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阿良々木「岡崎、もう一度僕とバスケをしよう」
元スレ:阿良々木「岡崎、もう一度僕とバスケをしよう」
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1260622826/
001
岡崎朋也との一連の出来事は、そういえば、未だに戦場ヶ原には話していない。
これは、戦場ヶ原と付き合う際に僕の方から提示した、
『怪異に纏わる話に関してお互い隠し事はしない』という条件を、
軽快とは正反対の心境で、爽快さも心によぎることすらなく、痛快なわけも当然のようにない、
我が事ながら本当にどろどろとした不愉快さを内包した気持ちで思いきりぶち破っているのだけれど、
しかしそこは、戦場ヶ原に慈悲や慈愛といった感情はおよそ皆無と知りつつもあえて言うならば、
どうか寛大な心で見逃して欲しかった。
というのも、僕にはあの一週間の出来事を果たしてどう話したものかよく分からないし、
そもそも出来うる限りあまり話したくないのもまた、事実なのだ。
はっきり言って、気持ちの良い話でもないし。
それにいかにあの戦場ヶ原と言えども、こればっかりは僕か、
あるいは神原辺りがなにか言わなければ気付かないと思う。
あの一週間の前後で、僕の身には――一切、なんの変化もなかったのだから。
心には、あるいは、あったのかもしれないけれど。
だって。
だってこの話は、
あの地獄の春休み――キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダードの一件と同じで。
これは、岡崎朋也がただ失って。
そして阿良々木暦がなすすべもなく失っただけの。
そんな、およそ本筋に関係のない。
やっぱり誰一人として幸せにならない、そんな、失物の話だ。
002
僕が岡崎と知り合ったのは、本当に偶然で、
場所は町外れのストリートバスケットコートでのことであった。
数日先に控えた定期テストのための、
戦場ヶ原の家における勉強会――あえて言い換えるならば、
戦場ヶ原ひたぎの戦場ヶ原ひたぎによる戦場ヶ原ひたぎのための阿良々木暦をいたぶる会に向かう際、
僕はなんとも意気地のないことにわざわざ遠回りしていた。
ただでさえ戦場ヶ原は僕が勉強で行き詰まると、
ここぞとばかりにねちねちとまるで小姑の如くいじめてくるっていうのに、
ここ最近は、つい数日前の神原駿河の事件のおかげで、
僕相手のとき限定でそこはかとなく機嫌が悪いのだ。
神原とのことを黙っていたのが、僕の予想以上に、
戦場ヶ原にとってご立腹するのに充分で重大で重要な理由だったのだろう。
というわけで、わざわざ町をぐるりと一周するようにママチャリで走っていたところ、
ちょうど隣町との間にかけられた橋の上で、
ぼすぼすという小気味のいい音を聞き付けた僕は、
その音の出所を探してキョロキョロしたあと――その姿を見つけたのである。
橋の下にあるストリートバスケットコートで、一人ボールをつく、黒髪の男の姿。
ワイシャツに紺のズボン。クリーム色のブレザーが近くのフェンスに引っかかっていて、背格好からもどうやら学生のように見えた。
「一人でなにやってんだろ……」
ちょっとばかり人より遠目の利く僕は、なんとなく自転車を止めると、
橋にもたれかかって男がコートを走り回るのをぼんやりと眺めることにする。
戦場ヶ原の所に行くのが怖いから現実逃避しているわけでは、ない。
断じてない。ないってば。
ところでバスケと聞けば、もう僕の中ではすぐに、
それこそまるで条件反射とか鍵刺激みたいに神原駿河の名前が出てくるようになってしまったのだけれど、
それは神原のキャラクターが想像以上に強烈であったことに起因する。
まあそれはいいとして、しかしバスケの実力という点で、
神原は眼下の男との比較の対象にはなり得ないと、すぐに思い直した。
神原の超人的なバネとそれによるジャンプ力は、
確かに血の滲むような努力、
血を見るかもしれない恐怖、
そして血が流れかねない強迫観念から身についた彼女自身のものだけれど、
人間離れしていることには変わりない。
あれと比較しうる対象は、少なくともこんな田舎のストリートのバスケットコートにはいないに違いないだろう。
いるとしたら、それはきっと、まともじゃないモノだ。例えば――怪異とか。
そんなことを纏まりのない頭でぐちゃぐちゃと考えながらしばらく眼下のコート見ていると、
件のバスケ男の行動がなんだか妙であることに気付いた。
それは例えば重心の低さとか、
例えばくるりと回るときの足さばきとか、
例えば誰もいやしないのにかます細かいフェイントとか、
そういうあらゆる点から見ても男が素人ではないのは明らかで、
ゴール左からのレイアップは綺麗に決まるのに、
決して右からはシュートを打たないのである。
いや、正確には、それも違う。
打とうとは、するのだ。
とか考えているうちに、男はゴール右に走り込み、
ボールを掴み三歩で踏みきって、
一切の無駄がないフォームで飛び上がり――そのままボールを落っことす。
てん、てん、と転がるボールから一瞬遅れて着地した男は、
しばらくぼんやりと立ち尽くし、
やがてボールを拾い上げてドリブルを初め、
そしてまた右からのシュートの途中でやる気をなくしてしまったかのようにボールをとり落とすのである。
そんなことをバスケ男は、延々と繰り返していた。
だけどどうやら本人は至って真剣なようで、
だからその人影に気付いたのはバスケ男よりも、僕のほうが早かったと思う。
「………ん?」
声を漏らす。
橋の下にコテコテに改造されたバイクが何台か止まり、
露骨にガラの悪い、
赤とか金とかの髪の男たち数人ぞろぞろとバスケットコートに近付いていく。
男たちは、上半身はパーカーやらティーシャツやら、
それぞれ思い思いのファッションに身を包んでいるものの、
全員に共通する、チェーンのじゃらじゃらついた深緑の学生ズボンには見覚えがあった。
ここらじゃガラが悪いことで有名な工業高校の制服だ。
夏休みが明けると一年生の半分は学生を辞めていて、
辞めなかった半分のうち三分の二は休み中に最低一回は警察のお世話になり、
残りは同じく休み中に停学をくらって初日から登校することはできないという噂だ。
つまるところ件の工業高校は田舎の不良たちの収容所であり、
深緑のズボンはたまに家の前にかかっている『猛犬注意!』の札なのである。
で、そんな彼らにようやく気付いたバスケ男が、
ボールをつくのをやめた。
なにか話をしているようだが、いくら僕の耳でもよく聞こえない。
知り合いなのだろうかと思った、その瞬間――。
「あっ……ぶない!」
工業高校の男の一人が乱雑に振り回した拳が、
咄嗟に避けたバスケ男の前髪を掠める。
一瞬にして――空気が変わった。
あっという間にぐるりと取り囲まれたバスケ男は、
しかし少しも物怖じすることもなく男たちを睨み付ける。
それに怯んだのか、すぐには手を出すことはしない工業高校生たち。
だが、どうしたってこのままじゃ結果は見えているだろう。
……どうする。
考えるより先に――体が動いた。
僕はママチャリに飛び乗ると、一番近い階段を駆けおり、
運よく転ぶこともなく橋を下りおえ、
そのままママチャリを工業高校生たちの原付に突っ込むようにして止めると、
実にめでたくない円陣を作っている男たちに全速力で駆けよって、
その中心にいるバスケ男の腕を掴んで引っ張り――叫ぶ。
「こんなところにいたのか、えっと……そうだ、忍野っ!」
忍野、ごめん。
最悪な形で名前借りた。
「……あ?」
腕を掴まれたバスケ男は、こっちがびっくりするくらい鋭くて凄みのある目付きで、
ぎらりと僕を睨む。
ナイフのように切れ長の、どこか狼を思わせる瞳。
周りで呆気にとられている工業高校の猛犬なんかより、
よっぽど恐ろしいと思った。
「なんだ、てめえ」
「こいつの知り合いか」
「今ちょっとオレたちが話してんだからさ、引っ込ンでろよ」
ごめんなさい、嘘つきました!やっぱりこいつらも怖えーよ!
するとそんな僕を見たバスケ男がため息をついて、声をかけてきた。
「悪い。ちょっと遊んでたんだ。行こうぜ」
「あ、あぁ。みんな待ってる」
「そういうわけで、あんたらと遊んでる暇はなくなった。じゃあな」
そして円陣から抜け出し、歩き出す。
「……おい」
「え?」
少しもいかないうちに、ぼそぼそと忍野(仮)が話しかけてきた。
「あいつら追いかけてくる。1、2の3で振り返らずに走るぞ」
「え、ちょ……」
「1、2の、3っ!」
反論する暇もなかったけれど、
忍野(仮)が飛び出すように走り出したのを見て、僕も駆ける。
すぐに後ろから罵詈雑言というのがこれほどまでにふさわしい声は、
他にないだろうという怒声と(舌を巻きすぎてなに言ってんのか一割も理解できなかった)、
続けて慌ただしい足音が鳴った。
「こっちだ! あいつらバイクだろ、抜け道を使う!」
物凄いハイペースで走っていく忍野(仮)を追いかけて、僕もただひたすらに足を動かした。
「歳は16、高1」
岡崎は続ける。
「……お前は?」
「阿良々木暦、17歳で高3」
僕も名乗ると、岡崎は意外そうな顔をしてみせた。
「お前、年上なのかよ」
「悪かったな、身長165センチで中2からまったく伸びてなくてっ!」
「なにも言ってないだろ……」
「ていうか岡崎、年下かよ! なんだよ、その身長、ルックス、目付きの悪さ! 禿げろ! 禿げちまえ!」
「ざっけんな、目付きは関係ねえだろ!」
「禿げも関係ねえよ!」
「阿良々木が言ったんだろっ!」
言い合って、揃って肩を落とした。疲れる。
ただ、 一つだけ分かったことがあった。
それは向こうも同じのようで、同時に口を開く。
「「お前、ツッコミだろ」」
ツッコミ役はボケがいなくちゃ成り立たない。
ボケとボケは同じ部屋に閉じ込めても、ボケ倒しというジャンルが成立するのだけれど、
ツッコミとツッコミは一緒にいると喧嘩になるだけなのである。
顔をあげて、お前ボケろよ、と目線で訴えてみる。
隣で岡崎も同じ目をしていた。ちょっと凹む……。
「けど阿良々木、悪いな。飲み物まで奢ってもらっちゃって」
「いや、それお前自分の金で買ってただろ」
「え、後で払ってやるって言ってたじゃん」
「言ってねえよ! なんでそこまで面倒見なくちゃいけねえんだ、
僕はお前の保護者かなにかか!」
「いや、財布」
「僕たち出会ってまだ1時間も経ってないよなっ!?」
出会ったばかりの年下に財布にされる高校3年生が、そこにはいた。
――ていうか、僕だった。
「なんだよ、阿良々木が奢ってくれるっていうから奮発してペットボトルにしたのに」
岡崎はそんなことを言いながら、ぐいっとスポーツドリンクを煽る。
「……僕、帰っていいかな」
「帰る前に財布置いてけな」
「やだよ! なんでだよ!」
「ワンコインでいいから!」
「え、まあ、それくらいなら……」
「500円玉な」
「ふざけんなっ!」
「じゃあ、いちまんえんだまでいいよ」
「僕はカービィじゃないんだからそんなもの持ってないし、
あるいはもし仮に持っていたとしても、
それは明らかな偽硬貨だから普通の店では使えないな!」
ちなみにいちまんえんだまというのは、
『星のカービィスーパーデラックス』というスーパーファミコンのゲームにおける一つのステージ、
洞窟大作戦に登場する25番目のお宝である。
水の中を、ゴルドーとかいうトゲトゲのお邪魔ブロックみたいなものを避けながら進んだ先にあるのだけれど、
水には流れがあって、
一度取り逃すとまた最初からゴルドー避けに挑戦しなくちゃいけない仕様になっている。
僕なんかゲームがそんなに上手いほうではないので、
手こずってそこで何度もカービィを死なせたものだ。
「まったく、岡崎。
知り合ったばかりのやつにこんなこと訊くのもなんだかひどく屈辱的なのだけれど、
お前、僕がそんな財布役に甘んじるようなやつに見えるのか?」
「似合ってるぞー」
「そんなの似合ってるなんて言われて嬉しいわけないだろ!?」
「大丈夫、おまえ超スマートで超イケメンで
超気前がよさそうで超信頼されてそうで
超使いやすくてわずかスプーン一杯で驚きの白さになるから」
「え、はは、そうかな。
岡崎、なかなか男を見る目があるよな」
僕の周りには毒を吐く人間が多いので、実はこうして誉められるのに弱い。
「あぁ。だから財布寄越せよ」
「嫌だって言ってんのが分かんないのか!」
「うるせえな! さっきから話が進まねえだろ、さっさと出せよ!!」
「くそう、なんで僕がキレられてるんだ……」
助けたのは僕なのに、理不尽極まりない。
「あとなんか誉めてるとき最後の方、白さがどうとか言ってたけれど、
あれ、洗剤のキャッチコピーだろ……」
スプーン一杯で驚きの白さに。
……アタックだっけ?
「阿良々木は潜在的に財布の才能があるとかそういうニュアンスをこめてさ」
「そのニュアンスは出来ればこめて欲しくなかったな! うまいこと言ったつもりか!」
「ははっ、潜在的に財布だってよ。洗剤だけに」
「なにこの人、自分で言って自分で笑ってる……つーか僕の扱いがぞんざいすぎるだろ……」
戦場ヶ原といい。
八九寺といい。
最近、僕の周りには僕に対して毒を吐くやつが多すぎる。
神原は神原で、あいつは逆に僕のことを異常に持ち上げようとするのだけれど、
いわれのない賞賛はそれはそれで居心地が悪いし。
羽川くらいか、僕を普通に扱ってくれるのは。
でもあいつ、僕のこと不良だとか思い込んでるんだよなぁ……。
「とにかく」
岡崎はにやりと歪めていた口元を正し、仏頂面に戻ると。
「………たすかった」
なんだか変に、ぎこちない言葉。
スポーツドリンクを飲み干して、僕は答える。
「ん」
岡崎はそんな僕を一度見下ろしてから、
わざわざ右手に持っていたペットボトルを左手に持ち直し、
ひどく不慣れな動作でゴミ箱へ投げた。
当然、そんなやり方でうまくホールインワンできるわけもなく、
それどころか、
リングに擦ろうとかそういった意思すら垣間見ることさえ皆無な皆目検討もつかない方向へとすっ飛び、
かつん、と快活な音を立ててペットボトルはコンクリートに転がる。
「やーい、へたくそ」
「……あ?」
「ごめんなさいっ!」
散々毒を吐かれた仕返しに自分を馬鹿にした2歳も年下の男をからかったら睨まれて、
即座に謝る高校3年生が、そこにはいた。
――ていうか、やっぱり僕だった。
「よっ……と」
岡崎はわざわざ歩いてペットボトルを拾い上げると、今度はきちんとダストシュートする。
「じゃあ、阿良々木。俺はこのままどっか遊びに行くけど、お前は」
「僕は――あ、しまった!」
そうだ、僕は、戦場ヶ原の家に行く途中だったのだ。
時間を確認。
約束の時間を、もう1時間も過ぎていた。
今日が、僕の命日かもしれないと、真剣に、深刻な心境で思う。
言葉責めならまだマシ、ホッチキスどころか
カッター辺りのガチで凶器になりうる文房具を持ち出してくる可能性が、大いに考えられる。
「おい、大丈夫か? すげえ冷や汗だけど」
「大丈夫、いや……うん、大丈夫。ごめん、僕、用事があるんだよ。
せっかく知り合えたのに、悪いんだけどさ」
「……あ、そ」
僕は呆然としている岡崎への挨拶もそこそこに、走り出す。
とりあえず放置しっぱなしの自転車をとりに、件のストリートバスケットコートへ。
一応警戒して橋の上から覗くと、工業高校生たちは影も形もなく、
どうやら僕らを追いかけるうちにバスケをする気はなくなったようだ。
さっさと自転車を確保しに橋の下に降りて――フェンスに引っかかりっぱなしの、クリーム色のブレザーを見つけた。
「これ、たぶん、岡崎のだよな」
誰に言うでもなく呟いて。
僕は、今度会ったときに返せばいいやと、
それを回収して自転車のカゴに入れ、
戦場ヶ原の家へと向かったのだった。
なんのためにもならない、『もし』の話をするのなら。
もし、仮に、僕がこのときブレザーを回収しなければ。
あるいはこの話は、ここで終わり。
僕と岡崎は――たった1日限りの友達で、済んだのかもしれない。
誰も、なにも失わないで、済んだのかもしれない。
そんなのは本当に――本当に、誰も救わない、仮定の話なのだけれど。
【ともやウルフ】
003
「んんー、この制服と校章は、たぶん、光坂高校のじゃないかな」
翌日の放課後、紙袋に入れて学校に持ってきていた岡崎の制服を見せると、
羽川はそう言った。
「光坂高校っていうと……」
「ほら、隣町の。
私立光坂高等学校っていったら、このあたりじゃ一番の進学校じゃない。
うちも全体の進学率では負けてないみたいだけれど、
国公立大学への進学率だと、やっぱり光坂高校には負けるっていって、
毎年先生方が悔しがっていたはずだよ」
「へぇ。お前はなんでも知ってるな」
「なんでもは知らないわよ。知ってることだけ」
羽川。
羽川翼。
三つ編み、眼鏡。
委員長の中の委員長。
究極の優等生。
僕の命の恩人。
異形の翼を持つ少女。
そして――猫に魅せられた少女。
「ふぅん、私立光坂高校、ね。あいつ、頭よかったんだ」
一応僕も、世間一般では進学校と呼ばれる私立直江津高校に通っているのだけれど、
その実態は数学以外は赤点だらけの出来損ないだ。
所謂、RPG(Red Points Getterの略)である。
「格好良さげに言っても、普通に格好悪いよ、阿良々木くん」
「くっ……」
羽川の台詞に言葉が詰まる。
まごうことなき、正論であった。
そもそも僕だって、中学まではそこそこ頭もよかったのだ。
しかし無理して進学校に入学した途端に、
予想通りというか予定通りというか、見事に落ちこぼれた。
こういうのを、えっと……なんていうんだっけ。
「深海魚、っていうみたいね」
「さすが羽川。お前はなんでも知ってるな」
「なんでもは知らないわよ。知ってることだけ」
と、続けて通例のやり取りを交わした辺りで、
羽川はちょっと不安そうな表情を作った。
「阿良々木くん、どうしてそんなの持ってるの?
もしかして、また、なにか厄介事に首を突っ込んでる?」
「違うよ。
これはただ、友達の忘れ物なんだけれど、
次いつ会えるか分からないから、届けようかと思って。
だから――羽川が心配するようなことは、なにもない」
そう答える。
あとから考えると、羽川は持ち前の恐ろしいまでの勘の良さをいかんなく発揮していたのだけれど、
そのことに僕が気付くのはかなり後になってからであり、
そのとき僕は羽川の心配すること――すなわち、怪異のことを考えていた。
怪異。
怪しく、異なるモノ。
世の中には、その、怪異というものが、確かに存在する。
春休みのことである。
僕は、人類が月に到達し、
手に収まる小さな携帯電話で世界中の情報が一瞬で手に入り、
形のないデータをお金を出して買うようなこの現代に、
恥ずかしくて二度と部屋から出たくなくなるくらいの事実なのだが、
吸血鬼に襲われ――吸血鬼となった。
血も凍るような、美人だった。
美しい鬼だった。
とても――美しい鬼だった。
とにかく、そんな地獄の真っ只中にいた僕を救ってくれたのは、
たぶん一般人の感覚からすれば、普通、
例えばヴァンパイアハンターとかいう吸血鬼専門の狩人だったり、
キリスト教の特務部隊だったり、
あるいは吸血鬼でありながら同属を狩る吸血鬼殺しの吸血鬼だったりするのだろうけれど、
僕の場合、通りすがりの小汚くて胡散臭いアロハのおっさん、
忍野メメと――羽川翼その人であった。
羽川がいなければ僕は今、こうして生きていないと自信を持って断言できるし、
この先、羽川のためなら命を差し出したって構わないとすら思う。
彼女にはそれほどまでの、恩がある。
彼女自身は、絶対に認めようとしないけれど。
それでも僕が羽川に助けられたと思っているのは、事実なのだ。
とにかくそれを契機に、僕は怪異に関わるいくつかの事件に首を突っ込んでいる。
羽川もゴールデンウィークに怪異に憑かれた一人だ。
忍野曰く、一度怪異に惹かれたものは、そのあとも惹かれやすくなる。
これまで僕が出会った怪異の数は、5。
鬼。
猫。
蟹。
蝸牛。
猿。
僕、いくらなんでも、出歩く度に怪異に関わりすぎだと思う。
もっとも、羽川は、彼女自身が関わった怪異の記憶、
ゴールデンウィークの悪夢を、まるっきり、忘れてしまっているのだけれど。
記憶の喪失。
それが、いいことなのか悪いことなのかは――分からない。
なにはともあれ。
「光坂高校か。助かったよ、羽川。
それだけ分かれば、なんとかなると思う」
「そう? よかったら案内しようか?」
「大丈夫だって、それに羽川、テスト勉強とかあるだろ?」
「んー、阿良々木くんのほうはテスト勉強はかどってる?」
「うっ……」
なにも言えねえ。
「もうテストまで時間ないけれど、大丈夫なの?」
「まあ、たぶん、今回はなんとかなるよ。
ほら、最近、戦場ヶ原に勉強を教わってるんだ。
あいつ、意外に人に教えるのうまいんだぜ」
少々スパルタが過ぎるところはあるけれど。
それでも最近、
そもそも勉強の仕方とはこういうことだったのかと思うような数々の勉強のテクニックを、
戦場ヶ原から叩き込まれている。
それだけでも僕には新鮮で、いい刺激なのだ。
「そっか。戦場ヶ原さんがついてるなら、安心だね」
「本当は羽川に頼みたいくらいなんだけどな。あいつ、厳しすぎるから」
「あはは、そんなこと言っちゃダメだよ。戦場ヶ原さんも自分のテスト勉強の時間を割いて、阿良々木くんに教えてくれてるんだから」
「まあ、そうなんだけどさ」
僕はそう言って席を立つと、自分の荷物を取り上げた。
戦場ヶ原の家に行く前に光坂高校に向かうなら、そろそろ学校を出ないと。
「とりあえず、戦場ヶ原のところに行く前に隣町まで寄ってみるよ」
「うん。じゃあ、阿良々木くん、頑張って」
もう一度羽川にお礼を言って、僕は教室を後にする。
別れ際。
羽川がまるで――まるで、頭痛を堪えるように頭を押さえていたのが、
少しだけ、気になった。
……なにはともあれ。
都会である。
僕の住むあの町からしたら、もう、大都会である。
僕はどちらかと言えば、10代の人間にありがちな、
都会を不必要なまでに至高と考え、
東京と聞くだけどこか崇高な気がして、
どう考えてもズレているファッションをして欺瞞の孤高さを噛み締めたがるような田舎の若者ではないので、
都会なんて怖いところ早く去りたいとびくびくするのであった。
例えそれが最近の都会で流行りのファッションであろうと、
僕はドリルが人間になったみたいな髪型だったり、
頭に鳥かご乗せていたり、
ハート山総理を意識しているような女の子だったら、
いかにそれらが美人であろうと、普通に地味な黒髪のほうがよっぽど好ましい。
だって怖いじゃん、髪の毛がキリンの頭だったりするんだぜ。
閑話休題。
と、いうわけで、途中何度も迷い、
結局羽川に電話をして口頭で道案内をしてもらうという
最高に情けないことをやらかした末にようやく辿り着いた私立光坂高校は、
長い――長い上り坂の向こうにあった。
「うわぁ……」
思わずため息が漏れる。
こんな坂を毎朝のぼって登校するなんて、
もうそれだけで嫌になりそうだった。
ここまで来るのにかなり時間がかかってしまったから、
まだ岡崎が学校に残っているかは心配だったけれど、
せっかく来たのだからとりあえず校門の前へ。
下校する光坂高校の生徒たちに奇異の目を向けられつつ、
ここから先は入っていいものか迷っていると。
「あれ? ねぇ、なに、きみ、うちの学校になんか用?」
なんだか変に鼻にかかった、
人を小馬鹿にする感じの声にそんなこと言われた。
この場合、声単体が生き物として成立しているように思えてしまう文だけれど、
実際は当然のように声の主がいるわけで、
そいつはドぎつい金髪にたれ目気味、やや童顔の男子生徒。
泥だらけの体操服に身を包み、小脇にサッカーボールをかかえていた。
「ああ、いや……」
「ところでさー、きみ、お金貸してくんない?
いや、絶対返すからさ、へへっ、いくら持ってんの?」
「………は?」
「ほら、ジャンプジャンプ!
小銭持ってたらちゃりちゃり言うはずじゃん!」
友達を訪ねて他校に来たら、
さっそくかつあげされる男子高校生が、そこにはいた。
――ていうか、認めたくないけれどそれもやっぱり僕だった。
なんだろう、岡崎といい目の前の金髪といい、
最近、光坂高校ではかつあげが流行っているのだろうか。
ていうか、進学校だからと高をくくっていたら、
なんだか見た目も言動も凄まじく不良っぽいやつである。
なんせ――金髪である。
僕らの町では頭髪は基本的に黒であり、
ブリーチ剤なんてそもそも売っている店がない。
ちょっと茶色に染めたら不良と呼ばれるような世界である。
……うわあ、リアル金髪だ。
しかし、目の前の不良にはどこか迫力がない。
へたれ臭がひどい。
もっと言えば、立ち位置的に、ひどく僕と同じにおいがする。
ていうか、考えてみれば、昨日岡崎に絡んでいた工業高校生たちの中には赤い髪とか平気でいたしな。
慣れたのかもしれない。
……なんの役にも立たない上に、嫌な耐性だった。
「あー、えっと、お金はそんな持ってねえよ。
それより、人を探しているんだけど。
岡崎朋也って、まだ学校にいるかな」
「岡崎ィ? 誰、それ」
「あー、えっと……」
誰、と言われても、考えてみたら僕だって
名前と学年くらいしか岡崎のプロフィールくらいしか語れる要素の持ち合わせはない。
金髪男も、岡崎のことを知ってる様子はなさそうだし。
なので、冗談を言って流すことにした。
「岡崎ってのは……宇宙人なんだ」
「マジかよ! なにその宇宙人ってうちの生徒なの!?」
「他にもこの学校には異星人とエイリアンがいる」
「マジかよっ!!
僕、今までそんなやつらと同じ学校で過ごしてたなんて……うぅっ、寒気が」
うわあ、信じてるよ……。
ちょっと面白い。
あと、宇宙人も異星人もエイリアンも全部同じだと思うのだが、
金髪男はなにも不思議に思わなかったようだ。
宇宙人に、異星人に、エイリアン。
本当はなにか違いがあるのかもしれないけれど、正直よく分からない。
羽川に訊けば答えてくれるんだろうか。
「ん? ちょっと待てよ……」
男がなにかに気付いたように声をあげた。
からかったのに気付かれたかと身構えると。
「うちの学校に宇宙人がいるって知ってるってことは、おまえ、まさか……」
「………………」
杞憂もいいとこだった。
せっかくなので冗談を上乗せする。
「地球の平和を守るインベーダー」
「マジかよっ!?」
ちなみにインベーダーは、侵略者という意味である。
平和を守るふりして、あっさり侵略されていた。
「あ、でも一般人のお前がこの学校に宇宙人がいることを知ったら
……いや、なんでもない」
「なんだよ、言えよ! 不安になるだろ!」
「……いや、でも」
「言えってば!」
「でもなあ……」
「言ってください、お願いします!」
「消される」
「………………」
絶句していた。
「た、助けてくれよ……平和を守るインテリアなんだろ?」
「果たしてどうすれば室内装飾品に平和を守る機能がつくのか
僕にはさっぱり想像もつかないけれど、
宇宙人に消される人間を助ける力は僕にはない」
「うぅ……父さん、母さん……宇宙人に消される直前までバカやっててごめんよ……」
「どんまい!」
「明るく言わないでくれませんかね!?」
「お前のことは3分くらいは絶対忘れないよ!」
「嬉しくねえよ!
そんなのいいから僕のこと助けてくれよ、頼むから!」
「さっきからうるさいな、ちょっと黙ってろよ!」
「なんで僕がキレられてんすかねえっ!?」
金髪がそう叫ぶのとほぼ同時に、
遠くのサッカーコートから怒声が響いた。
「おら、春原ァーっ!
ちんたらしてねえでさっさとボール拾ってこい、ぶっ殺すぞっ!!」
「ひいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいい!!!!」
春原と呼ばれた目の前の金髪男がとんでもなく面白い顔になった!
と思ったら、地面に唾を吐いて毒づく。
「けっ、あいつら、たいして上手くもねーくせにいばりやがって。
宇宙人から逃げ切ったら絶対ボコボコにしてやる」
しゅっしゅっ、と明らかに素人なシャドーボクシングを始めた春原を横目に、
僕はさっさと気付かれないよう光坂高校を後にしたのだった。
岡崎がいるかどうかはまだ分からないままだったけれど、
いきなり不良に絡まれてかなり気分が萎縮していたのである。
都会ってこえーなー。
がさりと、右手の紙袋が音を立てた。
……制服は、またいつか渡せばいいや。
004
「それで、今日も時間に遅れた言い訳はあるのかしら、阿良々木くん」
僕が必死こいてケッタ(ママチャリの地方での名称である)
をすっ飛ばして戦場ヶ原の家の玄関をくぐった途端、
彼女はそんな言葉を突きつけてきた。
戦場ヶ原。
戦場ヶ原ひたぎ。
自称ツンデレ。
泰然自若。
僕の彼女。
そして――蟹に行き遭った少女。
「いや、戦場ヶ「有罪」
「戦場ヶ原の方から言ってきたのに言い訳する暇も与えてもらえないのかよ……」
「なにを言っているのかしら、阿良々木くん。
私が有罪と言ったのは、トラケロフィルム程度の阿良々木くんが人間の言葉を話したことに対してよ」
「戦場ヶ原の中での僕の評価は、
毛で覆われていて身体をくねらせたり回転させて動く微生物と同等なのか!?」
「むしろそれ以下ね」
間髪入れずに言い切りやがった。
戦場ヶ原、さっそく絶好調である。
「お前、トラケロフィルム以下の生き物の彼女でいいのかよ……」
「トラケロフィルム以下が彼氏、と言いなさいよ」
「違わねえよ!」
「違うわよ。
阿良々木くんの言い方だと、私のほうがトラケロフィルム以下の生き物の所有物みたいじゃない」
「言いたいニュアンスは分かるけど納得はいかない!」
こいつ確実に僕のこと所有物として見てやがる。
戦場ヶ原がこんな性格な以上、対等な関係だなんてもう思ってはいないけれど、
しかしそれはいくらなんでも下に見られすぎだった。
「トラケロフィルム以下のくせにいちいちうるさいわね。
阿良々木くんが、つい最近まで遊戯王のカードで水の踊り子ばっかり集めて、
下から覗きこんだら乳首が見えないか必死にチャレンジしていたクズだということを、
羽川さんにチクるわよ」
「僕のほうが初めてきくよ、なんだその話……」
つーかこれ、本当に付き合ってる男女の会話かよ……。
僕、そろそろ本当に戦場ヶ原に好かれてるのか不安になってきた。
「ていうか、遊戯王の話なんか、戦場ヶ原がよく知ってたな。
ほとんど縁がなさそうだけれど」
「私は遊戯王のカードなんか一度も触ったことすらないわ。
ただ、昔、神原が悔しそうに漏らしていたから」
「あいつなにやってんだよっ!」
まあそんなこったろうと思ったけどな!
期待を裏切らない後輩である。
「……阿良々木くん」
「うん?」
「昔、神原が悔しそうに漏らしていたから」
「分かったよ、繰り返さなくていいよ、別にそこにエロスは感じてないよ!」
「あら、そうなの?」
戦場ヶ原の中での阿良々木暦は一体どのような立ち位置を確立しているのか、
さっぱり分からない。
あ、トラケロフィルム以下だったな、うん。
……凹む。
「阿良々木くん」
「なんだよ……」
「昔、私が悔しそうに漏らしたから」
「なんでそこで自分を貶めようとするんだ、戦場ヶ原っ!」
「エロスを感じたかしら?」
「感じねえよ! ほんとにお前は僕のことなんだと思ってんだ!?」
「そっか……感じないんだ……」
「なんで落ち込むのかさっぱり分からない……」
「そっか……阿良々木くん、感じないんだ……」
「別に僕、不感症とかではないから語弊のある言い方は避けてくれないか!?」
なんかもう、あんまりである。
「阿良々木くん、私たちもう別れましょう」
「なんで? 僕が戦場ヶ原のお漏らしにはエロスを感じなかったから?
どんだけクズ野郎だよ、僕……」
「だって、私、少しは自信あったのよ」
「お漏らし姿に!? 捨てちまえ、そんな自信!
あぁ、もう、分かったよ、エロスを感じるよ!
阿良々木暦は戦場ヶ原ひたぎさんの悔しそうなお漏らし姿にエロスを感じます!」
「う、うわあ………」
「引いてんじゃねえよ、てめえっ!!」
この部屋ごと戦場ヶ原を川にでも放り込んで逃げ出してしまいたい気分だった。
もうほんと、僕は僕が不憫で仕方ない。
「昔、神原が悔しそうに漏らしていたから」
「くどい!」
「昔、八九寺真宵が悔しそうに漏らしていたから」
「……そういやあいつトイレとかどうしてんだろうなぁ。幽霊だから必要ないのか?」
「昔、羽川翼が悔しそうに漏らしていたから」
「くっ………いや、ま、まあ、羽川もなにからなにまで完璧ってわけじゃないだろ、はは……」
つい過剰反応しかけたら、ぎりぎりぎりと腹の肉に爪をつきたてられた。
痛い。本気で貫通させるつもりか。
「昔、忍野さんが悔しそうに漏らしていたから」
「おえっ……」
ていうかいつまで続けるつもりなんだよ、これ。
「なあ、戦場ヶ原。
お前さ、そんな些細なセリフの一つで興奮するだろうとか、
僕を中学生男子かなにかと勘違いしてないか」
いかに僕といえども、
ちんすこうやらAV機器やらぶっかけうどんやらちょっと悪意のある改造を施されたパチンコの看板を見て喜んでいた時期は、
さすがに卒業済みである。
「そんなことないわよ。
少なくとも、ミドリムシ以下くらいには思っているわ」
「トラケロフィルム以下から評価が上がってるのか下がってるのか微妙でよく分かんねえよ!」
一応、上がっているべきと考えるべきなのか。
ミドリムシって、微生物の中では結構ランク高そうだし。
……うわ、別に嬉しくねえ。
「ミドリムシって、今、食品に使われているらしいわね」
「え、そうなの?」
「ええ。ミドリムシパンとか、あるそうよ」
「へぇ……いや、正直、あんまりいい気持ちで食べれる気はしないよな。
ミドリムシじゃなくて、せめて名前を変えればいいのに。
栄養素みたいに、グリーンミンとかさ」
「アララギクンとかにね」
「戦場ヶ原は僕を食品に加工したいのか!?」
「安心しなさい。阿良々木くんが食品になったら、
私が責任を持って生ゴミとしてコンポストに入れてあげるから」
「せめて食べてやってくれ!」
「でも阿良々木くんはミドリムシにも劣る存在だから、食品にもならないわ。
よかったわね」
「あぁ、そうだったな、僕は微生物にも劣る存在だったよ……」
「ふふ」
戦場ヶ原は相変わらずにこりともしないくせに、
笑いを漏らす声をわざとらしくそのまま発音した。
僕が笑われているのは明らかなのだけれど、
まあ、戦場ヶ原の機嫌が治ったならそれでいいかと緊張を弛める。
「ったく、なにがおかしいんだよ」
「いえ、阿良々木くん、あなた、
自分のことを微生物にも劣る生き物って……」
「それ元はと言えば戦場ヶ原が言い出したことじゃねえか!」
「阿良々木くん、自分のことを微生物にも劣る『生き物』って」
「なんで生き物のところを強調したんだ!?
僕が生き物であることにくらいなんの疑問も持たないでほしい!」
「抱腹絶倒」
「めちゃくちゃ真顔!」
「報復絶倒」
「すげえ、前半の漢字変えただけでニュアンスがかなり変わった!」
報復して、絶対に倒す。
「まあ、いいわ。
私は阿良々木くんの彼女だけれど、阿良々木くん行動をすべて制限する権利はないもの」
戦場ヶ原は、ふう、と小さく息をつく。
一瞬なんの話か分からなかったけれど、
どうやら僕が遅刻したことに対する文句にようやく戻ったらしい。
しかし、そんな不意打ちみたいに、いきなり伏し目がちに言われると、
罪の意識がお鍋の中からぼわっと登場する。
いや、勿論、それ以前にも約束に遅れたことに対する罪の意識はあったのだけれど、
実のところ、戦場ヶ原があまりに普段通りだから安心してしまったのだ。
ダメ男の典型的な発想のような気もするが。
しかし、無駄とは知りつつ言い訳させてもらうのならば、
光坂高校までの道のりで、まさか迷うとは思わなかったのだ。
隣町をさ迷い歩いた1時間が、きっかりそのまま約束の時間に遅れた1時間に反映されている。
「ごめん、戦場ヶ原。
2日連続遅刻した僕の言うことなんか信じられないと思うけれど、
本当に悪いと思ってる」
「いいのよ、阿良々木くん。
私は気にしていないと言ってるじゃない。
燃えるゴミと燃えないゴミの分別と同じくらい気にしていないわ」
「それはむしろ2つの意味でもうちょっと気にしてほしいな!」
エコのこともそうだし、僕のことも実はまったく気にしないと言われると、
それはそれで不思議な気持ちなのだった。
「燃えるゴミと萌えないゴミくらい気にしていないわ」
「ツッコミが難しいボケはやめてくれ!」
「阿良々木くんは冴えないゴミよね」
「ほっとけよ!」
ひでえ言われようである。
せめてゴミを男に……いや、それも、なんだかなぁ。
「ちなみに私はデレないツンデレ」
「それはただのツンじゃねえか! あるいはツンドラ!」
さて、と戦場ヶ原は一呼吸置くと。
「それじゃあ、いつまでも遊んでいないで、
勉強を始めましょうか、阿良々木くん」
「ん、あぁ、そうだな」
散々僕に毒を吐いておいて、何事もなかったように席に着くように勧めたのだった。
そういえば、今更気付いたけれど、
結構真剣に鉄拳制裁――あるいは、鉄文房具制裁(ホッチキスやハサミ辺りは本気で鉄なので洒落になっていない)を覚悟してきたのに、
言葉攻めだけだったな。
僕は別にそこまで偏った性癖を持っているわけじゃないから、
胸に去来する感情は物足りないではなく、安心だった。
勉強中には、発言に気をつけよう。
そんなことを心に決めて、
戦場ヶ原の対面の座布団に腰をおろ「―――、――、ぎっ……いっ―――――!」ケツになんか刺さった!
床を転がって激痛を誤魔化しつつ確認すると、
三角定規がわざわざ垂直に立つようにセロテープで固定されていた。
痔になる。
「せ、戦場ヶ原っ!」
「あら私の三角定規そんなところにあったのね見つけてくれてありがとう」
「謀ったなっ!」
「謀ったわ」
戦場ヶ原ひたぎ。
時間にルーズな阿良々木暦には、容赦のない女である。
戦場ヶ原の家からの帰り道、ギコギコ音を立てながら、
そろそろこいつもメンテナンスしなくちゃなとか思いつつママチャリをこいでいた僕は、
その後ろ姿というよりは、バカでかいリュックサックに足が生えたみたいな生き物を見て、
スピードを緩める。
そのまま八九寺のすぐ背後まで近寄ると、
自転車から歩きに移動手段を変更して、隣に並んだ。
「よう、八九寺。夜に会うのは珍しいな」
「スララ木さんじゃないですか、こんばんは」
「人を背が高くて足の長いモデル体型みたいに言うな。
いいことを言えば全部誉め言葉になると思うなよ、
僕みたいに明らかに身長の低いやつに言ったら嫌味みたいになるだろ。
僕の名前は阿良々木だ」
「失礼、かみました」
「違う、わざとだ……」
「かみまみた!」
「わざとじゃない!?」
「タランテラ」
「もはや元の形に似せる気すらないだろ!」
字数しか合ってない。
戦場ヶ原も戦場ヶ原だけれど、八九寺も八九寺でさっそく絶好調だった。
どいつもこいつも、いつもそんなに全力で生きているのだろうか。
「まったく、阿良々木さんは相変わらず、呼び方一つでいちいちうるさい方ですね。
そういう人は社会に出てから敬礼されますよ」
「それすげえ尊敬されてるじゃん」
「あるいは経営されるとも言いますね」
「言わねえよ。
僕を経営するってなんだ、僕はアイドルにでもなるのか」
「痙攣されます」
「めちゃくちゃ嫌われてる!?」
ちなみに正しくは、敬遠されます。
ていうかさすがに、出会っただけで痙攣されるなんてことがあったら、
もう自室に引き込もってしまう。
そんなの、春休みに匹敵しうる地獄である。
「じゃあなんですか、阿良々木さんはどんな呼び方が好みなんですか」
やれやれ、と通販番組の外国人みたいに肩をすくめると、
我が侭を言う小さな子供を見るような目をする八九寺。
……なんだか非常に屈辱的である。
僕、何一つ間違ったことは言っていないはずなのに。
「いや、呼び方なんてさ、普通でいいよ。変に凝られても困るし」
「そんなだから没個性とか言われるんですよ?」
「ほっとけよ……」
「そんなだから友達がいないんです」
「ほっとけよっ!」
ただでさえついさっきまで戦場ヶ原にいじめられていたのに、
立て続けに八九寺に毒を吐かれるとかなり堪える。
「と、いうわけで」
こほん、とその八九寺はわざとらしく咳払いをすると。
「そんなに名前をいじられるのがお嫌なら、
『阿良々木』以外のところを変えることにしましょう」
「いや、『阿良々木』以外のとこって、
そこを抜いたらもう変えるとこ『さん』しかねえじゃん……」
「阿良々木くん」
「その呼び方、すでに3人が使ってるんだけど」
「阿良々木ちゃん」
「なにこれ、ちょっときゅんときた!」
「阿良々木じゃん」
「それ絶対最後にwがいっぱいくっついてるだろっ!」
あっれー、阿良々木じゃんwwwwww
くそう、トラウマが……。
「相変わらず阿良々木さんはいい切り返しをしますね」
「お前に言われたくはないな」
小学生との会話とは思えない鋭さである。
「それにしても考えてみたら、
私は阿良々木さんのこと、あまり知らないんですよね」
「びっくりするくらい唐突な話ではあるけれど、まあ、そうだな。
そもそも僕たち、知り合ってからまだ2週間とちょっとだし」
春休みの羽川を皮切りに、僕は多くの人と出会っている。
それはどれもこれも、ここ最近のことで。
しかし、その出会い方がみんな怪異絡みなだけに、
お互いに一歩目で深いところまで踏み込みすぎて――本来一つずつ積み上げて少しずつ理解していくべきものが、
欠けているのだろう。
互いの趣味とか。
互いの感性とか。
互いの、距離感とか。
「ではお互いの親睦を深めるために、質問タイムとしましょう」
「うん、まあ、いいけど」
「では、まずは私から。阿良々木さんの好きな動物は?」
「好きなっていうか、ちょっといろいろあって、猫は苦手だな」
「好きな食べ物」
「ラーメン」
「では好きな信号の色」
「信号の色に好きとか嫌いとかあるのか!? うーん、まあ、普通に青じゃないのか?」
「知っていましたか、その色はあなたの血液の色を表しているそうですよ。
青ですか、阿良々木さん最高に気色悪いですね、
今後一切私に近寄らないでください」
「なにそれ!?
確かに僕の血液は吸血鬼のそれだけれど、色は普通に赤だよ!」
「アニメのするがモンキーでは、緑色の血をいっぱい出していたじゃないですか」
「いや、あれはスクールデイズ的な意味で赤はマズイとか、
そういう処置なんじゃないのか……」
あと平気な顔してアニメとか言うな。
「お前の血は何色だァーッ!」
「赤だっつってんだろ!」
それにしても、今のところ他の誰と話すより、女子小学生との会話が一番楽しい僕って、重症かな。
いや、でも八九寺の場合、幽霊だから、一応生まれてからと考えたら、
僕より年上なのだけれど。
――幽霊。
そういえばこいつ、幽霊、なんだよな。
「なあ、今の八九寺って幽霊じゃん?」
変な気遣いをするのもどうかと思い、単刀直入に話題を変える。
八九寺が幽霊だと言うのなら、どうしても確かめたいことがあるのだ。
「ええ、まあ、そうですが。
阿良々木さんのおかげですっかり浮遊霊となることができました」
八九寺が頷き、僕はその言葉を、繋げた。
「じゃあさ、壁をすり抜けて風呂を覗いたりとか、できんの?」
「……は?」
きょとんとする八九寺。
「なにを言っているんですか、阿良々木さん。
ただでさえ腐っていた脳みそに、ついに蛆虫がわいたんですか」
「お前……いや、ほら、単純にさ、幽霊っていったらやっぱりそういうのは男のロマンじゃん?」
僕は続ける。
「例えば、羽川のお風呂シーンとかさ、ちょっと僕が八九寺に頼んで見てきて感想を教えてもらうんだよ。
気になるじゃん、羽川のあのけしからんお胸様が果たして、
衣服をすべて取り払った状態ではどんな素晴らしい造形美を保っているのかとか。
なるだろ?
あと意外に羽川って、腰周りとかも綺麗に引き締まってるような気がするんだよな。
羽川なら八九寺が上手く口裏合わせてくれれば、
なんか許してくれそうな気がするし」
更に続ける。
「あとは神原だけれど、あいつ普段からやたらと脱ぎたがるからな。
むしろそういうのにおおらかというか積極的なやつほど、
完全に油断しきってる風呂とかでいきなり誰かが現れたら、
恥ずかしがったりすんじゃないかな。
あの神原が、慌てて恥ずかしがって、その場でへたりこんじゃったりしてな。
ギャップ萌えっていうのか? 正直たまんないよ。
戦場ヶ原は、まあ、あれはそんなことやったら本気で笑い事じゃなくなるから、今回はいいや。
とりあえず風呂を覗くとしたら、羽川と神原だな」
まだ続ける。
「いや、勘違いするなよ、八九寺
。僕は別にそんなのに興味があるわけではないんだぜ?
まったくさ。0と言ってもいい。
でもさ、仕方ないんだよ。
視聴者的にはそういうのを望んでる人だっているっていうかさ、いや本当、困っちゃうよな。
僕はそんなつもり、まったく一切これっぽっちもないのに。
読者サービスだよ。人気のためにはそういうのも必要なんだ。
嫌なのは分かるけれど、そこは目をつむってもらうしかない」
「で、結局のところ八九寺、どうなの?」
「触らないでください、この変態っ!!」
「ぎ、――――、――ッ!!!!!!」
激痛。
僕は思いっきり股間を蹴り上げられて、その場にうずくまった。
おのれ、八九寺。
小学生にねちねちとセクハラ発言をして、股間を蹴り上げられる男子高校生の姿が、そこにはあった。
――ていうか、僕だった。
「まったく、阿良々木さんは本当にしょうがない人ですね。
阿良々木という苗字にはろくな人がいません」
「それは全国の阿良々木さんに謝れ!」
「問題ありませんよ、阿良々木という苗字は現在、
阿良々木暦さん、あなたしか使っていませんから」
「使ってるよ!
少なくとも僕の妹たちと両親と父方の親族はみーんな使ってるよっ!」
「なんと! グララ木さんにはご家族がいらっしゃったのですか!?」
「そんな驚くようなことか!?
僕は確かに半分吸血鬼だけれど、別に人造人間とかではないから家族くらい普通にいるよ!
あと、さりげなく僕の名前を地震人間みたいに言うな、僕の名前は阿良々木だ!」
「失礼、かみました」
「違う、わざとだ……」
「かみまみた!」
「わざとじゃない!?」
「髪切った」
「八九寺ちゃんのお洒落好きっ!」
「噛みきった」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁああああああああああああっ!!!」
八九寺はたまに本気で僕のことを噛むので、ちょっと笑えない。
「あぁ、そういえば、幽霊で思い出しましたのですが」
ふと呟くように、八九寺は言った。
「阿良々木さんは、最近、この辺りでこんな噂があるのを知っていますか?」
「……なんだよ」
「最近、夜になると、出るらしいですよ。勿論、私以外のです」
「うん?」
八九寺は、そこで、息を潜めて。
胸の前で両手の手首の力を抜き、ぷらんとさせたお決まりのポーズで。
囁くように、その言葉を、落とした。
「つまり――この辺りで、オバケが出る、という噂です」
005
翌日の放課後。
「……幽霊?」
岡崎は、いぶかしむように眉を寄せた。
件のストリートバスケットコート。
どうしても外せない用事があるとかで戦場ヶ原塾が中止になり、
暇を持て余した僕は、図書館や自室で勉強に励んでいなくちゃいけないと自覚しつつ、
しかし現実逃避の魅力はとてつもなく強力で、ふらふらと気の向くままにママチャリサイクリングをしていた際に、
橋の上から岡崎の姿を見つけたのである。
「そう、幽霊。詳しいことは分からないけれど」
「ふぅん、幽霊ねぇ。阿良々木、お前、そういうの信じるタイプなわけ」
「まあ、そうだな。いるんじゃないかって思うよ」
なんせその話をしてくれた友達っていうのが、そもそも幽霊だったりする。
昨晩、八九寺から聞いた幽霊の話は、実に不確定で不確かな情報で、
どうやらこの辺りで幽霊が出るらしいというだけだった。
しかし火のないところに煙はたたないとも言うし、
一応、暇なときに調べておいてくれと頼んだら了解してくれたけれど、
まあ、たまに思い出したように浮上する都市伝説の類だろうと、僕は軽く考えている。
幽霊。
噂は噂。
都市伝説。
話半分。
道聴塗説。
ちょっと最近いろいろありすぎて、不安要素に、敏感になりすぎているのだろう。
「……あ、そ」
岡崎は、大した興味もなさそうにそう言葉を漏らし、続ける。
「しかし、暇だな」
「そうだな」
「せっかくだしなんかして遊ぼうぜ!」
「いいけど……なにすんの」
「阿良々木が俺のためにジュース買ってくるゲーム」
「それ僕がただのパシリなだけじゃん……」
「なら阿良々木が俺のために弁当買ってくるゲームにしよう」
「別に買ってくるものがジュースであることに文句を言ってたわけじゃねえよ!」
「え、文句ねえの?」
「ジュースのとこにはな!」
「サンキュー、ならさっさと買ってこいよ」
「パシリのところに文句があるんだよっ!」
なんで仏頂面がスタンダードなくせに、こういうときだけ無意味に楽しそうにするんだ。
「ったく、分かった。じゃあじゃんけんにしよう」
「あぁ、まあ、それなら公平だけれど」
「よし、じゃんけんして負けた阿良々木が俺のためにジュース買ってくるゲームな」
「え? ちょ、負けた阿良々木って、負けた岡崎は!?」
「いくぞ、じゃんけんぽんっ!」
「よし、勝った!」
「くそぅ……もっかい、じゃんけんぽんっ!」
「よっしゃあ、二連勝!」
「まだまだ! じゃんけんぽんっ!」
「はっはっは、三連勝!
………ってこれもしかして僕がジュース買いに行くまでじゃんけんを続けるだけのゲームなのか!?」
「うん」
「ふざけんなっ!」
勢いに任せてうまくのせられてしまった僕も僕ではあるけれど、
平然な顔をして岡崎は言いやがるのだ。
やり口が戦場ヶ原とも八九寺とも違う、新たなタイプの毒吐きキャラである。
「というわけで、ジュース買ってこいよ」
「行かねえよ……」
「頼むからっ!」
「頼んでも行かねえよっ!」
「一昨日不良に絡まれてる阿良々木を助けてやったのは誰だと思ってるんだ?」
「知らねえよ、記憶を改竄するな!
僕は不良に絡まれてる岡崎なら助けたけどなっ!」
すると岡崎は、ふいに視線を足元に落とすと。
重大な告白をするように、言葉を溢した。
「阿良々木、俺さ……実は、病気なんだよ」
「え?マジで?」
「ああ」
「治療は?」
「治らない。不治の病なんだ」
「病名は?」
「炭酸しゅわしゅわ中毒。炭酸ジュースを摂取しすぎると稀に発症するんだ。これにかかったやつは、炭酸を飲むと……」
「の、飲むと?」
「死ぬ」
「マジかよ……」
「余命はあと1時間。だからさ……俺の最後の頼みだと思って、ジュース買ってきてくれ」
くそ、せっかく知り合えたのに、死んでしまうなんて。
なんという不幸。
けどだからこそ、僕は笑って送り出してやろうと、決めた。
「それなら仕方ないな、行ってきてやるよ。旅立つ岡崎への、せめてもの手向けだ」
「ラッキー、俺コーラな」
「それお前即死するじゃねえかっ!」
「え、なんで?」
「いや、なんでって、炭酸しゅわしゅわ中毒なんだろ、岡崎」
「はぁ? なんだって? んなアホみたいな病気あるわけねえだろ」
「お前が言ったんだろっ!」
「あれ、そうだっけ?」
「……………」
「お前面白いな」
岡崎はそう言ってちょっとだけ笑うと、落ちていたバスケットボールを拾い、ドリブルを始める。
手慣れた動作。
経験者特有の、それ。
だから、なんとはなしにかけた僕の台詞が――岡崎のなにを突くことになるのか、予想できなかった。
「岡崎ってさ、部活とか入ってないのか? バスケットボール部」
瞬間。
喉を刃物で切り裂かれたと錯覚を引き起こすぐらいの、
頭の芯まで塩の塊を詰め込まれたみたいな、
鈍重で悪寒だらけの嫌悪感が、あった。
頭から冷水をかけられたような、ぞっとするほど奇妙な感覚。
全身の毛が逆立つ。
耳鳴りが渦を巻いて、五感があるべき方法を見失い、
遭難した視覚味覚聴覚嗅覚触覚を手繰り寄せようと呼吸をして。
そんな、ざわざわとした手触りの空気の中――ぎらついた、貫くような岡崎の双眼が、
僕を、真っ直ぐ、射抜いていた。
鈍く光る、切れ長の、ナイフのような。
ぎらぎらと紅く輝く。
灼けた狼の、瞳。
「岡ざ、き……?」
思わず漏らした僕の呻き声に、岡崎は、はっとしたような仕草のあと、目をそらした。
張りつめた空気が弛緩する。
「あ、いや、悪い、阿良々木。なんでもない」
「なんでもないって……」
岡崎は。
しばらく迷うように、黙ったあと。
「……中学の頃は、バスケ部だったんだ」
そう、言葉を落として。
「レギュラーで、キャプテンだったし、この辺りの中学じゃあ、そこそこ名前も売れてて」
まるで罪の告白をするように、続ける。
「スポーツ推薦で高校も決まってさ。
だけど、三年最後の試合の直前に親父と大喧嘩して……怪我して、試合には出れなくなってさ」
岡崎は、ボールを頭の上に構えようとして。
「それは、取っ組み合いになるような喧嘩で。
壁に右肩をぶつけて。
医者に行ったときにはもう――右腕は肩より上に上がらなくなってた」
右腕がボールごと、力なく垂れ下がった。
「部活は――それっきりだ」
スポーツ推薦が決まってからの怪我だったため、合格を取り消されることこそなかったものの、
結局バスケ部には入れなかったのだと岡崎は語った。
「スポーツ推薦で入った俺は勉強にもついていけないし、もうずっと、授業もろくに出てない。
遅刻とサボりの常習犯だよ」
それは――それは、果たしてどれほどの、苦痛なのだろう。
岡崎のそれは、例えば才能がなかったとか、努力が足りなかったとか、そういった挫折ですら、ない。
一言で言ってしまえば運が悪かったというただそれだけの、しかし明らかな、喪失だった。
その絶望が、どんなものなのか、僕には分からない。
分かるなんて言っては、いけないと思う。
だから。
「だけど岡崎は、バスケが嫌いになったわけじゃないんだろ?」
「あぁ、まあ。ここでこうしてバスケをしてるのはたぶん、未練だ。
二度と部活なんかできない右肩なんだって、確認してるんだよ――諦めるために」
だったら、僕は、ボールを拾い上げて。
「なら、僕とバスケをしよう」
「………は?」
「バスケだよ、バスケの勝負」
「あのな、阿良々木。俺は右肩が上がらないんだって今言っただろ」
「だからだよ。見てろ」
ぼすぼすとボールをつき、僕は素人丸出しのたどたどしいドリブルでゴール下に走り込み、
ジャンプをすると、片手でボールを掬い上げるようにして持ち上げ――放ったレイアップシュートは、
リングに擦ろうとかそういった意思すら垣間見ることさえ皆無な皆目検討もつかない方向へとすっ飛び、
ぼすん、と鈍重な音を立ててコートに転がる。
振り返り、呆然としている岡崎に言葉を投げる。
「見ての通り、僕は素人だ。自慢じゃないけれど、バスケなんか体育の授業でしかやったことがない。
でも、ちょっと事情があって、身体能力は普通の人間よりはいいと思う」
あるいは、それなら。
「右肩が使えないバスケ経験者となら、試合になるかもしれないだろ」
僕の言葉に、岡崎は挑戦的に口元を歪めた。
「阿良々木。なめるなよ」
「かかって来いよ、岡崎。バスケをしよう」
拾ったボールを岡崎に投げると、ぎゅっと体を沈め、臨戦体制をとった。
「おい、阿良々木」
「……ん?」
ワイシャツ姿の岡崎が、ボールを小脇に抱えて、呆れたような顔で覗き込んできた。
さすがに息が切れている。
それに、僕は、笑ってやった。
「楽しいな、バスケ」
岡崎も、ふっと、口元を弛めると。
「いいからジュース買ってこいよ、負け犬」
「なんでだよっ!」
「え、そういうルールだったろ」
「……そうだっけ」
「あぁ。バスケで負けた阿良々木が俺のためにジュース買ってくるっていう」
「負けた阿良々木って、負けた岡崎はっ!?」
「負けない」
「ぐっ……」
実力差が圧倒的すぎて言い返せない。
「ま、いいや」
岡崎は、身体ごと放り投げるみたいな杜撰さで僕の横に寝転がった。
バスケットのゴールと、僕らの街を繋ぐ橋と、ちょっと濁った空に光る一番星。
星の名前なんか僕はほとんど知らないけれど、戦場ヶ原と、いつかもっと綺麗な星空を見たいと、ぼんやり思った。
「……阿良々木」
岡崎の声。
「うん?」
「そういえばさ、お前、後をつけられたりとかしてないか?」
「……いや、僕はあんまり目立たないほうだし、
誰かに目をつけられるようなことをした心当たりすらないけれど」
「そっか。まあ、一応、気をつけろよ。
俺、最近、後ろから誰かに見られてたり後をつけられてる感じがするんだ。
一昨日の不良たちかもしれない」
「それ、大丈夫なのかよ……」
「ま、大丈夫だろ。襲ってくる感じでもないし」
たいして気にもしていないように言って。
「ただ、前ここに置いてった制服のブレザー、あの工業高校生たちに持ってかれちまったのは困るな。
あれ一着しか持ってないし、いつか、ついてくるやつの一人捕まえて取り替えさないと」
「あ……あぁ、そうだな」
岡崎のあまりに不機嫌そうな声色に、僕が預かってると言えなかった。
岡崎は、しばらく黙ったあと。
「阿良々木」
囁くような、意思のない、ざらざらした声。
「うん?」
「おまえ、高校どこ?」
「……直江津高校」
「へぇ」
「とは言っても、落ちこぼれだよ。
数学以外は赤点ばっかりだし、今日だって、明後日のテストのために勉強しなくちゃいけないのだけれど、こうして遊んでる」
なにかに言い訳をするように付け加えると、
岡崎がからかうように口元で笑ったのが、なぜか見てもいないのにわかった。
「なら、橋の向こうの町か」
「そうだけど。岡崎は光坂だよな」
「……なんで知ってんだよ。あぁ、ワイシャツの校章見れば分かるか」
岡崎はそこで、一呼吸いれて。
「おまえ、あの町は好きか?」
「あの町って、自分の?
いや、どうだろう、岡崎のとことは違ってド田舎だから不便なのは確かだけれど、
町を好きか嫌いかで見たことってあんまりないし。
あの町に住んでたから巻き込まれた事件もいっぱいあるけれど、
まあ、それと同じくらい、あの町に住んでなきゃ知り合えなかった人も――たくさんいる」
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード。
忍野メメ。
羽川翼。
戦場ヶ原ひたぎ。
八九寺真宵。
神原駿河。
そして――岡崎朋也だって、そうだ。
「だから、取り立て嫌いってわけじゃないかな」
「そうか」
隣で、もぞもぞと動く気配があった。
たぶん岡崎は、自分の街を見ているのだろうと、思う。
「俺は」
醒めた声。
「俺は――この町は嫌いだ」
熱のない、ざらついた感触。
「――忘れたい思い出が、染み付いた場所だから」
起き上がって、岡崎がどんな表情をしているのか見て、そして、なにか言うべきなのだと思った。
岡崎の抱えているものを、受け取ることはできないけれど、
せめてほんの1%でも、共有すべきなのだと思う。
岡崎は今、おそらく、悲痛な悲鳴を、あげているのだから。
それくらい、僕にだって分かる。
だけど。
だけど体は動かなかったし、勿論――声だって一つも出なかった。
006
さて、翌日水曜日の放課後。
例によって例のごとく、一度家に帰って着替えてから戦場ヶ原の家に向かって自転車をこいでいると、
なんだかもう見慣れてしまった感すらある後ろ姿が視界に入った。
あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロと落ち着かない様子で歩きながら大きなリュックを揺らす彼女は、
言うまでもなく、八九寺真宵である。
八九寺との遭遇率が高いと、なんだかお得な気分になるのはどうしてだろうか。
僕はブレーキを駆使して自転車の速度を落とし、八九寺の横に並んだ。
「よっ、八九寺」
「おや、ネララ木さん」
「僕を某巨大電子掲示板を利用する人たちの総称みたいに呼ぶな、
いい加減ちょっと諦めかけているきらいもあるけれど、
僕の名前は阿良々木だ」
「失礼、噛みました」
「違う、わざとだ……」
「かみまみた!」
「わざとじゃない!?」
「加入した」
「なにに加わったんだ!?」
「おニャン子クラブ」
「古いよ!八九寺、お前何歳だよ!
せめてモーニング娘に憧れる歳だろ!?」
あれ、でも今の小学生ってモーニング娘に入りたいとか思わないのかな。
アイドルに詳しくはないのでよく分からなかった。
ていうか、モーニング娘ってまだあるのか?
「さて、それでは仕切り直しまして」
ごほん、とわざとらしく咳払いをすると。
「おや、墓場木さんではありませんか」
「お前さ、仕切り直す気全っ然ないだろ……
あともはやほとんど原型がなくなってるじゃねえか、それじゃあただの鬼太郎だ。
いいか、本日二度目だけれど改めて言うと、
僕の名前は阿良々木だ」
「失礼、かみまみた」
「違う、わざと……じゃない!?
って、面倒臭いからって段階を飛ばすな!」
「ラミアいた」
「逃げろ、そいつはギリシア神話に登場する、子供を拐う蛇女だっ!」
壮絶な噛み方である。
「しかし墓場木さん」
「阿良々木だっつってんだろ」
「でも、阿良々木さん、アニメのビジュアルではこう、
長い前髪で片目を隠して鬼太郎みたいじゃないですか」
「そうだけど! 確かにそうだったけれど、
そういうメタな発言は控えてくれないかな!」
「シャフトさんはダンス イン ザ ヴァンパイアバンド作るとか
荒川アンダー ザ ブリッジ作るとか言ってないで、
さっさとつばさキャットの続きを配信するべきだと思います」
「お世話になってんだからやめろよ……」
「あとおそらくそんなのより、傷物語と偽物語を見たいと思っている人が大半ですよ」
「お世話になってんだからやめろよっ!」
「あとみつどもえがシャフトっていうのは確かなんでしょうか?
ソースは?」
「知らねえよっ!」
ちなみに僕は個人的に、荒川アンダー ザ ブリッジが楽しみでしょうがない。
「あとさ、八九寺。
これ、一応するがモンキーとなでこスネークの間の話だから、このときアニメ化の話なんかまったく出てないはずなんだよ。
時系列がぐちゃぐちゃになっちゃうから、本当にやめてくれ」
せめて傷物語辺りの話になるまで我慢しような。
「……………」
答えはない。
ただの屍ではないようだけれど。
「……八九寺?」
「……………」
「八九寺ちゃーん?」
「……………」
「イタズラしちゃうぞー?」
「はっ! ………すいません、阿良々木さん。
ちょっと4と9の公倍数を数えるのに夢中になってしまいまして」
「なんでこのタイミングで!? そんなに僕が嫌いか!」
「いやいやいやいやそんなまさか阿良々木さん、
ご自分が他人に好かれるような人柄だとお思いでしたか?」
「否定すると思わせておいてなにより傷付く言い方をしたな!
そんなこと思っちゃいないけれど、かなり本気で凹むからやめてくれ!」
「おや、そんなに露骨に落ち込んでしまってどうなさいました?
ラブキューピーと呼ばれた私に何でも相談するといいですよ」
「どんな料理にもマヨネーズをかけて食べるからそう呼ばれているに違いないことが
悩み事の解決になんの関係があるのか僕にはさっぱり想像もつかないけれど、
今僕が悩んでいるとしたら、八九寺、お前のその口の悪さについてだよ。
いくら丁寧な口調で言っても、罵倒は罵倒だし侮蔑は侮蔑なんだぞ」
あとラブキューピーとか、たぶん、本当に一部の人しか反応できないネタだからな。
「阿良々木さん、私にそんなことを言ってもいいんですか?
私は曲がり尻尾にも幽霊なんですよ?」
「曲がり尻尾にもって、お前それ、猫の尻尾に対する形容じゃん」
それじゃ八九寺、猫ってことじゃん。
幽霊でもなければ、ましてや蝸牛でもねえよ。
まよいキャット。
いくらつばさキャットが配信されないからって、
八九寺じゃ羽川ほど猫耳が似合うキャラにはなれないから早々に諦めてほしいものだ。
なにせ羽川翼は、世界一猫耳が似合う女である。
ゴールデンウィークのことなんか、正直、思い出したくもない悪夢だけれど、
羽川の猫耳姿を見れたという点だけは阿良々木暦史に残る出来事だ。
ちなみに訂正が遅れたが、正しくは、曲がりなりにも幽霊。
「で、お前が幽霊だからなんなんだよ」
「分かりませんか?
つまり、阿良々木さんが一人夜道で歩いているところを後ろからこうやって」
八九寺は、眉をハの字にしながら、右目で上、左目で下を向き、
更にザクロみたいな綺麗な赤い舌を放心したようにだらんと出すという
実に器用で奇妙で面妖な(ていうか人間技じゃねえ)表情をしてみせて、言葉を繋げた。
「うらめしやー、と脅かすこともできるんですよ?」
「めちゃくちゃこえー!」
そんな表情できることが。
「ふっふっふ、チェロスいものです」
「甘いものが食いたいのか?」
ちょろいものです。
だが、しかし。
僕の反撃はこれからだ!
「甘いなー、八九寺は。今時うらめしやなんて、時代遅れだぜ?」
「そ、そうなんですか!?」
「そうだよ。お前、今時、驚いたときに『そんなバナナ!』って言われて笑えるか?
それと同じだよ。どんなにタイミングよく怖い顔をしても、
うらめしやーじゃあ怖がれないって」
「ふむ、勉強になります。
策士策に溺れて待ちぼうけというやつですね」
「うーん……確かにびっくりするくらい口当たりはいいけれど、そんな諺は明らかにお前の造語だ」
「うらめしやは時代遅れですか。
私、大変恥ずかしいことを言っていたと自覚しました。
私は大人恥ずかしな女です!」
「幽霊だからってサボってないできちんと流行にのらなきゃダメだぜ、八九寺ちゃん」
ちなみに大人恥ずかしは、大人にも劣らない知識だ、とか、大人も顔負けするほどだ、とかいう意味で、
自分の知識のなさを恥ずかしく思うみたいな意味はない。
むしろ誉め言葉である。
自分に使ったら自画自賛。
「阿良々木さん、私はいったいどうすればいいのでしょうか……」
「そうだなぁ。最近のトレンドといえば、やっぱりオタク文化だろ?
ロリってだけじゃ、やっぱりキャラが弱いんだよな」
八九寺の場合、毒を吐くという追加ポイントもあるけれど、
しかしある意味ツンデレみたいなものと考えれば新しさがない。
デレないけど。
……デレないけれどっ!
「ではこういうのはどうでしょう」
こほんと八九寺は咳払いをすると。
「まよいデレ」
「名前にデレをくっつけただけじゃねえか!
語呂なんかもうめちゃくちゃ悪いし、そもそもどんなデレなのかさっぱりわからない!」
「道に迷うとデレるんですよ」
「それはただ心細いだけだな!」
子供っぽいと言えば子供っぽいが。
「まよいデレデレ」
「まよいマイマイみたいに言うな!」
しかもまよいデレデレとかちょっと可愛いしな! 見てみたい!
「語呂がそんなに気になるのでしたら、四文字にしましょう」
「まあ、語呂が悪いよりはいいよ……」
「マヨデレ」
「お前はさっきからどんだけマヨネーズ好きなんだよっ!」
まよいマヨラー。
「もう分かりやすく語尾になんかつけてみろよ。
『だわ』とか『なの』とか」
「そんな恥ずかしい語尾、死んでも嫌です!
あるいは死ぬほど嫌と言い換えてもいいでしょう!
むしろそれを言うくらいなら死んだほうがマシです!
もう死んでますけどね!」
「『ですぅ』とか『かしら』ならどうだ」
「嫌に決まってます!
ていうか長台詞を喋ってボケたんですからスルーしないでください!」
「『でげす』は?」
「阿良々木さんは既製品の語尾に頼って満足なんですか?
そんなんだからありがちな平凡な主人公キャラから抜け出せないんですよ」
「余計なお世話だ!」
「いつまでもそんな男でいいと思っているんですか!」
「いや、僕は別にいいと思ってるけれど」
「びーけあふる! 阿良々木さんの意見なんて聞いていません!」
「質問しておいて!?」
ちなみに最初のびーけあふるは、びーくわいえっとの間違いだと思う。
「そんなに言うなら八九寺、お前、なんか独特で可愛い語尾を考えてみろよ!」
「そうですね。『エーストゥ』なんてどうでしょうか」
「いや、確かにそんな語尾のやつは見たことも聞いたこともないけれど、
可愛くないし明らかにおかしいだろ……」
「全然おかしくなんかないエーストゥ」
「やっぱりおかしい!」
「どこがおかしいエーストゥ?」
「全体的におかしいよ、可愛さ要素なんて皆無だしさ!
そもそも言いにくいだろ!」
「とっても言いやすいエーフヒュ」
「言い間違えてんじゃねえか!」
「失礼、かみましエーストゥ」
「違う、わざとだ……」
「かみまみエーストゥ!」
「わざとじゃない!?」
「えへっ、はにかみエーストゥ☆ミ」
「可愛すぎるーっ!!!」
アホな会話である。
どうしようもなく、アホな会話である。
「ところで阿良々木さんは、こんな時間からお出かけですか?」
八九寺はまるで何事もなかったような顔をして、
話を強行にまともな方向に戻した。
「ああ……先月末に会ったときに言ったろ?
戦場ヶ原の家で勉強なんだ」
「あぁ、知能テストがあるんでしたね」
「その言い方でも間違ってはいないけれど、
学校の定期試験を知能テストって言うやつ、僕は初めて見たよ」
「天井に吊り下げたりガラスの箱に入れたバナナを、
様々な道具を使って取れるかどうかってやつですよね」
「測る知能のレベルが低すぎる! 僕の知能はチンパンジー並かよ!」
ちなみにチンパンジーの知能って人間で言うと三歳児と同じくらいらしいから、暗に馬鹿にされているのだろう。
おのれ、八九寺。
それにしても、チンパンジー並か。
「八九寺、僕のことをなんだと思ってるんだ……」
「阿良々木さんほど形影相憐という言葉が似合う人もいませんよね!」
「けいえんそうりん……? なんだそれ、すげえ格好良いけど、どんな意味だ?」
「自分で自分を憐れむ、という意味です」
……最低だった。
「そういう八九寺は、なにしてるんだ? 散歩か?」
無理矢理話を戻した僕の問いかけに、八九寺はそうでしたと小さく言って、
「阿良々木さんを探していたのですよ」
そう、続けた。
「……僕を? なんでまた」
「先日お話した、幽霊の件です。
今分かっていることだけでもお教えしておこうかと思いまして」
ふいに八九寺の纏う空気が、真剣なものに変わる。
幽霊。
八九寺真宵の正体。
そして――今、密かに街を騒がしている、ナニカ。
八九寺の存在を認める以上、そもそも幽霊が存在しないなんてことはない。
だから僕が見極めなくちゃいけないのは。
それがただの噂話なのか、あるいは、深刻な実話なのか。
そして。
善意か――悪意か。
「結論から言いましょう」
「ああ」
「とは言っても、まだはっきりとしたことを言える段階ではありませんし、
私だってあれが本当に幽霊なのかと言われたら簡単に首を縦には振れませんが」
八九寺真宵は。
善意の幽霊は。
「少なくとも今回の噂の中で幽霊と呼ばれる存在は――確かに、実在します」
そう、答えを出した。
007
「よう、岡崎」
「お……えっと、名前なんだっけ?」
「一緒にバスケやった仲のに!」
「あぁ、思い出した。悪い悪い、最近よく会うな、斉藤」
「それは全然違う人だっ!」
「『さ迷える悠久の荒野』斉藤」
「勝手に変なキャッチコピーをつけるな! しかも斉藤じゃない、僕の名前は阿良々木だ!」
「惜しいっ!」
「惜しくねえよ!」
「分かってるって。お前の名前は斉藤アララギな」
「アララギが下の名前なんてことあり得るか!
斉藤ってのが誰のことなのかは僕にはまったくもって預かり知りえないことだけれど、
そいつのこと好きすぎるな、お前は!」
「斉藤ってすべての苗字の中で最強なんだぜ?」
「え、そうなのか?」
「あぁ。だからおまえは今から斉藤を名乗れな」
「名乗らねえよ!」
八九寺と別れてすぐあと、戦場ヶ原との約束の時間にはまだ余裕があった僕は、
橋の下のストリートバスケットコートにいた。
岡崎はやっぱりそこで一人でバスケをしていて、
だから僕が話しかけるといつものようなそんなやりとりのあと、
鋭い眼光に、口元をちょっとだけ弛めて言う。
「まあ、ともかくサンキューな。飲み物買ってきてくれたんだろ?」
「んなわけねえだろ……」
どんだけ気が効くやつだと思ってるんだ。
「なんだよ、違うのかよ」
「当然だろ。
岡崎、僕のことどういう風に思ってるのか知らないけれd「ジュース持ってないならお前もう帰れな」
「僕の価値はそんだけなのか!?」
「………え?」
「そんな、今更何言ってんのこいつ、みたいな目で僕を見るな!」
最近、僕に優しい人間に滅多に会わない。
僕の生活には圧倒的に、羽川が足りていないと思う。
明日は朝早く行って羽川と絡もうかな。
羽川って意外に使いにくいから、描写されることはないだろうけれど。
「まったく、まさか2歳も年下のやつにこんなにナチュラルにパシリ扱いされるなんて思わなかったよ」
「日頃の行いが悪いせいだな」
「まず間違いなくお前のせいだよっ!」
「んなことねえよ。
だってお前、毎日のように全裸で『ウヒャヒャヒャ』って笑いながら町中走り回る趣味に勤しんでるんだろ?」
「一回もやったことねえよ!
いくらうちの町が田舎だからって、さすがにそんなことをしたら捕まるくらいには警察も仕事してるよ!」
と、そんな風に、相も変わらずの言葉を交わしたあと。
「岡崎。またバスケットボールの相手になってくれよ」
僕は、そう声をかけていた。
「やだよ、めんどくせぇ……」
「そこをなんとかさ。友達だろ?」
「お前、他人って書いて『ともだち』って読むのな」
「普通に友達って書いて『ともだち』って読むよ!」
「え? じゃあお前の中で他人と友達って同義語なの?」
「普通に対義語だよ!」
容赦がなさすぎる。
いい加減ちょっと傷付く……。
「まあ、どうせ暇だし、いいけど。でも阿良々木、お前、昨日全然相手にならなかったじゃん」
「その点に関しては大丈夫だ。
今日、授業中にさ、図書室で借りてきたバスケットボールの入門書読んできたから、
基本はバッチリ頭に入ってる」
「勉強しろよ……」
まったくだ。
「とは言っても、岡崎と普通に勝負しても勝てないのは僕だって分かっているし
……よし、こういうのはどうだ?」
「あ?」
びしり、と岡崎を指差して、僕は声高らかに宣言した。
「時間内に、スコア差が三倍ついたらお前の勝ちだっ!!」
「それ、全然かっこよくないからな……」
「いいからやろう。初心者だし、ボール、僕からでいいよな」
「いいけど……昨日の二の舞になっても知らないぞ」
「昨日の僕と同じだと思うな。吠え面かいてやるよ!」
「それ、負けてるからな……」
「いや、この前、他人のためにパシられるのが大好きでそれだけが人生の中での楽しみなんだって言ってたじゃん」
「そんなことを言った覚えはこれっぽっちもねえな!
それ僕、ただの痛い人だろ!」
「だっておまえ、この前も全裸で『ウヒャヒャヒャ』って笑いながら町中走り回って俺のためにコーヒー買いにいってたじゃん」
「そんな僕がヤバい人みたいな出来事の記憶はまったくない!
すべてお前の妄想だろ!」
すると、本当に哀れむような目を向けてくる岡崎。
「そりゃおまえ、阿良々木がマジでヤバい人だからだよ……」
「うそ、マジで?
僕は全裸で『ウヒャヒャヒャ』って笑いながら町中走り回って岡崎のパシリをしておいてその記憶を失うようなヤバいやつだったのか!?」
「冗談だよ……」
「いや、分かってるけどさ」
「冗談だっつってんだろ!」
「そこまで急に元気に言われると逆に疑わしい!」
「じょ、冗談だって……」
「どもるなよ、不安になる! こら、目をそらすな、岡崎!」
「冗談だよな?」
「疑問系!? なんか僕、本当に自分がヤバいやつのような気がしてきた!」
「冗談じゃない」
「ついにそもそもの元の文が否定文になった! 冗談じゃないよっ!」
結局僕らは揃って近くの水飲み場で喉を潤すと、時計を見る。
そろそろ戦場ヶ原との待ち合わせに向かうにはいい時間だった。
「じゃあ、僕、そろそろ行くよ」
そう言うと、岡崎はほんのちょっとだけ残念そうな顔をした……ように思う。
「あぁ。じゃあな、えっと……宮越」
「誰だよ……」
「『何度でもやってくる月曜日』宮越」
「無条件で大多数に嫌われるようなキャッチコピーをつけるな!
そして僕の名前は宮越じゃなくて阿良々木だ!」
「惜しい、近付いたっ!」
「惜しくねえし近付いてもいねえよっ!」
別れ際までこんなかよ……。
008
「今日は時間通りなのね、心底意外だわ」
戦場ヶ原の家に着くと同時に、出迎えに出てくれていた戦場ヶ原にそんな言葉を渡された。
「意外って、僕がそんな時間にルーズなやつに……いや、見えるよな、2日連続で遅刻してるわけだし。
ごめん、悪かった」
「いいのよ、阿良々木くん。
私は、阿良々木くんがちゃんとここに来てくれるだけで嬉しいわ」
「戦場ヶ原……」
相変わらずにこりともしない仏頂面だけれど、戦場ヶ原はそんなことを言う。
彼女の本心。
愛情表現。
彼女なりの、デレ。
『デレないツンデレ』と自称した戦場ヶ原ひたぎは、そのキャッチコピーを失うのに3日もかからない。
「さ、今日も仲良く元気にお勉強を始めましょう。
とは言っても本番は明日だから、下手に詰め込むよりも軽く確認する程度で済ませたほうがいいかもしれないわね」
僕と戦場ヶ原が向かい合って席につくと同時に、彼女は澄ましたような伏し目がちで言った。
「へえ、そういうものなのか?」
「そういうものなのよ。
産まれてこのかたたったの一度だってテスト勉強というものをした経験のない阿良々木くんには、到底分からないことなのかもしれないけれど」
「失礼なことを言うな! 僕だってこうして落ちこぼれる前は、普通にそこそこ頭のいい学生をやっていたんだから、
テスト勉強くらいしたことあるに決まってるだろ!」
「前日の夜に焦ってとりあえず要点だけを徹夜で頭に詰め込むのは、テスト勉強ではなく、一夜漬けというのよ。
その辺りのこと、阿良々木くんは分かっているかしら?」
「……………」
分かっていなかった。
昔は一夜漬けでちょっと教科書を見直すだけで、テストなんて簡単にいい点をとれたものだから、
自分のことを天才だと思っていたこともある。
「もっとも要領のいい人はそれでなんとかなってしまうものだし、
中学時代の阿良々木くんはその類だったんでしょう。
……そんな阿良々木くんのために」
戦場ヶ原はそこで言葉を切り、席についたときからずっと気になっていた、
厚さ約1センチメートルほどの紙の束を取り上げて、表紙をこちらに向けた。
「『阿良々木暦用直江津高校定期テスト直前確認プリント』……?」
「そう。阿良々木くんのくせによく読めたわね、誉めてあげるわ」
「さすがの僕もこれくらい普通に読めるよ、バカにすんな!」
「だって阿良々木くん、たまにひらがなも間違えるから、
日本語の段階でちょっと残念なのかと思って」
「し、仕方ないだろ!
『わ』と『れ』とか、『め』と『ぬ』とか、『る』と『む』とか、ぼーっとしてるとたまに間違えるんだよ!」
あと、『は』って書きたいのになぜか『な』になっていることなんてよくある。
難しいよなー、日本語って。
そもそもひらがな、カタカナ、漢字っていう、三つの文字を使っているところから僕には甚だ疑問である。
ひらがなだけでいいじゃん。
台詞をひらがなだけで表記すると、それだけでみんなロリキャラみたいになるし、もう僕は幸せだよ。
……僕はロリコンじゃないけどな!
「ともあれ、そこでこれの出番なの。
これは私が独自のデータにより弾き出した、対直江津高校教師陣専用の直前暗記用プリント。
傾向と対策もばっちり。慣れるために予想問題も作っておいたわ。
量も内容も控えてあるから、雀の涙、猫の額、時代遅れのパソコン、阿良々木くんの脳みそ程度の記憶容量でも簡単に覚えられる優れ物よ」
「なんだかそこまでしてもらって本当にごめん、マジで助かるし、お前にはもう二度と頭が上がらないレベルに感謝しているけれど、
しかし一つ文句を言わせてもらうならば、僕の脳みそをごく僅かなものを形容する意味の言葉たちと同列に並べるな!」
「あぁ、ごめんなさい。
彼らのほうが阿良々木くんの脳みそ程度のものと同列に並べられたら迷惑よね」
「もう完璧に100%予想通りの返答だよ!
なあ、戦場ヶ原、そんなに僕をいじめて楽しいか!?」
「なに言ってるの、楽しいわけないじゃない」
戦場ヶ原は驚くくらいの速さでそう否定してくれる。
「だ、だよな。よかった、安心したよ……」
「阿良々木くんをいじめるのは私のライフワークだもの。
楽しいとか楽しくないとか、そういう次元の物事ですらないわ」
「ちきしょう、過去にこれほどまで、
ぬか喜びという言葉の意味をはっきりと理解したことは一度だってなかった!」
「黙りなさい」
「……………」
え、なんで今、僕、怒られたの?
「とにかく、始めましょう」
何事もなかったような戦場ヶ原の台詞で、僕たちは勉強を開始した。
「……だとしたら」
だとしたら、僕はもう、卒業とか諦めたほうがいいのかもしれない。
こんなの、一生かかっても分かる気がしない。無理無理。
第一、土台無茶な話なのだ。
今まで散々落ちこぼれていた僕が、たった1、2週間の勉強で、
他の生徒が必死に2年半積み上げてきて点数を争うテストに割り込もうだなんて。
いいよ、どうせ今回も赤点だらけだって。
「……さて、と」
なんてわざと大袈裟にネガティブなことを考えてから、息をついた。
こんなことでどうする、目の前の戦場ヶ原が、自分の勉強時間を削ってまで僕のために僕の勉強に付き合ってくれたりプリントを作ってくれたりしているっていうのに、
こんなんじゃ合わせる顔がない。
ぼんやりと戦場ヶ原に向けていた視線を、再びプリントに戻す。
しかし何度見直したところで分からないものは分からないのであり、
どうしても分からない問題に行き当たった場合は、下手に一人で悩むより、分かるやつに助けを求めたほうが利口だった。
「また分からない問題があったの?
阿良々木くん、あなた、実はやる気がないんじゃないの?」
質問のために戦場ヶ原に声をかけた僕への第一声が、それだった。
「……僕は真面目にやってるつもりだよ」
「そう。だったら、いや、これは考えにくいのだけれど……」
「なんだよ、言えよ」
「阿良々木くんは、もしかすると、私の想像を絶するほどの馬鹿なの?」
「すっげー傷付いた!」
つーか想像を絶する馬鹿ってどんなレベルだよ!
と、まあ、ここまではジョブみたいなもので。
「分からないのはどの問題?見せてみなさい」
そう言うと、戦場ヶ原はひょっこりと僕の手元のプリントを覗きこんだ。
ふわりと柔らかい匂いがして、反射的にそっと背をそらして逃げる。
「あぁ、そうね。確かにこのレベルじゃ、
阿良々木くんのアオミドロ程度の脳みそじゃあまったく一ミクロンだって理解できないでしょうね」
「なあ、お前は一つ何かを言うたびに僕をいじめなくちゃ生きていけないのか?」
あとアオミドロに脳みそはない。
「この英語の先生はね、毎回何問か洋画の台詞を使った問題を作るのよ。
確実に自分の趣味でね。
だから問題文の中にスラングや古い口語表現なんかが混じっていて、
羽川さんならともかく私だって読むのは難しいわ」
だから、と戦場ヶ原は続ける。
「阿良々木くんの鍛えるべきことは、必ず何問か混入されるそれらの問題を瞬時に見極めて、
解かないと選択する力なのよ」
「え、解かなくていいのか?」
「いいの。そういった問題は一つも答えなくても、
他をすべて正解すれば9割の点数はとれるようになっているから。
私たちは満点を目指すわけじゃないのだから、下手に訳の分からない問題に時間をとられて、
できる問題にまで手が回らなかったらどうしようもないでしょう」
そういうものなのか。
今まで、英語の問題なんか見てもそもそも映画の台詞が混じっていることすら気付かなかったから、勉強になる。
「つーか、戦場ヶ原はよく映画の台詞だって分かったな」
「なんだかんだ言って、使われるのは流行った映画の台詞ばかりなのよ。
阿良々木くんに渡したプリントの問題だって、有名な映画の一節よ。
そんなことも知らないの?」
「知らないな。僕、あんまり映画を見るって習慣はなかったし」
でも、僕よりそんなことに無頓着そうな戦場ヶ原が知っているということは、
やっぱりかなり有名なのだろうか。
「あぁ……映画を見にいく友達がいなかったのね」
「嫌な解釈をしないでくれないか!?」
「友達を作ると人間強度が下がる(笑)」
「おいやめろ」
罵倒はいいけれど、黒歴史をほじくりかえすのだけはやめろ。
死ぬ。
厨二病は死に至る病なんだぞ。
「安心して。阿良々木くんが厨二病で死んだら、私は厨二病を殺すわ」
「概念まで殺せるのかよ!?」
無敵すぎる、戦場ヶ原ひたぎ。
死の線でも見えているのだろうか。
「見えているのなら――阿良々木くんだって殺してみせる」
「それは普通の人殺しだな!
神様を殺してみせるくらい言ってみたらどうだ!」
「私にとって、阿良々木くんは神様のような存在だもの。
あなたがいなければ今の私は生きていないし、あなたがいなければ私が今生きてる必要もないわ」
「……戦場ヶ原」
「というわけでそれを踏まえて言い直すと、
見えているのなら――神様だって殺してみせる」
「あれ!? なんか全然格好よくねえぞ!」
台詞は変わっているのに、含まれているニュアンスにはまったくもって変化が見られなかった。
「まあ、そんなことより」
自らの命が奪われるという主旨の発言を、そんなことって言われた。
「この問題、本番では解かなくてもいいけれど、せっかくだから一応解説しておきましょう」
「ああ、うん……頼む」
僕は戦場ヶ原の言葉に頷いて、彼女の説明に聞き入ることにした。
……結局。
僕たちは日にちを跨ぐまで、机に向かって頭を使ったのだった。
009
私立直江津高校の定期テストは、すべての教科を一日で消費するという、
そのまんま言葉通り、鬼のようなスケジュールで実施される。
よってすべての日程が終わって校門を出る頃にはもう午後の7時を回っていて、
辺りはすっかり暗くなっていた。
戦場ヶ原と八九寺、更に最近知り合った新たな友達に加えて、
学校まで僕に優しくないなんて、本当に知らないところとか、
あるいは前世かなんかでなにか悪いことでもしたんじゃないかと思ってしまう。
勘弁して欲しかった。
「……それをどうして私に言うのだ、阿良々木先輩」
と、僕の愚痴を黙って聞いていた神原が、わざとらしく呆れたような表情を作って言った。
「いや、だって、戦場ヶ原とか八九寺とか岡崎とか、怖いし……
学校のカリキュラムにはそもそも、文句をつけようがないしさ……」
神原。
神原駿河。
直江津高校二年生。
健康的な短髪。
人懐っこそうな表情。
元バスケットボール部のキャプテン。
自他ともに認めるエロ娘。
そして――猿に願った少女。
神原は、つい先月まで、
バスケットボール部のエース、学校一有名人、学校一のスターとして名を馳せていた人物である。
私立進学校の弱小運動部を入部一年目で全国区にまで導いたとあっては、
本人の否応にかかわらず、そうならざるを得ないだろう。
ついこの間、左腕に怪我をしたという理由で、
キャプテンの座を後輩に譲り、バスケットボール部を早期引退。
そのニュースがどれだけ衝撃的に学校中に響いたか、
それは記憶に新しい。
古びることさえ、ないだろう。
神原の左腕には。
今も、包帯がぐるぐるに巻かれている。
「しかし、阿良々木先輩のほうから私ごときに会いに来てくれるなんて、僭越至極だ。
敬愛する阿良々木先輩が教室に来て、一緒に帰ろうと言ってくれたときの私の感動は、
言葉なんかじゃ到底言い表すことなどできようもないが、
それでも私の、阿良々木先輩のそれと比べることすらおこがましい極小のボキャブラリーを持ってして
阿良々木先輩に伝えることができたらそれはどんなに幸せなことだろうか!」
「えっと、そんなに大袈裟に言われるとなんだか照れるんだけどさ。
突然おしかけちゃって、大丈夫だったか?
他に友達と帰る約束をしていたとか」
「大丈夫だ、阿良々木先輩。
私にとって阿良々木先輩よりも優先すべき事柄など、
戦場ヶ原先輩を除けば他に存在しない!」
「ああ……ありがとうな……」
相変わらず格好良いやつだ、神原。
格好良すぎて、正直何を言ってるんだかたまに分からないくらい格好良いよ。
もう既に分かってもらえたと思うけれど、神原はどういうわけか、
僕のことを異常に過大評価しているきらいがある。
可愛い後輩に敬われるのは確かに悪い気分ではないのだけれど、
それがあまりに過ぎると落ち着かない。
いわれのない敬意。
根拠のない尊敬。
それらはむしろ、普通に貶されるよりも自分の卑小さを思い知るような気がして、
たまに気が滅入る。
「ふむ。さすがの阿良々木先輩も、テストで疲れているようだな。
受け答えにいつものキレがない」
「ん、そうか? そんなつもりはないんだけれど……
悪いな、僕のほうから誘っておいてこんなんじゃ、つまらないか」
「いや、そんなことを気にしないでほしい。
私は阿良々木先輩とこうして歩けるだけであと半年は戦えるくらいの幸福を味わわせてもらっている」
お前はなにと戦っているんだ、神原。
……悪の組織とか?
世界を蝕む闇の教団と、日夜人知れず戦い続ける孤高の戦士。
神原ならちょっとありえそうだ……。
「それより阿良々木先輩、テストのほうはどうだったのだ?
戦場ヶ原先輩との勉強の成果はあったのだろうか」
「ああ、それがさ、勿論答案が返ってくるまでは分からないけれど、
個人的な手応えとしてはかなりいいとこまでいけたと思うんだ。
元々のびしろが有り余ってた教科はまだしも、
得意教科の数学すら今までよりできたって気がしてる」
「ほう、それでこそ我が敬愛する阿良々木先輩だ、
隠しきれない才能は留まるところを知らないな!
私が目指すにふさわしい、まさに有為多望な人物だ!」
有為多望なんて四字熟語がぱっと出てくる神原のがすげえよ。
僕は腕をぐるぐる回しながら、誤魔化すように言葉を繋いだ。
「まあ、でも、さすがに朝早くからこんな時間まで集中しっぱなしだったから、さすがに疲れたな」
「……………」
「神原? おい、どうした、どうして黙ってるんだ?」
「いや……阿良々木先輩は、いつも私を困らせる」
「……はぁ?」
僕、なんか神原の気に触るようなこと言ったか?
「阿良々木先輩は、想像を絶するエロだったのだな!」
「いやちょっと待て、
今の話のどこに僕が尋常じゃなくエロいと結論づけるような根拠があったんだ!?」
神原の中でわけのわからないスイッチが入った!
「いや、その、だな……こういったことを阿良々木先輩の前で言うの非常に心苦しいのだが、
つまり阿良々木先輩はずっとシャープペンシルを持っていたということだろう」
「ああ、まあ……そうだけど」
「もう……もう、そんなのえっちすぎて私は正気でいられないっ!」
「お前の感じるエロチシズムはレベルが高すぎてこれっぽっちも理解できねえよ!
授業中とか大変だろ、そんな性癖!」
もはや変態とか異常性癖とか通り越して、完全に変質者だ。
「安心してほしい、阿良々木先輩。
私がシャープペンシルを持つ手の形をえっちだと感じるのは、阿良々木先輩に対してのみだ」
「なにをどう解釈すれば安心できるんだ……」
むしろ不安が増した。
「まあでも確かに神原ではないけれど、
シャープペンシルのお尻を噛む仕草とかはなんとなく色っぽい感じはするよな」
「お尻を……噛む……?」
「ああ、お前がそこに反応するであろうことは言ってる途中で僕も気付いたよ!
たまには僕の期待を裏切ってくれ!」
「私のお尻でいいなら思う存分に噛み千切ってくれて構わないぞ、阿良々木先輩!」
「噛まねえよ!」
「大丈夫だ、不肖神原、これでも自らの裸体には自信がある」
「くっ……神原、あんまりいたずらに僕の煩悩を刺激するなよ……」
「なぜ煩悩を抑える必要があるのだ。
これは公式に書物として出版されるわけではないから、
普段はできないことや描写できない単語などを口にしても誰にも怒られることはない」
僕は誰かに怒られるのが嫌だから神原に手を出さないわけじゃないってこと、
この後輩分かってくれていないんだろうか。
「例えばだ。普段は言えない次のような台詞も、悠々と言うことができる」
「……なんだよ」
「さあ、阿良々木先輩!私とセック「言わせねえよっ!」
やりたい放題である。
確かに神原のアイデンティティーの一つがエロさであるが故に、
通常業務時には鬱憤が溜まることもあるのだろう。
だが、しかし。
可愛い後輩のファンのために、
僕は神原のキャラクターを出来うる限り守ってみせる!
「原作の時点で私は相当あれだから、今更守るべき恥もなにもないと思うのだが……」
……まったくもってその通りだった。
「それに私は、直接的な表現よりも『行為』という呼び方のほうが好きだっ!」
「聞いてねえよ!」
「さあ、阿良々木先輩。私と行為に及ぼうではないか! 今すぐ!」
「及ばねえって! あとここ、通学路の途中だってこと忘れるなよ」
「ははは、阿良々木先輩は面白いことを言う。
野外でなんの問題があるのだ、気分がむしろ盛り上がるではないか!」
「面白いこと言ってるのは、徹頭徹尾お前だ、神原……」
「いいぞ、もっと私を罵ってくれ! 見下した目で見てくれぇ!」
「……………」
「ほ、放置プレイか? それはそれでたまらないな……はぅんっ!」
「……………」
ド変態で露出狂でドM。
無敵の神原さんだった。
……するがは、無敵だ。
「ところで先ほど、阿良々木先輩は岡崎という名前を口にしたが」
神原は先ほどまでのふざけた空気を一瞬で消し、
真面目な声質にチェンジして言った。
「それはもしや、岡崎朋也という人間か?」
「え、ああ、そうだけど」
突然ではあるが。
神原駿河は、百合である。
彼女は、単に先輩としてではなく、僕の彼女であるところの戦場ヶ原ひたぎのことを、心から愛している。
だから僕と神原は、簡単に言えば恋敵なのだけれど、
しかし先月末、神原の関わった怪異のおかげで僕に対して、
負い目というか恩義を感じてでもしまっているのだろう。
こうしてやたらとなつかれているのである。
そりゃあ、可愛い後輩になつかれるのは、先輩として気分は悪くないのだれけれど、
実は僕は神原に対してしてやれたことなんてほとんどないわけで、
向けられる敬意が誤解の産物であることを考えると少しばかり居心地が悪い。
忍野曰く。
戦場ヶ原と同じく、神原もまた、一人で勝手に助かっただけなのだから。
ともあれそんなやつだから、
神原の口から僕と忍野以外の男の名前を聞くのはなんだか不思議な感じがして、
違和感のある感触の空気を吸い込む。
「神原、知り合いなのか?」
「いや、こちらが一方的に知っているだけだ。
岡崎朋也といえば、この辺りでバスケットボールをやっている中学生の中では、
知らない者などいないくらいの有名人だったからな」
「そうなのか?」
そういえば、岡崎も自分で言っていた。
バスケットボール部のキャプテンで。
スポーツ推薦の話が来るくらいには名前も売れていて。
三年最後の試合の直前に父親と大喧嘩して。
上がらなくなった――右肩。
「年齢は私の一つ年下なのだが、彼は一年生の時から試合に出場していたな。
性差により直接手合わせをすることはついぞ叶わなかったが、
プレーは何度か目にしたことがある。
大きな身体のわりにしなやかな動きをする選手だった」
「へえ。やっぱりすごいやつだったんだな」
「噂によると中学最後の大会になぜか出場せず、
そのままバスケットボールをやめてしまったというが……阿良々木先輩は、どうして彼のことを?」
「さっき言った、新しい友達なんだ、岡崎は。
偶然知り合っただけなんだけれど」
「なるほど……そのようなスター選手とさえ瞬く間に打ち解けるとは、
阿良々木先輩は本当に素晴らしいお方だ。
一生かかっても追い付ける気がしない」
「そんなんじゃねえよ。
友達になるのにスター選手がどうとかなんて関係ないし、
それを言ったら僕からすれば神原のほうがよっぽど近寄り難いスターだ」
なんせ神原駿河は、直江津高校に通う人間なら名前を知らない人など一人もいないような超有名人で、
そのまんまアイドルみたいな扱いをされているのだから。
知り合う前は素性を知らなかった岡崎とは、違う。
「だから、お前とこうして友達になれたことを、僕は心からよかったって思ってるよ」
「阿良々木先輩……」
神原は虚をつかれたような顔をしたあと、ぱあ、と表情を綻ばせ、叫んだ。
「脱げばいいのか!?」
「なんでだよっ!」
意味が分からない!
「阿良々木先輩が私のことをそんなに想っていてくれていたなんて
……私にはそれに応える術は、脱ぐこと以外に存在しない!」
「お前が脱ぎたいだけだろうが!
そういうところがなければお前は完璧なのにな!」
ちょっとは常識を身につけろ。
「……それで」
本当に制服を取り払おうとする神原を、ほとんど抱きつくみたいにして食い止めたあと。
神原は、いつものように平然とした顔で、言った。
「阿良々木先輩、私と帰りたいなどというのは実のところ言い訳だろう。
一体全体どういった用件なのだ?」
神原は。
鋭く、僕が今日、神原を誘った理由を、問うた。
「……ちょっとさ、ついてきてほしいところがあるんだ」
単刀直入に、僕は言う。
「夕飯くらいは奢るからさ。
そのあと、ちょっと付き合ってくれないか」
昨日聞いた、八九寺真宵の話を思い出しながら。
連戦無敗。
百戦錬磨。
百戦百勝。
噂は噂。
話半分。
都市伝説。
道聴塗説。
――『ストバスの幽霊』。
「いや、ちょっと待てよ、八九寺。
確かに話は分かるけどさ、そいつ、
ただの正体不明のバスケットボールが上手いやつってことじゃないのか?
そりゃあ、そんなに強いやつがいきなり現れたら噂にはなるだろうけれど」
「幽霊と呼ばれるには、至らない」
僕の言葉の続きを引き継ぐように、八九寺は言った。
「その通りです、阿良々木さん。
ここまでの話なら、『ストバスの幽霊』はただバスケットボールが尋常じゃなく上手い人ということで終わりです。
それ以上、なにもありえません。
ではそれが1on1だけではなく、2on1、3on1、それどころか――5on1でも無敵だとしたら?」
「……それは」
そんなことは、あり得るのだろうか。
バスケットボールに限らず、球技と呼ばれるスポーツは選手の人数差が開けば開くほどゲームバランスは崩れる。
例えば相手チームより一人多いだけでもパスコースの選択肢が多くなり、
よって攻め方だってその分バリエーションが増す。
それを、只でさえコートの狭いバスケットコートの、
それもフリースタイルが主流のストリートボールで。
5人もの相手に、1人で勝つというのは。
……あり得る話なのだろうか。
「私もそれがどうにも引っかかりまして、
昨日阿良々木さんと別れたあと、
バスケットコートをいろいろ回って見てきたのですが」
そんなことまでしてくれていたのか。
「見つかったのか?」
「ええ。この目でしっかりと見ました……が、言葉で言い表すのは非常に難しいですね」
珍しく、困ったように言い淀む八九寺。
「……八九寺?」
「いえ、これは阿良々木さんがご自分の目で見られたほうが早いと思います。
知能テストが終わったら」
「定期テストだ!」
「……定期テストが終わったら、見てきてはいかがでしょう」
そんな、八九寺らしくもない、曖昧な表現で。
「はっきり言いましょう。私個人の意見なので信憑性には欠けると思いますが、あれはおそらく……」
まっすぐ僕の目を見て、続けた。
「怪異の類の仕業かと」
と思ったら、神原は自分のバッグをがさごそとやり、
一枚のプラスチックケースを取り出して僕に差し出し、本日最高の笑顔を見せる。
「ところで阿良々木先輩、このAVに出てくる男優が阿良々木先輩にそっくりなんだが、どう思う?」
叩き割った。
「な、なんてことをするんだ! いくら阿良々木先輩といえども許さないぞ!」
「うるせえ、お前は学校になんつーもんを持ってきてるんだ!
あとそれを嬉々として僕に見せるな!」
「だって! だって仕方ないではないか!
私は昔から男子のよくやっているアダルトグッズの学校での貸し借りというのをやってみたかったのだ!」
「え、そんなこと男子ってみんなやってんの?」
「…………ああ、阿良々木先輩には友達がいないのだったな……」
ものすごい哀れな生き物を見るような目を向けられた。
「ば、馬鹿、僕だってアダルトグッズを貸し借りしあう友達くらいいるさ!
馬鹿にするな!」
「申し訳ない」
「謝るな!」
くそう、確かにずっと気になってはいたけれど、
休み時間に教室の隅で集まってごそごそやってるやつらはみんな、
アダルトグッズの貸し借りなんかしてたのか……。
泣けてきた。
「しかしまあ、普通に考えて」
長いフライドポテトを結んで作った円に短いポテトを出し入れするというよく分からない動作をしつつ、神原は真面目な声を出す。
……なんであいつあんなににやにやしてるんだろう。
「相手が全員初心者でもない限り、5人を一度に相手にするなんて難しいと思う」
「やっぱりそうだよな。となると、なにかあるんだ」
それを可能にし、更に幽霊と呼ばれる理由にもなったなにかが。
普通の人にはできない。
怪しく異なる、なにかが。
それを見極めるために。
「よし、そろそろ時間もいいだろうし、行ってみようぜ」
「ああ、承知した!」
残ったポテトを豪快に口の中に流し込んだ神原と共に、
僕はストリートバスケットコートを目指して店を出た。
「すごい盛り上がりだな、阿良々木先輩!」
神原が叫ぶ。
ギャラリーの人混みの音や歓声で、叫ばないと話ができないのだ。
田舎生まれの僕には少し刺激が強い体験。
「ああ!」
答える。
「ここからじゃよく見えない! 神原、一番前に行こう!」
「了解した!」
僕らが人垣を掻き分けてなんとか一番前に出たとき、ちょうど前の試合が終わったところのようで、
しょぼい電灯に照らされたコートには、
丸太みたいな腕を惜しげもなく晒すタンクトップのチャレンジャーが膝をつき――その前に、退屈そうにバスケットボールを弄ぶ『幽霊』が、いた。
細身の身体に、夏前だっていうのに長袖の上着を着て、
フードにすっぽりと覆われているせいで顔はあまり見えない。
「なあ、阿良々木先輩。あれって……」
「……………」
嫌な予感が、していた。
嘘だ、と思う。
耳鳴りがひどい。ぐらりと平衡感覚をなくした一瞬。
「次の挑戦者はいないのか!」
ギャラリーの中から、誰かが叫んだ。
しかし先ほどまでの試合を見ていて怖じ気づいたのか、誰も動く様子はない。
僕と神原は一度も試合を見ていないから、
これでは『ストバスの幽霊』の正体を見極める材料を得られないのだけれど。
どうする。
ほとんど麻痺している頭でそんなことを考えていると。
「……阿良々木先輩」
神原が、言った。
「公式の試合ではなく、ストリートバスケットボールなら、この腕でも大丈夫だろうか?」
真っ白い包帯をぐるぐるに巻いた左腕を、感触を確かめるように、握った。
その横顔を見る。
ぞくりとする、笑顔だった。
長く、長く望んだ待ち人が現れたかのような。
獲物を狩る獣の――猿の笑顔。
「いや、待て、神原……」
「大丈夫だ、阿良々木先輩。
どうせこの薄暗さ、私の特異性なんて気付かれない」
ぐっと、一歩目を踏み出す。
「それに、中学生の頃から、一度でいいから戦ってみたかったのだ。
だからすまない、阿良々木先輩!」
神原は軽いステップでスポットライトのような電灯の下に踊り出すと、
『幽霊』と向き合う。
「次の相手は私だ。お相手願えるだろうか」
猿の笑顔。
対するは、ちらりとほんの一瞬露出した――狼の瞳。
「やめろ、神原っ!!」
僕の叫びに、しかし反応したのは周りのギャラリーだった。
「神原? 神原って、あの神原か?」
「神原駿河? 怪我で引退したって聞いたけど」
「腕に包帯まいてるし、そうなんだろ」
「神原って誰?」
「ほら、直江津高校の――」
神原は……弱小女子バスケットボール部を全国大会まで導いた伝説の人物神原駿河の名前は、
こんなバスケットボール好きたちの集まる場では起爆剤にしかならない。
沸き上がる歓声。
その中で。
ボールを受けた神原が、弾けるように駆けた。
神原は、決して背が高いわけではない。
体格も小柄で、どちらかといえば痩せているほうだ。
だが、神原駿河は――跳ぶ。
腰を落としてディフェンスの体制をとった『幽霊』を、
しかし神原は、そんなものは知らないとばかりに一息で――飛び越えた。
沸き上がるギャラリー。
神原は、まるで彼女だけが無重力下にいるかのような、
ふうわりとした軽やかな跳躍で『幽霊』の頭を軽々と飛び越し、
かの有名なバスケ漫画を彷彿とさせる勢いで、ダンクシュートを決める。
電光石火のようだった。
それが、『人間越え』という名前のれっきとしたバスケットボールの技術であることを、
僕は後になって知ることになるのだが、とにかくそのときは、
ただあまりにも鮮やかな手口に見とれていた。
「まずは2点。さあ、次はあなたのオフェンスだ」
ボールよりも遅れて着地した神原は、『幽霊』にボールを渡すと腰を沈める。
ハーフコートのストリートボールでは、
このようにシュートが決まったりオフェンス側がスティールされると攻守を交代するルールのようだ。
ぼすぼす、と小気味のいい音がする。
『幽霊』は感触を確かめるように何度かドリブルをして。
手慣れた動作。
経験者特有の、それ。
素早い動きでボールを奪いに来た神原をおちょくるようにコートの中を走り回る。
しかし神原も神原で、それにぴったりくっつきゴール下に入れさせない。
そんな、一つひとつの動作にどれほどの技術が詰め込まれているのか想像もつかない応酬が一区切り終わり、
二人が再び距離をとる。
間髪を入れずに駆け寄る神原。
その、一瞬。
『幽霊』が――笑った。
彼は立ち向かってくる神原の右側をドリブルで抜けようと身体を進ませて――その反対方向に、パスを出していた。
「なっ……」
神原の体が止まる。
それはまさに、妖異幻怪と呼ぶにふさわしい光景だった。
誰もいない場所に放たれ、
まともに1on1をやろうとかそういった意思すら垣間見ることさえ皆無な皆目検討もつかない方向へとすっ飛び、
ぼすん、と鈍重な音を立てて行き場を失い落ちるはずだったボールは、しかし、
神原の左斜め後ろ付近の空中で一瞬静止し――Vの時を描くように動き出し、
右から神原を抜いていた『幽霊』の手に収まる。
動けない神原を嘲笑うかのように彼は3ポイントラインから、
恐ろしいほど綺麗なフォームでボールを放ち、ゴールネットを揺らした。
「神原……」
声を漏らす。
これが――『ストバスの幽霊』。
怪しく異なる、怪異。
「神原っ!」
コートで項垂れる神原に駆け寄ると、彼女は困ったように笑った。
「阿良々木先輩の前で、恥ずかしい姿を見せてしまったな。残念ながら私の負けだ」
「いや、それはいいんだけれど……大丈夫か?」
「うむ、なにも問題はない。
左腕も……私が負けたことに対しては、文句がないようだ」
神原の左腕。
レイニー・デヴィル。
それにかけられた一つ目の願いは、もう期限が切れているのか、
あるいは今回の件をカウントには入れないと決定をくだしたらしい。
そのことを忘れて未知の相手に戦いを挑んだことは怒ってやりたかったが、
それよりもとりあえず茫然自失といった様子の神原が心配だ。
「本当に大丈夫か?
なにか好きな言葉を言ってみろ」
「ド素人!」
「なにかエロいことを言ってみろ」
「先生はトイレじゃありません!」
「政府へ文句を言ってみろ」
「児ポ法改正断固反対!」
「好きなゲームは」
「もじぴったん!」
「好きなおっぱい」
「つるぺったん!」
「よし」
大丈夫そうだった。
と、その時。
「阿良々木……」
僕の名前を呼ぶ、ざらざらとした声が背中に投げつけられた。
体が固まる。
ギャラリーであってくれ、と願った。
たまたまギャラリーにいて、僕を見かけたから追いかけてきたのだと。
意を決して、振り返る。
瞬間。
前に一度感じたことのある、
喉を刃物で切り裂かれたと錯覚を引き起こすぐらいの、
頭の芯まで塩の塊を詰め込まれたみたいな、
鈍重で悪寒だらけの嫌悪感が、あった。
頭から冷水をかけられたような、ぞっとするほど奇妙な感覚。
全身の毛が逆立つ。
耳鳴りが渦を巻いて、五感があるべき方法を見失い、
遭難した視覚味覚聴覚嗅覚触覚を手繰り寄せようと呼吸をして。
そんな、ざわざわとした手触りの空気の中――ぎらついた、貫くような彼の双眼が、
僕を、真っ直ぐ、射抜いていた。
鈍く光る、切れ長の、ナイフのような。
ぎらぎらと紅く輝く。
灼けた狼の、瞳。
「………岡崎」
『ストバスの幽霊』こと、右肩が上がらないはずの岡崎朋也が、そこには立っていた。
010
「送り狼」
僕の話をすべて聞き終えた忍野は、
例によって例のごとく人を見透かしたようなぺらぺらに薄い笑顔を浮かべ、
一瞬たりとも迷うこともなく「うん、成る程ね」と頷き、
わざとらしく一度天井を見上げてから、
火のついていない煙草の合間から吐き出すように言った。
「それはほぼ間違いなく、送り狼の仕業だろうね、阿良々木くん。
送り狼。送り犬。あるいはもっと単純に、山犬とか狼って言われることもあるけれど――」
「狼、か」
「そう、狼」
忍野は繰り返す。
「狼だよ」
狼。
ネコ目イヌ科イヌ属に属する哺乳動物。
鋭い牙、立った耳に太い尻尾を持つ中形の肉食獣で、その大きさは現生のイヌ科では最大を誇る。
「送り狼って言うとさ、ほら、現代ではもっと違うニュアンスで使われることが多いけれどね。
知ってるかい? 女の人を家まで送り届けるついでに肉体関係まで持ち込んでしまう、
ちょうど阿良々木くんみたいな悪い男のことだよ」
「おい、話を作るな。僕はそんなことしてねえぞ」
僕が言うと、忍野は本当に驚いたみたいな顔をしてみせた。
「そうなのかい?
今回はまあ、ともかくとして、阿良々木くんはいっつも違う女の子を連れてくるから、
てっきりそういう方法で手っ取り早く手なづけてるのかと思ってたよ」
「忍野、お前な、いい加減にしろよ」
「そう怒るなよ、阿良々木くん」
はっはー、と笑い。
「まったく阿良々木くんは元気がいいなぁ。なにかいいことでもあったのかい?」
そんな、お決まりの台詞を吐いた。
学習塾跡の廃ビル。
その四階。
バスケットコートでの一件があったその夜のうちに、神原は先に家に返し、僕は忍野と向かい合っていた。
忍野。
忍野メメ。
怪異関係のエキスパート。
専門家、オーソリティ。
趣味の悪いアロハの小汚ないおっさん。
居住地を持たず、旅から旅の根無し草。
大人として尊敬のできる相手では決してないが、それでも、僕らがこいつの世話になったことは、揺るぎない事実である。
猫に魅せられた羽川翼も。
蟹に行き遭った戦場ヶ原ひたぎも。
蝸牛に迷った八九寺真宵も。
猿に願った神原駿河も。
みんな、少なからず忍野から力添えをもらった。
軽薄な性格で、間違っても善意の人間ではない。気まぐれの権化。
忍野は、かつてはここで子供達が勉学に励んでいたのであろう机を、
ビニール紐で縛り合わせて作った簡易ベッドの上に胡座をかいていた。
「そもそもさ、阿良々木くん。
狼に関する伝承ってのは世界各地いたるところに残っているんだ。
強い動物、怖い生き物ってのはそれだけで神格化されやすいからね。
スラヴ地域では戦士が狼の皮で作ったベルトを身につけると狼の力を得るっていうし、
古代ローマやヨーロッパじゃあ穀物や豊穣の神様として狼神が奉られているのは有名な話で、
中国じゃあシリウス星のことを天狼星って呼んでたらしいよ。
全部、阿良々木くんには難しい話かもしれないけれど。
ああ、それにそれどころかモンゴルとかトルコ系の民族では、
自分たちの始祖は狼だなんて信仰まであったりするんだぜ」
僕も、狼に関するそれらの話は、聞いたことがないわけではなかった。
狼信仰と言われてもぴんとくる具体名こそないにしても、
しかし神格化された狼といえばむしろ耳に慣れた感じさえする。
「第一、狼って全体的に格好良いしね。
そりゃあ信仰するなら、僕だって狼がいいよ」
忍野は茶化すようにそんなことを言って、なにがツボに入ったのか「はっはー」と笑う。
意地の悪そうな笑顔に、本当に気分が滅入った。
「忍野。それで送り狼ってのは、どんな怪異なんだよ」
「そう急かすなよ、せっかく一から説明してるんだからさ。
まったく相変わらず阿良々木くんは元気がいいなぁ。なにかいいことでもあったのかい?」
本日二回目である。
通例のやりとりは羽川とのそれで充分だ、
こんな廃墟でおっさんと何度も繰り返したって楽しい気分になんかならない。
「ま、狼信仰ってのは阿良々木くんにはぴんとこないかもしれないから説明しとくと、
ほら、神話の中にもさ、狼を象った神様ってのは多く現れるだろ?
北欧、ゲルマン神話に出てくる太陽と月を飲み込む狼、
スコールとハティは……阿良々木くんが知らないのも無理はないね。
ああ、いいんだよ、阿良々木くんのそういう鈍いところっていうか、
早い話不勉強なところには、僕はもう慣れることに決めたってのは前に言ったっけね」
「僕もお前の僕を馬鹿にしたがることには慣れることにしたよ。
いちいち腹を立てていたら話が進まないからな」
「へえ、言うようになったじゃないか。まあいいや、えーっと何の話だったかな。
ああ、神話の話だったね。
そうだな、いくら阿良々木くんだって、フェンリルって名前くらいは聞いたことあるんじゃない?」
「……ロキ神の子供の大狼、だっけ」
僕を小馬鹿にするようなワードを挟んでくるのは、慣れることにしたとはいえ相変わらずやっぱり気になる。
……頑張って我慢した。
「そ、口を開けば上顎が天にも届くってやつだね。
阿良々木くん、よく知ってるじゃないか」
皮肉っぽく笑うと、忍野はくわえていた煙草をくるくると指で回す。
「まあ、海外に限らず日本の狼信仰だって相当なものだよ。
だいたい狼なんて、名前からして出来すぎだと思わないかい?」
「名前? 狼って名前が、どうかしたのか?」
「鈍いなー、阿良々木くん」
ちっちっち、と指に挟んだ煙草を揺らす忍野。
思う存分に僕を馬鹿にできるのが楽しいのだろう。
「狼ってのはつまるところ、オオカミ……大神だよ。
大きな神と書いて、大神。
過去の文献なんかじゃ狼を『大神』と書してるものなんて、そりゃもう掃いて捨てるほどあるしね。
あとはあれだよ、もののけ姫でも狼は神様かなんかとして登場するだろ?」
「最後のはできれば言わないほうがよかったな」
ここぞというときに格好つけきれないやつである。
そもそももののけ姫のあれは山犬で、神様でもなんでもなかった気がする。
「……そういうわけでさ、狼の怪異ってのも当然、数多く存在するわけだ。
民間伝承の数だけ怪異ってのは存在の可能性を許されるからね」
怪異とは。
人間がそこにいると思うから存在し、信じなければ存在しない。
どこにでもいるし、どこにもいない存在。
二律背反。
矛盾、パラドックス。
怪しくて、異なる。
「狼の怪異として分かりやすいのは、そうだな。
ワーウルフとかライカンスロープ、フランスではルー・ガルーって言ったかな……
まあいわゆる、狼男とか人狼のことだね。
他にも挙げだしたらキリがないけれど――その中の、送り狼。
日本の狼の怪異としちゃあ、かなりメジャーだよ」
ようやく本題に入ったと身構える。
送り狼。
狼の怪異。
……岡崎朋也。
「送り狼の伝承は、阿良々木くん、ちょっとくらいは知ってるかい?」
「まあ、本当に少しなら。森を歩いてたら狼があとをついてきたってやつだろ?」
「はっはー、今日の阿良々木くんは冴えてるね。
その通り、送り狼ってのは東北地方から九州まであらゆる場所に残っている言い伝えでね、
おかげで地域によって細部に差はあるけれど、まあだいたい大筋で共通してるのはこんなんだね」
再び煙草をくわえ、くいっと唇を歪めると。
「夜に山道を歩いていると、後ろから狼がぴったりくっついてくる。
途中で転ぶと途端に襲いかかってきて食い千切られるから、
転びそうになったら休憩するふりをして『どっこいしょ』とか『しんどいわ』とか言うと大丈夫で、
そして目的地までついたら『お見送りありがとう』とちゃんとお礼を言うと、
狼は帰ってくれるって話だよ。
狼があとをつけてくる理由には諸説あって、まあ、餌としての人間が転ぶのを待ってるってのもあるけれど、
怪異としての送り狼の特性を考えるともう一つの、
他の野犬たちから守ってくれているっていうほうが大切かな。
そうじゃないと最後にお礼を言うってところと噛み合わないしね」
「ちょっと待て、忍野。
怪異としての送り狼の特性? 伝承と怪異とで違いがあるのか?」
「いいところに食い付くね、阿良々木くん。今日のきみは本当に冴えてるよ」
普段僕のことを馬鹿にしきっている人間からやけに誉められると、
むしろ気味が悪くていい気がしない。
不安だ。
明日辺り、こいつに殺されるんじゃないだろうか。
「送り狼は、今までの伝承そのまんまの怪異とは違って、怪異としての属性を持っている。
その通りだ。
怪異としての送り狼は、タイプとしては――レイニー・デヴィルに非常に近い」
レイニー・デヴィル
猿の手。
雨合羽の悪魔の怪異には、つい先月、言葉通りの意味で散々痛めつけられたところである。
いくら吸血鬼の力で回復するからといって、それはそれは痛い思いをしたのだ。
「………レイニー・デヴィルか」
冷や汗が頬を伝うのを感じる。
今回もあんな痛い思いをするのは、できることなら遠慮願いたかった。
「そう怯えるなよ、阿良々木くん。僕の言いたいのはそういう、痛い意味でじゃない。
送り狼はね、大義としてはレイニーデヴィルと同じ――つまり憑いた宿主の願いを叶える怪異だ」
「願いを、叶える……」
神原のとき、忍野が言った言葉を思い出す。
レイニー・デヴィルは三つだけ願いを叶える。
その魂と、引き替えに。
「いや、願いを叶えるっていう言い方はちょっとよくないかもな。
正確には、願いの成就まで導くんだ。
その間、送り狼は宿主に、その願いの成就のために必要な特別な力を授けるらしい。
今回の場合、上がらないはずの右肩が夜のうちは上がるようになるのとか、あとは例の幽霊パスってやつがそれに該当するんだろうね。
そして送り狼は宿主が願いを叶えるまで、ぴったりとあとをついてくるって寸法だ。
その、なんとかっていうバスケくんは、最近誰かにあとをつけられてるって言ったんだろ?
ならそれはもう、送り狼で決まりじゃないか」
「いや、だからちょっと待てよ、忍野。
岡崎は、あとをついてきてるのは、工業高校生だって言ってたんだぜ?」
「工業高校生かもしれない、だ。
それを言うならね、阿良々木くん。
きみがその話を聞いたのは、きみたちが工業高校生に追いかけられてから2日後だろう?
だとしたらバスケくんがなにかにあとをつけられたのは少なくとも2日前から。
常識的に考えて、それなのに、『最近』なんて言い方をするかな」
「……………」
言葉もない。
単語の一つも、繋げない。
「ともあれ、送り狼だ。
勿論、送り狼は、宿主の願いの成就の手助けを無償でしてくれるわけじゃない。
そんな生易しい怪異じゃない。
そんな怪異はあり得ない。
伝承のほうの送り狼で、転んだら食べられるってやつと同じさ。
願いの成就の途中で宿主が一つでも失敗するか、あるいは願いが無事に成就されたら――がぶり、だ。
宿主は代償に、なにかを大切なものを奪われる。
おそらく今回の場合は、右肩がそっくりそのままなくなるか、
あるいはぴくりとも動かなくなるってとこだろうね。
……ま、レイニー・デヴィルなんかに比べれば、むしろ親切すぎるくらいだ」
「待てよ、途中で一つでも失敗するか、願いが無事に成就されたらって、
それじゃ、送り狼に憑かれたら必ずなにかは奪われるしかないってことじゃないか」
「そうだね。だから伝承のほうを思い出しなよ、阿良々木くん。
送り狼は本質こそレイニー・デヴィルだけれど、祓い方はどちらかといえば重いし蟹に近いよ」
重いし蟹――戦場ヶ原のときと?
送り狼の伝承。
送り狼は、目的地までついたら
『お見送りありがとう』
とちゃんとお礼を言うと、狼は帰ってくれる。
「……お礼か」
「そう。送り狼の正しい祓い方は、願いをきっちり成就してからお礼を言うこと。簡単だろう?」
確かに、レイニー・デヴィルよりはよっぽど簡単だ。
奪われるものも決して魂なんかじゃないし、むしろあれだけ強力なやり方で願いの成就を後押ししてくれている。
「だからさ」
忍野は。
怪異の専門家は、本当に意地悪な笑みを浮かべて言った。
「だから、今回のことは、放っておけばいいんじゃない?」
「………は?」
僕の間抜けな声に。
壮絶な笑みを、忍野は隠さない。
「だってほら、今回の場合、例のバスケくんはなにも困っていないどころかむしろ楽しんでる。
しかもただバスケットボールが強くなったってだけで、誰かに危害を加えるわけじゃないしね。
放っておけば勝手に願いは成就されて、ま、右腕は残念だけど諦めてもらうってことで。
わざわざ阿良々木くんが手を出すまでもないよ」
なんでそんなことを言うのか、理解できなかった。
怪異関係のエキスパート。
専門家、オーソリティ。
そんな忍野が、怪異を見逃せと。
「どうして……」
「うん? それは、どうして僕が放っておけと言うかって意味かい?
そんなの決まっているじゃないか、僕はあっちとこっちの橋渡し役であって、何でも屋じゃない。
あくまでバランスを保つものであり――怪異に甘えている人間を進んで助けるほど、酔狂じゃないよ」
その笑みは、春休みに一度だけ、見たことがある。
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの心臓を僕に見せたときと同じ種類の笑顔。
「それにさ、ツンデレちゃんとときと違ってバスケくんに怪異を祓う気がない以上、
送り狼みたいなタイプの怪異を祓うのは難しいよ。
だって宿主の願いってのがなんなのかそもそも分からないから、
それを成就させる後押しもしようがない」
そこまで言いきったあとで。
そんなにきっぱりと岡崎を見捨てると言い放ったあとで。
「それでも」
忍野は。
「それでも阿良々木くんが協力してほしいって言うんなら、
バスケくんにじゃなくて――きみに手を貸すのは、僕としてはやぶさかじゃあないけれど」
そんなことを、言いやがるのだった。
……どうする。
確かに忍野の言うことは、一理も二理もある。
現状で送り狼を祓うのは確実に困難だし、岡崎が楽しんでいるのなら手の打ちようだってない。
だったら、見逃すのか。
なにかできるかもしれない可能性を、見なかったことにして。
……本当に? 岡崎は、本当に楽しんでいるのか。
……いや。
『この町は嫌いだ――忘れたい思い出が、染み付いた場所だから』
岡崎は確かに。
悲鳴を、上げていた。
「……忍野」
「ん?」
僕の言葉に、忍野は片目を閉じて応える。
「夜中にいきなり押し掛けて、
これだけ散々解説をしてもらっておいてなんなんだけど――今回は、忍野の助けはいらない」
「へえ、なんでまた」
「だってさ、お前に頼むとなると、お前が怪異の専門家である以上タダってわけにはいかないし、
祓ったあとに岡崎に料金を請求したら詐欺みたいだしさ、
だからといって僕が払う余裕もないし」
それに、なにより。
「岡崎の願いは、僕、分かるから」
僕なら、分かる。
「それは、阿良々木くんが自分で彼の怪異を祓うと、つまりそういとことかい?」
「いや、怪異を祓うとか、そんなレベルの話じゃなくてさ」
知り合ってからまだ数日だけれど、
岡崎と僕は何度か一緒にバスケをして、馬鹿をやって、言葉を交わした。
そんな岡崎が今、なにか大切なものを失いかけていて。
だけどそれでも誰かに頼ろうとしなくて。
僕は、岡崎の意思を無視してそれを勝手に助けようというのなら。
「それはもうただの――友達同士の喧嘩だろう」
そう、だから今回、これ以上忍野は頼らない。
正直に言えば、協力してくれると言っている忍野を跳ね除けてまで我を貫き通すような不撓不屈の精神なんて、僕は持っていない。
いない、けれど。
「それでもこれは――僕の喧嘩だから」
011
僕は岡崎との喧嘩の準備のために、
ひとまず帰って睡眠をとってから神原の家に出向いて助言を求め、
それを元にして会場をセッティングし終えた頃には、
岡崎と出会ってから6日目の夕方になっていた。
テスト休みで授業がなかったのは、行幸だ。
特定の授業では、出席日数が危なくなる可能性も出てくるから下手に学校をサボれないのである。
「それで、なんとかならないか?」
「ふむ……いや、あるいは準備さえしっかりすれば、阿良々木先輩なら可能かもしれない」
「本当か? 火中の栗を拾いにいく覚悟くらいあるから、どんな無理難題でも言ってみてくれよ」
「そんな特別なことはしない。
しかしこれなら勝てる――いや、勝たせてみせる」
力強い台詞。
味方につけておいて、これ以上頼もしい人材は他にないだろう。
「そうと決まれば、確か必要なものは蔵にあったはずだから、持っていってくれ。
作戦は道中で説明しよう」
蔵とかあるのか、神原家。
すげえ……。
「あ、それとさ」
颯爽と歩き出した神原の背中に呼びかける。
「今回の話、戦場ヶ原には内緒にしといてくれないかな。
岡崎とのことは、怪異のことも含めて全部、僕個人のただの喧嘩だから」
「……戦場ヶ原先輩に隠し事をするのは心苦しいが」
神原は一度立ち止まって振り返ると、ほんの少し目を伏せて。
「しかし、阿良々木先輩の頼みというのならば仕方ない。了解した」
「悪いな。今度また、飯でも奢るよ」
「そんなことよりむしろお礼として、私を罵ってくれ!」
「嫌だよ……」
相変わらずだった。
忍。
忍野忍。
吸血鬼。
――の、搾り粕。
吸血鬼。
――の、虚しい残骸。
僕は。
僕は、一生――吸血鬼。
吸血鬼もどきの人間。
人間もどきの吸血鬼。
人間では――ない。
「……あいつは、忍野忍だよ。ただの吸血鬼の成れの果て。僕にはそれ以外の考え方はできない。
ところで忍野、昨日から忍の姿が見えないけれど、今、どこにいるんだ?」
「さあ? 昨日は夜寝るの早かったし、今頃この廃墟のどこかを探険でもしてるんじゃないのかな」
「………………」
吸血鬼が、夜早くに寝るのかよ。
最高に虚しかった。
「でもさ、阿良々木くん。
幽霊の噂を『知らない』で通していたバスケくんが、自分の正体を知られてしまった今、
もう一度きみに会おうと思うかな」
と、忍野は相変わらず口の端をつり上げた笑みでそんなことを言った。
確かに疑問には思うだろうけれど、僕には忍野がこんな時間に起きていることのほうがよっぽど疑問だ。
「それについては心配いらないよ、忍野」
だから僕は、最終的に切札となりうるそれを思い浮かべつつ答える。
……僕と岡崎の、か細くて切ない繋がりは、まだ切れていない。
僕が野次馬根性丸出しで見に行こうか悩んでいると。
「……阿良々木」
ざらざらして渇いた声。
ワイシャツ姿の、岡崎がいた。
「よう」
短く答える。
「あんなところを見られたんだから、もう会えないと思ってた」
相変わらずの仏頂面。
「おまえ、変なやつな」
そんな岡崎の評価も、聞き流す。
僕が知らなくてはいけないのは。
「岡崎。あの力は――夜にしか、使えないんだな?」
岡崎は、一瞬面食らったようにたじろいで。
「……ああ」
頷いた。
「だったら話は早いんだ。今晩、この場所に来てほしい」
僕は岡崎に、小さい紙切れを渡す。
そこにはあの学習塾跡地の住所が書いてあり、あの紙は忍野からもらったものだった。
あの紙を持っていると、
忍野が張った結界により普通には辿り着くことができないあの場所に近寄ることができるらしい。
あれだけ格好をつけたのに、なんだかんだでやっぱり忍野の世話になりっぱなしだ。
「今晩って……夜にか」
「そうだ」
「……あれを見られたあとに、行くと思うか?」
岡崎の言葉。その疑問は、もっともだけれど。
「お前は来るよ、岡崎」
だってこっちには、切札が、ある。
だってこの話は、あそこから始まっているのだから。なんのためにもならない、『もし』の話。
もし、仮に、僕があのときそれを回収しなければ終わるはずだった。
僕と岡崎は――たった1日限りの友達で、済むはずだった。
誰も、なにも失わないで、済むはずだった。
だけれどそんなのは本当に――本当に、誰も救わない、仮定の話だから。
僕たちを繋いでいた、たった一つの、か細くて、切ない糸。
「お前が工業高校生たちに持っていかれたと思っている岡崎のブレザーはさ、実は、僕が持ってるんだ」
だから岡崎は、来ざるをえない。
その一瞬、岡崎の顔に浮かんだその表情を、果たしてなんと形容すればいいだろうか。
ちょっとだけひねくれた笑み。
挑戦的な目元。
狼の瞳。
灼けた狼の――瞳。
「いいぜ、阿良々木。行ってやるよ」
だから僕は、その言葉を口にした。
宣戦布告。
敵対宣言。
生まれる亀裂。
喧嘩の始まり。
決定的な――一言。
「岡崎、もう一度僕とバスケをしよう」
012
ストリートバスケットボール、いわゆるストリートボールと呼ばれるスポーツを、
実のところ僕はよく知らない。
町中で行うバスケットボールのことである。
海外では割とメジャーな遊びである。
ストリートボール専用の大会がある。
フリースタイルと呼ばれる、型に囚われないプレーが見られる。
その程度の知識しかない僕は、だからこれを果たしてストリートボールと呼んでもいいものなのか甚だ疑問ではあるのだけれど、
しかし僕の準備したバスケットコートは、それでもはっきりと分かるくらいに確実に異例なものだった。
「……こんなところでやんのか」
夜、僕の呼びかけ通りに学習塾跡地の廃墟にやってきた岡崎は、
約束の品である光坂高校のブレザーを受け取りながらそう呟いた。
「ああ。ここが僕たちが試合をするコートだ」
そこは、学習塾跡地の廊下の一階だった。
薄く入る月明かりに照らされたそこには、僕が神原の家から持ってきたボロボロのバスケットゴールが一つ、
廊下の突き当たりの壁にかかっている。
ちょうど天井が突き抜けてしまっている場所を選んだので、高さ的にも問題ない。
「ルールは?」
「岡崎がいつも夜にやってたストリートボールと同じでいいよ。
ゴールはあの一つだけのハーフコート、
シュートか決まるがスティールされてディフェンスがそこのハーフラインまで下がったら攻守交代。
点数は通常2点で、ほら、ここの3ポイントラインからのシュートが入れば3点だ。
先に18点とったほうの勝ち。あ、ただし――壁は床とは見なさないことにしよう」
「あ、そ」
岡崎は頷くと、転がっていたバスケットボールの空気の入りを確かめるみたいにして何度かバウンドさせる。
それも神原からもらってきたもので、昼間、僕が作業しているときに散々忍野が遊んでいた。
「阿良々木、どっちが先にオフェンスだ?」
「ここは僕のホームグラウンドみたいなものだからな。譲ってやるよ、岡崎」
「……………」
睨みつける眼光が、鋭くなった。
「おまえ、かなり余裕綽々な。勝てると思ってんのか?」
「勝てると思ってなくちゃ、こんな勝負挑まない」
「……あ、そ」
岡崎は、呆れたようにため息をつくと。
腰を落とす。
「いくぞ」
「ああ」
ぼすぼすというバウンド音。
手慣れた動作。
経験者特有の、それ。
「ゲーム――…」
「…――スタート!」
低い位置でドリブルをしながら突っ込んでくる岡崎を、僕は腰を落として迎え撃つ。
正直にいえば、上手くいくかはかなり不安だった。
相手はあの岡崎だ。右肩が動かない状態で、三倍の差をつけられた。
普通に考えれば、勝てるわけがない。
だけど、神原の言葉を思い出す。神原は言ったのだ。
「勝てる」じゃなくて、「勝たせる」と。
それなら負ける理由なんか――ない。
あの廃墟は、廃墟が廃墟たる理由の一つをきちんとまっとうしていて、
だから勿論電気なんて通っていない。
すなわち、中に入ってしまえば夜はほとんど真っ暗だ。
レイニー・デヴィルのときは、つまり僕が神原を初めてあの廃墟に連れて行ったときは、
あの超人スペックの身体能力を持つ神原さえもが、僕のベルトを掴んで歩いていたくらいには。
それくらいには、濃くて深い、粘りけのある闇に沈み込む。
「しかし本当に真っ暗では、そもそもゲームが成り立たないから意味がない。
だから月明かりに照らされてある程度光量のある廊下を選ぶのだ。
そうすれば、少なくとも目が慣れるまでは岡崎朋也の動きは著しく鈍るだろう」
暗闇でも通常通り目が見える阿良々木先輩でも、
ギリギリついていくことができるくらいには、と神原は付け足した。
それは、既に何度か岡崎とバスケットボールをしている僕には分かりきったことだった。
走力では引けをとらなくても、フェイントをかけられたら一発。
右肩の上がらない状態でさえそれなのだ、神原と岡崎の試合のような壮絶なドリブルの応酬なんか目の前で見せられたら、
なにもできないだろう。
「そこで活きてくるのが、廊下というくくりなのだ、阿良々木先輩。
これは3つ目の理由にも共通するのだが、横幅の狭い廊下なら少なくとも岡崎朋也の動きは思うように展開しない。
それでも埋めがたい技術の差、細かいフェイントで抜かれることはあるだろうが……」
「圧倒的に突き放されることは、ない」
凄まじい速度で突っ込んでくる岡崎から、腰を落として突破口を消す。
下がる岡崎と、緊張を解く僕。
そんなやりとりが、何度続いたことだろう。
すでに岡崎の息は切れ始めていた。
「……阿良々木」
瞬間。
ぞくりと、背筋が凍った。
来る、と直感する。
狼の瞳で、岡崎は――笑った。
「いくぜ」
その言葉を聞いたときには岡崎は目の前にいて。
僕の左側を抜けようとする身体。
その反対側、本来なら誰もいないはずの場所に――岡崎は、パスを出した。
誰もいない場所に放たれ、
まともに1on1をやろうとかそういった意思すら垣間見ることさえ皆無な皆目検討もつかない方向へとすっ飛び、
空中で一瞬静止し――Vの時を描くように動き出すはずだったボールは、
しかし。
僕は自分でも笑いたくなるくらいへたくそなドリブルでハーフラインまで戻り攻守を逆転させると、
呆然としている岡崎をあっさりと抜き去る。
慌てた岡崎が僕を追いかけようとするが、
しかし何度かの対戦で僕のシュートセンスのなさを知っているためか、
真剣に追ってくることはなかった。
だから僕はボールを両手で掴むと、3歩で踏み切り、跳躍した。
3ポイントラインから――壁に向かって。
伸ばした足がコンクリートの壁を捉える。
ぐっと下半身に力を入れて、足の裏でほとんど抉るみたいな勢いでもう一歩、更に二歩目、そして両足で、壁を蹴り。
それは、僕のような身長の人間が真っ当にバスケットボールをやっていたら、
おそらく一生、目にすることのないであろう光景だった。
リングが――自らの目線より、下にある。
「――おおおッ!!!」
僕はそのまま、手に持ったボールを――リングに、叩き込んだ。
「ある。ダンクシュートだ。
ダンクシュートなら、投げ入れるわけではなくて、
目の前のリングにボールを入れるだけだから誰だって入れられる」
ダンクシュート。
ボールから手を離さずにリングに入れるシュート。
神原駿河の得意技。
「いや、理論上はそうなんだろうけれど、でも不可能だろ。
僕は神原みたいなジャンプ力はないし」
あんなもの、尋常じゃない身長か、あるいは超人的なバネでもない限り、素人の更に日本人には普通、無理だ。
そして残念ながら僕は、そのどちらも持ち合わせていない。
しかし神原、自信に満ちた表情で笑った。
「阿良々木先輩ならできる。
いや、阿良々木先輩にしかできない方法があるんだ」
ハーフラインまで下がった岡崎の身体が、力を溜め込むようにぐいっ沈んだ。
慌てて身構える僕との距離を一息で詰めた岡崎は、
さすがとしか言えないボール捌きとフェイントで僕を撹乱しつつ抜き去るタイミングを測る。
「ちっ……」
その合間に、舌打ちが聞こえた。
抜けないのだ。あの岡崎が、僕を。
いかに岡崎の技術でも、壁に囲まれたこのコートでは。
手応えを感じる。
随分卑怯な真似をしているが、それでも、いや、そうして初めて――岡崎と、やり合えている。
と思ったのも束の間、岡崎はボールを自らの後方に無造作に放ると、
それにつられて前に踏み出した僕の横を走り去る。
「しまっ……」
バスケットボールは。
僕の前方で動きを止め、高い弧を描くループパスとなって僕の頭上を通り越し。
「よしっ」
岡崎の手に収まっていた。
「くそっ!」
横だけじゃなくて、縦もアリなのかよ、あの無人パス!チートすぎる!
慌てて追いかけるものの、既にゴール前に走り込んでいた岡崎には追い付けない。
そのまま岡崎はゴール右側から飛び上がり、
送り狼の力により回復した右腕でレイアップシュートを――…
「忍野が……隠してる?」
「うむ。だがこれは本当に100%完全完璧に一切全て私の推論で、
忍野さんの語ったことがすべてである可能性のほうがよっぽど高い。
なんせ私は専門家でもなんでもない、ただの一般人だ。信用するなら忍野さんのほうだろう。
だからこれは、話半分に聞いてくれると、私としては非常に助かるのだが……」
「ああ、いいよ。
元々、無理言って助言を求めてるのはこっちなんだし、好きに言っちゃってくれ」
「……うむ」
それでも神原はしばらく言い淀んだあと。
「私が考えるに、送り狼が授ける特殊な能力を使うには、一つ、条件があるのだ。
『ストバスの幽霊』が夜中にしか現れなかった理由、なのだと思う」
「条件……?」
「そう。おそらく、送り狼はという怪異は――…」
神原の予想とはつまり、送り狼に与えられた能力を使うには、
『月の下でなくてはならない』
という条件がある、というものだった。
そもそも狼と月を結びつける考え方は、そんなに珍しいものでもない。
満月を見ると狼に変身する狼男なんて、知らない人などいない有名な話で。
忍野がそれとなく言っていた、北欧、ゲルマン神話のスコールとハティも。
太陽と『月』を飲み込む狼の話だ。
それが、岡崎が昼間は相変わらず右肩が上がらない理由。
『ストバスの幽霊』が、夜にしか現れない理由。
僕は転がったルーズボールを拾い上げると、
一度ハーフラインまで後退して攻守交代、
そのまま本日二度目の3ポイントダンクシュートを決め、岡崎の隣に着地する。
「……岡崎」
「阿良々木……」
光を失った目で、僕を見上げる岡崎に。
ボールを、差し出した。
「俺、は……もう……」
項垂れる岡崎。
きっと、再び右肩が上がらなくなったことに打ちのめされたのだろう。
だけど、まだだ。
そんなことは、許さないとばかりに、僕は。
「これで6点だ、岡崎」
非情な言葉を投げた。
まだ、試合は終わらない。
まさかとは思うけれど、と忍野は小馬鹿にするように付け加えて。
「阿良々木くん、そうやって送り狼を実体化させてから退治しようだなんて、
そんなことふざけたは思っていないよね?
送り狼は、重し蟹みたいな、少なくとも戦闘向けではない怪異とは違うんだ。
完全に『狩り』向けの怪異だよ。
ツンデレちゃんのときに僕がやろうとしたみたいな方法は、やめておいたほうがいい。
今の阿良々木くん程度の吸血鬼性じゃあ、送り狼なんて絶対に祓えないよ」
「……そんなことは思ってないよ、忍野。
大丈夫、それについては、僕に考えがあるから」
勝負の方法にバスケットボールを選ばざるを得なかったのは、むしろ好都合である。
僕の狙いは、試合ではなく、勝った後にあるのだから。
それに、おそらく。
すべて、逆なのだ。
岡崎が送り狼に願ったのは――その逆で。
「……………」
岡崎はしばらく鼻白んだ様子だったが、同じように頭を下げて。
「「ありがとうございました」」
同時に、言った。
送り狼。
その正しい祓い方は、願いをきっちり成就してからお礼を言うこと。
岡崎の背後で、狼が――満足したように立ち去ったのが。
僕には、分かった。
013
後日談というか、今回のオチ。
翌日、いつものように二人の妹、火憐と月火に叩き起こされた僕は、
まず最初に神原の家に向かい、一連の事件の片がついたことを報告すると、
次に忍野に会うために件の学習塾跡に足を運んだ。
ちょうど定期的に忍に血をやらなくてはいけない時期だったので、
首筋に金髪の少女を噛みつかせていると、忍野が珍しく感心したように言った。
「しかし阿良々木くん、よくバスケくんの願いに気付いたね。
今回の件で僕は、もう本当、きみの評価を改めなくちゃいけないと思ったよ。
勿論思っただけだけれど」
「思っただけなら言うな」
とりあえずツッコミをいれて。
「まあ、なんとなくだよ。
岡崎と何度か話して受けていた印象と、その言葉から、推測しただけで」
岡崎朋也の願いは。
きっと、バスケットボールで勝ち続けることではなく――負けることだったのだ。
正確には、部活でバスケットボールをすることを諦めるというのが、岡崎の願いだったのだろう。
自分がバスケットボールをしているのは諦めるためだと、
そもそも岡崎はきちんと口にしていたし。
それにもし岡崎の願いが、バスケットボール部に復帰することだったのだとしたら。
月の下でしか右肩が治らない、送り狼なんていう不便な怪異を呼び寄せたことに、説明がつかない。
「しかし、だからって右肩を治して更に無人パスを習得するなんてね。
僕にはバスケくんの考えが、よく分からないよ」
「……それは」
それは、たぶん、全盛期の状態の自分で負けたかったのだ。
だから右肩を治し――そしてバスケットボール、
それも部活でやるとなれば尚更、個人技ではなくチームプレーが軸となるから、
だから無人パスを身につけた。
そこまで万全な状態の自分が負けてしまえば――そんな自分より強い人間がいると知ってしまえば、
諦めることができると思ったから。
勿論これは、僕の勝手な推測でしかいけれど。
ともあれ昨日の一件で、送り狼は綺麗さっぱり後を濁すこともなく、消え去ったのだ。
「ああ、そうそう、阿良々木くん。
きみって実は僕への借金、まだ完済しきってないよね」
「そうだけど……なんだよ、忍野。
もしかして今回の件で料金を上乗せでもするんじゃないだろうな」
「違うよ。そういきりたつなって、もう、阿良々木くんは元気がいいなぁ。
なにかいいことでもあったのかい?」
相変わらず気味の悪くなるような底意地の悪い笑顔を浮かべると、
忍野は懐から一枚のお札を取り出した。
「『仕事』だよ、阿良々木くん。
きみの借金の分から引いておくから、ちょっと頼まれてくれるかい」
「……いいけど」
忍を肩にくっつけたまま忍野の前まで歩き、その札を受け取る。
「ほら、向こうにある山分かるかい?
あの中に、今はもう使われていない小さな神社があるんだ。
その本殿に、こいつを貼ってきてくれ」
「そんなんでいいのか?」
「ああ。言っとくけど阿良々木くん、
これはこの町の運命を左右するようなそれはそれは重大なお仕事だから、
適当にやろうなんて思っちゃダメだよ?」
「んなこと思ってねえよ」
なんだか忍野が与えてくるにしては簡単な仕事だなあとは思ったけれど。
「それと、ほら、例のレイニー・デヴィルのときの……」
「神原?」
「そうそう。その子も連れていくのを忘れずにね。
あのときはなんだか有耶無耶になっちゃったけれど、僕は専門家だからね。
彼女も僕に借金がある」
「その返済分ってことか」
「そゆこと。じゃ、まあ明日にでもよろしく頼むよ」
そう気軽に言って、忍野は僕の右ポケット辺りを叩いたのだった。
「……岡崎。こんなところで、どうしたんだ?」
「ここにいれば、おまえに会えると思って」
そんなことを言った岡崎は、僕を睨みつけた。
鈍く光る、切れ長の、ナイフのような。
ぎらぎらと紅く輝く。
灼けた狼の、瞳。
「岡崎?」
「……おまえさえいなければ、俺はバスケを続けられたんだ」
ぐっと、右手を握る。
「おまえに負けたあとにさ、何度も試した。
だけど、もう、右肩が上がらない。
バスケができねえんだよ!」
その声は、堪えきれない苦痛に満ちてるように、僕には思えた。
心痛な、悲鳴にも似た。
「岡崎、お前はバスケを諦めたいんじゃなかったのかよ」
「そうだ。初めはそうだった。
だけど、だけどな……夜になると右肩が動くようになって。
なんだかよく分からないけどすごいパスができるようになって。
ストリートで好きなだけバスケをやってるのが、楽しかったんだよっ!」
裂けるような、叫びだった。
砕けるような、嘆きだった。
それは明確な――悪意だった。
「それをおまえが奪ったんだ、阿良々木ッ!!!」
「―――――ッ!!」
瞬間、激しい衝撃と共に首が左に思いっきり振れて、体が泳ぐ。
それから少し遅れて、痺れるような痛みが右の頬に広がった。
岡崎に顔を殴られたと気付くまでに、しばらくかかった。
「おまえさえ現れなければ、俺はずっとバスケをやっていられたんだっ!
あの場所で! 一人でだって! それで満足だったのにっ!」
もう一度、顔を殴られる。
それが利き腕じゃなくて左の拳で、
だから倒れるような衝撃ではないのが……すべてを、物語っている気がした。
少なくとも岡崎朋也にとって、送り狼は。
怪異は、悪ではなかったのだ。
「岡崎ィ……」
僕は、春休みや、あるいは神原のレイニー・デヴィルの一件で、
痛みならいくらでも経験した。
死ぬほど痛かったこともあるし、実際そのいくつかでは、
数えきれないくらい死んだ。
吸血鬼の再生能力で瞬時に回復しただけであって、
死ぬほどの痛みどころか死ぬ痛みを延々と繰り返しもしたのに。
それなのに。
なぜか、岡崎に殴られた右頬のほうが、そのどれよりも強烈に痛んだ。
右腕が肩より上に上がらないせいで、
利き腕でない左腕で殴られたっていうのに。
どんな死ぬ思いよりも――痛い。
それは、きっと。
僕の右頬の痛みは、産まれて初めて、本当の憎悪を向けられた――友達からの、暴力だったからだ。
憎悪のレベルでいったら、春休みに対峙した4人のほうが、岡崎の何百倍も上なのに。
それでも、岡崎から殴られたことのほうが、僕には痛いのだ。
痛くて、イタいのだ。
だから。
三発目の岡崎の拳を、僕は手首を掴み、ねじり上げた。
「なっ……!」
残念ながら僕の上の妹は空手二段の腕前で、
そもそもの性格が攻撃的なため――昔から何度も取っ組み合いの喧嘩をしてきた。
僕は、少なくとも生身の人間との喧嘩なら、慣れているのだ。
いくら岡崎が身体の大きい男だからといって、
その左の拳を受け止めることくらい、僕には造作もない。
左腕を、振り上げる。
「がっ――、ぎっ!?」
僕は、岡崎の憎悪に染まったその顔を、思いきり殴っていた。
最後まで振りきった、心からのパンチだ。
岡崎の身体がよろける。
「ふざけんなッ!!!」
自分でも驚くくらい、大きな声が出た。
とにかく、頭の中が熱かった。
脳みその代わりにマグマでも突っ込まれてるみたいな気がして、溢れる激情を止められない。
「甘えてんなよ、岡崎」
言葉を繋ぐ。
僕は――許せなかったのだ。
忍野の反対も無視して、岡崎と対峙した理由に、今更ながら気付く。
単純に、許せなかった。
だって。
だって、僕が知る怪異に関わった人間は、すべて。
猫に魅せられた羽川翼も。
蟹に行き遭った戦場ヶ原ひたぎも。
蝸牛に迷った八九寺真宵も。
猿に願った神原駿河も。
そして当然、僕だって。
みんな、少なくとも、悩んでいたのだ。苦しんでいたのだ。
決してそれに甘んじなかったし、それを解決した後にも、誰かの責任になんかせず、受け止めていた。
忍野は言った。
今回のケースは、レイニー・デヴィルと近いと。
でも、違う。
岡崎は神原とは、決定的に――違う。
「そんな甘ったれた考えで、どうにかしようなんてのがそもそもの間違いなんだよっ!」
もう一度、今度は右を振り抜く。
「ぐっ―――、ぁ、阿良々木ぃッ!!」
殴り返された。
弾けるような痛み。染み込んでいく痛覚。
「ぎっ――――、岡崎ぃッ!!」
仕返しにもう一度殴った。
一発殴る度に。
一発殴られる度に。
何かを、なくしていく感覚があった。積み上げた時間を喪失していく錯覚。
それはたぶん、岡崎朋也との――…
「忍野、お前まさかこういうことになるって分かってたんじゃないか?
だから僕の携帯電話を……」
「はっはー、そいつはちょっとばかし、僕のことを過大評価しすぎだよ。
僕はただ、携帯電話をなくした阿良々木くんが慌てる姿を観察したかっただけさ」
「……そうかよ」
でも、と思う。
でも、忍野は機械に滅法弱い。
そんな忍野が、僕のピンチに光坂高校の電話番号を調べ上げて通報するなんてこと、
とっさにできるとは思えなかった。
忍野なりの、怪異に甘えていた岡崎朋也への。
小さな仕返しなんじゃないかと邪推してみる。
まあ、いいか。
忍野のことだ、いつもの気まぐれの可能性のほうが、よっぽど高い。
こいつのすることを、深く考えるほうが損だ。
「ともあれ、こいつはきみに返すよ。僕には必要ないものだしね」
寝転がったまま、携帯電話を忍野から受け取る。
発信履歴をチェックすると、本当にどこか僕の知らない番号にかけた記録があった。
「……なあ、忍野」
「なんだい、阿良々木くん」
気付いたら僕は、忍野に弱音を吐いていた。
知り合ってから、一週間だったけれど。
一緒にバスケットボールをして。
馬鹿をやって。
冗談を言い合って。
笑い合って。
「僕と岡崎は――友達だったのかな」
このときばかりは、忍野も、いつものようなどこか嘘くさくて薄っぺらい笑顔ではなく、
本当に心から呆れた顔をして。
「そんなことを僕に訊いて、どうしようっていうんだい」
「……そうだな」
まったくもってその通りだった。
そんなのは、忍野に訊いてどうなることでもない。
なら言うべきことは、そんな台詞ではあろうはずがなかった。
「忍野。僕と岡崎はさ――確かに、友達だったんだ」
そう、はっきりと言葉にする。
岡崎はこの先、一生ものになりうる友達と、出会ったりするのだろう。
一緒に馬鹿をやって、冗談を言い合って、笑い合って。
あるいはこの一週間、僕とやっていたように、
動かない右肩でバスケットボールをすることもあるかもしれない。
ただ、その誰かが――決して、僕ではないというだけ。
その相手に、僕は絶対に成り得ないというだけ。
ただそれだけのこと。
たったそれだけのこと。
だから、この話はこれで終わり。
だってこの話は、あの地獄の春休み――キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの一件と同じで。
これは、岡崎朋也が――バスケットボールに対する情熱をただ失って。
そして阿良々木暦が――高校生になってから初めての心を許せる男友達をなすすべもなく失っただけの。
そんな、およそ本筋に関係のない。
やっぱり誰一人として幸せにならない。
そんな――失物話。
おしまい
014
誰か目撃者がいて、通報したらしい。
阿良々木との殴り合いのあと、帰りたくもない家に帰ると学校から呼び出しの電話がかかってきた。
仕方がないので取り返したばかりの制服に着替えて、
日曜日なのにわざわざ学校に行き、生活指導の教師に散々説教を聞き流して廊下に出ると、
幸村という、じいさん教師が俺を待っていた。
担任だから、俺を引き取りにきたのだろう。
もう何度も、こういうことはあった。
「ほっほ、これはまた酷い顔じゃの、岡崎」
「うっせぇ……」
喋ると殴られた傷が痛む。
「まあ、ついてきなさい。生徒指導室でお茶でも飲みながら話を聞こう」
歩き出した幸村の丸い背中を、黙って追いかける。
生徒指導室で説教の続きなんて、慣れっこだった。
……俺は、問題児だったから。
「なあ、じいさん」
幸村の背中に呼びかける。
「なんじゃ」
「俺……」
ほんの一瞬だけ、悩んで。
「俺、学校を辞めようと思う」
それは、前から考えていたことだった。
周りはガリ勉ばっかりで、とんでもない学校に入ってしまったと思ったものだ。
もともとバスケをやるために入った学校。
そのバスケができないのに、こんな場所に残っている意味なんて……ない。
阿良々木との一件はなんだかすべて夢の中のようなことだったような気がするが、
あれはあれでいいきっかけになったと思う。
あれのおかげで、俺はもうバスケはできないのだときちんと理解した。
バスケはできない。
それならこんな俺に……なにが残るだろう。
「……そうか」
幸村は、細すぎて開いているんだか分からない目をこちらに向けて、
それだけ言うとまた歩き出した。それに続く。
この先の生徒指導室で、退学の手続きの話をすることになるだろう。
そんな時。
俺は、ちょうどいいタイミングで職員室から出てきた一人の生徒とすれ違った。
……金髪のヘンな奴だった。
その顔は、俺と同じように最近喧嘩をしたばかりなのかもっとヘンで、
人相なんかほとんど変わっているように思った。
……それを見ただけで、大笑いした。
涙を流すくらいに笑った。
そんなこと……この学校に来て、初めてだった。
ああ、まだまだ笑えたんだって思った。
この学校に、俺と同じようなやつがいたんだと思った。
それが、無性に嬉しかった。
金髪のそいつは、俺のことを不思議そう眺めて……
やがて、我慢していたものが決壊したように、笑った。
気持ち良さそうに笑っていた。
小さな楽しみを……見つけた。
こいつと一緒に、馬鹿をやってみようと思った。
最後にもう一度、やってみようと思った。
学校を辞めるのは、そのあとでもいい。
「おい、おまえ。名前は」
「僕?」
ちょっと鼻にかかった、生意気そうな声。
「おまえ以外に誰がいるんだよ……」
「僕は春原陽平。おまえは?」
「岡崎。岡崎朋也だ」
「岡崎って、あの宇宙人の!?」
「……はぁ?」
「な、なんだ、人違いか……よかった……」
いきなり宇宙人がどうとか、気味の悪いやつだ。
「なあ、春原、生徒指導室で茶飲もうぜ。
いいよな、じいさん?」
「……儂は構わんがの」
「だってよ。行くだろ?」
「カツ丼出る!?」
「出ねえよ……」
生徒指導室だっつんてんだろ……。
「僕、腹減ってんだよねー。
まあ、別にいいけどさ、どうせ暇だし」
「じゃあ全裸で『ウヒャヒャヒャ』って笑いながら校舎走ってこいよ。そしたら飲ませてやる」
「なんで会って早々そんなこと言われなくちゃなんないんすかねえ!?」
「おら、さっさとやれよ」
「やんねえよ!」
「頼むからっ!」
「頼まれてもやんねえよっ!」
面白いやつだった。
一緒に馬鹿をやるには、うってつけだ。
春原と二人、笑って。
窓の外を眺めながら、かつて情熱を燃やしたバスケへの気持ちと、阿良々木暦という友人。
その、俺が失った2つへ、ほんの一瞬想いを馳せた。
……この町は嫌いだ。
忘れたい思い出が、また一つ増えた場所だから。
だけど……俺はまだ、ここにいる。
もう少しだけ、いてみようと、思う。
この町の、願いが叶う場所は……辿り着けなかったが。
俺は登り始めたばかりだから。
長い――長い坂道を。
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1260622826/
1 ◆2iyjsiunz/4e 2009/12/12(土) 22:00:26.45 ID:ZGKLVG3dO
001
岡崎朋也との一連の出来事は、そういえば、未だに戦場ヶ原には話していない。
これは、戦場ヶ原と付き合う際に僕の方から提示した、
『怪異に纏わる話に関してお互い隠し事はしない』という条件を、
軽快とは正反対の心境で、爽快さも心によぎることすらなく、痛快なわけも当然のようにない、
我が事ながら本当にどろどろとした不愉快さを内包した気持ちで思いきりぶち破っているのだけれど、
しかしそこは、戦場ヶ原に慈悲や慈愛といった感情はおよそ皆無と知りつつもあえて言うならば、
どうか寛大な心で見逃して欲しかった。
というのも、僕にはあの一週間の出来事を果たしてどう話したものかよく分からないし、
そもそも出来うる限りあまり話したくないのもまた、事実なのだ。
はっきり言って、気持ちの良い話でもないし。
2 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:02:01.24 ID:ZGKLVG3dO
それにいかにあの戦場ヶ原と言えども、こればっかりは僕か、
あるいは神原辺りがなにか言わなければ気付かないと思う。
あの一週間の前後で、僕の身には――一切、なんの変化もなかったのだから。
心には、あるいは、あったのかもしれないけれど。
だって。
だってこの話は、
あの地獄の春休み――キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダードの一件と同じで。
これは、岡崎朋也がただ失って。
そして阿良々木暦がなすすべもなく失っただけの。
そんな、およそ本筋に関係のない。
やっぱり誰一人として幸せにならない、そんな、失物の話だ。
3 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:04:18.85 ID:ZGKLVG3dO
002
僕が岡崎と知り合ったのは、本当に偶然で、
場所は町外れのストリートバスケットコートでのことであった。
数日先に控えた定期テストのための、
戦場ヶ原の家における勉強会――あえて言い換えるならば、
戦場ヶ原ひたぎの戦場ヶ原ひたぎによる戦場ヶ原ひたぎのための阿良々木暦をいたぶる会に向かう際、
僕はなんとも意気地のないことにわざわざ遠回りしていた。
ただでさえ戦場ヶ原は僕が勉強で行き詰まると、
ここぞとばかりにねちねちとまるで小姑の如くいじめてくるっていうのに、
ここ最近は、つい数日前の神原駿河の事件のおかげで、
僕相手のとき限定でそこはかとなく機嫌が悪いのだ。
神原とのことを黙っていたのが、僕の予想以上に、
戦場ヶ原にとってご立腹するのに充分で重大で重要な理由だったのだろう。
4 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:05:45.85 ID:ZGKLVG3dO
というわけで、わざわざ町をぐるりと一周するようにママチャリで走っていたところ、
ちょうど隣町との間にかけられた橋の上で、
ぼすぼすという小気味のいい音を聞き付けた僕は、
その音の出所を探してキョロキョロしたあと――その姿を見つけたのである。
橋の下にあるストリートバスケットコートで、一人ボールをつく、黒髪の男の姿。
ワイシャツに紺のズボン。クリーム色のブレザーが近くのフェンスに引っかかっていて、背格好からもどうやら学生のように見えた。
「一人でなにやってんだろ……」
ちょっとばかり人より遠目の利く僕は、なんとなく自転車を止めると、
橋にもたれかかって男がコートを走り回るのをぼんやりと眺めることにする。
戦場ヶ原の所に行くのが怖いから現実逃避しているわけでは、ない。
断じてない。ないってば。
5 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:08:34.83 ID:ZGKLVG3dO
ところでバスケと聞けば、もう僕の中ではすぐに、
それこそまるで条件反射とか鍵刺激みたいに神原駿河の名前が出てくるようになってしまったのだけれど、
それは神原のキャラクターが想像以上に強烈であったことに起因する。
まあそれはいいとして、しかしバスケの実力という点で、
神原は眼下の男との比較の対象にはなり得ないと、すぐに思い直した。
神原の超人的なバネとそれによるジャンプ力は、
確かに血の滲むような努力、
血を見るかもしれない恐怖、
そして血が流れかねない強迫観念から身についた彼女自身のものだけれど、
人間離れしていることには変わりない。
あれと比較しうる対象は、少なくともこんな田舎のストリートのバスケットコートにはいないに違いないだろう。
いるとしたら、それはきっと、まともじゃないモノだ。例えば――怪異とか。
そんなことを纏まりのない頭でぐちゃぐちゃと考えながらしばらく眼下のコート見ていると、
件のバスケ男の行動がなんだか妙であることに気付いた。
6 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:10:26.74 ID:ZGKLVG3dO
それは例えば重心の低さとか、
例えばくるりと回るときの足さばきとか、
例えば誰もいやしないのにかます細かいフェイントとか、
そういうあらゆる点から見ても男が素人ではないのは明らかで、
ゴール左からのレイアップは綺麗に決まるのに、
決して右からはシュートを打たないのである。
いや、正確には、それも違う。
打とうとは、するのだ。
とか考えているうちに、男はゴール右に走り込み、
ボールを掴み三歩で踏みきって、
一切の無駄がないフォームで飛び上がり――そのままボールを落っことす。
てん、てん、と転がるボールから一瞬遅れて着地した男は、
しばらくぼんやりと立ち尽くし、
やがてボールを拾い上げてドリブルを初め、
そしてまた右からのシュートの途中でやる気をなくしてしまったかのようにボールをとり落とすのである。
そんなことをバスケ男は、延々と繰り返していた。
だけどどうやら本人は至って真剣なようで、
だからその人影に気付いたのはバスケ男よりも、僕のほうが早かったと思う。
7 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:13:18.77 ID:ZGKLVG3dO
「………ん?」
声を漏らす。
橋の下にコテコテに改造されたバイクが何台か止まり、
露骨にガラの悪い、
赤とか金とかの髪の男たち数人ぞろぞろとバスケットコートに近付いていく。
男たちは、上半身はパーカーやらティーシャツやら、
それぞれ思い思いのファッションに身を包んでいるものの、
全員に共通する、チェーンのじゃらじゃらついた深緑の学生ズボンには見覚えがあった。
ここらじゃガラが悪いことで有名な工業高校の制服だ。
夏休みが明けると一年生の半分は学生を辞めていて、
辞めなかった半分のうち三分の二は休み中に最低一回は警察のお世話になり、
残りは同じく休み中に停学をくらって初日から登校することはできないという噂だ。
つまるところ件の工業高校は田舎の不良たちの収容所であり、
深緑のズボンはたまに家の前にかかっている『猛犬注意!』の札なのである。
8 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:15:23.25 ID:ZGKLVG3dO
で、そんな彼らにようやく気付いたバスケ男が、
ボールをつくのをやめた。
なにか話をしているようだが、いくら僕の耳でもよく聞こえない。
知り合いなのだろうかと思った、その瞬間――。
「あっ……ぶない!」
工業高校の男の一人が乱雑に振り回した拳が、
咄嗟に避けたバスケ男の前髪を掠める。
一瞬にして――空気が変わった。
あっという間にぐるりと取り囲まれたバスケ男は、
しかし少しも物怖じすることもなく男たちを睨み付ける。
それに怯んだのか、すぐには手を出すことはしない工業高校生たち。
だが、どうしたってこのままじゃ結果は見えているだろう。
……どうする。
考えるより先に――体が動いた。
僕はママチャリに飛び乗ると、一番近い階段を駆けおり、
運よく転ぶこともなく橋を下りおえ、
そのままママチャリを工業高校生たちの原付に突っ込むようにして止めると、
実にめでたくない円陣を作っている男たちに全速力で駆けよって、
その中心にいるバスケ男の腕を掴んで引っ張り――叫ぶ。
9 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:16:57.26 ID:ZGKLVG3dO
「こんなところにいたのか、えっと……そうだ、忍野っ!」
忍野、ごめん。
最悪な形で名前借りた。
「……あ?」
腕を掴まれたバスケ男は、こっちがびっくりするくらい鋭くて凄みのある目付きで、
ぎらりと僕を睨む。
ナイフのように切れ長の、どこか狼を思わせる瞳。
周りで呆気にとられている工業高校の猛犬なんかより、
よっぽど恐ろしいと思った。
「なんだ、てめえ」
「こいつの知り合いか」
「今ちょっとオレたちが話してんだからさ、引っ込ンでろよ」
ごめんなさい、嘘つきました!やっぱりこいつらも怖えーよ!
するとそんな僕を見たバスケ男がため息をついて、声をかけてきた。
「悪い。ちょっと遊んでたんだ。行こうぜ」
「あ、あぁ。みんな待ってる」
「そういうわけで、あんたらと遊んでる暇はなくなった。じゃあな」
そして円陣から抜け出し、歩き出す。
10 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:18:24.45 ID:ZGKLVG3dO
「……おい」
「え?」
少しもいかないうちに、ぼそぼそと忍野(仮)が話しかけてきた。
「あいつら追いかけてくる。1、2の3で振り返らずに走るぞ」
「え、ちょ……」
「1、2の、3っ!」
反論する暇もなかったけれど、
忍野(仮)が飛び出すように走り出したのを見て、僕も駆ける。
すぐに後ろから罵詈雑言というのがこれほどまでにふさわしい声は、
他にないだろうという怒声と(舌を巻きすぎてなに言ってんのか一割も理解できなかった)、
続けて慌ただしい足音が鳴った。
「こっちだ! あいつらバイクだろ、抜け道を使う!」
物凄いハイペースで走っていく忍野(仮)を追いかけて、僕もただひたすらに足を動かした。
11 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:20:11.62 ID:ZGKLVG3dO
―――
「岡崎。岡崎朋也だ」
ひどくぶっきらぼうな口調で、
まるで吐き捨てるようにして岡崎は名乗った。
僕と岡崎はそこら中を駆け回ってなんとか工業高校生たちから逃げ切ったあと、
適当なコンビニで飲み物を買って、並んでへたりこんでいた。
岡崎は、あれだけの動きをバスケットコートでしていたのだから、
スタミナはあるかと思いきや息も切れ切れで、
僕のほうはある事情から疲労はまったくと言っていいほどないのだけれど、
精神的な疲弊でとうぶん立ち上がりたくもない。
ちなみに件の工業高校生たちは、
「このコートは自分たちのテリトリーだから誰に許可を得て勝手に使ってるんだ」
とかいう、ピントのズレた何年前の不良漫画だと言いたくなるような文句をつけて岡崎に絡んできたらしい。
絶滅危惧種に認定してもいいくらい、テンプレート通りの不良である。
「岡崎。岡崎朋也だ」
ひどくぶっきらぼうな口調で、
まるで吐き捨てるようにして岡崎は名乗った。
僕と岡崎はそこら中を駆け回ってなんとか工業高校生たちから逃げ切ったあと、
適当なコンビニで飲み物を買って、並んでへたりこんでいた。
岡崎は、あれだけの動きをバスケットコートでしていたのだから、
スタミナはあるかと思いきや息も切れ切れで、
僕のほうはある事情から疲労はまったくと言っていいほどないのだけれど、
精神的な疲弊でとうぶん立ち上がりたくもない。
ちなみに件の工業高校生たちは、
「このコートは自分たちのテリトリーだから誰に許可を得て勝手に使ってるんだ」
とかいう、ピントのズレた何年前の不良漫画だと言いたくなるような文句をつけて岡崎に絡んできたらしい。
絶滅危惧種に認定してもいいくらい、テンプレート通りの不良である。
12 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:22:51.21 ID:ZGKLVG3dO
「歳は16、高1」
岡崎は続ける。
「……お前は?」
「阿良々木暦、17歳で高3」
僕も名乗ると、岡崎は意外そうな顔をしてみせた。
「お前、年上なのかよ」
「悪かったな、身長165センチで中2からまったく伸びてなくてっ!」
「なにも言ってないだろ……」
「ていうか岡崎、年下かよ! なんだよ、その身長、ルックス、目付きの悪さ! 禿げろ! 禿げちまえ!」
「ざっけんな、目付きは関係ねえだろ!」
「禿げも関係ねえよ!」
「阿良々木が言ったんだろっ!」
言い合って、揃って肩を落とした。疲れる。
ただ、 一つだけ分かったことがあった。
それは向こうも同じのようで、同時に口を開く。
「「お前、ツッコミだろ」」
ツッコミ役はボケがいなくちゃ成り立たない。
ボケとボケは同じ部屋に閉じ込めても、ボケ倒しというジャンルが成立するのだけれど、
ツッコミとツッコミは一緒にいると喧嘩になるだけなのである。
顔をあげて、お前ボケろよ、と目線で訴えてみる。
隣で岡崎も同じ目をしていた。ちょっと凹む……。
13 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:24:09.60 ID:ZGKLVG3dO
「けど阿良々木、悪いな。飲み物まで奢ってもらっちゃって」
「いや、それお前自分の金で買ってただろ」
「え、後で払ってやるって言ってたじゃん」
「言ってねえよ! なんでそこまで面倒見なくちゃいけねえんだ、
僕はお前の保護者かなにかか!」
「いや、財布」
「僕たち出会ってまだ1時間も経ってないよなっ!?」
出会ったばかりの年下に財布にされる高校3年生が、そこにはいた。
――ていうか、僕だった。
「なんだよ、阿良々木が奢ってくれるっていうから奮発してペットボトルにしたのに」
岡崎はそんなことを言いながら、ぐいっとスポーツドリンクを煽る。
「……僕、帰っていいかな」
「帰る前に財布置いてけな」
「やだよ! なんでだよ!」
「ワンコインでいいから!」
「え、まあ、それくらいなら……」
「500円玉な」
「ふざけんなっ!」
「じゃあ、いちまんえんだまでいいよ」
「僕はカービィじゃないんだからそんなもの持ってないし、
あるいはもし仮に持っていたとしても、
それは明らかな偽硬貨だから普通の店では使えないな!」
14 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:25:53.09 ID:ZGKLVG3dO
ちなみにいちまんえんだまというのは、
『星のカービィスーパーデラックス』というスーパーファミコンのゲームにおける一つのステージ、
洞窟大作戦に登場する25番目のお宝である。
水の中を、ゴルドーとかいうトゲトゲのお邪魔ブロックみたいなものを避けながら進んだ先にあるのだけれど、
水には流れがあって、
一度取り逃すとまた最初からゴルドー避けに挑戦しなくちゃいけない仕様になっている。
僕なんかゲームがそんなに上手いほうではないので、
手こずってそこで何度もカービィを死なせたものだ。
「まったく、岡崎。
知り合ったばかりのやつにこんなこと訊くのもなんだかひどく屈辱的なのだけれど、
お前、僕がそんな財布役に甘んじるようなやつに見えるのか?」
「似合ってるぞー」
「そんなの似合ってるなんて言われて嬉しいわけないだろ!?」
15 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:28:29.90 ID:ZGKLVG3dO
「大丈夫、おまえ超スマートで超イケメンで
超気前がよさそうで超信頼されてそうで
超使いやすくてわずかスプーン一杯で驚きの白さになるから」
「え、はは、そうかな。
岡崎、なかなか男を見る目があるよな」
僕の周りには毒を吐く人間が多いので、実はこうして誉められるのに弱い。
「あぁ。だから財布寄越せよ」
「嫌だって言ってんのが分かんないのか!」
「うるせえな! さっきから話が進まねえだろ、さっさと出せよ!!」
「くそう、なんで僕がキレられてるんだ……」
助けたのは僕なのに、理不尽極まりない。
「あとなんか誉めてるとき最後の方、白さがどうとか言ってたけれど、
あれ、洗剤のキャッチコピーだろ……」
スプーン一杯で驚きの白さに。
……アタックだっけ?
16 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:29:57.37 ID:ZGKLVG3dO
「阿良々木は潜在的に財布の才能があるとかそういうニュアンスをこめてさ」
「そのニュアンスは出来ればこめて欲しくなかったな! うまいこと言ったつもりか!」
「ははっ、潜在的に財布だってよ。洗剤だけに」
「なにこの人、自分で言って自分で笑ってる……つーか僕の扱いがぞんざいすぎるだろ……」
戦場ヶ原といい。
八九寺といい。
最近、僕の周りには僕に対して毒を吐くやつが多すぎる。
神原は神原で、あいつは逆に僕のことを異常に持ち上げようとするのだけれど、
いわれのない賞賛はそれはそれで居心地が悪いし。
羽川くらいか、僕を普通に扱ってくれるのは。
でもあいつ、僕のこと不良だとか思い込んでるんだよなぁ……。
17 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:31:12.36 ID:ZGKLVG3dO
「とにかく」
岡崎はにやりと歪めていた口元を正し、仏頂面に戻ると。
「………たすかった」
なんだか変に、ぎこちない言葉。
スポーツドリンクを飲み干して、僕は答える。
「ん」
岡崎はそんな僕を一度見下ろしてから、
わざわざ右手に持っていたペットボトルを左手に持ち直し、
ひどく不慣れな動作でゴミ箱へ投げた。
当然、そんなやり方でうまくホールインワンできるわけもなく、
それどころか、
リングに擦ろうとかそういった意思すら垣間見ることさえ皆無な皆目検討もつかない方向へとすっ飛び、
かつん、と快活な音を立ててペットボトルはコンクリートに転がる。
「やーい、へたくそ」
「……あ?」
「ごめんなさいっ!」
散々毒を吐かれた仕返しに自分を馬鹿にした2歳も年下の男をからかったら睨まれて、
即座に謝る高校3年生が、そこにはいた。
――ていうか、やっぱり僕だった。
18 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:33:21.81 ID:ZGKLVG3dO
「よっ……と」
岡崎はわざわざ歩いてペットボトルを拾い上げると、今度はきちんとダストシュートする。
「じゃあ、阿良々木。俺はこのままどっか遊びに行くけど、お前は」
「僕は――あ、しまった!」
そうだ、僕は、戦場ヶ原の家に行く途中だったのだ。
時間を確認。
約束の時間を、もう1時間も過ぎていた。
今日が、僕の命日かもしれないと、真剣に、深刻な心境で思う。
言葉責めならまだマシ、ホッチキスどころか
カッター辺りのガチで凶器になりうる文房具を持ち出してくる可能性が、大いに考えられる。
「おい、大丈夫か? すげえ冷や汗だけど」
「大丈夫、いや……うん、大丈夫。ごめん、僕、用事があるんだよ。
せっかく知り合えたのに、悪いんだけどさ」
「……あ、そ」
19 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:34:41.88 ID:ZGKLVG3dO
僕は呆然としている岡崎への挨拶もそこそこに、走り出す。
とりあえず放置しっぱなしの自転車をとりに、件のストリートバスケットコートへ。
一応警戒して橋の上から覗くと、工業高校生たちは影も形もなく、
どうやら僕らを追いかけるうちにバスケをする気はなくなったようだ。
さっさと自転車を確保しに橋の下に降りて――フェンスに引っかかりっぱなしの、クリーム色のブレザーを見つけた。
「これ、たぶん、岡崎のだよな」
誰に言うでもなく呟いて。
僕は、今度会ったときに返せばいいやと、
それを回収して自転車のカゴに入れ、
戦場ヶ原の家へと向かったのだった。
21 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:35:45.43 ID:ZGKLVG3dO
なんのためにもならない、『もし』の話をするのなら。
もし、仮に、僕がこのときブレザーを回収しなければ。
あるいはこの話は、ここで終わり。
僕と岡崎は――たった1日限りの友達で、済んだのかもしれない。
誰も、なにも失わないで、済んだのかもしれない。
そんなのは本当に――本当に、誰も救わない、仮定の話なのだけれど。
【ともやウルフ】
22 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:37:53.80 ID:ZGKLVG3dO
003
「んんー、この制服と校章は、たぶん、光坂高校のじゃないかな」
翌日の放課後、紙袋に入れて学校に持ってきていた岡崎の制服を見せると、
羽川はそう言った。
「光坂高校っていうと……」
「ほら、隣町の。
私立光坂高等学校っていったら、このあたりじゃ一番の進学校じゃない。
うちも全体の進学率では負けてないみたいだけれど、
国公立大学への進学率だと、やっぱり光坂高校には負けるっていって、
毎年先生方が悔しがっていたはずだよ」
「へぇ。お前はなんでも知ってるな」
「なんでもは知らないわよ。知ってることだけ」
羽川。
羽川翼。
三つ編み、眼鏡。
委員長の中の委員長。
究極の優等生。
僕の命の恩人。
異形の翼を持つ少女。
そして――猫に魅せられた少女。
23 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:39:46.42 ID:ZGKLVG3dO
「ふぅん、私立光坂高校、ね。あいつ、頭よかったんだ」
一応僕も、世間一般では進学校と呼ばれる私立直江津高校に通っているのだけれど、
その実態は数学以外は赤点だらけの出来損ないだ。
所謂、RPG(Red Points Getterの略)である。
「格好良さげに言っても、普通に格好悪いよ、阿良々木くん」
「くっ……」
羽川の台詞に言葉が詰まる。
まごうことなき、正論であった。
そもそも僕だって、中学まではそこそこ頭もよかったのだ。
しかし無理して進学校に入学した途端に、
予想通りというか予定通りというか、見事に落ちこぼれた。
こういうのを、えっと……なんていうんだっけ。
「深海魚、っていうみたいね」
「さすが羽川。お前はなんでも知ってるな」
「なんでもは知らないわよ。知ってることだけ」
と、続けて通例のやり取りを交わした辺りで、
羽川はちょっと不安そうな表情を作った。
24 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:42:33.87 ID:ZGKLVG3dO
「阿良々木くん、どうしてそんなの持ってるの?
もしかして、また、なにか厄介事に首を突っ込んでる?」
「違うよ。
これはただ、友達の忘れ物なんだけれど、
次いつ会えるか分からないから、届けようかと思って。
だから――羽川が心配するようなことは、なにもない」
そう答える。
あとから考えると、羽川は持ち前の恐ろしいまでの勘の良さをいかんなく発揮していたのだけれど、
そのことに僕が気付くのはかなり後になってからであり、
そのとき僕は羽川の心配すること――すなわち、怪異のことを考えていた。
怪異。
怪しく、異なるモノ。
世の中には、その、怪異というものが、確かに存在する。
25 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:44:02.30 ID:ZGKLVG3dO
春休みのことである。
僕は、人類が月に到達し、
手に収まる小さな携帯電話で世界中の情報が一瞬で手に入り、
形のないデータをお金を出して買うようなこの現代に、
恥ずかしくて二度と部屋から出たくなくなるくらいの事実なのだが、
吸血鬼に襲われ――吸血鬼となった。
血も凍るような、美人だった。
美しい鬼だった。
とても――美しい鬼だった。
とにかく、そんな地獄の真っ只中にいた僕を救ってくれたのは、
たぶん一般人の感覚からすれば、普通、
例えばヴァンパイアハンターとかいう吸血鬼専門の狩人だったり、
キリスト教の特務部隊だったり、
あるいは吸血鬼でありながら同属を狩る吸血鬼殺しの吸血鬼だったりするのだろうけれど、
僕の場合、通りすがりの小汚くて胡散臭いアロハのおっさん、
忍野メメと――羽川翼その人であった。
羽川がいなければ僕は今、こうして生きていないと自信を持って断言できるし、
この先、羽川のためなら命を差し出したって構わないとすら思う。
彼女にはそれほどまでの、恩がある。
彼女自身は、絶対に認めようとしないけれど。
それでも僕が羽川に助けられたと思っているのは、事実なのだ。
26 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:45:44.95 ID:ZGKLVG3dO
ともあれ、地獄の春休み、忍野と羽川の助力により、
紆余曲折の果てに吸血鬼もどきの人間――あるいは、人間もどきの吸血鬼となった。
それが、今の僕だ。
おかげで僕は、日光を浴びても身体は燃えないし、
十字架に触れても皮膚が焦げたりしないし、
ニンニクのにおいを嗅いでも鼻孔から神経を侵されることもなくなったのだけれど、
しかし、その影響というか後遺症で、
身体能力は、著しく、上昇したままだ。
もっとも、運動能力は、ちょっと疲れにくいとかその程度のもので、
顕著なのは新陳代謝など、いわゆる回復能力なのだが。
紆余曲折の果てに吸血鬼もどきの人間――あるいは、人間もどきの吸血鬼となった。
それが、今の僕だ。
おかげで僕は、日光を浴びても身体は燃えないし、
十字架に触れても皮膚が焦げたりしないし、
ニンニクのにおいを嗅いでも鼻孔から神経を侵されることもなくなったのだけれど、
しかし、その影響というか後遺症で、
身体能力は、著しく、上昇したままだ。
もっとも、運動能力は、ちょっと疲れにくいとかその程度のもので、
顕著なのは新陳代謝など、いわゆる回復能力なのだが。
28 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:46:48.17 ID:ZGKLVG3dO
とにかくそれを契機に、僕は怪異に関わるいくつかの事件に首を突っ込んでいる。
羽川もゴールデンウィークに怪異に憑かれた一人だ。
忍野曰く、一度怪異に惹かれたものは、そのあとも惹かれやすくなる。
これまで僕が出会った怪異の数は、5。
鬼。
猫。
蟹。
蝸牛。
猿。
僕、いくらなんでも、出歩く度に怪異に関わりすぎだと思う。
もっとも、羽川は、彼女自身が関わった怪異の記憶、
ゴールデンウィークの悪夢を、まるっきり、忘れてしまっているのだけれど。
記憶の喪失。
それが、いいことなのか悪いことなのかは――分からない。
29 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:48:35.80 ID:ZGKLVG3dO
なにはともあれ。
「光坂高校か。助かったよ、羽川。
それだけ分かれば、なんとかなると思う」
「そう? よかったら案内しようか?」
「大丈夫だって、それに羽川、テスト勉強とかあるだろ?」
「んー、阿良々木くんのほうはテスト勉強はかどってる?」
「うっ……」
なにも言えねえ。
「もうテストまで時間ないけれど、大丈夫なの?」
「まあ、たぶん、今回はなんとかなるよ。
ほら、最近、戦場ヶ原に勉強を教わってるんだ。
あいつ、意外に人に教えるのうまいんだぜ」
少々スパルタが過ぎるところはあるけれど。
それでも最近、
そもそも勉強の仕方とはこういうことだったのかと思うような数々の勉強のテクニックを、
戦場ヶ原から叩き込まれている。
それだけでも僕には新鮮で、いい刺激なのだ。
30 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:50:05.16 ID:ZGKLVG3dO
「そっか。戦場ヶ原さんがついてるなら、安心だね」
「本当は羽川に頼みたいくらいなんだけどな。あいつ、厳しすぎるから」
「あはは、そんなこと言っちゃダメだよ。戦場ヶ原さんも自分のテスト勉強の時間を割いて、阿良々木くんに教えてくれてるんだから」
「まあ、そうなんだけどさ」
僕はそう言って席を立つと、自分の荷物を取り上げた。
戦場ヶ原の家に行く前に光坂高校に向かうなら、そろそろ学校を出ないと。
「とりあえず、戦場ヶ原のところに行く前に隣町まで寄ってみるよ」
「うん。じゃあ、阿良々木くん、頑張って」
もう一度羽川にお礼を言って、僕は教室を後にする。
別れ際。
羽川がまるで――まるで、頭痛を堪えるように頭を押さえていたのが、
少しだけ、気になった。
31 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:52:20.95 ID:ZGKLVG3dO
―――
隣町とは言ったものの、
たかだか橋を一本渡っただけなのに、私立光坂高校のある町は、
僕の住むド田舎とはまったくもってそれはもう見事なくらい趣きを異にしている。
まず第一に、駅がある。
そして駅を中心に栄えたのであろう商店街なるものが存在して、
そこには本屋やレコード店もあれば、
クレープ屋なんていう祭りの屋台限定だと思っていたデザート専門の店がでんと構えていて、
雑貨屋みたいな洒落た店もあり、
そしてなんとあろうことかゲームセンターすらあるのだ。
ゲームセンターなんて不良の行くところで、
近寄るだけで3秒でかつあげされるに違いないとかいう丸出しの田舎っぺ根性を持つ僕は、
ゲーセンの前を通ったときに横からハンマーで殴られたみたいな騒音だけでかなりビビった。
隣町の商店街まで遊びに来たことがないわけではないけれど、
最後に来たのは中学生で、高校生になってからはおそらく初めて足を踏み入れる。
一緒に来る友達が、いなかったから。
「………………」
くそう。
隣町とは言ったものの、
たかだか橋を一本渡っただけなのに、私立光坂高校のある町は、
僕の住むド田舎とはまったくもってそれはもう見事なくらい趣きを異にしている。
まず第一に、駅がある。
そして駅を中心に栄えたのであろう商店街なるものが存在して、
そこには本屋やレコード店もあれば、
クレープ屋なんていう祭りの屋台限定だと思っていたデザート専門の店がでんと構えていて、
雑貨屋みたいな洒落た店もあり、
そしてなんとあろうことかゲームセンターすらあるのだ。
ゲームセンターなんて不良の行くところで、
近寄るだけで3秒でかつあげされるに違いないとかいう丸出しの田舎っぺ根性を持つ僕は、
ゲーセンの前を通ったときに横からハンマーで殴られたみたいな騒音だけでかなりビビった。
隣町の商店街まで遊びに来たことがないわけではないけれど、
最後に来たのは中学生で、高校生になってからはおそらく初めて足を踏み入れる。
一緒に来る友達が、いなかったから。
「………………」
くそう。
33 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:54:20.00 ID:ZGKLVG3dO
……なにはともあれ。
都会である。
僕の住むあの町からしたら、もう、大都会である。
僕はどちらかと言えば、10代の人間にありがちな、
都会を不必要なまでに至高と考え、
東京と聞くだけどこか崇高な気がして、
どう考えてもズレているファッションをして欺瞞の孤高さを噛み締めたがるような田舎の若者ではないので、
都会なんて怖いところ早く去りたいとびくびくするのであった。
例えそれが最近の都会で流行りのファッションであろうと、
僕はドリルが人間になったみたいな髪型だったり、
頭に鳥かご乗せていたり、
ハート山総理を意識しているような女の子だったら、
いかにそれらが美人であろうと、普通に地味な黒髪のほうがよっぽど好ましい。
だって怖いじゃん、髪の毛がキリンの頭だったりするんだぜ。
34 >>20>>27>>32ありがとうございます 2009/12/12(土) 22:58:01.53 ID:ZGKLVG3dO
閑話休題。
と、いうわけで、途中何度も迷い、
結局羽川に電話をして口頭で道案内をしてもらうという
最高に情けないことをやらかした末にようやく辿り着いた私立光坂高校は、
長い――長い上り坂の向こうにあった。
「うわぁ……」
思わずため息が漏れる。
こんな坂を毎朝のぼって登校するなんて、
もうそれだけで嫌になりそうだった。
ここまで来るのにかなり時間がかかってしまったから、
まだ岡崎が学校に残っているかは心配だったけれど、
せっかく来たのだからとりあえず校門の前へ。
下校する光坂高校の生徒たちに奇異の目を向けられつつ、
ここから先は入っていいものか迷っていると。
「あれ? ねぇ、なに、きみ、うちの学校になんか用?」
なんだか変に鼻にかかった、
人を小馬鹿にする感じの声にそんなこと言われた。
35 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 22:59:49.58 ID:ZGKLVG3dO
この場合、声単体が生き物として成立しているように思えてしまう文だけれど、
実際は当然のように声の主がいるわけで、
そいつはドぎつい金髪にたれ目気味、やや童顔の男子生徒。
泥だらけの体操服に身を包み、小脇にサッカーボールをかかえていた。
「ああ、いや……」
「ところでさー、きみ、お金貸してくんない?
いや、絶対返すからさ、へへっ、いくら持ってんの?」
「………は?」
「ほら、ジャンプジャンプ!
小銭持ってたらちゃりちゃり言うはずじゃん!」
友達を訪ねて他校に来たら、
さっそくかつあげされる男子高校生が、そこにはいた。
――ていうか、認めたくないけれどそれもやっぱり僕だった。
なんだろう、岡崎といい目の前の金髪といい、
最近、光坂高校ではかつあげが流行っているのだろうか。
36 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:02:32.78 ID:ZGKLVG3dO
ていうか、進学校だからと高をくくっていたら、
なんだか見た目も言動も凄まじく不良っぽいやつである。
なんせ――金髪である。
僕らの町では頭髪は基本的に黒であり、
ブリーチ剤なんてそもそも売っている店がない。
ちょっと茶色に染めたら不良と呼ばれるような世界である。
……うわあ、リアル金髪だ。
しかし、目の前の不良にはどこか迫力がない。
へたれ臭がひどい。
もっと言えば、立ち位置的に、ひどく僕と同じにおいがする。
ていうか、考えてみれば、昨日岡崎に絡んでいた工業高校生たちの中には赤い髪とか平気でいたしな。
慣れたのかもしれない。
……なんの役にも立たない上に、嫌な耐性だった。
37 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:05:24.32 ID:ZGKLVG3dO
「あー、えっと、お金はそんな持ってねえよ。
それより、人を探しているんだけど。
岡崎朋也って、まだ学校にいるかな」
「岡崎ィ? 誰、それ」
「あー、えっと……」
誰、と言われても、考えてみたら僕だって
名前と学年くらいしか岡崎のプロフィールくらいしか語れる要素の持ち合わせはない。
金髪男も、岡崎のことを知ってる様子はなさそうだし。
なので、冗談を言って流すことにした。
「岡崎ってのは……宇宙人なんだ」
「マジかよ! なにその宇宙人ってうちの生徒なの!?」
「他にもこの学校には異星人とエイリアンがいる」
「マジかよっ!!
僕、今までそんなやつらと同じ学校で過ごしてたなんて……うぅっ、寒気が」
うわあ、信じてるよ……。
ちょっと面白い。
あと、宇宙人も異星人もエイリアンも全部同じだと思うのだが、
金髪男はなにも不思議に思わなかったようだ。
宇宙人に、異星人に、エイリアン。
本当はなにか違いがあるのかもしれないけれど、正直よく分からない。
羽川に訊けば答えてくれるんだろうか。
39 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:08:09.93 ID:ZGKLVG3dO
「ん? ちょっと待てよ……」
男がなにかに気付いたように声をあげた。
からかったのに気付かれたかと身構えると。
「うちの学校に宇宙人がいるって知ってるってことは、おまえ、まさか……」
「………………」
杞憂もいいとこだった。
せっかくなので冗談を上乗せする。
「地球の平和を守るインベーダー」
「マジかよっ!?」
ちなみにインベーダーは、侵略者という意味である。
平和を守るふりして、あっさり侵略されていた。
40 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:10:07.19 ID:ZGKLVG3dO
「あ、でも一般人のお前がこの学校に宇宙人がいることを知ったら
……いや、なんでもない」
「なんだよ、言えよ! 不安になるだろ!」
「……いや、でも」
「言えってば!」
「でもなあ……」
「言ってください、お願いします!」
「消される」
「………………」
絶句していた。
「た、助けてくれよ……平和を守るインテリアなんだろ?」
「果たしてどうすれば室内装飾品に平和を守る機能がつくのか
僕にはさっぱり想像もつかないけれど、
宇宙人に消される人間を助ける力は僕にはない」
42 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:13:49.84 ID:ZGKLVG3dO
「うぅ……父さん、母さん……宇宙人に消される直前までバカやっててごめんよ……」
「どんまい!」
「明るく言わないでくれませんかね!?」
「お前のことは3分くらいは絶対忘れないよ!」
「嬉しくねえよ!
そんなのいいから僕のこと助けてくれよ、頼むから!」
「さっきからうるさいな、ちょっと黙ってろよ!」
「なんで僕がキレられてんすかねえっ!?」
金髪がそう叫ぶのとほぼ同時に、
遠くのサッカーコートから怒声が響いた。
「おら、春原ァーっ!
ちんたらしてねえでさっさとボール拾ってこい、ぶっ殺すぞっ!!」
「ひいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいい!!!!」
春原と呼ばれた目の前の金髪男がとんでもなく面白い顔になった!
44 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:19:53.50 ID:ZGKLVG3dO
と思ったら、地面に唾を吐いて毒づく。
「けっ、あいつら、たいして上手くもねーくせにいばりやがって。
宇宙人から逃げ切ったら絶対ボコボコにしてやる」
しゅっしゅっ、と明らかに素人なシャドーボクシングを始めた春原を横目に、
僕はさっさと気付かれないよう光坂高校を後にしたのだった。
岡崎がいるかどうかはまだ分からないままだったけれど、
いきなり不良に絡まれてかなり気分が萎縮していたのである。
都会ってこえーなー。
がさりと、右手の紙袋が音を立てた。
……制服は、またいつか渡せばいいや。
46 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:25:29.88 ID:ZGKLVG3dO
004
「それで、今日も時間に遅れた言い訳はあるのかしら、阿良々木くん」
僕が必死こいてケッタ(ママチャリの地方での名称である)
をすっ飛ばして戦場ヶ原の家の玄関をくぐった途端、
彼女はそんな言葉を突きつけてきた。
戦場ヶ原。
戦場ヶ原ひたぎ。
自称ツンデレ。
泰然自若。
僕の彼女。
そして――蟹に行き遭った少女。
47 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:28:33.22 ID:ZGKLVG3dO
「いや、戦場ヶ「有罪」
「戦場ヶ原の方から言ってきたのに言い訳する暇も与えてもらえないのかよ……」
「なにを言っているのかしら、阿良々木くん。
私が有罪と言ったのは、トラケロフィルム程度の阿良々木くんが人間の言葉を話したことに対してよ」
「戦場ヶ原の中での僕の評価は、
毛で覆われていて身体をくねらせたり回転させて動く微生物と同等なのか!?」
「むしろそれ以下ね」
間髪入れずに言い切りやがった。
戦場ヶ原、さっそく絶好調である。
「お前、トラケロフィルム以下の生き物の彼女でいいのかよ……」
「トラケロフィルム以下が彼氏、と言いなさいよ」
「違わねえよ!」
「違うわよ。
阿良々木くんの言い方だと、私のほうがトラケロフィルム以下の生き物の所有物みたいじゃない」
「言いたいニュアンスは分かるけど納得はいかない!」
こいつ確実に僕のこと所有物として見てやがる。
戦場ヶ原がこんな性格な以上、対等な関係だなんてもう思ってはいないけれど、
しかしそれはいくらなんでも下に見られすぎだった。
49 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:33:21.98 ID:ZGKLVG3dO
「トラケロフィルム以下のくせにいちいちうるさいわね。
阿良々木くんが、つい最近まで遊戯王のカードで水の踊り子ばっかり集めて、
下から覗きこんだら乳首が見えないか必死にチャレンジしていたクズだということを、
羽川さんにチクるわよ」
「僕のほうが初めてきくよ、なんだその話……」
つーかこれ、本当に付き合ってる男女の会話かよ……。
僕、そろそろ本当に戦場ヶ原に好かれてるのか不安になってきた。
「ていうか、遊戯王の話なんか、戦場ヶ原がよく知ってたな。
ほとんど縁がなさそうだけれど」
「私は遊戯王のカードなんか一度も触ったことすらないわ。
ただ、昔、神原が悔しそうに漏らしていたから」
「あいつなにやってんだよっ!」
まあそんなこったろうと思ったけどな!
期待を裏切らない後輩である。
50 >>48ありがとうございます 2009/12/12(土) 23:36:38.17 ID:ZGKLVG3dO
「……阿良々木くん」
「うん?」
「昔、神原が悔しそうに漏らしていたから」
「分かったよ、繰り返さなくていいよ、別にそこにエロスは感じてないよ!」
「あら、そうなの?」
戦場ヶ原の中での阿良々木暦は一体どのような立ち位置を確立しているのか、
さっぱり分からない。
あ、トラケロフィルム以下だったな、うん。
……凹む。
51 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:43:07.78 ID:ZGKLVG3dO
「阿良々木くん」
「なんだよ……」
「昔、私が悔しそうに漏らしたから」
「なんでそこで自分を貶めようとするんだ、戦場ヶ原っ!」
「エロスを感じたかしら?」
「感じねえよ! ほんとにお前は僕のことなんだと思ってんだ!?」
「そっか……感じないんだ……」
「なんで落ち込むのかさっぱり分からない……」
「そっか……阿良々木くん、感じないんだ……」
「別に僕、不感症とかではないから語弊のある言い方は避けてくれないか!?」
なんかもう、あんまりである。
「阿良々木くん、私たちもう別れましょう」
「なんで? 僕が戦場ヶ原のお漏らしにはエロスを感じなかったから?
どんだけクズ野郎だよ、僕……」
「だって、私、少しは自信あったのよ」
「お漏らし姿に!? 捨てちまえ、そんな自信!
あぁ、もう、分かったよ、エロスを感じるよ!
阿良々木暦は戦場ヶ原ひたぎさんの悔しそうなお漏らし姿にエロスを感じます!」
「う、うわあ………」
「引いてんじゃねえよ、てめえっ!!」
この部屋ごと戦場ヶ原を川にでも放り込んで逃げ出してしまいたい気分だった。
もうほんと、僕は僕が不憫で仕方ない。
52 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:44:33.05 ID:ZGKLVG3dO
「昔、神原が悔しそうに漏らしていたから」
「くどい!」
「昔、八九寺真宵が悔しそうに漏らしていたから」
「……そういやあいつトイレとかどうしてんだろうなぁ。幽霊だから必要ないのか?」
「昔、羽川翼が悔しそうに漏らしていたから」
「くっ………いや、ま、まあ、羽川もなにからなにまで完璧ってわけじゃないだろ、はは……」
つい過剰反応しかけたら、ぎりぎりぎりと腹の肉に爪をつきたてられた。
痛い。本気で貫通させるつもりか。
「昔、忍野さんが悔しそうに漏らしていたから」
「おえっ……」
ていうかいつまで続けるつもりなんだよ、これ。
53 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:50:00.77 ID:ZGKLVG3dO
「なあ、戦場ヶ原。
お前さ、そんな些細なセリフの一つで興奮するだろうとか、
僕を中学生男子かなにかと勘違いしてないか」
いかに僕といえども、
ちんすこうやらAV機器やらぶっかけうどんやらちょっと悪意のある改造を施されたパチンコの看板を見て喜んでいた時期は、
さすがに卒業済みである。
「そんなことないわよ。
少なくとも、ミドリムシ以下くらいには思っているわ」
「トラケロフィルム以下から評価が上がってるのか下がってるのか微妙でよく分かんねえよ!」
一応、上がっているべきと考えるべきなのか。
ミドリムシって、微生物の中では結構ランク高そうだし。
……うわ、別に嬉しくねえ。
54 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:56:06.99 ID:ZGKLVG3dO
「ミドリムシって、今、食品に使われているらしいわね」
「え、そうなの?」
「ええ。ミドリムシパンとか、あるそうよ」
「へぇ……いや、正直、あんまりいい気持ちで食べれる気はしないよな。
ミドリムシじゃなくて、せめて名前を変えればいいのに。
栄養素みたいに、グリーンミンとかさ」
「アララギクンとかにね」
「戦場ヶ原は僕を食品に加工したいのか!?」
「安心しなさい。阿良々木くんが食品になったら、
私が責任を持って生ゴミとしてコンポストに入れてあげるから」
「せめて食べてやってくれ!」
「でも阿良々木くんはミドリムシにも劣る存在だから、食品にもならないわ。
よかったわね」
「あぁ、そうだったな、僕は微生物にも劣る存在だったよ……」
「ふふ」
戦場ヶ原は相変わらずにこりともしないくせに、
笑いを漏らす声をわざとらしくそのまま発音した。
僕が笑われているのは明らかなのだけれど、
まあ、戦場ヶ原の機嫌が治ったならそれでいいかと緊張を弛める。
55 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/12(土) 23:59:53.67 ID:ZGKLVG3dO
「ったく、なにがおかしいんだよ」
「いえ、阿良々木くん、あなた、
自分のことを微生物にも劣る生き物って……」
「それ元はと言えば戦場ヶ原が言い出したことじゃねえか!」
「阿良々木くん、自分のことを微生物にも劣る『生き物』って」
「なんで生き物のところを強調したんだ!?
僕が生き物であることにくらいなんの疑問も持たないでほしい!」
「抱腹絶倒」
「めちゃくちゃ真顔!」
「報復絶倒」
「すげえ、前半の漢字変えただけでニュアンスがかなり変わった!」
報復して、絶対に倒す。
57 ◆2iyjsiunz/4e 2009/12/13(日) 00:03:01.60 ID:2XDN1l3rO
「まあ、いいわ。
私は阿良々木くんの彼女だけれど、阿良々木くん行動をすべて制限する権利はないもの」
戦場ヶ原は、ふう、と小さく息をつく。
一瞬なんの話か分からなかったけれど、
どうやら僕が遅刻したことに対する文句にようやく戻ったらしい。
しかし、そんな不意打ちみたいに、いきなり伏し目がちに言われると、
罪の意識がお鍋の中からぼわっと登場する。
いや、勿論、それ以前にも約束に遅れたことに対する罪の意識はあったのだけれど、
実のところ、戦場ヶ原があまりに普段通りだから安心してしまったのだ。
ダメ男の典型的な発想のような気もするが。
しかし、無駄とは知りつつ言い訳させてもらうのならば、
光坂高校までの道のりで、まさか迷うとは思わなかったのだ。
隣町をさ迷い歩いた1時間が、きっかりそのまま約束の時間に遅れた1時間に反映されている。
58 >>56ありがとうございます 2009/12/13(日) 00:04:59.38 ID:ZGKLVG3dO
「ごめん、戦場ヶ原。
2日連続遅刻した僕の言うことなんか信じられないと思うけれど、
本当に悪いと思ってる」
「いいのよ、阿良々木くん。
私は気にしていないと言ってるじゃない。
燃えるゴミと燃えないゴミの分別と同じくらい気にしていないわ」
「それはむしろ2つの意味でもうちょっと気にしてほしいな!」
エコのこともそうだし、僕のことも実はまったく気にしないと言われると、
それはそれで不思議な気持ちなのだった。
「燃えるゴミと萌えないゴミくらい気にしていないわ」
「ツッコミが難しいボケはやめてくれ!」
「阿良々木くんは冴えないゴミよね」
「ほっとけよ!」
ひでえ言われようである。
せめてゴミを男に……いや、それも、なんだかなぁ。
「ちなみに私はデレないツンデレ」
「それはただのツンじゃねえか! あるいはツンドラ!」
59 ていうかこれ続けてていいのかな… 2009/12/13(日) 00:09:15.95 ID:2XDN1l3rO
さて、と戦場ヶ原は一呼吸置くと。
「それじゃあ、いつまでも遊んでいないで、
勉強を始めましょうか、阿良々木くん」
「ん、あぁ、そうだな」
散々僕に毒を吐いておいて、何事もなかったように席に着くように勧めたのだった。
そういえば、今更気付いたけれど、
結構真剣に鉄拳制裁――あるいは、鉄文房具制裁(ホッチキスやハサミ辺りは本気で鉄なので洒落になっていない)を覚悟してきたのに、
言葉攻めだけだったな。
僕は別にそこまで偏った性癖を持っているわけじゃないから、
胸に去来する感情は物足りないではなく、安心だった。
61 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 00:10:39.05 ID:2XDN1l3rO
勉強中には、発言に気をつけよう。
そんなことを心に決めて、
戦場ヶ原の対面の座布団に腰をおろ「―――、――、ぎっ……いっ―――――!」ケツになんか刺さった!
床を転がって激痛を誤魔化しつつ確認すると、
三角定規がわざわざ垂直に立つようにセロテープで固定されていた。
痔になる。
「せ、戦場ヶ原っ!」
「あら私の三角定規そんなところにあったのね見つけてくれてありがとう」
「謀ったなっ!」
「謀ったわ」
戦場ヶ原ひたぎ。
時間にルーズな阿良々木暦には、容赦のない女である。
62 >>60 2009/12/13(日) 00:13:22.59 ID:2XDN1l3rO
―――
その夜のことである。
八九寺。
八九寺真宵。
厚顔無恥な小学生。
ツインテールに大きなリュックサック。
そして――蝸牛に迷った少女。
そんな八九寺と、出くわしたのは。
その夜のことである。
八九寺。
八九寺真宵。
厚顔無恥な小学生。
ツインテールに大きなリュックサック。
そして――蝸牛に迷った少女。
そんな八九寺と、出くわしたのは。
63 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 00:15:43.05 ID:2XDN1l3rO
戦場ヶ原の家からの帰り道、ギコギコ音を立てながら、
そろそろこいつもメンテナンスしなくちゃなとか思いつつママチャリをこいでいた僕は、
その後ろ姿というよりは、バカでかいリュックサックに足が生えたみたいな生き物を見て、
スピードを緩める。
そのまま八九寺のすぐ背後まで近寄ると、
自転車から歩きに移動手段を変更して、隣に並んだ。
「よう、八九寺。夜に会うのは珍しいな」
「スララ木さんじゃないですか、こんばんは」
「人を背が高くて足の長いモデル体型みたいに言うな。
いいことを言えば全部誉め言葉になると思うなよ、
僕みたいに明らかに身長の低いやつに言ったら嫌味みたいになるだろ。
僕の名前は阿良々木だ」
「失礼、かみました」
「違う、わざとだ……」
「かみまみた!」
「わざとじゃない!?」
「タランテラ」
「もはや元の形に似せる気すらないだろ!」
字数しか合ってない。
戦場ヶ原も戦場ヶ原だけれど、八九寺も八九寺でさっそく絶好調だった。
どいつもこいつも、いつもそんなに全力で生きているのだろうか。
64 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 00:18:54.33 ID:2XDN1l3rO
「まったく、阿良々木さんは相変わらず、呼び方一つでいちいちうるさい方ですね。
そういう人は社会に出てから敬礼されますよ」
「それすげえ尊敬されてるじゃん」
「あるいは経営されるとも言いますね」
「言わねえよ。
僕を経営するってなんだ、僕はアイドルにでもなるのか」
「痙攣されます」
「めちゃくちゃ嫌われてる!?」
ちなみに正しくは、敬遠されます。
ていうかさすがに、出会っただけで痙攣されるなんてことがあったら、
もう自室に引き込もってしまう。
そんなの、春休みに匹敵しうる地獄である。
65 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 00:22:14.63 ID:2XDN1l3rO
「じゃあなんですか、阿良々木さんはどんな呼び方が好みなんですか」
やれやれ、と通販番組の外国人みたいに肩をすくめると、
我が侭を言う小さな子供を見るような目をする八九寺。
……なんだか非常に屈辱的である。
僕、何一つ間違ったことは言っていないはずなのに。
「いや、呼び方なんてさ、普通でいいよ。変に凝られても困るし」
「そんなだから没個性とか言われるんですよ?」
「ほっとけよ……」
「そんなだから友達がいないんです」
「ほっとけよっ!」
ただでさえついさっきまで戦場ヶ原にいじめられていたのに、
立て続けに八九寺に毒を吐かれるとかなり堪える。
67 >>66うひひwwwwあざっすwwww 2009/12/13(日) 00:31:09.93 ID:2XDN1l3rO
「と、いうわけで」
こほん、とその八九寺はわざとらしく咳払いをすると。
「そんなに名前をいじられるのがお嫌なら、
『阿良々木』以外のところを変えることにしましょう」
「いや、『阿良々木』以外のとこって、
そこを抜いたらもう変えるとこ『さん』しかねえじゃん……」
「阿良々木くん」
「その呼び方、すでに3人が使ってるんだけど」
「阿良々木ちゃん」
「なにこれ、ちょっときゅんときた!」
「阿良々木じゃん」
「それ絶対最後にwがいっぱいくっついてるだろっ!」
あっれー、阿良々木じゃんwwwwww
くそう、トラウマが……。
74 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 01:08:49.20 ID:2XDN1l3rO
「相変わらず阿良々木さんはいい切り返しをしますね」
「お前に言われたくはないな」
小学生との会話とは思えない鋭さである。
「それにしても考えてみたら、
私は阿良々木さんのこと、あまり知らないんですよね」
「びっくりするくらい唐突な話ではあるけれど、まあ、そうだな。
そもそも僕たち、知り合ってからまだ2週間とちょっとだし」
春休みの羽川を皮切りに、僕は多くの人と出会っている。
それはどれもこれも、ここ最近のことで。
しかし、その出会い方がみんな怪異絡みなだけに、
お互いに一歩目で深いところまで踏み込みすぎて――本来一つずつ積み上げて少しずつ理解していくべきものが、
欠けているのだろう。
互いの趣味とか。
互いの感性とか。
互いの、距離感とか。
76 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 01:12:24.08 ID:2XDN1l3rO
「ではお互いの親睦を深めるために、質問タイムとしましょう」
「うん、まあ、いいけど」
「では、まずは私から。阿良々木さんの好きな動物は?」
「好きなっていうか、ちょっといろいろあって、猫は苦手だな」
「好きな食べ物」
「ラーメン」
「では好きな信号の色」
「信号の色に好きとか嫌いとかあるのか!? うーん、まあ、普通に青じゃないのか?」
「知っていましたか、その色はあなたの血液の色を表しているそうですよ。
青ですか、阿良々木さん最高に気色悪いですね、
今後一切私に近寄らないでください」
「なにそれ!?
確かに僕の血液は吸血鬼のそれだけれど、色は普通に赤だよ!」
「アニメのするがモンキーでは、緑色の血をいっぱい出していたじゃないですか」
「いや、あれはスクールデイズ的な意味で赤はマズイとか、
そういう処置なんじゃないのか……」
あと平気な顔してアニメとか言うな。
「お前の血は何色だァーッ!」
「赤だっつってんだろ!」
78 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 01:15:33.30 ID:2XDN1l3rO
それにしても、今のところ他の誰と話すより、女子小学生との会話が一番楽しい僕って、重症かな。
いや、でも八九寺の場合、幽霊だから、一応生まれてからと考えたら、
僕より年上なのだけれど。
――幽霊。
そういえばこいつ、幽霊、なんだよな。
「なあ、今の八九寺って幽霊じゃん?」
変な気遣いをするのもどうかと思い、単刀直入に話題を変える。
八九寺が幽霊だと言うのなら、どうしても確かめたいことがあるのだ。
「ええ、まあ、そうですが。
阿良々木さんのおかげですっかり浮遊霊となることができました」
八九寺が頷き、僕はその言葉を、繋げた。
「じゃあさ、壁をすり抜けて風呂を覗いたりとか、できんの?」
「……は?」
きょとんとする八九寺。
「なにを言っているんですか、阿良々木さん。
ただでさえ腐っていた脳みそに、ついに蛆虫がわいたんですか」
「お前……いや、ほら、単純にさ、幽霊っていったらやっぱりそういうのは男のロマンじゃん?」
79 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 01:18:28.48 ID:2XDN1l3rO
僕は続ける。
「例えば、羽川のお風呂シーンとかさ、ちょっと僕が八九寺に頼んで見てきて感想を教えてもらうんだよ。
気になるじゃん、羽川のあのけしからんお胸様が果たして、
衣服をすべて取り払った状態ではどんな素晴らしい造形美を保っているのかとか。
なるだろ?
あと意外に羽川って、腰周りとかも綺麗に引き締まってるような気がするんだよな。
羽川なら八九寺が上手く口裏合わせてくれれば、
なんか許してくれそうな気がするし」
80 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 01:20:18.55 ID:2XDN1l3rO
更に続ける。
「あとは神原だけれど、あいつ普段からやたらと脱ぎたがるからな。
むしろそういうのにおおらかというか積極的なやつほど、
完全に油断しきってる風呂とかでいきなり誰かが現れたら、
恥ずかしがったりすんじゃないかな。
あの神原が、慌てて恥ずかしがって、その場でへたりこんじゃったりしてな。
ギャップ萌えっていうのか? 正直たまんないよ。
戦場ヶ原は、まあ、あれはそんなことやったら本気で笑い事じゃなくなるから、今回はいいや。
とりあえず風呂を覗くとしたら、羽川と神原だな」
81 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 01:21:39.01 ID:mvpeP/qsO
やだ…何この変態…
83 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 01:22:50.08 ID:2XDN1l3rO
まだ続ける。
「いや、勘違いするなよ、八九寺
。僕は別にそんなのに興味があるわけではないんだぜ?
まったくさ。0と言ってもいい。
でもさ、仕方ないんだよ。
視聴者的にはそういうのを望んでる人だっているっていうかさ、いや本当、困っちゃうよな。
僕はそんなつもり、まったく一切これっぽっちもないのに。
読者サービスだよ。人気のためにはそういうのも必要なんだ。
嫌なのは分かるけれど、そこは目をつむってもらうしかない」
84 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 01:23:54.18 ID:2XDN1l3rO
「で、結局のところ八九寺、どうなの?」
「触らないでください、この変態っ!!」
「ぎ、――――、――ッ!!!!!!」
激痛。
僕は思いっきり股間を蹴り上げられて、その場にうずくまった。
おのれ、八九寺。
小学生にねちねちとセクハラ発言をして、股間を蹴り上げられる男子高校生の姿が、そこにはあった。
――ていうか、僕だった。
85 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 01:28:11.63 ID:2XDN1l3rO
「まったく、阿良々木さんは本当にしょうがない人ですね。
阿良々木という苗字にはろくな人がいません」
「それは全国の阿良々木さんに謝れ!」
「問題ありませんよ、阿良々木という苗字は現在、
阿良々木暦さん、あなたしか使っていませんから」
「使ってるよ!
少なくとも僕の妹たちと両親と父方の親族はみーんな使ってるよっ!」
「なんと! グララ木さんにはご家族がいらっしゃったのですか!?」
「そんな驚くようなことか!?
僕は確かに半分吸血鬼だけれど、別に人造人間とかではないから家族くらい普通にいるよ!
あと、さりげなく僕の名前を地震人間みたいに言うな、僕の名前は阿良々木だ!」
「失礼、かみました」
「違う、わざとだ……」
「かみまみた!」
「わざとじゃない!?」
「髪切った」
「八九寺ちゃんのお洒落好きっ!」
「噛みきった」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁああああああああああああっ!!!」
八九寺はたまに本気で僕のことを噛むので、ちょっと笑えない。
88 さるさんくらいすぎワロタ 2009/12/13(日) 02:02:50.97 ID:2XDN1l3rO
「あぁ、そういえば、幽霊で思い出しましたのですが」
ふと呟くように、八九寺は言った。
「阿良々木さんは、最近、この辺りでこんな噂があるのを知っていますか?」
「……なんだよ」
「最近、夜になると、出るらしいですよ。勿論、私以外のです」
「うん?」
八九寺は、そこで、息を潜めて。
胸の前で両手の手首の力を抜き、ぷらんとさせたお決まりのポーズで。
囁くように、その言葉を、落とした。
「つまり――この辺りで、オバケが出る、という噂です」
90 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 02:05:48.09 ID:2XDN1l3rO
005
翌日の放課後。
「……幽霊?」
岡崎は、いぶかしむように眉を寄せた。
件のストリートバスケットコート。
どうしても外せない用事があるとかで戦場ヶ原塾が中止になり、
暇を持て余した僕は、図書館や自室で勉強に励んでいなくちゃいけないと自覚しつつ、
しかし現実逃避の魅力はとてつもなく強力で、ふらふらと気の向くままにママチャリサイクリングをしていた際に、
橋の上から岡崎の姿を見つけたのである。
「そう、幽霊。詳しいことは分からないけれど」
「ふぅん、幽霊ねぇ。阿良々木、お前、そういうの信じるタイプなわけ」
「まあ、そうだな。いるんじゃないかって思うよ」
なんせその話をしてくれた友達っていうのが、そもそも幽霊だったりする。
92 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 02:10:59.74 ID:2XDN1l3rO
昨晩、八九寺から聞いた幽霊の話は、実に不確定で不確かな情報で、
どうやらこの辺りで幽霊が出るらしいというだけだった。
しかし火のないところに煙はたたないとも言うし、
一応、暇なときに調べておいてくれと頼んだら了解してくれたけれど、
まあ、たまに思い出したように浮上する都市伝説の類だろうと、僕は軽く考えている。
幽霊。
噂は噂。
都市伝説。
話半分。
道聴塗説。
ちょっと最近いろいろありすぎて、不安要素に、敏感になりすぎているのだろう。
93 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 02:11:59.96 ID:2XDN1l3rO
「……あ、そ」
岡崎は、大した興味もなさそうにそう言葉を漏らし、続ける。
「しかし、暇だな」
「そうだな」
「せっかくだしなんかして遊ぼうぜ!」
「いいけど……なにすんの」
「阿良々木が俺のためにジュース買ってくるゲーム」
「それ僕がただのパシリなだけじゃん……」
「なら阿良々木が俺のために弁当買ってくるゲームにしよう」
「別に買ってくるものがジュースであることに文句を言ってたわけじゃねえよ!」
「え、文句ねえの?」
「ジュースのとこにはな!」
「サンキュー、ならさっさと買ってこいよ」
「パシリのところに文句があるんだよっ!」
なんで仏頂面がスタンダードなくせに、こういうときだけ無意味に楽しそうにするんだ。
94 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 02:13:31.75 ID:2XDN1l3rO
「ったく、分かった。じゃあじゃんけんにしよう」
「あぁ、まあ、それなら公平だけれど」
「よし、じゃんけんして負けた阿良々木が俺のためにジュース買ってくるゲームな」
「え? ちょ、負けた阿良々木って、負けた岡崎は!?」
「いくぞ、じゃんけんぽんっ!」
「よし、勝った!」
「くそぅ……もっかい、じゃんけんぽんっ!」
「よっしゃあ、二連勝!」
「まだまだ! じゃんけんぽんっ!」
「はっはっは、三連勝!
………ってこれもしかして僕がジュース買いに行くまでじゃんけんを続けるだけのゲームなのか!?」
「うん」
「ふざけんなっ!」
勢いに任せてうまくのせられてしまった僕も僕ではあるけれど、
平然な顔をして岡崎は言いやがるのだ。
やり口が戦場ヶ原とも八九寺とも違う、新たなタイプの毒吐きキャラである。
95 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 02:18:44.61 ID:2XDN1l3rO
「というわけで、ジュース買ってこいよ」
「行かねえよ……」
「頼むからっ!」
「頼んでも行かねえよっ!」
「一昨日不良に絡まれてる阿良々木を助けてやったのは誰だと思ってるんだ?」
「知らねえよ、記憶を改竄するな!
僕は不良に絡まれてる岡崎なら助けたけどなっ!」
すると岡崎は、ふいに視線を足元に落とすと。
重大な告白をするように、言葉を溢した。
「阿良々木、俺さ……実は、病気なんだよ」
96 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 02:21:13.99 ID:2XDN1l3rO
「え?マジで?」
「ああ」
「治療は?」
「治らない。不治の病なんだ」
「病名は?」
「炭酸しゅわしゅわ中毒。炭酸ジュースを摂取しすぎると稀に発症するんだ。これにかかったやつは、炭酸を飲むと……」
「の、飲むと?」
「死ぬ」
「マジかよ……」
「余命はあと1時間。だからさ……俺の最後の頼みだと思って、ジュース買ってきてくれ」
くそ、せっかく知り合えたのに、死んでしまうなんて。
なんという不幸。
けどだからこそ、僕は笑って送り出してやろうと、決めた。
「それなら仕方ないな、行ってきてやるよ。旅立つ岡崎への、せめてもの手向けだ」
「ラッキー、俺コーラな」
「それお前即死するじゃねえかっ!」
「え、なんで?」
「いや、なんでって、炭酸しゅわしゅわ中毒なんだろ、岡崎」
「はぁ? なんだって? んなアホみたいな病気あるわけねえだろ」
「お前が言ったんだろっ!」
「あれ、そうだっけ?」
「……………」
「お前面白いな」
98 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 02:25:08.25 ID:2XDN1l3rO
岡崎はそう言ってちょっとだけ笑うと、落ちていたバスケットボールを拾い、ドリブルを始める。
手慣れた動作。
経験者特有の、それ。
だから、なんとはなしにかけた僕の台詞が――岡崎のなにを突くことになるのか、予想できなかった。
「岡崎ってさ、部活とか入ってないのか? バスケットボール部」
瞬間。
喉を刃物で切り裂かれたと錯覚を引き起こすぐらいの、
頭の芯まで塩の塊を詰め込まれたみたいな、
鈍重で悪寒だらけの嫌悪感が、あった。
頭から冷水をかけられたような、ぞっとするほど奇妙な感覚。
全身の毛が逆立つ。
耳鳴りが渦を巻いて、五感があるべき方法を見失い、
遭難した視覚味覚聴覚嗅覚触覚を手繰り寄せようと呼吸をして。
そんな、ざわざわとした手触りの空気の中――ぎらついた、貫くような岡崎の双眼が、
僕を、真っ直ぐ、射抜いていた。
鈍く光る、切れ長の、ナイフのような。
ぎらぎらと紅く輝く。
灼けた狼の、瞳。
106 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 03:02:12.48 ID:2XDN1l3rO
「岡ざ、き……?」
思わず漏らした僕の呻き声に、岡崎は、はっとしたような仕草のあと、目をそらした。
張りつめた空気が弛緩する。
「あ、いや、悪い、阿良々木。なんでもない」
「なんでもないって……」
岡崎は。
しばらく迷うように、黙ったあと。
「……中学の頃は、バスケ部だったんだ」
そう、言葉を落として。
「レギュラーで、キャプテンだったし、この辺りの中学じゃあ、そこそこ名前も売れてて」
まるで罪の告白をするように、続ける。
107 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 03:05:15.78 ID:2XDN1l3rO
「スポーツ推薦で高校も決まってさ。
だけど、三年最後の試合の直前に親父と大喧嘩して……怪我して、試合には出れなくなってさ」
岡崎は、ボールを頭の上に構えようとして。
「それは、取っ組み合いになるような喧嘩で。
壁に右肩をぶつけて。
医者に行ったときにはもう――右腕は肩より上に上がらなくなってた」
右腕がボールごと、力なく垂れ下がった。
「部活は――それっきりだ」
スポーツ推薦が決まってからの怪我だったため、合格を取り消されることこそなかったものの、
結局バスケ部には入れなかったのだと岡崎は語った。
「スポーツ推薦で入った俺は勉強にもついていけないし、もうずっと、授業もろくに出てない。
遅刻とサボりの常習犯だよ」
108 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 03:09:01.73 ID:2XDN1l3rO
それは――それは、果たしてどれほどの、苦痛なのだろう。
岡崎のそれは、例えば才能がなかったとか、努力が足りなかったとか、そういった挫折ですら、ない。
一言で言ってしまえば運が悪かったというただそれだけの、しかし明らかな、喪失だった。
その絶望が、どんなものなのか、僕には分からない。
分かるなんて言っては、いけないと思う。
だから。
「だけど岡崎は、バスケが嫌いになったわけじゃないんだろ?」
「あぁ、まあ。ここでこうしてバスケをしてるのはたぶん、未練だ。
二度と部活なんかできない右肩なんだって、確認してるんだよ――諦めるために」
だったら、僕は、ボールを拾い上げて。
「なら、僕とバスケをしよう」
「………は?」
「バスケだよ、バスケの勝負」
「あのな、阿良々木。俺は右肩が上がらないんだって今言っただろ」
「だからだよ。見てろ」
109 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 03:12:05.44 ID:2XDN1l3rO
ぼすぼすとボールをつき、僕は素人丸出しのたどたどしいドリブルでゴール下に走り込み、
ジャンプをすると、片手でボールを掬い上げるようにして持ち上げ――放ったレイアップシュートは、
リングに擦ろうとかそういった意思すら垣間見ることさえ皆無な皆目検討もつかない方向へとすっ飛び、
ぼすん、と鈍重な音を立ててコートに転がる。
振り返り、呆然としている岡崎に言葉を投げる。
「見ての通り、僕は素人だ。自慢じゃないけれど、バスケなんか体育の授業でしかやったことがない。
でも、ちょっと事情があって、身体能力は普通の人間よりはいいと思う」
あるいは、それなら。
「右肩が使えないバスケ経験者となら、試合になるかもしれないだろ」
僕の言葉に、岡崎は挑戦的に口元を歪めた。
「阿良々木。なめるなよ」
「かかって来いよ、岡崎。バスケをしよう」
拾ったボールを岡崎に投げると、ぎゅっと体を沈め、臨戦体制をとった。
110 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 03:15:22.10 ID:2XDN1l3rO
―――
結果から言って、見事に惨敗だった。
そりゃそうだ、いくら吸血鬼補正で身体能力が上がっていようと、
単純な走りではついていけてもフェイントをかけられたら一発だし、
そもそもこっちのシュートが決まる確率はほとんど0なのに対して、
岡崎は左からのレイアップなら綺麗に入れてくる。
その結果、途中から数えるのも面倒くさくなった得点差が、
おそらく、20や30じゃきかなくなったであろう辺りで、僕は降参とばかりにコートに寝転がった。
気付けば辺りはもう薄暗く、ナイター用のみみっちい電灯が、
細々とした灯りを投げていて、わらわらと虫が集まってきていた。
このまま続ければ、吸血鬼補正で夜目が効く僕になら逆転のチャンスがあったかもしれないと、明らかな負け惜しみを思う。
結果から言って、見事に惨敗だった。
そりゃそうだ、いくら吸血鬼補正で身体能力が上がっていようと、
単純な走りではついていけてもフェイントをかけられたら一発だし、
そもそもこっちのシュートが決まる確率はほとんど0なのに対して、
岡崎は左からのレイアップなら綺麗に入れてくる。
その結果、途中から数えるのも面倒くさくなった得点差が、
おそらく、20や30じゃきかなくなったであろう辺りで、僕は降参とばかりにコートに寝転がった。
気付けば辺りはもう薄暗く、ナイター用のみみっちい電灯が、
細々とした灯りを投げていて、わらわらと虫が集まってきていた。
このまま続ければ、吸血鬼補正で夜目が効く僕になら逆転のチャンスがあったかもしれないと、明らかな負け惜しみを思う。
111 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 03:17:52.53 ID:2XDN1l3rO
「おい、阿良々木」
「……ん?」
ワイシャツ姿の岡崎が、ボールを小脇に抱えて、呆れたような顔で覗き込んできた。
さすがに息が切れている。
それに、僕は、笑ってやった。
「楽しいな、バスケ」
岡崎も、ふっと、口元を弛めると。
「いいからジュース買ってこいよ、負け犬」
「なんでだよっ!」
「え、そういうルールだったろ」
「……そうだっけ」
「あぁ。バスケで負けた阿良々木が俺のためにジュース買ってくるっていう」
「負けた阿良々木って、負けた岡崎はっ!?」
「負けない」
「ぐっ……」
実力差が圧倒的すぎて言い返せない。
113 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 03:22:35.47 ID:2XDN1l3rO
「ま、いいや」
岡崎は、身体ごと放り投げるみたいな杜撰さで僕の横に寝転がった。
バスケットのゴールと、僕らの街を繋ぐ橋と、ちょっと濁った空に光る一番星。
星の名前なんか僕はほとんど知らないけれど、戦場ヶ原と、いつかもっと綺麗な星空を見たいと、ぼんやり思った。
「……阿良々木」
岡崎の声。
「うん?」
「そういえばさ、お前、後をつけられたりとかしてないか?」
「……いや、僕はあんまり目立たないほうだし、
誰かに目をつけられるようなことをした心当たりすらないけれど」
「そっか。まあ、一応、気をつけろよ。
俺、最近、後ろから誰かに見られてたり後をつけられてる感じがするんだ。
一昨日の不良たちかもしれない」
「それ、大丈夫なのかよ……」
「ま、大丈夫だろ。襲ってくる感じでもないし」
たいして気にもしていないように言って。
「ただ、前ここに置いてった制服のブレザー、あの工業高校生たちに持ってかれちまったのは困るな。
あれ一着しか持ってないし、いつか、ついてくるやつの一人捕まえて取り替えさないと」
「あ……あぁ、そうだな」
岡崎のあまりに不機嫌そうな声色に、僕が預かってると言えなかった。
114 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 03:24:56.84 ID:2XDN1l3rO
岡崎は、しばらく黙ったあと。
「阿良々木」
囁くような、意思のない、ざらざらした声。
「うん?」
「おまえ、高校どこ?」
「……直江津高校」
「へぇ」
「とは言っても、落ちこぼれだよ。
数学以外は赤点ばっかりだし、今日だって、明後日のテストのために勉強しなくちゃいけないのだけれど、こうして遊んでる」
なにかに言い訳をするように付け加えると、
岡崎がからかうように口元で笑ったのが、なぜか見てもいないのにわかった。
「なら、橋の向こうの町か」
「そうだけど。岡崎は光坂だよな」
「……なんで知ってんだよ。あぁ、ワイシャツの校章見れば分かるか」
115 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 03:28:50.84 ID:2XDN1l3rO
岡崎はそこで、一呼吸いれて。
「おまえ、あの町は好きか?」
「あの町って、自分の?
いや、どうだろう、岡崎のとことは違ってド田舎だから不便なのは確かだけれど、
町を好きか嫌いかで見たことってあんまりないし。
あの町に住んでたから巻き込まれた事件もいっぱいあるけれど、
まあ、それと同じくらい、あの町に住んでなきゃ知り合えなかった人も――たくさんいる」
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード。
忍野メメ。
羽川翼。
戦場ヶ原ひたぎ。
八九寺真宵。
神原駿河。
そして――岡崎朋也だって、そうだ。
「だから、取り立て嫌いってわけじゃないかな」
128 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 07:27:50.34 ID:2XDN1l3rO
「そうか」
隣で、もぞもぞと動く気配があった。
たぶん岡崎は、自分の街を見ているのだろうと、思う。
「俺は」
醒めた声。
「俺は――この町は嫌いだ」
熱のない、ざらついた感触。
「――忘れたい思い出が、染み付いた場所だから」
起き上がって、岡崎がどんな表情をしているのか見て、そして、なにか言うべきなのだと思った。
岡崎の抱えているものを、受け取ることはできないけれど、
せめてほんの1%でも、共有すべきなのだと思う。
岡崎は今、おそらく、悲痛な悲鳴を、あげているのだから。
それくらい、僕にだって分かる。
だけど。
だけど体は動かなかったし、勿論――声だって一つも出なかった。
130 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 07:39:22.18 ID:2XDN1l3rO
006
さて、翌日水曜日の放課後。
例によって例のごとく、一度家に帰って着替えてから戦場ヶ原の家に向かって自転車をこいでいると、
なんだかもう見慣れてしまった感すらある後ろ姿が視界に入った。
あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロと落ち着かない様子で歩きながら大きなリュックを揺らす彼女は、
言うまでもなく、八九寺真宵である。
八九寺との遭遇率が高いと、なんだかお得な気分になるのはどうしてだろうか。
僕はブレーキを駆使して自転車の速度を落とし、八九寺の横に並んだ。
131 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 07:43:09.53 ID:2XDN1l3rO
「よっ、八九寺」
「おや、ネララ木さん」
「僕を某巨大電子掲示板を利用する人たちの総称みたいに呼ぶな、
いい加減ちょっと諦めかけているきらいもあるけれど、
僕の名前は阿良々木だ」
「失礼、噛みました」
「違う、わざとだ……」
「かみまみた!」
「わざとじゃない!?」
「加入した」
「なにに加わったんだ!?」
「おニャン子クラブ」
「古いよ!八九寺、お前何歳だよ!
せめてモーニング娘に憧れる歳だろ!?」
あれ、でも今の小学生ってモーニング娘に入りたいとか思わないのかな。
アイドルに詳しくはないのでよく分からなかった。
ていうか、モーニング娘ってまだあるのか?
「さて、それでは仕切り直しまして」
ごほん、とわざとらしく咳払いをすると。
132 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 07:47:57.87 ID:2XDN1l3rO
「おや、墓場木さんではありませんか」
「お前さ、仕切り直す気全っ然ないだろ……
あともはやほとんど原型がなくなってるじゃねえか、それじゃあただの鬼太郎だ。
いいか、本日二度目だけれど改めて言うと、
僕の名前は阿良々木だ」
「失礼、かみまみた」
「違う、わざと……じゃない!?
って、面倒臭いからって段階を飛ばすな!」
「ラミアいた」
「逃げろ、そいつはギリシア神話に登場する、子供を拐う蛇女だっ!」
壮絶な噛み方である。
136 >>134そういえばそうだ!絡ませる予定なかった…… 2009/12/13(日) 07:55:22.18 ID:2XDN1l3rO
「しかし墓場木さん」
「阿良々木だっつってんだろ」
「でも、阿良々木さん、アニメのビジュアルではこう、
長い前髪で片目を隠して鬼太郎みたいじゃないですか」
「そうだけど! 確かにそうだったけれど、
そういうメタな発言は控えてくれないかな!」
「シャフトさんはダンス イン ザ ヴァンパイアバンド作るとか
荒川アンダー ザ ブリッジ作るとか言ってないで、
さっさとつばさキャットの続きを配信するべきだと思います」
「お世話になってんだからやめろよ……」
「あとおそらくそんなのより、傷物語と偽物語を見たいと思っている人が大半ですよ」
「お世話になってんだからやめろよっ!」
「あとみつどもえがシャフトっていうのは確かなんでしょうか?
ソースは?」
「知らねえよっ!」
ちなみに僕は個人的に、荒川アンダー ザ ブリッジが楽しみでしょうがない。
137 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 07:59:08.35 ID:2XDN1l3rO
「あとさ、八九寺。
これ、一応するがモンキーとなでこスネークの間の話だから、このときアニメ化の話なんかまったく出てないはずなんだよ。
時系列がぐちゃぐちゃになっちゃうから、本当にやめてくれ」
せめて傷物語辺りの話になるまで我慢しような。
「……………」
答えはない。
ただの屍ではないようだけれど。
「……八九寺?」
「……………」
「八九寺ちゃーん?」
「……………」
「イタズラしちゃうぞー?」
「はっ! ………すいません、阿良々木さん。
ちょっと4と9の公倍数を数えるのに夢中になってしまいまして」
「なんでこのタイミングで!? そんなに僕が嫌いか!」
138 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 08:00:48.26 ID:2XDN1l3rO
「いやいやいやいやそんなまさか阿良々木さん、
ご自分が他人に好かれるような人柄だとお思いでしたか?」
「否定すると思わせておいてなにより傷付く言い方をしたな!
そんなこと思っちゃいないけれど、かなり本気で凹むからやめてくれ!」
「おや、そんなに露骨に落ち込んでしまってどうなさいました?
ラブキューピーと呼ばれた私に何でも相談するといいですよ」
「どんな料理にもマヨネーズをかけて食べるからそう呼ばれているに違いないことが
悩み事の解決になんの関係があるのか僕にはさっぱり想像もつかないけれど、
今僕が悩んでいるとしたら、八九寺、お前のその口の悪さについてだよ。
いくら丁寧な口調で言っても、罵倒は罵倒だし侮蔑は侮蔑なんだぞ」
あとラブキューピーとか、たぶん、本当に一部の人しか反応できないネタだからな。
140 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 08:12:20.58 ID:2XDN1l3rO
「阿良々木さん、私にそんなことを言ってもいいんですか?
私は曲がり尻尾にも幽霊なんですよ?」
「曲がり尻尾にもって、お前それ、猫の尻尾に対する形容じゃん」
それじゃ八九寺、猫ってことじゃん。
幽霊でもなければ、ましてや蝸牛でもねえよ。
まよいキャット。
いくらつばさキャットが配信されないからって、
八九寺じゃ羽川ほど猫耳が似合うキャラにはなれないから早々に諦めてほしいものだ。
なにせ羽川翼は、世界一猫耳が似合う女である。
ゴールデンウィークのことなんか、正直、思い出したくもない悪夢だけれど、
羽川の猫耳姿を見れたという点だけは阿良々木暦史に残る出来事だ。
ちなみに訂正が遅れたが、正しくは、曲がりなりにも幽霊。
141 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 08:16:50.16 ID:2XDN1l3rO
「で、お前が幽霊だからなんなんだよ」
「分かりませんか?
つまり、阿良々木さんが一人夜道で歩いているところを後ろからこうやって」
八九寺は、眉をハの字にしながら、右目で上、左目で下を向き、
更にザクロみたいな綺麗な赤い舌を放心したようにだらんと出すという
実に器用で奇妙で面妖な(ていうか人間技じゃねえ)表情をしてみせて、言葉を繋げた。
「うらめしやー、と脅かすこともできるんですよ?」
「めちゃくちゃこえー!」
そんな表情できることが。
「ふっふっふ、チェロスいものです」
「甘いものが食いたいのか?」
ちょろいものです。
だが、しかし。
僕の反撃はこれからだ!
143 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 08:18:32.12 ID:2XDN1l3rO
「甘いなー、八九寺は。今時うらめしやなんて、時代遅れだぜ?」
「そ、そうなんですか!?」
「そうだよ。お前、今時、驚いたときに『そんなバナナ!』って言われて笑えるか?
それと同じだよ。どんなにタイミングよく怖い顔をしても、
うらめしやーじゃあ怖がれないって」
「ふむ、勉強になります。
策士策に溺れて待ちぼうけというやつですね」
「うーん……確かにびっくりするくらい口当たりはいいけれど、そんな諺は明らかにお前の造語だ」
「うらめしやは時代遅れですか。
私、大変恥ずかしいことを言っていたと自覚しました。
私は大人恥ずかしな女です!」
「幽霊だからってサボってないできちんと流行にのらなきゃダメだぜ、八九寺ちゃん」
ちなみに大人恥ずかしは、大人にも劣らない知識だ、とか、大人も顔負けするほどだ、とかいう意味で、
自分の知識のなさを恥ずかしく思うみたいな意味はない。
むしろ誉め言葉である。
自分に使ったら自画自賛。
146 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 08:22:08.36 ID:2XDN1l3rO
「阿良々木さん、私はいったいどうすればいいのでしょうか……」
「そうだなぁ。最近のトレンドといえば、やっぱりオタク文化だろ?
ロリってだけじゃ、やっぱりキャラが弱いんだよな」
八九寺の場合、毒を吐くという追加ポイントもあるけれど、
しかしある意味ツンデレみたいなものと考えれば新しさがない。
デレないけど。
……デレないけれどっ!
147 >>142平安時代なら真宵は合法ロリ……ゴクリ 2009/12/13(日) 08:24:16.33 ID:2XDN1l3rO
「ではこういうのはどうでしょう」
こほんと八九寺は咳払いをすると。
「まよいデレ」
「名前にデレをくっつけただけじゃねえか!
語呂なんかもうめちゃくちゃ悪いし、そもそもどんなデレなのかさっぱりわからない!」
「道に迷うとデレるんですよ」
「それはただ心細いだけだな!」
子供っぽいと言えば子供っぽいが。
「まよいデレデレ」
「まよいマイマイみたいに言うな!」
しかもまよいデレデレとかちょっと可愛いしな! 見てみたい!
「語呂がそんなに気になるのでしたら、四文字にしましょう」
「まあ、語呂が悪いよりはいいよ……」
「マヨデレ」
「お前はさっきからどんだけマヨネーズ好きなんだよっ!」
まよいマヨラー。
148 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 08:30:33.49 ID:2XDN1l3rO
「もう分かりやすく語尾になんかつけてみろよ。
『だわ』とか『なの』とか」
「そんな恥ずかしい語尾、死んでも嫌です!
あるいは死ぬほど嫌と言い換えてもいいでしょう!
むしろそれを言うくらいなら死んだほうがマシです!
もう死んでますけどね!」
「『ですぅ』とか『かしら』ならどうだ」
「嫌に決まってます!
ていうか長台詞を喋ってボケたんですからスルーしないでください!」
「『でげす』は?」
「阿良々木さんは既製品の語尾に頼って満足なんですか?
そんなんだからありがちな平凡な主人公キャラから抜け出せないんですよ」
「余計なお世話だ!」
「いつまでもそんな男でいいと思っているんですか!」
「いや、僕は別にいいと思ってるけれど」
「びーけあふる! 阿良々木さんの意見なんて聞いていません!」
「質問しておいて!?」
ちなみに最初のびーけあふるは、びーくわいえっとの間違いだと思う。
149 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 08:31:44.54 ID:2XDN1l3rO
「そんなに言うなら八九寺、お前、なんか独特で可愛い語尾を考えてみろよ!」
「そうですね。『エーストゥ』なんてどうでしょうか」
「いや、確かにそんな語尾のやつは見たことも聞いたこともないけれど、
可愛くないし明らかにおかしいだろ……」
「全然おかしくなんかないエーストゥ」
「やっぱりおかしい!」
「どこがおかしいエーストゥ?」
「全体的におかしいよ、可愛さ要素なんて皆無だしさ!
そもそも言いにくいだろ!」
「とっても言いやすいエーフヒュ」
「言い間違えてんじゃねえか!」
「失礼、かみましエーストゥ」
「違う、わざとだ……」
「かみまみエーストゥ!」
「わざとじゃない!?」
「えへっ、はにかみエーストゥ☆ミ」
「可愛すぎるーっ!!!」
アホな会話である。
どうしようもなく、アホな会話である。
150 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 08:38:28.74 ID:2XDN1l3rO
「ところで阿良々木さんは、こんな時間からお出かけですか?」
八九寺はまるで何事もなかったような顔をして、
話を強行にまともな方向に戻した。
「ああ……先月末に会ったときに言ったろ?
戦場ヶ原の家で勉強なんだ」
「あぁ、知能テストがあるんでしたね」
「その言い方でも間違ってはいないけれど、
学校の定期試験を知能テストって言うやつ、僕は初めて見たよ」
「天井に吊り下げたりガラスの箱に入れたバナナを、
様々な道具を使って取れるかどうかってやつですよね」
「測る知能のレベルが低すぎる! 僕の知能はチンパンジー並かよ!」
ちなみにチンパンジーの知能って人間で言うと三歳児と同じくらいらしいから、暗に馬鹿にされているのだろう。
おのれ、八九寺。
151 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 08:39:24.44 ID:2XDN1l3rO
それにしても、チンパンジー並か。
「八九寺、僕のことをなんだと思ってるんだ……」
「阿良々木さんほど形影相憐という言葉が似合う人もいませんよね!」
「けいえんそうりん……? なんだそれ、すげえ格好良いけど、どんな意味だ?」
「自分で自分を憐れむ、という意味です」
……最低だった。
155 さるさん 2009/12/13(日) 09:47:20.79 ID:2XDN1l3rO
「そういう八九寺は、なにしてるんだ? 散歩か?」
無理矢理話を戻した僕の問いかけに、八九寺はそうでしたと小さく言って、
「阿良々木さんを探していたのですよ」
そう、続けた。
「……僕を? なんでまた」
「先日お話した、幽霊の件です。
今分かっていることだけでもお教えしておこうかと思いまして」
ふいに八九寺の纏う空気が、真剣なものに変わる。
156 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 09:48:38.15 ID:2XDN1l3rO
幽霊。
八九寺真宵の正体。
そして――今、密かに街を騒がしている、ナニカ。
八九寺の存在を認める以上、そもそも幽霊が存在しないなんてことはない。
だから僕が見極めなくちゃいけないのは。
それがただの噂話なのか、あるいは、深刻な実話なのか。
そして。
善意か――悪意か。
「結論から言いましょう」
「ああ」
「とは言っても、まだはっきりとしたことを言える段階ではありませんし、
私だってあれが本当に幽霊なのかと言われたら簡単に首を縦には振れませんが」
八九寺真宵は。
善意の幽霊は。
「少なくとも今回の噂の中で幽霊と呼ばれる存在は――確かに、実在します」
そう、答えを出した。
157 あ、あと一応、CLANNADのほうは知らなくても分かるように頑張ります 2009/12/13(日) 09:58:07.67 ID:2XDN1l3rO
007
「よう、岡崎」
「お……えっと、名前なんだっけ?」
「一緒にバスケやった仲のに!」
「あぁ、思い出した。悪い悪い、最近よく会うな、斉藤」
「それは全然違う人だっ!」
「『さ迷える悠久の荒野』斉藤」
「勝手に変なキャッチコピーをつけるな! しかも斉藤じゃない、僕の名前は阿良々木だ!」
「惜しいっ!」
「惜しくねえよ!」
「分かってるって。お前の名前は斉藤アララギな」
「アララギが下の名前なんてことあり得るか!
斉藤ってのが誰のことなのかは僕にはまったくもって預かり知りえないことだけれど、
そいつのこと好きすぎるな、お前は!」
「斉藤ってすべての苗字の中で最強なんだぜ?」
「え、そうなのか?」
「あぁ。だからおまえは今から斉藤を名乗れな」
「名乗らねえよ!」
159 >>158先に言っとくとCLANNADのヒロインは出てこないです 2009/12/13(日) 10:01:48.55 ID:2XDN1l3rO
八九寺と別れてすぐあと、戦場ヶ原との約束の時間にはまだ余裕があった僕は、
橋の下のストリートバスケットコートにいた。
岡崎はやっぱりそこで一人でバスケをしていて、
だから僕が話しかけるといつものようなそんなやりとりのあと、
鋭い眼光に、口元をちょっとだけ弛めて言う。
「まあ、ともかくサンキューな。飲み物買ってきてくれたんだろ?」
「んなわけねえだろ……」
どんだけ気が効くやつだと思ってるんだ。
「なんだよ、違うのかよ」
「当然だろ。
岡崎、僕のことどういう風に思ってるのか知らないけれd「ジュース持ってないならお前もう帰れな」
「僕の価値はそんだけなのか!?」
「………え?」
「そんな、今更何言ってんのこいつ、みたいな目で僕を見るな!」
最近、僕に優しい人間に滅多に会わない。
僕の生活には圧倒的に、羽川が足りていないと思う。
明日は朝早く行って羽川と絡もうかな。
羽川って意外に使いにくいから、描写されることはないだろうけれど。
160 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 10:04:13.14 ID:2XDN1l3rO
「まったく、まさか2歳も年下のやつにこんなにナチュラルにパシリ扱いされるなんて思わなかったよ」
「日頃の行いが悪いせいだな」
「まず間違いなくお前のせいだよっ!」
「んなことねえよ。
だってお前、毎日のように全裸で『ウヒャヒャヒャ』って笑いながら町中走り回る趣味に勤しんでるんだろ?」
「一回もやったことねえよ!
いくらうちの町が田舎だからって、さすがにそんなことをしたら捕まるくらいには警察も仕事してるよ!」
と、そんな風に、相も変わらずの言葉を交わしたあと。
161 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 10:13:11.27 ID:2XDN1l3rO
「岡崎。またバスケットボールの相手になってくれよ」
僕は、そう声をかけていた。
「やだよ、めんどくせぇ……」
「そこをなんとかさ。友達だろ?」
「お前、他人って書いて『ともだち』って読むのな」
「普通に友達って書いて『ともだち』って読むよ!」
「え? じゃあお前の中で他人と友達って同義語なの?」
「普通に対義語だよ!」
容赦がなさすぎる。
いい加減ちょっと傷付く……。
162 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 10:17:18.29 ID:2XDN1l3rO
「まあ、どうせ暇だし、いいけど。でも阿良々木、お前、昨日全然相手にならなかったじゃん」
「その点に関しては大丈夫だ。
今日、授業中にさ、図書室で借りてきたバスケットボールの入門書読んできたから、
基本はバッチリ頭に入ってる」
「勉強しろよ……」
まったくだ。
「とは言っても、岡崎と普通に勝負しても勝てないのは僕だって分かっているし
……よし、こういうのはどうだ?」
「あ?」
びしり、と岡崎を指差して、僕は声高らかに宣言した。
「時間内に、スコア差が三倍ついたらお前の勝ちだっ!!」
「それ、全然かっこよくないからな……」
「いいからやろう。初心者だし、ボール、僕からでいいよな」
「いいけど……昨日の二の舞になっても知らないぞ」
「昨日の僕と同じだと思うな。吠え面かいてやるよ!」
「それ、負けてるからな……」
163 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 10:20:28.18 ID:2XDN1l3rO
―――
勿論、結果は再び惨敗だった。
本を読んだだけで上手くなるようなら、誰も苦労なんかしないのである。
きっちり三倍、点数を離された。
……吠え面をかいた。
「くそう……」
コートの傍のベンチに項垂れる。
隣の岡崎はバスケットボールを手でいじりながら、乱れた息を整えていた。
「喉渇いたな」
「……そうだな」
僕の言葉に岡崎は頷き、続ける。
「悪い、買ってきてくれ」
「いや、僕が買ってもらいたいくらいだよ」
「だから悪いって言ってるだろ……」
「お前の誠意はそんな程度のものなのかよ……」
「うるせえな、さっさと行けよ!!」
「なんでお前がキレるんだよっ!?」
なんかもう、精神的な疲労が笑い事じゃない。
勿論、結果は再び惨敗だった。
本を読んだだけで上手くなるようなら、誰も苦労なんかしないのである。
きっちり三倍、点数を離された。
……吠え面をかいた。
「くそう……」
コートの傍のベンチに項垂れる。
隣の岡崎はバスケットボールを手でいじりながら、乱れた息を整えていた。
「喉渇いたな」
「……そうだな」
僕の言葉に岡崎は頷き、続ける。
「悪い、買ってきてくれ」
「いや、僕が買ってもらいたいくらいだよ」
「だから悪いって言ってるだろ……」
「お前の誠意はそんな程度のものなのかよ……」
「うるせえな、さっさと行けよ!!」
「なんでお前がキレるんだよっ!?」
なんかもう、精神的な疲労が笑い事じゃない。
164 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 10:22:24.42 ID:2XDN1l3rO
「いや、この前、他人のためにパシられるのが大好きでそれだけが人生の中での楽しみなんだって言ってたじゃん」
「そんなことを言った覚えはこれっぽっちもねえな!
それ僕、ただの痛い人だろ!」
「だっておまえ、この前も全裸で『ウヒャヒャヒャ』って笑いながら町中走り回って俺のためにコーヒー買いにいってたじゃん」
「そんな僕がヤバい人みたいな出来事の記憶はまったくない!
すべてお前の妄想だろ!」
すると、本当に哀れむような目を向けてくる岡崎。
「そりゃおまえ、阿良々木がマジでヤバい人だからだよ……」
「うそ、マジで?
僕は全裸で『ウヒャヒャヒャ』って笑いながら町中走り回って岡崎のパシリをしておいてその記憶を失うようなヤバいやつだったのか!?」
「冗談だよ……」
「いや、分かってるけどさ」
「冗談だっつってんだろ!」
「そこまで急に元気に言われると逆に疑わしい!」
「じょ、冗談だって……」
「どもるなよ、不安になる! こら、目をそらすな、岡崎!」
「冗談だよな?」
「疑問系!? なんか僕、本当に自分がヤバいやつのような気がしてきた!」
「冗談じゃない」
「ついにそもそもの元の文が否定文になった! 冗談じゃないよっ!」
165 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 10:23:41.10 ID:2XDN1l3rO
結局僕らは揃って近くの水飲み場で喉を潤すと、時計を見る。
そろそろ戦場ヶ原との待ち合わせに向かうにはいい時間だった。
「じゃあ、僕、そろそろ行くよ」
そう言うと、岡崎はほんのちょっとだけ残念そうな顔をした……ように思う。
「あぁ。じゃあな、えっと……宮越」
「誰だよ……」
「『何度でもやってくる月曜日』宮越」
「無条件で大多数に嫌われるようなキャッチコピーをつけるな!
そして僕の名前は宮越じゃなくて阿良々木だ!」
「惜しい、近付いたっ!」
「惜しくねえし近付いてもいねえよっ!」
別れ際までこんなかよ……。
172 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 11:18:54.00 ID:2XDN1l3rO
008
「今日は時間通りなのね、心底意外だわ」
戦場ヶ原の家に着くと同時に、出迎えに出てくれていた戦場ヶ原にそんな言葉を渡された。
「意外って、僕がそんな時間にルーズなやつに……いや、見えるよな、2日連続で遅刻してるわけだし。
ごめん、悪かった」
「いいのよ、阿良々木くん。
私は、阿良々木くんがちゃんとここに来てくれるだけで嬉しいわ」
「戦場ヶ原……」
相変わらずにこりともしない仏頂面だけれど、戦場ヶ原はそんなことを言う。
彼女の本心。
愛情表現。
彼女なりの、デレ。
『デレないツンデレ』と自称した戦場ヶ原ひたぎは、そのキャッチコピーを失うのに3日もかからない。
174 >>173蒼い子ちゅっちゅ 2009/12/13(日) 11:22:28.37 ID:2XDN1l3rO
「さ、今日も仲良く元気にお勉強を始めましょう。
とは言っても本番は明日だから、下手に詰め込むよりも軽く確認する程度で済ませたほうがいいかもしれないわね」
僕と戦場ヶ原が向かい合って席につくと同時に、彼女は澄ましたような伏し目がちで言った。
「へえ、そういうものなのか?」
「そういうものなのよ。
産まれてこのかたたったの一度だってテスト勉強というものをした経験のない阿良々木くんには、到底分からないことなのかもしれないけれど」
「失礼なことを言うな! 僕だってこうして落ちこぼれる前は、普通にそこそこ頭のいい学生をやっていたんだから、
テスト勉強くらいしたことあるに決まってるだろ!」
「前日の夜に焦ってとりあえず要点だけを徹夜で頭に詰め込むのは、テスト勉強ではなく、一夜漬けというのよ。
その辺りのこと、阿良々木くんは分かっているかしら?」
「……………」
分かっていなかった。
昔は一夜漬けでちょっと教科書を見直すだけで、テストなんて簡単にいい点をとれたものだから、
自分のことを天才だと思っていたこともある。
175 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 11:26:34.12 ID:2XDN1l3rO
「もっとも要領のいい人はそれでなんとかなってしまうものだし、
中学時代の阿良々木くんはその類だったんでしょう。
……そんな阿良々木くんのために」
戦場ヶ原はそこで言葉を切り、席についたときからずっと気になっていた、
厚さ約1センチメートルほどの紙の束を取り上げて、表紙をこちらに向けた。
「『阿良々木暦用直江津高校定期テスト直前確認プリント』……?」
「そう。阿良々木くんのくせによく読めたわね、誉めてあげるわ」
「さすがの僕もこれくらい普通に読めるよ、バカにすんな!」
176 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 11:27:37.10 ID:2XDN1l3rO
「だって阿良々木くん、たまにひらがなも間違えるから、
日本語の段階でちょっと残念なのかと思って」
「し、仕方ないだろ!
『わ』と『れ』とか、『め』と『ぬ』とか、『る』と『む』とか、ぼーっとしてるとたまに間違えるんだよ!」
あと、『は』って書きたいのになぜか『な』になっていることなんてよくある。
難しいよなー、日本語って。
そもそもひらがな、カタカナ、漢字っていう、三つの文字を使っているところから僕には甚だ疑問である。
ひらがなだけでいいじゃん。
台詞をひらがなだけで表記すると、それだけでみんなロリキャラみたいになるし、もう僕は幸せだよ。
……僕はロリコンじゃないけどな!
177 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 11:34:45.31 ID:2XDN1l3rO
「ともあれ、そこでこれの出番なの。
これは私が独自のデータにより弾き出した、対直江津高校教師陣専用の直前暗記用プリント。
傾向と対策もばっちり。慣れるために予想問題も作っておいたわ。
量も内容も控えてあるから、雀の涙、猫の額、時代遅れのパソコン、阿良々木くんの脳みそ程度の記憶容量でも簡単に覚えられる優れ物よ」
「なんだかそこまでしてもらって本当にごめん、マジで助かるし、お前にはもう二度と頭が上がらないレベルに感謝しているけれど、
しかし一つ文句を言わせてもらうならば、僕の脳みそをごく僅かなものを形容する意味の言葉たちと同列に並べるな!」
「あぁ、ごめんなさい。
彼らのほうが阿良々木くんの脳みそ程度のものと同列に並べられたら迷惑よね」
「もう完璧に100%予想通りの返答だよ!
なあ、戦場ヶ原、そんなに僕をいじめて楽しいか!?」
「なに言ってるの、楽しいわけないじゃない」
戦場ヶ原は驚くくらいの速さでそう否定してくれる。
178 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 11:36:02.19 ID:2XDN1l3rO
「だ、だよな。よかった、安心したよ……」
「阿良々木くんをいじめるのは私のライフワークだもの。
楽しいとか楽しくないとか、そういう次元の物事ですらないわ」
「ちきしょう、過去にこれほどまで、
ぬか喜びという言葉の意味をはっきりと理解したことは一度だってなかった!」
「黙りなさい」
「……………」
え、なんで今、僕、怒られたの?
「とにかく、始めましょう」
何事もなかったような戦場ヶ原の台詞で、僕たちは勉強を開始した。
179 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 11:46:55.10 ID:2XDN1l3rO
―――
それにしても。
それにしても、だ。
僕は目の前に広げられたプリントと、そこに羅列された英語を見て、嘆息する。
戦場ヶ原の作ってくれた手書きのプリントは、
非常に丁寧でちょっと砕けた言い回しの解説が驚くくらい分かりやすいのだが。
現実は、非情である。
解説ではなく肝心の問題のほうが、正直、難しすぎだった。
戦場ヶ原は馬鹿な僕でも分かるように作ったみたいなことを言っていたけれど、
彼女は僕の頭の悪さをまだまだ甘く見ていたようだ。
中でも苦手な英語でこんな問題を出されたら、長文問題の一文目で既に再起不能である。
いや、と思う。
あるいは、これは直江津高校の定期テストを意識した問題なのだから、
僕以外の生徒はこの程度のレベルは簡単に解けてしまうような問題のチョイスなのかもしれない。
「これくらいのレベル、出来て当然よ」みたいな。
それにしても。
それにしても、だ。
僕は目の前に広げられたプリントと、そこに羅列された英語を見て、嘆息する。
戦場ヶ原の作ってくれた手書きのプリントは、
非常に丁寧でちょっと砕けた言い回しの解説が驚くくらい分かりやすいのだが。
現実は、非情である。
解説ではなく肝心の問題のほうが、正直、難しすぎだった。
戦場ヶ原は馬鹿な僕でも分かるように作ったみたいなことを言っていたけれど、
彼女は僕の頭の悪さをまだまだ甘く見ていたようだ。
中でも苦手な英語でこんな問題を出されたら、長文問題の一文目で既に再起不能である。
いや、と思う。
あるいは、これは直江津高校の定期テストを意識した問題なのだから、
僕以外の生徒はこの程度のレベルは簡単に解けてしまうような問題のチョイスなのかもしれない。
「これくらいのレベル、出来て当然よ」みたいな。
181 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 11:49:35.57 ID:2XDN1l3rO
「……だとしたら」
だとしたら、僕はもう、卒業とか諦めたほうがいいのかもしれない。
こんなの、一生かかっても分かる気がしない。無理無理。
第一、土台無茶な話なのだ。
今まで散々落ちこぼれていた僕が、たった1、2週間の勉強で、
他の生徒が必死に2年半積み上げてきて点数を争うテストに割り込もうだなんて。
いいよ、どうせ今回も赤点だらけだって。
「……さて、と」
なんてわざと大袈裟にネガティブなことを考えてから、息をついた。
こんなことでどうする、目の前の戦場ヶ原が、自分の勉強時間を削ってまで僕のために僕の勉強に付き合ってくれたりプリントを作ってくれたりしているっていうのに、
こんなんじゃ合わせる顔がない。
ぼんやりと戦場ヶ原に向けていた視線を、再びプリントに戻す。
しかし何度見直したところで分からないものは分からないのであり、
どうしても分からない問題に行き当たった場合は、下手に一人で悩むより、分かるやつに助けを求めたほうが利口だった。
182 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 11:52:02.85 ID:2XDN1l3rO
「また分からない問題があったの?
阿良々木くん、あなた、実はやる気がないんじゃないの?」
質問のために戦場ヶ原に声をかけた僕への第一声が、それだった。
「……僕は真面目にやってるつもりだよ」
「そう。だったら、いや、これは考えにくいのだけれど……」
「なんだよ、言えよ」
「阿良々木くんは、もしかすると、私の想像を絶するほどの馬鹿なの?」
「すっげー傷付いた!」
つーか想像を絶する馬鹿ってどんなレベルだよ!
と、まあ、ここまではジョブみたいなもので。
「分からないのはどの問題?見せてみなさい」
そう言うと、戦場ヶ原はひょっこりと僕の手元のプリントを覗きこんだ。
ふわりと柔らかい匂いがして、反射的にそっと背をそらして逃げる。
184 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 12:08:37.78 ID:2XDN1l3rO
「あぁ、そうね。確かにこのレベルじゃ、
阿良々木くんのアオミドロ程度の脳みそじゃあまったく一ミクロンだって理解できないでしょうね」
「なあ、お前は一つ何かを言うたびに僕をいじめなくちゃ生きていけないのか?」
あとアオミドロに脳みそはない。
「この英語の先生はね、毎回何問か洋画の台詞を使った問題を作るのよ。
確実に自分の趣味でね。
だから問題文の中にスラングや古い口語表現なんかが混じっていて、
羽川さんならともかく私だって読むのは難しいわ」
だから、と戦場ヶ原は続ける。
「阿良々木くんの鍛えるべきことは、必ず何問か混入されるそれらの問題を瞬時に見極めて、
解かないと選択する力なのよ」
185 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 12:10:13.46 ID:2XDN1l3rO
「え、解かなくていいのか?」
「いいの。そういった問題は一つも答えなくても、
他をすべて正解すれば9割の点数はとれるようになっているから。
私たちは満点を目指すわけじゃないのだから、下手に訳の分からない問題に時間をとられて、
できる問題にまで手が回らなかったらどうしようもないでしょう」
そういうものなのか。
今まで、英語の問題なんか見てもそもそも映画の台詞が混じっていることすら気付かなかったから、勉強になる。
186 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 12:11:23.78 ID:2XDN1l3rO
「つーか、戦場ヶ原はよく映画の台詞だって分かったな」
「なんだかんだ言って、使われるのは流行った映画の台詞ばかりなのよ。
阿良々木くんに渡したプリントの問題だって、有名な映画の一節よ。
そんなことも知らないの?」
「知らないな。僕、あんまり映画を見るって習慣はなかったし」
でも、僕よりそんなことに無頓着そうな戦場ヶ原が知っているということは、
やっぱりかなり有名なのだろうか。
「あぁ……映画を見にいく友達がいなかったのね」
「嫌な解釈をしないでくれないか!?」
「友達を作ると人間強度が下がる(笑)」
「おいやめろ」
罵倒はいいけれど、黒歴史をほじくりかえすのだけはやめろ。
死ぬ。
厨二病は死に至る病なんだぞ。
「安心して。阿良々木くんが厨二病で死んだら、私は厨二病を殺すわ」
「概念まで殺せるのかよ!?」
無敵すぎる、戦場ヶ原ひたぎ。
死の線でも見えているのだろうか。
187 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 12:14:16.88 ID:2XDN1l3rO
「見えているのなら――阿良々木くんだって殺してみせる」
「それは普通の人殺しだな!
神様を殺してみせるくらい言ってみたらどうだ!」
「私にとって、阿良々木くんは神様のような存在だもの。
あなたがいなければ今の私は生きていないし、あなたがいなければ私が今生きてる必要もないわ」
「……戦場ヶ原」
「というわけでそれを踏まえて言い直すと、
見えているのなら――神様だって殺してみせる」
「あれ!? なんか全然格好よくねえぞ!」
台詞は変わっているのに、含まれているニュアンスにはまったくもって変化が見られなかった。
「まあ、そんなことより」
自らの命が奪われるという主旨の発言を、そんなことって言われた。
「この問題、本番では解かなくてもいいけれど、せっかくだから一応解説しておきましょう」
「ああ、うん……頼む」
僕は戦場ヶ原の言葉に頷いて、彼女の説明に聞き入ることにした。
……結局。
僕たちは日にちを跨ぐまで、机に向かって頭を使ったのだった。
189 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 12:26:01.48 ID:2XDN1l3rO
009
私立直江津高校の定期テストは、すべての教科を一日で消費するという、
そのまんま言葉通り、鬼のようなスケジュールで実施される。
よってすべての日程が終わって校門を出る頃にはもう午後の7時を回っていて、
辺りはすっかり暗くなっていた。
戦場ヶ原と八九寺、更に最近知り合った新たな友達に加えて、
学校まで僕に優しくないなんて、本当に知らないところとか、
あるいは前世かなんかでなにか悪いことでもしたんじゃないかと思ってしまう。
勘弁して欲しかった。
「……それをどうして私に言うのだ、阿良々木先輩」
と、僕の愚痴を黙って聞いていた神原が、わざとらしく呆れたような表情を作って言った。
190 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 12:30:21.52 ID:2XDN1l3rO
「いや、だって、戦場ヶ原とか八九寺とか岡崎とか、怖いし……
学校のカリキュラムにはそもそも、文句をつけようがないしさ……」
神原。
神原駿河。
直江津高校二年生。
健康的な短髪。
人懐っこそうな表情。
元バスケットボール部のキャプテン。
自他ともに認めるエロ娘。
そして――猿に願った少女。
191 親指がぷるぷるしてきたwwww 2009/12/13(日) 12:35:07.26 ID:2XDN1l3rO
神原は、つい先月まで、
バスケットボール部のエース、学校一有名人、学校一のスターとして名を馳せていた人物である。
私立進学校の弱小運動部を入部一年目で全国区にまで導いたとあっては、
本人の否応にかかわらず、そうならざるを得ないだろう。
ついこの間、左腕に怪我をしたという理由で、
キャプテンの座を後輩に譲り、バスケットボール部を早期引退。
そのニュースがどれだけ衝撃的に学校中に響いたか、
それは記憶に新しい。
古びることさえ、ないだろう。
神原の左腕には。
今も、包帯がぐるぐるに巻かれている。
192 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 12:40:51.26 ID:2XDN1l3rO
「しかし、阿良々木先輩のほうから私ごときに会いに来てくれるなんて、僭越至極だ。
敬愛する阿良々木先輩が教室に来て、一緒に帰ろうと言ってくれたときの私の感動は、
言葉なんかじゃ到底言い表すことなどできようもないが、
それでも私の、阿良々木先輩のそれと比べることすらおこがましい極小のボキャブラリーを持ってして
阿良々木先輩に伝えることができたらそれはどんなに幸せなことだろうか!」
「えっと、そんなに大袈裟に言われるとなんだか照れるんだけどさ。
突然おしかけちゃって、大丈夫だったか?
他に友達と帰る約束をしていたとか」
「大丈夫だ、阿良々木先輩。
私にとって阿良々木先輩よりも優先すべき事柄など、
戦場ヶ原先輩を除けば他に存在しない!」
「ああ……ありがとうな……」
相変わらず格好良いやつだ、神原。
格好良すぎて、正直何を言ってるんだかたまに分からないくらい格好良いよ。
193 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 12:48:19.26 ID:2XDN1l3rO
もう既に分かってもらえたと思うけれど、神原はどういうわけか、
僕のことを異常に過大評価しているきらいがある。
可愛い後輩に敬われるのは確かに悪い気分ではないのだけれど、
それがあまりに過ぎると落ち着かない。
いわれのない敬意。
根拠のない尊敬。
それらはむしろ、普通に貶されるよりも自分の卑小さを思い知るような気がして、
たまに気が滅入る。
194 ていうかこれ、見てくれてる人いらっしゃる……? 2009/12/13(日) 12:51:50.85 ID:2XDN1l3rO
「ふむ。さすがの阿良々木先輩も、テストで疲れているようだな。
受け答えにいつものキレがない」
「ん、そうか? そんなつもりはないんだけれど……
悪いな、僕のほうから誘っておいてこんなんじゃ、つまらないか」
「いや、そんなことを気にしないでほしい。
私は阿良々木先輩とこうして歩けるだけであと半年は戦えるくらいの幸福を味わわせてもらっている」
お前はなにと戦っているんだ、神原。
……悪の組織とか?
世界を蝕む闇の教団と、日夜人知れず戦い続ける孤高の戦士。
神原ならちょっとありえそうだ……。
199 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 13:02:40.53 ID:2XDN1l3rO
「それより阿良々木先輩、テストのほうはどうだったのだ?
戦場ヶ原先輩との勉強の成果はあったのだろうか」
「ああ、それがさ、勿論答案が返ってくるまでは分からないけれど、
個人的な手応えとしてはかなりいいとこまでいけたと思うんだ。
元々のびしろが有り余ってた教科はまだしも、
得意教科の数学すら今までよりできたって気がしてる」
「ほう、それでこそ我が敬愛する阿良々木先輩だ、
隠しきれない才能は留まるところを知らないな!
私が目指すにふさわしい、まさに有為多望な人物だ!」
有為多望なんて四字熟語がぱっと出てくる神原のがすげえよ。
200 なんかみなさんすいませんw 2009/12/13(日) 13:04:09.19 ID:2XDN1l3rO
僕は腕をぐるぐる回しながら、誤魔化すように言葉を繋いだ。
「まあ、でも、さすがに朝早くからこんな時間まで集中しっぱなしだったから、さすがに疲れたな」
「……………」
「神原? おい、どうした、どうして黙ってるんだ?」
「いや……阿良々木先輩は、いつも私を困らせる」
「……はぁ?」
僕、なんか神原の気に触るようなこと言ったか?
「阿良々木先輩は、想像を絶するエロだったのだな!」
「いやちょっと待て、
今の話のどこに僕が尋常じゃなくエロいと結論づけるような根拠があったんだ!?」
神原の中でわけのわからないスイッチが入った!
「いや、その、だな……こういったことを阿良々木先輩の前で言うの非常に心苦しいのだが、
つまり阿良々木先輩はずっとシャープペンシルを持っていたということだろう」
「ああ、まあ……そうだけど」
「もう……もう、そんなのえっちすぎて私は正気でいられないっ!」
「お前の感じるエロチシズムはレベルが高すぎてこれっぽっちも理解できねえよ!
授業中とか大変だろ、そんな性癖!」
もはや変態とか異常性癖とか通り越して、完全に変質者だ。
201 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 13:08:11.21 ID:2XDN1l3rO
「安心してほしい、阿良々木先輩。
私がシャープペンシルを持つ手の形をえっちだと感じるのは、阿良々木先輩に対してのみだ」
「なにをどう解釈すれば安心できるんだ……」
むしろ不安が増した。
「まあでも確かに神原ではないけれど、
シャープペンシルのお尻を噛む仕草とかはなんとなく色っぽい感じはするよな」
「お尻を……噛む……?」
「ああ、お前がそこに反応するであろうことは言ってる途中で僕も気付いたよ!
たまには僕の期待を裏切ってくれ!」
「私のお尻でいいなら思う存分に噛み千切ってくれて構わないぞ、阿良々木先輩!」
「噛まねえよ!」
「大丈夫だ、不肖神原、これでも自らの裸体には自信がある」
「くっ……神原、あんまりいたずらに僕の煩悩を刺激するなよ……」
「なぜ煩悩を抑える必要があるのだ。
これは公式に書物として出版されるわけではないから、
普段はできないことや描写できない単語などを口にしても誰にも怒られることはない」
僕は誰かに怒られるのが嫌だから神原に手を出さないわけじゃないってこと、
この後輩分かってくれていないんだろうか。
202 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 13:09:46.16 ID:2XDN1l3rO
「例えばだ。普段は言えない次のような台詞も、悠々と言うことができる」
「……なんだよ」
「さあ、阿良々木先輩!私とセック「言わせねえよっ!」
やりたい放題である。
確かに神原のアイデンティティーの一つがエロさであるが故に、
通常業務時には鬱憤が溜まることもあるのだろう。
だが、しかし。
可愛い後輩のファンのために、
僕は神原のキャラクターを出来うる限り守ってみせる!
「原作の時点で私は相当あれだから、今更守るべき恥もなにもないと思うのだが……」
……まったくもってその通りだった。
203 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 13:12:24.87 ID:2XDN1l3rO
「それに私は、直接的な表現よりも『行為』という呼び方のほうが好きだっ!」
「聞いてねえよ!」
「さあ、阿良々木先輩。私と行為に及ぼうではないか! 今すぐ!」
「及ばねえって! あとここ、通学路の途中だってこと忘れるなよ」
「ははは、阿良々木先輩は面白いことを言う。
野外でなんの問題があるのだ、気分がむしろ盛り上がるではないか!」
「面白いこと言ってるのは、徹頭徹尾お前だ、神原……」
「いいぞ、もっと私を罵ってくれ! 見下した目で見てくれぇ!」
「……………」
「ほ、放置プレイか? それはそれでたまらないな……はぅんっ!」
「……………」
ド変態で露出狂でドM。
無敵の神原さんだった。
……するがは、無敵だ。
205 出先でもしもしの電池が残り1になってしまった 2009/12/13(日) 13:15:54.42 ID:2XDN1l3rO
「ところで先ほど、阿良々木先輩は岡崎という名前を口にしたが」
神原は先ほどまでのふざけた空気を一瞬で消し、
真面目な声質にチェンジして言った。
「それはもしや、岡崎朋也という人間か?」
「え、ああ、そうだけど」
206 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 13:17:05.27 ID:2XDN1l3rO
突然ではあるが。
神原駿河は、百合である。
彼女は、単に先輩としてではなく、僕の彼女であるところの戦場ヶ原ひたぎのことを、心から愛している。
だから僕と神原は、簡単に言えば恋敵なのだけれど、
しかし先月末、神原の関わった怪異のおかげで僕に対して、
負い目というか恩義を感じてでもしまっているのだろう。
こうしてやたらとなつかれているのである。
そりゃあ、可愛い後輩になつかれるのは、先輩として気分は悪くないのだれけれど、
実は僕は神原に対してしてやれたことなんてほとんどないわけで、
向けられる敬意が誤解の産物であることを考えると少しばかり居心地が悪い。
忍野曰く。
戦場ヶ原と同じく、神原もまた、一人で勝手に助かっただけなのだから。
ともあれそんなやつだから、
神原の口から僕と忍野以外の男の名前を聞くのはなんだか不思議な感じがして、
違和感のある感触の空気を吸い込む。
207 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 13:21:38.93 ID:2XDN1l3rO
「神原、知り合いなのか?」
「いや、こちらが一方的に知っているだけだ。
岡崎朋也といえば、この辺りでバスケットボールをやっている中学生の中では、
知らない者などいないくらいの有名人だったからな」
「そうなのか?」
そういえば、岡崎も自分で言っていた。
バスケットボール部のキャプテンで。
スポーツ推薦の話が来るくらいには名前も売れていて。
三年最後の試合の直前に父親と大喧嘩して。
上がらなくなった――右肩。
208 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 13:29:17.70 ID:2XDN1l3rO
「年齢は私の一つ年下なのだが、彼は一年生の時から試合に出場していたな。
性差により直接手合わせをすることはついぞ叶わなかったが、
プレーは何度か目にしたことがある。
大きな身体のわりにしなやかな動きをする選手だった」
「へえ。やっぱりすごいやつだったんだな」
「噂によると中学最後の大会になぜか出場せず、
そのままバスケットボールをやめてしまったというが……阿良々木先輩は、どうして彼のことを?」
「さっき言った、新しい友達なんだ、岡崎は。
偶然知り合っただけなんだけれど」
210 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 13:30:56.74 ID:2XDN1l3rO
「なるほど……そのようなスター選手とさえ瞬く間に打ち解けるとは、
阿良々木先輩は本当に素晴らしいお方だ。
一生かかっても追い付ける気がしない」
「そんなんじゃねえよ。
友達になるのにスター選手がどうとかなんて関係ないし、
それを言ったら僕からすれば神原のほうがよっぽど近寄り難いスターだ」
なんせ神原駿河は、直江津高校に通う人間なら名前を知らない人など一人もいないような超有名人で、
そのまんまアイドルみたいな扱いをされているのだから。
知り合う前は素性を知らなかった岡崎とは、違う。
「だから、お前とこうして友達になれたことを、僕は心からよかったって思ってるよ」
「阿良々木先輩……」
212 さるさん 2009/12/13(日) 14:01:57.90 ID:2XDN1l3rO
神原は虚をつかれたような顔をしたあと、ぱあ、と表情を綻ばせ、叫んだ。
「脱げばいいのか!?」
「なんでだよっ!」
意味が分からない!
「阿良々木先輩が私のことをそんなに想っていてくれていたなんて
……私にはそれに応える術は、脱ぐこと以外に存在しない!」
「お前が脱ぎたいだけだろうが!
そういうところがなければお前は完璧なのにな!」
ちょっとは常識を身につけろ。
213 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 14:08:38.35 ID:2XDN1l3rO
「……それで」
本当に制服を取り払おうとする神原を、ほとんど抱きつくみたいにして食い止めたあと。
神原は、いつものように平然とした顔で、言った。
「阿良々木先輩、私と帰りたいなどというのは実のところ言い訳だろう。
一体全体どういった用件なのだ?」
神原は。
鋭く、僕が今日、神原を誘った理由を、問うた。
「……ちょっとさ、ついてきてほしいところがあるんだ」
単刀直入に、僕は言う。
「夕飯くらいは奢るからさ。
そのあと、ちょっと付き合ってくれないか」
昨日聞いた、八九寺真宵の話を思い出しながら。
217 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 15:04:56.93 ID:46OauRLpO
阿良々木弄ってる岡崎の軽やかなフットワークの再現度高いな
220 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 15:41:12.40 ID:2XDN1l3rO
―――
「少なくとも今回の噂の中で幽霊と呼ばれる存在は――確かに、実在します」
八九寺真宵は、これっぽっちも厳かさを演出できていない舌足らずな声で、そう言った。
「実在する?」
「はい。私も幽霊という非常に曖昧な立場故に、
すべての人に話を聞けるわけではありませんから、情報自体はぶつ切りなのですが」
八九寺曰く。
件の幽霊は、『ストバスの幽霊』と呼ばれる男で、毎晩ストリートバスケットコートに一人で出現するらしい。
顔はフードですっぽり覆われていて誰も見たことがないが、
『ストバスの幽霊』はコートでバスケットボールに励む若者たちに勝負を挑み――そのすべてを、ことごとく打ち破っているそうだ。
「少なくとも今回の噂の中で幽霊と呼ばれる存在は――確かに、実在します」
八九寺真宵は、これっぽっちも厳かさを演出できていない舌足らずな声で、そう言った。
「実在する?」
「はい。私も幽霊という非常に曖昧な立場故に、
すべての人に話を聞けるわけではありませんから、情報自体はぶつ切りなのですが」
八九寺曰く。
件の幽霊は、『ストバスの幽霊』と呼ばれる男で、毎晩ストリートバスケットコートに一人で出現するらしい。
顔はフードですっぽり覆われていて誰も見たことがないが、
『ストバスの幽霊』はコートでバスケットボールに励む若者たちに勝負を挑み――そのすべてを、ことごとく打ち破っているそうだ。
224 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 16:16:20.87 ID:2XDN1l3rO
連戦無敗。
百戦錬磨。
百戦百勝。
噂は噂。
話半分。
都市伝説。
道聴塗説。
――『ストバスの幽霊』。
225 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 16:22:32.19 ID:2XDN1l3rO
「いや、ちょっと待てよ、八九寺。
確かに話は分かるけどさ、そいつ、
ただの正体不明のバスケットボールが上手いやつってことじゃないのか?
そりゃあ、そんなに強いやつがいきなり現れたら噂にはなるだろうけれど」
「幽霊と呼ばれるには、至らない」
僕の言葉の続きを引き継ぐように、八九寺は言った。
「その通りです、阿良々木さん。
ここまでの話なら、『ストバスの幽霊』はただバスケットボールが尋常じゃなく上手い人ということで終わりです。
それ以上、なにもありえません。
ではそれが1on1だけではなく、2on1、3on1、それどころか――5on1でも無敵だとしたら?」
「……それは」
そんなことは、あり得るのだろうか。
227 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 16:32:45.58 ID:2XDN1l3rO
バスケットボールに限らず、球技と呼ばれるスポーツは選手の人数差が開けば開くほどゲームバランスは崩れる。
例えば相手チームより一人多いだけでもパスコースの選択肢が多くなり、
よって攻め方だってその分バリエーションが増す。
それを、只でさえコートの狭いバスケットコートの、
それもフリースタイルが主流のストリートボールで。
5人もの相手に、1人で勝つというのは。
……あり得る話なのだろうか。
229 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 16:39:51.14 ID:2XDN1l3rO
「私もそれがどうにも引っかかりまして、
昨日阿良々木さんと別れたあと、
バスケットコートをいろいろ回って見てきたのですが」
そんなことまでしてくれていたのか。
「見つかったのか?」
「ええ。この目でしっかりと見ました……が、言葉で言い表すのは非常に難しいですね」
珍しく、困ったように言い淀む八九寺。
230 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 16:42:23.79 ID:2XDN1l3rO
「……八九寺?」
「いえ、これは阿良々木さんがご自分の目で見られたほうが早いと思います。
知能テストが終わったら」
「定期テストだ!」
「……定期テストが終わったら、見てきてはいかがでしょう」
そんな、八九寺らしくもない、曖昧な表現で。
「はっきり言いましょう。私個人の意見なので信憑性には欠けると思いますが、あれはおそらく……」
まっすぐ僕の目を見て、続けた。
「怪異の類の仕業かと」
235 遅くてすいません 2009/12/13(日) 17:19:01.53 ID:2XDN1l3rO
―――
「なるほど、つまりその『ストバスの幽霊』の正体を見極めるために、
私に協力してほしいと、そういうわけだな」
「話が早くて助かるよ、神原」
神原と二人、学校の近くのファストフード店で向き合いつつ食事をとる。
僕の話を聞き終えた神原は、もうすっかり冷めてしまったフライドポテトの一番長いやつを、器用に結んでから口に放り込んだ。
「それにしても、5人を相手にして勝つなんて、
そこのところバスケットボール部の元エースとしてはどう思う?」
「うん? 私は5人くらいなら同時に相手にしても全然大丈夫だぞ」
「え、マジで? 神原クラスになるとそんなもんなのか?」
「勿論だ。将来的には夢の10Pを目指しているからな!」
「なんの話をしてるんだ!?」
「なんのって阿良々木先輩、そんなの決まっているではないか。セック「だから言わせねえよっ!」
ちょっとでもエロに繋がりかねない単語を避けて話さなくちゃ、真面目な相談もできやしない。
「なるほど、つまりその『ストバスの幽霊』の正体を見極めるために、
私に協力してほしいと、そういうわけだな」
「話が早くて助かるよ、神原」
神原と二人、学校の近くのファストフード店で向き合いつつ食事をとる。
僕の話を聞き終えた神原は、もうすっかり冷めてしまったフライドポテトの一番長いやつを、器用に結んでから口に放り込んだ。
「それにしても、5人を相手にして勝つなんて、
そこのところバスケットボール部の元エースとしてはどう思う?」
「うん? 私は5人くらいなら同時に相手にしても全然大丈夫だぞ」
「え、マジで? 神原クラスになるとそんなもんなのか?」
「勿論だ。将来的には夢の10Pを目指しているからな!」
「なんの話をしてるんだ!?」
「なんのって阿良々木先輩、そんなの決まっているではないか。セック「だから言わせねえよっ!」
ちょっとでもエロに繋がりかねない単語を避けて話さなくちゃ、真面目な相談もできやしない。
237 再開だァー 2009/12/13(日) 17:58:07.14 ID:2XDN1l3rO
と思ったら、神原は自分のバッグをがさごそとやり、
一枚のプラスチックケースを取り出して僕に差し出し、本日最高の笑顔を見せる。
「ところで阿良々木先輩、このAVに出てくる男優が阿良々木先輩にそっくりなんだが、どう思う?」
叩き割った。
「な、なんてことをするんだ! いくら阿良々木先輩といえども許さないぞ!」
「うるせえ、お前は学校になんつーもんを持ってきてるんだ!
あとそれを嬉々として僕に見せるな!」
「だって! だって仕方ないではないか!
私は昔から男子のよくやっているアダルトグッズの学校での貸し借りというのをやってみたかったのだ!」
「え、そんなこと男子ってみんなやってんの?」
「…………ああ、阿良々木先輩には友達がいないのだったな……」
ものすごい哀れな生き物を見るような目を向けられた。
239 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 17:59:34.41 ID:2XDN1l3rO
「ば、馬鹿、僕だってアダルトグッズを貸し借りしあう友達くらいいるさ!
馬鹿にするな!」
「申し訳ない」
「謝るな!」
くそう、確かにずっと気になってはいたけれど、
休み時間に教室の隅で集まってごそごそやってるやつらはみんな、
アダルトグッズの貸し借りなんかしてたのか……。
泣けてきた。
240 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 18:01:03.79 ID:2XDN1l3rO
「しかしまあ、普通に考えて」
長いフライドポテトを結んで作った円に短いポテトを出し入れするというよく分からない動作をしつつ、神原は真面目な声を出す。
……なんであいつあんなににやにやしてるんだろう。
「相手が全員初心者でもない限り、5人を一度に相手にするなんて難しいと思う」
「やっぱりそうだよな。となると、なにかあるんだ」
それを可能にし、更に幽霊と呼ばれる理由にもなったなにかが。
普通の人にはできない。
怪しく異なる、なにかが。
それを見極めるために。
「よし、そろそろ時間もいいだろうし、行ってみようぜ」
「ああ、承知した!」
残ったポテトを豪快に口の中に流し込んだ神原と共に、
僕はストリートバスケットコートを目指して店を出た。
241 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 18:03:54.56 ID:2XDN1l3rO
―――
この付近には、ストリートのバスケットコートと呼ばれるものが意外に多く存在する。
それは無意味に土地が有り余っているからとか、
頓挫した多くの土地開発計画の後遺症で残ったコンクリートの駐車場がいつの間にかコートと化すからとか、
理由はだいたいそんなところなのだけれど、
毎晩いろいろなコートに出現する『ストバスの幽霊』が現れる場所を探すのは容易い。
最近では県内の腕自慢のストリートボーラーたちが『ストバスの幽霊』を倒すために盛り上がっており、
彼が現れると即座に連絡網が回りギャラリーやチャレンジャーが詰めかけるからだ。
町を徘徊する若者たちに聞けば、今日はどこにいるという情報はすぐに手に入る。
そして今日は、僕たちの町と隣町を繋ぐ橋の下――僕と岡崎を繋ぐバスケットコートが、『幽霊』の出現スポットだった。
この付近には、ストリートのバスケットコートと呼ばれるものが意外に多く存在する。
それは無意味に土地が有り余っているからとか、
頓挫した多くの土地開発計画の後遺症で残ったコンクリートの駐車場がいつの間にかコートと化すからとか、
理由はだいたいそんなところなのだけれど、
毎晩いろいろなコートに出現する『ストバスの幽霊』が現れる場所を探すのは容易い。
最近では県内の腕自慢のストリートボーラーたちが『ストバスの幽霊』を倒すために盛り上がっており、
彼が現れると即座に連絡網が回りギャラリーやチャレンジャーが詰めかけるからだ。
町を徘徊する若者たちに聞けば、今日はどこにいるという情報はすぐに手に入る。
そして今日は、僕たちの町と隣町を繋ぐ橋の下――僕と岡崎を繋ぐバスケットコートが、『幽霊』の出現スポットだった。
243 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 18:10:24.09 ID:2XDN1l3rO
「すごい盛り上がりだな、阿良々木先輩!」
神原が叫ぶ。
ギャラリーの人混みの音や歓声で、叫ばないと話ができないのだ。
田舎生まれの僕には少し刺激が強い体験。
「ああ!」
答える。
「ここからじゃよく見えない! 神原、一番前に行こう!」
「了解した!」
僕らが人垣を掻き分けてなんとか一番前に出たとき、ちょうど前の試合が終わったところのようで、
しょぼい電灯に照らされたコートには、
丸太みたいな腕を惜しげもなく晒すタンクトップのチャレンジャーが膝をつき――その前に、退屈そうにバスケットボールを弄ぶ『幽霊』が、いた。
245 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 18:11:54.24 ID:2XDN1l3rO
細身の身体に、夏前だっていうのに長袖の上着を着て、
フードにすっぽりと覆われているせいで顔はあまり見えない。
「なあ、阿良々木先輩。あれって……」
「……………」
嫌な予感が、していた。
嘘だ、と思う。
耳鳴りがひどい。ぐらりと平衡感覚をなくした一瞬。
「次の挑戦者はいないのか!」
ギャラリーの中から、誰かが叫んだ。
しかし先ほどまでの試合を見ていて怖じ気づいたのか、誰も動く様子はない。
僕と神原は一度も試合を見ていないから、
これでは『ストバスの幽霊』の正体を見極める材料を得られないのだけれど。
247 ちなみに>>1はストリートボールやバスケットに詳しくないのでおかしく感じるかもしれません 2009/12/13(日) 18:14:25.51 ID:2XDN1l3rO
どうする。
ほとんど麻痺している頭でそんなことを考えていると。
「……阿良々木先輩」
神原が、言った。
「公式の試合ではなく、ストリートバスケットボールなら、この腕でも大丈夫だろうか?」
真っ白い包帯をぐるぐるに巻いた左腕を、感触を確かめるように、握った。
その横顔を見る。
ぞくりとする、笑顔だった。
長く、長く望んだ待ち人が現れたかのような。
獲物を狩る獣の――猿の笑顔。
249 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 18:17:40.47 ID:2XDN1l3rO
「いや、待て、神原……」
「大丈夫だ、阿良々木先輩。
どうせこの薄暗さ、私の特異性なんて気付かれない」
ぐっと、一歩目を踏み出す。
「それに、中学生の頃から、一度でいいから戦ってみたかったのだ。
だからすまない、阿良々木先輩!」
神原は軽いステップでスポットライトのような電灯の下に踊り出すと、
『幽霊』と向き合う。
「次の相手は私だ。お相手願えるだろうか」
猿の笑顔。
対するは、ちらりとほんの一瞬露出した――狼の瞳。
「やめろ、神原っ!!」
僕の叫びに、しかし反応したのは周りのギャラリーだった。
250 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 18:19:05.01 ID:2XDN1l3rO
「神原? 神原って、あの神原か?」
「神原駿河? 怪我で引退したって聞いたけど」
「腕に包帯まいてるし、そうなんだろ」
「神原って誰?」
「ほら、直江津高校の――」
神原は……弱小女子バスケットボール部を全国大会まで導いた伝説の人物神原駿河の名前は、
こんなバスケットボール好きたちの集まる場では起爆剤にしかならない。
沸き上がる歓声。
その中で。
ボールを受けた神原が、弾けるように駆けた。
252 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 18:22:18.42 ID:2XDN1l3rO
神原は、決して背が高いわけではない。
体格も小柄で、どちらかといえば痩せているほうだ。
だが、神原駿河は――跳ぶ。
腰を落としてディフェンスの体制をとった『幽霊』を、
しかし神原は、そんなものは知らないとばかりに一息で――飛び越えた。
沸き上がるギャラリー。
神原は、まるで彼女だけが無重力下にいるかのような、
ふうわりとした軽やかな跳躍で『幽霊』の頭を軽々と飛び越し、
かの有名なバスケ漫画を彷彿とさせる勢いで、ダンクシュートを決める。
電光石火のようだった。
それが、『人間越え』という名前のれっきとしたバスケットボールの技術であることを、
僕は後になって知ることになるのだが、とにかくそのときは、
ただあまりにも鮮やかな手口に見とれていた。
253 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 18:25:53.95 ID:2XDN1l3rO
「まずは2点。さあ、次はあなたのオフェンスだ」
ボールよりも遅れて着地した神原は、『幽霊』にボールを渡すと腰を沈める。
ハーフコートのストリートボールでは、
このようにシュートが決まったりオフェンス側がスティールされると攻守を交代するルールのようだ。
ぼすぼす、と小気味のいい音がする。
『幽霊』は感触を確かめるように何度かドリブルをして。
手慣れた動作。
経験者特有の、それ。
素早い動きでボールを奪いに来た神原をおちょくるようにコートの中を走り回る。
しかし神原も神原で、それにぴったりくっつきゴール下に入れさせない。
そんな、一つひとつの動作にどれほどの技術が詰め込まれているのか想像もつかない応酬が一区切り終わり、
二人が再び距離をとる。
間髪を入れずに駆け寄る神原。
その、一瞬。
『幽霊』が――笑った。
254 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 18:31:03.01 ID:2XDN1l3rO
彼は立ち向かってくる神原の右側をドリブルで抜けようと身体を進ませて――その反対方向に、パスを出していた。
「なっ……」
神原の体が止まる。
それはまさに、妖異幻怪と呼ぶにふさわしい光景だった。
誰もいない場所に放たれ、
まともに1on1をやろうとかそういった意思すら垣間見ることさえ皆無な皆目検討もつかない方向へとすっ飛び、
ぼすん、と鈍重な音を立てて行き場を失い落ちるはずだったボールは、しかし、
神原の左斜め後ろ付近の空中で一瞬静止し――Vの時を描くように動き出し、
右から神原を抜いていた『幽霊』の手に収まる。
動けない神原を嘲笑うかのように彼は3ポイントラインから、
恐ろしいほど綺麗なフォームでボールを放ち、ゴールネットを揺らした。
「神原……」
声を漏らす。
これが――『ストバスの幽霊』。
怪しく異なる、怪異。
257 さるさんくらった 2009/12/13(日) 19:11:11.30 ID:2XDN1l3rO
―――
試合は終始、神原に不利な展開で進んだ。
それもその筈である。
バスケットボールに限らず、球技と呼ばれるスポーツは選手の人数差が開けば開くほどゲームバランスは崩れると言ったのは、果たして誰だったか。
『幽霊』は、どういうカラクリか空中でボールを自分にパスさせることができるようで、
それはつまり神原にとっては1人で2人を相手にしているようなものなのだ。
神原もオフェンスに回れば持ち前の跳躍力で攻めるものの、しかし点差は無情にも離れていき、
初めてからそういうルールだったのだろう、『幽霊』が18点目を決めた段階で神原の敗北が決まった。
試合は終始、神原に不利な展開で進んだ。
それもその筈である。
バスケットボールに限らず、球技と呼ばれるスポーツは選手の人数差が開けば開くほどゲームバランスは崩れると言ったのは、果たして誰だったか。
『幽霊』は、どういうカラクリか空中でボールを自分にパスさせることができるようで、
それはつまり神原にとっては1人で2人を相手にしているようなものなのだ。
神原もオフェンスに回れば持ち前の跳躍力で攻めるものの、しかし点差は無情にも離れていき、
初めてからそういうルールだったのだろう、『幽霊』が18点目を決めた段階で神原の敗北が決まった。
260 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 19:28:28.56 ID:2XDN1l3rO
「神原っ!」
コートで項垂れる神原に駆け寄ると、彼女は困ったように笑った。
「阿良々木先輩の前で、恥ずかしい姿を見せてしまったな。残念ながら私の負けだ」
「いや、それはいいんだけれど……大丈夫か?」
「うむ、なにも問題はない。
左腕も……私が負けたことに対しては、文句がないようだ」
神原の左腕。
レイニー・デヴィル。
それにかけられた一つ目の願いは、もう期限が切れているのか、
あるいは今回の件をカウントには入れないと決定をくだしたらしい。
そのことを忘れて未知の相手に戦いを挑んだことは怒ってやりたかったが、
それよりもとりあえず茫然自失といった様子の神原が心配だ。
261 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 19:29:16.49 ID:2XDN1l3rO
「本当に大丈夫か?
なにか好きな言葉を言ってみろ」
「ド素人!」
「なにかエロいことを言ってみろ」
「先生はトイレじゃありません!」
「政府へ文句を言ってみろ」
「児ポ法改正断固反対!」
「好きなゲームは」
「もじぴったん!」
「好きなおっぱい」
「つるぺったん!」
「よし」
大丈夫そうだった。
265 >>264イヒどころか初SS 2009/12/13(日) 20:24:18.45 ID:2XDN1l3rO
と、その時。
「阿良々木……」
僕の名前を呼ぶ、ざらざらとした声が背中に投げつけられた。
体が固まる。
ギャラリーであってくれ、と願った。
たまたまギャラリーにいて、僕を見かけたから追いかけてきたのだと。
意を決して、振り返る。
267 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 20:27:15.55 ID:2XDN1l3rO
瞬間。
前に一度感じたことのある、
喉を刃物で切り裂かれたと錯覚を引き起こすぐらいの、
頭の芯まで塩の塊を詰め込まれたみたいな、
鈍重で悪寒だらけの嫌悪感が、あった。
頭から冷水をかけられたような、ぞっとするほど奇妙な感覚。
全身の毛が逆立つ。
耳鳴りが渦を巻いて、五感があるべき方法を見失い、
遭難した視覚味覚聴覚嗅覚触覚を手繰り寄せようと呼吸をして。
そんな、ざわざわとした手触りの空気の中――ぎらついた、貫くような彼の双眼が、
僕を、真っ直ぐ、射抜いていた。
鈍く光る、切れ長の、ナイフのような。
ぎらぎらと紅く輝く。
灼けた狼の、瞳。
「………岡崎」
『ストバスの幽霊』こと、右肩が上がらないはずの岡崎朋也が、そこには立っていた。
271 さっぱり! 2009/12/13(日) 20:52:19.83 ID:2XDN1l3rO
010
「送り狼」
僕の話をすべて聞き終えた忍野は、
例によって例のごとく人を見透かしたようなぺらぺらに薄い笑顔を浮かべ、
一瞬たりとも迷うこともなく「うん、成る程ね」と頷き、
わざとらしく一度天井を見上げてから、
火のついていない煙草の合間から吐き出すように言った。
「それはほぼ間違いなく、送り狼の仕業だろうね、阿良々木くん。
送り狼。送り犬。あるいはもっと単純に、山犬とか狼って言われることもあるけれど――」
「狼、か」
「そう、狼」
忍野は繰り返す。
「狼だよ」
272 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 20:54:13.99 ID:2XDN1l3rO
狼。
ネコ目イヌ科イヌ属に属する哺乳動物。
鋭い牙、立った耳に太い尻尾を持つ中形の肉食獣で、その大きさは現生のイヌ科では最大を誇る。
「送り狼って言うとさ、ほら、現代ではもっと違うニュアンスで使われることが多いけれどね。
知ってるかい? 女の人を家まで送り届けるついでに肉体関係まで持ち込んでしまう、
ちょうど阿良々木くんみたいな悪い男のことだよ」
「おい、話を作るな。僕はそんなことしてねえぞ」
僕が言うと、忍野は本当に驚いたみたいな顔をしてみせた。
「そうなのかい?
今回はまあ、ともかくとして、阿良々木くんはいっつも違う女の子を連れてくるから、
てっきりそういう方法で手っ取り早く手なづけてるのかと思ってたよ」
「忍野、お前な、いい加減にしろよ」
「そう怒るなよ、阿良々木くん」
はっはー、と笑い。
「まったく阿良々木くんは元気がいいなぁ。なにかいいことでもあったのかい?」
そんな、お決まりの台詞を吐いた。
273 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 21:01:17.35 ID:2XDN1l3rO
学習塾跡の廃ビル。
その四階。
バスケットコートでの一件があったその夜のうちに、神原は先に家に返し、僕は忍野と向かい合っていた。
忍野。
忍野メメ。
怪異関係のエキスパート。
専門家、オーソリティ。
趣味の悪いアロハの小汚ないおっさん。
居住地を持たず、旅から旅の根無し草。
大人として尊敬のできる相手では決してないが、それでも、僕らがこいつの世話になったことは、揺るぎない事実である。
猫に魅せられた羽川翼も。
蟹に行き遭った戦場ヶ原ひたぎも。
蝸牛に迷った八九寺真宵も。
猿に願った神原駿河も。
みんな、少なからず忍野から力添えをもらった。
軽薄な性格で、間違っても善意の人間ではない。気まぐれの権化。
276 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 21:12:11.03 ID:2XDN1l3rO
忍野は、かつてはここで子供達が勉学に励んでいたのであろう机を、
ビニール紐で縛り合わせて作った簡易ベッドの上に胡座をかいていた。
「そもそもさ、阿良々木くん。
狼に関する伝承ってのは世界各地いたるところに残っているんだ。
強い動物、怖い生き物ってのはそれだけで神格化されやすいからね。
スラヴ地域では戦士が狼の皮で作ったベルトを身につけると狼の力を得るっていうし、
古代ローマやヨーロッパじゃあ穀物や豊穣の神様として狼神が奉られているのは有名な話で、
中国じゃあシリウス星のことを天狼星って呼んでたらしいよ。
全部、阿良々木くんには難しい話かもしれないけれど。
ああ、それにそれどころかモンゴルとかトルコ系の民族では、
自分たちの始祖は狼だなんて信仰まであったりするんだぜ」
277 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 21:17:24.93 ID:2XDN1l3rO
僕も、狼に関するそれらの話は、聞いたことがないわけではなかった。
狼信仰と言われてもぴんとくる具体名こそないにしても、
しかし神格化された狼といえばむしろ耳に慣れた感じさえする。
「第一、狼って全体的に格好良いしね。
そりゃあ信仰するなら、僕だって狼がいいよ」
忍野は茶化すようにそんなことを言って、なにがツボに入ったのか「はっはー」と笑う。
意地の悪そうな笑顔に、本当に気分が滅入った。
「忍野。それで送り狼ってのは、どんな怪異なんだよ」
「そう急かすなよ、せっかく一から説明してるんだからさ。
まったく相変わらず阿良々木くんは元気がいいなぁ。なにかいいことでもあったのかい?」
本日二回目である。
通例のやりとりは羽川とのそれで充分だ、
こんな廃墟でおっさんと何度も繰り返したって楽しい気分になんかならない。
279 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 21:24:26.77 ID:2XDN1l3rO
「ま、狼信仰ってのは阿良々木くんにはぴんとこないかもしれないから説明しとくと、
ほら、神話の中にもさ、狼を象った神様ってのは多く現れるだろ?
北欧、ゲルマン神話に出てくる太陽と月を飲み込む狼、
スコールとハティは……阿良々木くんが知らないのも無理はないね。
ああ、いいんだよ、阿良々木くんのそういう鈍いところっていうか、
早い話不勉強なところには、僕はもう慣れることに決めたってのは前に言ったっけね」
「僕もお前の僕を馬鹿にしたがることには慣れることにしたよ。
いちいち腹を立てていたら話が進まないからな」
「へえ、言うようになったじゃないか。まあいいや、えーっと何の話だったかな。
ああ、神話の話だったね。
そうだな、いくら阿良々木くんだって、フェンリルって名前くらいは聞いたことあるんじゃない?」
「……ロキ神の子供の大狼、だっけ」
僕を小馬鹿にするようなワードを挟んでくるのは、慣れることにしたとはいえ相変わらずやっぱり気になる。
……頑張って我慢した。
282 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 21:36:37.87 ID:2XDN1l3rO
「そ、口を開けば上顎が天にも届くってやつだね。
阿良々木くん、よく知ってるじゃないか」
皮肉っぽく笑うと、忍野はくわえていた煙草をくるくると指で回す。
「まあ、海外に限らず日本の狼信仰だって相当なものだよ。
だいたい狼なんて、名前からして出来すぎだと思わないかい?」
「名前? 狼って名前が、どうかしたのか?」
「鈍いなー、阿良々木くん」
ちっちっち、と指に挟んだ煙草を揺らす忍野。
思う存分に僕を馬鹿にできるのが楽しいのだろう。
「狼ってのはつまるところ、オオカミ……大神だよ。
大きな神と書いて、大神。
過去の文献なんかじゃ狼を『大神』と書してるものなんて、そりゃもう掃いて捨てるほどあるしね。
あとはあれだよ、もののけ姫でも狼は神様かなんかとして登場するだろ?」
「最後のはできれば言わないほうがよかったな」
ここぞというときに格好つけきれないやつである。
そもそももののけ姫のあれは山犬で、神様でもなんでもなかった気がする。
283 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 21:41:44.69 ID:2XDN1l3rO
「……そういうわけでさ、狼の怪異ってのも当然、数多く存在するわけだ。
民間伝承の数だけ怪異ってのは存在の可能性を許されるからね」
怪異とは。
人間がそこにいると思うから存在し、信じなければ存在しない。
どこにでもいるし、どこにもいない存在。
二律背反。
矛盾、パラドックス。
怪しくて、異なる。
284 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 21:49:04.17 ID:2XDN1l3rO
「狼の怪異として分かりやすいのは、そうだな。
ワーウルフとかライカンスロープ、フランスではルー・ガルーって言ったかな……
まあいわゆる、狼男とか人狼のことだね。
他にも挙げだしたらキリがないけれど――その中の、送り狼。
日本の狼の怪異としちゃあ、かなりメジャーだよ」
ようやく本題に入ったと身構える。
送り狼。
狼の怪異。
……岡崎朋也。
286 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 21:59:26.99 ID:2XDN1l3rO
「送り狼の伝承は、阿良々木くん、ちょっとくらいは知ってるかい?」
「まあ、本当に少しなら。森を歩いてたら狼があとをついてきたってやつだろ?」
「はっはー、今日の阿良々木くんは冴えてるね。
その通り、送り狼ってのは東北地方から九州まであらゆる場所に残っている言い伝えでね、
おかげで地域によって細部に差はあるけれど、まあだいたい大筋で共通してるのはこんなんだね」
再び煙草をくわえ、くいっと唇を歪めると。
「夜に山道を歩いていると、後ろから狼がぴったりくっついてくる。
途中で転ぶと途端に襲いかかってきて食い千切られるから、
転びそうになったら休憩するふりをして『どっこいしょ』とか『しんどいわ』とか言うと大丈夫で、
そして目的地までついたら『お見送りありがとう』とちゃんとお礼を言うと、
狼は帰ってくれるって話だよ。
狼があとをつけてくる理由には諸説あって、まあ、餌としての人間が転ぶのを待ってるってのもあるけれど、
怪異としての送り狼の特性を考えるともう一つの、
他の野犬たちから守ってくれているっていうほうが大切かな。
そうじゃないと最後にお礼を言うってところと噛み合わないしね」
288 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 22:04:21.95 ID:2XDN1l3rO
「ちょっと待て、忍野。
怪異としての送り狼の特性? 伝承と怪異とで違いがあるのか?」
「いいところに食い付くね、阿良々木くん。今日のきみは本当に冴えてるよ」
普段僕のことを馬鹿にしきっている人間からやけに誉められると、
むしろ気味が悪くていい気がしない。
不安だ。
明日辺り、こいつに殺されるんじゃないだろうか。
「送り狼は、今までの伝承そのまんまの怪異とは違って、怪異としての属性を持っている。
その通りだ。
怪異としての送り狼は、タイプとしては――レイニー・デヴィルに非常に近い」
レイニー・デヴィル
猿の手。
雨合羽の悪魔の怪異には、つい先月、言葉通りの意味で散々痛めつけられたところである。
いくら吸血鬼の力で回復するからといって、それはそれは痛い思いをしたのだ。
289 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 22:10:07.07 ID:2XDN1l3rO
「………レイニー・デヴィルか」
冷や汗が頬を伝うのを感じる。
今回もあんな痛い思いをするのは、できることなら遠慮願いたかった。
「そう怯えるなよ、阿良々木くん。僕の言いたいのはそういう、痛い意味でじゃない。
送り狼はね、大義としてはレイニーデヴィルと同じ――つまり憑いた宿主の願いを叶える怪異だ」
「願いを、叶える……」
神原のとき、忍野が言った言葉を思い出す。
レイニー・デヴィルは三つだけ願いを叶える。
その魂と、引き替えに。
290 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 22:13:52.09 ID:2XDN1l3rO
「いや、願いを叶えるっていう言い方はちょっとよくないかもな。
正確には、願いの成就まで導くんだ。
その間、送り狼は宿主に、その願いの成就のために必要な特別な力を授けるらしい。
今回の場合、上がらないはずの右肩が夜のうちは上がるようになるのとか、あとは例の幽霊パスってやつがそれに該当するんだろうね。
そして送り狼は宿主が願いを叶えるまで、ぴったりとあとをついてくるって寸法だ。
その、なんとかっていうバスケくんは、最近誰かにあとをつけられてるって言ったんだろ?
ならそれはもう、送り狼で決まりじゃないか」
「いや、だからちょっと待てよ、忍野。
岡崎は、あとをついてきてるのは、工業高校生だって言ってたんだぜ?」
「工業高校生かもしれない、だ。
それを言うならね、阿良々木くん。
きみがその話を聞いたのは、きみたちが工業高校生に追いかけられてから2日後だろう?
だとしたらバスケくんがなにかにあとをつけられたのは少なくとも2日前から。
常識的に考えて、それなのに、『最近』なんて言い方をするかな」
「……………」
言葉もない。
単語の一つも、繋げない。
294 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 22:22:28.06 ID:2XDN1l3rO
「ともあれ、送り狼だ。
勿論、送り狼は、宿主の願いの成就の手助けを無償でしてくれるわけじゃない。
そんな生易しい怪異じゃない。
そんな怪異はあり得ない。
伝承のほうの送り狼で、転んだら食べられるってやつと同じさ。
願いの成就の途中で宿主が一つでも失敗するか、あるいは願いが無事に成就されたら――がぶり、だ。
宿主は代償に、なにかを大切なものを奪われる。
おそらく今回の場合は、右肩がそっくりそのままなくなるか、
あるいはぴくりとも動かなくなるってとこだろうね。
……ま、レイニー・デヴィルなんかに比べれば、むしろ親切すぎるくらいだ」
「待てよ、途中で一つでも失敗するか、願いが無事に成就されたらって、
それじゃ、送り狼に憑かれたら必ずなにかは奪われるしかないってことじゃないか」
「そうだね。だから伝承のほうを思い出しなよ、阿良々木くん。
送り狼は本質こそレイニー・デヴィルだけれど、祓い方はどちらかといえば重いし蟹に近いよ」
重いし蟹――戦場ヶ原のときと?
297 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 22:26:13.64 ID:2XDN1l3rO
送り狼の伝承。
送り狼は、目的地までついたら
『お見送りありがとう』
とちゃんとお礼を言うと、狼は帰ってくれる。
「……お礼か」
「そう。送り狼の正しい祓い方は、願いをきっちり成就してからお礼を言うこと。簡単だろう?」
確かに、レイニー・デヴィルよりはよっぽど簡単だ。
奪われるものも決して魂なんかじゃないし、むしろあれだけ強力なやり方で願いの成就を後押ししてくれている。
「だからさ」
忍野は。
怪異の専門家は、本当に意地悪な笑みを浮かべて言った。
「だから、今回のことは、放っておけばいいんじゃない?」
298 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 22:31:52.80 ID:2XDN1l3rO
「………は?」
僕の間抜けな声に。
壮絶な笑みを、忍野は隠さない。
「だってほら、今回の場合、例のバスケくんはなにも困っていないどころかむしろ楽しんでる。
しかもただバスケットボールが強くなったってだけで、誰かに危害を加えるわけじゃないしね。
放っておけば勝手に願いは成就されて、ま、右腕は残念だけど諦めてもらうってことで。
わざわざ阿良々木くんが手を出すまでもないよ」
なんでそんなことを言うのか、理解できなかった。
怪異関係のエキスパート。
専門家、オーソリティ。
そんな忍野が、怪異を見逃せと。
300 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 22:41:22.94 ID:2XDN1l3rO
「どうして……」
「うん? それは、どうして僕が放っておけと言うかって意味かい?
そんなの決まっているじゃないか、僕はあっちとこっちの橋渡し役であって、何でも屋じゃない。
あくまでバランスを保つものであり――怪異に甘えている人間を進んで助けるほど、酔狂じゃないよ」
その笑みは、春休みに一度だけ、見たことがある。
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの心臓を僕に見せたときと同じ種類の笑顔。
「それにさ、ツンデレちゃんとときと違ってバスケくんに怪異を祓う気がない以上、
送り狼みたいなタイプの怪異を祓うのは難しいよ。
だって宿主の願いってのがなんなのかそもそも分からないから、
それを成就させる後押しもしようがない」
そこまで言いきったあとで。
そんなにきっぱりと岡崎を見捨てると言い放ったあとで。
「それでも」
忍野は。
「それでも阿良々木くんが協力してほしいって言うんなら、
バスケくんにじゃなくて――きみに手を貸すのは、僕としてはやぶさかじゃあないけれど」
そんなことを、言いやがるのだった。
301 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 22:48:45.31 ID:2XDN1l3rO
……どうする。
確かに忍野の言うことは、一理も二理もある。
現状で送り狼を祓うのは確実に困難だし、岡崎が楽しんでいるのなら手の打ちようだってない。
だったら、見逃すのか。
なにかできるかもしれない可能性を、見なかったことにして。
……本当に? 岡崎は、本当に楽しんでいるのか。
……いや。
『この町は嫌いだ――忘れたい思い出が、染み付いた場所だから』
岡崎は確かに。
悲鳴を、上げていた。
303 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 22:54:03.80 ID:2XDN1l3rO
「……忍野」
「ん?」
僕の言葉に、忍野は片目を閉じて応える。
「夜中にいきなり押し掛けて、
これだけ散々解説をしてもらっておいてなんなんだけど――今回は、忍野の助けはいらない」
「へえ、なんでまた」
「だってさ、お前に頼むとなると、お前が怪異の専門家である以上タダってわけにはいかないし、
祓ったあとに岡崎に料金を請求したら詐欺みたいだしさ、
だからといって僕が払う余裕もないし」
それに、なにより。
「岡崎の願いは、僕、分かるから」
僕なら、分かる。
304 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 22:57:16.73 ID:2XDN1l3rO
「それは、阿良々木くんが自分で彼の怪異を祓うと、つまりそういとことかい?」
「いや、怪異を祓うとか、そんなレベルの話じゃなくてさ」
知り合ってからまだ数日だけれど、
岡崎と僕は何度か一緒にバスケをして、馬鹿をやって、言葉を交わした。
そんな岡崎が今、なにか大切なものを失いかけていて。
だけどそれでも誰かに頼ろうとしなくて。
僕は、岡崎の意思を無視してそれを勝手に助けようというのなら。
「それはもうただの――友達同士の喧嘩だろう」
そう、だから今回、これ以上忍野は頼らない。
正直に言えば、協力してくれると言っている忍野を跳ね除けてまで我を貫き通すような不撓不屈の精神なんて、僕は持っていない。
いない、けれど。
「それでもこれは――僕の喧嘩だから」
313 くそう、睡眠時間が足りないwwww 2009/12/13(日) 23:17:06.76 ID:2XDN1l3rO
011
僕は岡崎との喧嘩の準備のために、
ひとまず帰って睡眠をとってから神原の家に出向いて助言を求め、
それを元にして会場をセッティングし終えた頃には、
岡崎と出会ってから6日目の夕方になっていた。
テスト休みで授業がなかったのは、行幸だ。
特定の授業では、出席日数が危なくなる可能性も出てくるから下手に学校をサボれないのである。
314 >>312一応あるけど起動が面倒とかいう横着根性…… 2009/12/13(日) 23:20:57.22 ID:2XDN1l3rO
―――
「阿良々木先輩、それは本気で言っているのか?」
神原の家の前で、助言を求めにきた僕に対して神原は、
呆れや哀れみやあるいは羨望のような、
とにかく多くのものが入り混じった不思議な表情でそんなことを言った。
「本気だよ。本気じゃなきゃ、迷惑を承知でこんな朝っぱらから神原を訪ねてこない」
「そうか……いや、それでこそ阿良々木先輩だ。
どんな困難にもあえて立ち向かうその姿の、なんと神々しいことか!
いかに日月星辰といえども、阿良々木先輩の偉大さには敵わないだろう!」
「いや……さすがに太陽と月と星に勝てるほど、僕は狂ってねえよ……」
なんだか神原なら、僕がダメ人間の手本みたいなことを言ったとしても賞賛しそうな気がした。
近いうちに、阿良々木暦イメージダウン計画とでも名付けて試してみようか。
「阿良々木先輩、それは本気で言っているのか?」
神原の家の前で、助言を求めにきた僕に対して神原は、
呆れや哀れみやあるいは羨望のような、
とにかく多くのものが入り混じった不思議な表情でそんなことを言った。
「本気だよ。本気じゃなきゃ、迷惑を承知でこんな朝っぱらから神原を訪ねてこない」
「そうか……いや、それでこそ阿良々木先輩だ。
どんな困難にもあえて立ち向かうその姿の、なんと神々しいことか!
いかに日月星辰といえども、阿良々木先輩の偉大さには敵わないだろう!」
「いや……さすがに太陽と月と星に勝てるほど、僕は狂ってねえよ……」
なんだか神原なら、僕がダメ人間の手本みたいなことを言ったとしても賞賛しそうな気がした。
近いうちに、阿良々木暦イメージダウン計画とでも名付けて試してみようか。
315 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 23:23:38.85 ID:2XDN1l3rO
「それで、なんとかならないか?」
「ふむ……いや、あるいは準備さえしっかりすれば、阿良々木先輩なら可能かもしれない」
「本当か? 火中の栗を拾いにいく覚悟くらいあるから、どんな無理難題でも言ってみてくれよ」
「そんな特別なことはしない。
しかしこれなら勝てる――いや、勝たせてみせる」
力強い台詞。
味方につけておいて、これ以上頼もしい人材は他にないだろう。
「そうと決まれば、確か必要なものは蔵にあったはずだから、持っていってくれ。
作戦は道中で説明しよう」
蔵とかあるのか、神原家。
すげえ……。
317 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 23:25:52.16 ID:2XDN1l3rO
「あ、それとさ」
颯爽と歩き出した神原の背中に呼びかける。
「今回の話、戦場ヶ原には内緒にしといてくれないかな。
岡崎とのことは、怪異のことも含めて全部、僕個人のただの喧嘩だから」
「……戦場ヶ原先輩に隠し事をするのは心苦しいが」
神原は一度立ち止まって振り返ると、ほんの少し目を伏せて。
「しかし、阿良々木先輩の頼みというのならば仕方ない。了解した」
「悪いな。今度また、飯でも奢るよ」
「そんなことよりむしろお礼として、私を罵ってくれ!」
「嫌だよ……」
相変わらずだった。
320 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 23:29:49.70 ID:2XDN1l3rO
―――
「そういや、阿良々木くん。
今回は、忍ちゃんに血をあげてパワーアップしとかなくていいの?」
忍野が住処としている学習塾跡の廃ビルの一階、
その廊下で僕が神原からもらってきたいくつかの材料と工具を使って会場を作る作業をしているとき、
それを眺めていた忍野はからかうようにバスケットボールで遊びながら、言葉を落とした。
「いいんだよ。忍野の力を借りないって決めたってことは、忍の力も借りないってことだから。
あいつにはゴールデンウィークに随分お世話になっちまったし、あんまり頼りすぎもよくないからな」
「はあん。阿良々木くんは甘いね。本当に甘いよ。
名前をつけてやった僕が言うのも、そりゃあおかしな話だけれど、
阿良々木くんは忍ちゃんを忍ちゃんじゃなくて、自分の一部だと考えるべきじゃないかって思うよ。
ほら、忍ちゃんはきみの、外部バッテリーみたいなものさ」
「そういや、阿良々木くん。
今回は、忍ちゃんに血をあげてパワーアップしとかなくていいの?」
忍野が住処としている学習塾跡の廃ビルの一階、
その廊下で僕が神原からもらってきたいくつかの材料と工具を使って会場を作る作業をしているとき、
それを眺めていた忍野はからかうようにバスケットボールで遊びながら、言葉を落とした。
「いいんだよ。忍野の力を借りないって決めたってことは、忍の力も借りないってことだから。
あいつにはゴールデンウィークに随分お世話になっちまったし、あんまり頼りすぎもよくないからな」
「はあん。阿良々木くんは甘いね。本当に甘いよ。
名前をつけてやった僕が言うのも、そりゃあおかしな話だけれど、
阿良々木くんは忍ちゃんを忍ちゃんじゃなくて、自分の一部だと考えるべきじゃないかって思うよ。
ほら、忍ちゃんはきみの、外部バッテリーみたいなものさ」
321 支援ありがとうございます 2009/12/13(日) 23:32:39.33 ID:2XDN1l3rO
忍。
忍野忍。
吸血鬼。
――の、搾り粕。
吸血鬼。
――の、虚しい残骸。
僕は。
僕は、一生――吸血鬼。
吸血鬼もどきの人間。
人間もどきの吸血鬼。
人間では――ない。
「……あいつは、忍野忍だよ。ただの吸血鬼の成れの果て。僕にはそれ以外の考え方はできない。
ところで忍野、昨日から忍の姿が見えないけれど、今、どこにいるんだ?」
「さあ? 昨日は夜寝るの早かったし、今頃この廃墟のどこかを探険でもしてるんじゃないのかな」
「………………」
吸血鬼が、夜早くに寝るのかよ。
最高に虚しかった。
323 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 23:37:19.68 ID:2XDN1l3rO
「でもさ、阿良々木くん。
幽霊の噂を『知らない』で通していたバスケくんが、自分の正体を知られてしまった今、
もう一度きみに会おうと思うかな」
と、忍野は相変わらず口の端をつり上げた笑みでそんなことを言った。
確かに疑問には思うだろうけれど、僕には忍野がこんな時間に起きていることのほうがよっぽど疑問だ。
「それについては心配いらないよ、忍野」
だから僕は、最終的に切札となりうるそれを思い浮かべつつ答える。
……僕と岡崎の、か細くて切ない繋がりは、まだ切れていない。
327 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 23:48:46.34 ID:2XDN1l3rO
―――
そして、夕方の下校時。
僕は隣町の光坂高校、その長い――長い上り坂の上にいた。
前回同様、下校する生徒に不審の目を向けられつつ、岡崎を待つ。
「………ん?」
そんな中、グラウンドの辺りがなにやら騒がしくなった。
目を凝らしてみると、サッカー場の裏にあるプレハブ小屋の辺りで揉め事があったらしい。
サッカー部員と思しき数人が、殴り合いの喧嘩をしている。
「あいつ……」
することもないので、吸血鬼補正に思う存分頼って見ると、
前にここに来たときに僕に絡んできた金髪男が騒ぎの中心らしい。
体格のいい数人の男たちを殴り、殴り飛ばされていた。
そして、夕方の下校時。
僕は隣町の光坂高校、その長い――長い上り坂の上にいた。
前回同様、下校する生徒に不審の目を向けられつつ、岡崎を待つ。
「………ん?」
そんな中、グラウンドの辺りがなにやら騒がしくなった。
目を凝らしてみると、サッカー場の裏にあるプレハブ小屋の辺りで揉め事があったらしい。
サッカー部員と思しき数人が、殴り合いの喧嘩をしている。
「あいつ……」
することもないので、吸血鬼補正に思う存分頼って見ると、
前にここに来たときに僕に絡んできた金髪男が騒ぎの中心らしい。
体格のいい数人の男たちを殴り、殴り飛ばされていた。
329 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/13(日) 23:57:14.86 ID:2XDN1l3rO
僕が野次馬根性丸出しで見に行こうか悩んでいると。
「……阿良々木」
ざらざらして渇いた声。
ワイシャツ姿の、岡崎がいた。
「よう」
短く答える。
「あんなところを見られたんだから、もう会えないと思ってた」
相変わらずの仏頂面。
「おまえ、変なやつな」
そんな岡崎の評価も、聞き流す。
僕が知らなくてはいけないのは。
「岡崎。あの力は――夜にしか、使えないんだな?」
岡崎は、一瞬面食らったようにたじろいで。
「……ああ」
頷いた。
331 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 00:05:43.55 ID:Mnza7VUIO
「だったら話は早いんだ。今晩、この場所に来てほしい」
僕は岡崎に、小さい紙切れを渡す。
そこにはあの学習塾跡地の住所が書いてあり、あの紙は忍野からもらったものだった。
あの紙を持っていると、
忍野が張った結界により普通には辿り着くことができないあの場所に近寄ることができるらしい。
あれだけ格好をつけたのに、なんだかんだでやっぱり忍野の世話になりっぱなしだ。
「今晩って……夜にか」
「そうだ」
「……あれを見られたあとに、行くと思うか?」
岡崎の言葉。その疑問は、もっともだけれど。
「お前は来るよ、岡崎」
だってこっちには、切札が、ある。
332 ◆2iyjsiunz/4e 2009/12/14(月) 00:09:17.92 ID:Mnza7VUIO
だってこの話は、あそこから始まっているのだから。なんのためにもならない、『もし』の話。
もし、仮に、僕があのときそれを回収しなければ終わるはずだった。
僕と岡崎は――たった1日限りの友達で、済むはずだった。
誰も、なにも失わないで、済むはずだった。
だけれどそんなのは本当に――本当に、誰も救わない、仮定の話だから。
僕たちを繋いでいた、たった一つの、か細くて、切ない糸。
「お前が工業高校生たちに持っていかれたと思っている岡崎のブレザーはさ、実は、僕が持ってるんだ」
だから岡崎は、来ざるをえない。
334 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 00:13:17.44 ID:Mnza7VUIO
その一瞬、岡崎の顔に浮かんだその表情を、果たしてなんと形容すればいいだろうか。
ちょっとだけひねくれた笑み。
挑戦的な目元。
狼の瞳。
灼けた狼の――瞳。
「いいぜ、阿良々木。行ってやるよ」
だから僕は、その言葉を口にした。
宣戦布告。
敵対宣言。
生まれる亀裂。
喧嘩の始まり。
決定的な――一言。
「岡崎、もう一度僕とバスケをしよう」
336 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 00:25:13.77 ID:Mnza7VUIO
012
ストリートバスケットボール、いわゆるストリートボールと呼ばれるスポーツを、
実のところ僕はよく知らない。
町中で行うバスケットボールのことである。
海外では割とメジャーな遊びである。
ストリートボール専用の大会がある。
フリースタイルと呼ばれる、型に囚われないプレーが見られる。
その程度の知識しかない僕は、だからこれを果たしてストリートボールと呼んでもいいものなのか甚だ疑問ではあるのだけれど、
しかし僕の準備したバスケットコートは、それでもはっきりと分かるくらいに確実に異例なものだった。
「……こんなところでやんのか」
夜、僕の呼びかけ通りに学習塾跡地の廃墟にやってきた岡崎は、
約束の品である光坂高校のブレザーを受け取りながらそう呟いた。
356 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 04:18:46.69 ID:Mnza7VUIO
「ああ。ここが僕たちが試合をするコートだ」
そこは、学習塾跡地の廊下の一階だった。
薄く入る月明かりに照らされたそこには、僕が神原の家から持ってきたボロボロのバスケットゴールが一つ、
廊下の突き当たりの壁にかかっている。
ちょうど天井が突き抜けてしまっている場所を選んだので、高さ的にも問題ない。
「ルールは?」
「岡崎がいつも夜にやってたストリートボールと同じでいいよ。
ゴールはあの一つだけのハーフコート、
シュートか決まるがスティールされてディフェンスがそこのハーフラインまで下がったら攻守交代。
点数は通常2点で、ほら、ここの3ポイントラインからのシュートが入れば3点だ。
先に18点とったほうの勝ち。あ、ただし――壁は床とは見なさないことにしよう」
358 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 04:28:10.58 ID:Mnza7VUIO
「あ、そ」
岡崎は頷くと、転がっていたバスケットボールの空気の入りを確かめるみたいにして何度かバウンドさせる。
それも神原からもらってきたもので、昼間、僕が作業しているときに散々忍野が遊んでいた。
「阿良々木、どっちが先にオフェンスだ?」
「ここは僕のホームグラウンドみたいなものだからな。譲ってやるよ、岡崎」
「……………」
睨みつける眼光が、鋭くなった。
359 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 04:34:37.97 ID:Mnza7VUIO
「おまえ、かなり余裕綽々な。勝てると思ってんのか?」
「勝てると思ってなくちゃ、こんな勝負挑まない」
「……あ、そ」
岡崎は、呆れたようにため息をつくと。
腰を落とす。
「いくぞ」
「ああ」
ぼすぼすというバウンド音。
手慣れた動作。
経験者特有の、それ。
「ゲーム――…」
「…――スタート!」
369 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 08:10:45.91 ID:Mnza7VUIO
低い位置でドリブルをしながら突っ込んでくる岡崎を、僕は腰を落として迎え撃つ。
正直にいえば、上手くいくかはかなり不安だった。
相手はあの岡崎だ。右肩が動かない状態で、三倍の差をつけられた。
普通に考えれば、勝てるわけがない。
だけど、神原の言葉を思い出す。神原は言ったのだ。
「勝てる」じゃなくて、「勝たせる」と。
それなら負ける理由なんか――ない。
370 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 08:19:55.25 ID:Mnza7VUIO
―――
「……あの廃墟にゴールをつけてコートにする理由は、その……全部で5つある」
なにか悪い冗談みたいに馬鹿でかい蔵を漁りながら、
神原駿河はなんだか無意味に申し訳なさそうにそう言った。
あの神原のことだ、年上の人になにかを教えるということに抵抗を感じているのだろう。
根っからの体育会系である。
「5つ?」
「そう、5つ。阿良々木先輩が岡崎朋也に勝つための、5つの方法だ」
つまり、作戦。
僕が岡崎を、バスケで破るための。
「でもさ、そんなの卑怯じゃないか?
向こうは指定された場所に来ただけなのに、こっちは罠を仕掛けてるみたいなやり方」
「なにを言うか、阿良々木先輩。
阿良々木先輩のその堂々としたスポーツマンシップは敬意に値するが、
今回の件に関していえば岡崎朋也だって元々かなりの実力があるのにプラスして、
送り狼とかいう怪異の力を借りているのだから、どっこいどっこいではないか。
むしろあんな能力、こちらがどんなに策を練っても足りないくらいのハンディだ」
どこか機嫌が悪そうに言葉を投げる神原。
……負けたのが悔しいのだろうか。
「というわけで、阿良々木先輩はなにも気に病むことはない。
それで1つ目の理由だが――…」
「……あの廃墟にゴールをつけてコートにする理由は、その……全部で5つある」
なにか悪い冗談みたいに馬鹿でかい蔵を漁りながら、
神原駿河はなんだか無意味に申し訳なさそうにそう言った。
あの神原のことだ、年上の人になにかを教えるということに抵抗を感じているのだろう。
根っからの体育会系である。
「5つ?」
「そう、5つ。阿良々木先輩が岡崎朋也に勝つための、5つの方法だ」
つまり、作戦。
僕が岡崎を、バスケで破るための。
「でもさ、そんなの卑怯じゃないか?
向こうは指定された場所に来ただけなのに、こっちは罠を仕掛けてるみたいなやり方」
「なにを言うか、阿良々木先輩。
阿良々木先輩のその堂々としたスポーツマンシップは敬意に値するが、
今回の件に関していえば岡崎朋也だって元々かなりの実力があるのにプラスして、
送り狼とかいう怪異の力を借りているのだから、どっこいどっこいではないか。
むしろあんな能力、こちらがどんなに策を練っても足りないくらいのハンディだ」
どこか機嫌が悪そうに言葉を投げる神原。
……負けたのが悔しいのだろうか。
「というわけで、阿良々木先輩はなにも気に病むことはない。
それで1つ目の理由だが――…」
371 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 08:25:18.93 ID:Mnza7VUIO
―――
突進してくる岡崎は、突如その無駄のない動きを乱し、
慌てたようにスピードを落として再び僕と距離をとった。
僕が追いかけてこないのを確認すると、
器用にドリブルを続けながら左手で目を押さえて頭を振る。
……神原の言う通りだ。
この暗闇――岡崎はあまり、目が見えていない。
突進してくる岡崎は、突如その無駄のない動きを乱し、
慌てたようにスピードを落として再び僕と距離をとった。
僕が追いかけてこないのを確認すると、
器用にドリブルを続けながら左手で目を押さえて頭を振る。
……神原の言う通りだ。
この暗闇――岡崎はあまり、目が見えていない。
372 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 08:31:30.37 ID:Mnza7VUIO
―――
「岡崎朋也が送り狼から受け取った力はおさらく、
『動かない右肩の回復』と『誰もいない場所とのパス』の2つだ。
つまり他の部分は普通の人間と同じスペックと考えていい」
神原の台詞が頭をよぎる。
「しかしその点、阿良々木先輩は吸血鬼の力が少し残っている。
その違いを突かない手はないだろう」
「はあん。だけどさ、神原。
僕が吸血鬼の力で残っているのって、実はたいしたことないぜ?
一応神原のレイニー・デヴィルのときに忍に多めに血をやった名残で、
今は多少、身体能力も補正を受けてはいるけれど、普段は新陳代謝と、」
「暗闇でも目が見える」
「……………」
なるほど、と思った。
「岡崎朋也が送り狼から受け取った力はおさらく、
『動かない右肩の回復』と『誰もいない場所とのパス』の2つだ。
つまり他の部分は普通の人間と同じスペックと考えていい」
神原の台詞が頭をよぎる。
「しかしその点、阿良々木先輩は吸血鬼の力が少し残っている。
その違いを突かない手はないだろう」
「はあん。だけどさ、神原。
僕が吸血鬼の力で残っているのって、実はたいしたことないぜ?
一応神原のレイニー・デヴィルのときに忍に多めに血をやった名残で、
今は多少、身体能力も補正を受けてはいるけれど、普段は新陳代謝と、」
「暗闇でも目が見える」
「……………」
なるほど、と思った。
374 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 08:34:33.33 ID:Mnza7VUIO
あの廃墟は、廃墟が廃墟たる理由の一つをきちんとまっとうしていて、
だから勿論電気なんて通っていない。
すなわち、中に入ってしまえば夜はほとんど真っ暗だ。
レイニー・デヴィルのときは、つまり僕が神原を初めてあの廃墟に連れて行ったときは、
あの超人スペックの身体能力を持つ神原さえもが、僕のベルトを掴んで歩いていたくらいには。
それくらいには、濃くて深い、粘りけのある闇に沈み込む。
「しかし本当に真っ暗では、そもそもゲームが成り立たないから意味がない。
だから月明かりに照らされてある程度光量のある廊下を選ぶのだ。
そうすれば、少なくとも目が慣れるまでは岡崎朋也の動きは著しく鈍るだろう」
暗闇でも通常通り目が見える阿良々木先輩でも、
ギリギリついていくことができるくらいには、と神原は付け足した。
375 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 08:43:09.49 ID:Mnza7VUIO
―――
「阿良々木……おまえ……」
「悪いな、岡崎。
僕みたいな素人が岡崎みたいに上手い奴に勝つには、
こういう卑怯なやり方で差を埋めるしかないんだ。
初めてバスケをしたときに言っただろ?
僕はちょっとばかり――普通じゃない身体なんだよ」
恐ろしいくらい上手くいった作戦に、僕は不適に笑ってみせた。
しかしこれだって、いつまでもつか分からない。
昔からバスケットボールに触れ馴染んでいた岡崎なら、
ちょっと見えるようになれば普段の力を取り戻すだろう。
一流のアスリートは、目をつむっていてもある程度のことはできるというし。
だからそのあとは、2つ目の作戦が、効果を持つ。
「どうした、岡崎。僕はまだ――ここから一歩も動いてないぜ?」
「阿良々木……おまえ……」
「悪いな、岡崎。
僕みたいな素人が岡崎みたいに上手い奴に勝つには、
こういう卑怯なやり方で差を埋めるしかないんだ。
初めてバスケをしたときに言っただろ?
僕はちょっとばかり――普通じゃない身体なんだよ」
恐ろしいくらい上手くいった作戦に、僕は不適に笑ってみせた。
しかしこれだって、いつまでもつか分からない。
昔からバスケットボールに触れ馴染んでいた岡崎なら、
ちょっと見えるようになれば普段の力を取り戻すだろう。
一流のアスリートは、目をつむっていてもある程度のことはできるというし。
だからそのあとは、2つ目の作戦が、効果を持つ。
「どうした、岡崎。僕はまだ――ここから一歩も動いてないぜ?」
376 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 08:50:27.42 ID:Mnza7VUIO
―――
「2つ目の理由は……その、なんというか……」
「なんだよ」
言いにくそうに言葉を切った神原に視線を向ける。
神原は珍しく困ったように目を背けて。
「はっきり言って、
阿良々木先輩じゃあ本気の岡崎朋也のドリブルを止めることは、100%不可能だ」
そう言った。
「単純な走りでならば、ついていくことくらいできるだろうが……」
「2つ目の理由は……その、なんというか……」
「なんだよ」
言いにくそうに言葉を切った神原に視線を向ける。
神原は珍しく困ったように目を背けて。
「はっきり言って、
阿良々木先輩じゃあ本気の岡崎朋也のドリブルを止めることは、100%不可能だ」
そう言った。
「単純な走りでならば、ついていくことくらいできるだろうが……」
379 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 08:58:40.02 ID:Mnza7VUIO
それは、既に何度か岡崎とバスケットボールをしている僕には分かりきったことだった。
走力では引けをとらなくても、フェイントをかけられたら一発。
右肩の上がらない状態でさえそれなのだ、神原と岡崎の試合のような壮絶なドリブルの応酬なんか目の前で見せられたら、
なにもできないだろう。
「そこで活きてくるのが、廊下というくくりなのだ、阿良々木先輩。
これは3つ目の理由にも共通するのだが、横幅の狭い廊下なら少なくとも岡崎朋也の動きは思うように展開しない。
それでも埋めがたい技術の差、細かいフェイントで抜かれることはあるだろうが……」
「圧倒的に突き放されることは、ない」
380 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 09:09:12.80 ID:Mnza7VUIO
―――
その条件は勿論僕にだって跳ね返ってくることなのだけれど、
元々、辿々しいドリブルしかできない僕は横への展開なんてできない。
本気の岡崎を抜くなんて、どうせまともなやり方では無理なのだから、
初めからその可能性を潰しても問題はないのだ。
あってもなくても変わらないハンディだった。
神原駿河のドリブルが、すばしっこくするりと抜けていく疾風だとすれば。
岡崎朋也のそれは、まさに旋風である。
速く、疾く、すべてを撒き散らすような大胆さと、そこに詰め込まれた技術。
そんな岡崎でも、吹き抜ける場所が少なければ当然、
そこを抜けようとするほか方法はない。
その条件は勿論僕にだって跳ね返ってくることなのだけれど、
元々、辿々しいドリブルしかできない僕は横への展開なんてできない。
本気の岡崎を抜くなんて、どうせまともなやり方では無理なのだから、
初めからその可能性を潰しても問題はないのだ。
あってもなくても変わらないハンディだった。
神原駿河のドリブルが、すばしっこくするりと抜けていく疾風だとすれば。
岡崎朋也のそれは、まさに旋風である。
速く、疾く、すべてを撒き散らすような大胆さと、そこに詰め込まれた技術。
そんな岡崎でも、吹き抜ける場所が少なければ当然、
そこを抜けようとするほか方法はない。
381 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 09:15:45.55 ID:Mnza7VUIO
凄まじい速度で突っ込んでくる岡崎から、腰を落として突破口を消す。
下がる岡崎と、緊張を解く僕。
そんなやりとりが、何度続いたことだろう。
すでに岡崎の息は切れ始めていた。
「……阿良々木」
瞬間。
ぞくりと、背筋が凍った。
来る、と直感する。
狼の瞳で、岡崎は――笑った。
382 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 09:25:51.85 ID:Mnza7VUIO
「いくぜ」
その言葉を聞いたときには岡崎は目の前にいて。
僕の左側を抜けようとする身体。
その反対側、本来なら誰もいないはずの場所に――岡崎は、パスを出した。
誰もいない場所に放たれ、
まともに1on1をやろうとかそういった意思すら垣間見ることさえ皆無な皆目検討もつかない方向へとすっ飛び、
空中で一瞬静止し――Vの時を描くように動き出すはずだったボールは、
しかし。
383 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 09:37:49.68 ID:Mnza7VUIO
―――
「だが、いくらそれだけ阿良々木先輩に有利な条件を揃えても、
あの不思議なパスは防ぎようがない。
空中で跳ねかえるどころか……スピードまで自在に操られたのでは、
一度や二度では止めることはできないだろう」
ようやく発掘したボロボロのバスケットのゴールを持ち上げつつ、神原はそう宣告する。
「まあ、確かにな。
1on1なのにパスの選択肢があるっていうのは、決定的すぎる」
「だがそれを破壊しうるのが、やはり廊下というくくりなんだ」
それが、3つ目の理由。
「だが、いくらそれだけ阿良々木先輩に有利な条件を揃えても、
あの不思議なパスは防ぎようがない。
空中で跳ねかえるどころか……スピードまで自在に操られたのでは、
一度や二度では止めることはできないだろう」
ようやく発掘したボロボロのバスケットのゴールを持ち上げつつ、神原はそう宣告する。
「まあ、確かにな。
1on1なのにパスの選択肢があるっていうのは、決定的すぎる」
「だがそれを破壊しうるのが、やはり廊下というくくりなんだ」
それが、3つ目の理由。
385 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 09:48:26.33 ID:Mnza7VUIO
―――
「……な」
空中で静止するはずだったボールは、
しかし岡崎の手元には向かわず、僕の手に収まっていた。
ぼすんと音を立てて――壁と衝突したせいで。
「ナイスパス、岡崎」
狭い廊下では、当然、ドリブルと同じくパスだって大胆に横には展開できない。
しようとすれば当然壁にあたるし、短いパスならさすがに僕にだってカットできる。
『無人パス』を封じること。
それが岡崎に勝つための、3つ目だ。
「……な」
空中で静止するはずだったボールは、
しかし岡崎の手元には向かわず、僕の手に収まっていた。
ぼすんと音を立てて――壁と衝突したせいで。
「ナイスパス、岡崎」
狭い廊下では、当然、ドリブルと同じくパスだって大胆に横には展開できない。
しようとすれば当然壁にあたるし、短いパスならさすがに僕にだってカットできる。
『無人パス』を封じること。
それが岡崎に勝つための、3つ目だ。
386 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 09:51:04.24 ID:Mnza7VUIO
僕は自分でも笑いたくなるくらいへたくそなドリブルでハーフラインまで戻り攻守を逆転させると、
呆然としている岡崎をあっさりと抜き去る。
慌てた岡崎が僕を追いかけようとするが、
しかし何度かの対戦で僕のシュートセンスのなさを知っているためか、
真剣に追ってくることはなかった。
だから僕はボールを両手で掴むと、3歩で踏み切り、跳躍した。
3ポイントラインから――壁に向かって。
387 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 09:55:57.02 ID:Mnza7VUIO
伸ばした足がコンクリートの壁を捉える。
ぐっと下半身に力を入れて、足の裏でほとんど抉るみたいな勢いでもう一歩、更に二歩目、そして両足で、壁を蹴り。
それは、僕のような身長の人間が真っ当にバスケットボールをやっていたら、
おそらく一生、目にすることのないであろう光景だった。
リングが――自らの目線より、下にある。
「――おおおッ!!!」
僕はそのまま、手に持ったボールを――リングに、叩き込んだ。
389 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 10:03:58.94 ID:Mnza7VUIO
―――
「4つ目は、阿良々木先輩のシュート力だ」
「シュート?」
「うむ。事前に聞いた話では……阿良々木先輩はあまり、シュートが得意ではないそうじゃないか」
「まあ、恥ずかしい話だけれど、その通りだよ。
きちんとバスケットボールをやったことのない人間には、
動きながらあんな高い場所にあるリングボールを投げ入れるなんて難しすぎる」
「そんな阿良々木先輩に朗報だ。
どんなに下手な人間でもほぼ100%決められるシュートが、バスケットボールには存在する」
「え、そんなのあるの?」
無敵じゃん。
「4つ目は、阿良々木先輩のシュート力だ」
「シュート?」
「うむ。事前に聞いた話では……阿良々木先輩はあまり、シュートが得意ではないそうじゃないか」
「まあ、恥ずかしい話だけれど、その通りだよ。
きちんとバスケットボールをやったことのない人間には、
動きながらあんな高い場所にあるリングボールを投げ入れるなんて難しすぎる」
「そんな阿良々木先輩に朗報だ。
どんなに下手な人間でもほぼ100%決められるシュートが、バスケットボールには存在する」
「え、そんなのあるの?」
無敵じゃん。
390 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 10:07:11.94 ID:Mnza7VUIO
「ある。ダンクシュートだ。
ダンクシュートなら、投げ入れるわけではなくて、
目の前のリングにボールを入れるだけだから誰だって入れられる」
ダンクシュート。
ボールから手を離さずにリングに入れるシュート。
神原駿河の得意技。
「いや、理論上はそうなんだろうけれど、でも不可能だろ。
僕は神原みたいなジャンプ力はないし」
あんなもの、尋常じゃない身長か、あるいは超人的なバネでもない限り、素人の更に日本人には普通、無理だ。
そして残念ながら僕は、そのどちらも持ち合わせていない。
しかし神原、自信に満ちた表情で笑った。
「阿良々木先輩ならできる。
いや、阿良々木先輩にしかできない方法があるんだ」
391 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 10:16:56.40 ID:Mnza7VUIO
―――
壁走り。
ゴールの付近に壁があるこの特設コート、
更にレイニー・デヴィルの一件の名残で、身体能力に対する吸血鬼補正の著しい今の僕にしか、できないダンクシュート。
最初の宣言した通り、壁を床と見なさないルールがある以上、
壁を何歩走っても勿論反則にはならない。
反発は、ありそうだったけれど。
「これで3点だ、岡崎」
着地した僕は、岡崎にボールを渡す。
床の段階で3ポイントラインから飛んでいれば、
壁は床と見なさないのだからこれは3点シュートだ。
「次はお前のオフェンスだ」
岡崎の目付きが、本当の本当に本気になるのを、感じた。
壁走り。
ゴールの付近に壁があるこの特設コート、
更にレイニー・デヴィルの一件の名残で、身体能力に対する吸血鬼補正の著しい今の僕にしか、できないダンクシュート。
最初の宣言した通り、壁を床と見なさないルールがある以上、
壁を何歩走っても勿論反則にはならない。
反発は、ありそうだったけれど。
「これで3点だ、岡崎」
着地した僕は、岡崎にボールを渡す。
床の段階で3ポイントラインから飛んでいれば、
壁は床と見なさないのだからこれは3点シュートだ。
「次はお前のオフェンスだ」
岡崎の目付きが、本当の本当に本気になるのを、感じた。
394 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 10:24:55.58 ID:Mnza7VUIO
ハーフラインまで下がった岡崎の身体が、力を溜め込むようにぐいっ沈んだ。
慌てて身構える僕との距離を一息で詰めた岡崎は、
さすがとしか言えないボール捌きとフェイントで僕を撹乱しつつ抜き去るタイミングを測る。
「ちっ……」
その合間に、舌打ちが聞こえた。
抜けないのだ。あの岡崎が、僕を。
いかに岡崎の技術でも、壁に囲まれたこのコートでは。
手応えを感じる。
随分卑怯な真似をしているが、それでも、いや、そうして初めて――岡崎と、やり合えている。
396 誤字脱字が多い…… 2009/12/14(月) 10:28:37.64 ID:Mnza7VUIO
と思ったのも束の間、岡崎はボールを自らの後方に無造作に放ると、
それにつられて前に踏み出した僕の横を走り去る。
「しまっ……」
バスケットボールは。
僕の前方で動きを止め、高い弧を描くループパスとなって僕の頭上を通り越し。
「よしっ」
岡崎の手に収まっていた。
「くそっ!」
横だけじゃなくて、縦もアリなのかよ、あの無人パス!チートすぎる!
慌てて追いかけるものの、既にゴール前に走り込んでいた岡崎には追い付けない。
そのまま岡崎はゴール右側から飛び上がり、
送り狼の力により回復した右腕でレイアップシュートを――…
397 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 10:35:52.60 ID:Mnza7VUIO
―――
「最後の理由は」
神原は。
「これははっきり言って、私の推論になってしまうのだが……」
言うべきか躊躇するような仕草を見せてから、
居心地が悪そうな表情で囁いた。
「送り狼について、忍野さんが隠しているかもしれないことについてなんだ」
「最後の理由は」
神原は。
「これははっきり言って、私の推論になってしまうのだが……」
言うべきか躊躇するような仕草を見せてから、
居心地が悪そうな表情で囁いた。
「送り狼について、忍野さんが隠しているかもしれないことについてなんだ」
398 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 10:44:37.54 ID:Mnza7VUIO
「忍野が……隠してる?」
「うむ。だがこれは本当に100%完全完璧に一切全て私の推論で、
忍野さんの語ったことがすべてである可能性のほうがよっぽど高い。
なんせ私は専門家でもなんでもない、ただの一般人だ。信用するなら忍野さんのほうだろう。
だからこれは、話半分に聞いてくれると、私としては非常に助かるのだが……」
「ああ、いいよ。
元々、無理言って助言を求めてるのはこっちなんだし、好きに言っちゃってくれ」
「……うむ」
それでも神原はしばらく言い淀んだあと。
「私が考えるに、送り狼が授ける特殊な能力を使うには、一つ、条件があるのだ。
『ストバスの幽霊』が夜中にしか現れなかった理由、なのだと思う」
「条件……?」
「そう。おそらく、送り狼はという怪異は――…」
399 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 10:53:16.64 ID:Mnza7VUIO
―――
「嘘、だろ……」
岡崎は――シュートを放たずに、いや、放つことができずに、
まるで途中でやる気をなくしてしまったかのような力の抜け方で、ボールを取り落としていた。
てん、てん、と虚しく転がるボール。
呆然と、岡崎は膝をついて。
苦痛に満ちた屈辱的な表情で、右肩を、抑えた。
この場所をコートに選んだ、最後の理由。
ゴールの周りだけは影になって――月明かりが射し込まない。
「嘘、だろ……」
岡崎は――シュートを放たずに、いや、放つことができずに、
まるで途中でやる気をなくしてしまったかのような力の抜け方で、ボールを取り落としていた。
てん、てん、と虚しく転がるボール。
呆然と、岡崎は膝をついて。
苦痛に満ちた屈辱的な表情で、右肩を、抑えた。
この場所をコートに選んだ、最後の理由。
ゴールの周りだけは影になって――月明かりが射し込まない。
400 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 10:58:52.34 ID:Mnza7VUIO
神原の予想とはつまり、送り狼に与えられた能力を使うには、
『月の下でなくてはならない』
という条件がある、というものだった。
そもそも狼と月を結びつける考え方は、そんなに珍しいものでもない。
満月を見ると狼に変身する狼男なんて、知らない人などいない有名な話で。
忍野がそれとなく言っていた、北欧、ゲルマン神話のスコールとハティも。
太陽と『月』を飲み込む狼の話だ。
それが、岡崎が昼間は相変わらず右肩が上がらない理由。
『ストバスの幽霊』が、夜にしか現れない理由。
402 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 11:03:57.31 ID:Mnza7VUIO
僕は転がったルーズボールを拾い上げると、
一度ハーフラインまで後退して攻守交代、
そのまま本日二度目の3ポイントダンクシュートを決め、岡崎の隣に着地する。
「……岡崎」
「阿良々木……」
光を失った目で、僕を見上げる岡崎に。
ボールを、差し出した。
「俺、は……もう……」
項垂れる岡崎。
きっと、再び右肩が上がらなくなったことに打ちのめされたのだろう。
だけど、まだだ。
そんなことは、許さないとばかりに、僕は。
「これで6点だ、岡崎」
非情な言葉を投げた。
まだ、試合は終わらない。
403 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 11:07:42.74 ID:Mnza7VUIO
―――
僕が最後のゴールを決めたとき、岡崎はぼんやりとハーフラインの辺りで立ちすくんでいて、
ほとんど守備もなにもあったものじゃなかった。
ワンマンゲーム。
圧倒的な、スコア。
いつかの僕らとの、立場の逆転。
「僕の勝ちだな、岡崎」
「…………ああ」
そう、岡崎が呟いたとき。
岡崎の後方、闇夜の中に――光る二つの目を見た。
送り狼。
狼の怪異。
願いを叶えるまで、送ってくれる。
願いの成就の途中で宿主が一つでも失敗するか、
あるいは願いが無事に成就されたら、
宿主は代償に、なにかを大切なものを奪われる。
岡崎の腕を喰い千切るために実体化した送り狼を見ながら、
僕は、忍野の言葉を思い出していた。
僕が最後のゴールを決めたとき、岡崎はぼんやりとハーフラインの辺りで立ちすくんでいて、
ほとんど守備もなにもあったものじゃなかった。
ワンマンゲーム。
圧倒的な、スコア。
いつかの僕らとの、立場の逆転。
「僕の勝ちだな、岡崎」
「…………ああ」
そう、岡崎が呟いたとき。
岡崎の後方、闇夜の中に――光る二つの目を見た。
送り狼。
狼の怪異。
願いを叶えるまで、送ってくれる。
願いの成就の途中で宿主が一つでも失敗するか、
あるいは願いが無事に成就されたら、
宿主は代償に、なにかを大切なものを奪われる。
岡崎の腕を喰い千切るために実体化した送り狼を見ながら、
僕は、忍野の言葉を思い出していた。
404 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 11:11:37.47 ID:Mnza7VUIO
―――
「ところで阿良々木くん、
例のバスケくんとバスケットボールの勝負をするのは分かったけれどさ、
一体全体、それでどうやって怪異を祓うつもりなんだい?」
「どうやってって?」
「いや、だって、バスケくんにとっての願いがなんなのかは僕はまったく知らないけれど、
万が一……いや、億が一、あるいは兆が一、
阿良々木くんがバスケットボールの試合で勝ったとしたらさ――それはバスケくんにとっては、願いの途中での失敗ってことだろう」
忍野は、器用にバスケットボールを指先で回しながら長々と語る。
「だってバスケくんの能力ってさ、少なくとも確実に、
バスケットボールで勝つために得たものじゃないか。
それじゃあ送り狼は、阿良々木くんが勝った途端に、
バスケくんに襲いかかって腕を奪っていっちゃうよ」
「ところで阿良々木くん、
例のバスケくんとバスケットボールの勝負をするのは分かったけれどさ、
一体全体、それでどうやって怪異を祓うつもりなんだい?」
「どうやってって?」
「いや、だって、バスケくんにとっての願いがなんなのかは僕はまったく知らないけれど、
万が一……いや、億が一、あるいは兆が一、
阿良々木くんがバスケットボールの試合で勝ったとしたらさ――それはバスケくんにとっては、願いの途中での失敗ってことだろう」
忍野は、器用にバスケットボールを指先で回しながら長々と語る。
「だってバスケくんの能力ってさ、少なくとも確実に、
バスケットボールで勝つために得たものじゃないか。
それじゃあ送り狼は、阿良々木くんが勝った途端に、
バスケくんに襲いかかって腕を奪っていっちゃうよ」
405 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 11:19:47.60 ID:Mnza7VUIO
まさかとは思うけれど、と忍野は小馬鹿にするように付け加えて。
「阿良々木くん、そうやって送り狼を実体化させてから退治しようだなんて、
そんなことふざけたは思っていないよね?
送り狼は、重し蟹みたいな、少なくとも戦闘向けではない怪異とは違うんだ。
完全に『狩り』向けの怪異だよ。
ツンデレちゃんのときに僕がやろうとしたみたいな方法は、やめておいたほうがいい。
今の阿良々木くん程度の吸血鬼性じゃあ、送り狼なんて絶対に祓えないよ」
「……そんなことは思ってないよ、忍野。
大丈夫、それについては、僕に考えがあるから」
勝負の方法にバスケットボールを選ばざるを得なかったのは、むしろ好都合である。
僕の狙いは、試合ではなく、勝った後にあるのだから。
それに、おそらく。
すべて、逆なのだ。
岡崎が送り狼に願ったのは――その逆で。
407 >>405「そんなことふざけたは」→「そんなふざけたことは」 2009/12/14(月) 11:23:52.41 ID:Mnza7VUIO
―――
「岡崎」
だから僕は、岡崎の前に立って、言った。
「バスケットボールの試合でさ。
最後にみんなでセンターラインに集まって挨拶するのに、僕、憧れてたんだ」
「………はぁ?」
岡崎の背後の狼が、走り出す。
岡崎の右腕を、喰い千切るために。
僕は、焦らず、頭を下げた。
勝負の内容がバスケットボールなら、この流れに無理はない。
岡崎に怪異のことを知らせず、解決する方法。
「岡崎」
だから僕は、岡崎の前に立って、言った。
「バスケットボールの試合でさ。
最後にみんなでセンターラインに集まって挨拶するのに、僕、憧れてたんだ」
「………はぁ?」
岡崎の背後の狼が、走り出す。
岡崎の右腕を、喰い千切るために。
僕は、焦らず、頭を下げた。
勝負の内容がバスケットボールなら、この流れに無理はない。
岡崎に怪異のことを知らせず、解決する方法。
408 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 11:25:23.72 ID:Mnza7VUIO
「……………」
岡崎はしばらく鼻白んだ様子だったが、同じように頭を下げて。
「「ありがとうございました」」
同時に、言った。
送り狼。
その正しい祓い方は、願いをきっちり成就してからお礼を言うこと。
岡崎の背後で、狼が――満足したように立ち去ったのが。
僕には、分かった。
410 あとすこし… 2009/12/14(月) 11:43:47.60 ID:Mnza7VUIO
013
後日談というか、今回のオチ。
翌日、いつものように二人の妹、火憐と月火に叩き起こされた僕は、
まず最初に神原の家に向かい、一連の事件の片がついたことを報告すると、
次に忍野に会うために件の学習塾跡に足を運んだ。
ちょうど定期的に忍に血をやらなくてはいけない時期だったので、
首筋に金髪の少女を噛みつかせていると、忍野が珍しく感心したように言った。
「しかし阿良々木くん、よくバスケくんの願いに気付いたね。
今回の件で僕は、もう本当、きみの評価を改めなくちゃいけないと思ったよ。
勿論思っただけだけれど」
「思っただけなら言うな」
とりあえずツッコミをいれて。
「まあ、なんとなくだよ。
岡崎と何度か話して受けていた印象と、その言葉から、推測しただけで」
411 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 11:47:41.06 ID:Mnza7VUIO
岡崎朋也の願いは。
きっと、バスケットボールで勝ち続けることではなく――負けることだったのだ。
正確には、部活でバスケットボールをすることを諦めるというのが、岡崎の願いだったのだろう。
自分がバスケットボールをしているのは諦めるためだと、
そもそも岡崎はきちんと口にしていたし。
それにもし岡崎の願いが、バスケットボール部に復帰することだったのだとしたら。
月の下でしか右肩が治らない、送り狼なんていう不便な怪異を呼び寄せたことに、説明がつかない。
412 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 11:50:48.55 ID:Mnza7VUIO
「しかし、だからって右肩を治して更に無人パスを習得するなんてね。
僕にはバスケくんの考えが、よく分からないよ」
「……それは」
それは、たぶん、全盛期の状態の自分で負けたかったのだ。
だから右肩を治し――そしてバスケットボール、
それも部活でやるとなれば尚更、個人技ではなくチームプレーが軸となるから、
だから無人パスを身につけた。
そこまで万全な状態の自分が負けてしまえば――そんな自分より強い人間がいると知ってしまえば、
諦めることができると思ったから。
勿論これは、僕の勝手な推測でしかいけれど。
ともあれ昨日の一件で、送り狼は綺麗さっぱり後を濁すこともなく、消え去ったのだ。
413 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 11:55:38.88 ID:Mnza7VUIO
「ああ、そうそう、阿良々木くん。
きみって実は僕への借金、まだ完済しきってないよね」
「そうだけど……なんだよ、忍野。
もしかして今回の件で料金を上乗せでもするんじゃないだろうな」
「違うよ。そういきりたつなって、もう、阿良々木くんは元気がいいなぁ。
なにかいいことでもあったのかい?」
相変わらず気味の悪くなるような底意地の悪い笑顔を浮かべると、
忍野は懐から一枚のお札を取り出した。
「『仕事』だよ、阿良々木くん。
きみの借金の分から引いておくから、ちょっと頼まれてくれるかい」
「……いいけど」
忍を肩にくっつけたまま忍野の前まで歩き、その札を受け取る。
414 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 12:06:09.61 ID:Mnza7VUIO
「ほら、向こうにある山分かるかい?
あの中に、今はもう使われていない小さな神社があるんだ。
その本殿に、こいつを貼ってきてくれ」
「そんなんでいいのか?」
「ああ。言っとくけど阿良々木くん、
これはこの町の運命を左右するようなそれはそれは重大なお仕事だから、
適当にやろうなんて思っちゃダメだよ?」
「んなこと思ってねえよ」
なんだか忍野が与えてくるにしては簡単な仕事だなあとは思ったけれど。
「それと、ほら、例のレイニー・デヴィルのときの……」
「神原?」
「そうそう。その子も連れていくのを忘れずにね。
あのときはなんだか有耶無耶になっちゃったけれど、僕は専門家だからね。
彼女も僕に借金がある」
「その返済分ってことか」
「そゆこと。じゃ、まあ明日にでもよろしく頼むよ」
そう気軽に言って、忍野は僕の右ポケット辺りを叩いたのだった。
419 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 12:22:24.34 ID:TvRU79ru0
―――
そんなこんなで僕が学習塾跡を出た頃にはもうすっかり太陽は登りきっていて、
通常土曜日でも授業がある僕ら私立直江津高校の生徒にとって貴重な、
テスト休みの土曜日を、もう半分近く消費したあとだった。
「どうすっかなぁ」
なんて呟きながら歩いていると。
「よう、阿良々木」
そこで、岡崎が待っていた。
岡崎。
岡崎朋也。
私立光坂高校一年生。
目付きと口が悪い。
抜群の運動神経。
遅刻とサボりの常習犯。
そして――狼に送られた少年。
そんなこんなで僕が学習塾跡を出た頃にはもうすっかり太陽は登りきっていて、
通常土曜日でも授業がある僕ら私立直江津高校の生徒にとって貴重な、
テスト休みの土曜日を、もう半分近く消費したあとだった。
「どうすっかなぁ」
なんて呟きながら歩いていると。
「よう、阿良々木」
そこで、岡崎が待っていた。
岡崎。
岡崎朋也。
私立光坂高校一年生。
目付きと口が悪い。
抜群の運動神経。
遅刻とサボりの常習犯。
そして――狼に送られた少年。
420 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 12:26:46.21 ID:TvRU79ru0
「……岡崎。こんなところで、どうしたんだ?」
「ここにいれば、おまえに会えると思って」
そんなことを言った岡崎は、僕を睨みつけた。
鈍く光る、切れ長の、ナイフのような。
ぎらぎらと紅く輝く。
灼けた狼の、瞳。
「岡崎?」
「……おまえさえいなければ、俺はバスケを続けられたんだ」
ぐっと、右手を握る。
「おまえに負けたあとにさ、何度も試した。
だけど、もう、右肩が上がらない。
バスケができねえんだよ!」
その声は、堪えきれない苦痛に満ちてるように、僕には思えた。
心痛な、悲鳴にも似た。
「岡崎、お前はバスケを諦めたいんじゃなかったのかよ」
「そうだ。初めはそうだった。
だけど、だけどな……夜になると右肩が動くようになって。
なんだかよく分からないけどすごいパスができるようになって。
ストリートで好きなだけバスケをやってるのが、楽しかったんだよっ!」
裂けるような、叫びだった。
砕けるような、嘆きだった。
それは明確な――悪意だった。
421 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 12:30:12.49 ID:TvRU79ru0
「それをおまえが奪ったんだ、阿良々木ッ!!!」
「―――――ッ!!」
瞬間、激しい衝撃と共に首が左に思いっきり振れて、体が泳ぐ。
それから少し遅れて、痺れるような痛みが右の頬に広がった。
岡崎に顔を殴られたと気付くまでに、しばらくかかった。
「おまえさえ現れなければ、俺はずっとバスケをやっていられたんだっ!
あの場所で! 一人でだって! それで満足だったのにっ!」
もう一度、顔を殴られる。
それが利き腕じゃなくて左の拳で、
だから倒れるような衝撃ではないのが……すべてを、物語っている気がした。
少なくとも岡崎朋也にとって、送り狼は。
怪異は、悪ではなかったのだ。
423 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 12:33:58.70 ID:TvRU79ru0
「岡崎ィ……」
僕は、春休みや、あるいは神原のレイニー・デヴィルの一件で、
痛みならいくらでも経験した。
死ぬほど痛かったこともあるし、実際そのいくつかでは、
数えきれないくらい死んだ。
吸血鬼の再生能力で瞬時に回復しただけであって、
死ぬほどの痛みどころか死ぬ痛みを延々と繰り返しもしたのに。
それなのに。
なぜか、岡崎に殴られた右頬のほうが、そのどれよりも強烈に痛んだ。
右腕が肩より上に上がらないせいで、
利き腕でない左腕で殴られたっていうのに。
どんな死ぬ思いよりも――痛い。
それは、きっと。
僕の右頬の痛みは、産まれて初めて、本当の憎悪を向けられた――友達からの、暴力だったからだ。
憎悪のレベルでいったら、春休みに対峙した4人のほうが、岡崎の何百倍も上なのに。
それでも、岡崎から殴られたことのほうが、僕には痛いのだ。
痛くて、イタいのだ。
424 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 12:38:16.30 ID:TvRU79ru0
だから。
三発目の岡崎の拳を、僕は手首を掴み、ねじり上げた。
「なっ……!」
残念ながら僕の上の妹は空手二段の腕前で、
そもそもの性格が攻撃的なため――昔から何度も取っ組み合いの喧嘩をしてきた。
僕は、少なくとも生身の人間との喧嘩なら、慣れているのだ。
いくら岡崎が身体の大きい男だからといって、
その左の拳を受け止めることくらい、僕には造作もない。
左腕を、振り上げる。
「がっ――、ぎっ!?」
僕は、岡崎の憎悪に染まったその顔を、思いきり殴っていた。
最後まで振りきった、心からのパンチだ。
岡崎の身体がよろける。
425 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 12:43:35.77 ID:TvRU79ru0
「ふざけんなッ!!!」
自分でも驚くくらい、大きな声が出た。
とにかく、頭の中が熱かった。
脳みその代わりにマグマでも突っ込まれてるみたいな気がして、溢れる激情を止められない。
「甘えてんなよ、岡崎」
言葉を繋ぐ。
僕は――許せなかったのだ。
忍野の反対も無視して、岡崎と対峙した理由に、今更ながら気付く。
単純に、許せなかった。
426 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 12:45:21.68 ID:TvRU79ru0
だって。
だって、僕が知る怪異に関わった人間は、すべて。
猫に魅せられた羽川翼も。
蟹に行き遭った戦場ヶ原ひたぎも。
蝸牛に迷った八九寺真宵も。
猿に願った神原駿河も。
そして当然、僕だって。
みんな、少なくとも、悩んでいたのだ。苦しんでいたのだ。
決してそれに甘んじなかったし、それを解決した後にも、誰かの責任になんかせず、受け止めていた。
忍野は言った。
今回のケースは、レイニー・デヴィルと近いと。
でも、違う。
岡崎は神原とは、決定的に――違う。
428 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 12:48:20.38 ID:TvRU79ru0
「そんな甘ったれた考えで、どうにかしようなんてのがそもそもの間違いなんだよっ!」
もう一度、今度は右を振り抜く。
「ぐっ―――、ぁ、阿良々木ぃッ!!」
殴り返された。
弾けるような痛み。染み込んでいく痛覚。
「ぎっ――――、岡崎ぃッ!!」
仕返しにもう一度殴った。
一発殴る度に。
一発殴られる度に。
何かを、なくしていく感覚があった。積み上げた時間を喪失していく錯覚。
それはたぶん、岡崎朋也との――…
429 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 12:53:10.55 ID:TvRU79ru0
―――
「随分と派手にやりあってたね、阿良々木くん」
硬いコンクリートの上で大の字になり空を眺めていると、
なにがそんなに楽しいのか、露骨ににやついた忍野の顔が視界に割り込んできた。
散々殴りあって、互いにボロボロになって、そして岡崎が立ち去ったあと。
僕は一人、吸血鬼の回復能力ですっかり傷は治ってしまったけれど、
じくじくと蝕むような、なぜか拭い去れない痛みに身を任せて、
寝転がっているところだった。
「……見てたのかよ」
「まあね。阿良々木くんのピンチだと思って、ついつい彼の通う光坂高校に通報までしちゃったよ。
おたくの生徒が貧弱でひ弱な中学生を殴って遊んでますよって。
……ちょっとばかり遅かったみたいだけれど」
忍野は懐から取り出した携帯電話を揺らしながら見せびらかす。
「誰が中学生だ! しかもそれ、僕の携帯電話じゃねえか!」
いつの間に盗ったんだよ。
お札を受け取って、最後に僕のポケットを叩いたときか。
吸血鬼の心臓を抜き去ることができるくらいだから、
僕みたいなぼうっとした高校生から携帯電話をくすねるくらい朝飯前なのだろうけれど、
相変わらず手癖が悪い。
「随分と派手にやりあってたね、阿良々木くん」
硬いコンクリートの上で大の字になり空を眺めていると、
なにがそんなに楽しいのか、露骨ににやついた忍野の顔が視界に割り込んできた。
散々殴りあって、互いにボロボロになって、そして岡崎が立ち去ったあと。
僕は一人、吸血鬼の回復能力ですっかり傷は治ってしまったけれど、
じくじくと蝕むような、なぜか拭い去れない痛みに身を任せて、
寝転がっているところだった。
「……見てたのかよ」
「まあね。阿良々木くんのピンチだと思って、ついつい彼の通う光坂高校に通報までしちゃったよ。
おたくの生徒が貧弱でひ弱な中学生を殴って遊んでますよって。
……ちょっとばかり遅かったみたいだけれど」
忍野は懐から取り出した携帯電話を揺らしながら見せびらかす。
「誰が中学生だ! しかもそれ、僕の携帯電話じゃねえか!」
いつの間に盗ったんだよ。
お札を受け取って、最後に僕のポケットを叩いたときか。
吸血鬼の心臓を抜き去ることができるくらいだから、
僕みたいなぼうっとした高校生から携帯電話をくすねるくらい朝飯前なのだろうけれど、
相変わらず手癖が悪い。
431 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 12:58:10.35 ID:rGY6ebzmO
この後岡崎は春原と出会うわけか
432 携帯へ 2009/12/14(月) 12:58:41.33 ID:Mnza7VUIO
「忍野、お前まさかこういうことになるって分かってたんじゃないか?
だから僕の携帯電話を……」
「はっはー、そいつはちょっとばかし、僕のことを過大評価しすぎだよ。
僕はただ、携帯電話をなくした阿良々木くんが慌てる姿を観察したかっただけさ」
「……そうかよ」
でも、と思う。
でも、忍野は機械に滅法弱い。
そんな忍野が、僕のピンチに光坂高校の電話番号を調べ上げて通報するなんてこと、
とっさにできるとは思えなかった。
忍野なりの、怪異に甘えていた岡崎朋也への。
小さな仕返しなんじゃないかと邪推してみる。
433 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 13:02:41.09 ID:Mnza7VUIO
まあ、いいか。
忍野のことだ、いつもの気まぐれの可能性のほうが、よっぽど高い。
こいつのすることを、深く考えるほうが損だ。
「ともあれ、こいつはきみに返すよ。僕には必要ないものだしね」
寝転がったまま、携帯電話を忍野から受け取る。
発信履歴をチェックすると、本当にどこか僕の知らない番号にかけた記録があった。
「……なあ、忍野」
「なんだい、阿良々木くん」
気付いたら僕は、忍野に弱音を吐いていた。
知り合ってから、一週間だったけれど。
一緒にバスケットボールをして。
馬鹿をやって。
冗談を言い合って。
笑い合って。
「僕と岡崎は――友達だったのかな」
434 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 13:04:39.67 ID:Mnza7VUIO
このときばかりは、忍野も、いつものようなどこか嘘くさくて薄っぺらい笑顔ではなく、
本当に心から呆れた顔をして。
「そんなことを僕に訊いて、どうしようっていうんだい」
「……そうだな」
まったくもってその通りだった。
そんなのは、忍野に訊いてどうなることでもない。
なら言うべきことは、そんな台詞ではあろうはずがなかった。
「忍野。僕と岡崎はさ――確かに、友達だったんだ」
そう、はっきりと言葉にする。
435 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 13:08:36.44 ID:Mnza7VUIO
岡崎はこの先、一生ものになりうる友達と、出会ったりするのだろう。
一緒に馬鹿をやって、冗談を言い合って、笑い合って。
あるいはこの一週間、僕とやっていたように、
動かない右肩でバスケットボールをすることもあるかもしれない。
ただ、その誰かが――決して、僕ではないというだけ。
その相手に、僕は絶対に成り得ないというだけ。
ただそれだけのこと。
たったそれだけのこと。
だから、この話はこれで終わり。
だってこの話は、あの地獄の春休み――キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの一件と同じで。
これは、岡崎朋也が――バスケットボールに対する情熱をただ失って。
そして阿良々木暦が――高校生になってから初めての心を許せる男友達をなすすべもなく失っただけの。
そんな、およそ本筋に関係のない。
やっぱり誰一人として幸せにならない。
そんな――失物話。
436 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 13:09:50.66 ID:Mnza7VUIO
おしまい
444 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 13:20:57.08 ID:Mnza7VUIO
丸々2日と半分、こんなただのオナニーな駄文にお付き合いいただきありがとうございました
キャラは活かせてないし、送り狼のくだりはいい加減だし、
初めてのSSで緊張したり、不安になったり、二度も寝落ちたりしましたが、
みなさんの支援と保守のおかげでなんとか完走することができました
ありがとうございます
ちなみに話をするがモンキーとなでこスネークの間にしたのは、
単純に撫子が使いにくいのと、
化物語後半になったら夏服になってしまうので岡崎と春原が出会うシーンのCGとの辻褄が合わなくなってしまうからと、
そうなるとスケジュール的に化の本編で一週間なにも描写されていないのはするがモンキー後だったのと、
あと>>1は化物語で忍野が一番好きだからです
忍野使いたかった
最後に
蛯沢真冬ちゃんは俺の嫁!!!!
キャラは活かせてないし、送り狼のくだりはいい加減だし、
初めてのSSで緊張したり、不安になったり、二度も寝落ちたりしましたが、
みなさんの支援と保守のおかげでなんとか完走することができました
ありがとうございます
ちなみに話をするがモンキーとなでこスネークの間にしたのは、
単純に撫子が使いにくいのと、
化物語後半になったら夏服になってしまうので岡崎と春原が出会うシーンのCGとの辻褄が合わなくなってしまうからと、
そうなるとスケジュール的に化の本編で一週間なにも描写されていないのはするがモンキー後だったのと、
あと>>1は化物語で忍野が一番好きだからです
忍野使いたかった
最後に
蛯沢真冬ちゃんは俺の嫁!!!!
441 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 13:13:37.63 ID:2YYX2SSXO
乙
読み応えあった
読み応えあった
446 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 13:31:06.26 ID:W+Nipoeb0
面白かったよ乙
次回作に期待してるわ
次回作に期待してるわ
449 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 14:04:38.71 ID:hYblqHg/O
乙!
和解の無い喪失感がまたいい!
和解の無い喪失感がまたいい!
460 明らかに蛇足の自己満オナニー 2009/12/14(月) 14:51:59.00 ID:Mnza7VUIO
014
誰か目撃者がいて、通報したらしい。
阿良々木との殴り合いのあと、帰りたくもない家に帰ると学校から呼び出しの電話がかかってきた。
仕方がないので取り返したばかりの制服に着替えて、
日曜日なのにわざわざ学校に行き、生活指導の教師に散々説教を聞き流して廊下に出ると、
幸村という、じいさん教師が俺を待っていた。
担任だから、俺を引き取りにきたのだろう。
もう何度も、こういうことはあった。
「ほっほ、これはまた酷い顔じゃの、岡崎」
「うっせぇ……」
喋ると殴られた傷が痛む。
「まあ、ついてきなさい。生徒指導室でお茶でも飲みながら話を聞こう」
歩き出した幸村の丸い背中を、黙って追いかける。
生徒指導室で説教の続きなんて、慣れっこだった。
……俺は、問題児だったから。
461 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 14:53:40.05 ID:Mnza7VUIO
「なあ、じいさん」
幸村の背中に呼びかける。
「なんじゃ」
「俺……」
ほんの一瞬だけ、悩んで。
「俺、学校を辞めようと思う」
それは、前から考えていたことだった。
周りはガリ勉ばっかりで、とんでもない学校に入ってしまったと思ったものだ。
もともとバスケをやるために入った学校。
そのバスケができないのに、こんな場所に残っている意味なんて……ない。
462 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 14:54:21.93 ID:Mnza7VUIO
阿良々木との一件はなんだかすべて夢の中のようなことだったような気がするが、
あれはあれでいいきっかけになったと思う。
あれのおかげで、俺はもうバスケはできないのだときちんと理解した。
バスケはできない。
それならこんな俺に……なにが残るだろう。
「……そうか」
幸村は、細すぎて開いているんだか分からない目をこちらに向けて、
それだけ言うとまた歩き出した。それに続く。
この先の生徒指導室で、退学の手続きの話をすることになるだろう。
463 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 14:55:56.19 ID:Mnza7VUIO
そんな時。
俺は、ちょうどいいタイミングで職員室から出てきた一人の生徒とすれ違った。
……金髪のヘンな奴だった。
その顔は、俺と同じように最近喧嘩をしたばかりなのかもっとヘンで、
人相なんかほとんど変わっているように思った。
……それを見ただけで、大笑いした。
涙を流すくらいに笑った。
そんなこと……この学校に来て、初めてだった。
ああ、まだまだ笑えたんだって思った。
この学校に、俺と同じようなやつがいたんだと思った。
それが、無性に嬉しかった。
金髪のそいつは、俺のことを不思議そう眺めて……
やがて、我慢していたものが決壊したように、笑った。
気持ち良さそうに笑っていた。
小さな楽しみを……見つけた。
こいつと一緒に、馬鹿をやってみようと思った。
最後にもう一度、やってみようと思った。
学校を辞めるのは、そのあとでもいい。
465 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 14:57:40.69 ID:Mnza7VUIO
「おい、おまえ。名前は」
「僕?」
ちょっと鼻にかかった、生意気そうな声。
「おまえ以外に誰がいるんだよ……」
「僕は春原陽平。おまえは?」
「岡崎。岡崎朋也だ」
「岡崎って、あの宇宙人の!?」
「……はぁ?」
「な、なんだ、人違いか……よかった……」
いきなり宇宙人がどうとか、気味の悪いやつだ。
466 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 14:58:35.71 ID:Mnza7VUIO
「なあ、春原、生徒指導室で茶飲もうぜ。
いいよな、じいさん?」
「……儂は構わんがの」
「だってよ。行くだろ?」
「カツ丼出る!?」
「出ねえよ……」
生徒指導室だっつんてんだろ……。
「僕、腹減ってんだよねー。
まあ、別にいいけどさ、どうせ暇だし」
「じゃあ全裸で『ウヒャヒャヒャ』って笑いながら校舎走ってこいよ。そしたら飲ませてやる」
「なんで会って早々そんなこと言われなくちゃなんないんすかねえ!?」
「おら、さっさとやれよ」
「やんねえよ!」
「頼むからっ!」
「頼まれてもやんねえよっ!」
面白いやつだった。
一緒に馬鹿をやるには、うってつけだ。
467 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 15:02:33.05 ID:Mnza7VUIO
春原と二人、笑って。
窓の外を眺めながら、かつて情熱を燃やしたバスケへの気持ちと、阿良々木暦という友人。
その、俺が失った2つへ、ほんの一瞬想いを馳せた。
……この町は嫌いだ。
忘れたい思い出が、また一つ増えた場所だから。
だけど……俺はまだ、ここにいる。
もう少しだけ、いてみようと、思う。
この町の、願いが叶う場所は……辿り着けなかったが。
俺は登り始めたばかりだから。
長い――長い坂道を。
469 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 15:03:31.57 ID:Mnza7VUIO
本当の本当におしまい
ありがとうございました
ありがとうございました
472 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 15:11:21.33 ID:u5FIJP75O
おつ
投下ペース速すぎだろw
投下ペース速すぎだろw
477 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2009/12/14(月) 16:11:54.28 ID:mShUX+0wO
乙です
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