25.63 ID:9e5fPOZm0
素肌をいっぱいに晒したエルフの唇に、荒々しく父親が吸いつく。
エルフは初めて声らしい声を上げた。
少年はへたり込んだままなにもできなかった。
父親は乱暴にエルフを扱う。
ありとあらゆる暴力をそのまま叩きつけているように見えた。
動けなかった。
恐ろしかったし、腰が抜けていたし、何より目の前の光景に目を奪われていた。
何よりも美しいものが何よりも猛るものに犯されている。
震えがこみあげてきた。快感にも似ていた。
51: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 23:03:08.98 ID:9e5fPOZm0
でも。やっぱり重なってしまうのだ。月が犯されている、そう錯覚した。
それなのに、自分は動けない。
きらりと何かが光った。
次の瞬間には熱いものが顔に降りかかってきた。
口に流れてわずかに下に触れる。苦い。血だ。
いつの間にか父親が立ち上がっていた。何事もなかったかのように服も来ている。
ただ、顔だけが血まみれだった。
52: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 23:07:07.07 ID:9e5fPOZm0
帰り道で父親に訊ねた。
屋敷のエルフたちもいつか……ああいうふうにするの?
殺す、とは恐ろしくて口に出せなかった。
父親は黙って歩き続けたが、少年には分かっていた。
そうしない理由がない。
やだな。とは口に出せなかった。そうすればまた殴られる。殺されるかもしれない。
これも分かっていることだ。
53: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 23:10:10.08 ID:9e5fPOZm0
ねずみ! ねずみ!
みんなが周りで囃したてている。
ねずみ! ねずみ!
みんなが自分を馬鹿にしている。
みんなって誰だろう。
みんなってどんな奴だろう。
そいつらを見上げると、少年自身の顔がそこにあった。
55: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 23:15:20.18 ID:9e5fPOZm0
「行こう」
牢の鍵を開けて少年は手を伸ばした。月は訳が分からずに少年を見返した。
「もう、自由だ。行こう」
「……なんで?」
彼女はようやくそれだけ言った。
そして気づいたようだった。
少年の手は血まみれだ。少年自身の血ではない。でも近しい者の血だ。
気づいて、月は口をきゅっと閉じた。
少年の血まみれの手をとった。
56: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 23:22:02.97 ID:9e5fPOZm0
夜明けには城門を出ていた。
朝早く門を出る商隊に混じって、外に飛び出した。
門番の止まれという声に構わず走り続けた。
泣きたいほど風が気持ちよかった。
57: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 23:27:50.56 ID:9e5fPOZm0
持ち出せたものは少なかった。
旅するために必要な量の半分にも満たないようだ。
月の導きで森に入った。
森の中は暗く、進むのに苦労したが、それでも月の先導には迷いがなかった。
歩き続けて歩き続けて。
開けた場所に出た。
密集していた木々が、そこだけない。
代わりに石造りの古城がそびえていた。
月に問うと、エルフたちの最後の砦だったとのことだ。
58: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 23:31:11.36 ID:9e5fPOZm0
古城の中には、誰もいなかった。
巨大な空隙がそこにあった。もう何年もずっとそのままだったようだ。
古城を真っ直ぐ抜けて、広いバルコニーに出た。
崖の上に造られていて、そこから広がる壮大な景色が見えた。
連なる山々とそれにかかる雲。広大な森の緑。崖下に流れる谷川。
あらゆる素晴らしいものがそこにあって、でも何もなかった。
「エルフは滅んだんだね」
少年は崩れ落ちていた石材の一つに腰掛けた。月もその隣に腰を下ろした。
「そっか。そっか……」
ここは月の故郷だったんじゃないか。そう思った。
そう思ったらなぜだか視界が滲んできた。
59: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 23:34:20.69 ID:9e5fPOZm0
「……なんであなたが泣くの?」
優しい顔で月が問う。
分からない。少年は答えた。でも、月が泣かないから代わりにぼくが泣くんだ。
月は手を伸ばして少年の背中を撫でた。
優しく優しく撫で続けて、それから立ち上がった。
「見ていて」
61: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 23:35:37.72 ID:9e5fPOZm0
月は夕焼けの中で数歩を踏み出した。
それからゆっくりと歩をゆるめ、そう思った次の瞬間また足を踏み出す。
不思議な足取りで、バルコニーを踏んで行く。
そうか。踊っているのか。と少年は気づいた。
帰る場所を失ったエルフが、夕日の中を静かに舞う。
涙は止まっていた。
「見ていて」
月が言う。
これからのことは分からない。帰る地を失った者たちが生きられる場所がどこにある?
そんなことは知らない。ただ、少年はいつまでもいつまでも月の舞を眺めていた。
62: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 23:36:38.86 ID:9e5fPOZm0
終わり
支援・保守してくれてありがとでした
支援・保守してくれてありがとでした
63: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 23:38:01.93 ID:EsMlrqWy0
お疲れ様
気が向いたらまた何か書いてくれ
気が向いたらまた何か書いてくれ
65: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/10/23(火) 23:46:13.11 ID:L6c3n4ai0
乙
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